【朗報】三浦大樹の死を祝う会【通り魔殺人】

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 注意、エロ・グロ・不謹慎な描写を含みます。

「乾杯!」
 その合図とともに、三つの缶コーラが打ち合わされる。
 瑞々しい音の余韻が、散らかった六畳間に響き渡った。俺達はプルタブを引いて、買ったばかりの冷えたコーラをそれぞれに嚥下した。
「いやぁ。大嫌いな三浦が死んでくれて、ワイ、ホンマせいせいしたわ(笑)」
 黄ばんだ歯をむき出しにする大柄な男は、俺の友人である青浜達也だ。あだ名は『ワイ』だ。
「三浦の奴にはワイも難儀しとったからな。合唱コンクールの時とか、放課後の練習に参加せんと帰ろうとしただけで、膝にローキック食らって痣が出来たし」
「通り魔様々でござるな(笑) 拙者も天竺に来たような気分でござる」
 下卑た笑いを浮かべるのは、自宅の提供者でもある尾崎敦、あだ名は『拙者』だった。
「拙者も奴のことは忌々しく感じていたでござる。一度など、拙者の忍法帳(妄想ノート)が奴に盗まれて、皆の前で散々さらし者にされて苦痛な思いをしたでござったからな」
 笑い合いながら、『ワイ』と『拙者』の二人は、それぞれに亡き三浦大樹の悪口を言い合い、喉を鳴らしてコーラを飲んだ。
 そんな様子を、俺(尚、この『俺』というのは、語り部たる俺自身の純然たる一人称である)はぼんやりと眺めながら、逝った三浦のことを考えていた。
 三浦大樹は俺達のクラスのボスだった男だ。
 浅黒い肌と筋肉質な肉体を持つ男で、運動も勉強も良くできるのだが、その気性は幼稚かつ残虐。子分たちと共に騒いで授業を妨害したり、弱い者をいじめたりするのは日常だった。
 俺達地味派の男子は常に被害にあっていた。奴はクラスで常に威張り散らし、俺達の机を勝手に使い、俺達のノートを勝手に写し、俺達に雑用を押し付け、何かと小ばかにし、時には面白半分で肩にパンチを食らわせすらした。ただでさえ気怠い中学生活における、大きなストレス要因だった。
 そんな三浦大樹が一昨日の土曜、通り魔に殺されたという報せが今朝のホームルームで行われたので、俺とワイと拙者の三人は歓喜した。
 その後、いつものように下校を共にする為に集まった俺達は、僅か三秒で「お祝い」を行うことを決定事項とし、菓子とジュースを買い込んで拙者の家に集まった。
「学校も臨時朝会があっただけで十時前には終わったし、ホンマ言うことないで。ワイの人生にこんな嬉しい日があるとはなぁ」
 言いながらワイはスーパーで買って来たスナック菓子の封を開け、必要以上のポテトチップスを鷲掴みにすると、ボロボロと破片をまき散らしながら口の中に詰め込んだ。
「しかも拙者たちクラスメイトは、明日は皆で三浦の葬式に焼香を上げに行ったらまた午前中に帰れるというのだから、まったくいうことがないでござるな」
 拙者はそう言って粘ついた引き笑いを発しながら、痩せっぱちの小柄な肉体を小刻みに揺らした。
「葬式ってことは、三浦の奴の死体が棺桶に詰まっとるんを見れるんか。楽しみやな」
「奴の棺桶にゴキブリの死骸入れちゃるのはどうでござるか(笑)」
「それええな(笑) ほな早速大量のゴキブリ用意せなな!」
「それならワイ殿の汚部屋に行かねばならないでござるな。あそこはゴキブリなどの汚虫の巣窟でござるからな(笑)」
「うっさいわ! まあコバエとゴキブリの数ならちょっとそこらの奴には負けんけどな(笑)」
 ワイと拙者の二人はそう言って腹を抱え合い、引き笑いの音を部屋中に響かせる。
「あいつさ」
 と。
 ずっと黙り込んで考え事をしていた俺はそこで、二人のやり取りに口を挟んだ。
「お? どないした太一。ずっと黙り込んどってから」
「ござるござる。いつも無口で主体性のない太一殿ですが、今日は特に喋らないので心配していたでござるよ」
「いや、喋らなかったのはなんとなくだけど」
 俺はアタマを掻いてから、二人に向けて切り出す。
「あいつ、通り魔にやられたっていうけど、具体的にどんな風に殺されたんだろうな?」
 そう言うと、ワイと拙者はそれぞれに肩を竦め、小首を捻った。
「それは……ホームルームでも言っておりませんでしたな」
「なんか報道規制とかされとるらしいで? 実はワイ、臨時朝会の間中スマホで三浦の死について調べよったけど、死因についてはなんの情報もなかったわ。ネットに人がいうには、多分情報規制やと。なんでそんなことするんやろうな?」
 そこまで言うと、ワイは引き笑いを浮かべながら。
「まあでも、できるだけ、苦しんで死んどって欲しいもんやな(笑) 腹を刺されて、それを捻くられるとか(笑)」
「全身の骨が粉々になるまでハンマーで殴られるのもつらいでござらぬかな(笑)」
「尊厳も破壊しときたいな。ちんちん切られてそれを喉につまらされるとか(笑)」
「切るなら金玉の方が痛いでござるよ(笑)」
 などとひとしきり『三浦の死に方大喜利』を楽しんだ後、ワイは僅かに声を落とした。
「後、これもネットで見たんやけど。あいつ、なんかダイイングメッセージみたいなこと、スマホに残しとったらしいわ」
「ダイイングメッセージ、でござるか?」
 拙者が固唾を飲み込むと、ワイは小さく頷いて。
「弟へのLINEのメッセージ画面にな、アルファベットの小文字で『ao』って書いてから、死んどったんやって」
「ao……『青』でござるか。それって本当にダイイングメッセージなのでござるかな? 弟に何かメッセージを送信しようと書き込んでいるところを、襲われただけかもしれないでござるよ?」
「まあそうやけどな。とにかく、そういう風に入力されたスマホを握りしめて、死んどったって。送信はできんかったみたいやけどな」
「軽くミステリーでござるな。まあ、どっちにしろ、奴が死ぬならなんでも良いでござるな(笑)」
「違いあらへんな(笑)」
 それから俺達は小一時間程、亡き三浦の話題で盛り上がった。皆の憧れであるクラスのマドンナと付き合っていたのでムカつくとか、いやいやあの女も顔が良いだけで性格悪いしビッチだろとか、成績良いのもどうせカンニングとかしてたんだろ如何にもやりそうだとか、誹謗中傷の限りを尽くした。
「いうてでも、この中だと、三浦の奴からの被害が一番少なかったのは、太一やろうな」
 と、そのような話題もワイから出て来た。
「確か、小学校が同じで、昔は仲が良かったとか言ってござりましたな」
 拙者が言う。
「いやあ……仲が良かったっていうか、無理矢理子分にさせられてただけだよ。本当、色々と大変だったんだぜ?」
 俺は苦笑いを浮かべながら言う。
「正直、おまえら二人と比べても、あいつに対する恨みは強い自負があるね」
「気持ちは同じということでござるな。それより、これからどうします? まだ正午も来ておりませぬが……」
「夕方までひたすらゲーム……ちゅうのも楽しいけどな。それだといつもの休日になってまうからなあ。正直、まだまだ三浦の死を祝うムードでおりたい」
「それなら、三浦が通り魔にやられたという場所に行ってみませぬかな? 花束やら何やらが置かれているはずですので、踏み荒らして唾でも吐きかけて帰りましょうぞ(笑)」
「ええやん。ナイス・アイ・ディーア(笑)」
 などと話がまとまって行き、ワイと拙者は肩を揺らしながら部屋を出て行く。
 俺が意見を求められることはなかった。俺は二人から一瞥もされることもないまま、ただ俺は主体性なくその後ろを続いて歩いた。

 〇

 件の路地裏へとたどり着く。
 昨日まではここに幾重ものビニールテープが張られていたそうだが、警察は迅速に捜査を終了したようで、それも無くなっている。
 代わりに、路地裏の入り口付近に誰かが置いて行ったであろう花束の他、缶ジュースやお菓子の類がまばらに置かれていた。事件現場や事故現場では良く見る光景。
「ほな、早速踏み荒らしていくかな! 太一は見張りを頼むで」
 などと言って、張り切った様子のワイがどういう訳か腕まくりをした、その時だった。
「あ! 太一じゃーん! おーい!」
 路地裏の奥から声がして、一人の少女が手を大きく振りながら近づいて来た。
「青浜と尾崎もいるじゃーん。こんなところで何してんのー?」
 白い服を着て青い帽子を被ったその少女は、首輪と紐を付けられた大きな熊犬を三匹、帯びている。それぞれ『暴力』『差別』『戦争』と名付けられたその犬共の内、一匹は皮膚病にかかったように全身がただれ、一匹はライターの火によって片目が潰れ、もう一匹は痩せ衰えて体のあちこちから骨が浮かび上がっていた。
「げげ! 宗村や!」
 そう言って、ワイは顔を顰めて後退り、拙者も同じように憂鬱な顔で肩を落とした。
 宗村夏歩(もとむらかほ)は俺達の同じ中学二年の同級生である。クラスは違うが、俺とは幼馴染の関係にあることから、ワイや拙者とも交流があった。
 もっとも、ワイや拙者には好かれている訳ではない。
 ルックスだけで言えば、夏歩は白い肌と黒い長髪と、まつ毛の長い大きな目と高い鼻、百六十センチを少し超える痩身を持つ美少女だった。しかし性格の方は強烈だった。
 いつも連れている三匹の犬をワイや拙者にけしかけてみたり、オスである彼らの陰茎を触ってみるよう要求したり、尻の穴の臭いを嗅がせたりする。基本的に内弁慶で気弱な性格である彼らは、天真爛漫な口調で訳の分からぬことを強要する夏歩にたじたじで、会う度にいつも戦々恐々としていた。
「よう夏歩。おまえの方こそ、こんなところで何してたんだよ」
「やー犬の散歩だけど。愛犬家だからね一応。毎日ちゃんと行ってあげんと」
 そう言って夏歩は三匹の犬に繋がったリードをぶるんぶるん振り回す。
「それで太一の方こそここで何してんのよ?」
 俺が答えあぐねていると、ワイがドヤ気味の顔と声で言った。
「ここを踏み荒らして、唾でも吐いてやろうと思うてな!」
「拙者達、三浦の奴にはひどい目にあってたでござるからな! ちょっとばかり復讐させてもらいに来たでござる!」
 同じく、ややドヤ気味の顔と声の拙者。
 何故そんなことを自慢げに言えるのかまったく理解できない俺だったが、しかしそれを聞いた夏歩は大いに面白がった様子で。
「あはは! おもろいこと考えるじゃん!」
 そう言って腹を抱えて笑い出す。
「そっかそっか。大樹が通り魔にナイフで背中刺されたのってここか! ウケる(笑) ねぇねぇ! あたしもやらせてよそれ。踏み荒らすって……こうするんでしょ!」
 言いながら、夏歩は花束をスニーカーの裏で思いっきり踏みにじる。
「それとかこんな風にするとか、こんな風にするとか……」
 お菓子の箱をぐちゃぐちゃに踏み潰した夏歩のスニーカーは、チョコレートやビスケットの破片で汚れた。蹴っ飛ばしたジュースの缶は変形したまま道路に転がった。散らばった花弁の破片から散った汁がコンクリートの地面を黒く滲ませ、甘く青臭い臭いがあたりに醸し出された。
 その様子に、ワイと拙者の二人は表情を凍り付かせた。口では大それたこと(?)を言ってはいても、こいつらに現場を踏み荒らす程の度胸があるはずもない。実際のところ、戦々恐々と唾だけ吐いて身を震わせながら逃げ出し、さも大きなことを成し遂げたかのような顔で小さなことを自慢しあうくらいが、こいつらにできる精一杯のはずだった。
 しかし夏歩は違った。トランポリンの上で遊んでいるかのようにきゃっきゃ笑いながら飛び跳ねて回り、現場を無惨な状態に徹底的に貶めてから、仕上げとばかりに犬共にこう命じた。
「おまえら、おしっこしろ! うんこもしろ!」
 暴力・差別・戦争の三匹はまさに従順な犬だった。殴る、蹴る、餌を与えない、火を押し付けるなどの強烈なしつけによって飼いならされた三匹は、夏歩の命令一つでどこででも糞尿をまき散らす芸を身に着けていた。それは夏歩に悪口を言ったりしていじめた同級生の自宅や自転車、果ては教室の机の上やロッカーの中にまで発揮された。
 三匹の犬はただでさえぐちゃぐちゃに踏み荒らされた現場に尻を上げると、夏歩によってしょっちゅう弄ばれている陰茎や肛門から、次々と汚物を振りまき始めた。病気かと思うほど色の濃い小便からは湯気が立ち上り、ブリブリとひりだされる大便からは例えようもない悪臭がした。
 その姿を見ながら、夏歩は腹がよじれるとばかりに笑い転げている。ワイと拙者はもうドン退きだ。
「あー面白い! ねぇねぇ青浜! 尾崎! あんたらも今すぐここにおしっこしなよ」
「は?」「え?」
 表情を引き攣らせるワイと拙者。
「元々そういうことするつもりで来てるんでしょ? はーやーくぅ! ね、ね、これ命令だから。従わらなかったらこの子達けしかけて殺すから」
 そう言って、夏歩は余ったリードを地面に向けて激しく二回、打ち鳴らす。
「わ、分かったわ。やる、やるから」
「も、元からそのつ、つもりだったでござるからな」
 言いながら、ワイと拙者はそれぞれに、中学生らしく包皮を大きく余らせた小ぶりの陰茎を取り出して、犬の小便と大便がまき散らされて悲惨なことになった現場に向ける。
「ちっさ(笑)」
 夏歩は二人のペニスをわざわざまじまじと見詰めてそう言った。二人は頬に紅を浮かべて見つめ合った。
 最初こそ緊張のあまり微量な小便しか出なかった彼らの陰茎だが、夏歩の「年寄かー! もっと切れ味良く出さんかー!」という声に徐々に出力を上げた。そして二本の陰茎が小便でかけるアーチが十分な高度に達したその時。
「あ、やべ」
 と言って、夏歩は俺の手を引いて路地裏の方へと飛び込んだ。
 取り残されたワイ・拙者の二人は目を丸くしたが、仁王立ちで放尿したままの姿勢では身動きが取れない。そんな二人の背後から、筋肉質な一人の坊主頭の男がにじり寄り、出しっぱなしの睾丸を続けざまに激しく蹴り上げた。
 放尿したまま、事件現場に倒れ込むワイ・拙者。
「おまえら大樹が死んだ場所で何やってんだおらぁああああ!」
 三浦と同じ野球部員らしきその男は、ワイ・拙者の二人を憤怒の表情で怒鳴りつけた。見覚えがある。確か野球部のキャプテンで、俺達の一年先輩である三年生にあたる男だと思われる。
 糞尿塗れの地面に転がったワイ・拙者の二人は、丸出しのちんちんからちょろちょろと小便の残りを力なく吐き出しながら、睾丸を蹴られたダメージにもだえ苦しんでいた。
「現場をこんなにしやがって……これはおまえらのうんこか? 人間のとは思えない程くっさいな! おまえらそこに正座しろ! 説教してやる!」
 睾丸を破壊され、説教を受けるどころか立ち上がるのも難儀する状態のワイ・拙者の、悲惨極まりないその様子を見て、俺と一緒に物陰に隠れた夏歩はけたけたと笑い声をあげた。そして俺の手を取ると、「逃げよっ」と小さな声で耳打ちした。
 俺は震えながら頷いて、夏歩と共に逃げた。

 〇

 かように個性的な人間性を持つ夏歩だったが、その精神性は過去、俺と仲良くなった頃から発揮されていた。
 小学四年生当時の俺は、とにかく犬が苦手だった。
 その苦手さは、当時の通学路にある一軒家で飼われていた良く吠える犬を回避するため、わざわざ遠回りして小学校に行っていた程である。
 その犬は『戦争』と名付けられていた。ある日の放課後、友人を伴わず一人で街を遊んでいた俺の前に、戦争を連れた一人の少女が現れた。
 それが夏歩だった。
 俺を見て吠え声をあげる戦争の前に、俺は腰を抜かして目に涙を貯め始めた。震えて立ち上がれなくなった俺を見て、夏歩は大笑いしながらこう言った。
『でかいだけで大したことないよ、こいつ』
 夏歩は戦争の横っ腹を思うさま蹴飛ばした。地面を転げた戦争はその場で腹を向け、前足を折り曲げて降参したように尻尾を振った。
『見てて、見てて』
 そう言って夏歩はあろうことか戦争の陰茎に手をやり、上下にこすり始めた。戦争は激しく興奮した様子で荒い息を放ち始める。当時の俺には何をやっているのかまったくわからなかったが、完全に無防備になった戦争のその姿はあまりにも衝撃的だった。
『あんたもやってみなよ』
 俺は嫌がったが、夏歩は容赦しなかった。夏歩はクラスでは大人しい奴だったが、強く出れば自分に従う相手を本能的に嗅ぎ分ける能力は犬並だった。俺は夏歩に逆らうことができず、戦争に手淫を施すことになった。
 あの時の戦争の陰茎の感触は忘れられない。
 やがて射精した戦争と、それを見て驚き混乱する俺を見て、夏歩は心底愉快そうに笑い転げていた。そして言った。
『あんた、今日からあたしの犬ね。戦争とか他の犬と一緒に、一生面倒見てあげる。なんかあったら、絶対守ってあげるから』
 それっきり、俺と夏歩の間にはやや力関係のはっきりし過ぎた友情が芽生え、その関係は互いが中学に上がってからも続くことになる。

 〇

 ワイ・拙者の二人を置き去りにした俺達は、その後なんとなく夏歩の家の縁側にいた。
 夏歩の家は大きく古い平屋で、庭には三つの犬小屋があり、それぞれ暴力・差別・戦争が住まわされていた。夏歩には野良犬を見つけては拾って来て従順に躾ける性癖があり、しばしば虐待まがいのことはしつつもそれぞれの犬を愛情を持って育てていた。三匹の方もなんだかんだ夏歩に懐いているように見えなくもない。
「なあ夏歩」
「なぁに太一」
「これ、『ao』ってどういう意味だと思う?」
 小首を傾げる夏歩に、俺は説明を始めた。
「報道されている内容なんだけど……殺された三浦のスマホから、弟にそんなLINEを送ろうとしているのが見付かったそうなんだ。それで、もしかしたらそれが、死の間際に残そうとしたダイイングメッセージかもしれないとか、ワイや拙者と話してて」
「普通に考えれば、『ao』は『青』だよね」
「だよな。でも、『青』ならちゃんと日本語で『青』って書けば良いし、『青』の続きが書かれてないのも、おかしな話ではあるんだよな」
「時間がなかったんだよ。何せ死の間際なんだしさ。入力モードがアルファベットになってたのを直す余裕もなくて、しかも途中までしか書けないまま力尽きたとか」
「でも、パソコンのキーボード入力ならともかく、スマホのフリップ入力で『青』を『ao』って書くのはおかしいと思う」
「じゃあ、イニシャルとか?」
「それもどうだろう。いくら自分に残された時間が残り僅かだと分かっていても、イニシャルで済まそうとすることはない気がする。頑張って名前を残そうとするのが自然じゃないか?」
「確かにねぇ……。う~ん。ごめん、ちょっと分からないかなあ」
 そう言って、夏歩は苦笑いを浮かべて肩を竦めた。
 それからしばらく、二人の間に沈黙が流れる。
 夏歩の家の庭では、三匹の犬があまり生き生きとしていない様子で犬小屋で伸びている。風が吹く度に広い庭に生える木が乾いた音を立てた。
「どうでも良いことだけれど」
 沈黙の中で、俺はそう言って口火を切った。
「何?」
「いやさ。夏歩って、未だに三浦のこと『大樹』って呼んでるけど、あれってなんで?」
「いや、小学生の頃、一瞬だけ仲良かった時があったってだけ。今じゃ大嫌いだけど。名字に戻すのもなんていうか、面倒でさ」
「そうなのか」
「そうそう。向こうも未だにあたしのこと『夏歩』って呼んで来るよ。一時付きまとわれてたけど、犬をけしかけたら寄って来なくなった」
 夏歩がそう説明してから、俺達の間には再び沈黙が降りた。
 俺が夏歩の瞬きで風を起こせそうなほど長いまつ毛や、シミ一つない真っ白な肌をじっと見つめていると、今度は夏歩が口火を切った。
「あのさ太一。その『ao』ってダイイングメッセージ、警察とかに解けると思う?」
「絶対、無理だろ」
 俺は間髪入れずにそう答えた。
「そう思う? でも、なんでそんなことを太一が分かるの?」
「分かるよ。だって俺、このダイイングメッセージの意味、分かったもん」
「マジで?」
「マジで。もちろん、誰にも言うつもりないけどな」
「本当に?」
 そう言って、夏歩がまじまじと俺の顔を見詰めるので、俺は強く頷いた。
「本当だよ。いう理由がない。俺はおまえの犬なんだから」
 そう言うと、夏歩は一瞬、目を丸くして、それから淡く微笑んでこう言った。
「分かった。ありがと」
「ううん。こっちこそ。本当にありがとうな」
 それから俺は夏歩の家の庭を後にして、街を歩き始めた。
 俺はこれからの日々のことを考える。三浦のいなくなった、新しい俺の日々について。
 俺は三浦に激しくいじめられていた。
 ワイや拙者がされていたような、たまにからかわれたり使いっ走りにされる程度の、軽い迫害ではない。親からもらえる小遣いは全額巻きあげられていたし、しょっちゅう万引きをさせられて手にしたものを三浦に渡していた。俺が嫌がったり、何か失敗をした時は、痣ができる程激しく暴行を加えられた。
 小学生の高学年くらいから、俺と三浦の間には奴隷と主人のような関係があった。それは今年、中学二年生になってからも続いていた。
 それまでそのいじめが発覚しなかったのも、三浦のやり口の巧妙さが故だった。教室で大っぴらにいじめを行えば自分の立場が危うくなることを、利口な奴は理解していた。よってそのいじめはいつも物陰だったりどちらかの家だったりで行われ、暴行を受けるのも腹や背中など服で隠れる場所ばかりだった。
 よって、そのことを知っているのは三浦本人を除けば、付き合いの長い夏歩くらいのものだった。
 俺が泣き言を口にする度に、夏歩は眉をひそめて言ったものだ。
『太一はあたしの犬なのに、あんな奴が良いようにするなんて、許せない。いつか殺してやる』
 そして一昨日の土曜日、通り魔に刺されて三浦は死んだ。
 もちろん、夏歩は三浦を殺ったと、自分の口から言ってはいない。しかし、先ほどの夏歩の言動、そして二つの要素を総合して考えれば、犯人が彼女であることは明らかである。
 一つは、夏歩が犯人しか知り得ない情報を知っていたこと。
 先程、三浦が殺された現場にいた時、夏歩はこう言った。
『そっかそっか。大樹が通り魔にナイフで背中刺されたのってここか!』
 三浦の死因については報道規制がされており、一般人でしかない夏歩が『ナイフで背中を刺された』などと言えるのはおかしい。いわゆる犯人しか知り得ない情報という訳だ。情報規制というものは、そうした情報を犯人に口を滑らせる為に行われる。
 もう一つはもちろん、三浦が弟に送ろうとしたLINEの意味。
 三浦は夏歩のことを名前で『夏歩』と呼んでいた。小学生時代、クラスメイト同士お互いを名前で呼び合っていた頃の習慣だろう。
 フリップ入力で『かほ』と打ち込もうとすると、『2』のボタンを一回、『6』のボタンを五回押すことになる。この時、入力モードがアルファベットになっていたら、どうなるだろうか?
 『2』のボタンを一回押せば『a』、『6』を五回押せば『N』が、それぞれ入力されることになる。だがこの時、もし『6』を五回押そうとして、三回しか押すことができなかったとしたら、入力されるのは小文字の『o』だ。
 入力モードをアルファベットから日本語に直す余裕もなく、三浦はダイイングメッセージを残し始めた。朦朧とする意識の中の話だ。満足に画面を見られたかも怪しい。入力モードが日本語になっていないことに気付けなかった可能性もある。
 そして三浦は『かほ』と書こうとして、『6』を三回押したところで力尽きた。その結果、遺体の手に握られていたスマホに残されたメッセージは、『ao』というものになってしまったのだ。
 物事の真相なんて現実的には往々にして、そのくらい偶発的でかつ、つまらないものである。
 しかしもちろん、警察にだって、そんなどうとでも取れるメッセージから夏歩の名前を読み取ることは難しいだろう。そもそもそれがダイイングメッセージであるかどうかも分からないのだ。『ao』を見て、それが夏歩のことだと感付く者など、いるはずもない。
 ただ一人、夏歩ならいつか助けてくれると、淡い願いと共に待ち望んでいた、哀れな一匹の子犬であるこの俺を除いて。
「ありがとう夏歩。本当に本当にありがとう。俺は一生涯、おまえに忠誠を誓う犬になる」
 俺は空を見上げた。青い青い、透き通るような空の真ん中に、白銀の太陽が輝いて俺を祝福している。
 これからの俺の生活に、三浦からの迫害はない。その幸せが、俺の全身を包み込んで離さない。俺は涙を流しながら、生涯の主人に感謝し続けた。
粘膜王女三世

2022年05月01日 01時22分38秒 公開
■この作品の著作権は 粘膜王女三世 さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:企画史上最悪の掌編。
◆作者コメント:注意、エロ・グロ・不謹慎な描写を含みます。

 イヤミスという奴にチャレンジしました。
 イヤな気持ちになるミステリ、だそうです。
 「イヤ」の部分は御覧のありさまになりそれは良かったのですが、「ミス」の部分は御覧のありさまになってしまい、そこは自らの現状の力量故やむを得ないのかなというところです。
 その分シンプルで易し目の難易度ということで、とっつきやすいと思いますので、色々考えながら読んでもらえると嬉しいです。
 それではGW企画を楽しみましょう。

2022年05月14日 20時30分21秒
+10点
Re: 2022年05月20日 21時44分47秒
2022年05月14日 15時24分48秒
+20点
Re: 2022年05月20日 21時45分13秒
2022年05月14日 10時43分25秒
+10点
Re: 2022年05月20日 21時45分30秒
2022年05月14日 03時07分15秒
+40点
Re: 2022年05月20日 21時45分49秒
2022年05月13日 01時41分27秒
+30点
Re: 2022年05月20日 21時46分19秒
2022年05月05日 20時44分26秒
+30点
Re: 2022年05月20日 21時46分38秒
合計 6人 140点

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