ここが彼岸の給食費 |
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夕焼けが雲を染め始めている。 閉め切られた窓を通って、薄い朱色が床を照らし出していた。 しかし、暖かな色だとは思わない。それは寧ろ泣き出したくなるような心細さを想起させる、宵闇の前兆としての黄昏色だ。 曖昧な季節。 春も近いというのに、冷え切った教室では、机の天板も温度を奪われていて。 空気が張り詰めていた。 誰も言葉を発しない。 机を寄せ、向き合っている四人のうち、誰一人として。 身動き一つとろうとはしない。 音が、ない。 ――そんな静寂を打ち破ったのは、皮肉にも状況を打開しようという俺たちの努力ではなくて、我知らず響き渡る無機質なチャイムだった。期待する。……下校を促すその調べに、誰かが「もう帰ろう」と言い始めることを。 でも、そうなることはなかった。 とうとう観念するように、知亜子(ちあこ)が口火を切ったからだ。 「さて。……集まってもらった理由、分かっているわよね」 ぴん、と。 辺りに不穏な気配が漂い、俺たちの視線が交錯する。 「――わたしの給食費に心当たりがある人は、名乗り出て」 と。 再び、静寂。 それを口にする意味は、明白だった。 知亜子は四人の中に、自分の給食費を盗んだ犯人がいると言っているのだ。だからこその逡巡。だからこその緊張。 彼女の隣で、交人(ましと)は静かに腕を組み、まるで何かを考え込むかのように瞑目した。対照的に俺の右側では、結海(ゆうみ)ちゃんが驚いた様子で目を見開く。 そして肝心の俺自身は、……眉を顰める。残念だったからだ。 彼女の言うところの「心当たり」が、俺にはある。 しかしそれは、俺が犯人であるという意味ではない。 ……本当に残念だ。いや、なぜ犯人は盗まなければならなかったのか、という意味でもない。こんな問題にもならない問題に対して、分別を弁えた高校生が四人も雁首を突き合わせているのが、という意味で。 「そう」 知亜子は長い髪を肩の後ろに流すと、誰も名乗り出ないことに決意を固めた様子で、机の上に身を乗り出した。 ……俺はそんな彼女の、スカートのポケットをちらりと見る。 そこからは、給食費の「給」だけがはみ出す形で、封筒が顔を覗かせていた。 「おい、ちょっと待ってくれ」 最初に反論したのは交人だった。「ぼくたちを疑う前に、まず考えるべき可能性があるんじゃないか?」 そうだ、言ってやれ交人。そしてこの意味のない緊張感ともおさらばだ。 「何? まさか、自分の持ち物を確認しろとでも言い出すつもりかしら? そんなこと、とうの昔に終えているわ。でなきゃクラスメイトを疑ったりなんかしない」 嘘をつけ、嘘を。だったら一瞬で気付くだろうに。 しかし、交人は首を横に振る。 「違うよ、ぼくはそんなつまらないことを言うつもりはないんだ」 「それなら、何が言いたいの?」 「誰かが盗んだわけでもなければ、きみがなくしたわけでもない。つまり、……第三の可能性さ」 交人は知亜子を見据える。 「給食費が、ひとりでに消えたって可能性だよ」 …………。 「わたしの給食費が、ひとりでに?」 「そうだ。友達の中に泥棒がいるなんて考えたくはないけれど、いつも完璧な知亜子が『給食費を紛失する』なんて単純なミスを犯すとも思われない。だから、可能性としてはそれが一番高いと思う」 ……ちょっと待て。質の悪いSFでも読んだのかお前は。発想がB級映画のそれだ。 「なるほど……その線があったわね!」 ねぇよ! お前はとっととポケット確認しろ! 「わたしも本当は、クラスメイトが盗んだなんて考えたくなかったから。……そうね、それで辻褄が合うわ」 「そう、それこそが唯一無二の解答なのさ。だから問題は、給食費は一体どこに消えたか、という場所に終着する」 いや、問題はお前たちの頭だよな? と、俺が声にならないツッコミを連発していると、 「……あの、ちょっといい、かな」 今まで聞きに徹していた結海ちゃんが会話に口を挟んだ。……よかった、結海ちゃんならこの妙な流れを断ち切ってくれることだろう。 「どうしたんだい、結海。珍しいじゃないか、きみが話の腰を折るなんて」 「そうよ。あなたにしては随分と積極的な態度ね」 「あ……ご、ごめんなさい。どうしても、言っておきたいことがあったから……」 結海ちゃんは上目遣いに二人を窺いながら、恐る恐ると言った様子で言葉を紡ぐ。 「あたしも、この中に泥棒がいるなんて考えたくない……で、でも、給食費がひとりでに消えるなんて、こんなの絶対おかしいよ」 …………。 ……ん? 台詞に若干嫌な予感を覚えたけれど……そ、そうだ、それが正常な思考だ。さすがは結海ちゃん、なにげに一番しっかりしているだけのことはある。 「だから、こういうことは考えられないかな」 「どういうことかしら?」 知亜子に訊ねられ、若干萎縮しながらも結海ちゃんは口を開く。 「――消えたんじゃなくて、給食費は何者かにキャトルミューテレーションされちゃったんじゃないかな」 「そういうことか!」 交人が立ち上がって手を打った。打つな! ていうか、結海ちゃん? 「みんなも聞いたことはあるでしょ? 牛が空飛ぶ円盤に吸い込まれていったとか、知らないうちに宇宙人に誘拐されて、体を改造されたって話。……今回の給食費も、そういう現象の一つなんだと思う」 「わたしの給食費が、何らかの目的で宇宙人にキャトられた……?」 「うん。可能性はあるよ」 ねぇよ。結海ちゃん、何この二人に感化されてんの? あとそんな動詞もない。 「一体どんな目的で……」 「それはあたしにも分からないけど、もしかしたらお金に困ってたのかも知れない」 いい加減な憶測でものを言うな。 「そうか、それで辻褄が合うわね! さすが結海!」 「えへへ……」 だから合わねぇんだよ! 何? わざわざ給食費のためにキャトルミューテレーションする必要があるほど、宇宙人の経済状況って厳しいの? 苦学生? ……これではいつまで経っても埒があかない。いい加減、この茶番も終わりにしようと俺が徐に腰を上げ掛けた刹那、 「待て、二人とも」 交人が会話を切った。「今、仮説が浮かんだんだ」 その表情は今までのものとは違い、どこか真剣で、どこか奇妙な色を湛えている。 それに触発されて、知亜子も結海ちゃんも緊張の糸を更に張り詰めさせた。 「どうしたのよ、交人。仮説って?」 交人は一字一句を吟味し、慎重に考えているといった素振りで答える。 「あぁ……僕も自分で考えておいてなんなんだけどさ、こんなことがあるのか、って気持ちの方が多い。でも、あり得ない話じゃないと思うんだよ。実際に僕はここに集められてからずっと、おぼろげにだけどそのことをずっと感じていたんだ」 「そのことって、何……交人くん?」 そろそろと歩み寄るように。 結海ちゃんが質問をする。でも、交人は彼女にではなく、知亜子に向けて口を開いた。 「知亜子。きみも気付いてはいただろう? ここに集まったときから、ぼくたち以外の誰かの気配を感じることに」 「え……」 「そいつは最初から一言も喋らない。物音一つたててはくれない。……でも、確かに懐かしい雰囲気を覚えるんだよ……あいつの気配を、さ」 「まさか、交人」 「そう、そのまさかだ」 交人は知亜子の方向に、泣き笑いのような不可思議な表情を向けた。「給食費をキャトルミューテレーションさせたのは、もしかして萩原なんじゃないか?」 その言葉に、俺は虚を突かれて固まってしまう。 「萩原」は俺の名前だったからだ。 どういうことだ? どうしてここで俺が出てくる? 「萩原、くん……?」 知亜子は思いがけない名前を聞いたとでも言いたげな風に驚きの表情を見せる。結海ちゃんも同様だ。「どうして、萩原くんが」 「あいつはきっと、自分の存在を主張したかったんだ」 様々な感情が入り乱れた相変わらずの不思議な表情で、交人は続けた。「……去年、事故で死んだあいつが、『俺はここにいるんだよ』って、俺たちに教えてくれようとしてるんだよ。『だから、悲しむ必要なんかないんだよ』って」 おい、ちょっと待てよ、何を言ってるんだよ、本当に……。 「萩原くん……? 本当に萩原くんなの……?」 知亜子が急に顔色を変えて俺の名前を呼び始める。心なしか、その凛とした瞳に涙がたまっているようにも見えた。 ――俺は、死んでる? だから今まで、俺は知亜子の給食費の在り処を、指摘しなかった? 誰にも俺の声が聞こえることなんてないから? そんな、馬鹿な、ことが。 でも、そう考えてみると思い当たる節はある。 今までのやり取りの中で、俺はなんで声に出してツッコまなかった? この流れを断ち切ることを、なんで結海ちゃんに期待した? それになにより、会話が完全に俺抜きで成立していた。もとから俺が発言などしないことが前提であるかのように。 急に世界が表情を変える。 残酷な真実が俺に突きつけられる。 ……そういう、ことなのか。 俺は自分で気付いていないだけで、本当に知亜子の給食費をキャトルミューテレーションさせていて、彼女たちが会話をしている傍らで、意味のないツッコミをひたすら入れ続けていただけで。俺は今ここに茫洋とした気配として存在しているだけで、俺は彼女たちに話しかけることすらできなくて、俺は、……死んでいる。 ……なんてありふれた怪談。自分が死んでいることに気づいていない男が、まるで自分が生きているかのように友人たちの周囲に纏わりついているだけだなんて。 なんて陳腐。 なんて滑稽。 そして、……なんて、優しい。 知亜子がこの教室のどこかにいる俺を見つけ出そうと、見当違いの方向を向いて涙ながらに呼びかけている。交人はじっと何かを堪えるような顔をしていて、結海ちゃんは混乱した様子で交人たちを交互に見ている。 俺は彼女たちの心の中で、一年たった今でも忘れられてはいなかった。 しかも最後の最後に俺は、大切な仲間たちに自分の存在を告げることができるのだ。これを優しい奇跡と呼ばずして、何をそう呼べばいい? ありがとう、知亜子。 ありがとう、交人。 ありがとう、結海ちゃん。 俺は、ようやく逝くことができる。 みんな、幸せになってくれ。俺はいつでもそばにいるから。だから、前みたいにみんなで笑い合って、ふざけ合って、平和な日々を過ごしてくれ。俺はそれをずっとお前たちの近くで見ているから―― 「――って、んなわけねぇだろうがぁあああああ!!」 耐えきれずに、俺はシャウトした。一世一代のノリツッコミだった。 「お前ら、何勝手に俺を今は亡き友人みたいに扱ってんの!? 人を死人扱いするなんて普通にいじめのレベルだぞ! あと、キャトルミューテレーションって何だよ!? 給食費なんて全然キャトルじゃないし、……ぐはっ、ごほっ!」 最後の方を言い終わる前に、俺の喉が悲鳴を上げた。ぐぁあ……声帯が、俺の声帯がぁ……。 「萩原!? お前、生きてたのか!?」 「萩原くん! あぁ、本当に萩原君なのね!?」 しらじらしいわ、この脳味噌ババロアコンビが! 俺は無言で睨みつけてやるが、ババロアーズはそんなこと意に介する様子もない。 「あの……萩原くん。まだ風邪が治ってないんだから、無理しない方がいいよ……?」 いや、結海ちゃん。優しいこと言ってくれてるけど、責任の一端は君にもあるからね? 「さて、冗談はさておいて、だ」 冗談じゃねぇよ交人! せめて声を給食費の指摘に使えばよかった! 「そもそもうちの高校、給食なんてないよな」 …………。 じゃあ、今までの話ってなんだあぁあああ!? |
瀬海(せうみ) G3b0eLLP4o 2018年02月25日 10時40分13秒 公開 ■この作品の著作権は 瀬海(せうみ) G3b0eLLP4o さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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