雪の舞う春の空

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「おや、もしかして高橋先生ですか」
 後ろから声がする。
 早朝の、まだ先生も生徒もいない小学校の校門の前で、私は一人立ち尽くしていた。
「高橋先生?」
 再び声が聞こえて、我に返って振り向くと、スーツ姿の男性が私の様子を伺っていた。
「あ、はい!」
 突然のことに驚いて、うまく言葉を発することが出来なかった。焦りから頭を手でポリポリと掻いてしまう。良い大人が情けない。
 しかし、そんな私の様子にも関わらず、彼は「やはりそうでしたか。初めまして、私は校長の工藤です」と言って微笑んだ。背が高くスマートで、紳士という言葉がとても似合う男性だった。
「えっと、あの、私は、高橋と言います。今日からこの学校に赴任してきました。よろしくお願いします」
 やっとの思いで自己紹介することができたが、かなりドギマギした言い方になってしまったと思う。
「高橋先生は、まだ大学を卒業されたばかりなんですよね」
「そ、そうです。まだ、地元の女子大を卒業したばかりで」
「初出勤は緊張するでしょう」
「はい、緊張しすぎてなかなか学校の中に入ることができなくて」
 そう言うと、彼は顔を綻ばせた。「そうでしたか。それで、ずっと校門の前で立っていたんですね」
「えっ、もしかして、ずっと見られてました?」
 私は恥ずかしさのあまり顔を赤らめてしまった。
 すると、校長先生はそんな私を見て微笑みながら「はい、ずっと見ていましたよ」と言った。「おや?」
 急に、彼は何かに気づいたように空を見上げた。
 つられて私も見上げると、曇天の空からパラパラと雪が降りはじめていた。
「雪ですね」と校長先生が呟いた。
「珍しいですね、もう4月なのに」
 私がそう言うと、校長先生から「高橋先生は雪は好きですか?」と尋ねられた。
「雪は……」そう言いかけて私は口籠ってしまった。その質問にうまく答えられなかった。校長先生はただ話題を振ってくれているだけで、当たり障りのないように答えればいい。そう思っていても言葉にすることができない。
「おっと、そろそろ時間のようですね。学校の中に入りましょう。案内しますよ」
 校長先生はそう言うと、雪の舞う桜並木を、ゆっくりと歩き始めたのだった。

 高校生の時、人気のテレビドラマに出てくる教師に憧れて、小学校の教師になることを決意した。元々勉強の成績は良くない方だったから、人の倍以上の努力をしてきたと思う。その成果もあって、なんとか教員免許を取得することができ、小学校教諭としての人生を歩み出すこととなった。
 今日はまさにその新たな人生の旅立ちの日、船出の初日だった。
 小学校の最寄駅から歩いて校門の前にたどり着くところまでは良かった。しかし、いざ学校を前にすると、急に不安や恐怖で心細くなる。
(私に、学校の先生が務まるだろうか)
 そんな不安が心の中に渦巻きはじめたのだった。
 元々、引っ込み思案な性格で、憧れている教師のように明るく生徒を指導できるような人間ではなかった。こんな私でも先生としてやっていけるのだろうか。
 考えれば考えるほど、後ろ向きな思考ばかりが広がってしまい、自分の足で校門をくぐることができなかった。
 あそこで校長先生が声をかけてくれなかったら、私はずっとあそこから踏み出せなかった気がする。
 今、私の前を歩いている校長先生の背中は、私にとってとても大きな存在に感じられた。

 一通り構内を回った後、校長先生に続いて職員室へ入った。
「えーっと、高橋先生の机は、どこだったかな」と彼は室内を見回したが「すみません、私もまだこの学校のことは疎くて、もうすぐ他の先生方が来られますから、そうしたら教えてもらってください」と言った。
「かしこまりました」と私は返事をして「色々と教えていただき、ありがとうございます」とお礼を伝えた。
 ふと、私は職員室の窓から外の景色を見た。窓からは校庭と、その奥にある飼育小屋が見えた。
 すると、にわかに目の前の景色が歪み始め、まるで立ちくらみのようなめまいがして、体がふらついてしまった。思わず壁に手をつこうとすると、
「大丈夫ですか」
 と言って、校長先生が私の肩を支えてくれた。
「す、すみません。ちょっと立ちくらみがして」と言うと、彼はすぐに近くにあった椅子を持ってきてくれて「少し、休みましょうか」と言って座らせてくれた。
 しばらく休んで落ち着いてきたところで、私は「あの、実はめまいがした時に思い出したことがあって、個人的な話なんですが、少しお話ししてもよろしいでしょうか」と校長先生に尋ねた。
 彼は「大丈夫ですよ。どんなことを思い出したんですか?」と優しく聞いてくれた。
「前に、ウサギを飼っていたことがあるんです」と私はゆっくり話した。「そのウサギは男の子で、すごく元気で、私はその子が大好きでした」
 校長先生はゆっくりと頷いた。
「私が落ち込んでいる時、その子は決まって私に寄り添ってくれました。普通、ウサギってあんまり人に懐かないものなんです。でも、あの子は私のことをよく分かっていて、いつも励ましてくれました」
 私はもう一度窓の外の景色を見た。
「ちょうど、去年の春の、こんな雪が降った日に、その子は寿命がきて死んでしまいました。私はその子に支えられていたので、すごく悲しくて、それから雪を見ると、その子のことを思い出してしまうんです」
 さっき校長先生に「雪は好きですか」と聞かれた時にうまく返事ができなかったのは、飼っていたウサギのことを思い出してしまったからだった。
「そうだったんですか」と校長先生はゆっくり立ち上がって言った。「高橋先生は、すごく優しい人ですね」
「えっ」
「きっと、そのウサギさんは、幸せだったと思いますよ。高橋先生はきっと、子供たちから慕われる、素敵な先生になれると思います」そう言って彼は微笑み「応援しています」と言った。「それじゃあ、私は所用があるので一旦失礼します。もうすぐ他の先生も出勤してきますから、ゆっくり待っていてくださいね」
 私はなんだか少し照れ臭くなりながら「校長先生、色々とありがとうございました。私、これから頑張りますので、よろしくお願いします」と言って深く頭を下げた。

 しばらくすると、職員室に一人の男性が「おっ、高橋先生だよね? 出勤早いね」と言って入ってきた。
 私は「おはようございます」と言いながら、何気なく彼の名札を見た。そこには【校長】と書かれていた。
「えっ」
 私は思わず声に出してしまう。
「どうしたの?」
「この学校に、校長先生って二人いるんですか?」
 私がそう尋ねると、彼は一瞬キョトンとした後で「いや、この学校に校長は僕一人だけど」と言った。
 その時、何かが私の胸を打った。
 さっきまで『校長先生』と名乗っていた彼は、実は校長先生ではなかったのだ。
 思い返してみると、つい先ほど倒れそうになった私を支えてくれた彼からは、どこか懐かしい香りがした。あれは、私の記憶の中にある、懐かしい香り。
 私は、胸の奥から込み上げてくるものを堪えきれずに、気がつくと涙を流していた。
 ふと、窓の外を見ると、雪の舞う桜並木の道を、一匹の白いウサギが空に向かって駆けていく姿が見えた。
 待って、と言いかけて、思いとどまった。私は溢れる涙を拭って、
「ありがとう。心配して会いに来てくれたんだね。もう大丈夫だよ」
 と言うと、雪の舞う春の空に一刹那、明るい光が差したように見えたのだった。
ワタリヅキ

2023年04月28日 07時22分20秒 公開
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■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:新人女性教師の背中を押してくれたのはーー小さな奇跡の物語
◆作者コメント:全年齢を対象に安心してお読みいただける小説です。お楽しみください。

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