スノウジョブ ~幕末女傑活劇~

Rev.01 枚数: 21 枚( 8,273 文字)

<<一覧に戻る | 作者コメント | 感想・批評 | ページ最下部
 
 ※この作品にはグロテスクな表現や少々の性的な表現も含みます。


  幕末。京都。冬。
  そこは魔都であった。
  尊王派佐幕派、攘夷派開国派の争いはいよいよ泥沼の様相を呈しており、夜半の暗殺は当たり前、最近では昼日中から各派閥の衝突が起きている。まさに血を見ない日はなかった。
  夜半から降り出した雪は音もなく闇の中を落ちていく。地面に薄く積もった白の中に、点々と黒い染みが浮いていた。明かりを照らすと、それは鮮やかに朱に染まった血痕であった。
 「追い詰めた……か?」
  明かりを持った男は、地面をのぞき込んでひとりごちた。血を追っていくと、人気のない荒れ寺の中へと続いている。前ほど男が投げた小柄が、相手に致命傷を与えたとは思われなかった。よくて手傷を負わせただけ、それだけならまだしも。
 「罠か……」
  用心して手燭の火を落とし、腰の刀を抜きはなった。
  辺りは雪による反射で、思いの外明るい。ボウッと足下から浮かび上がるようなのは、どことなく怪しげな雰囲気を醸し出している。いつの間にか男は、追う立場から自分が追われる立場にうつっているような気分だった。
  境内に続く石畳を進むと、瓦の落ちて崩れかけた寺の軒先に、人影がうずくまっている。
 「誰ぞ」
  慎重に、いつ如何なる攻撃にも対処できるよう身構えながら話し掛ける。
 「誰ぞと問うお前さまこそ、どこの誰でしょう」
 「薩摩藩脱藩、新堂拓磨、でござる」
 「わたくしは旅の者です。長旅に旅費を使い果たし、この寺に一晩の宿を借りています」
  声の主は女だった。近づいて浮かび上がった姿は、菰を被った浮浪者と言った体だが、耳に残る声は意外なほどに若い。
  新堂が気を緩めたのも無理はない。彼が同士から言われて追っているのは、江戸、八丈島、東海道、と暴れ回った筋金入りの悪党であった。目の前の寒風に身を凍えさせて震えている女であろうはずがない、そう思った。
 「此処へ男がこなんだか。もしかすると怪我をしていたかもしれぬ」
 「あいにくとわたくしは哀れなカタワ者でございます」
  そう言って女は右手を前に差し出した。
  その手には五指の内、親指と人差し指しか残ってはいなかった。その他は、手のひらの半分ほどと一緒に、ひどく乱暴に切り落とされたようになくなっている。痛々しい切り口の肉を見せながら、女は被っていた菰をとった。
  新堂が思ったとおり、女はまだ若く、そして美しかった。
  だが、彼女の目は光を捉えてはいなかった。灰色に濁った瞳で新堂の肩から向こうを見ている。なにも見えてはいないだろう。
 「この通り、盲でございますれば、この目では見ておりませぬ。されどお侍さま、わたくしはこの耳でずっと聞いておりました」
 「聞いていたと?」
 「はい」
  視覚が奪われた者は他の感覚が発達することがあるという。目の前の若い女もその類いか、新堂は思った。
 「雪の音はとても微かですが、此処に居ては他に聞くべきものなどございませんし、ずっと聞いていたのでございます。そして、先程からこの境内で雪とわたくしとあなた様以外に、音をたてるものはございませんでした」
 「さようでござるか」
  この女の言うことは真実だろうか。
  拓磨は考えた。境内には見たところ女一人。目が不自由だという。
  ここへ来るまで、足跡は残っていなかった。血の後を追っていたが、足跡はなかった。
 「どういうことだ……」
 「どうか、されましたか?」
  女が首を傾げてこちらを窺っている。
 「うむ。私はいま人を探していたのだがな、考えてみれば境内には足跡がひとつもない」
 「それはおそらく、わたくしが雪の降り出す前にここへ座っていたからでございましょう」
 「拙者もそう思う。であればだ。これ以上此処へいても仕方がない。おそらく私が追っている者はどこか他にいるのであろう。や、ごめんつかまつった。騒がせてすまぬ」
 「いえ、そのようなこと」
  そうと決まれば話は早い。新堂は刀を収めて寺を出ようと振り返った。
  1歩、2歩、3歩。そこまで歩いたところで後ろから声が掛かった。
 「お待ち下さい。お侍さまは探し人を見つけていかがするおつもりですか?」
 「その者は江戸や街道で悪さを働いた者。見つけたら……」
 「わかりました」
  急に背筋にぞくりと悪寒が走った。
  新堂は気付かれぬよう、刀の鯉口に手を添えながら、ゆっくりと振り返った。
 「ところでお侍さま……お忘れ物でございます」
  白く、霞み掛かったような雪の夜に、女の手が浮かぶ。
  そこには新堂が投げた、小柄が。
 「なっ!」
  気が付いたのは、舞い落ちる雪に交じって銀の煌めきが一瞬光ったということ。そして次の瞬間には、新堂の右手の甲に、鋭い痛みが走った。
  並の剣士ならここで固まってしまったことだろう。そして、固まっていたら次の攻撃を避けることは出来なかった。
  無意識的に横へ転がった新堂は、先程まで自分が立っていた石畳が弾け飛ぶのを見た。
 「ま、待て!」
 「はぁて……お侍さま、待て、とはどういったことでしょう。わたくしを追って来て、見つけたら殺すと言っておきながら、待て、とは」
  女は立ち上がり、ゆらり、ゆらり、近づいてくる。
  二人の距離は境内の登り段を含めてもおよそ10歩。しかしこれは、刀の届く距離ではなかった。むしろ小柄のような投げ物の間合い。
 「ふ、くふふ。うふふふ。聞こえます、お侍さまは怖がっていらっしゃる。心の蔵が早鐘のようですよ」
 「く、待てというに」
  新堂は仕方なく脇差しを抜いて、左に持ち替えて構えた。まだ小柄が刺さったままの右は痺れたように動かない。
 「おや、抜きましたか。なんと、こんな哀れな女一人にご無体な。うふふ」
  そう言って指の欠けた右手を見せつける。
  先程から左を見せていないのに、拓磨は気が付いていた。おそらくそこから何かを投げて攻撃しているのだろう。
  と、女が素早く左手を袖から抜いた。
  新堂は身構える。
 「あは」
  しかし、女は左にもなにも持ってはいなかった。
 「バカな……はっ!」
  闇の中から黒くうねる蛇が襲いかかってきた。
  咄嗟に剣を宙に出して受けようとして、蛇がぐるりと巻き付いた所で気がついた。
  これは蛇ではない。
 「……鎖ッ」
  思わずのけぞった瞬間、もぎ取られるように新堂の剣が宙を舞った。
 「さて、片手で大刀を振り回せますかね」
 「拙者の話を聞いてくれ! お前を殺しに来たのではない」
 「お侍さまは嘘を言いますか」
 「嘘ではない――これが証でござる!」
  新堂はそう言って、腰に残っていた大刀を鞘ごと抜いて、投げ捨てた。もちろん女には見えてはいないだろうが、それでも聡いこの女のこと、音で気が付くはずだ。
 「なにを……」
  継いで新堂は、その場にひれ伏して、頭を下げた。
  女には見えていないなどということはすでに念頭にない。
 「この通り、拙者はそなたに我が元へ来て働いて貰いたく思って来たのでござる。小柄を投げたのは過ちであった。許してくれ」
 女は戸惑い、侍の、大の男のあまりなしぐさに笑ってしまった。
 それは戦いの終了を告げた。
  

「今夜はもう汚れ仕事はたくさんだ」
 新堂琢磨は仲間の浪人、井上喜左衛門にそう打ち明けた。
「これもお役目とはいえ、あのような娘をたばかろうとは俺は自分が情けないッ」
 鎖使いの女を口説いたまではよかったが、そのあとで琢磨は喜左衛門と一芝居を打ったのである。
 彼らは尊王攘夷を支持する維新志士である。それがこのところの京都では幕府方の捜査が一層激しさを増し、次々に仲間が捕まり殺されていっている。この現状を引き起こした幕府方の取り締まりを受け持っているのが、壬生村の新選組であった。新堂と井上はこの新選組の隊士鬼沢兵伍を暗殺することを役目としていた。

 先ほど一間でお琴と話した内容を二人は思い返した。
「……ところがこの鬼沢という男が、まったくの隙の無さ。寝るときはおろか厠でも常に刀に手を置いて即応の体制をとっているという念の入れよう」
「とにかく用心深いのだ」
 そう言って自分たちの力が及ばぬことをことさらに強調し。
「ついてはおぬし、お琴どのに我らに加勢してもらいたいのだ」
 お琴は袖の中で鎖を手繰ってじゃらりと音を出し、答える。
「そのようなことは私には関わりのないこと、それにこの手では到底お受けすること叶いません」
 と、自らの右手を見せる。
 お琴の右手は小指と薬指を残して他すべてが手のひらの半分ほどと一緒に切り取られており、周囲より薄く皮の張った傷口が生々しく赤かった。
 だがもとからお琴に断られることなど二人は承知していた。
 ここで二人の性格や話し方が効いてくる。
 新堂は物腰優しく穏やかながら維新の情熱を秘めた感じで話し、お琴ともよく雑談を交わしていた。しかし井上はむっつりと押し黙ったままほとんど口を開かなかった。
 その井上はお琴に静かに告げたのである。
「お凛、と言ったか。お琴よ、そなたの娘は我らの仲間が預かっておる。これが証左じゃ」
 と、畳にころりと小さな鈴が付いた根付が転がった。
 お琴はその根付を手に取り、矯めつ眇めつしたのちに、驚きで震えだした。
「どういうことですか井上殿」
「新堂殿にはあえて言わずにいた。このお琴、なんとしても我らとともに戦ってもらわねばならぬ。そこでここなお琴の娘を、その身の安全を、担保として預かっているのだ」
「なんとっ! そのような卑怯な策略で人を動かそうなど名誉ある志士にあるまじき所業でござる! お琴どの、この話なかったことにしていただきたい。娘は必ず私が其方のもとへ返そう」
「何を言うか新堂! これは尊王攘夷のためぞ!」
「人の道に悖るやりかたでは意味がないと申し上げている!」
 二人が激しく口論を飛ばしている中、つとお琴はつぶやいた。
「……お凛のため、そのお話、受けさせていただきます」
 その唇は小刻みに震え、白い髪が顔に掛かってまるで雪をかぶったように凍えて見えた。

 新堂は深くため息を吐いた。
「やはり娘のことは正直に話すべきではないでござるか」
「今更言うな。最期には我らであの女を始末せねばならんのだ」
 初めから新堂も、娘お凛のことを知っていた。知ったうえで知らなかった演技をしたのだ。口論の中で娘の身の安全が脅かされると恐れたお琴が焦って判断を誤るように。
 そして二人は、暗殺の後はお琴もを始末するよう言い渡されていた。
 新堂も井上も一刀流の相当な使い手。だが相手が新選組では用心もする。必要なら女を捨て駒にもするのである。
「それにしてもこのお琴という女、まことに数奇な生きざまよの」
 それは攘夷派が選んだ流浪の犯罪者の経歴が書かれた書面であった。
 そこにはお琴の半生が書かれてあった。
『江戸の剣術道場で大暴れし、道場師範ほか門弟あわせて十数名を殺害した女。
 女の身元は実は同道場の元師範夫妻の義理の娘であり、夫妻を殺し道場を乗っ取った異国の男を殺す、仇討ちのための行状であった。これを捕り物に現れた火付け盗賊改め方の同心と戦い、利き手の三指を失い捕まる。どういった形であれ江戸に潜伏する不逞外国人を始末したことから情状酌量され遠島になる。島では流人達の共有財産として扱われ、最初の一夜で白髪になる。その後、役人に取り入り身の安全を買い、連絡船に便乗して島抜け。今度はその舟が火事で沈みその際に失明。流れ着いた漁村で優しげな男に飼われていたが、ある日その男が村の男衆に自分を売ろうとしている話を聞き、逃亡。その時すでに腹には男の子どもが居た。街道筋のやくざ者を仕切る親分の所へ身を寄せ、そこで出産するも子供を質に取られ用心棒兼親分の情婦として使われていたが、政情の変化から組同士の縄張り争いが起きて、子供とはぐれたままあてどなく旅に出ている。』
「このような乱れた時代で、女一人でなにができよう……我々で一日も早く維新を成し遂げ、お琴のような女が死なんでも済む新時代を築きましょう」
「うむ」
 その時庭で雪の落ちる音がした。
 驚いて障子を開け放つと、夜半の雪は降りやみ、屋根に積もった雪が時折どさりと音をたてた。二人の侍はそれを、ちょうど人が倒れるような音であろうかと聞いていた。

 鬼沢兵伍。
 その名は新選組隊内においてある種異様の響きを持って語られていた。
 まずこの男。どこへ行くにも何をするにも慎重に慎重を重ね、決して油断するということがない。その様子は風呂、厠にいてでも捕り物が出来ると言われる。またその粘り強さ、冷静さを買われ、特に維新志士相手の闇討ち暗殺任務によく従事する男であった。
 また、鬼沢は出羽の山中で修業した僧の成れの果てという変わった経歴の男であり、その独特な剣法杖術をして冗談交じりに迦楼羅流などと称していた。迦楼羅とは天竺の守護仏であり天狗の祖と言われる存在である。
 杖を利用して高く飛び、木々や壁を飛び移って変幻自在の攻撃を繰り出すという迦楼羅殺法は、多くの維新志士を翻弄し誅殺していた。
 日常ほぼすべてにおいて全く隙を見せない兵伍であったが、唯一決まった行動をとることが確認されている。
 月に一度、満月の日にそれは起こる。
 鬼沢は元僧だけあって妻帯したことは無かったものの、彼も壮健な男。当たり前の欲求が生じる。普段はそれを溜めに溜めているが、満月になると眠っている獣の欲求が騒ぎ出すのか、鬼沢は街に出て女を買うのであった。
 その日の鬼沢はいつも通り繁華な通りを流しながら、手ごろな女を物色していた。滾りさえ解き放ってしまえばよいのであるから、手淫でもなんでもよさそうなものだが、そこは鬼沢の破戒僧たるゆえん、女はやはり生身に限ると同僚の隊士に漏らしたことがあった。
 と、大路のはずれの柳の下に、こもを被った女が立っていた。はじめ鬼沢は女の立ち姿から若くて良いと思い、近寄ってぎょっとした。こもからこぼれた白髪を見て、老婆かと思い、足が止まった所へ声を掛けられた。
 鈴が転がるような儚げで美しい声であった。
「逃げないで。こんな姿でも、ちゃんと役に立つわ」
 彼女はすべてが常軌を逸していて、それでいてすべてがあるがままに整っていた。
 長く艶やかな白髪。めしいた瞳はあらぬ方を向き、それがまた捕まえられた獲物じみた嗜虐性を掻き立ててやまない。さらにその下には完ぺきな張りと柔らかさの若い女の体があった。右手だけは痛々しい包帯に包まれていたが、聞くと中には乱暴な客がいるのだという。
「あなたは優しくしてくれる?」
「おお」
 笑って答えた兵伍を女は川面に浮かべた船に案内した。そこが女の仕事場なのである。
 行為を終えた後、揺れる船の上に敷いたむしろの上で、女はいじらしく兵伍に寄り添っていた。仕事が終えたらすぐに立ち去るのが夜鷹の流儀である。それほど俺が気に入ったかと、兵伍はつい嬉しくなって多めに金子を取り出そうとした、その時であった。
「鬼沢兵伍だな」
 いつの間にか岸に二つの影が立っていた。
「む! 女よ伏せておれ」
 咄嗟に兵伍は船の櫂を取って構える、揺れる足場は打ち合いには不利である。二人同時に切り掛かられたらケガでは済まないだろう。
 影たちはゆっくりと刀を抜いた。月明かりに銀の光が反射する。
 その動作で相手がただの浪人ではないことは知れた。
「出羽の山中にて磨いた迦楼羅流、とくと見よ!」
 影に突進し、それに応じた剣線がきらめく前に、兵伍は船のへりに櫂を突き立てそのままの勢いで体を高く空中へと飛ばしていた。反動で船が大きく揺れた。影、井上と新堂が空しく櫂を断ち切ったその時にはすでに二人の背後を取った兵伍は、素早く脇差を抜いて二人の手首と足に切りつけた。
「うおっ!」
 一人を殺すより、二人に深手を負わせることで、生き残る確率を高めたのであった。
 冷静な判断、そして多数との戦闘に慣れていた。
「ハハハハハッ、これぞ変幻自在の我が剣術よ」
 大声で相手の気を呑んでしまう。これもまた鬼沢の術である。
「この、貴様ァ!」
 挑発に乗ってしまった新堂が、片腕で切り掛かる。
「まて!」
 井上が気づいて停める間もなく、新堂は鬼沢の間合いに踏み込んでいた。
 やれる。
 そう鬼沢が確信したその時。

 じゃらり。

 鎖が音を立てたかと思うと、鬼沢兵伍は身動きできなくなっていた。
 体中に、細身の鎖が巻き付いている。
 と、冷たい感覚が脳裏に走った。体に、金属が差し込まれる時の、身震いのする冷たさ。
 それはよく知っている感覚。だが、これは、致命傷であることがすぐに分かった。
 死の間際、鬼沢は鎖の先を目で追っていた。
 それは揺れる船の上、今さっき自分が抱いた夜鷹の女が、欠けた指で鎖を操っていた。
「船の、碇……か」
 船を係留していた碇の鎖を、お琴は凶器としていたのであった。
「ごめんなさい」
 お琴は続く言葉をのんだ。
 なにも見えないのに、鬼沢兵伍の冷たい目がお琴を見ているような気がした。
 

 数日後
 京都、郊外の荒れ地である。
 先日見事鬼沢兵伍を打ち取ったことで、お琴は新堂と井上から娘の居場所を伝えるためのと言われて呼び出されていた。
 この顛末が始まる前のこと。
 初めて新堂らに暗殺を勧められた際に、お琴は一度帰ったふりをしながら実際には二人の屋敷のすぐ近くにとどまっていた。そして、二人の計画を聞き知っていたのであった。
 娘、凜を取り戻すためには、この二人から凜の居所を聞きださなければならない。
 お琴は決心していた。

「皆殺しにします」

 現れたお琴は、左に小太刀を持ち、右に手鎖を巻き付けていた。
 新堂と井上は驚いたが、すぐに平静を取り戻した。
 修羅場を潜ってきた女だ、気が付くこともあるだろう、と。
 新堂が口を開いた。
「お琴よ。おぬしには悪いがここで死んでもらう」
「……娘の居所を教えてくださいまし」
「それは――」
 井上が遮った。
「ならん! 死ぬべきものに言うことなどない」
「教えてくださいまし」
 二人が答えずにいると、お琴は体をゆっくりと揺らしながら、ずりずりと摺り足で地数いていく。
「教えていただけないのなら、一人を殺して、もう一人の骨を砕きます。耳も、鼻も、指も、削いでいって答えていただけるまで、体中をゆっくりと刻みます」
 見えていない、見えていないはずのお琴の両目が、二人を捉えていた。
「教えて、ください、まし――」
 ぞくり、悪寒が走った。

「だ、だまれ! この売――」
 井上は言葉を継ぐことができなくなった。
 割れた頭ではしゃべりようも無かった。
 ぐちゃりと音を立てて井上だった死体がくず折れる。
 新堂が唾をのみこんで、言う。
「お琴よ。お前は強いそれはお前が我が子を愛する一人の母だからだ。だがなお琴。今この時代にあってお前は、お前が生きていては我らの大望の妨げとなるのだ。新時代の礎となって死んでくれ。お前の娘のお凜は我々が必ず幸せに暮らせるようにしてやる」
 必死の、とても真摯な言葉であった。
 だが。
「そうは参りませぬ新堂さま」
 言葉とほぼ同時に新堂の首をめがけて鎖が飛んだ。
 わずかのところで避けた新堂は、お琴めがけて突進した。
 懐に入ってしまえばこちらの物である。案の定、お琴はまだ繰り出した鎖を手元に戻し切っていない。
「そこだッ!」
 新堂は渾身の力でお琴へ切り掛かった。


 目が見ないということは、その分、音で世界を見ることができる。
 倒れた新堂を、美しい顔がのぞき込んでいる。
「私の目には何も見えませぬ。しかし、音は、すべてを私に伝えてくれまする。あなた様のの動きも、そこらの石や草や風の動きも、そして死んだ井上の刀の位置も……」
 その刀は今、新堂の脇腹に深く突き刺さっていた。
 咄嗟に、落ちていた井上の刀を鎖で弾き飛ばし、新堂に当てたのであった。
「お凜の居所を教えてくださいまし」
 激しい息遣いが、だんだんと弱ってくる。
「言えぬ……俺は居所を、知らぬのだ。お琴よ、お前は新しい世の中で、幸せに……」
 それ以上、もう何も新堂は語らなかった。
「ようございます。探し続けます。新しい世の中になろうと新しい時代になろうと、私は私です。何ら変わらず生きていきます」
 お琴は荒野を後にした。
 奪われた娘を探すために、女はこれからも旅をつづける。

                                     おわり

とおせんぼ係

2019年04月29日 21時48分07秒 公開
■この作品の著作権は とおせんぼ係 さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:幕末女傑チャンバラ活劇!
◆作者コメント:

※この作品にはグロテスクな表現や少々の性的な表現も含みます。

久しぶりに書いてみました。
まったくうまくいきませんでしたが、なんとか完成したので出します。

ご批評・ご感想などありましたらよろしくお願いします。

2019年05月11日 17時40分24秒
+20点
2019年05月07日 21時40分47秒
+10点
2019年05月03日 13時19分56秒
+10点
2019年05月03日 12時49分19秒
2019年05月03日 06時33分09秒
+10点
2019年05月03日 06時27分21秒
+20点
2019年04月30日 17時35分34秒
+20点
合計 7人 90点

お名前(必須) 
E-Mail (必須) 
-- メッセージ --

作者レス
評価する
 PASSWORD(必須)   トリップ  

<<一覧に戻る || ページ最上部へ
作品の編集・削除
E-Mail pass