〇の恩返し

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 ピンポーン。
 睡眠中の俺は甲高いインターホンの音によって現実世界に引き戻され、身体をベッドから起こした。うだるような暑さで部屋はサウナのようだ。ふと時計を見ればもう11時を回っている。昨晩は週末ということもあって、すこし夜更かしをしすぎた。何をしていたのかといえば、無人島に降り立ったユーザー100人の中から最後の1人になるまで生き残ることができれば勝利という某オンラインゲームをやったり、某インターネットショッピングサイトで俺の持っている某スマートフォンの某付属機器を探したり、某動画配信サイトの某バーチャル動画投稿者の某生配信を観たりしていただけであるが。
 起きたはいいもののベッドから動き出せずにいると、再びインターホンが鳴る。そういえば、昨日は某インターネットショッピングサイトで某スマートフォンの某付属機器を買ったから、それが届いたのかもしれない。さっさと受け取って、二度寝しようかなぁ。いや、さすがに昨日の深夜に買ったものがこんなに早く届くか? じゃあ、某宗教の勧誘か、某放送局の某受信料の催促か? このまま居留守を決め込むか迷っていると、インターホンが連打され始めた。なんか部屋の中にいることはバレてるっぽい……というか、怖い。俺はただの善良な20代後半の会社員男性であって、サラ金に手を出したこともなければ、メンヘラに追い掛け回される覚えもない。俺はとりあえず玄関まで寄って、レンズから外を確認してみることにした。
 レンズをのぞき込む。……誰もいない。インターホンの音も止んだ。なんだ、ガキの悪戯か。俺がため息をついて玄関から立ち去ろうとすると、おもむろに玄関のドアがたたかれる。
「おにいさん、助けてください! おねがいします!」
 それは幼女の声。事件、もしくは事案の匂いをかぎとった俺は急いで玄関のドアを解錠し、開いた。
 そこには、銀髪ツインテールに、きれいな灰色の目、そして縞模様のタイツが印象的な、小学校高学年くらいの女児がゴスロリっぽい恰好をして立っていた。身長が低すぎて玄関レンズに映らなかったらしい。あたりを見渡すが、特に不審者らしい者の姿はない。というかこの女児以外誰もいない。
「えっと、きみは……」
「よお、あんちゃん! 元気してるか?」
 俺が狼狽していると、女児はドア越しに聞こえた声の印象とは打って変わって、気さくに挨拶をしてくる。というか気さくすぎないか。親戚のおっちゃんくらいの距離感なんだが。
 俺は女児の顔をじっと見つめる。どこかで会ったことがあるか思い出してみるが、まったく見覚えもない。顔つきは日本人離れしているが、日本語は流暢だ。ハーフかもしれない。すらっと手足は細長く、肌は青白くて活発というよりは陰気な印象だが、よくよくみればそれなりにかわいい。この女児が何者なのかまったく想像もつかず、俺は答えを絞り出す。
「……突撃隣の晩ごはんかな?」
「私がヨネスケ師匠に見えるか? しゃもじも持ってないし。晩ごはんっていう時間帯でもないだろ?」
 正確かつ迅速につっこまれてしまった。こいつ、なかなかできる。というかマジで誰だ。
「ごめん、マジでお前誰?」
「あーおほん。自己紹介するとだな……」
 女児はわざとらしく咳払いをする。
「私は先日血を吸わせてもらった蚊です! どうも、その節はお世話になりました」
 一瞬、時間が止まったように思えた。
「……蚊?」
「そう、蚊」
 なにかの聞き間違いかと思って聞き直してみるが、女児は自分が蚊であるという主張を崩さない。俺は苦笑いを浮かべながらドアに手をかける。
「あー……そ、そうだね。うん。おにいちゃん今忙しいからまたあとでね」
「待て待て!」
 女児(自称蚊)は慌ててそれを引き留める。俺は怒りの形相で女児を見つめる。
「なんだよ、警察呼ぶぞ」
「幼女に向かって『警察呼ぶぞ』とは斬新だな? まあ待ちなさい若人よ。私の話を聞きなさい」
 胡散臭げに女児の顔を見つめていると、女児はニヤリと笑いながら次の言葉を紡ぐ。
「昨晩のお前は……無人島に降り立ったユーザー100人の中から最後の1人になるまで生き残れれば勝利という某オンラインゲームをプレイし、某インターネットショッピングサイトで某スマートフォンの某付属機器を購入し、某動画配信サイトの某バーチャル動画投稿者の某生配信を観ていたな?」
 俺の心臓が跳ね上がる。図星だ。
「な、なんのことだ?」
「とぼけても無駄だぞ……私は昨日、ずっとあんたの部屋にいたんだからなぁ」
 女児は変わらずニヤニヤとあくどい表情を浮かべながら、すべてを知っているかのように、冷や汗を流している俺を見つめている。どういう方法かは知らないが……たしかに俺のプライベートを掴まれているのは確かなようだ。
「お前が普段熱心に視聴しているド変態な画像や動画について、ご近所様に吹聴してもいいんだぞ?」
「わ、わかったよ! 話を聞くから、それだけは勘弁してくれ……」
 俺は女児を玄関から上がらせて、リビングに座らせる。ろくに片付けもしていない男の一人暮らし部屋だからやや散らかってはいるが、気にしている場合ではない。
「ただいまー」
「自分の家でもないのに、なんでただいまなんだよ?」
「しょうがないだろ。実際この部屋にいたわけだし。しかし相変わらずアレだな、中の下って感じの部屋だな。お前に似て」
「家主に向かって態度悪すぎだろ……。っていうかお前蚊なんだろ? 蚊がどうやったら人間の姿になるんだよ」
 蚊は勝手に座椅子にすわり、俺と向い合せになる。蚊といえば、そういえば今週に入ってから、しぶとい蚊がいて、毎晩睡眠を妨げられてたような……。
「うむ。実はこの一週間、お前の血を吸い続けたことによって神通力を得て、人間の姿に化けることが可能になったんだよ! 化け猫ならぬ化け蚊だな! ハッハッハ!」
「あの蚊、お前かよ!!」
 俺は再び怒りの形相になり蚊につっこみを入れる。
「まぁまぁ、そう怒るなって。今日は血を吸わせ続けてくれたことの恩返しをしにきたんだから」
「なにも好きで吸わせてたわけじゃないんだが……。恩返しって、何する気なんだよ」
 鶴の恩返しならぬ蚊の恩返し……しかし到底こいつに機織りのような殊勝なことができる気がしない。というかすでに正体バラしてるし。蚊はニヤニヤと笑いながら言う。
「あ、お前恩返しって聞いてエロい想像してるだろ?」
「してねーし。幼女の姿でそう言われても困るだけだわ」
「はあ? お前の好みの姿に化けてやったんだから、オタクだったら誰もがエロい目で見るだろ?」
「いや、俺別にロリコンじゃないんだが……」
 蚊は思考が追い付かないという風に、呆然としている。
「え、マジ?」
「うん。俺どっちかっていうと母性溢れる女性のほうが好みだし」
 蚊はがっくりと肩を落としてため息をつく。
「んだよそれー……オタクはみんなロリコンじゃなかったのかよ。せっかく化けたのに化け損だよそんなんじゃ。せっかく童貞くんのためにエロみの深い恩返ししようと思ったのによー」
「お前が勝手に勘違いしたんだろ……」
 俺はふと思いついて、どぎまぎしながら言う。
「ま、まあ俺の好みの姿に化け直してもう一回登場してくれれば、そういう恩返しもやぶさかじゃないけど?」
「もう一週間血吸い続けないとできんわそんなん」
蚊のけだるい返事を聞いて、俺も肩を落としてため息をつく。
「お前もう帰れよ……」
「外暑いし、もう一息つかせてヨン。あー喉渇いたな、なんかジュースでも飲みたいなー」
 もう少し居座るつもりらしい。厄介な客人がきやがった。俺はとりあえず冷蔵庫からトマトジュースを取り出してコップに注ぎ、ストローをさして女児に差し出す。
「ほらよ。トマトジュースでよければ」
「こ、これは……血ッ!?」
「いやトマトジュースだって」
 俺がそう説明するのにもかまわず、蚊はトマトジュースをちゅーちゅーと吸い出した。
「……うまいか?」
「うまい。血じゃないけど」
「そうか」
 夢中で吸い続けているところを見るに、やはり元蚊というだけあって血っぽいものを吸うという行為がなんとなく好みらしい。ジュースを半分くらいまで飲んだところで、蚊は突然思いついたように表情を変える。
「そうだ、お前に言いたいことがあったんだ。いいか、言わせてもらうぞ!」
「なんだよ突然。サイコパスかよ」
 蚊はよほど重要なことを言うかのように、真剣な表情で主張する。
「お前の血なんだがな……、最近味が落ちてんぞ!」
「んなもん知るか!」
 俺は思わずつっこみを入れる。蚊は真剣な表情で続ける。
「特にここ数日は明らかに不健康な味になってる。ちゃんとメシ食ってるか? ちゃんと睡眠とってるか?」
 蚊の問いかけに俺は思わず目を背ける。確かにここ数日は仕事が忙しく、ストレスがたまっていたこともあって、不摂生な生活になっていた。週末だからといってつい夜更かししてしまうのも、平日忙しい反動であったりする。
「まぁ……たしかに最近仕事が忙しくて……」
「そうだろ? この部屋でお前の生活を見ていたが、お前がいつか身体を壊しやしないか心配で……」
 蚊はテーブルから身体を乗り出して、俺の顔を見て話す。
「人間ってのは、私たち蚊と違って、それぞれ個性があって……替えがきかないんだろ? お前が身体を壊したら、大変じゃないか」
 蚊は真剣な表情をしている。現実は必ずしもそうではない。社会ってのは誰かひとりが欠けたとしても、他の誰かがその穴を埋めて、回るようになっているのだ。しかし、まじめな顔で、本当に俺を心配している風な表情で俺にそう話しかけてくる自称蚊という少女を見ていると、少し気が楽になった気がした。
「……まぁ、少しは健康にも気を付けるよ」
 それを聞いた蚊は、うんうん、とうなずいて続ける。
「そして、最高の血を私に吸わせてくれ!」
「やっぱそれが目的かよ!!」
 つっこみを入れる俺。ドヤ顔でこちらを見つめてくる蚊に殺意を覚える。トマトジュースを飲み終えた蚊は突然立ち上がる。
「じゃあ、この辺で私帰るわ」
「あ、そうなん? というか恩返しはいいのか?」
「まぁ、お前も元気出たっぽいし……それでいいかなって」
「ふーん……」
 元気出たというか、怒りに震えたというか……。まぁ、これ以上何かされても困るし、この辺で帰ってもらうのが一番か。
「じゃあ、また吸いにくるからな。元気で暮らせよ!」
「二度とくんな!」
 俺の叫び声が響き、蚊は笑いながら玄関のドアを開けて出て行った。部屋には俺一人が残され、さっきまでのやりとりがまるで白昼夢か何かだったかのように、いつもと同じ静寂で満たされた。俺は安心したような、なにか物足りないようなため息をつく。気づけば、時刻はもう12時を回っている。二度寝をする気は無くなっていた。
 
 
 その日の夜。俺はいつもより早めに風呂に入り、ベッドにもぐりこみながら、今日のことを思い返していた。あいつはいったいなんだったのか。銀髪ツインテールの、不健康な顔をしたハーフ風ゴスロリ少女。そういえば最近観たアニメにあんな感じの女の子が登場していたような気がする。あのキャラクターを参考にしたということなんだろうか? まさか、そんな馬鹿な……。
 そんなことを考えていると、不意に一匹の蚊が俺の耳元に近づいてきた。プ〜〜〜ンという音が俺の睡眠を妨げる。俺は手で蚊を払いのけるが、再び蚊の羽音が響き始める。部屋の電気をつけて、殺虫剤を構えたところで、ふと昼間のことを思い出して手が止まる。あいつの言っていたことを100パーセント信じるわけでは決してない。決してないが、今日は殺生をしたくない気分だ。俺はとりあえず蚊をなんとか窓の外に誘導して、再びベッドに潜り込んだ。
 
 
 翌朝。昨晩早めに寝たおかげで、今日は朝早く起きることができた。カーテンを開けて陽光を浴びていると、インターホンが鳴る。今日こそは某インターネットショッピングサイトで購入した某スマートフォンの某付属機器が届いたのだろう。俺はシャチハタを持って意気揚々と玄関のドアを開ける。
「よう、あんちゃん!」
 見覚えのある銀髪ツインテゴスロリ女児が立っていた。というか昨日の蚊だ。俺はシャチハタを持った右手をだらんと下げる。
「何しにきたんだよ。蚊に戻ったんじゃなかったのか」
 蚊は照れくさそうに頭をかいて言う。
「いやー実は蚊の姿に戻れなくなっちゃって……というわけで」
 蚊は勝手に玄関内に入り込んでくる。
「これからお前んちに住まわせてもらうから、よろしくな!」
 蚊はこちらを振り返って、有無を言わさぬ声でそう言い放つ。
「お前、何を勝手に……」
「嫌とは言わせないぞ? お前のプライベート情報なんかいくらでも知ってるし。なんなら警察に駆け込んでお前に襲われたって言ったら世間はどちらの味方をするかな?」
 蚊はエアコンの冷気を浴びながらそんなことを言っている。
「この悪魔め……」
「まあ、こんな風に脅してるけど、昨日みたいにちょっとずつ恩返ししていくからさ。そこはギブ&テイクでいこうや」
 蚊は殺意に満ちた俺の視線をなだめるように言う。別に昨日も特段恩返しっぽいことはされてないのだが……。俺は昨夜、部屋で蚊に刺されたことを思い出す。
「あれ? ってことは、昨日俺の部屋に血を吸いにきた蚊は……」
「私じゃねーよ。私、昨日の夜は公園の土管で野宿してたし。その辺の野良蚊だろ」
「なんだよ! っていうか野良蚊なんて言葉はねーよ!」
 俺は昨日使わなかった秘密兵器……『金』で始まる名前の企業が発売しているロングセラー商品である某殺虫スプレーを持ち出して、蚊に向かって構える。蚊はそれを見ると真っ青な顔になる。
「とにかく……出て行けー!!」
「ギャー! この蚊殺し〜〜〜!!」
「そんな言葉はねぇ〜〜〜!!」
 俺は蚊に向かって殺虫スプレーを吹きかけながら、忌々しい蚊をいつまでも追い回し続けた。
 
 
 

 
 携帯のアラーム音とともに俺は起床した。すがすがしい朝。カーテンを開けて背伸びをしながら朝日を眺めていると、今日も一日が始まるんだなぁ、という感じがする。俺は洗面所に行き顔を洗い、歯を磨く。最近は生活リズムも整ってきたせいか、目の下の隈もとれ、なんとなく健康的な顔つきになってきた。シェーバーで髭を剃ったあと、いつものようにリビングへパンとコーヒーを持っていき朝食をとる。俺はクロワッサンにかぶりつきながら、床に広がる布団へ視線を投げた。
「ぐ〜〜〜…………、ぐ〜〜〜…………」
 人の部屋で図々しくもいびきをかいて寝ているのは、勝手に俺の部屋に居座り続けている蚊。蚊というのに人の姿をしているのは錯覚ではない。俺の血を吸い続けた結果、人の姿に化けることが可能になったらしい。嘘みたいな本当の……いや、やっぱり本当は嘘かもしれない。最初、銀髪ツインテールにゴスロリという出で立ちで登場したこいつだが、今はTシャツに短パンという生活感溢れる格好だ。
「おい、起きろ。蚊子(かこ)」
「むにゃむにゃ……もう吸いきれないよ……」
 どうやら蚊の姿で人の血を吸いまくる夢を見ているらしい。蚊子というのは、ずっと蚊と呼ぶのは面倒なので、俺がつけた名前だ。なんの捻りもないどストレートな名前だが、本人は割と気に入ってるっぽいのでよしとしている。蚊子は深夜までアニメを観たり、ゲームをプレイしたりしているので俺とは逆に思い切り不摂生な生活だ。人に健康に気をつけろと言った張本人がこれでは、説得力もへったくれもない。ちなみに恩返しっぽいことはまったくされていない。俺は蚊子の頬をぺしぺしと軽くはたいて声をかける。
「起きろっつってんだろ、モスニートが! ムシコ〇—ズでぶったたくぞ!」
「ふぎゃっ!? ム、ムシ〇ナーズだけは勘弁してぇ!」
 蚊子は慌てて飛び起き、部屋の隅へ逃げ込む。モスニートというのは、モスキートのニートだからモスニートだ。以前、あまりにもこいつが働かないからパラサイトだの寄生虫だのと言ったら、『蚊は寄生虫を媒介することはあるが蚊自身が寄生することはほぼない。あんなやつらと一緒にするな』と激高されたので、それ以降はモスニートと呼んでいる。蚊子はしばらく怯えた表情でこちらを見つめていたが、冷静になると事実に気づいてこちらを睨んでくる。
「あれ……? こないだ殺虫剤の類は全部処分したはず……てめー、騙したな!」
 怒り顔の蚊子に対して、俺は平然と続ける。
「はいはい。昼飯は冷蔵庫に入れてあるから、チンして食べてな。今日は帰るのあまり遅くならないと思うけど、腹が減ったら勝手に冷食か、レトルトカレーでも食べちゃっていいから」
「出前は?」
「ダメだって言ってるだろ。インターホン出るのも禁止」
「えぇ〜〜〜、つまんな〜〜〜い」
 怒りを忘れて今度は駄々をこね始める蚊子。蚊子が退屈していることはわかっているが、俺がおよそ小学校高学年程度と思われる外見の女児を家に住まわせていることがご近所様に知られて噂にでもなったら、ポリス沙汰からの社会的な死に至ることが目に見えているのだから仕方ない。気づけばもう7時を回っている。徒歩時間や電車が遅れるリスクを考えたら、遅くとも7時半までには出ておきたい。俺は朝食を片付け、早々とスーツに着替える。玄関へ赴く前に、蚊子に声をかける。
「じゃあ、いってきます。言っとくが、こないだみたいに勝手に外出したらマジでムシコナー〇だからな」
「いってらっしゃーい。だいじょぶだいじょぶ、さきっちょだけだからー」
「さきっちょだけの外出ってなんだよ!」
 朝から下ネタにツッコミを入れながら、マンションの廊下へと出る。
 いつも通りの、日常的な朝。それでも、1か月前の俺には想像もつかなかったような朝だ。
 今日もがんばろう。朝日を見上げてそんなことを思いながら、俺は歩き出す。
 
 
 俺はアパートの階段を昇りながら腕時計を見る。時刻はもう夜の8時を回っている。思ったよりも遅くなってしまった。携帯に連絡はないし、蚊子の身には何事も起きてないと思うが……。自宅の玄関まで到着すると、いつも通り鞄から鍵を取り出して、玄関に差し込み、ドアを開ける。
「ただいま」
「おふぁえりー」
 リビングから聞こえてくる蚊子の声は、なにかをほおばっているようだった。台所の電気はつけっぱなしで、冷凍食品のドリアの袋が放置されているところを見ると、どうやら俺の帰りを待ちきれずにドリアを食べているところらしい。リビングからテレビの音声も聞こえてくる。なにか映画でも見ているのだろうか。俺は革靴を脱いで玄関に上がり、リビングのドアを開けた。
「ウギャアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーッ!!!!」
 心臓が止まったかと思った。テレビ画面では、殺人鬼が若い女性の身体をズタズタに引き裂き、おびただしい血と臓物がまき散らされているところだった。蚊子を見ると、平気な顔をしてドリアを食い続けている。俺はつい呟いた。
「……よくスプラッター映画なんて観ながら、メシ食ってられんな。」
 蚊子は画面から目を離さず、ドリアを食い続けながら言う。
「なんで? グルメ番組観ながらメシ食うみたいなもんじゃん。孤独のグ〇メとか流行ってるだろ?」
 一瞬、俺の思考が追い付かずに固まる。そして、腑に落ちる。ああ、そうか……こいつにとっては、人間の血しぶきはご馳走みたいなもんだったな。それにしても、ゴローちゃんと殺人鬼を同列に扱われるのは、人間代表として異議を申し立てたいが……。
 俺はとりあえずテレビの音量を下げて、夕飯は何を食おうか食材を物色した。今から自分一人分の料理を作るのもめんどくさいし、レトルトカレーでも食うか。レンジでごはんとルーをチンして、食卓へもっていく。蚊子はドリアを食べ終えていたが、相変わらずスプラッター映画が再生され続けていた。
「チャンネル変えるぞ」
「ええー! せっかくいいところだったのに」
「人間の常識で考えろ。メシ時に観るもんじゃねぇんだよ」
 チャンネルを変えると、情報番組で害虫に関する特集を放送していた。近年、海外から恐ろしい害虫が侵入してきていることもあり、特集が組まれているらしい。俺はカレーを口に運びながら蚊子に話しかける。
「お前らのことも出てくるかもしれねーな」
「ふん、どーせ良い風には言われないんだろ」
 蚊子は、口ではさも興味がないかのようにそんなことを言っているが、目はしっかりと画面を見つめている。
「実は一年間で最も多く人間を殺している生物は……なんと、蚊なんです! 伝染病を媒介し、気づかれないうちに人間に忍び寄り、命を奪う蚊は本当に恐ろしい生き物なんですよ」
 アナウンサーがそう語る。俺はニヤニヤと笑いながら蚊子に言う。
「ボロクソに言われてるな」
「………………」
 蚊子は眉をひそめて画面を見つめている。意外と、本当に気分を害しているらしい。テレビで蚊が取り上げられたらこれくらいの言われ方をして当然だと思うが。特集が終わり、次のニュースに切り替わったところで、蚊子が口を開く。
「……あのさぁ、蚊に対する世間一般のイメージって、悪すぎじゃない?」
 俺はテレビの画面を見ながら答える。
「なんだよ今更……。そりゃそうだろ。寄生虫やらウィルスやら媒介しまくってるし」
「そこだよ! そこに私は物申したい」
 蚊子はこちらを向き、テーブルを叩いて熱弁する。
「いいか、積極的に人間を攻撃してくるヘビやハチなんかと違って、蚊は別に人に危害を加えようとしてるわけじゃない。ただ血ほしいなー……、吸いたいなー……と思って吸血したらたまたま病原菌が感染しちゃうだけだ! 行きずりの女を抱いたら性病うつっちゃったみたいなモンで、蚊が一方的に悪いわけじゃない!」
「その例えおかしくない? 人間だって別に血を吸われたくて吸われてるわけじゃないんだが……。っていうか吸血するだけならいいけど、痒くすんのやめろよな?」
 俺はテレビから目を離して、蚊子の意見につっこみを入れる。蚊子は腕組みをしてそれに答える。
「なんだよ。せっかく麻酔かけてやってるんだぞ。お前、痛いほうがいいんか? 麻酔なしで手術されたいんか?」
 謎の熱意で俺に詰め寄る蚊子。俺は若干それに気圧されながら答える。
「それは嫌だけど……」
 蚊子は満足げな表情で、恐らく最初からそう言いたかっただけであろう言葉を発する。
「そういうわけだから、血を吸わせてくれ!」
「なんでそこに繋がんだよ!」
 俺は呆れながらチャンネルを変える。蚊子は不満げにこちらを見つめているが、無視していると、蚊子も再びテレビ番組を観始めた。今度はバラエティ番組で、タレントたちが、あの芸能人とあの芸能人が恋仲らしいだのという噂話を繰り広げていた。俺たちはしばらく黙ってテレビ画面を見つめていたが、蚊子が不意に口を開く。
「お前、彼女とかいるのか?」
 久しぶりに実家に帰省した時の父親かよ。そう心の中でつっこみを入れながら、一応俺は素直に返事をする。
「いねーよ。一緒に生活してんだからわかるだろ」
「ふーん。中の下って感じの顔してるんだから、努力次第ではできるんじゃないか?」
「バカにしてんのか?」
 テレビ画面に向かっていた視線を蚊子の方へ向けて、俺は蚊子と恋バナなのか罵倒なのかわからない会話を続ける。
「中の下くらいの顔して、中の下くらいの会社に勤めて、中の下くらいの奥さんと結婚して中の下くらいの人生を送れよ。幸せじゃん」
「お前という災厄に出会ってしまった不幸を今嘆いてるとこだよ」
 蚊子は微笑みながら続ける。
「まぁ……安心しろ。お前の血液だけは上の上だから!」
「なんのフォローにもなってねぇよ!」
 蚊子はドヤ顔のまま俺を見つめてきている。さっきと同じく今回も、最後のセリフが言いたかっただけだろう。既にカレーも食べ終わり、寝る準備を始めようかなと考えたいたところで、蚊子が不意に話題を変える。
「そういえば今日、お前のクレカを使ってゲームを買いまくってたんだけどさぁ」
「勝手に何してんだ! さらっと言いやがって」
 うっかりスルーするところだった。蚊子はスマホを手に取り、画面をこちらに見せてくる。
「このゲーム、ちょびっとだけプレイしたんだけどなかなか面白そうだったぞ。どの選択肢を選ぶかによってゲーム展開が分岐して、全然違うストーリーになっていくんだって」
「被害総額が気になって全然話の内容が頭に入ってこないんだが……」
 俺は自分の口座額と今月の支出額を思い浮かべる。俺はそもそもそんなに金を使うタイプではないが、蚊子がきてから服やら家具やら生活用品やらをたくさん買ったし、生活費も当然増えていることを考えるとそんなに余裕はない。
「お前明日会社休みだろ? 夜更かしして一緒にやろうぜ。じゃ、先に風呂入ってくるわ!」
 蚊子はそんな俺にも構わず、風呂に向かう。勝手なやつだ、マジで。俺は急いでスマホでクレカの使用履歴を確認する。見れば、さっき話していたゲームは最新作だったのでそれなりの額だが、他は割と少額の作品をたくさん購入している形だったので、家計崩壊するほどの使用額には至っていなかった。セール中じゃない作品を平気で定価で買ってるのには少しイラッとくるが。
 つけっぱなしのテレビではもう既に話題が変わって、幸福度調査の話題になっていた。日本人は調査の結果、自分は幸せだ、と答えた人数が海外と比べて少ないという。自分ならなんて答えるだろうか? 1ヶ月前の自分なら、自分が幸せだとは間違いなく答えていなかっただろう。今も、胸を張って自分は幸せだとは照れ臭くて言えない。しかし、あの頃と比べたら、ほんの少しだけ前向きに答えられるようになってると思う。悔しいが、血液数滴分の恩返しくらいにはなっているらしい。
 ふと、俺の右前腕に一匹の蚊がとまる。普通の人間なら蚊を認識した時点で振り払うか叩き殺すかするところだが、俺は黙って血を吸わせておく。俺が蚊を殺したと蚊子に知られたら怒り狂うのは必至である。他の虫に関してはまったく興味を示さないのだが。
 俺はテレビの音をBGMに、蚊が血を吸うのを観察する。テレビではタレントが、西洋と日本の社会制度の違いについて言及しながら、幸せについて持論を展開していた。俺はくだらない番組だな、と思いながら左手でリモコンを持ち、テレビの電源を落とす。そして、蚊が逃げないようにそっと窓のそばへ移動し、窓を開けて、右腕を窓の外へ差し出す。血を吸い終わった蚊は夜空の彼方へ消えていった。
 まったく、くだらない番組だ。幸せなんて、案外近くに転がって……いや、ブンブン飛び回っているもんだ。時にそれはうっとおしく、小うるさいものだが。
「おーい、シャンプー切れてるぞー!」
 脱衣所から蚊子が出てきて、リビングまで歩いてくる。……全裸で。
「だー、裸で出てくるなー! シャンプーなら詰め替え用が洗面台の下に置いてあるから!!」
 夏の夜空に俺たち二人の叫び声がいつまでも響いていた。


おわり


※蚊に関する記述について、学術的根拠もなく適当に書いている部分があります。作者の昆虫に対する教養はファーブル昆虫記を読んだことがある程度ですので、何卒ご容赦下さい。
北蔵

2018年08月11日 15時20分29秒 公開
■この作品の著作権は 北蔵 さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:人類最大の敵、⚪︎。史上初の恩返しが、今始まる。
◆作者コメント:夏ですね。暑いのでギャグです。爽やかに笑っていただけたら嬉しいです。

2018年08月25日 22時10分00秒
+20点
Re: 2018年09月02日 00時50分08秒
2018年08月25日 15時57分45秒
+20点
Re: 2018年09月02日 00時34分52秒
2018年08月25日 12時03分17秒
+10点
Re: 2018年09月02日 00時09分25秒
2018年08月24日 03時26分51秒
+10点
Re: 2018年09月01日 18時32分54秒
2018年08月22日 23時17分47秒
+10点
Re: 2018年09月01日 18時18分37秒
2018年08月22日 13時39分52秒
+20点
Re: 2018年09月01日 17時49分20秒
2018年08月21日 22時20分38秒
+10点
Re: 2018年09月01日 17時12分10秒
2018年08月19日 21時23分16秒
+20点
Re: 2018年09月01日 16時47分41秒
2018年08月18日 20時36分02秒
+20点
Re: 2018年09月01日 16時43分49秒
2018年08月17日 15時43分36秒
+20点
Re: 2018年09月01日 16時24分36秒
2018年08月13日 13時29分53秒
+10点
Re: 2018年09月01日 15時56分58秒
合計 11人 170点

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