冬とよばれる時代

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<水上雪江(みなかみ ゆきえ)>

 アパートの屋根を叩く雨音が聞える。
 樋を伝って流れる水音がかすかに響いてくる。
(まだ、雨は降り続いているのね)
 私は、勉強部屋のベッドに横たわって、暗い天井を見上げている。
 今日、宮崎先輩と別れた。
 私が先輩を振ったことになるのだろうな。
 そのあと、散々に泣いた。
 泣いて、泣いて、泣いて、もう深夜になっている。
 雨でずぶぬれになったので、アパートに着いた時には、体が冷え切っていた。すぐに熱い風呂に入ったが、つかのまの暖かみは、すでに失われていた。
 いつしか、さっき雨の中で出会った幼馴染みの大杉謙也、ケンヤのことを思い出していた。
 ずっと、ずっと昔にあった事を……

 あれは、初めて幼稚園に通う日のことだった。
 最初に会ったとき、ケンヤはとても気弱そうに見えた。
 私たちが幼稚園に通っていたころ、ケンヤは私の家の近くに住んでいた。
 幼稚園へ行く最初の日に、ケンヤは自分のお母さんに連れられて、私の家までやって来た。
 ケンヤは、あたりを不安げに見回しながら、お母さんの影に隠れるようにして、私とママの前まで歩いて来た。
 まず、ケンヤのお母さんが、私たちに挨拶をした。
「おはようございます、水上さん。雪江ちゃんも、おはよう」
 私は大きく息を吸いこむと、大声でごあいさつをした。
「おはよう、ございます!」
 ここ何日か、何度も練習をしていたのだ。
 ケンヤは、ビクリとして、お母さんの陰に隠れた。
 お母さんはケンヤの両肩をつかみ、私の前に押しだして言った。
「ケンちゃん、雪江ちゃんよ」
 私は、走って逃げ出したくなる気持ちを抑え込み、できるだけ胸を張って、すくんだ足を、一歩、また一歩と無理に前に進めた。
 ママが言っていた言葉を心の中でくりかえして、自分に言い聞かせる。
(まとめた髪は、活発な女の子のしるし。ツインテールは、活発で可愛い女の子のあかし。
 だから、ツインテールの私は、可愛い女の子。活発で、元気な女の子!)
 なんとか、ケンヤの前にたどりつく。
 それから、こわばる腕をあげて、両手でケンヤの手を握った。
 ケンヤの手は冷たく、かすかに震えているようだった。
(この子は、年下なのね。だったら、お姉ちゃんの私が、お世話してあげないといけないのだわ)
 幼稚園児の成長は早い。
 生まれてからの、ほんの数カ月の違いが、はっきりと成長の違いになって現れる。
 私は、こわばった顔に、なんとか笑顔らしいものを浮かべて、できるだけ大きな声で言った。
「おはよう、ケンヤ君。私は、ユキちゃんよ!」
 その日から、私はケンヤのお姉さんになった。

 私は、初めて会った時から、ケンヤの前では活発で元気な女の子を演じていたのだった。

 ママは、ケンヤのお母さんに向かって頭をさげた。
「すみませんねえ、助かります。ケンヤ君、雪江をよろしくね」
 そう言うと、ママはアタッシュケースをかかえて、足早に歩き去った。遠ざかってゆくビジネス・スーツ姿を見送りながら、私は決意していた。
(ケンヤのお世話は、私がするわ!)
 その日から、私は自宅の前で、一人でケンヤを待った。
 お母さんに連れられてケンヤがやってくると、私はその手を引いて幼稚園バスまで案内してあげる。それが私の日課になった。
 陽射しが強まるころになると、私はケンヤと手をつないで、幼稚園バスの到着する場所まで、一緒に全力疾走するようになっていた。

 ある日、ケンヤが一人でやってきた。
「今日は、お母さんが来ないの?」
 ケンヤは、黙ってうなづいた。
(今日は、私が一人でケンヤのお世話をしないといけないのね。でも、私にできるかしら?)
 私は、ひどく不安になっていた。
 私たちは手をつないで、ゆっくりと幼稚園バスの到着する場所へと向かった。
 途中に、小路がある。
 大きな樹がいっぱい生えた庭が見えていた。高い塀に囲まれた大きな家が、たくさん並んでいる。
「ここを通ってはいけませんよ」
 いつも、そう言われていた。
(どうするか、今日は私が決めないといけないのだわ)
 好奇心が勝った。
「ケンヤ、私をおんぶして!」
 ケンヤは、素直に私を背負って、歩き始めた。ほとんどよろめかずに、真っ直ぐに進んでゆく。
 私は、小路を指さして言った。
「こちらに進んで! こちらから行く方が、きっと早く着くから」
 背負われて、高い所から見下ろす風景が、私に絶大な自信を与えていた。
 私たちは、小路を進んだ。
 しかし、幼稚園児がこの小路を通っては、いけなかったのだ。
 まだ、それほど進んではいなかったと思う。
 びっしりと生えた植木の向こう側に、私たちの背丈よりも大きな犬が姿を現わした。
 犬は、植木の隙間を通り抜けて、芝生の生えた庭から出てきた。フン、フン、と臭いをかぎながら私たちに近づいてくる。
 ケンヤは、私を背中から降ろして言った。
「ユキちゃん、逃げないでね。逃げると、追ってきて、噛みつくから」
 それから、ケンヤは犬の頭をなでようとした。
(食べられちゃうわよ!)
 私の恐怖は、極限に達しようとしていた。
「ユキちゃん、ゆっくりと、ここから離れて……」
 ケンヤは、後ろ向きのまま、静かな声でそう言うと、私とは反対の方向に歩き始めた。
 犬はケンヤの後をついて行く。恐ろしい牙の生えた大きな口を開けて、長い舌を出して、ケンヤの足を何度も噛もうとする。
 ケンヤは、早足で歩きだした。
(ダメよ、ケンヤ。逃げたら、食い殺されるわよ!)
 私は、後ろ向きに進みながら、ようやく小路の角にたどり着いた。
 角を曲がって、犬がついてきてないことを確かめると、全力で幼稚園バスを目指して走った。
「先生、ケンヤが犬に食べられちゃう!」
 幼稚園の先生は、私を抱き上げると、走り出した。
 先生が訊ねる。
「どっちなの?」
 私は、小路を指さして言った。
「こっち!」
 小路の先では、大きな犬がハア、ハアと荒い息をしながら、何度も、何度も、ケンヤに襲い掛かっていた。
 イヌは、払いのけようとするケンヤの手に噛みつき、足に食いつこうとしている。
(ケンヤが食べられちゃう!
 私がケンヤに小路を通るように言ったのがいけなかったのだ。
 今日は、ケンヤのお母さんのかわりに、お世話をしないといけなかったのに。
 私がケンヤを守らないといけなかったのに。
 ダメ、ダメ、ダメ!
 ケンヤが犬に食べられてる!)
 私は、どうすればいいのか分からなくなって、泣きだした。
 ケンヤの泣き声が聞こえた。
 それから、どこかのおばさんの声がした。
「あらあら、すみませんでした。この子は、子供とじゃれ合うのが大好きなものだから。この子たちは、犬が嫌いだったのね。ごめんなさい」
 私は、先生に抱きかかえられたまま、ケンヤは先生に手を引かれて、幼稚園バスまで連れてこられた。

「ケンちゃん、女の子を危ない所に連れて行ってはダメよ」
 ケンヤは、泣きじゃくりながら、幼稚園の先生にしかられていた。
(小路を行こうと言ったのは私なのに……)
 ケンヤは、泣きながら何度もうなずいた。
 小路に行こうと言ったのは私だったのに、ケンヤはそのことを先生に言わなかった。

 帰り道で、ケンヤに聞いてみた。
「どうして泣いたの?」
「ユキちゃんが泣いてたから、犬に噛まれたと思ったの」
「どうもありがとう、心配してくれて」
(ありがとう、私を守ってくれて)
 私は、ケンヤの耳元に手を当て、唇に唇を重ねた。
 二人で、しばらく、そうしていた。

 口を離すと、ケンヤが言った。
「お嫁さんに、なってくれるの?」
 私は、片足を踏み出して、背中で手を組み、横向きに大きく体を振りながら言った。
「いいわよ、ケンヤがお嫁さんにしてくれるならね!」

 鮮明に思い出した。
 そうだった。
 私のファースト・キスは、ケンヤに捧げたのだった。

 それから、梅雨が始まるまでのあいだ、幼稚園バスの乗り場につくまでに、じゃんけんで負けた方が勝った方を十歩だけ背負って進む。
 そんな遊びを毎日していたっけ。
 私が負けても、ケンヤのお母さんはいつも、ケンヤに私を背負うように言ってくれた。
 それでもケンヤは、文句を言わなかったなあ。

 取りとめもなく、昔の事が思い出される。

 小学校の六年生になると、新入生のお世話係をするようになる。
 始業式の終わったあと、担任の先生に言われた。
「最上級生の君たちは、新入生に学校は楽しいところだと教えてやって欲しい。校内の案内をしてくれ。
 新入生が困っていたら、相談にのり、手伝ってあげてくれ」
 それから、皆で新入生のいる教室に行って、担当を決めた。
 私の担当は、活発な男の子だった。ケンヤは、いかにも甘えん坊そうな女の子の担当になった。
 初日に、担当の子と一緒に校内を回った。
 私が担当した男の子は、すぐに駆け出して、どこかにいってしまおうとする。
 注意しても聞きそうになかった。だから、脅すことにした。
「屋上の柵は、簡単に壊れるから、ぶつかったり、寄り掛かったりしたら、落っこちるわよ」
「体育館の舞台の上から落ちたら、首の骨を折って死ぬから、舞台の上で騒いではだめよ」
 男の子は、危ないと聞いて、興味を持ったようだった。
「プールの水を抜くときに排水管に吸いこまれたら、大人が何人いても水圧で引きだせなくなるの。
 溺れ死ぬしかないから、プールの水を抜くときには、中に入っちゃだめよ」
 そう説明しながらも、不安がぬぐえなかった。
(こいつ、試してみそうで、心配だなあ)
 だが、男の子は目を輝かせて言った。
「学校って面白いところなんだなあ。冒険をし放題かあ」
(そうか、安全に冒険できる所を教えてやればいいのか!)
 そこで、体育館の裏の茂みや、ゴミの収集場所、工事前の盛り土が積み重なった所、工務店に務める父兄が寄贈したアスレチックのある場所などを教えてやった。
 最初のうちは、
「口うるさいババアだ!」
 などと、憎まれ口をたたいていたが、だんだんと素直に言う事を聞くようになっていった。

 まもなく、授業の時間になる。
 私は、男の子を連れてグラウンドを歩きながら、教室に向かっていた。
 新入生の女の子が、ケンヤに甘えていた。
「疲れたの~。あんなに歩かせるから、もう歩けない~!」
 ケンヤの前で、女の子は座り込んでしまった。
 もうすぐ授業が始まる。
「しょうがないなあ、今日だけだよ」
 ケンヤは、そう言って女の子を抱き上げた。
 それを見て、あの時に感じた胸の痛みを、今でもはっきりと思いだせる。
 私は、男の子の手を握ったまま、立ち止まった。
「あ~、いいなあ。私も抱っこしてエ~!」
 そばにいた女の子が、それに気付いて、ケンヤにしがみついた。
 ケンヤは、苦笑いを浮かべて、その子も抱き上げた。
「わたしも~」
「私も~」
「私も抱っこして!」
 グラウンドにいた新入生の女の子たちが、一斉にケンヤに群がった。
 ケンヤは、いったん座って、一人を肩車し、二人を抱え、二人を背中に背負った。
 両腕と両足に女の子をぶらさげ、何人もの女の子をあとに従えて、歩きだした。
「俺も行く!」
 男の子が、私の手を振り切って、走り去ろうとする。
「あなたは、ダメよ!」
 私は、男の子の手を強くにぎって、引きとめた。
 それからケンヤに向かって、歩み寄った。
「あぶないじゃないの。だめよ、そんなことをしては!」
 私の声を聞くと、女の子たちはバラバラとケンヤの体から滑り落ちていった。
「恐ええ!」
 男の子がつぶやいた。
 ケンヤは、悪びれずに言った。
「あはは、学校が楽しい所だと、皆に教えてあげようと思ってさあ」
(いちばん楽しんでるのは、あなたでしょう!)
 あの時に込み上げてきたどす黒い思いは、今でも私の心にとどまっている。
 男の子を教室に届けると、私は職員室へと走った。
 その勢いは、まるで旋風のようだったと、あとで同級生に言われた。
 私は職員室で、新入生の言いなりになって、ケンヤがどれほど危険なことをしていたかを力説した。
 先生方に、真剣にお伝えした。
 これ以後、ケンヤに抱きつこうとする女の子は、いなくなった。

 中学生になると、私は丸眼鏡をかけるようになった。
 ケンヤはご両親の都合で、近所から引っ越していった。
 ケンヤは、ご両親と一緒に引っ越しの挨拶にきた。
 でも、私は部屋に閉じこもって顔をださなかった。
(学校にゆけば、いつでも顔を合わせられるじゃないの)
 私は、自分にそう言い聞かせた。

 体育祭の借り物競争で、ケンヤは『恋人』の札を引き当てた。

 この札を見せられた人は、恋人になって、一緒にゴールインしてください。

 借り物競争は、人気の競技だ。
 ただ、みんな見る側になろうとする。
 これまで、出場したがる生徒は、ほとんどいなかった。
 そこで導入されたのが、この恋人カードだった。
 男子が欲しがるスペシャル・カードだ。
 しかし他の生徒たちのほとんどは、いざとなると決心が鈍って、同性の相手と一緒にゴールインしていた。
 しかし、ケンヤは迷わずに私の前に来て、このカードを私に見せた。
「分かったわ。いいわよ」
 私がそう言ったとたんに、ケンヤはいきなり私をお姫様抱っこしようとした。
「何するのよ!」
 思わず、平手打ちした。
 結局、手を繋いで走って、三位になった。
「いくら恋人になってくれる札を引いたからと言って、いきなりキスしようとするのは、やりすぎだぜ!」
 ケンヤは、赤く腫れたほっぺたのことで、同級生たちからずいぶんとからかわれていたっけ。

 私は昔から臆病だった。本当は引っ込み思案なのに、お姉さんぶってケンヤを振り回していた。
 ケンヤにとっては、いつも災難に巻き込まれて、迷惑だったろうなあ。

 高校生になったら、生まれ変わろう。
 せめて、見た目だけでも素敵になりたい。
 そう思って、クラブ活動には、演劇部を選んだのだった。

 ケンヤは、同じ高校に進学していた。
 でも、ケンヤと同じクラスになることは無かった。
 私と、ケンヤの接点は、無くなっていた。

 ケンヤは、陸上部を選んでいた。
 ケンヤは、どの種目でも無難にやりとげた。
 筋力と持久力が凄かった。
 同級生はケンヤのことを、基礎練習の鬼、と呼んでいた。
 体育祭では、いつも大活躍をして、クラスの人気者だった。失敗しても、皆の笑いを取っていた。
 クラスの女の子たちがケンヤの噂話をしているのを聞くたびに、私の胸は鈍く痛んだ。

 演劇部の部長は、宮崎浩人(みやざき ひろと)と言った。私たちは、宮崎先輩、あるいは単に先輩と呼んだ。
 度の強そうなメガネをかけて、いかにも秀才らしい雰囲気のある人だった。
 すこし気の弱そうな様子が、部員たちから人気だった。
 他の部員が帰ったあと、私が部室の片づけをしていた時のことだった。
「水上さん、ちょっと相談があるけれど……」
 宮崎先輩は、軽い調子で声を掛けてきた。
「何でしょうか?」
 私たちは、机をはさんで椅子に腰かけた。
 切れかけた蛍光灯が、ジジジジと、かすかに音を立てていた。
「水上さんは、どうして演劇部を選んだの?」
 宮崎先輩は、やさしそうな笑顔をうかべて、私にそうたずねた。
(相談する前に、私の気持ちを和らげようとしてるのね)
「いままでの自分に不満があったから、成りたい自分を演じられるように、と思ったからです」
 私は、当たり障りのない答えを選んで言った。
 宮崎先輩は、やわらかな笑みをうかべて、うなずいた。
「何か、きっかけになるような事があったのかな?
 あ、嫌だったら言わなくていいよ」
 私は、宮崎先輩に促されて、中学時代の思い出を、ぽつり、ぽつり、と語った。
 ケンヤのことは、単に同級生の男の子と呼んで、名前を言わなかった。
 いつしか、自分でも嫌悪感をいだいて忘れていた出来事まで話した。
 宮崎先輩は、すべてを聞いてくれた。
(この人になら、何でも話すことができる)
 そう感じた。
 私の中で、宮崎先輩は特別な人になっていた。
 最後に、宮崎先輩が言った。
「ぼくは部長になったけれど、どうすればいいか良く分からないくて悩んでいる。
 皆が何を望んでいるか聞く機会があったら、教えてくれないかなあ、水上さん」
「分かりました。まかせてください!」
 宮崎先輩に頼られたのがうれしかった。
「部長のぼくが直接に訊ねたら、皆は緊張してしまうだろう。
 だから、水上さんが聞いたことを、ぼくにも聞かせて欲しい。
 水上さんが感じたことを、ぼくに教えて欲しい」
 こうして、私は毎日のように部室に残って、その日に見聞きした皆の話しを、宮崎先輩に伝えるようになった。
 どうということのない話でも、宮崎先輩は熱心に聞いてくれた。
 ちょっとした出来事でも、宮崎先輩は丁寧に話を聞いてくれた。
「水上さん、これからも部員のみんなが、どんなことを望んでいるのか、教えてくれると有難いな」
 宮崎先輩が、私を頼ってくれている。
 そう考えると、本当にうれしくてたまらなかった。
 いつしか、私は宮崎先輩に、好意以上のものを抱いていた。
 伝えられる事が聞けた!
 そんなときは、宮崎先輩に会って話をするときのことを想像するだけで、耳が真っ赤になり顔が熱くなるのが分かった。

 そんな私の心の中を、宮崎先輩は気が付いていたのだろう。

 晩秋のある日、私はいつものように部室に残って、宮崎先輩に、その日に見聞きしたことを話し終えた。
 あまりしゃべる事が無かったので、なにげなく先輩にたずねてみた。
「先輩は、なぜ演劇部に入ったのですか?」
 宮崎先輩は、うれしそうだった。
「ぼくは、人見知りで口下手だから、演劇部を選ぶ必要があったのだよ」
 なにか、違和感があった。
「……選ぶ、必要が、あったのですか?」
 宮崎先輩は、深くうなずいた。

「ぼくは、大学を卒業したらデパートの外商になるつもりなんだ」
(まだ、高校を卒業してないのに、大学を卒業したあとの事を考えているのですか?)
 驚きだった。
「デパート業界は、安売りではスーパーに、高級品では通信販売に押されて、業績が悪化している。
 デパートが利益をあげるには、人間関係を生かして高級品を売り込む必要がある。
 そのためには、経済力のある家庭に食い込む必要がある」
「それって、とても難しそうですね」
 宮崎先輩は、深くうなずいた。
「あらかじめ素敵な女の子たちと知り合いになっておく。
 そうすれば、女の子たちが頼れる男性と結ばれ、裕福な家庭を持ったあとで、高級品を売り込むことができるだろう。
 でも……」
「それは、無理なのでは?」
 宮崎先輩は、にっこりと笑った。
「魅力的な女の子だと、たった一人と知り合いになるだけでも、競争相手は多いだろうね。
 そこで発想を変えてみた。
 出世する男性と結ばれるような女の子を、育成するのはどうか。
 そう考えたのさ」
「具体的には、どうするのですか?」
 眼鏡の奥で、宮崎先輩の眼が輝いたような気がした。
 それから、宮崎先輩は将来の構想を熱く語ってくれた。

 大学卒業までに、千人の女の子と、結婚を前提としないお付き合いをする。
 お付き合いしながら、女の子の魅力を引き出して、高めてゆく。
 将来、商品を買ってもらえるように、高校、大学をつうじて人脈を作っておく。
 そして、付き合ってくれた女の子たちを磨き上げる。
 富裕層に食い込み、最新の話題を提供して、円満な家庭を保つテクニックや有益な情報を伝えてゆく。
 さらに、各家庭を巡回しながら、必要な商品を割り出して提供する。
 そうすれば、通信販売に対抗できる。
「この町のような地方都市は、人の移動が少ないから、人脈を生かせば何とかなると思うよ」

 すでに、中学の時に決めていたそうだった。

(私は、特別な女の子ではなかったのだ。私は、宮崎先輩が結婚を前提としないでお付き合いする、千人の女の子の一人なのね)
 そんな私の気持ちを、知ってか、知らずにか、宮崎先輩は言った。
「水上さんは、本当に聞き上手になったね。いままでは人の話を聞かずに、自分の殻に閉じこもってばかりいたのに」
(そして、宮崎先輩は私をとおして、将来の顧客の調査を始めていたのだ)
「自分でも、うまく君を育成できたと思ってるよ」
(私の役目は、宮崎先輩が調査するための、ただの紙きれだったのね!)
 猛烈な怒りに突き動かされて、私は口走っていた。
「先輩は、これから大切な受験の準備に入るのですよね。
 だから、先輩のお邪魔にならないように、お話をするのは今日で最後にしませんか!」
 宮崎先輩は、何も言わなかった。
 その表情からは、何も読み取れない。
 でも、度の強い眼鏡の奥で、宮崎先輩の眼は、鋭い光を放っていた。

 部室の屋根をうつ雨音にも気付いていなかった。
 外はもう暗かった。
 雨が降っていた。
 宮崎先輩と私は、傘をさして歩き始めた。
 水のたまったグラウンドの端をぬけて、校門をでる。
 宮崎先輩は、足早に駅へと向かって歩き続ける。
 私は、遅れまいと後を追った。
 追いついて、傘を連ねて、並んで歩く。
 ひどく気まずい雰囲気だった。
(何か言わなくちゃ)
 だけど何も思いつかない。

 話しかけよう。
 でも、ためらう。
 また、話しかけようとする。
 やはり、ためらう。
 話かけようとして、
 そのたびに、ためらって……

 先輩の傘の半分と、私の傘の半分の距離。
 合わせても傘ひとつ分にしかならない。
 たった、それだけの距離。
 それなのに、届かない。
 どうしても、先輩には届かない。
 宮崎先輩との距離が、とても遠い。

 駅の建物が黒々と見えてきた。
 自動車のヘッドライトが、雨粒を浮びあがらせる。
 見上げると、高いビルの明かりに照らされて、雨粒の一つ一つが見分けられた。
 まるで無数の雨粒が空中に止まって浮いており、私たちがその中を昇っているように感じられた。

 駅に着いた。とうとう駅に着いてしまった。

 宮崎先輩が、改札口をくぐろうとしている。
(せめて、笑って別れることができるように、何か言うことを思い付ければいいのに……)
 でも、もう出発を知らせる合図が聞こえている。
 宮崎先輩は、振り返らずに電車の中へと姿を消していった。

 そして、……

 行ってしまった。
 宮崎先輩が、行ってしまった。
 もう、会うことは、無いだろう。
 涙が、あふれかけている。
 私は、改札口を後にして、駆け出した。
 階段の踊り場を駆け抜けて、駅のホールを抜け、雨の降りしきる歩道へと、走り出す。
 降りしきる雨が、私の熱い涙を、洗い流してゆく。
 胸が、張り裂けそうだった。
 そのまま、駆け続けた。
 体が、ずっしりと、重い。
 手足が、冷え切って、強張ってくる。
 いつしか、私は雨の中を、さ迷っていた。
 ビルの窓の明かりが、街灯の光が、自動車のヘッドライトが、雨粒を浮かび上がらせる。
 無数の雨粒は、空中に留まり、私はゆっくりと浮びあがってゆく。私は、降り注ぐ雨粒を通り抜けて、浮かびあがってゆく。
(砂時計の砂粒みたい……)
 無数の雨粒は、残酷に過ぎ去ってゆく時の流れを知らせるように、私の前を通り過ぎて消えてゆく。

 私は、よろめきながら歩き続けた。
 突然に、雨が止んだ。
「持っているなら傘をさせよ。風邪をひくぜ」
 目の前に、背の高い男性がいた。傘をさしかけている。

 大杉謙也、ケンヤだった。
 ケンヤと出会うのは、本当に久しぶりだ。

 ケンヤは、私をアパートまで送ってくれた。
 あがりこんで、風呂を入れてくれた。
「熱めに入れておいた。しっかり温まれよ」
 私は、ケンヤを玄関で見送った。
 しかしケンヤは、なかなか帰ろうとしない。
 ケンヤは、しばらく迷ったあとで、私に言った。
「あさって、海岸に行かないか?」
 子供のころに、たびたび遊びに行った、近くの海。
(気分転換には、いいかもしれない)
 そう思って、返事をした。
「いいわよ、九時に迎えに来てね」
 ケンヤは、ほっとしたような笑みを浮かべ、ようやく帰って行った。

 雨は、まだ降り続いている。
 アパートの屋根を叩く雨音が聞こえている。
 私は、暗い天井を見上げながら考えた。

 宮崎先輩は、千人の女の子と付き合う用意ができている。千の顧客を確保する計画に、もう取り組んでいる。
 宮崎先輩は、見込みのある女の子たちに声をかけて、お付き合いをするつもりだ。
 付き合いのなかで、魅力的に見せる方法を伝える。それとなく、男性を引きつける技術を教えこむ。
 宮崎先輩と付き合えば、女の子は多くの男性から声をかけられるようになる。
意中の男性を振り向かせることができるようになる。
そして、その男性の心をしっかりとつかむことができるようになる。
 うわさは、女の子たち同士のおしゃべりで、すぐに拡散するだろう。
 宮崎先輩と付き合おうとして、女の子たちが群がってくるだろうな。
 宮崎先輩が経験を積むにつれて、女の子の魅力を引き出す方法も洗練されてゆくだろう。
 そうなると、あとになるほど、女の子は素敵になってゆくだろう。
(はあ~、どうしようもないわね。私は宮崎先輩の彼女には、決してなれないな)
 宮崎先輩の笑顔が思い浮かんだ。
 目頭が、熱くなる。
 涙が、あふれてくる。
 天井の模様が、にじんで見える。
 それでも、いつの間にか眠っていたようだった。
 目が覚めると、寒々とした、灰色の夜明けがやってきていた。

 土曜日は、曇りだった。
 どう過ごしたのか、まるで覚えていない。
 昼食は、一人で食べた。
 のろのろと灰色の時間が過ぎ去ってゆく。
 今日という日が、いつまでも終わらないように感じられる。
 それでも、時間は残酷に過ぎ去ってゆく。
 すべての想いを、過去へと押し流してゆく。
 いま私は勉強部屋のベッドに横たわって、暗い天井を見上げている。

 すこし冷静になれたのだろう。ようやく気が付いた。
 宮崎先輩は、私に振られたのではない。
 宮崎先輩が、私に振らせたのだと。
 しかも、宮崎先輩は、私に声を掛けられても、いつでも言うことができる。
「君の方から、ぼくを振ったのだろう?」
 そう言って、いつでも私を振り払うことができる。
 自分からは、いつでも私を誘うことができる。
 言い方によって、声の調子ひとつで、自分との距離を自在に調節できる。
(女の子との別れ方、都合のよい距離の保ち方を、もう用意していたのね)
 でも、私を怒らせたのは、たぶん宮崎先輩の失敗だ。
 次からは、近づきすぎる女の子には、何となく気まずい思いをさせて、女の子の方から別れ話を切り出させるだろう。
 そうすれば、女の子は後悔しながら、宮崎先輩が声を掛けてくれるのを、ひたすら待ちわびるようになるだろう。
 宮崎先輩との思い出が、別の側面を見せ始めていた。
 先輩が駆使した会話術の技法が見えてくる。
 私を、どうあやつり、どう変えていったか、その方法が見えてくる。
 ずっと、そのつもりでいたからだろう。
 宮崎先輩の話術は、最初から洗練されていた。
(何も知らない女子高生を操るのは、簡単だっただろうな)
 それなのに、宮崎先輩のことを考えると、胸が熱くなる。涙が浮かんでくる。
 宮崎先輩と過ごしてきた思い出が、いろいろな出来事が、つぎつぎと思いだされる。
 想いが、あふれる。
 誰かに、この想いを、私の胸の内を、すべて話してしまいたい。
 心から、そう思った。
(ケンヤなら、私のすべてを受け止めてくれるかしら)
 明日、すべてをケンヤの前にさらけだす。
 気持ちの整理をするために、必要な事のような気がした。
 でも、なぜか、ためらう気持ちがあった。

 日曜日は晴天だった。
 窓から吹きこむ風は、少し冷たかった。でも、体を動かしていれば、むしろ快適だろう。
 九時までには、まだ時間があった。
 昨日は、そのまま寝てしまった。
 私は、シャワーを浴びることにした。

 熱めのシャワーが心地よかった。

 下着を用意しようと、廊下へでた時に、玄関のドアが開いた。
 ケンヤが、玄関に立っている。
(まだ、八時半じゃないの)
 バスタオルで髪を拭いている私を、ケンヤは身じろぎもしないで、見つめている。
(いいかげんにしてよ)
 
「いつまでドアを開けっ放しにしとくのよ!」
 ケンヤは、玄関に入って、後ろ手にドアを閉めた。
 そのまま、私をながめ続けている。
(女の子が全裸で体を拭いるのを見たら、普通は外に出るものでしょう?)
「髪を整えるのに、あと十五分ほどかかるわよ」
 ケンヤは、身じろぎもしなかった。
(聞こえていないのかしら)
 私は、部屋に入って、服を身に着け、ドライヤーで髪を乾かした。
 ケンヤに、高校生の異性に、素っ裸の姿を直視され続けた。
 それなのに、恥ずかしさを感じない。気まずさを感じない。怒りを感じない。
(宮崎先輩と別れた時から、私の心は死んでいるのね)
 そう思うことにした。
 髪を整えながら、考える。
 そうだった。
 ケンヤにすべてをさらけだすなんて、ダメだわ。
 あれは幼稚園の時だったな。
「いいわよ、ケンヤのお嫁さんになってあげる」
 そう言ったら、ケンヤのヤツは、
「それなら、……」
 と、とんでもない事を言いだしたのだから。
 すべてをさらけだしたら、ケンヤは、その先へ、もっと先へ、さらに先へと突き進んでくる。
 幼稚園のときから、あいつはそんなやつだった。

 私は、ケンヤには、本心を隠し通すことに決めた。

 玄関で、ケンヤは待っていた。
 私を見て、ぎこちない笑みを浮かべる。
(私の態度を見てから、どうするかを決めるつもりね)
 私は、ケンヤが謝罪の言葉を言おうとするのを遮って言った。
「気にしなくていいわよ」
 そう言い捨ててサンダルをはき、ケンヤの脇を通って玄関の扉を開ける。
 そのまま玄関をでる。
 ケンヤは、あわてて私のあとを追ってきた。
「ノー・カウントにしてくれるのかい?」
 ケンヤは、意外そうな表情を浮かべていたが、ほっとした様だった。
「悪気は無かったのでしょう? だから気にしなくていいのよ。私は、一生、忘れないけど!」
「ゲッ! そんなあ~」
 私はケンヤに背を向け、しっかりと玄関にカギをかけた。


<大杉謙也(おおすぎ けんや)>

 ひさしぶりにユキちゃんと出会ったのは、金曜の夜だった。

 俺は、雨の降りしきる中を、うつむいて歩いていた。
 駅前通りは人影もまばらで、いつもよりも暗く感じられた。
 ふと気が付くと、暗がりの中を、小柄な女の子がとぼとぼと歩いてくる。
 うちの高校の制服を着ていた。
 傘を、かかえている。
 雨が降ってるのに、さしていない。
 こぶりなツインテールが力なく垂れ下がっている。びしょ濡れになっているようだった。

 様子がおかしい。

(面倒な事情でもあるのかな? かかわるのは避けようかなあ)
 最初は、そう思った。
 そのとき自動車のヘッドライトが、女の子を照らし出した。
 闇の中に浮かび上がったまん丸眼鏡の女の子には、見覚えがあった。
 幼馴染みのユキちゃんだった。
 昔よりも大人びているが、間違いなかった。
 さすがに、これは放っておけない。
 そう思って、傘をさしかけ、話し掛けた。

 あの時のユキちゃんの言葉には、力がなかったなあ。
「ケンヤ……」
 でも、なつかしい響きだった。
 思い出があふれて、胸が苦しくなったっけ。

 ユキちゃんを家まで送った。
 けれど、ユキちゃんには、元気がなかった。
 あの、皆を幸せにする弾けるような輝く笑顔も、活発で、元気いっぱいで、周囲を巻き込んで突き進む行動力も、すっかり影をひそめていた。
(ユキちゃんは、こんなに小柄だったっけ)
 ユキちゃんから、周囲を圧するような存在感が、まったく感じられなかった。
 このまま別れたら、ユキちゃんは消えてしまう。
 もう会うことができなくなる。
 なぜか、そんな想いが湧き上がってきた。
 胸が締め付けられるようだった。

(どうすれば良いだろう?)

 だから、海岸へ誘うことにした。
 ユキちゃんは、日曜に一緒に海岸に行く、と約束してくれた。
 これまでユキちゃんは、かならず約束を守ってきた。
(これで日曜には、かならずユキちゃんと会える!)
 俺は、ようやくユキちゃんの家を後にすることができた。
 ユキちゃんは、相手にも約束を守らせようとする。
「九時に迎えに来てね」
 約束の時間に、遅れるわけにはゆかなかった。

 約束の日に、俺は、かなり早く家をでた。
 隣町へ、ユキちゃんの家へと、自転車をこいだ。
 早くユキちゃんに会いたい。
 その思いが、俺の背中を押す。
 ペダルを踏む足に、力が入る。
 街の建物が、急速に通り過ぎてゆく。
 いつもよりスピードが出てるのが分かった。
 頬を切り裂く風は、ひどく冷たかったが、それすらも心地よかった。
 三十分も早く、着いてしまった。
 懐かしいユキちゃんの家の扉を開けて……

 真っ白なユキちゃんの姿を、見てしまった。

 本当の美しさは、人を心から感動させるのだなあ。
 凄い衝撃だった。
 雷に打たれたようだった、とか、目が釘付けになった、とか言うのは、あんな時の事を言うのだろうなあ。
 雪のように白く、墨のように黒く、血のように赤い。
 たしか、子供のころに読んでもらった童話に、そんな言葉があった。
 ユキちゃんは、ピンクのバラのような桃色だったけれど。
 頭の中が真っ白になって、そこに、ユキちゃんの姿が、鮮明に焼き付けられていた。
 この記憶は、けして消えることがないだろう。
 確信がある。

 俺は自転車を押して、ユキちゃんは歩いて、浜辺に向かった。
 浜辺までは、あっけないほど近かった。
 昔は、ちょっとした冒険旅行のつもりになれたのに。

 浜辺についてから、波打ち際にたたずむユキちゃんも、美しかった。
 ゆったりとしたワンピースが、とても良く似合っていた。
 海を見つめるユキちゃんの顔に、白い帽子の大きなツバが、影を落としていた。
 ユキちゃんの笑顔には、触れたら壊れてしまいそうな危うさがあった。
 淡い水色のワンピースは、海風に吹かれて、やわらかく広がってゆく。
 降ろした髪が、ゆるやかに風になびく。
 胸の輪郭が、ユキちゃんの美しさを際立たせる。
 まるで名画を見ているようだった。

 俺は、流木の上に座って、ユキちゃんに見とれていた。
(今日は、ツインテールじゃないのだな。
 そういえば、女の子が髪形を変えるのは、失恋をしたとき。
 そんな事を聞いたことがある)

 ユキちゃんが、身をひるがえした。
 ワンピースのすそが鋭く回転して、ユキちゃんの脚に絡みつこうとする。
 服のすそをひるがえし、白いサンダルで砂を蹴散らしながら、ユキちゃんがやってくる。
 ユキちゃんは、俺の隣に腰をおろした。

(ユキちゃんは、本当に失恋したのかな?
 なぐさめてあげないと、いけないのかな。
 それなら、なんと言ってあげたらいいのだろう。
 でも、失恋していないのに、なぐさめたら、殴られるよなあ)
 どうすればいいのか思い付かないまま、しばらく二人で海をながめていた。

 ユキちゃんが、口を開いた。
「ケンヤって、女の子と話をしたことがある?」
 不意を突かれた。
「そういえば、あんまり無いなあ」
「あんまり? 中学になってからは、全然ないでしょう」
 まったくその通りだった。
「あのね、人類の半数は女なのよ。あなたみたいに、女の子とまったく話をしない人は、社会人として失格なの!」
 ユキちゃんが、帰ってきた。
 活発で、元気いっぱいで、俺を巻き込んで突き進むユキちゃんが、戻ってきた。
 うれしかった。
「女の子となら、いつでも、話くらいできるさ」
 自分でも、強がりだ、と分かっていた。
「ほほう。それならケンヤは、初めて会った女の子に、どんなふうに話しかけるのかな?」
(わあ、思い付かない。何て言えば良いのだろう)
「どうしたら初めて会った女の子に話しかけるきっかけを作れるか、だよね」
「そのとおりよ。少しは、時間稼ぎが、うまくなったわね」
 まだまだだけど、という副音声が聞えた気がした。
「たとえば、君は何しに来たの? とか、君の名前はなんて言うのか、とか……」 
「それじゃ、警察の尋問よ。もっと自然に、話の流れをつくらなくちゃ」
「じゃ、じゃあ、今日は天気がいいな、とか」
「まるでダメ!」
「では、面白い冗談を言う」
「ほほう、どんな?」
 ユキちゃんは、俺を見ながら、邪悪な笑みをうかべた。
(お、思い付かない……)
「ひょっとするとケンヤは、お美しいですね。チュー目のマトですよ。ねずみ年だけに、とか言うつもりじゃないでしょうね」
(それ、いいかも)
「ねずみ年にちなんで、チューしましょう、とか言う気なの?」
(そうか、その手があったか)
「何を感心してるのよ。見ず知らずの相手にそんな事を言ったら、警察に突きだされるわよ!」
 俺は、見事にネコに追い詰められた哀れなネズミなのだと悟った。
 ユキちゃんは、人差し指を俺に突きつけて言った。
「初対面の相手に、いきなり冗談を言うのは、ダメよ。
 相手の趣味も、状況も、立場も分からずに冗談をかましたら、いきなり地雷を踏み抜くことだってあるわよ」
(ごもっとも)
「それなら、どうすればいいのだよ?」
(これじゃあ俺は、ネコににらまれたネズミだな。
 いや、この場合はネコじゃなくて、たしか、……)
「なにか、失礼な事を考えてない?」
(す、鋭い!)
 俺は、あわてて思考を封印し、ユキちゃんの御高説を拝聴することにした。
「話のきっかけにするなら、ファッション、趣味、音楽、アイドル、アニメ、映画、小説。
 ほかに、スポーツ、イベント、最近の世相などなど、いくらでもあるでしょう?」
(ああ、本当だ。その通りだなあ)
「近況を聞いたり、出身地を聞いたり、冗談を言うのは、相手の性格や立場を知ってからよ」
(ユキちゃんは、あいかわらず凄いなあ)
「女の子は、ひとり、ひとり、みんな違うのよ? だから、状況によって、相手によって、ふさわしいきっかけを選ぶの」
(確かに、そうだけれど……)
 俺は、率直に疑問を口にした。
「でも、初めて会った相手じゃ、何を話したらいいか分からないぜ」
「だから、きっかけのストックを増やしておくのよ。外したと思ったら、すぐに別のを出せるように用意しておくの!」
「でも、相手の喜ぶ話題をいくつも用意しとくのは難しいぜ」
 ユキちゃんの表情が変わった。
 まじめな顔をして、じっと俺を見つめる。
(まずい!)
 ユキちゃんが、静かに言った。
「おやあ? どういうことなのかな」
「相手が興味を持ってくれる話題や、気に入ってくれる冗談を、いくつも用意しておくのは、けっこう難しい。そう言ってるのだけど?」
 ユキちゃんは上目づかいに俺を見て、にんまりと笑った。
「それって、相手の知らない事を吹聴して自慢したいと言っているのじゃないのかな?」
(ネズミをいたぶる猫って、きっとこんな顔をしてるのだろうな)
 そこで、窮鼠はネコを噛もうとあがいた。
「そんなことは無いぜ」
 しかし、ネコが反撃する。
「だけど、その話題を相手がすでに知ってたら、ケンヤがあらためて話す意味なんて無いでしょう」
「う~ん。そうなるのかなあ」
「そもそも、受けるネタを必ず用意できるなら、それだけで食べていけるわよ」
 実力が違いすぎる。
 ネコとネズミでは、まったく勝負にならない。
 理不尽と感じても、ネコの主張を受け入れる以外に道はなさそうだった。
 ネズミは、全面降伏することにした。
「それじゃあ、どうすれば良いのだよ?」
「ケンヤは、人の話をさえぎって自慢ばかりしようとする相手と、自分の話を真剣に聞いてくれる相手と、どちらがいいと思う?」
「そりゃあ、自分の話しを真剣に聞いてくれる相手だな」
「そうでしょう?
 そう思うのだったら、相手の言いたい事を聞いてあげればいいのよ。
 まず、相手の言葉を尊重する。
 相手の言いたいことを聞きだし、それを受け入れる。
 とにかく、聞くことに徹する。
 いいわね」
 気分屋のネコは、ネズミをいたぶるのをやめたようだ。
 ユキちゃんは、ネズミを捕えて勝ち誇るネコのように、会心の笑みを浮かべた。
「自分が知らない事だったら、すなおに相手に尋ねたらいいのよ。喜んで教えてくれるわ」
 どうよ! といった態度でふんぞり返える。
 昔とちがって、ユキちゃんの胸が、誇らしく空を向いていた。
(でも、なんだか懐かしいなあ)
「ユキちゃんは俺と同級生のくせに、なんでそんなにエラそうなんだよ」
「ケンヤは、何月生まれなの?」
「十一月六日だよ」
「私は、七月十九日生まれなの。だから、私はケンヤよりも、お姉さんなのよ!」
(わあ~、懐かしいなあ。このやり取りは……)
 ユキちゃんも、うれしそうに、ほほ笑んでいた。
「いい? 女の子と話をするときには、まず相手を尊重する。
 その気持ちを忘れちゃダメよ」

 ケンヤのお世話は、私がするわ!
 そんな副音声が聞こえた気がした。

 ユキちゃんは、小さな声でつぶやいた。
「始めるとしたら、こんなところかしら。ケンヤと宮崎先輩では、話術のレベルがまるっきり違うから……」
 なぜか、おとといのユキちゃんの様子が思いだされた。
 かすかに聞こえた『宮崎先輩』という言葉が、ひどく不吉に感じられた。

 しばらく、二人で波の音を聞いていた。
 体がすっかり冷えていた。
 俺は、ユキちゃんを家まで送ってから別れた。

 それから、数日が過ぎた。

 俺たちの通う学校は、バイトに対する規制が甘い。
 俺は、夏休みにしていたバイトを、まだ続けていた。
 金曜は、放課後からバイトだった。
 晴れているが、吹く風は肌に冷たかった。
 でも、体を動かしていると、冷たい風が心地よい。
 俺は、排水管を掘り出すために、深く掘られた地面の底で働いていた。
 すると、脇にいるおっさんが、俺の脇腹を肘でつついてきた。
(そんなに強くつついたら、痛いぜ!)
「おい、あのベッピンさんは、お前に用があるみたいだぜ」
 顔をあげると、とんでもない美少女が、しゃがみこんで俺の方を見おろしている。
 たぶん、どこかのアイドルだろう。
 パステル調の水色のベレー帽が、紅い唇と見事に調和していた。
 深い海の色を思わせる紺のブレザーに、フリルの付いた白いブラウスが凄く似合っている。
 だけど、こぶりのツインテールに、なんだか見覚えのあるような気がする。
(たぶん、気のせいだよな。眼鏡してないし)
 大都会ならいざ知らず、こんな所にいるはずのない、見たこともない美少女だった。
 長いまつ毛の、くっきりとした大きな眼が、俺をじっと見つめている。艶のある唇が、ゆっくりと開く。
「ケンヤ!」
 美少女は、俺の名を呼んだ。

(えっ!)

「ユキちゃん!」
 ユキちゃんは、俺を見つめて言った。
「今日は、いつから暇になるの?」
(いきなりそう言われても、俺は仕事が終わったあとに夕食を食べて、それから、おっちゃん達が騒ぐのに付き合って……) 
「ごめん、ユキちゃん」
 俺は、しどろもどろになって言った。
「今日は、仕事が終わったら夕食で、そのあとみんなと……」
 ユキちゃんは、すっくと立ち上がると、俺に最後まで言わせずに言い放った。
「今日は、何時から、暇になるの!」
 作業員たちが一斉に笑い声をあげた。
「大丈夫だよ、お嬢ちゃん。こいつは、たった今から暇だからよ!」
 俺は、うろたえて言った。
「え? でも、……」
「大丈夫さ。お前の夕飯なら、俺たちが食ってやるぜ」
「お前のオゴリでな!」
「ほら、これを持ってゆけ。あとでちゃんと返せよ」
 ポケットの中から引き出されたよれよれの千円札が、つぎつぎと俺の手の中に押し付けられた。
「利子は、経過報告だけで許してやるぜ」
 そう言うと、日焼けした男たちは、ドッと笑った。
 作業服を着替えるために、更衣室に入ったら、おっさんの一人が、……
 いや、若い先輩が、付いてきていた。
 先輩は、自分のロッカーを開けて、ビニール袋に入った新品のTシャツを取り出した。
 そして、俺にTシャツを差しだして言った。
「これに着替えろ。これまで使うことのなかった俺の勝負服だ」
「え、でも……」
「いいから、着て行け。俺には当分、着る機会がないから。お前にやるよ」
「すみません!」
 俺が着ていた服では、ユキちゃんには、まるで釣り合わなかった。
 深々とお辞儀をして、ありがたく勝負服をいただいた。
 学校指定のオレンジ色のジャージを羽織る。
 コーディネートは、悪くなさそうだった。姿見に写った俺の姿は、意外と見栄えがしている、そう思えた。
 ユキちゃんは、着替えた俺の姿を見て、ニッコリとした。
 気に入ってもらえたようだった。

「来てもらえて助かったわ」
「それで、これからどこにゆくのだ?」
「演劇部の校外活動に行くのよ」
「え? 俺は陸上部だけど……」
「男子の人数が足りないの。それで、あなたが今日のゲストに選ばれたの」
「へえ、そうなんだ」
(楽しみにして、いいんだよな)
「演劇部の連中は、かなり普通と違うから、驚かないでね」
「え? どういうことだ?」
「驚くな、というのは無理だから、充分に心構えをしておいてね」
(いったい何があるのだよ???)
 よく事情が分からないまま、連れて行かれたのは、カラオケボックスだった。
 高校の制服を着た男女のグループが、俺たちを待っていた。
 なんだ、普通じゃないか、と思ったが、やがて、それは間違いだと分かった。
 ポニーテールの女の子が、出迎えてくれた。
「すごい。本当に大杉さんを連れてこれたんだ」
「ケンヤはスマホを持ってないから、直接に捕まえないといけないのよ」
 ユキちゃんは、面倒くさそうに言った。
「ちょっと待てよ。うちの学校では、スマホを使うのは禁止だろう?」
「確かに、試験の最中にスマホを使うのは、具合が悪いでしょうね。
 でも、いまどきスマホを持ってないのは、ケンヤくらいのものよ」
「そ、そうなのかあ?」

 空いていた端の席に座って、取りあえず挨拶をしてみた。
「大杉謙也です。陸上をやっています。本日は、お招きいただき有難うございます」
 隣に座った男子が口を開いた。
 なぜか白衣を着ている。もじゃもじゃ頭で、やせている。
 度の強そうな丸眼鏡の奥で、眼がギラついている。
(こいつ、本当に高校生なのか?
 たぶんマッド・サイエンティストあたりが、はまり役だな)
「ほほう、さすがは鍛え上げられた運動部員じゃな。なかなか礼儀正しいではないか。
 それでは、さっそく部員たちの紹介などを始めよう」
 なんだか偉そうな態度だった。
「大杉君以外は、お互いをみな知っておる」
 俺は、口をはさんだ。
「あ、ケンヤでいいですよ」
(ユキちゃんも、ケンヤの方が呼びやすいだろう?)
「それでは、ケンヤ殿とお呼びしよう。
 二人を待っている間に、ケンヤ殿に分かりやすいようにと、それぞれ役割を振りつけてみたのじゃ」
 ユキちゃんが、「アチャ~」と言って、頭をかかえた。こぶりなツインテールが、当惑するように、小さくゆれる。
 俺の胸に懐かしさがあふれた。
「覚えやすいように、将来の希望や展望を合わせて、名前を付けてみた。
 まあ、あだ名のつもりで使ってみてくれたまえ」
 まず男性陣の自己紹介から始まった。
 やたらと偉そうな、白衣の演劇部員が最初だった。
「吾輩は、博士である」
(本当に、マッド・サイエンティストだったのか)
「いまは演劇部の副部長という仮の姿でおるが、将来は生物学者になるつもりである。
 組織培養やクローンの研究に進もうと思っている」
「なるほど、だから博士なのですね」
(クローン美少女を試験管内で培養してるのが、いかにも似合いそうだなあ)
 
 次の演劇部員は、やや太めで気弱そうだった。
 オタクっぽいけれど、まじめな努力家に見えた。
「博士が、美少女メイドロボを開発しろ、と言うから、私は発明家になりました」
「発明家さん、ですか」
 博士が口をはさんだ。
「吾輩は、生涯を研究に捧げるつもりだ。だから、死ぬときには、せめて美少女メイドたちに囲まれて死にたいのじゃよ」
「いまから生涯設計が最後までできているのですか。ある意味すごいなあ」
(いや、違うな。人生設計の最後だけ、できているのか)
「あくまでも、夢じゃよ。男のロマンと言っても構わないぞ」
 紹介が続く。
「それでは、女性陣じゃな」
 ユキちゃんが立ち上がった。
「まず、ケンヤ殿をお連れした水上雪江(みなかみ ゆきえ)さん」
「好きに呼んでくれて構わないけど? ユキちゃん、でいいわよ」
 ユキちゃんは、そっけなく言いながらも、けっこう嬉しそうに見えた。
「ユキちゃんのとなりが、アイドルの坂上 愛(さかがみ あい)さん」
 俺を出迎えてくれたポニーテールの似合う美少女だった。
「ありがとう。アイドルの愛ちゃんで~す。みんなァ~、用意はいいかいィィィ!」
「イエ~ィ!」
 全員がそろって声を張り上げた。
(そろいすぎだよ!)
「そのとなりは、委員長の村田陽子(むらた ようこ)さん」
 だまって軽く頭をさげたのは、落ち着いた雰囲気の、すらりとした美人だった。
 ロングヘアが良く似合っている。
 思わず、たずねてみた。
「委員長は、クラスで委員長をしてるのですか?」
「いえ、そんな風に見えるだけよ。本当は、生徒会で会計をしてるの」
(生徒会の役員をしてるのか。それって、委員長よりも役職として上なのでは)
 博士が俺に訊ねてきた。
「ところでケンヤ殿、将来は何になるおつもりかな?」
「まだ、何になるか、決めてません」
 俺は、しどろもどろになって答えた。
「なるほど、まだご自分の可能性を探っておられるのじゃな」
(ただ無精なだけだよ)
 そんな話をしているうちに、それぞれの選曲が決まり、カラオケが始まった。
 演劇部の皆は、良い声をしていた。声量があって、上手だった。
 中でもユキちゃんの歌が、強く印象に残った。
 勇壮で物悲しく、悲劇的で、破滅を予感させながら、希望に向かって疾走する。
 心に刺さる名曲だった。
 初めて聞いた曲だった。
「素晴らしい歌だったね、ユキちゃん」
「ありがとう。
 ケンヤの『君は僕に似ている』も、しゃべりかけられているような歌い方で、素敵だったわよ」
(素直に喜んでいいのかな?)
「初めて聞いたけど、何ていう曲なの?」
「Wakanaさんの『翼(つばさ)』よ」
「そんな歌手の名前は、知らないなあ。初めて聞く人だよ」
「ソロ・デビューした後だから知らないのね。たぶん、別の曲なら聞いたことがあるわよ。
 だって、梶浦由記さんの作詞した曲を歌ってたでしょう?」
「ひょっとして、カラフィナの元メンバーなの?」
「ええ、そうよ。ソプラノ担当だったの」
 ユキちゃんの隣に座ったアイドルの愛ちゃんが、何か話したそうだった。
 ユキちゃんと目が合った。
 ユキちゃんは、にんまりと笑い、肘をついて顎の下で手を組んだ。興味深そうに、俺を見つめている。
(分かったよ。俺が、初めて会った女の子とまともに会話できるか、見守っているのだな)
 俺は態度で愛ちゃんに、話を聞きたい、と促した。
「カラフィナは、アニメ版の『空(から)の境界』のエンディング・テーマを歌うために結成されたグループだったのよ。
 だから名前が、『空(から)』の『フィナーレ』から付けられた。
 梶浦さんは否定してるけどね」
 うまくいった。
 軽く相槌を打つだけで、愛ちゃんはしゃべり続けた。
「アニメが完結したら、それで解散するはずだった。
 でも、歌唱力が素晴らしかったので大人気になって、その後も活動を続けていたのよ」
「へえ、そうなんだ」
 ユキちゃんは、ほほう、思ったよりやるじゃない、といった顔つきで、俺をながめている。
(俺だって、やるときはやるさ。
 でも、この後は、何を聞けばいいのだろう。
 カラフィナの曲についてでは、話すことが多すぎて、かえって話題がとぎれそうな気がする。
 では……)
「『空の境界』は、どんなアニメなの?」
 愛ちゃんは、眼を輝かせた。
(よし! うまく話題を選べたようだ)
「『空の境界』は、もともとはコンピュータゲームだったの。奈須きのこというアマチュアが作ったゲームだった。
 けれど、とても良い出来だったので、奈須きのこさんの手で小説化されたり、アニメまで作られたのよ」
「へえ、詳しいのだねえ」
「ええ。発明家が、とてつもなく面白い、と言うから。
 ストーリーや演出を参考にしようということになって。
 演劇部の皆でアニメを鑑賞した。
 けれども……」
「作品が完璧すぎて、参考にはならなかった?」
 言ってしまってから、まずかったかな? と思った。
「そうなのよ!
 男子部員は、可愛い女の子が出て来たから、それなりに楽しんでいたようだけどね?」
 そう言って、アイドルの愛ちゃんは、俺に会話の主導権を渡してくれた。
 でも、どう会話を続けたらいいか、思い付かない。
 しばらくの間があった。
(あ、話が終わってしまった)
 博士が口を開いた。
「それでは、皆が待ちわびていた恒例の告白タイムじゃな」
 え? と思ってユキちゃんを見たら、肩をすくめて首を振っている。
「それでは、名誉ある第一回目の最初の告白は、ゲストのケンヤ殿にやっていただこう」
(ちょっとまってくれよ。恒例の告白タイムなのだろう? なんで俺が第一回目の最初になるのだよ)
 ユキちゃんは、苦笑いを浮かべて首を振っている。
(分かったよ。これが演劇部のノリなのだな)
 見渡してみると、女の子たちは、それぞれ個性的な美少女ばかりだった。
(でも、誰を選べばいいのだろう。やっぱり、ここは……)
「水上雪江さん。試しに俺と付き合ってもいいかなと、ほんのちょっとだけでも考えたことは、まったくないですか?」
 ユキちゃんは、にまっと笑った。
「微妙な言い回しね。そうね。考えたことが、まったく無いわけではないわよ」
(女の子と話をするときは、相手を尊重する、だったよな)
「少しのあいだ、ご一緒していただけませんか?」
「紳士的なのね。呼び出した手前もあるし。
 いいわよ、付き合ってあげるわ」
 そう言うと、ユキちゃんは、愛らしくほほえんだ。
 アイドルの愛ちゃんが口をはさんだ。
「ケンヤさん、フラれたら教えてね。なぐさめる、くらいはしてあげるわよ」
 博士が続けた。
「吾輩にも、ぜひ教えてくれ。たっぷりと、なぐさみものにして差し上げるぞ!」
「いえ、結構です。遠慮しますよ」
 博士は、次の告白者を指名した。
「それでは、記念すべき第一回目の告白タイム、二人目は発明家殿だ。さて、誰を御指名かな」
(やっぱり、初めての試みだったのか)
「それではパートナーとして、アイドルの愛ちゃんを指名させていただきます」
「ご返事は、いかがかな、アイドル殿」
「謹んでお受けいたしますわ」
「なんと、二組目のカップルが成立したではないか。では、吾輩は研究助手として、委員長を指名させていただこう。返答はいかに」
「研究助手として、お役目を拝命させていただきますわ」
 それから、発明家と委員長が席を入れ替えた。パートナー同士が隣り合ってすわった。
 ユキちゃんは、俺の前に座ったままだった。
 雑談が始まった。
 それぞれ、いい感じである。
「みなは高校の制服なのに、なぜユキちゃんだけ水色のベレー帽に紺のブレザーなのだい?」
 そう言ってから、俺は思わず息を飲んだ。
「近くで見たら、お化粧もすごいな。
 まん丸眼鏡をかけてないから、最初に見た時には、ユキちゃんだと分からなかったぜ」
 ユキちゃんは、投げやりに言った。
「ケンヤを呼ぶために必要だと言われて、演劇部の連中に、好き勝手にやられたのよ」
 アイドルの愛ちゃんが口をはさんだ。
「ユキエは、『いやよ、やめて』、と抵抗したの。
 でも、委員長と私で、『大杉君を召喚するための魔方陣だから、我慢しなさい』、と言って押し切ったのよ」
(この厚化粧は、俺を召喚するための魔方陣だったのか)
「見事に召喚されたよ。ユキちゃん、すごく似合ってるぜ」
「分かったわ。どうせ普段の私には、色気の欠片もありませんよ」
 アイドルの愛ちゃんが不思議そうに言った。
「普段は引っ込み思案でおとなしいユキエが、なんだか今日は、ずいぶんと積極的ね」
 俺は心の底から驚いた。
「ユキちゃんが引っ込み思案でおとなしい?」
 思わずユキちゃんを見つめる。
「俺の前では、いつもこんな風だぜ?」
 アイドルの愛ちゃんは、両手で口を押さえた。
「ええっ? ケンヤと一緒だと、いつもこんなに積極的になるの?」
(まあ、いいや)
 俺は疑問を口にした。
「なんで俺が、演劇部に呼ばれることになったのだよ?」
 ユキちゃんが、そっけなく言った。
「私が、ケンヤはどうか、と言ったら、男性陣が賛成したの。
 たぶん、女の子に興味がないことで有名だったからでしょうね」
(つまり、人畜無害と思われたのか)
 ユキちゃんは、つまらなそうに言った。
「宮崎先輩が参加していたら、女の子は皆、先輩に取られてしまうからね」
(宮崎先輩? ユキちゃんが海岸で言ってた人かな)

 ケンヤと宮崎先輩では、話術のレベルがまるっきり違うのだから……

(宮崎先輩は、演劇部だったのか。それならユキちゃんとは、長い付き合いがあったのだな)
 ずぶ濡れになって雨の中を歩いていたユキちゃんが思い出される。
 『付き合う』という言葉が、ズキリと胸に刺さった。

 委員長が答えた。
「でも宮崎先輩は受験があるから、もう部活には参加しないのですよ」
(と、言うよりも、博士や発明家は参加して欲しくないのだな。
 宮崎先輩に参加されたら、『格の違いを見せつけられる』から)
 今回、初めて告白タイムが行われた理由が、なんとなくわかった気がした。
 改めてユキちゃんを見つめて、気が付いた。
 工事現場で地面の下から見上げた時と、まったく印象が違っている。
 小学校低学年のユキちゃんが、凄く可愛くなって、そこにいた。
 召喚の魔方陣が、強力に効果を発揮していた。

 パートナー同士の雑談が、なんとなく一区切りした。
 そこから口火を切ったのは、博士だった。
「発明家殿、まじめも良いが、人のカルマに潜む悪も知らねば、本当に人々の役に立つ発明はできぬぞ」
 博士は、もっともらしく、極論を述べた。
「なるほど、納得です。
 よし! 大学生になったら、まじめに悪の道を極めるとしよう」
 発明家は、博士の極論に同意した。
「アイドルの愛ちゃんも、発明家と一緒にイケナイことをいっぱいやっちゃおうっと! 楽しみだわ~」
 皆がざわめいた。
「なんだか、冗談に聞こえないぞ」
「本当に実行してしまいそうだなあ」
「二人して悪の道を極めそうで怖いわ」
 アイドルは、スリスリと発明家の胸をなでた。それから、愛おしそうに発明家の胸にほっぺたを当てた。
 官能的につぶやく。
「発明家を誘惑して、堕落させてあげるわよ~」
 発明家は、アイドルの愛ちゃんに肩をだかれ、もたれかかられて、とても嬉しそうだった。
 発明家は調子に乗って、とんでもない事を言いだした。
「おっぱいを見せてくれない?」
(おい、おい、いくらなんでもそれは……)
「いいわよ~」
 アイドルは、軽い調子で言うと、ジャージの下の体操着をまくり上げた。止めるひまは無かった。
 アイドルの爆乳は、凄まじかった。
「な、なんと……」
 博士も、俺も、思わず絶句した。
(ん?)
「なんでおっぱいのしたに下着があるのだよ?」
「あはは、ばれちゃった。発明家が作った人造おっぱいだよ~」
 本物のおっぱいにしか見えなかった。
 発明家が言った。
「こら、博士。人のパートナーのおっぱいを、そんなに熱心に触らないでください!」
「吾輩は純粋に科学的な興味のみで、素晴らしい研究の成果を、まじかで観察しておるだけじゃよ。
 やましい気持ちは、少しもないぞ」
 委員長が、つっこんだ。
「すこしは、やましさを感じなさいよ」
 しかし、博士は少しも悪びれなかった。
 アイドルも、博士を気にしていない様子だった。
「このおっぱいブラは凄いのよ。私の胸にぴったりなの」
 発明家が得意そうに言った。
「私のバイオ・アナログ・スキャナーで完璧に測定してありますから。
 よろしかったら、ほかの皆様のおっぱいブラも作成いたしますよ」
 アイドルが口をそえる。
「発明家は凄いのよ。目測なのに、誤差は三ミリメートル以下だったの」
 委員長とユキちゃんは、あわてて胸を抱え、発明家の鋭い視線をさえぎった。
 発明家は、うれしそうにアイドルに言った。
「いやあ、有難いなあ。一緒に大学に合格して、アイドルの愛ちゃんと悪の道を極める。
 絶対に合格しなければいけない理由ができましたよ!」
(いいのか? そんなことを理由にして)

 俺は、ユキちゃんに尋ねてみた。
「博士がクローンの研究するというのは、ただのノリだよね」
「ところが、意外とまじめな話なの」
 博士は律儀に答えた。
「まず都会の医学部に入学する。卒業したら、医療の現場を体験する。
 それから地元の理学部に入学し直す。そして、生命科学の研究をするつもりなのじゃよ」
「博士は、都会の医学部に入学できるの?」
 アイドルが答えた。
「それがねえ、なんと現役合格をねらえる成績なのよ」
 委員長が続ける。
「医学部には、もう少しまともな性格の人間に入学してもらいたいと、心から思うけれど……」
 博士は堂々と言った。
「再生医療の深奥を究め、組織培養、臓器培養を越えて、美少女クローンを作りあげる。
 それこそが、吾輩の夢である」
 言い切った。
「まず、再生組織の販売で資金を蓄える。
 そして、地下に秘密の研究所を作り、密かに美少女クローンを培養するのじゃよ」
 俺は、思わずつっこんだ。
「ここで皆に話していたら、秘密の研究所、じゃないでしょう」
 しかし、博士は構わず先を続ける。
「四基の培養容器を二列にならべ、一年に一回のサイクルで稼働させる。
 そうすれば、五年後には四十人のクローン美少女が誕生している」
 博士の弁舌は止まらない。
「さらに五年たてば、六歳から十歳までのクローン美少女が、四十人も育っておるのじゃぞ」
 俺は思わず口をはさんだ。
「そんなに育てて、どうするのですか?」
「よくぞ聞いてくれた!
 もちろん夜になったら、パパとお医者さんごっこをしましょうね。さあパンツを脱いで、とせまるのじゃよ。
 こんな風にな!」
 俺は、思わず叫んだ。
「お巡りさ~ん。ここに変態スケベ男がいますよ~!」
 博士は俺の言葉には構わずに、発明家の後ろを回って、両腕を広げながらユキちゃんに迫った。
「我が愛しき娘たちよ。今より禁じられた遊びを楽しもうではないか」
 博士は、ユキちゃんの両腕をつかんだ。
「あらかじめ培養したエキストラ・アームを肩に移植しておく。
 そうすれば、服のボタンを外し、ブラを脱がせることも容易にできる、というわけじゃよ」
「博士の、エッチ!」
 突然にユキちゃんのブラウスが開いた。
 眼にもとまらぬ早業で、ハリセンが振るわれる。真正面から博士を打つ。

 スパーン!

 小気味よい音を響かせて、ハリセンは見事に博士の頭にぶちかまされた。
 博士は崩れ落ち、床の上で大の字になって横たわった。
「い、痛いぞ」
 委員長が冷静に言った。
「ハリセンの衝撃が、ひとり五百グラムとする。
 四十人のクローン美少女が同時に殴り掛かると、単純計算で合計二十キログラムになるわ。
 それだけの質量がツッコミの勢いで激突すると……
 うん、これなら大丈夫ね。ちゃんと博士を撲殺できるわよ」
 博士が当然の疑問を発する。
「な、なぜ、腕が余分にあるのじゃ?」
 発明家が、冷静に言った。
「博士がエキストラ・アームの培養に成功する前に、私のエクゾアームは、すでに完成していたのですよ」
「な、なんと! さすがは発明家じゃな」
「マジックハンドにポリウレタンを張りつけただけの、試作品と言うのもおこがましい代物ですがね」
(すごいな。さっきマイクを持って歌ってたよな。すっかり本物の腕と思いこまされていたぜ)
「危険人物である博士を相手にするのだから、特殊工作員として、この程度の工夫は当然よ」
 ユキちゃんは、しれっと言った。

 俺は、話題を変えた。
「発明家は、博士のために美少女メイドロボを作るのだったっけ」
「ええ、そうです。
 これから介護を必要とする老人が増えてゆくから、介護の補助として、メイドロボの需要は十分にあると思いますね」
 発明家は、にやりと笑った。
「プログラムで特に力を入れるところは、『テヘ、失敗しちゃった』と言って、どれだけ可愛い仕草ができるか、ですよね」
 発明家の言葉を博士が肯定する。
「美少女は何をしても許されるからな」
「介護ロボットが失敗ばかりしていては、まずいでしょう」
 俺のツッコミを無視して、博士は暴走する。
「じゃが、失敗したら、お仕置きじゃよな」
 お仕置きと聞いて、発明家は、うれしそうだった。
「どうする気ですか?」
「相手の喜ぶことでは、お仕置きになるまい」
 博士は、思案した。
「そうじゃな、ワシの顔を思い切り踏め! と命じて床に横たわるとしよう」
 博士は、変態だった。
 博士は床に横たわった。
 アイドルの愛ちゃんは、ナプキンを折ってつなげた。
 頭にかぶると、カチューシャになった。
 メイドさんの定番衣装である。
 即席の美少女メイドは、博士のそばに歩み寄った。
「嫌です。そんなことは、できません!」
 美少女メイドは、嫌がって身もだえする。
 しかし、博士は命じる。
「だめじゃ。吾輩の顔を踏むのじゃ!」
「だめです、だめです。そんなことは、できません!」
 博士は重ねて命令した。
「これは、お仕置きじゃ。失敗したのだから、罰を受けなければならぬぞ」
 美少女メイドは、泣きだした。もちろん、ウソ泣きだ。
 しかし、博士は鬼畜だった。
「構わぬ。力いっぱい、吾輩の顔を踏むのじゃ!」
 発明家が口をはさんだ。
「美少女ロボには、いざというときのために、ロケット推進がついてます。
 力いっぱいなら、一瞬ですが片足で一トン半の推力がだせますよ」
 委員長が冷静に続ける。
「瞬間的に足の面積に一トン半の力が加わると、……
 大丈夫です。博士の頭部は、粉々に粉砕されます」
 美少女メイドが勢いよく振りおろす足から、博士は身をよじって逃れた。
「そんな衝撃を受けたら、吾輩は死んでしまうではないか!」
 発明家は、笑いを押さえきれない。
「美少女の敵が世界から一人消えるのは、素晴らしい事だと思いませんか?」
 博士は、憮然として言った。
「吾輩は、思わぬぞ!」

 それでも博士は、めげることがなかった。
「美少女には、動作の美しさが大切じゃな」
 発明家が同意する。
「ご主人様に呼ばれて、振り向いたときの可愛らしさは、素晴らしいですよね」
「見返りの美しさ、じゃな」
 発明家は、夢見るように言った。
「細いうなじ、こちらに向けられてくる豊満な胸の美しいライン」
 博士は陶酔状態だった。
「ヒネリによって腰のくびれが強調され、ヒップの形の良さがくっきりと見える」
「そこに、ご主人様の顔を見てニッコリとほほえむ美少女の笑顔が加われば、無敵ですよね」
 二人の暴走は止まらない。
「そのためには、美少女を構成するパーツの選定が大切になりますね」
(いや、なにか違うぞ)
 ユキちゃんの姿が、鮮明に思い出される。

 髪をバスタオルで拭く細い腕。
 揺れる黒髪。
 俺を見すえるキリリとした眼は大きく見開かれている。
 強く結ばれたピンクの口元。
 細く白い首筋。
 しなやかに動く両肩。
 やわらかく揺れる双丘。
 桃色の乳首は、まるで、うれしくて、はしゃいでいるように見えた。
 くっきりとくびれた胴と、おなかのなめらかな曲線。
 形のよいおヘソが、絶妙なアクセントになっている。
 スラリとした両脚は、すこし広げられて床へとのびており、しっかりと厚みのある腰を支えている。
 雪の白さと墨の黒さが描く絶妙のコントラストは、神秘的な美しさを放っていた。

 ユキちゃんは、全体で一つだった。

 発明家は、夢を語る。
「理想的な顔、手足、胸、胴体のパーツを何通りか作って、組み合わせを自由に選べるようにする。
 自分好みの美少女を自由にカスタマイズできるようにする。
 それが理想と思います」
(パーツの組み合わせだって? それじゃあ、だめだ。
 ユキちゃんは、全体で一つなんだ!)
 発明家に博士が同意した。
「自分の好みに合わせて、美少女を組み立てるのか。なかなか良さそじゃな」
 俺は、思わず口走っていた。
「美少女は、パーツの集まりなんかじゃない。それだけで完結した完璧な存在なんだ。
 本物の美少女は、ただ髪の毛をバスタオルで拭いているだけでも、感動的に美しい。
 それが真の美少女なんだ!」

「なっ! なにを……」

 ユキちゃんが大声をあげた。
 あわてて下を向く。
 皆が一斉にユキちゃんを見た。
 ユキちゃんは、耳まで真っ赤になっていた。

 しばらくの間、だれも何も言えなかった。
 やがて博士が口を開いた。
「我々は何も見なかった、何も聞かなかった。
 よろしいですな!」
 委員長と発明家は、何の事かまったく分からない、といった様子でうなずいた。
 委員長が冷静に言った。
「パーツを組み合わせるなら、手足、胴体、顔がそれぞれ五種類としても、組み合わせは六百二十五通りになるわね。
 十種類なら、一万通りよ。
 自分好みの美少女を、一万人から選び出すのは、大変じゃないかしら」
 博士が、ゆっくりと言った。
「吾輩が間違っておった。ケンヤ殿のおっしゃるとおりじゃな。
 美少女は、完璧な存在であらねばならぬ」
 発明家が続ける。
「理想的な美少女を、タイプ別に用意する。納得です。まずは五人くらいですかね」
 博士が同意する。
「特徴的な美少女殿を何人か、発明家のバイオ・アナログ・スキャナーで測定する必要があるじゃろうな」
 発明家が言った。
「測定ならもう終わってます。
 デジタルスキャナーと違って、多数の映像データから解析している。
 だから、素材の柔軟性や硬度、弾性も測定できていますよ」
 俺は、小声で叫んだ。
「お巡りさ~ん、ここにむっつりスケベの覗き魔がいますよ~」
 ユキちゃんが、笑って同意してくれた。
「課題は、ほかにもあります」
 発明家は続ける。
「たとえば、倒れそうになった人を支える場合ですね。
 体重百キログラムを上限として、その人が倒れるのを支えようとする。
 そうすると、片手で五百キログラムの力をだせることが最低目標になりますね」
 二人の掛け合いが復活した。
「普段は力をセーブしておく」
「ご主人様が危機になると、火事場の馬鹿力を発揮するのじゃな」
「萌えますねえ」
 二人はうなずきあった。
「美少女は、けがれとは無縁な存在だから、いかがわしいことをされそうになったら、自分を守れるようにする。当然ですよね」
「倫理回路をつけるのね」
 委員長が口をはさんだ。
「吾輩の専属となる美少女メイドには、付けないで欲しいものだがな」
「博士に配属する美少女メイドロボは、すべての制限を解除しておきますよ」
「それは有難い。おぬしは、よく分かっておるのお」
「ええ、付き合いが長いですから」

 アイドルが委員長にたずねた。
「こんなヤツと本気で付き合うつもりなの?」
 委員長は、まじめに答えた。
「幼女たちを博士から守るには、いつもそばにいる必要があるわ」
 それから、委員長は残念そうに言った。
「博士が医学部を卒業するまでに、六千万円くらいかかるわよ。
 さらに理学部に再入学して研究すると、たぶん一億円の借金を抱えることになるわ。
 そこから再生医療の企業を立ち上げようとしても、銀行は融資してくれないわよ」
 博士は試練に立ち向かう勇者の表情で言った。
「吾輩は、妻にも子供たちにも、見放されるじゃろう。
 それでも、研究を続けるつもりじゃ。
 だから、クローン美少女たちが誕生するころには、ワシの妻は美少女ロボになっておるじゃろうな」
 博士は、委員長の脇に寄った。
 かがみこんで、委員長のスカートをつまむ。
「じゃがな、悪い事ばかりではない。
 美少女ロボなら、スカートをめくっても、だれからも文句を言われなくてすむのじゃよ」
 委員長は、すっと後ろにさがった。
 左腕を頭の後ろに回して、……

(えっ、えええっ!)

 委員長は、顔の皮をめくって、引きおろした。
 むき出しになった金属の頭蓋骨が、赤い眼を光らせて、博士を睨んでいる。
 低い男性の機械音声が博士に告げる。
「美少女にふらちな行為をなそうとするなら、それなりの報いを受けていただこう」

 ズン、ダダダン!
 ズン、ダダダン!
 ズン、ダダダン!
 ズン、ダダダン!

 部屋を揺るがせて、破滅の音が響く。
 博士は必死に逃れようとあがく。
 部屋の明かりが消えた。暗闇の中を、懐中電灯の光芒が、サーチライトのように博士を照らしだす。
 そして、破壊の権化は、容赦なく博士を追いつめてゆく。
 博士は、とうとう壁ぎわまで追いつめられてしまった。

 アイドルが冷たい声で言った。
「こうして、博士のエッチ、と言って、文字通り鉄拳が飛ぶわけよね」
 委員長の声が、冷静に続けた。
「五百キログラムを支えられる腕が、ツッコミの速度で激突すると……、博士の体は完璧に粉砕されますね」
 ユキちゃんが、部屋の明かりを点けた。
 アイドルは、ペンライトを仕舞いながら、あきれたように言った。
「あたりに博士の血や肉片が飛び散って、深刻な環境汚染がおこるわよ。除染作業とか、後始末が大変そうね」
 発明家は、ペンライトを振りながら、快活に言った。
「大丈夫だよ。メイドロボの機能は完璧に仕上げるから、しっかりとシミ抜きもして、証拠は一切残さないよ」
 博士は、ふてくされて言った。
「なぜ、吾輩が撲殺されるのだ。メイドロボには人間を守ろうとするプログラムは付いていないのか?」
 発明家が答える。
「もちろん標準装備では付いてますよ。
 でも、博士に渡すメイドロボは、制限をすべて解除しておく。
 そう言っておきましたよね?」
 博士は、激高した。
「吾輩にたいするツッコミには、一切容赦がないというのか。これでは殺人ロボットではないか」
 発明家は、しれっと言った。
「美少女ロボが戦闘アンドロイドなのは、定番でしょう?」
 思わず、俺も口をはさんだ。
「だけど、どうやったのだよ?
 本当に顔の皮を引きはがしたように見えたぜ」
 委員長は、すこし自慢げだった。
「ゴム・ラバーの仮面をかぶりながら、それに合わせて舌でほほを内側から膨らませて、口を歪めたのよ。
 引きはがされる顔の皮に見えるように、鏡を見ながら練習したの」
 不気味なマスクをかぶっていても、その下からのぞいた委員長の口元は、いかにもうれしそうで、とても魅力的だった。
(みな、無駄に凄い演技力だなあ)
 アイドルが脇から付け加えた。
「これは、ぜ~んぶ発明家が作ったのだよ」
 発明家は謙遜した。
「いえ、ハリウッドの特殊メイクを真似て作っただけです」
 俺は、思わず叫んだ。
「ぜんぶ、自作かよ!」
「演劇のために、小道具を作っただけですよ」
(特殊メイクをアレンジして、あれだけの物を作ったのか。発明家は、すげえなあ!)
 気が付くと、ユキちゃんが眼を輝かせながら、俺を見つめていた。
 ツインテールが、うれしそうに揺れている。
 俺は、思い出した。

 驚くな、というのは無理だから、充分に心構えをしておいてね。

「ユキちゃんが忠告してくれたとおりだったなあ」
 ユキちゃんは、楽しそうに笑った。
 俺は、博士に声をかけた。
「博士も、迫真の演技でしたね」
 博士は、自慢げに答えた。
「いつも、いつも、女性陣に本気で追いかけられ、追い詰められておるからな」
(それって、自慢になってないよな)
 発明家が言った。
「私の夢は、世界七十三ヵ国に美少女メイド派遣会社を設立することです」
(なんだよ。その半端な数字は?)
 博士が続けた。
「吾輩の夢は、世界中の小学校低学年の女の子と幼稚園児たちから、
 ヘンタイだ! ヘンタイだ!
 と、はやし立てられることじゃよ」
 博士は、やっぱり変態だった。
 
 解散して自宅に戻り、寝床に入ってから考えた。
 博士は再生医療、発明家は介護ロボットの製造を目指している。
 高校生なのに、もう自分の進路を決めている。
(俺は、何に成ろうかな?)

 このままバイトの土木を本業にして、美少女ロボット製造工場や博士の秘密研究所を建築するのも面白いかもしれない。
 でも、土木の皆から、お前ならもっといろいろなことができるだろう、と言われてる。
 それにしても、俺って中途半端だよな。
 なんでも、そつなくこなせる。
 でも、それだけだ。
 たしか、こんなのを器用貧乏と言うのだったな。

 だったら、皆が困ったときに、手助けをするのは、どうだろう。
 発明家が困ったら、手助けをしてやる。発明に集中できるように、手伝いをしてやる。
 最初は、趣味のメイド・ロボ。
 町工場で作れるだろう。
 見栄えが良ければ、レア・アイテムとしての価値もでるだろう。
 そして資金が集まったら、実用的な美少女介護ロボットを開発し、販売する。そして工場を拡張してゆく。
 よし、発明家の方は実用化の道筋が描けた。
 だが、大雑把に考えるだけでも、やるべき事は、本当にたくさんあった。
 とても俺だけでは、手伝いきれない。
 手助けをしてくれる大勢の人達が必要になる。
 美少女メイドの開発に協力してくれる人は多いだろう。
 でも、……
 だれか、そういう人たちに幅広い人脈を持つ人物が必要になるな。

 ユキちゃんなら、できるのじゃないか?
 そうだ、ユキちゃんに協力してもらおう。

 博士の方は難しいなあ。
 研究施設の建造だけでも、かなり資金が必要だ。
 基金を作って、発明家に供給してもらおうか。
 日本のお役人は、初めての事を認可するのに二の足を踏む。
 たとえ商業ベースの段階にたどり着いても、すぐには企業化の認可がおりないだろう。
 いっそ日本では破産しておいて、インドかブラジルに逃げる。
 そして、世界に通用する成果をあげてから、日本に逆輸入するのはどうだろう。
 世界に誇る日本の美少女!
 うん、キャッチ・フレーズは決まったな。
 それにしても、委員長は立派だなあ。
 幼女たちを博士から守るために、ずっとそばにいるつもりだと言ってたなあ。
 容姿端麗、眉目秀麗、学力優秀、スポーツ万能なのに、他人を守るために自分を犠牲にするつもりなのか。
 委員長は、マジ、聖女だよ。
 まてよ?
 博士は、そんな委員長の気持ちを、良く知っているはずだよな。
 ひょっとして、博士は委員長を自分のそばに引きとめるために、変態を演じているのじゃないかな。
 あれは、博士から委員長へのプロポーズだったりして。
 博士の歪んだ愛情か。
 分かりにくくて、ひねくれてるなあ。
 やっぱり博士は変態だ。
 いつの間にか、すべてがうまくゆく夢を見ながら、眠っていたようだった。
 目覚めると、いつもと変わらない学校生活が始まっていた。

 楽しかった課外活動が終わってから数日が過ぎた。
 あれから、ユキちゃんと出会うことはなかった。
 俺が昼休みに、カラオケボックスで過ごした時の思い出にひたっていると、学生食堂に美少女ユニットが降臨していた。

 気が付くと、演劇部の女性陣が集まっている。
(また何か仕掛けてるのかな?)
 俺が期待しながら見ていると、委員長がユキちゃんからまん丸眼鏡を受け取った。
 ユキちゃんは、眼鏡がなくなってワタワタした。小動物みたいで、とても可愛かった。
 委員長が、まん丸眼鏡をかける。
 度が強かったのだろう。思わず顔をしかめた。
(美少女が顔をしかめると、とても可愛く見えるのだなあ)
 意外だった。
 委員長は、こんどは眼鏡を下にずらし、見上げるようにしてあたりを見回した。
 清純派の可憐な美少女が、まん丸眼鏡をずらして掛け、しどけなく脚を組んで、だらしなくテーブルにもたれかかっている。
 その姿には、強烈な破壊力があった。
 それをながめるアイドルの愛ちゃんは、ほっそりとした首をかしげて肘をつき、指を交互に組んでいる。
 楽しそうに体をゆらしている。
 胸が引き締められて、胸元が強烈に自己主張していた。
(こいつら、こんなに綺麗だったっけ)
 そう思ったのは、俺だけではないようだった。
 ほかの男子生徒も、美少女ユニットを、口を開けたままながめ続けていた。

 うわさは、たちまち広がった。

 ほかのクラスの生徒たちも、食堂に降臨した美少女ユニットに群がった。
 美少女たちは、まるで本物のアイドルのようだった。
 詰めかけた男子生徒たちのひとりひとりと、楽しそうに会話を重ねている。
 笑顔をふりまき、きちんと対応している。
 その仕草は、まるでプロのアイドルのように洗練されていて、可憐で、美しかった。

 美少女ユニットを遠くからながめている人混みの中に、発明家と博士がいた。
(これは、演劇部が仕掛けた出し物だよな)
 俺は、二人の肩を叩きながら言った。
「良かったな。付き合う相手が、あんなに綺麗になって」 発明家と博士の反応は、俺の予想を裏切っていた。
「美しくなり過ぎだよ」
「吾輩たちでは、まるで釣り合わなくなってしまった」
「すっかり高嶺の花になってしまったなあ……」
 哀れな負け犬たちがそこにいた。
「こんなことができるのは、やはり宮崎先輩であろうな」「まさか、こんな形で彼女たちを取り上げられるとは」
(これは、宮崎先輩が仕掛けたのか?)
 強烈な不安が、心の底から突き上げてくる。

(ユキちゃん!)

 俺は、ユキちゃんの腕を引っ張って、美少女ユニットから引きはがした。
 食堂のテーブルに二人で座った。
 前置き抜きで話しかける。
「みんな、どうしちゃったのだよ。まるでアイドルグループだったぜ」
 ユキちゃんは、含み笑いをしながら、俺の顔を見つめる。
「どうやったのだよ!」
「宮崎先輩がプロデユースしたの。指導時間は、一時間もなかったそうよ」
(やはり、宮崎先輩だったのか)
「ユキちゃんは、宮崎先輩から、どんな指導を受けたのだよ?」
「私は、たまたま部室にいなかったの」
(ええっ? ユキちゃんは宮崎先輩にプロデユースされてなかったのか。それじゃあ……)
「それじゃあ、宮崎先輩は、ユキちゃんをさがしてるかもしれないのだな」
「ええ、たぶん。そうでしょうね」
 俺は、願望をこめてたずねた。
「部長と会うのを断ってくれないか? ユキちゃんにやってほしい事があるんだ」
 ユキちゃんは、アゴの下で手を組んで、上目使いに俺を見つめた。
 何かを、深く、考えてる。
 それは、分かった。
 でも俺には、ユキちゃんの考えが読めなかった。
 ユキちゃんが、口を開いた。
「部長が呼べば、行くしかないわよ。私は演劇部員だから」
「そうなのか……」
(呼ばれたら、宮崎先輩に付いて行ってしまうのか)
 俺がガッカリしたのが分かったのだろう。
 とびっきりの美少女は、とろけるような笑みを浮かべた。
「どうしたの? 私がいないと、さびしいのかしら」

 突然に気が付いた。
 俺の前で微笑んでいるのは、昨日までの子供ではなかった。
 幼稚園や小学校時代のイメージを重ねていたから、これまで真実のユキちゃんを見ていなかったのだろう。
 目の前にいるのは、いつでも恋をする用意のできた、美しい乙女だった。
 この時、俺は初めてユキちゃんを、本当に見たのだと思う。

 ユキちゃんが、首をかしげた。
「どうかしたの、ケンヤ……」
 それから、ユキちゃんの視線は、俺の後ろへと、それていった。

 俺の後ろから、誰かが近づいてくる。
 破滅の足音が聞えてくる。

 ユキちゃんは、顔をあげた。
 輝くような、華やかな笑みが浮かぶ。
 今まで俺が見たことのないような、嬉しそうな笑顔だった。
 誰が来たのか、俺には分かった。
 宮崎先輩だ。

 ユキちゃんの体は、近づいてくる足音に合わせて、ゆるやかに揺れていた。
 期待に満ちたまなざしで、俺の後ろを見つめている。
 前髪に触れた手で、ゆっくりと頬をなでる。
 ユキちゃんは、少し指を曲げて、両手で口元をおおった。
 眼が、キラキラと輝いていた。
(初めて見た。
 恋する乙女の瞳って、こんなに綺麗なんだ)

 この時、俺はユキちゃんに恋をした。

 宮崎先輩は、俺の脇に立つと、ユキちゃんに言った。
「ちょっと良いかな、水上さん」

 待ってくれ、宮崎先輩。お願いだ。
 お願いだからユキちゃんを連れて行かないでくれ。
 声を掛ければ付いて行く。ただそれだけのことで、ユキちゃんを連れて行かないでくれ。
 俺は、成績では、とてもあんたにかなわない。
 理知的なあんたには、銀縁の眼鏡がとてもよく似合ってるよ。
 あんたの笑顔は爽やかで、声は春風のように柔らかで、ユキちゃんの乙女心を優しくなでている。
 分かった。
 会ってみて、分かってしまった。
 俺は、あんたには、かなわない。

 女の子たちは、いつもあんたの噂をしてる。
 俺たちには、それを止めることさえ出来ないでいる。
 あんたの名前がでるたびに、俺たちは悲鳴をあげそうになっている。
 あんたが声を掛けるだけで、女の子はみんな、あんたのものになってしまう。
 だけど、それじゃあ、困るのだ。
 あんたには、美少女なんか、選び放題だ。
 でも、俺には、ほかに誰もいない。
 俺には、ユキちゃんしかいない。
 ユキちゃんだけが、俺の運命の人なんだ。
 だから頼む。頼むよ、宮崎先輩。
 ユキちゃんを連れて行かないでくれ!

 でもユキちゃんは、すばやく席から立ち上がると、足早に宮崎先輩のあとを追って、行ってしまった。

 終わった。
 終わってしまった。
 全てが終わってしまった。
 始まってすらいないうちに、……

 昼食を食べ終わった俺の前に、ユキちゃんが戻ってきた。
「宮崎先輩に、大学に入学したら、結婚を前提としないお付き合いをさせていただきます、と言ってきたの」
 ユキちゃんは、うれしそうに言った。

(ああ、もうだめだ。
 やはり、そうなったか。
 お付き合いします、と約束してしまったのか。
 もう俺が入りこむ余地は、まったく無いのだな)

 俺は、だまって食器を片づけた。
「もっと話したいことがある、とおっしゃっていたけれど、大事なことがあるから、と言ってお断りしたわ」
(そうか、大事なことが、この後にあったのか……)

 食堂からでると、俺は校庭に向かった。
 木枯らしが砂塵を巻き上げ、体をよろめかせる勢いで吹いていた。
 校庭のポプラは、すっかり葉を落としている。
 セピアがかった景色は、寂しげで、ひどく美しかった。
 校庭の、生垣の奥に生えた樹の下を目指す。
 ここなら、誰もやってこない。
 俺は、樹の幹に背中をあずけた。
(失恋すると、本当に強い痛みを感じるのだな)
 涙があふれないように、上を向く。
 コバルトブルーの空が、深海の蒼さをその奥に秘めて、目の前に広がっていた。
 樹の枝が、強風にゆれている。晩秋の太陽の光が、木の葉の隙間から降り注いでくる。
 涙がでるほど綺麗だった。

 ふと気が付いくと、ユキちゃんが、俺の前に立っていた。
 後ろに手を組んで、横おじぎをするように、体を少し傾けている。
 にまっと、悪戯っぽく笑う。
(大事なことが、この後にあるのだったな)
「悪かったな、付き合わせて。このあと大事なことがあるのだろう?」
 ユキちゃんは、満面の笑みを浮かべた。
「私にとって、ケンヤと一緒に過ごす時間よりも大事なことは、無いよ?」

(えっ? でも、それって……)

「先輩を相手に、いつまでもお友達でいましょうね、と言うのも変だったから、ああ言ったの」
(待ってくれよ。それじゃあ……)

 ここは、告白の樹の下。
 冬でも、葉が落ちることのない、特別な樹だ。
 女の子が、ここにやって来ることは無い。
 本当に特別なときを除いて……

 俺は、覚悟を決めた。

(ユキちゃんが俺の事をどう思おうと、誰を愛そうと、俺はユキちゃんを愛し続ける。ユキちゃんを守り続ける。
 たとえ、ずっとお友達でいましょうね、と言われても、俺とユキちゃんの関係は、いままでと変わることはない。
 でも、もしも……)
「ユキちゃん、いや、水上雪江さん。
 大学に入学したら、俺とお付き合いをしていただけませんか?」
 ユキちゃんは、じいっと俺の顔を見つめて、言った。
「いいわよ。
 何か、やりたくて、やりたくて、しかたのない事があるのでしょう?
 お付き合いさせていただくわ。
 よろこんで!」
 そう言うと、ユキちゃんは俺の前に歩み寄った。
 後ろに手を組み、目を閉じて、顔をあげる。

(これって、……)

 俺は、ユキちゃんの耳元に手を添えて、顔を引き寄せ、唇に軽く口づけをした。
 唇を離すと、ユキちゃんは恥ずかしそうに体をくねらせた。でも、とてもうれしそうだった。
「必ず守ってね。告白の樹の下で誓った約束だから」
 それから、とびっきりの美少女は、悪戯っぽく言った。
「楽しみだなァ~。
 恋する乙女の演技なら、何度もしたことがあるけれど、本物の恋は、たぶん、まだ一度もしたことがないから……」


<ボーイ・ミーツ・ガール>

 私はケンヤと並んで、校舎へと向かっている。
 強い風が、ビュウ、ビュオオオォォォ~と、音を立てて吹きつけてくる。
 頭上を、ちぎれ雲が、灰色の腹を見せながら見る間に形を変えて、強い北風に流されてゆく。

 これからは、ずっと二人で歩き続ける。
 そう約束を交わした。
 ノーカウントだったはずの幼稚園児のファースト・キスが、運命の口づけになろうとしている。
 過去って、変えられるのだな。
 それなら、まだ定まっていない未来は、いくらでも変えることができるだろう。
 これで、大学入試に落ちたりなんかするなよ。分かってるね、ケンヤ。

 私はこれから、ずっとケンヤに背負ってもらって進んでゆくつもりだ。
 そして、ケンヤの背中から、この先の道がどう別れているか、あたりに何があるかを教えてあげるのだ。
 だけど、「こちらに進んで」と、命令したりはしない。
 あんな失敗は、一度で充分だからね。
 ケンヤが落ち込んでいたら、私が慰めてあげる。
 ケンヤが疲れていたら、私が癒してあげる。
 ケンヤが望むなら、……
 これからは、何でもしてあげるわ!
 もしも、怖い犬が出てきたら?
 ケンヤなら、きっと何とかしてくれる。
 お願いよ、これからずっと、私を背負って進んで行ってね。

 ねえ、ケンヤ……

 まもなく、本格的な冬が来る。
 受験期は、冬の時代、灰色の時代と呼ばれている。
 目の前には、荒々しく積み重なった雲が、私たちの行く手を遮るように立ちふさがっている。
 いま吹きつけてくる風は、身を切るような冷たさだ。
 でも、目の前に広がった冬空の向こうには、きっと夢の芽吹いてゆく春が待っている。
朱鷺(とき)

2019年12月30日 13時45分53秒 公開
■この作品の著作権は 朱鷺(とき) さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:これで、大学入試に落ちたりなんかするなよ。分かってるね、ケンヤ。
◆作者コメント:
 今回の企画のテーマは、終わりと始まりです。
 本作では、幼馴染みとの日常が終わり、初々しい恋人同士の日々が始まります。深刻にならないように、できるだけサラリと描いてみました。
 今回の企画を実現してくださった主催様、運営の皆様方に、心から感謝いたします。
 ありがとうございました。

2020年01月13日 00時20分55秒
作者レス
2020年01月11日 00時17分25秒
-10点
Re: 2020年01月13日 00時27分26秒
2020年01月10日 20時53分42秒
+10点
Re: 2020年01月13日 00時26分37秒
2020年01月07日 19時51分03秒
+10点
Re: 2020年01月13日 00時25分46秒
Re:Re: 2020年01月13日 14時49分27秒
2020年01月06日 21時58分11秒
0点
Re: 2020年01月13日 00時24分57秒
2020年01月05日 15時48分32秒
0点
Re: 2020年01月13日 00時24分12秒
2020年01月03日 19時49分42秒
0点
Re: 2020年01月13日 00時23分28秒
2020年01月03日 19時35分24秒
+10点
Re: 2020年01月13日 00時22分49秒
2020年01月01日 14時22分40秒
+10点
Re: 2020年01月13日 00時21分44秒
合計 8人 30点

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