ただ失われる

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 人類は有史以来その版図を広げ続けてきた。
 野山を越え、木々を切り開き、動物を殺し、時には同族すらも殺して。
 そして地球上のあらゆる場所に現れるようになる。

 しかし人類の欲望は地上を満たしただけでは収まらなかった。

 いつでも誰もがどこへでもいけるようにと、移動速度の向上を図る。
 地を駆け大地を横断する鉄道。
 広大な海を膨大な資源を抱えて渡る船。
 空を飛ぶ飛行機は時速800kmを超え、地球の裏側への到達すら容易にした。
 大気圏外移動が実現すれば、その時間は15分にまで短縮されるという。

 それでも人類はより良いものを求めることをやめたりはしない……。

   ◆◇◆◇◆◇◆

>01
 ――困ったことになったな
 自らが作り出した死体のとなりでナインは漠然と考えていた。
 甘い蜂蜜色の髪とは裏腹に、死体を見つめる青い瞳は氷のように冷え切っている。その様子を余人が見たところで困っているようにはとても見えない。それも当然だろう、たった十二歳の少年が己の手にしたナイフで相手の喉を割き、命を奪いながらもあわてふためいた様子は微塵にもみせないのだから。
 ナインが殺したのは自らの所属する組織の同業者――すなわち殺し屋である。相手とは顔見知りで、幼くも幹部衆から一目置かれる自分の存在が面白く思われていないことを自覚していた。だが組織の一員である以上は私情で仲間に手をかけることはない。だが事実としてナインはこの男から命を狙われたのだ。それは組織に不要な存在と判断されたに等しい。
 ――あるいは生け贄か
 彼が請け負った仕事で、なにかトラブルが起き、それを命じた誰かが己の罪を着せるために自分を売ったのだろう。限られた情報からナインはそう判断した。これまで殺してきた人間の素性などロクに知りもしないが、誰かがミスをして彼に押しつけたのだろうと。
 ナインは己の命を奪わせないためにも、その場からの逃走を図った。
 ――だが、逃げたところでなんになる?
 逃亡の末、自分が手にいれるものをこの時の彼は想像もしていなかった。

>02
 アリヒト・バーディはたった十三歳の少年である。
 黒髪黒瞳。彼に流れる日系の血は、実際年齢よりも彼を幼く見せている。
 8thGrade(中学2年生)だが、めったに学校へは顔をださない。学力は十分足りているのだが、そこに通う同級生らとあわないのだ。彼の学力ならば、飛び級も十分に可能なのだが、学校というシステムになんら魅力を感じておらず、そんな労力を払う気はなかった。
 能力は学校に行かなくても身につけられる。むしろネットで|遊んで《・・・》いる方がプログラミングの技術とすら考えていた。実際、その思考はあながちまちがいではなかった。すくなくとも彼にとっては。
 アリヒトは世界にたった七人しかいないワールドコーディネイターである。
 ワールドコーディネイターとはコンピュータシステムを構築するシステムエンジニアやプログラマーの上位的存在である。下位の者たちが会社組織や銀行などの会計処理や小売店のレジシステムと小規模なシステム管理を行うのに対して、ワールドコーディネイターは地球規模の管理システムの構築を行うのだ。
 物流のコントロール、備品と労働力と管理、緊急時の病院への運送、ハイウェイの工事日程など、ありとあらゆるものが彼らの構築するシステムのなかで動いている。統一システムの下、厳密にコントロールされた社会は非常に円滑な動きを示すようになった。わずかな労力で多大な作物が作られ、資源の運搬もより効率的に行われるようになった。また、わずかな金銭誤差も見逃されず多くの不正排除を成功させた。
 だがそれはまだ完全とは言い難かった。
 いまだワールドコーディネイターたちが提供するシステムを受け入れない国々があり、受け入れた国であってもシステムの手が届かない者たちもいる。生まれてから一度も電子マネーを利用したことのない人間がいるということはアリヒトには信じがたいことだ。
 その不完全さを排除するため、ワールドコーディネイターたちはシステムのアップデートに血眼になっている。
 だがアリヒトは他のワールドコーディネイターたちとちがい、統一システムへのアップデートに関心は薄かった。統一システムへの参加も、友人が『すごいシステムを作る』と言うので、興味本位で手を貸しただけにすぎない。実際に新システムの構築はこれまでにない大規模なもので彼の心を躍らせたのだが、完成して、それがあるのが当たり前になってからはすっかり興味が失せてしまった。日々行われるアップデートに追いかけられるのは彼の趣味ではない。いまは別の、もっと世界を便利にできるだろう(と彼の考える)システムの開発に熱をあげている。

 いまのアリヒトの姿を見て、プログラミングの最中だと気づけるものは限られているだろう。なにせ一見しただけでは野原にレジャーシートも敷かずに寝ころんでいるだけなのだから。タロットのような絵柄のついたカードを額に当てるくらいしかしていない。だがそれこそが彼にとってのプログラミングツールなのである。
 彼の愛用する『ソロモン』と呼ばれるプログラミングツールには、キーボード操作もフリック入力も必要とせず高速プログラミングを可能とする。技術としては果てしなく画期的なものだが、その特異性ゆえにソロモンを使いこなせる人間は十人と存在しない。だがその限られた人間が、常人の何千倍もの早さでシステムを更新していくため、その恩恵に授かれる者たちに不便はなかった。ワールドコーディネイターの仕事もソロモンあってのものである。

 だがそんなアリヒトにも悩みがあった。
 友人ができないことではない。現在趣味で取り組んでいるシステムの開発が上手くいかないのだ。それが完成すれば世界はより便利に、人類はより幸福に近づけるハズ。彼はそう信じているのだが、そのベースとなる理論の組立が上手くいかない。だめもとでシミュレーションを走らせたところで結果は予想通りだ。
「う~ん、やっぱできないのな」
 額から端末をはなすと、アリヒトはうなり声をあげる。『考えてもダメなときはダメ』。そう割り切ることにしているが、繰り返し失敗ばかりだとさすがに気が滅入るというものである。かつてともにプログラミングしたワールドコーディネイターたちに救援を頼んでみたが、日々の雑務(アップデート)に忙殺される彼らの返事は色よいものではなかった。逆に自分たちの仕事を手伝うよう要求され、逃げ出している最中である。
 不意に空腹をおぼえる。時間を確認すると昼食の時間はとっくにすぎていた。気分転換に車上販売(ネイサンズ)のホットドックでも食べよう。そう決めたアリヒトは近道をしようと公園の茂みをつっきろうとする。
 そこで何かを蹴っとばした。
 それは彼とおなじ年頃の金髪の少年だった。
「うわっ、ごめん、大丈夫!?」
 見れば少年の服は汚れ、血痕とおぼしきものまであった。明らかに彼が蹴ったものとは別の傷だ。
 だがそんなこととは関係なく、その端麗な顔立ちに思わず見入ってしまったのだ。
「大丈夫だ、ほっといてくれ」
 その声を聞いて、アリヒトは相手が自分と同性であると気づき残念に思った。気にしてみればシャツの胸元にはわずかな膨らみすらもない。
 だがそれで自分の過失が消えるわけでもない。せめて怪我の手当だけでもしようと手段を模索するが、少年はそれを迷惑だとはねのけた。
 どうしたものかと考えるアリヒトだったが、そこに「ぎゅるるる~」という音が響く。
 その音源に気づいたアリヒトの表情がおもわずくずれる。
 天使のように思えた美貌の少年が、腹を鳴らすというギャップが可笑しかったのだ。
 少年は腹を鳴らしたのは自分ではないという体を崩さなかったが、アリヒトにはそんなことはどうでもよかった。
「ちょっと待ってて」
 そう告げると、お気に入りのホットドッグを彼にも食べさせてあげようと走るのだった。

>03
「いらない」
 ケチャップとマスタードががっつりかかったホットドッグを買ってきたアリヒトであったが、金髪の少年はソレを受け取ろうとはしなかった。
「さっきのおわびだから、受け取ってよ」
「わびを受けるようなことはされてない。それに……」
「それに?」
「仕事もせずに飯を食うのはペットのすることだ」
――だったらペットになる?
 そう口から出かけた言葉をアリヒトはとっさにおさえる。個人的にはとても良い案に思えたのだが、相手の不機嫌な様子からすれば、それはまちがいなく失礼にあたるだろう。
――なんて言えば食べてくれるかな?
 相手が腹を空かせているのはまちがいない。自分が悩んでまで相手にホットドッグを食べさせたいと思っている理由についてはよくわからない。見た目は好みだが同性だ。恋愛感情ではない。ではなんだろう。
 その答えにたどりつけないまま彼は同年代の少年に問いかけていた。
「だったら仕事する? これは前払いの報酬ってことで」
 少年側も空腹の限界に達していたのだろう。アリヒトを疑りの目でみながらも、了承の証に受け取ったホットドッグを口に運ぶのだった。

「僕はアリヒト・バーディ」
「ナインだ」
 相手への好奇心を隠さないアリヒトとは正反対に、ナインの対応はそっけないものだった。
 だがそんな彼の姿をアリヒトはクールだと評価し、ますます好奇心を刺激される。
「それで俺は誰を殺せばいい」
 突然の質問にアリヒトは驚いた。
「いや、特に殺して欲しい相手はいないんだけど?」
「俺の仕事は生きた人間を殺すことだ。ほかにできることはない」
 そのままでも俳優くらいにはなれそうだ。アリヒトは思った。そもそも本気で彼は殺し屋だと言っているのだろうか。そうだろう。彼がジョークを言うような人種であるならば、最初のホットドッグや怪我の手当とて素直に受け入れたハズである。つまり彼は本当のことを言っている。そう結論づけた。
「受けた仕事は完遂する……なんなら、おまえを対象にしてやってもいいぜ」
「それは遠慮しておくかな。でもさ」
 アリヒトは服従するように手の平を見せて続ける。
「たとえ君が殺し屋でも、依頼主の意向に背いた行動はよくないんじゃない?」
 その問いかけにナインは沈黙を挟む。その意図を読み切れないながらもアリヒトは言葉つむぐ。
「だから別の仕事してみない?」
「俺にできることなんてほかにない。おまえが仕事をさせる気がないなら、余所で仕事をとってくるだけだ。さっきのはそれまでつけておけ」
「ホットドッグ代は3ドル50セントだけど、利子は15分につき10%だよ、もちろん複利でね」
 まだ彼にホットドッグをおごってから15分程度である。だが手持ちのないナインに即座の返金は不可能だ。15分で10%の複利ということは、1時間後の返済額は元金の146%になり、24時間後にはなんと879971.36246721%にまで膨れ上がる。3ドル50セントのホットドッグがおよそ3万800ドル(約340万円)とは、とっさの出任せだったとはいえ、無茶な要求をしたものだとアリヒトは内心で笑う。
 組織とのつながりを失ったナインがすぐに殺しの依頼を見つけことはまずできない。依頼が見つかる頃には、それこそ天文学的な数字となるだろう。
「つまりなにが言いたい?」
 ナインは自分が高利貸しに捕まったことだけを理解しアリヒトを睨みつけるが、アリヒトはそれをおそれはしなかった。ナインは本当に恐ろしい殺し屋なのかもしれない。だが自分に課したルールには従順だ。短いやりとりだけれどそれがアリヒトには感じられた。そのルールがどういったものか未知だったが、この場で殺されることはないだろう。故におそれずに彼につげる。
「僕のメイドさんになってほしいんだ」
「メイド?」
「いやちがったちがった護衛だよ護衛」
 とっさに言い訳するも、ナインの瞳から疑いの色が消えるのには時間を必要とした。

>04:
 アリヒトは高層マンションの1フロアを借り切り、そこでひとり暮らしをしている。使っているのは一部屋だが、そこが散らかると必要なものだけ選別して隣の部屋へと移る。忘れ物があったらとりにもどる。半年に一度くらいの割合で業者を入れ、大規模な清掃を行う。鍵は面倒なのですべてはずしてある。他のフロアの住人たちも富裕層なので入り口のセキュリティさえ突破されなければ、警戒の必要などないのだ。
 本人に『もったいない』という感覚はあるのだが、彼にとってもっとも優先されるのは遊ぶ時間である。それを多くするために金を使うのは在る意味本道であった。
 最近、アリヒトの周囲で妙に人の気配がするという。実は以前からそうなのだが、最近はより頻度があがったのだと。
「こころあたりは?」
「あるような、ないような」
「ハッキリしろ」
「そうは言われてもなあ」
 アリヒトはワールドコーディネイターとしての実績がある。単純に資産が多いのもあるし、本人に自覚はなくとも世界中の秘匿された情報を持っている。その気になればおなじワールドコーディネイターの組んだセキュリティすら突破できる。能力を欲する者も金を欲する者も、そして彼の自由さを危険視する者も数多だ。
 だがそれはナインとておなじことであった。
 すでに抜けたとはいえ、彼は殺人を肯定する組織に所属し、さらにはその組織から追ってを差し向けられ、それにアリヒトを巻き込む危険もある。護衛が対象を危険に巻き込んでは本末転倒もいいところだ。ナインはそのことをアリヒトに告げていない。自分の隠れ蓑として彼を利用しようと考えたのか、たんにタイミングを逃しただけなのかは本人にも判断できていない。あるいは両方であったがために答えが曖昧になったのかもしれない。
「まあ暇だったらマンガでも読んでてよ、僕のコレクションちょっとしたものだから」
 そういって、ソロモンの予備端末を取り出すが、それを使えるのは自分とごく一部の人間だけしかいないことを思い出す。かといって、マンションに自分のためのもの以外は用意していない。考えたあげく、しばらく前に使っていた部屋に残っている古い端末をさがして貸すことにした。新機種に買い換えた当初は、予備機としての役目を与え、契約はそのままにしておいたのだ。それが使われないうちに忘れさられそのままになっていた。
 アリヒトはパパッとナインに使い方を教えると、トイレに向かう。だがそこから出たあともナインに動きはなかった。
「どうしたの?」
「よくわからないんだが……」
「うそ、まさかマンガを読めない人種!? 宗教的な問題か、宇宙人に改造でもされたの!?」
 珍獣をみるような目で問いかけるが、ナインがマンガを読めない理由はもっとシンプルなものだった。
「そもそも文字が読めない」
「…………??」
 幼い時をスラムで過ごし、組織に拾われてからは殺ししか行ってこなかった。義務教育すら彼は受けてこなかったのだ。
 母国語以外にも多岐にわたる言語を解読できる(ただしそれはフィーリング的なもので他者への翻訳はできない)アリヒトには、文字が読めないという意味が理解できなかった。自分が驚いていることにちょっと感動しながらも、アリヒトはナインに文字を教えることを提案し、ナインはアリヒトの提案を受け入れることにした。
 当然アリヒトの研究は後回しになるのだが、ナインはこれまで接してきた自分本位な同級生たちとはちがい素直にナインの言葉に耳を傾けた。その関係性は互いにちがう世界を生きてきた両者にとって、とても新鮮なものだった。
 当初の文字を教える予定は忘れ去られ、互いの知識を披露しあうような雑談へと姿を変えていた。
 だが、両者にとってそれはとても楽しい時間でもあった。

 ナインがアリヒトに雇われて一週間ほどがすぎていた。
 ネットインフラの整備された世界では、ボタン一つでピザも戦車も注文できる。
 デリバリーのピザを受け取ろうと玄関へ向かうアリヒトをナインが止める。空気がおかしいと。
 アリヒトにそれは感じられなかったが、ナインの言葉を信じ対応を任せる。
 扉を開くと、配達員の制服を着た男が立っていた。その姿にアリヒトは思い過ごしだったと安堵するがナインはその男の股間を膝で蹴り上げる。悶絶する男の手から隠し持っていた拳銃がこぼれ落ちる。すぐさま男の身柄を確保しようと動くナインであったあが、監視カメラの死角に銃を所持した複数の人間の姿をみるつけあきらめた。
 ナインはすぐさま扉の内側にもどると、鍵をかけアリヒトに緊急用のバッグを持つように指示をする。護衛が本業ではないとはいえ、これまで行ってきた仕事がらその動きは理解できている。逃走になにが必要となるか、どういった動きがみつかりにくいか、そのノウハウはアリヒトに教授してある。
 ナインはアリヒトを部屋の隅に隠すと、扉をやぶり進入してきた男たちを迎え撃つ。都市迷彩のコンバットスーツに身を包んだ男たちは組織の人間ではない。
 ――こいつら何者だ
 疑問をかかえつつも、ナインは手にしたナイフで男たちの喉笛をかき切る。襲撃者たちも訓練を受けたプロである。だがその動きは一瞬の躊躇をみせた。あらかじめ部屋にアリヒトに似せた人形を配置しておいたのだ。殺人ではなく確保が目的であるのならば、銃の乱射はできない。混乱のひきだしたわずかな隙をついてナインは襲撃者の命を刈る。その動きは視認を困難にするほど素早く、壁を蹴る反動で獣のように獲物たちを殺していく。
 やがて襲撃者は作戦の失敗を認め撤収をはじめた。アリヒトの身柄が目的である以上、無理な行動はとれなかった。死体の回収はあきらめ、生存者たちだけが逃げ出していく。
「ナインってさかっこいいね」
「さあな」
 散乱した部屋の中で、アリヒトは場違いな感想をもらした。

>05
 襲撃後の対応は、ナインをもってしても頭を悩ませるところだった。ナインは未使用の部屋に移り、腕にかすった銃創を処理しながら考える。
 相手は、多くの富裕層が居住する高層ビルのセキュリティをくぐりぬけ襲撃してきたのだ。まず通常の組織ではありえない。ナインが蹴散らしたとはいえ、高度な訓練を受けていた。条件が少し変わっていただけで死体になったのはナインの方であったろう。
 通常考えられる手段は市警に連絡を入れることだが、いまだもってその姿をあらわさない。なんらかの手段が回っていると考えるべきだろう。そもそもナインは警察という組織を信用していない。彼らは法律という名の盾で身を守りながら、弱者だけをとりしまる富裕層の守護者にしかすぎないのだ。社会的弱者が起こした事件は目を皿のようにして取り締まり、権力者や富裕層が起こした事件にはひどく及び腰だ。警察といえど組織である。その組織のトップとつながりのある人物だったとしたら、そう考えれば操作の手が鈍るのも当然であった。この場合、アリヒトも富裕層側に含まれるのだが、日中の襲撃が実行された以上、やはり対策はとられているとみるのが当然である。
 単純な襲撃ならば出歩いている時のほうが確実だったろう。だがそれをせず、わざわざ高層ビルを襲ったのは人目を気にしてのことだろう。ナインはそう判断する。
「う~ん、わからないなぁ」
 襲撃された当人が暢気な声をあげる。彼はソロモンを使い、世界システムから情報を引き出していたのだが、それでも自分を襲った犯人の手がかりはつかめなかった。
 アリヒトにとって世界システムから情報を引き出せないことは異常だったが、いくつかの例外があることを自分でも承知していた。
 ひとつはネット上のいかなるシステムにも関与せずに活動すること。だが、電話も飛行機も車も高速道路も使わずに襲撃を実行するなどほぼ不可能だろう。
 もうひとつは……。
「移動するぞ、ここにいても自体は改善しない」
「そうだね」
 ナインの意見に賛同し、アリヒトは自分の思考を中断した。そして彼の手をとって逃亡の旅へと出るのだった。

>06
 ソロモンから世界システムにアクセスできることを利用し、優雅に旅をするナインとアリヒト。だがまだ襲撃者の正体も目的も明らかになってはいない。

 食後に急遽ナインの体調が変化する。
 混乱するアリヒト。とっさの行動ができない。
 それを救ったのは名うての賞金稼ぎブラウン・シュガーだった。(ナインは生牡蠣にあたっただけ)
 少年ふたりの旅路を心配したブラウンは同行を申し出るが、ふたりは彼を信じず断るが、ブラウンは偶然行き先がおなじだったと言い訳をしてついてくる。

 逃亡の最中にもアリヒトは研究に没頭している。
 それが事件解決の鍵になるだろうと考えてのことだった。
 食事中にナインの命名の由来を聞く。
「拾われたのが九日だったんだ」
「そう」
 ブラウンが話題を変えようと、アリヒトになにを研究しているのかたずねる。
 だがアリヒトは「まだ内緒」と答えない。
 また、ソロモンに興味をもち自分にも使わせてくれと願い出る。こちらは了承される。

 ソロモンによるプログラミングはまるで抽象画の世界に迷い込んだかのようであった。なにもしなくても見えるものが変化していく。擬人化された悪魔たちが何かを積み上げたり壊したりもしていた。ブラウンにはそれがさっぱり理解できず、アリヒトを理解しようという考えを断念させた。
 だが、余人には理解不能と思われたソロモンだったが、ナインにはそれが理解できた。
 文字を読めないことや、既存概念にとらわれないこと。はじめてふれたシステムがソロモンであったことが好影響だったのだろう。それからアリヒトの研究は進み、シミュレーション上の成功を収めた。
「これで前に進める」

※ソロモンは限られた天才のためのプログラミングのシステムであり、世界システムはそれによって構築された、一般人が運用するのに最適化されたプログラム。

>07
 貧乏な国へといく。そこは世界システムが導入されておらず、人々のの生活は貧しいものだった。それでいて富裕層は宮殿を建て肥え太っていた。
 貧乏人たちから襲われるアリヒト。何者かがアリヒトに懸賞金をかけていたのだ。ナインは容赦なく襲撃者を殺していく。ブラウンはそれをとがめるが、ナインは危険を排除してなにが悪いと口論になる。
 ふたりの間の空気が悪くなる。
 なんとかしたいアリヒトであったがどうにもできない。そもそもそんな対人スキルがあるのならば、不登校にもなっていなかったろう。

 そんな時、再び襲撃される。
 襲撃者は組織のメンバーであったが、ナインはついでであって目的はアリヒトだという。
「なぜアリヒトを狙う」
「そいつの存在が望まれてないからさ!」
 かつての仲間たちを容赦なく殺していくナインであったが、互いに手の内を知られており数の差で押されはじめる。
 ブラウンが身体を盾にし、ふたりを逃がす。
「死ぬ気はないさ」そう告げるブラウンであったが、さすがにその窮地を脱する手段は見いだせないでいた。
 徐々に追い込まれ死を覚悟する。
 そんな彼の前にひとりの少女が現れた。
 その無機質な姿にブラウンは己の目を疑う。
「魔女(ウィッチ)……」

>08
 ソロモンを使い、新システムの構築をすすめるナインとアリヒト。
 だがブラウンがいなくなってから考え事の増えたアリヒトのせいでその進行は思うようにいかなかった。
 ナインが声をかけるがどこか上の空である。
「そもそもこのシステムが実現したとして現状の解決にはならないだろ」
「そうだね」
 気分転換にと料理をするアリヒト。
 だが、カレーを作ったのにまずかった。
「誰だ日本のカレールーを使えばだれでも美味しくつくれるとか言ったのは?」
「ほんと、偽りありだよね」
 ナインのクレームにアリヒトが同意する。
「これからはルーに分量以下の水分でもしょっぱくならず、逆に100倍の水を入れても薄味にならないよう基本設計から見直すべきだよ」
「そんなフリーダムな調理をするのはおまえだけだけどな」
 そんな何気ない会話でアリヒトのスプーンが動きをとめた。そしてソロモンの端末を己の額に押し当てる。

 >   <

 現在のデータ圧縮技術には二通りのパターンがある。圧縮率を優先して情報の欠落を容認するパターン。もうひとつは情報を完全に保持しながらも圧縮するパターンだ。前者は情報の精度に難があり、後者は圧縮がはかどらずその意義を見失いやすい。
 アリヒトの望むシステムには膨大なデータを正確に扱いながらも、データを軽量化させなければならないという矛盾をはらんでいる。インフラの強化でいくらかマシにはなったがそれでもソロモンは彼の望むシステムの失敗を予言していた。

 アリヒトの望むシステム。
 それは瞬間移動装置である。

 きっかけはささいなことだった。
 ネット回線の発達により地球の裏側の人間とでも気軽に話ができるようになった。
 だが現実世界で直接会おうとすると、膨大な時間と金がかかる。それを解決するためにも世界システムの構築に参加したのだが、結果は移動時間と費用がたった半分になっただけである。アリヒトはもっと便利な世界になることを夢見ていたのだが、そうはならなかった。
 さらには他のワールドデザイナーたちはシステムの従者になりさがって、遊ぶことすら許されない。自分がシステムを離れれば多くの人間が餓えるという恐怖にとらわれているのだ。それは彼にはひどくばからしく思えた。

 光は一秒間に地球を七週半の距離を移動できる。光にできて人間にできないのは何故なのか。肉体があるからだ。肉体はひどく窮屈で、100メートルを走るだけでも10秒をきれない。単純に空気の抵抗を破るには、それ以上の出力を発揮すればいい。だがそれには肉体がついていかなくなる。
 考えた末にたどりついた結論は、肉体の粒子化だった。
 だが、肉体の粒子化自体はできても、その復元ができない。それを行うには粒子化前の膨大なデータも一緒におくりこまなければならないのだ。時間をかければそれは可能だ。だが、時間をかければ魂と肉体の分離が促進し、定着しなくなってしまう。
 転送先での肉体の再生。それは魂の構築よりも難易度が高かった。

 >   <

「いける、これなら」
 アリヒトの導き出した解答にソロモンは実現可能を予言する。
 それにナインも笑顔をみせた。

>09
 実験は成功した。
 用意された移動装置はふたつだけ。距離も数メートルしか離れてはいない。だがそこに入ったナインはみごとに移動を成功させたのだ。
 本来はアリヒトが自らを実験台になる予定だったのだが、ナインがそれを認めなかった。装置に異常があった場合、ナインには対処ができない。人間用にちゅーんしたシステムで動物実験は意味がない。だが友を実験につかうのはさすがのアリヒトにも抵抗があった。
「自信があるんだろ?」
 ナインの問いかけに「でも……」とアリヒトがぐずる。だが、最終的にはOKを出した。そして実験は見事に成功をおさめたのだ。
「大丈夫? 身体は? 記憶に齟齬はない?」
「問題なさそうだな。いまのところは」
「ずっとじゃなきゃ困るよ」
 泣きそうな声でアリヒトが抗議する。
 だが、それから一週間が経過してもナインには異常があらわれなかった。後にアリヒト自身も実験し、成功している。
 そしてふたりは装置の量産にかかった。図面さえ起こせば、あとは一般に外注するだけである。装置の確認は自分たちでするが、それがすめば人類はどこにでも手ぶらでいけるようになるのだ。(むしろ、荷物や衣服までは転送できない)
 転送に必要な情報の圧縮は、意図的に損失部分をつくることで補った。人間の肉体には膨大な情報がつまっているが、すべてが唯一無二の存在というわけではない。いくつかの類似パターンを設けあらかじめ転送先にそのデータを用意しておくのだ。そうすることで移動に必要なデータを最小にすることに成功した。

 ふたりは装置の完成にコーラで祝杯をあげていた。
 そこにブラウン・シュガーが現れる。
「ふたりとも、とんでもないものをつくりだしてしまったな」
 それはまるでとがめるような言葉だった。
 再会をよろこぼうとするふたりは、想定外の言葉に動揺する。
 ナインとアリヒトは自分たちの作ったシステムのすばらしさをブラウンに伝えようとした。
 だが、ブラウンはそれを否定した。
「データは世界システムを経由する。そこにデータの複製を残せば、人間の複製が可能となるんだ」
 それは予想外だった。システムを悪用しなければ済む話であるが、ソレを信じられるほどふたりのこれまでの旅は簡単なものではなかった。
「だからいますぐ、そいつを……」
 警告の途中でブラウンが血を吐き倒れる。
 そこに現れたのは、人間味の喪失した、まるで機械じかけの人形のような少女だった。
「はじめまして、私のことは魔女(ウィッチ)とでもよんでくれ。いや、はじめましては語弊があるかな?」
 その名をふたりは知っていた。
 ナインがかつて所属していた組織の長の名だ。
 そしてアリヒトの扱うソロモンの開発者の名前でもある。
「あなたがどうして、そもそもどうしてブラウンを?」
 混乱するアリヒトだが、ナインはすでに動き出していた。手にしたナイフで容赦なく少女の首元をねらう。だがナイフは彼女にふれる直前にはじかれる。
「ふふっ、魔女ののろいだよ」
 そううそぶく。
「そいつには、君らの勧誘を頼んだんだけれどね。ちゃんと命令を聞けなかったので排除した。
 それにしてもナインはよくやってくれたね」
「なんの話だ?」
「アリヒトの護衛だよ。一連の私が手はずしたことだ。昼行灯のアリヒトの尻に火をつけるためにね。君までソロモンを使えるようになったのはうれしい誤算だよ。また世界を変える鍵がひとつ増えたということだ」
 ナインとアリヒトはようやく理解する。自分たちが彼女の計画で踊らされていたことを。これまで彼らに襲いかかってきた者たちの黒幕が彼女であったことを。
 ナインはアリヒトを苦そうと魔女に挑むが、ふれることすらできない。逆に魔女がかるく手を振っただけでナインははじきとばされてしまう。彼女の腕にはブレスレット型のナノマシンコントローラーがはめ込まれており、微小のナノマシンが常時彼女の管理下出活動しているのだ。盾にも成れば槍にもなる。万能性の高い武器だ。関知がしにくいだけにナインでも手をやく。
 だが、彼女の身体にふれるものがいた。瀕死の重傷を負ったブラウンである。ブラウンは魔女が攻撃にうつる瞬間に、手薄になった防御を突破し彼女に一矢報いたのだった。
 ナインとアリヒトはその貢献に涙しながらもその場を逃げるのだった。

 その場からの逃亡には成功した。
 しかし、魔女との戦いですでにナインは致命傷にちかい傷を負っていた。治療する手段がない以上彼を救う手段はない。
 アリヒトはソロモンに彼を救う方法をたずねようとするが、すでに魔女の手によりその手段は封じられていた。
 冷たくなっていくナインにアリヒトがしてやれることはなにもなかった。

>10
 それから数年後――。
 魔女の手により装置は完成し、世界のあちこちに配備された。
 魔女は自分にとって有能な人材を複製し、自分の手駒としていた。
 多くの人類はその恩恵に頭を垂れたが、それに従わない人間もいた。アリヒトである。
 ソロモンを奪われた彼であったが、秘密裏にアクセスする方法をみつけていた。
 そして奪われた移動システムを作り替えた。
 世界中に設置されたシステムが暴走する。システムの利便性を向上させるため、世界システムともリンクしている。それが被害をさらに拡大させた。
 アリヒトの仕込んだウィルスは、移動させるための装置を、粒子に変えるだけにとどめるようにすうるものだった。
 暴走した装置は人々を近くにいたものから強制的に肉体を奪い粒子と化していく。
 それにはアリヒト自身も巻き込まれていた。
「ナイン、僕もいまそっちにいくよ」
 アリヒトのおこなったことはテロではない。少なくとも彼にとっては。全人類を粒子化することで、人と人とを隔てるものをなくしたのだ。
 ナインの身体はすでに粒子にしてある。死亡した肉体から魂をとりだせるかは賭けであった。それでも彼はナインとの再会を信じているのだった。

 魔女はかわりゆく世界の有様に驚喜していた。
 それこそ真に彼女のもとめていた世界なのだから。
 魔女には世界にはびこる無能が許せなかった。
 だが、アリヒトのおこないにより、それらは彼女の目に写らなくなったのだ。不快さはだいぶ軽減された。魔女自身も粒子化するおそれはあったが、
 魔女は次の形に進化した人間たちの様子を観察するのだった。
Hiro

2019年04月29日 23時57分35秒 公開
■この作品の著作権は Hiro さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:これが新時代の|移動手段(ツバサ)だよ
◆作者コメント:
 このような作品公開の場を設けていただき、運営・各種関係者の皆様へただいなる感謝を申し上げます。

 本作では複数の『新時代の○○』を扱っております。その関係でテーマの○○の部分は伏せさせていただくこととしました。
 ライトノベルと呼ぶにはいささか場違いな作品かもしれませんが、ご笑覧くだされば幸いに存じます。
 っていうか……投稿直前にテーマを確認したら『の○○』の部分が消えてるじゃん。聞いてないよ!?

 ……え~、それでは最後になりましたが企画の成功を心よりお祈りしております。


■アンケート
 本作は『新時代の○○』の○○の部分をあえて不定にしていますが、ひとつに固定するとしたらなんにしますか?

2019年05月13日 00時33分53秒
作者レス
2019年05月12日 20時17分51秒
+10点
2019年05月12日 17時50分34秒
+10点
2019年05月06日 12時12分14秒
+10点
2019年05月04日 18時18分45秒
0点
2019年05月04日 10時06分50秒
0点
2019年05月03日 12時19分38秒
2019年05月02日 07時25分12秒
+10点
合計 7人 40点

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