りばあ~す

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 プロローグ

 柔らかな光あふれる初秋の午後。魔法都市カルデルンに住むシュートはうたた寝から覚めた。誰かがしきりに玄関の扉をノックしている。
「んあ? 誰だ」
 普段滅多に来ることのない来客に訝しがりつつもドアを開けた。
 そこには…………
「ほへ?」
 自分よりも三、四歳は幼いおかっぱの少女がちょこんと立っていた。着ているのは、金色の刺繍が施された、上物の白いワンピース。シュートの生まれ故郷、バジールでは巫女が着ているはずの服だ。
 出身は分かる。ただ、この少女に見覚えはまるでない。
 訪問予定も皆無だ。
「ええと……?」
 少女の艶やかな亜麻色の髪が風に吹かれてさらりと揺れた。大きな、まんまるの潤んだ瞳が物言いたげにじっとシュートを見上げる。
「んと、どちらさん?」
「……あのっ!」
 何度かためらってから、それでも意を決したように少女がその小さな桜色の唇を開く。
「あのっ、あなたが蘇生屋だと聞いて……」
 その途端、すぅっとシュートの目が細くなった。何かを探るような、警戒しているような顔つきだ。
「誰から聞いた」
 唸るように言う。
 びくりと少女の細い肩が震えた。
「ええと、アスランっていう人から」
 古い付き合いの行商人だ。そういえばだいぶ前、えらく幼い巫女に蘇生屋のことを紹介したとかなんとか言っていたはずだ。
 少し、シュートの肩の力が抜けた。
「お話、聞いてくれる?」
 上目づかい。ワンピースの裾がはたはたと踊る。
 新しい事件の始まりを告げる風が、吹いた。




 住み始めてから二年の、まだ新しい匂いのする居間に少女を案内すると、彼女はカノンと名乗った。アイスミルクティーを一口こくんと飲んで、不思議なものを見るかのように周りを眺めやる。それから、おずおずと口を開いた。
「なんだか、さびしい家。暮らしているのに、暮らしてないみたい」
「まあ、物があんまりないからな」
 余人の目のない部屋で、シュートはざっくりと切り込んだ。
「で、蘇生屋がなんなのか分かった上で俺を訪ねてきたんだよな」
「うん、死んじゃった、会いたい人に会わせてくれる人」
 亜麻色の髪が揺れる。見た目の年齢と話している内容の突飛さに反して、どこまでも物静かで、きちんと分かっている態度だ。
「そっか……」
 もう少し何か浮ついた反応があるかと思ったが、そんなものは皆無だった。
 まるで、朝霧にけぶる苔むしたブナ林だ。
 相槌の先が続かない。
 どこかしんみりとした沈黙が場を占めた。
「まあ、間違ってはいないか」

 鼻から流れ出す血液に、ホムンクルスが作る成分が含まれていると知られてから五十年。鼻血は人工人類学(artificial-anthropology)の草分け的存在、キー・ゼール・バッハの提唱で、鼻血(びぢ)と呼ばれ、作られたホムンクルスはあっという間にロボットに代わる第三の存在として普及していった。
 自然、ホムンクルスに関わる職業も増加。その中でも『蘇生屋』は特殊な……国の最重要機密に挙げられる職業であった。

「遺骨があれば、誰であっても俺の鼻血で生き返らせることができる。ただし、分解酵素が多くてな……」
「ぶんかいこーそ?」
「ああ、要するに生き返らせることはできるが、一日以内に死んでしまうということだ。あとにはもう、骨も残らない。だから、再生は一回限りだ」
 きっぱりと言い切る。
 カラン、と氷が涼やかな音を奏でた。
 遺骨を想い出のよすがとして手元に取り置いておくことは珍しくない。
「全てを失ってでも、会いたい人物に会う勇気はあるか?」
 わずかなためらい。数秒の空白。唇をぎゅっと噛んで、それでもカノンは前を向いた。
 薄いブルーの左目と金色の右目が、まっすぐにシュートを射る。
 一つ瞬きをして、頷いた。
 再び、氷が鳴く音。
 ふいに、湿った重たい風がシュートの頬を撫でた。近いうちに一雨きそうだ。
 何とも言いがたい不安感に、シュートが喉をさする。
「訳を聞きたい。それに俺が納得して、カノンが俺の言う対価に応じたら契約成立だ」
 真っ白く、柔らかそうなマシュマロの頬がこわばった。
「お金、たくさん要る? アスランさんからは払えるかどうか分からないものを要求されるって聞いたんだけど」
 陽が、かげる。
 シュートはゆるく頭を振った。
「金は要らない。先に話してくれないか? どうしてそんな与太話を信じてここまで来たのかを」
 長い、ふさふさのまつげを伏せてカノンは深呼吸を一つ。
 それから、薄い唇を開いた。
「私のお母さんとお父さんはね……」


 カノンが話した内容を簡単にまとめるとこうだ。
 曰く、カノンの姉シンフォニアと自分は幼いころに両親を亡くし、それからは巫女として暮らしていた。お互いに励まし、支え合って生きてきたが、つい数日前、流行病で姉のシンフォニアが亡くなってしまった。自分は遠方の村で行われる地鎮祭の準備に駆り出されていたため、死に目に会えなかった、と。
「だからね、どうしても『今までありがとう』って言いたいの。それと『最後に会えなくて、さびしい思いをさせてごめんなさい』って」
「ああ、そうか」
 相槌を打ちながら、シュートはこのカノンという少女に親近感を抱いていた。シュートもカノンと同じバジールの出身。そして、両親と弟を失った身だ。思いはこれ以上ないくらいよく分かった。
 ただ、だからこそ気になることもあった。それは、この少女の生きる気概の薄さ。線の細さとでも言えばいいのか、どこか投げやりな、生きる意味を失っているかのように思えることだった。
 立ち入ったことだとは思いつつもシュールは訊かざるを得なかった。
 まるで……数年前の自分を見ているようで気が気ではない。
「なあ、カノン」
「んー?」
「お前、なんかやりたいこととか、目標って、あんの?」
「ほへ?」
「いや……なんか、姉に会えたら満足して、その翌日には死んじまいそうだったからさ」
 さして驚いた様子もなく、カノンはうむぅ、と考え込んだ。足をプラプラさせる動きが、しばらくして止まる。
「今は、ない、かな。前までは夢があったんだけど、でも、それはお姉ちゃんと叶えたいものだったし」
「どんな?」
「んと、ブ・ラールの大会に出て優勝して……全国をお姉ちゃんと回るの。あと二カ月で大会で、そこで上位入賞したらお金がもらえるから、それで知らない世界を知ってみたかったんだけど」
 コップの水滴がツツ、と動いた。
 ブ・ラールとはハープ奏者の演奏に合わせたダンスだ。神に感謝をささげ、死者の魂を癒すための伝統芸術。
「お姉ちゃんがハープを演奏して私が踊るの。去年はあと少しで入賞できたんだ」
 足、傷めててうまくターンができなかったから賞に入れなかった。
 そうカノンは悔しそうに言い足した。
「でももうお姉ちゃんが亡くなってからずっと練習してないし、肝心のお姉ちゃんがいないから、なんか悲しくって……今はどう生きたらいいのか分かんない感じ」
「なら……」
  曇天のもと、低く飛ぶ鳥が鳴く。
 どこかのガラス窓がぴしりと音を立てた。
「『やりたいことを見つける』これが対価だ。一週間以内に答えを聞かせてくれ」
「え?」
 よほど意外だったのか、カノンが大きく目を見張った。
「金はいらない。ただ、答えだけがほしい。できるか?」
「うー……」
 俯く。嘘でもいいから頷けばいいものを、そうできないのが彼女の性格なのだろう。
「依頼は請ける。その代わり、姉がいなくてもきちんと生きられるすべを見つけてくれ」
 木々がざわめいた。
 数秒。
 沈黙に不安を覚えたシュートがしゃがんでカノンの顔を覗き込んだ声をかける。
「できるか?」
 目元をぬぐった小さな手が濡れていた。
「……うん。できる。やる」
 顔をくしゃくしゃにして泣きながら、それでもカノンは頬を桜色に染めてほほえんだ。本当は、見かけよりも強い人なのかもしれない。
 思わず、シュートの表情も緩む。
 あまりにも眩しくて、立ち上がりしなにわしゃわしゃと乱暴に亜麻色の髪を撫ぜた。
「わ、……やんやん! 髪の毛、乱れちゃう」
 カノンが自分の髪を押さえて、ぷくぅとほっぺたを膨らませる。小走りでシュートの手から逃げ回った。
 ひらひらと揺れる白の巫女服。草原で遊ぶモンシロチョウだった。
「よし、しかたがない。やるか」
 一通りカノンをからかって満足したシュートが言う。
「うん!」
 笑顔の花が咲いた。初めて見る、心からの笑顔だった。
「よろしくね、シュート!」
 にぱっと笑って、ぺこりと頭を下げる。
 空は凪ぎ、いつしか分厚い雲の切れ間から陽光が差し込んでいた。




 北側の、大人が二十人入ってもまだ余裕のあるだだっ広い実験部屋。これがシュートのホムンクルス創出の場であった。先ほどまでいた居間とは異なり、あちこちにビーカーやら試験管やら薄汚れたぼろ布が散乱している。
 ただし、陰惨な雰囲気はなく、すえた臭いもしなかった。ただ乱雑なだけだ。
「広いねぇ」
 部屋の大きさに驚いたのか、カノンがびっくりした表情で言った。
「まあな」
 カノンに背を向け、いくつかの薬草やら薬品やらを戸棚から出して相槌を打つ。その動作に迷いはない。
 ほどなくして、実験部屋の中央のテーブルにずらりとホムンクルス創出に必要なものが並べられた。
 物珍しげにカノンがそれらを注視する。その中でも乾燥剤入りのガラス瓶に入った、ルビーのような結晶が目に留まったようだ。指を差して、シュートに視線を向ける。
「これはなあに?」
「ん?」
 ああ、とシュートは軽く口角を上げた。瓶を持ち上げて軽く振る。からからと乾いた音がした。
「俺の鼻血。というか、鼻血の結晶。液体のときより保存がきくし、量の調整もしやすいし、なにより凝縮されているから少しで済むんだ」
「これが、お姉ちゃんを生き返らせるのに必要な鼻血」
 感慨深げに、しみじみとカノンが話す。それでも、言葉の底に抑えきれない興奮が渦巻いていた。
「そう。あとは姉の遺骨があれば生き返らせることはできる。アスランから聞いたとは思うけど、持ってきたか?」
 おとなしい肯定の返事。首のところから手を差し入れて、巫女服の内側……ちょうど心臓のあるあたりから何かを取り出す。
「これ」
 灰色にくすんだ小さな布袋だ。ちらりと見せたそれをすぐにはシュートに渡さず、両手で包み込むように握る。まるで、神に捧げる祈りの所作だ。
 ためらうのも当然だろう。姉にまた会えるとはいえ、その時間はわずか一日。それも一度蘇生してしまったら遺骨は残らず、もう二度と会う機会はない。そう言われたのだから。
「怖くなったか?」
 カノンは首をゆっくりと、まるでまどろみの中に入っていくかのように縦に振った。
「シュートのこと、信じてる。でも、これでお姉ちゃんと会えなくなっちゃうかと思うと、決心がつかなくて……」
 うん、素直だ。
 シュートは幼い子にするようにぽんぽんとカノンの頭を優しくあやした。
「ふへへ」
 陽の差しこまない部屋に陽光が満ちる。
「一日以上、生きられるようにしてみるから。だから、決心がついたら渡してほしい。それまで待ってるから」
「……うん」
 返事を聞いて、鼻血の結晶以外の全ての薬品の下準備を始める。鼻血の結晶は確かに液体のときよりは扱いやすいが、出しておくだけでも空気中の水分を吸ってあっという間にべとべとしてしまうため、使う寸前でないと取り出せなかった。
 今回は、必ず一日以上カノンの姉を蘇生させる。
 決意を、薬匙に込めた。
 二人のかすかな息づかいとパラフィン紙がこすれる音しかしない、静かな空間。
 いつの間にか、シュートはカノンのことが気になり始めていた。

 カノンが決意を固めたのは、それからすぐ、ちょうど鼻血以外の全ての材料の準備が整った頃だった。
 最後に残ったビーカーを意識的に丁寧に洗うその途中、つい、と腕を引かれる。振り返ってみれば、片手でぎゅっと小袋を握ったカノンの姿があった。
「あのね、決めた。やっぱりお姉ちゃんと会いたい」
 強い眼差しは、全てを失ってでも、会いたい人物に会う勇気はあるか? という質問に答えた時のものと同じだ。確固とした意志を秘めたまま小袋をテーブルに置き、そっと手を離す。
「お願い、シュート」
 シュートは濡れたビーカーを戻し、ゆっくりとテーブルの上に腕を伸ばした。指先が、柔らかい布に触れる。
「ふむ」
 思っていたよりもずっと軽い。中に入っていたのは小指半分くらいの大きさの白骨だった。
「足りない?」
 潤んだ瞳でおずおずと尋ねる。
 いや、とシュートは首を振った。ピンセットで慎重につまんでシャーレに移動させる。カラン、と固い音が鳴った。
「このくらいあれば充分」
 知らず知らず、シュートは笑んでいた。


 キー・ゼール・バッハが編み出したホムンクルスの作り方――蒸留水をベースとした特殊な溶液に鼻血、あるいは鼻血の結晶と核(この場合は遺骨)を混ぜ入れ、長期間安定的に温める――という作業において一番大切なのはその温度管理である。創出の過程の中で一度でもこの温度が既定のものから外れてしまうと、あとはもう、どれだけ温度を調整しようがホムンクルスが育つことはなかった。
 浅く、広いガラスの水槽に取りつけた数個の温度計の温度を計り、それが安定した温度を保っていることを念入りにチェックする。これならば大丈夫だろうとようやく安心した時には日付が変わりかけていた。カノンは疲れたのか、緊張の糸が途切れたのか、だいぶ前に夢の中だ。
 保温器の作動音を聞きながら、もう一度自らの立てた仮説を検証する。
 鼻血からホムンクルスができるのは確かだ。そして、特殊な成分を有する鼻血があることも真実。
 蘇生能力を持つ鼻血でカノンの姉、シンフォニアのホムンクルスをつくり、溶けて消え去ってしまう前に成長ホルモンの少ない鼻血を注入する。
 こうすれば一日以上シンフォニアは生きられるのではないか。
 可能性は低いかもしれない。なにせこういうことを考えて実行し、成功にこぎつけたという話は聞いたことがなかったのだから。それにシュート自身その鼻血の特異性から、あまり積極的に他のホムンクルス創出者とは関わらないようにしていた。
「あー……やるしか、ねえよなぁ」
 ガシガシと乱暴に頭を掻いて、ぽつりと呟く。
 そう、シンフォニアを少しでも長く生きられるようにするには今までの方法では駄目なのだ。
「シンフォニアが無事に蘇生してからだけど、動いてみるか」
 決意は、闇に溶けていった。


 二日後の夜、ぬるい水槽の中で蘇生したカノンの姉、シンフォニアはシュートが思わず息をのんでしまうほど美人だった。長いさらさらのブロンズヘアに卵形の小さな顔。エメラルドを思わせる神秘的な碧眼と高い鼻梁。きゅっとくびれた腰つき。そして細身の体にはいささか不釣り合いなくらいに盛り上がったおっぱい。
 自分が裸で、目の前に見知らぬ男性がいるということに悲鳴を上げたものの、事情を話すと勘違いに頬を赤らめた。すぐにカノンが飛んできたというのも落ち着く要因だったかもしれない。
「本当に、ありがとうございます」
 気高く、それでも温かみを帯びた声音。この二日間の間にカノンが買ったワンピースドレスを着て頭を下げる。
「あ……いや、とんでもない」
 目のやり場に困ってしどろもどろになりつつ、言った。
「ふふっ、シュート、照れてるー!」
 カノンが太陽の日差しを浴びて咲くタンポポならば、シンフォニアは月明かりを受けて花開く純白のバラだ。
 バラが、タンポポの頭を撫でて、口を開いた。
「命を落とす直前に強く思ったのはカノンに会いたい、ただそれだけでした。カノンは、私の娘みたいなものですから」
「ふへヘっ、私もお姉ちゃんに会いたかった」
 風に漂う綿毛みたいにカノンはシンフォニアにまとわりついた。幸せそのものの表情をしている。
「一応確認だが、どこか体に異常はないか? 病気で亡くなった場合でもほぼ健康体となって蘇生するはずなんだが」
「んー……?」
 プニプニと頬をつねったり腕を曲げたりしていたが、しばらくしてきっぱりと「ないですね」と答えた。
 ほう、と安堵の吐息が漏れる。
「さっきも話したけど、今シンフォニアは俺の蘇生術を受けて蘇生した状態にある。で、その効果は一日だけ。だから、普通ならば明日の夜にはお別れだ。だけど、今回はちょっとした試みをしてみようと思っている。今考えている仮説が正しければ一日以上生きられるはずなんだ」
 ホムンクルスは概して死への恐怖が薄い。シンフォニアも同様で、自分が死んだこと、一日しか蘇生の効果が働かないことを聞いてもあまり動揺した様子は見られなかった。だからそこシュートも包み隠さず本来の死期を告げることができる。
「まあ、シンフォニアはさ、カノンと想い出を作ってくれると嬉しい。資材購入のために家を空けるけど夕方には戻るからさ。戻ったら協力してほしい」
「ねぇねぇ、シュート。それって、痛い?」
 カノンが上目づかいで訊く。
 否定してから、そういえば蘇生延期の仮説を何も説明してなかったことにシュートは気が付いた。だが、そろそろ時間がない。夜のうちに発っても、求める鼻血の持ち主のところにたどり着くのは朝になってしまうのだ。当然、鼻血を手に入れたらすぐに戻らなければ夕方には間に合わなくなってしまう。郵送も考えたのだが、成長ホルモンが少ない鼻血は思ったよりもデリケートですぐに変質してしまうと断られたのだ。それに、郵送だと間に合わない可能性もある。
 全ては時間が勝負だった。
 不安げに見るカノンに一度笑む。
「ちょっと太めの注射が三本といったところじゃないかな。大丈夫。そんなに痛くはないはずだ」
「ん、ならよかった」
 納得の声に合わせてシンフォニアも頷いた。
「どうか、よろしくお願いします」
「ん、任せとけ」
 笑顔に見送られるようにして、シュートは腰を上げた。
 消えるはずの命を延ばす。
 今まで挑戦したことのない試みが今、始まった。




 おおむね順調だった旅程に問題が生じたのは、目的の町に到着してすぐのことだった。ある邸宅の前で黒山の人だかりができている。
「何かあったのか?」
 往来をふさぐくらいに膨らんだ人の群れに問いかけた。ああ、と答えたのはいかにも庶民らしい服装に身を包んだ壮年の男性だ。
「ここドラゴン使いの家なんだが、家の主が今朝心臓発作で亡くなってなぁ。そいつのことしか聞かないドラゴンが一匹、檻の中で暴れているんだと。せめて生き返って山にでも、空にでも帰るように言ってくれりゃいいのに」
 やれやれ、と嘆息をつく。
 確かに狂暴化したドラゴンは時として死者を出してしまうくらい、手におえない存在だ。陸棲種であれば山に、飛龍の類であれば空に戻したいと考えるのは自然なことだ。
 どこかで蘇生ができる鼻血の持ち主を求める声が聞こえた。
「まあ、探したっていないだろうなぁ。今、普通のホムンクルス創出の見習い坊やとかドラゴン使いとかが中に入って何とかしようとしているらしいんだが……まあ、いざとなったらドラゴンを殺すほうが手っ取り早いかもな」
 曖昧に相槌を打つ。この場を離れるとしたら今しかない。
 深入りは危険だ。
 頭の片隅で警鐘が鳴った。
「俺が……」
 それでも、唇は思考とは正反対の言葉を紡いでいた。ん? と壮年の男性が怪訝な顔をする。
 ドラゴンが暴れたら誰かが死ぬかもしれない。その中には子を残す者もいるかもしれない。
 そう思ったらたまらなくなっていた。
「俺がその主人を蘇生させる。まあ、途中までで、温度管理はその見習いにやらせるかもしれないけど」
「おお! 本当にそんなことができる人がいるなんて……」
「ただし、絶対に内緒にしてくれ。こちらもいつもボランティアでやっているわけじゃないんだから」
「はい……はい!」
 過剰なまでの尊敬の念を見せる男性の手引きで、シュートはこっそりと裏口から家の中に潜り込んだ。
 瞬間。
 金属を引っ掻いたような耳障りな騒音が、わん、と拡散した。


 鉄製の檻の中で暴れていたのは飛龍の中でも特に気性の荒い種だった。三対の翼に光沢のある銀の鱗。爬虫類を思わせる目をぎらぎらと光らせて居並ぶ男たちを睨みつけていた。
「この中でホムンクルスの創出者は? 見習いがいると聞いたんだが」
「あぁん? 誰だ、あんた」
 背を見せたらターゲットにされるとでも思っているのか、数名の屈強な男たちが顔だけで振り返った。
「俺もホムンクルスの作り手の端くれだ。協力できることがあるかもしれない」
 ち、と舌打ちが返った。
「できるもんならやってくれ。……場所は向こうのドアを開けて突き当たりの部屋だ」
「分かった。行ってみる」
 返事はない。
 ただ、暴れ狂う飛龍が翼をばたつかせる音が聞こえるのみだった。

 教えられた場所は寝室だった。シュートの部屋とは比べ物にならないくらい豪華な内装と、場違いな水槽に一瞬たじろぐ。その窓際の机で同じ年ごろの少年が薬品を計っていた。よほど集中しているのか、シュートが入ってきたことにも気が付かない様子だ。
「蒸留水と、鼻血を同量。それからこっちの薬品を……」
 自信がないのか、薬匙を持つ手が震えている。
「あの」
「うわぁ! びっくりしたぁ!」
 できるだけ驚かさないように声をかけたつもりだが、それでも彼にとっては驚愕に値することだったらしい。声をあげて大げさに振り返った。
「だ……誰?」
 説明している暇はない。シュートは一瞬で覚悟を決めた。
「蘇生屋、シュートだ。死んだ人をホムンクルスとして生き返らせることができる。ただし一日だけだが」
「ふあっ?」
 相手の困惑が強まった。
「え……蘇生屋って、生き返らせることができるって……?」
「詳しく説明してる時間はない。蘇生術は俺がやる。その代わりあんたは俺のお使いをしてきてくれ」
 もし彼がこのまま逃げ帰ってしまったら、カノンとの約束は果たせない。それを重々分かりつつ、シュートは初対面の、名も知らない少年に希望を託した。
「いいか。ここの主人は俺が蘇生させる。少なくても安定期に入るまでは面倒を見る。その間にお前はリゲルっていうホムンクルス創出者に会いに行って、鼻血の結晶をもらってきてくれ。話はついているはずだ。で、ここの主人が蘇生したら事情を話して飛龍を何とかしてもらってくれ」
 一方的に話す。
「うう……」
「『うう……』じゃない。全員が助かるにはその方法しかないんだ。それともこのまま出ていったほうがいいのか?」
「それはっ」
「だろう?」
 軽く脅すと相手はようやくこくこくと頷いた。
「ほら、これがリゲルの住所。ちょっと遠いが、できる限り急いで行って、すぐに戻ってきてくれ」
 メモ帳を破り、無造作に押し付ける。少年はそっとそれを受け取った。
「頼んだからな」
 背中を押してやる。
 もう一度少年は首肯し、バタバタと視界から消えていった。
 ふう、とようやく息をつく。自分は自分のやることをやらなければいけない。
 目の前には丁寧に安置されたこの家の主が永遠の眠りについていた。


 少年が去ってからおおよそ五時間。昼近くになってようやく相手が戻ってきた。手には茶封筒が握られている。
「どうだった?」
「あのね、すごいんですよ! リゲルさんの実験施設」
 尋ねるのと同時に興奮した声が返った。まくしたてる、という表現がぴったりくる勢いで言葉を重ねる。
「とっても大きな水槽が三つに、最新の蒸留装置。棚だってピカピカで薬品もぎっしり! あんな人のところで手伝いができたらいいなぁ。あ、そうだ。蘇生屋さん、紹介してくれませんか? 僕、あの人のとこだったら何かできそうな気がするんですよね」
「その前に、鼻血はどうなった?」
 すげなく相手の言葉を切ると、彼は思い出したかのように動きを止め、やがて神妙に茶封筒を差し出した。思ったよりも重い。もしかしたら足りないといけないと思ったリゲルが少し余分に持たせてくれたのかもしれなかった。一応確認のために中を開ける。湿気厳禁のため、むき出しで入っていることはなかったが、半透明の梱包資材を通して赤い結晶がちらちらとしているのが目に入った。
 よし。
 無意識のうちに小さな快哉をあげた。ガッツポーズをして少年に向き直る。
「よし、偉いぞ。この家の主人も安定期に入り始めたし、あとは温度管理さえきちんとすれば明日の朝には目覚める。蘇生したら……あとはお前が事情を話せるな?」
「な、何とか」
 ポンと肩を叩いて、任せたと暗に告げる。頼りなかった彼が少しだけ成長したように感じられた。
「じゃあ悪いが後は任せる。檻の前にいるドラゴン使いには俺から話しておくから、お前はできるだけこの部屋から出ずに水槽の管理をしていてくれ」
「う……うん」
「じゃあな。いつかまた会おう」
 言って、少年のもとを離れる。
 去り際、ちらりと見た計器は全て正常値をあらわしていた。この分だと順調に蘇生できそうだ。
 あとはこの鼻血の結晶を持ってカノンとシンフォニアの待つ家に帰ればいいだけだ。




 帰路の途中、シュートは二頭立ての馬車の荷台の中で異変を感じていた。
 どうも進みが遅い。夕方、まだ明るい時間に帰宅できると安心していたのだが、もう空が茜色に染まり始めている。もしかしたら、日付が変わるころになってしまうかもしれない。いや、これ以上混雑がひどくなれば間に合わないという恐れも……。
 不安に駆られて、御者に向かって声を張りあげた。
「何だかだんだんゆっくりになってきている感じなんだが、何かあるのか? 間に合うのか?」
 注文は「できるだけ急いで」だったのだが。
 まさか、鼻血を狙って?
 ありえないことではない。先ほどの騒動でどこからか情報が漏れたとしてもおかしくはない。誇らしく思うことはないが、一応、珍しい鼻血の持ち主だという自覚はあった。
 今トラブルに巻き込まれるのは御免だ。
 内心の緊張を隠して答えを待つ。
 ややして、御者のだみ声が聞こえてきた。ひづめと車輪の音に負けないよう、こちらも声を張っている。
「この先、通行止めなんですわ。なんでも領主の娘の社交界デビューのパレードがあるって話でさぁ」
「迂回路は?」
 勢い込んで訊く。
 御者は笑ったようだ。
「その迂回路を通ろうとみんな思って、それでこの混みようなんですわ、旦那。この先もっと大変になりまさぁね。下手したら人の足で走ったほうが早いかもしれない」
 もしかしたら、運賃に色を付ければ何とかなるかもしれない。
 だが、その提案はあっけなく却下された。
「そりゃ、あっしらも何とかできるものならしたいですよ。運賃だってはずんでくれりゃどれだけいいか。ただ、こればっかりは……」
 往来を行きかう荷馬車の数がさらに増えてきた。どの荷台からも相当の不満が立ち上っている。ぶつかった、ぶつからない、と言い合う客も出始めた。
 このままだと暴動にまで発展する可能性もあるかもしれない。そうなったらもう、進むどころの話ではなくなってしまう。
 どうすればいい?
 周りを見ても仕方がないことだと知りながら、それでもシュートは荷台の窓から顔を出さずにはいられなかった。
 変わらない……いや、ますます数を増やす馬車の群れに思わず空を仰ぐ。
 そのとき、上空でチカと銀色の光が見えた気がした。
「ん?」
 疑問の声が出る。
 上空を飛ぶ「何か」が見る間に大きくなった。急降下を始めたのだ。
「……飛龍か!」
 「何か」の正体が分かると同時、手を振る男性の姿が見えた。あの檻の前でぶっきらぼうに、それでも見習い少年の居場所を教えてくれた彼だ。
 突然のドラゴン登場に馬も人もざわつきだす。
 乗ってけ!
 大げさな身振りで馬車を降りるように男が促した。
 考えている暇はなかった。
 思考よりも早く、体が動き出す。
「ええっ? ちょ……乗らないんですかいー?」
 後ろで御者が慌てた声を出す。
「いい。そのまま帰ってくれ!」
 馬の脚と車輪の間を縫って、シュートは往来を離れた。近くにある広場目指して走る。力強い風切り音が走る先を案内した。


 再会の挨拶もそこそこに、シュートは飛龍の背にまたがった。すぐに慣れるとはいうものの、空を飛んで移動するのは初めての体験だ。心臓が無茶苦茶な鼓動を刻んでいるのはきっと走ったからだけではないだろう。
「怖いか?」
 豪快に笑って、後ろにまたがるシュートを見やる。
「こ……怖くなんかない!」
 くつくつとした笑いが返った。
「そうか、じゃあ行くぞ!」
 軽く手綱を引くと、きろきろとした目の飛龍が首をもたげた。軽く身じろぎをして折りたたんでいた三対の翼を広げる。
 そして、一度、大きく羽ばたいた。
「すげぇ!」
 ただ空を一掻きしただけなのに人の背丈よりも高く舞い上がる。その未知なる出来事にシュートは感嘆した。
 続いて何度か羽ばたく。
 空中でホバリングしていた巨体がついに風の流れを捉えた。大空を駆け回る、最速の生き物になる。
 振り落とされないように、ぎゅ、とシュートは鞍を掴んだ。
 風に混じって豪快な笑い声が耳をかすめる。
「やっぱり怖いんじゃねぇか。大丈夫だ。このコは俺が子供のときから一緒に育った、一番懐いている飛龍だ。あの檻ん中にいた未調教の奴とは違うよ。その証拠にほら、あんまり揺れないように飛んでくれてるだろ」
「あ……ああ、まあそうだな」
 それでも怖いものは怖い。
 結局シュートはオレンジから紺色に染まるに街並みをろくに観賞することなく、ひたすら鞍にしがみつき、一刻も早い到着を願った。




 家についたのは日付が変わる数刻前。馬車のままでいるよりは圧倒的に速い到着だが、それでも予定の時刻よりだいぶ遅れてしまっている。
 お礼もそこそこに、シュートは飛龍の背から飛び降りた。家のドアをかじりつくようにして開ける。
「あ、よかった! 来た!」
 玄関先で出迎えたのはカノンだった。頬に涙の痕が光っている。
「どうなったの? 大丈夫そう? お姉ちゃん、助かる?」
 矢継ぎ早の質問。
 心配をさせた。
 そう思うと胸が痛んだ。
「大丈夫、大丈夫だから」
 手を引かれて居間に行く。
 そこには、月明かりを受けて佇むシンフォニアがいた。まるで彼女自身が発光しているかのような、美しい立ち姿だった。
 思わず数瞬見とれ、そうじゃないと思い直す。
 この輝きをつなぎとめるのだ。

 試験管に入れた溶液に成長ホルモンが少ない鼻血の結晶を溶かす。キラキラとした塊がやがて、見えなくなった。
 赤い液体はぱっと見、ただの血液だ。それでもシンフォニアにとっては明日をつなぐための希望の液体。
「いいか? 腕を出して」
 他の動物で試している時間なんてない。ぶっつけ本番。拒否反応を示したら、あるいは効かずに時間が過ぎてしまったら、もうそれで終わりだ。
 白い、滑らかな腕がシュートの前に差し出される。
 消毒液の匂いが居間に漂った。
 時間がない。
 それでも落ち着いて、確実に注入すればまだ間に合う。
 一本目。
 二本目。
 三本目がうまく血管に入っていかなかった。
 手が震える。
「シュート!」
 叱責にも似たカノンの声に、ふっと気持ちが落ち着いた。
 もう一度、もう一度だけ打つ時間があるはず。
 深呼吸をして、手のひらの汗を拭いて、それからちょっとカノンとシンフォニアに笑いかけてから気持ちを引き締め直す。
 慎重に、確実に。
 三本目の鼻血がゆっくりとシンフォニアの体内に取り込まれていった。
「どうだ? 苦しくないか?」
「はい」
 時計が……期限を告げる時計の音が居間に鳴り響いたのはそのときだ。
「お姉ちゃん!」
 間に合うか?
 鼓動がまわりにも聞こえてしまうのではないかと錯覚するくらい、バクバクと高鳴っていた。
 時計の音が余韻を残して消える。
 シンフォニアの姿は……、崩れてはいなかった。
「大丈夫……みたい?」
 さすがにこわばっていた顔がようやくほころぶ。
「わ……わぁ、やった! シュート、神様みたい!」
 過分な褒め言葉がシュートの耳をくすぐる。

 その後、数時間待ってみたが、シンフォニアの身体は蘇生させた時と同じように柔らかで張りがあった。まるきり生きている人間のそれと同じで、今までのホムンクルスのように消えることはなかった。
 翌日も、さらにその翌日も同じだった。
 そうして、一週間がたった。


 エピローグ

 頬を桜色に染めたカノンがシンフォニアと共に玄関先に立った。別れの、そして新たな始まりの日だ。
「私ね、決めたの」
 きっぱりとカノンが言う。
「やっぱり次のブ・ラールに出る。出て、優勝する! そのお金、孤児院に寄付するんだ。そうして、いつかお姉ちゃんと本当のバイバイをしても強く生きていく」
 私も変わるんだ。もうめそめそしているだけじゃダメなんだ。
 そう、カノンは言い足した。
「ああ」
 短い返事。
「だから……優勝のメダル持って来るからさ。まだシュートはここにいてね」
「おう、そうだな」
 やさしい風が吹く
 明るい陽射しに包まれて、シンフォニアが静かに微笑んでいた。

 了
茉莉花

2016年08月28日 23時58分20秒 公開
■この作品の著作権は 茉莉花 さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー
 消えるはずの命を延ばす。
 今まで挑戦したことのない試みが今、始まった。

◆作者コメント
主催の方、運営の方、システム開発者の方本当にありがとうございます。
つたない作品ですが、よろしくお願いします。

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作者レス
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+10点
2016年09月01日 22時00分54秒
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2016年08月30日 15時48分38秒
+20点
合計 15人 170点

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