蒼天の十字架

Rev.01 枚数: 13 枚( 5,054 文字)

<<一覧に戻る | 作者コメント | 感想・批評 | ページ最下部
 高度一万mの世界は限りなく蒼く、澄み切っていた。
 外気温はマイナス四十度。強い偏西風が容赦無く機体を叩き、少しでも油断するとたちまち下界に追い返される。
 まるで、ここはお前などが居て良い場所では無いのだと言わんばかりに。
 それはどこまでも荘厳で、どこまでも澄明で、そしてどこまでも苛烈。とても人知の及ばない、神の領域に思えた。
 しかし、現実はそんな所まで我々人間は戦いの場としている。

 もしも欧米人達が云う様に「天に召します我らが神」というものが存在するのならば、彼は遥かな天空の高みから、我々人間の愚行をどのような想いで見ているのだろう?

 何度見ても決して見飽きる事の無い蒼空を眺めながら、つい柄にも無い事を考えてしまった。
 雑念を追い払う為に今一度、計器を確認する。大丈夫。どこにも異常は見当たらない。私は本来の職務を思い出し、機体を入念に確認した。
 私の乗機。十四試局地戦闘機 三菱J2M5『雷電』三二丙型。
 我々帝国海軍が成層圏で闘う為に開発中の最新鋭機。高度一万m超の空域でB29に対抗し得る、現状では唯一の機体だった。
「橘一番より桔梗、現在高度一万。筒温、油温、排気温、振動、すべてにおいて良好。排気タービンも問題無し」
 橘一番は私の乗機の呼び出し符号、桔梗は厚木基地司令部の符号である。
「桔梗より橘一番、了解。試験を続行せよ」
「橘一番了解。予定通り一万二千まで上がる」
 三菱から直々にやって来た整備員達はよほど腕が良く、この雷電に精通しているのだろう。今迄出ていた幾多の不調がまるで嘘の様な、素晴しい仕上がりだった。
 しかし、その珍しく調子の良い試験機を操縦しながらも……いや、その理由が理解出来るだけに、私は素直に喜ぶ事ができなかった。

 この戦争には勝てまい。

 これは空技廠実験部員である戦闘機開発者、そして一戦闘機乗りとしての、この私の偽らざる思いである。
かの仇敵、ボーイングB29スーパー・フライングフォートレス。
 空の要塞と名付けられた前作、B17フライングフォートレスを遥かに凌駕する「超   空の要塞」
 日本は今や、この敵戦略爆撃機によって焼き尽くされようとしていた。
 高度一万mを時速六百kmで飛来する、この恐るべき重爆撃機を迎撃できる機体を未だ我が軍は持っていなかった。通常の発動機を載せた従来の戦闘機では、高度一万mの希薄な空気では出力が上がらず、空戦どころかまともに飛ばす事すら難しい。現時点では、捨て身の体当たり攻撃以外に戦う術は無かった。
 そして高高度飛行を可能にする筈の排気タービンも、我が国の工業水準では満足な物が作れず、今なお試作段階である。
 おそらくは、この三二型も実用化は難しいだろう。入念に組まれている筈の、この増加試作型ですら部隊の整備兵では歯が立たず、三菱の技術者や整備員達が神業の様な職人芸で調整してなんとか飛ばしている有様である。
 ただでさえ工業技術の基盤が低い上に無計画な徴兵で多数の熟練工を引き抜かれ、素人同然の学徒達が乱造している今の状況では複雑な排気タービンなど、とても実用化は望めない。
 その難解な排気タービンも米国では戦前からすでに実用化されており、最新鋭機B29では更に高性能な新型タービンが採用されているらしい。
 大和魂や必勝の信念などでは決して埋める事の出来ない、冷酷なまでの技術力の差だった。
 そもそも我々航空技術者の間では、戦前より「発動機は十年、プロペラは二十年欧米より遅れている」という認識を持っていた。
 この雷電や傑作戦闘機、零戦の設計者である三菱の堀越技師は、対米英開戦の報を聞いた時に「田舎相撲が横綱に挑む様なものだ」と嘆いたと云う。
 氏は技術者として、米国の技術力や生産力が我が国とは比べ物にならない事を熟知していたのだろう。
 それ程に、彼我の技術力には拭い切れない大差が生じていたのである。
 しかし、それでも私は日本の飛行機、とりわけ戦闘機が好きだった。
 他国の飛行機には無い優美な曲線。それは空力的に洗練されている事を意味していたし、何よりも日本的な美しさ「雅」がある。
 九六艦戦、九七戦、零戦、隼、鐘馗、飛燕、疾風、そしてこの雷電、みな美しい。
 しかし今帝国の空を我が物顔で飛び回っているのは、この美しい我が国の戦闘機では無く、見るからに醜悪なグラマンやカーチス、そしてあの憎きボーイングだった。
 ミッドウェーでの敗戦以降。
 ソロモンの大消耗戦で山本五十六元帥以下多くの熟練軍人を失い、再建された敵機動部隊の攻撃によりグアム、サイパン、テニアンとマリアナ諸島は次々と奪われた。
 大本営が声高に謳った絶対国防圏はあっさりと破られ、かつて無敵を誇った聯合艦隊もマリアナやレイテの敗戦で壊滅し、ついには本土防衛の要衝たる硫黄島までもが陥落した。
 もはや何をやろうと戦局を挽回する事は出来まいが、私は戦闘機開発者として、そして一戦闘機乗りとして、せめてB29に一矢報いたい。
 帝都東京を始め日本中を焼け野原にし、多くの民間人を、私の妻と子を焼き殺したあの仇敵を決して許す事は出来ない。一機でも多く撃ち墜としてやりたい。
 その思いだけが、この何もかもが厳しい戦局の中で私を動かしていた。


 高度を一万二千mまで上げる。
 思った以上に発動機の調子が良い。陸軍から融通してもらった高オクタンガソリンのおかげか。
 信じがたい事に、長年いがみ合っていた陸軍と海軍では未だ縄張り争いが絶えず、装備の統一化どころか使用する燃料のオクタン価までもが違っていた。
 彼我十倍以上の国力を持つという米国を相手に、ただでさえ資源を持たない我が国がこんな非効率的な事をしていたのでは、戦に勝てる訳が無い。
 この戦争は負けるべくして負けるのだ。
 憂鬱な気持ちを振り切らんと気持ちを切り替え、下界を見下ろす。
 地表一面には厚い雲がかかり、発進した厚木基地を望む事は出来ない。南南西に進路を取れば、遥か下方に霊峰富士が歌の文句よろしく雲の中からその優美な頂を覗かせていた。我々日本人が愛してやまないこの美しい山が、敵爆撃機の進撃目標になっているのは何とも皮肉な話であり、腹立たしかった。
 複雑な想いで富士山を眺めていた時、前下方に鋭い輝きを発見した。
 目測で千m程下方。すなわち高度は約一万一千m。この高度で我が国の作戦機が行動しているとは思えない。
 敵機か?
 太陽を背にして、慎重に接近する。
 近づくにつれ、敵機の輪郭がはっきりと見えて来た。
 細長い主翼。巨大な四つの発動機。陽光にギラギラと反射するジュラルミンの機体。間違い様の無い、あの憎き敵重爆だった。
 どうやら単機の様だ。敵は大規模な爆撃を行う前に、必ず高高度偵察機を出して来る。今回もそれと見て間違い無いだろう。
 ――奴らは、まだやる気なのだ。
 激しい怒りと闘志が私の体と心を支配した。
 電影照準器を点灯し、機銃の安全装置を外す。幸いな事に、我が軍の実用試験は基本的に燃料弾薬を満載して行うので、闘う事に何の問題も無いのである。

 奴を生かして返す訳にはいかない。

 増槽を切り離し、さらに接近を試みる。偵察機であれば当然高性能な電探を搭載している筈だから、ここまで接近している私の機に気付かない訳は無いのだが、敵は何の行動も起こさない。逆探知を恐れて電探を作動させていないのか、それともこの高度まで上がって来れる戦闘機など日本には無いと思い、油断しているのだろうか。
 いずれにしても、またとない好機だ。
「橘一番より桔梗、我敵機発見。敵はB29改造型偵察機、F13型と認む。我、これより突撃せんとす」
 口早に桔梗――基地司令部に報告し、突撃体勢に入った。
 反航状態より敵機に対し、直上方攻撃を敢行。
 四十五度の急角度で降下、機速が乗った所で横転を打ち、背面飛行から六十度の急降下に移る。
 その頃になって敵もようやく私の襲撃に気付き、各部の銃座が射撃を開始した。まるで弁慶の七つ道具が如く全身に装備された銃座から、凄まじい勢いで撃ち上げて来る。
 しかし、よほど慌てているのだろう。太陽を背にした私の機を追尾出来ないらしく、敵機の射線はかなり乱れていた。
 敵機が照準器の中でどんどん大きくなっていく。それはまるで、銀色に輝く巨大な十字架の様だった。
 瞬く間に敵機が照準器の円からはみ出す。
 十字架の付け根を照準し、射撃を開始した。
 二十ミリ機銃の太い火線が四本、敵機に吸い込まれる。左翼の付け根に命中の閃光を確認。有効弾。
 そのまま敵機をかすめる様に降下し、強引に機体を引き起こす。強烈なGが全身を襲い、視界が暗くなる。血液が頭から急激に下がる為に起きるブラックアウト現象だ。
 霞む眼で敵機を確認する。
 損傷箇所から薄い煙を引き、急激に高度を下げているものの、堕ちる気配は無い。
 燃料パイプが集中している主翼の付け根はB29の弱点とされている。その弱点にかなりの命中弾を与えた筈なのだが、未だに火を吹かない。
 なんという防御力だ。
 我が軍の陸攻や重爆だったなら、今の一撃で確実に堕ちているだろう。速度といい、強力な防御火力といい、強靭な装甲といい、まさにスーパーフライングフォートレス。「超 空の要塞」の名に恥じない、恐ろしい機体だ。
 再度、攻撃を敢行する。
 急降下で稼いだ速度を利用しての急上昇、今度は直下方より攻撃を仕掛ける。いわゆるダイブ&ズーム戦法である。
 照準器の中に再び巨大な、今度は太陽を背にして影となった十字架が映った。
 敵も混乱から回復したのか、正確な射撃で応戦して来る。とても単機の火力とは思えない濃密な砲火だった。
 艦攻乗りや艦爆乗り達が「アイスキャンデー」と呼んでいる、赤い曳光弾の束が機体を襲う。ガンガンとドラム缶を棍棒で打ち鳴らす様な轟音と衝撃が、数回機体を叩いた。
 何発か被弾したらしい。
 しかし、不思議と恐怖は感じない。復讐の念に駆られてはいるが、極端に興奮している訳でも無い。敵機の動きと機体の操作に全ての神経を集中しているからだろうか、怒りや恐怖といった雑念から私は解放されていた。この時、私は完全に雷電の部品の一つだった。
 フットバーを蹴り、機体を横滑りさせる。小刻みに回避運動を取りながら間合いを詰め、再び左翼の付け根を狙い、射撃を開始。今回も手応えがあった。命中弾が炸裂する。
 素早くロールを打ち、離脱。今度は敵機の左上方に回避する。
 そのまま横転しつつ見下ろすと、敵機は私が執拗に攻撃した左翼の付け根から黒煙を噴出しながら、さらに高度を下げていった。
 止めを刺すべきか?
 そう考え、再度襲撃体勢を取って降下を始めた時。敵機の黒煙が炎にかわり、機体を包み始めた。機体各所から敵搭乗員が飛び降りる。 
 撃墜確実だ。
「橘一番より桔梗! 我、敵機撃墜を確認! 繰り返す、我、撃墜を確認!」
 私は操縦席の中で一人、子供の様に大声で叫んでいた。
 大戦果と言っていいだろう。
 単機、しかもこの高高度でB29を仕留めるなど従来の戦闘機ではどうあがいても無理な話だった。強力な火力と発動機、そして高高度での空戦を可能にする排気タービンを備えた、この雷電三二型だからこそ成し得た戦果だった。
 暫くして下方に、まるで一斉に蓮の花が咲いたかの如く落下傘が開いた。
 ひとつ、ふたつ、みっつ……開いた落下傘は十を数えた。
 B29の搭乗員は十一名と聞いている。
 機速を落とし、今や全身火達磨と化した敵機を確認してみると、驚いた事に操縦士が燃え盛る操縦席の中で一人舵輪を握っているではないか。

 他の搭乗員を無事脱出させる為、最後まで機体を操っていたのか……

 敵ながら見上げた行為だった。立場は違えど、同じ飛行機乗りとして彼は尊敬に値する、立派な男であった。
 彼はすぐ脇を飛ぶ私を見つけると笑っている様な、泣いている様な、不思議な表情をして私に何かを語りかけ、右手で十字を切った。
 そしてついに力尽きたのか、推力を失った機体はよろよろと下方へ堕ちていった。

 敵機を撃ち墜とした興奮も喜びも、すっかり消え去っていた。
 彼は、私に何を言いたかったのだろう?
 脱出した搭乗員に危害を加えないでくれと言いたかったのだろうか。それとも、もうすぐお前達の国もこの様に燃え尽きてしまうのだ、そう言いたかったのだろうか。


 全身を炎に包まれた巨大な十字架はやがて幾つもの火球となり、雲の中に消えていった。

いさお

2022年04月30日 02時20分12秒 公開
■この作品の著作権は いさお さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:
何もかもが絶望的な空を、私は今日も飛ぶ
◆作者コメント:
掌編企画開催、お慶び申し上げます。
尚、お題の青は蒼として使用いたしました。

2022年05月14日 23時38分40秒
Re: 2022年05月18日 20時58分43秒
2022年05月14日 21時12分44秒
Re: 2022年05月18日 20時58分09秒
2022年05月13日 13時42分29秒
+10点
Re: 2022年05月18日 20時57分31秒
2022年05月10日 00時02分08秒
+30点
Re: 2022年05月18日 20時56分54秒
2022年05月04日 14時27分52秒
+20点
Re: 2022年05月18日 20時56分22秒
2022年05月03日 21時48分18秒
+30点
Re: 2022年05月18日 20時52分43秒
2022年05月03日 16時29分32秒
+30点
Re: 2022年05月18日 20時51分59秒
2022年05月02日 00時01分49秒
+30点
Re: 2022年05月18日 20時51分12秒
合計 8人 150点

お名前(必須) 
E-Mail (必須) 
-- メッセージ --

作者レス
評価する
 PASSWORD(必須)   トリップ  

<<一覧に戻る || ページ最上部へ
作品の編集・削除
E-Mail pass