9つの太陽と黄色いレインコートの少女――再演、十日伝説――

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※グロテスクな内容を含みます。ご注意ください。

 俺は自殺見届け人。
 死ぬ人間を見守らなきゃいけない運命だ。それも100万人分の死を。

△▽△
 
 2025年、少子化に悩む日本政府は1つの発表をした。
 輪廻転生、生まれ変わってまた人間になる人が年々減少していることが、少子化問題の根本的原因だと。
 そんな馬鹿なと切って捨てる声が巷に溢れたが、日本政府が溜めていた膨大な科学的証拠を前に次第に収まっていく。
 その上で日本政府は宣告した。
《悪逆に溢れた現世では来世も人間に転生する者は、減り続けるだろう。功徳を積むことのみが来世も人間に転生できる唯一の道。そしてそれこそが、日本を少子化から救うことになる》
 人々は自分の来世を鑑定してもらうために寺や神社に押し掛けた。勿論デマや偽鑑定が横行し、社会はパニックになった。
 そこで混乱を治めるために政府から全国民に配布されたのが、スマホアプリ《功徳カウンター》だ。これは善行を行うことで溜めた功徳の量を知るアプリで、これで人々は人間に転生できる目安の功徳量を知ることができるようになった。
 世界中の人々が来世のために努力を重ねることで、世界は好転していった。

△▽△

(でもまぁいくら世界がよくなろうと、自殺はゼロにはならないんだよな……。残念なことに)
 そうボヤきつつも目の前の自殺を止めようとしない時点で、俺はかなりの人でなしだと思う。
 廃ビルの一階。喪服姿の俺はやりきれなさにため息をついた。6月の湿気でじわりと汗がにじむ。もう朝日が出そうだ。時刻は4時15分。
 目の前の青白い顔をした女性は、何度もスマホアプリの《功徳カウンター》の画面を確かめている。確実に人間に転生できる見込みがついたのだろう、ほっと安堵していた。美しい女性だが、その手には武骨な斧。赤いネイルがやけに不吉に輝く。
 ……わざわざ斧なんて自殺しにくい凶器を選ぶとは変わった女性だが、理由を聞くのは野暮だろう。誰だって拘りはあるものだ。
 意を決したらしい彼女は斧を片手に引きつった笑顔で言う。
「じゃ、じゃあ死ぬね。今日は来てくれてありがとう、鹿さん」
 鹿は俺のHN(ハンドルネーム)で、この女性とはSNSで知り合った。俺が自殺を見守ると彼女は人助けをしたことになり、徳を積めてよりマシな来世にいける。彼女にとっては一人で死ぬより心強いのだろう。
「いえいえ、こちらこそ呼んでくれてありがとうございます。それではよい来世を」
「……うん、ありがとう。必ず人間に転生してみせるからね」
 女性は頷くと震える手で斧の刃を首筋の頸動脈に当てる。そして、一気に引いた。首に斧がめり込んだと思ったら、どっと噴水のように血が噴出する。拍動に合わせて勢いを増し、天井まで血しぶきが吹きあがった。
 女性は目をかっと見開いていたが、黒目がぐるんと回りまぶたに隠れ、数秒後にどうと、倒れ伏したときにはもうこと切れていた。
 俺は遺体の傍にしゃがみ込み手を合わせる。
「……貴女の死は少なからず俺を助けてくれました。貴女の人助けは功徳の足しとなり、来世をよりよいものにしてくれるでしょう。ありがとうございました」
 お経もあげようかと思ったが、うろ覚えだったのでやめた。
 立ち上がってため息を吐く。
 相変わらず人の死を見届けるのはいい気はしない。
 しかしあと984,950人の死を見届けないと、俺は死ねないのだ。
 一応とばかりに喪服のポケットに忍ばせた折り畳みナイフを広げ、掌を切りつける。あっという間に傷口が塞がり、げんなりする。……先が長すぎる。仮に1日1人の自殺を見守ったとしても2698年掛かる計算だ。人類の滅亡が先かもしれない。
 俺は藤見透(ふじみとおる)。100万人の死を見届けないと死ねない呪いを負った、数百歳もとい永遠の17歳である。
 俺は女性の手から転げ落ちたスマホを拾い上げて嘆息した。こいつからも俺の情報を隠滅しないといけない。
 ――それにしても、斧を使った自殺が流行ってるんだろうか。俺の知る限りこれで6件目だ。

△▽△
 
 昨日の惨劇にくらべれば学校は平和そのもので気が抜けてしまう。夕方ともなれば眠気は最高潮だ。
「よーし、明日までに教卓に進路調査票を提出すること。ではホームルームは終わり!」
 担任が大声でHRの終了を宣言すると、途端クラスメイトはおしゃべりをしながら方々へ散っていった。
 俺は帰宅部なので、鞄を手に立ち上がる。昨日は警察の事情聴取で宵っ張りだった。ちなみに警察は俺の特異な呪いを知っている。退魔師協会の重鎮たる《雲野家》の後ろ盾もあって、思ったより早く解放された。でも帰れたのは明け方だったので、とっとと帰って寝たい。
 ところがある机の側を通ったとき、机の主の唸り声が耳をついた。進路調査票を前にうめく女子高生。名は雲野雁居(くものかりい)。俺の後ろ盾である《雲野家》の末娘だ。
 正直関わり合いになりたくない。長くなりそうだ。
「……あーっと、お疲れ雁居。じゃあな」
 そそくさと脇をすり抜けようとしたら、びたっとつんのめった。
 恐る恐る後ろを向けば、雁居に制服の裾を掴まれていた。懇願を含んだ視線が突き刺さる。若干涙目だ。
「助けて透君ー! 進路調査票が埋まらないの」
「あのな、お前の進路を俺がどうこうできると思うか?」
 下手な助言をしてみろ。あの怖い《雲野家》ご当主になんて言われるか!
「でも幼馴染でしょう? 相談に乗るくらいしてもいいんじゃない!」
「俺には荷が重すぎる! 他を当たってくれ」
「泣いちゃうよ! いいの!? ……ふえええん」
 泣き声というより鳴き声だそれは。
 それでもクラスに残っている女子は雁居の味方のようだ。
「あー、委員長が雁居ちゃん泣かした。いけないんだー」
「いいじゃん相談に乗るくらい。クラス委員長なんだし」
「委員長の、ちょっといいとこ見てみたいー。はい、イッキーイッキー」
(最後のはちょっと違くないか!?)
 ブーイングの嵐である。ちくしょう、女子を敵に回すわけにはいかない。
「わかったわかった。乗ってやるよ相談に。屋上行けるか?」
 なぜ屋上かと言えば、いいかげん風に当たらないと眠気で意識が飛びそうだからだ。それに一応進路の話なのでプライバシーに配慮したかった。この時期の屋上には誰もいないはずだ。
「うん!」
 そう言って雁居が鞄から取り出したのは、小さく畳まれた黄色のレインコートだ。雁居愛用の品で365日毎日使っている。しかし梅雨時の6月とはいえ今日は晴れで、雨の気配すらない。
 ……彼女は雨の日は勿論、晴れの日も夏の太陽の下でもレインコートを着込んでいる。かたくなにレインコートを脱がない様からついたあだ名は「雨女」。
 クラスメイトたちに冷やかされながら雁居を伴い教室をでる。勿論雁居はしっかりレインコートを着込んでいる。
 クラスメイト達は雁居の変人っぷりを愛しているので問題ないが、一緒に歩けば廊下行く生徒たちからはクスクス、ヒソヒソの嵐だ。登下校一緒になることもあるから慣れたが。
 熱中症にならなければ、もうなんでもいいと諦めの境地である。

△▽△

 屋上からは夕陽が見えた。空は見事な茜色である。風も強くびゅうびゅう吹いている。レインコートの雁居は平気そうだが、俺は衣替えしたばかりの半袖で少し肌寒かった。目は覚めたが早く話を終わらせたい。
「それで進路の一体何に悩んでいるんだ? 進学するんじゃないのか?」
 雁居は、「うん……」と少し元気がなさそうに頷いた。
「“より良い選択でより良い来世を”って進路調査票に書いてあったけど、私はどんな選択しても最悪な来世しかないじゃない。全部無駄に思えてきて。……疲れちゃった」
 雁居は柵に寄りかかって空を見上げ……すぐに顔を伏せてハンカチで顔を拭った。その仕草から顔に雨粒が当たったとわかった。俺には晴れにしか見えないが。
 雁居は《雨師(雨の神)》に祟られており、彼女の視界にはいつも幻の雨が降っている。365日毎日降っており、晴れの日を見たのは17年生きてきて一度だけ。ちなみにはっきりと濡れる感触もあるし、雨粒も水たまりも川の増水も雁居の目には見えるらしい。彼女にとっては幻覚ではない。それゆえに外出時にはレインコートを手放せないのだ。
 しかも雁居は祟りのせいで来世は《雨師》になることが決まっている。退魔師であった雁居の曾祖父の除霊失敗のせいだ。
 しかし全てを諦めるにはまだ早い気がするが……。
「功徳をたくさん積めば、来世人間になれそうだけど……無理なのか?」
 雁居は無言でポケットからスマホを取り出し、アプリ《功徳カウンター》を起動させた。
「今朝は転んだおばあちゃんを助け、おこづかいを割いてコンビニで盲導犬協会に寄付しました。さて私は一体どのくらいの功徳を積んだでしょうか?」
 普通なら50功徳は固い……はずだが。
 雁居の示したスマホの画面には『測定不能』の文字。つまり『功徳を積んでも意味はありません』。
 善行を積む以外に来世人間に転生する方法はないのに肝心の善行が積めない。……詰んでいる。
「進路なんかどうでもいいから、《雨師》にはなりたくないよ」
 ぽつりとこぼされた言葉。これが本音なのだろう。
「雁居、その……」
 呼びかけたものの、かける言葉も見つからなかった。
 そんな俺に雁居は申し訳なさそうに笑った。
「ごめん、相談じゃなくて愚痴になっちゃったね。そだ、透君は進路どうするの?」
「俺? ……そうだな、戦場カメラマンになろうかと思ってる。そのためにどの大学に入ればいいのか調べてるけど、いっそ大学に入らないで誰かに弟子入りしてもいいのかも」
 雁居は目を見開いた。
「戦場カメラマン?! なんで!?」
「なんでって。その、戦場の悲惨さを伝えることで、戦争を抑止できればと思ってさ……」
 嘘だ。俺は100万人の死を見届けないと死ねない。死ぬためには多くの人が死ぬ戦場に行くのが適切だと思った――のが本当の理由だ。正直不謹慎だ。
 雁居は俺の呪いのことを知らないので無難な理由を言ってごまかすしかなかった。
「ほわぁ、あの透君が戦場カメラマン……。前は救急救命士になりたいって言ってたのにすごい転身だね」
「俺が救命士になるのは流石に不謹慎すぎてね。それはやめたよ……」
「透君が不謹慎? なんで?」
 救急救命士になりたかったのは、やはり死を見届ける機会が多そうだからだった。でも人を助ける救命士が人の死を願うなんて無思慮すぎてやめた。現職の方にもうしわけない。
「ええと、とりあえず雁居の進路調査票を埋めよう。家業を継いで退魔師になるのは……悪い、嫌なんだな」
 雁居がものすごいしかめ面をしたので、俺は聞く前から答えが分かってしまった。
「お兄様がいい顔しないよ。私は“《雲野家》の失敗作”なんだから」
 ああしまった、地雷を踏んでしまった。ちなみに失敗作とは《雨師》に祟られたことを指している。高名な退魔師である雁居の曾祖父、その失敗の生き証人。それが雁居が負わせられた宿業だ。
 本人の実力に関係のないところで失敗作呼ばわりはキツイが、雁居は仕方のないことだと諦めている。酷い話だ。
 雁居はため息を吐くと頭を軽く振った。
「本当はね、やりたいことはあるんだ。でも見込みがないし普通の大学にしようかな」
 諦めたようで諦めきれないような口調だ。それにしても驚いた。雁居にも今生に望みがあったとは。
「やりたいことって?」
 雁居は柵に寄りかかって、遠い目をした。
「私一度だけ晴れの日を見たことがあるって言ったでしょ?」
「ああ」 
「10年前に私に晴れの日を見せてくれた男の人がいたんだ。私、その人を探しに行きたい。もう一度、あの晴天を見たい」
 そう言って雁居はぞっとするような焦がれる眼で空を仰いだ。
「……それが叶ったら、私死んでもいいや」
 ――言葉が見つからなかった。今この瞬間にそれが叶ったら、あっさりと屋上から身を捨ててしまいそうな危うさを感じたからだ。人の死を一番見てきた俺だから分かる。
 自然と咎める口調になった。
「……そう簡単に死ぬって言うなよ。一度見たなら何度でも見ればいい。そのために生きるのもいい。だけど死ぬのはやめろよ」
「うん、ごめん。でも、それだけあの人に会いたい。……大学とか家のこととか、全部放り出して旅に出たいなぁ。人探しの旅」
 でもまぁ、お兄様は許してくれなさそうだけど――と、雁居ははにかむように笑った。あの危うさが消えたことに安堵して、俺も笑った。
「いいんじゃないか、人探し。一応ご当主に掛け合ってさ、ダメだったら俺も一緒に探してやるよ。戦場カメラマンになったらあちこち行くだろうし、ツテも世界中にできるからきっと助けになれる」
「うん、ありがとう透君」
 雁居は今度こそ掛け値なしの笑顔になった。
「進路調査票書けそうか?」
「うん、一応大学の名前を書くよ。それで夏休みになったら、あちこち巡ってあの人を探すんだ。そのうち、他に生きがいができるかもしれない。来世が期待できない以上、今生を楽しむしかないでしょ」
 そう言って雁居は笑った。
「透君は私の分も、頑張って生きるんだよ。頑張れば頑張るほど報われる世界にいるんだもん。透君ならきっと来世もいい人間になれるよ!」
 俺の場合、頑張れば頑張るほど人の死を見ることになるのだが、果たして俺はいい人間なのだろうか。
「お前もな雁居。その、まだこれからだからな。諦めるなよ」
「うん」
 雁居は屈託なく笑った。

 ――そしてそれっきり、雁居の消息は途絶えた……。

△▽△

「……というわけで、一昨日は進路の話しかしていません。他に手掛かりとなることは何も……」
「……そうか」
 俺の返答を受けて、ご当主は顎に手を置いた。
 退魔師の大家《雲野家》のご当主の私室で、ご当主自らの査問だ。緊張感で自然と口が乾く。実年齢は俺より年下なのに威圧感がすごい。
 35歳で家督を継いだご当主で雁居の兄、雲野鷹尾様は何もかも見透かす瞳で俺を睥睨した。
「本当に他に心当たりはないんだな」
「勿論です! 思い当たることは包み隠さず話しましたよ」 
 勢い込んで言い募る。ご当主はため息をついた。
「あれにも本当に困ったものだ。ところかまわず事件に首を突っ込んだと思えば、今度は行方不明だと? どこまで手を煩わせれば気が済むのか」
「事件? 初耳ですが……」
「《連続殺霊事件》を知っているか?」
 素直に首を振る。そもそも俺は退魔師じゃないから霊は見えない。
「斧で霊を殺す霊がいるんだ。被害者はすでに4人。《殺霊事件》で被害者が斧で殺されたと最初に看破したのが雁居だ」
「あいつにそんな特技が……」
 斧と聞いて、一昨日自殺を看取った女性のことが脳裏をかすめた。あの人も斧で自らの首を掻き切った。
 しかし死んで霊になっても、また殺される事もあるのか……。酷い不条理だそれは。
 ご当主はため息をついた。
「やはり、《殺霊事件》に巻き込まれたと考えるのが順当か……」
「俺も探しに行きます! 俺なら何があっても死にませんから」
 意気込む俺に対し、ご当主は眉をひそめた。
「素人に頼るほど、落ちぶれてはいない、といいたいところだが……」
 そこから先は言わなくても分かっている。雁居の捜索に乗り気ではない退魔師門下生が多いのだろう。
 雁居は《雲野家》開祖である曾祖父の唯一の除霊失敗の生き証人。ただでさえ《殺霊事件》に首を突っ込んでいる雁居は酷く疎まれている。
「……これを持っていきなさい」
 ご当主は俺に黒く細長いケースに入った何かを差し出した。
「なんです、これは?」
 ケースを開けてみると、中には黒縁メガネが入っていた。
「霊が見えるように呪を掛けた眼鏡だ。雁居を探すうちに《連続殺霊事件》に出くわすことがあるかもしれない。そうなれば真っ先に逃げなさい」
「でも俺は今のところ不死で……」
 そうじゃない、とご当主は首を振った。
「生きながら苦しめる方法なぞいくらでもある。不死性にあぐらをかけば、ただ死ぬよりよほどつらい目にあうぞ」
 俺を思っての忠告なのだろう。頭を下げた。
「……わかりました。御忠告痛み入ります」
「いや。こちらこそ雁居を頼む。だが深入りはするなよ」
「はい!」
 雁居、お前は今どこにいるんだ……。

△▽△

 退出後、ふすま越しにご当主と男の声が聞こえた。
 俺とは別の部屋からご当主の部屋に現れたらしい。
 ご当主の涼やかな声。
「お前も探しに行け、后羿(こうげい)」
 男のため息が聞こえる。
「日本に来たばかりの友人に対して人使いが荒いなタカオは。はいはい、行きますよ。それで、お嬢ちゃんの特徴は?」
(誰だろう、ご当主の友人……?)
 好奇心が疼いたが、無理やり抑え込む。
(誰だっていい。雁居捜索の人手が増えるなら万々歳だ)
 俺はそっとご当主の部屋の前から離れた。

△▽△

 手掛かりがなければ、探しようがない。
 というわけで許可を得て雁居の部屋を捜索する。
 シンプルなデスクに教科書が並んだパイプラック。多肉植物が窓際に置いてある。女子高校生の部屋というより、まるで引っ越ししたての大学生の部屋だ。酷く物が少ない。
「あれ? カレンダーに印がついてる……」
 画鋲で壁に留められたカレンダーに、赤いペンで時間が書いてあった。4:25と18:58。
「これは……日の出と日の入りの時刻か?」
 俺自身、自殺の見届けのために宵っ張りで何度も朝日を拝んだから分かる。
 ……そういえば、一昨日斧で自殺した女性も日の出の時間帯にその首を掻き切った。
「偶然で片付けていいのか、これは……」
 日の出近くに自殺した女性と、雁居の部屋に残された日の出の時間。
 斧で4人も殺した《連続殺霊犯》を追う雁居と、斧で自殺した女性。
 何かが繋がりそうで、もやもやとしていてもどかしい。
(とりあえず、日の出と日の入りの時刻に、雁居の立ち入りそうなところをパトロールするか? それとも一昨日女性が死んだ場所か? ……悩む時間も惜しい。学校休んで一通り探してみよう)
 焦る気持ちとは裏腹に、できることは少なかった。

△▽△

 時刻は午前10時。学校にはしばらく病欠の連絡を入れてある。
 いったん家に帰って私服に着替えた。貴重品をいれたバッグを肩に掛ければ、準備万端。
 一番近いのはあの女性が自死した現場だ。ひとまずそこに向かう。
 私服で出歩けば、補導もされない。せいぜい浪人生に見えるくらいだ。
 と、思って堂々と繁華街を歩こうと思ったのだが……。
「……なんだこれは……?」
 例の眼鏡をかけた途端、見えた光景に思わず息を呑んだ。
 血の匂いすら漂ってきた気がして、口元を覆う。
 道端に3人もの半透明の人が転がっていた。胴体を真っ二つにされてピクリとも動かない。
 道行く人はそれが見えていないらしい。半透明の遺骸を踏んづけても、止まることなく歩き去っていく。
(この遺骸が、殺霊事件の被害者達か……?)
 ご当主の話では4人の被害者はすでに見つかっているので、この3人は新たな被害者だろう。念のために遺体に触れようとするが、手は空を切った。霊だ。幽霊だ。幽霊が死んでいる。
(これが、《殺霊事件》か……)
 遺体の見えない通行人が邪魔そうに俺を避けていくのをよそに、そっと1人の遺骸の側にかがんだ。傷口を検分する。まだ若い男性だ。ただし服装は白い死に装束だった。ちゃんとお葬式をあげてもらった霊なのだろう。
(……鋭利で重い刃物で胴体を切断。ただし傷口はガタガタで潰れている。何度も振り下ろしてようやく切り断ったっていう感じだな。犯人は非力な女性か?)
 被害者の首筋には“丙”の文字が刻まれていた。犯人のメッセージかもしれない。他2人の遺体も似たような服装と傷口だった。ただし首筋の刻印は、それぞれ“乙”と“丁”である。
 遺体の検分は我ながら手慣れたものだった。伊達に数百年生きてはいない。戦国時代を何度か殺されながらも、殺して駆け抜けた実績がある。
(ん……?)
 遺骸の側に赤いものが落ちていた。
 触れられないかと手を伸ばすが、相変わらず地を削るばかりで掴めない。
(ということは霊由来の遺留品?)
 しょうがなく地に頬をすり寄せて、それを間近で観察する。通行人の目が痛いが、それどころじゃない。――赤いものに見覚えがあった。
(赤い、――ネイルだ)
 被害者の誰とも一致しないネイル。
 一昨日の記憶がフラッシュバックする。あの女性も赤いネイルをしていた。
「答え……みたいなもんじゃないか」
 とりあえず、次の目的地は決まった。あの廃ビルだ。
 雁居が殺霊事件を追っているなら、犯人(この場合は犯霊かもしれない)を追えば雁居も必然的に見つけることができるはず。
 俺は駆け出した。

△▽△
 
 辿り着いた廃ビルの入り口には立ち入り禁止の黄色いテープが張られているが、女性の自殺から3日も経っているので警官はいない。自殺の観察者こと俺が目撃証言をしたので、早々に自殺と断定されて撤収したらしい。好都合だった。
 ひょいっとテープをくぐって中に入る。廃ビルの内部は床と天井を汚す血しぶきの跡とたくさんの警官の足跡が目立った。床は埃で覆われていたからなおさら。
「俺の勘が正しければ……」
 眼鏡を外して床を検分すると、……あった。
 自殺した女性のハイヒールの足跡だ。ビルの入り口から自殺したロビーまで続いている。彼女は自殺したので、当然帰りのハイヒールの跡はないはずだが……。
 霊の痕跡も見える眼鏡を掛けると、くっきりと自殺現場から歩み去るハイヒールの跡が浮かび上がってきた。
「あの女性は死んだ後、霊になってここを出ていった。その後で繁華街で殺霊事件を起こしたってことか?」
 いや、これじゃただの推測だ。そもそもあの異常な殺霊事件を女性一人が思いついて実行したのか? もっと確実な証拠が必要だ……。
 証拠証拠と呟いていると、ふと肩のバッグが重くなった気がした。ぱちりと目を瞬かせる。
(……あった、馬鹿だ俺)
 あの日女性のスマホを回収していたのだった。

△▽△

 現場近くの公園のベンチに座って、2時間かけて女性のスマホの情報を洗い出した。
「功徳カウンターにインスタにツイッターに、chromeのブクマに画像ファイルに……」
 片っ端から確認すると驚愕の事実が分かった。
(あの人の功徳カウンターの数値、人間に転生するには大分足りてねぇ……)
 自殺する前、女性は確かにこう言った。
『……うん、ありがとう。必ず人間に転生してみせるからね』、と。
 人間に転生するも何も功徳が足りてないから、人間に転生できるはずがないのに。
(……死後、幽霊になってから功徳を積める方法があった? それが殺霊事件なのか?)
 答えはツイッターにあった。
 女性のアカウント(@heren)のDMを漁ると、うさんくさいやり取りが記録されていた。相手は@suns。

@heren:こんにちは。友達から話を聞きました。私も参加したいです。やり方を教えてください。
@suns:やぁ! ありがとう。君の参加を嬉しく思うよ:)
詳しいことはコミュニティで教えるね。→http://~
君のアドレスでメールを送ってくれば、パスワードを知らせるからね。bye:)

 アドレスをクリックすると、『太陽党』と黒地に金の文字で書かれた怪しいHPに飛んだ。メルアドとパスワードの認証を求められたので、女性のメールも漁ってパスワードをGET。ログインに成功した。
 コミュニティの内容は実に物騒なものだった。
『簡単! 死後にたくさん徳を積む方法! これであなたも来世はまた人間に!!!』
 規約や謳い文句を読むにつれて、信じられない思いが湧き上がってくる。
 要約すると、太陽神に自らと他人の霊魂を生贄として捧げることで死後も功徳を積んで来世人間に転生できるとか。
 可愛らしい太陽のアイコンが言うやり方はまず、斧で自殺する。その後幽霊になったら、その斧で他の幽霊を殺し、その魂を太陽に捧げる。これを繰り返す……。
 注意する点は3つ。
『実行は日の出と日の入り』
『生贄の胴体を斧で真っ二つにすること』
『死ぬときに手を触れた道具でないと死後触れないので、斧で死ぬこと』
 俺は頭を抱えた。
(ビンゴじゃねぇか……)
 日の出とともに斧で自殺した女性。胴体を真っ二つに断ち切られた被害者達の霊。雁居が看破したという殺霊事件の凶器の斧……。
 すべてが、この太陽党を指していた。

△▽△

 深くため息をついて空を仰ぐ。思ったより深刻な事態に頭が回らない。
 おそらくあの女性の犯行は全体のまだ一部で、本当はこのコミュニティに所属する自殺者たちがあちらこちらで殺霊事件を起こしているに違いない。インターネットに国境はないから下手すると世界規模で……。
(……正直これは俺の手に余る。太陽党のことはご当主に連絡して、俺は雁居を探そう)
 今までの経緯を記したメールをご当主宛てに飛ばした。太陽党のHPアドレスの添付も忘れずに。
 気を取り直して、女性のスマホに向き直る。
(殺霊犯の女性の足取りが分かれば、雁居に繋がるはずなんだ。繁華街で事件を起こした後、女性はどこにいったんだ……)
 手がかりを求めて太陽党HPの女性のマイページに届いたメッセージを漁る。すると太陽党の党首@sunsから届いた地図の添付ファイルと殺霊の指令があった。地図にはいくつかの赤い×印が付いている。繁華街もその一つだ。女性が指令通りの場所で殺霊事件を繰り返しているとわかった。
(他の場所は……、病院と学校と公園と火葬場と図書館と……多いな)
 しらみつぶしに当たるしかない。そうすれば、同じく殺霊犯を追っている雁居にいずれ出くわすはずだ。次の犯行時刻は、日の入り。それまでに、女性の足取りを掴まなければ……!
 女性のスマホを鞄にしまい走り出した。
 
△▽△

 指令の場所を探して、日中どころか夜通し走り回った。日の入りまでに見つけると意気込んだが、間に合わなかった。
 ここまで指令の場所が隣の市に渡るほどバラバラでしかも多いとは思わなかったのだ。市の広さを恨みたくなる。徒歩で回りきるのは無理だと判断し、途中で家に戻って自転車で訪ね歩いた。
 しかし最後の火葬場ときたら山の中で、辿り着いた時には日が昇りかけていた。本来は貸切のマイクロバスで来る辺鄙な場所だった。
(でもこれが、最後の一つ……!)
 他の指令の場所はことごとく切断された霊が転がっていた。つまり、手遅れだったということで……冷汗が止まらなかった。
(ここにもいなかったらどうする。雁居は俺と入れ違いで殺霊犯と出くわした後かもしれない……)
 あの女性が生きている人間を物理的に攻撃できるのかはわからない。でもご当主は言っていた。
『生きながら苦しめる方法なぞ、いくらでもある』と。
 最悪の想像に思わず身震いをする。せめて気のせいであってくれ。
 祈る気持ちで火葬場の閉まっていた入り口のゲートをよじ登る。
 建物へ続く坂道を駆けあがっていたとき、薄く明るくなってきた夜を……ふいに白い光が切り裂いた。坂の上、火葬場の方だ。
(なんだ……!?)
 嫌な予感がして更に足に力を籠める。
 肩で息をしながら辿り着いた火葬場。そこにはあちこち破れた黄色いレインコート姿の雁居がいた。薄く血を流して片膝をつき、あの殺霊犯の女性を睨みつけている。女性の片手には凶器の斧。
 女性は勝ち誇った笑みを浮かべ、雁居にゆっくりと近づいていく。雁居は悔しそうに唇を噛み締め、逃げようともしない。……いや、足を怪我して逃げられないのか!?
 緩慢に斧が振りかぶられ、頭上めがけて振り下ろされる――!
 気が付けば、二人の元へ駆けだしていた。
「やめろおおおおおおおおお!!!」
 とっさに肩にかけていた鞄を投げつけた。二人の驚いた顔が目に入るが、それでも斧の勢いは止まらない。飛び込むように割って入る。
 自らの頭を守るように掲げた腕は、手首から斧に切り飛ばされた。勢いのまま斧は真っ直ぐ俺の顔の右半分を切り潰していく。
 鮮血がほとばしる――!
「と、透君……!?」
「雁居、逃げろ!!」
 痛みが神経を駆け上るが歯をくいしばって耐えた。どうせすぐ治る!
 少しのけぞる間にずるりとぬめった音を立てて、予想通り腕も顔もあっという間に再生された。
 超速再生はよほど意表を突いたのだろう。二人は目を見開いてつかの間硬直した。
(チャンス――!)
 女性に飛びかかった。雁居が逃げる時間を稼ごうとしたのだ。だが――。女性の体は掴めず、俺は地面に倒れ伏した。一瞬呆然としたが、すぐに気付いた。
(しまった、この女幽霊になってたんだ――)
 眼鏡で幽霊は見えるようになったが、触ることはできない。わかっていたことなのに、とっさのことで頭から抜けていた!
 女性は我に返ると、斧を再び振り上げた。くそっ、今度こそ間に合わない!
「か、雁居!」
 全てがスローモーション。雁居は覚悟を決めたのか、斧から目を逸らさない。もう駄目だ――。
 ところが雁居は静かに両手伸ばすと――奇妙な印を結んだ。
 カッと白い光がほとばしり、空から稲妻が叩きつけるように幾筋も降ってきた。そのうちの一筋が女性に直撃。たまらず斧ごと女性は吹っ飛ばされ、地面を何度か転がって倒れた。皮膚がただれ、一部は黒く焦げている。
 ……俺は予想外の事態に、地面に尻をつけて呆気に取られたまま固まっていた。
「だ、大丈夫? 透君」
 ふと気づくと、雁居が心配そうに覗き込んでいた。
「……お前、退魔師になるのは嫌だって……てっきり退魔術も使えないかと……」
「うん。今は退魔師になりたくないけど、それでも昔は認められたくて頑張ってた頃があって……さっきのはその時覚えたの。射程が短いからすごく近づかないと使えないんだけどね」
 あんな術を使えて、退魔師じゃないって反則じゃないか?
 半ば動揺しつつも、俺は雁居が差し出した手をとって立ち上がった。
「ありがとう」
 が、雁居は俺の手を離さずペタペタと触って、ぎゅっと握った。
「そ、それより透君。私の見間違いじゃなければ、さっき、こ、この手が……」
 ……そうだった。雁居は俺が不死だと知らないんだった。
「あー、うん。あとで説明するよ。俺も雁居に聞きたいことがあるし」
 それより……と視線を巡らせた先にはあの女性。うつ伏せに倒れたままピクリとも動かない。霊にトドメが必要なのかもわからなくて、恐る恐る近づく。
 嗚咽が聞こえた。女性は泣きながら回らない口で何かを呟いている。
「なんで、なんで……私はいつもこうなんだろう……。恨んで憎んで、不幸になるばかり。頑張ったのに、頑張ったのに足りない……。これじゃ人間に転生したって、きっと……」
 胸を引き絞られるような泣き声だ。だけど、彼女のしたことは許されることじゃない。彼女に殺された霊たちは人間に転生できないかもしれないのだ。
「……貴女はやり方を間違えたんです。いくら頑張っても間違った方に努力しては報われない。それどころかもっと不幸になる」
「わ、私は、私は……」
 落ちていた鞄を拾い上げ彼女のスマホを取り出す。画面は割れていたが、電源を入れて功徳カウンターを起動した。彼女の人間転生ボーダーはギリギリだ。
「貴女が人間に転生できるかは微妙なところです。……でも、どんな生き物に生まれ変わろうが、来世では誰も殺さず自分を大事にして下さい」
 涙で濡れるうつろな目が俺を映す。唇が何度かわななき微かに頷いた。一つだけ静かに深い息をして、彼女は再び死んだ。
 雁居が女性の遺体に何かお札のようなものを貼る。それはぱっと白く燃え上がり女性の体を包み込んだ。瞬きする間にそこには何もなくなった。
「送ってあげたの」
 そう言って雁居は空を仰いだ。顔を出しつつある太陽が、世界をあたたかなオレンジ色で照らし始めていた。
「そっか……」
 俺も言葉少なく、朝の空気を吸い込んだ。あの女性の魂は無事に転生できたのだろうか。彼女のやったことは許されないことだが、あの哀切を聞いては、幸せを願わずにはいられなかった。

△▽△

「……そうだ雁居、これ」
 自分の前開きのパーカーを脱いで雁居の肩に掛けた。あちこち破けたレインコートは正直目のやり場に困る。
「あ、ありがとう透君」
 雁居は一度レインコートを脱いだ。下に着ていた制服も見事に切り裂かれていて、思わず息をのむ。雁居は制服の上にパーカーを着たが、見事にぶかぶかだった。その上にまたボロボロのレインコートを着込んでフードを被る。……まぁ雁居にだけ幻の雨が降ってるんだから仕方ない。
 着ぶくれてふふっと照れ笑いする雁居に、我ながらちょっとぐらっときた。……寝不足だからってことにしとこう。
「じゃあ、そろそろ帰るか。ご当主も心配していたからな」
 そう言って歩き出そうとしたが、Tシャツの裾をちょこんと掴まれピタリと足が止まる。振り向くと、黄色いレインコートのフードを被った頭が微かに震えていた。
「……雁居?」
「……ねぇ、透君。お兄様は本当に心配してた?」
 昨日のご当主の言葉が蘇る。
『あれにも本当に困ったものだ。所かまわず事件に首を突っ込んだと思えば、今度は行方不明だと? どこまで手を煩わせれば気が済むのか』
 あれは心配よりはむしろ……妹の不出来を苦々しく思っているような……。
 正直に言えるはずもない。ぎこちなく笑う。
「あ、当たり前、だろ?」
「ふふっ、嘘が下手だよね、透君は」
 息が止まりそうなほど儚い微笑だった。
「雁居……。その……」
「帰らないよ、私は」
 雁居は目に決意をにじませて、きっぱりと断言した。
「な、なんでだ?」
「夢がもう少しで叶いそうなの。このチャンスを逃したら、一生後悔する」
 ぎゅっと袖を固く握りしめている。
「お前の夢……。十年前に晴れの日を見せてくれた男性に会って、もう一度太陽を見ることだっけ?」
 こくりと雁居は頷いた。
「ねぇ、透君。一生に一度のお願い! 雁居は、太よ――とある組織のリーダーと会うまで帰らないってお兄様に伝えて。私の探している人はその人かもしれないの……!」
 そういって雁居は「お願いします!」と勢いよく頭を下げた。
 ……深く嘆息する。雁居はびくっと肩を揺らした。
 なにも知らないとでも思ってるんだろうか。太陽党のリーダーと言ったら、世界中で殺霊事件を起こすように指示しているテロリストだ。
「本当に『太陽党』のリーダーがお前の探していた人なのか?」
 雁居は驚いたように目を瞬かせた。俺が太陽党と明言したことで、事情にある程度精通していると気づいたらしい。遠慮はいらぬとばかりに自分のスマホを取り出し、待ち受けにしている太陽が眩しく照る南国のビーチの風景を見せてきた。
「これは?」
「太陽党のコミュニティからダウンロードした、太陽党のリーダーが撮った写真」
「……どういう感想を期待してるんだ?」
「私には! この写真が晴れているようにみえるの! この写真だけなの……」
 雁居はもどかし気に言った。
 一瞬言葉の意味を考えて、あっと気づいた。雁居の呪いは写真や映像にも及んでいる。いつもならどんな写真も雁居には雨模様にしか見えないはずなのに……この写真だけ晴れている?
「つまり、この写真を撮ったリーダーの周りではお前の幻の雨が止むってことか? それが写真に現れてると……?」
 雁居は泣き出しそうな顔でこくんと頷いた。
「わかってるのか? 相手は犯罪者だぞ」
「……知ってる」
「それでも、か……?」
「うん、私には心配してくれる人はいないからね……。命の危険があろうともこの人に会いたい」
 雁居は俺を真正面から見つめてはっきりと言った。学校の屋上で見た、ぞっとするような焦がれるような目をしていた。……願いが叶ったら、そのまま死んでしまいそうな。
 背筋がぞわりと総毛だった。慌てて雁居の両肩を掴んで言い聞かせる。
「俺が! 心配している!」
「ありがとう、透君」
 儚い笑顔。信じてはいないようだった。
 ご当主を呪いたい。雁居がここまで自分に自信がないのはご当主をはじめ、雁居の周りの人々がこいつを大事にしていなかったせいだ。
 ……そして俺もその一人かもしれない。
 後悔はしたくない。取れる手は一つしかなかった。
「……わかった。もう止めない。好きにすればいい」
「うん、今までありがとう。透君」
 雁居はほっとしたように笑った。
「俺はお前について行く」
「えっ……!?」
「お前にくっついて行って、お前の盾になる」
 雁居は信じられない言葉を聞いたようにふるふると首を横に振った。
「透君を巻き込むわけには……」
「もう十分巻き込まれてるし、お前が勝手をするなら俺も勝手にする」
 強引だけどもうこれしかない。
 こちらが一歩も引く気はないと知ったのか、雁居は困ったように眉を下げた。
「……下手すると命がけになるよ。透君のことも守ってあげられないかもしれない」
「守ってもらわなくてもいい。勝手について行くんだ。俺のことは気にするな」
「ほ、本当に好き勝手にするからね! 後悔しないでよ!」
「しない! 俺に二言はない」
 にらみ合う。無駄な時間だ。俺が折れることはないんだから。
 ……何十分か経った頃、雁居はようやく諦めた。
「……わかった」
 俺は張りつめていた息を吐いた。
「よし、交渉成立だ……(ぐぅ~)……な?」
 盛大な腹の音が雁居から聞こえた。顔が真っ赤だ。
 緊張した空気をぶち壊す音に、思わず二人して笑ってしまう。こころなしか雰囲気が柔らかくなった。雁居の頭にぽんと手を乗せる。
「とりあえず腹ごしらえするか。その後情報交換して、太陽党のリーダーに接触する方法を考えよう」
「うん、ありがとう透君」
 久しぶりの雁居の笑顔だった。

△▽△

 腹ごしらえといってもまだ明け方といってもいい時間帯では、24時間営業のファストフード店しか開いてなかった。席は1階の窓際。
 適当に注文したハンバーガーやらドリンクは、あっという間に二人の胃袋に納まった。腹がいっぱいになれば、次は作戦会議だ。
「9つの太陽?」
「うん。今回の殺霊事件は9つの太陽を祀るために、古代中国の儀式を真似たものだと思う」
 突拍子もない考察に疑問符ばかりが浮かぶ。
 雁居はゆっくりとコーヒーを飲みながら、一つずつ根拠を並べていった。
 曰く――
・日の出、日の入りに生贄を斧で真っ二つにする殺害方法は、古代中国王朝《殷》が行った太陽を祀る祭祀の手法。
・今回の事件の被害者達の首にあった刻印も乙、丙、丁……の9種類で、これは伝説で射落とされたとされる9つの太陽の名前に一致する。
 何より、と雁居は言いづらそうに口を開いた。
「私が10年前会った、太陽党のリーダーも9つの太陽の亡骸を背後の空に背負ってたんだ」
 なんだその奇っ怪な男は……。
 雁居は思い出すように、宙に視線をさまよわせた。
「でもその太陽も私にしか見えてなかったみたいだから、私の幻の雨と似た呪いかもしれない」
 それにしても9つの太陽、か……。
「なんのために太陽党のリーダーは9つの太陽を祀ってるんだ?」
「わかんない……。ただ世界中で殺霊事件を起こして、大量の死者の霊魂を9つの太陽に捧げているだなんて規模が大きすぎる。なにか想像のつかないことをしようとしているのかも……」
 聞くからにヤバイ匂いがしてくる。
 雁居をそんな危ないやつと接触させていいのか……。
 ちらりと雁居をうかがう。カップを持つ手が微かに震えていた。
「ふふっ。ちょっと、怖いよね……」
 ずっと殺霊事件を追っている雁居だからこそ、俺より遥かに事の重大性をわかっているのだろう。
「……降りる気はないんだな」
「うん、もう決めたから」
 そっけない言葉の影に、決意がにじんでいた。文字通り決死の覚悟だ。俺も雁居を置いて逃げるつもりはない。
「わかった。次はどうやって太陽党のリーダーに接触するかだな」
「うん、まずは正攻法で行こうと思って……」
 と雁居が鞄をひっくり返して取り出したのはスマホだった。……しかも、雁居のものではなく、数も10や20ではない。
「ど、どうしたんだそれ……!」
 雁居はばつの悪そうに視線を逸らした。
「太陽党の自殺者たちから、その、……借りたの」
 どうみても、奪い取ったものである。
 そうか3日も行方不明になっていたのは、太陽党の自殺者たちと盛大にバトルしてスマホを奪っていたからか。
 『死ぬときに手を触れた道具でないと死後触れない』らしいので、恐らくスマホを持って自殺すれば、幽霊になった後もスマホを使えるのだろう。
「……うん、まぁ。ソウイウコトモアルヨネ……」
 思わずぎこちない口調になる。俺だってあの女性からスマホを拝借した手前強く言えない。
「それで、そのスマホをどうするんだ?」
「うん。太陽党では優秀な殺霊事件の加害者は表彰されて、党首から直接祝福されるんだって。それでこのスマホの山を使って、ランキング操作をしようかなと……」
「……えげつないな」
「うん……」
 雁居は恥ずかしそうに俯いた。こんな容赦のない手を使うとは、意外な一面を見た思いだった。
「やり方を教えてくれ、手伝う」
「ありがとう、透君」
 そうして、ふたりでポチポチとスマホをいじり始めた。
 ちなみにパスワードは雁居が脅して吐かせたらしい。……もうなにも言うまい。

△▽△

「お、終わったァ……」
「透君、ありがとう!」
 気が付けば既に夕方になっていた。長時間居座ってしまい、ここの店員には申し訳ない。
 けれど地道な作業のおかげで、この地域の殺霊事件のトップランカーは1人に集約された。それは雁居の持っているスマホの持ち主ということにした。これで党首からの祝福とやらがくるはずだが……。
「あ、太陽党公式アカウントからメッセージが来た! ”このDMに直接党首が祝福を述べられます。粛々とお待ちください”……だって」
「粛々と、ねぇ……。テロリストの癖に生意気な」
 俺は肘をついて、虚ろにつぶやいた。長時間の作業で目がちかちかする。雁居は逆に活き活きとしていたが。
「あ、来た! 祝福!」
 雁居がその内容を口頭で教えてくれたが、不審に溢れたものだった。
 曰く、あなたは来世必ず人間に生まれ変わることができ、その上金持ちになれるだろうとか。もっともっと殺霊すれば、いい来世にいけるから更に励むようにとか……。聞いているだけで耳が腐りそうな、甘い言葉の羅列だった。
 雁居も読み上げながら心なしかげんなりとした表情をしている。
「『最後になりましたが、あなたの来世に幸あらんことを――』あ、終わりそう……」
「……終わっていいのか?」
「よくない!」
 雁居は猛スピードで、DMに返事をしたため始めた。
『初めまして、党首様。お言葉大変身に沁みました。ありがとうございました。時にお聞きしたいのですが10年前にあなたにお会いした黄色いレインコートの女の子のことを覚えていますか? あれは私です。党首様にはあの時にした約束を果たして欲しいのです』
 じっとりと、雁居の額から汗が一筋流れていった。ここが正念場だ。
 5分後返事が来た。
『約束、とは?』
『またお会いして、晴れの日を見せて欲しいのです。私は雨に祟られた女で、雨しか見たことがありません。でもあなたの周りだけが晴れています。私はあの太陽が忘れられないのです。今一度、会ってはくれませんか』
 返事をしてから、10分、20分経った……。応答がない。
「……切り捨てられた?」
 雁居が呆然とした声で呟く。俺が慌てて励まそうとした時、ピロンと着信音が鳴った。
「来た! えっと、『覚えていますが、貴女があの時の女の子だという証拠はありますか?』」
 ……遠回しに断っているのだろうか。約束の履行を求める、それこそが当事者の証拠だろうに。
 雁居はしばらく考え込んでいたが、返事を打ち込んだ。
『わかりました。必ず証拠をお出しします』
『お待ちしています。締め切りは2時間後です』
 党首の返事を確認した雁居は、青ざめた顔で慌てて山と積まれているスマホを順々に起動させて机に並べだした。1つでは足りず、隣の机も借りる。
 突然の奇行に目が点になる。流石の雁居も難題にパニくってるのだろうか。
「ど、どうしたんだ雁居」
「透君も手伝って! スマホで世界中のライブカメラや監視カメラを確認して、党首の居場所を探すの!」
「はぁっ!?」
 順に説明してくれ! と俺の声なき声が聞こえたわけではないだろうが、雁居はもどかし気に説明してくれた。
「私には党首の周りだけ晴れているように見えるの。逆を言えば、晴れている地域が党首の居場所。こんな特定の仕方ができるのは私だけ。……つまり私の呪いで党首の居場所を特定できれば証拠になると思わない?」
「まぁ……確かに……」
「幸い私の幻の雨は、カメラ越しでも降ってる。世界中のライブカメラを確認すれば、晴れている地域くらいは絞れると思う」
 そう説明する間にもすさまじい速度で次々と世界各地のライブカメラにスマホでアクセスし、天候を確認している。
 その姿に一つの疑問が湧いてきた。
「理屈はわかるけど、2時間で全世界を見るのは無理じゃないか? ただでさえライブカメラもない地域もあるわけだし」
 雁居はぴたりと動きを止めた。
「……ううう、ど、どうしよう透君」
 一気に涙目になった。自分でも無茶を承知していたらしい。
 しょうがない、一肌脱ぐか。
 俺は素早くスマホを操作し、ちょっと人にはいえないアドレスにアクセスした。長く生きることに飽いて、暇つぶしに確保したルートがこんな時に役に立つとは。開いた画像を雁居に見せる。
「え……?」
 そこには北朝鮮のライブの衛星画像が映っていた。
 ぴぇと、雁居が声にならない悲鳴を上げる。
「ど、どうしたのこれ!?」
「軍事衛星のライブ画像を管理しているパソコンをハッキングした。これならライブカメラもない地域も関係なく覗けるだろ?」
 平然と言ってのけると、雁居は末恐ろしいものを見る顔をした。心外である。
「……透君の新しい一面を見た思いだよ……」
 何を言う、お互い様だ。
「この際手段は選んでられないだろう? 大きい範囲から探っていけばギリギリ2時間でも間に合うと思ったが……いけそうか?」
 気を取り直した雁居は勢い良く頷いた。
「いける! いけるよ透君!」
「よし、俺が画像を表示するから、雁居はそれを確認してくれ。あの党首の鼻を明かしてやろう」
「うん!」
 俺達は猛然とスマホに向き合った。

△▽△

 2時間後。
 雁居が真剣にDMに返事を打ち込むのを横目に、俺はテーブルに片頬をつけて突っ伏していた。半端ない頭痛だ。
『お待たせしました。私の呪いで党首様の居場所を当てたら証拠になりますか?』
『なりますが、チャンスは一度だけです』
 ごくりと雁居の喉が鳴った。震える指で、一文字一文字ゆっくりと入力している。
『――党首様はドイツのハンブルクにいらっしゃいますね』
 運命の瞬間だった。
「あっ!」
 しばらくして、雁居が短い叫び声をあげた。慌てて起き上がる。
「どうした!?」
「こ、これ……!」
 震える手で見せてくれたスマホの画面。そこには『正解』の文字が。雁居は涙に潤んだ目で笑っている。
「よかったな!」
「うん!」
 雁居はスマホで軽やかに返事を打ち始めた。
『ありがとうございます! それで、お会いして頂けるのですね』
『勿論、約束は守ります。ただし……』
 小首を傾げる。
『ただし、……貴女が 死 ん だ 後 に、ですが』
「えっ?」
 唖然とした声が上がった。
 その一瞬後、傍らの大きな窓ガラスが派手な音を立てて割れた。
 キラキラと舞う破片に紛れて、いくつかの大ぶりの斧が、鋭く回転しながら雁居めがけて飛んでくる。
「雁居!」
 対面の席にいた俺は、とっさに右腕を伸ばして斧の進路に割り込んだ。
「――――ッ!」
 呻き声を耐える。斧は寸分たがわず、俺の腕の骨まで到達して食い込んだ。血が噴き出す。
 薄く向こう側が透けている斧だ。さては太陽党の自殺者たちの斧か!
「と、透君!」
 斧の何本かは外れて、店の壁をズタズタに切り裂いた。店内に悲鳴が上がる。
「か、壁が……! 一体、何なのよ!!!」
「見てあの子! 何もないのにいきなり血が……!」
「はやく逃げて!」
 出入り口に殺到する人、テーブルの下に隠れる人、立ちすくむ人、ひたすら叫び声をあげる人――店は大パニックだった。
 雁居を窓から離れたテーブルの下に押し込み、俺もテーブルの下に隠れる。すぐに雁居が俺の腕を引っ張った。
「透君、腕! 止血するから見せて!」
「大丈夫だ、もう治ったよ」
 すっかり癒えて傷一つないなめらかな腕を見せると、雁居は唖然とした。
「! なんで!? そうだ、火葬場の時もすぐに治って……」
「言い忘れてたけど、俺不死身なんだ。怪我くらいすぐに治る」
「――――?!」
 絶句する雁居。
 そんな時でも雁居の持っていたスマホが通知音を響かせた。
「俺のことはいいから。あの野郎なにを言ってるって?」
 俺の声に滲む党首に対する怒りに気付いたらしい。ぎこちなくスマホを操作している。
「う、うん。えっと、『貴女はどうも危険人物らしい。計画の邪魔になりそうだ。ここで死んでもらいます。ああ、約束は果たします。貴女の遺体にはお会いしますよ』……どうしよう、透君」
「……なんとかして切り抜けるしかない」
 外は恐らく太陽党の幽霊たちが包囲している。党首命令で俺たちを殺しに来たのだ。あの野郎自分の手は汚したくないってか、上等だ。
 切り抜けてどうにかして奴をぶん殴らないと気が済まなかった。
「雁居、鏡持ってないか? あったら貸してくれ」
「う、うん」
 手鏡を反射させて外の様子を窺う。案の定大量の霊が店を取り囲んでいた。皆一様に斧をたずさえている。幽霊が見えない生者のやじ馬たちも混じっていて、区別も難しい。もしこちらから攻撃したら被害がでそうだった。
「ご当主に連絡できるか? 応援を要請しよう」
 俺達に霊達の注意を引き付けて、背後からご当主の率いる退魔師達で急襲し、蹴散らす。現状ベストな作戦はこれだろう。
「わ、わかった!」
 雁居は慌てて電話し始めた。
「……あっ、お兄様! 雁居です! 助けてください! 今たくさんの霊にとり囲まれてて、一般のお店にも被害が。場所は……え? もう応援を送った? …………。お兄様、流石にそれは無謀というものです! ……あっ! もしもし!? もしもし!」
 どうやら一方的に切られたらしい。スマホを見つめて呆然としている。
「応援は送ってくれたんだろ? 何が無謀なんだ?」
 雁居は眉尻を下げて泣きそうな顔をしている。
「それが……、応援は一人だけ寄越すって」
「……はァ?」
 無謀ってレベルじゃないぞそれは! 武器を持った大量の霊に三人で立ち向かえと?
(ご当主も焼きが回ったか? それとも俺達に死ねとでも言いたいのか。一般人にも被害が出かねないこの状況で?)
 ご当主の身内である雁居の手前口には出せないが、俺の頭は怒りとご当主への罵詈雑言でいっぱいだった。雁居は不当に疎まれているとは思っていたが、まさかここまでとは。
 ……いいだろう。腹は据わった。
「雁居、客に紛れて逃げるぞ。できるだけ俺を盾にしろ。裏口がまだ手薄かもしれないな。行こう」
 そう言って手を引いて、テーブルの下から出ようとした。
 が、雁居は首を振って抵抗する。
「と、透君。応援の人を待とう? お兄様もなにか考えがあって……」
 まだ甘い考えを捨てない雁居に怒りが噴き上がる。
「お前は、今までにされた仕打ちを忘れたのか! 今回だって大量の敵の中に妹を放置して、応援は一人しか寄越さない。これで何を信じろって言うんだ」
「――っ」
 雁居はショックを受けて黙り込んだ。顔が青ざめている。
 途端に後悔が押し寄せてきた。
 馬鹿は俺だ。ただでさえ追い詰められている雁居に、なんてことを……。
「……ごめん。ご当主の思惑は俺にはわからん。生き延びて直接聞くしかない。ただ、応援を待つよりかは今逃げた方が良い。時間が経てば経つ程、敵が増えて脱出が難しくなる」
「透君……」
「せめて、もう少し敵の数が少なければ……」
 外を窺っていると、空に緑色の何かがキラリと光った。
(ん……?)
 目をすがめる暇もなかった。緑色の光は数十筋にも分裂して、幽霊たちの上に降り注いだ! まるで雷雨だ。
 ドガガガガガガ!!!!
 斧は砕かれ、幽霊たちは逃げ惑う。光が命中した幽霊は、ぼっと音を立てて緑の炎に焼かれ、消滅した。
 生者のやじ馬たちが何もしらぬとばかりに、ざわざわと立ち尽くしている。緑の光は生者には見えないし、影響を及ぼさないらしい。
「綺麗……」
 雁居はぽつりと呟いた。
「あれに見覚えはないんだな?」
「うん、普通は生きてる人を巻き込まないで浄霊するのはとても難しいの。だからすごい術者の技だと思う」
 緑の雷雨はその後5分間続き、あれだけ大量にいた幽霊の大群は全部浄霊されてしまった。俺達は呆気にとられるしかなかった。
 何が起きているかも認識できない外のやじ馬が散り始めた頃、のしのしと道の向こう側から男が現れた。
 紅い弓をたずさえ、白い矢筒を背負った35歳くらいの長身の男だ。顔立ちは東洋系だが日本人ではない。
 その男は入店し、割れた窓の側でポカンと立ち尽くしている俺達の側に来ると、日に焼けた顔でニヤリと笑った。
「よぉ、助けに来たぜ」
「……もしかして、あんたがたった一人の援軍か? さっきの緑の光はあんたの……?」
「ああ、俺の仕業。タカオに頼まれて救援に来た。しっかしお前ら……」
 男はそこで言葉を切ると、俺たちを上から下までじろじろと眺めた。
 ぶしつけな視線に思わず雁居を後ろに庇う。
 男は納得したのかばりばりと黒髪を掻くと、溜息をついた。
「な、なんだよ」
「いや、やっぱり弱いなと思って。あの程度も切り抜けなくて、太陽党の党首をぶっ殺すなんてできるのかね。強敵だぜ、アイツ」
 物騒な言葉に二人そろって唖然としてしまった。
「ぶっ殺すって……」
 ぶん殴りたいとは思ったが殺したいとまでは……。
 俺達の戸惑いを察したのか、男はおや? と片眉を上げた。
「タカオから何も聞いてない?」
「……聞くも何も、応援を送るとしか」
 げっ、と男は呻いた。
「マジかよ。タカオは今流行りの不愛想系男子を目指してるのか? フォロー役がその分喋んなきゃいけないから勘弁してほしいんだけど」
 男はぶつぶつとよくわからないことを呟いている。なんだこの軽薄な男は。
 男はひとしきり悪態をついていたが、何やら勝手に納得したらしい。
 くるりと俺達に向き直るとニッと笑った。
「じゃあ、軽く自己紹介。俺は后羿(コウゲイ)。名前の通り中国人。太陽党の党首をぶっ殺そうと日夜頑張っている男だ。で、お前らにも協力してもらう」
 絶句する俺。
 しかし雁居は育ちが良かった。面食らいながらもぺこりと頭を下げる。
「ご、ご丁寧にどうも……? 雲野雁居です。さっきは助けて頂いてありがとうございました」
「嬢ちゃんはいい子だなぁ。タカオの妹とは思えない。いっそ俺の妹にならないか?」
 后羿は雁居の頭をなでようと手を伸ばしてきた。思いっ切り叩き落とす。
「えー?」
 唇を尖らせる后羿を、俺はきっと睨み据えた。
「助けてくれたことには感謝する。が、触るな。それより、党首の暗殺に俺達も協力してもらうとはどういうことだ?」
「ここで詳しく説明すると警察呼ばれちゃうなぁ。ほら俺武器持ってるし、殺す殺さないなんて話は真に迫り過ぎてるから」
 こちらに非があるように言っているが、先に党首を殺すなんて言い出したのはこの男だ。思わず突っ込みそうになった。
 しかし、近づいてくるパトカーのサイレンの音を前にしてはそれどころではない。ぐっと黙ると、后羿はほらなと肩をすくめて笑った。
「さってと、警察が来る前に急いで雲野邸に帰るぞー。改めて向こうで説明するから、お楽しみにー」
「は、はーい」
 雁居はすっかり后羿のペースに乗せられていた。ため息をついて、退店しようとする二人の後を追う。
 何やら嫌な予感が止まらなかった。
 
△▽△
 
「よく戻った。三人とも」
 雲野邸のご当主の私室。たかだか1日ぶりなのに、色々ありすぎてなんだかとても懐かしい。ご当主の冴え冴えとした顔(かんばせ)も相変わらずだが、数時間前援軍を一人しか送ってこなかった件が後を引いてなんだか面憎く思えてくる。
 だけどご当主を睨み据えているのは俺だけで、雁居も后羿も拘泥はしていないようだった。
 雁居は三つ指をついて、綺麗に頭を下げた。
「はい、お兄様。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「……お前は説教を覚悟しておけ。この忙しいときによくも手間をとらせてくれた。藤見君に礼は言ったのか?」
 雁居ははっとしてこちらに向き直り、改めて三つ指をついて頭を下げかけた。俺は慌てて止めた。
「礼なんていい。俺が勝手にやったことだ。お前が無事ならそれだけでいい」
 それより、と俺はご当主に語気を強めた。
「妹の絶体絶命の危機に応援を一人しか寄越さなかったのはなぜですか」
 ご当主は顔色一つ変えずに返答した。
「最大戦力を送ったつもりだ。こいつでも助けられないなら、大人数を送り込んでも無駄だろう」
 こいつ、とご当主に目線で示された后羿はニヤリと笑って口を開いた。
「事実ちゃんと助けられただろ? 男なら細かいことをいうなよ」
「人の生き死にに関わることが、細かいことなわけないだろ! ご当主もご当主です。そういう理由があったのなら、あの時詳しく言ってくれれば……! 三人だけじゃ不利とみて、危うく大量の幽霊に向かって吶喊するところでしたよ」
 ご当主はため息をついた。
「それについては謝ろう。言い訳になるが君達のことより更に緊急事態が起こってな……。説明している暇がなかった」
「……身内より大事なことってなんですか?」
 ご当主は忌々しそうに答えた。
「……世界中の太陽党員が蜂起した」
「なっ!」
 俺も雁居も驚きで二の句が継げなかった。ご当主は淡々と続ける。
「殺霊事件で得られる霊魂だけでは足りなくなったらしい。とうとう生者の霊魂にも手を出してきた。世界各地で、生者が霊に殺害される事件が多発している。おかげで退魔師協会は大わらわだ。君たちにかかずらっている暇もなかったというのはそういうことだ」
 なるほど、俺達に応援を割けなかった理由はわかった。そんな大事が起きているなら、各地へ退魔師を派遣せねばならないだろう。俺達に手が回らないのも道理。
 それにしても疑問が次々と湧いてくる。
「殺霊事件の霊魂でも足りない……? 一体太陽党の党首はそれだけの霊魂を集めて何をしようとしているんですか」
 ご当主は端的に言った。
「9つの太陽の復活だ」
「……はあっ?」
 にわかには信じがたい言葉に、つい子供のような口を利いてしまう。ご当主はそれを咎めるでもなく淡々と口を開いた。
「事実だ。詳しくはそこの后羿に聞け。なにせ太陽党の党首とは数千年の付き合いだそうだから」
 俺と雁居の視線がぐるりと后羿に突き刺さる。后羿は突然の指名に目を瞬かせていたが、ああはいはいと頷いて説明しだした。
「まずその前に、十日伝説を知っているか? 古代中国の神話だけど」
 いぶかしげな俺とは逆に、雁居はすぐに答えた。
「確か……太陽が一度に10個空に上がってしまった時があって、地上は灼熱地獄になってしまった。それで天帝の命で后羿が9つの太陽を射落とした。今照っている太陽は最後の1つ……という伝説ですね?」
「そうそう。さっすが、嬢ちゃんは賢いな! ……でだ、太陽党の党首の本名は『甲』という。今照っている太陽の名前も『甲』。つまり、太陽党党首は最後に残った太陽の化身だ」
 雁居の目が見開かれる。
「『甲』の目的は1つ。”俺に射落とされた”9つの弟妹たちを復活させること。そのために太陽党を結成し、たくさんの霊魂を集めて弟妹達に捧げている。……あいつもめげなくてな。ここ数千年似た事を繰り返している。現代にもなればネットを使った情報戦で主で、ロートルの俺にはちょっと荷が重いけどな」
 とほほ、と肩をすくめる后羿に思わずツッコミを入れる。
「ちょ、ちょっと待て。“俺に射落とされた”ってお前いくつなんだよ……」
 ふっ、と后羿は気障に笑った。
「聞いて驚け! 正真正銘の35歳だ。ただし永遠と転生を繰り返している、な。おそらく『甲』をどうにかするまで、俺の転生は終わらないんだろう」
 雁居はそっと息を吐いた。
「后羿という名は、十日伝説の登場人物の名が由来なのかなと思っていたんですが、……まさかご本人だったとは」
 数千年にも亘る転生。よくぞ気が狂わなかったと感心すらする。
 が、俺達にはもっと大事なことがある。
「それで太陽党党首『甲』の暗殺に俺達も協力してもらうとはどういうことだ?」
 よくぞ聞いてくれました、と后羿は頷いた。
「嬢ちゃんの『甲』の居場所を探す力、まずこれが欲しい。あいつ世界中を飛び回ってるんだ。うまく使えば先回りできるかもしれない。あと藤見君、君のハッキング能力も欲しい。ただでさえ情報戦にてこずっているんだ。君達の手腕が頼みの綱だ。頼む、世界を救ってくれ」
 そう言って后羿は頭を下げた。俺と雁居は目を見合わせた。
「確かに太陽が一度に2個以上上がったら灼熱地獄じゃすまないだろうけど……」
 后羿は宥めるように笑った。
「心配するな、俺は太陽絶対殺すマンだ。そういう因果の下に生まれついている。必ず『甲』を仕留めて見せる」
 それでもまごつく俺達に、ご当主が冷静に言った。
「雁居、藤見君、命令だ。后羿に協力して『甲』を止めろ」
 威厳を込めた強制力に場がしん……と静まり返る。
 はっと我に返った雁居が慌てた。
「お、お兄様! 私はともかく透君は一般人です! 危険な目に遭わせるわけには……」
 ご当主はふっと微かに笑った。
「一般人か……。雁居、藤見君はお前や私より遥かに修羅場をくぐってきているぞ。なにせ数百年は生きている。まぁ流石に后羿には及ばないだろうがな」
 その言葉にばっと雁居が振り返った。
「……透君、不死身なだけじゃなくて、不老不死だったの?」
 そっか、雁居には不死身ってことしか言ってなかった。
「厳密には違う。俺は100万人の死を見届けないと死ねないんだ」
 ほぅと后羿は目を丸くした。
「変わった呪いだな。俺も数々の不老不死の実験を見てきたが、成功例を見たのは初めてだ。しかしそういう呪いなら、なおさら来るべきだ。不謹慎な物言いだが、今回の太陽党の蜂起でかなりの人が死ぬ。お前の呪いも解けるかもしれない」
「……俺は退魔術を使えない。戦場に出ても戦力にはならない」
 なんだそんなことかと后羿は笑った。
「俺の予備の弓矢と刀を貸してやるよ。霊力が籠っているから、素人でも霊的存在を殺せる。聞くまでもないが弓は引けるよな?」
 戦国の世を駆け抜けた経験が、まさか現代で生きるとは思わなかった。
「――引ける」
 覚悟を持って頷くと、后羿は立ち上がった。
「じゃあ決まりだ。二人を連れて明日にはここを立つ。嬢ちゃんはその能力のせいで太陽党に命を狙われているからな。一ヵ所に長く留まるのは危ない」
 俺は神妙に頷いた。雁居は泣きそうな顔で覗き込んでくる。
「……本当にいいの、透君?」
 自分の事情に巻き込んでしまったと本気で後悔しているのだろう。その優しさが愛しかった。
「約束しただろ? 『お前にくっついて行って、お前の盾になる』ってさ。今もそれは変わってない」
 俺の一歩も引かない笑みを見て、ようやく雁居も覚悟を決めたらしい。
「……うん、ありがとう透君」
「礼を言うのは俺の方だよ。お前のおかげで俺の呪いを解く道が見つかった。ありがとうな、雁居」
「透君……」
 感極まった雁居はほとんど涙目だ。俺は雁居の頭をぽんぽんと撫でた。
「タカオ、二人の世界は年寄りには眩しいな……。これぞ青春だよ、うん」
「私を巻き込むな」
 ……外野がいたのを忘れていた。
 俺達は顔を見合わせて照れ笑いした。ご当主に向き直り、頭を下げる。
「それでは、ご当主。俺達は出立の準備がありますので、これで失礼します」
「待て、雁居は残れ」
 ご、ご当主から気炎が立ち昇っている。
「……説教の時間だ。そこになおれ」
 雁居はぴぇっ! と声にならない悲鳴を上げた。縋るような視線を無下にもできず、俺は口を挟んだ。
「ご当主、どうぞお手柔らかに。雁居も反省してますので……」
「努力はしよう。なに一晩あれば終わる。死ぬほどきついが死ぬわけではない」
 目がマジだ。これは俺にどうこうできる問題じゃない。
「が、頑張れ雁居……」
「ううう……」
 雁居を置いて、后羿と二人で退出する。
 そうしてぱたんと閉じた障子越しに膨れ上がる怒気を感じたのであった。

△▽△
 
 夢を見た。
 芋虫のごとき俺が、複雑な魔法陣の上に転がされている。
 獄卒は僧侶どもだった。目は潰され手足はもぎ取られ、噴き出した血で新たな魔方陣が描かれた。意識を失うたびに水に顔を付けられて、強制的に目覚めさせられる。死ぬぎりぎりまで放置させられて、蛆が集り始めた頃にようやく治療させられる。
 それが永遠と続いた。しわがれた声が聞こえる。
「もし末法の世……」
「この者が……功徳は、……神に……」
 地獄とはかくあるものか。
 僧侶どもへの憎しみと死への渇望がいっぱいになった頃、魔法陣は完成した。傷が、癒える。死んでも死んでも傷が癒えた。こんなのは化け物だ。
 ――僧侶どもを皆殺しにした。人じゃなくなった絶望を叩きつけるように。
 夢を見た。数百年前の、現実にあったことだ。

△▽△

 跳ね起きた。飛び出しそうに高鳴る心臓を服の上から押さえる。
(……今は2025年。ここは雲野邸の離れ。……大丈夫、さっきのは過去の記憶……ただの夢だ)
 必死に自分に言い聞かせて悪夢の残滓を振り払っていると――。
 突如、大地を揺るがすような爆発音が聞こえた。反射的に立ち上がり、庭に続く障子を勢いよく開ける。嫌な予感で心臓がバクバクと高鳴っている。そのまま外に出て辺りを見回すと、空が赤々と燃えていた。
 いや、違う。燃えているのは雲野邸だ! 屋根を炎が走りバチバチと甲高い音を立てて屋根瓦が燃え落ちた。
「なんなんだ一体……!」
 答えは屋敷を囲む塀の上から飛んできた。后羿だ。
「太陽党の襲撃だ。ダイナマイトを投げ込んできやがった。この屋敷は霊的襲撃には強いが、物理的破壊工作には弱い。一ヵ所に長く留まるのは危ないとは言ったが、まさか退魔師の総本家を襲撃してくるとはな……」
 そう言って弓を引き絞り、空に向けて矢を射離した。緑の雷雨が塀の外に降り注ぐ。后羿は塀の外を一瞥し、げんなりとした。
「うへぇ、まだうじゃうじゃいるぜ。じゃあしょうがない、とっとと出発するかー」
「は?」
 まさか燃えている雲野邸を放っておくのか!?
 信じられない気持ちで見ると、后羿は肩をすくめた。
「は? じゃないよ。俺達がいなくなれば、向こうも雲野邸を襲う理由が無くなる。俺達はこれからずっと逃げ続けなければいけない。……太陽党に追われるというのはそういうことだ」
 なんでもないように言う后羿。しかしその声には僅かな憐憫が含まれていた。
「自分のせいでなんて思うなよ。悪いのは太陽党であってお前じゃない。……といっても、呑み込むには時間もかかるだろうが」
 ぐっと唇を噛み締める。想像以上に過酷な旅になりそうだった。
「……お、タカオと嬢ちゃんも来たな」
「透君! 后羿さん!」
 雁居の背には大きなバックパック。夜通し叱られていると思っていたが、準備をしていたらしい。俺も慌ててバックパックを取りに行った。
 正門も裏門も亡者の山だった。どっちも同じならと、正門から打って出ることにした。
「見送りはここまででいいぜ。後始末を任せちまって悪いな」
 ご当主は溜息をついた。
「わかっているならとっとと行け。いつまで経っても片付かん」
「へいへい。ったく、今生の別れになるかもしれないってのに相変らず不愛想なこって」
 そうか、志半ばで死ぬこともありえるのか……。
 ふと雁居と目が合った。思いは一緒だったらしい。自然と二人揃ってご当主に頭を下げる。
「お兄様、今まで育てて頂きありがとうございました」
「ご当主には散々お世話になりました。ありがとうございました」
 ご当主は静かに言った。
「……気が早いぞ。礼は無事に帰って来た時にするものだ。気を付けて行ってこい。そして必ず帰れ」
 雁居は目を見開いた。無事を願われるなど初めてといってもいい。雁居の声が涙で潤む。俺もぐっと喉にこみあげるものを感じた。
「「……はい!」」
 挨拶が済んだとみて、后羿は弓を構えた。
「よし行くかー。亡者どもを一気に蹴散らして駆け抜けるぞ。ついて来い!」
 正門がギギギと重苦しい音を立てて開く。途端になだれ込む亡者の群れ。后羿は引き絞った弓から矢を放った。矢は光を集めて、極太の光線となり、通りまでひしめく大量の亡者を一網打尽に消滅させた。
 駆け出す后羿に俺達は続いた。闇夜に紛れて、姿を消す。
 後ろは振り返らなかった。

△▽△

 ……あれから1年経った。
 世界中を戦い抜いた。寝る暇もなく、太陽党員が雪崩を打って殺しに来る。もはや追っているのか追われているのかもわからない。世界は混乱し、死者は日に日に増えていく。目につくだけですでに3000人の死を目撃した。助けられなかった人も巻き込んでしまった人もいる。この手で殺してしまった人も……。
 人の死を間近に見てしまい、日に日にやせ細っていく雁居を見るのが辛かった。
 とうとうスイスの廃ホテルで雁居は倒れた。
「ごめんね、透君。后羿さん……」
 熱で目が潤んでいる。ふぅふぅと吐き出す息も熱く、苦しそうだ。
 額を流れ落ちる汗をタオルで拭って、俺は謝る雁居を宥めた。
「気にするな。疲れが出たんだろう。ゆっくり休め」
「そうだぞ、嬢ちゃん。見張りは俺と藤見でやるから安心して寝てなさい」
「うん、ありがとう。二人とも……」
 掠れる声でようやっと言うと、雁居はすうっと眠りに落ちた。
「……よし、眠ったな。じゃあ、皆殺しにするか」
 后羿は紅い弓をくるりと取り出した。
「あんたはほんとにタフだな……」
 うんざりしながら、俺も后羿から譲り受けた弓の調子を確かめるように弾いた。后羿は笑った。
「疲れたか? まぁ確かにな。『甲』の奴、いつもはここまで粘らないんだが……。なにか時間稼ぎをする理由があるのかもしれない」
 連れ立って一階に下りる。フロントマンの死体があったロビーは血の痕跡で彩られていた。もう何も感じない。
 ホテルの周囲に張った結界はズタズタになっていが、辛うじて亡者たちの侵入を防いでいる。結界の向こう、胴体を真っ二つにされ死んでいる一般人が5人。太陽党員に生贄にされた人々だ……。
 后羿が振り切るように言った。
「忘れろ、目の前のことに集中するんだ」
「……ああ」
 亡者たちの大群を前にして、やることは決まっていた。投げつけられる斧を結界で防ぐ。結界に開いた銃眼から霊力の籠った矢を射出する。近づきすぎた太陽党員は霊刀で殺す。殺して殺されて、死んで生き返って。身体に沁みついた動き。なにより后羿が強すぎた。
 ……だから油断したのだと思う。
 バリバリバリバリと空から何かのモーター音が聞こえた時には遅かった。見上げるとヘリがホテルの屋上に近づいていた。数人がロープを伝って屋上へ降りる。動きがプロだ、速い!
「しまった!」
「戻るぞ! アイツらの狙いは嬢ちゃんだ!」
「言われなくても!」
 二人で階段を駆け上がる。雁居が眠る部屋のドアが蹴破られていた。見張りの侵入者が銃撃してくる。慌てて身を隠す。雁居を担いだ男達は俺達を銃で牽制しながら、屋上への階段を駆け上る。ヘリで逃げる気だ!
「雁居!」
 なりふり構っていられなかった。体を穴だらけにされながらも廊下を前に進もうとする。その不気味な猪突猛進に敵がひるんだ。俺を囮にした后羿がその隙に牽制役二人を射貫いた。チャンスとみて突撃する! 手にした霊刀で一人の首をはね、二人目の心臓を突いた。そのまま二人目を盾に吶喊する。
 あと一歩に迫った時、敵の一人が何かのピンを引き抜いた。
 くそっ、身を庇う隙もない!
 派手な爆発音とともに一瞬で何もかもが遠ざかる。遅れて感じる痛みと共に世界が暗転した。
 
 気が付いたら、埃まみれのベッドに寝かされていた。傍らの椅子には后羿が座っていて、何やら難しい顔で地図を見ている。
「……雁居は?」
 かすれた声で尋ねる。后羿は地図から顔を上げると忌々しそうに答えた。
「攫われた。『甲』からの伝言だ。『小娘を返してほしければ日本の崎森市に来ること』だとさ。……どうする?」
「どうするって、いくしかないだろう?」
「まぁ、そうなんだけどな。あれだけ逃げ回っていた『甲』が待ち受けてるってことに罠の匂いを感じる」
 俺はため息をついた。
「雁居を死なせるわけにはいかない。俺だけでも行く」
 ベッドから降りようとすると、后羿は慌てて止めた。
「待て待て。俺は行かないとは言ってない。焦るのはわかるが落ち着け」
 淡々と言われて、一瞬で怒りが噴きあがる。
「俺は落ち着いている!」
 后羿は一瞬呆気にとられた後、笑った。 
「落ち着いてるやつは怒鳴らんぞ」
 その宥めるような笑顔に、いかに自分が苛立っていたのか気付いた。
「……ごめん、八つ当たりだ……」
 そうだ、后羿は悪くない。俺は自分の不甲斐なさに苛立っていたんだ。目の前で雁居を攫われた、その軟弱っぷりに。
 自己嫌悪で深く沈んでいると、后羿は和ませるように胸を張った。
「まぁ、任せておけ。俺は太陽絶対殺すマンだからな、今までの転生でも100%『甲』を仕留めてきた。どんな罠を仕掛けられようとも今回も必ずうまくいく」
 その自信たっぷりなドヤ顔に思わず苦笑した。
「あんたがそういうなら、そうなんだろうな」
「勿論だ。だから安心して休め。どんなに急いでも飛行機のフライト時間は明日だ。体力、気力を取り戻すチャンスは今だけだ」
 そう言って后羿は笑顔で俺の頭を撫でた。
「……本当に雁居は無事だろうか」
 俺の不安そうな顔を見て、励ますように強く頷く。
「ああ。向こうから呼び寄せるくらいだ。流石に俺達が到着するまで嬢ちゃんを殺す真似はしないだろう。人質は無事であることに価値がある」
 その力強い言葉にふと力が抜ける。后羿を信じよう。
「……わかった。あんたももう寝なよ。俺達を守るのにいつも身体を張ってくれてただろ。感謝してる。今日くらいゆっくり休んで欲しい」
「えー、いきなりデレやがった。今日の藤見君は予測不能なデレが多すぎるよ! おっさんはもうお腹いっぱいだわ」
 そう言って后羿はおどけて肩をすくめた。なんだか照れてきて、顔を背ける。
 后羿の声が柔らかくなった。
「ありがとな、藤見。あともう少しだ」
「ああ、雁居を助けて『甲』を倒す。ここまで来たならやってやるさ」
「おうその意気だ!」
 后羿はわしゃわしゃと俺の頭をかき混ぜた。
 決戦は崎森市。今度こそ決着をつける。

△▽△
 
 日本に着くまで2日かかった。明け方の太陽がまぶしい。
 亡者避けの結界で守られている空港に降り立ち、久々に日本の空気を味わう。よく日本の空港は醤油の匂いがするというが……俺の鼻に届いたのは砂埃と血の匂いだった。
 訪れた1年ぶりの崎森市は、まるでゴーストタウンだった。ほとんど人通りがなく、店も閉まっている。路上には胴体を切断された死体がぽつぽつと転がっていて、ハエや蛆がたかっていた。その上を車が引き潰す。誰も信号を見ていない。それもそのはずで、亡者の太陽党員達が斧を片手に徘徊しているからだ。車ならば止まらなければ突破できるが、赤信号で止まった途端に餌食にされる。
「スイスより酷いな……」
「……まぁな、だが『甲』を倒せば太陽党員達も殺す理由はなくなる。あいつが魂を集める祭司で太陽復活の肝心かなめの術者だからな」
 そこではたっと気付く。これから俺たちはどこに向かえばいいんだ?
「そうだ、その『甲』はどこにいるって?」
「それが、崎森市で待つとしか言ってなかったんだよなあいつ……」
 二人して暫く黙る。生者の匂いに釣られて、わらわらと亡者たちが集まってきた。后羿は弓を手に取り、俺は霊刀を構えた。
「……ひとまず、雲野邸に行くか。タカオが心配だし、拠点も必要だ」
「わかった。一気に駆け抜ける!」
 それからは一心不乱に亡者を斬った。ほとんどは后羿が仕留めたようなものだったけど。本当に強い。
(これなら『甲』も確実に……)
 そうして、切り開いた道の先の雲野邸は――影も形もなく、ただ空中に黒い穴が浮かんでいた。
「何だ、これ……」
 呆然と呟く俺。
 后羿は信じられないものを見たような顔で呻いた。
「一度だけ見たことがある。異界だ。『甲』が太陽復活の儀式を行うための……もしや、供物となる霊魂が集まりきったのか?」
「この中に『甲』が?」
「恐らくな」
 雁居も中にいるのだろうか。可能な限り急いだつもりだが、この2日間心細い思いをさせてしまったことが悔やまれる。
 深呼吸をして覚悟を決めた。
「行こう」
 后羿は頷いた。
「よし、行くぞ!」
 俺達は穴に飛び込んだ。

△▽△

 そこは満天の星が煌めく空間だった。
 辛うじて透明な床はあるが、頭上にも足元のはるか下にも星が瞬いており、宇宙に浮かんでいるような心地になる。
 頭上にはしわくちゃの巨大な岩のようなものが浮かんでいた。それも9つ。
「あれは、俺が射落とした9つの太陽――の遺骸だな」
 后羿が周囲を警戒しながら、呟く。
 どこからか、女の子の泣き声がした。
「……雁居?」
 声のする方向に走っていくと、異界の星々の間に浮かびあがるように雲野邸が見えた。
 ただし何かに吹き飛ばされたように徹底的に破壊し尽くされている。瓦礫と砕かれた建材が積み重なっていた。
 驚きで言葉も出ない。
 泣き声は瓦礫の山の影から聞こえてきた。
 そっと覗くと雁居がいた。泣きながら素手で瓦礫の破片を掘り返している。その手は汚れ、血まみれだった。
「どうしたんだ雁居!?」
 思わず叫ぶように尋ねる。雁居はぱっと振り返って、俺達を見つけると走り寄った。俺の胸に飛び込んで涙目で訴える。
「藤見君、后羿さん、助けて! 兄さんが瓦礫の下敷きになって……!」
「なっ――?」
「タカオが!?」
 后羿は慌てて瓦礫の山に向かっていった。雁居がその後を追う。
 俺は違和感にその場に立ち尽くした。
(あいつ、今なんて言った……?)
 違和感の正体にはっと気づいた時には、后羿の背に雁居が差し迫っていた。その手には鋭いナイフ!
「后羿、逃げろ!」
 反射的に弓を引き絞り、雁居の背に照準を合わせ――射離す。
 鋭い音を立てて雁居の背に一直線に矢が迫る。
 ちっと雁居は舌打ちして素早く横に転がった。標的を失った矢は后羿の脇を掠め、建材の破片に突き立つ。
 “雁居の偽者”は透明な床を転がり、立ち上がりざまナイフを構えた。張り詰めた声で問いかけてくる。
「なんで気づいた」
 俺は次の矢をつがえながら雁居の偽者を睨みつけ答える。
「雁居は、俺のことを『透君』って呼ぶし、ご当主のことは『お兄様』って呼ぶんだ。リサーチ不足だったな」
 危機一髪で命拾いした后羿は、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜて嘆息した。
「……そういえばそうだった。タカオが生き埋めになってるって聞いてすっかり動転しちまった」
 偽の雁居はせせら笑った。
「そんなんだから、俺なんぞに後れを取る。数千年前から抜けてましたね。”先生”」
 后羿は偽者を睥睨する。
「……何者だお前」
「おやおや、耄碌したものですね。唯一の弟子を忘れてしまったのですか?」
 嘲る声は黒い光に包まれた。
 一瞬後、光が消えると、そこには6歳位の少年がニヤニヤと弓を弄びながら立っていた。
 后羿は目を見開いた。
「お前、まさか――逢蒙(ほうもう)か?」
(逢蒙って……?)
 訝し気な俺に気付いて、后羿は説明してくれた。
「十日伝説で、俺を殺した弟子だ。以来転生するたびに俺を殺しにくる。――言いたかないけど、絶対に俺を殺すように宿命づけられた馬鹿弟子だ」
 つまりは后羿の天敵か!
 后羿は油断なく弓を構えた。
「だがなぜここにいる? それにお前が生まれるべき時代はもっと後のはずだ」
 ――答えは背後から飛んできた。
「お答えしましょう。彼は貴方への対策用に私が作ったクローンです。人工的に作られたクローンなら運命の周期に縛られることはないと気付きましたので」
 振り向くとスーツ姿の男がいた。
 腕に雁居を抱え、その首に斧を押し当てている!
「雁居!」
「透君、后羿さん、ごめんなさい……」
 雁居は手を後ろ手に縛られていた。これじゃ印を組めず、退魔術は使えない! 男は余裕たっぷりににっこりとした。
「藤見君、でしたか? 初めまして、私は太陽党の党首『甲』と言います。以後お見知りおきを」
「……雁居を離せ」
 怒りのまま引き絞った弓を『甲』に向ける。奴は肩をすくめた。
「命令できる立場ですか? 彼女の命がどうなってもいいと?」
 雁居の首筋に当てられた斧に力がこもった。皮膚一枚切れて薄く血がにじむ。
「やめろ!」
「だから命令できる立場じゃないでしょうに。まぁいいです。この子を無事に返してほしくば后羿を殺しなさい。……逢蒙が仕留めるでしょうが、仲間内で殺し合うなんて娯楽としてはなかなか見ごたえがありますからね」
 ……しん、と沈黙が落ちる。
(后羿を殺す? そんなことできるわけがない。でも雁居が……!)
 キリキリと弦が張りつめる音で、はっと我に返った。振り返ると后羿が『甲』に向けて弓を引き絞っていた。
「悪役に磨きがかかってきたじゃねぇか、『甲』。それでこそ遠慮会釈なく殺せるってものだ」
「今までも問答無用で殺しに来たくせに……。相変わらずで安心しましたよ后羿」
 背筋がぞわりと粟立つ。
 后羿は本気で雁居ごと『甲』を殺すつもりだ――!
 慌てて后羿の射線に立ちふさがった。『甲』を背に庇う位置だ。
「后羿、止めてくれ。雁居が殺されてしまう!」
 后羿は色のない声でいっそ穏やかに言った。
「世界と嬢ちゃんを天秤に掛けられたら、俺は世界を取るしかない――わかるな?」
 わかるわけがない。幼馴染が殺されようとしてるのに見逃せるわけがなかった。
「俺は雁居が大事なんだ。みすみす殺されるわけにはいかない!」
 ゆっくりと后羿に向けて弓を引き絞る。
 后羿は目を眇めた。
「……俺に勝てるとでも?」
 首を振る。
「無理だ。だけど、俺と『甲』を殺すには二矢が必要になる。二矢目をつがえている間に、そこの逢蒙があんたを殺す」
 視界の隅では、逢蒙が意地の悪い笑みを浮かべ、弓を后羿に向けていた。
 后羿は舌打ちした。
 ……誰も動かない。完全な膠着状態だった。
「いいぞ、仲間同士で殺し合え!」
 耳障りな『甲』の含み笑いだけが場に響く。
 一分か、十分か、はたまた一時間か……。
 緊張感で汗が一筋流れ落ちる頃、ぽつりと雁居が呟いた。
「……いいえ、あなたは私と死んでもらいます」
 不穏な言葉に、背筋が凍る。
「雁居……?」
「透君、后羿さん。今までありがとう。……さようなら……」
 耐え切れずぱっと振り向く。雁居は首筋に当てられた斧にすり寄るように――自ら首を掻き切った。
「雁居ッ―――!」
 そこからは弾けるように事態が動いた。
 血相を変えて雁居のもとに駆け付ける。俺の足の遅さをあざ笑うかのように、背後から飛んできた極太の光線が俺の左腕を消し飛ばした。
 光線はそのままの勢いで『甲』と雁居に命中し、二人は吹き飛ばされた。后羿の技だ。
 同時に甲高い音を立てて矢が射出される音。逢蒙が后羿を射たのか?
 何もわからない。何度か床を跳ね転がり、倒れ伏す雁居しか目に入らない。
 焦げる匂いが鼻を突いた。
 ようやっと雁居の側に膝をついて、その真っ黒に焦げ付いた身体を抱える。嗚咽で喉が詰まった。
「雁居、雁居……ッ! なんでこんな……」
 ぼたぼたと溢れる涙が、雁居の身体に沁みこんでいった。
 がさがさと割れるような、小さい声が雁居の口からこぼれる。
「ごめん、ね。目の前でお兄様を殺されて、透君にも迷惑を掛けて、世界を危機に陥れてしまって……もう、疲れちゃった……」
「雁居のせいじゃない!」
「……ううん、私のせいだよ。ごめんね、とおる、くん……」
 こんな結末は望んでいなかった――。
 死にゆく雁居に、どんな言葉を掛けたらいいのだろう?
 雁居の吐息はもう絶えそうになっている。
 死ぬ前にせめてもの望みは果たせたのだろうか……?
「ッ……太陽は見れたか……?」
 雁居は虚ろな視線で空を仰いだ。そこに見える風景は雨か太陽か。
「……う、ん。でも、こんなのは違う。私はただ、透君と、お兄様と同じ世界を見たかった、……だけ、なの、に……」
 それっきり雁居の体から静かに力が抜け、雁居は死んだ。
「……雁居? おい、雁居っ!」
 世界から音と光が遠ざかった。俺も死んでしまいたかった。
 雁居の遺体をそっと床に降ろし、ふらふらと后羿の元に歩み寄る。
 后羿もまた仰向けに倒れ、虫の息だった。その心臓には矢が命中していた。
 腰に下げていた霊刀を抜き放ち、その切っ先を后羿の喉元に当てる。
「……よう、嬢ちゃんの仇討ちか?」
 息をするのも苦しそうだ。だが后羿は額に脂汗を流しながらも笑って見せた。
「いいよ、それで気が済むなら殺してくれ。……悪かったなって思ってるんだぜ、これでも」
 后羿は覚悟を決めたのか目を閉じた。
 その言葉に刀の切っ先がぶれる。何度か力を込めて、その度に后羿の喉から血が流れた。俺から滴り落ちる涙が后羿の顔に落ちて、まるで后羿が泣いているみたいだった。
 俺は精一杯の気力を振り絞って――刀を鞘に納めた。后羿がぱちりと目を開ける。
「……いいのか?」
 俺は涙を拭って、頷いた。
「……雁居はあんたを恨んでいなかった。復讐しても雁居が悲しむだけだ」
 后羿は懐かしむような深いため息をついた。
「……そうだな、嬢ちゃんはそういう子だった」
 ごほごほとせき込む。吐いた血で后羿の胸は真っ赤に濡れた。
「っ……俺ももうすぐ死ぬ。散々付き合わせて悪かった。あの世で嬢ちゃんにも謝ってくるよ」
「よしてくれ、雁居も俺も納得して付き合ったんだ。それでも言いたいなら感謝の言葉にしてくれ」
 后羿は声を立てて笑った。血あぶくが口の端から溢れ頬を伝い落ちた。
「そうだったな、……ありがとう藤見。いつかあの世で会おう……」
 そうして一つ大きな呼吸をして、后羿も死んだ。
 ぐしゃりと膝をつく。雁居もご当主も后羿も、みんな俺を置いていく。
 溢れ出る涙が止まらなかった。
 
△▽△

 クスクスクス……と笑い声がした。逢蒙だ。『甲』の遺体を抱えて笑っている。
 俺は涙を拭って睨みつける。
「……何がおかしい」
「おかしいよ。どうせ俺もあんたもこれから死ぬのにさ、真面目に泣いて悲しんで馬鹿みたい!」
 一体何を言っているんだ。
 逢蒙は『甲』の遺体を床に降ろして立ち上がった。
「気付かない? 下を見てみなよ!」
 床が光っている? ……違う、光っているのは巨大な魔方陣だ。
 慌てて立ち上がる。嫌な予感がした。その様子を見て逢蒙がせせら笑う。
「『甲』様はご自分が亡くなることを見越してたんだ。そして自分が死ぬと同時に発動する魔方陣を描いた」
 魔方陣の明滅に合わせて、側の后羿の遺体が燐光を帯び始めた。雁居の遺体も『甲』の遺体もだ!
「何をするつもりだ!」
 逢蒙はニヤニヤと笑いながら、ナイフを振り回した。
「あははは! みんな死ぬんだよ! 大いなる太陽のために!」
 逢蒙は自分の首にナイフを突き立てた。そのまま力を込めたナイフはぐるりと細い首を一周し、完全に首が切断される。ほとばしる鮮血が、魔方陣の上にジュッと音を立てて吸い込まれた。
 その瞬間、魔方陣がまばゆい光を放つ!
 雁居の、后羿の、『甲』の、逢蒙の体から抜け出てきた透明な魂魄が、頭上の9つの太陽に吸い込まれていく。
 それだけじゃない。宇宙とみまごう空間のあちらこちらから、無数の霊魂が湧き出てくる。空間が白く染まっていった。
(太陽党に生贄にされた人々の霊魂か!)
 霊魂を吸収しきった2つの太陽が赤々と燃え、膨らみ始めた。びりびりと肌に伝わる熱で火傷しそうなくらいだ。残り7つは沈黙を保っている。
 后羿は言っていた。《太陽は、霊魂を吸収して復活する》と。
「まさか、2つの太陽が復活したのか……?」
 スマホを取り出すが、圏外だった。舌打ちが漏れた。
 ならば確かめる方法は一つしかない。俺は異界の出口から外に飛び出した。

△▽△
 
 現世は滝のような大雨、大洪水に見舞われていた。
 更に片端から蒸発していくような熱気に包まれており、息もできない。流木や土砂や車、瓦礫が押し寄せ、潰された人々の死体が川となった道々に浮かび、あっという間に濁流に流されていった。
 俺も流されてきた車に衝突して骨肉を潰されながらも、その車に這い上り空を見上げた。厚い雲が空を覆っていた。
(……なんだこの大雨は?)
 戸惑っていると、空に巨大な竜が吠え猛っているのが見えた。
「……雁居……?」
 なぜかそう口に出していた。似ても似つかない姿なのに。
 俺の声が聞こえたわけでもあるまいが、竜とばちりと目が合った。竜はまっすぐこちらに降りてくる。間近で見て、町を一飲みにしそうなその巨体に驚く。だがその瞳はひどく雁居のものに似ていた。頭の中に声が響く。
『――透君!』
「やっぱり雁居なのか!」
 大雨に負けないように大声を出すと、雁居は顎を振って頷いた。風圧で体が飛びそうになる。
「何だってそんな体になっているんだ!」
『来世《雨師(雨の神)》になるって言ってたでしょう? これがその《雨師》の体。地球の危機だから世界の防衛機構が私の転生を早めたの』
「じゃあ、この雨はお前が……?」
 雁居はまた頷いた。
『そう。太陽が全部で3つ現れたから地球を雲で守って、雨で冷やしなさいって天帝様のご命令があって、ああ、地球を守らなきゃなって思ったの』
「やっぱり、新たな太陽が2つ現れたのか……」
 雁居の巨大な目から涙が溢れる。
『でもどうしよう、透君! 3つの太陽の力が強くて、この雨も持たない! 降らせてもどんどん蒸発してる。このままじゃ地球は灼熱地獄になっちゃう。人も沢山亡くなってしまった……』
 涙に暮れる雁居を慰めてやりたいが、一つも方法を思いつかない。
(いったいどうしたらいいんだろう)
 ふと目を伏せると、足場の車の側を死体が流れていった。その手にはスマホが。
(ん……?)
 ピンと頭の中に何かのイメージが浮かんだ。
(そうだ《功徳カウンター》だ……!)
 慌ててスマホを操作し、《功徳カウンター》を起動する。ピピピッと測定終了の音が鳴り、数値を確認する。……やっぱり――だ。
 もし俺の考えが正しければ、この難問を全部解決できるかもしれない。
「雁居、俺を連れて行ってくれないか? 世界中で人々の死を見たい」
 訝し気な声がした。
『え? いいけどどうして……?』
「俺は死ななきゃいけないんだ」
 雁居はきょとんと首を傾げた。

△▽△

 竜となった雁居の頭に乗って、世界中を飛び回る。
 世界はまさに地獄だった。雲間から容赦なく3つの太陽光が降り注ぎ、地表の温度は500℃にもなった。鉛すら溶ける温度だ。
 当然人が生きていける環境ではない。雁居が気を使ってできるだけ雨の中を通ってくれたが、耐え切れず何度も死んだ。
 雁居は雨を切らさないようにしているが、だんだんと太陽の熱に押し負けているのが分かった。
 中国、アメリカ、オーストラリア、カナダ、イギリス、ドイツ、ロシア……。主要都市ですら、容赦なく壊滅している。建物は燃えるか溶けるか、人も動物も植物もみんなみんな死んでいた。
(だが、その死を無駄にはしない)
 ――とうとう100万人の死を目撃し終えた。運命の枷が外れる音がする。俺はただ人になった。
 竜となった雁居のたてがみを撫でながら言う。
「雁居、ありがとう。もういいよ。あとは死ぬだけだ」
『……透君も死んじゃうんだね。転生しても地球はもう終わりなのに……』
 雁居は悔しそうだ。自分の力が及ばなかったせいだと思っているのかもしれない。
「終わりにはしないよ」
 俺は雁居の後悔を吹き飛ばすように断言した。
『透君……?』
「やっとわかったんだ、俺がなんでこんな呪いを掛けられたのか」
 あの時の僧侶どもは言っていた。
 “もし末法の世、……この者が……功徳は、……神に……”、と。
「この数百年、死ぬより苦しかった。けど、お前や皆を助ける為なら、……悪くない」
『言っていることが分からないよ、透君……』
 うん、と頷いた。言葉にはしづらい。だから試すしかない。
「さよなら、雁居。いい来世を――」
 俺は雁居の頭から真っ逆さまに飛び降りた。
『透君――――!!!』
 雁居の悲痛な叫び声が頭の中にこだまする。
 地面が迫る。ぐしゃりと自分の首の骨が折れるのを、どこか他人事のように感じながら、――俺は確かに死んだ。

△▽△

 俺の《功徳カウンター》は【カンスト】していた。
 数百年溜めた膨大な功徳を使って、俺は転生する。
 ――太陽殺しの神に。

△▽△

 気が付いたら宇宙にいた。
 自分がどこまでも拡散していく感覚が、酷く心地よい……。
 俺は宇宙で、宇宙は俺。このまま悠久の時に身を委ねていたくなる。
(……でも、それじゃなんのために死んだのかわからない)
 気力を振り絞って自分を意識する。手足、胴体、頭と意識を巡らせるうちに、俺は形作られた。后羿から譲り受けた弓をぎゅっと握りしめる。
 ぱちりと目を開くと、目の前には暗灰色と金色が交じりあった地球が浮かんでいた――。
 暗灰色の部分は雁居の雨雲で、金色の部分は灼熱の大地になった場所なのだろう。徐々に暗灰色の部分が減っていく。猶予は一刻もない。
 振り向くと3つの太陽が燦然と輝いていた。
 これが諸悪の根源。これを射落とせば――!
 太陽に向けて后羿の太陽殺しの弓を引こうとして、矢がないことに気付く。思わず目を見開く。これじゃ太陽を殺せない。
 地球が死んでいく有様を歯噛みして見守るしかないのか、と絶望しかけた時――頭の中に声が響いた。
『――この矢を』
 目の前に3本の白羽の矢が現れた。
「天帝様?」
 応えはない。それが答えかもしれない。
 ゆっくりと矢をつがえ――射離す。
 ヒュウン、と矢は真っ直ぐ太陽に向かって飛び命中した。太陽は震えるように明滅する。拍動と共に小さくなり輝きは色あせていく。最後にはとうとうしわくちゃのただの小さな岩になった。
 2つ目の太陽も同じ運命を辿り、……とうとう『甲』の太陽に弓を向けた。
「いいですね、天帝様。あなたのご子息の命、俺がもらいます」
 ため息のような風が吹いた。
『構わない。覚悟はしている』
 頷く。『甲』に向けた矢にありったけの力と祈りを込めて、――射離した。矢は白い光を帯びて、力の奔流になる。光の矢は吸い込まれるように、太陽の中心に命中し、『甲』は散った。
 太陽を失い、世界は闇に包まれた。

△▽△

「天帝様、俺は神になったんですよね」
『ああ、役目を持たぬ神だがな』
「ならば俺にお役目を下さい。俺は太陽神になりたいのです」
『……いいのか、これまでのように数百年ではすまないぞ。地球が果てるまでお前は生き続けなければならない』
「構いません。雁居や皆を助ける為だったのならいくらでも耐えられます」
『……わかった。役目を負わせる代償に何でも願いを言いなさい』
「願いは2つあります。1つは壊滅した地球を元通りに再生すること」
『言われるまでもない。了承した。それでもう1つは?』
「……もう1つは――」

△▽△

 雀の鳴き声で、ぱちりと目が覚めた。
(私は、誰だっけ――?)
 思い出そうとぷるぷると頭を振る。
(ええと、私は雲野雁居。雲野家の末っ子で、退魔師……だよね?)
 正しいのになぜか確信が持てない。
 何か壮大な夢を見ていたせいだ。私は幻の雨しか見えない女の子で、日々を鬱々と過ごして、幼馴染の男の子に散々迷惑をかけていた。それで大冒険をして、竜になって――。
(そこから、どうなったんだっけ?)
 そこでバッサリと夢の記憶が断ち切られている。でも必ず思い出さなければいけない気がした。誰か忘れちゃいけない人がいる。
「……透君」
 はっと今自分の口から出てきた言葉に動揺する。なぜか懐かしい響き。だけど、知らない名前だ。
「透君って、誰なんだろう?」

 お兄様に見送られて学校に向かう。
 今日も6月の湿気でじわじわと蒸し暑い。でも空は――。
「ああ、晴れている――」
 仰いだ空では太陽が優しく陽光をふりまいている。
 なぜか涙が溢れた。いつも見慣れている太陽なのになんでだろう。まるで……諦めていた夢が叶ったかのよう。
 耐え切れず、道端にかがみこむ。ハンカチで拭っても拭っても、流れる涙は止まってはくれない。
(嬉しいけど、悲しいんだ……) 
 同じ太陽を一緒に見たかったあの人が、ここにいないから。
 でも、肝心のあの人がわからなくて、胸にぽっかりと穴が空いたようだった。
 しばらく立てずに、泣いていると――。
「雁居!」
 懐かしい声にぱっと顔を上げる。
 同じ年位の男の子が、慌てた様子でハンカチを差し出していた。
 ぱちりと目が合う。
(あっ……!)
 その時、膨大な記憶が頭の中になだれ込んできた。
 あの夢は、夢じゃなかったんだ! 全部ほんとに起きたこと!
「透君――!」
 思わず透君の胸に飛び込んで、わんわん泣いた。透君は驚きながらも優しく受け止めてくれた。
「ごめんね! ごめんね! 私のせいで辛い目に遭わせて――!」
「泣くなよ雁居、俺は辛かったとは思ってない。そりゃ大変なこともあったけど、お前との日々はかけがえのないものだった」
 ますます涙腺が緩む。透君は、私の頭を優しくなでてくれた。
「それにお前が過ごした日々も無駄じゃなかったよ。天帝様にお前を再び転生させて、呪いの雨を晴らしてくれるようにお願いしたんだけど、……お願いせずともお前の生前の功徳で転生には充分だったんだ」
「えっ……?」
 思わず透君を見上げると、彼は優しく笑った。
「全部雁居のおかげだよ。よく頑張ったな」
「――っ」
 透君は本当に私を泣かせる天才だと思う。
 聞けば透君は太陽の神様になったらしい。今ここにいる透君はその化身なんだそうだ。ううん、なんだっていい。生きていてくれてよかった。
 透君は私の顔を覗き込んで笑った。
「それで雁居。……太陽は見れたか?」
 絶望のまま死にゆこうとしていたあの時、透君が泣きながら発した問い。
 あの時とは違う。私は満面の笑みを返した。
「うん! 透君と同じ太陽を見ているよ!」

 ――あなたと同じ世界を見たい。それが前世から続く、私の願い。
北斗

2019年08月11日 12時46分29秒 公開
■この作品の著作権は 北斗 さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆テーマ:
・太陽:○
・恐怖:×
・音楽:×
・はじめての夏:×

◆キャッチコピー:今降ってる雨に耐えられない

◆作者コメント:
【朗読希望】
※本作はグロテスクな内容を含みます。ご注意ください。

運営の皆様、夏企画の開催ありがとうございます。
それにしてもやっと書けた……。これまでで一番難産でした。
さて、今回のお話は100万人の死を見ないと死ねない少年と、365日幻の雨に降られている少女が、世界の危機に巻き込まれるお話です。
精一杯書いたのでお楽しみいただけたらとても嬉しいです。
それでは作者の皆様、読者の皆様どうぞよろしくお願いします。

2019年09月07日 23時25分35秒
作者レス
2019年08月25日 23時48分52秒
+30点
Re: 2019年09月29日 15時01分31秒
2019年08月25日 22時48分27秒
+30点
Re: 2019年09月29日 15時00分17秒
2019年08月25日 21時23分07秒
+20点
Re: 2019年09月29日 14時59分17秒
2019年08月25日 20時29分05秒
+30点
Re: 2019年09月29日 14時57分49秒
2019年08月22日 20時58分41秒
+30点
Re: 2019年09月29日 14時55分16秒
2019年08月22日 15時54分28秒
Re: 2019年09月29日 14時54分12秒
2019年08月22日 02時25分15秒
+10点
Re: 2019年09月29日 14時52分41秒
2019年08月19日 20時39分57秒
+20点
Re: 2019年09月29日 14時51分34秒
2019年08月18日 14時52分13秒
+10点
Re: 2019年09月29日 14時49分57秒
2019年08月16日 21時14分45秒
+10点
Re: 2019年09月29日 14時48分15秒
2019年08月15日 16時59分18秒
+30点
Re: 2019年09月29日 14時46分19秒
合計 11人 220点

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