我らソウルメイト

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 もしもこの世界が一編の物語だったら、俺はその語り手を務めるに最もふさわしい人間だろう。
 俺は今生学(いまいまなぶ)。晴れて私立湖甲高校に合格し、初めての登校日を迎えている。
 私立湖甲高校の入学資格は中二病であることだ。当然自分は中二病を拗らせている。とはいえ入学してくる生徒は、中二病が俺より遥かに重い人ばかり。いくら中二病を患う自分自身を俺が愛していても、謙虚さは忘れてはならない。中二病らしく驕り高ぶりながらも、同時に謙虚でいなければならないのである。
 陽の光と爽やかな風を背中に感じながら、俺は入場ゲートのカード読み取り部に生徒証を触れさせる。
 中二病専用道路に入った。右には座り込んでストロングゼロを飲む生徒が、左には賭けポーカーをする生徒が、正面には竹刀を携え決闘する生徒がある。車道の大部分を、何らかのデモ隊が塞いでもいる。
 ここは理想の中二病像を好きに実現しても良いエリアだ。実現するためなら法律に反する行いも許されるのだという。
 凄く治安が悪そうだが、不動産屋によればそこまででもないらしい。中二病の人はしばしば物騒なことを口にするものの、根は小心者の傾向がある。決して突然背後から襲われ身ぐるみ剥がれるなんて事は起こらないそうだ。
 なんとかデモ隊の隙間を抜けて進む。
 それにしても自由な校風を窺わせる光景であることよ。制服は有るが着ていく義務は無い。歩いている人々の半分は制服を着ており、もう半分の内訳は私服・寝巻き・コスプレ・和服・パリコレ・着ぐるみという感じである。
 いかに中二病な服装でも、所詮は買ったものを着ているだけである。しかし中二病とはそれでよいのだ。
 中二病の真髄は、なるべく努力せずに自分らしさを手に入れる事にある。
 というのは、中二病とはコンプレックスの裏返しなのだ。努力して自分らしさを手に入れるという正規ルートで夢を叶えた人に対して俺たちは憧れを抱く。憧れるばかりで才能も根性もない。迷った末に辿り着くのは、気軽にできるキャラ作りの道。そういった心理こそが中二病なのである。
 俺が努力することなく見出した自分らしさとは、独り言の多さだった。
 ここまでのモノローグも、おそらく口から幾らか漏れ出ていただろう。
 分かってほしい。考えている事柄を口に出すことで、頭の中が見事に整頓されていく気持ちよさを。加えて、例えば全く皿を洗う気分では無い時に「俺は今、皿を洗う事だけを考えている」と声に出すだけで、不思議と目の前の皿洗いに意識を集中できると来た。
 普通は頭の中でやることを、あえて頭の外でやる。こんなに簡単で優れたライフハックなのに、なぜ俺以外誰一人実践しないのだろうか。
 ケモノの着ぐるみが自転車を押しながら、早足で俺を追い越した。
 着ぐるみは動きづらくて暑かろう。中二病の範疇ではあるが、自分らしくあるために俺よりもよっぽど努力しているように見える。自分はただ喋っているだけだ。俺より努力していそうな人が学校には沢山いて、彼らの努力の成果を目の当たりにした時には、きっと尊敬の念が湧く。
 いま、優越感と劣等感とが絶妙なバランスで俺の中に息づいている。
 だから、つまり、話は戻るが、中二病らしく驕り高ぶりながらも、同時に謙虚でいなければならないのである。
 中二病だらけの学校で過ごす心構えを、初日にして、しかもまだ通学路にいる間に理解してしまったかもしれない。
 俺は満足して空を見上げる。かなり青かった。光を受けて眼の奥の筋肉が縮む感覚をゆっくり味わう。やがて前を向くと、歩く系のミュージックビデオの演者になった気分で歩きだす。その矢先。
 後頭部に鈍い衝撃がきて、俺はうつ伏せに崩れ落ちた。
 不動産屋の話と違う。突然背後から襲われる心配は無用だと聞いていた。さすがに調子良く喋りすぎたのかもしれない。出る杭は打たれるという訳だろう。
 薄れゆく意識の中、聞こえてきたのは生意気な感じの少年の声。
「予言しよう。今生学、君は一年生の間に中二病を卒業し、在学資格を失う。覚悟しておきたまえよ」
 姿は見えないけれど、声が見事に生意気なのである。どのくらい見事なのかというと、声を聞くだけで、小学五年生の中でも成長期を未だに迎えていない感じの、見目麗しい悪戯好きな少年の姿がありありと想起される程である。

 目が覚めても、さっき襲われた位置から俺は動いていなかった。拉致されていなくて安心した、という意味である。しかし横を見た瞬間、俺の安心感は打ち砕かれた。
 うつ伏せの俺の隣には布団が敷かれており、そこで少女が寝ている。
 背後から襲撃されるのとはまた違った角度の恐怖を感じた。だから彼女がこちらに勢いよく寝返りを打ってきた時には、思わずアアッと声が出てしまった。
「あっ、おはようございます」
 気さくに挨拶してくる少女の目は大きく見開かれている。
「それにしても、歩道に直接寝て野宿とは。良い趣味をお持ちですね」
 俺はうつ伏せのまま動けない。
「まず名を名乗れよ」
 俺はあまりにも素気ない対応をしてしまった。とりわけ異性に対してこういう感じになってしまう。中二病だからだろうか。
「おっと失礼」
 少女は慌ただしく髪を整え、最後にヘアピンを付けなおした。
「路傍風浪(みちかたふなみ)です。野宿を少々嗜んでいます。だから、歩道の隅で眠るあなたを見つけたとき嬉しかったんです。私と同じ趣味の人が高校に居るんだって」
「その、何のつもりで布団敷いて隣で寝てたんだ?」
「言いません? 相手と同じ目線に立つのが大事だーって。新鮮でしたよ、地べたに近い所で目線がかち合うの」
 俺はギリギリ納得した。
 変な人ではあるが友好的でもある。だからこそ俺は誤解を解く。それが俺のとりうる最も友好的な態度だ。彼女は野宿仲間が欲しくて話しかけてきた訳だから、野宿知識ゼロの俺に構っている場合ではないはずなのである。
「まず俺のは野宿じゃない。ただ気絶してただけなんだ」
「それって、いわゆる失神ゲームの愛好家ということですか? それとも何か事故に遭いました?」
「後者後者」
 失神ゲーム愛好家も探せば居るかもしれない。なにせ私立湖甲高校には全国の中二病が集まってくるのだから。
 そして野宿愛好家は、ただでさえ身開かれた目をさらに丸くしている。しばらくして少女は布団から上体を起こした。
「私の早とちりでしたか。すみません。なんか空回りしてて良くないですね」
 彼女は愛想よく笑ってはいるけれど、眉と肩が下がっている。俺には分かる。ようやく同志を見つけたと思ったのに同志じゃなくて落胆している。相手に気を遣わせないように、落胆を表に出さないよう凄く頑張っている。そんな表情だ。
 もし彼女が小学生の時も中学生の時も、同志に恵まれない学校生活を送ってきていたら。もし彼女が湖甲高校に賭けていたら。考えても仕方のないことばかり頭に浮かぶ。
 少女が布団を畳み、大容量ボストンバッグに詰め込んでいく様子を、俺はぼんやりと眺める。
 これでいい。少女の要望を叶えられるのは野宿仲間だけだ。何があっても俺ではあり得ない。いくら俺が全能感に溢れた中二病でも、出来ないことは出来ないと認めるべきである。
「でもアレだよな、俺は野宿を全く知らないけど。多分、家族に頼らず一人で何でもしてる『気分になれる』のが野宿の面白い所なんだろ」
 特大の独り言が俺の口から出ていた。
 少女は不思議そうな表情を浮かべ、こちらを見る。
「そうなんですよ。服、布団、スマホ、非常用の現金。全部親のおかげで有るものなのに、夜を越えられたのは自分自身の力という事にしちゃうんです。都合よく。それが中二病っぽくて素敵ですよね」
「で、一回自宅に帰ってシャワーを浴びて晩飯も食ってから野宿しに行ったりするんだろ? そのまま家で寝ればいいのに」
「おお! なんで分かるんですか? せめて銭湯に行くかネットカフェに行くかすべきですよね、私」
「中二病って凄く守られながら生きてるもんな」
 俺は自分の中二病を磨きたくて湖甲高校に入学した。生徒たちと馴れ合うつもりは無い。それなのに何という体たらくだろう。
 少女は野宿仲間との馴れ合いを求めていたのに、あろうことか自分が名乗りを上げてしまった。何もかも中二病が悪い。各々属すジャンルは違っても、全員が中二病で繋がってしまっているのが悪いのだ。
「私たち、中二病以外接点ないかもですが、ここで出会ったのも何かの縁。ここからはお友達で行きましょうよ」
 友達。俺は肩書きの重みについて考え、わなわなと震えた。
 友達とは、人間関係の段階の一つである。最高位の称号が親友だとして、その手前が友達だ。つまり友達とは、相撲で言うところの大関であり、冠位十二階で言うところの小徳である。
「でもJリーグで言うところのJ2ですよね?」
 俺は彼女の茶々を無視した。
 この少女、「他人」「知り合いかも?」「知り合い」「興味はある」……といった数多の称号を飛ばして「友達」を提示している。果たして俺に務まるのか。
 答えあぐねていると、彼女はひどく呆れて
「じゃあソウルメイトでいいです、もう。絶対ノってくださいよ。私も中二病で孤独に強いとはいえ、入学初日は寂しくて不安なんですから」
 ソウルメイト。魂の伴侶である。字面を考えれば友達よりも遥かに進んだ関係に思われるけれども、俺たち中二病の間ではカジュアルに使われがちな肩書きだ。
「ソウルメイトぐらいなら、まあ。俺は今生学(いまいまなぶ)」
「改めまして、路傍風浪(みちかたふなみ)です」
 そういうことになった。路傍はヘアピンを指で撫でながら微笑んでいる。こういう時どんな顔をすればいいか、俺には分からない。
「じゃあ早速ソウルメイトとしてお聞きしたいのですが、今生さんは何かの事故で気絶していたんですよね?」
 然り。俺は何者かに後頭部を殴られて気を失っていたのだ。色々ありすぎて忘れかけていた。
 俺は想像を交えて、犯人の特徴をつまびらかに説明した。声から想像するに、犯人は小学五年生の中でも成長期を未だに迎えていない感じの、見目麗しい悪戯好きな少年なのである。
「妄想に事実を交えてませんか?」
「倒れている俺を路傍が見つけた時、近くにそれらしい人は居たか?」
 路傍は思い出してくれている。彼女は考えたり思い出したりする時に、人差し指を顎に当てる癖があるようだ。
「一応、すごーく小柄な男子が、今生さんの体をあちこちまさぐっているのは見ましたけど」
 多分その男だろう。
「でも彼、うちの制服でした。今生さんの想像を信じてみるなら犯人は小学生。だから多分別人ですよ」
 なら人違いかもしれない。
「ちなみにその人はバットを持ち歩いていました」
「絶対犯人だろそれ」
「いやいや、バットで決めつけるのは気が早くありませんか? だって中二病は武器持ち歩きがちなんですよ。カッターナイフとか、バタフライナイフとか、モデルガンとか」
 正直それは一理ある。決して人を傷つけるためではなく心を落ち着けるために、お守り代わりに武器を持ち歩く人もいる。中二病の気持ちは分かるつもりだ。
 しかしながら現状一番怪しいのは、路傍が見たという小柄な男。どうしたものだろう。
「で、今生さんは、その人を見つけてどうするんですか?」
 路傍に聞かれて、襲われた時のことをよく思い出してみる。
 俺を襲った少年は次のように述べていた。「予言しよう。今生学、君は一年生の間に中二病を卒業し、在学資格を失う。覚悟しておきたまえよ」
 犯人の外見について予想が外れていても、一つ確かなことはある。声を聞くだけで犯人の姿を俺が思い浮かべられたのは、中二病的な想像力が自分に備わっていたからだ。にもかかわらず俺が在学資格を失うなど俄には信じ難い。犯人の発言は聞き流すことにする。
 シンプルに考えよう。要するに、俺は殴られて腹を立てているのだ。中二病専用道路では法律に反する行いが許されるため、犯人を暴行罪で訴えることが叶わず腹を立てているのだ。
 彼を裁けるのは自分しかいない。ならやる事は一つ。
「俺は、俺の後頭部を殴った犯人の後頭部を、ちょうど同じくらいの力で殴り返してスッキリしたい!」
 俺は高らかに宣言した。すると路傍は胸の高さで拍手してくれる。
「天晴れ! 自分が正義側と思うやいなや、正義の名のもとに躊躇いなく相手を攻撃する! 暴力も厭わない! それでこそ中二病ですよ、今生さん!」
 中二病は自分の主張が誰かに支持されると嬉しくなる。支持されなくても「自分の考えを支持しているのは、今のところ自分一人だけなんだ」などと唯一無二性に着目して喜ぶ。だから、中二病は主張を始めた時点でもう無敵なのである。
 今の俺は無敵で、やる気がみなぎっていた。
「そうと決まれば、ひとまず路傍が見たという小柄な男を探してみるか」
「いいと思います。目標はあればあるほど良いんですから」
「男は湖甲高校の生徒なんだよな?」
「そうです、うちの制服を着ていました。背格好と横顔はきっちり覚えています」
 学校に行く目標が二つできた。一つは学校生活を通して自分の中二病の練度を高めること。もう一つは俺の後頭部を殴った人物を探し出し殴り返すこと。
 それだけである。人と馴れ合うためではない。
「それはそうと、野宿ってあのスタイルで正解なのか? 段ボールと寝袋の印象が強いけども」
「いやですねぇ今生さん。そこをあえて布団にしてるんじゃないですか、中二病だから」
 路傍をよく見て、吸収できるところは吸収して、自分の中二病の練度を高める。ソウルメイトたちの関わりは、馴れ合いなどではなく自分磨きなのである。

    *

 校舎に入って真っ先に目に飛び込んできたのは、長い廊下の端から端まで続く、壁一面の相関図だった。
 壁がホワイトボードになっており、全校生徒の顔写真がマグネットで貼り付けてある。生徒たちがマーカーで自由に、生徒同士の関係性を書き込んでいく形式のようだ。
「見てください! 私たち同じクラスですよ!」
 路傍は相関図にある1-Bの括りを指差して小躍りしている。
「顔写真があるならここで犯人を探せるな」
「うわ、ドライですね」
 なぜドライなのかというと、彼女と一緒になって小躍りすればソウルメイトの域を超えてしまう気がしたからだ。
 俺たちは相関図を端から端までざっくり見てみることにした。
「私たち設定とか相関図とか好きですもんね」
「自らの交友関係は疎かにしてるのに、関係性に興味津々なのはホントに何故なんだろうか」
「近いうちに、医者の不養生・紺屋の白袴に続くことわざになるでしょうね」
 などと話しながら犯人の顔を探す。
 入学初日の朝なので、一年生のところにはわずかな関係性しか書かれていない。おもに「幼馴染」「ネット友達」「学校は違ったが塾が同じだった」など、入学前からの繋がりが書かれていた。
 二年生・三年生になってくると色とりどりの線がびっしり引かれており、予備知識のない俺が見ても何が何だか分からない状態だ。図の全てを読み込もうとすれば始業時間に間に合わないだろう。
 立ち止まって腕を組み、深く頷きながら相関図を読む生徒もいた。おそらく、初日なのに堂々と遅刻してくるのが格好いいと思っている派閥の者である。
「うーん、結局犯人っぽい写真は見つかりませんでしたね」
 写真が無いとなると、犯人が写真を持ち出したとか、路傍が見た姿は変装だったとか、制服が似ている他校生だったとか、色々考えられる。いずれにせよ行き詰まってしまった。
「仕方ない。切り上げて教室に行くか」

 階段を上って四階に1-Bはある。
 教室に入ると、俺と路傍の席以外はもう埋まっていた。中二病専用道路で見たとおり、生徒たちは思い思いの格好をしている。喋っている人と黙っている人の割合は3:7くらいだ。普通は8:2か9:1になるだろうから、ここはさすがの湖甲高校クオリティであった。
 三割の生徒が喋っている内容に、俺は耳をそば立ててみた。
「この学校って入学式無いんだね、おもろ」
「チュートリアルは、物事の楽しさがコンシューマーに伝わるよう作るべきだ。入学式は学校のメインコンテンツではないためチュートリアルとしては不適。それよりも、早く生徒を楽しさの根幹に触れさせる方法を執ったのだろう」
 何やら込み入っていたが、彼が言いたかったのはつまり「普段の学校生活とかけ離れた入学式を最初にやっても、生徒が知りたいのは普段の学校生活がどんななのかであるから意味が無い。学校側はそれを分かっていて入学式を行わずに、いきなり授業らしい授業をするように決めたのかもしれないね」というような事であろう。翻訳ならお手の物である。
 彼の考えもわかる。入学式をしても学校生活をスムーズに送る助けにはならない。ただ俺は、正直に言えば、右も左も分からぬうちに行われる入学式が好きだ。ホラー映画に出てくるくたびれた感じの旅行者になって、最果てにある村の奇祭に参加している気分になれるからである。
 中二病としては一体どちらの立場を取るのが良いのだろうか? 黙っている七割の生徒も、今この疑問にどう答えるべきか考えているに違いない。
 引き戸がぬるっと開き教師が入ってくる。
「皆さんおはようございます。突然ですが、まもなく教室にテロリストが押し入って来ます」
 三割の生徒が再びざわつき始める。残りの七割はざわつきたそうに周囲を見回している。
「時間が無いので手短に、2点だけ説明します」
 教師は次のようなことを語った。
 まず俺たちの体の周りには、中二病由来の微弱な力が働いている。中二病が集まるこの学校では力が複雑に相互作用し、生徒たちの妄想を形にする。テロリストはその産物なのだ。
 人が死ぬような事があっても、あくまで妄想の中の出来事であるから問題ない。妄想が最後まで行って終わるか、俺たちが途中で妄想をやめるかすれば、区切りのよい地点から現実が再開されるそうだ。
 ……中二病を名乗る名目上、まあそういうことも起こるかもなぁ、と思ってはみたものの、俺は教師の説明を冗談として受け取った。
「『学校にテロリスト妄想』は定番中の定番、新入生はもれなく通る道です。なので毎年、入学初日に出ます」
 もちろん俺はその妄想は通った。そんな妄想などしたこと無いと言い張る中二病の皆様。いい加減認めたほうがいい。あなた方が「学校にテロリスト妄想」をしなかったのは、定番をあえて外しオリジナリティを出していくよう意識した結果だ。あなたは独自の妄想を始める前に、一回テロリストを経由しているのである。
「入学早々ショッキングな出来事が起きますが、とにかく楽しんでください。私からは以上です」
 そう教師が締めくくると、一目でテロリストだと分かる格好の人々がぞろぞろ入ってくる。目出し帽に自動小銃と定番のアイテムを揃えつつ、服はスポーツブランドで固めたラフなコーディネート。宗教色は感じられず、どちらかというと銀行強盗に近い。
 リーダー格の男が喋り出した。
「我々は君たちの命──特にそこにいる理事長の娘の命と引き換えに身代金を要求する」
 幼稚園の時、節分の日には鬼がやって来て園児たちを手当たり次第に脅かしていた。今繰り広げられる状況はその延長だろう。学校勤務の誰かが俺たちのためにやってくれていると思うと大変ありがたい。リハーサルも力を入れてやったのだと思う。
「君たちは中々に行儀がいいな。引き続き、交渉が終わるまで大人しくしていてもらおうか」
 彼はこちらに銃口を向けてくる。こころなしか、俺たちの反応が薄めで困っているように見える。
 突然男の近くにいた男子生徒が立ち上がり
「この距離なら、体術のほうが絶対に速い」
 と言ってリーダー格の男に襲い掛かる。
 その戦術は既に銃を抜いている相手には効かないし、しかもそのセリフは相手を取り押さえた後に言うべきだったのではないかと思った。とはいえなんてエンタメに協力的な奴なんだと感心していると、銃声と、薬莢の跳ねる音がして男子生徒は力なく倒れる。
 ホワイトボードに赤黒い血の筋が走っている。
 叫び声が上がった。
 入学が決まって、私立湖甲高校の評判を口コミサイトで調べた事があった。一番上に「卒業生です。映画みたいな事件が頻繁に起こるのでオススメです」というレビューがあったのを覚えている。レビューを読んだ当時の俺は、中二病の卒業生がちゃんと中二病的な口コミを書いているなと思って笑っていた。しかしその口コミはごく正確に書かれていたのである。
 男子生徒を中心に血溜まりが広がってくる。一気に緊張感が増した。
 妄想が明ければ彼の死は無かったことになると分かっていても、これは耐性がない人にはキツいだろう。
 このままでは正気じゃ居られない。俺たちの総意だった。
「散!」
 誰かから合図があって、俺たちは一斉に逃げ出す。中二病は最初からバラバラで協調性に欠けるのに、なぜか「散!」という合図とともに散らばる習性がある。
 他のクラスでも大体同じ流れになったようで、廊下は新宿ぐらい混んでいた。俺はとにかく人の流れに乗ることに集中した。乾いた銃声が響いても決して振り返らなかった。

「いやぁ。とんだチュートリアルでしたね、今生さん」
「全くだ」
 結構な距離を走り、俺はなんとか逃げ延びた。バラバラに逃げたはずが路傍も隣にいる。
 彼女がチュートリアルと言ったのは、教師が入ってくる前に誰かが喋っていたセリフの引用だろう。テロリストが来たのは学校の中二病的な雰囲気を象徴する大事件だったので、チュートリアルとしては正解なのかもしれない。
「こんな事が立て続けに起こるなら、心が休まる暇は無さそうだな」
 俺はわざとらしく呆れた口調で言ってみて、路傍を見る。想定に反して彼女は首を傾げていた。
「まあそうかもしれませんが、ぶっちゃけテロリストが学校を占拠するまで暇じゃないですか?」
 俺たちは別棟の裏手、ものすごく奥まった場所に潜んでいる。平和な代わりに何も起こらない。路傍にはそれが耐えられないのだ。
 さきほど教師は、妄想が何らかの結末を迎えるか、生徒たちが途中で妄想をやめるかすれば、区切りのよい地点から現実が再開されると言っていた。いつ妄想が明けるかは生徒たちの妄想の匙加減にかかっている。
 いつ来るか分からない終わりをこの場所で待つ。俺は別にそれでも構わなかった。
「俺は小さい頃、かくれんぼとか好きだったし。ここにずっと潜んでても楽しめる。どうせ路傍は鬼ごっこ派だろ」
「あー、鬼ごっことかドロケイ派でしたねぇ。15分しかない中休みにさえやってましたもん」
 路傍は不服そうな面持ちで段差に座っている。彼女は特に暇への耐性が低いのかもしれない。
 暇を嫌う性質のおかげで野宿というコアな趣味を持っているとしたら、俺はソウルメイトとして見習うべきだ。それに俺だって中二病。隠れているほうが落ち着くなら、あえてその逆を選んで見せよう。
「何かやりたそうな顔してるな。俺の後頭部を殴った人を探すの手伝ってもらってるし、俺でよければ付き合うぞ」
 俺は今、凄く社会性のあることを言ったと思う。社会性と同じくらい、自分なら路傍の役に立てるという強い驕りも感じられる。
 路傍は立ち上って盛んに目を輝かせた。
「本当ですか? じゃあ折角だから、学校のどこに何があるか確認する時間にしましょう」
 テロリストの跋扈する学校を見て回ろうというのだから、彼女の図太さには頭が下がる。

 校舎に戻ってきた。
「テロリストに出くわして死んだらどうする?」
「死なない程度に冒険しますって、大丈夫です」
「いや、それで死んだらどうするんだ。何もしていない時間が暇で出て来たけど、死んでいる最中の方が暇なんじゃないか?」
「死んでいる最中ですって? それがどんな感じかにも興味が湧いて来ましたよ」
 良く言えば楽観的、悪く言えば呑気に歩く彼女のかわりに俺は周囲を警戒する。
 きょろきょろしながら歩いて気づいた。湖甲高校には、学校の屋上を模した舞台装置みたいな教室が点在している。さもありなん。屋上は屈指の人気スポットであるから、こうでもしないと人が殺到してしまうのである。同じ理由で中庭も複数あった。
 廊下には生徒がまばらに居て、あてもなく歩いている。俺たちと同じで隠れているだけでは物足りなかったのだろう。
 制服を着ている生徒は全体のうち半分くらいだ。制服を着ている人にも色々いる。
 向かい側から歩いてくる彼は悪ぶっているタイプだ。前髪を上げ、制服の前を開け切ったところから厳つい柄のシャツが覗いている。問題は、私立湖甲高校の制服は学ランではなくブレザーである事だ。学ランなら様になるけれどブレザーなのでチグハグな印象を受ける。チグハグだから良いという考えもあるため中二病的には賛否両論である。
 悪ぶる人にはサブジャンルがある。さきほど、春用のニット帽を被り首にBeatsのヘッドホンを掛けフーセンガムを膨らませている女子生徒を見た。チグハグな彼とは打って変わって、本気で物事に取り組むのはダサいと思っていそうな雰囲気である。
「今生さん見てください、主人公がいますよ」
 中二病は誰もが自分自身を主人公だと思って生きている。もちろん路傍が言いたいのはその話ではない。
 路傍の指差す方向を見ると、勇者・戦士・僧侶・魔法使いが一列に連なって歩いていた。なるほど、主人公がいる。バラバラに逃げ放浪するうちに奇跡的に出会ったコスプレの人たちだ。
 勇者・戦士・僧侶・魔法使いは、一人で冒険してファンタジー世界を生き抜くのが難しい(女神にチートめいた力を授けられている場合を除く)。彼らには学校で他のメンバーと出会う前提があるのである。
 俺にとって学校は、学校生活を通して自分の中二病の練度を高める場所だ。人と馴れ合う場所としての役割を一切期待していない。しかし勇者パーティを見るに、学校を、仲間と出会う場所と捉える人は存外多いのかもしれず、俺はその事実にどう向き合うべきか考えずにはいられなかった。

 図書室に入ってみる。路傍は本棚に仕込まれた隠し扉がないか探しに行った。
 十人ほど長机で本を読んでおり、丸テーブルでは三人組が楽しげに、理想的なハンドルネームについて話し合っている。さすがはインドア派の聖地、こんな緊急時にも利用者が絶えない。
 面白いのは、長机に向かう十人中十人が夢野久作『ドグラ・マグラ』を読んでいた事である。表紙のデザインもタイトルもキャッチーで、しかも日本三代奇書の一つとなれば中二病なら手に取ってみたくもなるだろう。読者が多いのを想定して図書室に十冊以上置いてあるのも可笑しみに溢れている。
 みな真面目そうな表情で読み進めているが、実際は内容をまったく追えていないだろう。俺も中学生の時に読んでみて、書いてあることが何一つ分からず頭を抱えた。
 眼帯をして左腕を包帯で吊った女生徒が片手でページを繰っている。あれはいわゆる邪気眼タイプ、体の呪われた部位に憧れを持っている派閥の者だろう。
 その隣でページをめくる男子の指にも包帯が巻かれている。机の上、彼に近いところにバタフライナイフが置いてある。男子のほうの包帯は、おそらくバタフライナイフ回しの練習で怪我をしたから巻いただけだ。

 音楽室に来た。壁に開いた無数の穴、音楽家の肖像画、グランドピアノ、という感じのスタンダードな音楽室だ。
 机は全て壁際に寄せてあり、教室の中央では二人の女子が座り込んで何かをしている。
「何してるんですか?」
 路傍は果敢に話しかけに行き、俺は彼女の跡を追う。
「え、祈ってる」
「私達……祈りという共通点だけで……一緒に居る……」
 先に返事した方は、なんというか、女子高生インフルエンサー崩れのような姿をしている。「……」の多い方は黒魔術師のローブみたいな衣装を纏っている。二人の足元にはチョークで魔法陣が描かれていた。
「あ、私分かりました。儀式が成功すると、きっとこの三角形で何か起こるんですね?」
 二人から少し離れた床には三角形の傷が付けられている。傷をめざとく見つけた路傍は三角形の領域に出たり入ったりしている。
「領域から悪魔が召喚されて……テロリストを倒してくれるように、祈ってる……」
 黒魔術の女は懐から乾燥した植物を取り出し、銀の盆に置いて火をつけた。清涼感のある香りが辺りに立ち込める。
「えっそんなことしてたの? 怖っ」
 もう一人の生徒は、自分が加担していた儀式の意味を知って驚いている。
「そこ二人は連携取れてなかったんですね」
「ならお前は何に祈ってたんだよ」
「推し」
 そう言うと彼女はポケットから、金槌に似ているが絶対に金槌ではない物体を取り出した。俺は中二病だから分かる。これはマニ車という仏具の一種だ。よく見ると側面にはハングルがびっしり彫られている。
「この筒を一回転させると中に入ってる歌詞カードが回転して、一回歌ったのと同じになるの」
「わぁ、すごくバカですね!」
 路傍は屈託のない笑顔で、初対面の相手にとんでもないことを言った。だがマニ車の女も一緒になって笑っている。
 彼女は蓋を開けるときれいに巻かれた紙を広げて見せる。これは多分韓国のガールズグループ、Kep1erが歌った全曲の歌詞だ。一回転で二十曲近く歌ったことになる。崇拝対象が中二病でないのに、崇拝の方法が中二病だったケースを俺は初めて見た。少し感動している。
「俺はK-POPあんまり知らないんだけど、K-POPって『歌詞』で良いのか? もっとダンスをコピーするとか缶バッジ集めるとか、こう」
 俺が喋り始めた途端、マニ車の女は敵意を剥き出しにした目線を向けてくる。何故こうなるのだろう。路傍は許されていたのに俺が駄目なのは全く納得いかない。
「でも気持ちは分かる……。自分も中学の頃『悪ノ娘』の歌詞……ノートに書いたりしてたし……」
 黒魔術の女が座ったままこちらを見ずに言った。
 『悪ノ娘』とは俺がまだ二歳の頃に作られた、大昔のボーカロイドの楽曲らしい。最近は音楽ゲームに収録されているらしいけれど、俺は音ゲーに明るくないため詳しくは知らなかった。
 俺でさえ詳しく知らないという事はすなわち、ここにいる三人とも知らない事を意味する。
 誰も喋ろうとしないこの時間が俺は好きだ。なぜなら一般的には「気まずい」と呼ばれ、極力避けるべきとされる状態だからである。
 重い口を開いたのは黒魔術の女。
「だからと言って……ボカロしか聴かないとは限らない……。普通にITZYとか聴くし……」
 ITZYも韓国のガールズグループの一つだ。
 にわかに音楽室の電気が消える。
「あっ、来る……」
 床にしたためられた三角形から、凄まじい勢いで煙が上がり始めた。部屋の気温も少し下がったような気がする。俺たちは固唾を飲んで儀式の行く末を見守った。
 九つのシルエットが迫り上がってくる様子が煙越しに分かった。音楽室の電気が再び灯り、煙が晴れた時俺たちが目にしたのは、なんとKep1erであった。代表曲『WA DA DA』が流れ始め、マニ車の女と黒魔術の女のテンションは最高潮に達する。彼女らのパフォーマンスは圧倒的だ。二人はテロリストそっちのけでライブを楽しんでいる。
 さすがに意味が分からなかったので、俺は音楽室を後にした。

「見ててくださいね、今生さん」
 路傍は地面に両掌を向ける。すると彼女の足元に、立ち所に布団が現れた。
「教室で先生が言ってたじゃないですか、中二病由来の力がなんか働いて妄想が形になるって。さっきのライブを見て自分にも出来ないかなと思って。で、試したら出来ちゃいました」
 俺たちは中庭に休憩にきた。俺はベンチに、路傍は布団に座る。
 どうやら生徒が共通して抱く妄想でなくとも現れるらしい。想像力が豊かな人間ほど有利なのはどんな場面でも同じだ。まず想像があって、実行に移す。それが湖甲高校では実行に移さなくても想像が表に出てくる。考えるばかりで実行に移さない、頭でっかちな中二病には優しい環境なのである。
「この力が使えるなら路傍は退屈せずに済むかもな」
「そうですね。退屈といったら、目標通り学校を見て回っていい感じに暇を潰せましたよね」
 学校にはさまざまな生徒がいた。生徒が別の知らない生徒と出会い、初日にして親睦を深めていた姿は印象的だった。
 例えば修学旅行中に、普段まったく絡みのない人と喋ってみると案外盛り上がったりする。テロリストが来ている状態がまさにそうで、非日常を共に乗り越える感じがして仲良くなりやすいのかもしれない。
「正気を保つのにも色々な方法があるんだと思い知らされて、俺はかなり満足してる」
「そうですよねぇ。正気でいるために色んな事をやって、その色んなことに没頭して、テロリストの妄想が薄れるうちに段々と現実に戻ってくるんでしょう」
 空はよく晴れている。路傍は布団の上に腰を下ろしたまま大きく伸びをした。俺たちはしばらく何も喋らなかった。黙って、時々吹きつけてくる風を鬱陶しく思っては顔をしかめていた。
「ねぇ今生さん」
「ん」
「布団でテロリストを倒す方法ってあると思います?」
「何て?」
「なんか飽きてきちゃったんですよ! 自分から校内を見て回るよう提案しておいて、ホントごめんなさい!」
 無理もない。教室を出てから体感三時間は経っていた。図書室と音楽室の他にも地下の倉庫から駐車場まで、見られる場所は大体見てきた。もう行く場所を探すほうが難しいし、色々見ている間は歩きっぱなしだったので大分疲れている。
 妄想が最後まで行って終わるか、俺たちが途中で妄想をやめるかすれば現実が再開される。路傍は無謀にもテロリストを倒して終幕を早めようとしている訳だ。
「え、布団しか出せないのか?」
「コツを掴めば色々できそうなんですけど、今は布団の出し方しか分かりません」
 俺は、路傍から学ぶだけでなく彼女にも学びを与えられる中二病でありたい。これは俺が路傍に見合ったソウルメイトで居続けるための試練なのだ。
 現実に戻るため無い知恵を絞る。
 俺は布団の出し方すら分からない。俺と路傍の貧弱な想像力を鑑みると、音楽室で韓国のガールズグループを召喚していた二人組は相当な手練れだったようだ。手練れの生徒たちが他に居るなら、俺たちが頑張るよりも他の人に頑張ってもらった方が早いだろう。
 他の人に頑張ってもらうといえば、教室にテロリストたちが入ってきた当初は、学校勤務の誰かが俺たちのためにテロリストに扮し、頑張って声を張ったりセリフを考えたりしてくれていたと思っていた。せめて楽観的だった状態に戻せれば何か突破口が
「あれ?」
「どうしました?」
「すごいこと思い付いてしまったかもしれない、俺」

 俺は放送室のボリュームフェーダーやらつまみやらを動かし、マイクに向かって喋る。
「えー、皆さんお待ちかね『のびのびタイム』が始まります。全校生徒は体育館に集合してください」
 喋っている間、路傍が後ろで声を抑えて笑っている。
「のびのびタイムって……何なんですか」
 涙を拭いながら彼女は聞いてくる。
 のびのびタイムとは不審者が出たことの隠語である。隠語は学校ごとに「大きな荷物が届きました」や「校長室の鍵をお持ちの先生は至急職員室までいらしてください」など様々だ。俺の中学校ではのびのびタイムだった。体育館に集合というのもブラフで、生徒は教室で待機するように教えられている。
「なるほど。今生さんはこれが避難訓練だったことにして、妄想を終わらせようというんですね」
「いや、これは避難訓練ではない。ただの避難指示だ」
 俺たちは男子生徒が撃たれた様子をしっかり見てしまった。テロリストが人を殺した妄想を無かったことにするのはもう無理だ。実は訓練だった、と主張したところで誰も信じないどころか、生徒たちは一層テロリストへの恐怖を募らせる。
 だから俺は避難指示を出した。避難すべき時に、まっとうに避難指示が出ているため皆受け入れる。
 しかし避難指示を聞いた生徒たちは、身を守るより先に、中学時代に三回やった避難訓練の記憶に思いを馳せるのである。
「実際俺が訓練だなんて言ってないのに、路傍は訓練だと思っただろ」
「思いました」
 生徒たちが一斉に避難訓練の思い出を振り返り、テロリストの妄想から気を逸らしてくれさえすれば上手く行くかもしれない。
 後は、俺が隠語を使って避難指示を出しているのが伝わるかどうか。賭けである。「のびのびタイム」という言葉の間抜けかつチープな印象で分かってほしい。
 俺は俺の中二病を信じているし、皆の中二病を信じている。私立湖甲高校の生徒が同じような中二病観で繋がれると信じている。
 路傍が駆け寄ってきてマイクの前に立ち
「ついでにボカロを流します」
 と脈絡なくアナウンスした。
「急にどうした」
「だって、音楽室にいた黒魔術ちゃん、私たちが『悪ノ娘』の話に食いつかなくてヘコんでたじゃないですか。彼女には、自分にも味方がいると感じてほしいんですよ」
 そういえばそんな出来事もあった。路傍は野宿趣味を持つ仲間に縁が無かった。そんな彼女だからこそできる気遣いといったところか。
 路傍の手のひらに二枚のCDが降って湧いた。妄想を形にする力をさっそく応用している。
「『ベノム』と『フォニィ』、どっちが良いと思いますか?」
 俺は強くベノムを薦めておいた。ボカロを流す、と宣言した後にフォニィをかけると「可不はVOCALOIDじゃなくてCeVIO AIだから!」と口煩く言ってくる人がいるかもしれないからである。
 スピーカーからイントロが流れ始める。
「よし、満足しました。さて今生さん、次は何が起こるんです? 今ワクワクしてるんです」
 事が上手く運べば、妄想は体育館で決着する。

 俺の計画はこうだ。生徒たちは現状に若干飽きていて、一斉に避難訓練の思い出に浸ってくれる。するとテロリスト集団の妄想は、一人の不審者役に変わる。
 俺は「全校生徒は体育館に集合してください」とアナウンスした。言葉を間に受けた不審者役がのこのこ体育館にやってくる。そこを二人で取り押さえ、訓練の終わりを宣言する。現実が帰ってくる。
「でもそれって訓練とはいえ、人間と戦って勝たないといけない訳ですよね。まったく自信ありません」
「それは俺もだ」
 中学時代文化部だった俺のフィジカルは弱い。が、武装したテロリストたちと戦うよりは遥かに勝算がある。
 訓練だから凄く手加減してくれる類の不審者役であるよう祈りながら、俺は重い防火扉を開けて体育館に入る。
 中には沢山の先客が居た。
 三十人ほどの生徒が、斧・曲剣・槌・鎌といった思い思いの武器を担ぎ待ち構えている。
「おい、教室で待機してろよ」
 俺は自分の避難指示が届かなかったと思い、ひどく焦った。
「アタシは分かったよ。『のびのびタイム』」
 人混みの奥から、やたら強そうな人物が現れる。女性だ。身長は2メートルを超え、全身が頑強な筋肉の鎧で覆われている。さながらゴーレムだった。ゴーレムの中でも女性的で美しいゴーレムだった。
「『のびのびタイム』ってのは、アタシたちが不審者を捻り潰す時間だろ?」
 話を聞いてみると、彼女らも不審者を取り終える役をやってみたくて集まったらしい。
 なんと頼もしい生徒たちだろうか。俺の中二病に賛同してくれる人がこんなに居るなんて。
 集まった中二病は多数派となり、正義側を自称し始める。そして正義の名のもとに躊躇いなく相手を攻撃する。行き過ぎた暴力も厭わない。それでこそ中二病なのである。
 俺たちは武器を取り、息を潜めて不審者を待った。
 しばらくして防火扉がゆっくり開き、光が差してくる。不審者役をやって下さっている方が体育館に恐る恐る入ってきた。
「全軍突撃!」
 俺たちは不審者役の方に、容赦なく一斉突撃をかけた。アドレナリンの分泌を感じながら、倒れた不審者役を何度も踏みつけた。正義に酔いしれるままに体を動かした。人生至上最大級の幸せを、俺は感じた。

    *

 入学してから一週間経った。
 テロリストの事があった後、俺たちはつつがなく現実に戻った。妄想の中で死んだ生徒も、初めて死んだわ、などと喜んでいたし、凄惨な事件の後も平然と授業に出られるくらい俺たちは強かった。ただし長い妄想に懲りたのか、一週間は至極平和に過ぎていった。
 校舎に入ってすぐ、長い廊下の壁一面に生徒の相関図が描かれている。
 今見てみると、入学初日はわずかな関係性しか書かれていなかったのが、一週間を経ていろいろ書き足されている。「友達」「ラクロス仲間」「緑虎の戦いにて共同戦線を張る」……という具合に、書き方の方向性はバラバラだ。
 俺は相関図を見て、初めはただ中二病なシステムだなぁと思うだけだった。しかし今考えれば中々に見事な仕組みである。
 というのは、例えば遠足や修学旅行のようなイベント中に仲良くなった人がいて、その人と後日会った際果たしてどう話しかければ良いのか、俺たちは分からなくなってしまう。
 テロリストから逃げている最中に仲良くなった生徒たちは、仲良くなったその日中に相関図に関係性を書き足し、揺るがない絆を結ぶことができた。湖甲高校は一体どこまで想定していたのだろうか。

 俺と路傍が所属する1年B組。一週間過ごしてみてどんなクラスメイトがいるのか徐々に分かってきた。クラスメイトの中でも特に印象深い者が二人いる。
 まず逆本鷹文(さかもとたかふみ)。初日「この距離なら、体術のほうが絶対に速い」と言ってテロリストに攻撃を仕掛けたものの、返り討ちに遭って命を落とした男子生徒である。当時のことを聞いてみると「いやなに、逆に行けると思ってね」と言っていた。
 中二病はなにかにつけて、あえて逆の行動を取る傾向がある。逆本はその立場をよりストイックに貫く人物といえるだろう。悪く言えば、逆張りするポイントに節操がない。
 もう一人は馬酔木弓(あしびゆみ)。身長が2メートル以上あるうえに筋骨隆々として、もはや動く岩のようになっている女性だ。入学初日、率先して不審者役の人物に攻撃を仕掛ける姿が目に焼き付いている。
 中二病の多くは自分のことを頭脳担当だと思いこんでいる節があり、筋トレとは無縁だ。いっぽう馬酔木は肉体を鍛えに鍛え、クラスの中でひときわ目を引く存在になっている。並の中二病とは違う。本当の意味で孤高であり、異端なのである。
 きっとあの体躯を手に入れるまでには途方もない努力があった。俺は中二病として、馬酔木が努力を経て手にした自分らしさに憧れている。彼女は中二病にとどまる器ではないと思うのだ。
 馬酔木がもはや中二病を超えているように感じているのは俺だけではなかった。
 最近、彼女は湖甲高校の特待生だったのに何らかの理由で一般入学してきたのではないかという噂が流れている。
 湖甲高校には1-Aから1-Fまでクラスがある。表向きにはそういうことになっている。本当は存在しない七組目があって、組には特に優秀な中二病が特待生として集まり裏で暗躍している……。そんな噂だ。
 実に中二病らしく馬鹿げた噂である。
「今生さんの後頭部を殴った犯人って実は、存在しない七組目の人なんじゃないですか?」
「それはないだろ、中二病じゃあるまいし」
 俺の目標は二つある。一つは学校生活を通して自分の中二病の練度を高めること。もう一つは、通学路で俺の後頭部を殴った人物を探し出し、殴り返すこと。
 俺と路傍は引き続き犯人探しに取り組んだけれど、一週間やって何も進展しなかった。

 授業が始まった。
 今回は「音楽を聴いて『あ、TikTokの曲じゃん』と言うのはアリかナシか」について、アリ派とナシ派に分かれてディベートをやるようだ。
 教師の指示通り、俺たちは二つの勢力に分かれる。見るからにナシ派が多かった。さすがは中二病。何をされたわけでもないのにTikTokユーザーへの憎しみが強い。
 ナシ派たちは思いついた順に意見を発表し、内容がホワイトボードに書かれる。彼らの意見はどれも似たり寄ったりで、主に「曲作りに関わった人々へのリスペクトに欠けており印象が悪い」「無断転載している立場で起源を主張するのは著作権意識に欠けており印象が悪い」の2点だった。
「いいや、僕はアリだと思うね」
 逆本は例によって人の少ない勢力に付いている。
 彼は「TikTokの曲じゃん」とは「TikTokを使っていたらよく聞く曲じゃん」という意味であると容易に想像がつく、と簡潔に言えばいいところを無駄に長ったらしく説明した。途中コチュジャンはビビンバの調味料、バジルはパスタの調味料、などと言っていた気がする。どういう文脈で調味料の話になったか全く思い出せない。
「もし『曲に関する権利や作曲した名誉などを全部TikTokが持ってるじゃん』という意味で取る人がいたなら、その人は中学校から国語の勉強をやり直したほうが良いだろうね」
 あと逆本は無闇に人を煽る癖がある。
 煽るせいで、アリ派もナシ派も発言が感情論めいてきてしまい凄く不毛になってきた。そんな中、一人の生徒がある提案をする。
「先生、ディベートなんかやっても身につくのは詭弁だけ。賛成派と反対派で争ったところで、賛成か反対かは人によるとしか言えないでしょう。賛成派同士で、なぜ賛成の立場を取るかを話し合って考えを深めたほうが余程建設的だわ。同じ目的を持った人同士の話し合い。私たちに必要なのはディベートではなく、ディスカッションなのよ」
 彼女は極めて無機質に喋った。大空洞(おおぞらうつろ)、理事長の娘らしい。
 教室がざわついた。大空がそれなりに筋の通った話をしたというのもあるだろう。だが一番は、俺たち全員が、彼女が喋っている場面を初めて見たからだ。
 結局大空の訴えは通って、授業内容は急遽変わった。
 俺たちは3〜4人の班に分かれ「中二病に優しい学校にするための提案」を班ごとに一つ決めて提出することとなった。机を寄せ合い島型のレイアウトにした後、くじを引いて席を移動する。

「よし……。やるか」
 と言ってはみたものの、何から始めれば良いのか俺には分からなかった。くじで班を決めた結果、俺の班には互いに全然絡んだ事のない四人が集まってしまった。そもそも俺は三人の名前さえあやふやなのだ。
 ただ話し合えば良いと思っていたのは甘かったようである。喋った事がない人同士の空気がここまで重いとは。路傍さえいれば多少はマシになっていただろうに。
「あの私……中二病柄、いろんな衣装に着替える事が多いんだけど」
 俺から見て左側に座る女子が、小さく手を挙げながら話し始める。
「もっと更衣室がたくさんあれば便利かもな〜……なんて思ったりするんだよね」
 彼女がそう言うと、右側の男子が続いて発言する。
「じゃあ、メイク道具を更衣室で貸し出してたらもっと便利だったり?」
 彼は一つ前の意見に乗っかって、さらに意見を重ねてきたようだ。さらに、正面に座っている女子が続いた。
「自分に合ったコスメを使いたい人はどうせ毎日持ってくると思うから、そうだなぁ。自分の道具とか衣装を置いておける専用のロッカーがあると一番良いかも」
 彼女が言い終わると、俺以外の三人は一斉に俺のほうを向いた。どういうことだろう。これは、今まで出た意見は全て決定ということで良いのだろうか。
「……じゃあ、巨大な姿見でも置くか? ダンススタジオにあるようなやつだ」
「オッケー、決まりね」
 かくして超スゴい更衣室が完成した。コスプレする類の中二病にはすこぶる優しいだろう。
 俺たちは持ち時間をたっぷり残したままディスカッションを終えた。残りは、結果をクラス全員に向けて軽くプレゼンする準備時間に当てる。
 ディスカッションのノウハウを何も知らなかった俺は知見を得た。最初に出た意見に全員で乗っかり続ければ、出るアイディアはより狭く、具体的になっていく。最速で結論を出すには適した方法かもしれない。
 プレゼンの準備も終えた俺たちは、悠々と残り時間を過ごした。

「よし……。やるか」
 俺はディスカッションに少しだけ前向きだった。なぜならくじで班を決めた結果、逆本鷹文・馬酔木弓(あしびゆみ)・俺の三人になったからである。かねてより興味を持っていた二人と喋る機会に恵まれ、授業に参加して良かったと、心から思った。
「おいちょっと待て。今時間が戻ったぞ」
 驚きすぎて声に出してしまった。
 俺たちは一度班に分かれて結論を出し終えたはずである。が、次の瞬間には班を決めるくじを引く段階に戻っており、戻った事実に途中まで全く気づかなかった。
「クソッ、昼飯が遠のいたか」
 馬酔木は硬く握りしめた拳を机に乗せている。
 今は四時間目、そろそろ空腹が耐え難くなってくる時間帯である。特に馬酔木は身長2メートルにして全身が頑強な筋肉の鎧で覆われているためエネルギーの代謝量が凄まじい。食欲も相応に高まっているのではないだろうか。
「一回多くディスカッションの場数を踏めるのだ。勉強になって、逆に良いと思うがね」
 逆本は平常運転だった。
 俺は中二病だから分かる。テロリストの時と同じで、俺たちは何らかの妄想の影響下にある。ふと路傍の顔が浮かび、後ろを振り返ろうとした。しかし首も腰も上手く回らない。
「アタシもいま食堂に行こうとしたけど足が思うように動かなかった」
「ン僕たちは、向かい合って喋ることだけは出来るようだ」
 教室中がこの異変の話題で持ちきりだった。一度目のディスカッションよりも全員が活発に言葉を交わしていた。
「なるほどねぇ。とにかくディスカッションに集中しろってんなら、とことんやってやるよ」
 馬酔木は肩甲骨をぐるぐる回し闘争心をあらわにしている。
 不穏な空気の中、二度目のディスカッションが始まった。
「ちなみに俺のところではさっき、コスプレ趣味の人たちに優しい更衣室を作る案がまとまったぞ」
 俺は一回目の反省を活かし、とにかく第一声を取りに行った。あとは二人が乗って来るのか来ないのか出方を見ればいい。
「更衣室だぁ? アタシならその辺で着替えるね」
 中二病に優しいとはいっても、全ての中二病が恩恵を受けられるような案は無いだろう。具体的なアイディアは狭い。狭いからアイディアに同意する人も限られる。
「更衣室を増やすかどうかは学校が決めることだ。生徒たちの一存ではどうにもなるまい。僕はもっと手軽に実現できる案にすべきだと思うね」
 逆本の言う通りだ。予算が潤沢にあり、気楽な感じで学校の許可が下りる前提なら何でもアリになってしまう。
「アタシは馬に乗って通学できたら最高だと思うんだよな」
「待て、君は僕の話を聞いていたかね」
「乗って通学は言い過ぎにしても、例えば魔女になりたい人が、学校でも黒猫と一緒に居られるような決まりがあればさ。中二病が捗るんじゃないの?」
 そういえば俺は学校でペットを見た事がない。動物の持ち込みを禁じる校則があるのだろうか。後で確認しておこう。
「そんなことを許しては学校中が獣の糞まみれになってしまうぞ」
 逆本は馬酔木の案に反対している。これでは賛成派と反対派で争い、ディベートに逆戻りしてしまう。
「ならアンタの案を出しな。それだけ反対するからには、かなりの名案があるんだよな?」
「僕はね……」
 馬酔木から途轍もない圧を感じる。逆本は首を捻って考え込んだ。
「フフ、何も思いつかない。僕はね、人の案を否定することはできても、自ら案を生み出す能力は無いんだ」
 逆本はそう言ってうなだれる。
 中二病はなにかにつけて、あえて逆の行動を取る傾向がある。逆本はその立場をよりストイックに貫く人物といえるだろう。
 流行っている物事にあえて触れなかったり、有名人の不倫をあえて擁護したり、メインストリームに逆らい続ければ自分らしさが簡単に手に入る。簡単であるがゆえに、浅いのである。
 だが俺は中二病なので知っている。中二病とは打てば響くタイプなのだ。
「俺はまあ、馬酔木の案はアリだと思う。糞は専用のホウキとチリトリで掃除してしまえばいい」
「おっ、今生もそう思うか。今度一緒に遠乗りでもどうだ?」
 馬に乗って、ということだろうか。彼女についてはまだ知らないことも多い。
「ホウキとチリトリだと……? そんな道具では不十分だ」
「何も困ることは無いだろ」
「いいか今生、君は間違っている。僕の家庭にはホウキもチリトリも無い。たぶん他の生徒の家もそうだ。そんなマイナーな道具を使うより、クイックルワイパー、粘着ローラー、ホコリを撫で取るフワッフワのやつ……などを使って学校を掃除するようにすれば、より実践的な経験が得られるはずだ。身近な道具の扱いに慣れる機会が生まれ、僕たちの生活力が上がるんだよ。僕は掃除用具代程度なら学費を値上げされたっていい」
 これである。少し論点をずらすように誘導し、逆本が絶対に思っていなそうな意見をぶつけてみる。すると逆本からも具体的なアイディアを引き出せる。ディスカッション力が着実に高まっている。充実感を覚えた。
「なるほど、上手くやったねぇ。アンタはなかなか見所がある」
 馬酔木は顔を綻ばせて俺を褒めてくれる。俺は中二病として、馬酔木が努力を経て手にした自分らしさに憧れている。憧れの人物に認められ、救われた気がした。
 調子に乗った俺は提案する。
「じゃあ、掃除用具を実生活に即した物にアップグレードして充実させた上で、学校に動物を出入りさせても良くすれば色々解決するんじゃないか? いい用具を使えば糞の始末もしやすくなるぞ」
 馬酔木は腕を組み、深く頷いている。我ながら妥当な落とし所だと思う。これは決まっただろう。
「待て、それとこれとは話が別だよ」
「おいこの野郎」
「だってクイックルワイパーの水気で糞がしっとりしたら嫌だろう。僕はそんなのごめんだね」
「じゃあクイックルワイパー使わなけりゃいい話だろうがよ」
 結局、話がまとまらないままディスカッションは終わってしまった。

 中二病的な妄想の力が働いて、俺たちはディスカッションを終えるたび、班を決める場面まで時間を戻される。その間俺たちはディスカッションに関する行動しか取れない。
 打開策を見出せぬまま、何度もくじでメンバーを変えてはディスカッションをやり直した。体感もう六時間目の終盤である。昼食を取れておらず、しかもずっと教室にいて景色が代わり映えしないため、テロリストの時よりも過酷かもしれない。
 ディスカッションの進み方は主に二種類だった。一つはメンバーが最初に出た意見に乗っかり続け最速で結論が出るパターン。もう一つは全く方向性の異なる複数の案が合流できず結局多数決で終わるパターン。
 これでも何となく話し合っている感じはあったものの、俺は一抹の違和感を拭えぬまま、ただ次のディスカッションに身を投じるのだった。

「あら、今生さんお久しぶりです」
 路傍と同じ班になった。俺は学校で生徒と馴れ合うつもりはない。ないのだが、路傍と会えて心が安らいでいる自分も居る。俺はソウルメイトとして感情をどう整理すればよいだろう。
 班には当然他のメンバーも居る。俺から見て左側に路傍が座っている。正面には大空洞(おおぞらうつろ)、理事長の娘にして、授業内容をディスカッションにするよう提案した張本人が居た。
 そして俺の右手にはスラブ系の、控えめに言っても美形な男。
「僕は夜神月(やがみらいと)です。君らとは全然喋ったことなかったね。もっと社交的にならないとなぁ」
 彼は確かに夜神月と名乗った。不朽の名作『デスノート』の主人公と全く同じ名前なのである。なりきるタイプの中二病にしてはロールプレイが甘い気がする。とはいえ、どれだけなりきり方が甘くとも『ソードアート・オンライン』の主人公キリトを名乗る人は絶えないので、ロールプレイの深さについては考えてはいけないのかもしれない。
「ん? もしかして夜神さんって有名人じゃないですか?」
 路傍は人差し指を顎に当て、目を丸くしている。
「思い出しました! 確かテレビ番組でやってたんですよ。デスノートが好きすぎて日本に帰化して、で、苗字を夜神にした人の番組が」
「ありゃ、恥ずかしいな。それ僕の父親が出てたやつだね」
 俺と路傍は雑談がてら、夜神のバックグラウンドを聞き出した。
 彼は日本に帰化したロシア人の二世だ。メディア研究に従事する両親は、デスノート好きが高じて日本に帰化した。外国人は帰化する際、自由に姓名を選ぶことができる。そこで二人はそれぞれ夜神総一郎と夜神幸子に改名。日本で産まれた息子に「月」と名付けたのである。
 一連の経緯はテレビ番組『激レアさんを連れてきた。』の「デスノートが好きすぎて日本に帰化し、息子の名前を夜神月にしちゃった人」の回に詳しい。公式サイトのバックナンバーを参照されたい。
「いやぁ、僕自身は中二病ではないんだけどね。両親と名前が中二病すぎて入学できちゃった感じかな」
 にこやかな表情で、彼はマイナンバーカードの表面を見せてくれる。氏名の欄には「夜神月」と書かれていた。本当に本名である事実を突きつける鉄板ネタで、初対面の人にも絶対にウケるのだという。実際俺は面白かった。ケイダッシュステージにかつて所属していた芸人、星飛雄馬と全く同じ笑いの取り方だったからである。
「本当にクラスには色んな人がいるんですね。私、夜神さんと同じ班になって、楽しく雑談できてよかったです」
「よせやい。まあね、楽しく雑談でもしていないとやってられないからね……」
 俺たちは楽しく喋ってはいたものの、俺は腹が減っていたし、路傍と夜神の顔にも疲労の色がうかがえた。
「それにしても、誰が何のためにしている妄想なんだ?」
 俺はぽつりと言ってみる。ねー、と力の抜けた相槌が二人から帰ってくる。
 ここまで一言も発していない大空と目が合った。
「私を疑うのね」
 大空はやはり無機質に喋る。綺麗な顔が能面のように固まって動かない。
「疑うわけじゃないけど……授業内容を変えるなんて大胆だな、と思ってね。本当に素敵な提案だったよ」
 夜神がすかさずフォローに入る。もしくはやんわり追い詰めようとしているのかもしれない。路傍は純粋に素敵な提案だったと思って頷いている。ソウルメイトなので彼女のことは分かるようになってきた。
「こんなのは私の本意じゃない。私たちのゴールは、話し合わないといけない場面に学校外で直面した時、授業で見つかった反省点を思い出しながら取り組む事。授業はあくまで通過点に過ぎないの。授業だけをやり続けるなんて茶番、私が起こすわけない」
 大空が俯くと、重めの前髪が彼女の双眸を隠した。
「茶番、ね。それに関しては僕も同意だよ。まったく、中二病の学級に完璧なチームワークを求めるのは諦めて、さっさと授業を終わらせてほしいよね」
「ちょっと待って。私は完璧にしろ、なんて思ってない。泥臭くてもいいから練習をすべきだと言っただけ」
「いやいや、君には言ってないよ。単なる……」
 夜神は大きくため息をつき黙り込んでしまう。大空の唇は固く結ばれ、微かに震えている。これからディスカッションをしようというのに雰囲気は最悪だった。
 沈黙を破ったのは路傍だ。
「というか私、今までずっと、チームワークが良くて充実してるディスカッションだなぁと思って授業に参加してたんですけど、あれって全部、夜神さんに言わせればダメな例だったということですか?」
 夜神は目を固くつぶって考えたのち答える。
「模範的なディスカッションなんて無いと思うよ。人の数だけディスカッションの形があっていいはずだよ」
 行くとしたらここだ。悪いが、一足先に中二病として一つ上のステージに上がらせてもらおう。俺は今ここに、解決編の幕開けを宣言する。
「夜神、お前は嘘を吐いている」
 三人が一斉にこちらを見る。
「お前、ディスカッションが始まって、いの一番に自己紹介をしただろ。入学初日に、自己紹介は一度済ませているにも関わらずだ」
 俺たちは入学初日、全員が軽く自己紹介をした。だから一度目のグループワークで、全然絡んだ事のない四人が集まった時、横着して互いの名前すら確認しなかったのだ。横着したせいで俺たちの空気は重かった。
 いっぽう夜神は、多少の不自然さを押して自己紹介をした。加えてその後の雑談を盛り上げ、俺たちが何でも意見しやすいような、ディスカッションにもってこいの雰囲気を整えてくれた。
 彼は模範的なディスカッションを知っていて、それに沿って自己紹介から始めたのである。
「……いや、僕たちあんまりお互いのこと知らないんだから。改めて自己紹介ぐらいするでしょ。しないなら、それは今生くんのコミュ力に問題があるだけじゃない?」
「うん、否定はせん。だが根拠ならまだあるぞ」
 路傍が自分達のディスカッションに手応えを感じていたように、普通は自分達がやっているディスカッションの良し悪しなど分からないものだ。俺でさえ騙されかけた。
 夜神は「中二病の学級に完璧なチームワークを求めるのは諦めて」と言っていた。彼の言葉から感じ取れるのは、粗末なディスカッション及び、ディスカッションを粗末たらしめるクラスメイトたちに対する不満。
 つまり夜神は、彼の参加したディスカッションが模範通りに進まないのを嘆いていたのである。
「あれは悪かったって。ちょっと中二病に絡めて上手いこと言いたかっただけなんだよ」
 夜神は困ったように頭を掻く。
「確かにもどかしい気持ちはあったよ? でも僕もバカじゃない。人には人のやり方があるのは知ってるし。僕はディスカッションのスペシャリストでも何でもないし。不満を抱いて良いような立場じゃないんだよ」
 見えた。この自己肯定感が低い割にプライドは妙に高そうな発言、メディア研究に従事する両親、私立湖甲高校に在籍しているのに自分は中二病じゃないと前置きした事……。それらから導き出される結論とは。
「お前、高校受験に失敗して仕方なくここに入学しただろ」
「何で急に刺してきたの」
「志望校に落ちて、上には上がいることを思い知らされた。お前の全能感は打ち砕かれたんだよ」
 夜神は静かに、俺の言葉を待っている。路傍は怪訝な面持ちで首を傾げ、人差し指を顎に当てている。
「夜神は理想的なディスカッションの形を知っていた。でも試行錯誤している俺たちにそれを教えたくなかったんだ。
 俺たちの上に立って教える立場になると、『勉強できるか否かのみが人間の価値であり、自分こそが人間の頂点だ』と思い込んでいた痛い過去を嫌でも思い出してしまうからな」
 俺が言い切ると、夜神は深呼吸した後くつくつと笑った。
「いや、負けたよ。今生くんはそんなことまで分かるんだね。良き理解者じゃん」
「分かるぞ。自分の中にいる自分みたいな存在が語りかけるんだよな。『ディスカッションの頂点から見れば、お前の理想なんて素人の試行錯誤と変わらねぇんだよ』って」
「そうそう。それプラス『何様のつもりだ、お前はディスカッションに興味あるかもしれんが、それを周囲の人に押し付けるな』つってね。あー痛い痛い」
 俺たちは肩を抱き合い、互いを慰めるようにしている。俺は夜神に滅茶苦茶言ってしまった分バランスを取らねばならない。
「えーっと、分かり合ってるところ悪いんですけど」
 路傍は不思議そうな表情で、全く悪気はなく水を差した。
「結局、模範的なディスカッションというのは、ある、という話でしたっけ?」
「違うが。夜神が実は心の底では理想のディスカッションと実際に行われたディスカッションとのギャップに納得いっておらず、無意識のうちに時間を戻して、何度もディスカッションの結果を無かったことにしていた、という話だが」
「え!? そうなんですか!?」
「そうなの!?」
 夜神本人が一番驚いていた。
「だって僕、中二病じゃないんだよ」
 俺たちの体の周りには、中二病由来の微弱な力が働いている。中二病が集まるこの学校では力が複雑に相互作用し、生徒たちの妄想を形にする。
 夜神は次のように言いたいのだろう。夜神月という名前が中二病だから入学できただけで、自分は中二病ではない。中二病ではないから自分の周りに力は働かないし、当然妄想も形にならない、と。
 しかし。
「私立湖甲高校はな、名前が中二病なだけで入学できるほどヤワじゃない。お前もれっきとした中二病なんだよ」
 彼はいやいや、と首を振る。
 俺は続ける。
「だから大空は悪くない。まあ別に夜神も悪くないけど」
 大空は顔を上げた。表情が固くて読めないが、少なくとも敵意は感じない。
「なーんだ」
 路傍が温かくほほえむ。
「要するに夜神さんは私たちのレベルに合わせて手を抜いて、物足りないのを我慢してくれてたんですね? 中二病のくせに、空気を読みましたね?」
 若干違うような気もするけども、大意は合っているだろう。
「駄目ですよ、中二病が空気を読んじゃ。何事も『私最強!』と思いこんでやってみないと」
「その通り。実際、少なくともこの場ではお前最強なんだから。俺はちゃんとディスカッションに興味あるし。夜神が物知り顔でディスカッションの理想形を説いたとしても、押し付けがましいとか。おこがましいとか。誰も思いやしない」
 夜神は渋い表情を浮かべ腕を組んでいる。しばらくして彼は覚悟を決めたようだ。
「分かった。僕が納得いくようなディスカッションをやって、今度こそ授業を終わらせよう」

 俺たちは自己紹介・雑談に持ち時間の大半を使ってしまった。急ピッチで事を進めなければならない。
 改めて、テーマは「中二病に優しい学校にするための提案」である。
「まず僕はテーマがちょっと抽象的だと思うんだ。一回どんな中二病に、どんな優しさを掛けるか大まかに決めよう」
 なるほど、中二病に優しいとはいっても、全ての中二病が恩恵を受けられるような案は無い。具体的なアイディアは狭い。狭いからアイディアに同意する人も限られる。だからこそ最初にテーマの方を狭くして、意見交換のまとまりを良くしようという訳だ。
「アイディアの良し悪しは一旦無しで。とにかくスピード勝負。僕が言い終わったら、こう、反時計回りで次の人が考えを言っていく感じで頼む」
 こう、と言う際に、彼は奥から手前に腕を大きく回した。つまり夜神・大空・路傍・今生の順に発言権が回ってくるようだ。
「僕はやっぱり、さっき今生くんが僕を分かってくれて嬉しかったから、周囲から浮きがちな人がストレスを感じずに素を出していけるようなのが良いかなぁ」
 夜神は右隣の大空に、目線で発言を促した。
「私は……」
 彼女はうつむきがちに目を伏せ、黙り込んでしまう。
 大空は授業の序盤、ディベートよりもディスカッションをすべきだと明快に、冷徹に、澱みなく主張したはずである。今の彼女は、序盤の大空と同一人物とはとても思えなかった。
「大空さん頼むよ。偉大な研究はね、全く異なる複数のアイディアがぶつかり合った末に生まれるの。今は、一つでも多く何か言ってほしいんだよ」
 夜神は秘めたる中二病を解放し、ついに「偉大な研究」などと言い出した。
 やる気のないように見える人に対して、やる気がある方が偉いのだという価値観をしつこく押し付ける。この暴力性。これこそが中二病のあるべき姿だった。
 大空はやはり無表情で固まっているものの、肩を震わせているのは分かった。不味いかもしれない。夜神の中二病が強すぎて、大空のキャラが押し負けている。
 大空が萎縮してしまうと、委縮させた罪悪感で夜神まで萎縮してしまうだろう。どうにか俺が舵を取りたい。
「大空はアレだ、専業のタイムキーパーやってくれよ。前提決めに時間をかけすぎるとディスカッション・プレゼンの準備の時間が足りなくなるから。ヤバそうな時に俺たちに知らせてほしい」
「うーん。今生くん良いね! 僕嬉しいよ。大空さん、やってくれる?」
 彼女はこくりと頷いた。確認が取れるやいなや路傍が喋りはじめる。
「じゃあ私ですね。私は中二病の種類が違う人どうしでも、気軽に仲良くなれる仕組みがあれば優しいかなぁと思います」
 路傍らしい考えだと思った。彼女は入学初日に音楽室で、タイプの違う生徒どうしが心を通わす瞬間を目の当たりにしている。俺と路傍だって、中二病という接点のみでソウルメイトになっている。
「なるほどね。ジャンルを越境して、ってことね。すごく良いよ」
 夜神の合いの手がある。
「俺は、一階にあるあの相関図、アレは生徒が仲間を探しやすくて優しいと思う。だから、相関図にさらに沢山の関係性を書き込めるような仕組みが必要だと感じる」
「なるほど、確かにあの図はなんというか、稼いだ好感度をセーブしておけるみたいで良いよね」
 今気づいたが、夜神はメンバーの意見を一度自分の言葉で繰り返し、認識を擦り合わせてくれている。これもディスカッションのテクニックなのだろうか。
「ここまで三つのアイディアが出たけどさ、なんか『そこまで社交的じゃない人でも友達を作りやすい仕組み』という点は共通してそうだね?」
 路傍と俺は頷く。
「じゃあそれに絞って、ここからは具体的な仕組みを考えていこうか」
「ちなみに一分経ってるわ」
 大空が時間を教えてくれる。俺たちはすぐさま両親指を立て「ナイス」「最高」「大統領」などと称賛する。雰囲気は良いような気がする。
「で、具体的な案だけど、僕は生徒各々の好きなYouTubeチャンネルや視聴履歴などが一目で分かれば、話のネタになりやすいと思うんだよね」
 夜神の考えはこうだ。俺たちはもれなくYouTubeを利用している。相手が自分と同じチャンネルや動画が好きと分かれば、仲良くなるきっかけを作りやすい。相手が自分の知らないチャンネルや動画が好きだったとしても、俺たちはYouTube全体に興味を持っているため知らない動画は一度見てみようと考える。一度見たのをきっかけに話題が繋がっていく。
 だから、好きなYouTubeチャンネル・直近で見た動画が書かれた名札を付けよう、と彼は言う。名札は正直どうかと思った。しかし今はとにかく雑多なアイディアを膨らませていきたい場面。否定的な発言はやめておこう。
「私は学校の皆さんに、まずは妄想を出し合ってみるようにオススメしたいです」
 路傍は再び、音楽室でタイプの違う生徒どうしが心を通わせた例を挙げて説明した。
 マニ車の女と黒魔術の女。とくに黒魔術の方はどもる癖があって、二人はろくに会話をしなかった。それにも関わらず、妄想の力でガールズグループを召喚して最終的には打ち解けていた。
 会話が苦手なら、かわりに妄想を出し合ってみれば良いのではないか。そういう趣旨の話を路傍はしていた。
「そうだね。身振り手振り、表情、声帯の動き。僕たちは肉体を使ってコミュニケーションを取る。だけど、心と心で繋がるためには肉体が邪魔だと思うこともあるよね。その点、妄想の出し合いは心同士直接の触れ合いとも言えるから、会話が苦手な中二病に最適化されたコミュニケーションの形かもしれないね」
 そこまでは言っていないと思う。
「俺は、あの全体相関図がすごく良いんだから、クラスの人間関係だけをまとめた相関図をクラスに一枚用意すれば良いと思う」
「……それ凄くいいな。なんで思いつかなかったんだろう」
 夜神は唸った。俺の考えがお気に召したようで何よりである。
「みんなありがとう。ここまで三つの異なる案が出た。『好きなYouTubeチャンネルや視聴履歴などが一目で分かる仕組み』『会話するより、まずは妄想を出し合ってみるコミュニケーション』『クラスに一枚、相関図』、で合ってるよね?」
「うーん。どれも捨てがたいアイディアですねぇ」
「そう、どれも捨てがたい。だから今から、三つの案の良い所を一つにまとめちゃおう」
 彼は先ほど「偉大な研究はね、全く異なる複数のアイディアがぶつかり合った末に生まれる」と言っていた。夜神が考える理想的なディスカッションの最終工程。俺は彼に付いて行っただけなのに、楽しくて何でも出来る気になっていた。
「そろそろ時間」
 大空もよくタイムキープしてくれた。俺たちが夜神を中心に、全員で出した結論は次の通りである。
 相関図はクラスに一枚あった方がよいとして、新しく、クラスメイトたちが好きなYouTubeチャンネルを表す勢力図(随時書き換え可)を作る。図を見て、打ち解けられそうな人に当たりを付けておく。親睦を深めるチャンスが来たら、話しかけるよりも、とにかく妄想を出し合ってみる。
 中二病にスゴく最適化されたコミュニケーション方法の提案である。
「……できた」
 俺たちは疲労困憊だったが、大きな達成感に浸ってもいた。
「こういうディスカッションがしたかったんだよ、僕は」
「やれやれ。お前のやり方に付いていけるメンバーが班に揃っててよかった」
「ですね。多分これ、何やってるか分からない人も結構いますよ」
 夜神は頭を掻いて言う。
「じゃあ気の合うメンバーを引き当てたのが勝因ってこと? 身も蓋もないこと言うなぁ」
「だからこそ、今日できた友達を大切にしようね、っていう話ですよね」
 長く続いたディスカッションを、路傍はそのように締め括った。
 俺は友達とは認めない。単なるソウルメイトだ。
 
 結局発表も終わり、俺たちは現実に戻った。
 その後、一生分の会話をしたというクラスメイトたちが後を立たず、教室は三日間静かだった。
 
    *
 
 夏になった。夜更かしすると寝るより先に蝉が鳴き始め、眠りそこねてしまう季節である。
 ディスカッション以降の三ヶ月弱、俺は主に路傍・逆本・馬酔木・夜神の四人と喋っていたような気がする。たいてい逆本は否定から入るので、話題をコントロールするのには骨が折れる。馬酔木とはNetflixで見られる映像を薦め合って、適当な時に感想を言い合うようになった。夜神とはニコニコ動画の話をしながら、証を持った色違いポケモン探しを二人で並走したりしている。
 ディスカッションがきっかけで始まった関わりが、なんだかんだ続いてしまった。それだけあの出来事は印象的で、ディスカッションのことは相関図に書き込んだため、俺たちの関係はフェードアウトしていかなかった。
 ディスカッションで関わった人物はもう一人居る。理事長の娘にして、最後にタイムキーパーをやってくれた大空洞(おおぞらうつろ)。彼女とはあれ以降喋らなかった。喋りはしないが、目の前に居たらつい顔を見てしまう程度の関係ではある。
 本来は毎日をのうのうと過ごしている場合ではないのだ。俺の目標は二つある。一つは学校生活を通して自分の中二病の練度を高めること。もう一つは、通学路で俺の後頭部を殴った人物を探し出し、殴り返すこと。
 相変わらず路傍とともに、俺の後頭部を殴った人物探しに勤しんだ。しかし最近は、犯人を探すという名目で集まるものの実際には犯人を探さず、かわりに馬酔木に薦められたNetflix上の映像作品を路傍とふたりで消化するようになってしまっている。
 いかんせん手がかりが無いのである。
 あるとすれば、路傍が見たという犯人らしき人の横顔だ。横顔を頼りに、廊下の相関図に犯人の顔写真がないか探しても見つからなかった。
 またクラスの間では、存在しない七組目の噂が流れている。表向きにはクラスは1-Aから1-Fまでだが、本当は存在しない七組目があって、組には特に優秀な中二病が特待生として集まり裏で暗躍している、などという馬鹿げた噂だ。路傍は冗談めかして、犯人は存在しない七組目にいるから見つからないのではないかと言ってもいた。
 特待生のオファーが来ていた疑惑のある馬酔木に、俺は噂について聞いてみた。曰く、特待生の制度は本当にあるらしい。
 特待生は学費を全額免除される上に、未来永劫、安定した暮らしを学校に約束してもらえる。対価として特待生はしばらく、中二病の力を使って学校のために働くのだという。
 彼女は特待生のオファーを断って一般入学してきた。「アタシは学校のため、なんて性に合わないのさ」と言っていた。
 話が散らかってきたので戻すと、特待生の制度自体はある。しかし、特待生の集められた幻の七組目が存在するかはよく分からなかった。
 
 一向に犯人を見つけられず、俺はこんなことで良いのかと繰り返し自問自答する。自問自答に気を取られ、しばしば現実が疎かになる。
 クラスメイトたちが六時間目に備えて別棟に移動した後も、俺は一人、1-Bの教室でぼんやり座っていた。教室の電気は消えている。時折陽が射してきて、机の影が動いて、俺は動きを目で追った。
「今生君」
 冷たい感じの女声が聞こえて振り向くと大空がいる。彼女の声を聞くのはディスカッション以来だ。話しかけられる心当たりもない。さすがに俺を気遣って呼びに来た訳ではないだろう。気遣う力があれば、大空は普段多くの仲間たちとつるんでいるはずである。
「今井君、人を探しているようね」
 彼女は意味ありげに言う。そもそも大空には何をやらせても意味ありげになってしまうのだ。重めの前髪、低い位置でのポニーテール、クールなまま崩れない表情などの特徴が、やや知的な印象を見る者に与える。
「もしかして、何か知ってるのか」
 俺の後頭部を殴った人物を見つけたいあまり、藁にもすがる思いで俺は尋ねた。大空は、どうとも取れる無表情のまま俺を見ている。
「少し歩きましょうか」
 沈黙の後、大空はそう言って教室を出た。俺は言われるがまま付いていく。
 
 俺たちはグラウンドのある方へ歩いていたはずが、校舎を出ると、どういうわけか知らない街に出た。当然俺は驚いて、一瞬足を止めてしまう。大空は俺に構わず進んだ。こうなることを事前に知っていたかのように、道の先だけ見据えて歩いていく。
 俺はこの街が、全て彼女の大規模な妄想なのではないかと思い始めた。大空は理事長の娘。理事長なら学校経営で懐が潤っているはずなので、娘である彼女もまた、金に物を言わせた都市開発を容易に想像できるのかもしれない。
「今生君は、普段路傍さんや馬酔木さんとどんな話をするのかしら」
 前を向いたまま彼女が聞いてくる。
「色んな話するけど、強いていうなら映画の感想を言い合ったりしてるな。Netflixがもう便利で」
 俺はつとめて社交的に答えた。路傍と共に過ごして少しは女子に慣れたつもりだ。
 湖甲高校で過ごしてきて、不器用にも人と仲良くなろうとする生徒たちを沢山見てきた。きっかけを掴み、話しかけてみるのには相当な勇気が要る。勇気を称え、俺は大空をもてなすつもりでいるのだ。
「ふぅん、そう……」
 予想に反して会話は繋がらなかった。彼女に喋らせるには絶好のパスだと思ったのに。まさかNetflix・Amazonプライム・U-NEXT・Disney+のどれにも加入していないという事はないだろう。理事長の娘でありながら。
 もしかすると映画に限定したのが悪かったのだろうか。大空はVODでアニメしか見ない可能性もある。
「そっちは人とどんな話をするんだ?」
 俺は混乱に混乱を重ね、あまりに漠然とした質問をしてしまった。まず大空には友達がいるのか分からないし家族仲も知らない。だから「友達と」「クラスメイトと」「ご両親と」などと言えず「人と」と言ってしまった。
 オープンすぎる質問は、信頼関係の無い相手からはまともな返事が返ってこない場合がある。
 とはいえ彼女が先に、俺が普段人と何について話すか尋ねてきた訳なので、逆に普段人と何について話すかを、俺が大空に尋ねるのは道理だとも思う。せっかく映画の感想の話をしたのに、そこから話を一切広げなかった大空も大空である。
「……」
 彼女はそれきり何も喋らなくなってしまった。俺の方も自信を無くして黙ってしまう。
 一体何がいけなかったのだろうか。路傍をはじめとするクラスメイトたちと話してきて、自分は割と会話できる方だと自負していた。今思えば、俺が気持ちよく話せるように路傍が誘導してくれていただけかもしれない。
 俺たちはただ街を歩いた。
 この街は、建物の色に統一感がある。基本的には無彩色で、時々くすんだ赤・茶・黄色もある。ときどき現れる木目調の建物は、落ち着いた街の雰囲気に溶け込んで見えた。景観には気を遣っているようだ。
 通ってきた道には劇場、寺社仏閣、美術館、いい感じの喫茶店などが入り乱れていた。二階部分だけガラス張りの建物もある。そこかしこに、開催中の日本画展のタペストリー広告がぶらさげられている。
 なんとなく街全体が中二病なのである。見た目にこだわり、芸術を愛している雰囲気を自らアピールしている。
 中二病の街ゆく人も中二病。髪全体が明るいカラーヘアになっている人の多いこと。彼らの半分は現代的な服を着ている。シンプルに見えても配色で飽きさせない工夫が窺える。もう半分は和服を着ている。伝統と革新の極端な二択。神社の真向いの美術館で現代アート展が催されているこの街にはピッタリだ。
 道が広い。歩く人は、一様に肩で風を切るように中二病歩きをしている。彼らの堂々たる姿勢が横幅をとるので、それに合わせて道も広くなっていったのではないだろうか。
「ここで休憩しましょう」
 大空は立ち止まり豪奢なホテルを指差す。ホテルで休憩、と聞いて動揺する俺ではない。ホテルの一階にも喫茶店があり、そこに行くつもりかと、確認する間もなく彼女はエントランスに向かっていく。俺は付いていく他なかった。

 豪奢なホテルの、豪奢な喫茶店だ。
 天井はべらぼうに高く、巨匠の彫刻作品みたいな照明がついている。大理石のフロアは広々として、空間がフラワーアレンジメントと油絵で彩られている。黒いソファーに深く腰掛けると、まるで自分が美術品になって展示されているようだった。
「少し歩きましょうか、と言った後本当に歩くだけの奴があるか」
 俺はツッコむべき要素にようやく触れた。
「こういうのって、歩きながら大空が、俺の後頭部を殴った犯人について教えてくれる物じゃないのかよ」
「あなたがそう思うのならそうなのでしょうね。あなたの中ではね」
 大空はアイスカフェオレを一口飲む。
「でもね、社会とは人々が見ている集団幻覚に過ぎないの。あるのは個人と個人だけ。ゆめゆめ忘れないことね」
 宇宙の果てみたいに黒いテーブルに、彼女は目を落とした。
 彼女はこういう人物なのだ。ある人はこう考えているみたいな話を、すぐ社会全体がどうだという話に持っていく。加えて、自分と異なる考えに触れた時「まあまあそういう人もいるよね」で済ませばいいところを「自分が見ている物こそ真実。みんなは目を覚ました方がいい」のような論調で反発する傾向にある。
 大空の世界に他者はない。きっと彼女は自分が正しいと思っていて、社会も正しくあるべきだと思っている。大空の考える理想の社会は、大空みたいな人で埋め尽くされた社会、つまり大空そのものなのだろう。彼女にとっては個人も社会も同じだ。だから個人の話がすぐ社会全体の話に飛ぶ訳である。
 もちろん実際は違う。理想と現実とのギャップに苦しみ、大空は自己防衛的に、どんどん内向的になり、結果孤立していた。社会が集団幻覚で、あるのは個人と個人だけという彼女の認識は、紛れもなく大空にとってのリアルではあるのだろう。
 というか、そういう話ではない。俺はただ大空に、自分の後頭部を殴った犯人の手掛かりについて早く教えてくれ、と頼んでいるだけなのだ。だのに彼女は社会に向けて取るに足らない愚痴ばかり垂れ、一向に本題に入らない。
 今分かった。大空は喋るのが苦手というよりは、人の話を全く聞いていないのである。
 料理が運ばれてきた。
 高度にデザインされた器に、みずみずしい漬物が美しく盛られている。
 俺たちは街に流れる中二病な空気に呑まれ、つい美食家ぶって漬物など頼んでしまった。なんとなく音を鳴らさないように柴漬けを噛む。どう足掻いても音が鳴ると分かり、途中からは諦めてぽりぽりした。
 俺たちはほぼ無言だったため、アイスカフェオレとライチスカッシュは凄い速さで無くなった。
 
 美術館に来た。俺は大空には話が通じないと分かり、彼女がどこへ向かおうと、なぜ向かうかを聞かずに付いて行くことにしたのである。
 著名な画家の展覧会が催されていた。多くの作品が年代順に並べられ、作風の変化を追えるようになっている。作風の変化は、描かれた当時に根付いていた価値観の推移でもある。いわば時代特有の空気感というか、そういうものを漠然と感じつつ、俺は展覧会を楽しんでいた。
「茶番ね」
 大空は冷徹に言い放つ。
「私からすれば解説パネルを読んでいる方が面白いわ」
 解説パネルとはつまり、展覧会の要旨や作者の生い立ちなどが書かれたあのパネルである。
「芸術家は様々な興味深い体験をしてきている。なら彼らが体験した出来事や感じたことを、そのまま人に言うなり書くなりすればいいの。わざわざ経験を絵に変換するなんて無駄。作者は自身の体験を絵に込める。込められた要素を余すことなく回収できるよう、鑑賞する側は美術史・表現技法・歴史的な時代背景などを勉強している。ただ経験自体を話せば良いだけなのに、絵を経由するだけで手間が幾つも増えた。いたずらに手間だけ掛かっているのに、人々はこのシステムに疑問を持とうともしないわ」
 その手間を楽しむのが肝であると俺は思っている。
 当然合う・合わないはあるだろう。大空には芸術は合わなかった。単に合わなかっただけなのに、彼女は芸術が間違っていると主張するのである。
 じゃあ何で来たんだよ、とは言わなかった。
 
 神社に来た。
 中央の本殿に連なるように建物が横長に続き、両端には見事な楼閣がそびえている。敷地が広く、本殿までは遠い。俺たちは神聖そうな白い砂利に足を取られながら、そこそこの距離をえっちらおっちら歩かねばならなかった。
「今生君、この間は……」
 大空が話しかけてきた。彼女は左手で右手を弄びながら、斜め下に目線を遣っている。
「この間はありがとう」
 俺は耳を疑った。ありがとう、なんて、大空が言わなそうな台詞ランキングがあれば上位常連だろう。突然のことで何と返して良いか分からず立ち尽くした。
「あの……ディスカッションの時、私は悪くないと言ってくれて。タイムキーパーの仕事を振ってくれて」
 大空は相変わらず表情に乏しく、声の抑揚も乏しかったが、何やら目力がいつもより強い気がする。
「あれは俺が自分の中二病を磨くためにやったことだから。感謝されるような事はしてない」
「……そうよね、中二病だものね」
 彼女の口角がわずかに上がった。
「だけど私も中二病だから。私自身のために、この感謝を声にのせて表現したいの」
 俺はなんだか大空が気の毒で仕方がなくなってきた。
 彼女は決して、わざと人の神経を逆撫でするような言動を取っている訳ではないだろう。人並みに感謝の気持ちもある。彼女もまた不器用ながら頑張ってコミュニケーションを取ろうとしているのだ。ただちょっと思い込みが激しく、ちょっと人の話を聞かないだけなのである。
 正直、俺も含め中二病は、全ての人が中二病であれば世界はもっと生きやすいのに、と常々思っている。自分の理想と違う社会を目の当たりにして、勝手に被害者意識を抱いて、勝手に孤立していく。その結果として中二病を発症する人もいれば、中二病のせいで被害者意識がさらに加速する人もいる。
 そう考えると、人の話を聞かなさ加減においては俺も大空も大差ないのである。しかし、なぜか大空だけが妙に生きづらそうにしていて、俺は辛くなった。辛くなると同時に、大空の問題が俺自身の問題にも思えて愛おしさすら感じた。
 
 夕立だ。
 参拝を済ませ境内を出ようとしているところに突然の土砂降り。傘を持っておらず、俺たちは夢中で走った。途中で道を逸れてしまったのか、どんどん山道に入って行ってしまう。
 俺たちはやっとの思いで屋根のあるバス停に避難した。山奥の寂れたバス停だ。時刻表を見るとバスは二時間に一本あるかないかで、午後五時以降は本数ゼロだった。
 大空は、中二病的な妄想の力でバスタオルを出してくれる。俺たちは互いに体を拭いて
「ん? だったらさっき……」
 俺は、雨が降ってきたタイミングで傘を出してほしかったと言いかけて、やめた。
 言ってしまうと、彼女にとっては攻撃されているように聞こえてしまうだろう。中二病だからできる気遣いである。俺はこれを路傍から学んだ。
「風情があって良いな」
 盛んに茂る木々の葉をかいくぐり、時々落ちてくる雨粒がバス停のトタン屋根を打つ。道路は無秩序にできた波紋でいっぱいだった。
 大空は俺の隣でおとなしく座っている。言葉は要らない。言葉があっても、二人とも互いの話を聞かないからだ。あるのは関わりのない個人と個人。関わりがなくとも、同じ場所で同じ時を過ごしている。
 そうして、俺が少しでも大空の生きづらさを和らげてやれたら。
「しないの?」
 大空が冷たく聞いてくる。
「え、何を?」
「性行為」
「何て?」
 やはり無理かもしれない。彼女はすごくヘンだ。手に負えない。
 大空は、どこから出したのかローションを適量指先に取り、手を下着のさらに下に滑り込ませた。見えないが、おそらく馴染ませている。
 彼女は立ち上がり、トタン板の壁に上半身をゆっくり預けた。こちらに尻を向けた体勢のまま振り向くと、例によって涼しげな無表情で、極めて無機質に言う。
「今生君。男女が寂れたバス停で雨宿りしているなら、遅かれ早かれしっとりした雰囲気でことが始まると相場が決まっているの。それに、男女が行き着く先は結局これ。いわゆる駆け引きなんて茶番は飛ばして、好きなように犯せばいいわ」
 そういう漫画の読み過ぎだろう。
 大空は美術館で、芸術家が自らの経験を伝えるために作品を作る営みを「茶番」と評した。そして今、男女が結ばれるために互いを知っていく過程を「茶番」と評している。
 彼女にとって、ありとあらゆる結果に至るまでの過程が「茶番」であり、彼女の理想と相容れない物なのだ。
 そう考えると、口数が少ない事、表情や声の抑揚が乏しい事、喋る機会があったとしても全然話が通じない事、全てに得心がいく。大空はコミュニケーションを、分かり合うまでの過程と認識して怠っているのだ。
 大空は花柄レースのあしらわれた下着を今にも下ろそうとしている。
 佳境を迎えているのに、俺の頭にあるのは大空を、ただ理解したい気持ちだった。
 雨が降り続いている。
「ストーップ! 不純異性交遊ですよ!」
 凄く聞き覚えのある声が近づいてくる。路傍だ。
「ふう、危ないところでした」
 彼女は走ってきたのか息を切らしている。
「何でここに?」
「それは……ソウルメイトだからに決まってます。ソウルメイトが間違いを起こしそうなら止める。それがソウルメイトの務めですから」
 路傍は次のようなことを説明した。
 他に愛してくれる人がいないから、中二病は自分で自分を過剰に愛す。本当は愛してくれる誰かが必要なのだ。愛に飢えた中二病同士は引き合い、しばしば恋愛関係に発展する。
 入学から三ヶ月、クラスメイトたちの特徴がようやく分かってきて、生徒たちには恋愛感情を抱く余裕が出てきた。するとデートコースに居るような妄想が学校のあちこちに現れるのだという。
「学校中に流れる思春期真っ盛りみたいな雰囲気に流されて、お二人は一線を越えてしまう所だったんですよ」
 路傍はバスタオルで髪をわしゃわしゃ拭いて、前髪を作り、ヘアピンを付けなおす。
「私が来なければ危なかったですよ。良かったですね、お二人が間違いを起こさずに済んで」
「さっきから間違い間違いって。あなたも私が間違っているというのね」
 大空の両手には力がこもっている。
 大空は自分だけが正しいと思い込んでいる。だから間違いという言葉に敏感に反応したのだ。
「ええ間違っていますとも。正しい工程を経ずに起こった恋愛感情なんて、それこそ中二病の妄想ですよ」
「正しい工程って何」
「えっと……気になる人と一緒に、Netflixで飽きるほど映画を見るとか?」
 一帯の湿度がぐっと上がったような気がした。この重苦しい空気は一体何だろう。
「正しさなんて人それぞれ。自分だけの正しさを持ち出して他を否定するなんて、あまりにも独善的」
「それを大空さんが言いますか。私にはあなたの頭に特大のブーメランが刺さっているように見えますけど」
 大空の薄い唇が震える。
 路傍は俺が見た中で最もシリアスな表情を浮かべていた。普段なら彼女は、初めて見るおもちゃに触れる子どものような、喜びと驚きと好奇心を感じさせる面持ちで居る。落差によって、真面目な顔の路傍からは、ただならぬ雰囲気が放たれていた。
「だいたい、大空さんはディベートがあってから三ヶ月、今生さんとは一言も喋らずに過ごしたんです。それを今日ちょっと喋っただけで関係を築こうとしたってそうはいきませんからね」
 路傍は俺を見る。
「今生さんも、中二病ならストレートに、包み隠さず言ってやって下さいよ。大空さんが面倒臭がって、面倒臭いのを『茶番』なんて大層な言葉を使って正当化して、そうやって避けてきた今生さんとのコミュニケーションこそが恋愛だったんだ、って」
 そんなことは、口が裂けても言えなかった。路傍は正しいと思う。しかし街歩き、喫茶店、美術館、神社……と大空なりにデートプランを練ってくれて、不器用ながらも俺をもてなそうとしてくれて、俺を誘うのにも相当な勇気が要ったのは痛いほど分かって、言えなかった。
「……中二病には人を愛し、愛される資格すら無いのね。何? 中二病の本分は孤独を貫き自分の世界観を磨くことだから、それだけに集中しろと、そういう事なのね」
 大空の被害者意識は、転がり出すともう止まらない。路傍が言っていない事まで言った事になっている。
「感情なんて、とうに枯れたと思ってた。でもこれは……あまりにも……」
 大空の目から滾々と、大粒の涙があふれてくる。
 感情を抑えて生きている人は、普通の人よりも自らの感情と向き合う時間が少なくなる。そのため、かえって感情のコントロールが効きにくくなってしまうのである。感情が暴走すると、バイアスがかかり物事を正しく認識できなくなる恐れがある。クールなキャラに憧れる中二病の皆様、十分に注意してクールを気取ってほしい。
 大空は能面のように固まった顔のまま涙を流している。泣く彼女を、路傍は冷めた目で見ている。雨音と、大空の啜り泣く声だけがしばらく聞こえていた。
 中二病は空気を読まない。俺はここまでの出来事を全て無視して、二人に提案する。
「ちょっと、俺たち以外がどんな恋愛をしているか見に行ってみないか?」
 
 俺たちは連れ立って市街地を目指した。
 街の中心を流れる川沿いに、カップルが等間隔に並んで座っている。中二病のパーソナルスペースは広い。等間隔とは言っても必要以上の等間隔である。
 三人で、中二病カップルを色々見た感想を言い合いながら歩く。
 彼らは頑なにペアルックにはしないようだ。服は自分らしさを出すのには重要な要素であるから、パートナーと服装が被ってはいけないのである。着ている服の系統がバラバラでも雰囲気は良い。
 また、隣り合って座っているのにメッセージアプリで会話をする二人がいた。画像を送り合うコミュニケーションが取れるのは、メッセージアプリの良い所だろう。
 一人がひたすら喋って一人が読書をしているカップルもいた。喋る側は、たとえ相手が読書をしている最中でも自分の話は聞いてくれているだろう、という根拠のない自信に満ち溢れていた。読書している側は、デート中でも読書をしてしまう自分がカッコいいと思っているようだった。結果、うまく噛み合っている。
「うーん。総合的に見ると結構いい雰囲気ですね」
「そうだな。互いのリズム? を尊重して、束縛する事もなく、のびのび恋愛してるな」
「中二病は孤独を好む。定番の場所である川沿いから、敢えて離れるカップルもいるはず」
 俺たちは街中をめぐり、より中二病なカップルを探した。
 いつぞやの、黒魔術の女とマニ車の女が喫茶店に入っている。二人はテーブルの上で手を握り合っていた。引き合うのは男女だけとは限らない。
 
 カラオケボックスに逆本と馬酔木が居た。
「おっ、来たねぇ今生。ここのドリンクバー、馬乳酒が出て凄いんだ。アンタも一口飲んでいきな」
 馬酔木はロングトーンを中断して俺に声をかけてくる。
「ン僕たちは歌が好きでね。歌に集中した結果、学校中が浮つくなかで僕たちは一切そんな雰囲気にならなかったんだよ」
 逆本は肩をすくめ、両手を上に向けてお手上げの仕草をしてみせる。
 馬酔木がグラスを持って俺に近づいてきた。凄まじくアルコール臭い。俺の顔に近づけられるグラスの飲み口を、俺は必死に両手で押し返す。馬酔木の怪力だ。何気ない仕草にもエネルギーがこもっている。
「おい、未成年が酒飲んでどうするんだよ」
 俺は強い口調で馬酔木に対抗する。
「おいおい、ここは妄想の中なんだろ? 未成年が酒を飲んだって誰も怒りゃしないさ」
 馬酔木は呆れたような面持ちで俺を見下ろしている。
「妄想の中に酒が出てくるということは、馬酔木は現実でも酒が手に入りやすい暮らしをしているんじゃないか?」
 彼女は深くため息をついた。
「アタシの家は冠婚葬祭、凄く徹底してる家なんだよ。それでアタシも付き合いで飲むんだ。おかげで親戚一同の仲が良いんだから、だから良いだろ」
 おそらくやりたいロールプレイがあって、中二病を実現するために馬乳酒を飲んでいるのだろう。気持ちは分かるし、馬酔木の家庭事情もわかったし、酒を飲むかは彼女の自由だし、ここは妄想の中なので何をしても良い。
 しかし妄想の中だったとしても、一般的に非行とされる行いを身近な人がしている光景は、俺にとっては刺激が強かった。
「今生アンタ、ちょっと頭が硬すぎるんじゃない? カラオケにいるんだから、こんなの楽しんだもん勝ちだよ」
 そう言って、馬酔木はデンモクを操作し曲をかける。宇多田ヒカルの『First Love』だ。
 意外にも、彼女の歌声はすこぶる繊細であった。
 
 さて、こうなると気になるのは夜神の動向である。逆本・馬酔木も加わり、五人で夜神を探した。しかし一向に見つからない。孤独を極め、引き籠ってネットサーフィンしている可能性も考えた。
 彼は結局、高級フレンチの店にいた。
 両親と仲睦まじく夕食をとっている。
 中二病には二種類いる。一つは親との距離を取るタイプ。もう一つは、親と居る時こそ緊張せず素の中二病的性質を存分に発揮できるタイプ。夜神は後者であった。
 彼は料理を運んできたスタッフを呼び止める。
「『この料理を作ったのは誰だ、シェフを呼んでくれ』って。本当に言う客っているんですか?」
 これである。普段なら人の目を意識して控えそうな質問を、いとも簡単にしている。
 しかしながら、ここは妄想の中なのだ。夜神が普段から両親に甘えた生活をしていて、ありふれた風景だから形になった妄想なのか、それとも両親が研究で忙しく普段甘えられない反動でこうなっているのか、俺には見当もつかない。
 いずれにせよ、次に話すときは夜神には優しくしてみようと思った。
 
「今生君。あなたの後頭部を殴った犯人、それはおそらく西薗銀次(さいえんぎんじ)。私立湖甲高校1年Υ(ウプシロン)組に所属する科学者よ」
 大空は凄いタイミングで凄い話をしてきた。
「彼は普段世界を飛び回っていて、どこで何をしているのか全く分からない。でも、今度学校で開かれる講演会のスピーカーは彼。つまり、もうすぐ西薗は再びあなたの前に現れる」
 そういうことはもっと早く言ってほしかった。
 
    *
 
 講演会当日である。
 私立湖甲高校には体育祭も文化祭もない。中二病は4〜5人程度のグループワークならなんとかなっても、全校生徒一丸となって何かするとなると、方向性の違いにより一瞬にして瓦解するからだ。
 代わりに、中二病にゆかりのある著名人を招いた講演会がある。俺たちは普段、正解が分からないまま闇雲に中二病を磨く。中二病にゆかりのある著名人とは、要するに中二病磨きに正解した人であるから、大いに参考にしなければなるまい。講演会は生徒たちにとって、理想に一歩近づく貴重な機会なのだ。
「表向きにはそういうことになっている。でも実際は、著名人というのは私立湖甲高校の特待生たち。大体が噂通りよ」
 大空と俺は、あれ以来けっこう話すようになっていた。
 クラスの間では、存在しない七組目の噂が流れていた。表向きにはクラスは1-Aから1-Fまでだが、本当は存在しない七組目があって、組には特に優秀な中二病が特待生として集まり裏で暗躍している、などという馬鹿げた噂だ。
 噂は本当だった。
「七つ目の学級、1年Υ(ウプシロン)組は、特待生──中二病を超えた中二病たちの集う学級よ」
 中二病とはコンプレックスの裏返しだ。努力して自分らしさを手に入れ、夢を叶えた人に対して俺たちは憧れを抱く。憧れるばかりで才能も根性もない。迷った末に辿り着くのは、気軽にできるキャラ作りの道。
 中二病の真髄は、なるべく努力せずに自分らしさを手に入れる事にある。
 しかし。人と違う自分を過剰に愛してしまう気持ち。中二病に端を発して始まった自分らしさの探求。それらがエスカレートして、ついに努力し始めてしまったとき、中二病は中二病を超えるのだ。
「特待性を見習って、生徒たちが正しく中二病を磨く……そんなのは建前。学校の真の目的は、中二病を超えた人々を生徒たちに見せつけ、生徒たちのコンプレックスを一層刺激する事なのよ」
 俺たちの体の周りには、中二病由来の微弱な力が働いている。中二病が集まるこの学校では力が複雑に相互作用し、生徒たちの妄想を形にする。
 学校は生徒に中二病を磨かせ、この微弱な力を強くしようとしている。力が強くなると学校がどんな得をするかについては、大空にも分からないようだ。
「Υ組に在籍するのは、学者・スポーツ選手・経営者・芸能人……まあ色々ね」
 彼らは学費を全額免除される上に、未来永劫、安定した暮らしを学校に約束してもらえる。対価としてΥ組の生徒たちは、中二病の力を使って学校のために働くらしい。
「今生君の後頭部を殴ったのは、Υ組所属の科学者、西薗銀次(さいえんぎんじ)。路傍さんに横顔の写真を見せてもらったらすぐに分かった」
 この前路傍と大空は相当険悪な感じだったが、喋る機会はあったようだ。路傍は犯人らしき人の横顔を覚えていた。記憶をもとに、中二病的な妄想の力で写真を念写し、それを大空に見せたのだろう。
「見ただけで分かるのか」
「私は理事長の娘なのよ。学校の上層部の集まりがあったときに、西薗の顔と名前は覚えたわ」
 依然として表情はほぼ無いものの、精一杯のドヤ顔。大空も少しずつ他者に歩み寄っている。
「で、今生君はどうするの? 西薗の後頭部を同じくらいの力で殴り返すの? 中二病らしく」
「……」
 俺の目標は二つあった。一つは学校生活を通して自分の中二病の練度を高めること。もう一つは、通学路で俺の後頭部を殴った人物を探し出し、殴り返すこと。
 目標に向かって進んできたけれど、殴り返す方はもういいかもしれない。テロリストと戦ったり、グループディスカッションに打ち込んだり、滅茶苦茶なデートをしたりして慌ただしく過ごした。私立湖甲高校で中二病に揉まれるうちに、入学初日に芽生えた復讐心はいつしか薄れていた。
 初日、西薗は次のように述べていた。「予言しよう。今生学、君は一年生の間に中二病を卒業し、在学資格を失う。覚悟しておきたまえよ」
 今はむしろ、俺が中二病を卒業し、在学資格を一年生の間に失うという予言のほうが気掛かりだった。
 最近どうも俺の中二病のキレが悪いように思われるのだ。中二病ならば、復讐心は最後まで燃やし続けるし、大空とのデート中に「お前は独善的で、怠惰で、人の話を聞かないうえ喋ることが何一つ面白くない最低な女だ」と面と向かって言うし、人と馴れ合う場所としての役割を学校には全く期待しない。中二病ならすることを、最近の俺は何一つ達成していない。
「俺が中二病らしくない行動を取ったら、大空は幻滅するか?」
 俺は弱気な感じになってしまい、反応に困りそうな言葉を選んでしまった。言った後で反省した。
「中二病の定義は、絶えず変化していくものよ。ゆめゆめ忘れないことね」
 ……大空はやはり俺の話を聞かず、発言とまったく関係ない返事をしてくる。ズレた返事ではあったものの、なんとなく励まそうとしてくれている雰囲気だけは伝わった。今はそれで十分だった。
 
 一年生全員で講堂に入る。長机と一体型の椅子に、俺たちは順番に座っていく。スクリーンには講演用のスライドが映し出されている。
 西薗が登壇した。
 彼は俺が声だけ聞いて想像した姿、小学五年生の中でも成長期を未だに迎えていない感じの、見目麗しい悪戯好きな少年そのものだったのである。愛おしさと腹立たしさの平衡を目の当たりにして俺の気分は高揚した。
「アー、ワー。ツェーツェー。『諸君』。『本当の読み方がエメだと伝えた瞬間に、直方体は抉れたのさ』。……PAさん音量大丈夫でしょうか」
 ややウケ程度の笑いが起こる。講演会なのに、リハーサル中のボーカルがやるみたいなマイクチェックをしたからである。
「失礼。私は西薗銀次。普段は海洋掘削や自己免疫疾患などの研究を行っているが」
 西薗の来歴がスクリーンに映し出される。
「本当に研究したいのは中二病なんだ。残念ながら、中二病を研究して発表しても、決して中二病特有の妄言ではないと証明するのは難しくてね」
 実際湖甲高校で起きる事件は超常現象めいており、これを研究、というのは俺としてもピンと来なかった。
「諸君の周辺に働く中二病由来の微弱な力。中二病パワー、妄想力、万能感と万有引力から着想を得て万能引力。まあ好きに呼びたまえよ。私は中二病パワーでいく。単純明快だからね」
 俺はこの力をどう呼ぼうか考えた時、中二病パワーは思いついたものの、若干の幼稚さが気になり避けてしまった。結果、いちいち「中二病由来の微弱な力」や「中二病的な妄想の力」などと言う羽目になったので後悔していた。真の中二病は、言い易さとカッコよさでは前者を取るのかもしれない。
「この学校では中二病パワーが複雑に働き生徒たちの妄想を形にするのだが、その原理については未だに詳しく分かっていない。しかしごく最近、原理を理解するための足がかりが見つかったのだよ」
 次のスライドが映し出される。
「これは、何らかの力によって中二病パワーが打ち消されている様子だ」
 写真がいくつか載っている。妄想で呼び出した直方体があって、隣に中二病の被験者が立っている。最後の写真では、被験者に近い部分だけ直方体がわずかに抉れていた。
「この被験者は、女性歌手Aimerの読みをアイマーだと勘違いしていた。本当の読み方がエメだと伝えた瞬間に、直方体は抉れたのさ」
 確かこのセリフはマイクチェックの際に言っていたやつである。ボーカルがアーとかツェとかに加えて一節歌ってくれた方が、音響担当エンジニアとしては調整しやすいという意見も聞く。西薗はワンフレーズ歌うのと同じように、原稿からここだけ引用したのだ。
「被験者の毛孔・汗孔には変化なし。体から物質が出ているというよりは、中二病パワーと同様、力の向きだけが生じていると考えるのが妥当だろう」
 毛穴のほか、エクリン腺だとかアポクリン腺だとか、器官の写真がどんどん出てくる。
「ここからは仮説の話になるがね。我々が身の程を知った時に発生する力があって、それが中二病パワーを打ち消すのではないかと私は考えている」
 俺はあまりの飛躍に、付いていくのがやっとだった。まず、力の向きだけが発生する状況に実感が湧いていない。物と物が接している箇所にしか力が働かないという先入観を外す所から始めなければ。
 分かった。磁力の働く場所で電流を流すと、ある向きに力が働く。同様に、湖甲高校で俺たちが妄想すると、妄想の内容に応じた諸現象が起きる。そういうことだ。
 どういうことだろうか。
「まず確認しておこう。中二病パワーは、中二病──自分の能力を過大評価する状態由来の力だ」
 分かってはいたが、ストレートに言われると多少辛くなってしまう。
「そして、Aimerの読みがアイマーではなくエメだと教える操作の意味は何だったのか」
 全員が気になっていたことだ。
「先程の被験者は、Aimerを正しく読めていると思っていたのに、実際は読めていなかったと知った。Aimerを読む能力について自身を過大評価していた状態から、身の程を知ったのだよ」
 Aimerはエメだと俺は知っていたので、これまた実感が湧かない。
「この感覚に実感が湧かなければ別にAimerでなくてもいい。SixTONESはシックストーンズではなくストーンズ。DECO*27はデコニジュウナナではなくデコ・ニーナ。KEN THE 390はケンザサンビャクキュウジュウではなくケン・ザ・サンキューマル。JYONGRIはじょんぐりではなくジョンリ。どうだい、身の程を知ったかい?」
 俺は追加で挙げられたアーティストたちを、見事に全て間違った読み方をしていた。特にDECO*27とKEN THE 390は、間違ったまま楽曲の良さについて得意げに語った経験があるためダメージが大きい。かなり恥ずかしい。
「人が一般的な感覚を知っていくにつれて、その感覚は中二病を徐々に消していく。それは心理的な話だけでなくて、物理の世界にも、我々が身の程を知った時に発生する力があって、それが中二病パワーを打ち消した。これが現時点での仮説だよ」
 俺は西薗の言うことを存外すんなり受け入れてしまった。常識とか社会性とかが身に付くにつれて中二病が衰える感じには凄く心当たりがあった。
「他に試した実験や、中二病パワーの原理を調べるために力をどう応用するかについて、いくらでも話せることは話せるが。話が専門的になりすぎるので止めよう」
 講堂の電気が灯り、スクリーンが巻き上げられていく。
「それよりも、中二病の諸君に、何か教訓めいたことを言って終わるとしよう」
 講演に全く興味がなくて寝ていた生徒たちが顔を上げた。
「諸君は、身の程を知る事とは極めて無縁だろう。社会からいくら浮こうが中二病を貫き、律儀にこんな学校を見つけて入学してきた」
 西薗は喋りのギアを上げる。
「いいかい。諸君のその振る舞いは、Aimerの読みがアイマーではなくエメだと知った時に『自分だけがアイマーと呼ぶようにすれば自分らしくてカッコいいのでは?』と思い付いてアイマーで通すようなものだ。しかしね。Aimerはエメなんだよ。読み間違えているのは恥ずかしいんだよ」
 熱心な生徒はメモを取っている。何をメモするのだろうか。「Aimer=エメ」などと書くのだろうか。
「諸君は、誰もやっていない物事を見つけ、それをやっている唯一の人物になろうとして喜んで飛びつく。しかし誰もやっていない物事の多くは、やっても仕方ないから誰もやっていないんだよ」
 全くその通りだと思う。努力せずに出来ることは大抵しょうもないので、中二病はしょうもないのである。
「諸君が身につけようとしている自分らしさには生産性はあるのか、改めて考えてみてほしい。私からは以上だよ」
 
 生徒たちが各々の教室に帰っていく。俺は西薗の元へ向かう。彼は前の方でノートパソコンの配線を切って後始末をしている。
「ああ君か。中二病の方は順調かい?」
「入学初日、一体俺に何をしたんだ」
 西薗は作業を中断し、こちらに向き直った。
「君が突然中二病を卒業してしまうように細工をさせてもらったよ。ついでに、君が身の程を知った時に生じる力を、一時的に保存しておける細工もした」
 人は徐々に中二病を卒業する。しかし彼は俺に今年中に、急速に中二病を卒業させようとしている。突然失われた中二病的な価値観のかわりに、猛烈な勢いで一般的な感覚が流れ込んでくる。強く身の程を知る訳である。その時に発生する膨大な力を、西薗は回収しようというのだ。
「すまない。倫理観と好奇心を天秤にかけた結果、後者が僅差で勝った。中二病パワーで妄想が具現化するなら、身の程を知った時に生じる力を一箇所に集めるとどうなるのか気になってしまってね」
 彼は申し訳なさそうに言う。声は生意気なのに態度が申し訳なさそうだ。
「その……細工? を施された感覚も形跡もないんだが、どうやったんだ?」
「ふぅん? そうかそうか。君は私の研究に興味を持ってくれるのか」
 西薗は愛らしく目を輝かせた。俺が否定する前に、彼は細工に必要なものを列挙し始める。ディディエレア・マダガスカリエンシスの樹液、インカオオマルハナバチ、コウボウフデ、ニチニチソウ茎組織切片、■■■■の悦び……。■■■■に至ってはどうやって発音しているのか分からない。西薗のあまりの中二病ぶりに頭が痛くなり、細工の工程を話そうとする彼を俺は全力で止めた。
「俺には到底理解が及ばないことが起きてるのは分かった……。で、なぜ俺なんだ?」
 中二病を卒業させるだけなら、別に俺でなくても良かったはずである。
「君には中二病を卒業しやすい要素が揃っているんだ。私立湖甲高校の誰よりも、ね」
 にやにやしながら西薗は語り出した。
「まず、君は独り言の多さを自分らしさにしている。実に素晴らしいよ。自分の話す言葉が自分の耳に届けば、聞こえた分だけ自分自身をよく観察し俯瞰できる。もっと客観視できるようになると、中二病の痛さに気づいて卒業するのも時間の問題だ。
 さらに、君は独り言の多さを売りにしながら、独り言の多さは中二病としては弱い特徴であると自覚してもいるね? だから君は他の生徒に対して劣等感を抱きながら中二病専用道路を歩いた。ついでに君は、入学試験で合格最低点を取っている。君の中二病は脆く、消えやすいんだよ。
 極め付けは、君の関心が、中二病にあるまじきレベルで、他人の内面へ向かっていることだ。路傍君が友達を欲しがっていると理解し、君はいち早くソウルメイトになった。否定からしか入らない逆本君を上手く誘導して具体的な意見を引き出したのも、彼の特性をよく観察したからだ。夜神君を取り巻く情報から彼の人物像を割り出し、彼の抱える問題を解決し、中二病パワーすら打ち破ってみせた。そして君は大空君の良き理解者となり、彼女の生きづらさを解消すべく奔走している。
 他者への興味、理解の早さ。興味の対象が仲間たちから一般の人々に、たった少しズレただけで、君は急速に一般的な感覚を受け入れるだろう」
 俺は黙って西薗の話を聞いていた。中二病が痛いだの脆いだの、貶された部分もあったけれど、総合的には褒められている気がする。何より、俺一人のために西薗がこれだけ長く喋ったのを誇らしく思った。それにしても、なぜ俺が学校でしてきた経験をこれほど詳しく知っているのだろうか。
「私が施した細工の影響を受け、君は中二病を卒業しやすくなっている。しかし、抗ってもいい」
「何? 抗えるのか?」
「あくまで卒業しやすいだけだよ。中二病であろうとする志を捨てなければ、君は中二病であり続けるだろうね」
 俺には学校に行く目標が二つあった。一つは学校生活を通して自分の中二病の練度を高めること。もう一つは俺の後頭部を殴った人物を探し出し殴り返すこと。
 後者は復讐心が消え失せてしまったのでもう達成できない。
 俺は、自分の中二病の練度を高める目標を決して忘れず、志を高く持って学校生活を送ると誓った。
「俺が抗えば、お前の研究が失敗に終わるかもしれない」
「フ、その時は条件を変えてまた実験するだけさ」
 西薗は悪戯っぽく笑った。
 
 教室に帰ってくると路傍が駆け寄ってきた。
「どうでした? 殴れました?」
 彼女は拳を胸の高さに構え、全身で好奇心を露わにしている。
「路傍が俺に、西薗の横顔の写真を見せてくれなかったのって。やっぱり俺の中二病が弱まって、ソウルメイトとして相応しくなくなったからなのか」
 俺は再びかける言葉を間違えた。切迫感のせいで路傍を冷めさせるような発言をしてしまった。
 しかし気になってしまったのだ。俺は今日初めて、大空から、路傍が記憶をもとに念写した顔写真の話を聞いた。路傍が俺に写真を見せてくれなかったのは、彼女が俺を見限ったからではないかと、つい考えてしまった。
「ちょっと待ってくださいよ。そんな訳ないじゃないですか」
 路傍は眉をハの字にして訴える。
「今生さんは犯人の顔を見ていない訳ですから。だから今生さんに写真を見せても何の手がかりも得られませんよ。落ち着いてくださいって」
 俺は今どうかしている。中二病らしくあろうと意識するあまり冷静な判断が出来なくなっている。
「それに、今生さんが中二病じゃなくなったとしても、私たちはソウルメイトであり続けますからね! ソウルメイトとして相応しくないとか。そんな悲しいこと言わないでくださいよ……」
 必死の訴えも、今の俺には届かない。とにかく中二病のことで頭がいっぱいだった。
 
    *
 
 夏も終わり、学校全体の雰囲気が中弛みしてきている。規模の大きいものから小さいものまで頻繁に起こっていた妄想の具現化は、ぽつぽつ起こる程度に治まってきた。
 俺はというと、一年生の間に俺が在学資格を失うという予言に抗うために、中二病らしく気を張って過ごしていた。常に気を張るせいで、いかなる時も若干体調が悪い。授業中に手を上げ、トイレに行ったっきり全然戻れないなんてのも日常茶飯事。
 
 トイレの個室に入ってしばらく経った時、俺は突如不安に襲われる。
 もしかすると、俺は間違って女子トイレに入ったかもしれない。
 中学の頃は男子トイレには水色のタイルが、女子トイレには桃色のタイルが貼られていたため、水色に囲まれた自分はちゃんと男子トイレに居るなぁと分かった。しかし、私立湖甲高校のトイレは、男子トイレと女子トイレの内装が同じタイプだったのである。
 いい加減慣れろと。俺もそう思う。しかし俺は中二病らしく過ごすことに気を取られ、自分が男女どちらの扉に入ったかなど気に留めていない。個室の四方はクリーム色で、トイレに入る前の記憶もほとんど無く、本当に困った。
 個室を出て確認しようにも、いきなり女子に出くわせば相手の気分を害してしまう。今は誰かが来るのを待ち、男子と女子、どちらの喋る声が聞こえるか確認すべきだ。
 足音が聞こえてくる。心拍数が上がってきた。
「おーい。今生? 大丈夫か?」
 俺は絶望した。聞こえてきたのは女子の声だったからである。……今、声の主は個室に俺が入っていると分かって声を掛けてこなかったか。となるとここは男子トイレだ。仮に女子トイレだったとしたら、個室に男子がいるとは想定できないはずである。しかし聞こえてきたのは女子の声なのである。女子トイレの可能性も充分ある。
「ここって男子トイレだよな?」
 俺は声の主に尋ねる。
「はぁ? 今生アンタ、一定期間ごとに記憶がリセットされる体質になった妄想でもしてるのか?」
 忘却探偵シリーズ、『メメント』、『一週間フレンズ。』、ジョジョ六部のジェイル・ハウス・ロック……。記憶がこまめに消える類の創作物はままある。中二病の妄想としては割と定番かもしれない。
 声の主は馬酔木弓(あしびゆみ)だ。ようやく気づいた。彼女は身長が2メートル以上あり、鍛え抜かれた強靭な肉体を持つマッシブな女性である。特徴的な外見ゆえに、俺は彼女の見た目にばかり注目して声を注意深く聞いていなかった。
「そりゃ男子トイレだろ。本当にどうしたんだ」
 馬酔木の声色はいつもより優しい。
「男子トイレに、何で馬酔木がいるんだ。俺が女子トイレに居るんじゃないかと思った原因の、半分は、お前がここに居る事だよ」
 私立湖甲高校に委員会はない。つまり保健委員は来ない。来るとしたら俺の心配をしてくれそうな夜神、心配してくれるとはとても思えないが逆本のどちらかだろう。予想に反して馬酔木が来た。
「なんか、最近の今生。ピリついてて近寄り難いんだとさ、皆。だからアタシが代わりに来てやったよ」
 なるほど。中二病らしく気を張って過ごしすぎた弊害だ。彼らを拒絶する意図は決して無かった。だが切迫感が出て、夜神たちに対して威圧的な雰囲気になってしまっていたようだ。
「そんな中来てくれてありがとう」
 俺は感謝した。馬酔木は頑強な体躯を手に入れるために努力した。俺は中二病として、彼女が努力を経て手にした自分らしさに憧れている。また、その努力に裏打ちされたメンタルに憧れている。俺が意図せず出していた威圧的な雰囲気に屈さない、彼女のメンタルの強さに感謝した。
「なんだよ、照れくさいね。まあアンタが近寄り難い雰囲気を出してるくらいでへこたれてたら、アンタのソウルメイトは務まらんさ」
 馬酔木とはディスカッションの時に喋って以来、Netflixで見られる映像を薦め合い、適当な時に感想を言い合う仲になった。仲間だとは思っていても、ソウルメイトになった覚えは無かった。しかしソウルメイトで良いかもしれない。馬酔木さえ良ければ、俺は喜んでソウルメイトになろう。
「とにかくアンタが個室で倒れてるとかじゃなくて安心したよ。じゃあアタシは戻るかな」
 足音が遠のいていく。
 今は本来授業中なので、トイレには誰の声もしていない。個室の扉の下にある隙間から、秋らしい風が冷たく吹き込んできた。
 
「最近暇じゃないですか?」
 教室で座っている俺に、路傍が話しかけてくる。何気ない日常だ。
「だって、行事とか何にもないじゃないですか、この学校」
 講演会はあったものの、体育祭も文化祭も無かった。青春の送りどころは生徒たちが自主的に作らねばならない。
「誰かを誘って、野宿にでも行ってきたらどうだ」
 忘れがちだが路傍は野宿愛好家である。彼女の机の下にはいつも、布団が収められた大容量ボストンバッグがあり、バッグの上に両足を置いて彼女は授業を受けている。俺は、今こそ路傍が野宿の話をしたいのではないかと思って話を振ってみた。
「それ絶対楽しいんですけど。でも、例えば六人で深夜の公園を占拠すると、誰にも迷惑がかからなくても悪いことしてる感じがするから微妙なんですよねぇ」
「六人って何だよ」
「え、私と今生さんと、夜神さんと、大空さんと馬酔木さんと……まあ逆本さんも。そろそろ六人で何かしましょうよ」
 校舎に入ってすぐ、長い廊下の壁一面には生徒の相関図が描かれている。仲良くなった当日中に図に関係性を書き足して、生徒たちは揺るがない絆を結べる。優れたシステムだ。
 優れた箇所はもう一つある。それは「友達の友達」に関心が向く構造である。生徒たちは相関図を見て、自身と関係性の深い人に注目する。ついでに、その人の顔写真から伸びる無数の線にも注目する。
 自分の友達と友達になるような人は、当然自分とも気が合うはずであるから仲良くなりたいと考える。同時に、自分の友達とっての一番に、自分がなりたいとも思うだろう。仲間意識なのか対抗意識なのか、いずれにせよ生徒たちは「友達の友達」に関心を持つのである。
 つまり、何が言いたいのかというと、俺のソウルメイトである路傍・夜神・馬酔木・大空……あとギリギリ逆本も。五人は「友達の友達」としてそれぞれ仲を深め、今やソウルメイトと言っても差し支えない程度になっている。
「逆本の時だけ言い淀むのめちゃくちゃ面白いな。分かるけども」
「だってあの人、お友達になりましょうって言ってるのに『いいや、ン僕はならないね、逆にね』とか言ってくるんですもん。入学初日の今生さんみたいに」
「あれは戸惑って黙ってただけだ。その後ソウルメイトなら良いとも言ったし」
 本当に色々あった。
 中二病に馴れ合いは必要ない。俺は自分の中二病を一人ストイックに磨きたくて、孤高になりたくて、私立湖甲高校に入学した。俺の後頭部を殴った人物を探し出して殴り返す、などと大層な目標を立てて頑張ったものの、実際に俺がやっていたのは馴れ合いだった。
 馴れ合いにかまけたせいで、俺の中二病は日を追うごとに弱まり、今は在学資格を維持するために気を張っている。そんな俺を心配して、馬酔木はトイレまで様子を見にきてくれたし、路傍はこれまで通り話しかけてくれている。
 中二病を取り戻そうとする俺を助けてくれるのもまた、馴れ合いであった。
「六人で遊びに行くとしたらどこだろうな」
「あら、遊びに行くことに関しては認めてくれるんですね。馴れ合いをあれだけ嫌ってた今生さんが」
「今までも、俺の後頭部を殴った犯人を探す名目で遊んだりしてただろ」
 西薗の講演が終わって、路傍とNetflix上の映像作品をふたりで消化する機会も無くなってしまっていた。俺たちには犯人探しという名目が必要だった。しかし、中二病の定義は絶えず変化していくのである。大空もそう言っていた。名目がなくたって、ソウルメイトたちと過ごしても良い。
「……週末、六人でボードゲームカフェにでも行くか」
 
 俺と路傍は、手分けして仲間たちを誘った。仲間たちと言っても、四人中四人に声をかけるだけである。ただでさえ誘える候補が少ないため、断られた場合のショックは大きい。ショックの大きさを察してか、全員快く誘いを受けてくれた。
 
 電車を乗り継ぎ一時間。俺は待ち合わせ場所にいち早くたどり着いた。往来が激しく人混みに酔いそうになる。ビル上部の巨大ディスプレイに映る猫を眺めつつソウルメイトたちを待った。
 大空が来る。おしゃれミリタリージャケットを中心に活発そうな服装で来た。内向的な彼女の、秘めたる攻撃性の発露とも言うべきか。大空の興味関心の対象は、どこまでいっても自分自身である。自分に合う服装も容易く見つけられるようだ。
 私服を注意深く見るのは当然だろう。中二病の真髄は、なるべく努力せずに自分らしさを手に入れる事にある。私服の組み合わせとは、買ったものを着るだけで気軽に出来る自己表現。すなわち人の私服を見れば、その人の中二病的性質が大まかに分かるのだ。
 続いて来たのは逆本。トップスもボトムスも、シルエットが妙に大きくて縦に長い。落ち着いた色味にまとまっており、シャツの裾には大きく切り込みが入っている。要するに『前前前世』のときのRADWIMPSみたいになっている。あえて、逆に、少し前の流行に乗った服で来たのだろう。
 馬酔木が人混みをかき分けて近づいてくるのはすぐに分かった。彼女は身長が2メートルあるから目立つのである。あまりに目立つので、馬酔木自身を待ち合わせ場所にする案もあったぐらいだ。服装はというと、黒を基調としたバイク用レーシングスーツみたいなのを着ている。上下に境目は無く、正面にジッパーがあり、肩・肘・膝の防御力が高そうだ。私服としてはあり得ない選択だが、馬酔木にはとても似合っている。
 路傍が来た。パーカーにスウェットパンツだ。野宿しやすいように、家で着ても外で着ても自然な服装なのだろう。
「おっロボちゃん、来たね」
 馬酔木は路傍をロボちゃんと呼ぶ。路傍のフルネームは路傍風浪(みちかたふなみ)なのであるが、路傍も風浪も、メッセージアプリでやり取りする際に一発で変換できないのである。俺も含め全員が「ロボウ」と音読みして入力している。そのロボウが短くなってロボになった。
 ちなみに逆本鷹文(さかもとたかふみ)の方も「ギャクホン」と入力して逆本にするため、毎度逆方向に本塁打を打つ野球選手が頭をよぎる。
 最後に夜神が来た。暗めの茶色いコートを着こなしている。性根が日本人のため忘れそうになるけども、彼は日本に帰化したロシア人の二世だ。身長が高く、日本人とかけ離れた顔のつくりが魅力的に見える。彼はそもそも素材が良いため何を着ても似合うだろう。
 これで全員揃った。俺はソウルメイトたちを学校でしか見たことがなかった。彼らは学校では制服を着ていたから、私服の姿は新鮮だった。湖甲高校での生活には現実感がないため、こうして学校外で会うと、この人たちは実在したのかという驚きがある。学校がツイッターで、今会っている状態がオフ会のような感じだ。
 俺たちの服装に統一感はない。着ている服の系統がバラバラでも雰囲気は良い。気分はアベンジャーズだ。六人で風を切って歩き、ボードゲームカフェを目指した。
 
 路地を大回りして、ようやく店の看板を見つけた。
 ボードゲームカフェはゲームを楽しむ人々で溢れかえっている。木目調のフローリングとテーブル。暖かい照明。棚には色とりどりのボードゲームが隙間なく並べられている。まるで金持ちの友達の家に招待されたようだった。
 受付を済ませ、六人でテーブルを囲んだ。俺たちが様々なボードゲームで遊ぶようすを、幾つか抜粋してお届けしようと思う。
 
 ウェーブレングスで遊ぼう。
 俺たちの目の前に、アナログ時計の下半分を隠したような、半円の板に赤い針がついた道具がある。最初にカードを引いてお題を決め、この道具が何を示すメーターなのかを決める。例えばお題が「←許される 許されない→」であれば、時計で言うと9時に近いほど「許される」、3時に近いほど「許されない」。
 1人の親と、5人の子に別れてゲームを行う。
 親だけは、例えば時計で言うと10〜12時の正解エリアを知っている。親は「←許される 許されない→」メーターの10〜12時あたり、すなわち許される寄りのこと「CoCo壱番屋の福神漬けを、普通の人の四倍かける」などと言って、子に正解エリアの位置を伝える。
 他プレイヤーたちは相談して、板についた赤い針を動かし場所を指定する。それが見事に正解エリアに収まっていれば成功だ。
 正解エリアは1〜3時などと、親が1ゲームごとに決め直せる。
馬酔「口で説明されても分かりにくいんだよ。とりあえず始めようじゃない」
お題『←すぐに殺せる なかなか殺せない→』
大空「私が親……」
夜神「つまり、今から大空が何かの生物を言うから、その生物の殺しやすさを、大空さんの気持ちになって考えるってことでいいんだよね?」
大空「……分かった。この範囲は、今生君。あなたよ」
今生「俺?」
逆本「彼女、殺せる・殺せないの話題で、友人の名を挙げたぞ。少々怖いとは思わないかね」
馬酔「まあ真ん中、12時ぐらいじゃないか?」
路傍「えっ、どういうことですか? 私は今生さんを手に掛けるなんてとんでもないと思いますけど」
馬酔「だって同じ人間だろう? 『すぐに殺せる』と言ったら、蚊とか蟻とか。『なかなか殺せない』と言ったら象とか熊とかじゃないか?」
今生「なんで馬酔木は猛獣と渡り合おうとしてるんだよ。戦った経験があるのか?」
夜神「馬酔木さんなら、超でっかい犬になら勝てそうだよね」
路傍「私は何があっても今生さんを殺せません! 私が殺させません! だから範囲は『なかなか殺せない』に極限まで振って、3時付近だと思います」
逆本「待て。大空さんと今生は親しい。親しい間柄ならば、油断している隙をついて命を奪うなど容易いのではないかな」
今生「物騒なこと言うな。というかお題が物騒なんだよ。商品化した人はよくOKしたな」
夜神「『すぐに殺せる』側・真ん中・『なかなか殺せない』側、全てありえるってことかぁ」
馬酔「アタシはやっぱり真ん中だと思うぞ。大空は今生を、人間という種の代表として挙げたんだ」
路傍「個人的に今生さんに抱く思い入れとか抜きにして、ってことですね?」
夜神「確かに。大空さんにとって、今生君は初めて認識した他者なんだよ。自分自身以外に、初めて見つけた正解なんだ。そりゃ人間の代表にもしたくなるね」
大空「ちょっと、やめて。顔には出ないけど、すごく恥ずかしいから」
逆本「ううむ、こうなってくると、ン僕は10〜11時・1〜2時の中途半端な区間がいいと思う。ここまで話題に上らなかったから、逆にね」
今生「これ本当に難しいな、どの考えもそれなりに説得力がある」
馬酔「まあ迷ったら今生が決めればいいんじゃないか? 今生が殺されたいか殺されたくないか、ってことだからね」
夜神「そういうゲームだっけ?」
今生「大空が、俺を殺して生きやすくなるなら……」
路傍「ダメですよ! 彼女を甘やかしてはいけません!」
逆本「これは、甘やかしているのか?」
大空「……」
今生「決めた。ただでさえ少ない理解者を、大空が殺すはずない。俺たちの答えは『なかなか殺せない』に凄く寄って、3時付近だ」
 大空が正解エリアを見せてくれる。エリアは9時と3時付近、つまりメーターの両端だった。
今生「来た! 俺たち以心伝心じゃないか」
逆本「待て今生。エリアを見るに、彼女は君を『なかなか殺せない』と同時に、『すぐに殺せる』とも思っていたわけじゃないか」
馬酔「あちゃー。アタシの予想は完全に外れたね」
大空「馬酔木さん……真ん中だと言いたければ、私は普通に『人間』って言うわ」
路傍「両端って、両端のヒント出すのは難しいですね」
大空「路傍さんと逆本君の言った通り。今生君を殺すなんてとんでもないけど、親しいからこそ殺そうと思えばいつでも殺せる。どちらとも取れるように今生君にしたの」
夜神「でも、物理的には簡単でも心理的に難しい、という状態を表現したい時はさ。別に子猫とか子犬でも良かったんじゃないの? それでも今生君が浮かんだってことは……LOVEだね」
路傍「ちょっとこの話やめません? 気まずくなりませんか?」
 
 ナンジャモンジャで遊ぼう。
 独特なヴィジュアルの生物、ナンジャモンジャ族の絵が描かれたカードを使うゲームである。
 プレイヤーは一人ずつ順番に山札をめくっていく。カードをめくって出たのが初めて見るナンジャモンジャなら、めくった人が好きに名前をつける。めくったカードは中央に重ねて置く。
 山札をめくっていき、既に名付けられたナンジャモンジャが出たら、その名前を言う。一番早く言えた人が、中央に重ねられたカードを全て貰える。
 上記の操作を繰り返し、山札がなくなった時にカードを最も多く持っていたプレイヤーが勝つ。
 序盤はルールを確認しながらゆったり進めた。ゲームは中盤戦に突入する。
路傍「じゃあめくりますね。……」
一同「『みどりちゃん』!」
今生「これは夜神が早かったな」
路傍「負けちゃダメでしょう、私が名付け親なのに」
夜神「僕、このゲーム得意かもしれない。ちゃんと緑っぽい体と名前をチャンクにして覚えられてる気がする」
馬酔「もう序盤に名付けたやつは覚えてないな」
逆本「次は僕がめくろう。……」
大空「『減るわかめ』」
夜神「うわー早いっ」
大空「まあ、名付け親だから」
馬酔「本当にそのネーミングセンスは何なんだよ」
今生「じゃあめくるぞ……あ、新規のやつだ」
逆本「大空さんに倣って、自分にしか耳馴染みのない名前を付ければ有利なようだね」
大空「増えるわかめが有るんだから、減るわかめだって有ってもいいの」
今生「俺たち、早く言おうとして叫んじゃうだろ?」
路傍「そうですね。つい力んじゃいます」
今生「だから、デカい声で言いたい名前を付けよう。こいつの名は『我らソウルメイト』」
馬酔「なんじゃそりゃ。青春を叫ぶってか。面白いじゃない」
夜神「主張強いなぁ」
大空「次は私の番ね。……」
路傍「あら、また新規です」
大空「これは『君が代のアウトロ』」
逆本「無いだろう。君が代に。アウトロは」
今生「無いから印象に残るかもしれん、逆に」
馬酔「じゃあアタシめくるな……」
一同「『フラットメン』!」
馬酔「これはロボちゃんだろうねぇ」
路傍「やりました! 序盤のやつが急に出てくるとびっくりしますね」
今生「路傍は人の顔を覚えるのとか得意だもんな」
夜神「よし、僕めくるよ……って新規かい」
逆本「自由な発想で名付けたまえよ」
夜神「……もし仮にだよ? 『(自分のバストサイズ)』っていう名前をつけたら、自分のバストサイズが叫ばれるの?」
馬酔「おいおいアンタ、いくら中二病だからってセクハラは良くないよ」
大空「多分『自分のバストサイズ』と叫ばれるだけ」
路傍「私はBです」
今生「言っちゃうのかよ」
夜神「私はLです」
今生「いやお前はキラだろ。っていうかそのデスノートネタをしたかっただけかよ」
夜神「今生君ツッコんでくれてありがとう。ということで『私はLです』と名付けようかな」
路傍「じゃあ私めくります。……」
一同「『我らソウルメイト』!」
 
 ミタイナで遊ぼう。
 大喜利の回答だけを見て、何のお題かを推測するゲームである。
 1人の親と、5人の子に別れてゲームを行う。親は大喜利のお題を見ないようにする。
 お題は「○○みたいな△△」という形式で、○○と△△の中身は単語カードを2枚引いて決める。子は「○○みたいな△△」にありがちなことを考え、回答ボードに書く。
 回答を書き終えたら、まずは子のみで回答を見せ合い、発表する順番を決める。
 その後、親は発表されていく回答を見て、大喜利のお題を予想する。
 後半で当てられた方が子の得点が高くなるため、なるべくお題が親にバレにくいような回答から発表するとよい。
夜神「大喜利って……ハードル超高くない?」
路傍「ウケなかったら嫌だから、妥当なこと書いて守りに入っちゃいますよね」
馬酔「アタシがお題を当てる側だね。こっちは最初から全力で当てに行っても点数には関係ないんだったか」
逆本「まずはン僕の回答を見るといい。『カーテンを閉めたうえで夜にやる』」
馬酔「……なんだ? やれることなのか?」
今生「お題は必ず、単語と単語になってるからな。お題を当てに行って、単語の片方が合ってたら、そっちは合ってるって言うから」
路傍「この段階で当てられたら凄いですよね」
馬酔「うーん、とりあえず答えてみるか。〈昼夜逆転みたいなネットサーフィン〉」
夜神「それ〈二足歩行みたいな人間〉って言ってるのと同じじゃん。昼夜逆転とネットサーフィンがもうセットみたいな物だから」
逆本「そもそも単語カードに昼夜逆転など入っているのか?」
大空「次は私の回答。『直角に曲がる時にマントが翻る』」
馬酔「どういうことなんだよ。『直角』が全然分からないねぇ」
今生「ナンジャモンジャの時といい、大空は切り口がなんか独特だからな」
馬酔「しかも逆本のやつは何かやることを表してたのに、大空のは、何か物の特徴なんだよな」
路傍「おっ、馬酔木さんって頭脳もいけるんですね」
馬酔「よく言うだろ? 脳筋は脳みそが筋肉かつ全身が筋肉だから、全身が脳みそなのと同じだって」
夜神「何だっけそれ。マイティ・ソー?」
馬酔「よし、答える。〈怪盗みたいな三角定規〉」
大空「直角要素が定規なのちょっと面白い」
逆本「だが違う。怪盗も三角定規も外れているようだね」
路傍「まあまあまだ前半ですから」
今生「俺たちとしては前半では外してくれた方が得点は高いぞ」
夜神「次は僕ね。『伴奏がパイプオルガン』」
馬酔「うおっ。いきなり何かの会場が見えてきたねぇ。しかも夜で、荘厳な感じもある……」
大空「十秒」
路傍「なんで急に将棋の持ち時間教える人になったんですか」
馬酔「マント? まさかとは思うけど……〈中二病みたいな音楽フェス〉?」
路傍「あぁー。徐々に近づいてきてはいます!」
逆本「あまりそういうのは教えない方がいいんじゃないか?」
馬酔「近づいてはいるんだね。絶対に次で当ててみせるよ」
今生「じゃあ俺の回答。『席が全部棺桶』」
馬酔「棺桶ぇ? 決定的な情報みたいけど……」
大空「ちなみに、この今生君の回答は、大喜利としては最底辺よ」
今生「やめてくれ。ヒントを出すことに集中したらこうなったんだ」
逆本「馬酔木さんのために整理してあげよう。昼夜逆転・ネットサーフィン・怪盗・三角定規・中二病・音楽フェスの六つは全部違った」
路傍「ナイスです。そういうのがあると進行しやすくて良いと思います」
馬酔「一回『直角』を捨てて回答してみていいか?」
夜神「うんうん。それも戦略の一つだと思うよ」
馬酔「〈ドラキュラみたいな合唱コンクール〉」
一同「あぁー」
馬酔「なんだよその反応は」
今生「ドラキュラはな、合ってる」
馬酔「来たね。じゃあ後はどれがドラキュラ要素で、どれがもう一つの要素なのか考えるだけだよ」
大空「パズルめいてきた」
路傍「……最後の回答です。『ニンニク農家や聖職者にさえも感謝を伝える』」
馬酔「おい! ドラキュラは分かってるから『ニンニク』と『聖職者』はもう情報量がゼロなんだよ!」
夜神「でも『感謝』は結構大事な要素だよ」
逆本「ヒントは充分与えた。良く振り返ってみればわかるはずだ」
馬酔「『カーテンを閉めたうえで夜にやる』『直角に曲がる時にマントが翻る』『伴奏がパイプオルガン』『席が全部棺桶』『ニンニク農家や聖職者にさえも感謝を伝える』ね……。
 カーテンと夜と、マント、パイプオルガン、棺桶、それからニンニクと聖職者。これはドラキュラ要素だ。
 じゃあもう一つの要素は、直角に曲がって、伴奏があって、席も沢山あって、感謝を伝える、イベント……なんだよな。そんなのあるかぁ?」
大空「そして、そのイベントは音楽フェスでも合唱コンクールでもなかった」
路傍「これね、推理を聞いてる側からすると楽しいです。ほぼ答えやん、って言いたくなりますよ」
夜神「っていうか、馬酔木さん本当に全身脳みそかもしれないね。このゲーム上手いと思う」
馬酔「あぁ! 来た、繋がった。答えていいか?」
一同「……」
馬酔「答えは、〈ドラキュラみたいな卒業式〉だ」
今生「正解! おめでとう」
馬酔「おし! いやぁ、卒業式って直角に曲がるなぁ」
大空「直角に曲がるし、関係者席にいちいち礼をするわね」
逆本「『直角』と聞くと宝塚音楽学校とも間違えそうになるから、面白いヒントの出し方だったと思うね」
馬酔「パイプオルガンもね、そういえば弾いてるね、ドラキュラが」
路傍「あのよく流れてる荘厳な音楽ってドラキュラ本人が弾いてるんですか?」
 それぞれの回答を振り返りながら感想戦をやる。最善手を考え口々に提案するうちに、俺たちはお題に出てきた「卒業式」のことを考えて、なんとなくしんみりしてしまった。
路傍「卒業ですかぁ」
今生「めちゃめちゃ先だけどな」
逆本「いいや、三年なんてあっという間だね」
馬酔「三年って言ったらさ、人はたった三歳違うだけで高校生活を一緒に送れないんだよねぇ」
夜神「そんなこと言ったら、一歳違ったら一年生の秋にみんなでボードゲームカフェになんて来れなかったよ」
大空「まず通う高校が違ったらこうはならなかった」
路傍「同じ学校で、同じ学年で、私たちの人生が一瞬交わったのって奇跡じゃないですか。本当にこの出会いを大切にしたいなーと思ってて」
一同「……」
路傍「来年も、再来年も、そのまた次の年も。こうして一緒にいれたらいいなーって」
一同「……」
馬酔「アンタはアレか? あの、昔の小学生が持ってた、制服茶髪女子とポエムの下敷き」
大空「『一期一会』ね」
今生「すごいなお前ら。『友』とか『恋』とか書いてあるやつな。よく思い出したなそれ」
逆本「おい、路傍さんを茶化すなよ。実際奇跡だろう。出会いを素直に喜ぶべきだと思うがね」
夜神「僕、自分を中二病じゃないって言い張ってたけど。この学校に通えたことについては、中二病に感謝しないといけないな」
路傍「そうなんですよ。中二病で良かったんですよ」
馬酔「『病』扱いされてるのに納得いかないとすら思うね」
路傍「皆さん。私たちの絆を確かめるためにも、さっきのアレやりませんか?」
今生「俺は分かったぞ。中二病ならアレが何か分かるはずだ」
 俺たちは六人とも頷いている。
路傍「じゃあ行きます。……せーの!」
一同「『我らソウルメイト』!」
 
 俺たちはその後も大いにボードゲームを楽しんだ。
 正確には、中二病を楽しんだ。
 このボードゲームカフェにいる客たちの誰よりも、俺たちは楽しんでいた。誰よりも楽しむ俺たちが誰よりも優れていた。偏った知識と、仲間内でしか通じないノリ。それらを溢れさせて、この空間全体を中二病にしてやろうと思った。
 俺は確信した。中二病と馴れ合いは両立する。中二病同士で友達になったとしても、中二病が弱まることなどあり得ない。ただ中二病が二人に増えるだけなのだ。六人なら中二病は六倍。俺たちはどこまでも強くなれる。
 
    *
 
 高校の近くに借りた、一人暮らしの部屋に帰ってきた。
 ベッドに座る。部屋は恐ろしく狭く、真上から暖房の音が聞こえている。先ほどまで騒がしかったのが嘘のように静かだ。祭りの後は寂しい。俺は一人、楽しかったボードゲームカフェでの出来事を反芻する。
 本当に楽しくて、ゲームの内容、店の雰囲気、俺たちが交わした会話の一字一句、全てを思い出せた。名場面を何度も見返すように繰り返し思い出した。
 思い出せるからこそ、ある不安が心に引っかかった。
 俺たちが中二病のノリで騒いだことで、ボードゲームカフェに来ていた他のお客様のゲーム進行に支障をきたしたのではないか。
 
 西薗は「他者への興味、理解の早さ。興味の対象が仲間たちから一般の人々に、たった少しズレただけで、君は急速に一般的な感覚を受け入れるだろう」と言っていた。
 ボードゲームバーの客が俺たちを見てどう思ったか、俺は完璧に理解した訳ではないが、今凄く興味がある。一般の人のことを考えるなど、中二病とは程遠いと分かっていた。分かっていても考えるのを止められなかった。
 
 俺は初めて周囲の気持ちを考えたかもしれない。路傍をはじめとする学校の面々がどんな問題を抱え、どんな気持ちで過ごしているかは、確かに考えてきたつもりだ。しかしそれは俺たちが等しく中二病だから、中二病という自分自身の問題に引き寄せて考えていただけかもしれない。
 つまり俺は路傍・夜神・馬酔木・大空・逆本の内面を覗いていたように見えて、本当は自分自身の内面を見ていただけなのである。
 俺が努力することなく見出した自分らしさとは、独り言の多さだった。独り言をずっと聞かされる人は嫌だろうと思ってはいたけど、自分さえ気持ちよければ良いと思って気にしなかった。ここに来て初めて周囲の人の気持ちを考えた。
 隣で、知らないうえに興味もない話題で騒がれる鬱陶しさ。俺にも心当たりはある。一度、モンスターハンターダブルクロスの攻略情報を際限なく喋ってくる人に会った経験がある。機嫌よく喋ってくるので自分は立ち去ることもできず、死んだ目をしながら相槌を打っていた。
 俺は経験から何も学んでいなかった。俺は中二病しかいない環境に身を置きすぎて、中二病であるか否かが全ての価値を決めると思い込んでいた。仲間内で思い込む分にはいい。駄目なのは、俺がボードゲームカフェの客全員に価値観を押し付けていたことだ。
 偏った知識と仲間内でしか通じないノリを持っている自分たちこそ、今ボードゲームカフェに居る人間の誰よりも圧倒的に優れていると思い込んでいた。
 そういうのは止めた方がいいと、俺は夜神や大空との関わりからも学んだはずである。
 夜神には、勉強できるか否かのみが人間の価値を決めると思っていた過去があった。その過去を間違っていると思ったから、彼は自分の思う理想的なディスカッションを、周囲の人に押し付けて良いのか迷っていた。
 大空は、自分の思う正しさこそ社会全体に通じる正しさだと思っていた。彼女の態度が鼻についたから、俺はそうはならないようにしようと思っていた。
 それなのに、俺は中二病の重さこそが人の価値を決めると思い込み、ボードゲームカフェに来ている全ての客を相手に勝ち誇ってしまった。側から見たらすごくキモいだけの会話を、わざと周囲に聞こえるように大声で話していた。うるさいし、中二病の凄さを客に「教えてやろう」としてわざと騒いでいた節があって、より最悪である。
 
 自分たちが正義だと思って、公共の場で内輪ノリを発揮し大声で騒いで、全能感に溢れていて、そんなの協調性のかけらもない。
 俺が盲信してきた中二病とは、本当は駄目なものなのではないか。俺は今までの学校生活を振り返り、深く反省した。
 だいたい、独り言が多い点を自分らしさにしようとしているのは意味が分からない。西薗が講演で言っていたように、頭の中で言えば済むから、誰も独り言を言っていないのだ。やっても意味のないことをやって、自分しかやっていないことをやっている、などと言い出すのは馬鹿だ。
 しかも俺は、全く皿を洗う気分では無い時に「俺は今、皿を洗う事だけを考えている」と声に出すだけで不思議と目の前の皿洗いに意識を集中できる、という事実を自分が初めて発見した気になっていた。おそらくそんなのは誰でも思いつく。実行している人も沢山いるだろう。自分を過大評価しすぎである。
 路傍や大空と話すとき、ときどき理由もなく攻撃的な態度を取ってしまっていた。女子と話すなんて何でもないことなのに、照れ隠しなのか、変な感じに空回った記憶が蘇る。
 ボカロを学校で流すなんてもってのほかだ。普通のファンからすればひっそりと楽しみたいだろうに。マイナーなジャンルを公衆の面前でゴリ押ししては、ジャンルのファン全員の民度が低いと思われてしまう。あれはボカロのイメージをかえって下げる行いだったのである。
 障害が立ちはだかった時に、解決法を「暴力」しか思いつかない頭の貧弱さ。西薗に後頭部を殴られた時、真っ先に私刑に走らなくてもよかった。中二病専用道路で起きたことは罪に問えないが、とりあえず一度警察に相談しても良かったのではないか。それなのに「彼を裁けるのは自分しかいない」なんて、何様のつもりだ。
 暴力といえば、テロリストを不審者役のスタッフに変えて対処した時もそうである。不審者役に変えたなら、何も生徒30人で武装して、寄ってたかって殴る蹴るしなくても良かったはずだ。不審者役をやってくださった方が、俺たちに殺された事実は無くなったけど、記憶は残る訳であるから、もっと人の気持ちを考えるべきだった。
 自分の中二病を棚に上げて、夜神と大空に説教くさいことばかり言ってしまった。自分が出来ていないことを人にやらせようとしてはいけない。それに馬酔木の未成年飲酒については、自分が正義感を発揮してとやかくいうような問題ではない。年齢確認をせずに酒を売っている人や、飲酒を許している周りの大人たちの問題だ。
 
 これまでの自分の行いはあまりに痛々しくて、自分は社会にいてはいけない人間だとすら思った。
 俺は学校に行かなくなった。
 俺の意識は常に痛々しい過去に飛んでおり、現在のことが何にも手につかない。風呂にも入れないし歯も磨けない。Uber Eatsの容器が床に散乱していても全く気にならない。ベッドに横たわり、過去から目を逸らしたくて、常にノートパソコンの画面に向かう。過去から目を逸らそうとしても、何かキーワードが見えたり聞こえたりするたび、芋づる式に過去が引っ張り出されてきて、俺は大声を出して壁を殴ってしまう。部屋の壁は、原状回復費用が高くついてしまう程度には穴だらけだった。
 スマホの電源は切りっぱなしにした。メッセージアプリも全てアンインストールした。俺はあらゆる繋がりを絶ち、全てに詫びながら暮らした。
 曜日の間隔がなくなり、一日の境目も分からなくなった。俺はひたすら痛々しい過去を回想するだけなので、何も新しい出来事が起きない。
 
    *
 
 あれからどのくらい経ったかなど、俺は気にしていない。寝て起きる。その繰り返しだった。
 しかし今、繰り返されるルーティンとは違うことが起こっている。騒ぐ声が窓の外から聞こえて、俺の回想を妨げるのである。
「今生さーん!」
 俺はベッドに潜った。声の主が誰かなんて考えたくない。もう中二病には懲りた。何も見たくないし、何もしたくない。
「今生学12月25日生まれ16歳さーん!」
 みだりに個人情報を言いふらさないでほしい。俺は今、人から自分がどう見えるかに敏感になっており、とにかく社会との関わりを絶ちたい一心なのだ。しかし声の主は俺の所在を大声で伝え、俺に関する情報を白日の元に晒している。最悪だ。
「出てこないと、五人で布団を敷いて、歩道で川の字で寝ますよ!」
 川は3画だ。五人で漢字になって寝る場合、どの漢字になるのが適切かなんて考えたくない。俺は何も考えたくない。
「歩道で川の字で寝たら、道路交通法に触れますよ! 私たち!」
 俺のせいで警察沙汰になるなんて考えたくない。俺には前科持ちの人間と親交があるのだと、人々に思われたくない。
 あんまりにもうるさくて、俺はベッドから転げ落ち、Uber Eatsの容器を薙ぎ倒しながら這ってベランダまで出る。そしてありったけの大声で叫ぶ。
「一時間だけ待て!」
 散らかった床のわずかな足の踏み場を俺は器用に歩き、風呂に向かう。本当に久々のシャワーだ。足腰がすっかり弱って、シャワーを浴びる間ずっと立っていられなかった。
 クローゼットから色々な服を引っ張り出し、とりあえずベッドに置く。服の組み合わせが全く決まらない。決めることはこんなにも苦痛だ。人生は決断の連続と言うけれど、俺はこれを今までどうやって乗り越えてきたのか、もはや覚えていなかった。
 やっとの思いで着替える。俺はやっぱり這ってベランダに出る。人と会う時は身だしなみを整える。
 身だしなみを整えたはいいが、同級生たちの姿を拝む気にはとてもなれず、俺はベランダの壁沿いに座り込んで小さくなった。目を瞑る。
「本当に帰ってくれ!」
 俺は叫ぶ。社会との関わりを持ちたくなかった。対話を拒否するために、俺はとにかく大声を出して威嚇するほかなかった。
「おっ、本当に出てきたね」
「僕が言った通りでしょ。今生君はね、犯罪をちらつかせればすぐに出てくるよ」
 馬酔木と夜神の声まで聞こえる。特に夜神には本当に腹が立つ。俺は中二病ではないのに、夜神は自分の中にある中二病のものさしで俺の性質を勝手に決めつけている。本当の意味で俺を理解する気などさらさらないのに、理解している雰囲気だけ出さないでほしい。それはほぼ暴力だ。
「多感な時期なのは十分に承知していますけど、それにしたってどうして急に学校に来なくなっちゃったんですか」
 そうだ。路傍は気遣いができる割に、デリケートな質問を臆せずぶつけてくる人物だった。
 ここは三階で、路傍たちは道路にいる。俺が学校に来ない話など、公共の場所でしないでほしい。
「中二病じゃなくなったんだ」
「中二病じゃなくなったというなら、逆に学校に来い。中二病を卒業しているのに中二病の学校に通っている唯一無二性は、学校一番の中二病になるポテンシャルを秘めていると思うがね。逆に」
 逆本も大概人の話を聞いていないようだ。俺は中二病ではないと伝えたばかりなのに、まだ「学校一番の中二病」などと言っている。俺は「学校一番の中二病」という、いかにも中二病を良いものだと信じてやまない人しか使わないような単語の組み合わせが、本当に嫌になってしまったのだ。
 彼には人の考えを否定することしかできない。提示された考えの逆しか言えないから、主体性が何にもないのである。俺は今、何もしたくない。主体性のない人間に、主体性を持って何かしろ、などと言われたくないのだ。
「学校教育とは、結局は資本主義を立ち行かせるのに都合の良い人間を育てる大規模な計画でしかない。今生君の、体制に屈しない姿勢は評価できるけど。でもそうやって何もしていない時間は無駄と言わざるを得ないわ」
 中二病はすぐ資本主義・教育を否定しようとする。自分が一番資本主義・教育の恩恵に与っているにもかかわらず。ちゃんと勉強した上で言うならいいが、ただネットで聞き齧った知識をさも自分が思いついたように主張するのである。薄っぺらい体制批判と、あとは大英帝国・イギリス連邦が過去に行った陰湿な行いを揶揄する行動もよく見られる。
 大空の、何でもすぐに話の規模を大きくしてくる感じが本当に腹立たしかった。
「ほら、みんなこんなだからさ。今生君と一緒なら、僕もこの四人とは楽しく喋れるけど。でも、君が居なかったらぶっちゃけ何を喋ったらいいのか分からないんだ。だから学校に来てくれたらかなり嬉しいよ」
 妙にリアルな人間関係の話を聞かせてくるのは本当にやめてほしい。「関係」も俺は嫌になった。
 学校にあった相関図、なぜ俺はアレをいいと思っていたのだろうか。あんなのがあっても、生徒同士のカップリングを妄想する中二病たちがイキイキして終わりだ。中二病は実在の人物、特に学校で顔を合わせる同級生たちを題材に、平気で自分の妄想を吹聴する。人格権を損ねまいとする意識に欠け、ナマモノジャンルは隠れるべきだという常識も知らない。つまり最悪なのである。
 これに関しては、夜神は何も悪くない。何も悪くないが、生徒の相関図を久々に思い出させてきたのは嫌だった。
「アタシ、このマンションの壁ぐらいなら普通に登れるよ。アンタが籠城する気なら、今すぐそっちに行って首根っこ掴んで連れ戻したっていいんだ」
 それは中二病がどうこうじゃなく、普通にやめてほしい。
 かつての俺は馬酔木の見事な肉体を、ストイックな中二病の賜物だと思って崇めていた。しかしそれは間違っていた。馬酔木は中二病とか関係なく、ただ筋トレをしているだけなのである。もし筋トレと中二病を結びつけて良いなら、世の中のボディビルダーはもれなく強烈な中二病ということになってしまう。勝手に俺に中二病認定されて、ボディビルダーの皆様はさぞお怒りだったろう。俺は、改めて全方面に詫びた。
「もう中二病に戻りたくない。俺はもう駄目なんだ。最低なんだ」
「最低なものですか。最高の中二病にして、最高のお友達でしょう?」
 俺は中二病ではないのに、路傍によって最高のところまで担ぎ上げられている。最悪だった。本当に帰ってほしい。
「私、知ってるんですから。今生さんが、最高の中二病ならどうするか、常に考えながら行動していたのを。結果、私たちは志を同じくするお友達に恵まれて、学校生活は想像していたよりずっと楽しくなりましたよ。今生さんのお陰なんですからね」
 今ほど中二病を呪った瞬間はない。俺たちが中二病としてではなく、至って普通の学校で、至って普通に出会えてさえいれば、きっと全てが丸く収まっていただろう。仲間と別れたくはないのに、その仲間がよりによって中二病なのが、嫌で嫌で仕方ないのである。
 俺は依然として、ベランダの壁沿いに座り込んでいた。同級生たちの顔は見たくなかった。顔を見れば中二病だった自分を否応なく思い出すだろうし、かけがえのない仲間を失った事実を突きつけられる気がするのだ。
「そこまで強情になるなら、こちらにも考えがあります」
 頼むから、目立つことだけはしてくれるな。
「今生さんが下りてくるまで、五人分の布団を敷いて、歩道で川の字で寝ていますからね!」
 またそれである。脅しになっているのかよく分からない内容なのに、中二病と関わりたくない俺にはよく効いてしまう脅しだ。
 布団というのはおそらく路傍の私物だ。路傍が野宿愛好家で、中二病だから持っている品なのである。五人が彼女の布団を敷いて、俺の住むマンション沿いの歩道で寝るということはすなわち、俺が再び中二病に巻き込まれることを意味する。そんなのは絶対に避けたい。
 加えて歩道で川の字で寝ると、たぶん道路交通法76条のどれかに抵触する。中二病な行為は中二病専用道路で、俺の見えない場所で勝手にやっていてほしい。
「持久戦ってやつか。滾ってきたねぇ」
「持久戦と見せかけて、今生に犯罪行為をちらつかせることで、ン僕たちは短期決戦を仕掛けているのさ」
「でもこれ数日出てこない可能性もあるでしょ? その時は初野宿になるね。ちょっと楽しみかも」
「コンビニであんパンと牛乳、買ってくる」
 どうして彼らは中二病に対してそこまで前向きでいられるのだろうか。俺は座っていて彼らの姿が見えない。見えなくとも、俺の苛立ちに反して彼らが楽しそうにしているのは声で伝わってきて、その事実が俺の神経を逆撫でする。
「はーい、これ人数分の布団です。バッグから各々出して準備してくださいね」
「うるさい! うるさい! うるさい!」
 座った俺の体からは大した声量は出ない。それでも出来る限りの大声を出して彼らを威嚇した。
「アンタの部屋、釘宮理恵でも飼ってるのか?」
 いきなり『灼眼のシャナ』の話をされ、俺は頭がおかしくなりそうだった。もう何をしても中二病のノリに巻き込まれてしまう。あとアニメのキャラクターを声優の名前で呼ぶのはウザすぎるから本当にやめてほしい。帰ってほしい。
「どうしたら帰ってくれるんだ! これ以上居座るようなら、アレだぞ! ここから飛び降りて大ごとにするぞ!」
 我ながら言っていて意味が分からなかった。マンション沿いの歩道に布団を敷いて川の字で寝るのと同じぐらいには意味が分からなかった。意味など無い。俺はとにかく腹が立っていて、何が何でも社会との関わりを絶ちたいのである。
「えっ大丈夫? 今生君、自分では気づいてないかもしれないけど、いま凄く中二病なこと言ってたよ?」
「逆に良いんじゃないか?」
 駄目だ。話が全く通じない。話が通じない相手には行動で示すほかないのだ。
 丁度よかった。俺の居場所など社会には無いと思っていたし、もう何も見たくないし何も聞きたくないし、何もしたくない。
 今の俺は無敵で、やる気がみなぎっていた。勢いのまま立ち上がり、ベランダの手すりに登って身を投げた。
 目を瞑り、浮遊感に身を任せながら思った。一連の流れは、中二病を発揮している時に似ている。やる気が起こって、全能感のままに行動を起こすあの感じである。俺は今、自分の躰がひしゃげるさまを五人に見せつけるために飛んだ気がする。「見せつけるため」というのが中二病臭くて嫌だった。また、もしかしたらここ最近の、過去を内省した日々すら、中二病なら等しく通る道でしかなかったのかもしれない。結局、俺は中二病からは逃れられなかった。中二病が駄目だと分かっていても、それなしでは自分らしく居られない哀れな人間。今生学なのである。
 硬いアスファルトの衝撃を、俺は待った。
 
 予想に反して、フワッフワな感触が俺の全身を包む。
 俺が落ちたのは道路の上ではなく、路傍が人数分持ってきた大型の掛け布団・敷き布団、合わせて10枚重ねの上であった。
 呆然とする俺。布団の端をがっちり抱えている五人。五人は俺を囲み、口々に、危なかった、コワ〜、などと言っている。
「あっ今生さん、誕生日おめでとうございます。今日でしたよね?」
 日時の感覚が無くなっていたが、どうやら今日は12月25日、クリスマスにして俺の誕生日らしい。本来、路傍たちは一言祝いに来ただけのようである。さすがに意味が分からなかった。
 高い場所から飛び降りるシチュエーションは中二病的で、都合良く助かるのもまた中二病的だった。こういう場面で泣くのも中二病的だろう。俺は中二病のマニュアルに沿って涙を流した。
 
「え? じゃあボードゲームカフェの店員さんに一言謝っておきます? そんなに気になるなら」
 俺は極寒の空気にガタガタ震え、路傍の布団にくるまって、俺たちが中二病のノリで騒いだために他の客にかかった迷惑について話した。かなり真面目に話したつもりだったけど、五人はきょとんとした顔つきで聞いていた。
「今生君、これ。店の電話番号入れておいたから」
 大空が携帯を手渡してくる。すでに番号が打ち込まれており、後は発信するだけだった。
「クリスマスってボドゲカフェは営業してるのか?」
「逆に営業していない訳がない。むしろ書き入れ時だろう」
「さっき店のTwitterアカウント見てみたけど年中無休って書いてあったよ」
 逆本と夜神が逃げ道を的確に塞いでくる。
「あぁ? アンタ、ビビってるのか。大丈夫さ。アタシたちが見ててやるから」
 馬酔木は顔を綻ばせて勇気付けてくれる。
 しかし、ここまでお膳立てされておいて、俺は怖くて緑色の発信ボタンを押せなかった。指が震えるのだ。
「えい」
 見かねた路傍が横から割り込んで勝手に発信した。
「おい待て。でも路傍ならこういう事しそうだな」
「今生さんもう電話繋がってますよ」
 俺は急いで通話をスピーカーモードに切り替える。ボードゲームカフェの店員から言われる内容を、たった一人で背負い切れる自信が無かったからだ。
 まず、俺がいつ来たどの客なのか説明しなければなるまい。また、俺たちが来た日に出勤していたスタッフに対して謝った方が誠実だと思うからそうしたい。その旨を説明した。
「身長2メートルぐらいのマッシブな女性を含む六人で来た客なんですけど……」
「あぁ。完全に思い出しました。その日わたくしは出勤しておりましたし、お客さまの受付もやりました」
 俺は、ボードゲームカフェで働いた非礼の数々を全て詫びた。口に出すだけで辛く、しどろもどろな言い訳のようになってしまった。しかし五人に見守られて、言えることは言い切った。
「あー。その日に出勤して様子を見ていた立場から申し上げますと、全ッ然大丈夫です」
 スタッフは俺の重苦しい謝罪をあっけらかんと受け入れた。
「先程から、お客様はしきりに『中二病』という単語を使われるので、その言葉を借りて申し上げますとですね」
 五人は顔を背けて小刻みに震えている。笑いを堪えている。
「中二病基準の大騒ぎは、一般人基準のふつう未満でございます。お客様は常識の範囲内で楽しんでおられましたし、何ならもっとテンションが高くても良かったと思います」
 努力せずにできることは大抵しょうもないので中二病はしょうもない。ボードゲームカフェからしたら、俺たちの騒ぎぶりは騒いでいるのかも判別できないぐらい瑣末で、しょうもない規模だったようだ。中二病の俺は、自分の騒ぎ方を過大評価していたのである。
 全くしょうもない決着であった。この瞬間に、俺が自室に籠り全方位に詫び続けた日々もしょうもなくなった。しょうもなくなって良かったのだ。俺はもう社会の一員に戻れない覚悟さえしていたから。
 中二病がしょうもなくて良かった。
 俺は布団にくるまり、五人に見守られながらおいおい泣いた。しかも歩道で。意味が分からない。
 
    *
 
 俺はひさびさに登校してみた。
 校舎に入ってすぐ、横から、見目麗しくあどけない姿の少年が声をかけてきた。彼は西薗銀次(さいえんぎんじ)、私立湖甲高校1年Υ(ウプシロン)組に所属する科学者。入学初日に俺を気絶させ、中二病を卒業しやすいように俺の体を改造した張本人である。
「率直に言うと、実験は失敗したよ」
「だろうな」
 彼は、俺が中二病を卒業する瞬間に生じるという何らかの力を回収しようとしていた。しかし今俺は懲りずに登校していて、中二病のままだった。
「一般的な感覚に突然触れた君は、社会との関わりを絶とうとするほどに深く身の程を知った。その時、たしかに膨大な力が君の周りに生じた」
 西薗はにやりと笑う。
「しかし。その力は全て、君の中二病が一周するのに使われてしまってね」
「中二病が一周する?」
 耳慣れない組み合わせの語だったためオウム返ししてしまう。
「一周した中二病だよ。それは一般の中二病とも、努力の末に中二病を超えた中二病とも違う」
 中二病を超えた中二病とは1年Υ組に所属する特待生、西薗のような人々である。
「一般の中二病は、中二病であればあるほど良いという価値観を盲信し、漠然と中二病らしくあろうとする。一方で、一周した中二病はね、明確な目的を持って中二病らしくあろうとするのさ」
 ひとりでに、五人の仲間たちに救われたあの日、俺の誕生日でもあるあの日の出来事が思い出される。
「今生君。君は目の当たりにしたはずだ。君の素敵なお友達が、君を学校に連れ戻すために、道路交通法スレスレの中二病を発揮していたのをね。それを見て、君は何かを感じなかったかい?」
 五人は法に触れてまで中二病を発揮した。それは俺を立ち直らせ、命すら救う目的があったからである。
 では、俺が中二病らしくある目的は何だろう。
 ふと前を見ると、壁一面の相関図が、長い廊下の端から端まで続いていた。
 一年生のところにもびっしり引かれている色とりどりの線。わずかな関係性しか描かれていなかった入学初日とはえらい違いである。線はあまりに複雑で、予備知識のない人から見れば何が何だか分からないだろう。しかし俺には分かった。予備知識があるからだ。
 友達がはしゃいで、看板の下をくぐろうとして頭をぶつける。たったそれだけで笑えるのは、頭をぶつけたのが見知った友達だからである。俺は中二病をそういう風に使いたい。自分達にしか分からない背景があって、つまらないノリでも思わず笑い合ってしまう、そんな究極の内輪ネタ。
 決して偏った知識や独自のノリを持っていることを誇るのではなく、ただ仲間たちと絆を深めるために中二病でありたい。
 側から見て振る舞いがどんなに痛くてもいい。塞ぎ込んでしまうよりずっといい。決してコンプレックスから中二病に走るのではなく、今の学校生活を楽しむために中二病を発揮したいのだ。
「フ、また会おう」
 西薗は風のように消えた。
 
 五人の仲間たちは、俺を立ち直らせる目的で中二病を発揮した。俺はそんな仲間たちと笑い合う目的で中二病らしくあろうと決めた。
 そして、中二病そのものが持っている目的がある。それは我々の心の発達を促すことである。中二病とはいわば、自分の未熟さに気づいて、そこから徐々に成長していくための段階だ。
 だから、もしもこの世界が一編の物語だったら。中二病だった過去に囚われて前に進めずにいる読者に、物語が届いていたら。どうか中二病だった過去を必要以上に悔やまないでほしい。それは必要な過去だったし、悔やむべき過去は存外しょうもないのだ。
 
 階段を、ソウルメイトたちが駆け下りてきた。
ディスイズ春菊 IiDFuYIdAU

2022年12月25日 22時55分15秒 公開
■この作品の著作権は ディスイズ春菊 IiDFuYIdAU さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:読む黒歴史
◆作者コメント:犯罪の描写があります。流血描写があります。人が死ぬ描写があります。法律についての話は、素人がネットで調べながら書いたので鵜呑みにしないでください。強い偏見によって書かれた部分もありますが、差別の意図はありません。

中二病を前向きに捉えた作品を書こうと思って書きました。

2023年01月21日 22時34分50秒
0点
Re: 2023年01月30日 19時27分22秒
2023年01月05日 19時56分37秒
+20点
Re: 2023年01月19日 13時01分37秒
2023年01月02日 17時25分52秒
+20点
Re: 2023年01月19日 13時00分36秒
合計 3人 40点

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