ひとりにひとつの密室

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1.会議室にて

 監察医が会議室に入ったとき、警部だけがそこに居た。
 部下たちは一度帰らされたのだろう。
 長く勤務しすぎていたし、あの倉庫で彼らが見たものは誰にとってもショックだった。
「で、分かったことは?」
 警部の問いかけに、老いた監察医は中々答えなかった。
 彼女は良い香りのするコーヒーを口に含み、ズボンのポケットを暫しまさぐって、自分がもう5年も禁煙していることを思い出してから、もう一度コーヒーに口をつけた。
 気が短いことで有名な警部が急かさずに待っていた事が、事件の異常性を物語っていた。
「・・・・・・自殺よ、あれは」
「は?」
 ようやく出てきた監察医の結論を、警部は一言で否定する。
「あんな自殺できるわけ無いだろ」
「私もそう思う。でも、ね」
 コーヒーを飲み干した監察医は、いつもの癖でスプーンを手に取る。
 たっぷりの砂糖を入れておき、完全には溶かさず、最後にスプーンですくって食べるのが彼女の流儀だった。
 しかし、イタリアで覚えたその悪癖を、今日は披露することは叶わなかった。
「被害者の爪の間に挟まってた組織は、被害者自身の眼球の一部だった。眼窩上方の損傷と、指の怪我はぴたりと合う。傷口は明らかに生きている間についたもの」
 入れなかった砂糖を探すことは諦め、監察医は右手を自分の頭に当てる。
 額に掌を置き、中指と薬指を両方の目頭に当てる。
 まぶたが引っ張られていささか変な顔になる。
「つまり、こう。被害者はこの状態から指を眼窩に突っ込み、それを思い切り引き上げて」
「出来るわけ無いだろ、そんなの!」
 警部の震える叫びが、監察医の説明をかき消した。
 震えの原因は怒りか、恐怖か。
 いずれにせよ、説明を続けずに済んだことを監察医は内心喜んだ。 
「私もそう思う。でも、証拠はそれを示している。ベイカー街の阿片中毒者も言ってることだけど・・・」
 警部は自分で飲み終えたコーヒーの缶を机に叩きつける。
「ヘビースモーカーのイギリス人や脳みそが灰色のフランス人がなんと言おうと、あれは殺人だ。遺体に痕跡が無かろうと、誰か別のやつがあの密室に居て、あいつを殺したに違いないんだ!」
 椅子を蹴るように立ち上がり、警部は会議室を出て行った。
 激昂しているのに、ちゃんと空き缶を持っていくあたり律儀な性格だ。
「灰色の脳細胞はベルギー人」
 何の意味も無い指摘だけが、会議室に残った。


2.密室にて

 おや、居られたんですか。

 いえ、あたしはここにいるのが仕事ですからね。

 そんなことは無いって言われても困ります。

 ふぅん、この密室で殺人事件があったと。そんなことぁ無いと思いますがね。

 倉庫会社は勤務停止中だから、夜勤も居ないはずだって?
 まあ、いいじゃないですか。現にあたしはここに居るし、刑事さんもここに居るんですから
 それに、ひとりじゃ寂しいでしょう。

 なるほど、たしかにミステリじゃ密室に二人いるから殺人が起こるわけですな。ひとりなら起こらない。
 つまりその倉庫の中にももう一人居たはずだが、その痕跡が見つからない。
 で、刑事さんは状況確認として、その倉庫を犯行当時と同じ状態にして一晩こもってみたわけですか。

 怖くないのかって言われてもね。人間は元々ひとりにひとつ作りつけの密室を神様からいただいてるわけです。
 ですからまあ、密室をそう毛嫌いする必要も無いでしょう。

 なるほど、密室を開けて回るのが刑事の仕事ですか。名言だ。
 それにしても仕事熱心ですな。

 ほう、なるほど。それはご愁傷様で。

 たとえ死んでも幽霊になって犯人を捕まえる?
 はは、たいした情熱ですねぇ。
 しかし、刑事さんの幽霊は、果たして刑事さんなんでしょうか?

 や、考えても見てくださいよ。
 魂ってものがあるとして、それが肉体の死んだ後も幽霊として残るのだとしましょう。
 しかし、魂には何が入ってるんでしょう?
 たいがいの人は、魂こそが本当の自分で、記憶や意志が魂の中にある事を期待します。
 でも、人間ってのは脳にダメージがあると記憶をなくしたり、性格が変わる事があるわけです。

 そうそう、そんな風にね。
 もし魂に、記憶や意志が入ってるなら、脳にダメージがあってもそのままのはず。
 ということは、魂は死ぬ前の人の持ってる記憶や意志は持っていない。
 刑事さんが死んで幽霊になったとして、その幽霊は刑事さんと記憶も意志も共有しないわけです。

 はは、いまさら何を怖がってるんです?
 ずっと一緒に居るじゃないですか。
 刑事さんと、記憶も意志も共有しない、このあたしと、この密室に。

 叫んだって無駄ですよ。ここは密室なんだから。
 走ったって無駄ですよ。その倉庫は密室なんでしょう?

 開ける? この密室を?
 止めた方がいい、刑事さん。
 それがあなたの仕事だとしても、開けちゃいけない密室というのが在るんです。
 人間存在ってのはこの密室から自由になることなど決して、決して・・・・・・。

 終
ワルプルギス 2nPB2./RMA

2017年12月31日 23時59分11秒 公開
■この作品の著作権は ワルプルギス 2nPB2./RMA さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:あなたは今、密室にいる。
◆作者コメント:参加見送りのつもりでしたが、意外と作品数が増えないのと自分の現実逃避とで、急遽出陣に舵を切りました。
 あえて明記する情報は減らし、読者の皆様の想像力に仮託する形を取りましたが、果たして上手く行ったかどうか・・・・・・
 来年も密室の中にいる皆様に幸あらんことを。

2018年01月27日 23時12分37秒
+20点
2018年01月21日 22時53分16秒
作者レス
2018年01月15日 18時57分38秒
+10点
2018年01月15日 18時40分34秒
0点
2018年01月13日 22時52分03秒
2018年01月12日 17時55分14秒
0点
2018年01月12日 06時58分22秒
+20点
2018年01月11日 23時53分02秒
+10点
2018年01月11日 23時01分43秒
0点
2018年01月09日 19時36分20秒
+10点
2018年01月06日 12時28分37秒
2018年01月05日 16時49分02秒
0点
2018年01月05日 14時26分14秒
-10点
2018年01月05日 11時31分19秒
-10点
2018年01月04日 22時04分07秒
0点
2018年01月04日 21時12分41秒
-10点
合計 15人 40点

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