【短編】アリィ・ババの冒険

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 これは、『カルフ・ライラ・ワ・ライラ(千一夜物語)』あるいは、アラビアン・ナイトとして知られる物語の失われた一節。過去と現在と未来、幻想と現実が交わって融け合い、魔法や魔神が実在した時代のお話でございます。


《起:アリィ・ババ登場》

 ペルシャの都市イスファハーンのバザールには多くの人々が集まり、たいそう賑わっておりました。
 この時期には、西にあるザクロス山脈で遮られた雲が、つかの間の雨を山肌に落とします。短い期間だけ姿を見せる川やその伏流水、オアシスからの灌漑などによってうるおされて、いろいろな果物や野菜、穀物が育つのでございます。
 人々はそれらを市場に持ち寄ります。集まる人々を目当てに、職人は工芸品や日用品、装飾品や贅沢品を持ち寄ります。さらに酪農家や遊牧民が家畜や食料を売りこもうと市場を目指します。
 多くの商売人がこの時期を狙って都市に集まるのでございます。
 この時期には、もとからある数多くの小商店からなる市場、スークだけでなく、多くのテントが張られて、多彩な商品があふれます。
 種々雑多な品物を売る一群の小店からなる定期市場、バザールは大層な賑わいを見せるのでございます。
 そんなバザールの片隅で小さな言い争いがおきておりました。
「隊商に加わるなら金貨十枚を出せと言うのか。法外な値段だな」
 声を荒げたのは、十六~七歳の青年でした。
 頭にはターバン、ゆったりとした白の上下に色鮮やかなチョッキを身に着けた、ここペルシャではありふれた服装をしています。腰帯に挟んだ三日月刀は、いかにも使い込まれており、荒事にも慣れていそうな雰囲気を露骨に漂わせております。
 恐ろしげな相手に難癖をつけられて、気の弱そうな若者はおろおろしながら言いました。
「お、俺が決めたわけじゃない。親方の言いつけなのだよ」
「なるほど。それならば、その親方とやらを出してもらおうか」
 ちょうどその時に、バザールでの騒ぎを聞きつけて、隊商の親方が部下を引き連れてこちらに向かってきました。
 岩を思わせる外観の巨漢でした。右の頬には、大きな刀傷があります。隊商を束ねるのにふさわしい凄まじい迫力を全身から発しています。
 ラクダや馬に乗っての戦いでは、曲刀の方が扱いやすいのですが、隊商の親方が腰にさげている長剣は直刀のようです。
 隊商の親方からは、いろいろな場面ごとにふさわしい武器を操れる百戦錬磨のしたたかさが伺えました。
 親方の後ろには、剣呑な武器を持った荒くれの大男たちが何人も付き従っております。
 隊商の親方は、若者を見すえて名告りました。
「オレは、コジャ・ハッサンだ。隊商を束ねている。何か用があるのか?」
 コジャは尊称で、親方、頭領といった意味です。これからしばらくは、ハッサン親方と呼ぶことにいたします。
「俺の名はアリババだ」
 その名を聞いた瞬間に、取り巻く見物人たちの間に期待と緊張が走りました。
 ハッサン親方は一瞬、驚いたような表情をうかべました。
「隊商に加わるには金貨十枚が必要と聞いた。理由を聞きたい」
「説明する必要はなかろう」
 ハッサン親方はアリババを若造とあなどり、露骨に見下した態度をとりました。
 アリババはムッとした表情で言い返します。
「物騒になったから傭兵を増やすつもりなら、隊商に加わる者を増やせばよいだろう。加わる人数が多いほど襲われにくくなるぞ」
「不満なら加わらなければいいだけの話しだ」
 そう言いながらハッサン親方は、アリババに鞘に収まった長剣を突き付けました。
 アリババは不敵に微笑みました。
「力でねじ伏せようというのか。ならば力で要求を呑ませるまでだ」
 アリババの言葉をきっかけに戦いが始まりました。
 見物人たちは沸き立ちました。目の前のケンカを、またとない娯楽だと感じて大喜びしたのです。
 アリババを激励するかのように、誰かが片面の小太鼓を激しく打ち鳴らしました。アリババに仕える召使のアブズラーです。
 そこに居合わせた歌姫が琵琶に似た楽器、ウードを掻き鳴らして歌いだします。

  アリババは二人兄弟の弟だった。
  家は貧しく、貧しい娘と結ばれた。
  近所に生える木の枝を売って生活をした。
  ようやくの事で三頭のロバを手に入れた。

 見物人たちが合いの手を入れます。
 ヤァヘイッヤヘイ! ヤヤヘイ!

  アリババが枝を取りに森に入ると、
 (ヤァヘイッヤヘイ! ヤヤヘイ!)
  大勢の人間が近づいてくる気配がする。
  アリババは近くの木に登って隠れた。
  やってきたのは盗賊たちだった。
 (ヤァヘイッヤヘイ! ヤヤヘイ!)
  それぞれの馬には、
  大きな袋がくくりつけられていた。
  アリババは盗賊の人数をかぞえた。
  盗賊たちは四十人いた。

 歌姫は鮮やかな声で歌い上げます。
 ジャン! ジャン! ジャン! ジャン!
 ジャジャジャ! ジャン! ジャン!
 東の帝国スィーン(秦)のシンバルを打ち鳴らしながら、幼さの残る舞姫たちがベリーダンスを情熱的に踊りだしました。
 顔はベールで隠されています。まだ十三~四歳くらいなのでしょうか。妖艶さは感じとれず健康的なお色気があふれています。

 (ヤァヘイッヤヘイ! ヤヤヘイ!)
  盗賊の頭領は、立ち止まる。
  大きな岩の前だった。
  そして秘密の呪文を唱えた!

 バザールに集まっていた子供たちが、一斉に叫びます。
「秘密の呪文は、『イフタフ・ヤアー・スィムスィム(ひらけゴマ)』!」
 見物人たちは大興奮で合いの手を入れます。
 ヤァヘイッヤヘイ! ヤラヘイ!
 ヤァヘイッヤヘイ! ヤラヘイ!
 子供たちが、大喜びで周囲を走り回ります。
 バザールでのケンカ騒ぎは最高潮を迎えていました。

 ハッサン親方の後ろに控えていた大男の一人が半月型の刀を振り回しながらアリババに切りかかりました。武器は偃月刀のようです。
 スィーン(秦)の出身なのでしょうか。大男は辮髪で上半身はチョッキを着ただけの姿でした。
 大男は太った体格の割に動きが素早く、剣先は鋭くアリババを襲います。しかし、アリババは太刀筋を見極めて軽々と攻撃を躱し続けました。
 アリババの後ろでは、幼い舞姫たちがペルシャ女の舞、さらにはアラビア砂漠の遊牧民ベドウィン女の舞を舞っています。
 ヤァヘイッヤヘイ! ヤラヘイ!
 ヤァヘイッヤヘイ! ヤラヘイ!
 見物人たちは剣戟に合わせて合いの手を入れます。
 攻撃がまったく当たらないことに焦った大男が無理な体勢から斬撃を放った瞬間の事でした。
 アリババの三日月刀がきらめくと、大男の偃月刀は空中高く跳ねあげられて、ハッサン親方のすぐ前に落ちて地面に刺さりました。
 ハッサン親方は厳しい顔で首を横に振りました。
 辮髪の男は偃月刀を拾うと、うつむいたままハッサン親方の後ろへと下がってゆきました。
 ジャーン!
 銅鑼が高らかに打ち鳴らされました。
 次にアリババに立ち向かったのは、蛇のような眼をしたやせた男でした。
 男は、一瞬のうちに三日月刀を抜き放つと、勢いそのままにアリババに切りかかりました。
 ガキン!
 アリババは、真っ向からその攻撃を受けました。
 男は凄まじい速度で続けざまに斬撃を放ちます。アリババはそれを全て受け流してゆきます。
 ジャン! ジャン! ジャン! ジャン!
 ジャジャジャ! ジャ~ン! ジャ~ン!
 東の帝国スィーン(秦)のシンバルを打ち鳴らしながら、幼さの残る舞姫たちがアリババの後ろでギリシャ女の舞、ユダヤ女の舞、アビシニア(エチオピア)女の舞を踊ります。
 歌姫が高らかに歌います。

  盗賊たちは立ち去った。
  アリババは木から降りた。
  そして秘密の呪文を唱える。

 バザールに集まっていた子供たちは、再び叫びました。
「秘密の呪文は、『イフタフ・ヤアー・スィムスィム(ひらけゴマ)』!」
 見物人たちが合いの手を入れます。
 ヤァヘイッヤヘイ! ヤラヘイ!

  盗賊の頭領は、気が付いた。
  誰かが洞窟から宝を持ち出している。
  部下を街に派遣して、犯人を捜させる。
  部下は、犯人の目星をつけた。
  アリババが怪しい。
  アリババの家の扉に、
  白いチョークで印をつけた。
「犯人の家の扉に印をつけてきましたぜ」
  盗賊団は、武器を持って街を襲った。
  しかし、扉の印に気が付いた者がいた。
  アリババの兄の召使い、
  モルギアナだった。
  賢い召使のモルギアナは、
  同じ印を周りの家の扉につけた。
  だから、どの家の扉にも印があった。
  盗賊たちはアリババの家を、
  見つけることが出来なかった。
  洞窟へと戻ると、頭領は言った。
「お前は失敗したのだ!」
  部下は、頭領をまっすぐに見つめた。
「はい。私は失敗しました」
  頭領は目くばせをした。
  後ろにいた者が刀を抜く。
  そして失敗した部下の首を刎ねた。
  失敗したら命で償う。
  それが盗賊団の掟だった。
  部下は誇り高い態度で罰を受けた。
  盗賊の頭領は、もう一人の部下を
  街に派遣して犯人を捜させた。
  もう一人の部下も、
  アリババが怪しいと目星をつけた。
  家の扉の分かりにくい場所に
  赤いチョークで印をつけた。
「頭領、犯人の家の扉に印をつけてきました」
  盗賊団は、武器を持って再び街を襲った。
  しかし、印に気が付いた者がいた。

 舞姫の一人がダッフ(タンバリン)を打ち鳴らしながら叫びました。
「今度はモルジアナよ! モルジアナ!」
 歌姫は高らかに歌います。

  賢い召使のモルジアナは
  同じ印を周りの家の扉の同じ所につけた。
  こうして盗賊たちは
  アリババの家を見つけることが出来ずに
  再び洞窟へと戻っていった。
  頭領は言った。
「お前も失敗したのだ!」
  部下は、頭領をまっすぐに見つめた。
「はい。私は失敗しました」
  頭領は目くばせした。
  後ろにいた者が刀を抜いた。
  そして失敗した部下の首を刎ねた。
  今度も失敗した部下は掟を守り、
  誇り高い態度で罰を受けた。

「よ~し、そこまでだ!」
 隊商のハッサン親方の大声がバザールに響きました。
 アリババと戦っていた蛇のような眼をした男はハッサン親方の後ろにさがって剣を鞘に納めました。
 辮髪の大男は、真っ青になって震えています。
 それに気が付いてハッサン親方が言いました。
「俺たちは盗賊団じゃない。失敗したからと言って首を刎ねたりしないぜ。それに、お前はこの若造の腕前を探ってみただけだろうがよ。心配するな」
 辮髪の大男は、あからさまにホッとしたようでした。
 ハッサン親方は、歌姫に命じました。
「この若者と話をしたい。早めに切り上げてくれ」
 歌姫は、布で隠された顔をハッサン親方に向けてうなずくと、軽くウードを掻き鳴らして先を続けました。

  盗賊の頭領は、こんどは自分で
  アリババの家の見当をつけた。
  そして手下たちを引きつれて、
  油売りの商人に化けて街にやってきた。
  しかし、それに気が付いた者がいた。
  賢い召使のモルギアナとモルジアナは、
  盗賊の部下たちが隠れていた油壺に
  煮えたぎる油を注ぎ込んで皆殺しにした。
  そして盗賊の頭領を、
  剣の舞に見せかけて刺し殺した。
  アリババは、盗賊のうち二人が
  すでに殺されていることを知らなかった。
  だから、しばらく慎重に過ごしていた。
  そのうちに大丈夫そうだと見当をつけた。
  そして洞窟の扉を開いて宝を取り出した。
  それから、皆で幸せに暮らしたのだった。

 ジャン、ジャン、ジャジャジャ~ン!

 こうして歌姫は歌を終えました。
 二人の舞姫は、それまでは切っ先鋭く剣の舞を舞っておりましたが、歌が終わると剣を納め、人混みの中に分け入って、スィーン(秦)のシンバルを受け皿にして、見物人の皆から小銭を入れてもらいました。
 ハッサン親方がアリババに話しかけます。
「経験なしの若造と侮ってすまなかった。ところで、あんたは今のバザールをどう見る?」
 アリババが答えます。
「ペルシャ絨毯や衣類の店が少ない。馬もいつもほど多くない。東からの商品が届いてないようだ。それなら東に穀物が高く売れるのじゃないか?」
「危険の少ないアラビアに売り込もうとは思わないのか?」
「シンドバードの故郷のアラビアなら危険が少ないから誰かが売りに行くだろう。危険でも、必要な物が届かないところに売りに行くのが真の隊商の役割だ。俺はそう思ってる」
 ハッサン親方が同意します。
「さすがだな」
「もちろん、それに見合った利益はいただくぜ。ところで隊商を組んで、テヘランからマシュバドへ向かうのはどうだ?」
「カヴィール砂漠を避ける路だな。よし、決まりだ」
 まだ幼さの残る舞姫たちがアリババの前に立ちました。
「私たちも隊商に加わるわ」
 ハッサン親方が言います。
「護衛料は一人金貨十枚だぞ」
「自分の身は自分で守るわよ」
 舞姫たちは細身の剣をスラリと抜き放ちました。フェイントをかけて素早く相手に切り込みます。先ほどまでの剣舞とは違って、本格的な軽量剣士の戦い方でした。
 アリババが言いました。
「この子たちは俺の隊が面倒をみよう」
「それなら、わたくしもお願いしますね」
 歌姫がアリババに向かって言いました。
 アリババは不思議そうな表情を浮かべます。
「歌姫が、なぜ隊商に加わるのだ? いまは稼ぎ時だろうに」
「この街には長くいすぎたわ。新しいアリババの物語を知るために、あなたに付いて行くことにしたのよ」
「あ~っ。子供たちまで次に何を言うか知ってたものな」
 アリババは深く納得しました。
「自分の身は自分で守るので、ご心配なく。歌姫でも剣の舞くらいはできるから」
 アリババは三日月刀を抜き放つと、歌姫に切りかかりました。歌姫は微笑みながら長剣を抜き、アリババの鋭い切っ先を躱しました。 アリババは何度も切り付けます。しかし攻撃はすべて空を切りました。
 アリババは首を振りながら刀を鞘に納めました。
「ここまで余裕をもって躱されるのか」
「まるで本気ではなかったくせに」
「なんとも優雅だったから、思わず見とれていたのさ」
 歌姫は布で顔を隠したまま妖艶に微笑みました。
「気を付けないといけないのは、女を口説く技の冴えのようね」
「旅は長く続くから、隊商仲間が仲良くするのは、とても大切な事だぜ」
「互いの距離を適切に保つことも大切よ」
「あはは、言葉を使わせたら歌姫にかなわない。当然のことか。ところで歌姫様は何とお呼びすればいいのかな?」
「歌姫の名前はシェヘラザードに決まっているわよ。もちろんわたくしは大臣の娘でもないし王妃になったこともないけれどね」
 幼さの残る舞姫たちがアリババに詰め寄ります。
「私たちの名前は聞かないの?」
「そうだったね。何と呼べばいいのかな?」
「アリババ様に仕える賢い召使で、モルギアナとモルジアナよ」
 皆に告げる名前が『通り名』であることはこの世界での常識です。神の前で定められた『真の名』を悪い精霊や魔術師に知られると、強力な呪いや邪悪な魔術を掛けられる恐れがあります。だから、普段は『通り名』を使うのが当たり前になっているのです。
 アリババの一行は、ペルシャの都市イスファハーンのバザールで旅の用意を整えました。
 元からいた召使のアブズラー、新たに召使となったモルギアナとモルジアナ、歌姫のシェヘラザード、新たに雇った四人の傭兵と二十人の人足、そして十台の馬車に積まれた商品となりました。
 ハッサン親方の隊商に、ほかから三つの隊商が合流しました。バグダッドへ向かう隊商です。テヘランの手前で西へと別れることになります。
 バザールの裏手にある空き地に五つの隊商が集まって顔合わせの食事会が開かれました。
 果物、クルミ、干しイチジクの皿が中央に置かれたシートの上に並べられます。
 蛇のような眼をしたやせた男が焼肉の盛られた大皿を持ってやってきました。バザールで手に入れてきたのでしょう。
 アリババと剣を交えた男です。
「若いのになかなかやるな。一緒にゆくのか。心強いぞ」
 皿を支える腕の袖は広めで、奥に金属のきらめきがチラリと見えました。隠し武器を忍ばせているようです。
 おそらく暗殺を得意にしているのでしょう。毒を使う事にも慣れているに違いありません。
 ニタリとアリババに笑いかけます。
 壮絶な凄みがありました。
 先ほどの戦いでは少しも本気を出していなかったのでしょう。
「よ、よろしく」
 アリババは、すこし顔を引きつらせながら応えました。
 蛇のような眼をしたやせた男は、辺りを見回しながら言いました。
「俺の名は、ラーハだ」
 アリババは思わず目をむきました。
 それに気が付いてラーハが言います。
「子供の頃には女の恰好をさせられていた」
「相手を油断させるためか? 永遠の安らぎを与える手のひらだな」
 ラーハは女性名詞で、休息、安らぎ、手のひらといった意味があります。
 アリババから、子供の頃から暗殺者だったのだろうと遠回しに言われたわけですが、ラーハはそれを否定しませんでした。
 ハッサン親方が声を掛けます。
「みんな、腹が減っているだろう。今夜はたっぷりと食べてくれ」
 独立した隊商同士が、たまたま行く道を同じにする。それだけの関係なので、ハッサン親方は堅苦しい挨拶をしませんでした。
 隊商が出発すると途中では充分に食事を摂れないことが当たり前にあります。だから、今のうちにたっぷり食べておこう。ハッサン親方はそう言ったのでした。
 アリババは、西アジアでよく食べられている羊肉の串焼き、ケバブに手を伸ばしました。
「こちらも美味いぞ」
 辮髪で上半身が半裸の大男が声を掛けます。
 ホカホカと湯気をあげる蒸し餃子が山積みになった皿を持っています。
 賢い召使のモルギアナとモルジアナが歓声をあげて大皿へと突撃しました。揚げ魚、揚げパン、腸づめ、練り豆などなどを両手にいっぱい抱えて意気揚々と引き揚げてきます。ニワトリのケバブを口にくわえたまま、アリババにニカッと笑いかけます。
 アリババは、ハッサン親方に話しかけました。
「バザールのすぐ近くに、よくこんな空き地がありましたねえ」
「ここはいつもならペルシャ絨毯を売る店が開いている場所だ。これからやってくるのかもしれないが、俺たちが使うのは今晩だけだから、使って構わないと言われたのさ」
 ハッサン親方は、すこしだけ寂しそうな表情で言いました。
「絨毯の店を開くから、ここでは焚火をしてはならない。それと、食い物はぜんぶバザールから調達する約束だ」
 隊商を組んで何処かを訪れると、その場所ごとに異なった約束をする必要があります。
 どんな約束でも、必ず全て守らなければならない。破れば次から訪れることを断られる。
 それが当たり前だから、隊商は必ず最初にした約束を守ります。
 辮髪の大男が言いました。
「食べ物屋の屋台を借りて料理するのは許されている。こいつは俺の手作りだ。冷めないうちに食べてくれ」
 アリババは尋ねました。
「名前は何と呼べばいいのだ?」
「食い物の名前なら餃子(チャオズ)だ。俺のことなら陳(チン)と呼んでくれ」
 歌姫シェヘラザードはアーモンドの形をした眼をさらに大きく見開きました。
「陳大人(チンたいじん)は本家筋のおぼっちゃまだったの?」
 大男の陳は驚いたように言いました。
「よく知ってたな」
 アリババが歌姫シェヘラザードに尋ねます。
「どういうことだ?」
「アッスィーン(秦帝国)では分家筋なら諸陳という姓になるのよ。たとえば諸葛は、葛家の分家を意味する姓なの」
 歌姫シェヘラザードは、すこしためらってから説明を追加しました。
「大人(たいじん)には、大きな人、立派な人という意味もあるけれど、大人(おとな)を呼ぶときに使うのが普通なの。だから陳大人(ちんたいじん)は、『陳さん』ということなの」
 そこで、これからは親しい者同士での会話では陳大人を陳さんと呼ばせていただきます。
 アリババは辮髪の大男を見ながら言いました。
「陳さんは良いとこのおぼちゃまだったのか」
「どんな名家でも出来そこないはいるものだ。家の名を汚さないように遠く離れた地へと逃げて来たのさ」
「格式や礼儀作法が面倒だっただけじゃないのか?」
「ははは、そうとも言うなあ」
 陳さんは愉快そうに笑いました。
 歌姫シェヘラザードは野菜汁のボウルとパンを持ってアリババの隣に座りました。
 平たく焼かれた丸いパンには縄の紋様が描かれていました。紐の結び目は縁を表します。これから良い関係が続くようにという願いが込められているのです。
「いかがですか」
 歌姫シェヘラザードがアリババに差し出したのは鷹の爪紋様のパンでした。鷹の爪には魔除けの効果があります。パンの紋様には幸運が訪れ健康であることを祈る意味が込められているのでした。
 固く焼かれたパンは日持ちがします。だから、これからの隊商の日々に食べることになります。でも、焼きたてのパンは素晴らしく美味しく、今しか食べることができないのです。
 歌姫シェヘラザードが訊ねます。
「どうしてアリババ様は木こりにならずに隊商に加わっているのですか?」
「木こりをしていては先が無いことに気が付いたからさ」
 歌姫のシェヘラザードは、それだけで分かったようでした。でも、賢い召使のモルギアナとモルジアナはキョトンとしています。
「俺が住んでいる辺りでは、木が育つ早さよりも枝を集める方が早かった。だから、いずれ木を刈りつくすだろう。そうなれば雨が減って、ますます木が育たなくなる。それに気が付いたのさ」
 二人の賢い召使は、納得したようにうなずきました。
「だから仕事に隊商を選んだ。たくさんある場所から足りない所に物を運べば、みなが幸せになれるだろう。そう思ってね」
「さすがはご主人様でございますね」
 賢い召使のモルギアナとモルジアナはアリババに向かって深く頭をさげました。いま口にくわえている大きな羊肉のケバブを最後まで落としたりしなかったのはさすがでした。
 陳さんが立ち上がって皆に声を掛けました。
「一発芸をするから、ちょっと注目してくれ」
 首の細い壺から木の栓を抜き取り、中に入った透明な液体を口に含みます。もう片方の手に火のついたランプを持っています。
 陳さんが口から飛沫を吹くと大きな炎になって燃え上がりました。皆が一斉に拍手をしました。
 ハッサン親方が訳知り顔に言いました。
「炎で不運や厄災を焼き尽くし、悪い精霊を退ける呪い(まじない)だそうだ。拝火教徒の一派が新たな旅の始まりに行う儀式だな」
 皆から拍手されて陳さんは気をよくしたようでした。手に持った壺から中身を口に入れて、そのまま呑み込みます。
 アリババはハッサン親方に言いました。
「あれは酒ですよね。いいのですか、飲んだりして」
「たしかにイスラム教徒は酒を飲むことを禁じられている。しかし、イスラム教は教徒でない者に禁酒を強いるような狭量な宗教ではない。無理やり教義を押し付ける必要など無い。今は異教徒でも、いずれイスラムの正しい教えに触れて、敬虔なイスラム教徒になる時がくるだろう。だから、それまで暖かく見守っているのさ」
 歌姫シェヘラザードが言葉を引き継ぎました。
「イスラムの神様はとても寛容だと言われています。一生懸命に正しくあろうと努力していれば、神を信じていなくとも、たとえ教義を守れなくとも、天国に入ることを許していただけるそうですよ」
「他人の言葉に耳を傾けるな。俺の話しだけを聞け。俺だけを信じろ、というのは詐欺師の常套句だ。本当に正しいのなら、むしろ他の教えと比べた時に真価が分かるものさ」
「だけど、陳さんはずいぶんと酔っぱらってるように見えますけどね」
「あれは、たぶんウォトカね。厳しい冬の地に住む北の蛮族が飲む強い酒。火を点ければ燃えるから火酒と呼ばれているわ。でもウォトカは水という意味なのだそうよ」
 ハッサン親方は昔の事を思いだしたようでした。
「西の地の果てで水をワッサーと呼ぶ蛮族に会ったことがある。同じ言葉なのかもしれないな」
 アリババは納得したように言いました。
「水だと言われて飲んだら酒だったとしたら、確かに神様に許してもらいたいと思うでしょうね」
「断りきれないことも、そうする以外にない場合もありますものね」
 ハッサン親方がアリババに訊ねます。
「アリババはイスラム教徒ではないのか?」
「俺はもっと世界を知りたいと思っています。だから、世界をめぐる冒険者を目指しているのです。何が真理か、何が正しい教えか、世界をめぐりながら見極めてみたいと思っています。だから、イスラム教徒ではあるけれども仏教徒に近いかもしれませんね」
 歌姫シェヘラザードが美しい声で言葉を紡ぎます。
「なるほど。ブッダは、目覚めた者という意味だそうね。すべての人は真理に目覚めてブッダになる可能性があるそうよ」
 ハッサン親方が宗教談義を締めくくりました。
「今は自分の信じる神様や教義を無理やり他人に押し付けたりしなければ、それでいい。世界をめぐって優れたイスラム教徒に目覚めることを祈っているよ」
 蛇のような眼をしたやせた男、暗殺者ラーハが肉の塊を皿にのせてやってきました。
 すばやく短剣を振るうと、肉の塊は薄切りの焼肉になりました。表面はカリッと火が通っており中はピンク色です。素晴らしい出来栄えのロースト羊肉でした。ローズマリーの香りがあたりに広がります。
 ハッサン親方が笑みをもらしました。
「おいおい、葡萄酒に胡椒まで使っているのかよ。贅沢だなあ」
 暗殺者のラーハは笑みを浮かべました。
「価値の分かる者に価値ある物を届けるのは隊商の仕事だからな」
「ラーハの笑顔は、暗殺道具が飛んできそうで怖いのだけれど……」
 アリババの顔が引きつっています。
「仲間なら警告なしで殺したりしないさ」
 歌姫シェヘラザードも身を引きます。
「仲間でも殺すんだ……」
「同じパンと塩を食べた仲だから安心して良いと言ったつもりだったが……
 まあ、いいか」
「「良くない!」」
 皆の声がそろいました。
『同じパンと塩を食べた仲』には『本当の仲間』という意味があります。
 『アリババと四十人の盗賊』の物語には、盗賊の頭領が油売りの商人にばけてアリババの家に入りこんだときに、食べ物に塩を入れなかった。本当の仲間になることを避けた。このため賢い召使に怪しまれて正体がばれる、という逸話があるのです。
 隊商の一行は談笑しながら、同じパンと塩を分かち合って、たっぷりと食事をとったのでした。


《承:隊商の旅》

<盗賊団と傭兵>

 隊商の旅は順調に進みました。
 途中で五つの隊商の内、三つがバグダッドを目指して、テヘランの手前サウュの町で別れてゆきました。
 ハッサン親方の隊商とアリババの隊商は傭兵を増やして東へと向かいます。
 これまでは水が豊富な季節だったので、オアシスのある村なら、決められた場所で体を洗ったり、ラクダや馬を水浴させることができました。
 もちろん、飲み水を汲む場所よりもかならず下流でなければなりません。隊商の誰か一人でも飲み水を汲む場所を汚したら、二度と村には入れてもらえなくなります。
 やがて、水の乏しい村に宿泊するようになりました。こういった村では、井戸から汲んでよい水の量は滞在中に桶に十杯、あるいは五つの甕を満たす量などと決められています。
 村から三キロメートル離れた場所まで馬やラクダに飲ませる水を人力で運ばなければならない場合もありました。
 それから、水の少ない土地では実のなる樹木がとても大切にされています。成長して地中深くを流れる水脈まで根が届いた樹木は乾季になっても枯れることがありません。何十年にもわたって実をつけ続けます。
 成長した果実のなる樹木は子供や孫に引き継ぐことのできる貴重な財産となるのです。
 乾燥した場所に生える樹木は貧相に見えることもあります。しかし、松明や薪にしようとしてその枝を切り落としたりしたら大変です。その一族の子々孫々から激しく恨まれ続ける。それが当然のことなのです。
 とても大切なことなので、もう一度申し上げます。
 村や町にはそれぞれ異なる事情があります。このため隊商が何処かを訪れるときには、その場所ごとにこまごまとした約束をします。
 どのような約束でも、破れば次から訪れることを断られる。だから隊商は必ず約束を守るのです。
 夜になると、ハッサン親方とアリババの隊商は円陣を組んで中央で火を焚き、食事をしました。その輪に村人が加わることもありました。
 同じパンと塩を分け合い、貴重な果物が差し入れられることもありました。

 舞姫のモルギアナとモルジアナが東洋のシンバルとダッフ(タンバリン)を打ち鳴らしながら踊ります。召使のアブダーラがマウスール(フルート)を吹き鳴らします。
 銅鑼(ドラ)を鳴らし、陳大人が偃月刀で剣の舞を披露します。
 そして、いよいよ主役の登場です。
 歌姫シェヘラザードがウードを奏でながら美しい声で歌い始めました。

  国の名は定かではない。
  アッスィーンで栄えていた大国の都に
  ムスタファという仕立て屋がいた。
  ムスタファはたいそう貧しく、
  妻と、神から授かったひとり息子を
  養うことがやっとだった。
  ムスタファは息子をアラジンと名付けた。
  アラジンはしつけもされずに育った。
  ひねくれて、聞きわけがなくわがままで
  父と母のいいつけにも従わなかった……

 アッスィーン(秦帝国)を舞台にしたアラジンと魔法のランプの物語です。村人たちは、だれもが真剣に聞き入っています。しかし、いちばん熱心に聞き入っていたのは陳大人でした。
 陳大人は流れる涙を拭こうともせずに物語に浸りきっていました。

 歌姫シェヘラザードから離れたところに座ったハッサン親方が訊ねます。
「なぜその年齢でアリババを名乗るのだ?」
「俺がバーバーだからですよ」
 アリババは、さも当然のことのように言いました。
 バーバーはパパ、お父さんといった意味です。アリババは、アリ父ちゃんといった意味になります。
「その年齢で、結婚して妻があり、子供がいるのか?」
「この地で生きることは大変だ。だから、できるだけ早く結婚して子供をもうける。そうしなければ一族が絶えてしまう。貧しかった俺は貧しい娘と結婚して、たちまち子供ができたのさ」
 ハッサン親方はアリババの隊商を見つめて言いました。
「すでにそれなりの財産があるようだが……」
「妻にはずいぶんと苦労をかけた。これからは少しでも楽な生活ができるように報いたいと思っている」
「それなら、まずお前がこの旅で生き残ることだな」
「ああ、……」

 故郷を遠く離れて旅をすることには大変な危険が伴います。
 砂漠の砂嵐は視界を奪い、息をすることも危うくします。細かな砂はわずかな隙間からでもたやすく侵入してきます。そして砂嵐の後には周囲の地形すら大きく変わってしまうことがあります。
 路を誤ればオアシスのある村にたどり着けなくなります。人が生きて行ける土地は、ごくわずかしかありません。正しい路をたどることが出来なければ命を落とすのです。
 遊牧民は春から秋にかけては家畜が食べる牧草を求めてあちこちへと移動します。騎馬民族は秋になると、農耕民が取り入れをするのと同じ感覚で、農耕民を襲って冬を越すために蓄えた穀物や財産などを奪いにきます。
 隊商も獲物とされる場合があります。だから傭兵を雇って身を守る必要があるのです。『天高く、馬肥える秋』という言葉は、騎馬民族の襲来に備えろという警句なのです。
 早春には、定住民の村の蓄えが尽きて餓死者が出かねない困窮に陥ることがあります。やむを得ず定住民がにわか盗賊団となって旅人を襲う場合があります。
 そんな村の住民を穀物との物々交換で傭兵として雇えば、盗賊団に襲われる可能性は激減します。盗賊になる動機を消し、盗賊となって襲ってくる者たちの人数を減らし、盗賊から守ってくれる傭兵の数が多くなるからです。
 旅をする道筋の昨年の作柄を知っておくことが直接に命に関わってくるのです。
 経験豊富なハッサン親方は、砂嵐がめったになく、作物が実り始めて飢餓の恐れが少なくなり、オアシスの水が豊かで、騎馬民族が家畜の育成に専念して村を襲う可能性のすくない時期を選んで、危険な隊商の旅を行っているのでございます。
 順調に旅は続き、当面の目的地としている大都市まであと少しという所でのことでした。
 アリババは不穏なうわさを聞いたのです。
「ちかごろ、あの都市に入って、出てこれた者はいないそうだぞ」


《転:呪われた王と虚無の魔神》

<砂漠の女王と蜃気楼の都>

 ゆらめく陽炎の向こう、路面に逃げ水が見えるその先に、いくつもの尖塔が小さく見えてきました。尖塔は徐々に高さを増してゆき、見る間に都市をかこむ壁と丸い宮殿の建物の屋根が見えてきました。
 都市の下には地面が無く、まるで空中に浮かんでいるように見えます。陽炎のゆらぎに合わせて形が変わります。
 ハッサン親方の声が響きました。
「あれは蜃気楼だ。まだまだず~っと遠くにあるぞ。無理にたどり着こうとすれば疲れ切ってしまう。いったんここで休息をとる。食事をしろ!」
 馬車の上に柱を立てて布を張り、簡単な日よけがいくつか作られます。皆は陽射しをさけ、地面に座布団をしいて座り込みました。地面は、まだ熱く焼けています。
 各自で水を飲み、固いパンをかじり、チーズや干し肉、干した果物を口にします。
「皆は休んでいてくれ」
 アリババと暗殺者のラーハが馬に乗って蜃気楼の都市へと向かいました。しかし、進んでも進んでも、少しも近くなりません。まるで逃げ水のようです。
 路のわきには一つ眼の虎の頭蓋骨がころがっています。強烈な太陽の光にさらされて真っ白になっています。恐ろしげな大きな牙が目立ちます。
 さらにその先には、六本足の象の骨が砂におおわれてころがっています。
 アリババがつぶやくように言いました。
「どうやら誘い込まれたようだな」
「ああ、もう手遅れのようだ」
 二人は馬から降り、手綱を持って進みだしました。
 突然に、路が鮮やかに咲き誇る花におおわれました。甘やかな香りがあたりに立ち込めます。
 幻のように華美な甲冑をまとった兵士たちが現れて路の両側に警護の列をつくりました。
 その先には、数多くの嫋やかな侍女たちが控えておりました。それぞれがはっとするほど美しい衣をまとっており、絹のベールでその顔を隠しております。
 一行を従えるのは、大きく広げられた豪華な日傘のしたでゆったりと玉座に腰を掛けた女王様でした。数多くの宝石で飾られた黄金の冠をかぶっていらっしゃいました。両脇の召使いが、大きな団扇をゆっくりと上下させております。
 アリババと暗殺者のラーハは、女王の前に進むと、膝を折って丁寧に礼をしました。
「ここに招かれたのだから、お前たちには資格があるのであろう」
 女王の声は英知にあふれており、銀の鈴を鳴らすように心地よくあたりに響きました。
「麗しき都は、おぞましいことに邪悪な者が呼び寄せた虚無の魔神の支配下にある。サラセンの偉大なる王、ハールーン・アル・ラシードにもたとえられうる偉大な王は、魔神にその名を奪われて呪われ、支配する力を失われておられる」
 二人は、女王から発言する許可を与えられていないために、黙ってひれ伏したまま次の言葉を待ちました。
 高位のお方が発言している時にそれを妨げるのは、首を刎ねられて当然な無礼にあたるからでございます。
「昼間に都に入った者は、幻に捕らわれて魔神に支配される。夜に都を訪れた力ある者だけが邪悪な者を討ち果たすことができる。容易にできる事ではないが、成し遂げることができれば、それに応じて手にすることのできるものもあるであろう」
 一陣の風が吹いたのちに、あたりから人々の気配が消え去りました。
 アリババとラーハが顔をあげると、あたりには、ただ荒涼とした風景が広がっているだけでした。
 アリババは、初めて会ったはずの砂漠の女王に以前に会ったことがあるような気がしました。その声にも聞き覚えがありました。暗殺者のラーハも同じように感じているようでした。
 夢は目覚めると忘れてしまうものです。
 二人は立ち上がった時に、まるでそれが夢であったかのように、そのことをすっかり忘れ去っていました。
 二人は引き返して思い出せる限り、眼にしたこと、耳にしたことを、ハッサン親方と一行に告げました。
 一行は相談をしてどうするかを決めました。
「目的の都には虚無の魔神が降臨しており、王は名前を奪われて呪われているそうだ。昼間に都に入ると魔神に支配されるという。当面はここを宿泊地とする。今晩は少数精鋭で威力偵察をするぞ」


<闇の都>

「ハッサン親方、本気で都を目指すのですかい?」
 陳大人がぼやきます。
「解決の糸口は闇の中にのみある。そう言われてしまっては、しかたないだろう」
 一行は出発の準備を整えました。
 陳大人は巨大な戦斧を背中に背負いました。手押し車に真っ白な壺を乗せます。ウォトカと油がたっぷりと入った壺でした。
「これも乗せて行って!」
 舞姫のモルギアナとモルジアナは、やや小ぶりの壺を次々と陳大人に渡しました。二人は宝石で飾られた兜をかぶり、顔を布でおおい、胴鎧を身に着け、細身の剣を腰にさげています。ゆったりとしたズボンの上に革の前垂れをつけています。
 陳大人がたずねます。
「アブダーラ、運ぶのを頼んでいいか?」
 召使のアブダーラは、従順に言いました。
「はい、お任せください」
「では、こいつも頼む」
 ハッサン親方は、いろいろな武器の入った籠を持ってきました。普通の剣だけでなく、飛び切り大きな長剣、巨大な戦斧、強そうな弓と矢ガラ、棍棒や槍なども入っていました。どの武器もすぐに取り出して使えるように、入れ方に工夫がされていました。
 そんな些細な事からも、ハッサン親方が経験豊富であることが見て取れます。
 威力偵察を少数精鋭で行う。その方針で参加者は選ばれました。
 戦闘になれば、重戦士が陳大人とハッサン親方、軽量戦士を暗殺者のラーハとアリババが務めます。
 遊撃と情報伝達、そのためにいざとなれば逃走する役割を歌姫シェヘラザードと舞姫モルギアナとモルジアナが担当することになりました。三人は、競争で他の候補者をことごとく打ち破って、逃走役を勝ち取ったのです。
 輸送と補給は召使のアブダーラが受け持つというのが今回の陣立てです。
 全員が攻撃を優先し、速度重視の軽装で装備を整えました。

 都は夜の闇の底に沈んでいました。
 ところどころに明かりがあるものの、その光はたちまち闇に呑み込まれてしまい周囲を照らすことがありませんでした。
「やはりそうか……」
 ハッサン親方がつぶやきます。
 アリババが親方に怪訝そうな視線を向けました。
 親方は、誰に告げるともなく言いました。
「都の大門が閉じられていない。有り得ないことだ」
 夜の砂漠には魔物や盗賊が跳梁跋扈します。だから夜になると全ての町が入口を固く閉ざします。これほどの都市が夜間に大門を閉じないでいるのは有り得ないことなのです。
 すでに多くの魔物や、とびきり残虐な盗賊団が入りこんでいるかもしれません。
 ハッサン親方の指示を待つまでもなく、全員が最高の警戒態勢を取りました。
 賢い召使のモルギアナとモルジアナは剣を構えながら大門をくぐりました。手招きで他の皆を呼寄せます。
 大門の後ろは広場になっており、その奥の正面には高い壁があります。上から弓を射ることができるように狭間が切られており、まるで砦のように見えます。道路は中央の高い壁を避けるように左右に分かれています。
「左手は市場への路、右手が王宮への路だ」
 ハッサン親方はそう言うと右手の路へと進み始めました。
 ギシ、ギシ、ギシ、ギチッ、ギシ。
 皆が歩くたびに足元から軋むような音が響きます。足元には小さな白い粒が敷き詰められています。
「小石か?」
 アリババは白い粒を拾いあげました。粒はたちまち融けて水滴になりました。
「氷の粒だ」
 歌姫シェヘラザードはそれを聞いて怪訝そうに言いました。
「こんな季節に雹(ヒョウ)が降ったというの?」
 王宮への路に面した建物は、すべて二階建てになっていました。一階と二階とは一つの大きな壁になっています。漆喰で固められており、登るための手がかりがまったくありません。
 屋上には高い塀がめぐらされており、弓を射ることができるように狭間が切られています。
「屋上に鈎縄をかけると壁が頭の上に崩れ落ちてくる仕掛けだろうな」
 暗殺者のラーハがつぶやきました。
 一階には窓がなく、小さな出入り口があるだけです。厚い木の扉はいかにも頑丈そうに見えました。
 二階にも高い所に小さな窓があるだけです。一つ一つの区画では隣り合った建物同士が近接しており、その間を通り抜けることができないようになっていました。
 ハッサン親方が言いました。
「侵入した敵を迎え撃てるように造られているそうだ。秘密の地下室や地下倉庫があったり、引き上げると天井と同化して見えなくなる階段や、二階同士がつながっていたりして、建物の中にもいろいろ工夫や仕掛けがあるらしい」
 一つの区画を通り抜けると小さな広場があり、十字路になっていることが見て取れました。
 ハッサン親方が何かに気付いたように声を掛けました。
「来るぞ!」
 広場の奥で地面が盛りあがって白いライオンの姿となりました。邪悪な雰囲気をまとっています。巨大な人食いライオンのようです。
 大きく口を開けて声を出さずに咆哮すると、地響きを立てながら一向に向かって疾走してきました。
 さらにライオンの背後から炎をまとった狼の群れが姿をあらわしました。
 暗殺者のラーハは荷車から強い弓をとり、すぐさま矢を放ちました。さらに、すばやく二の矢を放ちます。矢は大きく開いたライオンの口へと吸いこまれるように命中しました。
 普通なら致命傷になるはずの攻撃でした。しかし、巨大なライオンはわずかにその歩みをゆるめただけでした。
「陳!」
 ハッサン親方が鋭く命じます。
 陳大人はうなずいて、荷車から大きなハンマーを取り出しました。迫ってきたライオンの頭部へと勢いをつけて横殴りに叩き込みます。
 強烈な打撃がライオンの横顔をとらえました。さしもの巨大なライオンも態勢を崩します。足がもつれています。
 陳大人は振り抜いた勢いを保ったままハンマーを頭上へと振りあげて、全体重を乗せた一撃をライオンの頭部へと放ちました。
 さらに、一撃、二撃。
 ライオンは地面に叩きつけられ、頭を砕かれました。しかし、ライオンは頭を失ったまま立ち上がろうとします。
 陳大人はハンマーを振るってライオンの背中に打ちかかります。強烈な打撃を連打して胸を砕きます。しかし、ライオンは後足だけになってもまだ立ち上がろうとします。
 砕かれた欠片が集まってきます。
 陳大人はさらにハンマーを何度も叩きつけてライオンの腰を砕きました。ライオンのシッポが力なく地面へと落ちました。全身を砕かれて、とうとうライオンはその動きを止めました。
 アリババは、狼の群れに向かって駆け出そうとしました。
「アリババ!」
 歌姫シェヘラザードが、アリババを引きとめます。アリババの持つ剣に、小さな壺に入った水を振りかけます。
「あなたの剣に水の精霊のご加護がありますように」
 歌姫シェヘラザードの祝福を受けて、アリババは炎をまとった狼の群れに立ち向かいました。アリババを先頭にして、右には大きな直刀を構えたハッサン親方が、左には武器を偃月刀に持ち替えた陳大人が続きます。三人の後ろには歌姫シェヘラザードが控えています。
 賢い召使のモルギアナとモルジアナは召使のアブダーラと力を合わせて陳大人が使ったハンマーを荷車に戻しました。それから二人は剣を構えて後ろに控えました。
 召使のアブダーラは荷車を動かし皆がいつでも武器や装備を使えるように用意しています。
 炎をまとった狼の群れはアリババたちに向かって疾走してきます。三頭が大きくジャンプして、五頭が地面を這うように、同時にアリババたちに襲い掛かりました。
 召使のアブダーラがすばやく槍を繰り出して、飛びあがった狼たちを打ち落とします。
 アリババは右手の三日月刀で一頭の狼の首に切り付け、左手に持った短剣でもう一頭を後方へと跳ねのけました。
「熱い! まるで燃える泥を切っているような手ごたえだ」
 アリババの驚愕した声が周囲に響きました。
「切り落とした首がつながってゆくだと!」
 ハッサン親方がどなります。
「すばやく首を切り落として体から離せ!」
 その瞬間に、絶妙にアリババを避けて、一筋の水流が狼の頭に当たりました。
 バガン!
 爆発するような勢いで大量の蒸気があがりました。蒸気が晴れたあとには砕けた狼の頭がころがっていました。
 賢い召使のモルジアナがニッコリと笑いながら拳を握りしめました。
 召使のアブダーラは槍をあやつって狼の群れを食い止めます。
 アリババ、ハッサン親方、陳大人が狼の頭を刎ねて、後方に飛ばします。
 賢い召使のモルギアナとモルジアナが炎をまとった狼の頭に、壺に入った水を掛けてゆきます。激しく水蒸気があがって、狼の頭は黒い岩の塊になってしまいます。
 十頭以上いた狼の群れは、たちまちすべて退治されました。
「高熱にやられて剣の切れ味がすっかり落ちてしまったなあ」
 ハッサン親方が弱音をはくように言いました。その言葉で皆の緊張がほぐれました。
 その後は何事も無く、一行はいくつもの区画を通り抜けました。そして、ついに宮殿へとつづく大きな通りにたどりついたのでした。
 白い岩を削り出して造られた巨大な門がそびえ立っています。その左手には、台の上で吠える大きなライオンの石像がありました。しかし、右手には台があるだけで、その上にライオンの姿は見えません。
 ハッサン親方は後ろにさがりました。召使のアブダーラが荷車から大ぶりの三日月刀を取り出します。ハッサン親方は三日月刀を手に取りました。
 皆に警告します。
「来るぞ!」
 入り口の左右にある台の後ろから、半月刀を構えた男達がワラワラと現われました。全員が顔に布を巻いて覆面をしています。もとは白かった衣服はひどく汚れて灰色に見えます。一目で盗賊団と分かる姿でした。
 盗賊団のお頭が名乗りをあげました。
「俺はこの盗賊団を率いる”コジャ・ハッサン”だ」
「なんだと~!」
 ハッサン親方は激怒しました。
 よりによって自分の通り名を偽名として使われたからです。
 ハッサン親方は砂漠の嵐のような迫力で盗賊の頭に打ちかかりました。
 一撃、二撃。
 盗賊の頭はかろうじて攻撃を避けていましたが、ハッサン親方の剣戟を受けて腕が痺れてしまい、三撃目をまともに受けました。盗賊の頭は真っ二つにされてしまいました。
 しかし盗賊の手下たちは、まったくひるむことなく打ちかかってきます。
「こいつらは死ぬことを少しも恐れていないぞ。油断するな!」
 暗殺者ラーハは、盗賊の手下の胸を三日月刀で貫きました。しかし手下は剣を振りあげてラーハに打ちかかってきます。
 ラーハは素早く剣を抜き取って後ろにさがりました。
「こいつらは死人だ。首を刎ねろ!」
 ラーハはそう叫ぶなり、一歩踏み込んで手下の首を鮮やかに刎ねました。手下は崩れ落ち粉々に砕けてしまいました。
 アリババは手下たちの間を疾走しました。アリババの剣速は凄まじく輝きが煌めくのがかろうじて見えるだけでした。
 アリババが通り抜けると、手下たちは倒れ伏し粉々に砕けてゆきました。
 歌姫シェヘラザードは優雅に舞い踊り、対面した相手を次々と倒してゆきます。
 怒り心頭に発したハッサン親方は力まかせに剣を振り回して近寄る盗賊の手下たちを片端から粉砕してゆきました。
 ライオンの台の後ろから出現した盗賊の手下たちは数十人になりましたが、たちまち全員が切り倒されたのでした。
 
 一行は、白い岩を削り出して造られた巨大な門をくぐりました。
 その先にある路の両側には正装した兵士たちが武器を構えて並んでいます。
 しかし、一行が近づいても兵士たちは動く気配を見せません。
 兵士のすぐ前まで近寄ったアリババの口から思わず言葉がこぼれました。
「凍っている……」
 巨大な門の後ろに整列した兵士たちはすべて凍りついていたのです。
 宮殿の周囲を深い空堀が取りまいています。
 一行は警戒しながら空堀に架けられた石の大橋を渡りました。
 目の前には夜空をすべて覆い隠すほど大きな王宮の建物が黒々と立ちはだかっていました。
 扉は大きく開かれておりました。宮殿の入口はまるで巨大な洞窟のように見えます。
 暗殺者のラーハが用心しながら入口をくぐりました。
「罠かもしれぬが、押しとおるほかなさそうだ」
 ラーハの言葉に従って、一行は用心しながら宮殿の入り口をくぐりました。
 沢山の細い柱に支えられた広い廊下が真っ直ぐに続いています。廊下の両脇には近衛兵が立ち並んでいました。槍や三日月刀、大剣を装備しています。全員が闇の中でも色鮮やかな豪華な服を着ています。
 近衛兵は全員が身じろぎもせずにただ立っているだけでした。
 近衛兵に近寄ったアリババが言いました。
「こいつらも完全に凍っているぞ」
 宮殿内の近衛兵たちもすべて凍りついていたのです。
 歌姫シェヘラザードが床を見て驚いたように声をあげました。
「何が起きているの? 宮殿の廊下が雹(ヒョウ)で覆われているなんて!」
 高価なペルシャ絨毯の上には一面に雹が敷きつめられていたのでした。
 ギチッ、ギチッ、ギシ、ギシ。
 皆が歩くたびに足元から軋むような音が響きます。一行は警戒しながら広い廊下の最奥まで進みました。
 目の前には精緻な模様が刻まれた豪華な扉がありました。
「進むほかあるまい」
 ハッサン親方の言葉に従って、陳大人は扉に付いた大きな金属の輪へと手を伸ばしました。しかし、すぐ手前で手を引いて、自分の手を厚い布でおおってから、あらためて金属の輪を掴みました。
「全身が凍りつきそうな冷たさだ」
 そう言いながら扉を引き開けます。
 扉の向こうは闇に閉ざされていました。松明をかざすと大広間であることが分かりました。
 動くものの気配はまったくありません。
 一行は用心しながら大広間へと入って行きました。
 大広間の中に広がる闇は、まるで生き物のようにゆらめいている、そんな風に感じられました。その闇の奥から何者かの姿が浮かび上がってきます。
 黒いフードをかぶりマントをまとっています。頬は削げ落ちたように痩せており、一行を値踏みするように油断なく動く眼には残虐な欲望が秘められているように思えます。薄い唇には相手を馬鹿にするような嘲笑の色が見て取れます。
 アリババがつぶやきました。
「初対面の相手だが、邪悪な魔術師のように見えるな」
 大広間の静寂を破って、甲高い声が響きました。いかにも神経質そうな声でした。
「わたしは、この宮廷をまかされている魔術師だ。ささげものを持って訪れる者たちには恩寵を、敵意を持って訪れる者たちにはそれに応じた返報を与えることが私の仕事だ。そこで、問おう。お前たちは何を持ってこの宮廷を訪れたのだ」
 ハッサン親方が口を開く前に、アリババがすばやく言いました。
「宮廷に巣食い民に仇なす邪悪なものを打ち倒し滅ぼすために来た」
 邪悪な魔術師はゆがんだ笑みを浮かべました。
「王の宮廷に害をなす者たちならば、宮廷から永遠に追い出すとしよう」
 邪悪な魔術師が呪文を唱えると、大理石の床に黒い魔法陣が現れました。魔方陣の中央に濃い闇が生まれ、その中から真っ黒なイヌの群れが飛び出してきました。
「気を付けて。黒いイヌは悪魔が化けていると言われているわよ」
 黒いイヌの群れの後ろから、半透明の死霊の群れが湧き上がってきます。
 さらにその後ろから奇怪な人間の姿をした者たちがふらつきながらゆっくりと歩いてきます。中には死体の腕や脚を咥えている者も見受けられます。
 歌姫シェヘラザードは、魔法陣から現れたものたちを注意深く見つめました。
「悪魔の化けた黒いイヌに、宙を舞う死霊たち、それに食人鬼のグールと女食人鬼のグーラーだわ。あの魔法陣は悪い精霊を呼び出すようね」
 この地では、人に非ざるものを精霊と呼びます。精霊のうち、人に利益をもたらすのは善い精霊、人に害をなすのは悪い精霊と呼ばれます。悪魔、死霊、食人鬼はいずれも悪い精霊です。
 精霊は生きているものとは異なる理(ことわり)に従って行動します。それでも精霊は自然の一部です。そして滅びることがないのです。
 ハッサン親方の言葉が大広間に響きました。
「宮廷に悪い精霊を呼び寄せるような魔術師こそ打ち滅ぼされるべき害悪に間違いあるまい」
 それが戦いの合図になりました。
「こいつらは滅ぼせない。追い払うことができるだけだ。こいつらが好むのは、静寂と悲鳴、恐怖と絶望だ。嫌がるのは陽気な音楽とくじけない勇気だ」
 舞姫のモルギアナとモルジアナがスウィーンのシンバルとダッフ(タンバリン)を打ち鳴らしながら陽気に踊りだしました。
 召使のアブダーラがマウスール(フルート)を吹き鳴らします。
 悪魔、死霊、食人鬼。魔法陣で召喚された悪い精霊たちの動きが止まりました。
「銅鑼(ドラ)を持ってこなかったのは残念だったな」
 陳大人はそう言って、鋭い風切音を響かせながら偃月刀を振るって剣の舞を披露します。
 ハッサン親方が巨大な直刀で陳大人に合わせて踊ります。
 鋭い風切音が響くたびに、剣が打ちあわされるたびに、悪い精霊たちはびくりと後ずさりをします。
 歌姫シェヘラザードはウードを奏でながら高らかに偉大な神の御名を唱えました。
 大広間に一条の雷光が走りました。
 その効果はてきめんでした。
 悪魔が化けた黒いイヌたちは悲鳴をあげながら魔法陣へと飛び込みました。
 半透明の死霊たちは絶叫しながら、たちまちその姿を消しました。
 食人鬼のグールと女食人鬼のグーラーは、よろめきながら魔法陣の闇の中へと戻ってゆき、その姿を消しました。

 邪悪な魔術師はハッサン親方をいやらしい目付きで眺めながら言いました。
「お前がこいつらを率いているのだな。ならばお前の口から戦いを止めて我らの言葉に従うように命じさせるとしよう」
「お前の命令など誰も聞くものか」
「そうであろうな。だから、お前の口から命じさせるのだ。『真の名(まことのな)』にかけて命じれば逆らうことなどできぬぞ」
 邪悪な魔術師は懐から傷一つない澄んだ水晶球を取り出して見つめました。
「お前はコジャ・ハッサンと呼ばれているのだな。ならば、『コジャ・ハッサン』よ、我が命令に従いて、お前の部下たちに戦いを止めるように命じろ!」
「いやなこった!」
 邪悪な魔術師はニヤリと笑いました。
「やはり、ただの通り名であったか」
 魔術師は呪文を唱えてもその結果が自分の思い通りにならない。そのことにすっかり慣れていました。そこで、魔術師は大きな水晶球を見つめて言いました。
「お前は以前にコジア・フッサンと呼ばれていたな。ならば、『コジア・フッサン』よ、我が命令に従いて、お前の部下たちに戦うことを止めるように命じろ!」
「誰が従うか!」
 邪悪な魔術師は再びニヤリと笑いました。
「これも通り名であったか」
 魔術師はしばらく水晶球を見つめてから言いました。
「お前は過去にフワジャー・ハサンと呼ばれていたことがあるな。ならば、『フワジャー・ハサン』よ、我が命令に従いて、お前の部下たちにすぐさま戦いを止めるように命じろ!」
 ハッサン親方は叫びました。
「みんな、この魔術師をやっつけろ!」
 邪悪な魔術師はニヤリと笑いました。
「いくらなんでも、そこまで多くの通り名を持っているはずはないだろう。今度こそ当たりそうな気がするぞ」
 魔術師は顔をしかめながら水晶球を見つめたあとで言いました。
「お前ははるか昔に、ホージャ・フサインと名乗っていたのか。ならば、『ホージャ・フサイン』よ、我が命令に従いて、お前の部下たちに戦いを止めるように命じろ!」
「誰がお前の言うことなど聞くものか!」
 邪悪な魔術師は初めて疲れたような様子を見せました。
「これほど多くの通り名で『真の名』を隠しているのか。恐れ入った用心深さだな」
「あちこち旅をしたせいで、いろいろ言われていただけの話しだ。人間、何が幸いするか分からぬものだ。偉大なる神のなさることは人間ごときには計り知れぬと実感できたぞ」
 邪悪な魔術師は鬼気迫る様子で水晶球を見つめました。その眼は落ちくぼみ、頬はこけて、まるで骸骨のように見えました。
「お前はかつてフセインと呼ばれていたな」
 まずい!
 アリババは直感しました。
 『フセイン』は、ハッサン親方の真の名に違いない!
 コジャ、コジア、フワジャー、ホージャはいずれも尊称で、親方、お頭、頭領などに相当します。尊称のつかない『フセイン』という呼び名は、生まれた時に神の前で与えられた『真の名』である可能性が高いのです。
 アリババは邪悪な魔術師へと切りかかりました。
 陳大人も巨大な戦斧を振りあげて邪悪な魔術師に打ちかかります。しかし魔術師はユラリとその打撃から逃れました。
 すかさずアリババが再び邪悪な魔術師に切りかかります。しかし魔術師はふたたびユラリとその攻撃をかわしました。
 アリババは思わずつぶやきました。
「これほど邪悪な魔術をあやつる人間がこの世にいるはずがない。それに、これは人の動きではないぞ」
 陳大人はアリババの発した言葉を聞いて、はっとしました。
「もしや……」
 陳大人は懐から紙をとりだし、腰に下げた墨壺に自分の辮髪の先をつけて文字を描き、唇を噛み破って流れ出た血をその紙に垂らしました。
「歌姫シェヘラザード 、この文字を心に描きながら解呪の呪歌を唱えてみてくれ」
 歌姫シェヘラザード はうなずくと、その紙を受け取って見つめ、邪悪な魔術師に向き直って呪歌を唱えました。

  深き闇に住まう者。
  邪(よこしま)な欲望に染められし者。
  冥府の女王の力を借りて、
  仮初めの姿をまとう者よ。
  我は汝の真の名、
  『蛇蛭(ジャヒル)』
  を掲げてこれを命ずる。
 《この世の理(ことわり)に従いて、
  汝の本来の姿を現わせ!》

 歌姫シェヘラザード は呪歌を唱えながらスィーン(秦)の文字が書かれた紙を高々と掲げました。
 紙の中央が輝くと、白く美しい炎があがり、たちまち紙は燃えて消えてしましました。
 邪悪な魔術師は絶望の叫び声をあげました。
 その姿から闇が浸み出してあたりに広がってゆきます。闇がはれたとき、そこには巨大な黒い毒蛇が鎌首をもたげてとぐろを巻いていました。毒蛇の体には鱗がなく、ぬめぬめと妖しく光っています。
「陳大人、どうしてこいつの真の名を知っていたのだ?」
 アリババの問いに陳大人が答えます。
「しばらく前のことだ。アッスィーン(秦帝国)の呪い師が異国の魔術師からスィーンの名前を付けるように依頼されたそうだ。そいつがいかにもヤバそうだったから、呪い師は弟子にそのことを一族の者に伝えるように命じた。それから呪い師もその弟子もすぐに行方不明になってしまった。スィーンでは一族の結束が固いから、その話がはみ出し者の俺のところまで届いていたのさ」
 歌姫シェヘラザードは痛ましそうな表情を浮かべました。
「蛇蛭(ジャヒル)は呪い師と弟子を喰らって強大な魔力とこの姿を得たのでしょうね」
 とぐろを巻いていた巨大な毒蛇は、鎌首をもたげて、モルギアナとモルジアナをひと呑みにしようと襲い掛かりました。二人が持つ細身の剣では、とても対抗できそうにありません。
 モルギアナとモルジアナは手押し車に乗った壺を手に取りました。壺の中に手を入れると、迫ってくる巨大な口の中に真っ白な飛礫(ツブテ)をいくつも投げ込みました。
 巨大な毒蛇の口の中から激しく蒸気が噴き出しました。毒蛇はあわてて首を後ろに引きました。
 モルギアナとモルジアナは叫びました。
「聖なる塩には魔物を退ける力があるのよ!」
 漆黒の毒蛇は、ぬめぬめと体を光らせながらトグロを解きました。鎌首をもたげて口を開けます。モルギアナとモルジアナを狙って毒液が霧のように浴びせかけられました。
 陳大人が毒蛇と二人の間に割って入りました。口から激しく炎を吹いて毒を散らせます。
 モルギアナとモルジアナは陳大人の背後から抜けだして、左右から聖なる塩の飛礫を毒蛇に投げつけました。毒蛇の体に穴があき、蒸気が噴き出してきます。
 毒蛇は苦しげに身をよじりました。
 すかさず陳大人は巨大な戦斧を振りあげて毒蛇の首筋に打ちかかりました。戦斧は骨まで届いたようでした。
「だめだ。たちまち傷が塞がってしまう」
 陳大人の絶望まじりの声が大広間に響きました。
「あきらめるな!」
 ハッサン親方の大刀が蛇蛭の首に深く食い込みました。
 すぐさま陳大人は第二撃を放ちました。蛇蛭の首が広間の床に落ちて転がりました。しかし、蛇蛭の首は邪悪な笑みを浮かべます。首の無い毒蛇は鎌首をもたげました。首を切り落とされた傷口から肉が盛りあがってゆきます。
「水は刃物では切れないわ。蛭は水の性質を持っている。頭を落としてもまた頭が生える。半分に裂けば二匹に増えるのよ」
 歌姫シェヘラザードが残念そうにつぶやきました。その声は意外なほどはっきりと聞えました。
 アリババの声が大広間に響きました。
「オスマンから海を渡った西の国には、首を切り落としてもまた生えてくる魔物がいたそうだ。その傷口をタイマツの火で焼きながら倒した英雄がいたというぞ」
 突然に、毒蛇の傷口に八本の短剣が突き立ちました。さらに、傷の中央にも短剣が刺さります。
 暗殺者ラーハの声が聞こえます。
「陳大人、こいつの傷口を炎で焼いてくれ」
「火種を使い切った。火をつけてくれ」
 そう言うと、すぐさま陳大人は壺の中身を口に含んで毒蛇の傷口に吹きかけました。
 キン!
 空中で二つの短剣がぶつかって火花が散りました。たちまち毒蛇の首は劫火に包まれました。
 パパパパパパッ、パン、パン、パン!
「短剣に爆竹まで付けてたのかよ」
 陳大人はあきれたように言いました。
「たっぷりと火薬も振りかけてあるぜ」
 ふたたび暗殺者ラーハの声が聞こえました。
 歌姫シェヘラザードがつぶやきます。
「たしか、『九つの栄光なる枝をとりて打てば、毒蛇九つに裂けて分かれたり』、だったわね」
 そして皆に向かって叫びました。
「毒蛇の頭を九つに割ってから火で焼いてください」
「分かった」
 ハッサン親方と陳大人は毒蛇の頭を九つに断ち割り、それから壺の油をかけて火をつけました。真っ赤な炎が立ちのぼって大広間をおおう闇を打ち砕いてゆきます。頭が燃え尽きてゆくにつれて、激しくのたうちまわっていた胴体も徐々に動きが治まってゆきました。
 陳大人が感心したように言いました。
「あれだけ激しく動いても、炎が消えないのは凄いなあ」
 暗殺者ラーハのあきれたような声が聞えました。
「お前が言うかよ。火が消えないのはスィーンの火薬がとびきり良質だからじゃないか」
 陳大人は頭をかきました。とても嬉しそうでした。
 毒蛇の頭が全て燃えつきると、動きを止めた胴体は、魔法陣の闇の中へとゆっくりと引きこまれてゆき、その姿を消しました。
 魔法陣は青白く燃え上がって消えて行きます。

 一行の目の前には多くの宝石で飾られた豪華な扉がありました。玉座の間の扉です。一行は扉を開けて中へと入ってゆきました。
 玉座の間の中央には大きな魔法陣が描かれており、巨大な魔神の頭と顔の上半分が見えていました。
 巨大な魔神の眼には瞳がありませんでした。
 虚無の魔神は、ただそこにいるだけで、何かを成そうとする様子は見られませんでした。
 魔神の後ろには豪華な玉座がありました。玉座には、蒼白い顔をした王が物憂げに腰かけておりました。その衣服には、たっぷりと黄金の糸が使われ、美しい宝石が数多く縫い付けられておりました。
 歌姫シェヘラザード は玉座の王に語りかけます。
「王様は魔神に真の名を奪われたから呪われた王になられたのですね。ならば、真の名を取り返せば王様の呪いは解けるのではないでしょうか」
 王様は、まったく感情のない声で答えました。
「そのとおりじゃ。しかし、我が真の名はペルシャの名にあらず、アラビアの名にあらず、アッスィーン(秦帝国)の名にあらず、インドの名でもサラセンの名でもオスマンの名でもアフリカの名でもない」
 歌姫シェヘラザードは考えました。
 砂漠の女王様が口にした名前は、たしかハールーン・アル・ラシードだったわね。私には似た名前に心当たりがある。
 まさか、西の地の果てで出会ったドルイドの神官から聞いたことが役立つ日が来るとはね。どんな知識が役に立つか、本当に予測がつかないわ。神の御心はまことに人間には測り知れないのね。
 歌姫シェヘラザードはウードをかき鳴らしながら歌いました。

  ハガルは『雹(ヒョウ)』のルーンなり。
  それは凍れる白き種。
  天の高みから、風に渦巻き、
  またたく間に水へと変わる。
  ハガル、その占いの意味は崩壊と浄罪。
  呪術への対応は変革と再生。
  秘められた神性は、
  冥府ヘルを治める女王ヘラ神と、
  過去の運命を司るウルド神。
  氷の属性を帯びて、
  樹木は笏の材料となるイチイの木。
  名を奪われて呪われた王の真の名は、
  ハガルのルーン、『ハガルーン』!

 玉座の間にある魔法陣の中から、『N』に似た形をした文字が浮びあがりました。王様の方へと飛んでゆき、王様の体と重なると、光を放って消えました。
 王様がしみじみとした声でおっしゃられました。
「その通りじゃ。失われていた我が名は『ハガルーン』であった。そして、我が名を取り返された魔神は、この世につなぎ止められる拠り所を失った。今ならば歌姫の呪歌で呼び出された場所へと戻すことができよう」
 
 歌姫シェヘラザードは、王の間にあるジュンク・アジャミー(ペルシャのハープ)へと近づいて行きました。そしてジュンク・アジャミーをかき鳴らして言いました。
「調律が微妙に狂っているわ。きっとこの狂いが魔神を呼び出すために必要だったのね」
 微妙に調律の狂ったジュンク・アジャミーは、不思議な旋律を奏でました。
 歌姫シェヘラザードは高らかに歌い出しました。その歌声は、こんな風に聞こえました。

  ラビッサマーイ、 フィカッラジャーイ
  フィァイナイッハー アラッハヤァティ

  アティーラィカミン ハザルカオウニ
  アジョカラビィ  ラビィーニィダーイ

 幼さの残る舞姫のモルギアナとモルジアナがスィーンのシンバルとダッフ(タンバリン)を打ち鳴らしながら舞い踊ります。
 アリババも、陳大人も、ハッサン親方も、武器を振り回し、互いに打ちつけながら陽気に踊ります。
 歌姫シェヘラザードは微妙に調律の狂ったジュンク・アジャミーをかき鳴らします。激しい動きのせいで腕があらわになりました。弦から弦へとすばやく移動する指から妖しい旋律が紡がれてゆきます。
 不思議な旋律が奏でられるにつれて、指の動きは独自の命を持つかのように自在に宙を舞いはじめ、腕の動きは魅惑的に踊りになってまいりました。
 その舞は徐々に情熱的に、官能的になってゆきます。激しく舞い踊るうちに衣服が乱れてまいります。
 歌姫シェヘラザードの舞踏は、激しく心をゆさぶるほどに蠱惑的で、心に深く秘めていた欲望をあぶり出して燃え上がらせ、人の心を強く縛りつけて放さぬようなひどく煽情的なベリーダンスへと変貌してゆきました。
「色っぽさでは熟女にはかなわないわね」
 舞姫のモルギアナとモルジアナがスィーンのシンバルとダッフを打ち鳴らしながら残念そうに言いました。
 魔神は、徐々に闇の中へと降りて行きます。
『お前たちはいずれ偉大な我が支配者に敗れて、その軍門にくだる定めにある。このたびは、たっぷりと楽しませてもらった。良い土産話もできた。汝らがついに敗れて我らが支配下へと入るその日まで、せいぜい愉快に暮らすがよい』
 そこにいた全ての者たちの心に、そんな言葉が響きました。
 そして、魔神が去ったあとには小さな黒い穴が残っていました。
 歌姫シェヘラザードは、まだ幼さの残る舞姫のモルギアナとモルジアナが持っていた壺から岩塩を取り出して黒い穴を囲む魔法陣を描きました。
 歌姫シェヘラザードが歌うように呪文を唱えると、魔法陣は白い煙をあげながらゆっくりと閉じてゆき、最後に白い光を放つと、最初から何も無かったかのように消えてしまいました。

 これで全てが無事に終わった。

 そこにいた全員がそのように感じたのでした。


《結:そして伝説へ》

 王の間に置かれた大きなテーブルの上には巨大な皿がいくつも並んでおり、その上にはみごとな果実が山盛りになっています。皿によって果実の色が違うのでした。白い果実もあれば水晶のようにきらきらと透きとおった果実もあり、赤い果実にしても薄い色や濃い色などさまざまでした。緑、青、紫、黄色っぽいものなどとりどりの色があるのです。
 白い果実は真珠、きらきらと透きとおったものはダイヤモンド、濃い赤はルビー、薄い赤はスピネル、緑はエメラルド、水色はトルコ石、透明な青はサファイア、紫はアメジスト、黄色っぽいものは琥珀なのでした。他にもいろいろとありました。
 石でできた果実はどれも大きくて瑕ひとつなく、とりどりの美しい色や大きさをした世にふたつとないものでした。
 ハガルーン大王の御言葉が王の間に響きました。
「奪われた名前を取り戻してくれた恩にたいしては、いかなるものでも礼として足りることはない。それが分かったうえで礼をのべさせてもらおう。ここにある果実は魔神が地下からもたらしたものだ。生きている人間には食べることができず、手に入れても持ち主が死ねばいずれ地下の王国へと戻ってゆく定めにある。こんなものでよければ、好きなだけ持ってゆくがよい」
 アリババは、ハガルーン大王に答えました。
「それでは、大王様のお名前を取り戻すために中身を使い、空になった容器に納まるだけの果実をいただいてまいります」
 こうして、アリババ一行は岩塩の入っていた二つの壺と水の壺に、ハッサン親方の一行はウォトカの壺と油の入っていた壺、そして武器の入っていた籠に、すばらしい宝石をそれぞれいっぱい入れました。
 一行がそれだけ沢山の宝石を受け取っても、王の間にある果実は少しも減ったようには見えませんでした。
 宝石には一つの壺だけで大きな都市が丸ごと買えるほどの価値がありました。
 一行が玉座の間から退出しようとする、その時にハガルーン大王はおっしゃられました。「歌姫シェヘラザードよ。汝はこの王城に留まりその歌で凍てついた我が心を溶かしてくれないか」
 歌姫シェヘラザードは大臣の養女となりました。そして、ハガルーン大王にふさわしい身分を得たのちに、大王と契りを結んで王妃となられたのでございます。
 この地では、ご婦人は夫以外の男性に顔を見せない習慣がございました。そのため、歌姫シェヘラザードは夫であるハガルーン大王以外に物語ることがなくなりました。その見事な舞踏はハガルーン大王以外に目にする者はなく、ジュンク・アジャミーの旋律もウードの演奏も、耳にするのはハガルーン大王のみとなったのでした。
 こうして今回のアリババの冒険は他の人々の耳に入る機会を失なったのでございます。

 ハガルーン大王の王宮を後にして、アリババは迷いました。
 サマルカンドからアラジンの故郷、アッスィーン(秦帝国)へ行こうか。
 カブールからペシャーワル、テグルビンディを経て、スライマン山脈やタール砂漠をさけてインドのメラートへの路を選ぶか。
 道を戻って、シンドバードの故郷アラビアのバスラやバグダード、エジプトのカイロ、さらにその先を目指すか。

 アリババは結局、妻と子供とともにすべての路をたどるのですが、それはまた別の物語となります。
朱鷺(とき)

2025年12月28日 10時33分13秒 公開
■この作品の著作権は 朱鷺(とき) さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:
「俺の名はアリババだ」
◆作者コメント:
 シェアワールドとしてアラビアンナイトの世界を描いた作品です。おもにガラン版千一夜物語を参考にしております。

2026年01月20日 18時26分25秒
作者レス
2026年01月17日 18時21分53秒
+10点
2026年01月17日 18時08分02秒
+10点
2026年01月09日 12時24分38秒
合計 3人 20点

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