俺っちが喋れなくなった夜 |
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おっす。 俺っちの名前はニャンコピオン。小さなぬいぐるみだ。 十年前に一瞬だけ流行った五分アニメ「マジカルフェアリー」に、主人公の相棒として登場する妖精を模している。猫の身体にサソリの尻尾という、イカしたデザインだ。 まあ実を言うと、アニメでの本当の名前はニャコーピオンというのだが、俺っちは中国の工場で無許可で製造されたので、色々な都合でニャンコピオンという名前になっている。この辺りを詳しく説明するのは面倒なので、あまり気にしないでくれ。 ある一軒家の二階、六畳程の小さな部屋。白いシーツが敷かれた清潔なベッドの上が、俺っちがいつも居る場所だ。 壁掛けの時計が午後一時を指した。もうすぐ、ひな子が帰って来る時間だ。 ひな子というのは俺っちの主人だ。十五歳の女の子で、高校一年生。学校には週に二回、火曜と木曜の午前中だけ行くことになっている。彼女自身は学校には行きたくないようだが、学校に行かせたい両親との話し合いの末、今のような「ひな子専用シフト」が出来上がったらしい。 行きたくないとこに無理やり行かされるんだから、彼女も可哀想だ。俺っちは常々そう思っていた。 なんて言っている内に、部屋の扉がガチャリと開く。 「ただいま」 このセーラー服に身を包んだ女の子が、俺っちの主人のひな子だ。 小五で止まっちまった身長は、同年代の女の子より十センチ程低い。二カ月に一度、安い美容院へカットしに行く髪は、色気の無いおかっぱだ。一時期はロングヘアーにしていたこともあったが、「腐れ柳に毒キノコ」という、俺っちが勝手に想像した架空の花札役みたいになって酷かった。 長いこと陽の光を浴びてこなかった肌は少し前まで、特売で売られるモヤシのように白かった。ひな子シフトが出来上がった最近では少し色づき始めたが、それでもナメクジみたいな青白さだ。 「おかえりよ、ひな子っち」 そう実は俺っち、ひな子と会話をすることが出来るのだ。ぬいぐるみなのに、スゴいと思うだろ? だが彼女とは十年近い付き合いになるので、これくらい当たり前なのだ。 セーラー服のまま、ひな子はボフッとベッドに身体を投げ出した。生気の薄れた顔が俺の目の前に迫る。 学校から帰ってくるひな子は、いつもこうだ。 「元気無いな。学校で嫌なことでもあったか?」 「別に、何も。あるわけないじゃん」 気だるげな声と共に、重いため息が吐き出される。ひな子は枕に顔をうずめた。 枕越しのくぐもった声で、こう言った。 「学校行ってもさ、誰かとお喋りするわけでもないし。適当に授業受けて、休み時間は用も無いのに図書館行ったりして、帰るだけだし。意味無いよね」 「でもよひな子っち、学校行ってるだけでもエラいと思うぜ」 するとひな子は枕から顔を少し上げ、俺っちの方を向いた。 「そう?」 「学校が嫌でも、ひな子っちは我慢して行ってる。大したもんだ」 「そうかなぁ?」 彼女は小さく「フフッ」と笑って、「そうかもね」と言った。 「ニャンコピオンは優しいね」 ここだけの話、ひな子は笑うとすごく可愛い。おかっぱに縁取られた丸顔にピコッと出るえくぼは、幼い子どものようで、何というか、守ってやりたくなる。 あと、笑う時だけ声のトーンが少し高くなる。これも、無性に可愛い。 もっと笑えばいいのにと思う。ひな子はよく、どうやったらもっと笑えるだろうかと、俺っちに相談する。 どうすればいいかなんて、表情を変えようが無い俺っちみたいなぬいぐるみに、分かるわけがない。 俺っちとひな子の出会いは今から十年前にさかのぼる。俺っちはおもちゃ屋の処分品が詰まったワゴンの片隅で、買われるのを待っていた。 俺っちに目をつけたのは、仕事帰りらしいスーツ姿の男だった(彼がひな子のパパだと知るのは後のことだ)。俺っちは男に買われ、箱に入れられ、丁寧にラッピングされた。 そして一晩が経ってから、俺っちは開封された。目の前にいたのが、幼いひな子だった。 「これニセモノだよ! 尻尾の色が違うもん!」 ひな子は開口一番にそう言った。焦るのはパパっちだ。 「ご、ごめんな、パパ間違えちゃったよ。でも、それも可愛いだろう?」 するとママっちが、 「ひな子、折角パパが買ってきてくれたんだから。文句言っちゃダメよ」 ひな子はブーブー言いながらも、我慢するのだった。 最初こそ面白くなさそうな彼女だったが、次の日から俺っちで遊んでくれた。ママゴトでは、俺っちは子ども役になったり、ママ役になったりした。 ひな子と遊ぶ時間は、楽しかった。ただ一つ気がかりだったのは、ひな子は、友達と遊ぶことが無かった。 ひな子の話し相手はいつも俺っちだった。彼女はよく、俺っちに弱音を吐く。 「学校、あんまり行きたくない」 小学校に上がって三年くらい経ってから、ひな子は徐々に学校を休むようになった。学校を休む頻度は日に日に多くなっていき、ある時、不登校になっちまった。 たまに学校へ行く時は、ランドセルに俺っちを引っかけた。俺っちが近くにいると、ひな子は安心するのだという。ぬいぐるみ冥利に尽きるってもんだ。 俺っちが喋れるようになったのは、ちょうどそれくらいの時期だった。 「ひな子っちが学校に行きたくないなら、無理に行かなくてもいいと思うぜ」 俺っちとひな子が会話するのは、次第に当たり前になっていった。 高校生になった今でも、ひな子は俺に話しかけてくれる。嬉しいことだ。 でも、俺っちはこうも思うのだ。 女の子は、いつまでもぬいぐるみなんかと喋ってちゃいけない、って。 ひな子の住む街では、毎年夏になると祭が催される。神社の境内に屋台が立ち並び、祭囃子と太鼓の音が鳴り響き、最後には近くの漁港から花火が打ち上げられる。 幼い頃ひな子は、家族と一緒に祭に行くことはあったが、ここ数年祭の夜は毎回部屋の中だった。窓から見る花火も悪くないのだと、彼女はよく言った。 ある日の夜だった。 「あのね、ニャンコピオン。今日学校でさ」 お風呂から上がったばかりのひな子はパジャマ姿で、ベッドに横になっていた。 「おう、ひな子っち。一体何だって?」 「あのね、清水君がね……」 清水というのは、ひな子との会話でたまに出てくる少年の名前だ。 クラス委員をやっていて、誰に対しても分け隔てなく接する好青年らしい。もちろんひな子に対してもそうで、この前は落とした消しゴムを拾ってくれたんだと、嬉しそうに話していた。 俺っちはソイツの顔など知らないが、そこそこのイケメンなんだということは想像に難しくない。ソイツの話をする時、ひな子はいつも笑顔だった。 しかし今、ひな子は浮かない表情を浮かべていた。 「……クラスの女の子と二人きりで、お祭に行くって」 ひな子はその少女のことを話した。図書委員を務めている少女は、クラスの中でも目立つ方ではなく、教室ではよく本を読んで過ごしているそうだ。かといって暗い性格というわけでもなく、誰かと会話する時は明るくなって、友達はそれなりにいるらしい。 今日の昼休み、『今夜、二人で花火を見に行きませんか』と、少女が清水に対して言った。周囲のクラスメイト達はその様子を見て、告白だ、なんて囃し立てたそうだが、清水も少女も照れたように笑うばかりで、否定はしなかった。 ひな子は不安げな表情だ。 「やっぱり、清水君は付き合うんだろうな、あの子と」 「……ひな子っち、元気出せよ」 「本当はね、私だって、清水君をお祭に誘いたかった。でも、出来るわけないじゃん。私なんかが誘ったら迷惑だろうし、気持ち悪がるだろうし、嫌われちゃうかもしれないしさ」 ひな子の声は震えていた。途中からは涙も交じって、言葉が滲んだ。 もし俺っちが人間だったなら、ひな子の頬を伝う涙を今すぐ拭ってやれたのに。 ぬいぐるみである俺っちに、それは出来ない。 そして、言葉も出なかった。 慰めの言葉は、彼女をもっと傷つける気がしたからだ。 祭の夜が訪れた。会場の神社は歩いてすぐ近くのところにあり、ひな子の居る部屋にまで、祭囃子は聴こえてくる。 ひな子はベッドの上で三角座りしていた。彼女が見つめる先では、屋台の白熱球で形成された明かりが、夜を照らしている。 もうすぐ、花火が上がる時間だ。 「花火の瞬間にさ」 ひな子は俺っちの方を向いた。 「キスとか、するのかな。清水君と、あの女の子」 「さあ、どうだろうな……」 すると彼女は立ち上がった。いつもの部屋着を脱ぎ捨てると、外出の時によく着るパーカーを身に着けた。 小学生の頃から使っている肩掛けのポーチを取り出し、そこに財布と携帯を突っ込み、ポーチの紐に俺っちをくくりつけた。 家から出ると、歩いて五分足らずで神社の境内に到着する。 俺っちにとって祭の会場は久しぶりだ。幼い頃にひな子と、ひな子の両親と一緒に行ったのが最後。ひな子と二人というのは、初めてだ。 溢れんばかりの人の声に祭囃子が重なり、神社の境内は酷い喧騒に包まれていた。ひな子は昔から人混みが苦手だった。不安にならないか、心配だ。 ひな子はパーカーのフードをスッポリと被り、境内をトボトボ歩いた。 彼女はパーカーを着るのが好きだった。パーカーのフードは、周りの色々な物から自分を守ってくれる気がする、と彼女が話していたのを思い出す。 しばらく歩いていくにつれ、人の数は徐々に減り、祭囃子の音が遠くなっていく。 神社と隣接している雑木林は、知る人の少ない穴場スポットだ。この辺りまで来ると人気はほとんど無いが、小高い丘になっているため、打ち上がる花火がよく見える。 「あっ……」 ひな子が急に立ち止まった。たった数十メートル先のところに、一組の男女がいた。 その二人が清水と例の少女だというのを、俺っちはすぐ悟った。自然な薄化粧を施した少女は、落ち着いた色彩の浴衣に身を包んでいて、正直可愛かった。確かに、あの二人はお似合いだ。 ――ヒュルルル―― 不意に花火が打ち上げられた。一筋の明かりは夜空を勢いよく昇っていき、次の瞬間には、火薬が鮮やかに咲き誇った。 ドン、という轟音が祭の喧騒を吹き飛ばすと同時に、二人は唇を重ねた。 花火の明かりに照らされた少女は、ひな子には悪いけど……ひな子の何倍も可愛い、まさに美少女だった。 「うっ……うぅ」 ひな子は駆け出した。止まらない涙をフードで必死に隠そうとしているが、漏れ出る嗚咽は抑えることが出来ずにいた。 一体今、彼女は何を考えているのだろうか。悔しいのか、悲しいのか、怒りの炎が燃えているのか……。十年も一緒に居るというのに、彼女の気持ちを俺っちは理解してやれなかった。 腐葉土や枯れ枝を踏みつけながら走っていると、百メートルほど進んだところでひな子が急に尻もちを突いた。 「……ひゃんっ!?」 見ると、サンダルの親指部分が切れてしまっていた。 普段だったら些細な不幸かもしれない。けれどそんな不幸でも、今のひな子にとっては傷口に塩を塗られるのと同じなのだ。 「っひん……ぐすっ」 近くの木に背を預け、ひな子はポロポロと涙を流した。土で汚れた手で涙を拭うので、顔が汚れた。しかしひな子はそんなこと一切気にしていないようだった。 死にかけの蚊みたいなひな子の泣き声は、次々と打ち上がる花火の轟音に、呆気なく掻き消されてしまう。 すると、 「お譲ちゃん、どうしたの? 大丈夫?」 ひな子が振り向くと、そこに立っていたのは一人の男だった。髪を明るい色に染めた、大学生くらいの男だ。 男は優しそうな声だった。 「サンダル切れちゃったんだ、大変だね」 そう言ってひな子のすぐ横に腰掛けた。 「あ、いえ……」 「顔に泥が付いてる。拭かなきゃ」 男はハンカチを取り出すと、ひな子の頬を拭いた。 俺っちはソイツの慣れた仕草と馴れ馴れしい態度を見て、ソイツが良い人間じゃないとすぐに分かった。 「……ごめんなさい」 「いいよ、気にしないの」 それから男はひな子に色々質問をした。高校生なの? だの、彼氏と一緒だった? だの。 そして、 「気晴らしに、これからドライブでもどう? 近くに車停めてあるからさ。そこまでおんぶしていくよ」 小学生でも、そんな誘いに乗っちゃダメだというのは分かる。しかしひな子は、首を横に振らなかった。 三秒程の間を置いて、彼女はパーカーの奥でコクリと小さく頷いた。 ……男の車に乗ったらどうなるか、分からないはずがない。乱暴されるかもしれない。お金を盗られるかもしれない。 なあひな子、どうしてそんな奴の誘いを断らないんだ? ソイツが強引だからか? それとも、自分の恋が破れたからか? 明らかに嘘だと分かる優しさにさえ縋らずにいられないのだとしたら、それほど可哀相なことはない。 (ひな子っち、ダメだ) ――そこで俺っちは、自分の声が出なくなっていることに気付いたんだ。 祭の夜から三カ月が経った。つい先日、ひな子は学校を辞めた。 今日はひな子のお腹に宿った赤ちゃんを、無理やり殺すという手術の日だった。浮かない顔をしたひな子は、パパっちの運転する車で家を出て行った。 俺っちは押し入れの一番奥に押し込まれた。ここからはもう二度と出られないのだろう。 俺っちはひたすら悲しかった。人間ならこういう時に涙を流すのだろうが、ぬいぐるみの俺っちには、流す涙も無かった。 思い出すのは、ひな子と遊んだ日々のこと。 ママゴトもやったし、一緒にテレビを見たりして過ごしたこともあった。俺っちにとってひな子は、かけがえのない友達だった。 もっと、ひな子とお喋りしたかった。一緒に遊びたかった。 こんなことになるのなら、ひな子はずっと、幼くてか弱い女の子でいて欲しかった。 俺っちがひな子と再びお喋り出来る日は。 きっともう、来ない。 |
ヨースケ 2016年06月12日 01時14分33秒 公開 ■この作品の著作権は ヨースケ さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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合計 | 17人 | 200点 |
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