閉じ込めて、この世界

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 トウキョウは桜の季節を迎えていた。昼の暖かな空気を感じるため、わたしは二階の窓から町の景色を眺めていた。
 らんちたいむになったせいか、外は上機嫌の男性が大勢歩いている。しかし中には男装の令嬢や、袴の女性も見えるところから、女性進出の気配もあるのだと感じる。働く女性はとても美しい。わたしは、屋敷の外からはほとんど出ることがないから、うらやましくもあり、自分に映し出すと恥ずかしくもあり、複雑な気持ちになる。
 昔の名残とかで、大きな通りが縦に遠くに伸びるさまを一望するところにニシカワ邸はある。メイドとして働くわたしは、キョウより移った帝の代より懇意にさせていただいている。
 最近物事の移ろいは激しい。特に発破が開発されてからその速度は顕著に早くなった。昔は木製だったものが鉄製に。鉄製からアルミニウムへ。今では、超合金というものが主流だそうだ。エネルギーはより多く、より効率よく使うことができるようになった。
 このニシカワ邸から見える風景も日に日に変わっていく。建物がみるみる増えていくので、そのうち森のようになって、この屋敷も埋まってしまうのではないかと不安になるほどだ。
 ご主人様は今何をやっているだろうか。
 友人と紅茶を飲みながら楽しく話しているだろうか。お仕事が忙しくて、自慢の髭をなでながら眉を寄せているだろうか。美人の秘書に言い寄られて鼻の舌を伸ばしてしまったりしていないだろうか。そのような空想と、ご主人様の百面相が脳裏に表れては消えていく。
 ふと、バチっという音が聞こえた。
 なんのものか分からず、辺りを見回し、やがて部屋の中央に置かれたピアノに留まる。
 わたしはおもむろにピアノの椅子に腰かけた。ポロポロポロと意味の無い音の羅列を重ねていく。
 正直、わたしは何の曲も弾けない。でも、ご主人様にプレゼントされたのでなにかひければいいのに、と思っていた。
 そして、もう一度ばちっという音が響いた。



 気づくとわたしは踊り場に立っていた。
 豪奢な階段に囲われる形で、一台のグランドピアノが鎮座している。
 見上げると、二階フロアの欄干には何人かの「人」がわたしを見つめていた。
 ウサギの頭をした人。紳士風なカエル。一風変わった姿かたちをした人々が、表情のない視線を向けている。
 どういうことだろう、と考えた。
「なにか弾いてよ」
 白糸のように落ちる滝が立てる音に似た、高く心地よい少年の声がして、わたしは振り向いた。
 少年の姿は、昔ご主人様が印度で出会ったという金髪虹彩瞳のご子息を思い出す。モノクロの写真では、まるで西洋人形のような趣を感じたが、この少年の柔らかい笑顔は、吸い込まれそうなほど目を奪われる。
「ねえ、聞いてるの?」
「あ、ええ。ごめんなさい。でも私……」
 私はそこまで言って口を押さえた。がくがくと震えが走っていた。
「弾けるって。ほら……みんな君がピアノを弾くのを待ってるんだよ」
「え……ええ」
 このまま逃げ出したら暴動を起こしそうな視線だった。困り果てたうえ、少年が私のそばに寄って「ねっ」と無邪気な笑顔を向ければ、促されるままに、ピアノの前に座ってしまう。
 ご主人さまが聞きたがっていた。ブラームスのワルツ。
 とても踊るために書かれた曲とは思えない、ダイナミックな音の本流に飲まれそうになる。レコードの前でうっとりするご主人様は、やがて最後の曲になると私を抱きしめて下さる。
 なぜだろう。温かい、と感じた。
 その記憶だけなのだ。
 私の指は人の指ほど綺麗に動かない。音色の機微も掴めない。わたしは人形なのだから。
少年は私の震える手を取って握った。
「怖がらなくていいよ。きっと上手くいく」
「私……あなたは」
「僕?僕はコンラット。君と同じ人形だよ」
 そう言うコンラット少年の手は温もりに満ちていた。



「もう年代物だな、お前も」
 頭の辺りをポンと叩かれて私は目ざめた。
 メイド服がはだけ、背中のハッチが開いているのが分かる。
 どうやらわたしは、また壊れてしまったようだ。
「頑張って動いてくれよ。旦那が悲しむからな」
 技師のケーシーが直してくれたようだ。鼓動がカリカリと動くのを確かめ、わたしは立ち上がる。その様子を見てケーシーは満足そうに、笑った。
「ケーシー?」
「ん、なんだ?」
「ありがとう……」
「……」ケーシーはうんうん、と頷き、ハンチングの位置を直しながら部屋を去っていった。

 午後はまず、夕食の買い物から始まる。屋敷にはそれほど人が住んでいるわけではないので、私一人でも十分なのだ。ただ、最近自動車も増えてきたので異なった方向に心配されるようにもなてしまったが、ちょっとねじの緩んだわたしでもなんとか大丈夫のはずだ。
 だからなるべく大通りを避け、商店街に入ってしまう。どうやってそこまで行こうか、と思案するのも一つの楽しみでもあったり……。
 商店街の人は人形の私にも優しくしてくれる。私にはメモとお金しか分からないのだが、彼らは嘘をつかないし、良いものを選んでくれる。私は笑うことも出来ないが、笑みを浮かべる。多分ご主人様の人気の証なのだろう。
 今日もいつものようにバスケットの中にメモに書かれた商品を入れてもらい、お辞儀をした。
 すると、店の主人は言う。
「霧絵ちゃんは奥様とはまた違って可愛いな」
「それってどういうことですか?」
 小首を傾げる私には何も答えず、笑顔を向ける主人。
「また、いらっしゃい」

 帰りの道すがら薄暗い路地にはいった。
 深い影の中から幻想世界の生き物が飛び出してこないかと、目を凝らす。落とし穴にでもハマって、おとぎの国に招待されれば、私もなにかが変わるかもしれない。そう思って立ち止まるときらりと光るなにかに気づいた。
灯りのないお店のディスプレイよりもっと奥にあるなにかだ。
 ガラスに近づいてみると、中に沢山のアンティークがあることが分かる。
 ウサギの人形、杖とシルクハットの決まったカエルの紳士が隣り合って立っている。見つめる先には、ミニチュアのピアノが一台。壁には無数の時計が掛けられていて、それぞれバラバラの時刻で時を刻んでいた。規則性の欠けた振り子の様子を眺めると、目眩を引き起こす。
 そして。真鍮の振り子が反射した光のせいなのか、宝石のようなきらりと揺らめく光を私は見つけた。
 金髪虹彩瞳の少年の人形だった。私と同じ自動人形のように見える。内臓した精密回路によって出来ることは限られるが、ここから見る限りではビニール樹脂の風合いを感じない、とても手の込んだ造形だった。
 人の時がそのまま止まったかのような。それでもそのまま動き出しそうな、不思議な心地だ。
 特に意匠の凝った瞳は、どんなガラス加工を施したのだろうと感心させられる。もっと光が当たったら、きっと本当に七色に輝くに違いない。素材が瑪瑙と言われても信じてしまいそうだ。
 お店が開くのはいつなのだろう。
 横にある扉を見ると「クローズ」という札が適当にノブからぶら下がっていた。
 もっと、見たい。
 放心となる心に、突然後ろからすっと何かが入り込んだ。
 ドキドキと鼓動が速くなっていく。
 次第に声が響いてくる。
「ちょっと、ねえ」「聞いてるの?」「なにか言ったらどうなの!」



 最初どこから声が聞こえているのか分からないが、癇癪のような声が「上よ、上!」と叫ぶので、ようやく自分の見える世界がはっきりしてきた。
 噴水のある広場で、一人の少女が綱渡りをしていた。とても高い所を苦もなくバランスを取りつつ、私にどやしつけてくる。バレリーナのような風貌で、頭の飾りから靴の先まで白い衣装だった。
「これだから骨董品は。動作がのんびりしちゃってるのよねー」
 そんな悪態をつきながら自信たっぷりに歩いていたのに、突然足を踏み外してしまう。
「ああ!」

 彼女に駆け寄るとじろっと睨みつけられた。ちょっと怖いかもしれない。
「大丈夫?」
「……いた」
「へ?」ここでものすごく睨まれた。
「足をくじいたって言ってるの!」
「あ……。私、誰か、呼んで」
「いいわよ。どうせ、もうすぐ彼が来るころだから」
「彼?」
「彼は……彼よ。きっとすぐ治してくれるわ。彼、ここに馴染めそうで、染まらないのよね。早く認めちゃえばいいのに」
「ここって……ここはどこなの?」
  彼女はちょっと面倒なことを聞くなぁとでも言いたげに、息を吐く。
「あなた、そんな骨董品の素材の癖に悩んでるわけ? ここは宇宙よ。ほら、作り手に宿るものってよく言われる」
「宇宙……」
「そ。作られたものや、作られたものを見る人にとっての宇宙。あなたはそれが見えたから、ここにいるのよ」
「ああー! サリー、また無茶なことをしたな」
広場の際から青年がのっしのっしと歩いてくる。それは私のよく知った顔だった。
「まったく、直す身にもなってくれよ。君は慎重さとか段階というのをはやく覚えるべきだね」
「いいじゃない。女は度胸なのよ」
「限度があるよ。スクラップになっても知らないからな」
「ふん。どうせみんな[シンセイヒン]とか[ま新しい]に行ってしまうんでしょ? スクラップとどっちが早いのかしらね」
「僻むなって。そもそも君はクルクル踊るのが専門なんだから綱渡りは専門外だよ」
  まじまじ見ても、ハンチングを被り直す仕草はケーシーそのものに見えた。
「ケーシー?」
  尋ねてもケーシーは怪訝な顔をする。
「サリー、この子は?」
「んー。この子の口ぶりだと、あなたの方が知り合いなんじゃないの」
「僕、こんな大きなオートマタ作ったことあったかな」
「ぷー、あなたみたいな三流がこんな骨董品作れるわけないじゃない。見た感じ、お金持ちのパトロンよ」
「へいへい。どうせ僕は貧乏時計屋の息子だよ。いつかでっかいの作ってやるんだからな」
ケーシーも同じことを言っていた。いつか、人間のように動く自動人形を作るのが夢だと。
「ケーシーは私のこと覚えていないの?」
「んー、この宇宙の時間は適当だからなー。よくわかんないなー。同じ日が二日連続で来たりすることもザラだし。博士ならある程度把握してるみたいだけど」
「博士?」
「あー、君博士に会ってないのか。……まあ、その内嫌でも会うでしょ。とにかくここでは記憶も価値基準がおかしくなっちゃうから……」
「ケーシー。早く治してってば」
 子供がねだるように手を伸ばして催促する彼女は可愛らしかった。少し、笑ってしまいそうだったが、怖いことになりそうだったのでぐっとこらえた。
「へいへい」よっこいせと言いながら、ケーシーはサリーと呼ばれたバレリーナの少女を担ぎ上げる。
「重いなー」
「レディに失礼ね」
 失礼と言いながら少し顔が和らぐサリーと、よれよれと歩くケーシーは路地の奥へと消えていった。



 目の前を自動車が走り抜け、我に帰った。スクラップにされるかと思った。
 もう屋敷の前の広場に着いていたようだった。まだ日は高く、呆けたままだったわけではないようだ。わたしは急いで午後の仕事に取り掛かった。

 人の往来も無くなる夜遅くにご主人様はお帰りになる。
 私はその場に立って迎え、渡されたコートを衣紋掛けへと持っていくだけの仕事だが、ご主人様は優しく言の葉を私に向けてくださる。
 そして一日の終わりに、レコードと私をお側に置いて遠くをご覧になる。
 その時によって溢れる言葉の内容は様々だ。今日の出来事もあれば、少し前のこともある。しかし、もっと昔のこともある。楽しそうな思い出を語られるのに、なぜか苦しそうな様子だった。
「私は、ご主人様の重いものなのでしょうか」
 遠い所にあったご主人様の瞳が、不意に私へと向けられて、私の目は釘付けられた。
 刹那、暖炉の燃える木がバチっという音を立てて崩れた。



 真っ赤に染まったお湯の底にお茶の葉が次第に沈んでいく。
 頃合いを測って、私はカップへと紅茶を注いだ。
 カップは三つ。湯気と一緒に漂う甘い香りが鼻腔をくすぐる。
 丘の上の一つ木の下で、テーブルと椅子を配置して、私たちは星のお茶会を開催していた。博士曰く、今日は流星群が拾える日だとかで一際降り注ぐ小高い丘の上で待ち構えれば光のシャワーを浴びることができるらしい。今でさえ天は今にも手が届きそうなほどに近く、迫っているように思えた。
「博士ー、コンラットー。お茶入ったよ」
 近くの茂みで星屑拾いをしている二人を呼ぶと、満面の笑みを浮かべた少年と、ユダヤ人のように髭を伸ばしたおじさんがひょっこり現れる。手に持つ袋には大量の星があった。
「いやーいっぱい見つけちゃったね」
 コンラットは星を口に含みながら、テーブルに置かれた皿に星を広げていく。
「天の蜜にタップリ浸かっているから十分に甘いくなっておるしな」
「霧絵も食べなよ」
 コンラットの虹色の瞳が綻んで私を見てくる。そのまま硬直してしまうのをやっとの思いで堪えて、私も星に手を伸ばした。
「甘い」
「うん。お茶に合うねー」
「霧絵ちゃんの淹れたお茶もおいしいな」
 星屑はビスケットのような食感だった。少し硬いものの、口の中でトロリと溶ける。
「もうすぐ、流星群も現れるかな」
「そうじゃな」
 揃って上を見上げる。
「私、もう星の中にいるみたいな気分です」
「ふふ。まだまだこんなもんじゃないよ。クライマックスはこれからさ」
 またコンラットと目が合う。時が静止して、隔絶してしまいそうな気分だった。
 次第に周りは光に包まれていた。シャワーのように流星からこぼれ落ちる星の微粒子が風に揺られて、あらゆる場所に光を反射させていた。滲んで輪になる光や固まって宝石のような煌めきを出すものもある。
 丘の木も星が集まってくっついたためか、発光しているかのようにぼんやり光っていた。
「博士」
「なんだね」
「どうしてこの世界は美しいんですか」
「変なことを聞くね、君は」
 コンラットは吹き溜まった星屑を手で掬い上げて散らしていた。
「君は、私たちが出会った時のことを覚えているかね」
「え。それは、この町で始めて案内してくださったのが、コンラットで……博士がお父さんだから……あれ?」
 博士はニンマリと笑う。
「果たしてそうだったかな? 本当は君が僕のアトリエにやってきたのが始まりではなかったかな」
「うーん、そう言われるとそうだった気も……」
「なぜだか思い出が曖昧になっていくかね」
「はい」
 博士やコンラットとこのまちで過ごした楽しい出来事は鮮明に思い出せるのに、なぜかきっかけや自分が何者かであるかが霞に隠されて過ぎ去っていく。
「美しさも、そのようなものだとわしは思う」
 博士は紅茶を啜りながら、無邪気に星と戯れるコンラットを見つめていた。
 星降る夜は更けていく。明日、ここは一体どうなっているのだろう。もしかしたら全く違う顔を見せるかもしれない。
 星をもう一つ口に含んだ。甘さで体が浮き上がりそうに感じた。



 いよいよわたしの体は不自由になっていた。それでも私を動かし続けるご主人様を見るくらいならば、私は一体何のために作られたのだろう、と。人形の私がこんな苦しいならば、ご主人様はどれだけくるしいのだろうと。
 私は誰かの代わりになれるわけでもない。でも、ご主人様に何かをしたいという気持ちは募った。
 微睡む意識の中で私はピアノを弾いていた。踊り場の磨かれたタイルから高い天井の隅々まで響き渡るように、音を出し続ける。私も、音楽も、ホールさえも一部になってしまえばよい。この世界の一部へと変質してしまうように、わたしは音を奏で続けた。
 その内、コンラットの虹彩瞳の中に私は閉じ込められ、時と場所は意味を失った。



「ねえ、あなた? ここから見るトウキョウは綺麗ですね」
「ああ、様子は大分様変わりしてしまったがな。もう屋敷はビルに隠れて見えなくなってしまっているな。しかし、君は初めてここでお茶をしたときから美しいままだ」
「あら、お上手ですね。ところで、私と始めて出会った時のことを覚えておられます?」
「うーん、なんだったか。なんだか小さな時からずっと一緒にいる気がするよ」
「それは前の奥様に失礼ですわ。私は忘れませんわ。ブラームスの音楽で号泣する男性のこと」
「もうよしてくれ、恥ずかしい」
「忘れたい?」
「いんや。ブラームスは最高に美しい音楽だから忘れない」
 二人の和装の夫婦が日傘の中で寄り添い合った。人形が奏でていたというピアノの音色に号泣する男性をセンチメンタルだと評しながらも、女性はそれを美しいと感じ、これからもこの人と一緒に歩いていこうと思った。
むとうななこ

2019年04月29日 21時17分18秒 公開
■この作品の著作権は むとうななこ さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:君よ、美しくあってほしい
◆作者コメント:新時代についての思いを描いてみました。皆様に伝わればいいなぁと思います。

2019年05月13日 22時52分14秒
作者レス
2019年05月12日 20時39分05秒
0点
Re: 2019年05月28日 01時43分31秒
2019年05月12日 10時16分20秒
+10点
Re: 2019年05月28日 00時57分51秒
2019年05月11日 19時29分24秒
+30点
Re: 2019年05月19日 02時04分19秒
2019年05月10日 13時31分20秒
+10点
Re: 2019年05月18日 23時51分28秒
2019年05月09日 20時17分23秒
0点
Re: 2019年05月18日 23時16分47秒
2019年05月04日 11時40分50秒
Re: 2019年05月13日 23時45分49秒
2019年05月01日 06時19分06秒
+10点
Re: 2019年05月13日 23時27分38秒
2019年04月30日 15時19分52秒
0点
Re: 2019年05月13日 23時03分25秒
合計 8人 60点

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