白の耳飾り

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 それは、あまりにも脆かったのだ。危うかったのだ。
 そして、それは。


 私は、役割に徹することが出来なかった。
 私に残された、未熟さがそれを邪魔したのだろうか。
 あるいはそれは、私の人としての部分だったのだろうか。
 ……今となっては、理由は分からない。
 ただ確かなことは、私が非情になりきることが出来なかった、そのことだけ。


   *


 呼び出しを受けたときから、嫌な予感はしていた。
 教授から連絡を受けた私は、古典様式の装飾が施された大理石の支柱の間を通り、王立導術院へ入った。
 派手さはないが、敷き詰められた絨毯、そして廊下に並ぶ賢人達の胸像はいずれも贅を尽くされたものばかり。此処は王国最高の知を司る場所、そんな傲慢と紙一重の自負に満ちた通路を通り、私は教授の部屋の扉を叩いた。
 私の姿を認めると、部屋の主であるホバル教授は、無数の紙束に覆われた机から大儀そうに立ち上がった。
 教授が大きく体を揺らしながら歩くごとに、耳に付けられた大量の耳飾りも一緒に揺れる。
 教授が過去に受けた表彰や現在の地位を示す金属製の耳飾りは、導術を応用した冶金技術で作られており、見た目よりも軽い。だが、それらは耳をくまなく覆うほどに括り付けられ、重みに負けた耳の先端は水平よりも下を向いてしまっている。まず間違いなく痛みも出ているだろうに、威厳たっぷりに歩んでくる教授のそぶりに、そうした気配は微塵もない。導術院教授は、他者に一目置かれる威厳をまとうことが何よりも大事なのだ。
 一際見事な輝きを放つ、金の耳飾り……導術院教授を示すそれを見つつ、言葉を待つ私の前で、彼は奇妙に顔を歪めてみせた。
 それがどうやら、笑顔らしいことに気付いたときには、教授はおもむろに、話し始めていた。 
「政務院より夏に行われる北方遠征に導術士派遣の要請があった。そこに、私は君を筆頭導術士として推薦しようと思う」
 日頃からしかめ面を張り付かせ、にっこりすることなんて滅多にない教授の笑顔は、まあ言ってしまうと、気味が悪かった。
 ただ、私が言葉を呑んでしまったのは、教授の笑顔ばかりが理由ではない。
 そんな私の様子に気付いた様子もなく、教授は親しげに、私の肩に手を置いてきた。
「これがどういうことか、分かるな。私は君を、導術院の将来を担う人材だと思っているのだ」
 いつもなら、反射的に愛想笑いを浮かべるところだが、私はすぐに反応することが出来なかった。 もしかしたら、顔色も青ざめていたかもしれない。
 まずい、と思った時には教授の顔から笑みらしき歪みが消え、そしていつもの不機嫌そうなしかめ面に変わっていた。
「よもや、命を失うことを臆しているのかね」
「いえ……そういう訳では」
「なら何故そんな顔をする? 君は国王陛下への忠義を示し、我らエルフに刃向かうホビットどもを平定する崇高な任への参加を告げられたのだぞ?」
「そうでは、ありません……」
「なら何故だ」
 私を睨む教授の視線に瞬間的に反発心が湧く。
 ただそれが胸を焼いたのは一瞬のことで、すぐにいつものこずるい私が現れる。
 場を上手く治め、自分への害を最小限にするために言葉と頭を弄する、出世に汲々とする私は、教授の機嫌をこれ以上損ねない適切な表情、若干の怯えをにじませた真摯な学士の顔を作り出す。
 それを向けられた教授の顔色は、険しいまま。ただ、私は教授の中の怒りと不機嫌が気勢を削がれたのが分かっていた。
「申しわけありませんでした、教授。任の重大さと、教授にかけられた期待につい、言葉を失ってしまったのです。それも十分に、情けないことですが……非才の身ですが、全身全霊を持って、お受けしたいと思います」
 私への疑念を解消し、なおかつ教授の自尊心をくすぐる台詞を言い終えてから、私はトドメとばかりに深く頭を下げた。
 よくもまあ、こうも本心を隠し、言動を弄せるものだ、と自分でも思う。教授を手玉にとれた優越感よりも、アルフリード・ファル・ヴァッセという人間への嫌悪感がまた増すのを、私は感じた。
「……謙遜も良いが、与えられた任を果たすためには物事に動じない剛毅というものも肝要だ」
「肝に銘じます、ホバル教授」
「さあ、明日からは忙しくなるぞ」
 教授の顔に似合わぬ笑みが戻る。
「残務の整理に、王城への挨拶、軍事教練、そして壮行会だ。今日のところは、早く帰って休んでおきなさい」
 ありがとうございます、と私は教授に言う。
 脳裏に、一人の女性の姿が浮かんだ。


 エルフが古代エルフ語で、ある規則性に従って言葉をつむぐことにより、火花や風といった物理現象を生じさせることが出来る。
 昔は奇っ怪なまじないと嫌われたそれは、今では国家の趨勢を左右する超常の力、導術と呼ばれている。その研究の最高峰である王立導術院にはこの国……ミレア王国の秀優中の秀優が集まる。
 そんなところに地方の貧乏貴族の、多少出来の良いくらいの三男坊の私が入ることが出来たのは、私自身の努力の甲斐もあろうが、遠縁の苦学生を見かねたお人好しの子爵が生活を保証してくれたところが大きかった。
 今も寄宿させてもらっているその子爵、オーレック卿の邸宅に帰り着くと、ついてないことに卿は家にいた。
 心の準備が出来ないまま、私は卿に、北方遠征への参加を命じられたことを伝える。
「筆頭導術士としてか?」
 と聞いてきた卿に、はい、と答えると、案の定、あごひげに覆われた卿の顔一杯に、笑顔が広がった。
 若い頃は武人として戦場を駆け回っていたという卿は、齢五十を越える今になっても鍛錬に余念が無い。今なお固い筋肉に覆われた体で、卿は私のひょろひょろとした体を抱きしめてきた。
 いつも以上に加減のない卿の抱擁に呻いてしまいそうになる私に、卿は頬に接吻までしてくる。そして私に、にっこりと笑った。
「よくやった、アルフリード……これでお前も導術院の教授となるのだな」
「いや、そうなると決まった訳では……」
「謙遜するな、教授殿。遠征への派遣導術士、それも筆頭導術士に選ばれたということは、そうなると目されたということであろう……あの若者が、よくぞ……」
 そう言った卿の瞳に、涙が浮かぶ。
 卿の騒ぎに何事か、とやってきた卿の奥方、オーレック夫人も、事情を聞いて涙ぐむ。
 そんな二人を前に、私は少々、いや、結構落ち着かない気分を味わう。
 子のいない夫妻がわざわざ遠縁の貧乏貴族の息子を預かり受けたということは、将来的には跡目と見込んでのことだろうとは思うが、二人が私に向けてくれる愛情には、少々湿っぽいものがある。
 まるで、実の子供に向けるようなそれを目の当たりにする度に、私はどう応じて良いものか、戸惑ってしまうのだ。
 顔を赤らめ、目を伏せたのには、そんな内心の動揺も、少しばかり現れてしまっていたかもしれない。
「今晩は前祝いだな」
「ええ。盛大にお祝いいたしましょう」
 そう言い合った二人が去って行って、ようやく私は肩の力を抜くことが出来た。
 そして、外套も脱いでいなかった私に、召使いが近付いてくる。
 その、背丈が私の肩までもない召使いに、私は反射的に身構えてしまう。
 そんな私の様子に、ぽかんとしたのも一瞬のこと。私お付きの従僕であるホビットは、すぐににっこりと笑みを浮かべた。
「何やら、めでたいことがあったようですね、アルフリード様」
「……うん、まあ、な」
 そう私は言葉を濁すしかない。
 ミレアには多くのホビットが奴隷として連れてこられ、人手の必要な農場で働かされたり、手先の器用さを見込まれて召し使いとして屋敷に勤めさせられたりしている。
 彼らの多くは、北方遠征が始まってから、この国に連れてこられた。
 その中には、彼女も含まれている。
 暗澹とした気分が頭に上塗りされる私に、ホビットの従僕は気付いた様子もなく、薄手の外套を受けとると、言葉を続けた。
「卿のあのお喜びようを見ると、よほどのことがあったのでしょうね」
「そうめでたいこととも、思えないがな」
「それは、一体どのような?」
 私はどう答えたものかと口をつぐむしかなかった。そんな私に気付くと、彼は、は、とした顔をして頭を深く下げた。
「申し訳ございません。立ち入ったことを伺いまして……」
「いや、いい。それより……シャナは、どこへ?」
「奥様から用を仰せつかりまして、出かけているかと」
「そうか」
 一つため息をついてから、私は自室に向かった。


 シャナの姿を見ることが出来たのは、夕食でのことだった。
 ホビットの召使い達の中でも小柄な部類に入る彼女は、しかし一際てきぱきと給仕に立ち働いていた。そんな彼女に話しかけたいところだったが、残念ながらそうはいかない。
 本来、貴族と召使い、ましてやエルフとホビットは軽々しく口をきいてはならないとされている。卿や夫人がいなければ彼らとよく話す私だったが、二人の目のある夕食の席ではそうもいかない。それでも私はこらえきれず、それとなく彼女を見る。
 すぐに気付いてくれたシャナは小さく微笑む。その笑みに少し心が軽くなったのも束の間、すぐに暗い気分が心を覆う。
 私は彼女の故郷を踏みにじりにいくのだ。それを知ったとき、彼女はどう感じるだろうか。
 暗澹とした思考に捕らわれた私の頭を、卿の大声が揺さぶった。
「召使い共も聞くが良い。本日我らがアルフリードが、次の北方遠征への従軍を命じられた!」
 既に愛用の杯に葡萄酒をなみなみと満たした卿は、食堂にいる者達に向かってそう宣言した。
 夫人は上品に微笑み、エルフの召使い達からは、ほう、と小さな感嘆が上げる。
 その一方で、一刹那の静寂がホビットの召使い達を確かに満たしたことに、私は気付く。
 シャナは給仕のため、私の左斜め後ろに立っていた。
「皆も知っての通り、未だ未開の地で生きる彼の者達を見かね、我らが王国が差し伸べる手を、一部のホビット達は今も払いのけ続けておる! その不心得者を誅する聖戦に、我らが若者が赴くのだ! ワシは、聡く、勇敢で、騎士道精神に溢れた彼が武功を上げることを確信しておる!」
 王国が北方遠征に掲げているお題目をよどみなく話してから、卿は葡萄酒が満たされた杯を大きく掲げた。過去の軍功を示す耳飾りが、灯りを反射しながら揺れる。
「今宵は大いに飲む! お前達にもワシらが寝入った後ではあるが、宴を開くことを許す!」
 エルフの召使い達からは、抑えきれない歓声が。
 ホビット達からは戸惑いがちな感嘆が、それぞれ上がった。
「我らが勇者の、門出を大いに祝おう!」
 そう言って、卿は杯を一息で干した。
 卿と夫人に続いて、私も葡萄酒を口に含む。
 あまり好きではない酒が、常よりもより苦く、酸っぱく感じられた。それでも私は、杯を重ねる。
 食事の乗った皿が替えられる度に私の前に現れる、シャナの小さく、白い手。
 それがそれと分からなくなるくらいに、早く酔い潰れてしまいたかった。


 そんな具合に杯を重ねた私は、晩餐が終わる頃には酷いことになっていた。
 勢いよく杯を重ねる私を勘違いした卿も飲む速さを上げ、釣られまいと思いつつ私も……となった結果、晩餐が終わる頃には立つのもやっと、という状態になてしまっていた。
「今後のためにも酒との付き合い方を学ばんとなあ、アルフリード」
 そう言いつつも嬉しそうな卿に見送られ、私は従僕を支えになんとか自室へ戻った。寝台に横たわり、従僕を下がらせてから、大きくため息をつく。
 天井が独りでにぐるぐると回っている様を見ながら、私は呟く。くそったれ、と。
 故郷で凶作の度に苦しむ農民達をなんとかしたい。私が導術士を志した初心は、それだった。
 その夢を果たすためにオーレック家の世話になり、勉強を重ね、より良い研究環境を求めて王立導術院での立身を計り続けた。
 その結果、私は恋人の故郷に攻め入ろうとしている。
 ……もともと、私の生まれた地方の領地では、北方遠征が始まる前から、多くのホビットが農奴として働いていた。一般に誇り高く、厳格とされるエルフの中で例外的、と言えるほどに父はおおらかな人物で、ホビットにも気さくに話しかけ、私が彼らの子供達と遊ぶことも止めることはなかった。
 彼女と恋人関係になるに当たり、私がもともと、ホビットと交わることに違和感がなかったことも影響していると思う。だが、何よりも、初対面のから、私がシャナに惹かれてしまったことが大きかった……一目惚れ、と言っても良いだろう。
 聞いても答えてくれなかったが、彼女はホビットの氏族長筋、上流階級に属する家の出身らしかった。操るエルフ語は流ちょうであり、髪もまた、幼い頃より手入れされているのか、艶やかで美しい。黒髪に縁取られた顔立ちも美しかったが、何よりも印象的なのはその瞳だった。鳶色の瞳。穏やかで落ち着いていながら、芯の強さも湛えたその瞳に、私は射止められていたのだと思う。
 オーレックの屋敷に彼女がやってきた時から、私は彼女の姿を追ってしまった。
 そして、卿や、他の召使いの目を盗んでは彼女と話すようになり、彼女もそれに楽しそうに応じてくれた。話せば話すごとに想いは深まり、いつの間にか私たちは恋人になっていた。
 私が導術院の学士であり、いずれ出世すれば、彼女の故郷たる北方へ攻め入る軍勢に加わるかもしれないことを、分かっていながら。


 導術院の仕事に精を出すこと。シャナとの逢瀬を重ねること。
 どちらも、私が望んだことだ。
 その結果が、これだ。
 寝返りを打った私は、酒とは別の理由で痛み始めた額を手で押さえる。一度回り始めた自虐的な思考の回路は止まることなく、私を深みへ引き込む。
 今のこの込み入った状況は因果応報、全く自明のことでしかない。そして、シャナが私から離れるのも、同じく自明のことだ。
 彼女がミレアにやってきた事情は聞いたことがない。ただ、北方遠征がそのきっかけとなったのはまず間違いがないだろう。今まで好きだ好きだと言ってきたエルフの若造が、北方遠征に参加すると知った彼女は、果たしてどう思うか。
 考えを続ける私の耳に、卿の許す通りに、召使い達が歌い踊る音が聞こえてきた。
 脳裏に一つの光景が浮かぶ。
 大広間に佇む、シャナの姿だ。広間の中央では召使い達が歌い、踊ってるものの、シャナはうかない顔のまま、一人椅子に腰かけている。表情をかげらせていても、彼女は美しい……いや、彼女の美しさは、陰を帯びるからこそ、なお一層、引き立つだろう。そんな彼女に、男の召使い達は目を奪われつつも、沈んだ風情に声をかけるのをためらう……が、一人のホビットが意を決し、彼女へ手を差し伸べる。
 一曲、踊ってくれないか。
 そう声をかけてきた若い召使いの言葉に、シャナは戸惑いつつも、差し出された手を取る。そして男に身を委ね、踊り終えた後、男は彼女にそっと耳打ちする。男の誘いに、彼女は。
 大きく、息を吐く。
 そして天井を見上げる。回転を続けていたはずの天井はいつの間にかぴたりと静止していた。
 ……そもそも、エルフがホビットを愛することに、無理があったのだろうか。二つの種族の間に横たわる深い断絶を越えようとするのが馬鹿な話だったのか。
 彼女とのことを、諦めるのか。
 それとも。
 ふと、脳裏に浮かんだ考えを、私は頭から追い出す。
 それはあまりに、現実的でない。子供の考える夢想でしかない。そう自分の突拍子もない考えを片付けるのと、誰かが部屋のドアを控えめに叩いたのは、ほとんど同時だった。
 聞き慣れたノックの仕方に、私は慌てて立ち上がる。ロウソクの灯った燭台を片手にドアを開くと、そこには、シャナがいた。
 私のみぞおちくらいしか背のないシャナは、小さく微笑んだ。
 彼女が何か言う前に、私は半ば引きずり込むように、彼女を部屋に入れた。
 微かに顔を上気させたシャナが、私の目の前にいた。
 そっと唇を重ねると、彼女もそれに答えてくれた。
 跪き、彼女の熱を感じていると、頭を覆っていた憂鬱が溶け出していくのを感じた。彼女を裏切っていることに、何の代わりもないというのに。
 彼女が許してくれていると、私は勘違いしているのだろうか。
 彼女の唇から私を離させたのは、脳裏に差し込んできた、そんな思考だった。
 自ら顔を離した私に、シャナは微笑みを浮かべ、そして言う。
「おめでとうございます」
 そう言ったシャナから、私は目をそらさざるを得ない。
「何が、めでたい」
「ご主人様が晩餐でおっしゃっていました。遠征で導術院から派遣される導術士は出世が約束され、その筆頭導術士ともなれば、教授や、それ以上の地位を約束されたようなものだと……お慕いしている方の出世が、嬉しくないはずがございません」
「私は」
 彼女を見据えながら、私は言う。
「私はお前の故郷を踏みにじりにいくんだぞ」
 私の言葉に、シャナは少し、困ったような顔をした。ただ、すぐに、言葉を返してきた。
「仕方のないことです。王が命じられたことに、背く訳にはいかないでしょう」
「そんなことはない」
 彼女の小さな方を掴む手に入る力が、強くなる。痛みにみじろぎした彼女を見て、慌てて力を抜いてから、私は言う。
「そんなことはない。王の決めたこと、ミレアが勢力拡大のために行う侵攻に加担するかを決めるのは、あくまで私自身だ……導術院での出世、そして、エルフの社会に捕らわれること、それを選ぶか、ホビットを虐げることに応じないか、それを決めるかは、あくまで私個人の問題なんだ」
 話しながら、頭の片隅にあった選択肢が急速に大きくなるのを、私は感じた。
 現実的ではない、と、思い浮かんだ途端、すぐに追いやった考え。子供じみた熱狂に駆られていることにも気付いてきたが、今の私は、それでも良いと思っていた。
 この美しいものを、裏切ってはならない。
 彼女と共に生きたい。
「ホバル教授の推薦を辞退しようと思う」
 シャナの瞳が、大きく見開かれる。
「なりません、アルフリード様。そんなことをすれば」
「無論、導術院はおろか、オーレックからも、実家からも放擲されかねない。ただ、それでも良い。君と、いられるなら」
「アルフリード様……」
「シャナ、一緒に来てくれ」
 彼女はその瞳をさらに大きく見開き、私を見ていた。戸惑いと驚きが浮かんだ彼女の瞳から、不意に涙がこぼれた。大粒の涙は一つ二つと白い頬を伝い、そして彼女は両手で顔を覆って、泣きじゃくった。
 涙を流すほどに、喜んでくれた。そう私は思う。
 ……勘違いも甚だしい、それ以上の言い様はなかった。
「一時の戯れでなく、結ばれたいと? アルフリード様は家畜と結ばれるというのですか」
「君達は人間だ」
「そうお思いなのは、アルフリード様くらいです。そして、ホビットにとっても、エルフは」
 彼女はそう言うと、部屋から出て行った。
 私が反応する間もないまま、シャナはドアを開け、暗い廊下を去って行ってしまった。
 私が廊下に身を出した時には、彼女の姿は闇の中へ消えてしまっていた。
 心臓は早鐘を打っていた。それでも私はため息をつくことが出来た。もう自分がどうするかは決めている。あとは戸惑うシャナに理解してもらうだけだ。今日は突然のことに彼女も驚いてしまっているだけだ、明日以降、ゆっくりと話していけば良い。
 その夜、私は寝台に横になり、体にまとわりつく酔いをも心地よく感じながら、目を閉じた。


 翌日、目を覚ますとシャナはもういなかった。
 何の断りもなく荷物をまとめ、出て行った彼女を、誰も追おうとしなかった。脱走となれば必ずと言って良いほどなくなる銀器は一つも欠けることはなかったのだから、出来が良かったものの、所詮はホビットの召使い一人の後をわざわざ追うことはない。そういうことだった。
 そのことに愕然としたのは、広いオーレックの屋敷の中で、ただ一人、私だけだった。

   *

 古代エルフ語で、火花よ現れよ、と言っても火花は生じない。
 ただこれが、布よ鳥にしろ、と言えば、どういう訳か何もなかった所から火花が生れてしまう。
 導術とは言ってしまえば、そうした奇怪で滑稽な現象を調べ、積み重ねた結果として生まれたのだ。
 そんな訳だから、導術を導術士が発現するところは酷いものになる。
 大の男達(数は少ないが女性も中にはいるが)が揃いも揃って、カエルに翼を石に車輪よ大海に背きて母を打て……などと意味の分からないことばをぼそぼそと呟くのだから、事情を知らない古代のエルフが見れば自らの子孫の乱心に天を仰ぐことだろう。
 もっとも、現代語とは似ても似つかず、その上難解極まりない古代エルフ語を解する人は今では導術士や学者を除けばほぼおらず、導術士の周りで人々がゲラゲラ笑う、なんてことには幸いにしてならない。むしろ低い声で古代エルフ語を導術士がつむぐ姿は、何もしらない市井の人々にとっては、どこか厳かな雰囲気すら感じさせるものらしい。


 今では突風を巻き起こし、高温高圧の空間を作って軽量な金属の精錬すら可能な導術も、最初はそよ風が出たり、火花を散らしたりと、ほんの些細な力しかもたなかった。
 その上、発現する場所や規模の制御も出来ず、偶然発現したそれは多くの場合、予期せぬ事故を引き起こしたようだ。その力を最初に見いだした古代エルフからそれは忌まわしき力として嫌われ、物理現象を引き起こす言葉のつらなりは禁句とされた。さらには古代エルフ語の衰退により、その力は歴史の闇へ消えていくかに見えた。
 詐欺師まがいの呪術師や道化師が客引きに使うことによってなんとか生き延びてきたその力の活用を思い立ったのが、我らがミレア王国だった。
 かつての国王がどういったお考えで道化師の火花を研究しようと思ったのかは分からないが、王はお抱えの学者を使って、僅かに残った妙な力の記録の収集、分析を開始させた。その目論見は見事に当たり、物理現象を発生させる単語の規則性ばかりでなく、その威力を強化したり、規模や範囲を限定したりする規則性がつぎつぎに発見され、その力は日進月歩の成長を遂げた。
 今ではその力は、国家の趨勢をも左右する術、神が我らエルフを導くために与えられた術、導術と呼ばれるようになったのだ。


 導術の力は現在、ミレアがほぼ独占している。
 どういう訳か、導術はエルフが、古代エルフ語で詠唱した場合にしか発現しない。ホビットやドワーフ達が苦学して古代エルフ語を修め、私たちと同じように術式を唱えても、火花一つ生じさせることは出来ないのだった。
 そして、エルフが治める他の国では、そもそもが導術を未だに忌み嫌われたまじないと見なしているところも少なくなく、導術の研究はミレアだけが他の二歩も、三歩も先を歩んでいるのが現状であった。
 導術により、ミレアの国力、特に軍事力は、周辺諸国に比肩するものが存在しないほどに高まっていた。そして、そうなった国が必ずそうなるように、ミレアは周辺諸国への侵攻を繰り返した。
 何せ、戦闘用の導術士一人で重装騎兵にして百騎と互角、とまで言われるくらいなのだ。起こした戦争のいずれにおいても、ミレアは圧倒的勝利を治め、今では周辺諸国のほとんどがミレアのご機嫌取りと化している。
 そんな中にあって、ただ一国だけが、ミレアに対して抵抗を続けていた。
 誇り高いホビットが、峻険な山脈に囲まれた広大で肥沃な平原に住む北方のその土地は、グレスガルカの名で呼ばれていた。

   *

 要求される学力の高さに心折れず、導術の学習を認められたエルフの行く先は、二つある。
 一つは王立導術院で導術の研究、発展に努めること。もう一つは戦闘用の導術を極め、王の剣とならんとする、導術騎士団に入ることだ。
 そんな訳で、同じ導術士といっても導術院と導術騎士団のそれとでは雰囲気が大きく異なる。前者が根っからの学者である一方、後者の本質はあくまでも武人だからだ。
 導術騎士団の分遣隊隊長であり、今回の遠征の指揮官でもあるテオレル卿の風情は、まさに武人そのもの。目のすぐ下には、鼻梁を真っ二つに分けるような傷が横一文字に走り、よく日焼けした顔は、これまで味わってきた苦行を物語るような皺が刻まれている。そして私に向けられる眼光は、恐ろしく鋭い。
 卿の耳では、ホバル教授のものと同じ、金の耳飾りが輝いていた……情けないことだが、私の感じていた威圧感にはそれも多少、影響していたかもしれない。
「よく来られた、導術院派遣導術士殿」
 その眼光とは裏腹に、卿の声音は落ち着いたものだった。この瞳は素であって、別に他意はない。そうだそうに違いない。そう自分に言い聞かせつつ、私は卿に向かって小さく一礼した。導術院の学士であることを示す、べっこう製の耳飾りが、耳で揺れた。
「アルフリード・ファル・ヴァッセ以下、導術院派遣導術士十一名、参上いたしました」
「導術院の導術士方はどなたも優秀。健闘を期待しておるぞ」
「皆様の脚を引っ張らないよう、気をつけます」
「謙遜を申すな……ただ、酒量は気をつけられよ」
 そう言いつつ、卿は少しだけ笑う。
「戦場は千鳥足では歩めぬからな」
「心いたします」
 そう言ってから、私は導術士達を引き連れ、卿のいた天幕をあとにした。自分の臭いを嗅ごうと鼻を動かすが、酒の臭いは感じられない……もしかしたら、鼻が酒に慣れきってしまっているのかもしれなかったが。
 天幕の外は、戦場の喧噪に包まれていた。
 もっとも、いるのはまだ王都郊外の平原なので、戦場ではない。だが初めての従軍を迎える私には、そこを包む空気は戦場のもの、それ以外の何物にも感じられなかった。
 今まで見たこともない数の軍馬。豪快な笑みを浮かべる傭兵達に、尊大な表情で傭兵の装備を確認する監督官、重厚できらびやかな鎧に身を包んだ騎士達に、天を突くような長槍を携えた歩兵達。
 なんとも威圧感に満ちた光景ではあったが、私の肩から力が抜ける……テオレル卿の瞳の鋭さに比べれば、兵士達の方がまだ恐ろしくはない。
 あれほどの人物が率いる導術騎士団があるならば、導術院の導術士が派遣されなくとも良いのでは、と思うが、そうはいかないのがミレアという国だった。
 元来、ミレアは尚武の気風の強い国である。同じヒラであっても、導術院の学士が着用を許された耳飾りがべっこうである一方で、導術騎士団の下級騎士のそれが銀であることにも現れている。
 そんなミレアにあって、戦で剣を握ることは男子の義務。学者とはいえ、強力な導術を扱える導術士が戦場に出ないとは何事か……そうして始まったという導術士の遠征派遣が、どういう経緯で導術院の出世の前提条件になったのかは知らないし、今となっては特に興味もない。
 ため息をつきつつ、私は革袋に口をつけた。
「アルフリード様……」
「ん?」
「その、テオレル卿に酒量は気をつけると仰ったばかりではないですか」
「ああ……」
 そう間の抜けた声を出した時には、オーレック卿から餞別としてもらった葡萄酒は喉を滑り終えたあとだった。慌てて栓をして、革袋を腰に戻す……ただ、それを捨てることはしなかった。
「すまんルーマス」
 そう私が言うと、派遣導術士の一人で、私の長年の研究仲間、ルーマスは若干の心配が混ざった笑みを浮かべた。
「最近、様子が変ですよアルフリード様。お酒は苦手だったはずなのに……」
「いや苦手には変わりないんだが……どうにも、手が離せなくなってしまったのだ」
「何かあったんですか?」
 そう言ってきたルーマスに、私は何も言えなかった。


 シャナがいなくなってすぐ、私は密かに人をやり、彼女のあとを調べさせた。しかし、その行方は杳として、知れなかった。
 どうして君は、私の決意に答えないまま、私のもとを去ったのか。どうして、私と共に生きてくれなかったのか。
 その問いは、今まで解いてきたどの導術の規則性よりも、遙かに巨大な謎として私の前に立ち塞がった。考えれば考えるほどに謎は答えから遠ざかり、もがく私に与えられたのは答えでも、答えに至る手がかりでもなく、ただ深い痛み。それだけだった。
 その痛みから逃れるための方法を、私は酒くらいしか知らなかった。味は好きではないし、飲みすぎれば翌日は必ず二日酔いに襲われたが、少なくとも、酩酊に浸っている間は彼女のことを忘れることが出来た。
 しかし、しらふになれば、彼女の顔は再び脳裏に浮かんできた。酒量を増やしようにも限界があり、私は注意をそれからそらすための、何かを求めた。そして、私の目の前には、ホバル教授から請け負ってしまった重大とされる仕事があった。
 ……失恋は人を狂わせるというが、確かにその通りだった。
 私は、不参加を決めたはずの北方遠征に、参加することにしたのだ。
 彼女の故郷を踏みにじること、そして、ホビット達を殺しに行くこと。そのことに感じる呵責よりも、ただ自分を多忙に浸したい、その欲求が、私を決断へと導いたのだった。


 遠征の軍勢はその威容を王都の大通りで示した後に、北方へ出発するのが慣例となっていた。
 無数の市民が、兵士達に歓声と花吹雪を投げる。
 それに応える傭兵、騎士、そして、導術士達の列。
 整然とした隊形、きらびやかな軍装、鋭い槍の穂先。それに勇壮さを感じる者は多いのだろうが、私がそこに感じるものは、嫌悪がやはり大きい。
 元来争い事が苦手で、幼い頃も友達との兵隊ごっこはどうにも好きになれなかった。ホバル教授から遠征の話を聞いたとき、感じた反発心には、シャナの故郷を踏みにじりにいくことだけでなく、争うこと、人を殺すこと、それ自体への嫌悪もあった。
 多忙さに身を浸したい、という気持ちも確かにあるのだろう。だが、自分が忌み嫌う野蛮へ身を投じた理由は果たしてそれだけなのか。
 ……とある可能性に思い当たった私は、馬上で、くっくと笑った。それまでぎこちない笑みで市民達に手を振っていたルーマスが、はっとした顔で見てくる。それに苦笑いを返しつつ、私は葡萄酒の栓を抜いた。諦めた風情のルーマスは、止めようとするそぶりすら見せなかった。
 もしかしたら私は、シャナに復讐したいのかもしれない。
 何も言うことなく、私のもとを去った彼女への憤りを、北方で必死の抵抗を続ける彼女の同族に、ぶつけたい、そんな子供のような動機もまた、あったかもしれなかった。
 なんという情けない人間だ。そんな人間に殺されるホビット、そしてそんな男に今も未練を抱かれているホビットの女は、なんと不幸だろうか。
 そんな自分への苦い感慨が、喉の辺りにまとわりつく。それを体の底へ流し込むように、私は市民が見ているのも構わず、葡萄酒をあおった。

   *

 大通りでの行進を終えると、兵士達は石造りの建物と、その中心にそびえ立つ堅牢な王城を離れ、北へと進んだ。
 夏真っ盛りを迎えたミレアはうだるような暑さで、道々には青い葉を茂らせた麦畑がどこまでも広がっていた。しかし、歩みを北へと進めるごとに、景色と空気は徐々に変化していく。
 広大な麦畑が広がっていた田園は、いつしかジャガイモ畑の占める面積が多くなり、顔に吹き付ける風にも少しずつ冷たいものが混じるようになった。そして景色には草原よりも山の占める範囲が大きくなっていく。
 かつてホビットの支配地域だった土地に入る頃には、眼前に巨大な山が立ち塞がるようになった。
 グレスガルカとは、ホビットの言葉で、大いなる城塞、を意味するらしい。その名が示すように、ミレアからグレスガルカへ入る通り道には天然の城塞とも言える峻険な山々が立ち塞がり、そこに設けられたホビットの城塞群が長きに渡り、ミレアの侵攻を防いできたのだそうだ。
 ただそれは今では跡形もない。以前に行われた遠征の折、ミレアの導術士達によって、長年難攻不落を誇った城や砦は、ことごとく瓦礫の山と化しているのだった。
 開始から五年となる遠征は、最終局面を迎えている、と言われていた。未だホビットの繰り出す兵力は大きいものの、彼らが大きな寄る辺としていた城塞は崩れ落ちており、その向こうには導術から身を隠しようがない平原が広がっている。あとは敵の軍勢をそこで討ち滅ぼせば、グレスガルカのホビットは諸手を挙げて降参するだろう、と。
 ただ、山を越え、平原に侵入してきた私たちを迎え撃ってきた敵には、そんなそぶりは全く見られなかった。


 戦闘は最初、先行する騎兵からの伝令という形でやってきた。
 慌てた様子の軽騎兵が、一際見事な鎧に身を包んだテオレル卿のもとへ進んだ。卿からは離れたところにいた私にはよく聞こえなかったが、跪いた騎兵の報告を聞き終えると、卿は周囲の者達に大声で何事かを伝える。
 それに応じ、軍勢を構成する各隊へ伝令が飛ぶ。その指示を受け、隊長達が配下の兵に指示を飛ばす。すると、軍勢がまるで不定形の水生生物のように、蠢動を始める……。
 蠢動が終わった時、細長い行軍隊形を取っていた軍勢は、戦闘隊形へと変化していた。
 軍勢の中央には長槍や石弓、長弓を携えた歩兵。その左右を騎兵隊が固め、私たち導術士は歩兵の前面、そして騎兵の傍らに布陣する。
 隊形が整ってからさほど経たない内に、土煙を上げて先行していた騎兵隊が戻ってくる。彼らが側面の騎兵達に合流してさほど経たない内に、ホビットの軍隊は姿を現した。
 敵の陣形はこちらとよく似ているように見えた。
 中央に歩兵、側面に騎兵。ただ、数はホビットの方が格段に多く、陣形にも若干の違いがあるようだった。
 中央の敵歩兵隊はこちらのように大きな一つの長方形ではなく、いくつもの小ぶりな方形にわかれていた。こちらの導術によって一度に全滅しないため、そういう隊形を取ることがある……遠征前の教練でそんなことを言われたことを思い出す。
 こちらの数倍にも及ぼうかというホビットの軍勢はしかし、こちらの姿を認めてもすぐに接近しようとはしなかった。
 ただ隊形を整然と整えたまま、じっとこちらの様子を見ている。
 怯えているのか。
 そう私が思ったとき、テオレル卿が全軍に前進を命じる。
 周りの導術士達と歩調を会わせて脚を踏み出す。身に着けた鎧や軍装ががちゃり、と音を立てただろうが、それは何千もの兵士達の足音の中に埋もれてしまう。私たち、導術士を前面に押し立てつつ我が軍が進むと、遠くに見えるホビット達の軍勢、それが僅かに震えたように、私には見えた。ただ、そんなそぶりを感じたのは一瞬のことで、敵はすぐさま、仕掛けてきた。
 側面に展開していた敵の騎兵達が、猛烈な勢いで突進してくる。
 こちらのそれよりも、一回り小柄な馬にまたがったホビットは、巧みに馬を駆りながら私たちに向かってくる。両足だけで馬をあやつり、馬上で短弓を操るホビットの弓騎兵は素早く、私たちの軍勢を包み込むような位置へ駆けていく。
 土煙を立てつつ、馬を駆る彼らは、ときの声を上げながら向かってくる。みるみる内に大きくなっていく馬と、まさに鬼気迫る表情の騎兵達に、私が密かに恐怖を感じてしまうのとは裏腹に、周囲の味方……導術騎士団の導術士達は、平然としていた。
 むしろ、薄ら笑いを浮かべる彼らに少し不気味なものを感じていると、テオレル卿から、指示が飛ぶ。それに従い、騎兵に付いていた導術士が、導術の術式を唱え始める。妙な単語の連なりを笑うものは、導術士の中にも誰もいない。
 おそろしい速さで駆けるまま、ホビット達はこちらに向かって短弓の猛射を放つ。その矢がこちらの騎兵に突き立つ直前、導術の術式が唱え終わり、大気が変化する。恐ろしい勢いで味方に向かっていた矢だったが、その軌道が急にぐにゃり、と曲がる。空中で急に力を失い、大地に向かってばらばらと落ちる矢の向こうで、それまで一糸乱れぬ隊形を保っていたホビットの騎兵隊の陣形も乱れた。
 さきほど落ちた矢のように、突如として、何騎かの馬上から何かが落ちた。
 導術で巻き起こした真空。それにより断たれた、ホビット達の首や腕だった。
 敵騎兵に向かって導術を放った導術士から歓声が上がる。それに私を含めた導術士が気分を湧かせる中、テオレル卿は油断するな、とばかりに大声を張り上げる。
 すると、こちらの騎兵隊が敵の騎兵隊に向かって駆ける。
 次いで出された指示に従い、私達……歩兵隊の前面に展開した導術士の本隊もまた、術式を唱え始めた。
 目標は、こちらに向かって前進する、敵の歩兵。
 こちらが導術を放つ前に、矢の射程に入れようと必死の前進を続ける彼らに放つ導術を、私は他の導術士達と詠唱する。
 発現する現象の種類、距離、方位、その規模。それを顕現させる古代エルフ語を、正確な発音でつむぐ。
 石、青空、弓、鳥……古代エルフ語の原義から見れば支離滅裂でしかない言葉の群れはしかし、大気を揺るがし、世界を変えていく。
 詠唱を終えた次の瞬間、敵の歩兵隊で無数の火球が咲く。
 かなりの距離があっても、私の目に、ホビット達が爆発に包まれ、何人かが空中に巻き上げられる様が見えた。
 密かに息を呑む。
 私が、人を殺したのだ。ただ、遠くで繰り広げられた破壊と殺戮は、どうしてか現実味が薄く、脳裏を覆うのは悔恨や恐怖よりも、困惑の方が大きかった。
 周囲の導術士から、やはり歓声が湧く。
 そして、テオレル卿の大声。
 卿に従い、導術士達は二撃目を放とうと再び詠唱を始める。少し遅れて、私も術式を唱え始める。
 その間、ホビット達はなおも前進を続ける。
 ただ、長弓の射程にはまだ遠い。何隊かがこらえきれずに放った矢は、私たちの遙か前方に落ちていった。こちらの騎兵が襲いかかったホビットの騎兵隊は、あらかたが殺されてしまったようだった。
 そして再び、炎が敵の陣形の中で咲く。
 二回に渡る、こちらの導術攻撃で、おそらく三分の一ほどの兵を失ったところで、ホビットは退却を始めた。
 それでもまだ数にしてこちらよりも多かったが、これ以上進んでもこちらの導術の餌食になるだけ、そう思ったのかもしれないし、それ以前に、兵が士気を失ってしまったのかもしれなかった。
 逃げ出す彼らに、少しほっとする私の横を、敵騎兵を鏖殺した騎兵隊や、傭兵達が駆けていく。
 逃げ惑うホビットを、追撃するためだった。


 逃げ惑うホビット達に、こちらの騎兵が群がる様は、死体にたかるウジのように、私の目には移った。
 味方になんてことを思うのだ、と戒めたものの、私たちが追撃を仕掛けた傭兵や騎兵に追いついた時、自分の感想がさほど間違っていなかったことを私は知る。
 広い草原一面が血で染められた。
 我が軍が狂宴を繰り広げたそこは、そんな表現が恐ろしいほどに馴染んだ。
 ホビット達は全員が武器や鎧、その他金目のものを奪われた上で、ことごとくが惨殺されていた。手足を断たれ、目をくりぬかれ、首を切り落とされたホビットの数は、数千……いや、それ以上だろうか。その体から流れ出た夥しい血は青い草原を汚し、そして今もなお、それは我が軍の兵士達によって加えられ続けていた。
 泣き叫び、命乞いをするホビットの腕を、エルフの傭兵が剣で叩き落とす。血がほとばしる腕を抱え、叫ぶホビットを、傭兵は大笑いしながら見る。その近くには、これから同様の運命を辿るらしいホビットが立たされている。彼らが目を背けようとすると、近くの傭兵がちゃんと見るよう、叫ぶ。これからお前らもああなる、と言ったその傭兵は、エルフではなく、ホビットだった。
 諸々雑多な人種が混じった傭兵には、ホビットの数も少なくない。同族が虐殺される中、目を背けるものもいるが、彼らの多くは死体から金品を剥ぎ取り、虐殺の徒党に加わることに余念がないようだった。
 そうした光景を横目に、導術士達は脚を止めない。逃げ散った敵にさらに導術を打ち込むため、前進を続ける導術士達は、その、惨状という言葉では足りない、あまりにもおぞましいそれを、ただ無感動に見やっていた。
 私の傍らで、誰かが倒れ込む。ルーマスだった。
 地面に跪き、反吐を吐く彼に私は駆け寄る……彼の背中に手を添える私だったが、頭の中は熱にうかされたようにふらふらとして、それがいつ反吐となってもおかしくはなかった。
 他にも何人か、地面に跪く者がいる。その多くは、私たち、導術院派遣導術士だった。
 そんな私たちを、多くの導術騎士団員達は、無感動に見やり、そして歩き去って行く。
 この光景が、至極当然なものであるように。それに動じる私たちの軟弱さを笑うように。彼らは歩き続ける。
 狂っている、と思った。
 ここが地獄か、とも思った。
 ただ、私は知らなかった。
 地獄にはまだ、先があったのだ。


 逃げ散ったホビットの軍勢を捕捉することは叶わなかったものの、我が軍は、敵の逃げ散った先に一つの村を見つけた。
 射程と威力において、弓矢のそれを大幅に上回る導術相手に、見通しの良い平原で当たるのは愚の骨頂とされている。にも関わらず、ホビット達があの場所で私たちを迎え撃ったのには、あるいはこの村の存在が理由だったのかもしれない。
 およそ数百人が住んでいただろう村は、私たちの接近を知ってほとんどの住人は逃げ去っていた。ただ、それでも身動きが取れない老人、幼子、彼らの面倒を見るために共に残った女達が、そこにはいた。
 戦に勝ち、血に酔った兵士達が、それを前にしてどうするだろうか。
 私たちは、茫然とするしか、出来なかった。
 老人と幼子を面白半分に切り刻む男達に掴みかかり、納屋や道端で泣き叫ぶ女を襲う兵士達を殴る……自分達の良識に従えば、そうするべきだった。
 ただ、それらの蛮行は、至極当然のように行われていた。
 傭兵、そして導術騎士団の導術士達ですら、何の呵責も感じたそぶりなく、逃げ惑い、泣き叫ぶホビットの女達に襲いかかった。ごく平然と行われるそれの前では、彼らが正常で、私たちが異常とすら思えてくる。
 人間の本性とは、こうなのだ。
 血と肉に満ちた戦場で、こうしないお前達の方がおかしいのだ。
 周りで繰り広げられる惨劇は、私達にそう言っていた。
 それに加わらず、私たちは一つの天幕へと向かった。
 正常と異常。自分達の立つ場所が、どちらにあるのかを確かめるために。


 軍略の一環である、とテオレル卿は言った。
 軍略、と私は繰り返す。
 あの蛮行について問うてきたと思えば、おうむ返しに言葉を繰り返す私に、テオレル卿は小さくため息をつき、そして頷いた。
「略奪、暴行は戦場の常である。そして、以前の遠征からは軍略として、あれを命じている」
「どういった、意図で?」
 そう問うたのは、真っ青な顔をしたルーマスだった。そちらをじろりと見てから、テオレル卿は言葉を続ける。
「当地での遠征を始めはや五年。我が軍は遠征の度に勝利を重ねておるが、小人共はなかなか降伏するそぶりを見せん。そこで、勝利をより早く達成するために、ああするよう命じておるのだ。捕虜はとらず、グレスガルカの小人はことごとく殺せ、女は好きにして構わん、と。
 我らに刃向かい続けると、こうなるぞと知らしめるために」
「逆効果では、ないでしょうか」
 そうルーマスは言う。
 この数時間で十も老け込んだように見える彼の顔の中で、血走った目だけが異様に大きく見えた。
「本日戦った敵の戦意は高いものでした。以前からこのようなことを続けてもなお、敵がああしているのならば、この軍略は効果が薄い……むしろ逆効果ということではないでしょうか。それよりも」
「学者が、ようもデカい口を叩いたものだな」
 爛々と瞳を光らせつつ、まくしたてるように言葉を続けたルーマスの口を、テオレル卿はそう言って止めた。
 卿がルーマスに気圧されたそぶりは全くなく、その顔にはただ強い不快感だけがあった。
「ワシは貴様がおしめをつけていた頃から戦場に立っているのだ。戦のことで貴様から講釈を受ける筋合いはない。貴様はせいぜいワシの指揮に従っておれば良い」
「ですが!」
 私が止める間もなく、ルーマスはそう叫びながら、椅子に腰かけたテオレル卿に詰め寄る。
 卿の胸ぐらを掴む前に、ルーマスの動きが止まる。卿の傍らにいた騎士が、ルーマスを止めたからだった。
「あれは、人として、してはならぬことではないですか!?」
「相手は小人だ」
 ルーマスに応じる卿の言葉は、短く、簡潔で、そしてどこまでも、冷淡だった。
「エルフではない」
 そう卿が続けたところで、ルーマスの体から力が抜けた。それまでの張り詰めた様子が冗談だったかのように、力を失った彼の体から騎士が手を離し、跪いた彼を仲間の導術士が抱え起こす。私は、何も出来なかった。
 ルーマスが力を抜いたのは、卿に最早なにを言っても無駄と悟ったからだろうか。
 それとも、今更ながら相手がホビットだということを思い出したからだろうか。
「申し訳、ございません」
 卿が今も不快そうな表情をしていることに気付いた私は、深く一礼した。こんな時でも上役の顔色を伺う自分に、嫌悪を覚えながら。
「部下が失礼をいたし、誠に申し訳ございませんでした」
 卿はふん、と鼻を鳴らす。
「部下の手綱はしっかりと握っておかれよ、筆頭導術士殿」
「返す言葉もございません」
「ご自身も、見たことに動揺しておられるようだな?」
「お恥ずかしながら、その通りです」
 動揺? と内心で思いつつ、私は応じる。
 あれを見て感じたことは、動揺なのか? そんな言葉で表せることなのか?
「姿が多少似ても、言葉を話せど、所詮は導術も使えぬ知能の低い小人共だ。人ではない、動物、家畜なのだ。そこをわきまえねばならんぞ」


 自分達の天幕に行く間、私たちは終始無言だった。
 先頭に立って天幕に向かうルーマスは、両耳を塞ぎ、そして何事かぶつぶつと呟きながら歩いている。
 略奪と殺戮の限りを尽くされた後のホビットの村には未だ、兵士達の笑い声と、女達のすすり泣く声がそこかしこから聞こえてきた。
 今日、この地で目の当たりにしたこと。それにいちいち衝撃を受けてしまっているのは、どうしてだろうか。彼らのように非情になることが出来ないのは、どうしてだろうか。
 私に残された、未熟さがそれを邪魔しているのだろうか。
 あるいはそれは、私の人としての部分なのだろうか。
 私に残された人間性が上げる、断末魔の叫びなのだろうか。 
 狂騒から離れるように……いや、逃げるように、私たちの天幕は村から離れたところに設けてあった。
 身の回りの世話をする従兵に手伝ってもらい、軍装を解いた私たちは天幕の敷き布に腰かける。誰も、何も言わなかった……いや、ルーマス一人だけが何事かをぶつぶつ呟き続けている。どうやら、神に許しを求めているらしい。
 ふと気がつくと、共にテオレル卿の天幕に行った導術士達の内の何人かの姿が見えなくなっていた。
 彼らもまた、あの兵士達の列に加わったのだろうか……深く、細く息を吐き、私はその考えを頭から閉め出す。もう何も考えたくなかった。私はひどく疲れていた。

 ホビットにとっても、エルフは。

 シャナが最後に言ったことを思い出す。
 ホビットとエルフ。その関係の実際がどのようなものか。この北の地で、どんなことが繰り広げられているのか。愚かな私は知らなかった。 
 エルフの社会を捨て、君と共に生きていきたい。その台詞は、無知だったが故に言えたことだった。
 北の地で、そしておそらく他の場所でも、エルフがホビットに対してしてきたこと。それをおそらくは体験してきたシャナにとって、共に生きようという私の言葉は現実味のない……もしかしたら、おぞましいとすら感じさせたかもしれない。
 ……ならば、シャナ。
 どうして君は、私を慕ってくれたのだ。
 君達を虐げるエルフを、どうして愛してくれたのだ。
 あれは、嘘だったのか。
 もしそうだとしたら、どうして。


 いつの間にか寝入っていた私は、不意に目を覚ます。
 目を開けると、天幕には闇が満ち、どうやら真夜中になっているらしかった。導術士の仲間達はいずれも寝入っていて、起きているのは私と、ルーマスだけのようだった
「ルーマス」
 天幕の片隅に積まれた荷物に体をもたせかけ、じっと地面を見ていたルーマスは、その瞳を私にゆっくりと向ける。
「どうされました、アルフリード様?」
「何か、聞こえなかったか?」
「何か、と言いますと」
「人が歌っているような……」
「ええ、聞こえます」
 頬がこけ、目が爛々と光るルーマスの顔に、ひきつった笑みが浮かぶ。
「神が我らの所業を苛む声が、ずっと聞こえます。小人もまた、神の創造物の一つ。それを弄ぶ、おごり高ぶった我らに怒る、神の声が、あの戦からずっと聞こえているのです。貴様らに導術を授けたのは、そんなことの為ではない。天罰を下すぞ、と……ああ、アルフリード様にも聞こえていたのですね」
 話すごとに、ルーマスは早口になり、そして瞳も輝きを増していった。
 私は彼に何も言わず、そっと天幕を出る。
 外に出た私は耳を澄まし、さきほど鼓膜を掻いた音の正体をさぐろうとする。ただ、不意に吹いた風が、それを拒んだ。
 月が出ていたはずの空は、いつの間にか厚い雲に覆われていた。近いところで稲光が雲を這い、風に加えて電の轟きさえも耳に入ってくる。
 一雨来そうな空の下、狂騒の続いていたはずの村は、静かに横たわっていた。兵士達、そして哀れな女達の声はもうなく、夜にかけて続いていた惨劇が嘘のように、村は沈黙に包まれていた。
 私たちの天幕は村から離れた小さな丘の上にあり、かがり火が僅かにたかれただけの村の様子はよく見ることが出来た……村の中央には、惨殺された老人や子供の遺体が積み上げられているにも関わらず、傍から見る村は、何事も起こらなかったように、平穏そうだった。
 さきほど、私の目を覚ましたのは電の音だったのだろうか。
 それとも、ルーマスの言うように神の叱責だったのだろうか……それとも、殺された村人の怨嗟の声か。
 そう思ったとき、風向きが変わる。
 寝起きの私の耳に届いた、歌うような声が、確かに聞こえてきた。
 それは、村から少し離れた、森の中から聞こえてくるようだった。
 それに耳を澄ます。
 聞いたことのない言葉でつむがれるその歌は、しかしどこか、聞き慣れたもののようでもあった。
 まさか。
 疑念を感じつつも、私がその場に伏せた次の瞬間、村のそこかしこで爆発が生じた。
 無数に生じた爆発はいずれも巨大なもので、村の家々……兵士達が寝入っていたそれらは、ことごとくが破壊される。家々を構成していた石や木材は宙高く飛び、私の傍にもその破片が落ちてくる。
 破壊されたのは家々だけではなかった。その近くに設けられた無数の天幕にも爆発は容赦なく襲いかかり、火が点いたり、傷ついた兵士達が、地面に倒れ伏す様が見えた。
 静寂に満たされていた村は一転、恐怖と動揺が過分に混じった喧噪に包まれる。爆発を逃れた兵士達は、武器を手に、外に出て走り回る。混乱しきった彼らが道々を埋める中、爆発の第二撃が炸裂する。
 この爆発は、私の近くでも生じた。
 仲間の導術士達が寝静まっていた天幕もまた吹き飛び、その衝撃で私の体も宙を飛ぶ。
 奇妙な浮遊感に続き、大地へ激突した衝撃が、体を包む……ただ、すぐ立ち上がれたところを見ると、骨は折れていない。
 痛みに呻きながらも、立ち上がった私は、燃えさかるいくつもの天幕、地面に倒れ伏す兵士達、そして、炎を背景に天をあおぐ、ルーマスを見る。
 稲光が走る。
 闇夜を切り裂くような光に続き、大粒の雨が私達に降り注ぐ。
 その雨を抱きしめるように、両手を広げたルーマスは、笑っているようだった。
「裁きの時、来たれりぃいいいいいいいいいい!」
 身に着けていた肌着は所々が千切れ、炎に照らされた顔には血が流れている。それでも叫ぶルーマスの声には、抑えきれない歓喜が満ち満ちていた。
「罪深き我らに、神の軍勢は来たる! 皆の者、歓喜と共にこれを迎えよ!  我らが罪は、これにて濯がれるのだ!」
 さらに続けようとしたルーマスだったが、彼はそれ以上、言葉を発することはなかった。
 どこからともなく飛んできた矢が、彼の脳天を貫いた。矢はルーマスだけでなく、今も燃える村、そして私に降り注いでくる。
 地面に倒れ伏したルーマスの向こうから、槍や弓を携えた兵士達が向かってくる。
 天には雷、地には炎。
 地獄のような光景の中、ホビットの兵士達はゆっくりと、進んできた。

   *

 ……夜中の間降り続けた雨は、明け方が近付くに連れて霧となり、私の視界を埋めていた。そのせいで足元もおぼつかず、夏とは思えぬ冷気は濡れた私を容赦なく苛んでくる。それでも私は歩き続ける。脚を止めれば、すぐさまホビットが襲ってくる……強迫観念と正確な現状認識の合間を揺れるそんな思考が、私を歩ませ続けていた。
 ……昨日の夜。激しい雨の中、炎の中を迫る敵に、私は咄嗟に導術を放った。
 慌ててつむがれた導術は詠唱も早口で、精度は悲しくなるほどだったが、敵の目をくらますだけの効果はあった。突如発声した突風に、陣形を乱した敵を背に、私は雨の中を走った。
 昨日の夜のことで、思い出せるのは、そこまでだった。雨の中、草むらをかきわけ、つまずきながら森を進む……そんな断片的な映像の他は脳裏に残らず、気付けば私は、こうして朝を迎えていた。
 私の行く先を阻むような雨と霧だったが、一晩もの間、ホビットから逃れられたのも、このおかげであることも間違いがなかった。
 ここはどこだろう、と私は白色に輝くもやの中で思う。
 身に着けているのは肌着一枚だけで、野外を進むために必要な装備は何一つ身に着けていない。濡れた衣服の冷たさは徐々に耐えがたいものになり、このままでは不味い。幸いケガはしていないが、水も食料もない状況では、早晩動けなくなる可能性が高い。
 その時、私の耳に、もはや聞き慣れた音が届く。
 無数の金具の鳴る音、無数の兵士が立てる、足音。
 行動する軍隊の音だった。


 霧の中、私は音のした方に向かって足音を立てないよう、そろそろと進む。
 もやが徐々に晴れていく森を進むごとに、その音は徐々に大きくなっていく。それは二方向から聞こえており、どうやら二つの軍勢が相対していることが察しられた。
 たくさんの人間が話し合う音、つぎつぎと繰り出される指示、罵声、その直後に急に降りる、静寂。
 その次の瞬間、爆発音が大気を振るわせた。
 爆発音は同時に複数が生じ、私の鼓膜を揺さぶった。その音に弾かれるように駆けだした私は、すぐに森の際に至り、そしてそれを見る。
 森が途絶えた先の平原では、案の定、エルフとホビットの軍勢が戦闘を繰り広げていた。そして私が到着した時には既に、その大勢は決していた。
 私の目の前で、一方の軍勢の中でつぎつぎと炎が咲いていた。その度に兵や馬が宙を舞い、同時に悲鳴が大気を汚す……ただ、それが繰り広げられているのは、ホビットの軍勢ではなかった。
 整然とした隊形を維持しているのは、小柄な体のホビットの軍勢……信じがたいことだが、その前面には槍も弓も携えない兵士の一団が布陣している。彼らから、歌うようにつむがれる、未知の言葉が私の耳に入ってきた
 その詠唱が途切れる度に、無数の爆炎がエルフの軍勢の中で生まれていた。
 私は、思わず息を呑む。
 やはり、ホビットが導術を使っている。しかし、どうやって。
 導術は古代エルフ語を扱うエルフしか使えないはずだ。それどころか……今も生じている爆発の規模は、私たちエルフのそれよりも、格段に大きい。
 そして、と、無数の爆発によって壊乱するエルフの軍勢を私は見る。
 何故エルフは導術を放たないのだろう。奇襲を受け、対応出来なかったのか、導術士が昨日の攻撃で死に絶えたのか、それともまた別の理由からか、そうだとしたら、どんな理由からなのか。
 そう考える間に、散り散りになったエルフの軍勢にホビットの騎兵が襲いかかり、昨日行われたものと、そっくり同じことが草原で繰り広げられる。
 逃げ惑うエルフ(……中にはわずかだが、ホビットの傭兵もいるようだった)を背中から切り捨て、捕まえれば、馬乗りになって滅多刺しにする。金品を自ら差し出し、命乞いをするエルフの身ぐるみを剥がし、手足を切り落とす……そのいずれもを、ホビット達は、楽しんでいるように見えた。
 低木に身を潜めた私は、それを息を呑んで眺めることしか出来ない。
 どうする、と自問する。
 殺戮されるエルフの軍勢は、たとえ蛮行を働いたとしても、味方であることには変わりない。加勢することも出来るが、私一人がいくつか導術を放ったところで、敗勢は覆しようがない。だが、だからといって、このまま身を隠していてもしょうがない。どうする……。
 ……逡巡したのは、ほんの少しの時間だった。
 私は、この遠征が始まって初めて、死の恐怖を感じた。死との近さで言えば、昨日の夜、ホビットの軍勢と相対した時の方が明らかに近いが、あの時は無我夢中で、自分が死ぬことを考える余裕は無かった。
 それでも、私は自分の意思に従うことにした。
「……何人かが、逃げる隙は稼げるか」
 暗記した術式を、私はゆっくりと詠唱する。詠唱が終われば、私はさして時間を経ずに、ホビットに見つかる。詠唱を進めるごとに、死の恐怖が高まるが、幸い、声を詰まらせて術式を台無しにすることはなかった。
 最後の一語をつむごうとしたその時。
 何者かが、私の頭をこづいた。
「やめぬか馬鹿者」
 ひゅ、と 詠唱しかけた言葉を飲み込み、私は背後を見る。
 煤と泥にまみれながらも、険しい顔立ちと、鋭い眼光は揺らぐことのない、テオレル卿がそこにいた。


 テオレル卿を始めとした遠征軍の指揮官達の大多数は、あの村の建物に逗留していたそうだ。
 そのせいもあり、昨晩の敵の第一撃で指揮官達のほとんどが戦死。卿が見たところでは、軍勢の七割方も昨日の時点で討ち死にしたようだった。
「生き残った者共も、散り散りに逃げ、そこかしこでホビット共に討たれたようだ……さきほどの者共は、我が配下の騎士がまとめておったようだが、な」
 私の横で歩きながら、卿はそう淡々と話した。
 敵の導術攻撃から奇跡的に生き残ったテオレル卿だが、その様は満身創痍と言って差し支えなかった。鎧を帯びていない顔、腕はほとんどが火傷に覆われ、おそらくは鎧の下にも酷い傷を負っていることだろう。そして、卿の右脚は膝から下がなくなっていた。右膝のあったところに巻き付けられた粗布からは血が滲んでいる。
 だが、杖の代わりに持った剣を握る右腕の力は強く、背筋を伸ばして歩く姿からは重傷を負っている様子は微塵も感じられない。
 畏怖よりも、恐怖に近い何かを感じる私に、卿は張りのある声で言葉を続けた。
「王に仕える騎士として、見事な最期であった……小人ごときに討たれるのは、誠に無念だったろうが」
「……どうして、私を止めたのです」
「貴様が導術を放ったところで、彼らが討ち死にすることに変わりはなかった」
「何人かは、救えたかもしれません」
「それよりも、我等が生き残り、確実に王都へ報告をすることの方が大事。無残な結果に終わった、この遠征の顛末をな」
 テオレル卿は、顔色を変えないままそう言った。
「もう導術士は、私たちしか生き残っていないのですか」
「そうだ。先ほどの隊にも何人かはいたようだったが……」
「しかし、彼らは導術を使いませんでした」
「風だ」
「は?」
「小人共の導術士は、いの一番に突風を吹かせたのだ」
 私のいた低木よりも少し離れたところで、卿は戦闘の一部始終を見ていたそうだ。
 卿によれば、エルフの軍勢が炸裂導術の射程にホビットを入れる前に、敵は強風を吹かせる導術を詠唱したそうだ。
 兵の首を叩き落とす威力を出そうと思えば射程が限られる突風系の導術だが、強風を吹かせる程度ならば、かなり遠くから効果を発現することが出来る。目を開けるほども出来ない強風により、エルフの導術士が詠唱出来ない間に、ホビットは炸裂導術の射程に悠々と入り、その第一撃で導術士隊を吹き飛ばしたそうだ。
 導術士に対抗出来るのは、導術士だけ。導術士を失ったエルフの軍勢は、導術によって蹂躙されるしかなかった。
「五年もの間、我等が導術を味わい尽くした彼奴らの方が、導術士相手の戦闘は慣れていた、ということだ……そして、ありえぬことに、敵の導術は、我が方を上回る威力さえ持っている」
「テオレル卿、昨日の昼間の戦いは……」
 そう言った私の前で、テオレル卿の顔が酷く歪んだのは、痛みのためではないだろう。
「おそらくは、我が方を誘い込むため、わざと負けたのだろうな……まさかあれほどの軍勢と、村一つ分の女子供、老人を生け贄にするとは思わなんだ」
 蛮族の考えることは分からん、と言うと、卿はぽつり、と言う。
「急ぎ王都に戻り、ミレアにいる小人共を皆殺しにせねばならん」
「は?」
 卿の顔を見る。その言葉の意味を問う前に、蹄の音が、背後から迫ってきた。
 私は慌てて背後を振り向く。卿も同じように殺気だった視線を向けるが、すぐに相好をくずした。
「安心せよ、味方だ」
 そして現れたのは、ホビットの騎兵ではなく、一頭の黒毛馬だった。艶やかな毛並み、大柄な体格をした馬は、一直線に卿に向かう。鼻面を擦り付けてきたその馬を、卿は愛おしげに撫でた……卿がにっこりと笑う様を見たのは、これが初めてだった。
「我が愛馬、サトゥールンだ……よくぞ小人の手にかからず、主を見つけたな」
「馬とは、鼻が利くのですね」
「それどころか、その辺りの兵よりもよっぽど賢いぞ。無論、脚も頑強。一夜にして百里を駆ける、自慢の我が相棒だ」
 そして、すぐさまそれに飛び乗る、と思いきや、卿はその手綱を私に向かって差し出してきた。卿の顔からは笑顔が消え、武人然とした見慣れた表情が戻っていた。
「ヴァッセ殿、サトゥールンに乗り王都へ急ぐのだ」
「ですが、卿が乗るべきでは……」
「このケガでは、ワシはもう長くはない」
 そう卿は平然と言った。
「敵の戦力、戦術、いかにして我等が敗れたか。ワシが申したこと、必ずや王へお伝えせよ。導術騎士団の主力はまだ健在とはいえ、無敵のミレア導術士隊が敗れた、と知れば周辺各国は雪崩を打って攻め入ってくる。手遅れになる前に、戦訓をお伝えせねば……それに、ホビット共が軍勢一つ潰して満足するとも思えぬ」
 私は、手綱を握った傷だらけの卿の手を見る。
 サトゥールンは悲しげに小さくいななき、卿は手綱を握った手でその鼻面を優しく撫でる。
 手綱を受けとろうとしたところで、卿は言う。
「そして、小人共を皆殺しにするよう、王に進言するのだ」
 止まってしまった私の手を、卿は変わらぬ鋭い眼光で見やった。
「……それは、何故です」
「貴様もとっくに察しておるだろう。筆頭派遣導術士殿」
 鼻梁を横一文字に走る傷、その上の鋭い瞳。それらが私を見据えていた。
「ホビットが導術を使ったことは、ワシはちっとも驚かん。導術は古代エルフ語を操れるエルフしか使えぬとされているが、それは神の差配などではなく、ワシらが知らぬ自然の法則によって成されたことでしかない。小人が導術を使ったのは、使うための法則を奴らが見つけただけのこと。問題なのは、その速さだ」
 ミレアが、導術の研究を始め、それが強大な力を持つまでには、およそ三十年もの期間を要したという。
 グレスガルカのホビットが、導術の威力を目の当たりにしておよそ五年。それ以前から研究を始めていたとしても、その進歩のスピードは不自然に早すぎる。
 一から研究を始めたとすればの話だが。
「ワシらの導術は、ミレアにいる小人共に盗まれている」
 そうでなくては、説明がつかんだろう、とテオレル卿は言う。
「守秘義務が科せられている導術の知識を盗み出したのだ。小人共は相当に組織だって、諜報を繰り広げておるのだろう。もしかしたら、導術情報の収集だけでなく、もっと大がかりなことすら、企てているやもしれん。一刻も早く、小人共をミレアから駆逐せねば、我が王の命が危うい」
 卿は手綱を、私の前に再び掲げる。やはり、それを握れない私を見て、テオレル卿は冷笑を浮かべる。
「お優しいのか……それとも、小人と睦びでもしたか? 小人はあれで、小さい割に具合が良いからな」
 そしてくっくと笑う卿を、私は睨む。卿は私の眼光を真っ向から受け止めた。
「彼らも、人だ」
「いいや、家畜だ。彼奴らは背も小さければ耳も短い、知能が低く、ワシらに尽くすためだけに存在を許された獣だ。ワシらが心血注いで作り上げた導術を姑息にも盗んだ、小汚い豚どもよ」
「……テオレル卿とは、話が通じないようです」
「そのようだな」
「そのような私に王都への連絡を託すと言うのですか」
「貴様はエルフだ」
 手綱が、眼前に突き出される。
「小人にはなれん」
 ……私は反射的に、卿から手綱を、受けとってしまった。
 それを見た卿は顔を歪ませ、そして、サトゥールンが来た道を見やった。
「……どうやら、サトゥールンが撒いた小人が追いついてきたようだな」
 何頭かの馬、そして兵士の声が聞こえる中、テオレル卿は道の真ん中に立つ。
「足止めはワシが引き受ける。貴様は王都へ」
「しかし……」
「早く行かぬか!」
 その卿の声に頬を張られたように、私はサトゥールンにまたがる。
 私が乗るが早いか、黒毛馬は南……ミレアの方に向かって矢のように駆けだした。主の言葉を理解した馬を見て、卿は笑ったようだった。 振り落とされないよう、サトゥールンにしがみつく私の目には、最後に見た卿の姿が焼き付いていた。

 貴様はエルフだ。

 そして、ホビットの導術士が生んだ、巨大な爆発も同じく瞳の中に張り付いていた。

 小人にはなれん。

   *

 一夜で百里、と言うのは、あながち、卿の虚言でもなかった。
 サトゥールンは休むことなく走り続け、その夜にはグレスガルカを越えた。
 私が休もうとするのも、サトゥールンは許さなかった。主の最後の命令、それを果たすために、一昼夜の間、彼は走り続けたのだ。
 どのように走れば最短最速で王都に着くか、サトゥールンは全てを知っていた。私はただ、振り落とされないよう、しがみついていれさえすれば良かった。
 激しく上下する馬に揺さぶられながら、私の頭は勝手に思考を紡いだ。
 テオレル卿が私に突きつけた推測、ホビットの導術士が作り出した巨大な火球、そしてシャナ。
 それらの事実は否応なく、私の頭の中で繋がる。
 ……ホビット達の導術が、ミレアのそれを盗んで生まれたとして、それは元となったものよりも大きな力を持つものだろうか。導術の威力を上げる語順はほぼ探し尽くされた、と言ってもよく、中でも戦闘用の炸裂導術は威力の強化はほぼ不可能とすら言われている。にも関わらず、ホビットのそれがあれほどの威力を持っていた理由は。
 導かれた結論は、私の頭を怒りと憎しみで灼いた。二日に及ぶ疲労、一昨日から見せられ続けていた数々の凄惨な光景。それらは憎悪と相まり、私の心を一つの袋小路へと追いやった。
 狂気だ。
 サトゥールンが王都に辿り着く頃には、何をすれば良いか、私は理解していた。


 黒毛馬は、王都を囲む城壁に辿り着くと、それまでの疾走が嘘だったように、地面に倒れ込んだ。
 巨大な馬が荒々しく息を吐く様に、王都へ入ろうとする人々が呆気に取られる中、私はサトゥールンから降りる。
 降りた私を、サトゥールンはじっと睨んでくる。
 主の命を果たせ、そう言う彼から、私は視線を外し、番兵の方に駆け寄った。
 怒りに満ちた馬のいななきが、背後から聞こえた。


 オーレック家にいたのは、夫人だけだった。
 夫人は私の姿を見た途端駆け寄り、泥に汚れるのも構わず、抱きしめてきた。泣き崩れる夫人に、私は全てを忘れて、膝をつきそうになる。
 ただ、そうすることは出来ない。
 夫人を抱き起こした私は、オーレック卿はどこにいるのか、どうなっているのかを聞く。
 夫人によれば、北方遠征軍壊滅の知らせは既に王都へ届いていた。それどころか、ホビットの軍勢が王都へ向かって南下中との知らせもはいっているらしい。オーレック卿はその対応のための会議に、王城へ出向いているそうだ。
「ただ遠征軍が全滅という知らせしかなく、詳しいことは全く分からなかったのです……アルフリード、よくぞ……」
「奥様、すみません、私は行かねばなりません」
 そして私は、周囲を見渡す。私を囲む召使いの中には、エルフも、ホビットもいる。
 広間に装飾として置かれた、鎧へ向かう。
 オーレック卿が若かりし時分に身に着けていたという鎧。それと共に置かれた剣を手に取り、私は鞘に収まっていたそれを抜き放つ。
 召使い達からどよめきの起きる中、私は一人の召使いへ向かう。私の従僕をしていたホビットだ。
 私が視線を向けると、従僕はすぐに察したようだった。すぐさま駆けだした彼に、私は持っていた剣を、投げつける。
 二晩に渡ってまともに寝ておらず、逃げる彼を追うことが出来ないと悟ったからこその、半ば破れかぶれの投擲だった。
 ただ、一直線に宙を飛んだ剣は彼の太ももに刺さり、彼はつんのめるように床に倒れ伏した。絶叫が、広間に響く。オーレック夫人も召使い達も、ただ私を見ることしか出来ない。
「乱心だ! アルフリード様が乱心された!」
 剣を太ももから生やした従僕がそう叫んでも駆け寄るものは私以外にいない。彼の太ももに突き刺さった剣を取ると、私は脚を彼の腹の上に乗せる。
 そして、剣を力任せに引き抜くいた。
 手の平に走る、ずるりという感触。従僕の絶叫。それはどこか遠くで繰り広げられることに感じられた。私は剣を彼の首元に突きつけ、そして問う。
「シャナはどこだ」
「し、知りません……!」
「とぼけるな、君は……いや、この屋敷にいるホビットは、皆知ってるはずだろう。何しろ、彼女をも含めた皆、間者としてやってきたのだろうから」
「ですから、何を……」
「目的を達成したからこそ、シャナはこの屋敷を離れたんだ」
「あなたは戦でおかしくなったのです!」
「そうだ」
 私は、彼に顔を近付ける。
「自分がこうなるとは、思ってもみなかった。私は、なんとか自分の中の良識を、人としての部分を守ろうとしたんだ。だが、敵も味方も私の前で殺し続けた。そしてどうやら、最初から私は裏切られたらしいんだ……私はおかしくなっている。それは間違いがない。そんな私が、どうするか分かるか」
 そして、私は顔を上げ、ぐるりと広い屋敷を見まわした。
「寝不足だが、頭だけは奇妙に冴えている。君の仲間を切り刻む導術も、簡単に詠唱できそうだ。何人かは、生かしておこう。そして君がシャナの居場所を言う気になるまで、君の目の前でゆっくりと殺す」
「出来る、はずがない」
 私の手の中で、従僕は憎々しげに言う。
「そんなことをすれば、夫人も巻き添えになる」
 そう言った彼に、私は笑う。
「そうなったら、とても残念だ」
 それを見た彼の顔に、恐怖が浮かぶ。それは私が続けて告げた言葉で、より強く、深くその顔に刻まれることになった。
「だが、しょうがない」


 灯台もと暗し、というものだろうか。
 そこはオーレックの屋敷とは街区を隔てているものの、歩いてもほど近い、商店の二階だった。
 裏口の戸を叩くと、現れたのはエルフだった。
 ホビットの多く住む貧民街にでもいると思っていた私は、少し呆気に取られるがすぐに得心がいく。
 ミレアには数は少ないものの、外国出身のエルフもいる。そして、諸外国からミレアはひどく嫌われている。敵の敵は味方の論理で、彼らがホビットに手を貸していてもおかしくはない。そして、仇敵を討つため、他国の者とはいえエルフと組むことを、ホビットもまた選んだのだろう。
 商店主の奥方らしい、その太ったエルフは、後ろ手に縛られ、太ももから血を流す従僕と、背後に幽鬼のように立った私を見て、息を呑んだ。
「シャナ様のところへ」
 何事か言い変えそうとしたエルフに、ホビットの従僕は「早く!」と言い放つ。
「こいつは導術士だ。それも、気が狂ってる。早くしないと、この街区ごと吹き飛ばされるぞ」
 それでも何か言いたげなエルフだったが、私の顔を再び見ると気が変わったようだった。青ざめた顔で、私たちを招き入れる。
 狭く暗い廊下を通り、これもまた狭い階段を昇る。二階は細い廊下が一本走っているだけで、その突き当たりには扉が一つあった。一階にも二階にも、あのエルフの他には人影は見えなかった。
 間者の隠れ家にしても、人手があまりにも少なかった。正体が露見しないように少数で活動していたのかもしれないし、もしかしたら他の仲間は街に散り、何か企みを進めているところなのかもしれない。どちらにしても、どうでも良いことだが。
 二階に上がったところで、今更ながら進むのを躊躇する従僕の背中に、私は短刀を突きつける。
 不承不承、従僕が進み、そして突き当たりのドアに至る。私は彼の肩越しに手を伸ばし、ノックする。
 どうぞ、と声が帰ってくる。
 その声を聞き、泣きそうになる自分に気付く。
 ……グレスガルカから、王都へ向かう道中。サトゥールンの背で揺られながら、私は彼女に、憎しみを抱いた。
 なのにどうして、私は、彼女の声を聞いてこんな感情を味わっているのだろう。
 かつて感じていた彼女への愛情は、そう簡単に拭えないということなのか。
 従僕の背後から手を伸ばし、ドアを開ける。
 シャナは椅子に腰掛けていた。目の前に置かれた机には、開かれた本が載っている。彼女が身に着けているのは、見慣れた召使いのドレスではなく、平民が着るようなゆったりとした服だった。綿らしい素材の一枚布を腰の辺りで縛った彼女の膝の上には、膝掛けが乗っている。
 憎しみ、怒り、そして、否定しようのない愛おしさ。
 短刀を握る力が強くなる。従僕の背中が一層強ばる。
 こちらを見るシャナは、凍り付いたように私を見ていた。睨む私に、彼女は全てを察したのだろうか。
 強ばった表情のまま小さく頷くと、狭い屋根裏部屋の真ん中に設けられた椅子を私に示す。従僕を押しのけ、私がそこに腰かけようとすると、背後でどたどたと、従僕が駆け去る音が聞こえた。
 振り向いた時には、彼はもういない。ドアを閉めてから、私は改めて彼女の前に腰を下ろす。
 シャナはじっと、私を見つめる。
 悔恨も、恐怖も、そこにはない。ただ気丈に私を見据える彼女から、私は目をそらす。そして、握っていた短刀を、床に落とした。
「北方の遠征に、参加されたと聞きました。生きて帰られて、良かった」
 淡々と、彼女は話す。平静であろうと、自分に言い聞かせているように見えたのは、私の気のせいだろうか。
「小人の戦士は、如何でしたか」
 次いで紡がれた彼女の言葉に、私は笑ってしまいそうになる。
「見事だった。彼らは勇敢で、精強で、そして残忍だった……中でも、導術士達の戦術と導術は素晴らしかったよ」
 彼女を睨む。
 憎しみと狂気を脳裏に満たす私だったが、心の片隅では、未だに願っていた。私の推測が外れるように。
「最初から、私から導術の情報を引き出すために、近付いたんだな」
「はい」
 大地が、揺れた気がした。
「私や、ホビットの女達が集めた導術の情報をもとに、ホビットでも導術を扱える言語を作り出したようです……末端の間者でしかない私に、詳しいことは分かりませんが」
 ……今までかけられてきた彼女の言葉、その全てが嘘だった。最早否定のしようのない事実に、私は頭を抱え、身を浸す絶望に耐えるしかない。
「どうして、お気づきになられましたか」
 痛む頭から、私は言葉を絞り出す。
「北方でホビットが導術を使ったこともあったが……確信を持ったのは、彼らが使った炸裂導術が私たちのそれよりも遙かに巨大だったことだ」
 脳裏に、明るく、巨大な火球再び浮かぶ。
「私たちの導術が盗まれたとしても、私たちのものよりも遙かに巨大な威力を持つのはおかしい。そもそも炸裂導術は威力の強化が難しいとされている。考えられるのは、君達が導術の発現に使う言語がより巨大な現象を引き起こすことが出来るのか、それとも」
 私はそこで、彼女を見た。
 彼女の頬には赤みが差していた。
「別の導術を組み合わせたか、だ」
 何も言わない彼女の前で、私は拳をぎゅっと握った。
「あれは私が研究していた導術を使ったのだろう? 大気を構成する物体を分解させる導術。あれを使えば、可燃性の高い気体も作ることができるからな。その上で炸裂導術を発現させれば、より大規模な破壊を作り出すことが出来る」
「……私がしたのは、あなたの部屋から導術の情報を盗み出すことだけでした」
 彼女の声が、微かに震え始める。
「眠るあなたの首元から、金庫の鍵を取り、そこに仕舞われていた導術の研究書類を書き写し、仲間に渡しただけです」
「察することは、出来ただろう」
 私は立ち上がり、彼女の前に立つ。
「それを分からないお前じゃないだろう……あれを私は、農民達のため、肥料を作り出すための導術の基礎として研究していたのだ。これが知れれば戦に利用されると分かって、導術院にも秘密にしていたのだ! なのにお前は……」
「あなたがそのつもりがなくても、いずれは戦で使われていたでしょう」
 見下ろす私を、シャナは平然と見返してきた。
「そして、私の同胞を殺すことに使われたことでしょう。私の父や、母や、弟達と同じように、いずれホビットを千々に引き裂いたことでしょう。いや、そうではない、と言うことが出来ますか、アルフリード様」
 シャナの言葉に、地獄のような怒りと憎しみが湧く一方で。彼女の言葉の正しさを否定出来ない自分も、確かにいた。
 たとえ顔女に盗まれなくとも、ホビットがミレアとの戦で使わずとも、いずれ私の研究した導術は、何かしらの形で戦争に用いられただろう。導術に限らず、技術とは、そういうものだ。
 ただ、私が感じている怒りの根源は、そこではない。自分の考案した技術が盗まれたことでも、それが本来の目的を離れ、殺戮に用いられたことでもない。
 彼女に盗まれたことだった。 
 彼女に裏切られたことだった。
「全て嘘だったんだな、シャナ」
 床に落ちた短刀を、私は再び取る。
「私を慕っていると言ってくれたことも、全て」
 研究に行き詰まり、悩む私の背中を、彼女はそっと支えてくれた。
 あなたなら出来ますよ、そう彼女が言ってくれる度に、私は困難な研究に向かうことが出来た。今思えば、それも、より良い研究成果を得ようとする彼女の策略だったのだ。この女は薄汚い小人でしかなかったのだ。私を甘い言葉で転がし、心血注いだ研究成果を盗み出す豚だったのだ!
 しかし。
「……そうだったら、どんなに楽だったことでしょう」
 シャナはそう言った。
 彼女の顔を見る。彼女は笑っていた。瞳から涙をこぼしながら、唇の端を振るわせながら、彼女は言う。
「あなたを憎む敵としてだけ見れたら、どんなに楽だったでしょう」
「嘘を言うな」
 短刀を握った手の力が、強くなる。
「これ以上私に嘘をつくな!」
「本当です、私はあなたを憎んでいながら、愛していた」
 私は短刀を振り上げる。そのまま彼女に突き立てようとしたそのとき、私は気付いた。
 彼女の膝から、腹を覆う布が、微かに膨らんでいることに。布か何かを詰めているのだ、そう思ったものの、私は腕を振り下ろすことなく、彼女の傍らに跪いた。
 震える私の手、短刀を握っていない左手を、彼女はそっと取ると、自分の腹へと導いた。
 その膨らみは、熱かった。そこには、何かがいた。
「嘘だ」
 私はそう言う。
 これは、他のホビットとのそれだ。
 断じて、違う。
 しかしシャナはゆっくりと、首を横に振った。
「あなたを、私の生活と、家族を奪った長耳の一人だとだけ思えたら良かった。ただあなたは」
 シャナの腹に乗せられた私の手に、熱いものが落ちた。シャナの涙は頬を伝い、そして私の手に、一つ、また一つと落ちていく。
「あなたは、私が弄ぶには、あまりにも脆かった。危うかった。
 そして、優しかった。
 ……私は、間者をするには、未熟過ぎたのでしょう。人としての感情を捨てきることが出来なかったのですから……あなたを裏切りながら、こうも感情を乱されているのですから。
 ただ、責務を果たすことは出来ました。
 あなたを愛することと同じくらい、長耳への憎しみは、強いものだったのですから」
 私の手の甲に添えられたシャナの手は、優しく、温かかった。
 その温かさは私に、そして、その下にあるものにも、向けられていた。
 その膨らみは、ほんの小さなもの。もぐりの医者であっても、下ろすことは出来ただろう。
 ただ、それを彼女は、しなかった。
 私は、より深い絶望に叩き込まれた気がした。跪いたはずの床が深い奈落に感じられた。そこに放られた私は、寄る辺なく闇に溺れた。
 だから、彼女が私の手から短刀を奪ったときにも、反応することが出来なかった。
「シャナ」
「もう、どうしようもないのです」
 椅子から立ち上がり、彼女は私から離れる。
 明かり取りの窓を背後に、私に向かって彼女は微笑む。
 そこに、ルーマスと同様の狂気を見たのは、気のせいだろうか。
「私はもう、耐えられない。自分がしたことが、いかに罪深いことか。部屋に入ったときのあなたの顔を見て、ようやく私は悟りました。そして、私は敵の子を身に宿し、同族をも裏切っている。ならば、こうするしかないでしょう」
「シャナ、待て」
「共に来てくれ、と仰いましたね」
 その狂気に、私は手を伸ばす。
「とても、嬉しかった」
 最後に彼女は笑い、
 そして短刀を自らの腹に突き立てた。
 止める間もなく、彼女は短刀を引き抜き、そこにいるものごと、己が腹を再び刺した。しばしその痛みに身じろぎしてから、次いで彼女は自らの喉を刺す。
 彼女の喉からほとばしった血が私に降りかかる。
 言葉にならない何かを叫びながら、私は彼女に駆け寄り、その小さな体を抱きしめる。
 導術を、と私は思う。
 傷を癒やす、導術を。
 命を救う、導術を。
 そんなものはないと知りながら、私は、今まで頭に詰め込んだ知識から、傷に効果のありそうな導術の術式を作ろうとする。その間にも彼女の体からは血が流れ続けた。もがき続ける私を、シャナは見上げた。
 その顔はひたすらに、悲しそうだった。
 ゆっくりと、彼女の手が私に伸ばされる。
 術式を組み立てることも忘れ、私はその手を取る。
 ぎゅ、と握るが、その手からは力が見る見る間に、抜けていった。その手が力を失い、シャナの瞳から光が消えてもなお、私は動くことが出来なかった。ただ、命を失ってもなお美しい、その瞳を見つめることしか、出来なかった。
 再び動くことが出来たのは、部屋の外から物音が聞こえてきてからだった。
 がちゃがちゃという金具のこすれる音、興奮と緊張に満ちた、男達の囁き声。
 顔を上げ、私は古代エルフ語をつむぐ。
 ただの言葉としてみれば、狂人の戯言に似た、意味のない単語のつらなり。それに殺意を込めながら。
 最後の単語をつむいだ次の瞬間、導術が発現する。突如生まれた真空は、部屋の扉はおろか、壁や支柱を、扉の向こう側にいた武装したホビットごと、切り裂いた。
 切り裂かれた商店が、ゆっくりと、崩れる。崩れた建物に、何人か巻き込まれたのだろうか。どこからともなく悲鳴が上がり、そして、両断された小人の胴体からは、鮮血が流れ出た。
 そのホビットの中には、あの従僕が含まれていた。何が起こったか理解する間もなく絶命した彼と視線を合わせても、憐れみも悔恨も何もかも、感じることはなかった。
 私は、全てを理解していた。
 この、狂気と野蛮に満ちた世界で、自分が何をなすべきか。それを完全に理解した私は、どこか清々とした気分を味わっていた。
 断たれた商店の向こう側には、血塗られ、これからも朱が混ざり続ける地上とは裏腹に、どこまでも青い空が広がっていた。
 真昼の、最も鮮烈な太陽に照らされながら、私は立ち上がる。
 シャナを抱えたまま、私はゆっくりと、歩き始めた。

   ***

 あの夏の日から、ひどく長い時間が経ったように思えた。最後に導術院の門を通った日も、おそろしく遠い日の出来事に思える。
 しかし実際には季節が夏から冬に変わったくらいで、期間にして数ヶ月が経ったに過ぎない。
 だが、その間に王立導術院の姿は様変わりしていた。
 北方での勝利と機を一にしたミレア全土でのホビット達の蜂起、そしてその後、王都にまで攻め込んできたホビットの軍勢との市街戦により、滑らかに磨き上げられた古典様式の柱、屋根はことごとくが崩れ、王立導術院は半ば以上、瓦礫の山と化していた。
 その瓦礫の隙間に、ホバル教授はいた。
 容赦なく太陽が照りつける中、教授はかつての自室で蔵書の整理をしていた。その多くが焼け、奪われ、破壊されたものの中から無事なものを取り出す教授に、私は僅かな敬意を覚える。教授の思いがけない学究への真摯さに、胸を打たれたのだ。
 戸口に立ち、しばらく彼を眺めていた私に、教授が気付くまでに少々時間がかかった。
 人影に気付くと、教授は不機嫌そうな顔を私に向けた。闖入者に対する不機嫌そうなしかめ面はしかし、私だと気付いた途端に変わる。
 畏怖と恐怖。それが浮かんだ教授の目は私の顔、新しく耳につけた耳飾りに向けられていた。
「何の用かね」
 導術院教授の威厳をまとわせようとした教授の言葉は、ひどく震えていた。苦笑いを浮かべそうになるのをなんとかこらえ、私は小さく、頭を下げる。
「お別れを申し上げに……ああ、それと、これを返しに」
 私はゆっくりと教授に近付く。じりじりとあとずさる教授に、私は持っていた耳飾りを差し出した。
 導術院の学士を示す、べっこう製の耳飾りだ。
「もっと早くにお返しするべきだったのですが、軍務でなかなか来れず、申し訳ありませんでした」
「……君が、導術騎士団に志願するとは思わなかったよ」
 先ほどよりも、震えの減った声で、教授は言う。
「責任感が強いことは知っていた。だが、争い事を好む人間とは、思っていなかった。君を派遣導術士に決めたものの、果たして任を果たせるのか、実は少しばかり、不安だったのだ。そんな君が、よもや、導術騎士団に志願し、そして……」
 教授はそこまでしか言わず、私が、この王都、そしてミレア全土でしたことを口にすることはなかった。まるで、言葉にすれば自分が汚れる、そう言わんばかりだ。
「全ては、必要なことでした」
 教授は私を見る。はっきりとした恐怖の浮かんだその顔に、私は言葉を続ける。
「そして、それはこれからも続ける必要があります。私はホビット達の屍を積み上げ続けねばなりません。彼らが一人残らず、この地上から消え去るまで。私はそれを、あの夏に思い知ったのです」
「君は……」
 教授はブルブルと震え、私を見る。そのまま何も言えず、教授は私からべっこうの耳飾りを受けとると、小さく、礼をした。
「君の、健闘を祈る」
 さっさと去ってくれ、という風情の教授に、私は小さく頭を下げた。


 半端な差別主義者め、と思いながら、私は導術院の半壊した階段を降りた。
 教授の中には、ホビットへの軽蔑と、微かな慈しみがある。それが私のしたことへの軽蔑を生んでいる。
 私は教授とは違う。私はホビットのことを、どのエルフよりも深く想い、彼らのために何をするべきか、誰よりも理解している。
 導術院を出ると、王都のそこかしこで上がる煙の臭いが漂ってきた。ホビットの死体を焼く臭いだ。
 シャナと、あの子を失った日。
 北方での遠征の顛末を王に報告した私は、そのまま導術騎士団への入団を志願した。
 導術院から騎士団への入団は前例がなかったが、騎士団の導術士の五分の一を失ったあとのこと、それは許され、その後、私はホビット相手の戦闘の最前線に立つこととなった。
 戦闘はいずれも、凄惨を極めた。多くの導術士、騎士が果てる戦の中、私はホビットの戦術も参考にしつつ、導術士との戦闘方法……対導術士戦術を考案した。
 敵導術士の制圧を第一に行い、導術士戦力でまず優位に立つ。それを導術士の至上の任務とした戦闘教義を全軍に普及したことで、当初はミレアの劣勢だった戦の潮目は、完全に変わることとなった。多大な犠牲を払いつつも、我が軍はグレスガルカのホビットを討ち滅ぼし、同時に侵入してきた諸外国軍も殲滅した。
 その戦いの中、軍務に復帰していたオーレック卿もまた討ち死にすることとなった。生前の卿、そして夫人のたっての希望により、私はオーレックの家督を受け継いだ。
 そして、戦いでの功績により、私は前例のない出世を遂げ、今は亡きテオレル卿と同じく、導術騎士団分遣隊隊長となっている。
 そのこともあり、私は世間の人々から畏怖と、嫉妬、そして恐怖を抱かれているらしい。私は貴族だけでなく、平民からもこう呼ばれているのだそうだ、
 虐殺卿アルフリード・ファマ・オーレック、と。
 今も空に無数に立ち上る煙の筋は、見える範囲でも両手の指を用いても足りない。その下では、数十、数百のホビットが、燃えている。
 確かに、私のしていることは、虐殺に違いない。
 私は、ホビットの捕虜を取ることを認めていない。女、子供、老人も含め、ホビットは一人残らず探し出し、首を落とすように配下の兵には命じていた。辱めは許さず、同じ行動を全軍に徹底するよう、王にも進言していた。
 ただそれは、かつてテオレル卿が言ったように、王のためではない。
 ホビットという種族のためだった。
 ホビットとエルフ。その二つの種族が存在することは悲劇だ。二つの種族は互いに通い合える心を持ちながら、肉体は大きく異なる。そのために差別やいさかいが生まれ、我々が存在する限り、不幸ないがみ合いは続くことになる。
 その極限が私とシャナ、そして、彼女の腹の中で果てた子だ。
 私たちは、二つの種族の断絶をなんとか越えようとした。だが、それはあまりにも深かった。半端な融和は一時的な現実逃避に過ぎず、第二、第三……いや、何百もの次のシャナと、あの子を生むことになるだろう。
 それを防ぐための方法は、一つしかない。


 残虐で醜悪なエルフを滅ぼそう、とも考えた。
 だが、自ら命を断ったシャナと、死をも厭わず向かってきたホビット達のことを考え、それは間違っていると気付いた。
 ホビットは、その内奥、彼ら自身気付いていない無意識の部分で、死を切望している。
 でなければ、私との生ではなく、死を選んだシャナや、導術士に決死の攻撃を仕掛け、女、子供、老人を自ら生け贄に捧げた彼らの行動が説明出来ない。
 彼らの望みがそこにあるのなら、彼らを愛するものは、それを叶えなければならないだろう。
 そう、私はホビットを誰よりも深く愛している。
 大気に漂うホビットの死臭に諸手を広げる。次いで、それを抱きしめながら、私は思う。
 もっと殺さねばならない。
 一人の小人もいなくなるまで、私は山に、川に、草原に、彼らの死体を埋めねばならないのだ。
 呵責も、後悔も、躊躇もなく、私はそれを果たさなければならないのだ。
「オーレック卿! アルフリード・オーレック卿でお間違いございませんか!」
 瓦礫と、死臭の漂う中、私に向かって一人の騎士が馬で向かってきた。銀の耳飾りをつけた、導術騎士団の導術士は私の近くで馬を止めると、耳飾りを見て頷いた。
「その白の耳飾り、間違いございませんな」
「いかにも、私はオーレックだ」
「王より、お呼び出しです。すぐさま王城へ参上せよ、と」
「承知した」
「英雄にお目にかかれ、光栄です。では、任がありますのでこれにて失礼!」
 そう言って、騎士は来た道を駆け去って行く。
 瓦礫の続く街の中で、ほぼ唯一以前と変わらぬ王城に向かい、私は歩き始めた。
 私の耳で、白い耳飾りが揺れる。
 シャナとあの子が、私を励ますように。
 シャナ達は、間違いなく私の背中を押してくれていた。私の果たそうとすることは、間違っていない、そう彼女達は言ってくれている。
 私はそっと、白い耳飾りに触れる。軽いそれは、ほのかに温かいようにも感じる。
 シャナと、あの子の骨で作った耳飾りは、確かに私を支えてくれていた。
赤城

2021年08月07日 11時41分01秒 公開
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■作者からのメッセージ
◆テーマ:【夏】×【火】【風】【水】【土】
水と土はそれぞれ川と山、ということで…
◆キャッチコピー:
後世に虐殺卿と伝えられる、一人のエルフの物語。
◆作者コメント:
 キツメの描写あり、不快に感じるかもしれないのでご注意下さい。

 要は振られた男が自棄になる話です。

 酷い世の中ですが、そんな中でも読んだ人がすっきりとした気分を味わえるように書きました(大嘘)。

2021年08月29日 16時58分14秒
+30点
Re: 2021年08月29日 18時54分21秒
2021年08月26日 06時56分20秒
作者レス
2021年08月23日 00時14分38秒
+40点
Re: 2021年08月28日 20時49分30秒
2021年08月21日 23時51分05秒
+40点
Re: 2021年08月28日 20時47分55秒
2021年08月21日 23時48分02秒
+30点
Re: 2021年08月28日 20時46分57秒
2021年08月21日 23時32分23秒
+30点
Re: 2021年08月28日 20時46分15秒
2021年08月21日 09時18分51秒
+30点
Re: 2021年08月28日 20時45分43秒
2021年08月21日 02時54分18秒
+40点
Re: 2021年08月26日 07時00分05秒
2021年08月20日 22時06分28秒
+30点
Re: 2021年08月26日 06時59分28秒
2021年08月16日 20時36分48秒
+30点
Re: 2021年08月26日 06時58分58秒
2021年08月15日 15時53分36秒
+20点
Re: 2021年08月26日 06時58分24秒
2021年08月12日 20時00分55秒
+30点
Re: 2021年08月26日 06時57分32秒
2021年08月09日 02時36分57秒
+10点
Re: 2021年08月26日 06時56分52秒
合計 12人 360点

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