トカゲの尻尾と蛇の抜け殻

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 机の私物をまとめると、段ボール箱に無造作に放り込む。
 七年勤めた職場だというのに、この程度しか荷物がないのかと考えると物悲しい。
「……」
「なんてツラしてんだよ、お前。せっかく可愛いのに台無しだぞ?」
 二年間面倒を見た部下が、深い隈の出来た目でこちらをじっと見つめている。
「……セクハラですよ」
「今日で辞める人間にそんな脅しは通用しない」
 彼女は今にも泣きそうに俯く。
 俺は引継用の顧客リストを目の前にある部下の頭に軽く押しつける。
「……ほれ。めんどくさい客には注釈も付けておいたから。頑張れよ」
「ううう……!」
 俺は軽くため息をつく。
「言ったろ? もう決まったことだ。まぁ、多少不本意ではあるが」
「なら……! だって、こんなのおかしいですよ!」
「……声がでけぇよ」
「だって、こんなのまるで……!」
「よせ。何を言おうとしてるのかは分かるけど、好きじゃないんだよ、その言い回し」
 強めの口調で遮る。
 彼女はハムスターのように頬を膨らませて黙り込む。
 周りからの視線が痛い。
「……まぁ、何だ。色々世話になった。駄目な上司でごめんな」
「主任……」
 これ以上いると本当に泣き出しそうなので、俺はビジネスリュックを背負って、荷物を抱える。
 一瞬、上司と目が合うが、不愉快そうに逸らされる。
「皆さん、これまでお世話になりました!」
 一度だけ深く頭を下げると、それ以上何も言わずに玄関を出る。
 外は快晴。絶好の退職日和だった。




 ばあちゃんが亡くなった。
 その知らせを受けたのは、俺が『自己都合退職』という名の解雇の憂き目にあった翌日だった。
 悪いことは重なるもんだと思ったが、逆にちょうどよかったのかもしれない。
 何しろ、仕事を辞めてなければ、葬式に出るために上司(クソヤロウ)の嫌みを延々聞かなきゃならなかったからだ。
 ばあちゃんに最後に会ったのは多分、俺が免許を取った年だったから、十年近く前になる。
 親父の車を借りて、運転の練習がてら遊びに行った。
 ちなみに場所は熊本の山奥である。
 道幅は細いし、ガードレールもまともに無いような所を走らなければならない。
 万が一、事故やトラブルで立ち往生でもしようものなら、携帯も通じない山奥で孤立する羽目になる。
 最悪、電話のあるばあちゃんの家まで徒歩で向かう羽目に。
 よくもまぁ、まともに運転したこともないようなガキが、無事にたどり着けたと思う。
 若さの賜ってやつだろうな。
 俺は路肩に愛車を停めて、煙草に火を付けた。
 業務時間中に一服しに行く所も気に入らなかったんだろうな、と今になって思う。
 あの上司とは徹底的に合わなかった。
 ただ、数字は出していたから、上手くやれているとも思っていた。
「……馬鹿だったなぁ」
 スマホのナビを見ると、ばあちゃんの家まであと三〇分といったところだ。
 到着は多分二十三時頃になるだろう。
 俺は再び車に乗り込むと、灰皿に煙草を押し付ける。
「さて、行くか」
 シートベルトを締め、エンジンスタートボタンを押し……
「……あれ?」
 掛からない。
 二度、三度と押してみるが、一向に掛かる気配がない。
「何だ?」
 ブレーキも踏んでいるし、サイドも引いてある。
 さらに、二度、三度。
 駄目だ、掛からない。
「おい、マジかよ」
 ガソリンも入れたばかり、原因が分からない。
 思わず、後頭部を背もたれへ投げ出す。
 よりによってこんな場所で立ち往生とは。
「呪われてんのか?」
 だめだ、最近独り言も増えた気がする。
 深呼吸をして、また車を降りる。
「JAF呼ぶしかないか……」
 俺はスマホで番号を検索して、そこでふと気づく。
「何だありゃ……?」
 さっきまでは気づかなかったが、道の山側の茂みの奥が、ぼんやりと光っている。
 車のライトを消してみる。
 明らかに人工物とは異なる不思議な光だ。
「幽霊? まさかな」
 俺はスマホのライトで足下を照らしながら、ゆっくりと近づいていく。
……そこにあったのは、古い石の祠だ。
 長い間、放ったらかしにされていたんだろう。
 所々苔むしており、腐りかけた標縄には紙垂も付いていない。
 そして、光の正体は……



「……ん、何や童女(わらめ)よ。久方ぶりではなかか」



 三角座りで寝惚け眼を擦る、発光する女の子だった。
 小学生……位だろうか。
 何でこんな時間に、こんな小さい子が、こんな場所にいるんだ?
 てか何で女の子が光ってるんだ? 
 そりゃ可愛い女の子は光り輝いてるのかもしれないけど、ってそういう意味じゃねぇだろ。 
 思考が完全に停止する。
 気づくと、少女と目が合っていることに気づく。
……言葉が出ない。
 正直なところ、俺は混乱していた。
 まさか、本当に幽霊? 別段、そこまでオカルトに偏見は持っていなかったけど、今までそういった現象に出くわしたことは無い。
 ばあちゃんは信心深かったから、よく『山には神様が住んどるけん、悪かことするとバチかぶるばい』なんて言っていた。
 勘弁してくれ。
 ってことは、これは何かのバチなのだろうか。
 俺が固まっていると、不意に少女が口を開く。
「……誰や、ぬし」
「……?」
「なし真夜中にこぎゃん場所におっと?」
 少女はこちら訝しむように眉根を寄せる。
「いや、俺は……」
「ふむ。こぎゃん所ば訪ねてくる物好きはしばらく一人しかおらんだったが」
 純白のおかっぱ、純白の着物、青白い肌。
 それら全てが薄ぼんやりと光を放っている。
「おい、聞いとっとか?」
「へあっ、はいっ!」
「……何やぬし、変なやつばい」
 少女は欠伸すると、お尻を軽く叩く。
「で、どげから来たんや? 何ばしにきたと?」
「あ、えっと……ばあちゃんの葬式があって東京から」
 少女は目を見開く。
「何だ、こっちの人じゃないのね」
 口調が標準語に変わる。
「なら、こっちの方が良いわよね。驚かせたかしら? ごめんなさいね」
 少女は屈託のない笑みを浮かべる。
 俺はつばを飲むと、意を決して問いかける。
「あんた、人間か?」
「さぁ、どう思う?」
 少女の目がすぅっと細くなり、着物の裾で口元の笑みを隠す。
「……」
「そんなに怖がらないで。別に脅かすつもりはなかったのよ。久々に人間に会ったから、ちょっと興奮しちゃったの」
「それじゃ、やっぱり……」
「ええ、人間じゃないわね」
 見た目にそぐわぬ大人びた口調に違和感がない。
 そこがとても不自然だ。
「だからって、取って食ったりしないわ。あと、幽霊でもないから取り憑いたりもしない」
「……信じられないな」
「ならどうする? 帰るならどうぞ。ちょっと寂しいけれど」
「寂しい?」
「言ったでしょう? 人と会うのは久しぶりなの。やることも無いし、色々とお話したかったのよ」
 そういって少女は苦笑する。
「……話ってどんな?」
「付き合ってくれるの!?」
「待て! 近寄らないでくれ! まだ全面的に信じたわけじゃないんだ」
「何よ、疑り深いわね」
 少女は唇を尖らせる。
 その仕草が妙に可愛く見えて、俺は慌ててかぶりを振る。
「……こうしよう。まず、俺が一つ質問をする。で、あんたはそれに答えるんだ」
「質問?」
「ああ。別に答えられなきゃ答えなくてもいい。そしたら次はあんたが俺に質問しろ。俺は答える。で、それを夜が明けるまで続ける」
「面白そう!」
 少女は心底楽しそうに手を合わせる。
 何となくだけど、この子は危険じゃないかもしれない。
 我ながらチョロいと思うが、彼女の笑顔を見ていて、そう感じた。
 それに、もしこいつが幽霊なら、朝になれば消えるだろう。
 俺は適当な大きさの岩の上に腰掛ける。
「……煙草吸ってもいいか?」
「ええ、どうぞ」
 夜明まで、まだ時間はある。
 俺は覚悟を決めると、肺いっぱいに吸い込んだ煙を空へと吹き出した。




「じゃあ、一つ目の質問だ。あんた、名前は?」
「えっと、そうね。アオって呼んでちょうだい」
「何だそりゃ。本当に名前か?」
「本当の名前はもうちょっと長いんだけど、実はあんまり好きじゃないのよね。可愛くないんだもの」
「……まあいい。ならアオ、次はあんたの番だ」
「それじゃ、貴方の名前を教えて?」
 俺は少し考える。
 果たして本名を教えていいのだろうか。
 アオは決して悪い存在には見えないが、それでもまだ一〇〇パーセント信用しているわけじゃない。
「……なら、シュニンって呼んでくれ」
「分かった。シュニンね」
 まぁ、実際にそう呼ばれていたわけだし、まんざらデタラメでもないだろう。
「次は俺だな。アオはここで一体何をしてたんだ?」
「……何をしていた、かぁ」
 アオは頬に手を当てると首を傾げる。
 答えに悩んでいるようだ。
「答えられないか?」
「えっと、そう言うわけじゃないんだけど。どう言えばいいのかなって」
「何だよそれ。自分が何をしていたかも分からないのか?」
「……うーん。上手く伝わるかしら。実は私、やらなければならないことが無いのよね」
「……意味が分からん」
「何て言えばいいのかな。やらなければならないことがあって、その役目が終わったから私が産まれたっていうのが一番正しいのかも。だから、何をしていたかって聞かれたら、何もしていなかったっていうのが事実かな」
 嘘を吐いているようには見えない。
 アオは自分の回答順は終わったと判断したようだった。
 俺は、無理に聞き出したいことでもないのでそれ以上の追求は止めておくことにする。
「私の番ね。じゃあ……、シュニンが子供の頃好きだった物は?」
「子供の頃……? 今じゃなくて?」
「私、子供が好きなんだもの。さっき、会いに来てくれる子が一人だけいるって言ったでしょう? それも小さな女の子だったの」
「……こんなとこまで小さな女の子が遊びに来るのか?」
「最近って言っても、人間(あなたたち)の感覚で言えばずっとずっと昔、何十年も前のことよ」
 アオは懐かしむように空を見上げる。
「今頃元気にしてるかしら」
「いや、そんな前なら流石にもう亡くなってるんじゃないか?」
「ふん。シュニンは意地悪ね」
 アオはそっぽを向く。
「……それで? 何が好きだったのよ?」 
 今度は俺が空を見上げる。
 子供の頃好きだったもの……。
「恐竜……」
「え?」
「恐竜が好きだったんだよ。ティラノサウルスやトリケラトプス。知ってるか?」
「……ごめんなさい、ちょっと分からないかも」
 俺はスマートフォンで画像を検索し、アオに見せる。
「……うわぁ、大きなトカゲ。これが恐竜っていうの?」
「……お前、他人のこと意地悪って言える立場かよ」
「?」
「恐竜は恐竜なんだよ! トカゲとは別物だ! 見ろよ。トカゲに角が生えてるか? トカゲが牙や爪を使って狩りをするのかよ!」
「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ。ごめんなさいってば」
「二度と言うなよ?」
「言わない」
 アオはため息を吐くと、再びスマホの画面に目をやる。
「でも、こんな大きい生き物、この山では見たことないわね。一体どこに住んでるの?」
 何の邪気もなく投げかけられた質問に、少し言葉が詰まる。
「……住んでない」
「えっ?」
「もういないんだ。絶滅してしまって、この世には化石しか残ってない」
 ため息を吐く。
「……そうなんだ」
「ああ。だけど、そういう所もロマンがあってさ。俺はどうしても恐竜に会いたくて……」
「会いたくて?」
 苦い思い出が蘇る。
「いや、何でもない。さて、次は俺の番だな」
 俺は強制的に話を打ち切る。
 アオはまだ何か聞きたそうにしていたが、黙って俺の質問を待った。




「というわけ。分かった?」
「……あんた、本当は何歳なんだよ」
「安易に女性に年齢を聞く物じゃないわ。紳士なら尚更ね」
 話していて、分かったことがある。
 アオはやはりその見た目とは異なった時間と場所を生きている。
 少女らしからぬ口調や、不相応な落ち着き。そして、知識の偏りも。
「……そろそろ夜が明けそうね」
 不意にアオが呟く。
「ん? もうそんな時間か?」
 今度は俺が顔を上げると、確かに空が白み始めている。
「じゃあシュニン。これが最後の質問ね」
「おう」
「さっき、恐竜の話をしていた時に、何か言いかけて止めたでしょう?」
「……ああ」
「何の話をしようとしてたの?」
 覚えてやがったか。
 俺は頭をかく。
「話したくない?」
「……いや。だけど大して面白い話でもないぞ?」
「構わないわ」
「笑うなよ?」
「面白くない話なんでしょう?」
 俺が舌打ちすると、アオは微笑む。
「……昔、恐竜がどうしても欲しくてさ。虫取り網片手に探し回ってたことがあるんだよ」
「恐竜を?」
「いや」
「そうよね。恐竜は絶滅してしまったって言ってたもの。じゃあ、何を探し回っていたの?」
 頬が熱くなるのを感じる。
「……ゲ」
「えっ?」
「トカゲだよ、トカゲ。同じ爬虫類だし、仲間のようなもんだろうって」
 アオは目を丸くする。
「だってシュニン。貴方、さっき恐竜とトカゲを一緒にするなって怒ったじゃない」
「……それとこれとは話が別だ」
 いたたまれなくなって目を逸らす。
「……ふふ」
「あ、てめぇ。笑いやがったな」
「だって……、あはははっ!」
 言わなきゃ良かったと激しく後悔する。
 アオはお腹を抱えて肩を震わせている。
「……ちっ。もういい。好きなだけ笑え。若き日の過ちだよ」
「ふぅ……。ごめんなさい」
 アオは目元を着物の袖で拭う。
「それで? 幼き日のシュニンは小さな恐竜には出会えたのかしら?」
「……殴るぞ?」
 俺が拳を振り上げると、アオはわざとらしく頭を押さえる。
 その顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
「来る日も来る日も原っぱや森を歩き回ってさ。やっとの思いで一匹見つけたんだよ。尻尾の先の青いトカゲを」
「あら、良かったじゃない」
「まぁな。俺は喜び勇んでそいつに網を掛けた。嬉しかったよ。念願の……に会えたって」
 俺の声が小さくなった所で、アオは再び小さく吹き出した。
 もう知るか。
 俺は自棄になって先を続ける。
「で、捕まえたわけだが、俺はそこでやらかしちまった」
「やらかし?」
「ああ、尻尾の先を持っちまったんだ」
 アオは納得したように頷く。
「自切ね?」
「そ。尻尾の根元からプツンと切れて、せっかく捕まえたトカゲを逃がしちまった。まぁ、今思えば良かったのかもな。後から分かったんだけど、トカゲを飼うってのはえらく難しい。金も掛かるし、手も掛かる。両方掛けないとあっさり死んじまう」
 せっかく捕まえたトカゲでも、殺してしまうよりはずっといい。
「……そうね」
「で、だ。肝心なのはここからだ。知ってるよな。トカゲの尻尾ってのは、切れた後もしばらく動き続ける」
「ええ。逃げる自分から注意を逸らすための囮になるのよね」
 スマホでニホントカゲの幼体の画像を検索する。
 記憶に残っているのと全く同じ姿を見て、俺は自嘲する。
「どうやって動いているのか。詳しい原理は知らないんだけどさ。とにかく、俺はその尻尾を家に連れて帰ったんだよ」
「何故? 戦利品?」
「いや、飼おうと思ったんだ」
 アオは不思議そうに小首を傾げる。
「飼う? 尻尾よね?」
「ああ、尻尾だよ。水槽に土を敷いて、隠れるための石や、喉を潤すための水場を作ってさ」
「水場を尻尾のために?」
 俺は頷く。
「ああ。笑えるだろ?」
「ご、ごめんなさい。別に馬鹿にしているつもりはないのだけど」
「いいんだ。むしろ笑ってやってくれ。そうして、準備万端整った時には、もう尻尾はピクリとも動かなくなってたよ」
「……」
「俺はその尻尾を庭の隅っこに埋めて、墓を立ててやった。そしたら、何故か涙が出てきてさ。不思議だよな」
 アオはいつの間にか、とても真剣な表情になっている。
「……一つ聞いてもいい?」
「ん?」
「何故、その尻尾のためにお墓を作ろうと思ったの?」
 改めて聞かれると不思議だ。
 当時は何故涙が出るのかも分からなかった。
 寂しかったのかもしれない。
 では、今ならどうか?
「……んー、何というか、その尻尾にも命がある気がしたのかもしれないな。少なくとも、俺の手の中で動いているときにはさ」
 そこまで言って、自分でも何故かすっきりした気がした。
 何故、自分があの言葉を嫌うのか。
 何故、部下が俺を庇うための言葉ですら、遮ってしまったのか。
 その理由が腑に落ちた気がしたのだ。
 アオは、なるほどと一つ頷くと黙ってしまう。
 沈黙がとても気まずい。
「わ、悪いな。こんな話で。つまらなかったろ?」
「……いいえ。素晴らしかったわ。貴方と会えたのは運命だったのかもしれない。
「? どういうことだよ」
「……そうね、私の話も聞いてくれるかしら?」
 上目遣いで訊ねてくる。
「お、おう。別にいいよ。夜が明けきるまではもう少し時間があるし」
「……ありがとう」
 そう言うと、アオは躊躇いがちに続ける。
「蛇、いるわよね」
「蛇って、あの細長くてにょろにょろ這う蛇か?」
「そう。トカゲもそうなんだけど、蛇って脱皮するの。知ってるかしら?」
「勿論、知ってるよ。何せ、飼おうとしたんだからな」
「ふふふ……じゃあ、蛇は自分だけじゃ脱皮出来ないっていうのは知ってる?」
「は?」
「考えてみて。蛇って手足が無いでしょう? なら、どうやって皮を脱ぐと思う?」
「……言われてみれば、確かに」
「蛇はね。脱皮の時に、自分の周りにある物に、自分の皮を引っかけて、少しずつ剥がしていくの。もし蛇を入れる水槽に皮を引っかける物がなかったら……」
「上手く脱皮出来ないってことか。は-、それは知らなかったな。トカゲもそうなのかな?」
「どうかしら? でも、脱皮って健康でいるためには必ずしなければいけないことだから、しっかりと調べておかないとね」
「そうだなぁ」
 どうしよう?
 本格的にトカゲを飼いたくなってきたかもしれない。
 今なら多少貯金もあるし、時間もある。
 考えていたら楽しくなってきた。
 アオは眩しそうに目を細める。
「ねぇ、シュニン」
「ん?」
「貴方さっき、トカゲの尻尾が生きている気がしたって言ったわよね?」
「……ああ」
「なら、蛇の抜け殻はどう思う? 脱皮した後の皮にも命は宿っていると思う? それとも、ただ脱ぎ捨てられただけのゴミかしら」
「……考えたこともなかったな」
「……そっか」
 少し残念そうに頷くアオ。
 俺は、蛇の脱皮するところを想像する。
 木の幹や石の角に皮を引っかけて、頑張って脱いでいく蛇の姿。
 うん、可愛いかもしれない。
 じゃあ、脱ぎ捨てられた皮はどうか?
「うん。生きてるかもな」
「えっ?」
「今想像してみたんだけどさ。少なくとも、俺の手の中で脱皮した蛇がいたとしたら、その皮には命が宿っていたと思う」
「……そっか」
 転び出た言葉は同じだが、表情は幾分嬉しそうだった。
「おっ、夜明けだな」
 木漏れ日が差し込んで目がくらむ。
 JAFを呼ばなければならないと思った。
 多分、親戚はもう皆集まっているだろう。
 葬式に遅れたら、ばあちゃんにバチを当てられそうだ。
 俺は立ち上がり、スマホをポケットに入れる。
「行くの?」
「ああ」
「そっか。気をつけてね」
「アオはどうするんだ?」
 俺の質問に、彼女は目をぱちくりさせる。
「……言ったでしょ? 私の役目は終わってるの。やることなんて」
「なら、一緒に来るか?」
「えっ?」
「無いんだろ? やること」
 俺は手を差し伸べる。
 少女はその手をじっと見つめ、やがて相好を崩す。
「……そうね、それもいいかも」
「なら、決まりだな」
 アオは俺の手を取ると、立ち上がる。
「でも、今はだめ」
「はぁ?」
「やることは無いけど、準備は必要なの」
「何だそりゃ?」
 アオは後退る。
「貴方は行くところがあるんでしょう? それが終わったら、またここへ迎えに来て」
「そんなこと言って、すっぽかすつもりなんじゃないのか?」
「ふふ。そんなことしないわ」
「……まぁ、いいや。分かった」
 俺は振り返り、歩き出す。
「なるべく早く戻るよ」
「ええ、待ってるわね」
 背中へぶつかった返事は、やけに遠い気がした。




 結局、俺がばあちゃんの家に着く頃には午前一〇時を回っていた。
 到着が遅れたことを両親にこっぴどく叱られ、次の仕事は決まっているのかだの、結婚はどうするだの、質問攻めを受けた。
 こっちは徹夜で質問に答えてたんだから、少しは自重して欲しい。
……ちなみに、葬儀はしめやかというよりは穏やかに行われた。
 ばあちゃんの死に顔はとても綺麗で、ありきたりだけれど、眠っているようだった。
 手を合わせている時に、それとなく『ばあちゃん、山ん神様はいるかもしれん』と報告したところ『うちん言うた通りやろう?』って返事が聞こえた気がして、笑いをこらえるのが大変だった。




 ばあちゃんとの別れを終え、あの場所に戻ったのは二日後の夜だった。
 俺はこの前と同じ場所に車を停め、アオを迎えに行く。
「おーい、来たぞー」
 祠の前で呼びかける。
 辺りを見回すが、誰もいない。
 夕闇を静寂が支配している。
 今思えば、全てが幻に思えてくるような不思議な時間だったと思う。
 あの夜にも座っていた岩に再び腰掛けて、煙草に火を付ける。
 無言で一本、根元まで吸いきる時間をそこで過ごした。
 やがて、携帯灰皿に吸い殻を押し込むと、頭をかく。
「……フラれちまったかな」
 その瞬間だった。
『待ってたわよ』
 そう言われた気がして振り返る。
 古びた祠の標縄の下。
 鎮座するそれを見て絶句する。
 美しい蛇の抜け殻だ。
 月明りを浴びて、仄かに光っている。
 俺は呆気にとられ、続いて苦笑いを浮かべる。
 古来より、蛇の抜け殻は金運を高める力があるという。
「まぁ、仕事も辞めたばっかだし、ちょうどいいかもな」
 俺は崩れてしまわないようにそっと、彼女を抱き上げると踵を返した。
 
 
 了
翔変企画

2022年05月01日 23時03分39秒 公開
■この作品の著作権は 翔変企画 さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:
ロマンティック転職

◆作者コメント:
ネタバレ「ばあちゃん」=「童女」

2022年05月14日 23時59分38秒
+10点
Re: 2022年05月15日 02時03分01秒
2022年05月14日 23時56分20秒
+20点
Re: 2022年05月15日 02時01分50秒
2022年05月14日 20時51分53秒
+20点
Re: 2022年05月15日 02時00分49秒
2022年05月14日 17時28分15秒
+30点
Re: 2022年05月15日 01時59分43秒
2022年05月13日 20時04分40秒
+10点
Re: 2022年05月15日 01時59分09秒
2022年05月13日 02時38分09秒
+10点
Re: 2022年05月15日 01時57分33秒
2022年05月10日 19時41分33秒
+30点
Re: 2022年05月15日 01時55分57秒
2022年05月08日 21時14分08秒
+20点
Re: 2022年05月15日 01時54分09秒
2022年05月05日 14時21分49秒
0点
Re: 2022年05月15日 01時52分28秒
合計 9人 150点

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