走れ。

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※ さほどキツくはない(と思います…)が、人死、負傷描写があります。


 ある日のこと、俺は初めて人を殺した。
 正確に言うと、自分が人殺しになったことを明確に認識したのはそのときだった、ということになるか。その前にも、MGをぶっ放してくる家にRPGをぶっ放し返して銃声がぱったりやんだことはあったし敵陣に向かってやたらめったら撃つ中でそれが敵に当たったり、俺が装填した迫撃砲弾がどこぞのイワンを吹き飛ばしたりしたことはあったかもしれない。ただ、自分が引き金を引き、それが誰かの死に繋がったことを目の当たりにしたのは、その時が初めてだった。
 壕から小銃と顔だけ突き出し、いるかいないかも分からない森の中の敵に銃をぶっ放す。だだっ広い平原でそんなことをしていたら、突然目の前に男が現れた。二〇メートル。銃撃戦ではほとんど目と鼻の先の距離。
 いくら鉄砲撃つのに夢中だったからと言って、のこのこ歩いてくるそいつを見逃すほど、俺は馬鹿じゃない。おそらくそいつはそれまで砲撃で空いた穴に身を横たえていたんだと思う。もしかしたらそいつは、俺達やロシア側の射撃を身を屈めてやり過ごし、じりじりと接近してきたのかもしれなくて、もしそうだとしたら相当にタフな奴だけど、だとしたらその後の行動は本当に訳が分からない。砲撃跡から立ち上がったそいつは大地の上で仁王立ちになると、AKを脇に抱えたままただこっちを見てきた。撃つでもなく、グレネードを投げてくるでもなく、ただ銃をぶっ放す俺や仲間を見てきたのだ。
 軍用コートや何やらで着ぶくれしたそいつが仁王立ちする様は、俺にはヒグマのように見えた。専守防衛を旨とする組織での二年間、そしてこの国に来てからも繰り返された訓練と実戦は、慌てた俺にもよどみない射撃動作をさせた。目出し帽とヘルメットに覆われたそいつの顔立ちや歳の頃までは分からなかったものの、僅かに見えた肌は際だって白く、多分ブリャート人ではなくロシア人。手、頬、プレキャリで固定したM4で三点射。反動が体を揺らした、と思ったらそいつはばったりと倒れ、さっき立ち上がってきた穴の中に消えた。
 人を殺したとき、自分がどうなるのか。泣いたり叫んだり、情けなくも殺したそいつに詫びたりするのか、とか色々想像してきたものの、酷いことに、実際はそのどれでもなかった。
 あ、死んだわ、と思う。それだけ。罪悪感に体をガタガタ震わせることもなく、ロシア人の死にむせび泣くこともなく、ただひたすらにあっけなかったそいつの死と自分の殺人にポカンとしていた俺だけど、あと一〇秒もそのままだったら直後に壕の前で炸裂した砲弾で顔を吹っ飛ばされてただろう。
 そうならなかったのは、やっぱりスベンのおかげで、銃声や砲弾の炸裂音や兵士の罵り声や叫び声が響きまくる中、耳ざとくこちらに向かう砲弾の風切り音を聞き取ったあいつは、ゲッダウンと言いながら俺のプレートキャリアをひっつかみ、壕に引き込んだ。

   *

 ばちん
 という衝撃が頬に走った。耳がきーんと鳴った。
 少し遅れて来たじんじんとした感覚を頬に感じながら、俺はあっこを見る。怒り七割、戸惑い三割。そんな感じの顔であっこは言う。
「馬鹿じゃないの」
「かもしれない」
「かもじゃないよ。馬鹿、疑いの余地無く馬鹿。どうしてわざわざあんたが行く必要あるの?」
「必要はないかもしれないけど、行かなきゃ、って思ったんだ」
「何でよ」
「いてもたっても、いられなくなったんだ。ニュースとか見てて」
「ちょっと自衛隊いたくらいで戦える訳ないじゃん。死ぬよ。絶対死ぬ」
「大丈夫だよ」
「根拠ないじゃん」
「あっこ残して死なないよ」
「私のこと思うなら行かないでよ」
「もう決めたことなんだ」
 あっこは一発目よりもさらに強いビンタを俺の頬に張り、最後に「もう良いよ、ばいばい、死んじゃえ」と言って部屋を出て行った。
 あっこはそれきり俺の前から消え、ラインでいくら謝っても既読すら付かなかった。
 やっちまった、と後悔で頭が重くなった。やっぱりやめようか、とも思ったものの、俺は結局予約していた飛行機に乗り、この国に来た。来てしまった。
 頬の青みは外国人義勇兵の事務所に出向いた時でも残っていて、傍から見てもそれは結構目立っていたらしい。他の志願者や、受付の職員が物珍しそうに見てきたのは多分、東洋人だから、ってことだけじゃないと思う。そいつらの視線はまず間違いなく、あっこが残した俺の顔の青あざに向いていた。


「もうロシア人と一戦カマしてきたのか?」
 と、初対面のスベンは俺に言ってきた。
 ポーランド人にジョージア人、イギリス人にフランス人と、色々な国からやってきた連中と一緒くたに詰め込まれたバスの中、たまたま隣り合って座ったのがあいつだった。バスが走り始めてしばらく経った頃、窓際の席で外の光景を眺めていたあいつはふと、俺にそう話しかけてきた。
「違う、国を出る時に女に殴られたんだ」
「何で」
「彼女にこの国に来る、と伝えたら怒ったんだよ」
「お前何人だ」
「日本人だ」
「どうしてやって来ようと思った」
「理不尽な理由で女子供老人が泣くことに我慢がならなかったからだ」
 そう、俺が言うとスベンはひどくひねた顔で笑った。人を小馬鹿にするような顔についムッとなったものの、なんとか我慢した俺に奴はそれ以上何も言うことはなかった。


 色々なところに行っていた。
 自分の経歴についてそうとだけ言っていたスベンは自称ドイツ人で、本物の兵隊だった。
 自衛隊で二年仕事しただけの俺は知らなかったけど、兵隊は案外ほら吹きが多い。
 この国に来てから、俺はそれこそ星の数ほど自称強者に会うことになった。特殊部隊にいた。CIAの実行部隊だった。アフガン、イラク、シリアを転戦した。自分の経歴をそう誇らしげに語る奴等はしかし、前線に出ることを知らされた途端にとんずらこいたり、前線に出たは良いもののブルって役に立たなかったりした。
 全体の中では比較的少数だけどそれなりの数いるそんな連中に対して、本物の兵隊はあまり自分のことを語らない。過去をやたら誇ることもなければ、苦々しく思い起こしたり、卑下することもない。ただ過去を淡々と振り返り、その過去を経験した上で生き残った自分へ静かな自信を持つ、そんな風に俺には見えた。


 俺はドイツ人だ、とは言っていたものの、実際のところスベンが何者かは分からない。黒い髪に黒い髭、そして白人にしては彫りの浅い顔立ちはドイツ人よりはスラブ系の方がしっくりきたし、何かあったときにスベンが漏らす罵り声の中には明らかに英語やドイツ語じゃないものが含まれていた。
 ただ、スベンが何者であったとしても、奴が優秀な兵隊であることは間違いがなかった。外国人義勇兵の中にはスベンのことをファッキンロシアのスパイだ、いつか裏切るぞ、なんて言う奴もいたけど、あいつはむしろ率先して危険な仕事を引き受け、そして適切な判断で俺を含めた連中を率いた。
 出会い頭に嫌みったらしい笑みをカマしてくれたスベンだけど、あいつは俺の命を何度も救ってくれた。最初に連れて行かれた訓練キャンプにファッキンロシアがミサイル攻撃をかましてきたときも、ぼんやりした俺のケツを叩いて壕へ避難させてくれたし、その後赴いた前線でも、自分達へ向かう砲撃には誰よりも早く気付き、警告してくれた。
 ただ、あいつと仲良しだったかといえばそんなことはない。出会ったときの印象は良いものではなかったし、スベンの方も、欧州とは離れた島国からやってきた俺を、物好きの馬鹿、とでも思っているらしく、俺が銃声や砲声にビクつく度に、小馬鹿にするような笑いを向けてきた。それでも俺はスベンのケツにくっついた。俺の周りの中であいつの判断力は間違いなく頭一つ抜けたところにあったし、誰よりも生き残る術を知っていた。そして、俺は生き残りたかった。

   *

 ずっと戦闘に出ていたい。
 と、一緒に戦っていたポーランド人が休暇のとき言っていた。
 戦場じゃアドレナリンで頭が馬鹿になって楽なんだ。でも、後方に下がるとダメだ。アドレナリンが切れて色んなことを考えてしまう。余計なことまで深く考えてしまう。
 寂れたバルでそう言ったそいつを、俺は笑った。
 兄弟、酒が足りないんだよ。そう言ってそいつにビールを渡して、俺はその切実な言葉をまともに聞こうとしなかった。
 そいつはこの国に来てもう数ヶ月経っていて、当時の俺は前線の手前で少し過ごした程度。戦争のことは、ほぼ何も知らないと言って良かった。口数のめっきり少なくなったそいつと、他の仲間と一緒にしばらく飲んでから、その晩はお開きになった。酒を飲んだり、飯を食ったりして休暇を終え、部隊に戻ったとき、そのポーランド人の姿はなかった。休暇中に自殺したらしい、と聞いたのは前線へ移動する途中だったと思う。
 ショックだった。ただそれでも、戦場にいた方が楽だという、あいつの言葉は今ひとつ理解できていなかった。


 ただ、あのロシア人を殺したあとに、俺はその言葉を理解することになった。
 戦闘の最中、突然立ち上がるなんて意味不明な行動をしたロシア人を殺し、酷くなる一方の砲撃から逃れ、やっとこさロシアの大砲が届かないところに辿り着いたときだった。
 そこは避難命令が出て人気の少なくなった村で、行き場所がないから一人残ったというバブーシカ(おばあちゃん)がボルシチを差し入れてくれた。それを食べ、ビールを飲んだ俺は割り当てられた民家の一室で眠った。
 翌朝、久しぶりに砲声を聞かずに目が覚めたものの、気分はあまり良くなかった。その後、しばらくここで待機だ、という指示を受けて、俺は何をするでもなく腰かけていたら、いつの間にか眠ってしまったらしかった。
 そして夢を見る。そしてあいつが出てきた。
 夢の中のあいつは、殺された時に身に着けていた目出し帽とヘルメットを取っていた。でもどうしてか、こいつが、俺が殺したあいつだと俺はすぐに気付いた。あいつの顔は若く、透き通るように白い肌に比べて頬がやたら赤かった。あいつは怒り、悲しそうな声で俺に言う。無理矢理連れてこられたんだ、と。
 僕は戦いたくなんてなかった。だから投降しようとした、銃口を向けずに立ち上がったのはそういう訳なんだ。それなのに、お前は撃った。どうしてくれるんだ。
 ご丁寧に英語でそう言ってきたそいつに俺は、おいおい、と言う。
 馬鹿じゃねえか、戦闘の最中にいきなり立ち上がってきたら、それは撃たざるをえないだろう。お前が仮に同じ立場だったらどうなんだ。
 そう言った俺に、奴はすぐに言い返してくる。
 でも日本人、過失の大方は、お前にある。お前はあの時思った。どうしてこのロシア人は突然立ち上がるなんて真似をしたんだろう、と。その疑問を深く考えることなく、お前は撃ったんだ。あの時のお前は動くな、や、銃を捨てろ、と言うこともできたんだ。でもお前は撃った。僕を恐がったからだ。恐怖に駆られて、思慮の浅い行動をしたんだ。それが僕を殺した。もう一度言うぞ。お前が僕を殺したんだ。
 ロシア人は、俺になおも言う。
 帰してくれ。僕を家族のもとに、帰してくれ。
 いいや違う、俺は悪くない。そう言おうとするけれど、言葉は言葉になる前に喉の辺りで行き場を失った。


 うるさい、と言う自分の声で目が醒めた。心臓がばくばくと鳴り、息は酷く荒い。
 何度か息を深く吐き、吸ったところで、俺はスベンが部屋にいることに気がついた。何の断りもなく部屋に入ってきた奴に毒づこうとした俺だったけど、奴の顔に浮かんだ見慣れない表情に、言葉を止める。
 スベンは俺を、憐れんでいるように見えた。
 ただ奴は俺をしばらく見ただけで、何も言わずに部屋を出て行った。
 奴がいなくなった後になって、俺はクソが、とようやく毒づくことができた。


 その後、俺達は休暇に入ったのだけど、前線から戻るバスの中でも、色々なことを考えた。ただ、借りた安アパートに着いてからは、さらに酷く、考え込むようになってしまった。あのロシア人のこと、あいつが歩んできた人生のこと、そして今後歩むはずだった人生のこと、あいつにいただろう家族のこと。小さなベッドに腰かけた俺の頭は、そんなことで一杯になる。
 俺が殺さなくても、他の誰かが殺した。あいつが死んだのはロシアがしでかしたこの戦争のせいで俺のせいじゃない。そんな考えも浮かぶには浮かんだものの、理屈の無い罪悪感はそんなものを容易く吹き飛ばし、また新たな罪業感を呼ぶ。
 俺はあのロシア人だけでなく、これまでぶっ放してきた銃や迫撃砲によって、他にも多くの連中を殺したかもしれない。無数に交わされる銃弾や砲弾で、仲間が死んだように。
 ……テレビで観た、女子供、老人が憔悴した顔で避難をする様。いくつもの街で為された残虐行為。
 許せないと思った。そしてそんなことがこの世界でされているのに、のうのうと暮らしていて良いのか、と思った。銃を持って戦うことができる自分が、何もしなくて良いのか、と思った。だから俺はやってきた。
 でも、それが果たして人を殺して良い理由に、なるのか。いや、どんな理由も人を殺したことへの免罪符にはならない。殺したという事実は殺した人間が抱えるしかない、そして、俺はどうやら抱えきれていない。
 殺したことへの後悔に、情けない自分への劣等感が加わる。そして、頭の中に二つの言葉が瞬く。
 帰国と、死。
 こんなところから逃げ出したい。自分が犯したことから目を背けたい、という気持ちが湧く一方で、罪を犯した自分がのうのうと去って良いのかということも考える。こんな自分は死んだ方が良いんじゃないか、と考えた俺の目に、私物のナイフが入る。
 いっそのこと、すっぱりやってしまえば良いんじゃないか。そう頭の中で言ったのは誰だろう、俺自身か、あのロシア人か。
 手がゆっくりとナイフに伸びようとしたところで、アパートのチャイムが鳴った。
 視線が、ひどくゆっくりとナイフからドアへ向く。何も言わないドアをぼんやり見た俺をしかるように、ベルはさらに二度鳴った。
 のろのろと立ち上がり、ドアの鍵とチェーンを開ける。そこにあったのは、ドイツ人にしては彫りの浅い顔だった。
 何しに来た、と酷く情けない声で俺が言うと、スベンは俺の顔と、俺の後ろの部屋を見た。そして持っていた紙袋を軽く上げた。
「飯を食おう」


 どう返して良いか分からず黙ってしまう俺を待たずに、スベンはキッチンへ行き、そして紙袋の中から材料を取り出した。肉に色々な野菜、そしてビーツ。手際よい手つきであいつが作ったのはボルシチだった。
 そのあんまりにも良い手際を見て、俺は思わず言う。
「お前本当にドイツ人かよ」
「ヤー」
 とか言いつつ、スベンは紙袋から取り出した黒パンやチーズを添えて、湯気の立つボルシチを出した。
「食え。まずは腹を満たせ」
 そう言ってボルシチを啜り、黒パンをかじり始めたスベンに、食欲がない、とは言えず、俺はスプーンを取った。
 スベンのボルシチは美味かった。まあ、この国に来てから不味いボルシチに行き当たったことはなかったけど、スベンのそれの味は、たまたまやって来た外国人が見よう見まねで作ったようには思えなかった。
 スベンの顔を見る。この国に軍隊を進めてくるロシア人と同じ、スラブ系にしか見えない顔立ち。俺は声をかけようとしたけど、何も言うことができず、ボルシチをすすり、黒パンをかじった。
 スベンが持ってきた黒パンは、小麦が少ない本格的なやつで、ぼそぼそしていて、酸っぱい味がした。かなり苦手な味だった。でもどこか優しいボルシチの味がそれとよくあって、俺はあいつが用意した食事を完食した。
 息をついた俺に、スベンはタバコを差し出した。黙って受けとると、あいつも一本咥え、そして吸い始める。
「国に帰れ、日本人」
 しばらく黙ってタバコを吸ったあと、吸い殻を灰皿に押しつけながら、スベンは言う。
「仕事がなくて仕方なく来た訳でも、ロシアに恨みがある訳でも、戦争の中でしか生きがいを得られない変質者でもない。そして人を殺し、殺されることに耐えられる訳でもない。
 お前はここにいない方が良い」
 そう言うスベンの顔には、俺の情けない様を見る度に浮かべる小馬鹿にしたような笑みはなかった。
 こいつ、俺を心配してる。そんなことを俺が思うと、スベンは俺の心を読んだようにすぐに言葉を返してきた。
「お前がそんな状態で戦場に戻ってもすぐに死ぬ。それに、自殺でもされたら多少なりともメンタルに来る。俺や、部隊の他の連中のためを思うなら、お前は直ぐにでも日本に帰るべきだ」
 そしてもう一本タバコを吸い始める。
 吸い終える前に答えろ、と無言の内に言っているスベンから、俺は視線を逸らす。
 頭に浮かぶのは、あっこの顔だった。
 同棲してからは不機嫌な顔をしてるときが多かったけど、ときたま見せる笑顔はすごく可愛かった。
 会いたいと思う。抱きたいと思う。性的にも、そうじゃない意味でも、思いっきり抱きたいと思う。どうしてあいつを置いてこんなところに来たんだと思う。
 でも
「いや」
 気付けば、俺はそうスベンに言っていた。
「俺はまだ、ここにいるよ」
 じろり、とスベンは俺を睨む。殺されかねないような物騒な顔をして俺を睨んだスベンだったけど、ふと敵意を消すと、煙を吐き出し、まだ残っているタバコを灰皿に押しつけた。
「よく食え、しっかり運動をして、よく眠れ。それでもメンタルが整えられなかったら、部隊には戻るな。俺や他の連中の迷惑だ」
 それだけ言って立ち上がると、スベンは何も言わずに部屋を出て行った。
「ありがとう」
 そう奴の広い背中に言うと、
「違う、俺のためだ」
 と言い返してきた。

   *

 敵もこちら側もやたらめたらドローンを飛ばし、大砲を打ち合う。この戦争はそんなことの繰り返しだ。
 あの日の俺達はこっそりと前線まで接近し、ドローンを飛ばして敵情を探るという仕事をしていた。マルチコプター型のドローンが耳障りな音を立てて離陸してさほど経たない内に、リモコンに表示されていた画面が砂嵐に変わった。撃墜されたのだ。
 俺達は直ぐに大慌てで荷物をまとめる。飛ばしてすぐに撃墜されたということは既に俺達の位置はバレていて、その後に来るのはまず間違いなくファッキンロシアの砲弾だった。
 装備をがちゃがちゃ言わせながら森を走り始めた直後、周りに砲弾が落ち始める。このときのスベンはいつものように砲弾の接近を察知し、その度に伏せろ、と俺達に叫んだ。砲弾が来る、スベンが叫ぶ、伏せる、すぐに起き上がって走る。それを繰り返し、あと少しで戦場からとんずらさせてくれる装甲車に辿り着くというときだった。スベンが叫ぶ。
 いつもより、スベンの声に余裕がないように聞こえた。そして、体の上に何かが覆い被さってきた。
 その直後、それまで感じたことのない衝撃が俺を襲った。大地が揺れ、音で体が、頭が、内臓が揺さぶられる。しっかりと地面に伏せていたはずの体が、覆い被さってきた何かと一緒に、木の葉のようにふわりと浮かぶ。その後、俺は意識を失ったらしい。
 次に気付いたときには、野戦病院の中だった。
 病院とは言ってもそれは名ばかりの酷いところで、天井や壁はところどころ崩れ、軽傷者も重傷者も一緒くたに詰め込まれた部屋は異臭と叫び声が一杯になっていた。
「気付いたか」
 そう言ったのは、俺の寝ていたベッドの傍らに腰かけていた台湾人のジミーだった。頭に巻いた包帯は血で染まっていたものの、元気そうだった。
「何が起こった」
 と言いながら体を起こしたものの、頭が割れるように痛かった。寝てろ馬鹿野郎と言ってジミーに寝かされる。頭がぼんやりしてまともに物が考えられない俺に、ジミーは淡々と説明してきた。
 ファッキンロシアの一五二ミリに吹き飛ばされた。一人即死、お前を含めて五人が怪我、内三人重傷、今のお前は精密検査待ちで、さっきスベンが死んだ。
 そうか、と呟いてから、ジミーの顔を見た。
 何考えてるか分からない奴、と以前から思っていたジミーの顔は、今もやっぱり、何考えてるか分からなかった。
「スベンの野郎は、砲撃に気付くと、お前に覆い被さったんだ。大した野郎だ。今までの功績も含めると、勲章が与えられるんじゃないか?」
 受けとる家族がいるかは分からんがな、とジミーは言い、そして立ち上がってどこかへ行った。
 しばらく、無愛想な屋根を見上げる。そしてゆっくりと起き上がる。頭が痛いし怪我人共の叫びがうるさい。長時間巻かれた止血帯を取れと訛りのキツイ英語で誰かが言う。心の底からうるさいと思う。皆死んでしまえと俺は思う。

   *

 白い雪の中を、無数のイワンが向かってくる。
 ウラーウラーと馬鹿のように叫びながら、銃を撃ちながら迫ってくる。中には銃も持たずに突っ込んでくる奴もいるけど、持っていようがいまいが関係はない。こっちの小銃や機関銃でばたばたと連中は倒れる。迫撃砲がやつらを千々に引き裂く。あまり時間を経ずに、雪原には動いてる奴がいなくなる。
 いかれてる、と思う。ロシアも俺も、いかれてる。それでもどうして俺はいる。あっこを放っておき、戦友も亡くし、身も心もズタボロになりながらどうしてここにいる。親戚がいる訳でも、旅行にすら来たこともない。外国人義勇兵を捨て駒にする軍人も、供与された兵器を横流しする奴も、多くの人が苦しむ戦争で私腹を肥やすやつもいる、そんなここに、俺はどうしている。


 この前、あっこと連絡がついた。ラインに既読が付いて、電話をすることができた。
 俺を散々ばかばかばかと言ってから、あっこは泣き、生きてて良かった、と言ってくれた。
 戻ってきなよ、ともあっこは言ってくれた。
「もう良いじゃん、頑張ったよ。何で頑張ったか分かんないけど、十分だよ。帰っておいでよ」
 畜生、いい女だな。
 と思ってしまう。そしてまだ帰れない、とも思う。
 あっこみたいな、いい女がいる。その女がいる世界の平穏な日常を平然と壊す連中がいる。そいつらはまだ日常を壊し続けている。
 理由はそれだけで十分だ。自分や他人をぶっ壊しても、戦い続けるには、理由はそれで十分だ。
 お前何でシリアやアフガンやイエメンでも同じこと思わなかった、とも思う。うるせえ、心の底からうるせえ、と思う。とにかく俺は、世界で今までもこれからも生まれ続ける自分も含めたクソ野郎を一人でも多く殴り、殺す、殺しまくってやる。
 スベン、それが俺のここにいる理由だ。お前がどうして戦ってたのかは分からない。お前は俺のこのクソみたいな理由を聞いて、どう思うだろう? この日本人は馬鹿だ、と思うだろうか、こんな奴をかばって俺は何で死んだんだ、とでも思うだろうか。


 春が近付いてる、とこの国に長く住む奴は言う。未だに気候に慣れていない俺には、死ぬほど寒い、から、クソ寒い、に変わったくらいにしか思えない。でも季節の変化は、確かに訪れているらしい。
 ……見殺しの兵隊をけしかけ、銃座や砲の位置を確認したら、ファッキンロシアはそこに向かってあらん限りの砲弾を放り込んでくる。砲撃をかましてくるロシアの大砲や自走砲に対して、こっちの隠していた大砲も応戦するものの、さすがに堪えきれず、俺達は予備陣地に下がる。
 予備陣地へ走る最中、俺達の横を走るものがいた。
 ウサギだ。春を察して出てきたのか、ウサギがいた。
 砲撃でそこらじゅうが鋤き返される中、どこに隠れていたのか、一匹のウサギが俺達と並走するように走っていた。
「おい、そっちじゃない」
 そいつに向かって叫ぶ。
「そっちは戦争だ。あっちだ、あっちへ行け」
 戦争のない、悲惨のないところへ、走れ。
 遠くへ、もっと遠くへ。走れ走れ、走れ。
赤木

2023年04月30日 20時47分51秒 公開
■この作品の著作権は 赤木 さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:ここから遠く、しかし近しいところで。
◆作者コメント:
なんとか間に合いました、けど質は果たして、どうかな…

色々荒れるかもしれない題材を扱ってしまいましたが、読んでいただけると嬉しいです。

2023年05月14日 11時17分02秒
作者レス
2023年05月14日 07時21分36秒
+30点
Re: 2023年05月20日 11時34分53秒
2023年05月13日 18時57分37秒
+40点
Re: 2023年05月20日 11時13分35秒
2023年05月13日 06時53分38秒
+20点
Re: 2023年05月20日 11時09分00秒
2023年05月13日 02時47分47秒
+30点
Re: 2023年05月20日 10時44分35秒
2023年05月12日 23時46分59秒
Re: 2023年05月20日 10時23分56秒
2023年05月12日 21時55分25秒
+20点
Re: 2023年05月20日 10時13分37秒
2023年05月12日 20時10分50秒
+40点
Re: 2023年05月20日 10時08分04秒
2023年05月12日 19時45分28秒
+20点
Re: 2023年05月20日 09時47分24秒
2023年05月09日 23時30分46秒
+30点
Re: 2023年05月20日 09時38分15秒
2023年05月07日 21時01分04秒
+40点
Re: 2023年05月20日 09時32分21秒
2023年05月07日 09時02分06秒
Re: 2023年05月14日 12時17分32秒
2023年05月05日 20時31分47秒
Re: 2023年05月14日 12時08分24秒
2023年05月03日 12時28分02秒
+50点
Re: 2023年05月14日 12時01分16秒
2023年05月02日 19時16分04秒
+20点
Re: 2023年05月14日 11時44分28秒
2023年05月01日 22時38分59秒
+40点
Re: 2023年05月14日 11時28分12秒
合計 15人 380点

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