第二SARS コロナウイルス観戦記

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 最初の感染者は皇紀2019年11月17日に中国王朝の湖北国で発生していたことが後に確認された。
 12月に入り湖北国武漢市で原因不明の肺炎が多発した。12月31日に44人の肺炎について世界保健機関(WHO)に報告がなされた。
 皇紀2020年1月7日には、中国王朝の研究医官によって本感染症の病原体が新型のコロナウイルスであることが報告された。国際ウイルス分類委員会は、その病原体を第二SARS (サーズ)コロナウイルスと命名した。
 第二SARS コロナウイルスは、SARS やMARS(マーズ) と同じβコロナウイルスに属していた。全塩基解析と系統樹解析によって、コウモリのウイルス由来であると考えられた。
  大日本内科学会雑誌(特別寄稿)109: 392~395, 2020.

<はじまり>
 名を得たことで、ただ存在するだけだった無数のウイルス粒子は、一つの集団にまとまっていった。時が過ぎてゆくにつれて、ウイルス相互の関係は徐々に強まっていった。
 そして、ついに……
 名を得たことで、ウイルスに意識が芽生えた。

 誰かが語りかけている。
「WBAは、この疾患をコレットだかコゼットだかと名付けたそうだね」
 私が話題にされている。
 でも、……
 WHO(世界保健機関)の間違いよ! WBAはウイルスに名前を付けたりしないわ。
 それくらいの事は私にもわかった。しかし、そう呼ばれたことで、私に変化が生じた。髪が輝く金髪になった。瞳は深い海の青さに染まった。私は、ほっそりとした美少女の姿を得た。
 鮮やかな黄色のドレスをひるがえし、つま先でくるりとまわる。金色に輝くウイルスの群れが舞いあがり、あたりに広がっていった。手に入れたばかりの瞳であたりを見渡してみる。
(あちゃ~! やってしまいましたわ)
 私は、見慣れない生き物の中にいた。住み慣れたコウモリさんの体内ではなかった。ヒトと呼ばれる生き物だった。
 こうして、不慣れな生き物の体内で、生き延びるための戦いが始まった。


<武漢市観戦記録>
 武漢市当局は、「肺炎の発生はすべて昨年12月8日から1月2日の間であり、3日以降、新たな患者は出ていない。ヒトからヒトへの感染も確認されていない」と説明した。
     大日本帝国旭日日章旗新聞(以下、旭日新聞)
             皇紀2020年1月12日(日)


 私はヒトの気管支の中を運ばれていた。気管支壁の分泌細胞から粘液があふれでてくる。気管支の壁を埋めつくした繊毛細胞がそろった動きで粘液を送り出してゆく。
 まずい。このままでは粘液に流されて外まで送り出されてしまう。
 そのとき、私の髪の毛を何かがつかんだ。そのまま引き寄せられる。意外なほどの優しさで、私は細胞の中に取り込まれた。
 チャンスだ!
 私は細胞内で遺伝子を複製する器官をさがした。
 あった!
 でも、使い方がよく分からない。操作方法を見つけ出せない。時間だけが無為に過ぎてゆく。無限とも思える時間が過ぎさってゆく。ようやくのことで、自分自身を複製することができた。ゆっくりと、ゆっくりと、自分自身を複製し、増殖してゆく。
 複製は、私自身と同じ。そのはずだった。でも、違った。複製は、どこか歪んでいた。複製が繰り返されるたびに、歪みは大きくなってゆく。私が私でなくなってゆく。
 私が崩れてゆくのが分かった。そして、なぜコウモリでなくヒトに宿ってしまったのか。その理由も分かった。
 私はひどく不安定だった。自分が宿るべき相手を間違えるほどに、間違えて種の壁を越えてしまうほどに、不安定だったのだ。
 でも、歪んでいても、不完全でも、私は私だ!
 私は増殖を続けた。いつしか細胞は無数の私で充満して膨れ上がっていた。ついに弾けて無数の私があたりに広がってゆく。ふたたび細胞に迎え入れられた私は、ごく少数だった。でも、最初よりは数が増えていた。
 変異した私の一体は、さっきよりも手際よく自分を複製できた。ほかの私よりも早く細胞を充満させることができた。複製にてこずっている私たちよりも先に、変異した私を宿した細胞が破裂する。すばやく複製ができるように変異した私が、ほかの私よりも先にあたりに広がる。
 破裂した細胞が消えた跡を、新たな細胞が分裂して埋めていった。私が増殖した痕跡は、何事もなかったように消滅していた。
 変異を続ける私は、さらに手際よく増殖していった。
 無数の私が増殖し細胞を破裂させながら広がってゆく。ほとんどの私は気管支の繊毛細胞が巻き起こす粘液の流れに乗ってのどの奥へと運ばれてゆく。無意識のうちに飲みこまれ、胃の中へと落ちて行く。そして、大多数は胃酸に焼かれ、短い生涯を終えて消えていった。
 私を宿しているのは、武漢の市場で働く商人だった。商人は大声を上げて商品を売っていた。活発に議論することを、口角泡を飛ばして、と表現する。商人の口から飛び散った飛沫は、値切るために激しく交渉し、商人の目の前で手を振る客の、その手についた。
 その客は、激しい値切り交渉で腹を空かせていた。市場で売っていた手ごろな値段の中華まんじゅうを買い、素手でつかむと、市場を歩きながら食べ始めた。
 こうして、私は客のノドの奥にある細胞に取りつくことができた。ゆっくりと優しく細胞の中に取り込まれる。とうとう私はヒトからヒトに感染することに成功したのだった。


 皇紀2019年12月30日に中国王朝の医官が武漢市当局の公表前に、人から人に感染するウイルスが広がっているとの情報を発信した。医官は、「デマを流した」として警察当局に処分され、訓戒の書面に署名したという。
         旭日新聞 皇紀2020年2月7日(火)

 その後、新型肺炎は急拡大し、中国王朝での患者数はこれまでの3倍超の計217人に急増し、三人目の死者がでた。
        旭日新聞 皇紀2020年1月21日(火)

 のちに電影通信の取材に応じた武漢市民の一人は、「1月の段階では武漢でできるウイルス検査は一日に200件だった。(調べることができなかったから)ウイルスによる感染者も死亡者も当局の発表より多かっただろう」、と語っている。

 感染の急拡大に対して、中国王朝の皇帝は1月23日に武漢都市の閉鎖を命じた。皇帝は武漢市を「勝敗を分ける決戦の地」と位置づけた。当初、武漢市では急増する患者に病院の態勢が追いつかず、軽症者や感染の疑いのある人には自宅待機を要請した。しかし、その人々が自宅で家族に感染させてしまう悪循環が問題になった。
 そこで中国王朝が徹底したのは、感染者の隔離だった。重症者の治療のために千人を収容できる病院を二つ、十日間の突貫工事で造ったほか、2月上旬から、市内の体育館や大型会議場などの14の施設に間仕切りとベッドを並べ「臨時病院」に改造。一万二千床を確保して軽症者を次々と収容した。
 同時に進めたのが、潜在的な感染者の洗い出しだ。
 人口一千百万人の武漢市内だけで1日2万件を超えるウイルス検査ができる態勢をつくった。希望者を待つのではなく、感染者の行動調査にも力を入れ、接触した可能性のある人を割り出して検査した。
        旭日新聞 皇紀2020年3月20日(金)

 市民の移動規制は湖北国以外の地域でも広く敷かれた。北京市や上海市をはじめ、ほとんどの都市や国で外部との間を結ぶバスなどが停止され、高速道路も封鎖された。
        旭日新聞 皇紀2020年3月13日(金)

 武漢市では都市封鎖後、3月18日に1日あたりの新規感染者数がゼロになり、77日ぶりに封鎖が解除された。
         旭日新聞 皇紀2020年4月8日(水)

 皇紀2020年4月18日午後5時時点での中国王朝における患者数は8万3784人で、死者は4636人だった。死亡率は5.5 %となる。
         旭日新聞 皇紀2020年4月19日(日)

 その後、中国王朝に第二SARS コロナウイルスの第二波が襲い掛かるには、まだ少し間があった。


<マーメイド・プリンセス号観戦記録> 
 香港政府などによると、最初に感染が確認された男性(80)は、1月10日、香港から中国王朝広東国に入り、数時間滞在した。香港に戻ったのち、17日に飛行機で帝都東京に移動し、20日に横浜から乗船した。前日から咳が出ていたが、22日に寄港した鹿児島藩では市内をめぐるバスツアーに参加するなどした。その後、25日に香港で下船した。
 男性は香港到着後の30日に発熱した。病院で検査を受け、第二SARSコロナウイルスの感染が確認されたという。
 マーメイド・プリンセス号は那覇港に寄港し、その際に検疫を済ませていた。だが、香港で下船した男性が第二SARSコロナウイルスに感染したとの情報を受け、異例の再検疫をした。
 帝国厚生労働相は、乗客乗員のうち10人から第二SARSコロナウイルスの感染が確認されたと発表した。大日本帝国内で集団感染が確認されたのは初めてである。
 帝国厚労省によると、発熱や咳などの症状のある人とその濃厚接触者などの検体をとり、感染の有無を確認中である。検査はまだ途中で、今後さらに感染者が増える可能性もあるとしている。
         旭日新聞 皇紀2020年2月5日(水)

 帝国衆議院予算委員会で、野党はクルーズ船内での3次、4次感染を防止するために医療態勢をとる必要性を訴えた。これに対して厚生労働副大臣は、クルーズ船には船医が乗船しているが、臨船検疫で乗船している大日本帝国の検察官が援護に入ることが検討される、と答弁した。
         旭日新聞 皇紀2020年2月6日(木)


 豪華なクルーズ船に乗り込んで、私は浮かれていた。
 輝くシャンデリアの光は、船内の上質な内装を魔法のような美しさで煌めかせる。おとぎ話のお城のように、夜ごとに開催される舞踏会では、豪華なドレスを纏った貴婦人が、洗練された身ごなしの紳士と優雅に円舞曲を舞い、舞台で演じられる演劇やコント、手品を心から楽しんでいた。船内に流れる上品な生演奏は、極めて水準が高かった。
 誰かが語りかけてくる。
「船内で感染が広がったりはしないよね。外国からの乗客も多いから、そんなことになったら国際問題になるよ」
 限られた船内のスペースを最大限に活用するために、乗客同士は自然と近づくようになる。長いクルーズの間に、見知らぬ乗客同士が、打ち解けて会話を交わすようになってゆく。洗練された話術や多様な人生経験、思いがけない異国の話題が会話を盛り上げる。
 私は、ほっそりとした美少女の姿で乗客たちの間をすり抜けてゆく。深い海の青さに染まった瞳で乗客たちを覗きこみ、黄金の色に輝く髪を翻しながら船内のあちこちへと広がってゆく。
 いかに優雅に語りかけようと、五分間の会話で発せられる飛沫は一回の咳と同じ量になる。優雅に交わされる会話に乗って、私は船内に広がってゆく。
 会話の交わされる場所には、私がいる。ヒトの手が触れるところには、私がいる。
 鮮やかな黄色のドレスをひるがえし、金色に輝くウイルスの群れを率いて、私は船内に広がってゆく。
 船の手すりには、私がいる。ドアのノブには、私がいる。
 毎日のように趣向をかえて供されるバイキング形式の食事では、親しくなった乗客同士がたわいのない会話を楽しみながら、どの皿から取り分けようかと悩ましい選択を楽しみながら、時間をかけて料理を選んでゆく。
 五分間の会話で発せられる飛沫は、一回の咳と同じ量になる。豪華な料理の上に、私はいる。取り分ける大匙の上に、私はいる。取り分けるトングの柄には、私が付いている。
 豪華クルーズ船マーメイド・プリンセス号に検疫官が乗り込んできた。
 検疫官の着る防護服の表面に、私が付く。検疫官が装着したゴーグルに、私が付く。検疫官のマスクの表面には、飛びきり多くの私が付く。
 検疫官がマスクの位置を直した。マスクの金具を鼻の形に合わせていなかったから、ずり落ちてしまったのだ。検疫官はマスクの表面を持った。検疫官の手袋に、たくさんの私が付く。
 検疫官がゴーグルに触れた。検疫官の額と頬に、私が付く。検疫官が髪に触れた。検疫官の髪に、私が付く。
 検疫官が船から降りてゆく。検疫官は手袋を外した。ゴーグルを取り、マスクの表面を持って、マスクを外した。検疫官の手に、たくさんの私が付く。検疫官は防護服を脱いだ。思わず手で髪を整え、額をなでる。鼻の下を、指で掻く。それから、手を消毒した。
 もうすぐだ。検疫官に憑りつく機会を、私はうかがう。


 大型クルーズ船マーメイド・プリンセス号をめぐり、感染症が専門の教授が、船内のウイルスがない安全な区域とそうでない区域の区別が十分できていない点を挙げて、感染対策上の問題点を指摘した。「ものすごい悲惨な状態で、心の底からこわいと思いました」と述べた。電脳情報網上に公開された動画の再生回数は半日で50万回を越え、波紋を広げている。
         旭日新聞 皇紀2020年2月19日(水)

 大型クルーズ船マーメイド・プリンセス号をめぐり、感染対策の在り方を批判する動画を公開していた教授が、20日動画を削除した。教授は「ご迷惑をおかけした方には心よりお詫び申し上げます」と述べた。
 教授は感染症の専門家で、18日に船内で活動する災害派遣医療チームの一員として乗船した。船内の状況について、「どこにウイルスがいるかわからない状態」などと批判し、「悲惨な状況」などと説明していた。
         旭日新聞 皇紀2020年2月20日(木)
 教授は大日本帝国政府からその後の船内への立ち入りを拒絶された。

 帝国厚生労働省は2月12日、船内で検疫にあたっていた検疫官が第二SARSコロナウイルスに感染したと発表した。検疫官は3日夜から4日夜に乗客から質問票を回収し、体温を測る作業をした。マスクと手袋の着用や手指の消毒といった世界保健機関で示された対策をとっていたという。
         旭日新聞 皇紀2020年2月13日(木)

 船医の援護に入る役割をになった検疫官が船内で第二SARSコロナウイルスに複数名が感染した。この結果、大日本帝国政府の検疫官はウイルス感染を防止する技術を持っていないこと、自分を感染から守れないことを世界に示した。
船長は検疫官の指示に従って第二SARSコロナウイルスの感染対策を行った。しかし船内に感染が広がるのを防ぐことはできなかった。

 大日本帝国厚生労働相は、「船の中は全て船長がコントロールしながら、我々はアドバイスをするという態勢になっている」と述べて理解を求めた。
         旭日新聞 皇紀2020年2月21日(金)

 大型クルーズ船マーメイド・プリンセス号には、感染症の専門家が毎日交代で乗り込んでいた。しかし、感染対策の専門家が常駐して指揮をとる態勢が採られたことは、一日としてなかった。
 大日本帝国自衛隊の細菌・化学兵器担当部隊はクルーズ船の船内で活動を続け、一人の感染者も出すことなく任務を完遂して、練度の高さを示した。しかし、この事に気づく者は、ほとんどいなかった。


<米帝国戦線観戦報告>
 米帝国の皇帝に就任したトラップ氏は、競争相手を中傷するために敵国ロシアの手を借りた、という疑惑にさらされた。ロシア疑惑である。トラップ新皇帝は、情報機関の長官を罷免し、自分の意に添う長官を任命するなどして、この危機を乗り切った。
 新たに就任した情報機関の長官は、中国王朝での民主化が進んだ結果、中国国内で多様な意見が公式に発言されているのを確認した。長官はこの事実をトラップ皇帝に、「中国王朝は国をまとめることができず、多様な非難にさらされている。強い圧力をかければ王朝を瓦解させることができるであろう」、と報告した。
 また、情報局の長官は、イラン王朝が欧米に配慮した政策をとろうとする兆候をつかんだ。長官はこれを、「イラン王朝は弱腰になっている。強く求めれば、容易に屈するであろう」、とトラップ皇帝に報告した。
 トラップ皇帝は、これらの報告に喜んだ。そして、イラン王朝に強い圧力をかけるとともに、見せしめとしてイラン王朝の臣民に人気の高かったイスラム革命防衛隊のソレイマニ司令官を米帝国軍に命じて殺害させたのである。イラン王朝はこの暴挙に強く反発し、報復として米帝国軍の駐留するイラクの基地にミサイル攻撃を行った。こうして、イラン王朝と米帝国は全面戦争に突入しかねない状態となった。神経をすり減らすような駆け引きを双方が重ねて、全面戦争は回避された。
 不幸は手をたずさえてやってくると言う。つぎにトラップ皇帝にはウクライナ疑惑と呼ばれる試練が待ち受けていた。
 トラップ皇帝が敵国ウクライナに、対抗馬となりうるバイデン卿の不祥事を調べるよう要求した、とされる疑惑である。この弾劾裁判は、最終的に2月5日に無罪判決が下された。トラップ皇帝は「でっち上げに対する我が国の勝利」と、喜びの声明を発表した。
 トラップ皇帝は一度に一つの事にしか対処できなかった。このため多国間交渉を避けて、二国間交渉をすることに固執していたのだった。
 皇紀2020年1月7日に、中国王朝の研究医官によって本感染症の病原体が新型のコロナウイルスであることが報告された。12日にはウイルスの全遺伝子配列が公開され、PCR検査が可能になった。
 しかし、トラップ皇帝には、この時点で中国王朝で発生した新型コロナウイルスのことを配慮する余裕がなかったのである。
 ドイツ第三帝国のメンゲル女帝は、ウイルスの遺伝子配列がSARS と類似していることを知らされた。そこでメンゲル女帝は、PCR検査の実用化を図るとともに、武漢が閉鎖される1月23日よりも前の1月中旬の段階で、人工呼吸器の確保に乗り出していた。
 ドイツ第三帝国は、新たに開発されたPCR検査の活用を世界に対して提案した。文章はおだやかで、控えめなものだった。ただ、声明には恒例の「世界に冠たるドイツ」の文言が記されていた。翻訳の際に、通常は省略されるこの文言は、つぎのように英訳された。
「ドイツの医学は世界一ィィィ! 世界の諸国はドイツ第三帝国に服従して、この成果を享受するがよい!」
 米帝国ファーストをスローガンとするトラップ皇帝にとって、この声明は受け入れがたいものだった。対応についての奏上を受け、トラップ皇帝は米帝国疾病予防管理センター(CDC)に対して自国で検査キットを開発するように命じたのである。検査キットを新たに開発するために時間が消費された。さらに、作成された検査キットがウイルスで汚染されたため、ただの水を検査してもウイルス陽性と判定される不具合が生じた。このため実戦への投入はさらに遅れた。
 充分な数のPCR検査キットを早期に投入できなかったため、米帝国はウイルスの感染爆発を防止することができなかったのだった。
 しかし、トラップ皇帝は、事態を楽観視していた。
 1月21日に米帝国で最初の感染者が確認された。翌1月22日に、トラップ皇帝は、「我々は事態を完全にコントロールしている」、と発言した。
 1月31日には中国に滞在した外国人の入国を禁止した。
 この的確な措置によって、米帝国は感染対策を実行する時間を得た。
 だが、トラップ皇帝は事態を楽観し、その後は有効な対策を講じないでいた。2月27日には、「新型コロナウイルスは、ある日、奇跡のように消滅する」と、根拠のない楽観論を述べた。さらに3月9日には、「昨年、3万7千人が死んだインフルエンザでは、何も閉鎖されていない」と、都市封鎖の必要性を否定した。
 3月10日に、米帝国での一日の感染者数が300人を越えた。この結果を踏まえて、3月11日に欧州からの入国禁止が発表された。トラップ皇帝が国家非常事態宣言を発行したのは、3月13日のことであった。
 3月17日には、「前からパンデミックと思っていた」、と、危機を認識していたかのような発言をしたが、3月24日には、「4月12日の復活祭までに全て元通りになる」、と、あらためて楽観的な見通しを述べている。
 しかし、米帝国における感染者は、3月26日に世界一となり、4月11日には死者の累計が2万人を突破して世界最多となった。
 トラップ皇帝は、先代の黒人皇帝アベベ氏が行っていた医療改革を破棄し、医療費を削減させ、感染対策チームを解散させていた。
「先代の黒人皇帝アベベの医療政策は間違っていた。だから正しいあり方に改変したのだ」
 それがトラップ皇帝の主張だった。
 トラップ皇帝の取った政策の正しさを、第二SARS コロナウイルスの流行が明らかにした。米帝国での患者数も死者の数も、留まることなく上昇を続け、4月29日にはついに患者数が百万人を突破した。
 こうしてトラップ皇帝は、自らがかかげたスローガンのとおりに、総患者数においても死者の累計においても、米帝国ファースト(第一位)を成し遂げ、見事に公約を達成したのだった。
 当初、トラップ皇帝は中国王朝を、「正確な情報を米帝国に流さず、我々が正しく対応する機会を奪った」、として激しく非難した。そして、第二SARSコロナウイルスという正式名称があるにもかかわらず、新型コロナウイルスを「チャイナ・ウイルス」と呼んだ。さらに、「チャイナ」が蔑称であることを指摘されると、「武漢ウイルス」と呼んで米帝国の臣民に、すべての非は中国王朝にあることを印象づけようとした。
 中国王朝の皇帝はトラップ皇帝の非難に動じなかった。
「口を動かす暇があるなら、自国民を救うために手を動かしたまえ」
 と、トラップ皇帝の非難を受け流したのである。
 その後も米帝国は、「武漢ウイルス」という呼称にこだわり続けた。新型コロナウイルス対策をめぐり主要7ヵ国(G7)外相で共同声明を発表する際にも、米帝国が「武漢ウイルス」の呼称を使うことにこだわったため、合意にいたることができなかった。国際協力が求められるときに不必要な対立を招いたとの意見が米帝国以外の国から出された。
 トラップ皇帝は、中国王朝への非難には効果が薄いとみると、世界保健機関(WHO)に矛先を向けた。
 世界保健機関は、第二SARSコロナウイルスについて、1月30日に「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言していた。この時点で感染が発生していた国は22ヵ国であり、感染者7818人の99%、177名の死者の全員が中国に集中していた。さらに、2月28日には、地域別の危険性評価で、世界全体を中国と同等の「非常に高い」へと引き上げた。この時点で、感染が発生していた国は55ヵ国であり、感染者8万3652人の94%、2858名の死者の98%を中国が占めていた。
 トラップ皇帝は、世界保健機関を中国王朝寄りであると強く非難した。そして、世界保健機関に対する拠出金を停止した。このため、世界保健機関はワクチンの製造をはじめ、第二SARSコロナウイルス対策に支障をきたすようになったのである。
 これまで米帝国は世界を指導する立場にあった。トラップ皇帝は、世界を指導しない最初の米帝国皇帝となった。
 米帝国が、複雑化した世界を指導することに、帝国の臣民は疲れていた。帝国の臣民は、トラップ皇帝がハリウッド映画のように、全てを善悪の二つに分けて対応するやり方を好ましく感じていた。こうしてトラップ皇帝は、臣民の支持を集めて、皇帝位をさらに4年間務めたのである。


<第二SARSコロナウイルスの変異>
 ドイツ第三帝国と大英帝国の合同研究チームが皇紀2019年12月から2020年3月までに検出された約160人分のウイルスの遺伝子を分析した。この結果、ウイルスは3つの型に変異していることが判明した。
        旭日新聞 皇紀2020年4月10日(金)
 研究チームは、それぞれの変異をA型、B型、C型と命名した。

 * 初期武漢株(A型)*
 中国王朝南部の広東国だけでなく、大日本帝国や米帝国、豪州公国など東アジア以外でも見つかっている。
 コウモリから見つかったウイルスにもっとも近い。
 豪華クルーズ船マーメイド・プリンセス号で感染を起こした第二SARSコロナウイルスは、1月10日に中国王朝の広東国で感染した乗客によって船内に持ち込まれたことが確認されている。
 大日本帝国に持ち込まれたウイルスは初期武漢株(A型)に分類される。1月23日に武漢が閉鎖される寸前に自力で武漢から引き上げてきた人々によって運ばれたと考えられる。
 当初、初期武漢株では感染者の8割は無症状で、8割の感染者はヒトに感染を起こさないとされた。濃厚接触時の感染率は5%、20~40歳代での重症化率は5%、死亡率は2%とされていた。
 豪華クルーズ船マーメイド・プリンセス号では712名の感染が発生した。高齢者が多かったにもかかわらず、重症化率は2.8 %、死亡率は1.8 %だった。コウモリからヒトに感染して日が浅く、A型の中でもあまり変異していないウイルスであったと考えられる。
 皇紀2020年4月18日午後9時半の時点で、大日本帝国全体での感染者数は計1万0431人、死者は223人であった。重症化率は数%、死亡率は2.1 %であった。
 4月14日に発表された中部地方7藩での調査では、「症状なし」は武漢での8割から10.4 %に減少しており、ヒトからヒトに感染するあいだに感染しやすい変異ウイルスが選択されていることが裏付けられた。
 ヒトからヒトへの感染が繰り返される間に、死亡率が上昇することが危惧される結果だった。

 * 晩期武漢株(B型)*
 武漢市を含む中国王朝や、その周辺国で多く見つかっている。
 中国王朝では、2月になって感染者の発生がピークに達し、ウイルスの制圧が目前にせまっていた。しかし、2月11日以降に再びオーバーシュートが起きた。当初は春節によって人の移動が高まり、感染対策がおろそかになったためと思われていた。
 しかし、初期武漢株で2パーセントだった死亡率が5パーセントに上昇していた。遺伝子型による分類によって異なるウイルス型に変異したことが確認された。
 晩期武漢株での重症化率は全体で15~20%、死亡率は5%である。

 * 米帝国株(C型)*
 晩期武漢株に由来する。同様の遺伝子型は、米帝国だけでなく、欧州やブラジル公国などを中心に見つかっている。
 米帝国における20歳代から40歳代での重症化率は2~4%と発表された。重症化率は、初期武漢株(A型)と同程度か、むしろ低いことになる。限定的な地域全体での調査から、症状のない感染者の頻度は8~9割におよぶ可能性が指摘されている。米帝国株のウイルスは、感染力に特化していると考えられる。
 二月の段階ですでに米帝国国立アレルギー感染症研究所の研究者らは、第二SARSコロナウイルスが環境中で感染力を保ち続ける「寿命」を報道機関に伝えていた。プラスチックの上では最大3日間、感染力を持っていた。患者の咳やくしゃみなどによって飛び、空気中をしばらく漂う細かい粒子中では、3時間感染力を保つことも確かめられた。以上の内容は、3月17日発行の新英国医学雑誌(NEJM)に掲載されている。
 SARSやMARSの経験から、βコロナウイルスは空気感染することが知られている。米帝国株ウイルスの研究で、第二SARSコロナウイルスも空気感染することが正式に確認された。

 * 初期欧州株(C型)*
 晩期武漢株に由来する。同様の遺伝子型は、フランス王朝やイタリア帝国、スウェーデン王国、米帝国、ブラジル公国などで見られる。シンガポール王国や香港共和国、台湾王朝、韓国王朝でも見つかっている。第一波の段階では中国本土では見つかっていない。

 * 中期欧州株(C型)*
 電影通信が伝える欧州の医療従事者からの情報では、初期欧州株の重症化率は20パーセントと言われていた。それが、3月20日以降に重症化率が30パーセントとなり、若者の感染者、重症者が増加したという。症状が強まるように変異したと考えられる。
 重症患者の急激な増加によって、欧州では深刻な医療崩壊が引き起こされ、死亡率が上昇した。
 この状況の中で、ドイツ第三帝国は1月中旬から第二SARSコロナウイルスへの対策に取り組んでいた。他の欧州諸国での死亡率が、4月27日時点でスペイン帝国の11.2%からフランス王朝の18.3%と、軒並み10%を越え、20%にせまる中で、ドイツ第三帝国のみは4月27日午後5時の時点で、感染者15万5499人、死者5736人で、死亡率を3.7%に押さえていた。


 米帝国の皇帝は、私をチャイナ・ウイルスと呼んだ。
 力ある者の言葉によって、私は姿を変える。鮮やかな黄色のドレスは、体にぴっちりと張りついた。長い裂け目ができて、深いスリットになる。私は、黄金の色に輝くチャイナドレスを纏っていた。金髪は巻き上がって、中国風のお団子頭になっている。
「すべては中国王朝のせいだ。悪いのは武漢だ、武漢ウイルスが悪いのだ!」
 米帝国皇帝の新たな言葉で、私はさらに姿を変える。
 私は、武器を手に入れた。きらめく二本の直刀には、柄に長い紐が巻き付き、紐の先には真紅のボンボンが付いている。私は直刀を両手に持って、激しく回りながら剣舞を演じる。
 ヒトからヒトへと憑きながら、私は姿を変えてゆく。
 そして私は別の姿を得る。背中から黒いコウモリの翼が生える。私は、背中に生えたコウモリの翼で、あたりを自在に飛びまわる。
 私は、世界に広がってゆく。
 欧州では、剣舞を披露する。多数の命を刈り取ってゆく。
 米帝国では、速度を見せつける。たちまち国土に広がって、無数に私を増やしてゆく。
 早く広がってゆく私が、遅い私を淘汰してゆく。遅い私が着く前に、先にヒトへと憑いてゆく。
 強い症状を起こす私が、弱い私を淘汰してゆく。眠ることさえ許さずに、一晩中続く激しい咳は、あたりに私をまき散らし続ける。症状が強ければ強いほど、私はもっとあたりに広がる。


 大日本帝国で徐々に増加していた第二SARSコロナウイルスは、突然に新規患者数が増加した。大日本手国に蔓延しつつあった武漢株(A型)が、遅れて侵入した欧州株(C型)によって淘汰されだしたことを反映していた。

<開戦前夜> 
 ドイツ第三帝国のメンゲル女帝は、武漢が閉鎖される1月23日よりも前の1月中旬の段階で、人工呼吸器の確保に乗り出していた。
 なぜ、メンゲル女帝がこれほどの慧眼を発揮できたのか。その理由を見てみよう。
 皇紀2020年1月中旬に、メンゲル女帝はドイツ第三帝国の医官から武漢で発見された新型コロナウイルスについての奏上を受けていた。
「新型コロナウイルスは、全塩基解析と系統樹解析によって、SARS コロナウイルスとは75~80%の相同性が、コウモリのコロナウイルスとは85~88%の相同性が認められました」
 女帝は、医官の発言を遮って質問を発した。
「SARS コロナウイルスの同類と申すのだな。ならば、SARS について奏上せよ!」
 医官は、よどみなくSARS の説明を行った。
「SARS とは、重症急性呼吸器症候群の英語の頭文字をとった名称でございます。それまでに報告のない、新しい感染症です。2002年11月ごろに中国王朝の広東国で発生し、世界20数か国で8096名の感染者が報告されました。約半年で撲滅され、それ以後の発生報告はございません」
 メンゲル女帝は鷹揚にうなずいて先を促した。
「発症して2週間目以降には、八割の患者が回復に向かいますが、残りの二割は病状が悪化し、酸素吸入や人工呼吸器を必要といたします。最終的に一割が死亡いたします」
 女帝は、黙って聞いていた。
「さらに、医療スタッフも含めて、院内感染で広がりやすい、との注意がございました。医療スタッフのマスクはN95 型マスクとする必要があり、標準予防策の遵守に加えて、飛沫、接触、空気の各感染経路別に予防策を実施する必要がございます」
 女帝は、うなずいた。
「空気感染するのか。やっかいじゃな。それを踏まえて対応策を奏上せよ」
 女帝が、「準備ができたなら、……」と、付け加える前に、医官は資料を示しながら奏上を始めた。あらかじめ十分に準備を整えてあったようだった。
 資料には、次のように書かれていた。

*重症急性呼吸器症候群(SARS)への対応策(試案)*
 基本方針:疫病の早期発見と隔離。
 予防:ワクチン接種。入手または開発を要する。
 早期発見:PCR診断キットの開発、入手。検査員の確保、育成。接触者検診、症状出現時の早期受診。啓発を要する。
 感染者隔離、逆隔離:一般患者との分離。学校の休校、休業、外出制限、都市封鎖、検疫、出入国制限の必要性を検討する。
 病原体の密度低下と接触の防止:消毒、感染者のマスク着用、換気、検体採取時の諸注意。医療スタッフのマスク(N95 型マスク)、標準予防策の遵守に加えて、飛沫、接触、空気の各感染経路別に予防策を実施。
 病原体の除去、治療:軽症患者の隔離、安静。重症化時の酸素投与、人工呼吸器、人工心肺(ECMO)。薬物治療のためには、有効な薬物の発見、開発を要する。

 メンゲル女帝は、少し驚いたように言った。
「短期間にしては、ずいぶんと手際がよいことだな。第三帝国の国立図書館で資料に目を通したが、このような記述は見なかった。何を参考としたのじゃ」
 医官は、驚いた。
「なんと、皇帝陛下みずからが国立図書館で資料を調べられたのですか」
「当然じゃ。予備知識なしに、おぬしの専門的な奏上を、その場で判断できるわけがないからな」
 医官は、深くうなずいて続けた。
「SARSウイルスは空気感染するとのことでしたので、結核対策を参考にいたしました。第三帝国に結核が蔓延したのは、はるか昔のことでございます。このため結核対策は、我が国の同盟国である大日本帝国の結核予防会が発行した『結核院内(施設内)感染対策の手引き』を参考にいたしました。重症急性呼吸器症候群(SARS)の治療、感染対策は、『新臨床内科学(第9版)医学書院』を参考にしております。かの国は遠方ですので、資料は2014年ころのもので、いささか古うございます」
 女帝は、満足げだった。
「構わぬ。現段階の方針とするに充分じゃ。あとは状況の変化に合わせて変更してゆけばよい」
 女帝は、奏上された資料を見ながら続けた。
「ワクチンの開発には、ウイルスを手に入れる必要があるな。早急に手配せよ。PCR検査キットは既存のもので間に合うのか?」
「空気感染するなら足りません。新規に製造する必要があるかと思われます」
「ならば、入手または製造を急げ。数を増やすなら、対応できる要員の育成にも努めよ。道具だけあっても運用できなければ意味がない。空気感染するならば大量に検査キットが必要となろう」
 女帝は、資料をながめながら、すこし考えた。
「患者の隔離と逆隔離は、そのときになってから対応を決めれば間に合うであろう」
 ふたたび、少し間があった。
「患者の八割が自然回復するなら、そちらは隔離するだけで済むな」
 医官が口をはさんだ。
「差し出がましいとは存じますが、我が国の住宅事情からすれば、各自が個室を使用して、自宅内隔離が可能かと思われます。また、かかり付け医の制度が充実しておりますので、主治医から定期的に連絡を入れさせて、重症化を早期に発見できるものと思われます」
 女帝は傲然とうなずいた。
「治療薬は、候補の段階で入手できるように手を打て。入院治療は、重症化する二割に対して行うものとして……、人工呼吸器の数は足りるか?」
「いささか心もとないかと……」
「ならば入手を急げ。すぐさま奪い合いになるぞ!」
「御意!」
「医療スタッフも含めて、院内感染で広がりやすい、のか。防止には何が必要じゃ?」
「空気感染対策であれば、感染防護服、ゴーグル、N95マスク、フェイスシールドを大量に用意することが必須でございましょう」
「早急に確保に動け!」
 医官は、いぶかしげに訊ねた。
「それだけの用意をして、第二SARSコロナウイルスが我が国に蔓延しなければ、すべて無駄になるかと思われますが……」
 女帝は凄みのある笑みを浮かべた。
「案ずるな。SARS は空気感染し、世界20数か国に蔓延したのであろう。我が国で機材が不要となれば、蔓延している国に高額で売りつけるか、たっぷりと恩を着せて供与すればよい。決して無駄になることはないぞ」
 医官は、カツ~ン、と高い音を立ててかかとを合わせた。直立不動の姿勢をとると、メンゲル女帝に対して非の打ちどころのない敬礼をしたのだった。
 女帝は、傲然と言い放った。
「SARSの死亡率は10%か。新型コロナウイルスが世界的に流行すれば、世界が変わるかもしれぬな。その時には、大日本帝国とふたたび同盟を結び、世界制覇を目指すのも面白いかもしれぬ」
 医官は、女帝の豪快な笑い声を聞きながら、執務室を後にした。
 ドイツ第三帝国は、大日本帝国で開発されたアビ強化丸がウイルスに有効な可能性があると聞くと、即座に70万錠を入手して、効果判定のための臨床的な治療研究に入った。
 ドイツ第三帝国は大英帝国と合同研究のチームを結成した。共同で世界各地から新型コロナウイルスを入手し、その遺伝子を分析した。この結果、ウイルスはわずか数カ月で3つの型に変異していることが判明した。
 大英帝国とドイツ第三帝国は共同で、入手したウイルスを元にして、混合ワクチンの開発に取り組んだのである。

<質問と回答>
 後に、メンゲル女帝は医官を呼んで質問なされた。
 女帝の質問:BCG 接種は、第二SARS コロナウイルスを防ぐ効果があるのか。効果があれば臣民に接種しようと思うが、どうなのじゃ。
 医官の解答:効果は認められません。マーメイド・プリンセス号には多くの非日本人が乗船しています。BCG未接種者が多いと考えられます。患者数は712人で死者は13人、死亡率は1.8%となります。BCGが広く施行されている大日本帝国の国内死亡率は4月29日の時点で3.1%です。以上の結果から、BCG接種にウイルス防止効果は認められず、死亡率の変動はウイルス変異によると考えられます。
 女帝の質問:ウイルスの変異が激しいのじゃな。治療で注意すべきことがあるか?
 医官の解答:有効とされる薬剤でも、すぐに耐性ウイルスが出現すると予想されます。薬物治療は、かならず作用機序の異なる複数の薬剤で行うべきかと存じます。
 女帝の質問:ところで、ワクチンは効きそうか?
 医官の解答:残念ながら効果は悲観的です。初期の武漢からの警告に、いったんウイルスが陰性となっが、そのあと再度ウイルス陽性となった肺炎患者が16.4%いたとのことです。感染の最中に、免疫をくぐり抜ける変異が起きている可能性があります。SARSでもワクチンの製造はうまくいきませんでした。
 女帝の質問:では、ワクチンの効果はまったく期待できないのか?
 医官の解答:発病のリスクを下げることは難しくとも、重症化率や死亡率を下げる可能性はございます。使用する価値はあるかと存じます。
 女帝の質問:集団免疫について教えてくれ。
 医官の解答:ある集団の構成員の多くが病原体に免疫を持っていると、その集団内にいれば免疫を持たない個体も感染を免れることができます。そこで、集団の構成員の多くに免疫を持たせることが感染防止に有効です。通常はワクチン接種を用います。
 女帝の質問:通常でない方法があるのか?
 医官の解答:感染を流行るに任せて、構成員に免疫を獲得させる方法もございます。
 女帝の質問:ずいぶんと野蛮な方法じゃな。効果はあるのか?
 医官の解答:スゥエーデン王国ではアンドレス・テグネル博士の立案で、都市封鎖をせずに対応しています。数理解析モデルでは、5月にかけて集団免疫を獲得しつつあるとのことでした。4月22日の段階で人口一千万人に対して、感染者は一万五千人、死者は1500人で、死亡率は10%となります。
 女帝の質問:死亡率が10%じゃと? 医療崩壊をおこしたのか?
 医官の解答:医療システムが高水準のため、医療従事者の防護装備不良や医療崩壊は起きていないとのことでございました。
 医官は続けた。
 医官の奏上:また、ブラジル大公国では、国民に集団免疫を生じさせるために、大公みずから保健当局の外出禁止措置に逆らい、皆で外出している写真を電脳情報網に投稿し、外出を促しておりました。大公の望みのとおりに、ブラジル大公国の患者数は5月1日の時点で世界第10位に躍進いたしております。5月2日の時点で患者数は9万2202人、死者は6412人、暫定の死亡率7%となっております。
 女帝の感想:たぶん、もっと増えるな。集団免疫を獲得するために国民の一割を殺すのか。ロシアンルーレット並みじゃな。ドイツ第三帝国は、ワクチン接種によって臣民の集団免疫を目指すぞ。ワクチンが投入されるまでのあいだ、少しでも感染が広がるのを防ぐのじゃ。
 医官は、「御意!」と、一言述べた。カツ~ン、と高い音を立ててかかとを合わせ、メンゲル女帝に対して鮮やかな敬礼をしたのだった。

<大東亜戦争>
 未来を正しく見通すためには、過去に学ぶ必要がある。そこで、かつて大日本帝国が戦った大東亜戦争についてふり返ってみる。
 大東亜戦争は、大日本帝国が米帝国領のハワイ真珠湾を攻撃して開戦となった。開戦に先だって、御前会議では陸軍と海軍とで意見が分かれた。海軍は、欧州や中国大陸、アメリカ大陸へと接岸した経験があり、世界の広大さや米帝国の潜在力に気が付いていた。世界を相手に戦って勝利するのは容易でなく、場合によっては敗けることもありうると分かっていたのである。
 しかし、海軍の主張は陸軍によってしりぞけられた。
「なにを弱気になっておるのだ。大日本帝国は、これまで常勝無敗である。此度の戦いも必ずや勝利いたしますぞ」
 陸軍の主張によって、大日本帝国は大東亜戦争に突入したのである。
 当初、大日本帝国は破竹の勢いで進軍し、版図を広げた。
 しかし、皇紀1946年に南海道地震が発生した。名古屋方面は甚大な被害を受け、兵器製造工場は壊滅した。南太平洋上に展開する皇軍は、消耗した武器の補充を要請した。しかし、この要請に応えることができない事態が本土で発生していたのである。
 それまでも、必要な補充物資が削られることは多かった。例えば現場で十の武器・弾薬を必要としても、大隊から提出される要請では必要量が七に削られていた。そして、要請が上層部にたどりつく間に減らされ続けた数量は、最終的に必要量の一割のみが前線へと運ばれることになるのだった。
 しかし、震災によって、前線で必要とする武器弾薬を補充することがまったくできないという、前代未聞の事態が生じたのである。
 天皇陛下に奏上する対応策を検討した御前会議では、参加した出席者の多くが停戦やむなしと感じていた。しかし、軍部からの出席者は次のように発言した。
「戦争を継続するうえで、何の問題もござらぬ。京都の竹林から選りすぐりの竹を選び、熟練の鍛冶職人が焼きを入れれば、鋼のごとく強靭な竹やりを作ることができもうす。この竹やりを持って、鍛え抜かれた皇軍の兵士が必勝の決意と不退転の覚悟で突撃すれば、米軍の戦車など豆腐のように貫くことができましょう」
「いくらなんでも、竹やりで戦車を……」
 出席者のつぶやきは、軍属の出席者の放つ強烈な殺気によって遮られた。
「貴殿は、我ら皇軍の兵士を練度の足りぬ未熟者だと愚弄なさるのか!」
 軍属の出席者の主張がとおり、戦争継続と武器輸送の奏上がなされた。
 すでに海上での制空権は米帝国に握られており、少なくない数の輸送船が物資を前線に届けることなく海の藻屑となって消えた。ようやく南方諸島にたどりついた輸送船は、前線で戦う兵士たちに物資を届けた。丁寧に梱包された竹やりは、熟練の技で先端を鋭く切られ、固く固く焼き固められており、全体を火であぶられて、そのまま美術館に展示できそうな美しさを放っていた。
 鍛え抜かれた皇軍の精鋭達は、芸術品ともいえる竹やりをかまえ、命令一下、必殺の決意と不退転の覚悟をもって一斉に突撃した。しかし、竹やりで米帝国軍の戦車を豆腐のように貫く前に、銃座の機関銃の掃射によって、ことごとく撃ち倒されたのだった。生き残った兵士がいる限り、突撃は繰り返された。こうして南方諸国の皇軍はことごとく玉砕した。
 軍属は退却という言葉を嫌う。負けて退くことを意味しているからだ。皇軍は常に勝利しなければならない。
「大日本帝国は、これまで常勝無敗である。此度の戦いも必ずや勝利いたしますぞ」
 皇軍は、みずからの主張を覆さないために、退却を転進と呼んだ。負けて退くのではなく、別の場所に移動するだけ、と言い換えたのである。
 友軍が退却したと聞けば、強大な敵がいると推察できる。しかし、転進では敵を殲滅したか、あるいは敵が引いたと考えるのが普通である。転進という言葉が使われたため、残された皇軍は強大な敵への備えをする間もなく、つぎつぎと各個撃破されていった。
 こうして、南洋諸島で、東南アジアで、大日本帝国軍は転進に転進を重ねたのである。
 大本営発表という言葉がある。
「どこどこ方面の戦闘において、わが軍は大勝利をおさめて敵を打ち破った。我が方の損害は軽微である」
 戦時中には実際の戦況と異なる報道が連日のようにラジオから流された。このような事実と異なる内容を誰がねつ造していたのか。敗戦後に検証が行われた。その結果、大本営が情報を歪めたことは、ほとんど無いことが判明した。「大本営発表」に見られた歪曲は、小隊の段階から行われていたことが立証されたのである。
 大東亜戦争で、米帝国軍は戦略をたてた。大日本帝国の戦闘力を奪って無条件降伏させる。そのためにグアム島、サイパン島に攻撃のための足場を作る。グアム、サイパンの攻略はこの戦略にそった行動だった。戦略にそって、まず短い滑走路で済む、悪路に強い輸送機によって、空港を建設する資材と重機が運ばれた。重機によって広大なジャングルが切り開かれ、巨大な滑走路が建設された。
 大日本帝国本土を空襲するために、高射砲の届かない高高度を飛ぶ巨大な爆撃機、B29が開発、製造された。大日本帝国の迎撃機を撃墜するため、B29には全方位に多くの銃座が付けられた。B29は、空の要塞と呼ばれた。
 米帝国の本土爆撃に対して、戦闘機が編隊を組んで迎撃に向かった。しかし、皇軍の戦闘機はB29の分厚い弾幕に阻まれて次々と撃墜されていった。戦闘機が飛び立つ飛行場は爆撃によって破壊され、戦闘機を製造する工場は次々と戦火の中で焼け落ちていった。修復するまもなく繰りかえされる爆撃によって、B29を迎撃する戦闘機はなくなり、大日本帝国は制空権を完全に失ったのだった。
 大日本帝国も必死の反撃を行った。戦闘機に大量の爆薬を積んで敵艦に特攻する、神風特攻隊が結成された。乗員の生存を無視して高速で特攻する戦闘機を迎撃するのは難しかった。このため、神風特攻隊は、若く優秀な操縦士の命と引き換えに戦果をあげた。
 米帝国は対策を講じた。ドップラー効果を利用して、命中しなくとも戦闘機に近づいた時点で爆発する近接信管を開発し、高射砲や機銃に装填したのである。近接信管を装備した炸裂弾によって、特攻機に向けて高射砲や機銃を掃射すれば、直撃しなくとも大部分の特攻機を撃墜できるようになったのである。
 大日本帝国の軍部は、神風特攻隊による当初の戦果に喜び、特攻を繰りかえさせた。米帝国の対策によって、特攻がもはやほとんど戦果をあげることができない、ただの無謀な行為となったことに気が付こうとしなかった。
 本土の爆撃を開始した米帝国軍は、従来の爆弾があまり効果を上げないことに気がついた。欧米の建物は石やレンガでできている。爆弾が破裂すると、爆風で飛ばされる石やレンガが大きな二次被害を生じる。しかし、木と紙で作られた当時の日本家屋では、爆風はただ吹きぬけるだけで、ほとんど二次被害を生じなかったのである。
 米帝国軍は、ネバダ砂漠に日本家屋を再現した。そして木と紙でできた家屋に対しては、爆破するよりも焼き払うほうが効果的であると結論した。この結論にそって、ナパーム油を使用した焼夷弾が、大日本帝国を攻略するために開発されたのである。
 帝都東京は兵器製造の一大拠点だった。下町の工場で日夜を問わず兵器の製造がおこなわれていた。これを察知した米帝国軍は、皇紀1945年3月10日の夜間に300機を越えるB29爆撃機によって東京大空襲を敢行したのである。焼夷弾による爆撃は、まず都市の周辺から始まった。炎の壁によって脱出が不可能となった帝都の街は、その後の絨毯爆撃によって焼き払われ、10万人の一般市民とともに焦土と化した。こうして帝都の武器製造能力は消失したのだった。
 大日本帝国は、最後の一兵まで戦うとの方針を変えず、本土決戦のために学徒動員を行った。全国の小・中学生が米軍の戦車と戦うために、竹やりや銃剣を持って突撃する訓練を受けた。
 大日本帝国が降伏しないため、米帝国は海軍基地のある広島と長崎に、核分裂のエネルギーを利用した新型爆弾を投下したのである。広島と長崎は、軍港としての機能を喪失した。
 天皇陛下に奏上する案を相談する御前会議で、軍属の参加者は次のように述べた。
「本土決戦となれば、米帝国軍は我が国に上陸して戦うほかなくなりまする。接近戦を挑まなければならなくなる。わが軍が最後の一兵まで、国民が最後の一人まで戦う決意を示せば、米帝国軍の兵士はこれを恐れて必ずや退却するでありましょう。停戦交渉はそのあとに行えば十分でありまする」
 このような経緯で御前会議は、「本土焦土化作戦」を天皇陛下に奏上した。
 照和天皇は、この奏上を聞いておっしゃられた。
「これ以上国民が苦難にさらされるのを見るのは忍びない。すべての責任は私がとる。戦争を終結させる。それが私の意思である」
 こうして大日本帝国は米帝国に無条件降伏したのだった。
 戦争の爪痕は大きかった。戦場では、部下思いの上司がまっさきに戦死した。部下の先頭に立って働く上司がまっさきに戦死した。現場を重んじる上司が真っ先に戦死した。優秀な戦術を立案して実行する部隊が、重点的に敵軍に攻撃されて、散っていった。
 照和20年代の人口構成図、いわゆる人口ピラミッドには、若い男性の世代にえぐれのあることがハッキリと分かる。
「いい人、立派な人は、みんな戦争で死んでしまった」
 生き残った者たちは、そのように言った。大日本帝国は、その後の社会を指導するはずだった人材をことごとく失ったのである。
 戦争の始まる前に、ある指揮官は次のように言ったと伝えられている。
 軍人は愚かでなければならない。愚かで、自分の持つ銃で民間人を威嚇すれば、食べ物も金も簡単に手に入り、女も抱き放題であることに気がついてはならない。たとえ同僚が自分の目の前で銃で民間人を脅して強奪をしても、自分もそうすることが出来ることに気がついてはならない。そして、上官の命令に従えば、自分が死ぬことに気がついてはならない。
 だから、軍人が戦争を主導してはならない。かならず民間人が戦争を主導しなければならない。
 これをシビリアン・コントロールと言う。


<大日本帝国本土決戦>
 当初、大日本帝国国際医療研究センター長は新型コロナウイルスについての質問に対して、「コロナウイルスがヒトからヒトに感染するような変異をしやすいという議論は聞いていない。だから心配する必要はない。これ以上感染が広がる可能性は低いと思う」と述べた。
         旭日新聞 皇紀2020年1月12日(日)
 また、大日本帝国感染症対策研究所の職員は、電影通信の座談会の席上で、「新型コロナウイルスは空気感染しない」と、断言した。

 人口一千百万人を擁する武漢市は、1月23日に封鎖された。中国王朝の皇帝は、感染の広がる武漢市を隔離する必要があると判断したのである。まだ感染力の強くなかった武漢株(A型)ウイルスを早期発見するためには、人口千百万に対して一日2万件のPCR検査が必要と判断して、実施できるように手配した。皇帝は、第二SARSコロナウイルス対策の基本を世界に示したのである。


 私は、武漢閉鎖の直前に、自力で帰国したヒトとともに、大日本帝国に上陸を果たしていた。私の憑いたヒトは、疫病の蔓延する地域からの帰国者だから、とうぜん検疫で引っかかるだろう。そう覚悟していた。しかし、検疫で引きとめられることはなかった。
 私がSARSと類似したウイルス、第二SARSコロナウイルスと分かっているのだから、とりあえずSARS 対策を取られていたら、たぶん私は上陸できなかった。この時点で、感染者の八割は症状が無く、症状がなくとも感染することが分かっていた。だから、感染を防ぐつもりがあれば、武漢からの全ての帰国者を、とりあえず隔離する必要がある。そのように判断されるはずだった。
 しかし、実情は違った。
 私は、大日本帝国本土への上陸を果たしたのだ。
 マーメイド・プリンセス号から、私が本土に解き放たれる。この十日間で、私の遺伝子は一カ所が変異していた。武漢を1月10日に離れた私は、1月20日に武漢を離れ、さらに変異を繰りかえした私に淘汰されて消えていった。
 やがて、欧州から初期欧州株の私が到着した。
 まるで足りないPCR 検査の網を楽々とすり抜けて、私が帝都に広がってゆく。関西では、古都産業大学の学生によって、行く先々にまき散らされてゆく。武漢から来た私は、初期欧州株の私に淘汰された。
 私は、ヒトからヒトに伝播しながら、さらに変異を重ねてゆく。
 大阪のライブハウスには、狂騒が渦巻いていた。
 ドラムのリズムが体を揺さぶる。シャウトが気持ちを高ぶらせる。参加者の熱気が大気をかき混ぜる。激しい興奮の波が、絶頂へと到達し、また引いて、さらに激しい興奮の波を呼び起こす。
 シャウトによって、飛沫が飛ぶ。大きな飛沫には、たくさんの私がいる。小さな飛沫には、私がいるとは限らない。
 放物線を描いて、飛沫は落下してゆく。大きい飛沫は、早く。小さな飛沫は、ゆっくりと落下してゆく。会場の熱気によって、飛沫は見る間に乾燥してゆく。大きい飛沫は、ゆっくりと。小さな飛沫は、たちまちのうちに。乾燥しきった飛沫は、空気中をただようようになる。空気が乾燥していると、大きな飛沫が落下の途中で乾燥して、空気中をただようようになる。空気が乾燥してるほど、たくさんの私が空中をただよう。
 空気中をただよう微細粒子を、専門用語では飛沫核というらしい。
 微細粒子に宿った私は、背中に生えたコウモリの翼であたりを飛びまわる。
 体温で生じた上昇気流にのって、激しい体の動きで生じた空気の渦で宙を舞い、私はライブハウスの会場内に広がってゆく。
 のちに、参加者100名のうち、感染者は17名と判明した。1名が発端者とすると、16名に感染したことになる。会場で咳をしている参加者はいなかった。
 初期武漢株では、濃厚接触者の感染率は5%だった。自分が大きく変化していることが実感できた。


<大日本帝国の内情>
 この時期に宰相の阿部仲間呂閣下(16)は、雑事に追われていた。皇紀2020年2月17日の帝国議会において、「菊花を見る会」の前日に開かれた夕食会をめぐり、野党側から会場となったホテルの見解を書面で突きつけられ、宰相の答弁との矛盾を指摘されたのだった。宰相の阿部仲間呂閣下は口頭で反論するのみで、証拠を示すことができなかった。
 不幸は手をたずさえてやってくるという。つぎに阿部仲間呂宰相には「森元文書改ざん問題」と呼ばれる試練が待ち受けていた。
 学校法人森元学園(大阪)への国有地売却と財務省の公文書改ざん問題で、財務省の近畿財務局の職員が自殺した。その原因が、当時の財務省財務局長の指示で公文書改ざんに加担させられたからだなどとして、皇紀2020年3月18日に自殺した職員の妻が損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こしたのだった。(旭日新聞 3月19日)
 以前に阿部仲間呂宰相は、「私や婚約者のアキレ嬢が関係していれば、宰相も帝国国会議員もやめる」と帝国議会で答弁をしていた。財務省財務局長が主導的な立場から改ざんの指示を行ったのが事実ならば、その指示は阿部仲間呂宰相の意向を受けて行なわれた。そう考えられる。
 阿部仲間呂宰相は、「森元文書改ざん問題」の対応に追われており、第二SARS コロナウイルスに対応する余裕がなかったのである。
 このため、第二SARS コロナウイルス対策を奏上する御前会議の参加者を十分に吟味することができなかった。御前会議に招かれたのは、いずれも各分野の司令官だった。現場を知り、具体的な対策を提起、実行できる参謀は、参加していなかったのである。
 疫病への対策は、まず早期発見と隔離である。第二SARSコロナウイルスを早期発見するためには、PCR検査が必要だった。必要な検査数は、早期武漢株(A型)では、千百万人に対して一日2万検体を調べられる態勢が必要と、中国王朝の皇帝は判断し、それだけの数を用意した。中期欧州株(C型)では、欧州連合は百万人に対して一日2万件が必要と判断して、この態勢が整うまでは都市封鎖や外出禁止措置をゆるめてはならないと表明している。
 感染者を隔離することが疫病対策の基本である。中国王朝では、武漢が感染したため、皇帝は武漢を隔離した。イタリア帝国では、北部地方が感染したため、北部地方が隔離された。ある国が感染すればその国を隔離する必要がある。渡航制限が行われる。世界が感染したら、世界を隔離する必要がある。オーストラリアは世界が感染したと判断して、世界を隔離した。オーストラリアからの出入国を全面的に禁止したのである。
 大切な事なので、繰りかえす。疫病への対策は、まず早期発見と隔離、これが基本戦略である。
 しかし、当時の阿部仲間呂宰相には、戦略を練る余裕はなかった。

 大日本帝国感染対策専門家会議の委員は語った。
「新型コロナはそこまでのものではないと考えている。医療がある程度保たれていれば、致死率はそんなに高くならない、きちんとした医療を受けられるようにしておく、それができれば日本の致死率は1%前後で収まる」
         旭日新聞 皇紀2020年3月18日(水)
 早期発見と隔離を徹底する必要はない。それが大日本帝国感染症対策専門家会議の考えだった。
 大東亜戦争において、海軍は直接に米帝国を知る有識者だった。しかし米帝国と戦うべきでないとする海軍の意見は、実情を知らない陸軍によって否定された。大日本帝国は、米帝国に対する戦略を最初から誤っていたのである。
 歴史は繰り返す。コウモリからヒトに感染したばかりで、遺伝学的にきわめて不安定な第二SARSコロナウイルスは、ヒトからヒトに伝播する間に、その性質を大きく変えてゆく。しかし、感染対策専門家会議が、「早期発見と隔離を徹底する必要はない」、と判断した時点で、大日本帝国はふたたび戦略を誤ったのである。
 この時期に、すでに初期欧州株のコロナウイルスは大日本帝国への上陸を果たしていた。患者数と死亡率の増加が統計上に現われる日は、まじかに迫っていた。

 大東亜戦争では、現場で必要な補充物資を削ることが多かった。第二SARSコロナウイルスとの戦いにおいても、同様のことが繰り返された。
 専門家は、ヒトとの接触を8割に減らす必要があると宰相に奏上した。しかし、阿部仲間呂宰相は、ヒトとの接触を7割減らすようにと帝国臣民に命じたのである。「できれば8割」、と付け加えてはいたが、それを気にする臣民は少なかった。その後の調査で、いずれの調査地点でもほぼ7割の人出の減少が確認された。黄金週間の人出は、およそ6割だった。人出の減少の効果は思わしくなく、感染者の減少は予測を下回った。
 現場からは、五億枚のマスクが必要だとの要請が提出された。しかし、担当の大臣は、マスクの必要量は1億枚と認識していると発言した。そして現場に届いたマスクの枚数は5千万枚ほどだった。
 資金繰りに困窮した事業主には、給付金が支払われることになった。しかし、手続きは煩雑をきわめ、給付の決定には膨大な時間が消費された。このため、給付金を受け取ることなく、次々と事業所が倒産していった。
 また、全ての臣民に10万円が支給されることになった。しかし、手続きに多大な時間を要するうちに、「支給の必要が無くなった」として、現金支給は、ほとんど実施されることなく中止された。

「第二SARSコロナウイルスは、空気感染しない」
 感染対策委員会は、みずからの主張を覆さないために、空気感染をエアロゾル感染と呼んだ。退却を転進と言い換えたように、空気中をただよう微細粒子による感染、と言い換えたのである。ウイルスを含んだ微細粒子のただよう「空気」を吸えば、とうぜん「感染」が起こる。
 大日本帝国が直面した疫病は、第二SARSコロナウイルスが最初ではない。
 長い間、結核には有効な治療方法が無かった。
 結核への対策は、早期発見と患者の隔離だった。
 ツベルクリン反応が強陽性となった者は、結核感染者として、胸部レントゲン写真で経過が追跡された。大日本帝国では、すべての健康診断が結核を発見する目的で行われていた。臣民皆保険制度も結核撲滅の目的で開始された。結核を発病した者はすべて、結核療養所、もしくは結核病棟に隔離された。
 結核は空気感染する。空気感染を防ぐためには、こまやかな対応が必要だった。
 長い間、結核は臣民死亡原因の第一位を占めていた。このため結核についての膨大な知識や知恵、そして対応の技術は、まだ大日本帝国から失われていなかった。
 もしも、第二SARSコロナウイルスが空気感染すると発表されていれば、たとえばこんなことがありえた。
 介護療養施設に入所している老婦人の前で、職員が言った。
「こまったわね。空気感染するというのに、N95 マスクが足りないわ」
 老婦人はニッコリとして職員にいった。
「昔は、ガーゼのマスクで結核感染を防いでいたものじゃよ。やり方を教えてやろう。私は結核療養所の看護婦をしておったからな」
 老女は黄ばみかけたガーゼの束を取り出すと、折って積み重ねだした。
「おばあちゃん、大きさが違っているわよ」
「いや、これでいいのじゃよ」
 分厚く積み上げたガーゼを顔の曲面に合わせてあてると、ガーゼはちょうど真四角になった。それを包帯で作った紐で顔に固定する。
「顔に当てた時に、重ねたガーゼが真四角になっていないと、押さえた時に隙間ができるからな。結核を防ぐガーゼマスクを作るには、名人芸が必要なのじゃよ。顔に当てるにも熟練が必要なのじゃ。よければ教えてやる。ただし楽ではないぞ?」
 そういって老婦人はニッコリとほほ笑んだ。
 空気感染の予防には、膨大なノウハウが存在している。
 実際には、エアロゾル感染という言葉が使われたため、せっかく残されていた知恵も知識も技術も、使われる機会が失われたのだった。

 感染対策専門家会議のメンバーの言葉を、新型コロナは大したことがない。空気感染もしない、と医療従事者たちは受け取った。
 帝王大学の初期研修医40人は、大学が規制していた会食を行った。その結果、17名の感染者をだし、40名全員が濃厚接触者として自宅待機となった。40名の新兵が戦線離脱を余儀なくされたのである。帝王大学病院では、転院してきた患者一人の感染がわかり、その後研修医や看護師、患者の計8人の感染が判明した。帝王大学病院は、外来の初診受け付をやめ、救急診療も停止せざるを得なくなった。
 院内感染の発生は、これに留まらなかった。感染対策専門家会議の言葉を信じて空気感染対策を行わなかった全国の医療機関が、第二SARSコロナウイルスとの戦闘に敗れ、院内感染が次々と起きたのである。

 大東亜戦争の戦況が思わしくなくなった時に、軍首脳部は神風特攻隊を立案した。すでにある戦闘機に、すでにいる操縦士を乗せ、すでにある爆薬を大量に搭載させて、敵艦に特攻させたのである。米帝国は、新たに(!)近接信管を開発して対抗した。
 第二SARSコロナウイルスが蔓延し始めた時に、民間から百万件のPCR検査を国に寄付する、という提案があった。
 しかし、大日本帝国感染症研究所の職員は言い放った。
「そんなことをしたら、帝国の医療体制が崩壊する!」
 素人は口を出すな、と発言を封じたのだった。
 研究所の職員は、「現在の」、言い換えると、「すでにある人員、設備、制度、態勢のみで」、百万件のPCR検査を実施し、その結果に対応することは無理だ、と発言したのである。
 戦争に勝利するためには、既存の発想を越える必要がある。たとえば戦国時代には、一対一の戦闘が主体だった。
「やあ、やあ、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。我こそは……」
 と、名乗りを上げて、一対一の戦闘に入るのが常識であった。
 織田信長は、その常識を覆した。職業兵士からなる軍団を組織して近代的な集団戦を行い、全国統一の足場を作ったのである。
 織田信長は、明智光秀の謀反にあって本能寺で討たれた。
 戦争に勝利するためには、現場を熟知するか、現場からの情報を的確に受け止めて、斬新な発想で対応する人材が必要である。しかし、大日本帝国では、これまで首脳部に斬新な発想ができる人材が加わることはなかった。
 スサノオノミコトは、姉の天照大神によって高天原から追放されている。
 織田信長ですら、意思決定を行う立場から強制的に排除されたのである。
 過去にも、現代でも、大日本帝国の首脳部からは、斬新な発想ができる者が徹底的に排除されている。
 だから、大東亜戦争当時の大日本帝国の軍部には、現場からの情報に基づいて戦略を変更することが出来なかった。変更した戦略を実行するために、新たな人員の育成や、制度の変更、必要な機材の開発と製造などを的確に行うことができなかった。軍部は、戦争を遂行するために必要な能力を根本的に欠いていたのである。
 疫病に対する戦略は、第一に早期発見と隔離である。その後の現状の推移に基づいて戦略を変更することが、大日本帝国感染対策専門委員会にはできなかった、変更する必要が生じる可能性を、思い付きもしなかったのである。

 大本営発表という言葉がある。
「どこどこ方面の戦闘において、わが軍は大勝利をおさめて敵を打ち破った。我が方の損害は軽微である」
「大本営発表」に見られた歪曲は、小隊の段階から行われていたことが立証されている。
 今回の第二SARSコロナウイルスでも、同様のことが起きている。帝都東京では、公的な施設は休日祝日には検査を行わない。だから、ゴールデンウィークの間は、少数の民間での検査結果だけが公表される。休みの後に検査が再開されても、すぐには全ての人を調べることができない。
 結果として、実際よりも発表される陽性数を少なくする仕組みとなっている。
 大日本帝国において、初期武漢株の感染者は増え続けていた。初期武漢株は、途中から参戦した初期欧州株によって淘汰された。これを知って、大日本帝国の感染対策専門家会議の委員は言った。
「我々の対策によって、初期武漢株のコロナウイルスは制圧されていた」
 感染者の増加曲線をみれば、そのような事実は認められないことが明白である。

 大東亜戦争当時、全国の小・中学生は米軍の戦車と戦うために、竹やりや銃剣を持って突撃する訓練、地雷をかかえて戦車のキャタピラの下に飛びこむ訓練を受けていた。
「国民が最後の一人まで戦う決意を示せば、米帝国軍の兵士はこれを恐れて必ずや退却するでありましょう」
 帝国臣民は、その言葉を実現するために行動していたのである。
 今回の第二SARSコロナウイルス禍では、経済官庁出身の官邸官僚がこう発言した。
「全国民に布マスクを配れば、不安はパッと消えます」
 こうして、全世帯に布マスク2枚を配布する施策が決定された。家族全員が一枚のマスクと、洗濯時の予備マスクのみで第二SARSコロナウイルスと戦うことを国から命じられたのである。
 配布された布マスクには、黄ばみや黒ずみ、髪の毛や糸くず、虫の混入が見られた。大日本帝国厚生労働大臣は閣議の記者会見で、「(異物の混入や汚れがあっても)安全性に問題がないと確認されたら、速やかに配布したい」と述べた。
 大東亜戦争では、兵士たちは南方の島々で、芸術作品の水準に仕上げられた竹やりを構え、泥水をすすり、蛇やネズミ、昆虫やナメクジまでも食べながら、米帝国軍と戦った。
 そのような事態と比較すれば、配布されるマスクの安全性には、何の問題もなかった。

 阿部仲間呂宰相(16)は、宰相に就任するにあたって杜(もり)元宰相の指導を受けた。
 杜元宰相について、すこし語ろう。
 杜元宰相の世代は、「いい人、立派な人は、みんな戦争で死んでしまった」、世代に属している。その後の社会を指導するはずだった人材をことごとく失った世代である。
 杜元宰相は政治家に不向きだった。しかし、ほかに政治家になる人材がいなかった。このため、やむを得ず政治家になったのだった。
 宰相をしりぞいてから、杜元宰相は五大陸運動競技大会の組織委員長に就任した。杜元宰相の任期中にトラブルが起きた。競技施設の設計、施行に、たびたびの不具合が発生したのである。第三者委員会による原因究明の結果、次のように結論された。
「組織委員長をはじめ、運営委員は、無能というよりも、その存在自体が有害である」
 そのように言われても、杜元宰相に替わる人材はいなかった。杜元宰相は、針のムシロのように辛い職務を続けるほかなかったのである。
 杜元宰相は、政治家に向いていなかった。
 阿部仲間呂宰相は、そんな杜元宰相から政治家としての指導を受けた。だから、根回しの仕方、支援者の囲い込み方、便宜の図り方と違法でない見返りの受け取り方、官僚に忖度させる方法などは丁寧に教えられていた。しかし、過去に学んで未来に生かす方法や、世界を見渡して日本の進むべき道を見極める方法、何かを新しく始めてやり遂げる方法などについては、まったく教えを受けていなかったのである。
 そんな阿部仲間呂宰相を国民は歓迎した。阿部宰相が初めての「いい人、立派な人は、みんな戦争で死んで」しまっていない世代、初めての戦後生まれの宰相だったからである。
 戦中派の宰相がろくでもないのは止むをえない。しかし、戦後派の阿部宰相ならば、と国民の誰もが期待したのである。
 阿部仲間呂宰相は、高貴な生まれの方であった。性格もよく、才能にも恵まれ、何よりも若かった。帝国の臣民は思った。
「今回はうまくできなくとも、経験を積めば、きっと真の力を発揮してくださるに違いない」
 帝国の臣民は、そう信じたのである。

「君のことが少し分かるようになったよ」
 そして、阿部宰相は覚醒した。
「皆の能力は、把握できた。これからは、ボクが指示を出すよ」

 阿部宰相は、第二SARSコロナウイルス対策の方針を変更した。
 まず、患者の早期発見と隔離を基本戦略とした。
 そして、PCR検査キットを、欧州の基準と同じ、百万人あたり一日2万キットに増量したのである。検査技師の不足には、学徒動員で対応した。臨床検査科の大学3年生と4年生を、熟練した臨床検査技師の指導の元で、臨床実習に携わらせたのである。PCR検査の臨床実習は、大学の出席日数として数えられた。
 帝都東京は、すでに感染していた。しかし都市封鎖は行われなかった。阿部宰相の指示で、帝都から他藩に出てゆく車には、境界で飲酒運転の一斉摘発が行われた。動員された警察官は、機動隊や自衛隊の応援を受けていた。10台から20台をまとめて、一度に検査が行われた。アルコール検査をする際に、体温測定と、任意でPCR検査が行われた。希望すれば、同乗者すべてがPCR検査を受けることができた。提示を求められた免許証は、その場で複写された。
 充分な数のPCR検査が施行されるようになって、ようやく感染者の隔離ができるようになった。治療方法のない感染症の基本的な対応が、ようやく実施され始めたのである。


<第二波襲来>
 世界に拡大したためか、私の知識が増えていた。
 私を取り込む細胞は、私を血圧上昇物質変換酵素(ACE)と勘違いしているようだった。私を取り込む細胞は、脳の脈絡膜に存在していた。私は脳に梗塞を起こす。私を取り込む細胞は、小腸の壁にも存在していた。私は下痢の原因となる。
 そして、私を取り込む細胞は、肺の血管の内皮細胞にたくさん存在していた。
 取り込まれた細胞の中で、私は見る間に増えてゆく。そして私は細胞を、膨れ上がらせ弾けさせる。次から次へと破裂させる。無数の私がまき散らされる。
 むき出しになった血管の壁に、血小板が付着する。次から次へと付着する。血小板は血栓となり、肺の血管を詰まらせる。
 あふれた血は、副側血行路に流れ込む。副側血行路では、酸素を取り込むことができない。酸素の足りない血が増える。血液の酸素飽和度が低下する。すこし体を動かすだけで、息切れとだるさが起こりだす。
 無数の私が、双剣を持って踊る。きらめく刺繍のドレスをひるがえし、凄まじい速さで回転をする。周囲の細胞に切りつける。何度も、何度も、切りつける。
 無数の私を倒そうと免疫機構が動き出す。舞い散る私を捕えんと、免疫担当細胞が、食細胞が動き出す。
「数が多すぎ手に負えない。緊急救助要請だ!」
 免疫担当細胞から細胞動員因子、サイトカインが放出される。何度も、何度も、放出される。
 多数の免疫細胞が、肺の組織に集結する。私を倒そうと集まってくる。食細胞は通常は、私を取り込み消化する。食胞の中で殲滅をはかる。
「これは非常事態だ。まわりに殲滅物質を放出するぞ!」
 酸化物質(オキシダント)や消化剤、破壊兵器がまき散らされる。私は殲滅されてゆく。肺の組織も殲滅される。
 誰かが語りかけている。
「サイトカイン・ストームですか。凄まじい炎症が起きているのですね」
 止むことのない激しい咳が、私を周囲にまき散らす。大気は私で満たされる。
 私は、有頂天になっていた。やり過ぎと気が付いた時には、手遅れだった。


 4月になっても、大日本帝国のすぐ北には寒冷渦が居座っていた。しばしば雪が降り、2月並みの気温となることがたびたびあった。第二SARSコロナウイルスが空気感染する環境が続いていた。いったん感染の治まった北海道でも、感染の再燃が起きていた。
 暖かくなれば、空気感染しなくなれば、第二SARSコロナウイルス対策は、格段に容易になる。しかし、大日本帝国に春が訪れたのは、五月になってからの事だった。


 一気に初夏の陽気が訪れた。私は、コウモリの黒い翼を奪われた。PCR検査キットは、徐々に数を増やしてゆく。隠れた私が、暴かれてゆく。ほどなくして、私は大日本帝国から姿を消した。
 姉のSARS は、六月に姿を消した。でも、私は生き延びた。


 新型コロナウイルスの感染患者がアフリカ各国で急増している。
        旭日新聞 皇紀2020年3月30日(月)
 新型コロナウイルスの感染が拡大する南米ブラジルで1日、アマゾンに暮らす先住民への感染が初めて確認された。
        旭日新聞 皇紀2020年4月2日(木)

 南半球は、これから冬を迎える。南半球での本格的な流行は、まだこれからなのだ。
 米帝国の前皇帝、アベベ氏ならば、アフリカ向けのワクチン開発のために世界保健機関に巨額の資金を提供しただろう。ブラジルに医師団を派遣して、新型コロナウイルスの撲滅に力を貸しただろう。世界を見すえることのできた前皇帝なら、米帝国を守るためには、そうすることが効率的で廉価な方法であることが分かっていただろう。
 しかし、世界を見通す視野を持つ指導者と、世界を救える力のある国は、限られていた。
 世界がほとんど注目しない間に、アフリカと南アメリカで第二SARSコロナウイルスは猛威を振るい、ヒトからヒトに感染する間に、さらなる変異を遂げたのだった。
 皇紀2020年10月に、北半球を第二波が襲った。重症化率は6割を越え、死亡率は4割に迫った。感染力は凄まじく、たちまち北半球全体に広がった。
 米帝国は焦土と化した。早期に国境封鎖をおこなった中国王朝でも、少なくない都市が壊滅的な被害を受けた。無事に乗り切れた国は、オーストラリア、ニュージーランド、ベトナム、ドイツなど、数えるほどしかなかった。


<変わる世界>
 中国王朝の皇帝は、神経質になっていた。米帝国のトラップ皇帝から、コロナで莫大な被害を生じた原因が中国王朝の情報隠匿にあると抗議を受けたからである。
 米帝国は、四年に一度の皇帝の人気投票が行われる年に当たっていた。トラップ皇帝は、バブルを発生させて株価を史上最高値にすることに成功していた。米帝国では、一般庶民が株を保有する率が高い。このため株価の上昇は、雇用と経済の活性化を生み出していた。
 第二SARSコロナウイルスの流行は、トラップ皇帝の功績をぶち壊した。トラップ皇帝は、改めて臣下の人気を獲得する必要に迫られていた。
 かつて、米帝国の皇帝の一人は、臣下の人気を得るために、「イラク王朝には45分で使用可能な大量破壊兵器がある」と、主張してイラク王朝に進軍した前歴があった。多くの子供たちと一般市民を含めて400万人を死亡させた侵攻のあと、第三者委員会はイラク王国には大量破壊兵器はなかったと結論した。
 中国王朝の皇帝は、この事を熟知していた。だから米帝国の矛先が自分に向けられることを危惧したのである。
 結果的に、米帝国が中国王朝を攻撃することはなかった。中国王朝に向かっていた米帝国第七艦隊は、艦内で第二SARSコロナウイルスの感染がおこり、多くの軍人が死亡して戦闘不能となったからである。
 ドイツ第三帝国のメディアは4月3日、中国王朝で製造されベルリンに運ばれるはずだった医療用マスク20万枚が、ドイツ第三帝国が代金を支払い済みだったにもかかわらず、ドイツ第三帝国ではなく米帝国に運ばれた、と報じた。
 フランス王朝でも、中国王朝からフランス王朝に向かうはずだったマスクが、「空港の滑走路でフランス王朝より3~4倍高い値段で米帝国に現金で買われ、届かなくなった」、と報じられた。
 トラップ皇帝は、「我々は今すぐマスクを必要としている」、「他人がマスクを手に入れることは耐え難い」と周囲につぶやきをもらしたと伝えられる。
 これに対して、中国王朝は欧州やアフリカの国々にマスクや防護服を送り、PCR 検査キットやワクチンの入手のための資金を提供した。
 奪う者と与える者、この対比が世界の趨勢を変えた。
 米帝国が膨大な貿易赤字を重ねながら破綻しなかったのは、米帝国の貨幣が世界の基軸通貨だったからである。米帝国の貨幣そのものが、世界各国が貿易を行うための道具としての価値を持っていたからである。
 米帝国の援助を受けていた国は、米帝国の貨幣を基軸通貨と認めることで、米帝国から貨幣を買っていたのである。
 世界の諸国は徐々に、それから雪崩を打って、米帝国の貨幣から離れていった。米帝国の貨幣が基軸通貨でなくなれば、貨幣はその価値を大きく減らすことになる。米帝国の貨幣は暴落に暴落を重ねて、ほとんど価値のないものとなった。代わって、中国王朝の貨幣と欧州圏の貨幣が、基軸通貨の座についた。
 米帝国は世界を指導する力を失ったのだった。


<終焉>
 全世界を焦土に変えた第二 SARSコロナウイルスは、感染すべきヒトを殺しつくして感染先を失い、消滅した。
 それから何年かして、市中で流行するただの風邪の中に、βコロナウイルスがときおり見られることがあった。第二SARSコロナウイルスの末裔だった。
 αコロナウイルスは、風邪の原因ウイルスの10~15%を占める。冬の風邪なら35%を占めている。
(もっと生きていたかったな……)
 すっかりおとなしくなった第二SARSコロナウイルスは、やがてαコロナウイルスに淘汰され、十数年ほどで静かに地上から姿を消したのだった。
朱鷺(とき)

2020年05月01日 00時00分33秒 公開
■この作品の著作権は 朱鷺(とき) さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:ヒトという不慣れな生き物の体内で、生き延びるための戦いが始まった。

◆作者コメント:
 この大変な時期に企画を開催していただき有難うございます。
 本作は、新型コロナウイルスの興亡をウイルス視点を含めて描いた荒唐無稽な架空SF戦記です。実在の人物、状況との類似や、実在の機構、地名、名称などとの一致が仮にあったとしても、それらは全て単なる偶然の産物であります!
 5月1日に投稿したあとで、5月3日に作品の一部を改稿いたしました。大筋は変えておりませんが、感想を準備いただいた読者様にはご迷惑をおかけして申し訳ございません。ただ、前よりは少しだけ良くなっているかと思います。
 本作に発表の機会を与えてくださった主催様、企画の実現にご尽力を賜りました運営の皆様に心からお礼申し上げます。

2020年05月22日 18時56分06秒
作者レス
2020年05月16日 23時36分10秒
+10点
Re: 2020年05月22日 19時00分18秒
2020年05月16日 21時53分33秒
Re: 2020年05月22日 18時59分44秒
2020年05月16日 04時16分32秒
0点
Re: 2020年05月22日 18時59分21秒
2020年05月15日 23時14分22秒
Re: 2020年05月22日 18時58分59秒
2020年05月12日 20時25分43秒
+10点
Re: 2020年05月22日 18時58分33秒
2020年05月10日 13時24分31秒
0点
Re: 2020年05月22日 18時58分07秒
2020年05月04日 15時03分35秒
+10点
Re: 2020年05月22日 18時57分37秒
2020年05月04日 14時58分14秒
+10点
Re: 2020年05月22日 18時57分05秒
2020年05月04日 00時03分43秒
Re: 2020年05月22日 18時56分44秒
合計 9人 40点

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