冬のライオン

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――今日もか
 まぶたを降し、時間の経過をいくら待っても睡魔は誘い出されてはくれない。
 すでに睡眠導入剤は服用している。増やすには医者の許可が必要。
 暗澹としながらも、まぶたをあげると、照明を落とした部屋の中央に男の背中が見えた。
 首に巻かれた縄は太い梁から垂れ、男の全体重を支えている。
 それもまたいつもの光景だった……。


■1

 窓をすり抜ける冬の日差し。
 物が少ないマンションの一室。
 壁越しに聞こえる洗濯機の稼働音……。
 知覚できるものを言語化していると不意に扉が開く。どこか楽しげな少女が部屋をのぞき込む。
「あっ、和歌(わか)くん起きてる」
 小柄な身体に“飛べない鳥”(ペンギン)が描かれたエプロンを巻いた少女が僕の名を呼ぶ。
 彼女の名前は青空(あおぞら)翼(つばさ)。公立の中学に通う2年生。
「パン、もうすぐ焼けるから」
 翼ちゃんは焼きたてを食べたほうが美味しいと教えると、まだ微睡んでいる僕を残して去っていく。
 のそのそとベッドから這い出ると肌にひんやりした空気が触れた。
 日差しは暖かいのに空気はまだ冷たい。そんな不調和を受け入れながらも寝間着から普段着へと着替える。
 おもむろに天井を見上げるけれど、そこにはスイッチの切ったままの平たい照明があるだけだった。


 洗濯機が仕事を終えたことを電子音で報告すると、今度は耳に馴染みのある鼻歌が混ざり込む。壁越しなせいか歌詞は上手く聞き取れない。
 ダイニングにたどり着くときつね色に焼けたトーストの他に、ベーコンエッグとちぎったレタスも用意されていた。香ばしい香りがお腹に住み着いた虫を活発化させる。
「おはよ、和歌くん」
「おはよ、翼ちゃん。でもその呼び方やめない? 恥ずかしいから」
 来年、アラサーの仲間入りする女として、女子中学生から『くん付け』で呼ばれるのはさすがに抵抗がある。その意図は伝えてあるのだけれど、『だって、和歌くんってば、クラスの本好きの男子にそっくりなんだもん』と言われてそれっきりだ。いまもまだ改善される兆しは見あたらない。
 ちなみに、その本好き男子の話題はそれっきりだったので、彼女がその子にどんな印象をもっているのか定かではない。
 まぁ、僕に似てるってことはあまりよくはないんだろうな。
 女らしくも、社会人らしくもなくて、高校だって中退。さらには女子中学生フォローされなければ、家事もままならない駄目人間。
 少々察しが悪くても、ここまで駄目だとしっかり自覚できる。
「ところで今日って平日じゃない?」
 音のない時計は丁度9時を表示していた。平日ならすでに授業がはじまっている時間だろう。そうにも関わらず翼ちゃんは「そうだよ」と平然とこたえた。
「でもね和歌くん、今日はね11月23日なんだよ」
「…………勤労感謝の日?」
 笑顔でアタリであることを告げられるけど、勤労してない身としてはあまり喜ばしくはなかった。むしろ惰眠をむさぼっていたので申し訳ない。
「なんで今日きたの?」
 彼女には家事のバイトをお願いしている。でもそれは火曜日と木曜日の放課後の時間だけ。祝日であることは、午前中に押しかけてくる理由にならない。
「今日あたり、天野センセがお仕事はじめるんじゃないかな~って思ったから」
「ごめん」
 期待にこたえられないと謝罪すると、翼ちゃんは芝居がかった仕草で肩を落として見せた。
 自分でもこのままじゃいけないと思ってはいる。でも思うだけで変革できるほど世界は優しい構造をしてはいない。あるいは僕の性根の悪さが問題か。
「そういえば、洗濯機とまってたけどいいの?」
「あっ、早く干さなきゃ」
 冬の短い日差しを懸念して、翼ちゃんは急いで洗濯物をとりにいく。
 ダイニングにひとり残された僕は、再開された彼女の鼻歌を聞きながら遅めの朝食をいただく。
 僕の名前は宍戸(ししど)和歌。職業は作家で『天野(あまの)灯(あかり)』というペンネームで活動している。
 もっとも、本を出さない人間をそう呼んでも問題なければなの話だけれど。


■2

 仲間たちと笑い合う高校生。
 厳しい顔で携帯電話を怒鳴りつけるスーツ姿の中年男性。
 咳をしている子供を放置し、忙(せわ)しげにゲームを続ける母親……。
 昼近くの山の手線は、ラッシュこそを終えていたけれど、それでも相応な数の客を抱えていた。
 僕は自身をその風景の一部に付け加えながら、あたりの様子をノートに綴る。
 文章練習兼ネタ集め……に見せかけたただの惰性だ。作家が文字を書いているからといって、必ずしも意味のあるものとは限らない。
 そんな怠惰な作業を繰り返していると、いつの間にかノートは最後の頁を迎えていた。
 仕事で書いてるわけではないので、無理に書き続ける必要ない。
 書くのをやめて車内で無為に時がすぎるのを待っていてもいいし、電車を降りてノートを買いに行ってもいい。書くこと自体が惰性なのだから、どちらを選んでも本質的にはおなじことだ。
 ふと、白髪頭のおばあさんが乗り込んで来るのが目に入った。
 荷物を持ってはいるけど元気そうだ。いちど座席側に視線を向けるけど、空きがないと知ると手すりに掴まったまま移動しようとはしない。
「…………」
 僕は相手が老人だからといって席をゆずろうとは考えない。
 何故なら、いままで『どうぞ』と声をかけて座ってもらえたことがないから。
 『そんな歳ではない』と怒る人。
 『座ると立てなくなるから』と申し訳なさそうにする人。
 『次で降りますから』と理由を告げる人。
 多種多様な理由で断り続けられている。
 ここまでくると、世界の裏ルールで僕に席を譲られてはいけないというものが設けられているのではと疑いたくなる。さすがに本気でそれを信じてはいないけれど。
 ちなみに長く続いた連敗記録は、声かけ自体を辞めたので更新されずにすんでいる。戦わないボクサーが敗戦数を増やさないのとおなじだ。
 僕は使い終えたノートをしまうと無言で席を立ち、扉の近くに移動する。席を譲るためじゃない。ノートを買うのに次の駅で降りる必要があるからだ。
 なのにおばあさんは、小さく頭をさげて「ありがとうございます」と謝礼を述べていた。


 その場を通りすぎるだけのまばらな通行人。
 シャッターの降りた古びた店々。
 増殖を続ける携帯ショップとチェーンの飲食店……。
 僕はスマホを片手に見知らぬ商店街を歩く。
 スマホとグーグルのおかげで、初めての場所でも迷子にならずに済んでいる。最近では『100均』と入れるだけで、近くの該当店まで教えてくれるのだから本当にありがたい。
「ジャックじゃねぇか」
 地図とあたりを照らしあわせて店を探していると、不意に低い声で呼びかけられた。
 顔をあげると坊主頭の大男が立っている。
 大隈(おおくま)五郎(ごろう)。おなじ出版社から作品を出している先輩作家だ。
 こんな時期に着物に下駄で寒くはないのか。たしか僕よりも十歳上で三十半ばのはず。自分は風の子であるとアピールしたいのだろうか。もしくは純粋な馬鹿なのかな。
 妙なあだ名で自分を呼ぶこの人を、僕は正直苦手だ。
 天野灯というペンネームの由来は天の川にある。天の川の星々のようにたくさんある輝かしい創作物の数々。自分もそれを飾る一つの星(あかり)になりたいと、ひっそりと願いを込めてつけたものだ。
 それをこの人は、『おまえは天の川じゃなくて、天邪鬼だろ』と、本名の和歌を『若』にして、『ジャク』と読み替えてあだ名としたのだ。幸い僕をそんな風に呼ぶのはこの難儀な人のみである。
 僕のことが嫌いなのに、どうしてわざわざ声をかけてくるのか。自分が僕から逃げたという汚点を作りたくないのか。迷惑な話だ。
 嫌われる理由は、僕が女子高生作家としてデビューしたこと。それと分不相応に名のある賞を頂いたことにある。
 大隈先輩は小説が作品以外の部分で評価され、売り上げに影響するのが嫌らしい。僕の本でも『そんな肩書きで本を売るな』ともめたと聞いている。
 何年もまえに高校は中退したし、進学もしてないから、残る肩書きは『昔、話題になった人』という程度。普通の人は何年もまえの、下手をすれば今年の受賞作の名前すら知らない。だからこうしていまも絡まれるのは、はなはだ不本意だ。
 あるいは、女子高生作家ごときに自分の重版が後回しにされた過去を根にもっているのか……。
 一瞬、気づかなかったフリでもしようかと思ったけれど、目が合ってしまったのでそれもできない。無理に逃げれば、あとでどんな難癖をつけられるかわかったもんじゃない。
「こんなとこでなにしてんだ?」
「とくには、大隈さんこそどうしたんです?」
「とくにってことはないだろ」
 とっとと会話を切り上げたい僕の答えに先輩作家は納得しない。
 語りたがりのクセに人の話は聞かず自分本位に物事をすすめる。作家にありがちな自己中心的な性格だ。どうして僕の周りの作家はそんな難物ばかりなのか。
「ノートを買いにきたんですよ」
「電気屋なら駅のとなりにあったろ?」
「紙のノートです。教えるなら100均にしてください」
 わかりやすく書き終えたノートを見せると、ひょいととりあげられてしまう。
「おまえ、いまどきの若者がノートってなによ?」
「入力しながらだと、言語中枢が働かないんで文章がマンネリ化するんです」
 返してくださいと訴えるが、聞いてはもらえない。
「字、汚ねぇな」
「暗号化の手間がはぶけるでしょ」
 字の汚さは自分でも半分は読めないので否定する気もないし、あきらめていることを指摘されても気になりはしない。そもそも自分でも半分以上は解読できない。
 こんな小学生みたいなヤツが大物作家の仲間入りしたのだから、気に入らないと言われるのも仕方がないのかもしれない。
「まぁいいや、これから飲みにいくからつき合え」
 なんで、嫌いな相手を飲みに誘おうとするんだろう。この人Mなのかな。そんなプレイにつきあう気はないと、露骨に嫌そうにして見せたけれどがっつり肩をつかまれた。
 人生を楽しくいきるコツは、気を使える人になる……のではなく、自分のやりたいことを強引にでも進められることだと思う。僕みたいな軟弱者が真似ても反感を買うだけで終わるんだろうけど。
「こんな時間からお酒なんて……ファミレスですか?」
「もう空いてる店があんだよ」
 まだ酒場が開くには早いだろうと思ったけれど、世の中は酒飲みに甘いらしい。あるいは金払いの良い客を優遇されるのは資本主義における正義なのか。
「おまえ牡蠣は好きか?」
「ええ、まぁ」
「だったらもっと喜べ、美味い店教えてやる」
 その後、無理矢理拉致られた僕はお洒落なオイスターレストランで、お洒落な牡蠣料理を食べながら、お洒落とは言い難い先輩作家の創作論を遅くまで聞かされることになった。
 最終的に先輩が言いたかったことは一言につきる。
『新作を書け』と。
 自分も新作が決まったと話してたから、それで僕よりも自分の方が上だと証明したいようだ。
 そんなことでわざわざマウンティングをとらなくても、ちゃんとわかってるのに……。

 帰宅後、シャワーを浴びてベッドに入ったもののやはり眠りにつくことはできなかった。
 酒の力で意識はぼんやりし、先輩の相手で疲弊していても眠りにつくことはできない。
 導入剤の服用を考えるも、飲酒後の使用は禁じられてるのを思い出して控える。
 あきらめて瞼をあげると、首を吊った男の背中が見えた。
 いくら経っても男は身動きひとつとろうとはしない。
 当然だろう、相手は死んでいるのだから。
 だから「叔父さん」と呼びかてみても、返事が返ってくるようなことは当然なかった。


■3

 作家だった叔父さんは親族から嫌われていた。
 理屈屋でありながら不条理。自分が作家であることを理由に、普通とはちがうのは勲章であると言い張り、奇行を繰り返しては周囲をあきれさせていた。
 それでも僕は叔父さんが嫌いではなかった。
 それは年上には反抗的だった叔父さんも、年下だった僕には優しくて印税が入ると気前よく大枚をくれたりもしたからだ。
 まだ未成年だった僕に酒と煙草を教えたのも叔父さんだった。
 おかげで飲み慣れぬ学生同士のイベントでもひとり泥酔を免れることができた。結果的に皆の介抱に回ることになったので本当にそれが良かったのか疑わしくもあるのだけれど。
 小説の書き方を教えたのも叔父さんだ。
 あの人がいなければ、僕は小説を書こうなんて考えもしなかったろう……。


 日付をスタンプされたチケット。
 照明の落とされた空間。
 仕切りの向こうで泳ぐ魚たち……。
「ねぇ和歌くん、潰れる水族館ってここでいいんだよね?」
「たぶんね」
 普段よりもおめかしした翼ちゃんに、普段と大差ないジーンズ姿の僕がこたえる。
 彼女の疑問はもっともで、閉鎖の決まったはずの水族館は大勢の客でにぎわっていた。
 混雑を避けたチョイスのはずが何故か大人気だ。あるいは彼らも閉鎖されるまえに見学しておこうという考えなのか。結果として僕らは魚よりも窮屈な空間に押し込まれることになった。
 はぐれぬようにと手をつながれ、あちこち魚を見て回る。
 はぐれたところで、互いにスマホを所有しているのだ。たいした問題はないだろうにと思いつつも、結局僕は流されるままに連れ回された。
 不意に翼ちゃんが足をとめる。眼前の水槽にはありきたりな魚たちが漠然と泳いでいる。
「この子たちって、どこにいくのかな」
「……さぁ」
 少女の質問に正しく答えるようなことはせず曖昧に濁す。
 希少な魚は他の水族館へ回されるだろう。でも、そうではない魚はおそらく処分される。
 水族館の生活にならされた魚は海へ放したところで生きてはいけない。ゴミを海に捨てるくらいなら、ここで処分してしまった方が合理的だろう。
「人間の都合で集められたのに、酷いね」
「そうだね」
 水族館の魚に感情移入しているのは思春期特有の感受性というヤツなのだろうか。魚屋の魚に同情はしないのに、水族館の魚にだけ同情する思考を僕は理解できない。
 ただ、おかしいのは自分だと理解しているから相づちを打ってごまかした。

 一通りの見学がすむと、翼ちゃんがお土産を選びはじめる。
 土産を渡すような相手のいない僕は家族連れのお父さんに紛れてベンチに座ってそれが終わるのを待つ。
 彼女が大きなペンギンのヌイグルミの購入を悩んでいるのを眺めながら、今日のことを簡単にノートにまとめておく。
 週末の水族館。
 行き場のない魚。
 飛べない鳥(ペンギン)に魅入られた少女……。
 青空翼は僕の又従姉妹にあたる。
 本来は彼女の姉が家政婦代わりに来てもらえる予定だったのだけれど、急な体調不良で代理として翼ちゃんが派遣されたのだ。
 彼女は僕が作家であることは聞かされていたものの天野灯であることを知らず、僕は天野灯のファンが実在することを信じていなかった。
 一度限りの関係のはずが、僕の正体が発覚したことでいまもズルズルと続いている。
 いつまで続くかわからないけれど、来年は彼女も受験生だ。そう長くはないだろう。
「あっ、なに書いてるの?」
 いつのまにか書くことに没頭してたらしい。箱詰めのクッキーをぶらさげた翼ちゃんがすでに戻っていた。
 ノートをのぞき込むと「新作ですか?」とうれしそうに聞いてくる。
「あー、天野先生の執筆に立ち会えるなんて幸せ。それでいつ本になるですか?」
「それは……ごめん」
 無理であると正直に告げる。
 ただ習慣的に手を動かしているだけだ。ただの雑文で物語になってない。
「いやいや、謝って欲しい訳じゃ……」
「でも、無理だから」
 僕らの間に気まずい沈黙がはさまれる。
 いかん、中学生相手になにをムキになってるんだ。
 急いで空気の改善を図る。とは言っても、僕の思いやりスキルは児戯にも等しい。こういうときどうすればいいのかわからない。
「そうだ、翼ちゃん牡蠣好き?」
「へ?」
 強引に話題をすり替えると、以前大隈先輩に連れて行かれたオイスターバーへと彼女を案内した。
 クリスマスを目前に控えた店内には電飾で飾られた賑やかなツリーが飾られていた。
 美味しい牡蠣料理と楽しげな店の雰囲気に彼女はご満悦だった。
 けれど、別れ際に「新作楽しみにしてますから」と誤魔化されないあたり彼女は手強かった。


■4

 聞き覚えのある着信音。
 新年独特の静寂とその崩壊。
 せめぎ合う理性と煩悩……。
 布団の中から手をのばしてスマホを手にする。
 通話ボタンを押すと「酷いじゃないですか!」と、怒鳴りつけられた。
 声の主は僕の元担当の追立(おいたち)さんだった。いまでも担当なのかもしれないけれど、連絡をとるのは久しぶりだ。
 叔父さんと同じく、この人がいなければ、いまの僕はなかったろう。
 相手の状況は知らないけれど、いきなり文句を言われるようなことをした覚えはない。あるいはしてないから怒られているのか。
「えっと、なんの話です?」
「新刊の話に決まってるじゃないですか!」
 それって誰の?
「大隈先生から聞きましたよ、ノート片手に新作の取材に回ってるって」
 あの非モテ熊野郎、適当な話を吹聴しやがって。そんなんだから散々貢いだキャバ嬢に着拒されるんだ。創作論の間に聞かされた愚痴をネットで晒してやろうか。
 とにかく誤解であることを追立さんに告げる。
 彼はちゃんと人の話を聞ける希少な大人なので、和解はすぐだった。
 それでも念押しするように確認してくる。
「本当に新作を書く気はないんですか?」と。
 一瞬、翼ちゃんの『新作が読みたい』という願いが脳裏を横切った。
「迷っているなら書きましょうよ」
 敏腕編集者はすかさず勧誘の声を投げつけた。
 さらには「時間はあるのでしょ?」と、まるでこちらの状況を見透かしたようにたたみかけてくる。
「……考えさせてくささい」
 そうこたえるのが僕には精一杯だった。

   ◇

 汚されないノート。
 動かないボールペン。
 ヘボな作家……。
 やる気を出して仕事部屋に入ったものの執筆は進まない。
 僕は仕事部屋に不要な物を置かないので仕事部屋は殺風景だ。
 PCがあれば調べ物はだいたい事足りる。それで足りないと思えば、ネット通販で資料を取り寄せるだけだ。
 そういえば、叔父さんの執筆小屋は独特だったな。
 田舎の古い民家を買い取って、最低限のリフォームしかしてなかった。
 そこにたくさんの資料を持ち込んで籠もってたっけ。追立さんからは電波もつながらない場所に逃げ込んだって嫌がられてたけど。
 太い梁のある家は、以前は藁葺き屋根だったらしいけど、さすがにそこはリフォームしたらしい。森に囲まれて、執筆以外にはできることが限られている。それでも電気が通ってるから言うほど不便じゃないって話だったけど。
 そんなことよりも問題なのは、執筆が進まないことだ。どうやら僕の才能はすでに枯渇していたらしい。
 あるいは……、
――もともとそんなものなかったのさ
 耳元で楽しげに告げられた言葉に思わず振り返る。しかしそこは殺風景な白の壁紙が見えるだけだった。
 それでも今は亡き叔父さんの声は僕をなぶり続ける。
――女子高生作家の看板なくしておまえの作品を読みたいなんて言うやつはいない。
 確かにそうかもしれない。
 同意は心中でのみ行う。
 それが聞こえたのか聞こえなかったのか、叔父さんはなおも言葉を続けた。むかし、僕と交接しながら叩きつけていた言葉を繰り返す。
――自分はおまえよりも偉い。
――俺がいたからこそおまえは賞を取れた。
――あんな賞、俺だって本気を出せばとれる。
 叔父さんがいなければ、僕が作家デビューすることはなかった。だからその言葉を否定しようとは僕は思わなかった。
 それでも、首を吊るまでの半年で、叔父さんが世に出した本は一冊もなかった。

 不意に怨嗟を断ち切るようにメールの着信音が響く。
 意識を逃がすようにスマホをチェックすると翼ちゃんからだった。
『無事に一回戦を突破しました』
 彼女は今日、所属しいてるフットサル部の大会でレギュラーとして出場するという話だった。添付された画像をひらくと、楽しそうな少女とその仲間たちが映っている。
 ふと、ある構想が思い浮かんだ。
 そうだ翼ちゃんを主人公にしよう。
 明るく活発な少女。
 健全で熱気にあふれるスポーツの世界。
 仲間たちとの熱い友情……。
 うん、これなら楽しい話が書けそうだ。
 思考からネガティブな要素を追い出すと、不思議と叔父さんの声は小さく弱まったような気がした。

   ◇

 白を基調にした会議室。
 以前よりもやせた追立さん。
 ムスッとした大隈先輩……。
 打ち合わせに関係ない人が第一に口を開いた。
「おまえ、作家辞めるつもりか?」
 先輩の言葉はどういう意図で発せられたか見当がつかなかった。
 書いてないときならいざ知らず、どうして書きあげてからそんなことを聞かれなければいけないのか。
 僕はテキスト化した作品を既にメールで追立さんに送っている。
 その作品について打ち合わせがしたいと編集社に呼び出された。なのに、どうしてこの人がこの場にいるのか?
 作家が編集社を訪れるのに不思議はないけれど、他の作家の打ち合わせに乗り込んでくるとか訳がわからない。さらにはさっきの発言だ。
「あの、それってどういう……」
「どうもこうもねぇ、こんなもん出版できるか」
 僕をにらみつける大隈先輩。追立さんは困り顔だ。
「文章はいい。以前よりも洗練されてるくらいだ。だが内容がともなっちゃない。おまえ、天野灯のファンにこんなもんを読ませるつもりなのか?」
「私としては悪くないと思うんだけど……」
「おまえは黙ってろ」
 助け船をだそうとする追立さんを先輩がにらみつける。
 出版社の主力である大隈先輩には一編集者という立場では逆らえないようである。
 となれば、おとなしくやり過ごすしかないのか。
「とにかく没だ書き直せ」
 それだけ主張すると、大隈さんは自分の担当編集者に連行され、その場をあとにした。まだ自分の原稿が終わってないらしい。去り際に出たら買うよう念押しされた。
 僕らはホッと一息つくと、追立さんとの打ち合わせを再開する。
「それでどうしようか。このまま校正に回して出版する?」
「追立さんはどう思ってるんです?」
 質問に対して、彼は慎重に言葉を選びはじめた。
「う~ん、時間を空けた作家さんが新ジャンルに挑むのは悪くないことだと思う。ただ大隈さんが言ったように、天野先生の独特の世界観を期待した人たちには肩すかしになるかもしれない。さすがに最後の作品になるってのはオーバーすぎるけど」
 どうやら僕の知らないうちに天野灯という作家には分不相応な期待が寄せられているらしい。
「いっそ、新人作家として別名義で出すという手もあるよ。それなら固定観念をもって読む人もいないし」
 すると壁越しに声が響いてきた。
「そんなもん俺が認めねぇぞ!」
「大隈さん、隣の会議室の話に口をださないでください!」
 なにやってんだあの人。
 おとなしく自分の作品を書いてればいいのに。
「確かに新境地に挑むのも悪くはない。だが作家を名乗るなら、てめーでしか書けないものを書け」
 壁越しの声はまだも僕を責め立ている。

   ◇

 そこは高い壁に仕切られた迷路だった。
 いくら進めど出口にたどりつけない。
 僕には壁を超える術がない。
 空を見上げると、雲ひとつないどころか太陽すら見当たらない。色を指定されただけのムラのない不自然な青。
 それでも歩き続けていると、袋小路で行き詰まる。仕方なくきた道を引き返そうとするとそこもまた壁だった。
 四方を阻まれては動くことすらままならない。そんなとき、足下にロープが落ちてるのを見つけた。
 ああ、やっと出ることができる。
 ロープで輪っかをつくり、自分の首をそこに通す。でもそれをひっかけるための梁がなかった。
 叔父さんの仕事小屋とちがって、マンションにはむき出しの梁などついていない。
 途方に暮れて見上げると、ものいわぬ叔父さんの背中が見えた。
「叔父さん」
 そう呼びかけるも返事はなかった。


「うわっ、和歌くん酷い顔してるよ」
 ようやく夢の世界から抜け出すと、バイトに来た翼ちゃんから指摘された。
 自覚があっても人から改めて指摘されると傷つくことはある。それが悪意のない感想ならなおさらだ。
 すでに彼女がバイトのくる時間だった。意識を失ったのが朝の天気予報を観たあとだったから、意外と長く寝ていたことになる。それでも身体に染み着いた不快な疲れは抜けてないんだけど。
「なにかあったの?」
「う~ん、いつもどおり?」
 罪悪感もなく僕は告げる。正直に話しても別段解決するわけでもないし、彼女を悩ませるだけ損ですらある。
 でも翼ちゃんは不満そうにしている。
「ホントだよ。ちょっと夢見が悪かったくらい」

 夕食後、彼女を駅まで送って歩く。
 ガードレールもない通行人のそばを、車がいささかもスピードを落とさず走り抜け僕らをおびえさせた。
 アスファルトの道路には『スピード落とせ』と書かれてるのに、それを実行しようとする車はほとんどない。
「どうせなら制限速度を変えればいいのに」
「どっちにしろ、取り締まる警察が気まぐれでしか動かないなら意味ないよ。そもそも制限速度だって守ってる車の方が少ないし」
 だったら、そんなことに労力を割くだけ無駄だろう。なにもしないのが一番の貢献なのかもしれない。
「ごめんね、辺鄙なところに通わせちゃって」
「好きでやってることだから」
 好きで、か。その理由は僕があこがれの作家だから。僕は彼女(ファン)の期待にこたえないで長い間本を出せていない。いまだってスランプまっただなかだ。
 そもそも以前の僕はどうやって作品を書いていたのか。それすらろくに思い出せない。
 実は僕は自分が天野灯と思いこんでるだけの偽物で、本物はとうの昔に死んでいるのかも。大隈さんはそのことを知らなくて、追立さんは僕と世間を騙している……そんな妄想をしてみた。
「ところで、翼ちゃんは僕のどこが好きなの?」
「すっ、好きって!?」
 あっ、言い漏れがあったせいで、女子中学生に自分のどこが好きかたずねる妙なおばさんになってしまった。
「ごめん、僕じゃなくて、僕の作品。自分で言うのもなんだけど、あんまり女の子向けじゃないかなって」
「あー、うん、たしかにそうだけど……なんていうか……むぅ、言わなきゃ駄目?」
「いや、別に無理ならいいよ」
 聞いたのは単なる思いつきだし。
「ちょっと和歌くん、自分から聞いておいて、それは素っ気なさすぎなんじゃない?」
「あっ、ごめん、是非とも聞かせてください」
「いや、本人に直接とか恥ずかしいし」
 妙なループにはまってしまった。これを抜け出すには……、
「じゃ、ファンレター書いてよ。ちゃんと便せんで」
 メールやエゴサーチで自作への感想を目にしたことはあっても紙のファンレターはもらったことがない。
 そう思ったら、急に欲しく思えてきた。
「だっ、駄目だよ、あたし文才ないし。天野センセに添削されたら死んじゃうよ」
「読まれたら死ぬ文章ってすっごい興味わくんだけど?」
「悪趣味!」
「ほら、小論文の練習だと思って」
「あたし、推薦とれるほど成績良くないし」
「ん~、書いてくれたら翼ちゃんのお願いなんでも聞いてあげる」
「ホント!?」
「いや、実現可能な範囲でね?」
 あまりの食いつき具合に若干引きつつ付け加える。
 そんな言葉を聞いてか聞かずか、翼ちゃんはなにをお願いするか熱心に考えはじめてる。
 ひょっとして早まったかな?
 僕は自分の発言をわずかに後悔しつつも彼女と別れ、家路についた。

   ◇

 いまにも振り出しそうな黒雲。
 壁際に飾られた仰々しい花輪。
 陰鬱な喪服に包まれた人々……。
 棺には収められた翼ちゃんは動く素振りを見せない。つい先日まで、あんなにも元気にはしゃいでいたのに。
 人生で葬式に参加するのはこれで三回目。早くに他界した父。仕事部屋で首を吊った叔父さん。そして、翼ちゃんだ。祖父母のことを数えればもっと増えるけど、物心がつくまえだったので、どうしてたかなど覚えてはいない。
 いつものように理不尽で不条理な現実が僕を押しつぶす。
 彼女は事故死だという。
 学校から直接ウチにこようと電車を乗り換える最中、男の人にぶつかってホームから落ちたらしい。
 見ていた人間の話によると、相手は大男で意図的に思えるほど強引に翼ちゃんにぶつかったらしい。その男はまだ捕まってはいない。


 この世界はまちがっている。
 誰もが口先で愛と平和を謳いつつも、それを真摯に実行しようとはしない。
 未来ある少女を殺した犯人だって、多数の目撃者がいたにも関わらず捕まらず終いだ。
 人間とはストレスに耐えきれず隣人の尾を噛む豚でしかない。豚だらけの世の中でどうして平穏を謳歌できようか。
 だったら僕がそれらを消去しよう。
 醜い豚たちへの怨念を僕はキーボードに叩きつけた。

   ◇

「またすごいの書きましたね」
 その物語を追立さんは恐ろしいホラー小説でも読んだかのように評した。
 今回も前回とおなじように、あらかじめテキストを送っておいたのだけれど、大隈先輩は乗り込んでこなかった。
 そのことを追立さんに確認したところ、自分の執筆に戻ったそうだ。散々、人に文句を言っておきながら、まだ書き上げてなかったのか。
 翼ちゃんに新作を届けられなかったのは申し訳なく思うけれど、同時に醜い物語を読ませなくて済んだという気持ちもあった。
 そう、僕も世界も醜く汚れてる。
 それを彼女にすりつけなかっただけましなのではないだろうか。
 いや、それは嘘だ。
 僕は彼女を殺した犯人を断罪できない社会をどうしようもなく憎悪してる。
 当たり前の感情。
 本当にこれが人間らしさというものなのか?
 そしてこの作品を書き上げたことで自らの執筆衝動の正体を知ることになった。
 このどうしようもない世界への憎悪こそが僕のモチベーションらしい。それに浸っている間はなんの邪魔も受け付けずに執筆できた。ひょっとしたらなにかあったのかもしれないけれど、認識できなければないも一緒だ。
 本当に理不尽で醜い世界を書き上げた。
 翼ちゃんがぬるま湯で甘やかしてくれてる間には書けないはずだ。
 僕みたいな作家が復活して、それが社会にプラスになるのかわからない。
 あるいは、みな僕の書きあげた世界を、対岸の火事と楽しんで眺めてるだけなのか。
「そうだ、これ。いまどき珍しいですよ」
 追立さんが僕に手渡したのは、さわやかな青の便せんに封じられた手紙だった。
 送り主は『青空翼』になっていた。


   †  †  †  †  †

 拝啓、天野灯先生。
 あらたまって手紙を書くというのはたいへん気恥ずかしいものですね。不慣れながらも緊張して書いています。少しくらいへんなところがあっても見逃してください。
 私はあまりテレビというものを観ないので、まわりの話題についていけずあきれることもしばしばです。
 そんな私が先生の作品を知ったのは姉が置き忘れた本がたまたま目のつくところにおいてあったからでした。
 それが自分の親戚の人の本だったなんて、とっても驚きです。
 さらにその先生のところにバイトで通えるようになるだなんて、本当に夢でも見てるんじゃないかって思いました。

 先生は私が自分の作品を好きなことを疑問に思ってらっしゃいましたよね。そんなに不思議なことでしょうか?
 確かに先生の作品は理不尽な人や事件がたくさん出てきます。読んでて読者である私まで腹立たしくなります。
 でも、世界の理不尽さは中学生の私でも実感できるくらいたくさんあります。
 大人たちは私たち学生にちゃんとしろってルールを振りかざすのに、本人たちは言うほどちゃんとしてない、みたいな。
 たまにニュースを見れば「イジメは悪いことだ」って声を荒げて、イジメをしてた人たちをより強い人たちが、あるいはそうでない人たちも集団で攻撃しています。そういう矛盾を見て見ぬふりをしているのはすごく居心地が悪いです。
 人前でそのことを指摘できないことこそが、一番の理不尽なのではないでしょうか。このファンレターを書きながらそんなことを思いました。
 そういえば、先生は水族館にいったとき、私が魚の行き先を案じていたときも考えごとをしていましたね。
 きっと私もバカなことをいってしまったんだろうと思います。
 私も先生のように賢くなりたいです。
 でも、先生はもうちょっと生活を楽しんでいいと思います。
 先生の作品はそういう理不尽を正面からまじめに向き合っていて考えさせられます。
 考えて、考えて、苦しんでしまってもそこで考えることをやめられない。先生の苦悩が読んでいて伝わってくるようです。そんな妥協のない姿にあこがれます。私だけかもしれませんけど。
 新作の執筆には苦労しているようですが、これからもその姿勢をくずさないでください。(原稿はちゃんとシュレッダーにかけたほうがいいと思います)
 ちょっとくらいは生活を楽しんだほうがいいと思います。
 またどこかに遊びに連れてってください。
 では失礼します。

               青空 翼


 P.S.例の約束は新刊のサイン本でお願いします。
 まえにお願いしたときは「下手だから書かない」と断られましたけど、ときどき練習してるの知ってるんですよ?

   †  †  †  †  †


 僕はそんなに立派な人じゃない。
 それでも彼女の願いに恥じないよう心がけようと、再び原稿に向き合った。


 新刊が書店に並んだ頃になるとまた大隈先輩に絡まれるようになった。あの人の本もようやく校了になったらしい。まだ印刷と配本があるので、書店に並ぶのは来月の予定だけれど。
「また飲みにいくぞ」
「いやです。次の執筆があるんで」
 誘いを断ると『ぐぬぬ』と渋い声でうめく。
 さすがに同業者だけあって、締め切りより付き合いを優先しろとは言ってこない。
「おまえ、最近まるくなったよな」
「そうですか、体重は落ちてると思いますけど?」
 計ってないので正確なところはわからないけど、ズボンのウエストは食事係が不在となりずいぶんと緩くなった。
「そうじゃねえよ、作風だよ」
「不味いですか?」
 いつぞやのように難癖をつけられるかと思ったけどそんなことはなかった。
「いや、薄っぺらい夢物語とはちがう、おまえ独自の世界観が健在で、それでいて本当に少しだけだが世界に対する愛情がにじんでる」
「そんなもんですか?」
「無自覚かよ」
 影響があるとしたらアレくらいなものだろう。
「だったら、ファンレターの影響かもしれませんね」
「ファンレター?」
「女子中学生からファンレターもらったんです」
「まじか!? おまえの本読んで喜ぶ女子中学生とか、世の中どんだけすさんでるんだよ」
「失礼ですね」
「ところで、おまえ、やっぱそっちの趣味なの?」
 それってどういう意味なんだろう?
 たずねてみようかとも思ったけど、会話が長引きそうなのでやめておいた。次の執筆をしなければならないというのはウソじゃない。
 いまだに夜になると首を吊った叔父さんの姿は見える。
 でも、執筆中以外に話かけてくることはない。
 叔父さんの声を聞きたくなければまた執筆をやめればいい。
 でも、しばらくはその声とつきあわねばならなそうだ。
 眠れない夜はいまもまだ続いている。
 それでも戦いの日々からはもう逃げる気はない。
Hiro

2018年12月30日 06時30分40秒 公開
■この作品の著作権は Hiro さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆テーマ:冬のライオン

◆キャッチコピー:歪み、傷つきながらも作家は書かずにはいられない

◆作者コメント:
 あきらめたので、ここで試合終了です。
 ZATUなプロットで済ませたせいかパッとしない構成になりましたDEATH。こんなん公開して申し訳ありゃ~せ~ん。

2019年01月23日 08時55分14秒
作者レス
2019年01月13日 23時53分16秒
+20点
2019年01月13日 23時40分02秒
+20点
2019年01月13日 23時36分32秒
+20点
2019年01月13日 23時10分59秒
+20点
2019年01月12日 22時54分03秒
+20点
2019年01月12日 22時02分03秒
+20点
2019年01月12日 21時18分47秒
+20点
2019年01月10日 20時03分32秒
+20点
2019年01月04日 17時15分12秒
+20点
2019年01月04日 01時07分35秒
+40点
2019年01月03日 16時26分23秒
+10点
2019年01月03日 09時37分41秒
+30点
2018年12月31日 14時15分42秒
+20点
合計 13人 280点

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