冬の徒花、寒桜の恋

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〔1〕


 風花が、闇夜に白く煌めいた。
 外気の冷たさに、耳鳴りがする。
 ムゲンは夜空に冴え冴えと輝く十六夜の月を見上げて白い息を吐き、隣に立つ少女に目を移した。
 ……我が姫、レンカ様は今夜も美しい。
 ムゲンの一つに束ねた長く灰色の髪とは違い、高く結い上げ桜の髪飾りで止めた艶やかな黒髪には霜が舞い降り、月明かりで煌めいている。雛人形のように整った、幼く可愛らしい面には、寒さの為か薄く赤味が差していた。
 戦いやすい、袂の短い着物と伊賀袴。着物の下には、獣の皮をなめして仕立てた着込みをつけているが、ぴったりと肌に張り付いたそれは豊かな胸の膨らみを一段と際立てる。
 刀を携え、このような場所に居るべきでは無い方だと思った。
 色とりどりの花々に囲まれ、金糸銀糸を織り込んだ美しい着物をまとい、琴を奏でる姿こそ相応しい。
「来るぞ、ムゲン」
 ぱきり、と、凍り付いた枝が弾ける音でムゲンは我に返った。
 眼前に広がる黒い山の裂け目奧から地を這うように、おぞましい霊気が這い上がってきた。ムゲンとレンカ、二人は木々が疎らで戦うのに都合が良い場所を選び待機する。枝の爆ぜる音は、霊気が強くなるにつれて激しく鳴った。
 暗闇の中から、一頭の大熊が飛び出した。
 素早く二人は左右に避ける。すると大熊の後から、幽鬼のように五つの人影が現れた。
 青白い光を纏う、武者袴の男達。鼻の位置に二つ穴が空いた、のっぺりとした顔面に異様なほど大きな目と口。肩よりも長くのびた白髪。
「オォオオォオ!」
 五体の幽鬼が、同時に雄叫びを上げた。大きな口が破裂音と共に裂け、血の色をした長い舌が、だらりと垂れ下がる。
「討つ!」
 レンカの掛け声と同時に抜刀したムゲンは、素早い流れで二体の幽鬼の首を落とした。レンカも一体を斃し、残る二体に刀を構える。
 勝機は見えた、容易い。
 余裕から警戒が緩んだムゲンの背に、戦慄。
 新たに現れた二体の幽鬼が、鋭く長い爪を奮い襲いかかってきたのだ。革の着込みを嫌い、代わりに着物の上に羽織った外套が無残に裂けた。
 油断した。
 敵は残り四体。想定外に分の悪い戦闘状況だが、レンカ様には掠り傷も負わせるわけにはいかない。着物の下、生暖かな血の流れを感じながらムゲンは気を引き締める。 
それにしても、おかしい。
 十六夜の晩に現れる鬼は通常、多くて三体。何故、今夜に限って七体も現れたのか?
「深手か?」
 敵を牽制しながら、レンカはムゲンとの間を詰めた。声音に不安の色。
「お気遣い、無用にございます」
 応えながら霜柱に浮いた落ち葉を足で払い、硬い地を蹴った。
 下から刀身を払い上げ、翻す勢いで袈裟懸け。二体が胸から寸断され、四方に飛び散る。しかし、背に負った傷は、続く所作を鈍らせた。
 ムゲン相手では分が悪いと学んだ二体が、同時にレンカに襲いかかる。
 加勢が間に合わない。寸刻、凌いでくれと願いつつ、体勢を整えたとき。
「オレの嫁さんに、傷をつけるんじゃねぇ!」
 一条の閃光がレンカの姿を煌めかせた瞬間、一体の幽鬼が沈む。期を逃さず、最後の一体をムゲンが斃した。
「クヨウ……貴様! 今まで、どこに居たっ!」
「あぁーうん、他に敵が出現してないか見回りしてたら迷っちゃってさぁ。遅れて悪ぃな! でも最後は、ちゃんと働いたから怒るなよ?」
 クヨウは頭を掻きながら、無邪気に笑った。
 今は亡き御館様が決めた、レンカ姫の許婚。後ろ髪は長く伸ばし一つに束ねているが、総髪のムゲンと違い前髪は短く揃え前に下ろしている。十六歳という年に似合わず大人びて落ち着いているレンカに比べ、十八歳でありながらクヨウの、なんと幼く見える事か。
 二年後、十八歳になったレンカはクヨウと夫婦になり、この過酷な任務から解放されて跡継ぎを成さなくてはならない。
『一族の過ちから生まれた掟』は、絶対だ。
 レンカの幸せを切に願っている。御館様の決めた事に反対する気も無い。
 しかし、この頼りない若者に姫を任せて良いものか?
 首と心の臓を断たれた幽鬼は、朝日が昇れば霧散する。散らばる残骸を足で転がし、刀を収めたムゲンの心中は、複雑だった。




〔2〕


 明け方近くに館に戻ったレンカは、熱い湯に浸かってようやく安堵の息を吐いた。
 十四歳の時に当主である父を失い、十八歳で婿を取り正式に家督を継ぐまで仮初めの当主を勤めなくてはならないが、課せられた月に一度の任務が辛い。
 天下平定の大戦が収束し、世に平和が訪れて久しい。
 大戦時代、功を焦ったレンカの一族に、霊山の人為らざる者と契約し強大な力を持って戦を制しようとした者がいた。しかし、その企みは後に天下を平定した一族の知る所となり、未然に阻止されたのだった。
 ところが首謀者である本家当主の首を刎ねた後も邪悪なる契約は生き続け、霊山頭頂の『地獄釜』と呼ばれる裂け目から幽鬼が現れ里の人間を喰らうようになった。噂でしか聞いた事は無いが、幽鬼に噛まれた人間もまた鬼となり、人を襲うようになるという。
 そのため通例であれば御家断絶皆殺しとなるところ、一体なりとも幽鬼を里に下ろさない事を条件にレンカの一族は許されたのである。
 任を果たすため幼いときから剣技を磨いてきたが、いくら鍛練を積もうと自分がムゲンやクヨウのように強くなれない事は身に浸みて解っていた。
 一族の罪を負い、象徴として家督を継いで任を果たす事が重要なのだ。
 湯浴みを終えたレンカは小袖と武者袴姿に着替え、まとめ上げた髪を結い直すと大切にしているサクラの髪飾りで留めてからクヨウの姿を探す。
 屋敷の奥に続く廊下を歩いていると、ちょうど朝餉の膳を下げる下女中と行き会った。
「クヨウ殿は在室か?」
 レンカの問いに年配の下女中は膳を足下に置き、腰を落とした。
「いえ……夜が明けてからの御帰りでしたので温めた床を御用意したのですが、朝餉を摂られた後、何処かに行かれました。軽装でございましたから、お屋敷内にはいらっしゃると思います。御用でしたら、わたくしが探してお連れいたします」
「いや、自分で探す」
 下女中は湯上がりのレンカを見て、優しく微笑みながら礼をした。
 幼いときから世話になっている女中だ。レンカが許婚のクヨウを探している事を、好ましく思っているらしい。
 実際の用向きは、女中の思う艶事など微塵も無い。立場上、クヨウに苦言を呈する事が出来ないムゲンに代わって、昨夜の行動を諫めるために探しているのだ。
 勤めのあった日、寝付く事が出来ないとレンカは武道場で鍛錬を行うか庭を散策して、非日常から日常へ頭と身体を切り替える。
 ムゲンは部屋を暗くして寝てしまうが、クヨウはレンカと同じように武道場か庭にいる事が多かった。
 最初に庭に回ってみると、予想通りクヨウは敷松葉に覆われた池の辺に立ち、冬の庭木を眺めていた。敷松葉とは苔を霜から守るために庭に敷く松の葉で、景趣としては寂しいが冬の趣としてレンカは好きだった。
 枯葉色ながらも艶のある松葉に霜が降り、朝日にキラキラと輝いている。冬木のナンテン、ヤブツバキ、サザンカが彩りを添える中、梅の花は蕾が付いたばかりだ。
 声を掛けようとするとクヨウは、葉も蕾も無い一本の寒々とした枝振りをした大木の下に赴いた。レンカが一番好きな、サクラの大木。
「見ろよ、レンカ。一番日当たりの良い枝に蕾があるぞ! このところ小春日和が続いたから、勘違いしたんだろうなぁ……倉卒な性格は、レンカそっくりだ!」
 気配でわかったのだろう、レンカに顔も向けずに明るい声で話しかけてきたクヨウの言葉に、レンカも枝を見上げた。
 確かに日当たりの良い枝の先に、硬く小さな蕾が付いている。
「あっ、本当に! まぁなんて、せっかちな……」
 自分で言いかけてレンカは、ようやく言われた意味に気が付き眉を寄せた。気が短く、慌て者の意味だ。
「……クヨウ、真面目に話を聞いて欲しい」
「わかってるって! 俺のせいでレンカが危険な目に遭ったと、ムゲンのヤツ、かなり怒ってたもんなぁ」
 着流しに綿入れを着込んだクヨウが、レンカに笑顔を向ける。
「だからさ、レンカはもう勤めに出るの止めた方が良いよ? そうしたら俺も面倒がらずに、ムゲンと鬼狩りに行くから」
「仮初めとはいえ、父の亡き後は私が当主。任から逃れる訳にはいかない」
 レンカの応えに肩を竦め、クヨウは溜息を吐いた。レンカは切ない気持ちで、細く長く、白い息が流れるのを見つめる。
「それが、うぜぇって言ってんだよ……」
 突然、クヨウの語調が低く変わり、レンカの肩を強く掴んで引き寄せた。
「あのなぁ、正直に言わせてもらえば剣の腕が役にも立たない姫様が戦いに赴いても、邪魔なだけなんだよ? 俺とムゲン、二人の方が効率が良いんだ。お前を守る必要が無いからな。実際、ムゲンが怪我をしたのはレンカのためだ。敵が少ないから、お前に花を持たせようと思って俺は近くで待機してたけど結局、助けに出なきゃ為らなかった」
「そんな……!」
 言い返す言葉が見つからず、レンカは唇を噛み俯く。
 自分でも、わかっていた事だ。しかしクヨウの口から、はっきり言われるとは思わなかった。
「元々、俺は戦うのが嫌いなんだ。化け物相手に命を賭けるなんて冗談じゃねぇ。実際、二度も死にかけてるからな。おまえと夫婦になったら当主の権限で、ムゲン筆頭の部隊を組んで仕事をさせるつもりさ。贖罪とか責務とか、馬鹿馬鹿しいんだよ。仕事を続けるための跡継ぎだけ作れば、俺には何の関係も無いね!」
 言い捨ててから抱き寄せ、口付けようとしたクヨウをレンカは突き飛ばした。
「クヨウ……それは、お前の本心か? 今の言葉は、お前に託した父上の信頼を踏みにじるも同然だ!」
「やれやれ、いらちな姫様だ。死んだ人間の信頼に、何の意味があるんだよ? まぁ、いずれ俺の嫁になれば、逆らう事もなくなるか?」
 楽しそうに高笑いを上げ、クヨウはレンカに背を向けた。
「ああそうだ、そのサクラの髪飾り。塗りが剥げて、みっともないから捨てちまえよ? 新しいの買ってやるからさ!」
 屋敷に戻っていくクヨウを、レンカは呆然と見つめる事しか出来なかった。
 サクラの髪飾りは、父がクヨウを許婚と決めた十四歳の時、クヨウが自ら恥ずかしそうにレンカの髪に挿してくれたものだった。
 知らず、目頭に溢れたものが頬を濡らした。




〔3〕


 昼前に仮眠から目覚めたムゲンは、昼餉の膳を取りに厨へと赴いた。
 途中、奥座敷に続く渡り廊下に差し掛かったとき、ふと庭に目をやると一本の大木の下に佇む人影に気が付いた。
 様子が、おかしい。
「姫! レンカ姫!」
 庭に出る下足を履く事も忘れ、普段に過ごす素足のまま庭に飛び出した。
「ムゲン……か」
 ゆらりと傾き倒れかかったレンカの身体を、ムゲンの逞しい両腕が受け止める。着衣の上からでも、全身が冷え切り硬くなっているのが解った。
 急ぎ抱きかかえ屋敷に上がったムゲンは、レンカを部屋に運んで女中を呼び、手当を頼んだ。
 部屋の外に待機し、一刻(二時間)ほど経ったころ。
 付き添いの女中に呼ばれたムゲンが暑いほどに暖められた部屋に入ると、レンカは床から半身を起こしていた。青白かった肌に血の気が戻り、桜色に回復した頬と唇をみてムゲンは胸をなで下ろす。
「身体が冷え切るまで寒空の下に過ごされるなど、正気ではありません。いかがなされましたか?」
 心から案じるムゲンの言葉に、目を伏せたレンカの手が震えた。
「ごめんなさい、ムゲン……あなたは怪我をしているのに、私を部屋まで運んでくれたそうですね」
「私の怪我など些細なもの。姫が倒れられたら困ります」
「本当に、私は必要とされているのでしょうか?」
 普段は男言葉で話し凜々しく振る舞っているレンカの、しおらしく弱々しい姿にムゲンの胸はざわついた。
「父の亡き後、私は一族の要として課せられた任を務めてきました。しかし私は弱く、いつもムゲンやクヨウの手を煩わせ足手纏いになっています。私に任じられた責務は十八歳までですが、むしろ出陣しない方が良いのかもしれません。女の役目は、跡継ぎを産む事だけで……」
「誰が、そのような事を! ……クヨウだな? 元から信用出来ないヤツだったが、レンカ様への暴言は許しがたい!」
 クヨウは幼いとき、御館様が連れてきた出自の解らない子供だ。霊山に迷い込んだ猟師の父子が幽鬼に襲われ、子を庇い死んだ父親の下から助け出されたという。
 冷たい亡骸となった父の下で、どれほど辛く苦しく、悲しい思いをしたのかは想像を絶した。そのためか屋敷に迎入れて暫く、頑なに心を開かず誰とも口をきかなかった。
 しかしレンカだけは諦めずクヨウの世話を焼き続け、やがて二人に芽生えた恋心は当然の成り行きだった。
 十六歳で御館様の片腕となるまで成長したクヨウは、レンカとの婚約を許され毎月の務めに出るようになった。
 幽鬼は霊山頭頂部の『地獄釜』と呼ばれる深い裂け目から、毎月十六夜の深夜に出現する。レンカの一族は夕刻から御館様を筆頭に数名の選抜部隊が『地獄釜』を見張り、出現した幽鬼を狩るのだ。
 二年前、神無月の務めの日。
 見張りは下級の戦力である者が担い、主力は戦いに備えて休養するため、その日は年若きクヨウが見張りに立っていた。
 ところが迂闊にも、ほんの寸刻、寝落ちてしまったのだ。
 運が悪かったのか、狙われていたのか。その数刻を逃さず、数体の幽鬼が油断している部隊を襲った。
 瞬時に数名が惨殺され、辛うじて初撃を逃れた御館様は手負いのクヨウを庇いながら幽鬼と戦ったが、残り一体のところで深傷を負い崖に追い詰められた。
 切り立つ崖の下は、晩秋の長雨で水嵩が増し、逆巻く流れの渓流。
 御館様はクヨウを水に突き落とし、一人幽鬼に立ち向かった……。
「御館様に世話になり、姫との婚約まで許されながらクヨウは、御館様を置いて逃げた卑怯者だ! 私が部隊に居れば、御館様をお守りできたのに……!」
 レンカが近くにいる事も忘れ、怒りを滲ませムゲンが叫んだ。
 その日ムゲンは縁者の訃報で遠方に出掛けていたため、務めに出る事が叶わなかった。
 務めを優先しようとしたムゲンに御館様は、「世話になった方に礼を尽くせ、務めは問題ない」と優しい笑顔で諭したのだ。
「ムゲン……父上は覚悟の戦いをされたのです。いまさらクヨウを咎めても仕方ありません。クヨウも自らを責めています」
「レンカ様は、クヨウを庇われるのですか? あやつは自らを責めてなどいません。生き残りの体裁悪さから暫く大人しくしていましたが、半年も経つ頃には里の出会い茶屋や都の遊郭に入り浸り、この度の務めもようやく間に合った次第です。姫が望まれるなら、私が……」
 言いかけてムゲンは我に返った。
「僭越でした、申し訳ありません……」
 出過ぎた真似を恥じ恐縮するムゲンに、レンカは口元を緩める。
「ありがとう、ムゲン。もしも、この先、クヨウが当主として相応しくないと判断した時。私に子があれば家督を譲り、お前を頼りに務めを任せたいと思っています。引き受けてもらえますか?」
「身に余るお言葉。その時は必ず、お引き受けいたしましょう」
 安堵の表情で寂しく微笑むレンカを前にムゲンは、ある意を決した。




〔4〕


 今月も、十六夜の月がやってくる。
 レンカは迷い悩んだ上で、今月も勤めに出る事を選んだ。
 必ず守ると約束したムゲンの言葉に励まされた事もあるが、クヨウに役立たずと言われた事に対する反感の方が強かった。
 父上が亡くなってからクヨウは、すっかり人が変わってしまった。
 共に野を駈け、剣技を競い、月や花を愛でながら語った日々が遠い。
 前月の務めの後からクヨウは、より一層屋敷に戻らなくなり、たまに戻る時は部屋に女を連れ込んで日中は姿を現す事が無かった。
 連れ込んだ女に食事の膳を運ばせるため、たまに出くわしたレンカは情事のなごりに居たたまれず目を逸らすのだった。
 間もなく日が落ちる。
 この数ヶ月、出現する幽鬼の数が増えたため選抜隊の手勢を二名増やす事にしたのだが、刻限が近付いても武道場に待機するレンカの元に誰もやってこない。
 初冬の日は早くに沈み、空には幾多の星が瞬き始めた。
 ムゲンとクヨウが手練れのため、ここ数ヶ月はレンカを含め三人で勤めに出ていた。まさか、選抜された二名は久々の務めに臆して、逃れようとしているのではないか?
いや、それは無いと、レンカは思い直した。
 務めに選ばれた家臣だけでは無く、他の家臣もみな、レンカの身を案じて我も我もと名乗りを上げてくれたのだ。
 何かが、おかしい。冷たい外気とは異質の霊気が、背を這い上がる。
 嫌な予感に突き動かされたレンカは、母屋に向かった。
 静かだ。
 いつもなら下働き達が、夕餉の膳を片付けたり夜具の支度をしたりでざわついているはずが、人の気配が無い。
 奥座敷一番手前にある、クヨウの部屋前にきたレンカは、遅れている腹立ちもあって勢いよく障子を開けた。
「クヨウ! 刻限はとうに過ぎ……て?」
 衝撃の光景にレンカは、続く言葉を飲み込む。 
 襖、一面に飛び散った血しぶき。深紅に染まる畳と夜具の上に伏した、男と女。
 クヨウと、数日前に連れ込まれた遊女だ。
「……っ、いったい、何が……あった?」
 蹌踉めき後退るレンカを、逞しい腕が抱き止めた。
「ムゲン……」
 ムゲンの顔を見た途端、混乱した思考が解けるように気が抜けて床に座り込む。
「これは……まさか、心中か? それほどまでに、この務めが嫌だったのか? せめて思い詰める前に、嫌なら嫌と言ってくれたら……」
 父との約束、任務の重責。もしや、レンカと夫婦になるのが嫌だったのだろうか?
 死を選ぶまで追い詰めたのは、レンカ自身なのか?
 涙が溢れ、震える肩にムゲンがそっと、手を置いた。
「ご自身を責めておられるのですか? その必要はございません、クヨウを斬り捨てたのは、私です」
「えっ?」
 思わず顔を上げたレンカは、呆然として満面の笑みをたたえたムゲンを見つめた。だが次第に怒りが込み上げ、勢い立ち上がるとムゲンの胸ぐらを掴む。
「お前は、自分が何をしたか解っているのか? クヨウの振る舞いに腹を据えかねていたとはいえ、斬り捨てるなど言語道断だ!」
 ムゲンは襟を掴んだレンカの手を引き剥がし、強く捻り上げながら先ほどとは違う冷たい笑みを口元に浮かべた。
「ほぅ……果たしてそれは、姫の本心ですかな? 心の中では勝手気ままに振る舞うクヨウを嫉み、自分に課せられた責務から逃れたいと思っていたのでは? もう、御自身を偽らなくても良いのです。私が開放して差し上げましょう」
 ムゲンの言葉が終わると同時に、まだ月明かりの無い闇色の庭から数多の白い影が浮かび上がった。霞のような人影は、徐々に実態を成す。
 十体の、幽鬼だ。しかも、見覚えのある様子は……。
「レンカ姫が寂しくないように、屋敷の馴染みを同族に変えました。さぁ、私の花嫁となって『地獄釜』に参りましょう」
「なん……だと?」
 ムゲンは、幽鬼の仲間だったのか? 花嫁とは、どういうことだ? 
 自分はムゲンに囚われ、『地獄釜』に巣くう人為らざる者の餌となるのか?
 状況を飲み込めないレンカの耳元に、ムゲンは口を寄せ囁いた。
「私は、この時が来るのを長く待っていたのですよ。我々は日光の下で生きる事が出来ない種族ですが、人間と交わり産まれた子ならば朝夕の弱い光なら耐えられます。そこで、かの昔、我が一族は姫の祖である当主と密約を結びました。我が一族が力を貸し、戦を制した際には敗軍の人間達を貰い受けると。しかし密約は人間側に漏れ、密約を交わした当主は殺され、家族と近侍は『地獄釜』に落とされました」
「では、お前は……」
「そうです、『地獄釜』に落とされた人間と、鬼の間に産まれた人為らざる忌み子。残念ながら私の他に産まれた子等は長く生きる事が出来ませんでしたが、これから姫にたくさん産んでいただければ仲間が増え、いずれは人間と同じ世界に生きる事が出来るでしょう。ご心配召されるな。『地獄釜』には、既に何人かの娘が暮らしております。姫に不自由はさせません」
 血の気が引いた。
 化け物の子を産むためだけに、連れ去られようとしているのだ。
 幽鬼と化した使用人を倒せても、圧倒的に強いムゲンには敵わない……。
 絶望感に打ちのめされ、せめて自害しようと手にした懐刀も易々と取り上げられてしまった。
「手練れとはいえ、家臣共を斬るのは造作もありませんでした。唯一、苦戦を強いられる可能性があったクヨウは、ご覧の有様です。先代の御館様も、クヨウなど助けずに御自身が生き残っておれば姫の為に戦えたでしょう……どちらにせよ、私が殺しますがね!」
 楽しそうに笑いながらムゲンは、亡骸のごとく地に伏したレンカを抱き上げようと身を屈めた。
 刹那、差し伸べられたムゲンの左腕が、肩から落ちた。
「レンカは、渡さない。ムゲン、お前は俺が斬る」
 幻聴か? 
 霞の掛かった思考で重い頭を持ち上げたレンカの目に、刀を構え立つ血塗れのクヨウの姿があった。




〔5〕


「クヨウ! 生きて……?」
 クヨウは切っ先をムゲンに向けたまま、レンカを助け起こした。
「許せよ、レンカ。早く助けてやりたかったけど、ムゲンは強い。完全に油断するまで、動けなかったんだ」
 左腕の無いムゲンは右手だけで器用に刀を鞘から抜いて構えると、口元を歪める。
「貴様、なぜ生きている? 臓腑を撒き散らすほど深く胴を払ったはず。だが傷が……まさか!」
 何かを悟り、狼狽えるムゲンをクヨウが笑った。
「幽鬼の動きを止めるには、首を落とすか心臓を断つしかない。しかし、それでも完全に殺す事は出来ない。復活を阻む事が出来るのは、日の光だけ。急所さえ逃れれば、人にとっては致命傷でも鬼は癒えてしまうと知っているだろう? そう……俺はもう、人間では無い」
 一ヶ月前、任務時に別行動を取ったクヨウは、レンカとムゲンから離れた場所で一体の幽鬼と遭遇し、殺さずに捉えておいたのだ。
「お前と互角に戦い勝つために俺は、人間を捨てるしか無かった。幽鬼に噛まれれば自らも鬼になる。鬼になった俺は女を囲い遊び人の振りをしながら部屋に引き籠もり、日の光を避けて、お前が正体を現すのを待ったのさ。女には可哀想な事をしたが、地獄で詫びる事にするよ」
「ほぅ……最初から俺を疑っていたのか?」
「お前を疑っていたのは、御館様だ。御館様は俺を逃がす際にムゲンに気をつけろと言った。その言葉に疑問を持った俺は、御館様が何を調べていたか突き止め、引き継いだ。御館様は、出会い茶屋や遊郭で行方不明になった女達を調べていた。そして、見え隠れするお前の存在に気が付いたんだ」
「さすが、御館様が目を掛けた逸材。さもなくば、レンカ姫の許婚になどしないと思ったわ! あの夜、貴様には毒を盛ったが生きて帰るとはな!」
 言い捨てざま、ムゲンは大きく踏み込みクヨウの首めがけて刀身を振り切った。紙一重で避けながらクヨウは身を屈め、腕の無いムゲンの左に回り込む。両手に構えた刀に渾身の力を込め胴を払うも、浅い。
 瞬時に身を翻したムゲンが打ち下ろす刀身を鐔で受けた。
 人の身であれば力も素早さも敵わない所だが、鬼化した身体なら勝てる。
 じりじりと鍔迫り合いしている間に、幽鬼と化したかつての使用人がレンカに襲いかかった。
「レンカ!  戦え! 足手纏いと言ったのは嘘だ、お前は強い!」
 クヨウの呼びかけで、レンカは刀を手に取った。
 躊躇う事無く幽鬼を斬り払い、クヨウの元に駆け付ける。
「レンカ、お前をムゲンに近付けたくなかったから……」
 無言で頷き、ムゲンの背後に回ったレンカは太刀を捨て脇差しを抜いた。レンカの意図を察したクヨウは、柄を握る手を僅かに滑らせムゲンの太刀から逃れると、一足に後方に退く。
 前後同時に斬り掛かる、と、予測させ動いたのはレンカが先だった。ムゲンはレンカなど相手にせず、大振りの太刀をクヨウに振り上げる。だが、その身体が大きく仰け反った。
「……っ!」
 ムゲンの背、心臓の位置に深々と突き刺さった脇差し。
 刀身の刃を上向きにし、槍の如く投げられた脇差しが見事急所を突いたのだ。
 隙を逃さずクヨウはムゲンの片足を払う。背から地に沈んだムゲンの胸に、重みで刀が突き抜けた。
「御免!」
 クヨウの刀身が、ようやく顔を出した月に煌めく。
 鈍い音と共に、ムゲンの首が、宙に舞った。




〔6〕


風花が、闇夜に白く煌めいた。
 朝日と共に幽鬼は霧散するが、夜明けまではまだ時間がある。庭の残骸をレンカに見張らせ、他の幽鬼が出現していないか『地獄釜』まで確かめに行ったクヨウが戻ると、二人は身を寄せ合って月を眺めた。
「日の下で最後に会った朝、酷い事を言った。謝るよ」
 謝罪に首を振るレンカを見つめ、クヨウは寂しく微笑んだ。
「あの朝日は、これから鬼になろうとしている俺が見た、最後の光だった。人を捨てれば、お前と添い遂げる事は出来ない。でも俺が、お前を守るには、この方法しか思い付かなかった。ムゲンは朝夕の日光に耐えられる上に強い。策を巡らせ油断させる為にも、お前に嫌われた方が良かったんだ。本当は俺一人でムゲンを斃し、嫌われたまま姿を消すつもりだった」
「このまま、日の光を避けながら一緒にいる事は出来ないのか?」
 すがるようなレンカの眼差しに、クヨウは目を伏せる。
「無理を言うな、出来るわけが無いだろう? あと数刻で日が昇る。霊山の登頂に光が差す前に俺は、闇に紛れ姿を隠さなければならない」
「行くな……頼む……。ううん、お願い……一緒に、いて欲しいの……私……」
 言いかけた言葉をクヨウは、そっと指で塞ぐ。
「言うな、レンカ。言えば俺は、お前を闇に攫ってしまうだろう。でも、お前を連れて行けば必ず後悔すると解っているんだよ」
「私は後悔などしない!」
「それでも……」
 クヨウはレンカの手を取り、サクラの大木の下へと連れて行った。
「見ろよ、レンカ。冬だというのに、この蕾は開きそうだ。狂い咲きとも徒花とも言うが、実を結ぶ事は出来ずとも、寒空の下で健気に咲く桜は儚く美しい。そして、枯れているように見えながらも春を待ち、逞しく冬を耐えぬく力強さを思わせる。お前も、この桜のように強く逞しく、生きて欲しいのだ」
「クヨウ……一人では強く生きられない。お前がいなくては、心が折れてしまうだろう」
「心配するな。俺は、いつでもレンカの側にいる。お前が務めで危険な目にあえば、影から加勢してやろう。寂しく眠れない夜があれば、庭の影で一晩中見守ろう。そして勤めが解かれる十八歳の夜。再び姿を現し、お前に斬ってもらおう。最後はお前の手で、終わらせてほしいからな」
「いやっ……いやだっ!」
 激しく頭を振るレンカを優しく抱きしめてからクヨウは、突き放すように肩を押した。
「クヨウ……!」
 霊山の頂が、うっすらと白い光に包まれ、クヨウの姿が消えた。
 レンカの足下には、美しい桜の金細工が朝日に眩く輝いていた。


 二年後、十八歳になったレンカは婿を取る事もなく、「これより先、幽鬼を狩る必要は無い」と言い置いて姿を消した。
一族の者は疑い警戒し、暫く十六夜の見張りを続けたが、レンカの言ったとおり二度と幽鬼が出現する事は無かった。
 ある者はレンカが名のある寺に出家したと噂し、ある者は鬼となった恋人と異界で幸せに暮らしていると噂したが、その真実は誰も確かめる術を持たなかった。



〔終〕
























らいか

2018年12月29日 06時04分25秒 公開
■この作品の著作権は らいか さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆テーマ:冬の恋には、春を待てる強さが必要かもしれません。

◆キャッチコピー:正統派王道時代劇風恋愛小説……「言うな、言えば俺は、お前を闇に攫ってしまうだろう。でも、お前を連れて行けば必ず後悔すると解っている……」
◆作者コメント:こんにちは。冬の寒さに暖かな恋物語を……と、思ったのに御覧の有様。リア充に恨みは無い。
 思い切りテンプレ書けて大満足でした。
 よろしくお願いいたします。
 

2019年01月20日 11時06分16秒
+10点
2019年01月14日 10時01分01秒
作者レス
2019年01月13日 23時36分14秒
+30点
2019年01月13日 23時18分54秒
+30点
Re: 2019年01月27日 17時20分39秒
2019年01月13日 17時24分35秒
+10点
Re: 2019年01月24日 12時09分13秒
2019年01月13日 00時53分29秒
+30点
Re: 2019年01月24日 11時08分05秒
2019年01月12日 17時53分43秒
+10点
Re: 2019年01月24日 10時40分58秒
2019年01月05日 23時20分37秒
+20点
Re: 2019年01月23日 13時06分58秒
2019年01月05日 00時09分59秒
+20点
Re: 2019年01月17日 17時28分18秒
2019年01月04日 18時56分52秒
+20点
Re: 2019年01月17日 16時57分17秒
2019年01月03日 15時09分43秒
+20点
Re: 2019年01月17日 15時51分34秒
2019年01月02日 18時36分37秒
+30点
Re: 2019年01月17日 15時16分22秒
2018年12月31日 06時37分58秒
+30点
Re: 2019年01月17日 14時57分59秒
合計 12人 260点

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