フェニックスチキン  ~百日後に死ぬ不死鳥~

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 一日目 四月七日

 今思えば、この日が始まりだった。
 段ボール箱の中に入れられた、十羽のヒヨコ。そのあまりの可愛らしさに、僕は一瞬で心を奪われたんだ。
 
 なんて可愛い生き物なんだろう。
 こんな可愛い生き物が存在して良いのだろうか?

 後であんな事になるなんて思ってもいなかった僕は、呑気にそんな事を考えていた。
 
 書き残さなければいけないだろう。
 きっと僕の運命を変えた、百日の経験を。
 僕の……いや、僕達の……たった百日の思い出を。






 フェニックスチキン  ~百日後に死ぬ不死鳥~
 






 三日目 四月十日

 僕の名前は鳳 勇太(おおとり ゆうた)。
 この南町小学校の、六年一組に通っている。と言ってもここはド田舎だから、一学年に一組しか無いんだけど。
 鳳っていうのは、いわゆる鳳凰の事。詳しくは知らないけど、なんだかもの凄い鳥らしい。
 昔、ただの農家だった僕のご先祖様がなんとかの戦いで大活躍をして、その時お殿様に「お前すげえじゃん。さっきの戦い方なんかまるで鳳凰みたいじゃん」とか褒められて、それにちなんで鳳なんていうかっこいい苗字をつけてもらった。そんな風に言い伝えられている。
 だから鳳家の男は強いんだ。
 強くなくてはいけないんだ。
 なんて事を、父さんもじいちゃんもひいじいちゃんも、みんな僕に言うのだけれど。
 ……でも、僕は。

「おいチキン! 俺達の分もやっとけよ!」

 同級生の棚橋が、バカにしきった目で僕を見ながら動物小屋を顎で指して。
「おんなじチキン同士仲良くやれんだろ? あと先生には『僕たちみんなで世話をしました』ってちゃんと言うんだぞ。わかったな?」
 なんて言うと、後は何も無かったみたいに帰って行った。同じ班の後藤と中西も、まるで家来みたいに後から付いて行く。
 残された僕は、ひとり動物小屋に向かった。

 そう。僕、鳳勇太の仇名は『チキン』
 名前負けもいいところだ。
 小さい頃から気の弱い僕。相手が年下とか女の子とかでも、ちょっと怒鳴られたらそれだけで何も言い返す事ができなくなってしまう。ましてや同級生の中でも一番運動ができて、ケンカも強くて家もお金持ちの棚橋なんかには、睨まれただけで何もできなくなってしまうんだ。

 ……本当にだめな人間なんだな、僕は。

 自分の無力さを呪いながら、動物小屋の扉を開けて中に入る。
 小屋の中には、昔から学校で飼っているクジャクとかアヒルなんかが退屈そうに地面を突っついたりしていた。
 その小屋の端っこの、段ボールで囲った一角の中。
 黄色くてフワフワした可愛らしい生き物達が十羽、ピヨピヨと鳴きながら僕を迎えてくれた。
 彼等は僕を見ると、まるで親でもみつけたみたいに嬉しそうに羽をバタバタさせて寄って来る。
 現金な事に、彼等の姿を見た途端に僕は癒されて温かい気持ちになった。
「さあ、お前たち。今きれいにしてあげるからね」
 僕は寄って来てくれたヒヨコ達を一羽ずつ丁寧に掬い上げて、一度プラケースに移す。そして囲いの中に敷き詰めてある古い新聞紙を新しいのと交換して、水入れの水も餌箱の餌も交換した。
 すっかりきれいになった囲いに再び、
「おまたせ。ほーら、きれいになったよー」
 再び一羽ずつ手に取り、よく観察する。
 最初に持った子は、ちょっと優しそうな目をした少し細めのヒヨコ。
「うーん。『テリヤキ』はもっと餌食べなきゃだめだよ?」
 囲いの中に戻し、次の子を手にする。この子はいつも楽しそうに羽をバタバタとさせていて動きも活発。
「うんうん。『カラアゲ』は今日も元気だね」
 続けてもう一羽。この子はなんだか尾っぽがシュッとしてて、少しりりしい感じ。
「『バターチキン』もいつも通りだね。いっぱい食べて大きくなれよ」
 そして次に手に取ったのが、僕の一番のお気に入り。
 黄色い球みたいなヒヨコ達の中で、なぜかこの子だけ頭のてっぺん、つまりトサカのところに赤い毛がひょろりと生えている。そして他の子達よりも、明らかに一回り大きかった。
「よしよし、『ヤキトリ』は今日もかっこいいな」
 僕の出した言葉に、まるで応えるみたいにヤキトリは『ピヨッ』と鳴く。なんだか会話ができているみたいで、ちょっと嬉しい。
 できればずっとこのまま手の中でモフモフし続けたい所だけれど、まだ弱いヒヨコをいじりすぎると死んじゃうって先生に言われているのでここは我慢。この子も囲いに戻して、次の子を取って。
 まだこの子達と出会って三日しか経っていないけど、今やすっかり親の気分だ。
 そんな風にヒヨコ達の世話をしていると。

「名前つけてるの?」

 突然後ろから話し掛けられた。

「うわっ!?」
 びっくりして思わず声をあげてしまう。
 僕の叫び声に驚いたクジャクが、威嚇するみたいに羽をバッと広げて僕は更に「ひゃあっ!」て声をあげてしまった。
 ようやく落ち着いてから後ろを見る。
「え、ええと、池田? どうしてこんな所にいるの?」
 僕と同じクラスの女子、池田がそこに立っていた。
 背中まで伸びている長い髪で目元も隠す様なヘアースタイルの彼女は、そのぶっきらぼうな性格のせいもあってクラスでもあんまり目立たない存在。口数も少なくて、六年も同じ小学校に通っているけど彼女から話し掛けられた覚えはほとんど無い。
 その池田が、ヒヨコを世話している僕に向かって背中から突然話しかけてきたのだ。僕の驚きはまだまだ治まらなかった。
「私、飼育委員だから」
「え? あ、そ、そう、飼育委員……」
 池田はいまだに心臓をばくばくいわせている僕をよそに、委員の仕事を始めていた。ほうきで小屋の中を掃いたり、餌箱を洗ったりしている。
 そして、改めて僕に向かい、
「ねえ鳳君。そのヒヨコ、全部に名前つけてるの?」
 って聞いてきた。
「う、うん。名前、つけてるけど?」
 プラケースに残っていた最後の一羽、バンバンジーを少しだけモフってから囲いに戻す。十羽のヒヨコ達はきれいになった囲いの中を嬉しそうに走り回っている。
 あまりにも可愛らし過ぎるその黄色い毛玉達に心を奪われている僕に、池田は少し声を低くして言った。
「やめた方が良いよ。その子達……食べちゃうんだから」
「うっ」
 今までなるべく考えない様にしていた事を指摘されて、ヒヨコ達に温められていた僕の心は急に寒くなる。
 そんな僕の心を更にえぐる様に、池田が続けた。
「変に名前付けて可愛がってると、つらくなるだけだよ」

 ……そう。
 この子達は。
 大きくなったら、食べちゃうんだ。
 僕達が。

『命の授業』だか、なんだか。
 南町小学校では道徳の授業のひとつとして、僕達六年生はこうやってニワトリを育てて、それを食べる。
 この田舎の学校で長年続けられてきた、恒例の授業らしい。
 つまり。
 いくら可愛がっても。大事に育てても。
 最後に僕達は、この子達を料理してもらって、自分達の給食にしちゃうんだ。
「……やだなあ」
 思わずポツリと、そんな泣き言をこぼしてしまう。
 もちろん、それが薄っぺらい感情だっていう事くらいは僕も分っている。今こうやってヒヨコ達を可愛がっていても何時間か後、家で晩ご飯を食べる時に唐揚げなんかが出て来たら「ひゃっほう」とか言いながら美味しく食べちゃう。きっと僕はその程度だ。
 そんな偽善者みたいな僕を、てっきり池田はバカにするのかと思っていたのだけれど。
「こんなかわいい姿見ちゃうと、無理だよね」
 彼女は僕の隣に来て、ヒヨコ達を見ながらそう言った。
 その横顔に、僕はドキッとしてしまう。
 いつも前髪に隠れているその下から、もの凄くきれいな目で池田はヒヨコ達を見ている。
 まるで自分の子供を見るお母さんみたいな。それでいてとても可哀そうなものを見てしまった小さい子みたいな。
 その表情は今まで全然知らなかった、いっそ別人と思える位に複雑なもので、そしてその横顔に僕はなぜか目が離せなくなってしまった。
 なので――

「この子達も、女の子だったら食べられる事無かったのにね」

 突然掛けられた池田の言葉に、僕はまたしても「ひゃうっ!?」っと声を上げてしまった。
「……そんなに驚いた?」
 なんだか変な物でも見るみたいな、彼女の視線。
 色々と恥ずかしくなって耳まで熱くさせながら、とりあえず僕は「ごめん」と謝っておいた。
「ええと、それで。どうしてメスだと食べられないの?」
 気を取り直して話題を変える。て言うかそれは純粋に知りたいと思う。
「にわとりはね、生まれるとすぐに選別されるの。そして女の子は卵を産めるから採卵場に引き取られるんだけど、男の子はみんな養鶏場で育てられて食用にされたり、こうやって教材なんかにされたり、あとはええと、製薬会社とかに売られたりもするかな。とにかく、食べられたり殺されたりする」
 池田は少し悲しそうな声で、そう続けた。
「く、詳しいんだね」
「うち、養鶏やってるから」
「そうなんだ……あ、でもさ、この中に二羽メス居るよね?」
 僕の言葉に、今度は池田が少しだけびっくりした顔になって僕を見る。
「わかるの?」
「うん。ほら見て、あの子とあの子。『テリヤキ』と『サラダチキン』はメスだよ、きっと」
「何でそう思うの?」
「えー、その、あれ。雰囲気? あと、お尻の形が他の八羽と違うじゃん?」
 僕の指摘にヒヨコをじっと見ていた池田は、でもしばらくすると首をかしげて、
「わからない」
 って答えた。
「って言うかね、鳳君。ヒヨコの見分けってすっごく難しいんだよ? 『それができたら一生食べていける』ってお父さん言ってた」
「え? そうなの?」
 僕には簡単に分かるんだけどなあ。
「……まあ、本当に見分けられているのか、分らないけどね」
 池田はそう言うと、ヒヨコの囲いから離れて飼育委員の仕事に戻る。掃除の続きをしたり、時々クジャクやアヒルなんかと遊んだり。
 その楽しそうな顔も、僕は今まで見た事が無かった。思えば彼女とこんなに長い事話したのも初めてだ。普段は教室でもほとんど喋らないし、ほかの女子と一緒に居るのもあまり見ない。大体自分の机で本読んでるか、あとは居ないか。
 そんな彼女の意外な姿に、僕はついつい目で追ってしまっていた。
「……って、池田の家ってニワトリ育ててるんだよね?」
「うん。それがどうしたの?」
「あ、いや。家にニワトリいっぱい居るのに、どうして飼育委員なんてやってるのかなって思って」
「うちの子達は、みんな売り物だもん。どれだけ可愛がっても最後は出荷されちゃう。でも、この子達はずっと一緒」
 クジャクを撫でながら、池田がふにゃっと笑った。彼女に撫でられているクジャクも、うっとりと気持ち良さそうにしている。僕には威嚇して鳴いたり羽根広げたりするのに。
「それより鳳君、ヒヨコの世話は班ごとにやるんじゃなかったの? 他の人は?」
「ああ……棚橋達なら帰っちゃった」
 クジャクといちゃいちゃしていた池田は、僕の返事を聞くと納得した様に「あー」とだけ答えた。
「でもまあ、それで良かったかも。あいつら絶対にちゃんと世話しないだろうし、もしかしたらこの子達に意地悪するかも知れないし」

 ――僕にするみたいに。

 思わず喉まで出かかった言葉を、どうにか飲み込む。
 そんな僕を池田は、バカにする訳でも無く。
 かと言って同情する様な顔をする訳でも無く。
 ただ一言。
「そうなんだ」
 とだけ答えてくれた。
 それが僕には、とても嬉しく思えた。


 ☆


 九日目 四月十七日

 放課後、帰ろうとしたら靴が無かった。

 ……ベタな事するなあ。

 もちろんやったのは棚橋達に違いない。この学校でそんな意地悪な事をするのは、あいつらぐらいしか居ないから。
 棚橋は親がITなんとかの仕事で社長をしているとかで、何年か前に都会から引っ越してきた。こんなド田舎に来て退屈していたらしいあいつは、それを紛らわせる丁度いい『おもちゃ』として僕を苛め始めたんだ。
 最初はビビりの僕をからかうくらいだったのに、段々エスカレートしていって。そしてお金持ちでこの田舎には無い色んなものを持っているあいつに、まるで家来にでもなったみたいに後藤とか中西なんかがつるみ始めて。結局そいつらも一緒になって僕を苛める様になって。
 人に意地悪するのが楽しいなんて、僕には本当に理解ができない。一体何が面白いんだろう。

 さんざん校内を探し回った結果、靴は使っていない教室のゴミ箱の中から見つけた。本当にベタ過ぎる。
 靴を履き換えて玄関を出た時には、空はすっかり赤く染まっていた。
 早く帰りたいとも思ったけれど、あいつらがヒヨコの世話を終わらせているとは思えない。せめて餌と水の交換だけでもと思って飼育小屋に向かったその時――

「やめなさいよ!」
「うるせえ根暗ブス!」

 小屋の中から言い争う声が聞こえた。

「ひぃっ!?」

 その鋭い声に、僕は思わず立ちすくんでしまう。
 ……別に、僕に言われている訳でも無いのに。
 ドキドキしながら、物陰に隠れて飼育小屋をのぞいてみる。
 すると、棚橋がきれいなクジャクの羽根を楽しそうに振り回しながら出てきた。
 きっとあいつがクジャクから無理矢理羽根を抜いて、それに池田が怒ったんだろう。そんな光景が僕には簡単に想像できた。

 なんてひどい事を!

 僕は怒りで震えそうになったけれど、でもそれを棚橋に言う事なんて、とてもできない。
 もしも何か言おうとしても、目の前であいつに睨まれて「なんか文句あんのかよ?」とか言われたらもう、震えて何も言えなくなってしまう。自分でも嫌になってしまうくらい、僕は本物の臆病者。まさにチキンなのだ。
 なのでチキンらしく隠れ続けて、棚橋が居なくなるのを待つ。
 やがて奴の姿が見えなくなってから、僕は飼育小屋に近づいた。
 中では池田がクジャクに抱きつきながら、「ごめんね……守ってあげられなくて、ごめんね……」と涙声で呟いていた。
「い、池田……」
 金網越しに話し掛けると、彼女はぐしぐしと目元を拭ってからクジャクを離して立ち上がり小屋から出て来た。
 そして、
「ヒヨコ達の水と餌、変えといたから」
 俯いた彼女は僕の顔を上目使いでちらっと見ると、そう言い残して帰って行った。
「あ、あ……ありがとう」
 僕は彼女の背中に声を掛けたけれど、かすれた小さな声しか出せなかったので聞こえたのかは分らない。チキンな僕は、こんな時にもなぜかちゃんと声を出す事ができないんだ。

 ――うん。僕は本当に情けない。
 棚橋達にも、ちゃんと向き合って、

「やめてくれよ」
 
 って言う事ができれば、もしかしたら苛められる事だって無いのかも知れない。
 ……でも、僕にはそんな事すらもできない。
 どうしてか分らないけれど、僕は人が大声を出したり、怒ったりするのを見るのが本当に怖いんだ。言い争う姿なんか、見ただけで泣きそうになってしまう。
 僕が弱い人間だから、なんだろうか?
 もっと強くなる事ができれば、僕はそういうのが怖くなくなるんだろうか?
 そんな事を考えながら飼育小屋の戸を開けて、中に入る。
 ……せめて可愛いヒヨコ達の姿を見て癒されよう。
 なんて事を考えながら、囲いをのぞくと。
「あれ? ヤキトリが……居ない?」
 僕の一番お気に入りのヒヨコ、ヤキトリの姿がどこにもなかった。
「脱走しちゃったのかな?」
 小屋の中を見回してみる。段ボールの囲いは四十センチくらいの高さがあるから、ヒヨコが乗り越えられるとは思えない。でも一番体の大きいヤキトリなら、もしかしたらそれ位やってのけるかも知れない。
 そう思って念入りに小屋の中を探す。
 迷惑そうにこっちを見ているクジャクとか、興味無さそうに餌箱を漁っているアヒルとかの影にも居ない。
「一体どこに行っちゃったんだ?」
 軽い絶望を感じながら、溜息をついたその時。

『力が……欲しいか?』

 僕の頭の中に、不意にそんな言葉が響いたんだ。


 ☆


「ひゃあああっ!?」

 突然響いた声に、僕は思わずしゃがんで頭を抱えた。
「な、なにこれ? どこから聞こえて来たの?」
 思わず涙目になって、辺りをきょろきょろと見回す。
 もちろん誰もいない。小屋の中にはクジャクやアヒル達と、あとはヒヨコ達だけ。
 それじゃあ外に居るのかと金網越しに周りをみてみると、やっぱり誰も居ない。
 ……人間は。
 小屋の外には、『それ』が僕をじっと見つめる様に立っていた。

『力が……欲しいか?』

 再び聞こえる声。
 もちろんその声は、僕を見つめている『それ』のものだとすぐに分った。
「え……あ……う……」
 頭に響いてくる不思議な声に、僕はあんぐりと口を開ける事しかできない。人は本当にびっくりすると、なんにもできなくなるのだと僕は初めて知った。
 
『小さき人間よ……吾輩は問うておるのだ……汝は力が欲しくは無いのか?』
 
 目の前に居る『それ』は、僕のとまどいも知らない顔で語り掛けてくる。
『それ』は、なんていうか、こう……
 どこから見ても……

 ヤキトリだった。

 ヒヨコとしては妙に大柄な身体。
 頭に生えている赤い羽根。
 間違える筈も無い。それはどう見ても、僕の一番のお気に入りであるヤキトリそのもの。

「え、ええと……ヤキトリが……喋ってるの?」
 僕の問い掛けに、ヤキトリは小さく頷いた。

『うむ。吾輩である』

 うわあ、本当にヤキトリなんだ。
「って、ええと、その、その……な、なんで喋れるの? ヒヨコが……」
 他にも色々と聞きたい事はある筈なのに、気が付いたら僕はそんな事を聞いていた。

『ふむ。汝に説明せねばなるまいな。よいか、小さき人間よ。吾輩の正体はフェニックス。鶏にしてフェニックスなのである』

 妙に響く渋い声で、ヤキトリが言った。
「……………………はい?」

『やはり理解できぬか。いや、それも仕方あるまい。吾輩の現状は、そう簡単に説明できるものでは無い故ピヨッ!?』

 そこまで言いかけた時、ヤキトリは急に走り出した。
「あっ!? ちょっ!」
 慌てて小屋を出て追いかけると、ヤキトリは小屋の脇にある花壇に思いっきりダイブして頭から突っ込み、土をほじくり始める。
 しばらく土をくちばしでガシガシと掘っていたかと思ったら、地面から結構な大きさのミミズを掘り出して、そのままひと飲みで食べてしまった。

『うむ。人間の作りし餌も悪くは無いが、やはり食らうなら自然のものが一番……おお? 済まぬな小さき人間よ。そこの地中よりミミズの気配を感じ取った故、つい鶏の本能に引きずられてしまった。これも哀しき畜生の性よ』

「え、ええと……」
 もはや全然意味がわからない。
 お気に入りのヒヨコだと思っていたヤキトリが、やけに偉そうな口調で語り掛けて来て、自分をフェニックスだって言ったかと思ったら突然走り出してミミズ食べてる。
 一体これ、何なんだろう?
 それとも僕、頭おかしくなっちゃったのかな?

『どうやら悪戯に困惑させてしまった様だな。小さき人間よ、今しばらく黙って吾輩の話を聞くが良い。語って進ぜよう、我が辿った数奇なる運命の軌跡を』

 訳の分からなくなった僕は、取りあえず花壇の横にあるベンチに座ってヤキトリの話を聞く事にした。


 ☆


『見ての通り、吾輩はヒヨコである。名前は取りあえずヤキトリとして置こうか。吾輩は今を去る事十日の前、とある地にて生を受けた。そう、汝と共にいた小さき雌の人間の住まいし所だ』

「あ、池田の家で生まれたんだ。ていうか養鶏所で生まれたんなら、やっぱりニワトリじゃん。フェニックスて」

『話は最後まで聞くものだ、小さき人間よ……確かに汝の言う通り、吾輩は鶏である。フェニックスとなった今でも、その事に変わりは無い。一体何故その様なややこしき事になったのかと問われれば……む、この草も中々旨いな。しっかりとした大地の滋養とえぐ味を感じるピヨ』

 話の途中で唐突に、その辺に生えているタンポポを突っつき始めるヤキトリ。
 どうでもいいけど話の途中に餌食べるのはやめてほしい。

『おっと、すまぬな。話を続けよう……今より十日の前。吾輩が生まれ出た丁度その日、この地を小さな野分が襲った事を覚えておろう?』

「のわきって、なに?」

『今の言葉に換えれば嵐の事である』

 ああ。そういえば。
 先々週の終わり位に、この辺を季節外れの暴風雨が襲った事は僕も覚えている。うちの畑にも被害が出たって父さんが嘆いていたっけ。

『吾輩はその時、運悪く開いていた扉より吹き込みし突風に煽られ、宙に舞った……突風はやがて旋風となり、吾輩を巻き込んだまま小屋を離れ、更にさらに天空へと舞い上げる。生まれたばかりで何もわからぬ吾輩も、これで命を失うものと確信した……だがしかし、天は吾輩を容易には殺めなかった』

「つむじ風で飛ばされて、死ななかったの?」

『うむ。いずこともなく飛ばされし吾輩は、気が付けば物静かな草原に降りていたのだ。今にして思えばそこは丁度野分の中心、かりそめなる静寂の場であったのだが、それを無知な雛である吾輩に判る訳も無く。只ただ不思議に思い、そして命が助かった事を慶んでおったのだ。ところが……』

「ところが?」

『あの野分は、自然に起こりしものでは無かったのだ……静寂なる場の中心に、凄まじい気配を感じた吾輩はそれに怯えつつも目を逸らす事叶わなかった。そこには、儚き雛の身だとても畏怖を覚えざるを得ぬ程に、神々しい姿のフェニックスが舞い降りていたのだ』

「ん? フェニックスがそこにいたの? じゃあヤキトリはやっぱりただのニワトリなんじゃないの?」

『だから話は最後まで聞けと言っておろう。野分と共にこの地に舞い降りしフェニックスは、今まさにその命を終えようとしておったのだ』

「フェニックスなのに死ぬんだ」

『フェニックスは不死鳥と呼ばれておるが、その実を言えば不死の存在では無い。転生するのだ……命を終えしフェニックスは自らの身体を焼き払い、その灰の中から新たに甦る。もちろん単なる雛であった吾輩にその様な事はあずかり知らぬのだが、その余りにも神々しい炎の美しさに、生存本能を忘れ、思わず近寄った』

 ……いくら家畜とは言え動物がそれでいいの?

『炎はやがて消え骸は灰となり、その中から新たなるフェニックスが生まれ出た。先程と寸分違わぬ様相となって。そして新生したフェニックスが、その翼を力強く羽ばたかせし時、ほんの一摘まみ程残っていた灰が吾輩の身体に降りかかり……そして吾輩の中にフェニックスの知性と記憶、そして力の欠片が入り込んでしまったのだ……それが故に吾輩はフェニックスであり、また鶏でもある。理解できたか? 小さき人間よ』

 うん、理解できない。
 ヤキトリの使う言葉は難しいけれど、要するに生まれたばっかりのヒヨコが風で飛ばされて、偶然そこに居たフェニックスの灰を浴びて自分もフェニックスになっちゃった、と。
「僕疲れてるのかな。うん、そうに違いない。帰って寝よう」

『理解の及ばぬものを認めたくない気持ちは判らぬでも無いが、真実に目を向けよ。見るのだ、吾輩の姿を』

 真正面に立って僕を見上げるヤキトリ。その背中からは、なんだか炎みたいなオーラみたいな得体の知れない何かが、『ゴゴゴゴゴ』って効果音でも出そうな勢いで溢れ出ている。

『吾輩がフェニックスであるという証拠を見せて進ぜよう。括目せよ』
 
 そういうとヤキトリはバッと翼を広げ、ポーズを取った。
 次の瞬間、体が輝きだす。

「うわっ!?」

 あまりの眩しさに、両手で目を覆ってしゃがみ込む。
 そして光が収まったのを確認してから再びヤキトリの姿を見ると……

『どうだ、小さき人間よ。これで少しは信じる気になったであろう』

 そこには金色に輝くゴージャスな鳥が一羽、見せびらかす様に翼を広げて立っていた。
 形はオナガドリを更に派手にした様な感じで、良く見たら金色に輝いている様に見えたのはゆらめく炎。特にトサカの部分と長い尻尾の先は激しく燃えていて、金色の火の子がきれいに舞っている。
 その姿に、僕は確かに見覚えがあった。

「これ……ご先祖様の描いた、鳳凰にそっくりだ……」

 鳳という苗字をお殿様からもらった、うちのご先祖様が描いたと伝えられている、鳳凰の絵。
 今も本家の神棚に大切にしまってあって、おめでたい時にだけ飾るその絵に描いてある鳳凰と、今のヤキトリの姿はそっくりだった。

「……ずいぶん小さいけど」

『それは仕方の無い事である。吾輩はあくまでもフェニックスの残滓、転生後微かに残された灰を浴びただけで本質は鶏であるからな。しかしそれでもフェニックスの力の欠片を持っている事に変わりは無い』

 大きさ的にはちょうどニワトリくらい。
 いっそ可愛らしいと言っても良いサイズだけれど、でもその身体からはもの凄い迫力を感じる。あんまり認めたくもないけれど、やっぱりヤキトリはフェニックスなんだ……

 僕の顔を見て何やら納得したらしいヤキトリは、その燃えさかる姿でまたしても偉そうに胸を反らして言った。

『さて、話を戻そう。小さき人間よ、汝は力を欲するか?』

「さっきも言ってたけど……ええと、『ほっする』って言ったらどうなるの? なんかすごいパワーとか超能力とか授けてくれるの?」

 僕の言葉に、ヤキトリはため息混じりに答えた。

『その様に安直な方法で得る力なぞ、何の役にも立たぬ。むしろ過ぎたる力は必ずや汝を破滅に導くであろう。なのでその様な事はせぬ。代わりに鍛えて進ぜよう。吾輩の得た知識を持って、汝をひとかどの男となれる様にな』

「あ、そうなんだ。でも……どうして僕にそんな事をしてくれるの?」

『汝の心根を好ましく思ったからだ。汝とはまだ出会って十日と経ってはおらぬが、吾輩と同胞達を汝は大層慈しんでくれた。その汝が、あの様な小童共の餌食となっているのを見るは吾輩としてもトサカに来る……どうだ、小さき人間よ。今一度聞こう。汝は力を欲するか?』

 ヤキトリの放つ、妙な迫力に押されて僕はつい、
「あ、はい」
 と答えてしまった。

『よろしい。では、汝は今日より我が弟子だ。そう言えば、まだ汝の名を聞いておらなかったな。名乗るが良い』

「え、ええと、勇太です。鳳 勇太」

『鳳 勇太……我が同族である鳳凰の名を頂き、勇なる字までも親から貰っておきながら、汝の何と軟弱な事よ……だが、それも今日までだ。さあ、これより修業を開始す――』

 ヤキトリの声を邪魔する様に、屋上のスピーカーから六時のチャイムが流れた。

「うわっ! もうこんな時間!? 家に帰らないと怒られる!」
 何か言いかけたヤキトリを置いて、家までダッシュ。そういえばヤキトリを小屋に戻していないけど、まあ自分で出たみたいだし何よりあいつはフェニックスだからきっと大丈夫だろう。

『あっ!? ちょ、おま!』

 なんか頭の中がうるさい。無視して走っていると更に『話はまだ終わっておらぬ!』とか『初日から修業をないがしろにするのか!』とか聞こえてきたけれど、その内に『美味し! 虫美味し!』とかに変わっていたから聞こえなかった事にしてもいいよね。


 ☆


 十日目 四月十八日

 そういう訳で、僕はヤキトリの弟子になった。
 冷静に考えるとヒヨコに弟子入りって一体どうなんだろうって思わない事も無いけれど、そこはあんまり深く考えない事にした。

 放課後。
 ヒヨコ達の世話を終わらせて、飼育委員の池田も帰った頃。僕とヤキトリは飼育小屋の前に立っていた。

「で、ヤキトリ。修業って何するの?」

『その名で吾輩を呼ぶな。師匠と呼べ』

「え、でもお前ヤキトリだし」

『フェニックスである吾輩に、選りによってヤキトリなどと名付けるとは皮肉な事をするものだが……しかし本日より吾輩は汝の師匠。よいか、師匠であるぞ? 師匠は敬うものだぞ?』

「あ、はい、ごめんなさい」
 なんだか面倒な事になりそうだから、ここは大人しく従う事にする。
 僕の態度が気に入ったのか、ヤキトリはふんすと鼻を鳴らして偉そうに続けた。

『本来なら時間を掛けて我が技と知識を伝えたい所であるが……吾輩には左程時間が無い。何せ成長したら汝らに食われる運命であるからな』

「え? ヤキト……師匠も食べられちゃうの? フェニックスなのに?」

『フェニックスの力を得たとは言え、あくまでも吾輩は鶏であるからな。それに得たのは力の、ほんのひと欠片に過ぎぬ。転生出来る程では無い……それにな、悠久の時を過ごすというのも、あれで中々苦難に満ちているものだ。それならば汝らの糧となり、我が身を以て生命の尊さを教授するというのもまた一興』

 ニヤリと笑うヤキトリ師匠。
 でも、彼の言葉に僕は改めて心が重くなる。
「……どうしても、師匠達を食べなくちゃいけないのかな」
 思わず呟いた僕の言葉に、ヤキトリは澄ました顔で答えた。

『汝がそう思い悩む事こそが、その『命の授業』とやらの意味なのであろうな。存分に考え、悩むが良い。だが今は修業の時間だ。汝に我が技を伝える事叶わねば、それこそ死んでも死に切れぬというもの……良いか勇太。吾輩の動きを良く見ておれ』

 言うと、ヤキトリは身をかがませて、

『くぇええええええっ!』

 甲高く息を吐く様にして気合いを入れると、もの凄い勢いでダッシュして校舎に向かい、壁にくちばしを突き立てた。
 ドゴンと大きな音が鳴り、校舎が揺れる。
「す、すごい!」

『まだまだこれからだ。はぁぁああピヨピヨピヨピヨピヨピヨ!』

 やけに可愛らしい掛け声と共に、くちばしを連打する。
 するとその一撃が当たる毎に、コンクリートの壁に穴がぼこぼこと開いていって――

『ピヨォッ!』

 最後の一撃で、再び校舎がどごぉんと揺れる。
 全てが終わった後には、校舎の壁に四十センチくらいの穴が開いていた。

『これぞフェニックス流格闘術奥義――火の呼吸!』

 決め顔で叫ぶヤキトリ。
「……いや、それまずい奴じゃない? 色々と怒られちゃう奴じゃない?」

『汝ら人間達の都合など知らぬ。これは我が本体であったフェニックスの編み出した秘技。その概要は特殊な呼吸法で大量の酸素を体内に入れ、瞬時に力を――』

「わかった! もうわかったからそれ以上いけない!」
 なんだかこれ以上説明させると本当にまずそうな気がしたのでヤキトリを黙らせる。
 ……でも、まあそれはそれとして。
「確かに凄い技だね。威力もそうだけど、あの一瞬で二十七回も突っつくなんて」

『何と。汝は我が動きを全て見切ったと言うのか?』

「あ、僕眼だけは良いの。あと、動体視力っていうんだっけ?それも結構良いみたい」
 勉強も運動も全部普通って言われている僕の、たったひとつの長所。
「まあ、今まで役に立った事なんかほとんど無いんだけれどね」

『何を言うか。鷹や鷲を例に出すまでも無く、視力に優れるというのは全てにおいて優位を持つ事のできる、最高の長所であろう。それを今まで使いこなせずにおった汝が愚かなのだ』

 ヒヨコに愚かって言われると何気にショックだけど、使いこなせていないと言われれば何も言い返す事はできない。前から先生とかクラスのみんなに「野球やった方が良い」とか「卓球やりなよ」とかたくさん勧められたけど、人と争うのがどうしても苦手で全部断ってしまっていたのだから。
 その事をヤキトリに話すと、

『なるほどな……汝を鍛える方針が決まった。まずは気合いの入れ方だ』

 うむうむといった風に頷いて、僕に向き合った。

『声を出して見よ。あらん限りの大声を』

「え? こ、こえ?」

『そうだ。先程から見ておれば汝は、驚いた時以外は蚊の鳴くが如き声しか出さぬ。そんなざまでは火の呼吸を会得する事など夢のまた夢』

「は、はあ」

『だから声を出すのだ。あらん限りの力で、大声を!』

 ギロリと睨むヤキトリ。その迫力に負けて、僕は出来る限りの声を上げた。
「あ、あああああああああああああああっ!」

『小さい! もっとだ! もっと出せるだろう!』

 と叫んだと思ったら、次の瞬間ヤキトリが僕の脛をガツンと突っついた。

「うぎゃあっ!?」

『出たではないか。良いか、大声を出すというのは、己を昂ぶらせ力を出す為の第一歩。そしてこれこそが『火の呼吸』の基礎となる。ほれ何をしておるか。もっとだ。もっと大きな声を出してみよ』

「ぎゃあっ!? いたい! いたいいたいいたい! 何すんだヤキトいたいいたいやめてごめんなさいもうやめて!」


 この日はずっとヤキトリに突かれ、ずっと大声というか悲鳴を上げるはめになった。

 ……こんなんで、僕本当に強くなれるんだろうか。


 ☆


 十一日目  四月十九日

 日曜日。
 本当なら寝坊したり一日中ゴロゴロしたりできる、とても素晴らしい日なのだけれど……

『本日も修業を行う』

 例によって僕はヤキトリの修業を受けていた。
 と言っても昨日なんかはずっと突っつかれて悲鳴上げてただけで、一体あれのどこが修業なのか全く分からない。

『納得いかぬといった顔をしておるな』

 僕の心をまるで覗いたみたいにヤキトリが言う。
「うん」
 隠す意味も無くなったので、素直に頷いた。

『修業の意味なぞ、その最中にはそうそう理解できるものでは無い……が、しかし納得もいかぬまま続けるも難儀であろう。よろしい、勇太よ付いて来るのだ』

 相変わらず偉そうに言ってヤキトリが歩き出す。
 仕方なくついて行くと、ヤキトリは校庭のフェンスを飛び越えて裏山に入って行った。
 そして。

『これを持ち上げてみよ』

 その辺に転がっている石を羽根で指した。
 もちろん、ただの石じゃ無い。
 僕の腕で一抱えくらいある、大きな石。
 はっきり言って、持ち上げられるとは思えない。
「いや、これはちょっと無理」

『いいからやるのだ。早くせよ』

 僕が無理だと言ってもヤキトリは可愛らしいヒヨコの姿のまま、例の『ゴゴゴゴゴゴ』って謎の迫力で迫ってくる。
 ……仕方ない。絶対に無理だと思うけど。
「じゃ、じゃあ、やってみるよ」
 しゃがんで、石を抱えて。

「んっ! ふんっ! ふんぬぅうううううっ!」
 
 持ち上げようとしたみたけれど、やっぱり無理。
 少しだけグラッと動いて、一瞬だけ(あれ? 上がるかな?)と思いもしたけど、結局それ以上持ち上げる事はできない。

『どうだ? 無理か?』

「無理……こんなの、持ち上がらないよ……」
 そう、答えた次の瞬間――

『ピヨォッ!』

 いつの間にか僕の後ろに回り込んでいたヤキトリは、いきなり僕のお尻を突っついた。
「うぎゃあっ!?」
 お尻にもの凄い痛みを感じた瞬間、僕は思わず立ち上がってしまっていた。

 石を抱えたまま。

『持ち上げる事ができたではないか』

「あ、あ……えぇと……」

 石の重さにフラフラしながらも、僕はその時信じられない気持ちだった。
 ――こんな大きな石を、持ち上げてる……僕が。

『持ち上がらぬと思っていた石を、汝は今持ち上げた。これが『火の呼吸』の力、その一端である』

「こ、これが……」

『そう。今、汝は何をしたか。恐らくは昨日吾輩が教授した基本の呼吸を行なったのであろう。そして腹の底より大きな声を出して自らを奮い立たせ、限界を超える力を一瞬だけであるが、汝は出したのだ』

「ほ、本当に、僕が……『火の呼吸』を?」

『左様。だが、何度も言うが今のは我が奥義のほんの一端に過ぎぬ。『火の呼吸』の神髄はまだまだ見えてもおらぬのだ。もしもそれを得ようと欲するなら……』

「ほっするなら?」

『吾輩に従い、修業を続けるのだ』

 胸を張ってそう言うヤキトリに、僕は初めて――

「はい、師匠」

 と、素直に言う事ができた。
 ……でも結局はこの日も、

「いたいいたいいたい! もう無理! やめて!」

『そう言っておきながら汝は先程もできたであろう。それ、次はその石だ。持ち上げてみよ』

「だからもう無理だってぃぎゃああっ!?」

『ほれ見よ。出来たではないか。自分で無理だと決めつけるから無理になるのだ』


 ひたすら突っつかれる事に変わりは無かった。


 ☆


 二十一日目  四月二十八日

 この日は学校のドッジボール大会だった。
 とは言っても、この南町小学校には学年に一組しか無いうえに、クラスの人数も二十人くらいしかいない。なので、はっきり言って体育の授業とあんまり変わらない。
 正直言うと、今までは大嫌いな日だった。
 ボールをぶつけられるのも、人にぶつけるのも僕は嫌だから。
 でも、そんな事をちょっと前に師匠に言ったら、

『生きるとはすなわち戦いの連続。人も鳥も、戦わずに生きて行く事など出来ぬのだ。汝の争いを好まぬ姿勢は美徳とも言えようが、それも度が過ぎたら愚鈍となる。せめて降りかかる火の粉くらいは払わねば、汝はこれからも負け犬の人生を歩む事となろうぞ』

 なんてお説教を、雑草食べながら僕にしてきた。そして、

『では今日からは、そのドッジボールとやらの為の修業を行う』

 って感じで、例によって散々突っつかれながらしごかれて。
 でも、おかげで今年のこの大会は、ちょっとはましなものになると思う。
 いくらボールが怖いと言っても、師匠のくちばし程じゃあ無いだろうから。


 そして始まった大会。

「よしお前ら! まずチキンからやるぞ!」
 思っていた通り、棚橋は僕を最初のターゲットにしてきた。
 今回のチーム分けも、きっと僕を苛めたくてわざと違うチームに行ったんだろう。見れば後藤と中西の家来コンビも、ちゃん棚橋と同じチームに居る。
「くらえっ! ……なーんてな!」
 ボールを手にした棚橋が、僕に投げるふりをして外野の中西にパスをする。そして僕の背中から思いっきりぶつけるつもりだったのだろう。中西が大きく振りかぶってボールを投げてきた。
 師匠の言葉を思い出す。

『良いか勇太。決して目を瞑ってはならぬ。決してボールから目を離してはならぬ。たったそれだけの事ができれば、火の呼吸を会得しつつある汝はドッジボールなる競技において、無敵の存在となれるであろう』

 飛んで来るボールを見続けるのは、めっちゃ怖いけど。
 思わず目をつむってしまいそうになるのを必死に堪えて。
 中西の手から離れたボールを見続ける。

 ……あれ?
 意外と遅い?

 僕の顔目がけて飛んできたボール。
 顔面は当たってもノーカウントなのに、相変わらずやる事がえげつない。
 でも。
「よいしょ」
 その場でしゃがんだら、あっさりと僕の上を通り過ぎて相手のコートに戻って行って。

「いてえっ!?」

 油断しきっていたらしい後藤の肩に当たった。同士討ちだ。
 周りのギャラリーから「おおっ!?」という驚きの声と、間抜けな後藤を笑う声が聞こえて来る。
「このっ! チキンのくせに生意気なっ!」
 僕が避けたのが気に入らないのだろう。棚橋は再びボールを持つと、今度は直接僕を狙ってきた。
 もちろん、これも遅い。
「ひょいっと」
 今度は右に一歩動いてかわす。そのボールを外野に回った後藤がキャッチして、

「よくも恥かかせてくれたな! 死ね!」

 どう考えても逆恨みなんだけど、やっぱり僕を狙ってくる。
 当然これも簡単に避ける事ができた。
 ここ数日――
 師匠から受けた特訓が、明らかに成果を出していた。


『良いか。今日の修業は身の躱し方だ。吾輩が汝に向けて一直線に飛ぶ。汝はそれを避けよ』

「は、はい」

『では、参る! ピヨォオオオオオッ!』

 僕に向けて、宣言通り一直線に飛んで来る黄色い弾丸。
「うひゃあっ!?」
 思わず目をつむって頭を抱え、しゃがんでしまう。

『そんな体たらくで避けられるか!』

「ぎゃああっ!」
 師匠は遠慮なんか知らないと言わんばかりに、僕の頭にくちばしを突き立てる。

『もう一度だ。今度はちゃんと吾輩を見よ。そして見事躱してみせよ』

「そんな事いっても、恐いものはこわいうひいいっ!?」

『愚か者め!』

「いぎゃあっ!」


 ――といった感じの修業を何日も続けた結果。
 棚橋達の投げるボールなんか、何の恐怖も感じないくらいまでに僕は鍛え上げられていた。
 おかげで僕は棚橋を始めとする相手チームからの攻撃を全てかわし続け。
 気が付いたら、コートに残っているのは僕と棚橋のふたりになっていた。
 そして僕の手には、ボール。
 これを棚橋に当てる事ができれば、僕らの勝ちなんだけれど……

「どうしたチキン。俺に当ててみろよ! できるもんならよお!」

 僕に向かって威嚇してくる棚橋。
 
 …………こわい。

 僕が攻撃する側の筈なのに、どうしてこんなに棚橋が怖いのだろう。
「あ、あ……あ……」
 ボールを投げる事ができず。かと言って外野に回すこともなぜかできず。
 ただ立ち尽くしてしまった僕。
 すると、当然――

 ピーーーーッ! とホイッスルが鳴らされて。
「五秒ルール! ボールチェンジ」
 審判の先生から注意を受けてしまった。

 結局、この日は最後まで棚橋にボールを投げる事ができず。
 結果として外野のチームメイトが当ててくれて勝つ事ができたけど、僕はあらためて自分の心の弱さを思い知る事になった。


 ☆


 三十日目  五月七日

 ゴールデンウィーク明け。
 この日も僕は放課後、ヒヨコ達の世話をしていた。
 と言っても本当の世話は順番に担当している他の班がやっているので、実際は単にヒヨコ達を可愛がりに来ただけなんだけど。

「お前達、元気にしてるかー?」
 飼育小屋に入って声を掛けると、彼等は一斉に寄って来てくれた。
 さすがに生まれてひと月以上も経つと、ずいぶんと大きくなってきている。
 実はフェニックスだったヤキトリ師匠を別にしても、元気者のカラアゲとかバンバンジーなんかは囲いの段ボールを飛び越えてしまいそうなくらいになっているし、小柄で大人しかったテリヤキなんかもすいぶん活発になってきた。黄色いうぶ毛も少しずつ抜けてきて、地鶏らしい茶色の羽根と混ざってまだら色になっている。
 ちなみに師匠であるヤキトリも、こういう時は他のヒヨコ達と同じ様にしている。演技なのか本能のまま動いているだけなのか分らないけど、餌箱に入れられた新しい菜っ葉を美味しそうについばんでいた。
 それ以外のヒヨコ達は、囲いに入った僕にじゃれついてくれる。
 ああもう、かわいいなあ……
 最近の僕に取って、一番の癒しはこの子達と一緒に居る事。
 この子達と居る時間こそが、僕の最大の幸せとなっていた。

「本当に懐いてるのね」

「ぅわあっ!?」
 突然後ろから離し掛けられて、僕はまたしても声を出してしまった。
 もちろん、その声の主を僕はもう知っている。
「いいかげんに慣れてよ。なんか私、悪い事してるみたい」
 振り向くと、やっぱり池田が少し不機嫌そうな顔で僕を見ていた。
「ご、ごめん」
 取りあえず謝っておく。
「まあ、いいけど……鳳君、それでいいの? 本当に」
 池田は僕の周りでピヨピヨと遊んでいるヒヨコ達と僕の顔を順番に見て、そう言う。
「こ……この子達を、食べちゃうからって話?」
「うん」
 池田は哀しそうな目でヒヨコ達を一瞬だけ見た後、僕達に背中を向けて小屋の掃除を始めた。
「私、知ってるの。可愛がれば可愛がるだけ、別れる時……辛くなるんだよ」
 背中を向けたまま、ぽつりと。
 きっと彼女は、今の僕と同じ様な事を何度もしてきたんだろう。何せ彼女の家にはたくさんのヒヨコやニワトリが居るんだ。小さい頃からずっと、可愛らしいヒヨコ達が育って、そして売られていくのを何回も何回も見て来たに違いない。
 僕も家が農家だから、池田の気持ちは分らなくも無い。父さんや母さんと一緒に頑張って育てた野菜が出荷されるのを見て、嬉しい反面どこか寂しく感じる事は何回もあった。
 野菜ですらそうなんだから、池田の感じてきた悲しみはきっと途轍もないものだろう。
「うん……でも……」
 僕に甘えてくれているヒヨコ達をモフりながら。
 そこから先の言葉を、僕は続ける事ができなかった。

「警告はしたからね」

 なんだかちょっとかっこいい事を言って、池田は掃除を再開した。床をほうきで掃いたり、餌や水を取り替えたり。
 そんな彼女をまるで守るみたいにクジャクが後ろから付いて行き、僕の視線に気が付くとやっぱり威嚇するみたいにバッと羽根を広げる。
 なぜか慌ててクジャクから目を逸らし、僕の両手の中で気持ち良さそうにしているサラダチキンをわしゃわしゃ撫でて。

 ――この子達を、僕は食べちゃうんだ。

 改めてそう考ると、背中がゾワリとした。
 助けを求める様な思いで師匠に視線を送る。
 でも、師匠は僕の事なんか知らないといった風に、餌箱の菜っ葉を一心不乱についばんでいた。


 ☆


 五十二日目  五月二十九日

 この日は運動会だった。
 やはりこれも、今までは好きな行事じゃ無かった。
 特別に足が速い訳でも無いし、運動神経が良い訳でも無いし、そもそも誰かと勝負する事自体が好きじゃ無い。
 もちろんそんな事を師匠に言おうものなら、また『人生は戦いの連続うんぬん』とかお説教をされるので言わなかった。
 そのかわり――
「師匠。僕、足速くなりたいんだ」
 二週間くらい前。僕はどうしてかそんな事を師匠に相談してしまった。
 もちろん師匠は、

『ふむ。速力に勝る者は戦場を制すると古来より言われておる。汝も段々分って来た様ではないか。善き哉善き哉』

 なんて言って、妙に嬉しそうに僕を鍛えてくれた……主にくちばしで。
 今まで好きでも無かった運動会に、どうして急にやる気になってしまったのか。それは正直に言うと自分でもわからない。
 今でも人と勝負するなんて怖いって思っているし、できるものならやりたくないとも思っている。
 だけど。
 心のどこかに、「このままじゃ駄目だ」っていう思いも、きっとあるんだと思う。
 もしかしたら、僕は師匠と出会って少しだけ変われたのかも知れない。

 そんな事をぼーっと考えている内に、競技の時間になった。


 僕の出る競技は障害物競争。
 コースに用意されているいくつもの障害をクリアしてゴールする、お馴染みの競技。僕達六年生はこれをやる事になっていた。
 順番が来て、コースに並ぶ。
 出席番号の偶数が紅組で、奇数が白組に分けられてのチーム分け。僕は紅組で、あとは後藤も赤い帽子を被っている。白組には棚橋と中西が居た。
「足引っ張るんじゃねーぞ、チキン」
 後藤はイヤミったらしく僕に言う。
「いやいや、こいつ逃げ足は速いだろ。なんてったってチキンだからな」
 棚橋がそう言うと、中西が一緒になって笑う。今やすっかりいつもの事なので、僕はもはや腹も立たない。
 それどころか、前だったら目の前でこんな事言われるとそれだけで身体が震えたりしたのに、今日は全然へっちゃらだった。
 そんな僕が気に入らないのだろうか。
「おいチキン、お前最近調子乗ってんだろ?」
 棚橋が僕の肩を掴み、睨んできた。
「し、知らないよ……」
 さすがにこれには僕も怖くなって、身体がビクっとなってしまう。
 このまま殴ってくるんじゃないか?
 そう思って何か言おうとした時、

「こらお前達、何してる! 早く位置に付け!」

 ピストルを持った先生が僕達に怒鳴ってきた。
「ふん! あんま良い気になってんじゃねえぞ」
 最後に僕の肩をどんと突き飛ばして、棚橋が離れる。
 僕はそれほどドキドキしていない事に少し驚きながら、スタートラインに付いた。

 パーン!

 スタートの合図が鳴ってレースが始まる。
 真っ先にダッシュしたのは棚橋だった。その後ろに後藤とか何人かが続いている。スタートの苦手な僕は五番目になってしまった。
 しばらく走ると最初の障害物、網くぐり。
 広げてある網と地面の間をくぐらなければいけない。当然そうなると這いつくばって、いわゆるほふく前進をする事になる。
 地面にぴったりと身体を付けて、ずりずりと前進。体の小さい僕には有利な障害だった。網から這い出て走り始めると、二人抜いて三番目になっている。
 更に走り続けると、今度はハシゴくぐり。横に立ててあるハシゴの中をくぐって出なければならない。ここで太り気味の後藤を抜いて、二番目。
 その後にあったタイヤ引きで後藤ともう一人に抜き返されて四番目に落ちちゃったけれど、続くハードルと平均台と跳び箱を終わる頃には再び二番目に戻っていた。
 これも全部、ヤキトリ師匠との修業の成果だ。

 速くなりたいと言った僕を、師匠はまたしても裏山に連れ出して。

『今回の修業は簡単だ。とにかく吾輩から逃げよ』

 もの凄い速さで僕に向かって来る。
「ちょ! なにそれうわいたいいたいいたい!」

『逃げねば何時までも突かれるぞ。さあ、見事吾輩から逃げ切ってみせよ』

「こっ、これのどこが簡単な修ぎょうわあいたいいたいいたいやめてやめてやめて!」

 ――といった感じで、何日も何日も山の中を追い駆けられた。
 当然山の中だから、深いヤブをくぐったり倒木とか岩とかを飛び越えたり、足元の悪い所を全力で走ったり。
 そんな修業をしてきた僕に取って、平らなグラウンドに作られた障害物なんか無いのと一緒だった。
 それでも、さすがに棚橋は速い。僕がどれだけ一生懸命に走っても、中々差が縮まらなかった。
 そうして二番目のまま迎えた最後の障害は、アンパン。紐で頭の上くらいの所に吊るしてある。
 もちろん手は使っちゃいけなくて、口で咥えて取らなければいけない。
 しかもご丁寧に、パンを吊るしてある紐を先生が揺らして取りにくくしている。
 これはつまり、素早さだけじゃなくって揺れるパンの動きを読む力としっかりと見る力が必要。

 ――って、なんだ。こんな程度の揺れ、まるで止まっているのと一緒じゃないか。

 揺れのリズムに合わせてジャンプして、一発でパンを咥える。そのままもぎゅもぎゅと食べながら、僕は一目散にゴールまで走った。

「あっ!? てめえ!」

 後ろで棚橋の声が聞こえる。どうやらあいつは苦戦しているらしい。っていうか叫ぶヒマがあるならしっかり見てパン取れば良いのに。
 結局僕はそのまま一番でゴールイン。あまりにも意外な展開だったらしく、僕がゴールした瞬間会場にどよめきが走った。

「鳳、凄いじゃないか!」

 担任の先生も、なんだか少し興奮した顔で僕の肩を叩く。
 クラスのみんなも、驚いた顔をしながらも
「やるじゃん」
 とか声を掛けてくれた。

 ……あれ?
 これ、何だ?
 今まで感じた事の無い気持ちが、僕の中にじわぁっと広がっていく。
 それは少し恥ずかしくて、それでいて、なんか、こう、嬉しくって……
「はい、一位おめでとう」
 体育委員の女の子が、僕の胸に『一位』のリボンをつけてくれた。
 思わずにやけそうな顔を必死に我慢していると、背中を今度はバシンと強く叩かれる。
「ひゃあっ!?」
 思わず大声を上げてしまい、後ろを見ると。

「まぐれで一位になったからって、あんまり調子に乗ってんじゃねえよ。どけ!」

『二位』のリボンを付けた棚橋が、すっごい目で睨んでから僕を突き飛ばしてクラスの列に歩いて行った。


 ☆


 五十四日目  五月三十一日

『勇太よ。汝は本当に力を欲しておるのか?』

 放課後。
 いつもの様に飼育小屋で、誰も居なくなるのを見計らって師匠が語り掛けてきた。
「え? なんで? っていうか、僕師匠のお蔭でずいぶん強くなったと思うよ?」
 そう。
 実際、六年生になってから僕はずいぶん変わったと言われる様になった。
 去年までは、ドッジボール大会では泣かされるくらいにボールをぶつけられてボロボロになっていたし、運動会でも四位から上は取った事が無かった。最近はなんだかクラスのみんなが僕を見る目も変わって来た様な気がする。

『なるほど確かに汝は幾許かの力を得たのだろう。だが、肝心な所は未だ軟弱なまま。汝がそんなざまでは、吾輩は食われる訳にもいかぬ』

「え? 肝心な所って?」

 首を傾げる僕に、師匠はキッと正面から睨みつける様に言った。

『汝は未だ、闘争心というものを持っておらぬ。あの棚橋とかいう小童と対決せんという気迫を、汝からはついぞ感じぬのだ』

「あう……」
 師匠の指摘に、僕は何も答える事ができない。
 そんな僕の、まるで心の中を読み取ったみたいに師匠は続けた。

『もしや汝は、『自分が強くなれば相手は何もしなくなる』などと考えているのでは無かろうな? だとすればそれは愚昧と言わざるを得ぬ』

「ど、どうして? 実際、最近はあんまり苛められる事も無くなってきたし」

『だからその考えが愚昧なのだ。汝はこれからもそうやって相手の出方を気にしながら生きて行くつもりか? 確固たる意志を持ち、己が力を誇示する事こそが火の粉を振り払う為に必要。その為には、いざとなれば一戦交える覚悟を持たねばならぬ。いや交えよ。汝が今まで受けた屈辱、晴らさぬでどうする?』

「で、でも……」
 確かに、今まで棚橋には色々とひどい事をされた。それに恨みが無いかと言えば、もちろんそんな事は無い。
 でも……
 だからって、それに対して暴力で返したら、それはあいつのやる事と一体何が違うのだろう?
 そもそも、棚橋と戦うなんて事、僕にできる筈無いし……

『汝は今、自分があの小童と戦う事などできぬと考えておらぬか?』

「ど、どうしてそれを!?」

『顔に書いてあるわ。良いか勇太、汝は吾輩の弟子である。そして今や、我が奥義である火の呼吸を会得しつつある。そんな汝に取って、もはやあの様な小童など何の障害にもならぬと言えよう。それでも汝は戦うのが怖いと申すのか』

「だ、だって、人と戦うなんて、僕……」
 そんな事はしたくない。殴られるのも、殴るのも、絶対に良い気分になんかならないから。
 
『そんなに争いたくは無いと申すか』

「う、うん」

 師匠は少し呆れた様に羽根をすくめる。
 そして、僕を再びねめつける様に見上げて、言った。

『ふむ。汝がそうまでして争いを拒むというのなら、吾輩はこれ以上何も言わぬ。もしかしたら汝の考える通り、あの小童はもう汝を苛めようとせぬのかも知れぬ。だがな、勇太よ……汝の変わりに、もしも別の者があの小童の餌食となったとしたら、汝は一体どうするのだろうな?』

「それは……」

 僕は何も答える事ができなかった。


 ☆


 六十六日目  六月十二日

 放課後、いつもの通りヒヨコ達に会いに行く。
 ……いや、あの子達はもうヒヨコとは呼べないかも知れない。羽根はすっかり茶色くなり、頭にはトサカが出来つつある。そう言えば僕の言った通りにテリヤキとサラダチキンはメスだったので、池田もびっくりしてたっけ。
 どの子も、鳴き声は相変わらず可愛いいピヨピヨ声だけど、体の形はちゃんとニワトリになっている。
 それでも僕に懐いてくれていて、近寄れば全力で甘えてくれるあの子達が可愛くて仕方が無い。なので今日もモフりに飼育小屋まで向かったのだけど……

「くらえ! チキンアターック!」
「ぎゃはははははは」
「ゴーチキンゴー!」

 聞こえてきたのは棚橋達の下品な笑い声と、ヒヨコ達が上げるピャーピャーとした悲鳴の様な鳴き声。バサバサとけたたましい羽音。
 そして――

「やめなさいよあんた達! なにヒヨコ苛めてんのよ!」

 池田の怒鳴り声だった。

「ッ!!!」
 僕の大嫌いな、人の争う声を聴いて思わず立ちすくんでしまう。心臓が急に速くなり、体が小さく震えだした。
 ああ、僕はやっぱりチキンなんだ。
 最近は師匠に鍛えられて、自分でもほんんちょっとだけ自信が付いて来たと考えていたけれど。
 でもやっぱりダメだ。こうして誰かが言い争う声を聴いただけで何もできなくなって、泣きそうになってしまう僕は、本当にどうしようもない臆病者なんだ……
 思わず両手で耳をふさぎ、その場にしゃがみ込んでしまう。
 そんな僕の頭の中に――

『それで良いのか? 勇太』

 師匠の声が響いた。

「し……ししょう……」
 目を開いて足元を見る。
 すると、いつの間にか飼育小屋を出ていた師匠が僕を見上げていた。

『あの池田という小さき人間の雌は、非力な身でありながら吾輩の同胞を護らんと、体格も腕力も人数すらも勝る小童共に一歩も引かずにおるぞ』

 小屋の中からは、池田と棚橋達が言い争う声が聞こえて来る。
 
「で、でも……」

 恐怖にすくむ僕に、師匠は一切目を逸らさないで続けた。

『なるほど、あの雌を新たな犠牲にすれば、汝はもう小童共の餌食から逃れる事もできるやも知れぬな。ああいった輩は信念を持って誰かを攻撃している訳では無い。新たな玩具ができればそれで良いのだ。汝がこの場を見なかった事にして退けば、おそらくはそうなろうが……』

 そして一瞬だけ、あの強烈な迫力を体にまとわせて。

『万が一ここで退く様であらば、汝はもはや吾輩の弟子では無い。二度とこの場に顔を出すでないぞ。例えどれだけ愚かで無能であったとしても、吾輩は決して弟子を見捨てはせぬ。だが卑怯者は別だ。卑怯なる者に我が奥義を授ける訳にはいかぬ』
 
「うっ!?」

 まるで心を撃ち抜く様な師匠の視線と言葉は、僕の中の『男』の部分を痛いほどに揺さぶり、動かす。
 ひきょうもの……
 そう。このまま池田やヒヨコ達を見捨てて逃げたら、僕はただの卑怯者だ。
 でも……
 ブルブル震える身体を両腕で抱きしめて、ガクガクする足でなんとか起とうとするけれど、どうしても動けない。
「ちくしょう……ちくしょう……」
 自分の、あまりの情けなさに涙が出てきた。
 どうして僕はこんなにも情けない男なのか。
 どうしてこういう時に、何もできないんだ。
 これじゃあ本当に、棚橋達の言う通りにただのチキン……いや、あのヒヨコ達だって、怒った時は突っつくし抵抗だってする。
 そうだ。僕はチキン以下だ……

 ぼろぼろと涙を流しながらしゃがみ込んでいた、その時。

「いいかげんにしろこのクソブス女!」
「きゃああっ!?」

 今までとは明らかにトーンの違う怒鳴り声と、悲鳴が聞こえた。
「い、池田?」
 ブルつく体に気合いを入れて、立ち上がる。
 未だにガクガクする足を引きずって飼育小屋まで行くと――

「よぉしお前ら、ちゃんと押さえとけよ」
「何すんのよ! やめなさいよ!」

 後藤と中西が両側から池田を押さえ付けて起っている。棚橋はその前に向かい合っていた。

「女なんか裸の写真撮って脅せば一発だって、ネットにも書いてあったもんな」

 棚橋がスマホを手にしてニヤニヤと嫌らしく笑いながら、池田の髪を掴んで顔を上げさせている。
 これにはさすがに驚いたのか、後藤と中西も、
「棚橋……」
「ちょっとそれはやり過ぎじゃ……」
 なんて引き気味に言う。けれど。
「何だよ、お前ら俺の言う事聞けねぇのか?」
 棚橋がひと睨みすると、そのまま黙ってしまった。
「へへへ……池田、動画で撮ってやんよ。これでお前もヨーチューブデビューできるなあ。嬉しいだろ?」
 まるで変態オヤジみたいにニチャァッと笑いながら、棚橋がスマホを片手に池田の服に手を掛ける。
「やれるもんなら、やってみなさいよ……絶対お前を殺してやる……」
 池田は視線だけでも殺せそうな目で棚橋を睨む。
「お前こそ、やれるもんならやってみな」

 棚橋が池田の服を捲り上げ、きれいな白いお腹が見えた瞬間……まるで頭が沸騰したみたいにカッとなって……

「や、やめろおっ!」

 気が付いたら、僕はそう叫んでいた。
 飼育小屋の中の四人が一斉に黙り、僕を見る。
「やめろよ!」
 もう一度叫んだ。

「なんだ、チキンじゃねえか。丁度いいや、お前そこで先生来ないか見張ってろ」
 棚橋はフンと馬鹿にしたように鼻を鳴らし、顎をしゃくって僕に言い捨てる。
「や、やめろって言ってんだよ」
 僕は精一杯の虚勢を張って棚橋を睨んだ。
「……あんだお前、俺に命令すんのか?」
 さっきより声を低くして、棚橋が睨み返してくる。
 心臓を握り潰されてしまいそうな、恐怖のかたまりみたいな声と視線。
 今までの僕だったら、これでもう何もできなくなって泣いてしまっていただろう。いや、涙は今も出ている。怖くて怖くて仕方が無い。できるものならこのまま逃げ出してしまいたい。

 でも!

「うるさい! やめろって言ってんだよ聞こえないのかこのバカ! とっとと池田を離せ!」

 情けなく身体をガタガタと震えさせて、みっともなく涙まで流しながら。
 僕は全力で棚橋に叫んだ。

 一瞬だけびっくりした顔をした棚橋は、でもすぐに僕を睨み返して、
「おいてめえ。最近ちょっと上手くいってるからってあんま調子乗んじゃねえぞ? 一体誰に向かって口聞いてんだ? ああん?」
 まるでヤクザみたいな事を言って脅してくる。もちろんここまで来たら、僕ももう逃げられないし逃げるつもりもない。
「お前に言ってんだよバカ棚橋! こんだけ言われてまだわかんないのかこのバーカバーカ!」
 頑張って言い返してみたけど、まるでちっちゃい子のケンカみたいな事しか言えない。そうだよ僕は今まで誰かと口げんかすらもした事が無かったんだ。
 でも、そんな僕の雑な挑発も棚橋には効果があったらしい。
「てめえ……」
 後藤達を突き飛ばす様にして、飼育小屋から出て来る。僕の行動があまりにも意外だったのだろう。後藤中西の家来コンビどころか、池田までもが唖然とした顔で僕を見ていた。
「もう謝っても遅ぇかんな」
 じりじりと歩いて来た棚橋が、僕に言う。
「誰が謝るもんか! お前こそ池田に謝れ!」
 僕がそう言い返すと、奴はいっそ楽しげに顔を歪ませて拳を構えた。
「おいおい……あいつ死ぬぞ」
 後ろで家来のどっちかが呟く。もしかしたら棚橋は都会で格闘技でも習っていたのかも知れない。
 でも、僕にだって奥の手はある。

 棚橋を正面から真っ直ぐ睨み、腰を落として両手を斜めに下す。以前師匠に教えてもらった型だ。
「……なんだそれ?」
 少しバカにした様な口調で棚橋が言うので、答える。

「奥義――火の呼吸、壱ノ型!」

 力一杯に叫ぶと、棚橋は一瞬呆気に取られた顔になった後、ぶふぅっと吹きだす。
 そして、

「マンガの見過ぎだバーカ! 死ねぇっ!」

 ダッシュして一気に間合いを縮めて、僕に殴りかかって来た。
 ボクシングで言う、右ストレートって奴だろう。はなっから全力で殴りに来るとか実に棚橋らしい。

 ……けれど…………見えた。
 この前のドッジボール大会の時よりも、いっそ遅く感じてしまう程に。

 更に腰を落としてしゃがむと、棚橋のパンチは頭の上を通って空振りする。
 そしてがら空きになった奴の顎に向かって――

「くぇえええええええっ!」

 しゃがんだ状態から真上にジャンプして、師匠のクチバシ攻撃みたいに思いっきり頭突きをした。
「がぁっ!?」
 突然真下から顎に頭突きを食らった棚橋は、そのままひっくり返る。
 
 そして、だらしなく倒れた奴の姿を見た時に…………僕の中で何かが壊れた。

「う……うわ…………うがああああああああああああああっ!」

 倒れている棚橋に馬乗りになって、顔を殴りまくる。
「このっ! このっ! このぉっ!」
 まるでちっちゃい子供がやるみたいに、両手を振り回して。
「ぎゃっ!? うわっ! やっ! やめっ! やめろっ!」
「やめるもんか! 僕がっ! やめてって言った時! お前がやめたか!?」
 怒りなのか悲しみなのか、涙が止まらない。
 それでも僕の両手は機械みたいに棚橋を殴り続けた。
 最初は「やめろ!」って偉そうに言ってた棚橋も、殴り続けるとその内に
「やめて! もうやめてっ! ごめんなさい! ゆるして!」
 なんて泣きながら情けなく言う様になった。
 それでも僕は殴り続けた。自分でも止められなかった。
「うるさい! 死ねっ! 死んじゃえっ!」
 狂ったみたいに声を上げながら、泣いている棚橋を殴り続ける。棚橋は鼻血で顔を真っ赤にしながらイヤイヤと顔を左右に振っている。
「これは僕の分! これは池田の分! これは僕の分! これは池田の分!」
 更に殴り続けると、その内に棚橋も大声で泣き出す。それでも殴り続けようと両手を振り回し続けていたら――

「もうやめて! もう充分だからっ! お願い! もうやめてあげて!」

 池田が後ろから、僕を羽交い絞めにするみたいに抱きついて涙声で叫んだ。
 瞬間、はっと我に返る。

「う、うわ……」

 棚橋から降りて立ち上がり、ぼんやりと周りを見まわす。

「僕……僕は…………」

 足元には鼻をフガフガ言わせながらしゃくり上げている棚橋。
 隣には僕のシャツの裾を掴んで泣いている池田。
 少し離れた所で満足そうに僕を見ているヤキトリ師匠。
 飼育小屋の中からまるで幽霊でも見る様な目で僕を見ている後藤と中西。

 ……そしてなぜか最後に、小屋の隅からじっと僕を見つめているクジャクと目が合った。


 ☆


 
 六十九日目  六月十五日

 週明けの月曜日。
 僕が棚橋をフルボッコにしたという噂は、あっという間に広まっていた。
 しかも『池田を裸にして動画撮ろうとしたのを僕に止められて、逆切れした挙句こてんぱんにやられた』という細かい所まですでにみんな知っていて、今や棚橋と家来ズは特に女子達からめちゃくちゃに嫌われていた。
 その棚橋は、どうやら鼻の骨が折れたらしくて学校を休んでいる。
 理由はどうあれ、僕がやった事に変わりは無いので昨日父さんと棚橋の家に謝りに行くはめになったけれど、棚橋の父さんは『自分にも立場があるので、どうか息子のやった事をおおやけにしないで欲しい』とか言って逆に僕達に頭を下げてきた。
 帰り道に、父さんが「あんな親に育てられたんだ。あの子も被害者みたいなもんだな」って呟いていたのが何だか妙に寂しく思えた。

 ……と、これで全てが済めば良かったんだけど。
 棚橋を病院送りにまでした僕は、誰にも苛められなくなった代わりに、クラスのみんなからもの凄く引いた目で見られる様になっていた。
 特に、僕のやった事を間近で見ていた後藤と中西なんかは近寄ろうともしなくなったし、目が合ったら泣きそうな顔になって顔を背ける。
 そして、きっとあいつらが色々と話して回ったのだろう。

『普段はおとなしいけれど、キレたら何をするか分らない恐ろしく危険な奴』

 というレッテルを僕は張られてしまったらしい。
 まあ、今まで苛められっ子だった僕が、学校で一番強いと言われていた棚橋を相手に、かすり傷ひとつ負わずに勝ってしまったのだ。みんなが不気味に思うのも、仕方無い事かも知れない。
 なんせ、僕の奥義『火の呼吸』を知っている人なんて、師匠以外どこにも居ないんだから。

 とは言うものの、やっぱり周りから危険人物扱いされるのはとても辛い。
 僕を苛めていた奴らはともかく、今まで普通に接してくれていた筈のクラスメイトにまで、どこか怯えた様な顔で見られる。思えば今日はほとんど誰からも話し掛けられなかった。


 ☆


 七十三日目  六月十九日

「ねえ師匠……やっぱり僕、人と争うのは嫌だよ。勝っても負けても、ろくな事にならないじゃんか……」

 放課後。
 例によって飼育小屋に行った僕は、師匠に愚痴をこぼしていた。
 でも、やっぱりと言うか師匠はそんな僕の泣き言を軽く笑う。

『それも今まで汝の行っていた事の報いである。日頃より力を誇示していれば、その様な事にはなって無かったであろう』

「いや、僕が強くなれたのは師匠のお蔭だから。僕一人じゃ、きっと一生棚橋には勝てなかっただろうし」

『ふむ……汝がそう考えておるのなら、まあ良いだろう。話を戻すが勇太よ、本来強者とは畏れられるもの。今まで暴威を振るっていたあの小童を降した汝は、そう扱われるだけの資格を有したのだ。これは決して不名誉な事では無いぞ。己が武勇を誇れ』

「えぇ……そんなのやだよ、周りから怖がられるなんて。もっと平和に生きていきたい」

『ふん、いたずらに汝を恐れる者など放っておけば良い。汝は決して間違った行いをしてはおらぬ。事情を知らずに汝を恐れる無知蒙昧の輩など、相手にせぬ事だ。汝を判っている者は、きっと汝をぞんざいには扱わぬ。そう……あの者の様にな』

 そこまで話すと、師匠は急にニワトリモードに戻って他の子達に紛れ込む。
 と、同時に飼育小屋の扉が開き――

「あ……鳳君。今日も来てたんだ」

 掃除道具を持った池田が、僕を見た途端ぱっと微笑んだ。
「う、うん……」
 僕はなんだか急に恥ずかしくなって、それをごまかす様にじゃれついてくるニワトリ達をモフる。そんな僕に、池田はやっぱり恥ずかしそうに微笑みながら近づいて来て僕とニワトリ達を交互に見て、
「本当に、すっごく懐いてるよねえ、この子達。今までいろんなニワトリ見てきたけど、こんなに人に懐いてるのって初めて見るかも」
 感心した様に言う。
 前よりも、明らかに彼女の態度が違う。以前はもっとぶっきらぼうで、僕なんか眼中に無いって感じで掃除をしたりクジャクとじゃれ合ったりしてたのに。

『これが汝の行った結果だ。その雌は、汝を恐れるどころか心を開いている様だぞ』

 頭の中に師匠の声が響く。
 確かに、今になって冷静に考えてみると……
 僕はあの時、池田を守る為に棚橋と戦った……形になるんだよ……なあ。
 正直、今思い出すとめちゃくちゃ恥ずかしい。
 僕は本人の前で、めっさ大声で棚橋に「池田を離せ!」とか「池田に謝れ!」とか言っちゃったんだよなあ。それで、最後は「これは池田の分!」とか叫びながらあいつをボッコボコにして……
 まったく、今さらどんな顔をして池田と接すれば良いんだよ。

『己が力で好いた雌を守り抜いたのだ。胸を張るが良い』

「なっ!? ち、違うよ?」

 頭に響いた師匠の言葉に、思わず声をあげて立ち上がってしまう。

「どうしたの?」
 池田はそんな僕を不思議そうな顔で見つめていた。


 ☆


 八十六日目  七月二日

 僕は相変わらず、クラスのみんなから腫れ物みたいに扱われている。悲しいけど、これはもう自分の力じゃどうしようも無いと思って諦める事にした。
 そして以前はクラスの中心人物だった棚橋も、今や女子達からゴキブリ以下の扱いを受けていて教室の隅で小さくなっている。同じく嫌われている後藤と中西は薄情にも棚橋を見捨てたみたいで、最近は二人だけでつるんでいた。
 以前とは全くと言って良い程、変わり切ってしまった教室。
 でもそこはやっぱり、あまり居心地が良い場所では無かった。むしろ前よりも悪いかも知れない。
 なので――
 僕は前以上に、飼育小屋に行く機会が増えていた。
 これまでは、当番の時以外は放課後にしか行かなかったのだけど、最近は昼休みとか、気分が重い時には休み時間にもちょくちょく足を運ぶ様になった。
 そして、そこにはいつも当然の様に池田も居る。聞けば彼女はずっと前から、ここに一人で居るのが好きだったらしい。

「鳳君もすっかりここの常連だね。いっそこのまま飼育委員になっちゃえば?」
 彼女は、以前は絶対に見せなかった柔らかい笑顔でそう言ってくれた。クラスで孤立している僕に取って、池田の存在は日に日に大きく感じられる。でも。
「ううん……僕が好きなのは、この子達だから。ていうか他の子には全然懐かれてないし」
 相変わらず僕にじゃれついてくれるニワトリ達を撫でながら、池田に答える。
 実際、彼女の隣ではクジャクがまるで寄り添うみたいに立っているし、足元ではアヒル達がのんきに遊んでいる。僕の事など眼中に無いといった感じで。
「確かにこの子達、鳳君には異常なくらいに懐いているけど……でも……」
 池田はそこまで言うと、下を向いて僕から目を逸らした。
 うん。わかってる。
 あと二週間で、僕はこの子達とお別れしなければいけない。それどころかこの子達を僕らは食べてしまうんだ。
「……………………」
 彼女に掛ける言葉が見つからなくて、僕は黙ってニワトリ達を撫でつける。
「何で、こんな残酷な授業があるんだろうね。こんな事したら、鳥肉食べられなくなる子とか出て来ると思うな……私みたいに」
 下を向いたまま、池田がぽつりぽつりと話し出した。
「私の家、地鶏の養鶏やってるって言ったよね。それで、私も小さい頃からずっと手伝ってきたの。養鶏の仕事はもちろんヒヨコをニワトリに育てる事。『かわいいヒヨコ達に囲まれて、私はなんて幸せなんだろう』って、小さい頃はずっと思ってた。でも、いつ頃だろう。そのかわいいヒヨコ達はみんな、大きくなったら加工場に出荷されて、一羽残らず殺されてお肉にされちゃうって知ったのは」
 僕の周りにいるニワトリ達を、悲しそうな目で見つめながら。
 僕はやっぱり掛ける言葉が出て来なくて、「そっか」としか言う事ができない。
「あのかわいいヒヨコ達をずっと食べていたんだって気付いた時、私は悲しくて、恐くなって……それ以来、鳥肉が食べられなくなったの……」
 そこまで言うと、池田はさっと顔を上げて、僕の目をじっと見つめてきた。
「ねえ、鳳君。この子達……逃がしちゃおっか?」
「え?」
「夜中にこっそり忍び込んでさ、全部裏の山に逃がしちゃうの。鳳君も、この子達とずっと居たいよね? 食べたいなんて、思わないよね?」
 目には涙を溜めながら。
「……確かに、僕もできるものなら食べたくなんかないけど、さ」
 本当を言えば僕も、この授業には疑問があった。
 どうしてこんなえげつない授業があるんだろうと悩んだりした。
 でも。
 
 ――汝がそう思い悩む事こそが、その『命の授業』とやらの意味なのであろうな。存分に考え、悩むが良い――

 前に師匠に話した時、彼はこう言っていた。
 その『意味』というのも、この二か月ちょっとの間に少しだけ分って来た様な気もする。
 結局、僕達人間は他の生き物を食べないと生きて行けない。それはもちろん動物だけじゃなくって、うちで育てている農作物だってそうだ。
 その事に感謝して、そして他の生き物の命を『頂いている』事を僕達に思い知らせるために、この授業はあるんだろうって、今は思っている。

 ……でもそれを池田に言うのも、気が進まない。
 彼女が今まで受けて来た悲しみも、僕には理解できると思うから。
 

 ☆


 九十九日目  七月十六日

 今日が最後の日。
 明日、師匠達は加工場に連れて行かれてお肉にされてしまう。
 だから僕は悔いの無い様に、あの子達と接しなければいけない。

 そう思っていたんだけれど……

 僕は何故か飼育小屋に行く事ができなくて、ずっと学校中をうろうろしていた。
 休み時間も。
 昼休みも。
 放課後になってからも。

 今日が最後のお別れだって、分っているのに。

 いや、今日が最後のお別れと分っているからこそ、飼育小屋には行けなかった。
「でも、このまま何も言えずにお別れもしたくないし……」
 校舎からすっかり誰も居なくなった頃、僕はようやく飼育小屋に向かった。まるで死刑囚にでもなったみたいに、一歩進むごとに心臓が破裂しそうなくらいにドキドキと動く。
 心のどこかに、『このまま帰ってしまいたい。逃げてしまいたい』と思っている自分がいる事に気付く。
 ああ……これじゃあ、以前の僕のまんまじゃないか。
 他人の怒鳴り声を怖がって。棚橋達を怖がって。
 怖がって何もできなかった、以前の僕と同じじゃないか。

「ダメだろ! そんなんじゃあ!」

 震える両足をバシンと引っ叩いて、気合いを入れる。
 そうだ。こんなんじゃあヤキトリ師匠に合わせる顔が無い。
 もっと胸を張って、師匠に最後の挨拶とお礼をしなければ。
 
 思わず出てきた涙を拭って、小屋まで向かう。
 空がうっすらと夕焼け色になりつつある中、小屋の中に入ると。

「遅かったね。今日は来ないんじゃないかって思ってた」

 池田がニワトリ達の真ん中でしゃがんでいた。
 隣にはいつもの通り、クジャクが彼女を守る様に立っている。
「池田……」
 彼女の顔を見た途端、僕はなんだか違和感みたいなものを感じた。

「鳳君も、この子達とお別れしたくは無いよね」

 妙な迫力すら感じる、鋭い視線で僕を見て言う。
「う、うん……でも……」
「大丈夫だよ。私達に任せてくれれば」
 寄り添っているクジャクをうっとりと撫でながら、池田が言う。
「え、ええと……私、『たち』?」
 急に背中がぞわっとした。
 この感覚を僕は知っている!

「師匠!」

 僕は大声で師匠を呼んだ。
 見ると、師匠は池田の隣で他のニワトリ達と同じ様に歩き回ったり地面を突っついたりしている。
「ししょう? 師匠ッ!」
 更に話し掛けると、師匠は体をブルブルと震わせて、何かに耐える様な動きでゆっくりと僕に顔を向ける。

『勇太……流石に今回ばかりは……相手が悪い……我輩では……わが……は……コッ、コッコッコッ』

 話している途中でニワトリモードに戻ってしまう師匠。
 これって、これって一体……

『無駄だ。幾許かフェニックスの力を得たと言えど、所詮は鶏。我の前では無力に等しい』

 池田の隣に立つクジャクが、ばっと羽根を広げる。
 きれいに輝くその美しい羽根が、体が――真っ赤に染まった。

「えええええっ!?」

 思わず声を上げてしまう。
「そ、その姿って……もしかして、お前も……」
 僕の声に、クジャクはゆっくりと首を横に振った。

『否。我は朱雀。いにしえより南の地を護りし、四神が一柱……そして、この娘の願いを叶えし者なり』

「す……すざく……一体、なんでそんなのが学校の飼育小屋に」

『汝が知る必要は無い……』

 朱雀って名乗ったクジャクは、池田をまるで抱きしめるみたいに羽根で包む。その瞬間、クジャクを中心に眩しい光が現れて――

 僕は意識を失ってしまった。


 ☆


 九十九日目  七月十六日

 今日が最後。
 明日、ヤキトリ達は加工場に連れて行かれてお肉にされてしまう。
 だから、僕は悔いの無い様に、あの子達と接しなければいけない。
 
 そう思っていたんだけれど……

 僕は何故か飼育小屋に行く事ができなくて、ずっと学校をうろうろしていた。
 休み時間も。
 昼休みも。
 放課後になってすらも。

 今日が最後のお別れだって、分っているのに。

 いや、今日が最後のお別れと分っているからこそ、飼育小屋には行けなかった。
「でも、このまま何も言えずにお別れもしたくないし……」
 校舎からすっかり誰も居なくなった頃、僕はようやく飼育小屋に向かった。まるで死刑囚にでもなったみたいに、一歩進むごとに心臓が破裂しそうなくらいにドキドキと動く。
 心のどこかに、『このまま帰ってしまいたい。逃げてしまいたい』と思っている自分がいる事に気付く。
 ああ……これじゃあ、以前の僕のまんまじゃないか。
 他人の怒鳴り声を怖がって。棚橋達を怖がって。
 怖がって何もできなかった、以前の僕と同じじゃないか。

「ダメだろ! そんなんじゃあ!」

 震える両足をバシンと引っ叩いて、気合いを入れる。
 そうだ。こんなんじゃあヤキトリ師匠に合わせる顔が無い。
 もっと胸を張って、師匠に最後の挨拶とお礼をしなければ。
 
 思わず出てきた涙を拭って、小屋まで向かう。
 空がうっすらと夕焼け色になりつつある中、小屋の中に入ると。

「遅かったね。今日は来ないんじゃないかって思ってた」

 池田がニワトリ達の真ん中でしゃがんでいた。
 隣にはいつもの通り、クジャクが彼女を守る様に立っている。

 ――あれ? なんだこれ。

 僕はこの場面を知っている。
 何故か分らないけど、直感的にそう思った。

「鳳君も、この子達とお別れしたくは無いよね」

 妙な迫力すら感じる、鋭い視線で僕を見て言う。
「う、うん……でも……」
「大丈夫だよ。私達に任せてくれれば」
 寄り添っているクジャクをうっとりと撫でながら、池田が言う。
「え、ええと……私、『たち』?」

 やっぱり!
 この場面を僕は知っている!

「師匠!」

 僕は大声で師匠を呼んだ。
 見ると、師匠は池田の隣で他のニワトリ達と同じ様に歩き回ったり地面を突っついたりしている。
「ししょう? 師匠ッ!」
 更に話し掛けると、師匠は体をブルブルと震わせて、何かに耐える様な動きでゆっくりと僕に顔を向ける。

『勇太……流石に今回ばかりは……相手が悪い……我輩では……わが……は……コッ、コッコッコッ』

 話している途中でニワトリモードに戻っていしまう師匠。
 やっぱり、これって……

『無駄だ。幾許かフェニックスの力を得たと言えど、所詮は鶏。我の前では無力に等しい』

 池田の隣に立つクジャクが、ばっと羽根を広げる。
 きれいに輝くその美しい羽根が、体が――真っ赤に染まった。

 そう――この光景にはやっぱり、覚えがある!

『我は朱雀。いにしえより南の地を護りし、四神が一柱……そして、この娘の願いを叶えし者なり』

「す……すざく……一体、何なんだよお前……」

『汝が知る必要は無い……』

 朱雀って名乗ったクジャクは、池田をまるで抱きしめるみたいに羽根で包む。その瞬間、クジャクを中心に眩しい光が現れて――

 そう……僕は、ここで意識を……


 ☆


 九十九日目  七月十六日

 今日が最後。
 明日、ヤキトリ達は加工場に連れて行かれてお肉にされてしまう。
 だから、僕は悔いの無い様に、あの子達と接しなければいけない。

 そしてこれは、僕がおかしくなってしまったのでは無ければ……三回目。
 僕は既に二回、この日を繰り返している。
 一体どうしてこんな事が起きるのか全然分らないけど。
 でも、あの朱雀って名乗ったクジャクがやっているって事だけは分る。
 そしてあいつが師匠ですら敵わない、凄い鳥だって事も。

「……とにかく師匠と相談するしか無いな」

 昼休みを待って、飼育小屋に行く。
 昨日までは師匠達に会うのがどこか怖かったのだけど、今はそれどころじゃ無い。
 あのクジャクについて、一刻も早く師匠と話さないと。

 ……って、思っていたのだけれど。


『その願い、我が叶えて進ぜよう』

 飼育小屋に入ると、真っ赤なクジャクが池田と向かい合っていた。
「師匠!」

 僕は大声で師匠を呼んだ。
 見ると、師匠は朱雀に立ちはだかっている。

『そなた……朱雀か。そなた程の神獣が、何故この様な場所に』

『いかにも我は朱雀。いにしえより南の地を護りし、四神が一柱……そして此処は南町小学校。我が護りし事、何も不思議ではあるまい』

「雑過ぎない!?」

 思わずツッコミを入れてしまった。
 小屋の中の二羽と池田が一斉に振り向く。

『童よ、少しばかり遅かった様だな』

『勇太か……』

 二羽の鳥は、まるで正反対の表情で僕を見た。
 そして、池田は。
「鳳君。この朱雀……いえ、クーちゃんが、この子達を助けてくれるって」
 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら僕に言った。

 朱雀って名乗ったクジャクは、池田をまるで抱きしめるみたいに羽根で包む。その瞬間、クジャクを中心に眩しい光が現れて――

 ……そう言えば、どうして毎回ここで終わるんだ?


 ☆


 九十九日目  七月十六日

 今日が最後。
 明日、ヤキトリ達は加工場に連れて行かれてお肉にされてしまう。
 だから、僕は悔いの無い様に、あの子達と接しなければいけない。

 そう、今日こそは。
 さすがに四回目ともなると、僕ももう戸惑わない。いや本当は訳分らなくて泣きそうだけど。
 確か、前に見た昔のアニメにこういうのあったな……ループものって言うんだっけ? 同じ話が八回くらい続いたりするやつ。
 もしこれがループしている世界だとしたら、きっと正解のルートを見つけるまで続くのだろう。この、師匠達の最後の日が。

 ……でも、全くヒントが無い訳でも無さそうだ。二回目、三回目と、少しずつ変わってきている。僕が前回と違う行動をすれば、ちゃんと違う形にはなった。
 ただ、終わり方は毎回一緒。あの朱雀がピカーって光って終了。そしてやり直し。

「つまり、あれは外れルートなんだよね。という事は……」

 一回目は、放課後遅くに飼育小屋に行って終了。
 二回目も同じ。でも、僕はそれが繰り返された世界だって気付いた。
 三回目は昼休み。行動を早くしたけれど、間に合わなかった。
 ……あれ?
 そう言えば、あの時確か。

『童よ、少しばかり遅かった様だな』

 なんて事を、朱雀は言ってたな。
 じゃあ、今回はもっと早く動かなくちゃいけない。

 ……そう言えば、池田はいつ飼育小屋に行ってるんだろう?

 今までの感じからして、きっと彼女より早くあそこに行かなくちゃいけない様な気がする。いや、きっとそうだ。
 僕は池田を徹底的に観察する事にした。


 昼休み。
 給食もほとんど残したまま、池田が席を立った。きっと飼育小屋に行くのだろう。
「い、池田!」
 僕は立ち上がり、彼女を呼んだ。周りのみんなが一斉に僕を見てきたのでかなり恥ずかしいけど、今はそんな事を気にしている場合じゃ無い。
「……どうしたの?」
 池田も、さすがにびっくりした顔で僕を見る。
「あ、あの、ええと……飼育小屋には、行っちゃ駄目だ」
「どうして?」
 僕の言葉を聞いた瞬間、彼女の顔が曇る。
 それでも僕は続けた。
「ニワトリ達を助ける事なんて……できないよ。ねえ、池田。本当は君も分っているんだよね?」
 池田の顔が、悲しそうに歪む。
「……鳳君まで、そんな事言うの? あんなにニワトリ達を可愛がっていたのに!」
 そしてそう叫ぶと、勢い良く扉を開けて走って行った。
「あっ!? 池田!」
 すぐさま追い駆けようとしたけど――

 待てよ。このまま追い駆けても間に合わなかったらお終いだ。それに……もし間に合っても、池田と朱雀が会っちゃったら、やっぱり駄目な気がする。なんとかできないか?
 でも、一人じゃあ……

 そこまで考えた時。
 教室の隅っこで給食を食べている棚橋が目に入った。
 そういえば、あいつは確か!

「棚橋!」
 大声で呼ぶと、棚橋はまるで以前の僕みたいに体をビクっと震わせてから、恐るおそるこっちを向いた。
「な、なんだよ」
「一緒に来て! お願い!」
 すぐさま彼の机の前まで行って、頭を下げる。
「な、なんで俺が、そんな事……」
「一生のお願いだ! お前にしか頼めない!」
「な、なんなんだよ、一体」
 棚橋は相変わらず怯えた目で僕を見ている。まあ僕がやった事考えると、それも仕方無いかも知れないけど。
 でも、棚橋だってちょっと前はこの学校を支配していたと言っても良い位の奴だ。きっとプライドだって高い筈。
 だから、僕はあえて言った。
「ここまで頼んでいるのに来てくれないの!? だったら僕はお前を今日から『二代目チキン』って呼んでやる! それでもいいの!?」
 さすがにこれにはカチンと来たらしい。
「ああ!? わかったよ! なんか知らねえけどついて行きゃいいんだろついて行きゃ!」
 ガタンと勢い良く立ち上がって僕を睨みつける。
「ありがとう! じゃあ一緒に来て!」
 呆気に取られているクラスのみんなを置いて、僕は棚橋を連れて走った。

 でも、池田が出て行ってからちょっと時間が経っている。このまま走ってもきっと間に合わない。
「……そうだ!」
 少し廊下を走った所で止まる。
 そして壁を見ると一か所、丸く穴が開いたのをベニヤ板で塞いだ所があった。以前、師匠が「火の呼吸」で開けた穴。誰がやったのか一時問題になって全校集会とかにもなったのだけど、結局犯人は見つからなくて。(当たり前だけど)
 修理も『夏休みに入ってから』という事になって、応急処置として薄いベニヤ板を張っただけ。

「ここから行けば近道だ!」

 後ろで棚橋が「え、お前ちょ」っとか言っていたけれど、それを無視して板を蹴っ飛ばす。そして出来た穴を潜ると、そこはもう飼育小屋の目の前。
 小屋に入ると、まだ池田は居なかった。
「間に合った!」
 代わりに朱雀――今はクジャクが僕達を睨んで、ばっと羽根を広げる。
「棚橋はあいつを食い止めて!」
「え? お前一体何言ってうわあっ!」
 何か言いたげな棚橋の襟をむんずと掴んで、クジャクの前に突き出す。そして小屋から出て扉を閉めると、同時に中から「ケー!」というかん高い鳴き声とバサバサ動く音。そして「ぎゃあっ! 何すんだてめえうわ痛い痛い痛い!」という棚橋の叫び声。
「よし、思った通りだ」
 棚橋は以前、クジャクの羽根を抜いたりして苛めていたから絶対に恨まれている筈。
 そう考えて朱雀に対する食い止め役になってもらったのだけど、どうやら予想以上に恨まれていたらしい。朱雀は僕を完全に無視して棚橋を攻撃し続けている。
「ごめん、棚橋。君の犠牲は決して無駄にしないよ……」
 彼の悲鳴は聞かなかった事にして、小屋に背を向ける。

 すると、まるでタイミングを計ったみたいに池田が校舎の影から現れた。


 ☆


「鳳君!? どうして……」
 まさか先回りされているとは思ってもいなかっただろう。池田は僕を見ると目をまん丸にして声を上げた。
「池田。僕の話を聞いてくれないかな」
 あ然と僕の顔を見ている池田の手を掴んで、花壇の隣のベンチに向かう。
「座ろう?」
 話し掛けると、池田は小さく頷いて座ってくれた。
 僕達が座るのと同時に、鶏小屋から「こんなとこ二度と来るもんかーっ!」って叫びながら逃げ出した棚橋が泣きながら走って行った。


「ししょ……ニワトリ達を食べるのは、辛いよね……」
「…………」
「僕だって、あの子達を食べたくなんかない。ずっと一緒に居られたらって思う」
「だったら」
 すがる様な目で僕を見る池田の手を、ぎゅっと握って。
「でもそれってさ、たまたま僕があの子達を育てたから、そう思うだけなんだよね」
 僕の言葉に、池田はビクっと体を震わせた。そして今度は何か怖いものでも見る様な顔になって僕を見つめる。
「僕が可愛がって育てた子達は可哀想だから食べない。でもスーパーで売ってるお肉はおいしく食べる……これって、どうなんだろう」
「でも……でも……」
 小さく頭を横に振って、うつむく池田。一瞬だけ見えた瞳は涙で濡れていた。
「池田は牛肉食べない? 豚肉は? あと魚とか。みんな生きてるのを殺して、僕達は食べてるんだよね。自分が可愛がった子達だけ特別扱いって、なんか違うと思う」
 握っている手に、ぎゅうっと力が込められた。
 まるで「なんでお前にそんな事言われなきゃいけないんだ」って言いたげに。
「池田が今まで味わってきた悲しさとか、苦しさとか、僕も少しだけ分かる……うちも農家だから」
「…………野菜じゃん」
「うん、野菜。今の時期はトマトときゅうりとナスと、あとはオクラなんかも作ってるんだけどね。これが可愛いんだ。毎日水をあげて、肥料をあげて、土を整えてあげて、害虫を取ってあげて……そうやって頑張って世話をするとさ、ちゃんと応えてくれるの。ある時小さい実がなってさ、それが毎日ちょっとずつ大きくなってくのを見るとね、『がんばれ、がんばれ』っていつも思ってる。だからさ、それを収穫する時って嬉しくもあるけど、どこか寂しくなるよね」
「……」
「野菜だって生き物だよ。世話をさぼるとすぐ枯れたり、実を付けなかったり。あの子達も一生懸命に生きていて、そういう命を、僕達は頂いてる……きっとあの『命の授業』は、そういう事を僕達に教えようとして出来たんだろうね」
「……わかってるよぉ……わかってるよぉそんな事ぐらい!」
 池田は急に大きい声を上げて僕を睨んだ。手が痛いくらいに強く握られる。
「でも悲しいじゃん! あんなに可愛い子達を! あんなに一生懸命育てて! あんなに懐いてくれて! そんなの食べちゃうなんて、悲しいに決まってるじゃん! そんなの耐えられないよ!」
 そのまま池田は泣き出してしまった。僕の手を、まるで親の仇みたいにぎゅうっと強く握りしめながら。
「うん……辛いよね……悲しいよね……」
 僕も、いつの間にか泣いていた。涙が零れ落ちて、声も震えてしまう。
「でも……耐えよう。一緒に耐えよう……すっごく、頼りないけど……僕がさ……一緒に……いるから、さ……」
 歯を食いしばりながら、なんとかそれだけを言葉にした。
「うわああああああああああああああああああっ!」
 池田が握っていた手を離して、今度は僕の体に抱きついて。そのまま大声で泣きじゃくる。
「うん……悲しいよね……僕だって、本当はあの子達と……別れたく……ない……よぉ……いやだよぉ……」
 僕も泣きながら、池田をぎゅっと抱きしめる。
 昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴るまで、僕達は抱き合ったまま泣いていた。


 ☆


 放課後。
 僕はひとり、飼育小屋に居る。
 さっきまでは池田も一緒に居たのだけれど、一足先に帰った。もしかしたら、僕達の最後のお別れを邪魔したくなかったのかも知れない。
 もしもそうなら、本当に有り難かった。
 何故なら、僕はこの時点でもうボロボロに泣きじゃくっているから。

 周りを囲む様に、ニワトリ達がじゃれついている。
 そして、僕に向かい合う形で師匠が語りかけてきた。

『勇太よ、先程は見事であったぞ。あの情けなかった小僧が、よくぞここまで成長したものだ。もはや汝に教える事は何も無い』

「そんな、師匠……僕、まだまだ何も教わってないよ……火の呼吸だって、全然……」

『火の呼吸か。すまんな。そんなものは最初から無い』

「ええっ!?」

『あれは只の出まかせだ。良いか勇太、汝は元々優れた能力を持っていたのだ。吾輩はそれを引き出す切っ掛けを作ってやったに過ぎぬ』

 ニヤリと微笑む師匠。まるでイタズラが成功した悪ガキみたいに。

『汝は鳳凰の名を頂きし一族の末裔、何も不思議な事では無い。であるのに何故その様な血筋の者が斯様に軟弱に育ってしまったものか、吾輩はそう考えていたのだが……勇太よ、汝は軟弱なのでは無い。優しいのだ。いや、優し過ぎるのだ』

「は、はあ……」

『それが何であれ、過ぎたる物は重荷となる。汝はその大き過ぎる優しき心を、間違った方向に向けてしまっていたのだ。だから過剰な程に人との争いを恐れ、自らの力をも封印してしまっていたのだ』

「…………」
 うつむく僕の背後から、突然話し掛けられた。

『だが、そなたの優しさはあの娘を救った。我は心よりそなたに礼を述べたく思うぞ』

「うわっ! ……す、朱雀?」
 振り向けば、そこには真っ赤に輝くクジャクの姿。何故かこの南町小学校を守っているらしい神獣、朱雀がそこに居た。

『よもやこの様な所に朱雀が居ようとは、さすがの吾輩も気付かなかったわ』

『我も、よもやこの様な所にフェニックスが降り立とうとは思いも寄らなかったぞ』

 なにやら仲良さそうに話す二羽……
「もしかして……師匠達、グルになってたの?」
 僕のじっとりと睨む目を軽くいなして師匠が言う。

『すまぬな、勇太。そこな朱雀に、あの池田なる娘の力になれぬかと頼まれてのう』

『うむ。あの娘もそなた同様、いささか優し過ぎるきらいがあったものでな。娘がこの学校を去る前に、どうにかしてやりたいと思ってはいたが。我の力は人ひとりに使うには、少しばかり大き過ぎる故』

 悪びれもせず、むしろ偉そうに言う朱雀。くそ、クーちゃんなんて安直な名前付けられてるくせに。

『しかし、そなたのお蔭で我の憂いも去った。この上はもう邪魔はせぬ。そこな鶏達と、最後の別れをするが良い』

 朱雀はそう言うと、サッと色を戻して普通のクジャクになった。そして何事も無かったみたいにアヒル達と一緒に小屋の隅で餌箱をつつき出す。
 そして再び向かい合った師匠が、他のニワトリ達と一緒に並んで僕に話し掛けてきた。

『まあ、そういう事だ……勇太よ、今日で汝ともお別れだが、吾輩はとても有意義であったぞ。汝と出会えた事、心より喜ばしく思う』

「……ぐすっ……うん……ぼくも……だよ……」

『泣くでない。良いか勇太、生きるとはすなわち戦いの連続。しかもその敵は、あの小童の様に拳を交える相手だけでは無い。世の無情や理不尽、時には天よりの災いすら、汝に立ちはだかるだろう。汝はこれからも、そういった恐るべき相手に戦いを挑み続ける事になる。生きている限り、誰もが挑戦者なのだ。分るな?』

「うん……」

『汝は今や鳳の名に恥じぬ男となった。これからはひとりで戦って行けるな?』

「うん……」

 本当を言えば、これから師匠がいないと考えるだけで怖い。師匠や他の子達とお別れになるのはめちゃくちゃ辛い。それどころか、この子達を明日食べるって考えると、それだけで吐き気すらこみ上げて来る。

 でも……

「師匠……いままで、ありがとう……明日、また……僕は、料理された師匠達を見て……きっと大泣きしちゃうと思うけど……それは……ゆるし、て……ね……」

 泣きじゃくって、しゃくり上げて。ちゃんと言葉にするのにもの凄く苦労したけど。
 僕はしっかりと胸を張って、師匠達に最後のお別れをした。

 ボロボロ泣いている僕に、師匠は相変わらずの不敵な声で言った。

「勇太よ、明日の給食を楽しみにしておれ。吾輩達はすこぶる旨いぞ……何と言っても、地鶏であるからな」


 ☆


 百日目  七月十七日

 いつもより豪勢な給食だった。
 普段よりもおかずが一品多い。お皿にはカラリと揚がった唐揚げが四個、余計に乗っている。

 ヤキトリ師匠……唐揚げになっちゃったんだね。

 昨日まで、飼育小屋で大切に育ててきたニワトリ達を一羽ずつ思い出す。
 大人しかったテリヤキ。
 元気者だったカラアゲ。
 りりしい顔をしたバターチキン。
 優しい雰囲気のサラダチキン。
 いちばん太ったフライドチキン。
 足の速かったサムゲタン。
 羽根の色がきれいだったテバサキ。
 トサカがかっこ良かったユーリンチー。
 少し乱暴者だったバンバンジー。

 ……そして、ヤキトリ師匠。

 あの元気で可愛かったニワトリ達が、今はこんなに変わり果てた姿になって、僕の前に『ある』
 悲しくってたまらないのに、その美味しそうな匂いに食欲を刺激されてお腹が鳴る。口の中につばが溜まる。
 教壇では先生が『命の授業』について色々と話しているけれど、正直一言も頭の中に入って来ない。そんな言葉よりも目の前にある四つの唐揚げの方が、僕によっぽど大切な事を教えてくれている様な気がした。

 では――いただきます

 みんなで『いただきます』をして、給食が始まった。
 男子連中の大部分は「ひゃっはー」とか言いながらさっそく唐揚げにかぶりついている。
 女子の何人かは、自分達で世話をしたニワトリを想って涙を流している。
 僕はもちろん……
 みんなが引くくらいに大泣きしながら。
 でも、師匠との約束通りに。
 唐揚げをフォークで刺して、口に運んだ。

 カラッと揚がった表面を噛むと、中から美味しい肉汁が口の中にじゅわぁって広がる。
 こんなにも悲しくて、胸が苦しくて、そして美味しいと思ったご飯は生まれて初めて。きっとこれから先、二度と無いだろう。
 
 涙の零れるまま、僕は唐揚げを食べ続ける。
 横目で池田を見てみると、彼女も声を上げて泣きながら。
 それでもちょっとずつ、ちょっとずつ、唐揚げに口を付けていた。

 最後の一個を口に入れた時。
 なんでか分らないけれど、僕はそれが師匠だって確信した。

 おいしい……おいしいよ、師匠。
 あなたの命を頂きます。
 あなたの命を、僕の命にさせて頂きます。
 あなたの教えてくれた事を決して忘れず、一生懸命生きていきます。
 
 口の中の、今や何も言わない師匠に向けて語り掛ける。

 ――そうだ。その意気だ、我が弟子よ。そして吾輩は汝の血となり肉となり、共に生きてゆくのだ――

 頭の中に、師匠の声がはっきりと聞こえた。


 了
黒川いさお

2020年08月07日 04時12分11秒 公開
■この作品の著作権は 黒川いさお さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:僕の前に現れたフェニックスは、どうしようもなくチキンでした
◆作者コメント:本作は手塚治虫先生の『火の鳥』を読みつつ、ヨーデル歌手石井健雄さんの神曲『チキンアタック』を聞いていた時、突如インスピレーションを得て執筆致しました。
拙い小説ですが、企画を賑やかす一助になれば嬉しく思います。

2020年08月24日 05時04分44秒
作者レス
2020年08月22日 22時44分31秒
+30点
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2020年08月22日 22時12分26秒
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2020年08月22日 21時42分49秒
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2020年08月22日 21時41分33秒
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Re: 2020年08月25日 03時36分21秒
2020年08月22日 21時33分20秒
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2020年08月22日 15時58分39秒
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+20点
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2020年08月12日 14時02分31秒
+30点
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2020年08月10日 00時00分53秒
+20点
Re: 2020年08月24日 05時05分50秒
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