魔法少女プリティメアリー

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 時刻は午前八時を過ぎた頃。満員電車の中で、か弱い女子高校生が悪意のある大人に痴漢をされていた。年齢は五十代、頭頂部はハゲ散らかり、脂ぎっている。男は気付かれないように女子高校生に身体を密着させ、右手をスカートの中に入れ撫でまわしていた。彼女は今すぐにでも叫びたかったが、それは出来なかった。何故なら、自分よりも大きい大人の男性に密着され、恐怖で声が出なかったからだ。
 女子高校生は心の中で助けを求めた。声にならない声で確かに願った。『誰か、助けて』と。
 俺は中年男性の腕を掴んだ。女子高校生のスカートを撫でまわしていた、不届きものの手首を持ちあげたのだ。中年男性はぎょっとして手をつかんだ男の方へ顔を向けた。突然の出来事に、女子高校生は驚いたような表情をして振り返る。
「そこまでだ」
「な、何だお前は!」
 その声に反応するかのように、目を見開いた女子高校生は助けてくれた人の姿を、この時初めて知ることになる。 
「魔法少女プリティメアリーだ!」
 満員電車の中で臆せずそう言った彼女にとっての救世主は、男性のように見えた。髪は短髪で真っ黒。顔立ちは若い男性そのもの。しかし、恰好はピンクとホワイトのコントラストが印象的なフリフリのドレスを着ていて、スカートの下からは健康的な太い足に、すね毛が濃く生えている。どうみても変態だ。
 そして、その変態とはまさに俺の自身の事だった。
「きゃああああああ!」
 女子高校生は、まるでダムが決壊するかのごとく大声を上げた。痴漢に襲われ、誰かが助けてくれたと思ったら、そいつもおかしな格好をした変態だったのである。誰だってそういう状況になったら、叫ばざるを得ないだろう。
 女子高校生の悲鳴に、さすがに周りの人たちも関わらざるを得なくなり、正義感の強い一人の青年が声をかけてきた。年齢は二十歳くらいの大学生だ。
「ちょっとあんたら何やってんだ!」
 ストレートパーマを常にあてているかのような、真っすぐ艶やかな髪の毛は、耳たぶまで伸びている。すらっとした体型に、おしゃれでラフな服装はどこからどう見ても、彼女が二、三人いるだろうことをうかがい知れるだろう。そんな大学生が俺と変態と女子高校生の間に割って入ってきた。事態はますます混迷を極めていった。
「た、助けてくれ! この男が急に俺の腕を掴んできたんだ!」
 痴漢は俺を睨みつけながらそう言った。大学生が様子を確認すると、泣き叫びながらその間でうずくまる女子高校生に、汚らしいデブの中年オヤジが手を掴まれている。そして、目の前にいるのは、おかしな格好をした危ない変態だ。
 次の駅で、中年男性と俺は降りることになった。
「い、いや違うんですよ! 俺は痴漢から女子高生を助けようとしただけで!」
 俺は最後まで駅員に言い訳した。しかし、遂に駅員は俺の言葉を信じる事は無かった。



『満員電車の中で居合わせた通勤途中の人々は、ほっと胸をなでおろしている。こうして、人々はまたいつもの日常を取り戻すことが出来たのだ』
 宙に浮く謎の棒が、一体何処から声を出しているのか分からないが、機械的かつ全く抑揚の無い口調で淡々と呟くように読み上げている。
「おぉぉぉいいい!!!!」
 俺は、その無機質な声に向かってあらん限りの声を張り上げて叫んだ。
『突如、一人のアホ面が大声を上げた』
 しかし、宙に浮く棒はそれに意にも介さず再び淡々と声を出す。ただし、今度は何かを思い出すかのようなものでは無く、今しがた俺の行った行動を、無機質な声で読み始めた。俺はそれに対して抗議するかのように、再び声を張り上げる。
「誰がアホ面だぁぁぁぁ!!! こっちは散々な目にあったって言うのに......なんだこの人をバカにしたような日記は!?」
「記録だよ。この世界の調停者として、客観的な視点から行使した成果を、正確に記録し報告しなければならないだろう?」
「お前なぁ......! 俺は今日、あの出来事で相当酷い目にあったんだ! 駅員には誤解されるし、警察は呼ばれるしで、ご覧の通りの有様だよ。何が『こうして、人々はまたいつもの日常を取り戻すことが出来たのだ』だ? 俺はまだ取り戻せていないんだよ......俺に訪れる予定だった『いつもの日常』がな! 当事者の俺がそう言っているんだから間違いない。それにお前のその記録とやら......てめぇの主観入り過ぎだろうが!」
『この男子高校生という名の生き物はいちいちうるさい』
 俺の悪態を全く気に留めること無く、宙にフワフワと浮く棒は、聞き流すかのようにブツブツと日記みたいな物に向かって喋っている。
「こ、こいつ......」
 俺は抵抗することを諦め、ガクっと肩を落とすと、宙に浮く棒という非現実的な存在から目を逸らした。これから身に降りかかる災難は、おそらくどんどん苛烈を増していくだろう。つまりは、宙に浮く棒に対してこれ以上、構っていられないという訳だ。というより、もっと酷いことが起きているのだからもはや、あの非現実な棒の存在なんて、気にしていられない。宙に浮く棒こと、自称『魔法のステッキ』と出会ったあの日から、俺の人生は狂い始めたのだ。



 一週間前、俺は普通の男子高校生だった。高校に入学してから早数ヶ月。十二月も半ばに差し掛かった頃、真新しかった高校生活もいつの間にか日常になり、いつものように寝坊して、いつものようにあわてて自転車で走りだした。
 住宅街を全速力で駆け抜けているというのに、道には人っ子一人いなかった。もうすでにほとんどの人が家を出ているのである。ガチャガチャと、住宅からは生活音が忙しなく聞こえているが、やはり通勤途中の人は誰もいない。焦りによる不注意か、一心不乱に自転車を漕いでいると急にガタッという音がした。
 最初は、ん? 何かタイヤに当たったかな? という感覚だったものの遅刻していたので先を急いでいると、何かが後頭部を直撃した。
「あいたー!?」
 突然の事に自転車ごと倒れかけるも、寸前のところで足を踏ん張り事なきを得た。しかし、一体なんだったんだ今のは? 俺は後頭部をさすりながら後ろを振り返ると、棒のようなものが宙を浮いていた。あっけにとられ、しばらく呆然としていると、その棒のようなものが急にしゃべりかけてきた。
「おい、貴様。なんてことをしてくれたんだ」
 棒は怒っているのか、泣いているのか分からない、全く抑揚のない声でそう言った。声の感じから言って、低く野太い。まるで男性っぽく聞こえる。ただししゃべったといっても、口のようなものは見えないし、どっから音が出ているのかも分からない。あまりの衝撃に遅刻している事も忘れて、宙に浮く棒をじっと睨むように見た。
「見ろ、私の体が真っ二つだ」
 棒はそう言うと、先端をくねらせて地面を方に先を向ける。そこには、棒が一本転がっていた。いや、違う。よく見ると、目の前で宙に浮いている棒は片側の先端が折れたかのようにささくれ立っている。もう一方の地面に転がっているのもそうだ。まるで、『何かに真っ二つに折られてしまった』かのように。
「私には大事な使命があるというのに......。しかしこのままむざむざ、任務を放棄する訳にもいかない。本来なら『少女』ではない、貴様のような小僧なぞカテゴリー的に受け付けんのだが、特別に選んでやる」
「え、選ぶ? 一体何のことかさっぱりなのですが。というか、あんたは一体......何?」
「どうみても魔法のステッキだろうが」
 棒は抑揚のない声でそう言った。しかし、どっからどうみても木の棒に生クリームをぶちまけたようにしか見えない。色合い的にも絶対にそうとしか見えなくなる。というか、真ん中から折れているので余計に木の棒感が出ている。でも、只の木の棒はこんな風に宙に浮いたり、しゃべりかけてはこない。そこで俺は思い立った。
 これ、悪い夢なんじゃないか? と。
「やべー。変な夢見ちゃった。そもそも朝起きたらいきなり八時過ぎてるとか、よく考えたらありえねぇよな。これで遅刻したら三回目だし、いよいよ生徒指導室行きだもんな。冷静になってみたら全然現実的じゃねぇわ」
「何、独り言をブツブツ言っているんだ人間のオス」
 棒はそう言うと俺の正面すれすれまで近づいてきて、額をその先端で小突いてきた。
「痛って!」
「お前は今から『魔法少女』になるのだ。そして、私に課せられた使命を果たすべく、馬車馬のように働いてもらう」
 棒が訳の分からないことを言い始めた。いよいよ、夢らしくなってきたな。こんな突拍子のないこと、現実で起こるわけがない。心の中で俺はひたすら唱えた。『早く目が覚めますように』と。悪夢にしては、パンチは少ない、が気持ち悪さは抜群だ。今まで見てきた悪夢の中でも、特段にヤバイ奴な気がしてならない。このまま目が覚めずに、悪夢を見続けると俺は取り返しのつかないことになってしまうという予感がする。
 俺が両手を合わせて目を閉じながら、ひたすら念仏のように早く目が覚めてくださいと唱えていると、再度棒は俺の額を小突いて、強調するように言った。
「ちゃんと聞いているのか? こっちには何度も説明している時間はないんだ」
「うるさい! お前は悪夢なんだ! 現実には存在しないんだ! だから、訳の分からない事言ってないで、どっかに行っちまえよ!」
「これは、とんだバカな人間を引き当ててしまったようだ。つくづく自らの不運さを呪いたくなるよ。貴様は、自分が置かれている状況が理解出来ていないらしいな」
「こっちはお前の言うことなんか理解してないし、したくもないんだよ!」
 俺がそう悪態をついた瞬間、まだ開いたままの口を閉じ切る前に、口の中に宙に浮く棒が突っ込んできた。驚いた俺が慌てて口を閉じようとするも時すでに遅く、ずぶりという嫌な音をたてながら棒はゆっくりと着実に俺の喉の奥へと突き進んで行く。
「おごおごごおご!?」
 俺はあまりの出来事にその場に仰向けに倒れ込んでしまう。しかし、不思議な力で宙に浮いている棒はそんなこと御構い無しに、メリメリと音をたてながら喉の奥深く沈んで行く。しかも、この棒グニャリと体を曲げてさらに奥に入り込もうとしているではないか。このままでは息が出来ない。もうすでに俺は、『これが夢である』という甘い考えを捨てざるを得なくなっていた。
 確実にこの棒は、俺を殺しにかかっている。直感的にそう感じた。
「このまま貴様を窒息死させてもいいんだぞ? 私の言う通りにするか、死ぬか。二つに一つだ、それ以上でもそれ以下でもない。また、この二つ以外に貴様は選ぶ権利も無い。もう一度言う、二つに一つだ。時間もあまり無いんだ、決断は早めに頼むよ? 出ないとほらほら死んでしまうぞ?」
 マジで苦しいし吐きそうだし、本当に息出来ないし。絶対夢じゃ無いわ、これ。このままじゃ、俺本当に死ぬんじゃ......。と考えている間にも、棒はメリメリと喉の奥へと入り込んでいく。もはや、一時の余裕も無かった。とにかく楽になりたくて、本能的に俺は声を張り上げる。
「おごぉぉぉぉぉぉ!」
「『承諾した』と受け取って間違いないな?」
 棒は抑揚のない声で、勝ち誇ったかのようにそう言った。
 俺は涙を流しながら、必死に首を縦に振る。心の中で早く抜いてくれと叫んでいた。すると、間も無く棒は喉の奥に侵入するのをやめて、ズルズルと音を立てながらなじるようにゆっくりと俺の口から抜けていった。次の瞬間、込み上げてきたものを抑えきれず、俺は思いっきり胃の中のものをアスファルトにぶちまける。
「おぇぇぇぇぇぇ!」
 俺が涙を流しながらうずくまっていると、棒は「汚い奴だな」と俺をののしってきた。そして、今しがた俺の喉に突っ込んだ、俺の唾液まみれの先端を制服に擦り付け、拭き始める。俺は精一杯の怒りをぶつけるかのように棒を睨みつけたが、ほとんど意味は無かった。すでに先ほどの出来事で、俺の中にこの棒に対する恐怖を植えつけられてしまっているようで、体はガタガタと震えだしていた。
「早速始めるぞ。まず貴様の名前を教えろ」
「な、なんでそんなこと......」
「お前を使用者として登録するんだよ。いちいち質問するな、時間がない。早く答えろ」
「目加田倫太郎(めかたりんたろう)......」
「よし、今からお前は『魔法少女プリティメアリー』だ」
「どういうネーミングセンスしてたらそんな名前つけられるんだよ」
「貴様の名前からインスパイアして名付けた」
「俺の名前のどこから読めば、『プリティメアリー』なんてインスパイア出来るんだよ......」
 俺のクレームを無視して、棒は再び俺の方へ近づいてくる。そして今度は俺の右手の方にやってきて、しつこく肘を小突いてきた。
「一体なんなんだよ!?」
「私を持て」
「はぁ......?」
「いいから持て。何度も言わせるな」
 俺は恐る恐る、今しがた俺を殺そうとしてきた棒に手を近づけた。そしてあわよくば握った直後、思いっきり地面に叩きつけてへし折ってやろうとも考えていた。流石に、今以上にバラバラになれば先ほどのような恐ろしいことは出来なくなるだろう。そう考えて、俺は恐ろしき殺人棒を思いっきり握ると、急に何かに噛み付かれたような痛みが、棒を握った右手の手のひら全体から襲ってきた。
「いててててててて!!!」
 突然の痛みに、反射的に棒から手を離そうとしたが、くっ付いて全然離れない。思いっきり右手を振り回したり、右手にくっ付いたままの手を無理やり引っ張って剥がそうとしたが、まったく効果は無かった。そのうち、棒にくっ付いたままの右手が手のひらから真っ青になっていくではないか。
 いよいよ深刻な事態になってきたことを察して、右手を切断することを考えながらフラフラと通学路を歩き始めた。最悪片手で自転車を運転しながら、ここから数キロ先にある総合病院に向かうことを考え始める。そこで医師の診断書をもらえれば、俺の遅刻に正当な言い訳がつけるようになるだろう。
 そんなことを考えていると、急に目の前が暗転した。俺はその場でへたり込んでしまう。どうしたんだ? 頭がクラクラする。顔に手を当ててみると、すっかり血の気が引いてしまったかのように、ひんやり冷たくなってしまっていた。
 よくよく、棒がくっ付いたままの右手を見てみると、腕から肘までどんどん青ざめていっているのが見えた。全身から冷や汗が、滝のように吹き出していく。もうだめだ、そう思いうつ伏せになろうとした瞬間、ポンっという軽快な音と共に、ようやく俺の右手からようやく棒が離れた。手のひらからは血がどくどくと流れ出している。
「ん? 顔が真っ青だぞ、大丈夫か? あっ......いやいや悪い悪い。血を吸いすぎてしまったようだな。だが、これはしょうがないことなのだ。貴様がこの私を自転車で引いて、真っ二つに折ってしまったのだからな。再生の為に、余分に契約の為の血を吸ってしまったよ。私も死にかけたし、お前という最悪の人間を契約者に選ばなくてはならなかったのでね。これでおあいこだ」
 宙に浮く棒は嫌味ったらしくそう言った。俺は息も絶え絶え、棒に悪態をつくことも出来ない。心の中ではバラバラにしてやるぞ! と息巻いているが、現実は目の前でふわふわと浮いている棒に、焦点を合わせることだけで精一杯だ。
「私も死にかけていたのだ、悪く思わないでくれ。それに、君は私の正式な契約者になったのだから、血が多少抜けたところで死にはしないよ。ただし、『変身』していればの話だが」
「へ......変身?」
「そうだ『変身』だよ。倫太郎、『変身』だ」
 棒は焦らすように、「変身したいか?」と聞いてきた。正直、こいつの言う変身なんてしたくない。なぜなら、さっきから『魔法少女』だの『魔法のステッキ』だの不穏なワードが聞こえていた。つまり、自称『魔法のステッキ』の棒は、俺に『魔法少女』に『変身』して貰いたいという訳だ。
 男子高校生の俺に、思春期真っ盛りの俺に、日々モテる為に努力し友人たちとどうすればカッコいい男になって、モテモテになれるかを日々談義している俺に、『魔法少女』になれと言っている訳だ。
 普段の俺なら、魔法少女になるくらいなら腹を切った方がマシだと、即答していたところだが、まさに死にかけている状況になってしまい、心が揺らいでいる。意識を失いぶっ倒れそうになった今になって、俺は本当に大切なものが何なのか、分かったような気がする。
「分かった.......分かったから......変身させてくれ」
「ん? させてくれ? させてくれだと?」
「さ、させてください......変身させてください......お願いします」
「いいだろう」
 俺が屈服したとみるや、棒はまた俺の右手の方に近づき「握れ」と言った。棒からは『二度は言わない』という威圧感を感じたので、何とか力を振り絞り棒を握る。このまま地面に叩きつけてやろうかと思ったが、残念ながら今の俺にそんな力は残っていなかった。
「唱えろ。『プリティチェンジ』と」
「え......なんて?」
「だから、『プリティチェンジ』と唱えろと言った。早く言わないと変身出来ないぞ? そのまま死にたくはないだろう。精一杯唱えろ、しっかり変身出来るようにな」
 どうやら棒は本気のようだ。血が巡らない頭ではもう、恥ずかしいだの、周りが気になるだのそんなことは頭の片隅に追いやられてしまっていて、今はただ『早く助かりたい』という思いしかない。だから、俺はこのクソッたれの木の棒の言う通りに、あらん限りの声を張り上げて叫んだ。
「プリティィィィィィチェェェェェェンジィィィィィィ!」
 突如俺はまばゆい光に包まれた。とても暖かい、まるで誰かに守られているかのような、母ちゃんに抱きしめられているかのような、そんな安心感。さっきまでの地獄のような苦しみから一転して、まるでこの世のありとあらゆる幸福に、包まれていると言っても過言ではない。この感覚は一体なんだ?
 もしかして、俺もう死んじゃって天国にいるとか? ふとそう思い衝動的に目を開けてみると、まばゆい光に包まれた俺の体は、生まれたままの姿で宙に浮いていた。目を疑いたくなるような光景だ。こんなところ誰かに見られでもしたら......そう思い、考えるのをやめた。
 確証はないが、ここは天国なんだと思い込むことにした。再び目を閉じようとして次の瞬間、目が眩むような閃光が俺の体を取り囲んだ。思わず目をつぶるが、あまりの光の強さに閉じていても光を完全に遮ることが出来ない。
 このままでは目が焼けてしまう! そう思い、両手で顔を覆う。さっきまでの騒々しさ嘘のような静寂につつまれた。と、急に重力を感じて俺は尻餅をついた。
「あいて!」
 唸りながらその場で立ち上がると、そこはさっきまで俺がいた住宅街の十字路だった。まさか、ここが天国......? なんて思っていると後頭部を何かに小突かれた。この感覚は、よく覚えている。残念だがここは天国なんかじゃ無かった。
「おめでとう。君は『魔法少女プリティメアリー』に変身した」
「は?」
 聞き覚えのある抑揚の無い声に促されるように、自分の体を眺めてみると......特に変化はない。強いて言うなら、さっきまで俺の着ていた高校指定の男子学生服が何処かに消え、代わりに奇抜なピンクとホワイトのコントラストで彩られた、フリフリの可愛らしいドレスに置き換わっていた。十二月の半ばを過ぎた冬の服装にしては生地が薄すぎる。しかし、不思議と寒くは無かった。
 つまり、今の俺の状況を簡潔にまとめると、魔法少女のコスプレをした痛い男が住宅街の真ん中で突っ立っている、という状況である。警察を呼ばれて捕まってしまってもしょうがない。一体なぜ、こんなことになっているのか、いろんなことが同時に起きて俺の頭では処理が追いつかないでいる。俺はただ、この場で呆然と突っ立っていることしか出来ないのだ。
「おい、何バカみたいにボーッとしている。何か感想は無いのか?」
 棒は俺を小馬鹿にするようにそう言った。しかし、感想と言っても......特に変わったことと言えば、ついさっきまで感じていた貧血のような気分の悪さや、冷や汗、吐き気、目眩等は無くなっている。そして、光に包まれている間に起きた奇妙な体験と、今現在の俺の格好を除けば特に語ることはない。
 逆に言えば、今俺に何が起きたのかを問いただしたいと言うのが、俺の感想だ。しかし、奴の口調からして俺に『魔法少女』になった感想は如何かな? と尋ねているらしく、下手にこいつの機嫌を損ねるとまたややこしいことになりかねないということは、今しがた経験済みである。
 なんと言ってやろうか、と考えていると棒は抑揚のない声で、興奮気味に言った。
「なんとまぁ......オスが魔法少女になるなどと、こんな背徳的なことがあっていいのか?」
「いや、全部お前のせいだろうが! というか、なんなんだこの格好は!? バカかアホかはたまた変質者にしか見えねぇだろうが! とっとと、元の制服に戻しやがれ!」
 堰を切ったように俺が悪態をつくと、棒は「はぁ......」と大きくため息をついた。
「せっかく魔法少女に変身したというのに、感想がソレとはな。やはり、とんだアホを契約してしまったようだ。あ、ちなみにすぐには変身を解除しないぞ」
 いきなりの宣告に俺はあっけにとられて固まってしまう。その様子を見て、棒は得意げにこう言った。
「さっそく『仕事』をしてもらおうか。『魔法少女プリティメアリー』として、ね」
 こうして、俺は魔法少女になってしまったのだが、男子高校生が魔法少女って......魔法『少女』じゃねぇよ。どちらかと言うと、魔法『青年』だろうが! と、抗議したい。ただどうせ、抗議したところで魔法『少女』から魔法『青年』にふさわしい衣装に変わるわけでもなく、俺はどっからどうみても変質者にしか見られないわけで......。
「あの......本当にこんな格好で歩き回らなくちゃならないのか?」
「なんだ? 素っ裸になりたいのか?」
「もっとやばいわ! 男にふさわしい格好は無いのかって言ってんだよ! ハ◯ーポッターとかファン◯スティックビーストみたいな、男の魔法使いみたいな格好は!?」
「はぁ? そんなものあるわけないだろ。私は『魔法少女』専門だ」
 なんだよそれ......初耳だ。いや、初耳も何も、何もかも初体験だったわ。
「貴様には今から『バッドスピリット』を倒してもらう」
「『バッドスピリット』ってなんだよ......」
「簡潔に言えば、人間に取り付き悪い事をさせる寄生生物のようなものだ。ただ、アレを生物として定義してよいのか、私には分かりかねるが......現状生物として定義はされている」
 宙に浮いた棒のお前の定義は一体なんなんだと、問い詰めたくなったが話が余計にこじれると思ったので、大人しく棒の話に耳を傾けることにした。
「『バッドスピリット』に取り憑かれた人間は、要は悪い人間になると理解していただければ、大方間違いない。一般的に、『魔が差した』という状態になるという事だ。それに、我々が『バッドスピリット』を退治すれば、人間は元の状態に戻る。それが貴様の役目だ、魔法少女プリティメアリー」
 こいつの話をよくよく聞いてみて思ったのだが、内容がふわっとしていて要領を得ない。何故なら、俺には『バッドスピリット』というものが理解出来ないからだ。初めて聞いた訳の分からない存在の話を、さも現実に存在するかのように理解してくれ、という方が無理がある。
 それに、なんだよ『バッドスピリット』って。まるで子供が見ているテレビアニメの敵に出てきそうな名前じゃないか。魔法少女とやらにでも退治してもらえよ。
 そう言えば俺、魔法少女だったわ。
「そして、私がここに来たのは『バッドスピリット』の存在を感知したからだ。それもかなり、強力な奴がいる。だから私は急いで契約者を探し、『バッドスピリット』に取り憑かれた人間を救うべく尽力していたというのに、貴様という疫病神に邪魔されたのだ」
 棒は抑揚の無い声でも、こちらにはっきりと分かるように恨み節を言った。
「それで、俺はその『バッドスピリット』とやらを退治すれば、解放していただけると思って間違いないですか?」
「どうやら、バカの貴様にも理解出来てきたらしいな。ここの近くにまだ強いバッドスピリットの気配がある。奴が逃げる前に、貴様に一刻も早く退治してもらわなければ、困るのだよ」
 ともかく、現状俺はこの棒の言う通りに、バッドスピリットとやらを退治しなければならないみたいだ。こうなっては、遅刻は確定。生徒指導室行きは決まってしまったが、この棒にいいようにこき使われ、こんな惨めな格好で生き恥を晒し続けなければならなくなっている今と比べれば、なんと! 生徒指導室行きがまるで天国のように思えてくる。
「分かったよ......そのバッドスピリットとやらの居場所に連れていってくれ」
 半ば諦めたようにそう言った俺に対して、棒は「いいだろう」と返事をすると、ふわふわと宙を漂いながら、目の前を一直線に進み始める。
 そういえば、棒がさっきまでと違って伸びているように感じる。折れてささくれ立っていた片側も、今はシンメトリーのように綺麗な丸に収まっていた。そしてさっきまでアスファルトに転がっていた、棒の一部がいつの間にか消えている。
 こいつ、さっき『再生』がどうのこうの言ってたよな......。これも、一種の魔法か? それとも俺の目の前で宙に浮いている木の棒のようなものは、生物なのだろうか。頭の中で考えを巡らせていると、言い知れぬ悪寒が背筋を走った。
 いくら目の前の超常現象について考えても、何の答えも導き出せないんだからしょうがない。俺は早くこの状況から解放される為に、大人しく宙に浮いている棒について行くことにした。
「見ろ」
 唐突に、棒は先端をぐにゃりと曲げ、ある一点を差した。ここは、十字路を左に曲がり、角の突き当たりで右に曲がった場所。相変わらず忙しなく生活音は聞こえているが、外に出てくる住人は一人もいない。どの家も、窓の外に顔を出す人は皆無であった。
 ここまでくる道中、誰かに見られて通報されないかとヒヤヒヤしていたが、無事トラブル無く目的の場所にたどり着くことが出来た。それはいいのだけど......棒が差しているのはある一軒の住宅だ。二階建てのそこそこ大きく、綺麗な家だ。しかし、ここまで来て俺は棒の意図を計りかねていた。
「あのさ、一体俺はこれから何をするんだよ? まさかと思うが、あの家に不法侵入しろなんて言わないよな?」
 ただでさえ、男子高校生がこんな気持ちの悪い格好をしているのだ。さらに、住居に不法侵入なんてさせられたら、俺は自分の人生にある種のピリオドを打つことになる。
「場合によっては、その可能性もあり得る」
 棒は俺に、無慈悲とも取れる宣告を下した。こいつ、本当に俺の人生をむちゃくちゃにするつもりだ。思わず泣き叫びそうになったが、下唇を強く噛んでグッとこらえた。
「しかし、今回はその必要は無さそうだ。我々の目的の人物は、どうやら目の前にいるらしいからな」
 その言葉に、安堵と同時にはっとさせられた。『目的の人物』がいる? 誰かいるのか、ここに? 反射的に俺は身をかがめて、誰にも見られないようにアスファルトの上に伏せた。焦りと緊張で、心臓がバクバクと跳ねている。見られたら俺は社会的に死ぬ、間違いない。
「何を間抜けな格好をしている? あれが『バッドスピリット』だ、倫太郎」
 棒は呆れたようにそう言った。俺はその声に促されるように、恐る恐る顔を上げて様子を確認する。ゆっくりと、相手に気づかれないようにだ。そして、今しがた棒が差していた住宅の方をよく見ると、そこには確かに人影が見えた。
 しかし、それはその家の住人では無い。何故なら、家の窓はカーテンで遮られており、また玄関前の入り口にある扉もキッチリとしまっている。それに周りの家々からは、大なり小なり生活音が聞こえるのに対して、目の前の家にはほとんど生活音らしき音は聞こえなかった。誰かが家の中にいるようには思えない。
 それに俺の視界に捉えた人影は、正面の玄関の方にいるのではなく、何故か家の周りに囲むようにしてある塀を背にして、死角になるように一階のベランダの方で佇んでいたからだ。まるで、何かを物色するかのように、ベランダの方を見ながらじっと立ったままの黒い影。二、三十代くらいの成人男性で黒いニット帽に、黒いジャンパー、黒いズボンにサングラス。そして、顔にはマスクをしている。身長は平均くらいといった中肉中背の男だ。見るからに怪しい人物。普段の俺なら絶対に関わり合いにならなかったタイプの人間だ。
「あ、あの見るからにヤバそうな奴が、お前の言う『バッドスピリット』って奴なのかよ」
「そうだ。行ってこい」
「え? あいつに話しかけてこいと?」
「ああ。魔法少女として、しっかり成敗してこい」
 あまりにも無謀な要求に、俺は必死に声のトーンを抑えながら、やや興奮気味に宙に浮く棒に対して抗議した。
「お、お前は本気で言ってるのか!? あれ、見るからにやばい人間だろ! どちらかと言うと『バッドスピリット』なんてファンシーな名前じゃなくて、『犯罪者』って言い方のほうがしっくりくるぜ!」
「正確には『バッドスピリット』に取り憑かれた人間だが、どちらも同じ事だ。調和を乱す輩から、この世界を守るのが我々の使命なのだからな」
「いやいや、そうじゃなくてね? 命に関わるだろうが! これは、絶対魔法少女の出番じゃ無いよ。大人しく警察に電話して、何とかしてもらおうよ!」
「貴様は本当にバカだな。よくあの人間を見てみろ」
 そう言って、棒は俺の額を小突きながら先端をぐにゃりと曲げて、あの不審者の方を見るように促してくる。しぶしぶ、言う通りに不審者の方をよく見てみると、ベランダを物色しながら突っ立っていた奴が何やらベランダの方におもむろに近づき、まるで木の上になっている蜜柑や林檎を収穫するかのような仕草をしている。あまりの奇妙な行動に俺はしばらく呆然としていたのだが、すぐにあの不審者が何をしているのか分かった。
 あの不審者が、両手いっぱいに女性物の下着を抱えていたからだ。
「あのさ、アレって......」
「そうだ。バッドスピリットに取り憑かれ、我を失った人間だ」
「いや、ただの下着泥棒じゃ......」
「いいから、とっとと行ってこい。このまま、おめおめ奴を逃す気か? そうなったら二度と貴様を元に戻してやらんぞ」
「仮にも『世界の調停者』が、そんな人を脅すようなことを言っていいんですかね......」
「つべこべ言わずに、さっさと行け」
 俺は嫌々ながら、ゆっくり立ち上がり例の住宅に近づいていく。バッドスピリットに取り憑かれた人間もとい、下着泥棒はどうやらジャンパーの内側か、ズボンのポケットにありったけの下着を収納し終わったみたいで、何食わぬ顔で玄関から出て行こうとしていた。
「あのぅ......すみません」
 俺は必死に勇気を振り絞って、目の前にいる下着泥棒に声をかけた。
 声をかけられた事に一瞬驚いた下着泥棒は、ビクッと体を震わせて立ち止まりこちらに振り向いた。そして、俺の姿を見てさらに驚き小さな声で「うわっ」と声を上げる。サングラスやマスクのお陰で、この下着泥棒がどんな表情をしているのかは、全く分からない。しかし、こちらを見たまま固まっている様子から察するに、絶対ヤバイ人間に絡まれたと思っているだろうことは容易に察する事は出来た。
 俺だって、お前みたいな下着泥棒なんかに話しかけたくはなかったし、はっきり言って俺よりお前の方が何千倍もヤバイんだからな! と心の中で憤りながら、俺は二度ほど咳払いをして呼吸を整えてから目の前にいる下着泥棒に対して、再び声をかけた。
「呼び止めてしまって、すみません。ええ何と言いますか、諸事情により私、貴方様に少々用がありまして」
 何と声をかけていいか分からず、とりあえず相手を刺激しないようにへりくだった言い方をしてご機嫌をとるように、こちらの用件を伝える。俺の作戦は功を奏したのか、先ほどまでこちらを見たまま震えて固まっていた下着泥棒は、ほっと胸を撫で下ろしたかのような仕草をした後、何やら辺りを警戒し、左右を確認し始めた。
 自分の周りに俺以外おらず、安全だと確信した下着泥棒は、何を思ったのかジャンパーの中に手を突っ込み、数枚の下着を取り出して俺の方へ近づいてきた。俺が呆然として立ち尽くしていると、急に下着泥棒は俺の右手を掴んでおもむろに取り出した下着を握らせた。
 しばらく下着泥棒の懐で温められていた下着は、人肌に温められていてほんのり暖かく、とても気持ち悪い。
「あの、これは一体何ですか?」
 下着泥棒の奇行に、動揺しながら訳を聞くと下着泥棒は、首を傾げながらこう言った。
「えっ......これは何って。下着だよ」
「いや、それは見りゃ分かりますよ」
「あんた同業だろ? だから声をかけてきたんじゃ無いのか? というか、あんたちょっと格好が奇抜すぎるよ。気持ちは分かるが、人前でそんな格好してちゃ捕まるぞ? いくら何でもそれは自制しなくちゃ」
 え? 何、これ。なんで俺下着泥棒に説教されてるの? いや、それよりも俺はどうして下着泥棒に同類扱いされているんだ? あまりのショックに目の前が暗転し、これまで歩んできた人生を走馬灯のように思い返す。いくら何でも、生まれてこのかた俺は犯罪者になった覚えはない。
「説明すると長くなるから要約するが、俺はお前を成敗する為にここまでやってきたんだよ!」
 俺は、下着泥棒に手渡された下着をアスファルトに叩きつけて、睨みつけながら強い口調で言った。すると、俺の様子に驚いた下着泥棒は後ずさりをして俺の様子を窺っている
「一体何なんだお前......その格好といいあんた頭がおかしいんじゃないのか?」
「下着泥棒のお前に言われたくないわ! 大人しくしろ、俺が『魔法少女』として制裁してやる!」
 と、息巻いたものの具体的にどうすればいいのかは分からない。ちらりと、俺の頭上でふわふわと漂っている棒に目配せをする。こいつの言う通り、目の前にいる下着泥棒は邪な欲に溺れた犯罪者だ。しかし、バッドスピリットなるものをこいつから、一体どうやって取り出すと言うのだろうか? 早く教えてくれと必死に表情で訴えるも、棒は沈黙を保ったまま動かない。
「おいおい......こいつはよっぽどなアレな奴だな」
 下着泥棒はこちらに対して、まるで同情するかのように言った。その態度に、ますます俺の内で燻っていた怒りの炎が燃え上がる。このままぶん殴ってしまっていいのだろうか? 魔法少女としてこいつを成敗するとは、そう言う事なのだろうか? しかし、いくら目の前にいるのが下着泥棒の犯罪者とはいえ、暴力を振るう事は犯罪だ。抵抗が無いわけがない。
 そもそも、こんな格好をして下着泥棒と取っ組み合いなんてしてみろ、一体警察になんて言い訳すればいいんだ? 正々堂々と、魔法少女として下着泥棒を成敗していました、なんて言って信じてもらえるのか? そんなことあるわけないよな。それに、仮にも『魔法少女』だったなら『魔法』を使えよ!
 って......いやいや、そういう問題じゃないだろ。
「付き合ってられないな。あんたもそろそろここを離れたほうがいいぞ、いつ人が来るかも分からないんだからな」
 腹立たしい事に、下着泥棒は此の期に及んで、未だに俺を同類だと思い込んでいるらしい。ついに俺は我慢出来なくなり、宙に浮いたまま動かない自称魔法のステッキに対して、怒鳴るように催促した。
「おい! そもそもこれはお前の仕事だろ!? 全部俺に丸投げして、そんなところで、ずっと見ているだけかよ!」
 俺が宙を見ながら空に向かって叫んでいるのを見て、いよいよヤバイと思ったのか、下着泥棒はそそくさとその場を離れていく。そして、ちゃっかり俺がアスファルトに投げ捨てた下着を拾って、ジャンパーの内側にしまいこんだ。
「全くやかましい奴だ。貴様は、『機を窺う』という事を理解出来ないらしいな」
 棒はそう言うと、その場から離れようとしていた下着泥棒の後頭部に向けて助走をつけ、その先端を思いっきりぶつけた。下着泥棒は、咄嗟の事に対応出来ず、勢いよく仰向けに倒れる。そして、ぼーっとその場に突っ立っている俺の右肘を思いっきり小突くと、「私を握れ」と催促した。
 慌てて、俺は棒の言う通りに握る。と、下着泥棒はちょうど後頭部をさすりながら立ち上がったところだった。下着泥棒は涙目になりながら、こちらに振り返る。すると、間も無く俺と下着泥棒は目と目が合った。しばらく気まずい沈黙が流れると、下着泥棒は怒りを滲ませながら俺に対して悪態をついてきた。
「あ、あんた......何しやがるんだ! こっちは親切にしてやったっていうのに、俺の頭をその棒で殴るなんて!」
「えっ......? い、いやいや誤解です! 俺は何もしていない!」
 俺はそう言って、慌てて棒を離そうとしたが右手にピッタリとくっついて離れない。はたから見れば、棒を握りしめた男がブンブン振り回しているようにしか見えず、下着泥棒は俺が挑発していると勘違いし、余計に怒り始めた。
「いくら温厚な私でも堪忍袋の尾が切れたぞ!」
 そう言いながら、下着泥棒はずんずんこちらに向かってくるではないか。
「な、何やってるんだよ!? 相手を怒らせちゃって、このままじゃまずいよ!」
「いや、これでいいんだ。バッドスピリットを取り出すには、相手の感情を煽る必要があるのだ」
 すると、間も無く憤った下着泥棒の体から紫色の煙のようなものが滲みだし、それが大きな黒い塊となって下着泥棒を包み込んだ。おいおい......これってマジなのかよ? 本当にこんなことが現実にあるのかよ!? と一瞬思ったが、宙に浮いたしゃべる棒が存在している時点で、もう何でもありだなと思い直した。
「ゆ~る~さ~ん~ぞぉ~!」
 下着泥棒はおおよそ、先ほどまでの人間とは思えないほどの姿に変貌する。全身紫色の人の三倍ほどの手を持った大柄の化け物になってしまったのだ。まさに『魔法少女』に対する敵のような風貌で、俺は心の中で『あとは魔法さえあれば完璧だな』と冷静に思った。
「よし、私を使って奴を殴れ」
「へ?」
 俺の間の抜けた返事に棒はイライラしている様子でもう一度、俺に向かって急かすように言う。
「いいから早く殴れ」
「いや、でもなんで!? そんなのただの暴力沙汰じゃないか! 魔法はどうしたんだよ魔法は! ビームみたいなものを出すんじゃないのかよ!?」
「バカか貴様は。何でもかんでも自分の都合通りに解釈するんじゃない、前を見ろ。説明している暇はないだろうが」
 化け物になった下着泥棒は、その大きな手をこちらに向けながら襲いかかってくる。俺は情けない叫び声を上げながら躱しつつ、逃げ惑った。大きいくせに中々素早い下着泥棒の手は、俺が避けるたびに襲いかかる速度を上げてくる。
 と、ついに避け切れなくなり下着泥棒の手が俺の腰あたりに直撃した。その勢いで吹き飛ばされた俺は、アスファルトの上をゴロゴロと転がった。ただでさえ、露出度が高いのにこんな格好で倒れれば、あっという間に身体中傷だらけになると思われたが、不思議とそんなことは無い。やはり、魔法少女化している俺には、何らかの不思議な力が働いているようで、驚きながらも擦り傷一つすら無く、すぐにその場で立ち上がることが出来た。
 が、おかしなことに下半身が何やら寒い。先ほどまでに感じたことのない開放感が、俺の股の間をすり抜けてゆく。
「い、一体なんなんだ......?」
「おい、倫太郎。奴を見ろ」
 俺が困惑していると突然、棒に前を見るように促された。すると、何やら下着泥棒の様子がおかしい。奴は『何か』を握りしめて震えている。突如、フラフラと力なく膝をつき、手に持っていた『何か』を投げ捨てた。
 その『何か』を俺はよく知っている。間違いない。今朝もちゃんと『穿いて』いたんだから、間違えるはずがない。下着泥棒が投げ捨てたのは、紛れもなく俺の真っ赤な『ボクサーパンツ』だった。どうりで、下半身がやけにスースーするわけだ。
「なるほど、それが奴の欲望であり、能力という訳か」
 棒は意味ありげにそう言うと、勝ち誇ったような態度で「しかし、今回はその能力が裏目に出たな」と言った。俺はというと、これ以上ないくらいに辱められて、今にも死にそうな思いになる。
「よし、今がチャンスだ。奴を殴れ」
「......は?」
 俺は困惑して聞き返した。何故なら、俺は今フリフリのスカートを履いている。風こそ吹いていないが、膝上数センチのスカートは、気を付けないとうっかり中身が見えてしまうほどに短いのだ。それに、今俺は下に何も穿いていない。それがどういう事か、この棒はそれを知っていて俺に奴を殴れと命令してきたのだろうか?
 下手すりゃ俺は露出狂だ。しかも魔法少女のコスプレをした最悪の変態露出狂。今、この場に俺たち以外誰もいないお陰で、俺は事なきを得ているが、周りの住宅には今この瞬間も生活音が聞こえているのだ。つまり、いつ、何かの拍子で外に出て様子が変だと確認しにくるかもしれない。
 俺は今、非常に危ない綱渡りをしている。
「む、無理だ。そんな事出来る訳がない!」
「どうした? 怖気付いたのか魔法少女プリティメアリーよ」
「怖気付くとかつかないとか、そう言う問題じゃないだろ! 俺は今、人生で一番やばい状態なんだって! あれが何か分かるか? あの下着泥棒が今しがた捨てた物が何か分かるか!? あれは俺がさっきまで穿いていたボクサーパンツだ! つまり、今俺は何も穿いていない。こんなアホみたいなスカートで、下に何も穿かないまま俺にあいつの懐まで近づいて、ぶん殴れって? いくら何でもそんなこと出来るわけないだろ!」
 半泣き状態で俺は右手で握ったままの棒に向かって、吐き捨てるようにそう言った。そうだ、これ以上こいつの無茶に付き合ってられない。今俺は、この場所から一歩たりとも動けないのだ。
「はぁ......貴様と言う奴は本当に手間のかかる人間だ」
 棒はそう言うと、急に青白く光り始めた。すると、俺が動くたびにヒラヒラと揺れていたスカートの動きがピタリと止まる。
「ほら、スカートを固定してやったぞ。これで行けるな?」
「そんな便利な魔法があるなら最初から使えよ! それに、いくらスカートを固定したからと言って、俺が下に何も穿いていない事実が変わる訳じゃないからな!?」
「文句の多い奴だ。さっさとケリをつけないと、貴様は一生そのままの格好だぞ? 家に帰れば着替えられるなんて思うなよ? 私がその気になれば貴様を公然わいせつ罪の犯罪者として突き出すことだって出来るんだ」
 この棒の言っていることは嘘やハッタリなんかじゃない。それは、この短い時間の間に経験してきたことから容易に想像出来る。俺は自分に、これさえ終われば元の日常に戻れるんだと何度も言い聞かせ、震える足を左手で叩き、気合いを入れた。
 意を決して俺は目の前の怪物と化した下着泥棒に向かって走り出す。奴はまだ俺のボクサーパンツを握ったショックから立ち直れずに、膝をつきながら体を震わせていた。
「肥大化した欲望の影響だ。自らの身に受けるショックも倍になっていることだろう」
 棒は奴の状態を分析するかのように呟く。俺はただ一心不乱に走り続け、その勢いのまま下着泥棒の脳天にあらんかぎりの怒りと恨みを込めながら、思いっきり頭部を殴りつけた。
 もし、この下着泥棒が人のままならこんなに躊躇なく殴りつけなかっただろう。だが、今は違う。どこからどう見ても、目の前にいるこいつはもはや人間には見えなかった。だから俺は一切の同情を込めることなく、思いっきりぶん殴ることが出来たのだ。
 次の瞬間、化け物と化した下着泥棒はまるで風船が弾けるかのように爆発した。下着泥棒を覆っていた紫色の塊は再び煙のようなモヤとなり、慌てて逃げるように上空へと逃れようとしている。しかし、そうは問屋が卸さない。
 急に棒を掴んだままの右手が勝手に持ち上がり、まるで野球選手の投球ホームのような格好になる。そして、次の瞬間俺は思いっきり振りかぶる形となり、右手から放たれた棒は一直線に紫色の煙に向かってゆく。そして、ゴンという鈍い音がしたかと思うとボトリと何かかが地面に向かって落ちてきた。
「一体なんなんだよ......」
 俺はヘナヘナと腰が砕けてしまい、その場で座り込んだ。目の前には気絶して仰向けにぶっ倒れている下着泥棒と、謎の紫色の塊。そして、宙に浮く謎の棒。下着泥棒のジャンパーがさっきの衝撃で弾けたのか、そいつの周りに下着が散乱していた。
「やっと捕まえたぞ『バッドスピリット』」
 どうやら、あの紫色の煙のような塊がバッドスピリットらしい。棒はその塊をなじるように、先端で突っついていた。
「えぇおい? よくも私の手を煩わせてくれたな」
 そう言いながら、棒はその先端を紫色の塊の下腹部の方に突き刺した。
「!?!?!?!?!?」
 紫色の塊は言葉にならない言葉を発しているかのように、もがいている。それによく見たら、紫色の塊は人型をしているらしく、俺の方から見ると四つん這いになった人の尻に木の棒が突き刺さっているかのような、シュールな絵面になって見えていた。
 そのまま棒はグリグリとバッドスピリットの尻を犯し続け、バッドスピリットは棒が動くたびにビクビクと体を震わせて悶えている。俺は放心状態になりながら、しばらくその光景を見続けていた。
 しばらくして、一体俺はどうしてこんなおぞましいものを見なくてはならないのだろうか? そう疑問に思い始めてきたところで、急にバッドスピリットに変化が訪れた。何度か身体をビクビク痙攣させたかと思うと、急に光に包まれ消えてしまった。
「ふぅ。きっちりイかせられた」
「あの、今のは何? 何が起きたの?」
「これが私の役目だ。バッドスピリットをイかせて成仏させる。それが、私がこの世界にきた理由だ」
 イかせて成仏させる......か。もはや何も言うまい。とりあえず、俺に起きた悪夢はこれをもって終了しましたという訳なのだから、詳しく聞く理由もない。俺の身に起きたことは、世にも奇妙な物語として永遠に心の中で封印しておこう。
 そう言えば、今何時だろう? と思い、俺は考えるのをやめた。



「クソ......門が閉まってる。どうすっかなぁ」
「ふむ。ここが貴様の通う教育機関。高校とやらか」
「......は? なんでお前までここにいるんだよ!」
 高校に到着するとすでに門は閉められており、生徒指導の担当先生が周りをウロウロとしている。どうしたものかと手をこまねいていると、後ろからあの悪魔の棒がしゃべりかけてきた。
 結局あの後、やっとの思いで俺はこのクソッタレから元の制服姿に戻してもらい、アスファルトに投げ捨てられたままの赤いボクサーパンツを履き直して急いで自転車を漕ぎ、ここまでやってきたのだが......。
 二度と追いつかれまいと、必死になって自転車を漕いできたというのに、まさかまだ悪魔の棒切れが俺の目の前にいるなんて思いもしなかった。
「お前には散々付き合ってやっただろ! いい加減どっかいけよ!」
「貴様何か勘違いしていないか?」
「勘違い......だと?」
「誰がバッドスピリットは一体だけだと言った」
「嘘......だろ?」
 棒から発せられた衝撃の言葉に、俺は力なく膝をついてうな垂れた。急に顔から血の気が引いて、貧血のようにクラクラとする。あ、頭が痛い。こいつは、俺を後何回あんな目に遭わせれば気がすむと言うのだろうか? バッドスピリットよりこいつの方が、よっぽどヤバイような気がするのは果たして俺だけなのだろうか。
「おい、倫太郎。さっさと入れ。私も、貴様の通う高校とやらに興味が出てきた」
「ふざけるな! これ以上俺の生活に関わるんじゃねぇよ! それに今俺は入りたくても入れないんだよ! 諸事情でな」
 俺がそう言うと、棒はしばらく黙ったかと思いきや急にこちらに近づき、思惑ありげと言った感じで話しかけてくる。
「なるほど。あの門と人間のオスが邪魔で入れないのだな? こう言う時、便利な魔法があるのだがなぁ」
 そう言って、棒は俺の周りをくるくると回り始めた。こいつ......魔法で俺を助ける代わりに一緒に付いてきやがる気だな。何とか俺は断る口実を必死に考えたが、結局いい方法は思いつかなかった。
 最善の策は、大人しく生徒指導の先生に怒られる事だが......。そんなのもう俺には耐えられない。何故なら、先ほどあれだけ嫌な目に遭ったのだ。これ以上は俺の精神が持たない。だから俺は背に腹はかえられず、奴の提案を受け入れるしかなかった。
「なるほど、ここが高校という施設なのだな。中は意外と広いじゃないか」
「ちょっ、黙って隠れてろ! 万が一みんなに見つかったらどうするんだ!」
「安心しろ、今は貴様以外には誰にも見えないし、声も聞こえない。その『魔法』のお陰で、貴様は無事に高校に入ることが出来たのでは無いのか?」
 棒は得意げに、俺にそう言ってのけた。実際こいつのおかげで無事、門をよじ登り生徒指導の先生の目を掻い潜って、教室まで辿り着けたのだからぐうの音も出ない。奴は『魔法』とやらで、俺の存在を周りに感知出来無くしたのだ。無論、見えないだけではなく音も周りには聞こえていない。だからこそ教室の扉の前まで来て辺りの様子を確認し、『魔法』を解除して教室の中へ入る事が出来たのだ。
 そして何とか一校時までに間に合ったのだった。担任の先生には、お腹が痛くてずっとトイレに篭っていたとやや苦しい言い訳をし、それでも何とかやり過ごす事が出来た。
 というか何で、こんな便利な『魔法』とやらを、先ほどのおぞましい戦いの中で一切使ってくれなかったのか、甚だ疑問である。この『魔法』さえあれば、先ほどまでに俺の受けた恥辱の数々の殆どを回避出来たのでは無いだろうか? この件については、あとでじっくり自称魔法のステッキと話し合う事にしよう。
 それはともかく、俺は自分の席に座りようやく一息つく事が出来た。今日ほど、無事学校に登校出来た事に感謝した日は他に無い。しかし、ここである『現実』を思い出し、頭がずーんと重くなる。
 俺の視界には未だに宙に浮く棒が見えた。それが視界に入る度に、俺はさっき起きた思い出したくも無い所業の数々を思い出さざるを得なくなってしまうのだ。
「え~突然ですが、柊静香(ひいらぎしずか)さんが諸事情により早退することになりました」
 急に、スラリとした長身のサラサラとしたキューティクルが光る黒髪と、丸メガネが印象的な担任の長門(ながと)先生が、神妙な面持ちで教壇に立ちながらクラスメイトが早退すると告げた。その様子からただならぬ事態が起きたと察したクラスメイトたちは、驚きと困惑からざわざわと小声で何かを呟いている。
 柊静香はクラスで一番......いや、学年でトップクラスの美人だ。しかも、性格は優しく気遣いの出来る人である。大和撫子を思わせる艶やかな黒髪を肩まで伸ばし、風になびかせるその姿たるや漆の如く。透き通る白い肌に、頬は薄紅色で、こんなに儚い存在がこの世にいるのか? と言っても過言では無いほどに綺麗な女性だ。天使という存在がもし本当にこの世に存在すると言うのなら、まさに彼女だろう。柊静香という人物は尊い存在なのである。
 ちなみに、俺は彼女に絶賛片思い中だ。しかし、柊静香に片思いしている奴は俺だけでは無い。クラスメイトの中でも数十人。一学年には八クラスあるのだが、その中でも数十人が絶賛彼女に片思いしているらしい。でも、それだけじゃない。二年生、三年生にも彼女に片思いしている奴がいるという話を聞いた事がある。
 つまり、彼女はとんでも無くすごい人なのだ。その彼女が、一校時がまもなく始まろうとした瞬間、早退することになってしまった。ある男子は落胆し、ある男子は涙を流して嘆いている。そんな様子を女子達は冷ややかな目で眺めていた。
 そんな騒然とした教室の中で、柊静香は担任の先生の横で、青ざめた表情をしながら目を伏せて震えている。『よっぽど体調が悪いんだろうな』クラスのみんながそう思っていた。もちろん、俺もそう思った。ただし、こいつだけは違った。俺の横で、優雅に宙を漂っている呪われた悪魔の棒だ。
「なるほど、この人間のメスは中々素晴らしい因果を持っているようだ」
 俺は棒に向かって、恐る恐る周りに聞こえないようなヒソヒソ声で聞き返した。
「一体何の話だよ。それに、静香ちゃんに向かって人間のメスなんて呼ぶんじゃねぇよ」
「貴様には分からないだろうな。まあいい、『こいつを利用』すれば私の使命がより効率的にこなせそうだ」
 おい、今間違いなく不穏なワードを聞いたぞ。『こいつを利用』ってどう言う事だ? まさか、この悪魔の棒は......俺だけでは飽き足らず、地上に舞い降りた天使にまでその毒牙にかけようとしているのではないだろうか? 俺が絶対そんなことはさせないと、ムキになって宙を漂う棒に反論しようとした時、ふと隣の席で話している女子達の話し声が聞こえてきた。
「えぇ!? 嘘、それ本当なの?」
「うん、ついさっき柊さんのお家に下着泥棒が現れたんだって」
「怖い~、それでその下着泥棒どうなったの?」
「なんかすぐ捕まったんだってぇ。でも怖いよね? もしかしたら、家の中にも入られたかもしれないんだってさ。柊さんそのせいで、今日は早退するんだって」
「やだぁ、本当に柊さん可哀想」
 え......? 下着泥棒? ついさっき? あまりにも既視感のある話に思わず、棒に向かって抗議しようとしたことも忘れて、女子達の話に聞き入っていた。
 まさか、そんな偶然......あるわけが無い。だってそうだろ? あまりにも突拍子もない話だ。柊静香の家に訪れた『下着泥棒』が、俺がついさっきまで戦っていた『下着泥棒』だなんて。あまりにも出来過ぎた話じゃ無いか! そんなこと、あり得るはずが無い。どんな偶然だよそれ? まだ宝くじ買って、百万円当てた方が現実味のある話に聞こえる。
「間違いない、あの人間のメスは人々の欲望をかき集める一種の穴のようなものだ」
「いきなり何言ってんだ腐れ棒!」
「分からないのか? 私たちが戦った場所はあの人間のメスの住処だということだ。それは、きっとただの偶然では無い。アレには恐らくバッドスピリットを引き寄せる縁がある」
 棒はそう言って、俺の額を小突き始めた。それは、今までの俺を急かしたり、脅したりする為に小突いてきたものとは違う。もっと別の......例えば『何かを閃き、興奮して友人の背中を叩く科学者』のような物だろうか。ただし、奴にとってのいい案とは俺にとってはロクでも無いものである。奴の口ぶりから察するに、この悪魔の棒は、柊静香を利用しようとしている。それも、もっとも悪どい方法で。
「それに、貴様にとってもあのメスを利用することは悪い話では無い。早く魔法少女から解放されたいのだろう? だったら、私に協力しろ。もしかしたら、本来の予定よりずっと早く使命を全う出来るかもしれん」
「だ、だからと言って静香ちゃんを利用するだなんて......しかもお前に」
「だが、バッドスピリットをこの世から全て成仏させるまで、貴様はずっと魔法少女のままだぞ? それでいいのか?」
 棒の言葉に、俺は反論する事が出来なかった。正直な話もうこれ以上魔法少女なんてものに、俺はなりたく無い。しかも、バッドスピリットなるものがあと何体存在するのかさえ、全く分からないのだ。今日は誰にも見られなかったからよかったものの、こんなことを繰り返していれば、いつか必ず誰かに見られてしまうに違いない。そうなったら最後、俺の青春は黒歴史として今後の人生の中で永遠に封印し続けなければならない。
 もちろん、彼女なんてもってのほか。それ以前の問題だ。高校だって無事に卒業出来るか分かったものじゃ無い。つまり、俺に残された選択肢は一つしかなかったのだ。

「なぁ、本当にまたあそこに行くのか?」
「もちろんだ、倫太郎。我々は、再びあそこに行くべきだ」
 放課後、俺と棒は再びあの場所へ向かうことになった。そう、下着泥棒と戦ったあの家だ。それにしても、クラスのマドンナ柊静香が俺の家から僅か、数百メートルの場所にあったなんて、信じられない。それに俺は彼女に片思いはしているものの、話したことなんてほとんど無い。
 いきなり行って迷惑じゃないかとか、こんなことならあの下着泥棒をもっとボコボコにしてやればよかったとか、下着泥棒から下着を手渡された時の下着の感触と温もりが脳裏から離れないとか、そんなことばかり頭の中で繰り返している。もしかして、俺の方が欲に溺れているのでは無いだろうか?
「そろそろ到着するぞ」
 棒の言葉通り、間も無く今朝訪れたばかりの、あの家の前に到着しようとしている所だった。そこにはもう、下着泥棒や散乱する下着などは存在せず、バッドスピリットなるものの痕跡も無い。しかし、俺はここまで来て、この住宅が柊静香の住んでいる家であるということに、未だ半信半疑だった。
「なぁ......本当にここが静香ちゃんの家だって確証はあるのかよ?」
「そんなに疑うのなら、インターホンでも押して確かめてみろ」
「えっ!?」
「どうした? それくらい出来るだろう。それで、人違いであれば杞憂で済む話ではないのか?」
「で、でもぉ......いきなり知らない人の家のインターホンを押すのはちょっと......」
「度胸のない奴だ。貴様が無理なら、私が押してやろう」
 そう言って、棒は俺の承諾を待たずに玄関のインターホンをその先端で押す。と、同時に今朝の記憶が急に蘇った。そういえばあいつ『あの先っちょの先端でバッドスピリットの尻をいじくり回していたな』と。
 家主さん、なんか本当にすみません。
 って、そうじゃないだろ。このクソッタレ棒が今まさにインターホンを押しやがったのだ。そのまま逃げてもよかったが、ピンポンダッシュなんてしようものなら、ただでさえ傷ついた柊静香の心をさらに傷つけることになってしまう。いくらなんでも、俺には彼女をこれ以上傷つけることは出来ない。意を決して、俺は扉が開くのを待つことにする。
 すると、ガチャリと中でかけられていた鍵の外れる音がなり、一拍おいて扉が開いた。
「どちら様でしょうか......?」
 玄関から出て来たのは紛れもない、柊静香だった。その瞬間、棒が悪魔のように俺の耳元で囁いた。「やはりな」と。
「あ、あのう柊静香さんですか? 俺、あの目加田倫太郎って言います! お、同じ学年のクラスメイトで......」
「クラスメイト、ですか? ああ、そういえばいつも教室の右端に座っている方ですね」
 柊静香は明らかに、俺のことをなんとも思っていないような口ぶりでそう言った。少なくとも、クラスメイトとは認知されていたようだが、促されるまで気付かない存在感というのが、実際のところ彼女の俺に対する評価らしい。
「あ、えーっと......俺はただ、帰りがけに静香ちゃんの様子を見に来たんですよ。実は俺も近所に住んでてそれでついでに......。今日早退したじゃないですか、だから心配になって」
 我ながら、なんて気持ちの悪い返答なんだ。案の定、柊静香は表情を曇らせながら苦笑いでこちらに「そうなんですか」と返答した。
 そうじゃないだろう! 俺が彼女に言ってやる言葉は、もっと他に適切なものがあるじゃないか! しっかりしろ、このままだと俺は一生童貞から卒業出来ないぞ。
 思いとは裏腹に気持ちの悪い笑みを浮かべながら、その場で挙動不審にあたふたしている。そんな様子の俺に対して、柊静香は穏やかな笑みで返事をした。まるで、この世の全ての慈愛を敷き詰めたかのような表情だと俺は思った。
「わざわざありがとうございます。ええっと、目加田倫太郎さんでしったっけ? ご心配をおかけしてしまって......すみません。実は今、色々と忙しくて......あまり詳しく言えない事情なのですが......」
 少し、暗い表情で彼女がそう語ると、柊静香の後方からきっと彼女の母親であろう年配女性の声が聞こえた。それに彼女は反応するかのように、背後を振り向く。
「今日のところはごめんなさい。明日は必ず皆さんと一緒に授業に励みますので。それでは」
 俺は彼女に何も返事をすることが出来ず、無慈悲にも彼女の家の扉は再び固く閉ざされた。
 しばらく呆然としながら俺は、柊静香の家の前で佇んでいると不意に、何かに頭を小突かれてはっと意識を取り戻した。
「やはり、あの人間のメスはこの家の住人だったようだな」
「その先端で俺の頭を小突いてくるのやめろよ!」
「貴様が、アホのようにぼーっとしているから悪い。まあ、貴様はあの人間のメスに恋心とやらを抱いているようだが、今のようなアプローチでは向こうに不信感を抱かせるだけだぞ」
「は、はぁ!? べ、別にそんなんじゃないって! 俺はただ、同じクラスメイトとして心配しただけで!」
「やかましいぞ、人間のオス。ここの住人に警察を呼ばれたくないのなら、さっさとその場を離れた方がいい」
 棒の言うことはごもっともだった。つい先ほどここで下着泥棒が捕まり、柊静香やその家族はピリピリと神経を逆立てているはずだ。さらに、周りの住民の目もある。ここは、大人しく引き下がった方が良さそうだ。
 俺は後ろ髪を引かれる思いで、柊静香の家を後にした。
「さて、私の言っていることがただの憶測ではないことは、しっかりと証明出来たはずだが」
 棒は勝ち誇ったように、抑揚のない声で俺に向かってそう言った。たしかに、こいつの言った通り、今朝俺が戦った下着泥棒は、柊静香の家から下着を盗んだ下着泥棒だった。それは、偶然と片付けるにはあまりにも出来すぎている。
 けど、俺にはどうしても偶然という結論しか思いつかない。他に一体何があるというのだろう? この悪魔の棒は『あの人間のメスは人々の欲望をかき集める一種の穴のようなものだ』と言っていた。まるで、柊静香の家にやってきた下着泥棒がバッドスピリットに取り憑かれていたのには、ちゃんとした理由があるとでも言いたそうに。
「確かに、お前の言った通りだったよ。でもな、静香ちゃんは美人で、スタイルも良くて、性格も天使みたいな人だ。普通の人より悪い人間に絡まれてしまう確率は、ずっと高いはずだ」
「それだけではない」
 棒は意味ありげに俺にそう言ってのけた。まるで、柊静香は特別だとでも言いたげな口調で。
「例えるなら、排水溝に落ちる水のようなものだ。あの人間のメスが排水溝だとして、バッドスピリットが水という訳だな」
「静香ちゃんを排水溝呼ばわりするんじゃねぇ!」
「お前のようにあのメスに対して執着する人間は、そう少なくない。これは一種の才能と言ってもいいだろう。まるで、私に『利用してください』とでも言っているかのような、こちらに非常に都合のよい才能ではないか」
「いいか、いくら何でも静香ちゃんを利用することは、俺が許さない! 何があってもだ! それにそんな、誰かを犠牲にするような方法、俺は絶対嫌だ! お前が悪い奴から人間を救う存在だっていうのなら、もっと真っ当な方法で、バッドスピリットとやらを退治しろよ!」
 俺はつい熱くなり、宙に浮いたまま漂っている棒に対してまるで罵るかのように言い放った。俺の言葉を聞いて、しばらく棒は沈黙している。俺はてっきり言い返してくるかと思い、身構えていたのだが予想外の態度に思わず立ち止まって、棒の方に振り向いてしまった。
「なんだよ......俺は間違ったことは言っていないぞ」
 俺は一言付け足すように言った。あまりにも、棒が静かなので少し不安になってしまったのだ。しかし、相変わらずふわふわと俺の周りを漂っている棒を見て、俺に正しいことを言われてぐうの音も出なくなってしまったんだなと確信した。初めてこの悪魔の棒から、主導権を奪えた気がして嬉しい。そう思っていた。
「なるほど」
 急に棒が声を上げたかと思うと、一言だけ喋った。その不自然な態度に俺は動揺して、再び宙を漂う棒を見る。
「貴様は立派な『正義』感をお持ちのようだな。だが、その『正義』で何を救えた?」
「えっ......? 急になんだよ」
「貴様のように、薄っぺらい『正義』感をかざしたアホを何度も見てきた。実に下らない。口では散々綺麗事を吐き、多くの称賛を得ているものほど『何も』していない『何も』だ。滑稽な話じゃないか? では、貴様の言う通り正攻法でやるとしよう。だが、一体全てのバッドスピリットを倒すまでにどれほどの時間がかかる? かかった時間の分だけ犠牲者は増え続けるだろう。もっと早く対処していれば幸せな一生を過ごせたかもしれない人がいて、貴様はそいつに何と言ってやれる? 私の『正義』の為に『犠牲』になってもらいました。申し訳ございませんとでも言うのか?」
「......急になんなんだよ」
「貴様の『正義』は口だけか? と言っているのだ。私があの人間のメスを囮に、もっと効率よくバッドスピリットを対処しようと言った。だが、貴様は『正義』の名の下にそれを拒否した。だったら、貴様はあの人間のメスを犠牲にせずに、尚且つ効率のよい方法を思いついたんだろうな?」
「そ、それは......」
「それとも、貴様は『あの人間のメスさえよければ』他はどうでもいいのか? 貴様の『正義』とはそういう事なのか?」
「そんなこと言われても......分かんねえよ!」
「人間というものは得てして、身近な存在しか大切に思えない。自分にとって知らない人間は、道に落ちている石ころよりも、興味が無いのだ。そして、人間は知らぬものに対しては恐ろしく残酷だ」
 俺はただ、宙に漂う棒の言葉を黙って聞いていることしか出来なかった。本当は、この悪魔のような棒の言っていることに対して、お前は間違っているとはっきり反論したかった。でも、そう言おうとして息が詰まる。あいつの言っていることは間違っているんだと、自分に言い聞かせようとして、やっぱり声が出ない。
 あいつの言葉はなぜか、耳に痛く聞こえたんだ。
「この世に『正義』なんてものは存在しない。あるのは、一人一人内に抱えたエゴだけだ。しかし、私は救わねばならない。不本意ながら、それが私の存在する理由だからな」
 そう言った奴の声は相変わらず、怒っているのか、笑っているのか、泣いているのか、はたまた俺をバカにしているのか分からない。抑揚の無い無機質な声だ。けれど、なぜか知らないけどほんの少しだけ、奴から寂しさのようなものを感じた。
「俺には、お前が存在する理由なんて全く想像出来ねぇよ」
「おしゃべりが過ぎたな。貴様には関係の無い話だ」
 そう言って、宙を漂う奇妙な棒は俺から離れるように、先頭を進みだした。まるで、ばつが悪そうな感じでそそくさと俺から離れたそうに前を行く。
「待てよ」
 俺は前を進む棒に対して、呼び止めるように言った。わずかにその動きが止まる。まるで、振り返ってこちらを見ているかのように。
「俺はお前の言う通りバカだ。だから、お前が言った以上にいい方法なんて思いつかねぇ。頭の中では、みんなが幸せになれる方法は必ずあるって、思ってたんだけどな。残念ながらそれは見つからなかった」
「何が言いたい?」
「お前の言う通りにする。ただし、俺は全力で柊静香ちゃんを守る。お前は、お前のやるべき使命とやらを真っ当する。それでどうだ? それが、俺のバカなりの頭で考えた最善の策だ」
 俺の言葉に肯定する訳でもなく、返事をする訳でもなく、棒はただその場で宙に浮きながら止まっている。だが、何となく目の前にいる宙に浮いた棒と俺は、この時ばかりは意見があったような気がした。
「行くぞ」
 宙に浮く棒はそう一言だけ呟くと、俺を先導するかのように前をずんずん進んでいく。俺はそれに置いて行かれないように、早足でついて行った。



 時刻は午前八時を過ぎた頃。普段自転車通学の俺なら絶対に利用しない、住宅街から徒歩数十分ほど離れた駅のホームに、俺は立っていた。それもこれも、あの悪魔のような棒の指示によるものだ。
 あれから俺は、あの世にも恐ろしい棒に『柊静香の監視と保護』を命じられた。だから俺は、彼女の通学状況をリサーチして、まるで探偵のように今もこうして彼女の後をつけている。あれから、俺はクソッタレ棒の言う通りに、彼女の学校での行動や登校や帰宅時間と方法までも調べ上げ、バッドスピリットに取り憑かれた人間の痕跡が無いかを確かめていた。はたから見れば、俺の方が危ない奴でストーカーに間違われても仕方が無い。
 そうこうしている内に、初めて俺が悪魔の棒と出会ってから早一週間が過ぎた。あれから以前戦った下着泥棒のような、人間を二人ほど退治した。柊静香は棒の言っていた通り、多くの邪な欲望を持った人間を引き寄せる。
 そして現在、俺は駅のホームで柊静香の後を追っていた。柊静香は普段、通学には電車を利用しているようだった。無論、彼女が誰かに襲われれば俺は助けるし、それがバッドスピリットに取り憑かれた人間だと言うのなら尚更だ。あの日誓ったんだ。あの棒切れにいいように言われて、言い返せないようなことしかしてこなかった自分を変える為にも。絶対、柊静香は俺が守る。
『二番線ホームに電車が参ります』
 駅に取り付けられた案内用のメガホンから、電車到着のアナウンスが流れた。たしか、俺の通う高校に向かう為には、この電車に乗らなくてはならなかったはずだ。恐らく、柊静香も同じようにこの電車に乗るだろう。俺は見失わないように彼女の後を追った。やや駆け足になりつつ、二番線の方に向かう。
 駅には、元々並んでいた人から、アナウンスを聞いて慌てて並び出した人まで、一緒くたにやってきてかなり混雑してきている様子だった。何とか人混みをかき分け、二番線に到着する電車の三両目のドアに並ぶ行列の後ろにつくと、すぐ隣の二両目の行列の方に、並んでいる柊静香が見えた。何とか、彼女の姿を見つけられたことにより、俺はほっと安堵のため息をつく。
 この一週間色々悩んだし、彼女が襲われる夢を見て飛び起きるということが何度もあった。だからこそ、いつも通りの日常を送っているらしい柊静香の様子を確認出来たのは、俺にとってこの上なく嬉しいことだった。
「おい、倫太郎」
 魔法で姿を消して、俺にしか認識出来なくなっている棒が急に声をかけてきた。普段なら、柊静香を尾行している時の俺に、こんな風に話しかけてはこない。ということは、つまり何かヤバい事が起きたということだ。この一週間、こいつとは不本意な共同生活を強いられてきたが、おかげで意思の疎通みたいなものが出来てきている。
「まさか、バッドスピリットか?」
 俺は周りに聞こえないように小声で聞き返した。棒はその先端を折り曲げ、肯定の意思を示す。まずい、こんな満員電車の中で、バッドスピリットに取り憑かれた人間なんかに襲われたら......思わず想像してしまい、悪寒が背中を走った。けれど、一体俺はどうすればいいんだ? まさか生身のまま、あの化物共と戦わなければならないのか。そう思い戦慄した瞬間、棒が突如恐ろしいことを言い始めた。
「ここで変身しろ」
「は?」
 あまりにも突拍子の無い言葉に、俺は周りの目を気にすることが出来ず、大きな声で聞き返してしまった。ハッとして、気付かれないように顔を伏せて押し黙る。駅のホームで電車を待っている人たちは、一瞬こちらを見たものの、すぐに目線を元に戻した。
 一体この悪魔の棒は何を言っているんだ! 人前で変身するなんて、俺に死ねと言っているようなものだ。この一週間、俺は魔法少女として何回か戦ってきたが、どれも幸運なことに、人に見られずにすんでいた。ちなみに透明化の魔法は、バッドスピリットを誘き出す為には本人に認識され、なおかつ挑発してその内に秘めた欲望を具現化しなくてはならない為、奴らと戦うときには使えないらしい。
 だからこそ、運と努力の結晶を無にする提案に、俺は首を横に振り拒否の意思を示す。
「このままでは多くの人が不幸な目に遭うぞ?」
「そんなこと言われても、無理なものは無理だって!」
「そうか。では貴様の言った『最善の策』とはその程度のものだったのだな。結局は、我が身可愛さに多くの人を見捨てる。貴様という人間のオスは、その程度の人間だった訳だ。あの人間のメスを守ると言った覚悟の言葉も、程度が知れる」
 悪魔の棒の挑発的な文句に、ムカムカと腹が立ってくる。この野郎......言わせておけば! やってやる、やってやるよ! やりゃあいいんだろ!? 俺は魔法少女になったあの日から、恥も外聞も無いに等しい男になってしまったんだ! 今更、人に見られたところで、動じるものか!
 内にふつふつと湧きあがる怒りのマグマに感情を任せるように、俺は宙に浮いているくそったれの棒切れを右手で乱暴に捕まえると、行列から少し離れた、比較的周りに誰もいないスペースで意を決して叫んだ。
「プリティィィィィィチェェェェェェンジィィィィィィ!」
 突然、男子高校生の雄叫びが、早朝のホームを木霊し始めたので二番線ホームに通勤、通学の為に並んでいた人たちは、ビクッっと身体を震わせて声のする方へ一斉に振り向く。
 そして目を疑った。なぜなら、ついさっきまでそこにいた男子高校生は、まるっきり別の姿に......いや厳密にいえば、顔や身体はさっきとまったく変わらない恰好だけふざけた、コスプレをした不審者が立っていたのだから、一瞬何が起きたのか分からずみんな目を見開いていた。
 俺はそんな周りの様子など意にも介さず、再び三両目の一番後ろの列に並び直した。
「ふん、少しは成長したらしいな」
「うるさい! お前に褒められても、ちっとも嬉しくないんだよ! 俺はただ、守りたい人を守る為に、プライドを捨てただけなんだからな!」
「そうか、結構。前をよく見ろ、電車がやってきたぞ」
 なんか上手く乗せられてしまったような気がしてならないが、仕方ない。こうなりゃ、何としてでも柊静香を守り抜くぞ! そう意気込み、俺は恥ずかしさなど何処吹く風と言った態度で、今か今かと電車が止まるのを待った。
 ホームに停車した電車の扉が、まるでどこからか空気の抜けたような音を出して、一斉に開く。俺は身を縮こまらせながら、列に従い順番に三両目のドアから中に入っていった。そう言えば、柊静香は二両目の列に並んでいたな。もしかしたら、俺が魔法少女に変身したところを見られたかもしれない。あの時、一斉に大勢の人がこちらに向いたので、一人一人誰がこちらを見ていたかなんて、確認している余裕は無かった。見られていたとしたら、非常にまずいことになる。
 でも、遠目からでは、まさか同じクラスメイトの目加田倫太郎だとは思うまい。いや、絶対にそうだ。もし柊静香に俺だと気付かれてしまったのなら、きっと彼女に変態だと思われ、告白する前に俺の恋は儚く散ってしまうことになる。
 頼むからそんなことにはならないようにと、両手を握り必死に祈った。
 電車の中に入ると、そこにはもうすでに多くの人が電車の中で待っており、すし詰め状態だった。無理やり中に入ると、すぐに俺は前からも後ろからも、ギュウギュウに押されることになる。非常に苦しい。柊静香は、本当に毎日こんな状態で登校しているのだろうか? 俺にはきっと真似出来ない。
 それに満員電車の中は、みんな自分のことに必死みたいで、俺のような頭のおかしい格好をした男を見ても、誰も気にしない。というか、気に出来ない様子であった。そして俺も今、自分自身のことで精一杯である。
 電車が動き出すと、体が何かに引っ張られる感覚がして倒れそうになった。しかし、周りは三百六十度人の塊で、それがクッションになり完全に倒れることはない。こんな状況で本当にバッドスピリットもとい、取り憑かれた人間は柊静香の元に現れるのだろうか?
「おい、倫太郎」
 疑問に思い始めてきたところで、急に棒が話しかけてきた。だが今はそれどころじゃない。首さえ満足に動かせないこんな状況では、常に俺の周りを漂っているはずの、棒の姿さえ確認することも出来ないのだ。こんな状態で一体どう返事しろっていうんだ?
「強い気配を感じる。間違いない、バッドスピリットだ。このままでは、柊静香が危ないぞ」
 突然の宣告に、俺は急に危機感を覚えた。ここは、三両目の中央付近。柊静香は二両目だ! こんなところで悠長に突っ立っている訳にはいかない。何が何でも二両目に行かなくては!
 俺は、必死に体をくねらせながら人混みの中を無理やり突き進んで行く。しかし、想像したよりもずっと進みは遅く、はやる気持ちを抑えるのに必死だった。それでも何とか、俺は二両目にたどり着いた。もう手遅れかもしれないという嫌な予感だけが脳裏に過ぎる。急いで二両目と三両目を繋ぐ扉を開け、再び人混みへと飛び込んだ。
 しかし、ここはあまりにも人が多い。一体どうやって、柊静香を見つければいいんだ! 俺は動揺を隠しきれず、慌てながら必死に満員電車の人混みをかき分け進む。その間、頼むから無事でいてくれ! と俺はずっと心の中で願っていた。
 すると間も無く、駅のホーム側の扉に柊静香の姿を見つけた。彼女は扉側に顔を向けた状態で立っている。内心ホッとした、彼女は無事だ。しかし、自称魔法のステッキはそうは思っていないみたいで、俺に「早くあの人間のメスの所に行け」と言ってくる。
 断る理由も無かったので、俺は言われた通りにまた人混みをかき分けつつ、柊静香のいる場所まで近づいていった。すると、人間一人分までの距離まで近づいて、初めて俺は彼女の異変に気が付いた。柊静香は顔を強張らせながら、涙目で必死に何かに耐えているような仕草をしている。
 一体何なんだ? と思い、彼女の方へさらに近づくとその『元凶』が見えてきた。彼女は痴漢されていたのだ。年齢が五十代くらいの、頭頂部がハゲ散らかっている脂ぎった肌をした、サラリーマン風の中年男性だ。
 反射的に体が動く。気が付くと、俺はおっさんの手首を思いっきり掴みながら捻り上げていた。
「そこまでだ」
 とっさに声が出る。心は、燃え盛る怒りの炎で震えている。
「な、何だお前は!」
「魔法少女プリティメアリーだ!」
 なるほど、意外と悪くないな『魔法少女』になるのって。なんてこの時までは思っていたのだが......。

「酷い目に遭った......」
 言葉では言い表せない色々なことが、俺に起きたんだ。とりあえず、言いたいことはいっぱいあるが、この一言で察してくれ。
 結局あの痴漢も、バッドスピリットに取り憑かれていて、この時ばかりは『姿を消す魔法』が役に立った。駅員に捕まり、いろいろ事情を聞かれ、挙げ句の果てには警察まで呼ばれてしまったので苦肉の策だったのだ。なんと駅員は、俺の方をやばい奴だと思っていたらしく、しつこく事情を聞かれてしまった。
 中年親父の痴漢野郎はすぐに解放されて逃げていたので、警察に捕まる前に俺は姿を消し、すぐに追いかけて、おっさんの尻の穴ごとバッドスピリットに棒を突っ込んで昇天させてやった。
 棒は、今日の出来事を日記帳のようなものに記録していた。しかし、ただの棒であるこいつに道具を持つことは出来ず、魔法の日記帳のようなものに対して、直接喋ることにより内容が記録されていっているようだ。こいつは、『記録だよ。この世界の調停者として、客観的な視点から行使した成果を、正確に記録し報告しなければならないだろう?』と言い、その日記張のようなものに今までの出来事を毎回記録しているらしかった。
 だが、この宙に浮く棒は、『正確に記録し報告しなければならない』と言っているが、俺にとってはその日記帳の内容は、随分主観的な内容が含まれていて、小学生が夏休みの宿題に提出する絵日記帳と大差無いように思う。
「よしよし順調だ」
 急に棒は、抑揚の無い声で満足そうに言った。
「順調そうでよかったね。けど、こんなこといつまで続ける気だ?」
 俺の、ややトゲのある質問に棒は、当然だとばかりにこう言った。
「無論、全てのバッドスピリットを消し去るまで」
「でもさ、それっていつだよ? 今回は大丈夫だった。でも、その次は分からない。そのまた次も、そのまたまた次も、静香ちゃんが無事でいるという保証は無い。いつか、俺たちの力の及ばないバッドスピリットが現れて、それこそ彼女を守りきれなくなるかもしれない」
「そうはならないとは言えないな」
「じゃあ! 一体いつまで彼女を囮にし続けるつもりなんだよ!? いくら何でも、酷すぎるだろ......これ以上は俺は耐えられない」
「じゃあ、どうする? やめるか?」
 棒の問いに俺は答えられなかった。ただ、黙って不貞腐れながら俯いているだけ。俺のその様子を非難するでも無く、かといって、完全に無視するわけでも無く俺の周りに漂ったままの自称魔法のステッキ。
 分かっているさ。現状、バッドスピリットをどうにかする為には、彼女を利用しなければならないって。その他にいい案があるわけでも無い、どうすることも出来ない。いつ終わるともしれないこの戦いに、一体誰が終止符をうってくれるというのだ?
 正義ってなんだ? 助けるってなんだ......俺は一体誰の為に戦っているんだ。いや、俺は誰の為に戦っているわけじゃ無い。結局は、自分の為に戦っているんだ。この宙に漂う棒から解放されるため。バッドスピリットなる得体の知れ無い物から、柊静香を助ける為。全く知らない、顔も見たことも無い、誰かをバッドスピリットの脅威から救う為。
 それら全て、醜い承認欲求や自分自身の利益の為だ。誰の為でも無い......俺自身を満たす為に、俺は戦っている。もしかしたら、バッドスピリットよりも俺の方が『欲』にまみれているのかも知れない。でも、そうだとしても、俺は守りたい。柊静香という個人では無く、苦しんでいる誰かの為に、俺は戦いたい。
 多分それが俺の『欲』なんだ。



 翌日の放課後、再び柊静香が襲われた。この一週間、俺は彼女を追い続けているが、どうやら襲われる頻度がどんどん増えているように思える。このままでは、俺とこの棒だけでは対処出来無くなるかもしれない。そうなれば、柊静香がいつかバッドスピリットや取り憑かれた人間に襲われ、心に一生傷を伴う事案だって起きてしまう可能性もある。
 最初は、彼女に対して邪な気持ちを抱いて、もしかしたら今よりお近づきになれるかもしれない。上手くいけば、デートして彼女になってくれるかもなんて思っていた。けれど、今は違う。全く気持ちが無くなったわけじゃ無いけど、俺にとって『彼女を守る』ことが一種のアイデンティティになってきたわけだ。『魔法少女』としての、俺のアイデンティティだ。何とかしないと......しかし、焦るばかりで事態は一向に進展しない。
「なかなか、魔法少女が板に付いてきたじゃないか、倫太郎」
 半ば、作業とかしていたバッドスピリット退治。今回は体育教師が放課後、柊静香を体育館裏に呼び出して、襲いかかってきた。透明化の魔法で体育教師を足止めし、柊静香を無事逃したところで姿を現して、尻の穴を棒で突き刺し、昇天させる。そして変身を解き俺は元の男子高校生に戻るのだ。
 一連の流れがひと段落したところで、宙を漂う棒が一言、まるで俺を労うかのように呟いた。
「きゃあああああああ!」
 突如、けたたましい叫び声が聞こえる。
 紛れもない、柊静香の声だ。
「一体何が!?」
 俺が驚いた表情で、棒に問いかけると、棒は抑揚の無い声だったが、しっかりとこちらにも動揺が伝わるような口調で早口にまくし立てた。
「まさか、そんなはずは。なぜバッドスピリットの気配が......」
「バッドスピリットだって!? また新しい奴が近くにやってきたのか?」
「違う......これは、先ほどの......」
「さっきの!? いや、あのバッドスピリットは俺たちがちゃんと昇天させたじゃないか!」
「イかせそこねていたのか......もしかすると、我々が今まで戦っていたものとは違う......」
「なんだって......?」
「これまでより強力な奴だったということだ。我々は、あの柊静香という人間のメスの特異体質を利用して今までバッドスピリットを引き寄せていた。それは、私が思っていたよりも遥かに強力なものだったのかもしれない」
「つまり......どういう意味だよ!?」
「多くのバッドスピリットを一度に引き寄せ過ぎたのだ。一体ずつであれば、どうと言う事は無い。しかし、複数の個体が一つに集まったとするのなら......」
「まさか......! そんなことって......」
「すぐに行かねばなるまい。今度こそ、柊静香の身が危ない」
 常に考えていた、最悪の事態。それが今まさに起ころうとしている。考えたく無いことが、ぐるぐると俺の中を駆け巡っていた。今までだって、運が良かったと言われればそうとしか言いようのない戦いだった。だって、俺はただの高校生で何か特別な、技術や才能を持って魔法少女になった訳では無い。ただの一般人が粋がって、正義に酔いしれていただけなのだ。
 それに......今回俺は、重大な決断をしなければならないかもしれない。
 時刻はすでに六時を過ぎている。辺りは見通すのも難しいほどに暗くなり、学校の周辺を眩い照明が照らしているだけになっていた。日が沈み辺りが静寂の闇に包まれる、そんな時刻。空からぱらぱらと雪が舞う。木霊する柊静香の叫び声とは裏腹に、辺りは静けさに包まれていた。
 グラウンドの中央、校舎の照明に照らされ、まるで舞台の中央に、スポットライトに当てられたお姫様のごとく浮かび上がる柊静香。そして、彼女に襲いかかるバッドスピリット。まさか、アレは柊静香に取り憑こうとしているのか! そうはさせないと、俺は全速力で彼女の元へ走って行く。だが、途中で重大なことに気が付いてしまった。
 俺は、柊静香をバッドスピリットから助けるためには、変身しなくてはならない。『魔法少女プリティメアリー』に。
 それはつまり、俺はどうしても柊静香の前であのふざけた格好をしなければならないという事。彼女が、とても優しい人物だという事は、十分知っているつもりだ。しかし、その優しさはあくまで一般人に対してのもの。電車での痴漢の件もある。つまり、俺が彼女の前でもう一度あの格好をするということは、俺の恋はもう二度と実る事は無いという事に等しい。
 それでも、俺は柊静香を守れるのか? 決断の時は、刻々と迫っていた。
 俺ははぁはぁと、息を切らしながら紫色の塊に、今にも取り込まれそうになっている柊静香を目の前にして、未だに迷っていた。彼女を助ける為には、絶対に魔法少女に変身しなければならない。それなのに、俺にはそれが出来無い。恥ずかしいとか、嫌われるとか、そんなちっぽけな感情で俺は自分がさっきまで成そうとしていた、大義さえ見失いそうになっている。
「どうすりゃいいんだよ......俺、一体どうすれば......?」
 柊静香を目の前にして、俺はうわ言のようにそう呟いていた。それを見かねたのか、棒は俺の額をいつものように小突くと、気合いを入れろと言わんばかりに俺に言ってのけた。
「どうすればいいか、だと? くだらない。今更何を悩むというのだ? 待ちに待った『柊静香を助ける』時が来たのだぞ? 今までの茶番とは違う。貴様の、あのメスへ思う気持ちが本当なら、為すべき事は一つだと分かるはずだ」
 そう言って、棒は俺の頬をそっと叩いた。
「気をしっかり持て。おそらくこれが『最後』の戦いになる」
 そう言った棒は、いつものように抑揚の無い声で俺にしゃべりかける。ただ、少しだけいつもより、優しい気がするのはなぜだろう?
「お望み通り解放してやると言っているのだ。倫太郎」
 今度は俺に叱咤するように、俺の正面から力強く言った。
「唱えろ倫太郎、プリティチェンジと。ここからが『魔法少女』としての真の戦いだ」
 正直、まだ俺は迷っている。いろんなことが頭を渦巻いて、暗闇の中を手探りで歩くような感覚に近い。でもそうだ。俺には、はっきりと分かっていることがある。バッドスピリットから柊静香を救えるのは、おそらく現状俺一人なのだと。
「プリティィィィィィチェェェェェェンジィィィィィィ!」
 あらん限りの声を張り上げ、俺は叫んだ。もちろん、俺の声は周りにこだまし、柊静香にも聞こえたようだ。
「えっ......貴方は、目加田倫太郎さん? どう......して?」
「静香ちゃん......」
「いやぁぁぁぁぁぁ!」
 暗闇に包まれた校舎に彼女の悲鳴が木霊する。もしかしたら、柊静香の悲鳴を聞きつけて誰かがやってくるかもしれない。はたまた、通報され警察がやってくるかもしれない。つまり、俺に残された時間はそう長くは無い。
「もう二度と悲劇を繰り返さない為にも、ここで決着をつける」
 棒は囁くように言う。俺は静かに黙って、柊静香の方をじっと見ていた。
 彼女に変態だと思われたからか? それとも、ほんの僅かな淡い期待さえも奪われたからなのか。ズキズキと心に痛みが広がっていく。恥ずかしさ、悔しさ、恐怖。どれとも言えない感情が俺の決意を奪おうと、腹の中でぐるぐると渦巻いている。
 そんな俺の様子に、棒は何かを決意したように俺に対して「握れ」と俺の右肘を小突きながら言ってきた。はっとして俺はすぐに棒を握り、臨戦態勢へと移った。
 そうだ。こんなのまだ序の口に過ぎないんだ。まだ、やるべき事は残っている。バッドスピリットを退治するためには、そう......『あれ』をやるしかない!
 俺は好きになった女性に対し、助ける為とはいえ、この世の何よりも最低な事を行わなければならなかった。全身から冷や汗が溢れ、足はガクガク震えている。髪の毛には雪が薄っすらと積もっていた。それにいつまで経っても呼吸が整わない。
 こんな状況で本当に俺は、彼女を救うことが出来るのか? 柊静香にとっては、訳の分からない化け物に襲われたかと思えば、魔法少女のコスプレをしたクラスメイトの男子に、襲われる。彼女にとってこの上ないトラウマになるのでは無いだろうか?
 いっその事......全てを放り出して逃げ出したい。
 だが、自称元神様は言った。『もう二度と悲劇を繰り返さない為にも、ここで決着をつける!』と。だったら、俺のやることはただ一つ。それに応えることだ。ああ、そうか。やっと分かった。正義とは何か。誰かを助けるとは何か。
 俺は、俺という人間が自分を犠牲にしても誰かを救える人であることに感謝した。
「いくぞ!」
 俺は自分自身に気合いを入れる為に声を張り上げて叫んだ。
 紫色の醜いぶよぶよした塊は、まるでヘドロや膿のようにも見える。そんな醜悪で大きな塊に、柊静香は捕らえられ、その中央に縛り付けられた格好で苦しそうに呻いている。今まで通りのセオリーでいいのなら小難しい小細工は使わず、ただ殴ればいい。
 今回だって、今までだって変わらない。やる事は一つのなのだから。
 俺は魔法少女らしからぬ豪快なフォームから思いっきり振りかぶり、右手に握りしめた棒にあらん限りの力を込めて放り投げた。そうだ、初めてバッドスピリットを退治した時と同じように、俺はこの自称魔法のステッキで自称神様のこいつをぶん投げる。
 棒は、一直線に一つの大きな塊となったバッドスピリットの元へと飛んでゆく。さながら地平線を平行に突き進むミサイルのような挙動で、空中を舞う雪やグラウンドの砂を巻き上げながらバッドスピリットのぶよぶよとした腹に突き刺さった。と、同時に眩い光に辺りは包まれる。
「やった......のか?」
 思わず俺が呟くと、途端にあれだけ眩しかった光は大人しくなり、再び辺りは暗闇と照明の明かりだけになる。柊静香の方を確認すると、うつ伏せで倒れている人影が見えた。
「静香ちゃん!」
 俺は走って側へと駆け寄った。近くに寄るたびに、倒れている人影の姿がほのかに浮かび上がってくる。間違いなく、目の前でうつ伏せになっている人影は柊静香だ。紫色のぶよぶよに包まれていた先程までの彼女とは打って変わって、非常に華奢で触れれば消えて無くなりそうなほど儚い存在に俺は、一瞬近づくのを躊躇してしまう。
「まだ終わっていない」
 突如、俺のすぐ横から抑揚の無い声が聞こえた。間違いない、元神様で、自称魔法のステッキの、宙に浮く棒だ。しかし、俺はここまで来てこいつの言葉の真意を計りかねていた。
「ど、どういう意味だよ? これで、全部終わったんだよな? お前がバッドスピリットを昇天させたんだ。これで、何もかも解決したんだよな?」
「いや、倫太郎。知っているだろう? バッドスピリットを昇天させる為には、『何』をしなければならないのか」
俺は思わず口をつぐみ、いつの間にか溜まっていた唾をごくりと喉を鳴らして飲み干した。
「まさか......」
そう言いかけて、続きの言葉を口から出すことが出来ない。
「そのまさかだ。そして、私は塊になっていたバッドスピリット供にダメージを与えて弱らせる為に、だいぶ力を使ってしまった。私はもう自分の力では、バッドスピリットを昇天させる事が出来ない。やって、くれるな?」
「俺が......彼女を? 静香ちゃんを、昇天させなきゃならないのか?」
 その言葉に返答する代わりに、棒は俺の右の掌をそっと優しく叩いた。俺に握れと言っているらしく、俺はそれに応じるためにグッと右手に力を込める。
「ごめんよ......静香ちゃん。君の為なんだ!」
 俺がそう言った瞬間、気絶していたらしい柊静香は目を覚まし、何かを確認するかのような仕草で、こちらの方へそっと顔を向けた。
「えっ......? 私は一体」
「ごめん、本当にごめん、静香ちゃん」
 柊静香は困惑したような表情で俺の方を見る。まるで、純真無垢な、これから何が起きるかさっぱりわからないといった表情で。
「倫太郎......さん?」
「うぉぉぉぉぉぉ! 神よお慈悲をぉぉぉぉぉぉ!」
「えっ? ちょっと何をしているんですか? ちょっと待ってください。その手に持っている棒は一体なんですか? えっ? ちょっと本当に何をしているのですか? ちょっと待っていただいてよろしいですか? いやいや、倫太郎さん何をしようとしているんですか......? どうして私の背後に立っているんですか? 倫太郎さん......? 倫太郎さぁぁぁぁぁぁん!」
「静香ちゃぁぁぁぁぁぁん!」
「いやぁぁぁぁぁぁ!!!」
 暗闇の中男女の、叫びとも、獣の鳴き声とも似つかない悍ましい音がグラウンド中に響いた。
 全てが終わった。ところで今日はホワイトクリスマスか。
 ひとしきり柊静香に殴られた後、俺の恋は無残に終わってしまった事に気が付いた。いや、終わったのは果たして恋だけだろうか? もっと色々失った気がする。いや、これから失うのかな?
 もうどうでもいいや。


 あれから俺の日常は元通り......になる訳ないよな。
「なんで、お前がまだここにいるんだよ。これが最後の戦いだって言ってたじゃないか!」
「確かに私は最後の戦いと言った。もちろん、私も最後の戦いにするつもりだったさ。しかし、貴様以上の後継者が未だに現れないのだ。次の世代に引き継ぐのも、現役の魔法少女、プリティメアリーである貴様の役目だぞ」
「ふざけるなよ......もうあんな格好するのは勘弁してくれ!」
「何を言っている? 契約したからには最後まで私に付き合って貰うぞ、プリティメアリー」
「その名前で俺の事を呼ぶなー!」
 柊静香をバッドスピリットから救って数日後、彼女はしばらく学校を休んでいたが、前より少し明るくなって帰ってきた。元気そうな彼女を見るたびに、少なくとも俺の努力は間違いじゃなかったんだなと、嬉しくなる。ちなみに、彼女は事件当日の記憶がどうやら曖昧らしい。話によると、相当のショックがあったらしいが、それ以上は聞くべきでは無い気がして彼女に関する話は聞かない事にした。
 そして、残念な事に未だに俺は『魔法少女プリティメアリー』だ。
 この前の戦いで、俺はついに『魔法少女』という呪縛から解放されたのだと、喜んでいたのだがそれはすぐにぬか喜びだったと思い知らされる。
 なにせ、宙に浮かぶ悪魔の棒は未だに俺の側から離れていない。
 魔法少女の後継者が現れるまで、俺が引き続きバッドスピリット狩りを行う事になってしまったのだ。
「おい、棒! あの......やっぱりあの格好をしなきゃだめなのかよ?」
「当たり前だろう。倫太郎は、『魔法少女』なのだからな。というか、私は棒という名称では無い。魔法のステッキと呼ぶがいい」
「それはもういいよ! いや......ね? もう雪降ってるし」
「何が言いたいのだ?」
「やっぱりこの魔法少女の格好って、冬の服装としては布が薄すぎるんじゃないの?」
キーゼルバッハ

2018年12月30日 14時51分47秒 公開
■この作品の著作権は キーゼルバッハ さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆テーマ:冬の服装

◆キャッチコピー:貴方もきっと魔法少女になれる!
 
◆作者コメント:
  冬企画開催おめでとうございます!
  再び、この企画に参加出来るということを非常に嬉しく思っており
 ます。冬企画を開催してくださった主催、ならびに運営の皆様には深
 く感謝致します。
  少しでも、企画の盛り上がりに貢献出来る様、微力ながら参加させ
 て頂きますので、よろしくお願い致します。

2019年01月13日 23時36分50秒
+10点
2019年01月13日 23時28分59秒
0点
2019年01月11日 19時56分13秒
+10点
2019年01月05日 13時07分30秒
+10点
2019年01月04日 23時17分19秒
0点
2019年01月02日 16時49分51秒
0点
2019年01月01日 10時27分10秒
+20点
合計 7人 50点

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