エレベーターガール

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※性的っぽい描写があります。閲覧には注意してください。

 変な子がいた。
 僕がいつものようにマンションのエレベーターに乗り込もうとして、自動ドアを開けたら『そいつ』はいた。うちの高校の制服を着た女の子。彼女はエレベーターの籠の床に座り込んで、足を床に放り出していた。スカートからは立派な太ももとピチピチのスパッツが覗く。そして……、その……、股のあたりに水たまり。顔は大きな黒縁眼鏡越しに眼を半開きにして、口も半開きで笑みを浮かべている。
「な、なにこれ?!」
 ブレザーから覗くネクタイの色から、同じ二年生だとわかるが僕は彼女を見たことが無かった。違うクラスだろう。
「あ……、アヘ……、アヘアヘ……」
「おーい」
 俺は何やら恍惚としている彼女に声をかける。
「大丈夫かー」
「あ……、こし……」
「こし?」
 何やら変なことを言う彼女に俺は尋ねる。すると。
「こし、ぬけちゃって……」
 腰が抜けた。一体どこをどうすれば、腰抜けて座り込んで、おまけに股間の……、その……、おもらし? に繋がるんだろうか。
 僕は彼女の顔をまじまじと見る。少し丸形の、かわいらしい顔。眼鏡越しに見える、大きな黒く澄んだ瞳。吸い込まれそうだった。しかし、僕は同年代の女の子、彼女ぐらいの子が嫌いだ。昔を思い出す。
「ねぇ、立てる?」
 俺は彼女に聞いてみた。
「う、うん……、無理」
 そう言う彼女は少し色っぽかった。
 さて、彼女をどうしようか。まぁ、普通は警察呼ぶわな。放置するには……、うん、他の住人に迷惑だな。
「どうしようか」
 思わず口に出してしまった。
「ん……」
 彼女は眼を見開いた。彼女は僕を覗き込む。
「ねぇえ?」
 彼女は相変わらず気持ちよさそうだ。
「襲わないのぉ?」
「はい?」
 今あなた、何を言いやがりましたか?
「今なら、襲い放題だよぉ?」
 なんで?
「何故君と、その、エッチしないといけないの?」
「きれい……」
 話がかみ合わない。
「きれいなの、君の眼が」
「汚いよ」
 僕は否定する。僕の手は血でまみれている。目も澱んでいるはずだ。
「ううん」
 彼女は僕の発言を否定する。
「瞳がね、強いの。絶対に、自分のいうことを曲げない。そんな瞳」
「なにそれ」
 僕は苦笑いする。
「とにかくさ。こんなところに居たら邪魔だよ。僕の家に来る?」
 え? 僕、今、なんと言いました?
「……ん、いいの?」
「んんん~! いいよ、うちに来て! その代わり、話聞かせてもらうから!」
「……ん」
 彼女は小さく頷いた。なるようになるだろう、彼女は、多分、あの時の女子と違う。僕は彼女に手を差し出すと、彼女は手を取ってよっこいしょと立ち上がった。しかしよろめくので僕が肩を貸してやる。僕はエレベーターのボタンを押す。僕の住んでいるマンションは五階だけどこのエレベーター、四階までしか行ってくれない。
「四階に参ります」
 女性の声がエレベーターに響く。
「あー、やっぱ中村啓子さんはいいなぁー。日立と言えば中村さんだよ」
「……キミ、何言ってんの?」
 僕の耳元で訳が分からないことを言う彼女に俺は思わず訊ねた。
「このエレベーターのアナウンスの声の人。中の人っていうのかな?」
「声優が好きなの?」
 僕も、ライトなたぐいだけどアニメが好きだ。しかし、この中村という声優さんは知らなかった。
「声優じゃないよ、ナレーター専門の人だよ」
「四階でございます」
 アナウンスとともに、扉が開く。
「うん、この動き。油圧、最高……」
「ゆあつ?」
 僕は彼女の言っていることがわからなかった。とりあえず肩を貸した状態で僕は目の前の階段を上る。
「後付け外付け踊り場付けだからしょうがないかぁ……」
「何の事言ってんの? 確かにこの団地は築四十年ぐらいで、エレベーターは大体十年前ぐらいに階段の踊り場に強引に付けた奴だから変な位置にあるけどさ」
 僕は彼女に軽く説明してやる。
 十段ほど彼女と一緒に上がり、僕は鍵をポケットから取り出す。ガチャガチャと扉を開けると、僕は家に入る。どっこいしょと彼女を降ろし、
「靴……、脱げない……」
 とのたまう彼女のためにスニーカー(ブランド物で僕よりいい靴履いてる)を脱がす。
「ええと……、名前、きいてない」
 玄関で座り込んでいる彼女がそんなことを言う。
「僕? 僕は樫野有(かしの・ゆう)、君は?」
「大元彩乃(おおもと・あやの)」
「大元さんね、了解」
 やがて大元さんはよろよろと立ち上がったので僕は肩を貸す。
「もしかしなくても……、下着濡れてるよね」
 僕はとりあえず聞いてみた……、視線をそらしながら。
「……うん」
「恥ずかしいこと聞いてゴメン」
 僕は頭を下げる。
「お風呂貸すよ。妹居るから、下着ももらってくる」
「あ……、うん、ありがとう」
 彼女は頭をこくんと下げた。
 彼女を玄関すぐそばにある脱衣所に押し込むと、僕は扉を開け台所を通り過ぎ、居間にあるふすまの一つをどんどんと叩く。
「あやか、いるか! 頼みがある」
「なんだよ、兄貴」
 ガラッとふすまが開き、一つ年下の妹、あやかが現れた。
「お前の新品のパンツくれ」
 僕は単刀直入に言う。
「……は?」
 あやかは一瞬あっけにとられたような顔をし、すぐに自分の部屋に戻る。そして返事は……英和辞典だった。
「おわぁ! 危ないな、何するんだ!」
 僕は両手で辞典を受け止めて怒鳴る。
「それはこっちのセリフよバカ兄貴! 妹の下着でいかがわしいことをしようとか、何考えてんのよ!」
「誤解だ!」
「そうよ、ここ五階よ!」
「落ち着け! 理由を見せる!」
「……みせる?」
 僕の言葉にあやかは興味を示し、言葉が落ち着きを取り戻したようだった。
「風呂に来い、客がいるんだが」
「客って、女の客? まさか」
「そのまさか」
 僕は部屋を離れて歩き出し、あやかはついてきた。廊下を渡り、脱衣所のドアをちょっとだけ開け彼女を見せる。
「同じ学年の大元彩乃さん。理由あってうちの前で倒れてたから部屋に連れてきた。下着汚れてるからお前の新品の下着を彼女にあげてほしい。なお代金は俺が実費で払う、以上」
「そういうこと……、って、兄貴、あんた彼女にいかがわしいことしてないよね、というか、いかがわしいことして下着汚れた、じゃないよね」
「レイプ魔がわざわざ風呂貸すと思うか?」
 僕は正論を吐く。
「それもそうか、わかった」
 あやかはドスドスと板敷きの廊下を歩いて去っていった。ほどなく、再びドスドスと音がしてあやかが再び現れる。あやかは手に小さな布の塊を持っていた。あやかは持ってないほうの手を差し出す。
「七六〇円」
「……何枚組で?」
 僕はあやかを睨んで言う。
「ちっ! 何で知ってんのよ」
 あやかは舌打ちしたあと僕に向けて手を広げてみせた。
「五枚組か、一枚一六五円」
 僕はポケットから財布を取り出し、中から五百円玉を取り出した。
「手数料込」
「ふん」
 僕の手から五百円玉を取り上げた後、あやかは僕の手に小さな布の塊をくれた。僕はそれを手に脱衣所の奥にある自分の部屋に入り、ベッドに腰かける。
「なんか台風みたいな子拾っちゃったなぁ……」
 一人ごちる。
「僕もオタクだけどさ」
 僕は部屋を見上げる。部屋が狭いんで天井にアニメのポスターが何枚か張ってある。これ、たまにはがれて落ちてくるんだよな。昔々のマンションで天井が低いからできる技だ。
「あそこまで『濃い』子はまずいないよなぁ……」
 そんなことを想いながら、水着の女の子が笑みを浮かべてる絵を見ていると、どたどたと部屋の外から音がした。あやかかと思ったら、扉をバン、と開けて出てきたのは大元さんだった……、全裸の。
「有君、お風呂の使い方、分かんない」
「だぁー!」
 僕は顔を両手で隠す。けど見えちゃう。張りのいいおっぱい、薄いアンダーヘアー、そして立派な太もも……、!
「あーにきっ! 何してんだ!」
 そして大元さんの後ろから、最悪のタイミングであやかが現れる。
「ここは五階、これは誤解!」
「天丼やってんじゃないわよ!」
 大元さんを押しのけ、俺の襟をつかんであやかがすごむ。
「まーまーまー」
 大元さん、裸のままで沙也加の肩に手をかける。
「ええと、大元さん! こいつに襲われたんですよね? ええ、今からコイツをシメてご両親のところに謝りに行きますから!」
「あの!」
「おわぁ!」
 大元さん、あやかの耳元で大声で叫び、俺の襟を握った手が緩む。
「落ち着いて聞いてください」
 大元さん、凄みを聞かせた笑顔であやかに話しかける。
「レイプ魔がいちいち服をひん向くと思いますか?」
 ぶっ。なんつー説得だ。
「……それもそっか……」
 そしてお前も納得するな。
「お風呂の使い方がわからなかったので有君に聞こうと思って部屋を訪ねただけです」
「だったら、バスタオルぐらい巻こうよ! タオルの場所、わからなかった?」
 あやかが正論を言う。
「有君に見られて恥かしいものなんか持ってませんし、あやかさんは同性ですよね?」
 大元さん、にっこり。
「……僕は、恥ずかしいです」
 僕は俯いて、言う。
「有君、一緒にお風呂入ろ? 操作方法教えて?」
 大元さんはあやかを押しのけ、僕の手を取る。
「え、いや、先ほど誤解されたばかりで、ついでに、君とは、先ほどあったばかりで、あの」
「据え膳食わぬは男の恥ですよ~」
 そう言って大元さんは僕の手を強引に引っ張ってきた。そしてあやかを押しのけ、大元さんは僕を風呂場へ連行していく。そしてあやかは自分の部屋へ戻るらしい、台所の方にいった。
 僕はずるずると風呂場に連れていかれる。そしてガラッと大元さんは風呂の扉を開けた。中は幅八〇センチほどの小さな風呂桶と、その横にでっかいバランス釜っていう風呂釜が座っている。確かに、これは操作方法が難しい。
「とりあえずつけてみるね」
 僕は脱衣所で立つ彼女の前で実演してみせる。
「一、操作つまみを押して種火まで回す」
 僕はつまみを押して機械の表面に炎のマークがついてるところまで回す。
「二、点火ハンドルを回す!」
 僕はバババババ! と小さいハンドルを回す。
「三、窓に青い炎が見えたら五つ数えてつまみから手を放す。青い炎がまだ見えてたら、シャワーまで回す、と」
 僕は機械の正面にある小さいガラス窓に青い炎が見えたらつまみから一度手を放し、火が消えないことを確認したら機械の上の『シャワー』までつまみを回した。
「はい、これでシャワー使えるよ。あとはこの棒みたいなハンドルをシャワーの方に回せば……」
「有君、一緒に入ろ?」
 大元さんはそういって僕のズボンを脱がそうとする! やばい!
「いや、そういう関係はもっとお互い知ってから……」
「今すぐ隅々まで知りたいの!」
 がちゃ!
 更衣室の扉が開き、あやのが再び姿を現す。
「頼む! 大元さんを引きはがしてくれ!」
 我ながら情けないと思ったけど、僕はあやかにヘルプを求めた。ちょうどあやかは大元さんの真後ろに立っている。引きはがしてくれるはずだ……。
「はい」
「おやこれは」
 おい貴様、今大元さんに何を渡した。アルミの薄い包み紙に覆われたそれはいったいなんだ!
「せめて避妊してね」
「やっぱりコンドームかぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 なぜ貴様がそんなものを持っている?!
「お幸せに」
 がちゃ。あやかはそう言って出て行った……、って、おい!
「ということで妹さんの許可ももらいましたしぃ~」
「あああああ!」

 僕はこの日、大人の階段を上ってしまった。
 
 風呂場での一戦の後(大人がアレをすることを一戦交えるなんて言いまわしするのがよく分かった)、僕は自分の部屋で大元さんにエレベーターに関する講釈を延々聞かされた。
「日本には五つの大手会社があって、みんな乗り心地が違うんだよ。三菱日立東芝オーチスフジテックSECクマリフト! 全部違って全部いいの!」
「ちょっと待って」
 僕は指を折って数え、思ったことを口にする。
「今会社、七つ言わなかった?」
「うん」
 彼女は嬉しそうに頷く。
「まずSECとクマリフト以外の五つでエレベーターの市場の九割握ってるの。それとSECは本業はエレベーターの修理点検する会社だし、クマリフトは工場や倉庫用リフト、人間が載らない奴ね、を作ってるとこなの。あとね、小さい鉄工所とかが家庭用エレベーターとか作ってるけどめったにそんなとこの製品は出くわさないわね。公園とかで超マイナーメーカーが車いすで階段上るためのリフト置いてるぐらいね」
「なるほど」
 よくわからないけど頷いておく。
「マイナーな会社の中には超メジャーなのに超マイナーって会社があって。船用のエレベーターを作ってる潮冷熱、本職は船用の大きな冷蔵庫作ってる会社なんだけど、ここの会社のエレベーターは、貨物船とかならいくらでも積んでるのに陸上にはここ製のエレベーターが無いの。普通の人が乗ろうと思ったら、愛媛と大阪を結んでる夜行フェリーに乗るしかないんだよ!」
 大元さんが力説する。一体、何が彼女を駆り立てるんだろうか。
「エレベーターは巻き上げ式、電気のモーターでロープで吊るす普通の奴ね、と油圧式、水圧式と原理があってね。大好きなのは油圧式なの。普通のエレベーターと違って、油圧シリンダーでウィーンと動くんだよ。エレベーター揺さぶったら縦にゆらゆらと動くから一発でわかるんだ。機械室が油臭くなるし油漏れが大変なんで十年以上前に製造が終わったんだけどね」
 は、はぁ。身振り手振りで説明する大元さんを僕は茫然と聞いてるしかなかった。
「だから私、自転車で今市内のビルやアパート、雑居ビル廻ってエレベーターに乗りまわっているんだ。油圧式とかマイナーなメーカーがあったらいいなーと思いながら」
「なるほど……」
 台風のように一気にまくし立てる大元さんに、僕はただただ圧倒された。
「日本の法律では建築基準法という法律で、エレベーターは高さ三十一メートル以上の建物に必ずつけることが義務付けられてるんだよ」
「へー」
 彼女はエレベーターだけでなく、エレベーターを取り巻く環境についても詳しかった。
「マンションは年月が経つと価値が落ちるんだよ。そこで外にエレベーターをつけて価値を上げるなんてことをすることがあるの」
「だけど、それやるとものすごくお金かかるし、最初ついてないのに強引につけるのって手間かかるんじゃない?」
「そうだよ」
 大元さんは満足そうに説明する。
「だからお金かけないためにね、『後付け外付け踊り場付け』、各階の階段の折り返しにある踊り場にエレベーター用の乗降場を設けて、エレベーターつけるんだよ。こういうところは油圧が多いの。油圧は小さいエレベーター向けの機構だから」
「へぇ」
 彼女は今僕の机の椅子にまたがって胸を背もたれに付けて話している。一方僕はベッドに座って話を聞いている。
「それでもね、なかなかこういう工事してる所なくて、あっても電動だったり。それでようやくここで油圧見つけたの。そうしたら油圧と一緒に運命の人まで見つけて初体験、今日は超ラッキー!」
「運命の人って、大げさな……」
 僕は照れて横を向く。すると、突然彼女が俯いてしまった。
「……変な子でごめん」
 じ、自分で言うんだ。先ほどさらっととんでもない発言があった気がしたが、それは脇に置いておく。
「いや、全然、気にしないよ」
 僕は手を振って答えた。
「だけどさ」
 大元さんはそう言って僕をじっと見つめる。眼鏡越しの瞳が、すごくきれいだ。
「ここで助けられたのって、運命だよね。あたしは、そう信じてる」
「そうかなぁ」
 僕は首を捻る、そして尋ねてみた。
「君、○○高校だよね。何組?」
「一組」
「僕は二組。道理で見たことないと思った」
 僕は彼女を初めて見た。学校で見たことが無いと思ったら、隣のクラスの子だったわけだ。まぁ、僕は一部の人間以外とは話さないし、話したくもない。本当ならば、女の子と話したくない。
「僕がいいっていうけどさ、僕は君が思ってるよりひどい人間だよ?」
 僕は真顔で返す。普通の女の子なら、僕を知っていたら逃げ出すはずなのだ。僕の別名を知っていたら、特に。
「絶対に! 悪い人じゃないというのはわかるし。あの時襲わなかった上に家まで連れて来てくれたから」
 大元さんははっきりと答えた。
「ところでさ、有君ちのお父さんお母さんは?」
 大元さん、話題を変えてきた。
「共働き。二人とも帰るの遅いよ」
「じゃあさ、もう一回する?」
 そう言うと大元さんはベッドに座る僕にのしかかってきた。
「ちょ、ちょっと!」
「さっきは帽子かぶってたから、今度はなしでいただきます」
 大元さんは舌なめずりをして言うと、着ているトレーナーのズボンの腰に手をやる。
「ヤバイヤバイ、それはやばいって!」
 がちゃ。
 こんなときに扉が開く。その向こうには妹。やった、救いの神だ!
「あやか、悪い。大元さんどかせてくれ!」
 ……情けない声を上げたと自分でも思う。
「兄貴は『キチメガ』でしょう? 女の子に暴力ふるうのはお手の物だと思うけど」
「あの時と状況が違う!」
 僕は必死で訴える。
「大元さん、ゴム持ってこようか?」
「あ、あやかー!」
 なんてこと言いやがりますか。
「今度は生でいただきます」
 そう言って舌なめずりする大元さん。それは女の子が言うべき言葉ではないよー!
「避妊しないとやばいよー」
「あやかさん、質問」
 妹を大元さんは止める。よろしければ、僕との行為も止めてくれませんか。
「お兄さんは性病持つような人ですか?」
「そんな甲斐性はないね」
「おお……」
 妹に、兄として、というより男として、いや人間としての尊厳を奪われました。
「あやか~!」
「あと、あたし、女の子の日は明日か明後日ぐらいの予定」
 大元さんは勝ち誇ったように言う。
「安全日だね、お幸せに」
 そしてあやかは手を振って去っていった。
「ということで、いただきまーす♪」
「はうっ!」

 僕は知った。
 漫画と違い、ずらして入れると痛いんだ。男の僕の方が。

「もう日が落ちちゃったよ?」
 もう一戦の後も僕たちは話し込み、気が付いたら外はもう暗かった。なお僕の部屋は窓があるが、あやかの部屋は窓がない。すまぬ妹よ、先に生まれた特権だ。
「ん~。じゃあ家に帰るね。ありがとう」
 残念そうにそう言うと、大元さんは立ち上がった。
「大元さん、送るよ、家まで」
「送ってくれるの? うん!」
 大元さんは嬉しそうに言うと、ベッドに畳んであった自分のブレザーを羽織った。僕も立ち上がる。
「あやか! 大元さんを家まで送ってくる」
 僕は部屋を出るとそう言って大元さんと家を出た。階段を少し下り、踊り場からエレベーターに乗る。一階を押すとエレベーターはそろそろと降り始めた。
「ほら」
 大元さんはエレベータの中で膝を曲げ伸ばしエレベーターを揺らす。するとエレベーターは動きながらも『縦に』籠が揺れた。確かに普通のエレベーターではない動きだ。
「これが油圧エレベーターの最大の特徴なの。さっき出てきたオーチスって海外のエレベーターの会社が今水圧式ってのを作ってるんだけど、これがこんな動きするわね」
 ……ものすごくマニアックなことを言ったと思う。
 やがてエレベーターは地上につく。僕たちは自転車置き場に向かう。彼女は僕の自転車が置いてある自転車置き場に置いていた……、って、なにそれ?
「どうしたの?」
 彼女の自転車の後輪にはぶっとい鉄パイプでできたU字錠がはまり、更に自転車には前輪にもチェーンの鍵をかけていた。
「厳重過ぎない?!」
「高いもん」
 彼女はぷっと頬を膨れさせ、言う。彼女の自転車は暗がりの中、それでも街灯でその姿は見えた。灰色のマウンテンバイクぽかったが、なんと前輪のフォークが片方しかない。タイヤの片方のみに自転車の前輪を支えるフォークがあるが、反対側にはない。
「こ、これ! 壊れてるの?」
「あ、もしかして片持ちフォークのこと?」
 鍵を両方とも外し、ずりずりと自転車を引きずり出した大元さんが笑う。
「これはこういう自転車なの。キャノンデールっていうアメリカ製の自転車なの」
「へ、へー」
 海外製の自転車……、高そうだ。僕の自転車、某量販店で買った二万円の奴だ。恥ずかしいと思いながらも愛車のママチャリを引っ張り出す。
「じゃあついてきて」
 彼女はそう言って走り出し、僕もついていく……、って、速い速い! 向こうはすいすい走ってるのにこっち全力だよオラァ!
「速すぎるよ~!」
 思わず泣き言をいう僕。はるか前で停車した彼女は僕の方を振り向き言った。
「小野田坂道くんはママチャリで時速二十キロ以上を平気で出してたよ?」
「漫画と一緒にするなぁ!」
 思わず突っ込む僕。大元さん、大体坂道くんは後ほどちゃんとしたロードバイクに乗り換えてますから。というか全国二回制覇した怪物と一緒にしないでください。
 結局、大元さんが休み休み走り僕が全力で追いつくという行為を繰り返すことで、どうにか彼女の家まで送り届けることができた。自転車でうちから三〇分はかかるようなところに住んでいた……というか、電車通学してもおかしくないぐらい遠いところに住んでた。自転車、いいのを持っていたのもそのせいかなぁ。

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 次の日の朝。僕は学校の教室で、その日は珍しく早く来ていた康孝君の所に行く。康孝君は取り巻き三人と話をしていた。
「おはよう」
「え、お、オタメガ? お、おはよ」
 康孝君の取り巻きが、ちょっとビビったように挨拶を返してくれる。
「どうした、樫野? てめえから声かけるのは珍しいじゃねぇか」
 西脇康孝(にしわき・やすたか)君。僕と同じ中学校で、今も僕に声をかけてくれるただ一人の子。親しいんだけど、友人か? と問われると、うーん、となる。いつもは向こうから一方的に話しかけてくれるだけだしね。
「うん、康孝君。実は自慢しに来た」
「ほほう」
 僕は笑顔を見せる。その笑顔に康孝君の取り巻きは引く……、引かないでよ。
「なんだ、自慢ってのは」
 僕が声をかけたのが珍しくて、康孝君は乗り気っぽく僕に尋ねてくる。
「自慢かよ、なんでぇ」
 取り巻きの一人が残念そうに言う。
「だけど自慢しに来るのは珍しいよな。成績は自慢したことない癖に」
 別の取り巻き君がそう返してくれる。
「実はね」
 僕は話題を切り出す。
「彼女ができた」
 一瞬の静寂。そして絶叫。
「「「「嘘ダッ!」」」」
「鉈持って言いそうなこと言わないでよ」
 僕は耳を塞いで言い返す。教室中がびっくりしてこっち見てるじゃないか。
「いやだってオタメガだよ?! 『あの』オタメガだよ?!」
 取り巻き君の一人が言う。確かに、『僕』が彼女を作るとは考えられないだろう。彼らは僕の『昔』を知っている。
「『あの』、お前が女に興味あるとはねぇ……」
 康孝君、物珍しそうな顔で僕の顔を見ている。
「どこのだれだよ?」
「うちの学校の同じ学年、一組の大元彩乃さんって子」
 ちなみにうちは二組だ。
「「「「おおもと?」」」」
 康孝君御一行は誰もピンとこなかった。僕も知らなかったし、やっぱ地味な子なのかな?
「眼鏡かけてて、僕と同じぐらいの背丈で」
 言ってて悲しくなってきた。僕の身長は一六二センチだ。
「すごい高そうな自転車乗って……」
「「「「チャリメガだ!」」」」
 康孝君たちが一斉に声を上げる。
「ちゃりめが?」
「おい、ちょっと来い」
 康孝君が僕の手を引っ張り立ち上がる。康孝君御一行と僕はそのまま教室を出て、隣の一組に来た。そして僕は『チャリメガ』の意味を一瞬でさとる。
「あ゙ー……」
 一組の教室に立てかけてあるでっかい灰色の袋。一発で中身はあの自転車だとわかった。
「それでチャリメガなんだ……」
 というか、もう大元さん来てたんだ。あとで会いに行こう。
 僕たちは教室の康孝君の机に戻る。
「ああいう奴さ。自転車か高価だからって教室に持ち込むんで、チャリで眼鏡だからチャリメガってあだ名がある。本名は悪い、初めて知った」
 康孝君が説明してくれる。
「僕がオタクで眼鏡かけてるからオタメガと一緒だね」
 僕は苦笑いして答える。
「だけどさ、あいつはまずいだろ」
 取り巻き君の一人が不安そうな顔をしている。
「一組と言えばさ、あの女王様」
「あー、あいつか、安芸幸穂(あき・さちほ)」
 取り巻き君たちの間で言いあってる。安芸さんは僕も知っていた。学年でもトップクラスでいいとこのお嬢様、取り巻きも多いと聞く。あと、あんまりいい噂を聞かない。 
「チャリメガ、あいつのグループと仲が悪いって聞くな」
「ふーん……」
 まだ一日だけのお付き合いだけど、あの性格じゃ確かに、安芸さんとは合いそうにないというのはわかる。
「女のいじめは陰湿だからな、いやだいやだ……、って、悪い。嫌なもん思い出させるな」
 取り巻き君の一人がそんなことを言い、僕に謝る。
「そうだね、いい気分はしないね」
 僕は表情を消して答えた。
「怖いねぇ、『キチメガ』」
 さっき謝った取り巻き君が僕のもう一つのあだ名を言う。
「その名はやめて。みんな引く」
 もう一つのあだ名。これのせいで、同中の子は誰も僕に話しかけてくれない。そして教室も静まる。
「……本当に悪い」
 彼は謝ってくれた。よかった。
「でさー、おまえ、やったの?」
 話題を変えるように、康孝君が大声で言う。大声はやめようよ、恥ずかしい。
「実は……」
 僕は恥ずかしそうに答える。
「あったその日に上に乗っかられて……。彼女、肉食系で……」
 一瞬の静寂。そして絶叫。
「「「「嘘ダッ!」」」」
 だから、鉈持って言いそうなこと言わないでよ。ほら、みんなまたこっちに注目してるし!
「いいなー、彼女から迫ったとか、ウラヤマシス!」
 取り巻き君がうらやましそうに言う。
「すげえ、のしかかられたのか……、いいなー」
 康孝君がうらやましそうに言う。
「俺の彼女、なっかなか、やらしてくれないぜ!」
「おれたちなんか、そもそもいないぜ!」
「あおーん!」
「オタメガに、負けたぁ!」

 キーン、コーン、カーン、コーン……。

 予鈴が鳴る。
「また後で」
「おう、ちゃんと話聞かせろよ!」
 これは、彼女との話をえんえんさせられるな……。

 昼休み。
「樫野君いますかー?」
「おお、彼女来ましたねー」
 僕が康孝君と取り巻き達に僕の初体験について問い詰められてるころ、大元さんが教室の外にやってきた。背中にはでっかい銀色のバッグ……、って、え? 自転車を背負って来てるの?!
「噂通りの、チャリメガ……!」
 取り巻き君の一人が呆然とした表情で大元さんの格好をみて言う。気持ちはすごくわかる。
「ものすごい高価な自転車って話は聞いたことある」
「いくらぐらいなんだろうな」
 どうも大元さんが『チャリメガ』なんてあだ名があるのは、こうやって移動時にいつも自転車を背負ってるからみたいだった。
 そういってるうちに、彼女は教室に入り込み、ずかずかずかずか! と僕たちのところに来た。
「有君、ごはん一緒に食べよ!」
 大元さんは僕の手を引っ張る。
「ひゅーひゅー」
「やけるねー」
「お幸せに―」
 取り巻き君たちが僕たちを冷やかす。
「でさー、チャリメガちゃん。樫野とのエッチはどうだった?」
 康孝君が嫌らしいことを大元さんに尋ねるが。
「昨日は有君、激しくて。ねー♪」
 大元さんは僕に笑顔で語りかける。そして。
「妹さんがいなかったらもう一晩中したかったぐらいだったよ?」
「くそがー!」
「地獄に落ちろー!」
「サツバツ!」
「ハイクを読め!」
 康孝君たちに浴びせかけられる罵声……、まって。今さりげなく死ねって言われなかった? 僕たちは逃げるように教室を出、そのまま校舎を出る。外は春の陽気に包まれ、暑いぐらいだった。
「ここで食べよ」
 ドスン。そんな擬音が似合う座り方をして大元さんはコンクリートの地面にお尻を降ろす。場所は自転車置き場。彼女にある意味ふさわしい場所かもしれない。
「えへへへへー!」
 そういって彼女はお弁当箱を取り出す。お弁当箱といっても、彼女の物はかわいらしいキャラクターが書かれたどんぶり型のランチジャーだった。それと別にタッパウェアで果物も持ってた。
「ええと……、もしかして、いっぱい食べるなぁ、って、思った?」
 大元さん、うつむき加減にぼそぼそと、僕に聞く。
「い、いや、そんなことはないよ……、よく食べる子、僕は好きだよ」
 そう言いながら僕はハンカチをおしりに敷いて大元さんの隣に座る。
「やった! 有君好き!」
 そういって大元さんは僕に迫ってくる。顔を近づけ……、これは、キスのお誘い?
 僕はどぎまぎしながら大元さんの顔によっていくと。
「ひゅーひゅー」
 声がして僕らが振り向くと、いかにもヤンキーなうちの生徒が三人いた。三年生かな?
「お熱いねぇ、お二人さん」
 そんなお約束の絡み方をしてくる三人組のうちの一人。しかし僕は慌てず立ち上がる。三人とも、僕の見知った人だった。
「先輩、こんにちわ。キチメガの樫野です」
 僕は笑顔を消して相手を見る。別に睨んではいない。しかし。
「あ、おう、なんだ、樫野だったか」
 先輩、僕に気が付いておろおろしながら答える。残り二人も僕に気が付いて引き気味だ。
「こちら、一組の大元さん付き合うことになりましたので。先ほどのイチャイチャは忘れてください。僕たちも自重しますので」
 僕は笑顔を作って言ってやる。
「お、おう、悪かったな」
 そう言うと先輩たちはそそくさと去っていった。
「す、すごいね、樫野くん。先輩らが避けて行ったけど……」
「む、昔ね。いろいろあってね」
 僕は大元さんへはその話はぼかした。言ってもいいけど、ものすごく引くだろうし、別れるなんて話になるかもしれない。まぁ、別にそれでもいい。また一人になるだけだし。
「そういやさ」
 僕は再び座りなおして、自分の弁当箱を開けながら大元さんに尋ねる。
「なんで自転車をいつも背負ってるの?」
「いたずらされたら大ごとだし」
 即答だった。
「ものすごい高い自転車なの」
「ものすごい高いって、どれぐらい?」
「七十五万円ぐらい」
 目が点になった。
「そ、そんな高いのに乗ってきてるの?!」
 大元さん、顔を真っ赤にして無言でうなづく。そのしぐさがかわいい。
「定期券より高くない?」
「これぐらいの自転車なら一生ものだっていうから買ってくれたの」
 すごい。もしかして大元さんの家は金持ちかもしれない。
「それで放課後は毎日、エレベーター捜して街を廻ってるの?」
「うん!」
 大元さんは満足そうに頷く。
「エレベーターってね、基本的にオーダーメイドなんだよ。ビルに合わせて、大きさ、速度、内装、タッチパネルの形まで変えられるの。だからね、一つとして同じものがないんだよ。それにね、年月経ったエレベーターは更新されてまた別物になって顔が変わるの」
 大元さんは好きなことになるとぺらぺらとしゃべるなぁ。
「あ、またやっちゃった……。普通の人はこんなに言ったらびっくりするよね」
 そう言ってしゅんとなる大元さん。
「いや、別にいいよ。オタクが自分の好きなことを、だー!! っていうのはわかるし」
 僕は慌てて大元さんをフォローする。
「う、うん。ところで、ねぇ……。聞いていい?」
 大元さんは眼をとろんとさせて、甘い声で囁く。
「有君の部屋に会ったアニメポスターの女の子と、あたし。どっちがいい?」
 ぐっ! 難しいことを直球で聞いてくる。まぁ、普通に考えて、答えは一つだよね。
「大元さんに決まってるじゃん」
「じゃあさ。あたしが『あのポスター捨てて、二次元と比べられるのがつらいから』と言ったら、捨てられる?」
 ぐわっ! もっと厳しいところを突いてきた。
「……捨てれる」
 うん。正直、強引で肉食獣なところがあるのは問題があるけど、大元さんはあのポスターの子らより魅力的だ。手に入れるのに苦労したんだけどね……涙。
「うれしい!」
 大元さん、ランチジャーを置いて両手でガッツポーズをとる。そんなにうれしいのか。
「じゃあさ、大元さん。僕とエレベーター、どっちか選べと言われたらどうするの?」
「エレベーター」
 大元さん、笑顔が消えて僕に顔を向け即答した。おい!
「有君とはまだ二日だけど、エレベーターは小学生になる前から好きだし」
「そ、そんな前からなの?」
 僕は自分が大元さんにとって趣味の次、ナンバーツーだという事実の宣告も忘れ驚いた。
「だからね、有君」
 大元さんは再び笑みを浮かべる。
「あたしのナンバーワンになれるよう頑張ってね」
 語尾にハートマークがついてる。絶対。
「はーい」
 僕はそれだけ言って自分の弁当を口にした。
 そこから先は二人とも無言だった。けど、一人で食べるより幸せだった。まさかそれから、たった三時間後に悲劇が発生することも知らずに。

。o○゚+.。o○゚+.。o○゚+.。o○゚+.。o○+.。o○゚+.。o○+.。o○+.。o○

「キャー!」
 六時限目が終わり、さあみんなで帰ろうという段になりどこかから悲鳴が聞こえた。
「一組か?」
 相変わらず僕を取り囲む康孝君御一行の一人がそう言う。
「大元さん……、ぽい」
 僕は立ち上がる。
「おう。面白そうだし、ついて行こうぜ」
 康孝君の言葉で、一組に向かう僕の後ろに康孝君御一行四人がついてくる。僕たちが一組に着いた時、異変に一発で気が付いた。確か一組はさっきは理科実習室での授業。客室には誰もいない。ゆえに。
「誰よ!」
 大元さんが教室で叫ぶ。教室の後ろにおいてある大元さんの大切な自転車を覆うカバーには、太いマジックペンでいたずら書きがされていた。『死ね』『ブス』『太ももお化け』などなど。……うーん、
「太ももお化けは認めるとしてブスはないと思うけど」
「冷静に見てるんじゃねえよ」
 康孝君に突っ込まれた。
「さあ。そんな高価なもん持ってきてる方が悪いんじゃないの」
 きつい声が教室に響く。声の主は、やっぱりきつい目をした女の子。もしかして。
「あれが安芸さん?」
「ああ」
 僕と康孝君はひそひそと話す。まだ僕たちは一組教室に踏み込んでいない。僕はポケットに入れたスマホを取り出し、とあるアプリを起動してポケットにしまう。
「大体、自転車置き場に置けばいいのに、勝手にここに持ち込んで。うっとおしいったらありゃしないじゃない」
 安芸さんは大元さんをそう責める。まるで大元さんが悪いみたいに。
「あんたみたいのが壊すからじゃない」
「誰が、いつ、壊したっていうの?」
 大元さんと安芸さんの言い争い。安芸さんは取り巻き引き連れてて言っていて、大元さんに分が悪そうだ。
「証拠がどこにあるのよ?」
 取り巻きの一人がそう言っている。僕たちは教室に入り、話をもっと聞こうとした。
「なんだなんだ!」
 教室に僕たちと別に頭が禿げ上がった中年の背広着た男の人も入ってきた。あれはたしかここの担任の先生だな。
「なんだ、大元の自転車のカバーにいたずら書きか」
 先生は大元さんの自転車を一瞥して言う。
「そうです」
「ざまぁないな」
 はい? 先生の言葉に、僕は自分の耳を疑った。
「教室に持ち込むからそうなるんだろうが。自慢げに乗ってこなきゃいい」
「そうよそうよ!」
 安芸さんの取り巻きの一人が先生の尻馬に乗ってる。って……、あれ? 取り巻きの一人、見たことあるぞ?
「康孝君、あれ」
「どうした……、って、え?」
 僕は康孝君に、さっきの子の方を向き小声で確認を取る。
「あれ、河島さんだよね」
「……間違いねぇな」
 あの子、僕たちと同じ中学だった河島さんだ。あの子は僕にとっては因縁ある相手だ。
 先生は勝ち誇ったかのように大元さんをなじる。
「大体、高価な自転車なんか持ってくる方が悪いんだ。これに懲りたら、学生の身分をわきまえ、普通の自転車に……」
「なんでですか? 『学生の身分で』って、何ですか? 学生は高価な自転車に乗ってはいけないという法律はあるんですか? 校則はあるんですか?」
 大元さんも負けていない。
「常識というものがあるだろうが!」
「常識って何ですか? 誰が決めたんですか?」
「先生のいうことが聞けないのか、君は!」
 先生は眼を三角にして大元さんに怒鳴る。なるほど、それが本音ね。僕もこの先生に頭に来たので、話し合いに参戦することにする。
「つまり先生は、自分が気に入らないから大元さんが被害者だというのに責められるんですね」
 僕は努めて冷静に、だけど大声で言ってやる。もう二人のすぐ近くだ。
「なんかね、君は?!」
 先生が僕に怒鳴る。
「二組の樫野、大元さんの友人です」
「大元に友人なんかいるわけないだろうが、この自分勝手わがまま女に!」
 自分の生徒に対してなんという言い方するんだ、このバカ教師。
「つい最近知り合ったばかりですからね。彼女の恋人、という言い方でも結構ですが」
 僕も頭にきて嫌味っぽく言ってやる……、あれ?
「ひゅーひゅー!」
「よく言った!」
 こら、康孝君御一行、僕を冷やかさないの。そして顔を真っ赤にして俯く大元さん、かわいい。安芸さんとその取り巻きは僕の発言を唖然として聞いている。
「いいですか。大元さんは自分の自転車カバーを汚されました。これは憲法二十九条、『財産権は、これを犯してはならない』が犯された状態であり、また犯人はそれを守るために制定された刑法の一つ、器物損壊の罪になります。よもや公民の受け持ちである先生が自分が憲法や刑法より上になると言いませんよね?」
 僕は言ってやる。
「なんだと! 学年主席だからといって、言っていいことと悪いことがあるぞ!」
「先生。それでは自分は学校では自分が憲法より上だと宣言したことになりますが、よろしいですか?」
 先生バカだなあ、生徒を馬鹿にしてないかな。周りの生徒がみんな先生を白い目で見てるよ。小中学生ならともかく、高校生相手にその論理は通用しないと思うよ?
「当たり前だ、学校は先生が一番偉いんだ!」
「ではその言葉、教育委員会で言ってもらいましょうか」
 僕はポケットに入れていたスマホを取り出す。
「録音アプリです。先ほどの安芸さんと大元さんとの会話から先生と僕の会話までを録音させてもらいました。これをしかるべき筋に出させてもらいます。市の教育委員会、県の教育委員会、何なら文部省の相談室に」
「な、あ!」
 先生、禿げ頭に脂汗垂らして絶句。一瞬あと、先生は僕のスマホめがけて手を伸ばすが、その前に僕はぽいっとスマホを康孝君に投げる。おお、康孝君、ナイスキャッチ。そのまま康孝君御一行は足早に教室を出て行く。あとは康孝君が適当にするだろう。多分パソコン部に持ち込んで先生の声がSNSで全世界デビューってパターンだと思うけど。
「あと、僕は大元さんと一緒にこれから警察署に行って被害届を出させてもらいます。器物損壊という犯罪の被害者ですので。警察はいじめでは動いてくれませんが、刑事犯なら動きますよ?」
 僕は安芸さん達の方をじろりとにらむ。おや、河島さんの顔が青いなぁ……、ふーん、もしかして、『生理』とか?
「大元さん、そこの河島さんって、今日教室にいたの?」
「確かお腹痛いと言って昼からは保健室に……、って、あれ。有君、河島さん知ってるの?」
 さらに顔が青くなるかあ、河島さん。僕はにやにやしながら河島さんに話しかける。
「お久しぶりです、河島さん。同じ中学校で二年の時同じクラスだった樫野だけど、覚えてる?」
 努めて普通に、声をかけてあげる。河島さんは歯をカチカチ鳴らして震えている。可愛いなぁ、もう一度頭をかち割ってやりたいぐらいに。
「大元さん、僕の彼女になったんだ。よろしく、仲良くしてあげて?」
 河島さんは無言で激しく頭を縦に振る。古傷が開いても知らないよ?
「大元さん、帰ろう? 警察行かないといけないし」
 先生はいなくなっていた。多分康孝君を追っていったんだと思うけど、無駄じゃないかなぁ。
「わかった♪」
 カバーを汚されたことなんか忘れたような軽やかな声で、大元さんは答えてくれた。彼女は自転車をよっこいしょと背負うと僕と一緒に教室を出た。
「一緒に帰ろう。今日は僕の家においでよ」
「したいの?」
 直球だ! 廊下で大元さんは肉食獣の笑みを浮かべて言う。怖いよ。
「違う。そのカバーの落書き消さないといけないでしょ」
「消せるの?」
「うん」
 僕は大元さんが背負ってるカバーに手で触りながら言う。
「このカバー、ナイロンだから油性ペンでもシンナーやベンジンでのくよ」 
「よかったー」
 大元さんは胸をなでおろす。
 二人で校舎を出て、自転車置き場によって僕の自転車取ってから正門を出ると、康孝君たちが待っていてくれた。康孝君はホイっと僕にスマホを返してくれる。
「おう、一組の先公。あれ、他の先生に掴まって職員室に連行されたぞ。まぁ、あれだけの騒ぎを起こしたんだからほかの先生も聞いてたんじゃないかな」
「だろうね。てことは」
「ああ、まだその中身はパソコン部には見せてないぜ」
「まぁ、学校の先生がたにはまともな人もいるし。その先生方に免じて提出はもう少し待ってみようか」
 そう言って僕は、にやにやしながらスマホをポケットにしまう。
「でさ、お前ら今からホントに警察行くの?」
「まさか。二人で僕の家に帰るよ」
「ヤるな?」
 康孝君がいやらしい笑みを浮かべながら言い。
「ヤるの♪」
 楽しそうに大元さんが返事したので僕は大元さんの頭に軽くチョップしてつっこむ。
「違うでしょ。このカバー、落書き消せそうだから僕の家でやろうって話。だから警察にはいかない。あいつらにはあれぐらいで勘弁しておく。十分冷や汗書いたと思うしね」
「丸くなったな、『キチメガ』」
「その名前やめて」
 僕は笑顔を消して康孝君を嗜める。
「昔なら椅子叩き込んでただろう?」
「あのときは」
 僕は康孝君がなんか勘違いしてるみたいなので説明する。
「殺すか、殺されるかだった。僕がその名の通りのキチメガだったらもっと早くやった」
「……それもそうだな」
 僕と康孝君のやり取りを、大元さんは不思議そうに眺めてた。
「ところでお二人さん。二人で共同作業の後はやっぱり夜の共同作業?」
「ぐへへ……」
 取り巻きくーん。どうしても、そっちに話を持っていきますかー。というか。
「言い方がおっさん臭いよー」
「ぐへへ、ですよー」
「そして大元さんは返事しない」
「あう」
 僕はもう一発チョップを決める。
「じゃあな。大元さん、今日のエッチの感想よろしくー」
「はーい」
 康孝君に大元さん、嬉しそうに答えて。
「大元さんは返事しない」
「あう」
 そんなやり取りの後大元さんは背中の自転車を降ろし、カバーを取り始める。大元さんが出発の準備ができたところで、僕も押していた自転車に乗った。
 鼻歌混じりで猛スピードの大元さんをママチャリで追いかけ、ようやく追いつくを繰り返しどうにか我が家というかマンションに着く。ああ、小野田坂道になりたい。
「大元さん待ってて、シンナー持ってくる」
「あ、どうせなら有君の家の玄関前でしようよ、あそこ広いし」
「……いいよ」
 どうせお隣さんは空室だ。階段の踊り場独占しても文句言われないだろう。僕たちはエレベーターに乗って五階につき、玄関前で大元さんが持ってきたカバーを広げる。僕は家に入って部屋からプラモデルの筆を洗うシンナーを持ってきた。
「これの生地ナイロンだからね、これでのくよ」
 僕はシンナーをぼろ雑巾に含ませ、カバーを拭く。すると書かれていた文字がみるみる消えていく。
「わー、すごい……」
 大元さんが感心しながら僕がやってるのを見ている。幸い、字で汚されたのは表向けていた片面で、もう片面は汚れてなかった。
「有君、ちょっと聞いていい?」
「なに?」
「『キチメガ』って、なに?」
 その言葉にカバーを拭いている僕の手が止まる。
「知りたい?」
 僕は表情を消して大元さんを見つめる。
「うん。さっきの河島さんを見る目が、すごく怖かった。絡んできた先輩たちを見る目も怖かったし、あの先輩たちの態度もおかしかった。それに、学年一のヤンキーと言われていた西脇君が親しく話してるとか、有君はおかしなところ多すぎ。教えて。有君のすべて」
「知らないほうがいいよ」
 僕はまじめに答える。
「知りたい。そのうえで、なお」
 大元さんの顔から笑みが消える。真剣な表情。そして。
「もっと好きになりたい」
 大元さんは覚悟を決めているようだ。
「この話を聞いたら……、君は僕を嫌いになる」
「それは」
 大元さんは僕の言葉に動じなかった。
「あたしが決めること、だよっ」
「わかった。もう止まらないよ」
 僕は意を決した。
「中学二年……三年前の話さ。僕は女子グループにいじめられていたんだ。河島さんはその時のグループの一人さ」
「うん」
 大元さんは頷く。
「机に落書きとか花なんか可愛い方でね。女子トイレに連れ込まれて殴る蹴るなんてされた」
「学校の先生は?」
「女にやられるお前が悪い、と聞く耳持たなかったよ。親もね。味方はあやか一人だった」
 確かに、我ながら情けないと思うけどね。しかし、大元さんはこんな僕に同情してくれる。
「酷ぉい……、それで不登校になったとか?」
「勉強は好きだったしね。それでもしつこく通ってた」
「え」
 大元さん、眼が点になる。だよね。
「その女子のリーダーがなんでいじめてたかというとね、僕の方が成績がいいのが気に入らなかったんだ。なんでも一番でないと気に入らない子でね。証拠はないけど、目障りだからって絡んできた康孝君を道路に突き飛ばして車に轢かせたとかもしてる」
「交通事故?!」
 本気? 大元さんの顔にはそう書いてあった。
「足の骨折った重傷さ。そこからもう誰もその子に逆らう奴はいなくなった。中学のころからヤンキーだった康孝君が事故の後おとなしくなったんでね、先生は気をよくしてみてあいつらのすることを見ぬふりさ。そして、あいつら、やりやがった」
「なにを」
 大元さんは興味深そうな顔をしている。正直言って、恥ずかしいんだけどね、情けない話だし。
「僕を五人がかりで女子トイレに連れ込むと、僕のズボンを脱がせて大股開きで僕のチンチンをスマホで写して、それをね」
 僕はそこで一息おく。
「次の日校舎の屋上から紙にわざわざ印刷してばら撒いたんだ」
「ええっ!」
 大元さん、さすがにちょっとだけ引く。しかしすぐに。
「有君のおちんちんは昨日じっくり見たけど、そのころの可愛いのも見たいなぁ」
「こら」
 物欲しげな笑顔を浮かべる大元さんの頭に僕は軽くチョップをかます。僕は真剣に話してるんだぞ。あと恥かしいんだからな。
「んと、ふつうそこまでされたら自殺とか考えない……、あ、もしかしてキチメガって……」
「気づいた?」
 僕は真剣な顔をする。
「あいつらね、僕を自殺に追い込んで葬式で馬鹿にしたいって僕の目の前で言い放ったんだ。僕がいるのも気が付かず。だからね。すぐに決めた。殺られる前に殺ってやるってね」
 大元さんも真剣な顔になった。
「あの時持った椅子は軽かったな。その言葉を聞いた次の瞬間、まず河島さんの頭に思いっきり教室の椅子を叩きつけたんだ。そして何が起こったのかわかってないあいつらに全員椅子で頭をぶん殴ってやった。そうしたらみんな倒れちゃったからさ、倒れてる子らの体にガンガン椅子を打ち付けてやった。気持ちよかったよ? リーダーの女には顔面に椅子を突っ込んでやった」
 僕はたぶん今、うれしそうな顔をしてる。
「先生が必死になって止めに入ってきて、僕はようやく椅子で殴るのを止めた。教室は血の海さ。パトカー呼ばれて、僕は鑑別所に入った。僕は正直に答えたよ、刑事さんに。いじめの全部。殺されそうになったことも。親も先生も相談に乗ってくれなかったことも。だからあの事は、僕は、全く後悔していない」
 努めて冷静に僕は言い、それから大元さんの方を見る。彼女は真剣な表情で僕の言っていることを聞いてくれていた。
「悔しいんだけど、あれだけボコボコにしてやったのに、誰も死ななかったんだよ。結果として人殺しにならなくてよかったと思ってる。もっとも、顔面に椅子を突っ込んでやったあいつは顔面がぐちゃぐちゃになって整形でも元に戻らないと言われたらしくてね、自殺しちゃった。バカだよ。人を自殺に追い込もうとして、自分が自殺しちゃった」
 ものすごく恐ろしいことを、僕は淡々と言えた。
「殺人未遂の罪で家庭裁判所に送られちゃった。あの五人、よっぽど他の子らに良い印象なかったみたいでね。僕のいじめを証言する人が多くて、特にあの股間の写真と自殺に追い込んで、っていう言葉を聞いていた子が多くてね。先生も親も味方してくれなかったというのも証言してくれた子がいたおかげで、一年少年刑務所に入るだけで済んだ。情状酌量というやつがあったらしい」
「だけど中学校、留年したわけじゃないよね」
 大元さんに僕は頷く。
「うん。そりゃだって刑務所でも勉強するんだよ? だけど中学校に帰ってきたら僕をいじめるような奴はもういなくて、それどころかヤンキーのヒーローになっちゃった。康孝君とはそれで仲が良くなった」
「それじゃヤクザだよ。お勤めご苦労様です! って」
 大元さんはそう言って笑うと、立ち上がって直立不動から頭を下げて礼をしてみせる。君は大物だね、僕は苦笑いするしかなかった。
「自転車置き場にいた三年の先輩は同じ中学の人でね、あの時の血の海を見てるんだよ。だからあんな反応。康孝君は自分も殺されそうになったからざまあみろ組で例外。僕に話しかけてくれる子は元から少なかったけど、帰って来てから康孝君しかいなくなっちゃった。中学卒業して、成績は良かったけど、言っちゃ悪いけど前科一犯を受け入れてくれる高校がここしかなかったんだ」
「じゃあ、その子ら、河島さんにも感謝だね。おかげで有君に会えた」
「え゙?!」
 こんな話聞いて、引かないの、大元さん?! すごくうれしそうに言いますね、あなた。
「うん、そんな樫野有君を、わたくし、大元彩乃は受け止めてあげます」
 大元さんは僕に、心の底からだとわかるような笑顔を向けてくれる。
「うれしいのはね、そんな怖い部分を『あたしのために』見せてくれたこと」
「……ああ、そういうことか」
 というか、考えがないと言いますが。
「だからね。安心していいよ。そんな樫野有君が、あたしは大好きです」
「……うん」
 僕はそう言って顔を大元さんに近づける。そして僕たちはキスをする。
「ぷはっ!」
「それじゃビール飲んだおっさんだよ」
 大元さんが息を継いだ時の声を聞いて、僕は思わず突っ込む。
「あ、有君にお願いです」
 大元さんが笑みを浮かべて、僕の顔を見る。
「大元さん、じゃなく、名前で呼んで」
「う、うーん、あ、彩乃さん?」
「呼び捨てでもいいのに」
 大元さんは僕の言い方に不満のようだ。
「だけど、呼び捨ては嫌だなぁ」
 僕は考える。
「じゃあ、『あーちゃん』って、呼んでいい?」
「あーちゃん?」
「漢字が違うけど、同姓同名のアイドルがいてね、その子のあだ名」
「うん!」
 あーちゃん呼びはいいようだ。
「でさ……、有君?」
「なに。あーちゃん」
 あーちゃんは僕に迫ってくる。
「もうきれいになったね」
 落書きが書かれていたはずの灰色のカバーは、僕の手によりだいぶきれいに拭き取られていた、ちょっと残っちゃったけど。
「ここで、しよ?」
 そう言ってあーちゃんはスパッツを降ろし始めた。はぁっ?!
「したくなっちゃった……」
「ちょ、ここは! 外だって!」
「どうせ有君のご家族しか来ないでしょ? だったら見られてもいいし」
「それはだめ!」
 そんなことをいい争いしてると、ガチャ、と玄関の扉が開きあやかが現れた。
「兄貴、大元さん」
「「はい」」
 僕たちはあやかの方を向く。
「ご近所に恥かしいから青姦はやめて」
「「ごめんなさい」」
 僕たちは二人であやかに土下座した。

。o○゚+.。o○゚+.。o○゚+.。o○゚+.。o○+.。o○゚+.。o○+.。o○+.。o○

 とりあえず僕は大元さん改めあーちゃんとお付き合いを始めた。しかし。
「これはないよねぇ……」
「ねー」
 僕たちは壁に張られた校内新聞を見上げて言う。校内新聞には
『学校史上最凶カップル爆誕、不良教師を粛正!』
 という大見出し。そして本文は。 
『新聞部の調べにより、二年二組の樫野有君と二年一組の大元彩乃さんがカップルになったことが確認された。二人は樫野君の自宅前でばったり出会い、その日のうちにお付き合いを始めるに至ったとのこと。これだけだとただのカップルなのだが、先日事件が起き二人を有名にした。
 大元さんには一組の女子グループになんと一組担任の○○先生がグルになっていじめが行われていたことが判明している。しかしこのいじめに対し樫野君が敢然と立ち上がり、いじめの証拠を録音。先生に突き付けてやり返したというのだ。この日の騒ぎは他の先生方に聞かれており、○○先生は職員室に連行、職員会議の上現在謹慎処分を受け教育委員会より正式な処分待ちとのことが校長先生より発表されている。
 樫野君は二年学年トップの成績。正直、わざわざこの学校に来なくても思うのだが、中学時代傷害事件を起こして進学校に進学できなくなり、我が高校が受け入れてくれたから来たと当新聞部記者に語っている。校内のヤンキー、不良と言われている生徒からは樫野君はこの事件から来た通称の『キチメガ』で知られ恐れられているという。樫野君自身は決してヤンキーなどではないがヤンキークラスタの知り合いも多く、既に複数のグループにあいさつ回りを終えたことを確認されている。このため、樫野・大元カップルは大元さんをいじめていた女子グループとの対決姿勢を強めたという観測がヤンキークラスタに流れており、その分析は我が新聞部も同意見である』
 うちの新聞部は作る校内新聞にしばしばゴシップ記事が載ることがあり、過去には先生同士の不倫をすっぱ抜いて先生のカップルを仲良く退職させたという話を聞いたことがある。
「よくこの内容で先生方に怒られないね」
「むしろ生徒しか知らない情報が載るから書かせているらしいぜ」
「あ、康孝君」
 僕たちのところに康孝君がやってきた。
「まぁ、樫野が停学とかにならなくてよかったぜ」
「ありがとう。僕もやり過ぎたとは思ったけど」
「椅子を叩き込むよりましかぁ」
 僕と康孝君は互いに見合って、ニヤリとする。
「言ってること、怖いよ~」
 あーちゃん、言葉と裏腹に顔がにやけてますよ。
「とりあえずあーちゃんをいじめる人は、もういなくなるんじゃないかな。こんな書かれかたしたら」
「そう信じたい!」
 あーちゃんは言う。多分心の底から。あーちゃんは強い子だけど、やっぱりいじめられてきた今までで不安はきっと、どこかにあるんだろう。
「んでさ、大元。例の女子グループはどうなってる?」
「え、安芸さん達?」
 康孝君に尋ねられ、あーちゃんはニヤリとする。
「今、すっごいもめてる~。教室出るときもめてたから、まだやってるかも」
「見に行こうぜ?」
「趣味悪いよ」
 と言いながらも、僕も康孝君も顔がにやけている。結局、三人で一組の教室に向かう。
 三人で入ると、安芸さんとその取り巻きがギャーギャー言ってた。今まさに、あーちゃんの話題だった。面白そうなので三人で耳を澄ませて、話を聞く。
「今まで陰キャで眼鏡で、自転車教室に持ち込むような変なやつが、なんで彼氏できるのよ?」
「……じゃああいつら、作る努力してるのか?」
「さぁ」
 取り巻きの一人かららしいその言葉に、僕と康孝君は互いに小声で突っ込む。
「大体、なんなの、あの、樫野だっけ? 河島は知ってんでしょ」
 この声は安芸さんだな。河島さんは俯いて、頭のてっぺんにある傷跡をみんなに見せてるみたいだ。
「あたしはね、おな中時代にあいつに、ここに椅子叩き込まれたの! 頭の骨が折れて、あと少しで死ぬところだったわ! あたしで全治三か月、他の子も最低一か月は病院入ってたわよ。あいついじめてたリーダーだった奴なんか、あいつ、信じられる? 女の子の顔に椅子の脚突っ込んだのよ。顔面ぐっちゃぐちゃ」
 そう言うと河島さんは僕たちの方を向いた。僕たちに気が付いたようだが、話を続ける。
「そりゃ酷かったわよ。あんな顔じゃ死んだ方がましね。実際あいつ自殺しちゃったけど」
「弱かったんじゃない?」
「だったらあんたも顔を椅子で潰されたら」
 河島さんは顎でしゃくって僕たちがいることを示す。安芸さんグループは一斉に僕たちを見た。
「あに盗み聞きしてんだよ」
 安芸さんがすごんで僕たちの方を向く。
「負け犬の遠吠え聞いてただけだよ」
 僕もやり返す。というか喧嘩売ってるな。
「誰が負け犬よ!」
「先生はもういないよ」
 僕はニヤリとして返す。その言葉に安芸さんと川島さん以外の三人が少し体を引いた。
「別に僕が手を下さなくても、君たちダメだったんじゃない? あの先生、校長先生の話だとだいぶ前から目をつけられてたみたいだったし」
 カバー落書き騒ぎの次の日、僕とあーちゃんは校長室に呼び出された。やりすぎて停学か、最悪放校処分も覚悟して行ったけど、校長室で行われたのは校長先生自らの謝罪と一組担任先生を謹慎させたという話だった。まぁ、一緒にいたうち(二組)の先生には、
「お前、あんまり先生をいじめるなよ」
と軽く冗談めかせて怒られたけど。
 校長先生の話では、正式な処分は教育委員会がするけど一か月ぐらい時間を置くらしい。それから教育委員のえらいさんが記者会見して頭を下げ、一組の先生は長期間の謹慎という名の退職勧告、生徒、つまり僕と大元さんへは学校が謝罪済みであり心のケアを務めるという発表をすることになっているそうである。そのため、もしテレビや新聞、雑誌の記者が来たら口裏を合わせてほしいということだった。僕としては学校には入れてくれた恩はあるし、一組の先生が正当な罰を受けたので文句はなく快諾した。あーちゃんも同じく。
「聞いたよ。一年の時は別の子を退学させたって、あの先生とつるんで。そんなこと続けられるわけ、ないじゃないか」
「うっさい! あんまりふざけてっと、てめぇ、殺すぞ?」
 安芸さんが女の子らしくないことを言う。仕方ないので、僕は椅子を軽く彼女らの方にぶん投げてやった。距離があったのでみんな避ける。がぁん! と大きな音を立てて椅子と机がぶつかる。
「わー!」
「きゃー!」
 悲鳴と共に一組の生徒たちがわらわらと外に出て廊下から窓越しに僕たちを見守る。
「殺すなんて、滅多なこと言わない方がいいと僕は思うな」
 僕は二個目の椅子を手にかけ、笑顔を向ける。
「僕みたいに少年刑務所に入る覚悟も持ってなければ、やめた方がいいと思うよ」
「ストップ、ストップ!」
 河島さんが慌てて僕と安芸さんの間に割って入る。
「あ、あたしたちが悪かったからさ、押さえて」
 そう言うので僕は椅子から手を放した。
「しょうがないなぁ。河島さんに免じて、やめてあげる」
「河島ぁ!」
「安芸さん」
 安芸さんが河島さんをなじるように呼ぶので、僕が制止する。
「友達に感謝するべきだよ」
 やっぱり僕は椅子に手をかける。いつでも投げられるように……、ここからだと河島さんに当たるなぁ。
「ふん!」
 安芸さんはそう言って教室を出て行った。慌てて取り巻き三人が安芸さんを追う。
「てめぇ、必ず殺してやる!」
 捨て台詞を残して。
 教室には河島さんと僕たち三人が残った。河島さんは、青ざめてる。
「河島さん、大丈夫?」
 声をかけたのはあーちゃんだった。助かった。僕が声をかけると、河島さんおびえてしまう。河島さんはあーちゃんの方に顔を向ける。
「本人いる前で言うのもなんだけど……、大元さぁ、キチメ、いや、樫野が怖くないの?」
「キチメガでいいよ」
 僕は苦笑いする。河島さんにとっては正に僕は、キチメガだから。
「全然」
 あーちゃんは心底不思議そうに言う。
「え?」
 河島さんはあっけにとられてあーちゃんを見つめている。
「だって、有君、この前の時も、今日も、あたしのために怒ってくれたんだよ? なんで怖いの?」
「……そっか、そう言う解釈なんだ」
 河島さんは不思議そうな表情をする。教室には徐々に人が戻り始める。もっとも、みんな僕たちの話にこっそり聞き耳を立ててるみたいだ。
「河島さんはさ、なんで安芸さんのグループに入ったの?」
 僕はふと思って聞いてみた。自分のやってることは昔それでひどい目にあったという記憶があるはずなのに。
「えっと、キチ……」
「キチメガでいいってば」
 よっぽど僕のことキチメガって言いたいんだな。苦笑いするしかない。
「ううん、やっぱり樫野と呼ぶ。あの事件の後、あたし、転校したんだ」
「そういえば、僕が学校に帰ってきたときいなかったね?」
 僕は康孝君の方を向き、康孝君は頷く。
「あの教室見るたびに、あの頭に飛んでくる椅子を見るようになって、学校に行くのがこわくなった」
 僕は苦笑いする。
「転校した先に安芸がいたんだ。やっぱりあいつと同じことしてた」
 あいつって、多分自殺したあの子のことだろうな。
「止めなかったの?」
「あいつよりひどいことはしてなかったからね」
「自転車のカバーに落書きとか、十分悪質だと思うよ」
 僕は恨めしそうに河島さんを見る。
「まぁ、どこのガッコでも似たようなもんかと思いながらいじめに加わってた。やっぱ楽しいし」
「クズだなあ」
 康孝君が直球で突っ込む。
「言われてもしょうがないわね」
 河島さんはため息をつく。
「で、内申点悪くてここしか来れなくなった」
 うちの学校はいうなれば内申点が悪くてまともな学校に行けなくなった奴らの吹き溜まりだ。ヤンキーも多い。
「まさか樫野が一緒の学校って思ってなかった。西脇は目立ってたからさ、知ってたけど」
「悪かったな」
 西脇は康孝君の名字だ。
「でね、安芸とも一緒の学校になって」
「安芸さんって成績かなりいいでしょ? 僕の次か次の次ぐらいに」
「だからいじめがばれて、内申悪くてあいつもここにしか行けなかったんだってば」
 苦々しそうに言う河島さんに僕たちは苦笑いするしかなかった。
「気になってたんだけどさ、安芸ってあの先公と関係あったの?」
「ちょっと、康孝君、関係って……、まさか男と女?」
 康孝君の言葉にあーちゃん、目を丸くしてる。別に僕らの年代で援助交際とかする子もいるし、不思議ではないとは思うけどね。
「……あたしは、そんな気はするんだけどね。安芸のすることはみんな、あの先生見て見ぬふりどころか露骨に加わってたし」
 河島さんも、安芸さんのやってたことを全部把握してるってわけじゃなさそうだ。
「だけどさ、こうやって面と見て話すと、樫野って普通の男なんだなぁ」
 河島さんがそんなことを言い出す。
「ん? 普通?」
「ん~、いじめてた頃の樫野ってさ、もう、そう、人間というよりサンドバッグぐらいにしか見えてなかったから」
 僕はサンドバッグですか。
「やりかえされて、初めて人間と認識してくれた?」
 ちょっと僕はイラっとして返す。
「そこはある、認める。ごめん」
 河島さんは僕に頭を下げてきた。
「まぁ、僕みたいな静かなオタクがサンドバッグにしか見えないってわかるんだけどさ。あーちゃん、いや大元さんをいじめるきっかけは何だった?」
「先生の命令」
 河島さんが断言する。
「なんだよ、先公が生徒あおっていじめしてたのかよ」
 康孝君御一行の一人が吐き捨てる。
「そういえばさ。樫野って、大元さんをあーちゃんって呼ぶんだぁ、リア充爆ぜろってば」
 うらやましそうに河島さんが言い。
「わかる!」
 こら、康孝君。君も彼女いるよね?
「そうだそうだ!」
「爆ぜろ!」
 教室の他の子たちまで言い出した。外野、うるさいよ。
「でさー、大元さん」
 にちゃぁ、とした笑顔で河島さんはあーちゃんに聞く。
「樫野としたの?」
 直球ですね。
「聞きたい?」
 こっちも、にちゃぁとした笑顔であーちゃんか答える。
「毎朝、有君起こしに行ってそのままごちそうになってぇ、昼休みは学校のトイレでしてぇ、放課後は二人でサイクリングしてぇ、あとはあたしの家でたっぷりして、うん、毎日三回ぐらいかな?」
 ……やめて。僕は顔を手で隠す。康孝君と河島さんは口をぽかんと開けている。
「すげぇ!」
 どこかから驚きの声が上がる。
「絶倫!」
「化け物!」
「おまわりさんこいつらです!」
「うるさいよ、外野」
 滅茶苦茶恥ずかしい。
「大元さんが迫ってくるんだ―いいなー」
「俺も彼女とやりて―」
「大元さんって、もしかしてデルタベルンのスッポン女?」
「河島さん、今デルタベルンって言った子はオタクだからサンドバッグにしていいよ」
 僕は言ってやった。そして恥ずかしくなって僕たちは教室を逃げるように後にする。
「河島さんさ」
 廊下で僕はなぜかついてきた河島さんに声をかける。
「これから安芸さん達と付き合い続けるの?」
「どうだろ……」
 河島さんは思案顔だ。
「僕としてはさ、そのまま安芸さん達と付き合い続けてほしいんだ」
 康孝君とあーちゃんが驚いたような顔をして僕を見る。河島さんもだ。
「もし、あーちゃんに悪いことをしたと思ってるならさ……」
 僕はポケットからスマホを取り出し、その画面を見せた。

。o○゚+.。o○゚+.。o○゚+.。o○゚+.。o○+.。o○゚+.。o○+.。o○+.。o○

 自転車が違うと、風景も違うのか。僕は大元さん、いや、あーちゃんを追っかけて走りながら思う。今僕が乗っているのは、実は大元さんの親父さんからもらった? でいいのかな、自転車。

 僕はあれからしばらくしてあーちゃんの家を訪ねた。広い敷地の、でっかいお屋敷、というべきなんだろうか? 平屋なのになんで部屋が六つもあるんだろうか。そんなことを思いながら僕はあーちゃんに案内されていた。ここであーちゃんのご両親にお会いした。家のリビングで出会ったあーちゃんのお父さん、あーちゃんパパは作務衣を着た筋肉質の大男だった。
「がっはっは。まさか彩乃が連れて来たのが樫野君の息子さんとはな」
「??」
 確かに僕の名前樫野だけど、どうしたんだろうか。
「ああ、そうか。君はわしを知らんわな。わしは君のお父さんの客で、だいぶ儲けさせてもらってるのだ」
 僕の父さんが証券会社に勤めてているのは知ってたけど、不動産屋さんをしているあーちゃんパパはその大口のお客さんという話だった。
「そういや有君だったな、お父さんに迷惑かけただろう」
 リビングのソファーにどっかと腰かけていたあーちゃんパパは、直立不動の僕をじろりと睨む。……少年刑務所のことを言ってるのだろう。
「はい、少年院に一年いました」
「はっはっはっ、実は君のお父さんから詳細な話を聞いている。男だもんな。それぐらいの気概を見せないと」
 あーちゃんパパは笑って流してくれた。器が大きい人、というのかな。
「君が『お勤め』に行く頃な。お父さんが会社を辞めるって言いだしたんだ、不肖の息子が大事を起こしたからと言ってな。しかし君のお父さんはな、すごく優秀なディーラーなんだ。だからわしら客も引き留めて、どうにかいてもらったんだ。もしどうしてもやめるっていうなら、会社から資産引き上げるつもりだった。だからあの時はわしも動いてたんだぞ」
 僕が小刑に入るときって、そんなことになってたんだ。帰ってきて、何も言わずに普通に接してくれた父さん母さんに、あらためて感謝しないとなぁ。
「そういえばさ、ぱぱ。有君、女の子を五人もケガさせて、うち一人自殺しちゃったって聞いたけど、有君の賠償とかどうなったのかは知ってるの?」
 あーちゃんがパパに尋ねる。というか。
「そんなこと本人の前で聞かないでください」
「それか? 裁判で写真の件とかいじめてた証拠がザクザク出て、訴訟起こしたら逆提訴されて終りやで、って話になった。けっこくお互い損害賠償しないということで終わり」
「……なんでおじさんが知ってるんですか?」
 思わず突っ込む僕。
「そう言う風に持って行った、君が刑務所にいたころ被害者と折衝した敏腕弁護士はわしが雇ったからな」
「ええっ! ありがとうございました」
 思わず床に土下座する。あーちゃんパパは腕を組んでふんぞり返った。
「うむ。弁護士の野郎、土地付きで家が立つぐらいの請求をしてきやがったが、樫野君に稼がせてもらった金額は億を超えてたからな。それぐらいしても罰は当たらないと思って払ってやったわ。樫野君は客には儲けさせておいて、本人の資産は中古マンションだけと聞いたらさすがになんかできないかと思ったもんだ」
 昔を思い出すように、あーちゃんパパは語ってくれた。
「本当に、すみません!」
 まさか付き合いだした彼女の父親が自分の恩人だとは思わなかった。僕は頭を床にゴリゴリこすりつけた。
「お礼はわしじゃなく、君のお父さんに言うべきだな。あと、本当にわしに礼が言いたいんだったら」
 おじさんは立ち上がると、あーちゃんの首をつまんで猫を持ち上げるような仕草をした。
「コイツを引き取ってやってくれい」
「こ、こいつって、自分の娘ですよね……」
 僕は顔をあげ、あーちゃんパパに言い方に呆れながら言った。
「コイツは小さいころからエレベーターが好きで、あそこ連れてけ、そこも連れてけ、と五月蠅くてな。大きくなって自転車を買い与えると、休みはいつもエレベーター巡りだ。授業はちゃんと受けてて成績もまあ悪くはないから文句も言えんし、将来が不安だったんだが」
 そう言うと僕の方を見た。
「ちゃんと男にも興味あって、パパは安心したぞ」
 僕は苦笑いをするしかなかった。僕は話を変える。
「しかしすごい自転車ですよね、彩乃さんのは」
「わしが自転車が趣味でな。ついつい甘やかして買ってしまった。自分で乗ってみたかったしのう」
 七十万もするものをポンと買うなと言いたい。
「で、有君は今何に乗ってるんだ?」
「中学時代から乗ってるママチャリで……」
「それは大変だろう」
 そう言うと、あーちゃんパパは家の奥に移動しだした。
「ついてきなさい」
 そう言うので僕はあーちゃんと家の奥に入っていく。
「左はお姉ちゃんたちの部屋だよ。みんな結婚したけど」
「へー」
 そう言いながら、幅が人間が寝られるぐらいあるんじゃないかと思うほど広い廊下を奥に進む。突き当りには右側にさらに細い廊下が続いていて、僕たちはあーちゃんパパについていきそこに入る。そして突き当りの扉を開けると、そこは壁一面の自転車たちだった。
「す、すごい……」
 突き当りはガレージになっていて、ガレージの壁につるされた自転車たちは十台を越えていた。みんなあーちゃんパパの持ち物らしい。
「わしの自慢のコレクションじゃ。ふむ」
 あーちゃんパパはその並んだ自転車のうちの一台、黄色い自転車を持ち上げ降ろした。
「有君はコレがお似合いだろう」
 そう言って僕に自転車を渡してくれた。
「持って帰っていいぞ」
「え? ええ? そ、そう言うわけには」
「娘と付き合いたいならば、これを持って帰ること!」
 あーちゃんパパは眼は僕を睨み付け、しかし口元は笑いながらそう言った。
「そうだな、まぁ待て」
 あーちゃんパパはそう言うとポケットからスマホを取り出し、どこかに電話する。やがて。
「樫野君か! 今君の息子がうちに来てるぞ! おう、自転車やるから家に帰っても怒ってやるなよ!」
 すごい言い方だ。
「まぁ、うちの娘と付き合い続ける限りは永久に無料貸し出しぐらいに思っておけばいい」
 電話を切り、あーちゃんパパは笑顔で言った。
「あ……、ありがとうございました」

 こんな感じで新たに僕の愛車になった自転車なんだが、なんでもBMCというスイスの自転車らしい。というか、おじさん、狙ってやったんじゃないのか……、眼鏡でオタクが黄色いBMCって、リアル坂道くんじゃないか!
「ジャージも黄色だったらよかったのに」
「僕はコスプレをする気はありません」
 今日の彼女の服は一体どこで買ったのか問い詰めたい、胸に『SUGOI DEKAI』と書かれたTシャツにウインドブレーカーを羽織り、制服でもおなじみのスパッツ姿だ。そして僕の服は普通のTシャツとあーちゃんに倣ってスパッツ、そしてウィンドブレーカーだ。
「一体どこに行くの?」
「団地~」
 そんなことを言いながら今僕はあーちゃんの尻を追いかけている……、うん、言い方。
 自転車は谷間の国道沿いを駆け抜ける。五月の緑がきれいだ。日曜日、今日は『変わったエレベーターを見たい』という彼女の要望で、朝から自転車で家から二十キロは離れたところにあるという団地、この場合はニュータウンという新興住宅地を目指している。
 やがて左手に道路が膨らんだスペースが見える。
「あそこだよ~」
 彼女が大声で言って、そのスペースに入る。僕も左に自転車を寄せ、そのスペースに入った。
 そこは自動車が十台は止められる駐車スペースと、真ん中に建物があった。建物には『○○団地斜行エレベーター乗り場』という看板が掲げられている。
「しゃこうえれべーたー?」
「うん!」
 建物の脇に自転車を止め、ヘルメットを脱ぎながら彼女が答える。
「この山の上に団地がってね、普通住人は車使うんだけど、あたし達子供やお年寄りは車の運転が無理って場合があるでしょ? だから山裾にバス停を設置して、そこからエレベーターで団地に上がるの」
「へー!」
 あーちゃんはうちの団地の『後付け外付け踊り場付け』の話といい、建築とかも詳しいみたいだ。すごい。
「早く乗ろう?」
 あーちゃんが僕の手を引っ張る。僕はあーちゃんに引きずられるように建物の中に入っていった。その中は。
「……駅みたい」
 そう、駅みたいだった。プラットホームみたいな場所に、小さな電車みたいなのが佇んでいる。
「これが斜行エレベーター?」
「そうだよ」 
 彼女は胸を張って答える。
「自転車乗るし、一緒に乗ろう?」
「うん」
 僕は人間が十人位は乗れそうな、その箱の中に自転車と一緒に中に入った。
「無料なのがいいね」
 そう言うと彼女はエレベーターの扉を閉める。そして中のボタンを押すと、エレベーターはごとごとと動き始め、上へと昇り始めた。
「エレベーターというより、電車だね」
 僕は率直な感想を言う。
「鉄な人から見れば、アプト式鉄道とか、ケーブルカーとか、そんなジャンルになるんだって。だけど法律上はエレベーターだし、これを作ったメーカーもエレベーター作ってるとこだよ」
「へー!」
 勉強になるなぁ。そしてこういうことを説明するあーちゃんの笑顔が輝いている。
「大体エレベーターメーカーのトップスリー、三菱電機・東芝・日立は全部鉄道作ってる所だし」
「せんせー、三菱で鉄道作ってるのは重工でーす」
「ぶー。 三菱電機は電車に使ってる電装品、モーターや変圧器を作ってるのです」
 ちっちっちっ。あーちゃんは指を振る。エレベーターはどこどこと言いながら上へ昇る。
「ものすごく変なのだと『水平エレベーター』というのをアメリカのオーチスって会社が開発してね。もうどう見ても立派な鉄道なんだけど、お金を取らないと法律上はエレベーターなんだって。昔成田空港で離れてるターミナルビル同士を結んでたんだけど、今は動く歩道に更新。信じられない!」
 あーちゃん、本気で怒りだしたよ。
「それじゃ鉄道マニアだよ」
 僕は苦笑いするしかなかった。
「鉄的にも珍しいの、オーチスのそれは。『世界で』今三か所ぐらいしかないんじゃないかな、今。日本は絶滅しました」
「はー!」
 こんなことを言うあーちゃんは生き生きしてる。エレベーターはごとごとと上に上がっていく。
「このエレベーターってさ、何分ぐらい乗るの?」
「あと十分ぐらい」
「そんなにかかるんだ……、え?」
 僕の目の前に、あーちゃんは来る。
「有君もあたしも、早いから助かるね……」
「どーして、あーちゃんはスパッツを降ろしやがりますかぁぁぁぁぁ!」

 エレベーターは斜面を昇る。僕は大人の階段を昇る。

 エレベーターは駅に着いた。僕たちは自転車を押しながら駅を出ると、そこは大きな建物のすぐそばだった。僕たちは自転車に乗り大きな建物沿いに走ると、道路わきには自転車置き場がずらっと並んでいた。
「そっか、団地の人たちはここに自転車おいて、エレベーターで通勤するんだ」
「そうね。ここスーパーだから、帰りに買い物して帰れるってわけ」
「なっとく」
 僕たちはスーパーの入り口の前を通過する。
「えっとね、もう一か所エレベーター乗りに行くからね」
「またこんなの?」
「ううん。この団地を降りて、さっきの駅に戻ってその先三〇分ぐらいのところにあるよ」
「わかった」
 僕たちは急な峠道を下り、最初の幹線道路に出る。駅前を通り過ぎ、三十分ほど走ったそこは……。
「わー!」
「これが、エレベーター、ですかー!」
「法律上は―! 立派なー!」
 僕たちはなぜかジェットコースターに乗っていた。うん。あの道の奥には遊園地があったんだ。
「はぁ……、はぁ……、なんでエレベーターなの、これ?」
 ジェットコースター降り場を降りて、僕はあーちゃんに聞いてみる。
「なんでもね。エレベーターもジェットコースターも、建築基準法では『準用工作物』というものになるんだって。そもそも、私有地、個人とか会社の敷地内に置かれた『住居以外の物』は全部工作物と呼ぶんだって。倉庫とか車庫とかもだよ」
「倉庫も車庫もエレベーターの仲間なのか……」
 法律もざっくりしてるな。
「準用工作物でも点検が義務付けられてるものとして特に区別されてるの。『建築基準法施行令第百三十八条第一項の二』って法律」
「長い!」
 そしてこれをすらすら言えるあーちゃん超すごい。
「エレベーターと同じ扱いにしてるのは二か月に一回の点検を義務付けるためだよ。似ているという理由にこじつけて」
「そう言う意味なんだ」
 なるほど、似ていそうなやつと括り付けて法律を簡素化したんだ。
「じゃあ、次はあのエレベーターに乗ろ―!」
「あれはたしかにエレベーターっぽいね」
 あーちゃんが指さした先は、観覧車だった。僕たちは観覧車に乗る。
「あーちゃん」
「なぁに?」
 ゴンドラの僕の座ってる向こう側。僕はあーちゃんに話しかける。
「景色見ようね。僕の顔って、早速スパッツ脱ぎ始めてるし!」
「景色より有君の顔がみーたーいー」
 あーちゃんは僕のズボンのチャックを降ろしながらキスをした。

 観覧車は昇る。僕も以下略。

 そのあと。遊園地らしくコーヒーカップに乗ったりお化け屋敷に入ったりと普通にデートして楽しんだ。夕方、陽も落ちそうだったので二人で遊園地を出た。そう言えば遊園地の出口で女の子が立ってて、こっちを睨んでたけど……、あれ、安芸さんの連れの誰かだった気がする。一人で遊びに来てたのかな?
「楽しかったね」
「うん」
 二人で並んで山道を疾走する。ここから家までは大体二時間弱だ。時々車が後ろからやってくるので一列になる。そしてまた二人で並ぶ。
「今日は楽しかったね。ちょっとしんどかったけど」
「自転車が?」
「……えっちが」
「ぐへへへへへ」
 その笑い声、下品だよあーちゃん。
「ねぇねぇ、今日は晩御飯どうする? うちで食べて行けば?」
 遊園地からうちへの帰り道には、ちょうどあーちゃんの家が途中にある。
「うん……、母さんがご飯作ってくれてるはずだから、いいよ」
 僕は残念だけど断った。
「むー。有君も食べたかったのに」
 な、なんて女の子なの、君は!
「斜行エレベーターと観覧車で二回もして、まだ足りませんか」
「今度うちで一日中エレベーターの資料見ながら(※自主規制)」
「わ~!」
「あぶないよ!」
 僕はあーちゃんの問題発言で自転車をよろめかせてしまい、危うく外側を走っているあーちゃんの自転車を崖と僕の自転車でサンドイッチしそうになる。
「んもう」
「いーまーのーは、あーちゃんが悪い!」
 僕たちは再び並走しながら話し出す。
「だけどさ、変なこと、もう一度聞きます」
「なぁに?」
 僕は前にした質問を、もう一度あーちゃんに向ける。
「僕とエレベーター、どっちが好きですか?」
「残念、まだエレベーター、……って、ええええええ?」
「……」
 僕は減速してどんどんあーちゃんと離れていく。うん、ショックだった。
「ショック受けないでよぉぉぉぉぉぉ!」
 あーちゃんが停車して僕が追い付くのを待つ。
「ショックだよー」
「うん。こればっかりは歴史です。有君はまだナンバーツーです」
「付き合いだして一か月超と十数年の差ですか……」
 減速してゆっくり、道を並走する。
「だけど、だいぶ、追いついたよ」
「本当?」
 僕は思わずあーちゃんの方を向く。
「だって、有君のこと、もっと知りたいと思うし」
 あーちゃんもこっちを向いて笑顔を見せる。外はだいぶ暗いけど、まだ表情は読み取れる。僕は前を向き、ひとりごちる。
「いつか、君のナンバーワンになりたいな」
「ファースト・プライオリティ?」
「うん。昔のアニメにそんな曲があったね。一度しかない人生だから……、か」
 自転車はいつの間にか山道を抜けた。田んぼが広がり、遠くに住宅街が見える。あーちゃんの住んでる所だ。
「もうすぐ家だね」
「有君はうちに寄るの決定ね」
「えっ!」
 なにそれ。
「実はもうママに、有君のお家にはご飯いらない旨を電話で連絡してもらってまーす」
「なにそれ」
「えへへへへへ」
 全く、強引だなぁ。
「ママの料理、食べたことないよね。おいs」
 胸に衝撃。自転車と体がひき剥がされる。速度が出てたのが災いし、僕たちは吹っ飛んだ。そう、用心するべきだったんだ。相手が道路にロープ張って殺そうとして来るぐらいには。横を見ると、体が地面に激突して跳ねるあーちゃん。そして僕の頭にも衝撃。景色は暗転した。

。o○゚+.。o○゚+.。o○゚+.。o○゚+.。o○+.。o○゚+.。o○+.。o○+.。o○

 『新世紀エヴァンゲリオン』、第二話のシンジ君の気持ちはこんな気持ちだったんだろうか。目が覚めたら、文字通りの知らない天井があった。体中がすごく痛い。首を動かすだけでも、痛い。かろうじて横を向くと、点滴とそこから伸びる管に腕が繋がれていた。
 そうか、僕は病院に運ばれることができたんだ。あの帰り道、車があまり通らないから、二人で好きでよく通っていた。絶対、狙われた……、あーちゃん、無事かな。僕は痛む躰を起こし、看護婦さんを呼ぶブザーを押す。すぐに看護婦さんと医者らしき人と……、え? 康孝君とあやか、あーちゃんパパがやってきた。
「オタメガぁ!」
「兄貴!」
「有君!」
 三人とも驚いて僕を迎えてくれた。
「無事だったか……」
 あーちゃんパパはがしっと僕を抱きしめてくれ、
「痛い痛い痛い!」
「あ、す、すまん!」
 すぐに放してくれた。
「オタメガ、無事でよかった……」
 心底ほっとした様子の康孝君。
「僕は何日ぐらい気を失ってた? あと、あーちゃんは?」
「今は水曜日の夕方。三日は寝てたよ」
 あやかが説明してくれる。
「彩乃は、命に別状はない。だが、まだ目を覚まさない……」
 おじさんは悔しそうに言う。
「そんなに、強く頭を打ったんですか……」
「君も彩乃さんも、頭がい骨にひびが入ってる。ヘルメットをちゃんとつけてたとはいえ、脳挫傷まで行ってもおかしくないほどのけがだったんだよ。あと二人とも全身を打撲。骨折がないのも奇跡だよ」
 医者の先生が、そう説明してくれる。
「あの道、人が通らない道なのに、よく僕たち見つかったね」
「オタメガは運がよかったんだよ。たまたま、救急車がサイレン鳴らさずにあの道帰ってたんだよ。救急隊員の人に感謝した方がいいぞ」
「そっか……」
 あの道沿いには確かに消防署、と言っても消防車が三台ぐらいいるだけのちっぽけなやつだ、がある。そうか、僕もあーちゃんも、運がよかったんだ。
「犯人は?」
「は?」
 僕の言葉に、康孝君が間抜けな声を上げる。
「道にロープ張られた。僕たちはそれに引っかかって倒れた」
 僕は入院患者がよく切る服の胸を開いて傷跡を見せる。胸のあたりに見事な一本腺があった。
「兄貴、殺されかかったの?!」
 あやかに僕は黙って頷く……、頷いたら頭痛い。
「警察は何も?」
「わしは何も聞いてないな」
 あーちゃんパパが答えてくれた。
「すいません、警察の人を呼んでもらえますか。警察も感づいてるとは思うんですけど」
「ちょっと待ちたまえ」
 医者が出ていく。
「シャレになんねーぞ……」
「うん」
 康孝君に僕は頷く。
「まぁ犯人はわかってるし、仕込みもしてるし」
「仕込み? って、やっぱりあいつら?」
 僕は頷く。
「予想はしてたんだ。体が動くようになったら、勝負を決める。まぁ、その前にお巡りさんとお話ししないと」
 僕は体を倒し、ベッドに体を再び預ける。やがて、病室の扉が開き、医者が現れる。
「明日、ここにきて事情を聴くそうだよ」
「わかりました」
 僕は先生に頷いた。
「どうせ、最低でも一週間は動けないよ」
「でしょうね」
 先生の言葉に、僕は苦笑いするしかなかった。

 そして目が覚めて一週間後、僕は学校に行った。まだ体は痛むし、頭は包帯巻いてるけど、行きたかった。すべてにけりをつける、そのために。
 僕が廊下を歩いてると、みんな恐れおののくように避けてくれる。そんなに怖い顔をしてるだろうか。僕が二組の教室に入ると、康孝君とツレのみんなが迎えてくれた。彼らにはあらかじめ、今日から復帰することを言ってある。
「おはよう。みんな怖がって僕を避けるんだけど、顔、怖い?」
「いや」
 康孝君ツレの一人が僕に説明してくれる。
「一組の例の安芸が、お前が意識不明の重体と言いふらしてたからな。みんな幽霊みたいにお前見てるぞ」
「ニュースでもやってたぞ、お前らの事故。自転車が転倒して高校生二人重体、警察は事故と事件の両方で捜査中って」
 もう一人のツレ君も教えてくれる。そっか、僕らの事故、テレビに出たんだ。
「その時の記事が載ってる新聞あるぜ、読むか?」
「読む読む!」
 ツレ君その三がカバンから取り出した新聞を僕はもらい、読む。僕ん家で取ってるのとは違う新聞だ。
「こっちの新聞、僕とあーちゃんの名前がちゃんと載ってるねぇ」
 僕ん家で取ってた新聞には実名は載ってなかった。
「この新聞でオタメガとチャリメガが事故したって知ったやつが多いみたいだぜ」
 ツレ君その一がそう説明してくれる。
「さぞ、安芸さんは高笑いだっただろうね」
「一組の教室で、あのまま地面にはいつくばって死んでればいいのにって言ってたぜ」
 にやにやしながらツレ君その二の言葉。
「で、どうするんだ、オタメガ」
 康孝君が僕に尋ねる。
「放課後、すぐ。安芸さん達がだべってる所を襲う。茶番劇の幕開けだ」
「茶番劇ねぇ、怖い怖い」
 そう言って康孝君がおどける
 僕はこの日は普通に授業を受けた。あーちゃんがいないさみしい昼食を取り、午後の授業を受け、放課後。僕は康孝君たちを率いて一組を訪れた。
「はい、予定通り入ります。そちらも来てください」
 僕はスマホでとある人たちに連絡してから一組に入ると、一組の教室が一瞬、静まり返る。そしてもう一瞬後。どがががががが! というものすごい音がして、一組の教室に残ってたみんながバーッといなくなる。残るのは僕と康孝君一行。そして安芸さんとそのツレの子たち。
「何しに来たのよ」
「お礼参り」
 僕は椅子に手をかけ言ってやる。
「まさか帰り道の暗い道にロープ張るとかやってくれるとは思わなかったよ。おかげさまで僕もあーちゃんも頭にひび、あーちゃんにいたってはまだ目を開けてない」
 僕は口上を述べたあと、笑顔を浮かべウィンクをする。ウィンクの先には……、河島さん。
「気持ち悪」
 僕の笑顔に安芸さんは吐き捨てる。
「大体、証拠なんてあるの?」
「証拠? ヤンキーにそんなもんはいらねぇな」
 康孝君がすごみ、僕は手を上げて制止する。
「そうだね」
 僕は笑顔を浮かべながらいう。
「賭けと行こうか。これは三国志……、中国の歴史のお話だよね。でね、魏延という武将がやった故事で行こう。安芸さんが『誰かあたしを殺す勇気のある子、いる?』と三度、今言うことができたら僕はもう何も言わない」
「へ?」
 安芸さん、呆れてる。うんうん。
「何それ。変なの」
 ううむ、この程度では乗ってこないか。なら。
「なんなら僕が学校をやめていいよ。言えたら」
「ふーん」
 こう言うと安芸さんは興味深そうになった。うんうん。
「言えばいいのね。誰かあたしを殺す勇気のある子、いる?」
 安芸さんは大声で言う。外の一組の子にも聞こえるように。
「もう一度、どうぞ」
「おい、樫野!」
 僕は冷や汗をかきながらも笑顔で言い、康孝君は焦って僕の名前をオタメガじゃなく本名で呼ぶ。
「誰かあたしを殺す勇気のある子、いる!」
 二回目。誰も返事をしない。僕が安芸さんの取り巻きの方を見ると……、あ、そう言うことね。僕は安心した。準備中だった。
「康孝君、みんな。いつでも飛び出して動けるように準備して」
 僕は後ろを向いてみんなに命令する。僕の言葉にみんな不思議そうな顔をしたが、すぐに少しお互いの間隔を空けいつでも動けるようにしてくれた。
「さぁて、三回目ね」
 安芸さんは勝利宣言をせんと笑みを浮かべる。邪悪な笑み、というんだろうな、ああいうのを。
「誰かあたしを殺す勇気のある子、いる?」
「こ、ここにいるわよ!」
 安芸さんの後ろで、動きがあった。さっと安芸さんの後ろから飛び出し、僕たちの後ろに回ったのは、スマホを手に握った河島さん。彼女は
スマホを操作して、腕を上げその画面を掲げる。その画面には、『録音再生アプリ』の文字。
「……じゃあね、計画確認するわよ。あいつら、今度の日曜日に遊園地行行くから、帰り道にロープ張ってこかせる。うまいこと言ったら死ぬかも。ざまぁね」
「あたしがこっち、あんたはそっち持つのよ。○○が遊園地で先回りして連絡あるから、そこから一時間後に待機」
 ……完っ璧な殺人計画。まさかここまで言っちゃってるとは、さすがに思わなかった。
「河島ぁ! あんた、あの時用事があるからって参加しなかったの、最初から裏切ってたの?!」
 安芸さんが僕たちの後ろに隠れた河島さんに怒鳴る。
「あたしに言わせれば、あんたらの方がおかしいわよ! なんであんだけのことで人殺そうと思うのよ!」
 安芸さんの怒号にやり返す河島さん。
「あんただって、キチメガ殺そうと思ってたじゃん!」
「直接殺そうとはしてないわよ!」
「そっちの方が性質悪いと思うけど」
 僕は思わず小声で突っ込む。
「大体、あたしは結果として頭に椅子叩き込まれたし! あたしはもう懲りたわよ!」
「卑怯者!」
「罠仕掛けて人殺そうとしたあんたらに言われたくないわよ!」 
「くそぉ!」
 安芸さんが河島さんの携帯を取り上げようと駆け寄ってくるが、康孝君たちが止める。そして。
「おう、ガキども、そこまでだ」
 教室に背広姿の大人たちが何人も入ってきた。
「警察だ」
 背広の一人が警察手帳を見せる。僕はこの人に見覚えがあった。
「安芸幸穂ちゃんだね。ちょっと、さっきの録音について警察署で聞かせてもらおうか。お仲間たちもね」
 大人たちは安芸さんグループを取り囲む。安芸さんはダッシュで逃げようとするがすぐに警察に取り押さえられた。
「さぁ、来い! 悪いけど河島ちゃんだっけ? 君も事情を聴きたいから、警察に来てくれるかな」
 河島さんは頷く。
「じゃあ刑事さん、お願いします」
「おう樫野、今回は暴れなかったな」
 刑事さんは僕が四年前に大暴れした時に担当した人だった。今回の事件でも相談に乗ってくれた。
「二度と暴れませんよ」
 僕は苦笑いする。
「全く、簡単なことで人殺すとか思うなよー」
「反省してます」
「お前の場合は」
 刑事さんは言いよどむ。
「ああする以外の解決方法はなかったとは思うけどな。だからこそ一年で出られたんだろ? しかし、もう暴力で解決しようとは思うなよ」
「誓います」
 僕は刑事さんに笑顔を向けた。
「さぁ、来い! 話はみっちり署で聞いてやる! ああ、おまえら、よかったな。樫野の時は情状酌量が認められたが、お前らにそんなもんが認められると思うなよ。下手したら成人式も刑務所かもな」
「いやぁぁぁぁぁ!」
 刑事さん達に腕を掴まれ、安芸さんグループが続々退場する。最後にとことこと、河島さんが付いていく。
「河島さん、ありがとう!」
 僕が声をかけると、河島さんはこちらを一瞬向いた後、何も言わずに教室を出て行った。
「河島、複雑だろうなぁ。どんな形であれ、友達を売ったんだから」
「安芸が河島を友達と思ってたかは疑問だなぁ」
 康孝君たちはそんなことを言い合ってる。
「僕もそう思う。自殺した子もそうだったけど、結局お山の大将って、仲間を部下か奴隷ぐらいとしか思ってないことが多いよ」
 僕は言ってやった。
「でさ、さっきの警察とか、樫野の仕込み?」
「うん」
 僕たちは廊下に出ながら話す。事の成り行きを唖然と見ていた一組の子らも、教室に帰って話をし出した。冷酷だなぁ、とは思ったが、これが一組の安芸さんグループに対する感情なんだと思う。
「まず河島さんに僕をどうにかするって話題出たら録音しといてって言っておいた、これは知ってるよね?」
 康孝君御一行が揃って頷く。
「でね、僕が目覚めて、やられたことに気が付いて、河島さんに電話したら認めたんだよ。ちゃんと今回の奴が録音できてるって。だけどこれを警察に話して、警察が河島さんに会ったりしたら河島さんの命が危ない。だから警察にはこの事を病院に来た時話して、河島さんが危ないから学校の現地で、河島さんの安全が確保された状態で聞いてくださいってお願いしたんだ。警察も僕たちをひっかけたロープを見つけてたんだけど、安芸さん達の指紋が取れなくて証拠不十分だったんだって言ってたから」
「へへー」
 僕の言葉に康孝君たちが感心してる。
「でさ、オタメガ」
 康孝君が僕をオタメガ呼びした。うん。こっちの方がいい。
「今日も行くんだろ、病院」
「今日で最後だけどね」
 僕は笑顔で答えた。

 実は安芸さんに僕はうそをついていた。あーちゃんはもう目を覚ましてるんだ。僕が目覚めた次の日、刑事さんと話してるときに目が覚めたって報告を聞いた。そして刑事さんたちがあーちゃんにも事情を聴いたあとに僕たちは再会した。看護婦さんに無理言って、車いすに乗せてもらっての再会だった。
 そして今日。
「有君、あたし、明日退院だよ」
「知ってる。よかったね」
 頭にぐるぐると包帯がまかれた(それは僕も一緒だけど)あーちゃんがベッドで体を起こして微笑む。
「安芸さん達は今日というかさっき、警察に連れていかれたよ。やっぱりあの子らだった」
「そう……」
 あーちゃんは残念そうな顔をした。
「どうしてあたしたちを殺そうなんて、馬鹿なことしようとしたんだろうね」
「暇つぶし、じゃないかな」
 さらっと言った僕の言葉に、あーちゃんは目を丸くする。
「そ、そんな理由で人を殺そうとするの?」
「現実に殺されそうになった僕が言います」
 僕は断言してやった。
「刑事さんの話だとね。罪を犯す奴はほとんどがそれをやったらどうなるか考えないんだって。どうなるかわかっててもやる人間は少数派だって」
「有君は……」
「僕だって考えてやったわけじゃない。ただ、生きたかっただけだから」
 僕は一度言葉を切る。
「いじめはね、相手がやり返してこない前提でやってくるんだ。そして相手が死んだらおもちゃが壊れたぐらいしか思わない。安芸さんだって、多分、おもちゃが気に入らないから壊すぐらいでしか思ってなかったと思うよ」
「そんな……」
 あーちゃんは俯く。
「河島さんはさ、あの時自分たちが反撃されたから『相手もやり返す』ことを知った。そして今回もそうだと。なんせやられた本人と」
 僕は自分で自分を指さす。
「やり返した本人がいたんだから」
「うん」
 あーちゃんが頷いてくれる。
「だからあの時僕の言うことを聞いてくれて、結果自分だけが生き残った。卑怯者と思われるかもしれないけどね」
「大丈夫じゃないかな」
 あーちゃんは僕のことを否定した。
「そう思う子たちはみんな塀の中だよ」
「そういう意味ね」
 僕は苦笑いするしかなかった。
「有君」
「なぁに、あーちゃん」
 あーちゃんは真剣な表情をして僕を見つめる。
「安芸さんに椅子を叩き込もうとは、思わなかったの?」
「叩き込んでもよかったけど。刑務所に入るのは怖くなかったけど」
 僕は笑顔を作る。
「あーちゃんを残すのがつらかった」
「……待つよ。あたしのためにしてくれたんだもん、何年でも待ってあげるわよ……」
 あーちゃん、また俯いた。ばつが悪くなった僕は話題を変える。
「ねぇあーちゃん。病院出たら、どうする?」
「うんとねー」
 あーちゃんは上を向く。そして……、その口から出てる滴は何ですか?
「有君の上に乗っかってぇ、一日中下のお口で、あたっ!」
 僕は無言であーちゃんにチョップを決める。頭は今はまずいから、胸へ。
「高校生でしょ、エッチなのはいけないと思います!」
 僕たちの病室へ看護婦さんが現れて、あーちゃんの点滴を換えようとした。
「看護婦さんの邪魔したら悪いから帰るね」
 僕は病室の丸椅子から立ち上がった。
「明日、退院だね。学校終わったら、家に行くよ」
「退院祝いは有君の濃厚ミルクでてててててて!」
「エッチなのはいけないと思います」
 看護婦さん、けが人を作っちゃだめだよ。ちなみにさっきのは看護婦さんがあーちゃんの腕の皮膚をつねった。
「じゃあね」
 僕は病室を出ようとする。
「うん! また会おうね、あたしのナンバーワン、さん」
 え。病室のドアで僕が振り向くと、あーちゃんが最高の笑顔を僕に向けてくれた。 
桝多部とある

2020年05月01日 21時35分33秒 公開
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■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:マンションで出会ったのは、個性的(意味深)なあの子だった。
◆作者コメント:とりあえず完成しましたので投下します。

2020年05月30日 11時19分02秒
作者レス
2020年05月22日 07時42分01秒
作者レス
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Re: 2020年05月29日 13時15分30秒
2020年05月16日 17時58分15秒
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Re: 2020年05月28日 11時09分35秒
2020年05月15日 23時52分45秒
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2020年05月13日 22時01分28秒
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2020年05月10日 22時23分26秒
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2020年05月09日 23時56分08秒
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2020年05月05日 01時53分19秒
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2020年05月04日 23時48分31秒
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