仮性の人

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 ☆ 注意 ☆
 
 今作のタイトルを見て嫌な予感がした方は、これ以上先に進まないほうが無難です。あなたの危惧はある意味においてまったくもって正しい。


 仮性の人


 最悪。
 高校に入学したばかりの僕たちが、親睦を深める為に行われた校外合宿。それはきっと楽しい二日間になるはずだったが、初日の夜にいきなり悪夢へと転じてしまった。
 合宿施設の大浴場。
 みんな背丈や体つきこそ違うものの、それでも同じ年齢で、同じぐらいの学力。読んでいる漫画も大体一緒で、ハマっているスマホゲーもグラブルやらFGOやらデレステやらだ(間違っても釣りゲーとかやっているヤツはいない)。
 だから当然、そっちの方もみんな、僕と同じだと思っていたのだけれど……。

「お、なんだ黒澤、おまえまだ剥けてないのか?」

「高校生にもなってまだ包茎って。まぁ、お前らしいけど」

 驚いて辺りを見まわすと、なんてこったい、みんな剥けてやがる!
 倭斗仁高校(恐ろしいことに男子校だ。くそったれ!)一年三組40人のうち、なんと僕と大灰音(おおはいね)君以外の38人がすでに大人チンコへと進化を遂げていたのだ。

 屈辱だった。
 男として生まれた以上、チンコで後れを取るのは屈辱の極みだ。

 確かに僕は女の子っぽい顔付きをしてるし、子供の頃はふたりのお姉ちゃんのお古ばかり着せられていたからよく女の子に間違えられた。
 だけど僕は名家・黒澤家の長男。名家の跡取りとして常に男らしくあるべしと自分へ言い聞かせている。
 その甲斐あってかチン毛が生えてきたのは周りより随分早かったのに……くそう油断していたか。

 聞くところによると、クラスメイトの何人かは高校進学のお祝い金を使って手術したらしい。
 マジか!? そんなの全部スマホゲーに課金しちまったぞ!?

 とにかく、僕は僕の名誉を取り戻す為、なんとしてでもこの状況を打破しなくてはならない。
 しかも可及的速やかに、だ。
 とは言え、この合宿中に自力で皮を剥くのはやめておいた方がいいだろう。なんというか必死すぎて泣けてくるじゃないか、それ。
 理想的なのは合宿から帰ったその日の夜に皮を剥き、翌日、さも「自然と剥けたぜ?」って感じで登校するのがベストだ!

 よし、やるぞ、やってやるぞ。
 きっと大灰音君も同じことを考えているだろうが、負けはしない。絶対に僕のほうが先に大人の階段を登ってやる。


【包茎の人、合宿二日目の朝】

 やられたっ!
 完全に虚を突かれた。
 僕が包茎の屈辱に耐え、家に帰ったら剥いてやるぞと決意を固める中、大灰音は全く違うことを考えていた!

「マジすげーよ、大灰音君、いや、大灰音様だな」

「俺たちに出来ないことをやってのける! そこに痺れる憧れるぅぅ!」

 そうなのだ、大灰音の奴、ぼぅとしているようで実はとんでもないことを考え、実行しやがったのだ。

 昨日の夜、悪夢の入浴を済ませて夕食を摂った後は、就寝まで自由時間となった。
 僕はクラスメイト達と食堂でトランプに興じていた。
 心理的にそんなものを楽しむ余裕なんてないけれど、かといって包茎ショックを引き摺っていると思われるのも癪だ。おあつらえむきなことに大灰音は何故か厨房に入って、僕たちの晩飯を作ってくれたおばちゃんと一緒に皿洗いなんかをしている。これなら出し抜かれることはない……と思っていた。

 ところが。

「おい、大変だ! 大灰音の奴、食事のおばちゃんとヤったってよ!」

「マジか!?」

「ああ、近くの湖畔のラブホから出てきたところで捕まって、今、先生の部屋でめちゃくちゃ怒られてる!」

 みんながスゲースゲーと騒ぐ中、僕の顔は真っ青になった。
 なんて奴だ、大灰音! 僕がチンコの皮を剥く決意を固める中、その何歩も先を行く計画を考えて実行しただなんて!
 相手が妙齢のおばちゃんとは言え、童貞を捨てたのは疑いのない事実。このアドバンテージは、これからの高校生活においてとんでもなく大きい。

「あ、大灰音様が出てきたぞ!」

 先生に連れられて大灰音が出てくると、英雄の登場を待ち受けていたみんなからわっと歓声が上がった。

「静かにしろ! 大灰音はこれから一ヶ月の停学謹慎処分となった。この合宿もここで強制帰宅となる!」

 おおーっとさらに沸きあがる中、大灰音が僕たちの前を堂々と歩いていく。

「大灰音、どうだった、初体験は!?」

 誰かがマイクを差し出すような恰好をして、大灰音に訊いた。

「……ふっ、お前たちも経験したら分かる。いいものだぞ、あれは」

 その答えに先生がかっとなって拳骨を一発落としたが、それでも大灰音は顔色ひとつ変えずピースサインしたものだから、大変な盛り上がりとなった。

 かくして大灰音はFランク(フルアーマーランク。すなわち包茎状態のこと)でありながら、みんなから「湖の大灰音様」と尊敬を集めることになったのだった。


【包茎の人、決意の夜】

 合宿から帰ったその日の夜。
 僕は夕食もそこそこに終わらせて自室に篭り、ベッドに腰掛けるとおもむろにズボンをトランクスごと降ろした。
 長年連れ添った僕の相棒(文字通りの棒だ)。健やかなる時も病める時も苦楽を共にしてきたその相棒がにょろんと現れるなり、僕に語りかけてくる。

 ――頼む、進化させてくれ。

 そうか、お前もそれを願うか。
 ならば答えはひとつ。今こそ僕ら、ともに高みへと行かん! 黒澤家の嫡子たる者、こんなところで躓くわけにはいかないっ!
 なに、大灰音には随分と差を付けられたが、大丈夫。それ以外のクラスメイトとはこれで追いつくことが出来る!

 僕は相棒を包み込むようにそっと左手を添えた。
 リズミカルに上下運動を展開。
 相棒の膨張を確認。
 硬度上昇中。
 角度60度を突破。
 よしよし全て順調だ。ただし、今回は発射のカウントダウンは必要ない。期待高まる相棒には申し訳ないが、今回は不発に終わる予定だ。

 かくして数分後、相棒はMAXに達した。
 まさに「ギンギンに勃っていやがる」状態だ(ありがてぇ!)。
 僕は相棒の先端から幾分か離れたところを右手で掴んだ。
 これまで何度も相棒をヘルシェイクしてきた。
 だがこれからやることは、相棒が今まで経験したことがないほどにヘビーな体験だ。
 耐え切れるかどうか不安がないと言えばウソになる。
 心の中で、このまま包茎でもいいじゃないかと囁く僕もいる。
 包茎でも愛を育むことが出来るのを、大灰音が身を持って教えてくれたじゃないか、と。

 でも、それでも!
 僕は今から、やる!
 これは愛とか子孫繁栄とか関係ない!
 男として生まれた者の、尊厳の問題なのだ!

 僕は右手に力を入れ、一気に皮を相棒のつけ根に向かって引っ張った!

 ズルリ! 剥ける感触。
 ヒリリ! 全身を貫く鋭い痛み。

 だけど、その時の僕を支配したのは喜びでも痛みによる苦しみでもなく、目の前に飛び出してきた相棒の、真の姿に対する困惑だった。

 はっきり言おう、なんだこれ?

 僕はてっきり皮が剥けたら中からは立派に成熟した黒光りの大人チンコが飛び出してくるものだとばかり思っていた。
 ところが今、僕が痛みに耐えながら見下ろしているのは、まるで生まれたての子ヤギのようにピンク色でひょろひょろとした、いかにも頼りなさげな物体だった(しかも恥垢まみれだ)。

 しまった、もしかしたら剥くのが早すぎたのかもしれない!
 急くあまり、取り返しのつかないことをしてしまったかも!?

 いやいや、ちょっと待て。冷静になるんだ、僕。
 まずは落ち着いて深呼吸といこうじゃないか。ふっふっはー、ふっふっはー(だから落ち着けって!)。

 うん、なんとか落ち着いてきた。
 進化に伴う痛みもかなり収まってきている。
 よし、おっけー。まずは情報収集と行こう。
 相棒に一体何が起きたのかをネットで調べ、しかるべき対応をとればまだ大丈夫なはずだ。相棒よ、僕のチンコよ、待っていてくれ!


【包茎の人、結論】

 良かった! 
 変わり果てた姿に成り下がったと思った僕のチンコだけど、実はこれが正常だった!
 そうだ、よくよく考えてみれば相棒の中の人は、生まれてこの方ずっと皮の中に隠れていたのだ。今まで僕が心イクまで擦りまくって磨き上げていたのは、所詮は皮の部分。中に収まったご本尊が無垢なピンク色をしているのは当たり前と言えば当たり前じゃないか。
 
 はぁ、良かったぁ。マジでビビッた。
 一時はどうなることかと思った。
 とりあえずこれで僕も包茎を無事卒業した。明日からは大手を振って登校出来る。
 今日はもう寝ることに……いや、その前にチンコを奇麗にしてやろう。それからうん、進化した相棒の力を確認するのもいいな。

 よし、見せてもらおうか、剥けたチンコの性能とやらを!


【剥けチンの人、一日目】

 当初の予定では今頃は学校で「包茎手術をしただって? 馬鹿じゃないのか、あんなの勝手に剥けるぞ?」ってドヤ顔を決めているはずだった。
 それが今、僕はベッドの上に横たわっている。
 理由は簡単だ。

 剥けたチンコが動く度に擦れて痛い。とても学校に行けない。

 以上。これ以上簡単な説明はあるまい?

 てか、何が「見せてもらおうか、剥けたチンコの性能とやらを!」だよ! ヘルシェイクどころかソフトタッチすら辛いわっ!

 しかも、学校を休む為の口実がこれと言って思い浮かばず、駄目もとで母さんに「実は男の生理なんだ」と言ったら、「そんなのがあるの? 母さん、女だから知らなかった」と信じて休ませてくれた(母さん、男は基本的に勃って出すだけです)。
 咄嗟だったとは言え、もっとまともな口実を考えることはできなかっただろうか。死にたい。

 が、そうは言っても僕はまだまだ生きなくてはいけないし、明日からは学校にも行かなくてはいけない。
 というわけで今は下半身丸出しのままベッドで仰向けになり、母さんが仕事から帰ってくるのを待っています(言うまでもないがパンツは擦れて痛いから穿いていないのだ)。

 さて、男性諸君なら分かってもらえると思うが、僕みたいな年頃の男の子になるとパンツはもっぱらトランクスとなる。ブリーフはガキの穿くもの、そういう観念が自然と植え付けられるのだ。
 が、剥けたばかりのチンコに、このトランクスは相当に厳しい。
 とにかくブツが固定されないから、あっちにぶらぶら、こっちにぶらぶらする度に擦れて痛いのだ。
 そう言えばとあるTSマンガでも女の子になった主人公が「男物のトランクスはへんな擦れ方をして気持ち悪い」と言っていた。
 まったく、年頃の男女共に嫌われるとは。トランクスには猛省してもらいたい。

 そういうわけでチンコを比較的固定しやすいブリーフを、仕事帰りの母さんに買って来てもらうことにした。
 最高に肌触りがいいヤツを頼むとお願いしたけど、果たしてそれで大丈夫かどうかは分からない。
 いや、おそらくはブリーフでもそれなりに痛みはあるだろう。
 それでも不甲斐ないトランクスよりかは随分マシなはずだ。
 
 だから、母さん、早く帰ってきてください。こんな状態をお姉ちゃんたちに見つかったら、とんでもないことになります。


【剥けチンの人、二日目】

 イエス! やっぱり思った通り、ブリーフはまったくもって最高な奴だったぜ!
 確かに穿いた瞬間はピリリッと痛みが走ったけれど、その密着感のおかげでトランクスみたくがに股で歩く必要は無かった。
 よし、イケる! じゃなかった、行けるぞ、学校に!

 実際、学校では思っていたよりもまともに過ごすことが出来た。
 チンコが擦れた痛みに突然奇声をあげるようなこともなく、もちろん保健室のベッドに下半身丸出しで寝転ぶこともなかった。
 まぁ、席から立ち上がったり、階段の上り下りにはどうしても擦れてしまうのだが、これらの場合はそれなりにこちらも覚悟しているので耐えることが出来る。それに何度かそういう経験をしているうちに、この痛みにも多少馴れてきた。人間は変化する環境に対応して生き延びてきた種であると改めて実感する。

「おーい、五限目の体育は外でサッカーだってよ」

 おい、やめろ! 僕を殺す気か!?


【剥けチンの人、三日目】

 ブリーフのおかげで日常生活はかなり回復してきた(もちろん、サッカーはまだ駄目だ。すまない、ハリル。じゃなかった西野)。
 しかし、さすがのブリーフ先生でも解決できない問題がまだ残っている。

 そう、オナニーが出来ないのだ。

 僕は至極真面目な話をしているのだから、笑わずに聞いて欲しい。
 いいかい、健康な十代半ばの男の子において、オナニーは極めて重要な活動なんだ。
 なんせ睾丸で作られる精子は一日に五千万から一億。精巣で保存できる数は最大十億だ。
 つまり最大十~二十日まで射精はしなくていい計算になるけれど、やはり精子の活きの良さを保つにはニ~三日に一度は抜いた方がいいらしい。

 そして僕が最後にオナニーをしたのは、校外合宿の前日。すなわち既に五日間が経過している。まだ許容範囲内だが、乗車率が日に日に膨れ上がる精巣で精子たちが窮屈な思いをしていないか心配だ。

 と言うか、溜まってきて悶々としてきた僕の精神状態こそ問題だ。
 
 思えばまだ皮を被っていた頃は一日に一度、食事が終わった後に自室へ戻り、宿題や予習の前にこの聖なる儀式を行うのが日課だった。
 溜めていたものを吐き出し、スッキリした状態で勉強すると捗るような気がしたのだ。

 しかし、それが五日間もストライキされている。これは由々しき事態だ。

 僕はベッドに横たわりながら親愛なるブリーフを下ろし、にょろんと現れた相棒の根元を左手で握り締めた。
 いわゆる竿と呼ばれる部分だ。ここは全く問題ない。何故ならここは進化前とまるで変わらないからだ。
 問題はその竿から、カリと呼ばれる丘を越えた先の部分。すなわち今回の天変地異で出土した亀頭なる部分だ。

 ピリッ!

 そっと触れるだけでも、まだ電気ショックのような痛みが走る。
 かつてはオカズなんてなくてもハンドシェイクの主食だけでイケたというのに、今や勃ち上がることすらネットのエロ動画の力を借りなくてはならない。
 僕はスマホで適当なエロ動画を探し出し(「十八歳以上ですか?」の質問には小学生の頃から「はい」と答えるようにしている)、小さな画面を見つめながら我が相棒の覚醒を待った。

 待つことしばし。相棒の全身にフォースが充実しているのを確信すると、僕は亀頭をゆっくり上下に動かして祈祷へと入る。

 しゅっしゅっしゅっ。
 しゅっしゅっしゅっ。

 出来るだけ丁寧に扱ったつもりだった。
 が、快楽よりも痛みがいまだ勝り、中断せざるを得なかった。
 ちくしょう。なんてこった。オナニーが出来なくなるなんて聞いてないぞ!
 人間よ、お前は環境の変化に対応する力があるんじゃなかったのか? 
 ああ、早く下界に対応してくれ、僕の╰⋃╯。
 

【剥けチンの人、四日目】

 チンコ、いまだアップデートされず。


【剥けチンの人、五日目】

 チンコ、いまだ深刻なエラー状態を継続中。
 ただし、昨日からオナニーへの欲求は弱まり、代わりにやたらと物事に集中出来るようになった。
 どうやらこれが禁オナ効果と呼ばれるヤツらしい。
 なるべくしてなったわけではないものの、この状況を使わない手はないだろう。
 よし、フルコン出来てないマスタープラス曲に再挑戦するか(あんずPですがなにか?)!


【剥けチンの人、六日目】

 やぁ、今日は良いニュースと悪いニュースがある。
 まずは良いニュースからだ。
 
 ついに僕はオナニーに成功した!

 実に八日間も溜まりに溜まった精子は、まさに鉄砲水の勢いで精管から射精管を駆け上り、前立腺を経て尿道から噴き出た。
 説明が難しすぎただろうか? だったら、どぴゅっと出た、で構わない。
 とにかく八日間も溜め込んだだけあって、たいしたものだった。僕は充実感でいっぱいだったが、敢えて言えば「いっぱい出たねー」って褒めてくれるお姉さんがいればもっと良かった。

 では次に悪いニュースを手短に。

 僕は仮性包茎になった。


【仮性の人、一日目】

 皮を剥くと決めた時、僕はもう二度と『包茎』の二文字が付く状態には戻らないと誓った。
 そもそも何故皮を剥くのかと言うと、それは『包茎』から脱皮するためだ。
 なのに『仮性包茎』などという中途半端な状態になっては意味がない、そう思っていた。

 ところがよくよく調べてみると、この仮性包茎、実は異常でもなんでもなくむしろ自然な形であるらしい。
 そもそも日本人の成人男性のうち、ほとんどがこの仮性包茎らしいじゃないか。
 仮性包茎とは普段は皮を被っているけれど、いつでも簡単に剥ける状態のことを指す。それでふと思い出したが、あの合宿での入浴時、多くのクラスメイトたちがパンツを脱ぐ前に一度中に手を入れてゴソゴソやっていた。あれはきっとパンツの中で皮を剥いていたに違いない。

 くそっ、すっかり騙された。
 僕はてっきり、みんな『ずる剥け』だとばかり思っていた!

 とにかく仮性包茎がそれほど忌まわしき十字架でないというのであれば、甘んじて背負うのもやぶさかではない。
 チンコにとっては屈辱の戦線後退となろう。
 しかし、僕らは功を焦るばかり、ここまでかなり無理をしてきた。
 チンコは痛みを、僕は解消できない欲求不満にすっかり参っていた。

 チンコよ、ここはどうだろう、ひとつ落ち着いてみては?
 なに? OK? よし、ならば決まりだ。

 そういうわけで僕はチンコを、懐かしのマイホームタウン(つまりは皮だ)へと里帰りさせた。
 さすがは長年住み馴れていたとあって、八日ぶりの帰還でもしっくりきた。何事も我が家が一番、ということか。これでオナニーもばっちりだ。
 勃起している時はともかく、通常時は何かと皮の中へ戻りたがるのを必死に手で剥き続けていた自分が馬鹿みたいだった。


【仮性の人、二日目】

 僕は仮性包茎になった。
 が、だからと言って、現状に甘えるつもりは毛頭ない。
 いくら仮性包茎がジャパニーズペニスにおけるオーソドックススタイルであっても、やはり男たる者、完全体を目指さなければならない。
 
 そこで僕は日常生活から鍛錬を課すことにした。
 具体的に言うとブリーフを着用し、体育がない限りは剥いた状態で過ごすことにしたのだ(もちろん体育がある時は皮の中へお戻りいただいた。何事も無理はよくない)。

 仮性包茎とはつまるところ、子供チンコが大人チンコへと移り変わる際の過程でなくてはならない。それを皮に包まれる安心感に甘え、成長を怠るからこそ、後々に慢性的な仮性包茎に悩まされるのだ。

 僕は決してそんなことにはならない。
 長期的計画性でもってチンコを徐々に下界へ慣れさせ、仮性包茎から必ずや脱出してみせる。
 順調に行けば、そのうちトランクス剥けチン状態での日常生活も送れることになるだろう。
 ゴールはもちろん、大人チンコでのオナニーだ!

 これは男の最弱な部分と、摩擦という自然な悪意の、ガチンコ勝負である。
 決して負けられない戦いが、ここにある!


【仮性の人、一週間目】

 前回はえらく壮大な締めくくりで話を終えたが、実際のところ仮性包茎との戦いは長く、孤独で、そしてとても地味だ。
 やることと言えば前回説明したように、日々の生活での地道な鍛錬しかない。
 恐らくはこのレポートもしばらくは間を置くことになるだろう。

 それともなにか、僕がオナニーする度にどうだったか報告した方がいい?


【仮性の人、一ヵ月目】

 今日はあやうく死ぬところだった。
 
 僕の仮性脱出計画は順調に進んでおり、最近はトランクスでの剥けチン生活にもかなり馴れてきた。
 だからそろそろ体育の授業にも、堂々と剥けチン状態で挑んでもいいんじゃないかなと思い始めていたんだ。
 
 ところが今日の体育は野球。
 僕は嫌な予感がして、チンコを皮でカバーした。
 すると案の定、サードを守っていた僕に強烈なショートライナーが飛んできて、目の前でバウンドしたボールは何故か僕のミットをすり抜けて(下手で悪かったな)、股間にダイレクトアタックをかましてきたのだ。

 痛みのおおもとは股間にぶら下がるふたつのゴールデンボールとは言え、もしこれで剥けチンだったらと思うとぞっとする。
 やはり体育は危険だ。まだ剥けチン状態で挑まない方がいいだろう。

 それにしても保健体育と言いながら、運動ばかりさせる体育の授業は何とかならないだろうか?
 タダでさえこちらは敏感でナイーブな時期なのに、スポーツで健康な心身を育むとか言って、下手したら再起不能な危険性のあるものばかりさせないでもらいたい。
 
 それよりも剥けたチンコの扱い方とか、剥けたばかりに最適なブリーフの選び方とか、教えるべきことはもっとあるだろうに。
 なんだったら僕が今実践している脱仮性包茎メソッドを提供してあげてもいい。きっと未来の多くの悩める中高生を救うことになるだろう。

 あと、チンコに優しいスポーツと言えば、やはり水泳だと思う。
 あれならば何かに強打して悶え苦しむ危険性がないし、ぴったりと水着に固定されるから摩擦による痛みもほとんどない。
 それに女の子も一緒に授業を受ければ最高……あ、いや待て、よくよく考えたらここは男子校だったチクショーーーーーーー。


【仮性の人、百日目】

 祝杯を上げよう!
 ついに僕の長く苦しい仮性包茎との戦いが終わった。
 言うまでもなく、今回は僕と僕のチンコの完全勝利。僕はついに剥けチン状態でのオナニーに成功したのだ!

 思えば僕のチンコは長らく色々なものの保護下にあった。

 皮はマイホームタウンであった。
 いつでも世間の厳しい荒波から、僕のチンコを守ってくれた。
 もっとも今は一人暮らしの気軽さに馴染んでしまい、なかなか帰省しようとしない大学生の如く、亀頭は皮の保護を拒んでいる。

 ブリーフは言うまでもなく先生だ。
 思わず間違って「お母さん」と呼んでしまうぐらいの安心感があった。
 まぁ、今では担任でもない上に、指導学年さえ変わってしまったぐらいに疎遠な存在ではあるが。
 
 とにかくそういうわけで今、僕のチンコは旅立つ。
 いざさらば、さらば故郷、さらば先生。
 今日という日は、まさに僕のチンコが独り立ちした(独り勃ち、ではない。それではまるで僕が薬か何かの力がないと勃起できないみたいじゃないか)、真の独立記念日なのだっ!





 あ、でも、オナニー時のローションにはまだお世話になろうと思う。
 文明の利器に頼ることは、文化人として何も恥ずかしいことじゃないだろう?


【未経験な人の二学期初日】

 チンコ独立記念日から数日後、待ちに待った二学期が始まった。
 春の合宿で僕を包茎と笑ったクラスメイトたち。
 あの時、僕は間違いなく彼らの後塵を拝していた。
 しかし今、その何名かとは完全に立場が逆転している。
 見るがいい、この完全体となった我が相棒の勇ましさを!

 ……いや勿論見せるつもりはないけど、マジで立派なものなんだぜ!

「おはよう!」

 トランクスの中で相棒を存分にぶらぶらさせながら廊下を悠々と歩き、教室の扉を晴れやかに開いてクラスメイトたちに挨拶した。 
 それだけで教室にいた連中は、僕がこの夏に何か大きなことを成し遂げたのに気付いたようで、ある者は悔しそうに俯いて歯を食いしばり、またある者は羨望の眼差しを向けた。
 うん、いい反応をありがとう、諸君!

「お、黒澤、おはよう。悪いけど、そこどいてくんない?」

 と、そこへ後ろから声をかけられた。
 おっと、いけない、いけない。つい扉の前で感慨に耽ってしまい、入室を塞ぐような形になってしまった。

「ああ、ごめんごめん。おはよ……う?」

 慌てて横へ移動しながら振り返り、快活に挨拶しようとした。
 が、そこに立っていたクラスメイトの様子に驚き、思わず言葉を失う。

 黒々と日焼けした肌……は、別にいい。夏休みだったんだから日焼けぐらいするさ。
 それよりも驚かされたのは、その自信に満ち溢れた表情だ。
 一学期の終業式の時は、高校一年生らしくまだ大人になりきれていない、あどけなさが残る顔付きだったはずだ。
 それがどうだ、今や立派な大人の男の顔となって、僕を遥か頭上から見下ろしている。

 ……ん? 遥か頭上から見下ろす? そんな馬鹿な!
 確かに僕は背が低いとは言え、それでもこいつと僕の背丈は十センチほどしか変わらない。なのに何故かえらく高くから見下ろされているような錯覚を覚える。

 どういうことだ、この完全体となった僕が怯えている、だと!?

「あれ、黒澤、夏だって言うのに全然日焼けしてないじゃん? 夏休みの間、何をしてたんだよ?」

「え? いや、別に家でゴロゴロしてたけど」

「おいおいおい。俺たちは高校生だぞ? 一生で今しか味わえない青春を無駄にしてどうするんだよ? なぁ、みんな」

 モブ男(勿論名前は知っているが、さして重要人物でもないのでモブ男で)がそう言って教室に入ってくると、彼の後に続いて八人のクラスメイトが次々と入室してくる。

「なっ? なにぃ!?」

 驚いたことに彼らもまた全身真っ黒に日焼けしており、そして独り残らず大人の顔になっていた!

「なんだ、黒澤もヒマだったのか? だったら誘ってあげればよかったかな、海の家でのバイト」

 最後に入ってきた大灰音が、これまた日焼けした顔に真っ白い歯を光らせて僕に微笑みかける。

「夏休み前に見た時は、なんかツマラナイことで忙しそうにしてたから、誘うのを遠慮しちゃったよ」

「…………」

 勿論、心の中では激しい怒りが渦巻いていた。
 相棒を完全体へと成長させるという偉業を「つまらないこと」呼ばわりされたのだ。腸が煮え繰り返る思いだった。

 だけど彼らの成し遂げたことを考えれば、この扱いも仕方がない。
 僕は気付いたんだ。
 モブ男たちが浮かべる大人の表情、それはあの大灰音が合宿場から強制帰宅させられた時に浮かべていたものと同じだ、と。
 つまりそれは、夏の海の家という童貞脱出短期集中合宿で、彼らは見事に大人の免許証を取得した、ということであった。
 
「まぁ、来年の夏は黒澤も誘ってやるよ。ちゃんと大人の階段を登れるように、な」

 口元をかすかに歪ませた大灰音が、脱童貞組の連中と共に自分らの席へと向かう。
 僕はただ、やもすれば力なくその場にしゃがみ込んでしまいそうになるのを必死に堪えるだけだった。


【未経験な人の合コン】

 僕らの年頃の男の子は、まぁ色々とあるけれど大雑把に分ければふたつに分類される。

 すなわち、ヤった奴と、ヤってない奴だ。

 表面的には例えば先輩と後輩のように絶対的なヒエラルキーを生み出すものではない。しかし、精神面ではこれほど影響力のあるものはなく、両者の間には天と地ほどの差がある。
 経験者には自信が生まれ、心にも余裕が出来る。
 対して未経験者は未経験が故に負い目を感じ、焦りが心の平穏を蝕む。
 だから。

「じゃあ黒澤も今度の華女との合コンに参加、っと」

 その例に漏れず、僕もまた童貞を一日でも早く捨てようと躍起になっていた。


 随分前にも述べたように、僕の通う高校は男子校だ。
 どうしてそんな地獄に自ら飛び込んだのかというと、なんてことはない、単純に将来の為だ。こう見えて倭斗仁高校は全国屈指の進学校なのである。
 将来は医者か、大企業の役員か。とにかく将来有望な連中が集まっている。
 となると勿論、合コンでも女の子にモテモテ……というわけでもないようなんだな、これが。

 きっと十年後にはうんざりするぐらいモテるのだろうけれど、今の僕たちは所詮ちょっと勉強の出来る高校生に過ぎない。そして同年代の女の子にとって、この頭の良さはあまり魅力的に映らないそうなのだ。
 
「ズバリ言おう、僕たちはモテない!」

 初めて合コンへと出陣する僕に、主催者となるクラスメイトがそう言った。
 彼は既に数多の合コン経験があるツワモノだった。しかし、いまだ童貞を捨てられていないことから、彼が連戦連敗なのは明らか。正直、そんな奴のアドバイスなんて聞く価値があるのかどうか甚だ疑問ではある。

 とは言え、彼の失敗談には幾つか納得させられるものもあった。
 特に女の子と共通の話題を予め用意しておくのは、とても大切なことのように思われた。
 高校に入ってからの僕はと言えば、ひたすらチンコの進化に取り掛かっていたので、これに関しては何時間でも話すことが出来る。でも、女の子がチンコの話を聞きたがるとは思えないし、この話題で盛り上がる女の子ってのもちょっとイヤだ。

 そもそも女の子は普段何に興味を持っているのだろう?
 僕の貧相なイメージから予想するに、話題のスイーツ、話題のテレビドラマ、話題の音楽、話題の芸能人、話題のお店……なんてこったい、どれもこれも僕はまったく知らないじゃないか!

 なので僕は合コンにむけて、その手の情報を片っ端から集めまくった。
 近辺店舗のグルナビ評価を全てチェックし、現在放映中のテレビドラマの視聴率を調べ上げ、オリコンチャートや情報番組などもフル活用した。

 結果、僕は完璧な合コン対策を作り上げることが出来た。

 また、調べたところによると、合コンとはまず軽く自己紹介をし、ある程度場が馴染むまで全体行動をした後、「ではそろそろ席替えしましょうか?」の号令と共に気になる相手へのアタックが始まるのだという。

 なるほどなるほど。つまり、席替え後に僕はタイプの女の子と人気の大河ドラマの話をし、オリコンチャートを席巻する女子アイドルの熱狂的ファンだと語り(ここで漫画『ハンター×ハンター』に見える作者富樫義博の欅坂推しの薀蓄を披露。これで『にわか』とは思われまい)、貴乃花親方の言動について意見を交わしてから、合コンが終わったら彼女と一緒に圧倒的グルナビ評価を誇る珍珍亭でラーメンを食べるわけだ。
 勿論、締めが珍珍亭の杏仁豆腐なのは言うまでもない(決まった!)。

 ふっふっふ、完璧だ。完璧すぎる。
 上手くことが進めば、その日の内に我が相棒のお披露目もありえるかもしれない。
 合コンの日が楽しみになってきた!
 
  
【未経験な人の学園祭】

 二酸化炭素は猛毒だ。
 空気中の濃度が3%を越えたあたりで頭痛や吐き気を催し、7%にもなると意識を失って呼吸停止、結果死に至る……と、一般的には知られている。

 が、脱童貞組やカノジョ持ちなどのいわゆるリア充と呼ばれる連中が吐き出す二酸化炭素は、もっと強い毒性を持っているに違いない。
 事実、人間が排出する二酸化炭素なんてたかが知れているはずなのに、このリア充率が50%にも届こうとしている一年三組の教室で僕は今、激しい頭痛と吐き気と呼吸困難と、そしてとんでもなく酷い自己嫌悪に悩まされている。

 ええい、死ねリア充ども! 
 そして合コンなんて国会で今すぐ禁止すべきだ(この言動から僕の合コン初体験がいかに悲惨な結果に終わったかを察していただきたい)!
 
「えー、それでは学園祭における一年三組の催し物・演劇『白雪姫』の配役を、事前に行いました投票に基づき発表したいと思います」

 僕が苦しんでいる中、教壇に立つ委員長が言った。
 彼はクラス委員長という僕たちを纏める立場にいながら、打ちひしがれる僕をよそに先の合コンでカノジョをゲットしたリア充である。モリカケ問題など比にならない暴挙だ。

「では、白雪姫と王子は最後のおたのしみにするとして、まずは七人の小人役から」

 しかもなんで出し物が『白雪姫』なんだよ? 男子校だぞ、ここ。
 なんでもこれはこの学校の伝統だそうで、一年生は『白雪姫』か『キス我慢大会』か『クラス全員キスするまで帰れません』か、とにかくそんな酷い中からどれかを選ばなければいけないらしい。
 そういう意味では、うちのクラスは白雪姫と王子役のふたりしか犠牲者を出さないわけだからまだラッキーといえよう。てか、どれだけホモカップルを作りたがるんだ、この学校!?

「えー、それではついに王子役の発表です。王子役は激戦でしたが、僅差で湖の大灰音様に決まりました!」

 おーっと教室がどよめいた。
 僕も驚いた。
 合宿での初体験に加え、夏休みには次々と配下たちを童貞卒業させ、もはや大灰音は一年生のみならず上級生からも一目置かれている存在だ。

 その大灰音がまさか『ドキッ! 男だらけの白雪姫』の王子役になるとは……。

 くっくっく。どうやらその派手な動きを苦々しく思っていた奴は存外に多かったらしい。
 ふっ、いい気味だ、大灰音。全校生徒が見つめる中、白雪姫役の男と熱いキスを交わすがいい!

「では最後に白雪姫役ですが、これはなんと39票という圧倒的支持を得て黒澤君が選ばれました!」

 ふふふ、そして白雪姫役の奴と、この際だからホモカップルになるといいぜ、大灰音!
 そう、白雪姫を演じる黒澤って野郎とな!

「って、おい! なんで僕がっ!?」
 
 思わず叫んだ。叫ばずにはいられなかった。

「おい、誰の陰謀だ、これは!? ふざけるんじゃないぞ!」

「陰謀なんてないって。てか、お前、気付いてないのか?」

「気付いてないって、何を?」

「お前、下手したらそこらへんの女の子より可愛い顔してるんだぞ?」

 ……は? いや、ちょっと待って。意味分かんない。
 確かに僕は女の子みたいな顔付きをしている。それは認める。
 子供の頃はお姉ちゃんたちのお古を着せられて女の子の格好をして育った。それも認める。
 でも、いくらクラスで一番背が低く、運動もあまりしないから体つきもほっそりしているけれども、それでも僕は黒澤家の長男、立派な男だ。その証拠に股間には完全体となったネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲が配備されている。

「黒澤を初めて見た時、俺、思わず二度見したもん」

「実は俺も」

「それだけに合宿で本当に男だって分かった時はショックだったなぁ」

「分かる! だけど、それでもいいって思えるところが黒澤のすごいところなんだよなぁ」

「だから俺、今回の白雪姫では王子役をマジで狙ってたんだよぅ」

 見渡せばさめざめと悔し涙を流す者がちらほら、と。
 マジか!? お前ら、マジでか!?
 こっちはドン引きですよ?

 後で聞いたところによると、彼らは仲の良い友人やカノジョ持ちのクラスメイトにカミングアウトして、王子役の投票を自分にして欲しいとお願いしていたらしい。
 が、そんなトチ狂ったヤツが意外にも多く、票集めは迷走。そしてその間隙を突き、自分の配下を使って見事当選を果たしたのが――。

「ふふふ、黒澤。主役に選ばれた以上、ふたりで立派な劇にしてみせようじゃないか」

「大灰音、貴様もまさか……」

「はっはっは。そんなわけがないだろう。俺はな黒澤、お前だけには負けたくないんだ。それはきっとお前だってそうだろう?」

「それは……」

「だから俺はお前をこてんぱんにしてやりたいだけさ。ああ、お前のファーストキス、俺が奪ってやる。任せろ、俺は女を相手にやりなれているから、お前も満足させてやるよ」

 高々と笑い声をあげる大灰音。
 僕はじっと耐えるしかなかった。
 クソっ! ふざけんな! 白雪姫役なんて誰がやるもんかっ!?

 しかし、日本は民主主義国家だ。多数決で決まったものが個人の感情で覆されてはならない。
 ならばいっそ当日は仮病を使ってサボってやろうかとも一瞬思ったが、それはきっと内申に大きく響くだろう。たとえ当日、本当に高熱でうなされることになっても、それを押して参加するのがこの国ではなによりの美徳とされるのだ。
 
 仕方がない、こうなったらせめて学園祭までにカノジョを作り、初体験は無理にしてもファーストキスぐらいは決めてやる!
 
 僕はじっと屈辱に耐えながら、そんなことを考えていた。
 しかしイカれた連中には僕が絶望に打ちひしがれているようにしか見えなかったそうで、この時の僕の姿にキュン死しそうになったそうである(マジでどうかしてるぜ!)。


【未経験な人の学園祭の後夜祭】

 ガラガラガラガラ……ペッ!
 ガラガラガラガラ……ペッ!
 
 何度も何度もうがいをした。
 水うがいは風邪防止に有効だ。これだけやれば口の中にいる病原菌たちもほとんどが洗い流されたに違いない。

 ガラガラガラガラ……ペッ!
 ガラガラガラガラ……ペッ!
 
 それでも僕は、いまだ唇に残る大灰音の感触が完全に消え去るまで、うがいをし続けた。
 

 僕たち一年三組の『白雪姫』は異様に盛り上がった。
 要因はふたつ。
 ひとつは女装した僕の姿が異様に似合っていたこと(神様、与える特技が間違っています)。
 そしてもうひとつは、そんな僕をさらに辱めようとした大灰音が、あろうことかキスシーンで口の中に舌を入れようとしたからだ。
 当然、こちらとしては断固拒否である。口内への舌の侵入を阻止すべく、僕は懸命に歯を食いしばった。
 かくして僕と大灰音は激しく死闘を繰り広げたわけだが、他人から見ると実に情熱的なベーゼを交わしているように見えたようで、およそ三分間にも及ぶキスシーンが終わると観客全員がスタンディングオベーションで僕たちを祝福しやがったのだ。

 なお、この死闘は最終的に大灰音の撤退で幕を閉じている。今更ではあるが僕の名誉の為、これだけははっきりさせておきたい。

 とは言え、僕のファーストキスが大灰音に奪われたのには変わりないわけで。
 それを阻止すべくカノジョを作る為に参加しまくった合コンの連敗もあいまって、僕は完全におちんこでていた。

 ああ、大灰音には先に大人の階段を登られ、仮性包茎からの脱却を鼻で笑われ、ついには大切なファーストキスまで奪われてしまった……。
 包茎事件でヒビが入り、完全進化で何とか持ち直したプライドが、今ここで完膚なきまでにぶち壊されてしまったのを感じる。
 なんてことだ、僕はあいつには勝てないのか?
 いやそれどころかもはや追いつくことすら出来ないのかもしれない。

 あまりのショックにズル剥けになったチンコも皮の中に閉じこもってしまった。

 悔しかった。
 惨めだった。
 大声で喚き散らしたかった。
 でも今はまだ学校だ。そんな無様を晒すわけにはいかない。

 だから僕はひたすらうがいをし続けた。
 多分それだけが、今の僕が出来得る唯一の抵抗だった。


【未経験な人の運命の出会い】

 どれだけうがいをしていたのだろう。
 気が付けば辺りは沈む夕陽で真っ赤に染まっていた。
 夕暮れ。黄昏時。逢魔が刻。
 色々呼び名があるけれど、今の僕にとっては下校時間の意味合いでしかない。
 僕はうがいをやめて、家に帰ろうと廊下を歩き始めた。
 
 学園祭は終わっていた。
 それでも廊下はまだ多くの生徒たちで賑わっていた。
 普段は男ばかりの男子校だけれど、今日ばかりはちらほら女の子の姿も見える。学園祭は生徒以外の出入りも自由になっているからだ。
 もっとも女の子のほとんどは彼氏もち。フリーな子にはここぞとばかりに将来のエリート候補たちが群っている。
 
 ほんの少し前ならば、僕も彼らに混じって地獄に吊らされた一本の糸を掴もうと激しい争奪戦を展開したことだろう。
 だけど今はそんな気持ちにはなれなかった。
 ただただ帰りたい、眠りたい、眠って全てを忘れたかった。

 そのまま家に帰ってもよかった。
 だけど何かと几帳面な僕は、教室に鞄を取りに戻った。
 他の教室同様、廊下にいても中の喧騒が聞こえてくる。学園祭という非日常が終わっても、まだみんなその余韻に酔っているのだ。

「へぇ、すごいんですねっ、大灰音君って!」

 その教室の中から、突然思わぬ声が聞こえてきた。
 女の子の声だ。
 しかも、いわゆるアニメ声。おまけに僕が好きそうなロリキャラ担当な声だった!

 そーと教室の扉を開けて、中に入る。
 誰も僕の侵入には気付かなかった。
 それぐらい、誰もがその子に夢中になっていて、そして僕もまたチラリと見ただけなのに、一瞬にして魅了されてしまった。

 教室の片隅、窓際の椅子にちょこんと座る女の子。
 後ろで纏められた小さなポニーテールが、女の子がオーバーアクション気味に動く度ひょこひょこと可愛く揺れる。
 会話にあわせて感情豊かに動かされる小さな手は、まるでゴキゲンな音楽を導く指揮棒のようで。
 コロコロ表情が変わっても常に印象を強く残す大きな瞳は、きっと見る人の心を離さない魔法がかけられている。
 そしてロリキャラアニメ声……。

 どうしよう、どんぴしゃだ! めちゃくちゃ好みだ! 相棒も思わず皮から飛び出してくるわ!
 調子のいいことに、さっきまであれほど落ち込んでいた心が一気に急浮上してきた。

 ああ、カワイイなぁ。近くの女子高の制服を着ているけど、彼氏はまだいないのかな? 少なくとも彼女の周りを取り巻く連中の様子を見る限り、そこにお付き合いしている奴はいなさそうに見えるけど。

「あっ!」

 僕が一目惚れしていると、その女の子といきなり目があった! 
 それだけで胸がドキドキするのに、あろうことかいきなり立ち上がって周りの男たちを掻き分けると、僕の方に向かって駆け寄ってきた!
 
 大変です艦長、心拍数がレッドゾーン突入です!
 チンコ、落ち着け。お前の出番はまだまだ後だ!

「ねぇねぇ、君! 君って白雪姫をやっていた人だよねっ!?」

「え?」

 思わぬ言葉に返事も出来ず、代わりに自分でも分かるぐらい顔が真っ赤になった。
 だって仕方ないだろ。僕が白雪姫をやっていたのを知っているってことは、あの演劇をこの子も見たということだ。それだけでも恥ずかしいのに、さらにあのおぞましきクライマックスシーンも見られているかと思うと……。

 ああ、終わった。運命の相手だと思ったのに、最初の一言でいきなり終わってしまった。

「すごーい。化粧を落としてもすごくカワイイ顔してるねっ! 体つきもなんだか女の子みたい!」

 だけど女の子は落ち込む僕を置いてひとりで盛り上がっている。

「ん? あれ、もしかして怒っちゃった?」

 顔に出ていたのだろうか。僕を見つめる女の子が申し訳なさそうに眉を顰めた。

「ごめんね、そうだよね、男の子なのにカワイイなんて言われても嬉しくない人もいるよね? ボク、つい浮かれちゃってひどいことを」

「あ、いや……大丈夫、気にしなくていいよ」

 ようやくまともに返事を返すことが出来た。
 まぁ、彼女にあの演劇を見られたことにはショックを受けたし、女の子からカワイイと言われるのも嬉しくはない。
 でも、彼女の様子を見ていると、どうやら僕に好感を抱いてくれているようだ。
 それにすぐ自分の過ちに気付いて謝ってくれた。そういう人に感情的な怒りをぶつけるのは、まともな人間のすることではない。

 そして何より彼女はボクっ娘なんだぞ! そんなの、怒れるわけがない(ボクっ娘、バンザイ!)。

「ホント? よかったぁ。あ、ボク、小泉杏樹(こいずみ・あんじゅ)。君は?」

「僕は黒澤ライト」

「ライト君! すごい! かっこいい名前だねっ!」

 正直に言うと、これまで僕は自分の名前が苦手だった。
 だって純日本人のくせして、ライトなんてまるで外国人みたいじゃないか(しかもこれは略称で、本当はもっとクソ長い名前だったりする)。
 だけどそれを「カッコイイ」と褒めてくれて、さらににっこり笑いかけてくれる小泉さんの笑顔に、僕はちょっぴり自分の名前を見直した。

「ははは、そうなんですよ、アンジュさん。黒澤はホント可愛くて、うちのクラスはおろか、学校中でモテモテなんですよ」

 小泉さんが僕を絶望の淵から救ってくれた。
 だと言うのに、その絶望へ再び蹴落とそうと大灰音が厭らしい笑顔を貼り付けて話し掛けてくる。

「えー、やっぱりぃ? じゃあさじゃあさ、やっぱり大灰音君がライト君のカレシさんなのカナ?」

「まさか。あれはあくまでお芝居。俺はいたってノーマルです」

「そうなんだぁ」

「でも、黒澤のモテっぷりからして実際にカレシがいてもおかしくはありません。なぁ黒澤、お前、カレシっているの?」

「……そんなの、いるわけ……」

 返答に詰まって自分でも驚く。
 何故だ? どうしてちゃんと否定しない? それにこのか細い声はどういうことだ?

「はっはっは、どうした黒澤? 声が小さいぞ。恥ずかしがらなくていいじゃないか。アンジュさんに教えて差し上げろよ」

「…………」

 ついに僕は押し黙ってしまった。
 もちろん、そんなのいるわけがないって強く反論すべきなのは分かっている。
 でも分かってはいても、口が開いてくれない。
 代わりに額へ嫌な汗が浮かび上がってきた。

 なんてこった。どうやら僕はとんでもないトラウマを背負い込んだらしい。
 大灰音には敵わない……そう認めてしまった心が、奴を前にすると僕の全てを縛り付けてしまうようだった。

「ライト君……?」

「ふぅ、やれやれ。ごめんね、アンジュさん。黒澤はとてもシャイなんだ」

「え? あ、ううん。ボクこそ変な質問をしてごめんね」

 大灰音に誘われて、小泉さんが窓際の席へと戻っていく。
 その顔が何か言いたそうに僕の方へと振り向いた。
 だけど僕は何も言えず、ただ悔しさに唇をぎゅっと噛み締めた。


【未経験な人のキャンプファイアー】

「はぁ」

 僕は人知れず溜息をついた。
 あのまますぐ帰ればよかったんだ。
 なのにまた小泉さんとふたりで話すチャンスがあるかもしれないと、儚い希望を抱いて待ち続けていた。
 その結果、日はとっぷり暮れて、小泉さんたちを追って外に出た僕は、ひとり燃え盛るキャンプファイアーをぼんやり眺めている。

 軽音部による生演奏がえらくうるさかった。

「キャンプファイアーって言ったら、オクラホマミキサーだよね?」

「あはは、ですよねー。でも、うちは男子校なんで、オクラホマミキサーでは盛り上がらないんですよ。だから後夜祭は軽音部のライブになっているんです」

 僕から少し離れたところで小泉さんと大灰音が、大盛況のライブを眺めながら楽しそうに会話していた。

 この時間まで粘っていて分かったことがひとつだけある。
 大灰音の奴も小泉さんを本気で狙っている、ってことだ。

 最初はクラスのカノジョなしのほとんどが小泉さんを狙っていたみたいだけど、大灰音の本気振りを見てこれは敵わないと早々にリタイアした。
 中には必死に喰らいつく奴もいたけど、それも大灰音の取り巻き連中たちにより排除された。
 そしてボスの指図を受けて取り巻きが下がり、今、小泉さんの隣にいるのは大灰音だけ。
 くそっ、大灰音のヤツめ、春合宿の件からてっきり熟女専門だとばかり思っていたのに、まさかこんなにストライクゾーンが広いとは予想外だ。

 今すぐにでも小泉さん争奪戦に僕も名乗りをあげるべきだとは思う。
 だけど何度勇気を振り絞ってみても、大灰音の前に立つことができなかった。
 ふたりを見つめる僕の体が震えるのは、大灰音への恐怖心からか、それとも不甲斐ない自分自身への怒りなのか。
 それすらわからないまま、残された時間が刻一刻と少なくなっていく。

 ~~♪ ~~~♪

 と、いきなり軽音部の演奏がえらくムーディな曲へと変わった。

「よう、みんな盛り上がっているところ悪いが、ここでひとつチークタイムだ! ああ、分かってる、俺たちのライブを見に来た奴の多くが独り身の可哀想な連中だってことぐらいはよ。でも、少なからず恋人同伴でやってきてくれた奴らもいるんだ。そいつらにも楽しんでもらわねーとな!」

 ジャララーンとギターをひと掻きして、MCも務めるボーカルがメロディアスな英語の歌詞を紡いでいく。
 会場はブーイングの嵐……かと思いきや、そこはそれ、僕たちの高校は全国屈指の進学校。集まった連中も常識的なヤツが多く、曲に合わせて踊り始めるカップルたちを羨望の眼差しで見つめながらも静かにしていた。

「ふふふ、軽音部の先輩もやってくれますね。どうです、アンジュさん、俺と一緒に踊ってくれますか?」

 だから大灰音の言葉もはっきり聞こえた。

「んー、それってボクに付き合ってくれって告白でもあるのカナ?」

「そう受け止めてくれても構いません。どうぞアンジュさん、俺の手を取ってください」

 大灰音が片膝をつき、頭を垂れ、右手を差し出して懇願した。
 ちっ、キザなやつ。そんな告白、小泉さんが受けるもんかっ!

 って、この期に及んでなにをやっている、黒澤ライト!
 小泉さんが大灰音の告白を受けないなんて、どうして言い切れる?
 もし、万が一にでも受けたらどうするつもりだ!?
 あんな奴に小泉さんをやすやすと渡していいのか!?
 遅くまで残っていたのは、ふたりが付き合うかどうかを確認するためだったのか!?
 大灰音にプライドをズタボロにされたのは分かる。
 だけどだからって、小泉さんが奪われるのをここで黙って見てるつもりかっ!?
 それでも男なのか、お前はっ!?

 気付いたら僕はズンズンと大股でふたりに近付いて行き、そして大灰音の差し出した右手をぎゅっと握りこんでいた。

「わ! わわわっ! ライト君、それってまさか大灰音君のダンスパートナーは僕だっていう意思表示?」

「えっ!? いや、そうじゃなくて!」

 僕は慌てて大灰音の右手を振り払った。
 そ、そうか、ここは僕も「ちょっと待ったー」とか言って、大灰音と同じように片膝ついて右手を差し出せばよかったのか? ごめん、まだ十六歳だからそんな昭和時代のしきたりなんて知らないや。

「……おい、黒澤。お前、どういうつもりだ?」

 じろりと僕を睨んで、大灰音が立ち上がった。
 小柄な僕と違って、大灰音は結構でかい。改めて対峙すると、すごい威圧感を感じる。

 そして例のトラウマが僕を再び縛り付けてきた。

「あ、えっと、その……だから」

 くそう、どうして!?
 どうしてここでビビるんだよ、僕!
 普通、ここは「お前に小泉さんは渡せない!」って格好良く決めるべきところじゃないか!

「ふ、ふふ、あはははは。黒澤ぁ、今ならまだ許してやるぞ。そうだなぁ、土下座して謝るなら特別に許してやる」

 大灰音が薄笑いを浮かべながら、地面をトントンとタップした。
 
「…………」

「おい、黒澤! 土下座しろって言うのが聞こえねーのかっ!?」

 大灰音に怒鳴られて、僕の体がビクッと震えた。
 イヤだ。そんなのイヤだ。土下座なんてしたくない。
 しかも好きな人の前でなんて。死んでもイヤだ。

 くそう、もう一度。もう一度だけでいいから、さっきの勇気よ、出てきてくれ!
 喧嘩に勝てなくてもいい。
 大灰音にボコボコにされてもいいから。
 だから男らしく抗う勇気よ、出てきてくれ!

 なのに……それなのに……。

 ぽたっ。

 地面に水滴がひとつ落ちて、キャンプファイアーに赤く染められた大地に黒い染みを作った。

 ぽたっ。ぽたっぽたっ。ぽたぽたぽたぽた。

 一度流れ始めた雫は関を切ったように、地面の染みを広げていく。

「おや? おやおや、黒澤、お前、泣いてんのか?」
 
 大灰音が嘲笑を浮かべて、俯く僕を覗き込んできた。
 く、くそっ。見るな! 見るんじゃないっ!

 なんでだ? なんでなんだよ!?
 なんで勇気じゃなくて涙なんかが出てくるんだよっ!

「もう、大灰音君、やりすぎだよ?」

 そんな僕を見かねてか、小泉さんが間に入ってきた。
 ああ、チクショウ。格好悪すぎだろ、僕。
 慌てて涙を拭う。今更遅すぎるけど。

「いやいや、俺は別に何もやっていませんよ? 黒澤のヤツが勝手に暴走しただけで」

「仕方がないなぁ。じゃあここはボクが仕切ってあげるよ。ライト君、ちょっと膝を地面に付いてくれる?」

「……え?」

「え、じゃないよ? だってこうでもしないと大灰音君の気も済まないでしょ?」

 にこやかに小泉さんから酷いことを言われ、大灰音の圧力にもなんとか耐えていた僕の膝はあっさりと屈した。

(あはは、なんだ、そういうことか……)

 地面に両膝をつき、上半身が自然と前屈みになる。

(全部、僕の独り相撲。チャンスがあるなんて何の根拠にもなしに思い込んでいた大馬鹿者)

 このままでは頭が地面に激突しそうだ。

(すでにふたりの間に僕が割り込む余地なんてこれっぽっちもなくて)

 僕は頭を支えるために、両手を地面に付けようと前に差し出した。

(つまり僕はやっぱりどうやっても大灰音には勝て――)

「はい、喜んで」

 ところが、地面に付けるよりも早く僕の右手を取った人がいた。

「小泉、さん?」

「うん。あ、でも、苗字じゃなくて名前の方で呼んで欲しいかなぁ」

「アンジュ、さん?」

「うん。そうだよ、ライト君」

 小泉さんは右手を引っ張って僕を立ち上がらせると、両膝の砂埃を軽くはたき落としてくれた。

「ちょっと、何をやってるんです、アンジュさん? 今のでは土下座になりませんよ?」

 ことのなりゆきに一瞬呆けていた大灰音が、正気に戻って納得行かないと小泉さんに問い掛ける。
 当然だ。僕も何がなんだか全然分からない。一体何が「はい、喜んで」なんだ?

「土下座ってなにカナ? ボクはライト君がダンスに誘ってくれたからオッケーしただけだよ?」

「「はぁ!?」」

 思わず大灰音とハモってしまった。
 
「いや、ちょっと待ってください。黒澤は別にダンスへの誘いなど」

「でも、大灰音君みたいに膝をついてお願いしてきたよ?」

「それは土下座しようとして」

「そもそもどうしてライト君が土下座なんかしなくちゃいけないのカナ? ライト君も大灰音君と同じように『僕と付き合ってください』って告白してきただけでしょ?」

「なっ!? いや、そもそも俺とアンジュさんの仲をこいつが」

「あ、そうそう。その『アンジュさん』って下の名前で呼ぶのもやめて欲しいなー。ボク、好きでもない相手から名前で呼ばれるのって毛虫と同じくらい苦手なんだよねー」

 うわっ効いた。今のは効いた。
 正直、ちょっと大灰音に同情してしまうぐらい強烈な一発をかましてきましたよ、小泉さん。

「あ、そだ。ライト君、劇が終わってから口をすすいだり、うがいとかしたりした?」

「え? あ、うん」

 突然話が変わって面食らった。
 ええ、もちろんしましたとも。めっちゃしましたとも。
 でもそれが一体何か?

「そか。よかった。じゃあ何の心配もなく出来るね!」

 へ? 出来るって何を?
 さっきからよく分からないことばかり……と思っていたら小泉さんがいきなり抱きついてきて、僕の唇に彼女の可愛らしいそれを重ねてきた!

 心の準備もなにもあったもんじゃない、とても強引なキス。
 だけど大灰音とは比べ物にならないほど、優しく、甘い口づけだった。
 もちろん無理矢理舌を入れてきたりなんかもしない。
 ただお互いの唇を重ね合わせただけ。時間にして五秒もなかった。

 なのに演劇で大灰音とやりあった時よりもずっと長い時間、小泉さんとそうしていたように僕には思えた。

「えへへ。キスしちゃったねー」

 唇を離してもまだ体は密着させたまま、小泉さんが少し顔を赤らめながら囁いてくる。

「う、うん。でも、どうして?」

「だってー、ライト君、悪い魔法使いに呪いをかけられていたんだもん。呪いを解くのはいつだって運命の人からのキスでしょ?」

 悪い魔法使いの呪い……。
 言われて僕はチラリと大灰音を見やる。
 
 邪悪な魔法使い・大灰音は、立ったまま白目を剥いて気絶していた。

 さっきの口撃といい、さすがにやりすぎなような気がしないでもない。
 だけどそんな大灰音の変わり果てた姿に憐れみを感じこそすれ、それまでの恐怖や苦手意識が奇麗さっぱりなくなった僕は、確かに奴の呪いから解き放たれたのだろう。
 
「あはは」

 思わず笑いだしてしまった。

「どうしたの、ライト君?」

 小泉さんも笑顔を浮かべながら、小首をかしげる。
 くそう、そんなところもカワイイなぁ。ちょっと見てくださいよ、このカワイイ女の子が僕のカノジョなんですよ!

「あはは、いや、だってさ、それだとまるで僕が白雪姫で、アンジュさんが王子様みたいだな、って思って」

「そうだよ。ボクが王子様で、ライト君がお姫様っ!」

 えっへんと胸を張る小泉さん。残念ながらそのふくらみはあまり感じられない。
 でも、そんなのはまったく問題ないし、みなさんは覚えておられるであろうか、僕があんずPであることを(つまりナイチチ全然おっけー)!

「いいや、それはおかしいよ。だって僕のアンジュはこんなにもカワイイんだもの!」

 今度は僕から小泉さん――アンジュの唇を奪った。
 彼女の舌はとても甘い、女の子の味がした。


 **作者より**

 最近は「小説家になろう」での描写制限が厳しくなり、キスシーンでも警告・削除されると聞ききました。親愛なるラ研発祥の企画では万が一にもそのようなことはないと思いますが、もし仮にこのシーンが理由で退場を命じられるのであれば、僕は断固抗議します。
 なお、それ以外の理由による削除は……まぁ、仕方ないよね。


【エピローグ】

 僕はアンジュに一目惚れだった。
 ではアンジュはどうだったかと言うと、実はこちらも一目惚れだったらしい。
 なんでも初めて見た時に「運命の人だっ!」って思ったそうだ。
 そう言われると本来なら嬉しいはずなんだけど……。

「だからってこれはさすがにやりすぎだと僕は思うんだけどっ!?」

「えー、ライト君は絶対こっちの姿の方が似合うよぅ」

 ほのかな化粧と気持ち程度のエクステ、そして秋物らしい落ち着いた色柄のワンピースという女装姿でショッピングモールを歩かせられる僕に、アンジュが抱きつきながらきゃっきゃと無邪気にはしゃぐ。

 そう、アンジュが初めて僕を見たのはあの『白雪姫』の舞台での姿――つまり彼女は女装した僕に一目惚れしたのだった。

 そのことを告げられた時は正直、戸惑った。
 だけど、どんな僕であっても好きになってくれたことには違いないし、僕だってアンジュのことが大好きだ。

 ――と、ちょっと隙を見せたのが拙かった。

 初めてのデートだって言うのにアンジュは突然身体障害者用の大きなトイレに僕を連れ込む(良い子のみんなは真似しちゃダメだよ!)と、手にしていた大きな紙袋から化粧品やらエクステやらを取り出し、有無を言わせず僕の女装を始めたのだ。

 ちなみに僕はと言うと、いきなり個室でふたりきりというシチュエーションにバクバクしてしまい(主に下半身が)、その期待を裏切る展開にしばらく呆けてしまった。
 正気を取り戻したのはアンジュが僕の化粧などを終わらせ、ワンピースを着せようと服に手をかけた時のこと。興奮したアンジュはあろうことか、まず僕のズボンから脱がそうとしたのだ。慌ててズボンを押さえたおかげで僕は未だいきり立つ相棒とアンジュのファーストコンタクトをなんとか免れることができた。

「はぁ、こんな姿、学校の連中に見られたら明日からどうなることやら……」

「んー、だったらライト君、ボクんちの学校に転校してきたらどうかなっ!?」

「アンジュの学校って女子高だよねっ!?」

「大丈夫だよ。最近は男の娘って世間でも認められているようになっているし。ライト君、カワイイからきっと大丈夫!」

「いやいやいや、どう考えても無理あるよ、それ。それから僕、別に男の娘じゃないからね? これはアンジュがどうしてもって言うから仕方なくしてるんだから」

 そもそも男の娘って名称そのものも僕はなんだか嫌だった。
 なんというか男のいやらしい妄想が詰まっているような気がして、こう背筋がぞわぞわっておぞましくなる。
 そんなことをアンジュにとくとくと説いたら。

「うーん、それじゃあ男の娘じゃなくて、性が固定されていない、仮の性の持ち主ってことで『仮性の人』ってのはどうかなっ?」

「そっちはもっとダメ! 絶対誤解される!」

 うん、恋人であるアンジュが僕のことをそんな名称で呼んだら、色々と誤解されてしまうこと間違いなし。
 それだけはこれからの高校生活を守る為にも、そして何よりも残された僕のちっぽけなプライドを護る為にも絶対に認めるわけにはいかないのだった。

 おわり。



 え、完全形態となった相棒をアンジュに使うシーンはどうしたんだって?
 それはみなさんのご想像にお任せするよ。
タカテン 1nxaNUk4a2

2018年04月27日 06時24分44秒 公開
■この作品の著作権は タカテン 1nxaNUk4a2 さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:男の尊厳を賭けて、戦いが今始まる……
◆作者コメント:後半はともかく、前半は自分の豊かな人生経験を活かせたと自負しております。

2018年05月15日 05時51分26秒
+10点
2018年05月13日 00時35分48秒
作者レス
Re: 2018年05月13日 15時34分17秒
2018年05月12日 06時14分02秒
+30点
2018年05月11日 00時07分04秒
+20点
2018年05月10日 20時37分37秒
+20点
2018年05月09日 01時34分33秒
+10点
2018年05月08日 21時55分37秒
+20点
2018年05月07日 10時25分28秒
2018年05月06日 16時38分48秒
+10点
2018年05月04日 09時35分31秒
2018年05月03日 22時34分53秒
+20点
2018年05月03日 22時19分34秒
+10点
2018年05月03日 22時18分53秒
+10点
2018年05月03日 06時12分11秒
2018年04月30日 04時19分48秒
+10点
合計 14人 170点

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