逆転! 長篠の合戦

Rev.01 枚数: 63 枚( 25,144 文字)

<<一覧に戻る | 作者コメント | 感想・批評 | ページ最下部
 こちらは、戦場突撃リポーターの太田牛一です。
 ただいま、長篠の合戦を中継しております。
 日付は、1575年の5月21日、時刻は午前6時を過ぎたところです。
 私は、織田信長様の側近を務めております。今回の合戦では、丹羽長秀様の援軍を仰せつかりました。丹波長秀様の与力として合戦に参加しております。

 信長様は、さきほど徳川本陣に到着した模様です。
 いま私は、徳川本陣の北、左側にいます。
 目の前は浅い谷になっており、東にある対岸に武田軍が布陣しています。敵と味方の距離は、およそ2キロメートルほどでしょうか。
 私から見て、やや左方向の高台に武田勝頼の陣旗が見えます。そこが武田の本陣と思われます。

 対岸に布陣した武田軍の人数は、右翼に3500人、左翼に4500人、中央に5000人、勝頼本陣に 2000人、合計で 15000人ほどと思われます。
 目の前の谷には水田が続いています。すでに田植えが終わっています。谷には、広く水田が開かれており、足場が悪く、戦いに不向きです。

 水田の途切れている場所が三カ所あります。北は、左手のずっと奥にある大宮前のあたりです。中央が、私のいる柳田で、徳川本陣の左側になります。そして南は、徳川本陣の右側、竹広から勝楽寺前にかけて、となります。
 さらに南は、谷が絶壁の峡谷になっております。そこから進軍するのは困難です。

 このため、北の大宮前、中央の柳田、南の竹広の三カ所が、攻め込むことのできる場所になります。
 戦闘が起こるとすれば、この三カ所と予想されます。

 さらに申しますと、南には、街道が通っています。大軍が一度に進軍するのに適した地形です。
 武田が徳川・織田の本陣を攻めるなら、南からの進入路が戦いのカギをにぎる、と考えられます。

 あっ、武田側が一斉に兵を繰り出してきました。
 しかし、これは様子見のようです。
 徳川方も兵を出しました。柵から出た徳川方の人数は、五千人に少し足りないくらいと思われます。

 互いに相手を牽制しています。前哨戦が始まっています。

 あっ、右手ずっと奥に煙が見えます。鳶ヶ巣山砦のあるあたりでしょうか。
 現在、午前八時をまわったところです。
 徳川・織田の別動隊が、武田の鳶ヶ巣山砦に奇襲攻撃をかけたのでしょうか。

 鉄砲の発射音が続けざまに聞こえます。激しい戦闘が行われている模様です。
 いま武田軍を担当するレポーターと連絡が取れました!
 武田軍のレポーターと変わります。

 こちらは武田の本陣を取材している伊賀のくノ一レポーターです。

 事前に武田本陣での軍議の取材を申し込みましたが、情報統制下にあることを理由に断られました。
 そこで、戦いの前に行われた軍議に潜入して取材しました。その時の様子を再現したドラマを制作しています。

 ドラマ内の日時は5月17日の夕刻です。長篠の合戦が始まる四日前になります。この日、徳川・織田の連合軍は新城市の野田原に野営しています。
 武田軍は、この時にはまだ滝沢川の向こう岸にある丘陵に布陣しています。丘陵は長篠城と台地続きです。

 ドラマの舞台となる武田軍の本陣は、四日前には長篠城の北にありました。
 戦国時代なので、再現ドラマの制作に時間がかかりました。時代の制約にご配慮いただき、ご容赦ください。
 では、再現ドラマをお聞きください。

 (ナレーションが始まった)
 長篠の合戦の始まる四日前のことだった。
 武田勝頼は、陣幕に囲まれた軍議の席で、折りたたみ椅子に腰掛けている。
 体育会系の爽やかな美男子だ。いかにも女の子たちにもてそうな顔立ちだった。
 勝頼の前には、戦国時代に最強を誇った武田軍団の諸将が左右二列に分かれて並び、ワラを編んで作った座布団の上に座っている。
 黒衣の美少女が陣幕の影から進み出て、勝頼にピッタリと寄り添った。
 勝頼は少女の頭をなでた。
「黒水蓮か、ご苦労だったな。雛芥子は?」
 幼い女の子が、黒衣の美少女の影から、湧き出るように姿を現わした。女の子は柿渋色の着物を着ていた。
 ススーッと武田勝頼の前に進み出て、その膝にチョコンと座る。
「勝頼様~、雛芥子はガンバリましたよ。ほめてくださいますか?」
 真剣な顔をして、勝頼を見あげる。
 勝頼は、微笑んだ。
「雛芥子、よくやったな。では、皆に話せ」
 女の子は嬉しそうに笑い、それから居並ぶ諸将に向き直った。
 女の子は、よく透る声で話し始めた。
「信長は、4月に摂津・河内の三好三人衆と石山本願寺を攻撃した。4月6日に、京都から直接南方へ出陣し、次々に敵陣を制圧して、4月14日に大阪に進撃した」
 女の子の顔立ちはあどけなかった。が、語り始めた表情は、なぜか鋭い刃物を連想させた。
「信長の率いる軍勢は十万余を数えた」
 居並ぶ諸将がどよめいた。
「おお!」
「なんと!」
「十万余りの軍勢じゃと! 武田軍の四倍ではないか」
 女の子は唇を噛んでうつむき、少しの間だまっていた。そして、ふたたび顔をあげる。
「4月19日には河内の国に進撃し、全ての敵城をことごとく破壊させた。信長は、4月21日に京都に帰還し、今から二十日ほど前の4月28日の午前8時頃に岐阜へ帰城した」
 女の子の語り口は、その幼さにそぐわなかった。
「そして、信長と嫡男の信忠は、徳川家康からの救援要請を受け、5月13日に長篠に向けて出陣した。5月14日に岡崎に着陣し、翌日は駐留している。昨日は豊橋にある牛窪の城に宿泊した。今日は、ここからさほど遠くない野田原に野営するだろう」
 武田四名臣の一人、山県昌景がたまりかねて言った。
「敵の陣容は?」
 女の子は、暗い表情を浮かべた。
「敵の軍勢は五万を越えており、六万に迫るかと思われる。特筆すべきは鉄砲の数だ。一万挺をはるかに越えるだろう」
 同じく四名臣の一人、馬場信春がつぶやいた。
「六万の敵に、一万挺の鉄砲だと? 信じられぬ……」
 女の子は、馬場信春に顔を向けた。
「一万挺を、はるかに越える、と申した」
 副将格の内藤昌豊は、女の子の話を聞いて、深くため息をついた。 
 長坂釣閑斎が、武田勝頼に向き直って、威儀を正した。
「忍びの者が探り出したところでは、先陣は徳川勢が務め、ころみつ坂の上、高松山に陣を布くそうでございます。織田勢からは、滝川一益、羽柴秀吉、丹波永秀の三将が揃って有海原に上り、東向きに布陣する、とのことでした」
 山県昌景が、アゴの下に拳をあてながら言った。
「滝沢川を挟んで、武田本陣と対峙する気だ、ということになるね。だけど、どうやって調べたの?」
 言外に、確かな情報なのかな、と疑問を示している。
 長坂釣閑斎は、語り始めた。
「武田には、後に活躍する猿飛佐助や霧隠才蔵などの真田忍者や、歩き巫女など、忍びの者が数多くおります」
「なんで、未来に活躍する忍者の名前が出てくるんだよ!」
 山県昌景のつっこみを、長坂釣閑斎は「再現ドラマですから」と、受け流した。
「忍びの者は、例えば物売りに変装して、徳川・織田軍から情報を集めます」

 出兵した先では、いろいろな物が必要になる。だから、戦国時代の戦場は、絶好の商売の場であった。
 そして、物売りならば、軍勢がこれからどこに向かうかを、怪しまれずに聞きだすことができる。

 たとえば、こんな風に。

 商人に変装した忍びが、陣中の武士に尋ねる。
「お武家様たちは、次にはどこに陣を掛けられるのですか?」
「なぜ尋ねるのだ!」
「いえ、これだけ物を買っていただけることは、めったにございません。こんどはもっと沢山の品を仕入れて、お武家様の陣中へ伺いたいと思いまして……」
 忍びの者は、陣中の武士に向かって両手を広げた。
「……見当はずれの所に大荷物を苦労して運んでも、物は売れず、くたびれもうけの大損になります。また、他の物売りに遅れをとっては、大金を払って仕入れた品が買っていただけず、これまた大損になります。是非とも、どこに陣を掛けるか、お教えくださりませ!」
 陣中の武士は、仕方なさそうに肩をすくめた。
「大将から、行く先を口外してはならぬ、と沙汰があった。だから告げることはできぬ。ただ、先陣は徳川勢が務め、ころみつ坂の上、高松山に布陣する。織田勢からは滝川一益、羽柴秀吉、丹波永秀の三将が揃って有海原に上り、武田勝頼勢に向かって東向きに布陣する。そんな噂を聞いたような気がせんでもないな……」
 忍びの者は、陣中の武士に深々と頭をさげる。
「大将の御下命とあっては、仕方ございませぬな。こたびは、お買い上げいただき、まっこと有難うござりました」

「このようにして、敵が次に陣を張る場所を聞きだしたのでございます」
 長坂釣閑斎は、武田勝頼に平伏した。

 山県昌景は、「ふ~ん?」と、だけ言った。
 馬場信春がつぶやいた。
「滝沢川には大軍が渡れる場所がない。待ち受けるなら、あらかじめ川を渡っておかねばならぬ。だが、川を背にし、退路を断たれて戦うは、愚の骨頂か……」
 内藤昌豊が腕を組んだ。
「敵は大軍を率い、多量の鉄砲を持って合戦に臨まんとしている。ただ、敵方は四月の末まで摂津・河内の国を攻め、三好三人衆と石山本願寺を撃破したばかりだ。この時期には兵糧の補充は難しく、鉄砲の火薬も玉も残り少ないであろうなァ~」
 勝頼は諸将を見渡した。
「策は、撤退か、対峙か、合戦か、の三つとなるだろう。意見のある者は、いま申すがよい」
 馬場信春は、勝頼の言葉に、一つ一つ深くうなずいた。
 長坂釣閑斎が勝頼に平伏した。
「恐れながら申し上げます。いま撤退すれば、いずれ敵は長篠城を拠点として、兵糧・弾薬を蓄え、十万を超える軍勢で、同時に多方面から甲州に攻め込むと思われます。これに上杉が呼応すれば、戦国最強の武田軍団といえども、支えきるのは至難の業と思われます」
 長坂釣閑斎は、馬場信春に目を向けた。
 馬場信春は、これまで撤退を主張している。
 長坂釣閑斎の言葉に気迫がこもる。
「よって撤退は、武田の滅亡か、織田に服従する道に続く。そのように思われまする」
 それから長坂釣閑斎は、ゆっくりと息を吸った。
「対峙すれば、敵は大軍ゆえ、ほどなくして兵糧が尽き、兵を引くでありましょう。
 長篠城が我らの手にあれば、十万の大軍であろうと、防ぐことが出来ます。
 また、いま合戦になろうとも、戦って、敵の火薬と玉が尽きれば、武田の突撃が必ずや敵を粉砕する。
 そう考えまする!」

 (ナレーションが入る)

 長篠城を攻める武田軍の軍勢は、二万人を数えた。それにたいして長篠城に立てこもる徳川方の軍勢は五百人ほどにすぎなかった。それなのに、すでに二週間余りも長篠城は持ちこたえている。
 長篠城は、難攻不落な城であった。

 武田勝頼は、居並ぶ諸将を見渡した。
「ほかに意見のある者はおらぬか?」
 諸将は、静まり返っている。
 勝頼は、しばし瞑目した。そして大きく息を吸い、諸将に伝えた。
「では、命令をくだす。我が方は、このまま滝沢川に面した丘陵に留まり、対峙の道を選ぶ」
 居並ぶ諸将は、一斉に頭を垂れた。

 武田勝頼は、諸将が退出すると、二人の女の子の頭をなでながら言った。
 「雛芥子、黒水蓮、本当によくやったな」
 勝頼の膝に座った雛芥子は、大きく息をはいてクタンと気を失った。
 黒水蓮は、あどけなく眠る雛芥子を抱えると、影に溶け込むように姿を消した。

 四日前の武田の軍議の様子を再現ドラマでお送りしました。
 では、武田からの中継をいったん終わります。

 いま、5月14日に岡崎で行われた徳川・織田の軍議の情報が入ってきました。
 戦国時代なので、情報の伝達は遅くなります。時代の制約にご配慮いただき、ご容赦ください。

 岡崎のレポーターと替わります。

 こちら、岡崎です。
 織田軍は、長篠の合戦の七日前に岡崎に着陣し、翌日は駐留しました。
 岡崎城は、徳川家康が今川の人質の身分から解放されたあと、初めて手に入れた城です。徳川家復興の象徴であり最重要拠点です。
 織田軍が岡崎に着陣したときに、ちょうど長篠城から使者が到着していました。
 織田信長と徳川家康は、使者の報告から武田の陣容を具体的に知り、作戦を練ったようです。
 武田信玄が、信長の比叡山焼き討ちをきっかけに、織田との同盟を一方的に廃棄したのは、四年前です。
 それまで織田と武田は、長いあいだ同盟関係にありました。このため信長は、武田の忍びがどれほど優秀か知っていました。
 信長には、これを逆手に取る手段がありました。
 軍議の状況を再現したドラマを作成しております。
 ゆっくりとお聞きください。

 織田・徳川の重臣たちが岡崎城の奥まった部屋に集められている。長篠城から派遣された使者の報告をもとに、徳川の重臣が武田軍の配置を説明してゆく。

「まず、地形についてでございます」
 徳川の重臣は、そう前置きして、地図を示した。
「長篠の手前には、細長い平地があります。平地の左右は深い山です。右手の山のふもとを、乗本川が流れています。平地の奥では、左奥から流れる滝沢川が乗本川に流れ込んでいます」
 つづいて、戦場の概観が解説される。
「長篠城は、滝沢川と乗本川の合流点にある台地の上に築かれています。川と断崖が自然の要害となっています」
「そんなに説明が多いと、拙者は覚えきれないぞ!」
 羽柴秀吉がヤジをとばすが、説明は続く。
「城主の奥平信昌は、城をよく守ってまいりました。しかし、武田の大軍相手では多勢に無勢。援軍なくば、ほどなくして城は落ちる、と知らせがありました」
 説明は、武田軍の配置に移る。
「武田軍は、滝沢川の対岸にある丘陵に布陣しております。勝頼は長篠城の北に本陣を定めております。また、武田軍は乗本川の対岸にある高地にも、鳶ヶ巣山砦をはじめ、五つの砦を築いて布陣しております」
 説明が一通り終わるのを待って、信長が口を開いた。
「武田の布陣は、いま説明のあったとおりじゃ」
 信長が、続いて作戦を説明する。
「先陣は徳川勢が務める。徳川勢は、ころみつ坂の上、高松山に布陣する。織田勢からは滝川一益、羽柴秀吉、丹波永秀の三人が揃って有海原に上り、武田勝頼勢に向かって東向きに陣を築け」
 佐久間信盛が「はあ?」と、当惑した声をあげた。
 信長が指し示した地図上には、高松山ではなく弾正山、有海原ではなく弾正台と書かれている。
 羽柴秀吉が膝を打った。
 秀吉は少し間をおき、皆が理解でき始めたのを見計らってから、話し始めた。
「先陣には、その地方の軍勢を充てるのが慣例でございますな。それゆえ……」
 秀吉は、そう前置きをして、弾正山よりも先にあるころみつ坂をまず指し、そこからずっと先にある高松山を示す。
 高松山は、北から流れる滝沢川を挟んで、医王寺にある勝頼の本陣と対峙する位置にある。
 秀吉は、地図の上で、ころみつ坂と高松山を示したあと、こんどは3キロメートルほど手前にある弾正山を指して語る。
「徳川勢は、ころみつ坂をあがり、ここにある作戦名『高松山』に布陣するのですな」
 信長は腕を組んで、満足そうにうなづいた。
 秀吉は地図の上、弾正山の北に広がる弾正台を指して続ける。
「そして、秀吉は、滝川一益様、丹波長秀様とともに、ここにある作戦名『有海原』に上り、武田勝頼勢に向かって東向きに陣を築く。そうでございますね」
 柴田勝家が大きくうなずいた。
「なるほど! 滝沢川には大軍が一度に渡れる場所がない。だから徳川勢が高松山に陣を張り、織田の主力が有海原に上がって徳川勢の後方に布陣すると分かれば、武田勢は戦うために、あらかじめ滝沢川を渡って待ち受けるほかない」
 柴田勝家は、パンと手を打ち、身を乗り出して地図を示す。
「だが、川を背にして布陣するのは愚策の中の愚策。よって武田勝頼が滝沢川を渡って我らを攻めることはない。ならば、我らは武田に攻められる恐れなしに(弾正山を示しながら)作戦名『高松山』と作戦名『有海原』に陣を張ることができる」
 柴田勝家は、信長に向き直って、大声で告げる。
「さすがは信長様でございますな!」
 佐久間信盛が、ようやく納得した顔になった。
 秀吉が首をひねっている。
「なぜ明智光秀が軍議に参加してないのだろう?」

 岐阜から出兵した織田軍にとって、長篠周辺の地名など、どうでもよかったのです。信長が弾正山を高松山、弾正台を有海原と呼んでも、織田軍の兵は「ああそうなのか」と思うだけですみます。
 織田信長は、楽市楽座の制度を設けて各地からの商人を受け入れています。このため、噂がどんな風に広まるか、かなり正確に把握していたと思われます。
 太田牛一レポーターは、織田信長の側近ですが、この戦いには丹波長秀の与力として参戦しています。
 敵をあざむくには、まず味方から、と申します。ですから、このやりとりは与力の太田牛一レポーターには伏せられています。それを踏まえて、今後のレポートをお願いします。

 織田軍担当の、太田牛一さ~ん!

 はい、こちらは戦う戦場レポーターの太田牛一です。
 徳川・織田の連合軍は、作戦名「高松山」と作戦名「有海原」に着陣すると、急いで馬防ぎの柵を作成しました。さく、だから、さくせい、なんちゃって!

 今年のコメの作柄に響くような寒い冗談はやめて、状況をちゃんと伝えてください!

 すみませ~ん。戦場リポーターの太田牛一です。
 徳川・織田の連合軍にとって、いちばん危険だったのが、徳川勢が作戦名「高松山」に、織田勢の滝川一益、羽柴秀吉、丹波永秀の三将が作戦名「有海原」に陣を張るまででした。
 陣を張ってる最中に武田軍に攻め込まれたら、徳川家康が首を取られる、そんな展開があったかもしれないからです。
 ですから馬防ぎの柵は、到着した5月19日のうちに突貫工事で完成しています。

 ずいぶん早かったですね~

 ええ、織田軍は戦闘が専門の職業軍人が有名です。ですが、今回は農民兵も数多く加わっております。地面を掘るのは、畑を耕すので慣れてますからね。

 地面を堀る専門家が多数いたから、すばやく柵を建てることができたのですね。
 さて、予想外の場所に徳川・織田の連合軍が布陣したわけですが、武田側の様子はどうだったのでしょうか。

 こちらは武田の本陣です。伊賀のくノ一レポーターがお送りします。
 今回も事前に武田本陣での軍議の取材を申し込みましたが、再び断られました。
 残念ながら伊賀のお色気の術も、効果がありませんでした。
 胸か、胸が無いのがいけないのか。
 大きいと忍びの仕事に差支えるのになァ。
 でも、めげずに、潜入取材にもとづいて再現ドラマを作成しました。
 ドラマ内の日時は5月19日です。長篠の合戦が始まる二日前になります。この日、徳川家康は作戦名「高松山」に、織田勢は三将が作戦名「有海原」に布陣を完了しています。
 この時点で、武田勝頼は本陣を滝沢川の対岸にある丘陵に設けたままです。まだ陣を移していません。
 では、軍議の再現ドラマをお聞きください。

 武田勝頼は、軍議に先だって長坂釣閑斎を呼び出していた。近くに呼び寄せ、声をひそめて語る。
「いま、織田信長の勢いはとどまることを知らぬ。時が立つほど武田は不利となる。おそらく、この合戦が信長を倒せる最後の機会となるであろう」
 長坂釣閑斎は、深くうなずいた。
「御意!」
 長坂釣閑斎は武田勝頼に、その一言で、自分のなすべき役割を完全に理解したことを伝えた。
 そして、軍議が始まった。
 今度の軍議でも、武田勝頼の膝には幼い雛芥子がすわり、脇には黒衣の美少女、黒水蓮が寄り添っている。
 黒水蓮が、口火を切った。鋭い声は、軍議の席の隅々にまで届いた。
「徳川家康は、滝沢川から3キロメートルほど離れた弾正山に陣を張った。その北側にある弾正台に織田の重臣たちが布陣した」
 武田勝頼は、集まった諸将を見渡した。
「さて、この事をどう見る。意見のある者は、いまこの場で述べるがよい」
 馬場信春が、武田勝頼に平伏してから言った。
「罠を警戒する必要がありそうですな。うかつに動くべきではないでしょう」
 長坂釣閑斎が異議を唱えた。
「織田軍に、何か不測の事態が起きたのでございましょう。織田軍は四月末まで十万を越える大軍で大阪を攻めていた。兵は疲れ、兵糧や弾薬が不足しておかしくない。なにか合戦に臨むことのできない事態がおきたのでしょう」
 馬場信春が武田勝頼に向き直って反論する。
「いや、敵は武田が打って出るのを、万全の構えで待ちかまえていると見るべきですぞ」
 長坂釣閑斎が言いつのる。
「織田・徳川に合戦の準備が整う時間を与えるのは愚策でござる。今は、一気に攻めるべき時でござろう!」
 武田勝頼が、二人をとりなした。
 山県昌景が、ぼそりと言った。
「織田信長と直接対決できるのは、めったにない機会だね。罠なら食い破る、でいいんじゃないの?」
 武田勝頼は、諸将を見渡して言った。
「ほかに意見はないな。ならば命じる。長篠城の攻め手を残して、本隊を対岸の台地に移し、谷をはさんで織田・徳川と対峙する」
 勝頼は息を吸い込み、鋭く言った。
「織田・徳川に隙ありと見えれば、攻め込み撃滅する。諸将は合戦の準備をして出発せよ!」
 軍議に参加した諸将は、一斉に「応!」と叫んだ。
「黒水蓮、兵の士気を高めよ。頼むぞ」
 勝頼のささやきに、黒衣の美少女はうなずいて応え、闇に溶け込むように姿を消した。
 後には、微かに花の香りが残っていた。

 このあと武田は本陣を谷の対岸に移しました。こうして、武田の本隊一万五千と、徳川・織田の連合軍とが対峙する現在の状況に到ったのです。

 たった今、織田の陣営から情報が入ってきました。
 前日の軍議の様子です。
 再現ドラマをお聞きください。

 1575年5月20日、長篠の合戦の前日に、織田・徳川連合軍は、信長本陣の極楽寺山で軍議を開いていた。集まった諸将のもとに、物見の兵の知らせが入る。
「武田軍が、谷をはさんだ高台に陣を移し、徳川・織田軍と対峙しました」
 不安と緊張が一気に高まり、軍議の席を支配する。
 徳川軍と織田の増援部隊が三方原で武田信玄に大敗したのは、わずか二年五ヶ月前のことだった。
 その時の武田軍の強さ、恐ろしさは、皆の心に生々しく刻まれている。
(このままでは、まずいな)
 家康は、酒井忠次に向き直った。
 「酒井、あれをやれ!」
 酒井忠次は、神妙な顔で平伏する。
「御所望とあらば、……」
 酒井忠次は、その言葉を残して、いったん姿を消した。 再び現れたとき、酒井忠次は恵比寿の面をつけ、ゆったりとした厚手の着物をまとっていた。
「どこに用意してたんだよ」
 羽柴秀吉からツッコミが入った。
 「恵比寿舞」は豊漁を祈る儀式の舞である。
 しかし、それだけではない。
 かつて家康は桶狭間の戦いの後に、人質となっていた今川から離れ、織田と同盟を結んだ。無事に同盟が結ばれた事を祝う席で、信長は「人生五十年……」の敦盛を、家康は恵比寿舞を舞っている。
 徳川家にとって「恵比寿舞」は徳川・織田の同盟を寿いで主君家康が舞った特別な舞である。
 酒井忠次には、自分が「恵比寿舞」を演じるからには、この場の固い雰囲気を必ず変えねばならないことが分かっていた。
 酒井忠次は、ふたたび信長と家康に向かって平伏する。
「未熟者なれど、ご指名なれば、……」
 「恵比寿舞」が厳かに始まった。
 羽柴秀吉がつぶやいた。
「めでたい舞なのは分かるけど、なんでこんな時に……。これしか持ち芸がないのかよ」
 酒井忠次は、秀吉の言葉に気付かないように舞を続けた。
 舞の途中で、酒井忠次は懐から手拭いを取り出して、面を持ち上げながら頬かむりをする。
「いったい何を……」
 酒井忠次は、いぶかる秀吉の前で、厚い着物を脱ぎ捨てる。下に着ていたのは、尻をからげた「エビすくいの狂言」の衣装だった。
 酒井忠次は、面を外してザルのように構え、そのまま「エビすくいの狂言」を始めた。
 酒井忠次は、何が始まったか状況のつかめぬ秀吉の前に進み出て、ひどく真剣な面持ちで、面のザルからエビを掴み取る。
 そして秀吉を睨み付ける。
「さっき、突っ込んだのは悪かったけど、そんなに殺気立った顔をしなくても……」
 秀吉がそう思った次の瞬間だった。
 酒井忠次は、エビを目の前にして、目をむき、ニタリと崩れた笑みを浮かべ、とつぜん馬鹿ヅラで秀吉に迫った。
 秀吉は、ふいに馬鹿ヅラを突きつけられて、驚きのあまり立ち上がろうとした。しかし、腰を抜かし、そのまま頭から後ろに倒れる。
 極限の緊張が、そのままの強さで可笑しさ滑稽さに変わった。
「ア~ッ、ハッハッハッハッ!」
 秀吉は、耐えきれずに、大声で笑い転げた。
 酒井忠次は、すすーっと、柴田勝家の前に進んだ。
 柴田勝家は動転した。
「なぜだ、なぜワシなんじゃ!」
 酒井忠次は、柴田勝家を睨み付けながら近づいてゆく。その真剣な表情には、殺気すらただよっている。
「笑ったからか? 笑ったのがいけなかったのか?」
 酒井忠次は、混乱する柴田勝家の前で、ザルからすくい上げたエビを捕え、自分の目の前に持ち上げる。
 酒井の両目が中央に寄る。目じりが下がり、口の端が引きつるように上にあがる。それから酒井は、突然に大口を開けて、勝家の目前へと迫った。
 勝家は、とんでもない馬鹿ヅラを目の前に突き付けられて、座ったまま後ろに、ドウッと倒れた。勝家は、倒れたまま両手をバン、バンと床に打ちつける。
「目の前にいるのは、徳川の筆頭家老の酒井様だぞ。笑うな、笑ってはならぬ!」
 そう思えば思うほど、可笑しさがこみあげて、どうしようもなかった。
 堪えようとすればするほど、とめどなく笑い声が口から溢れだす。息を吸う間もなく大笑いがつづいた。
 秀吉も、ヒー、ヒーと、ヨガリ声のような笑い声をあげながら、身をよじり、身もだえしている。床を拳で叩き続ける。
 周囲の者たちは、秀吉と勝家が笑いころげる様をみて、大笑いした。次第に爆笑の渦となってゆく。
 やがて酒井忠次は、脱ぎ捨てた着物をまとい、恵比寿の面をつけて、厳かに「恵比寿舞」を終えた。
 酒井忠次の不意打ちは、見事に成功した。

 軍議の席の雰囲気は一変していた。

 緊張の解けた軍議の席で、諸将の配置と戦闘の打ち合わせが滞りなく終わった。
 酒井忠次は、軍議の終了をまって、かねてからの腹案を口にした。
「恐れながら、申し上げます」
 織田信長が上機嫌で応じた。
「申せ」
「別動隊で鳶ヶ巣山砦に奇襲攻撃をかけてはいかがでしょうか」
 信長の顔色が激変した。
「この大馬鹿者め! 我らは大軍じゃ。どっしりと構えて武田の攻撃を待ち受けていればよいのじゃ!」
「ですが……」
 言いつのる酒井を、徳川家康が鋭く叱咤した。
「控えよ、忠次!」
 主君家康の、これまで聞いたこともないような鋭い叱責の言葉を聞いて、酒井は引き下がった。
 酒井忠次は、諸将の面前で信長の激怒をかい、面目を失った。

 失意のうちに陣に戻ろうとする酒井を、信長の使者が引きとめた。陣幕の内に案内される。
 織田信長が待ち受けていた。
「さきほどの案は見事なり。(だって、あれは俺の案だもの、俺の案だもの、俺の案だもの……)」
 酒井忠次は、平伏した。
「あの場には多くの諸将がいたゆえ、敵に漏れるのを恐れて叱責した。(いきなり俺の案をバラされたら、キレるよ、キレるよ、キレるよ……)」
 信長は、鋭く言った。
「酒井忠次、おぬしを別動隊の総大将に任ずる。必要な兵を申せ」
「ならば、徳川から鉄砲五百と弓七百、切り込み隊に八百人ほどを……」
「足らぬな。武田勝頼は、二万二千の兵を動かした。いま本隊の数は一万五千。戦いで消耗したとはいえ、勝頼の後詰めには、六千の兵がおると思え」
 信長は、酒井忠次を見すえて言った。
「よって、馬廻り組から鉄砲五百を付ける」
 酒井忠次が目をむいた。
「織田の精鋭部隊から、鉄砲隊を五百人も……」
 信長は、かまわず続ける。
「徳川からは鉄砲五百と、弓のあつかいに優れた者を千五百用意しろ。織田から、ほかに命知らずの切り込み隊を千五百用意する」
 信長は語気を強めた。
「合計四千だ。不足か!」
 酒井忠次は、答えた。
「いえ、十分でございます。夜間に深山を移動するので、それ以上の人数では統制がとれません」
「勝てるか」
 酒井忠次は、信長の問いに、静かに答えた。
「勝ちます」
「よし。物資の補給はできぬから、必要な物を十分に持ってゆけ。そして、必ず鳶ヶ巣山砦を落とせ!」

 こうして酒井忠次の率いる別動隊は、乗本川を越えて深山へと分け入って行った。
 川を越えるときには、鉄砲や火薬、弓の弦が濡れることが無いように、仮設の橋が工兵隊によって作られた。

 以上が別動隊の結成と出動の様子です。

 おや、武田の本陣付近が何やらあわただしくなってまいりました。
 伊賀のくノ一レポーターが現場に突撃取材します。
 これは、……
 陣幕の向こうで臨時の軍議が行われている模様です。取材を続けます。直接には音声を拾えないため、私が状況を申し上げます。
 本日の早朝に、鳶ヶ巣山砦が奇襲を受けた、……ようです。強襲をうけて砦は徳川に奪われた。
 しかし守備をあずかる武田信実は、周囲の砦の兵を集めて、鳶ヶ巣山砦の奪還に成功したようです。
 さらに使者がきた模様です。
 鳶ヶ巣山砦は、ふたたび奪われたとのことです。徳川勢は、優勢な鉄砲と弓を武器に、武田勢を退けた模様です。
 また、使者がきました。息が乱れていて辛そうです。
 武田信実は、旧本陣やその周囲の砦を守る兵を集め、鳶ヶ巣山砦を攻めて、再度の奪還に成功したようです。
 また、使者です。負傷しているようです。
 ひょっとすると、……
 やっぱり!
 徳川奇襲部隊の攻撃によって、五砦の守備隊長は、武田信実、三枝守友、飯尾助友などが戦死し、鳶ヶ巣山砦は最終的に奇襲部隊が占拠しました。
 現在、徳川軍の奇襲部隊は、他の砦を掃討している模様です。

 これで武田の本隊は、背後に敵を受けることになります。
 なお、これは実況中継です。再現ドラマではありません。
 引き続き、武田勝頼の本陣での発言を現場からお伝えします。

 ……五千の兵を残したが、砦が落とされたか。
 砦を落とすには、守備隊の四倍以上の軍勢が必要だ。
 谷の向こうに布陣する徳川・織田の軍勢は、およそ二万人。
 背後に回って砦を落とした敵は二万以上のはずだ。
 たしか徳川・織田の軍勢は、六万に迫るはずだったな。
 ならば、最大で四万近い敵が、武田軍が退却する先で待ちかまえている可能性がある。
 そうか、柵を三重に構えたのは、攻めるのは無謀と思わせ、武田軍を引かせるため。そして退却する武田軍を大軍で待ち受け、打ち破ろうとする策か。
 ならば、目の前にいる織田と徳川の兵は、さほど多くはないのでは?
 いま目の前の弾正山に、信長と家康の陣旗が見える。
 守備の兵が少ないから、一カ所に集まって防備を固めているのではないのか?
 ならば、敵の大多数が我らの後方にいる今こそ、攻める好機ではないか。
 どれほどの犠牲をだそうとも、信長と家康の首を取れば、武田の勝利だ!

「雛芥子! 黒水蓮! 魂降ろしの秘儀を行う」
 武田勝頼の命令に従って、柿渋色の着物の幼女と黒衣の美少女が勝頼の前で平伏した。二人はそれぞれ、するりと着物を脱ぎ捨てる。
 まず、黒衣の美少女、黒水蓮がしなやかな手足で勝頼の懐にもぐり込み、背中にまわり、勝頼の肩にすがりつく。雛芥子は勝頼の首に腕をまわして、幼い胸を勝頼に合わせる。
 勝頼が叫ぶ。
「天竺から伝わり、比叡山に祭られし密教の秘仏、不動明王に祈りたてまつる。この身に英雄、豪傑の魂を降ろしたまえ!」

(こちらは潜入取材中の伊賀のくノ一レポーターです。
 武田勝頼は、交合仏の形を再現した模様です。
 交合仏は、男女が性交する姿をかたどった仏像です。
 すっごく怪しく、いかがわしい代物です。
 怪しいから、何か神秘的なご利益がありそうだ。
 そんな期待から、発達したのが密教です)

 こちらは、戦場レポーターの太田牛一です。
 とんでもない事実を掴みましたね。
 四年前まで、武田と織田は同盟関係にありました。
 ところが、比叡山の焼き討ちをきっかけに、武田信玄は織田との同盟を一方的に廃棄して、織田・徳川と敵対するようになります。
 そうすると、比叡山に伝わる密教の秘法こそが、戦国最強を誇る武田軍団の強さの秘密だった。
 そんな推測が成り立つでしょうか。

(そこまでは、分かりません。
 でも、武田勝頼が密教の信者だったとは、意外でした。おそらく、強い自己暗示をかけるための儀式と思われます。
 えっ? 何、これ……)

 武田勝頼の顔に強風が吹きつける。目の前に広がる海は荒れている。
 船頭・舵取りたちが武田勝頼を取り巻く。
「ご渡航は、できません!」
 しかし、勝頼は言い放つ。
「むかし、源義経と梶原景時が退却に備えて逆櫓を付けるかで争ったときも、このくらいの風だったろう。是非とも渡航するから、船を出せ!」
 武田勝頼は強引に出航していった。

(これは、勝頼の心に描かれた情景を見ているようです。伊賀忍術、以心通が勝手に発動しています。
 武田勝頼、恐るべし。凄まじい気迫、凄まじい精神力です!)

 柴田勝家が、兵千人ばかりで東から攻めてくる。林美作守は南から手勢七百人ばかりで、武田勝頼を攻めてくる。勝頼の軍勢は、七百人に届かなかった。
 勝頼は東の柴田勢に、過半数の兵を攻めかからせた。散々にもみ合って、なんとか柴田勝家に手傷を負わせ、後方に引かせた。
 しかし、多勢に無勢。百七十人ほどの兵たちが、三百四十人ほどの敵に追われて勝頼のもとに逃げてくる。
 この時、勝頼の周囲を守る兵は四十人ほどだった。
 勝頼の前で戦闘が始まる。
 勝頼は大音声(だいおんじょう)をあげた。
「俺は、正当に支配権を与えられた後継者だ。お前たちは、その正当な後継者に刃向う逆賊だぞ!」
 大義名分を告げる大音声によって、柴田勢は立ち止まり、ついに逃げ崩れていった。

(これが大音声ですか。凄まじい威力ですね。命のやり取りが行われている戦場の喧噪のなかで、戦場を圧して放たれる、まさに戦術級生体音響兵器です)

 勝頼は、南に向かって、林勢に攻めかかった。三百ほどの兵で、七百の軍勢に立ち向かった。
 勝頼は、敵の大将、林美作守が戦っている所に駆けつけて、美作守に挑んだ。勝頼は、林美作守を突き伏せて首を取った。
 敵の大将を討ち取って、武田勝頼が一番手柄をあげた。

(大将が大将を討ち取ったのですか。戦国時代には、こんなことが普通に行われていたのでしょうか?)

 今川義元は、前方に五千、左右に五千づつ、本陣に五千、後方に五千、計二万五千の軍勢を従えて、桶狭間山に陣を張っていた。
 武田勝頼が山際まで軍勢を寄せた時、激しいにわか雨が石や氷を投げ打つように降り出した。味方には後方から降りかかったが、北西を向いて布陣した敵に、雨は顔に降りつけた。
 激しい風と豪雨をうけて、二抱えも三抱えもある楠の木が東へ降り倒された。
 あまりのことに、「天上で熱田大明神が戦っていなさるのか」と皆が言い出すほどだった。
 勝頼は、空が晴れるのを見ると、槍を地面に立て、「すわ、かかれ、かかれ!」と、大音声をあげた。

(出ました! 戦術級生体音響兵器の大音声です)

 勝頼の軍勢が黒煙をたてて攻めかかるのをみて、敵は桶で撒かれた水のように、くわっと後ろに崩れた。弓・槍・鉄砲・のぼり・さし物を投げ出して算を乱して逃げ出した。
「あそこに敵の大将がいるぞ。攻めろ、攻めろ!」と、勝頼は命じた。
 敵の大将は、三百騎ほどの旗本に囲まれていたが、波状攻撃をうけて次第に人数が減り、五十騎ばかりになった。
 勝頼も馬から降りたって、若武者たちと先を争って、突き伏し、突き倒して戦った。
 いきりたった若武者たちは、乱れかかってしのぎを削り、火花を散らして火焔を降らせた。たちまち敵・味方の双方から、負傷者・死者が数えきれない速さで出ていった。

(短時間の戦いにもかかわらず敵、味方の戦死者・負傷者はすでに五百人を越えています。凄まじい激闘です!)

「毛利新介、敵の大将義元の首を討ち取ったり~!」
 ついに味方の一人が勝ち名乗りをあげた。
 勝頼の胸の鼓動が高まる。血が熱く燃える。
 勝頼の全身から精気がほとばしった。

「ご苦労だったな、雛芥子、黒水蓮!」
 武田勝頼は、全身から溢れる精気をまとって言った。
「凄すぎますよ、勝頼様」
 黒水蓮が、勝頼の背中から肩によじ登りながら言った。
「すごい、すごい、すごく気持ちいい!」
 雛芥子が、勝頼にお姫様だっこをされながら言った。
 勝頼が、慌てて周囲を見た。
「おい、おい、誰かが聞いていたら誤解されるぞ」
 雛芥子は、トロンとした顔で甘えるように言った。
「だって、気持ちよかったもの」
 勝頼は苦笑した。
「そんな幼児愛好者と誤解されるような言い方は止めてくれよ」
 黒水蓮がダメを押す。
「敵方の前田利家は十二歳のまつと結婚して十三歳で子供を産ませてます。秀吉は十四歳のねねと結婚してます。私だって結婚できる年齢ですよ?」

 なんだって~?
 こちらは突撃戦場レポーターの太田牛一です。
 黒水蓮ちゃんは、子供じゃなかったのですか?
 伊賀のくノ一レポーター、黒水蓮ちゃんの様子を教えてください。
 できたら映像つきで!

(ダメです。放送の倫理規定に違反します。でも、太田レポーターの鼻息が荒いですね。女の子の裸に、そんなに興味があるのですか?)

 いえ、ハァ、ハァ。落ち着いてきました。どうも羽柴秀吉様と付き合っていると、下品になっていけない。
 あの人は下ネタが大好きだからなあ。
 朱に交わると赤くなるといいますからね。

(え? 秀吉さんと交わったのですか? キモ!)

 ち、違います。そんなことは、していません!

(慌てるところが、とても怪しいですね。
 ところで、武田勝頼は、黒水蓮の誘いを、やんわりと跳ね除けました。
 もてる男は違いますね)

「魂降ろしの秘儀では、この身に降りた英雄、豪傑の魂を保たねばならないからな」
 武田勝頼は、黒水蓮にそう告げて、軍議の席に向かった。

 軍議の席で、勝頼が口火を切った。
「鳶ヶ巣山砦を始め、五つの砦が落とされた。砦には五千の兵を残したが、打ち破られた。敵は大軍で我らを待ちかまえていよう。」
 勝頼は、居並ぶ諸将を見渡した。
「前方にいる敵は、兵を分けて、減っているはずだ。織田と徳川の軍旗が一カ所にあるのは、守る兵が不足したためだろう」
 勝頼は、決然と言った。
「命じる。馬場信春は真田兄弟とともに千六百の軍勢で北の丸山を落とせ」
 馬場信春は、勝頼に平伏した。
「丸山は北の間道の入り口。つまり非常用の脱出路を確保しておけとのご命令ですな。承りました」
 武田勝頼は、山県昌景を見た。
「敵陣を中央から突破し、弾正山の信長と家康を攻める。 一番手は左翼軍の山県昌景。
 二番手には中央軍の武田信廉。
 三番手は西上野の小幡一党。
 四番手には左翼軍の武田信豊。
 五番手までいったら、右翼軍の馬場信春が七百の兵をもって陽動にあたれ」
 武田勝頼は、一息入れた。
「馬場信春の攻撃と同時に、中央軍の内藤昌豊が南に迂回し、千五百の兵をもって弾正山を南から攻略せよ」
 勝頼は、語気を強めた。
「それ以外の兵は敵陣に波状攻撃を掛けろ。集中攻撃する個所に援軍に行けぬよう、敵を牽制しろ。
 攻めて、攻めて、攻めまくり、敵に息をつかせるな!」
 集まった諸将は、平伏した。
 武田勝頼は、静かに付け加えた。
「損害の多く出た隊は、本陣に戻ってこい」
 馬場信春が、ふたたび平伏して言った。
「さすがは勝頼様、さずけて戴いた必勝の策を、必ずや実現させてお目に掛けますぞ!」
 内藤昌豊がつぶやいた。
「一番手から五番手までは、中央の柳田に敵を集めるためのおとりで、迂回しながら南から攻める私が本命という作戦ですな。でも、織田・徳川の弾薬が尽きたら、その時点で勝負が決まってしまいますよ」
 山県昌景が小声で言った。
「ボクは、織田・徳川軍にできるだけ無駄玉を撃たせるように頑張ってみるよ」
 武田の諸将は、必勝の思いと期待を胸に、それぞれの陣に戻っていった。

 軍議が終わりました。これから武田軍の総攻撃が始まる模様です。

 いよいよ本格的に合戦が始まるようですね。
 織田軍の太田牛一レポーター?

 はい、こちらは織田軍の太田牛一です。
 時刻は、午前11時です。
 背後を脅かされて押し出されるように、武田軍が本格的な攻撃をしかけようと準備しています。
 信長様は、敵の動きに合わせて鉄砲千挺ほどを選抜しました。十二歳の妻を孕ませた前田利家をはじめ、五名の鉄砲奉行を指名して、中央の柳田に配備させました。
 中央に陣を構えた三将のうち、滝川一益は鉄砲の名手として有名です。織田軍の鉄砲隊では、明智光秀と双璧を成します。
 そこに新たに千挺ほどの鉄砲を、追加したことになります。
 中央から攻め寄せる敵に備えたようです。

 武田の攻撃が始まりました。いよいよ本格的な戦闘です。
 一番手は、山県昌景です。攻め太鼓を打ち鳴らして突撃してきます。
 山県昌景は、武田四名臣の一人です。武勇に優れ、五年前には山県隊単独で徳川軍に勝利しています。また、六千の軍勢で、織田軍四万を食い止めた実績があります。
 さすがに、武田兵は勇敢です。鉄砲があることを意に介していないようです。ほとんど無防備のまま突撃してきます。
 武田兵との距離が50メートルを切りました。
 射撃が始まりました。
 迎え撃つ鉄砲隊は、命中精度が高い!
 ほとんど一撃必殺の腕前です。
 武田兵がバタバタと倒れてゆきます。
 しかし、武田兵の突撃は止まりません。
 さあ、武田兵との距離が10メートルをきりました。
 敵の急接近で、鉄砲に玉をこめるのが間に合いません。第二射を撃つ暇がありません。
 鉄砲隊は、いったん後方に引きます。
 矢が一斉に射られました。弓は連射できます。次々と射られ、宙を飛ぶ無数の矢で空が黒くそまります。
 負傷した武田兵を盾にして、後続の兵が馬防柵に取りつきました。
 織田の馬防柵は、井型に組まれています。頭を下げてくぐり抜けるか、柵をよじ登って越える必要があります。
 柵を越えようとして無防備になった武田兵に、長さ三間半の槍が突きだされます。約6メートルの長槍です。
 織田の長槍には、伝統があります。二十二年前に信長様が斎藤道三と初めて会見する時に、長さ三間半の槍500本を従えて美濃を訪れています。
 織田兵は、長槍を用いた集団戦術を叩きこまれています。密集して繰り出される長槍に阻まれて、馬防柵を越える武田兵は、ほとんどいません。
 いま、鉄砲の玉込めが完了しました。一斉射撃です。近距離なので、鉄砲の威力が遺憾なく発揮されています。
 未確認ですが、大将の山県昌景が鉄砲で討ち取られたようです。
 最後の言葉は、「いくら玉を使わせるためと言っても、ちょっと撃たれ過ぎたね」、でした。
 武田軍の戦術は、鉄砲に構わず勇敢に突撃する。玉込めの暇を与えずに一気に攻め崩す。作戦としては、アリだと思います。
 しかし、周到に用意された織田軍の防御に対しては無謀でした。鉄砲で散々に撃ち立てられて退却してゆきます。
 すかさず、第二波の攻撃が始まっています。
 二番手には、武田信廉が入れ替わって攻撃してきます。文字どおり息もつかせぬ連続攻撃です。今度は竹束を前面にかかげて、鉄砲に備えています。
 おォ~っと、徳川の兵が柵を出ました。
 徳川の馬防柵は、縦に細長く作られています。体を横にすれば、立ったまま柵を通り抜けられます。
 柵を抜けられるのは、もちろん歩兵だけです。騎馬は通れません。徳川の足軽隊が武田軍に立ち向かいます。
 徳川の足軽隊は、敵が掛かって来たら引き、退いたら挑発して引きつけ、巧みに敵を誘導しています。
 アッ、徳川の足軽隊が、一斉に左右に別れました。無防備な武田軍の兵たちが取り残されました。
 そこへ命令一下、鉄砲の一斉射撃です。近距離なので凄まじい威力です。さらに、足軽隊が襲いかかります。武田軍は混乱して、有効な反撃が出来ません。次々と討ち取られています。
 とうとう信廉隊は退却を始めました。過半数が討たれたようです。
 入れ替わって、新たな軍勢が攻め掛けて来ました。まったく間をあけずに、第三波の攻撃が始まりました。
 三番手は、西上野の小幡の一党です。
 赤武者です。鎧を赤色で統一しています。
 武田軍では最強とされる部隊です。
 関東の武士たちは戦が巧みです。乗り込み、乗り崩しなど、騎馬で敵の陣形を崩して殲滅する戦術を使いこなします。
 三方原の徳川軍は、これに苦しめられました。
 小幡一党は、騎馬で突撃する戦術を取るようです。柵を崩す用意をし、攻め太鼓を打って攻め寄せて来ました。
 味方は、追加された鉄砲隊が塹壕(バキュ~ン)の中を隠れて移動し、敵の前面で待ち受けています。
 本物の鉄砲で話を遮るなよ。いくら戦場からのレポートといっても、危険過ぎだろう!
 申し訳ございません。放送事故です。この時代に「塹壕」という言葉は、まだありませんでした。
 「身隠しをして待ち受け」、と訂正させていただきます。
 馬防柵は、一段高いところに作られているので、武田軍は近づくまで、その後ろに空堀があることが分かりません。
 鉄砲の大部隊がその中で待ちかまえていることに気が付いていませんでした。
 一斉射撃を受けて、小幡隊も過半数が撃ち倒されました。しかし、さすがは武田軍です。退却する前に、一重目の柵を大きく破壊していきました。
 織田軍は、二重目の柵に移動しました。私も、二重目の柵に移動します。
 四番手は、武田信豊の部隊です。黒武者、黒の具足を揃えて攻めかかって来ます。
 このように、敵は入れ替わり立ち替わって攻め掛かって来ましたが、織田軍からは軍勢を一隊も出撃させず、鉄砲だけをさらに増強して、徳川軍の足軽であしらっています。
 敵方は撃ち倒され、兵力を削がれて退却しました。
 五番手は馬場信春、攻め太鼓を打ち鳴らして攻め寄せてきます。
 味方は鉄砲隊を揃えて撃ち払い、武田軍は前と同じく大勢が討たれて退きました。

 こちらは、本多武功記者です。徳川軍の陣地から中継しています。
 本多忠勝の陣所へ、武田軍の内藤昌豊の千五百の部隊が攻めかかり、三重目の柵を乗り越して二十四人が押し込みました。
 しかし、撃退されています。
 実際には、織田軍の佐久間信盛が徳川軍の右で奮戦し、明智光秀の鉄砲隊が大活躍して、内藤昌豊の軍勢を殲滅しています。
 しかし、はじっこでの活躍なので、当人たち以外には誰も気が付いていないようです。
 皆、目の前の武田軍に対処するのに、精いっぱいです。
 とくに明智光秀は、直前まで近畿に残って、堺から火薬を大量に調達しています。
 いちばん勝利に貢献しています。
 しかし、まるで注目されてません。
 お気の毒です。

 武田方は、午後二時くらいまで、入れ替わり立ち代って攻め寄せてきました。しかし、多くの兵が討たれ、しだいに兵力が少なくなっています。
 諸隊とも武田勝頼の本陣に逃げ戻りました。そして、かなわないと悟ったのか、鳳来寺めざしてどっと退却を始めました。
 
 その時、戦場を圧して織田信長様の大音声(だいおんじょう)が響きました。伝令を飛ばす必要はありません。徳川・織田の連合軍は、長篠の軍勢と共同して、一斉に武田軍の追撃を開始しています。

 私、太田牛一は、織田軍の兵士です。さっそく武田軍の追撃に加わらせていただきます!

 こちらは、多門院記者です。
 主戦場となった、中央の柳田地区から中継しています。
 五十名ほどの鉄砲隊の方々が残っています。
 お話を伺ってみましょう。

 ここで何をなさっているのですか?
「武田軍の戦死者を集めてる。塚を作って葬るそうだ」
 そうですか。武田軍の戦死者は、何人くらいでしたか?
「甲斐の国から来た衆は、千人余が討ち死しとったよ」
 そうですか、ずいぶんと多いですね。
 ところで先ほど、全員で武田軍を追撃せよと、織田信長の命令がありましたね。
 皆様は、なぜここに留まっているのですか?
「オレたちは、筒井順慶様の鉄砲衆だ。織田軍に協力して来いと言われて、ここに来た。
 織田の家来という訳ではないでな」
 なるほど、遠くからいらしたのですね。
 どんなお気持ちで、合戦に参加なさいましたか?
「鉄砲は、一発撃つと玉込めに十秒以上かかる。それだけあれば、敵は射程の外から走り寄ってこれる。
 武田軍は強いという噂だった。だから、一発撃てば、あとは切り殺されるだけと思ってた。
 全員、妻や子供に形見の品を残して参戦してるだよ」
 そんな悲壮な御覚悟で参戦なさったのですか! 
 言いにくい事ですが、亡くなられた方は何人くらいですか?
「筒井衆は、全員無事だったよ」
 それは良かったですね。
 ご苦労様でした。道中気を付けてお帰り下さい。

 谷を挟んでの戦闘で、武田軍の戦死者は千人を越えたようです。

 滝沢川に向かって走って行った太田牛一レポーター!
 そちらの様子はいかがですか?

 こちらは戦う戦場レポーターの太田牛一です。
 現在、敗走する武田軍を追って、緩やかな丘陵を滝沢川に向かって全力疾走しています。
 武田軍には負傷兵がたくさんいるはずなのに、逃げ足が速い。なかなか追いつけません。
 この状況でレポートするのは困難です。

 こちらは、伊賀のくノ一レポーターです。
 敗走する武田軍を追う途中で、鳶ヶ巣山砦を攻撃した別動隊の皆様と出会いました。
 鳶ヶ巣山砦の攻防で、武田軍の死傷者は二千人、徳川軍の奇襲部隊にも千人の死傷者がでた模様です。凄まじい激戦でした。

 では、激戦を生き延びた勇者の方々に伺ってみましょう。

 お訊ねしてよろしいですか?
 皆様は、どこからいらっしゃいましたか?
「オレらは、信長様の荒小姓衆だ」
 小姓というと、信長様の身のまわりのお世話をなさるのが御役目ですか?
「信長様のまわりにいるが、もっぱら戦闘が仕事だ。だから小姓ではなく、荒小姓と呼んで区別してる」
 そうですか。有難うございます。
 激戦で、多くの同僚が亡くなったようですが、怖くありませんでしたか?
「オレらは、牢人だからな。あいつらは、そこまでの男だった。それだけの事だよ」
 ずいぶん冷徹に割り切られていらっしゃるように聞こえますが……
「牢人って、意味、分かるか?」
 牢屋に閉じ込められてた人、ですか……
「引くなよ! オレら、犯罪者じゃねえよ。これは説明が要りそうだな。少し長くなるよ」
 お願いします。
「人は飯を食わねば生きてゆけない。でも、コメのとれる農地の面積は決まってる。だから、生きてゆける人数には制限がある。ここまでは、いいな」
 はい。
「武士は、禄(ろく)を与えられる。一定の土地から得られる作物が手に入る。与えられた土地は、長男が継ぐ。分けていったら、いずれ全員が仲良く飢え死にするからな。だから、長男に息子が生まれたら、三男・四男は土地を継ぐ可能性が、ほぼ無くなる」
 なるほど……
「そうなると、武士の三男・四男以下は、ただ生きて死ぬだけ。座敷牢に閉じ込められたまま一生を終る、それと同じ人生を送るだけ。だから、牢人というのさ」
 厳しいですね。
「ああ、嫁さん、もらえない。子供、作れない。ただ生きて死ぬだけ、そんな一生だ」
 むなしいですね。
「そのとおり。しかし、信長様は、そんなオレたち牢人に、希望を与えてくださった。手柄を立てれば禄をくださる」
 手柄を立てれば、嫁さんをもらえるのですね。
「そのとおり! 合戦は、自分がただ死ぬためだけに生きてるのか、嫁さんを持てる甲斐性があるのか、男を試す機会なのさ」
 それで、命をかけて戦えるのですね。
 なるほど、分かりました。
 ところで、懐にいれてるのは、何ですか?
「春画、エッチな絵だよ。オレに見せないように見てみな」
 見せてください。わッ! 凄い! 無修正! 露骨! これ、絶対に摘発されますよ!
「だから、戦場でお守りになるんだよ。友達からエッチな画像を受け取って家に帰るとき、帰ってこれを見るまでは、絶対に死ねない! そう思うだろ? ふつうは……」
 それが、普通ですか? (ドン引き!)
「可愛い嫁さんをもらって、……。ムフフフ。想像すると、ゾワワワァァ~、血がたぎるゥゥゥ~!」
 そ、そうですかァ?

 なんだか身の危険を感じるので、インタビューはここで切り上げます。

 こちらは、大須賀記者です。武田軍を追撃した徳川・織田の連合軍は、滝沢川の手前で、約二千人の武田兵を討ち取りました。

 戦う戦場リポーターの太田牛一です。
 追撃の途中で、鳶ヶ巣山砦を攻略した徳川軍の人たちと出会いました。
 激戦の模様を伺ってみます。

 戦闘、お疲れ様でした。
 織田軍所属の戦場レポーター、太田牛一です。
 戦いの様子はどんな風でしたか?
「別にィ。
 酒井忠次様は、徹夜で山越えした俺たちが、武田兵と白兵戦をしないように、気を使ってくれたからな。
 鳶の巣山にあがって、砦に攻め込み、鉄砲をぶっ放したら、あいつら慌てて逃げてったよ。
 HAHAHA!」
 えらく簡単に攻略できたように聞こえますね。
 姿はボロボロで、激戦をくぐり抜けてきたように見えますけど。
 まあ、いいか。
 次のようにレポートさせていただきます。

 別動隊は、鳶の巣山にあがり、旗頭を押し立て、鬨の声を上げ、数百挺の鉄砲をどっと撃ち込んで、敵の攻撃部隊を追い払った。
 武田方、七武将に率いられた攻撃部隊は、突然のことであったから混乱し、鳳来寺をめざして退却した。

 以上が、鳶ヶ巣山砦の攻略の模様でした。
 レポートを終わります。
 このまま追撃を続けます。

 伊賀のくノ一レポーターです。
 平地と深山の境目にある間道を疾走しています。
 いま、敗走する武田勝頼に追いつきました。
 周囲から凄まじい殺気を感じます。
 忍び軍団が護衛しているようです。
 しかし、明白な敵対行為におよばない限り、攻撃はしてこないようです。
 武田の忍者軍団は、いざというときに備えて、無駄な武器の使用を自粛しているようです。
 取材を続けます。
 武田勝頼に併走しているのは、四名臣の一人、馬場信春です。二十人ほどの部下が付き従っています。
 勝頼は、馬上でうなだれています。

「なぜだ、なぜなのだ。攻めていたのは、こちらだった。守りの隙を突き崩す。隙がなければ、こじ開けて作る。そのはずだった、なのに……」
 馬場信春が口をはさんだ。
「恐れながら、お訊ねいたします。魂降ろしの秘儀を使われたのですか?」
「ああ」
「だれの御霊を降ろされたか、お聞かせくださいませんか」

 説明を聞いて、馬場信春は天を仰いだ。

「海を渡ったのは、村木城を攻撃したときのことですな。勝頼様が7歳の時のことです。
 柴田勝家、林美作守と戦闘は、勝頼様が9歳の時の出来事です。
 桶狭間の戦いがあったとき、勝頼様は13歳だったはず。
 この頃、織田と武田は同盟関係にありましたからなあ」
 馬場信春は、いぶかる武田勝頼に真実を告げた。
「いずれも、織田信長の戦いでございます」
 武田勝頼は、ピシャリと額を叩いた。
「俺が胸を高鳴らせ、血をたぎらせて聞いていた武勇伝は、すべて織田信長の活躍であったのか」
 勝頼は、天を仰いだ。
「魂降ろしの秘儀は、降ろされた当人には効かぬ。
 そうであったな」
 勝頼は首を振った。
「大将は、敵の大将の首を取らねばならぬ。そう思い込んでいたから、俺は敵将と組み打ちをしたのだぞ。
 あのとき、オヤジは激怒して、俺の侍大将を切腹させると脅した」
 勝頼は瞑目した。
「イノシシ武者と謗られもしたが、それも、これも、すべて信長を真似たせいだったのか……」
 勝頼は目を見開き、うつむいてつぶやいた。
「顔の良さでは、信長に勝った。そう思っていたのになあ」
 一行は間道をぬけ、滝沢川にたどり着いた。上流にある鳳来寺を目指して道を進む。
 道の狭まったところで、馬場信春が勝頼に語りかける。
「ここで敵を食い止めまする」
 勝頼は、老臣を見つめた。低くつぶやく。
「すまぬ」
 馬場信春は、長坂釣閑斎に言った。
「勝頼様を頼みますね」
 釣閑斎は、小さくうなずいた。
 勝頼は、鋭く言った。
「雛芥子、黒水蓮!」
 二人の少女が、頭上から降りたった。
 勝頼は、残る者たちを一瞥すると、馬を駆って去っていった。
 馬場信春は、去りゆく騎馬隊を見つめてつぶやいた。
「佞言は、忠に似たり。へつらいの言葉は、忠義とまぎらわしいと言いますな。逆に、忠義の士は、へつらう者という謗りを受けやすい。釣閑斎殿は、勝頼様の失態をすべて自分のせいにする気だから、なおさらですね」
 雛芥子が小さな竹筒をさしだす。
「中の液を一気に飲めば、痛みを感じなくなります。あ、中身を全て舐め取ると、命を落とすかも知れませんよ」
 馬場信春は、うなずいた。
「なるほど、命を落とせば、痛みを感じなくなるのですね」
 いえ、違う、違います、と言いかけた雛芥子の頭を押さえて、黒水蓮が小さく折りたたんだ紙を渡す。
「中の丸薬を三粒噛み砕けば、無双できます。ただし、力が抜けたら、三日間は指一本動かせなくなります」
 馬場信春は、二人を見つめた。
「有難い。気を付けて使いますよ」
 二人は、信春に一礼した。
「御武運を!」
 二人の声が調和した。
(生き延びてください)
 二人が心からの思いを口にすることは、厳しい状況が許さなかった。
 二人は風のように疾走して、たちまち姿を消した。

 徳川・織田の追撃部隊が追いついてきたようです。
 現場を離れます。

 こちらは、突撃戦場レポーターの太田牛一です。
 ようやく武田軍の殿(しんがり)部隊に追いついたようです。
 武田軍の真田兄弟の活躍で、織田軍の追撃は大幅に遅れています。
 あたりには、数十人のケガ人が倒れており、うめき声をあげています。いずれも、徳川・織田の兵士のようです。
 いかにも身分の高そうな老兵が、槍をもって立ちはだかっています。
 取材してみます。

 お名前を伺っても、よろしいでしょうか。
「武田の家臣で、馬場信春と申す」
 驚きました。
 武田四名臣として名高い馬場信春殿、62歳です!
「年齢まで言わんでもよかろうに……」
 馬場信春様は、戦場で傷をおったことがない、不死身と呼ばれていますが、何かコツでもあるのでしょうか。
 ここに倒れている数十人は、馬場信春様がお一人で倒したようですが、どうすればそんな活躍ができるのですか?
「戦う前に、たっぷりと食べてるから、かな? 近頃の若い者は、腹を切られたら膿みやすい。助からなくなる。だから食べない。そう言って、空腹で合戦に臨むじゃろう」
 確かに、その通り。食べずに戦う。
 それが合戦の常識ですね。
「それって、最初からやられるのが前提の話じゃろう。
 やられるのが前提のヤツラに、たっぷり食べて勝つ気満々の私が、やられるわけがない!」
 なるほど、納得です。
 おおっと、織田軍の兵士たちが馬場信春に立ち向かってゆきます。
 しかし、馬場信春は強い。電光石火の槍捌きで、たちまち織田の兵を倒してしまいました。
 おや、とどめを刺そうとしません。
 なぜでしょうか。
「ケガ人は、本陣に運んで手当をしなければならなくなる。本人だけでなく、運ぶ人数を追っ手から減らせるからな」
 さすが老獪な老将です。追っ手を減らすことを考えぬいた馬場信春殿、老いても盛んな62歳のおじいちゃんの言葉でした。
「年寄り、年寄りと、うるさいぞ!」
 話してる間に、さらに十数人を突き伏せ、突き倒しています。
 凄まじい強さです。
 しかし、年のせいか、息が乱れてきたようです。
 大丈夫ですか? おじいちゃん。
「ええい、うるさい!」
 今度は、数十人がまとまって立ち向かいます。
 おじいちゃんは、息が切れて苦しそうです。
 あっ、槍を投げ捨てました。
 追撃部隊を睨んでいます。
「我は、武田四名臣の一人、馬場信春なるぞ。討って手柄とするがよい!」
 四方から、いや、一度に五、六本の槍が馬場信春を貫きました。
 死ぬ前に、一言、お願いします。
 なぜ槍を捨てて討たれたのですか?
「武田四名臣を討ち取ったとなれば、大手柄となる。ワシを槍で突いた者たちは、ワシの首をもって信長の元に戻るじゃろう」
 なるほど。
「同時に突かせれば、誰の手柄か、争いになる。誰が最初か、それぞれ証人を連れ帰るかもしれぬ。
 戦って倒しても、あと一人か二人が限度だった。
 首をくれてやれば、もっと多くの者を追撃隊から除くことができる」
 さすが馬場信春。ただ武勇に優れるだけでは、ありません。
 若者たちの出世欲や、嫁さん欲しいの欲求に付けこみ、自分の名声すらも利用して、追撃隊を減らそうとする。
 凄まじい侍魂です。
 ええと、メモ、メモ。

 なかでも馬場信春の討ち死に直前の活躍は、比類のないものであった。(「信長公記」から引用)

 そう、報告させていただきます。


 戦う戦場レポーター、太田牛一です。
 織田の本陣に戻っています。
 織田軍は、滝沢川までで追撃を終了して引き揚げました。
 しかし、徳川軍は、滝沢川をさかのぼって追撃を続けました。
 武田軍は、滝沢川までのおよそ3キロメートルを全力疾走しています。
 そこに、鳶ヶ巣山砦を落とした軍勢が襲いかかりました。
 鳶ヶ巣山砦の掃討戦は、午前11時には、ほぼ終了していました。徹夜で山を越し、激戦を戦った戦士たちは、食事を済ませ、午後2時まで三時間ほどの仮眠をとっていました。
 死力を尽くした疾走の直後と、食事を済ませて仮眠をとった直後。
 この体力差が明暗を分けました。
 徳川軍が討ち取った武田兵は、六、七千におよぶ模様です。

 最終的に、主だった武士と、雑兵一万ほどを討ち取ったことが確認されました。
 あるいは、山中に逃げ込んで飢え死にした者、あるいは橋から川に落ちて溺れ死んだ者は、数知れません。

 本日、戦国最強の武田軍団が、壊滅しました。
 こずえを渡る風の音が、まるですすり泣いているように聞こえます。

 これで現場からの中継を終わります。
朱鷺(とき)

2018年04月29日 21時25分02秒 公開
■この作品の著作権は 朱鷺(とき) さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:なぜだ、なぜなのだ。攻めていたのは、こちらだったのに……
◆作者コメント:
 長篠の合戦は、徳川・織田の連合軍が、戦国時代で最強を誇った武田軍を撃破し壊滅させた戦いです。
 織田信長が勝利したため、信長の天下統一がいよいよ現実のものとなります。長篠の戦いは、まさに天下分け目の合戦でした。
 なぜ、武田勝頼は攻撃することを選んだのか。
 本作は、創作によって長篠の戦いの真実に肉薄することを目指しました。
 参考資料は、
「信長の戦争(藤本正行著 講談社学術文庫2003年発行 第13刷)」と、
「現代語訳 信長公記(新人物文庫2013年発行 第3刷)」、
「信長の忍び」、「信長の忍び 外伝」と「真田魂」(重野なおき作 白泉社)、
および地元の「小林芳春・設楽原をまもる会」が編集した
「長篠・設楽原の戦い(小和田哲男監修 黎明書房 2014年発行)」です。

2018年05月12日 23時18分21秒
Re: 2018年05月24日 17時24分06秒
2018年05月12日 00時35分28秒
0点
Re: 2018年05月24日 17時23分25秒
2018年05月09日 12時19分44秒
0点
Re: 2018年05月24日 17時22分48秒
2018年05月07日 19時45分32秒
+10点
Re: 2018年05月24日 17時22分05秒
2018年05月06日 09時21分15秒
+10点
Re: 2018年05月24日 17時21分37秒
2018年05月05日 21時54分51秒
0点
Re: 2018年05月24日 17時21分05秒
2018年05月05日 10時21分02秒
Re: 2018年05月24日 17時20分31秒
2018年05月04日 06時21分23秒
+10点
Re: 2018年05月24日 17時19分53秒
2018年05月03日 01時12分50秒
-10点
Re: 2018年05月24日 17時19分09秒
2018年05月02日 22時38分28秒
+20点
Re: 2018年05月24日 17時18分09秒
2018年04月30日 15時08分43秒
Re: 2018年05月24日 17時17分12秒
合計 11人 40点

お名前(必須) 
E-Mail (必須) 
-- メッセージ --

作者レス
評価する
 PASSWORD(必須)   トリップ  

<<一覧に戻る || ページ最上部へ
作品の編集・削除
E-Mail pass