楽園戦隊ディストピアー |
Rev.04 枚数: 100 枚( 39,827 文字) |
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〇 1 〇 佐古は中学時代が一番楽しかった。登校する時、授業の合間に教室前の廊下を歩く時、放課後に仲間とともに街を練り歩くとき、いつでも佐古は肩で風を切っていることが出来た。 何か勉強や部活動で具体的な成果をあげただとか、そういった実績があったからではない。佐古の学力は劣等生の部類に入り、部活動もしていなかった。ただ、人よりも大きな体を持ち、常に眉間に皺が寄った顔立ちは凄みがあるようにも見えたから、意識的に威圧的な態度を取り低い声を出してさえいれば、周囲からは自然と一目置かれることが出来た。 実際には、佐古自身に何か秀でたものがあった訳ではなかった。体格相応の腕っ節もなくはないにしても、空手や柔道の部活動をしている連中などには、佐古を凌ぐ者もちらほらといた。しかしそうした連中にしても、佐古と正面衝突して打ち負かすのには様々な面倒はあった訳だし、また佐古は彼らとある程度上手く付き合ってもいたのだ。 佐古は教室を支配した。弱者を虐げ、金を巻きあげ、人を従わせて好き放題をし、悪い遊びにふけった。 中でも特に楽しかったのは、桃山を呼び出して悪戯をすることだった。 桃山は色の白い、背の高い、すらりとした女子だった。幼稚園の頃からの同級生だったが、学年に一人か二人いる、他の生徒より心身の発育が早く、くっきりとした存在感を示すタイプの女生徒だった。成績も良く体育でも活躍し大人から良く褒められ、本人も従順であるという優等生で、佐古とは完全に真逆のタイプだった。 しかし性格の方は大人しく押しに弱かった。 だからターゲットにされた。 桃山は家柄も良く親が金持ちで、脅せばいくらでも金を持ってこさせることが出来た。見栄えが良く肉体の発育の良い女子を意のままにできるのも楽しかった。桃山を苛んだ中二、中三の時点で彼女の身体は女性として出来上がっていて、見張りを立てながら服に手を入れ、あちこち触り撫でまわしていると、佐古の下半身はみるみる硬化してそそり立った。自分たちはこんな女子を好き放題にすることが出来ると思うと、佐古は強い優越感のあまり世界の中心にいるような心地になった。 桃山は一度も逆らわなかった。何故だろう? 確かに、桃山を裸にし痴態を撮影した弱味を佐古は握っていた。逆らえばこれをばらまくという脅しが効果的であることは、恐怖に駆られた桃山の表情を見ればよく分かった。だがそれにしたって、そうした状態に陥る前に、桃山の方にも何か出来ることはあったはずだ。 桃山がそうした状況を望んで受け入れていた訳でもないだろう。桃山はいつも媚びの中に憎悪の滲んだ、いじめられっ子特有の表情で佐古を睨むように見詰めていた。幼少期からの幼馴染であることを差し引いたとしても、桃山は佐古のことを全身全霊で嫌悪していただろう。 それなのに。 当時のことを考える度に、佐古はあの頃感じた万能感のようなものを思い出し懐かしい気持ちになる。あの頃の自分こそ本当の自分なのだと何度も自分に言い聞かせたくなる。そしてスマホの中に今も残っている桃山の痴態を映した画像を見詰めながら、当時を思い出してオナニーをするのだ。 〇 「でよ、その先輩が連れて来た女っていうのが、不細工な豚みたいな白い奴でよ。もう、首なんかぶよぶよの、だるんだるんだぜ? 言った通り確かに乳はでかかったけど、単に全身が肉の塊ってだけの話でさ……」 「はあ」 佐古の話に、一年後輩の戦闘員である柴田は気のない生返事を返した。佐古の話をまるで聞いていないのは、端から見ると丸わかりだったが、佐古自身はそれに頓着することはなかった。 「んでよ、おれは言ってやったんだ。先輩には豚を飼う趣味があるんすか、ってな? そしたら、もう、ブチギレでさ。顔真っ赤にして、怒鳴りつけて来るんだけど、全然迫力ねぇからよ。逆に叩きのめしてやったんだ。それでさ、おれは、ちゃんと養豚場に返しといてくださいねって……」 話しかける佐古だが、柴田はこちらの方を見向きもしない。一応、相槌を打ってはいても、それ以外はただ面倒くさそうな表情で突っ立っているだけである。それどころか、片手を口元に持ってきて、わざとのような大きなあくびをし始めた。 佐古は、思わず柴田のことを怒鳴りつけ、殴りつけたい衝動に駆られた。先輩のおれが話をしているのに、何という態度だろう。胸倉の一つも掴んでやろうと手を伸ばしたその時。 「おい佐古! 無駄話してんじゃねぇよ!」 班長の浜渕に怒鳴りつけられ、佐古は、思わず背筋を伸ばして肩を震わせた。 「ディストピアーの連中がその正門から入って来るから、警戒しとけって言ってるだろうが!」 浜渕班長は佐古よりも四つ年上の二十三歳。顔を含め全身を覆うユニフォームの為今は伺えないが、神経質そうな顔だちをしていて、爬虫類のような三白眼は、任務中の佐古の如何なる些細な落ち度も見逃さずネチネチと糾弾した。 「は、はい。班長」 睨まれた佐古は、降りていた銃口を慌てて正門の方へと向ける。柴田が失笑を浮かべたのが分かった。 佐古はとある小学校の運動場にいた。学校の敷地内のあちこちには、佐古のような戦闘員たちが武器を持って徘徊している。小学校に本来いるはずの生徒や教員たちは全て、別の部隊によって体育館に押し込められ、銃を向けられ監視状態にあるはずだった。 高校を卒業してからというもの、佐古は、世界中の資源を独占し世界征服を企む悪の組織『ユートピア・カンパニー』の戦闘員の職を得ていた。 銃を構えていると腕が痛くなって来る。夏の炎天下の中で、顔を含めた全身を覆うぴっちりとしたタイツ状の黒いユニフォームは、汗まみれになりじっとりと蒸れていた。辟易した佐古は、銃も構えず、木陰にいて木に背中を預けている浜渕班長を恨めしく思った。 その時、背後の校舎の屋上から、一人の戦闘員が飛び降りて、颯爽と佐古達の前に降り立った。 佐古の属する四人班の最後のメンバーであり、エース級の扱いを受けている同期の寺野だった。先ほどまで校舎の屋上から周囲の様子を見回っていた寺野は、班長浜渕の前でこう報告した。 「ディストピアーの姿が見えました。こちらに向かっているようです」 「確かか」 「はっ。私がいち早く発見いたしました。新メンバーのピンクを含めた五人全員がそろっており、装備も見たところいつも通りのようであります。この情報は他班の人間にも既に伝達済みであります」 寺野のいう通り、ディストピアーの五人組は間もなく正門から現れた。既に変身を終えており、赤青黄緑ピンクの五色のユニフォームを身に着け、それぞれの武器を携帯していた。 「朽ちた瓦礫にへばり付く赤き血潮、ディストピアー・レッド!」 「廃水流れ込む汚染されし青き海、ディストピアー・ブルー!」 「乾いた街に立ち込める黄色い粉塵、ディストピアー・イエロー!」 「崩れた建物を覆い尽くす緑の蔦、ディストピアー・グリーン!」 「踏み躙られ腐り行く一輪の桃色の花、ディストピアー・ピンク!」 五人の戦士はそれぞれの口上を述べ、最後には声を合わせてこう叫んだ。 「五人揃って、楽園戦隊・ディストピアー!」 そして意味も原理も分からず背後で爆発が起こる。もうもうと立ち込める煙を背景に、楽園戦隊ディストピアーの五人はそれぞれに格好良いポーズを決めた。 「出たな! ディストピアーめ!」 近くにいた隊長クラスの戦闘員が、運動場にいる数十人からの戦闘員を代表して、ディストピアーに向けて吠えた。 「ユートピア・カンパニーめ! 校舎を占拠して、いったい何をするつもりだ!」 レッドが問いかけた。 「ふふん。貴様らディストピアーをおびき寄せる為よ」 「なんだと?」 「今頃、我ら結社の長であるディアボロ博士は、Y地区のオリハルコン第十六貯蔵庫に向かっている。貴様らをここにおびき寄せている間に、貯蔵庫内のオリハルコンをすべて奪い取る為だ」 「バカな……俺達は、罠にはまったというのか?」 レッドは驚愕して他の四人の仲間の方を見る。 「こいつらは、囮だったんだな……」 ブルーは苦虫を噛んだような表情を浮かべた。 「罠にはまったのはそうだとも。しかし、我々も決してただの囮ではない。何故ならば、ディストピアー! 我々がここを貴様らの墓場とするのだからな! ……かかれ!」 その声に応じた浜渕が率先してディストピアーに発砲する。ディストピアーの五人は、中にスタントマンが入っているかの如き華麗なアクションで弾丸を躱す。そして身を翻したレッドが、剣の形をした兵器であるディストピアー・ブレードで浜渕に切りかかった。 「ギャー!」 切り付けられた浜渕はその場でうずくまって戦闘不能になった。それに臆することもなく寺野が、続けて柴田がディストピアーの五人組に向けて銃を掲げて襲い掛かる。 佐古はというと、自分がケガをしない程度に、「イーっ」とか「ヤーっ」とか叫びながら、賑やかしの雑魚戦闘員らしくあたりをうろちょろと歩いていた。 戦闘員は基本的に使い捨てである。ディストピアーは積極的には戦闘員の命を奪うことはないが、ものすごく手加減をしてくれる訳でもないので、時々は死傷者も出てしまう。なるべく安全なところで戦っている振りをしているのが賢明なのだ。 「おい! 佐古! 何をやっているんだ。寺野も柴田ももう戦っているだろう! おまえも行け!」 レッドにやられ、足元で倒れている浜渕が吠えた。確かに柴田も寺野は既にブルー・イエローの両名と激しい戦闘を繰り広げている。一年目の柴田はブルーの振るうディストピアー・クロウ(手に装着する爪のような兵器だ)にズタズタに切り裂かれていたが、寺野はイエローのディストピアー・ハンマーをぎりぎりで躱し、反撃に転じるなど奮戦している。 「おまえも寺野を少しは見習ったらどうだ! 今すぐ行け!」 浜渕班長は命じる。攻撃を受けた割には大きな声だ。さてはケガをした振りをして地面に倒れて戦闘をやり過ごそうとしているのかと佐古は疑うが、よく見れば浜渕は胸を大きく切り裂かれて激しく流血していた。 ……そんなにでかいケガをしといて、おれへの文句だけは言えるのかよ。 佐古はほどほどに戦っている振りをするべく、もっとも危険の少ない相手である、敵の新入りのピンクの方を襲撃した。 「イーっ! ヤーっ!」 雑魚戦闘員らしく奇声を発しながらピンクに襲い掛かる。ピンクはピンク色のユニフォームからでも判別できるくらいスタイルが良く、背も高くすらりとしているが出るべきところはちゃんと出ていた。 佐古の襲撃に気付いたピンクは、ディストピアー・アローを構える。これに銃で応じるようでは早打ちの名人であるピンクに先んじて射撃されることだろうが、佐古はそんなことはせずむしろピンクの懐に飛び込んで蹴りを放った。 腹部に蹴りを受けたピンクはその場で尻餅を着いた。佐古は体制を崩したピンクに馬乗りになろうとする。 ピンクは武器を捨てて佐古に格闘を挑んできた。楽園戦隊ディストピアーの一員だけあって、ピンクの力は格闘が上手く力も弱くはなかった。しかし体勢で優位を取っている佐古は、片腕を掴んでピンクの身体を地面に押し付けることに成功する。 やる気のない佐古だが、実のところその戦闘力は低くなかった。訓練中に行われる模擬戦では、柴田はもちろん班長の浜渕にもほとんど負けたことがない。唯一まともに勝ったり負けたりがあるのは寺野にしたって、勝率で言えば自身の方が僅かに上回っていると自負していた。 思いのほか戦闘が優位に運んで佐古はほくそ笑んだ。ピンクを倒したとなれば、ボーナスが支給されたり出世が近づいたりなどの恩恵がある。班長クラスになれば浜渕のように自分は楽をしつつ下っ端をこき使えるようになるのだ。佐古はどうやってピンクにトドメを刺すかの算段を頭の中に巡らせた。 「か……か……」 ピンクが何やら声を発している。 どこか聞き覚えのある声だった。特に、どもりながらか細く何かを言おうとして言えないでいるその様子は、確かなデジャヴを感じさせられた。 「か……か……」 「か……なんなんだ?」 「か……火事だーっ!」 ピンクは叫んだ。 佐古の全身から力が抜けた。 頭の中を忌まわしい記憶がフラッシュバックする。燃える建物、炎に飲まれていく佐古の宝物たち。駄々をこねて買ってもらったゲームやカードやプラモデル。とどろく母親と姉の悲鳴。同じ子供部屋を共有する姉は燃え死んでもらって構わないが、大して美味くもないが飯と呼べるものを作ってくれる母親にいなくなられるのは困る……。 いや、そんなことよりも、誰が死ぬことよりも何が燃えることよりも。 このままでは佐古自身が焼かれてしまう。燃えてしまう。燃え死んでしまう。 「う……うわぁああああ!」 佐古は絶叫した。その言葉を聞くことが佐古のトラウマを呼び覚ますトリガーだった。そしてそのことを知っている人間は一人しかいないはずだった。そう、佐古の家が燃えるきっかけになったあのアロマキャンドル。姉がひそかに持っていたそれを姉と共にダイニングで燃やし家を全焼させた忌まわしきあの女……。 「ひぃいい! 燃える燃える燃えるぅうう! うわぁああ!」 どうして目の前のピンクが佐古の弱点であるその言葉を知っているのか? 混乱し悲鳴をあげる佐古の頭を、ピンクは握った拳で殴りつけた。たちまち脳震盪を起こした佐古は、その場で崩れ落ちて意識を失う。 戦闘不能。 〇 「……佐古。おい佐古」 気が付くとカンパニーの救護施設の中にいた。隣のベッドでは浜渕が包帯まみれで横たわっていて、佐古の方を睨むような瞳で見つめ声をかけていた。 ディストピアーとの戦闘では当然のように多数の負傷者が出現する為、それらを救護する目的で、ユートピア・カンパニーは一般の医療モールに匹敵する救護施設を備えていた。施設内は夥しい負傷者が並べられたベッドに横たわっており、近くには柴田、寺野の姿もあった。 どうやら今回もディストピアーに敗北したらしい。おそらくはいつものパターンだろう。佐古達戦闘員が全滅した後、現場の指揮官たる怪人クラスの結社員が化け物へと姿を変えてディストピアーと戦闘。最後に怪人としての力を暴走させ巨大化したところを、ディストピアー達が乗り込むロボット『シツラクエン』により成敗されるという流れが、今回も行われたに違いない。 「起きたか?」 「はい。班長殿」 「まったくなんだってんだ。ピンクを倒すまで、あと一歩だっただろ? あともう少し耐えていたら、誰か仲間の戦闘員がやってきてくれて、ピンクにとどめを刺してくれた。違うか? そのあと一歩に至らなかったのは、おまえが普段訓練をダラけている結果だよ」 「はあ」 「ディアボロ博士はディストピアーの持つ武器を欲しがっていらっしゃる。ピンクを倒してディストピアー・アローを奪い取れる絶好のチャンスだったのに。あと一歩で取り逃したとなったらさぞ悲しまれるだろう。おい佐古、おまえ、自分が惜しいところまで行ったと浮かれてるんじゃないだろうな? むしろ反省しろ。もし同じ状況に持ち込んだのが寺野だったら、あんなヘマはしていないんだからな」 うんざりだった。もし寺野だったらあの状況に持ち込むこと自体不可能だろう。なんでったって、このカンパニーには俺の実力を認めない屑ばかりが上司にいるんだ? 「寺野さん、次の班長になるんすよね?」 柴田が言った。そんなことは聞いたことがない。佐古は思わず鋭い声を発した。 「おい! それはどういうことだ?」 「聞いてないんすか? 浜渕さんがそろそろ班長から隊長に昇進する為の試験を受けるから、空いたポストに寺野さんが推薦されるって」 それはつまり、寺野が佐古の上になるということだ。同期の寺野が? 「誰かが次の班長になるなら、なんでおれじゃないんだ? 模擬戦闘の実力じゃおれのほうがはるかに……」 「おまえ、笑わせようとしてるのか?」 浜渕は佐古の戯言を鼻で笑い飛ばし、同意を求める表情で柴田を見詰めた。柴田は含み笑いでそれに応じた。 「寺野とおまえじゃ貢献度も忠誠心も違いすぎるっつの。気付いてないかもしれないが、おまえとっくに柴田にも抜かれてるんだぜ?」 佐古は思わず頭に血が上るのを感じた。思わず浜渕に殴りかかりそうになったが、上司を殴って組織をクビになったら、各種カードローンの支払いが滞るので何とか自重した。 「おまえさ。訓練のやる気はありません、戦闘じゃ出来るだけ安全な場所をうろちょろしてます、でも出世はしたいですなんてさ、通用する訳ないと思わないか? お? どうなんだ?」 佐古は何もいわずに歯噛みする。 「でも……まだ僕が班長になると決まった訳じゃ……」 寺野は謙遜したように口にする。そして佐古の方を見ると、なだめる口調で言った。 「それに、もし僕が班長になっても、佐古とはあくまで同期だから。作戦とかの指示は僕が出すことになるけど、普段はそんなに気を使う必要はないから」 「本当に、おまえが上になるのか?」 「だから、分かんないだって……。次の班長は、浜渕さんが隊長試験に合格した後、隊長としての研修期間の間に今の隊長と浜渕さんが話し合って決めるって話で……。まだ時間もあるし、その間に佐古が大きな手柄をあげるとかすれば、また話は違って来るんじゃないかな?」 「どうせもう決まりっすよ」 柴田が言った。 「次の試験って今年の九月でしょ? で、研修が三か月とかだから、六月の今から数えたら半年くらいしか時間がない。その間に今の評価が覆るっていうのは、ちょっと考えられないっすね」 佐古は柴田の方を鋭く睨みつけたが、柴田は涼しい顔で両腕を枕に寝ころんでいた。 〇 2 〇 佐古は鬱積していた。自分の生活にも所属する組織にも。 他に雇ってもらえる場所がないという理由でユートピア・カンパニーの一員になっては見たが、オリハルコン貯蔵庫を襲撃して自分たちだけの王国を作るという結社の理念にも、特に共感する気にはなれなかった。 オリハルコンとは、今現在の人間社会を支える最重要の資源である。 オリハルコンは人間のあらゆる営みに使用される。冷蔵庫でものを冷やすのにも、テレビを動かすのにも、自動車を走らせるのにもオリハルコンがなければ成り立たない。枯渇していた電気・ガスなどありとあらゆるエネルギーの代替となる究極の資源こそが、オリハルコンなのだ。 ありとあらゆるエネルギーが不足し、貧しい生活を送っていた現代社会の問題は、オリハルコンが発見されたことで瞬く間に解決した。爪に火を灯すような暮らしを送っていた人々は、豊かな生活を取り戻すようになっていた。 しかし、他と同様オリハルコンもまた限りある資源だった。オリハルコンに頼った暮らしが数十年に渡って続けられた時、科学者たちはそのことに気付くようになった。オリハルコンが地球の自然の中で生成されるのには途方もない時間がかかり、また人類の手でそれを生み出すことは出来ない。オリハルコンが完全に枯渇するのは、数年後、数十年後という話ではないにしろ、いずれは確実に起きることなのだ。人類は節約を迫られるようになった。 人類には再び貧しい暮らしが戻って来た。これには反発もあった。確かに使い続けていればオリハルコンは枯渇する。しかしそれは百年以上先の話なのだし、それまでの間に代替となるエネルギーを見つければ良いのではないか? なぜ、今を生きる我々が節制を強いられなければならないのか? 不満を覚えた最たる者が、ユートピア・カンパニーの創始者、ディアボロ博士である。 ディアボロ博士は今ある資源は今を生きる人間たちで使い切れば良いのだと言い切り、戦闘員達を従えてオリハルコン貯蔵庫を狙い始めた。そうして集めたオリハルコンを用いて、自分たちだけの国家を設立するというのだ。 国民になれるのはユートピア・カンパニーの結社員たちだけ。その夢の理想郷の実現と、その一員となり豊かな暮らしを送ることを目的に、戦闘員達は貯蔵庫を襲い続けている。そしてそれを阻止するために立ち上がった戦士達こそが、楽園戦隊ディストピアーの五人なのだ。 バカバカしい。佐古は結社員でありながらその理念を唾棄していた。 どうして、理想郷とやらを作るために、毎日危険でつらい思いをしなければならないのだ? 確かに、ディアボロ博士や一部幹部たちにとってみれば、現場の戦闘員にだけ危険な思いをさせ、自分たちは安全にオリハルコンを手にできるのだから良いだろう。だがその為に散っていくおれ達戦闘員はどうなる? たまたま生き残れればその理想郷とやらの下っ端にはしてもらえるかもしれないが、そうなる保証はどこにもない。 本気で戦闘員をやっている奴は、バカだ。 本当に賢い者ならば、自分だけは死なないように安全に立ち回りつつ、効率よく成果をあげてより安全な地位を手にする。そして理想郷を手に入れた暁には、可能な限り高い地位でそれを享受するのだ。 そのための方法を、佐古はすでに思いついている。 ケガから復帰した佐古はスクーターに跨っていた。中学時代、教室の王だった佐古がいじめていた少女……桃山に会いに行く為だった。 〇 チャイムを鳴らす。 人が歩いてくる音がして、「はい」と高い声が響いた。そして、すぐに息を吞み込んだような気配が扉越しにも伝わってくる。 佐古はほくそ笑んで問いかけた。 「桃山だろ」 「どうしてここが……」 「調べる方法なんていくらでもあるんだ。さあ、ここを開けて中に入れろ」 中学の同級生である佐古と桃山には共通の知人が何人もいる。それを辿ればここを特定するのはすぐだった。開けさせるのには難儀しそうなものだったが、佐古は魔法の呪文を知っている。 「開けなければ中学時代に撮った写真をネットにばらまいてやる」 すすり泣くような声が扉の向こうから響いて来た。そしてしばし逡巡するような気配があった後、震えた手が二人の間を分かつ扉を押し開けた。 桃山だった。 肌の白い、黒目がちな目の大きな、肩までの髪の綺麗な顔をした女だった。メリハリの利いた体と長い手足は当時から変わらず、背は昔より伸びてさらにすらりとした印象を受けた。 桃山は上目遣いに佐古を見上げている。桃山は百七十センチ近い上背をしていたが、佐古はそれよりもさらに十五センチは背が高い。恐れの中にも罰を言い渡されるのを待つ子供のようなあどけなさの滲んだその表情もまた、佐古の良く知るものだった。 「……なに?」 沈黙と緊張に耐えかねて桃山は言った。 「おまえ、ピンクだろ」 「違う……」 「胡麻化さなくて良いぜ。俺に馬乗りになられて『火事だ』って叫ぶのは、世界中でおまえだけだ」 桃山は絶望を纏った表情で玄関に向けて目を伏せた。 「やっぱり、あなただったの?」 「話がある。中に入れろ」 佐古は強引に桃山の腕を引き、屋内へと押し入った。 ワンルームのアパートだ。決してだらしない程散らかっている訳ではないが、随所には脇の甘さも見られ、出しっぱなしの本や食器などもいくらかは目についた。棚の上に置かれているぬいぐるみは、彼女が幼稚園にいる時から所有しているウサギであり、今は亡き佐古の姉が送ったものだった。 中央の白い机の上に、佐古はあえて尻を下した。そして言った。 「言っとくが、仲間を呼んでおれを捕まえようとしても無駄だぞ?」 桃山は答えない。ただその場でつつましく正座して佐古の出方をうかがっている。 「家のパソコンでプログラムを組んできた。一日に一回餌をやらなきゃ中のデータをネット状に放出するというものだ。そのデータが何なのかは言うまでもねぇな?」 嘘だった。佐古はパソコンを持っていなかったしプログラムを組む技術も持っていなかった。しかし桃山は何も言わずに俯いてただ顔を青くしているだけだった。 「逆らうことは出来ねぇぞ? 良いな?」 桃山はボロボロと涙を流す。 「分かってんのか? あ? 何か言ってみろ」 桃山は何も言わない。肩を震わせてうじうじと泣きじゃくっているだけだ。 「おいおまえ。さっきからおれの話を……」 「……お茶」 「は?」 「お茶……飲む? 入れる……けど……。外、暑いし、喉乾くかもだし。あの、その。嫌じゃなかったら、なんだけど。家に来た人にはいつもそうしてるから」 佐古は毒気を抜かれたような気分になった。 しかしすぐにそういう奴だったと思いなおした。 「おう」 佐古は答えた。桃山はあたふたとした様子で冷蔵庫を開け取り出し、麦茶のポットをおっかなびっくり来客用だろうポットに注いでいる。脅迫者を相手にそんなもてなしをする気遣いはないだろうと思うのだが、成績は良い癖にどこか思考のピントがずれているのだ。 「いつも……って言っても。別に、そんなに来る訳じゃないけど。お母さんが前に遊びに来たくらいで……。ああ氷、氷いる? お母さんは冷蔵庫から出したものにいちいち氷なんかいらないっていうけどあたしはあった方が良いと思っていて、別に暑いからとかじゃなくて、冷房も入れてるし。ただ冷たい方がおいしいからでそれで」 「バカじゃねぇの?」 佐古は冷笑しつつも、桃山からコップを受け取って中の茶を飲みほした。 「お、おいしい?」 「別に。……いや、美味いけど。外暑かったし」 「そ、そっかそっか。え、えへ。えへへへへ。うへ」 「うへってなんだよ……」 上目遣いにこびた表情を浮かべる桃山に、やっぱりこいつはバカなんだと佐古は思った。でなければいくら弱みとなる写真を撮られているからと言って、端から脅迫者に降参したようなこんな態度を取るはずがない。人に毅然とした態度を取るだとか、面と向かって対決するだとか、そういうことが出来ない手合いなのだ。だからターゲットにしていたのだが。 こいつはたぶん、自分がどうして良いか分からないんだろう。茶を出して来たのも佐古をもてなす為というのではなく、単に何をすれば良いか分からず場を繋ごうとしての行動なのだ。その証拠に、佐古がコップの中身を飲み干したことで、桃山はあからさまにあたふたし始めた。 佐古はため息を付いて、こちらの方から声を掛けてやった。 「おまえ、なんでピンクになった?」 「な、なんでって……格好良いと思うからだし」 「そりゃあ格好良いだろ」 「人の役に立つし……困ってる弱い人を助けられるし」 「そりゃあ役に立つし、人を助けられるだろう」 「だ、だから、自分がそうなりたいって思って……。試験は、その、けっこう簡単で。筆記と実技あったけど、あたし勉強も運動も得意だし。面接とか……上手く答えられなかったけど、でも受かって。ピンクになって……」 「おれが聞きたいのはそういうことじゃねぇんだよぉ!」 佐古が吠えると、桃山は頭を抱えてその場でうずくまった。 「ごめんなさい、ごめんなさい」 「なんでその立派な戦隊ヒーローにおまえみたいな奴がなるのかっつってんの? 人の家を全焼させといて、家も母ちゃんも姉ちゃんも奪っておいて、どのツラ下げて正義のヒーローなんかになんの? おれに申し訳ないとか思わなかったの?」 「ごめん、ごめんね。ごめん……」 「おまえの所為でおれは未だに夜も寝られないんだよ! 目を閉じると火に囲まれて死にかけてたあの日のことを思い出すからさぁ! どう責任取ってくれるんだ? ええ? そんなもん一つしかねぇだろ! 昔から言ってるよな? おまえは一生おれの奴隷になるんだよ!」 小学三年生の頃、佐古は家が全焼し母親と姉を失う体験をした。 当時、佐古の家には、近所に住む幼馴染の桃山がしょっちゅう遊びに来ていた。佐古自身ともそれなりには仲が良かったが、それ以上に大きかったのは、二つ年上の佐古の姉に、桃山が懐いていたことだ。 その日も桃山は佐古の姉とダイニングの方で何か火を使った遊びをしていた。佐古の姉がどこかで手に入れて来たアロマキャンドルを焚いていたのだ。火遊びなのだから母親に見付かるとうるさいはずだったが、夜食の母親はその時間は寝室で眠っているところだった。 佐古はというと、アロマキャンドルには興味を持たず、子供部屋で一人テレビゲームに興じていた。 その時だった。 何をどうヘマをしたのかは分からないが、キャンドルの火が部屋のカーテンに燃え移った。ここですぐに母親を起こせば結果は異なっただろうが、姉はそれを自力で消そうとして、あろうことかカーテンを激しくはためかせるという最悪の消化方法を試みた。その結果炎はさらに大きく燃え上がり壁へ天井へと延焼し、佐古が気付いた頃には、古い一軒家はたちまち炎に囲まれていた。 桃山は事態をただ見守っていただけだった。姉が慌てて寝室に母を起こしに行った頃、佐古は異常を察してダイニングへと訪れていた。火に囲まれたダイニングで佐古が聞いたのは、全身を震わせながら床に座り込む桃山の、あの忌まわしく生涯に渡り佐古を苛むかん高い声だった。 『火事だーっ!』 それからというもの、その言葉は佐古のトラウマになった。 「おまえの所為で火事になったんだ! おまえが姉貴を止めなかった所為でな。……あれからおまえの声が耳から離れねぇんだよ。それを聞くたびあの日のことを思い出すんだよ」 何年振りかになるその責めを受けて、桃山は「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」とつぶやきながら、正座の姿勢で肩を震わせていた。その幼い様子は佐古と同じ十九歳にはとうてい見えなかった。 「おまえ、そのこと知っときながら、昔一回、おれに向かってそれを叫んでたよな? 胸糞が悪い」 「だってぇ……だってぇ」 桃山は両手を目の前にやってさめざめと泣き続けた。 中学時代、エスカレートした佐古の行為が、とうとう裸にした桃山に跨って挿入を行うという暴挙に行き着いた時、流石の桃山も全力で抵抗した。佐古がその言葉をトラウマとしていることを知りながら、大声で禁句を叫んだのだ。たちまち発狂した佐古がその場で頭を抱え始めた時、桃山は一糸まとわぬまま脱兎の如くその場を逃げ出した。 「あの時、おまえを襲った戦闘員がおれだということは分かっていなかったんだろう?」 桃山は泣きながらこくんと首を小さく縦に動かした。 「なのになんであんなことを叫んだんだよ」 「……気が付いたら叫んでた」 「だから、なんで?」 「怖かったの。男の人に馬乗りになられることが。あの時のことを思い出して……だから、気が付いたら叫んでた。まさか跨って来ているのがあなただなんて、思わなかった」 泣きじゃくり、肩を震わせる桃山は、嘆くかのような声で言った。 「なんでこんなことになるの? 苦しんでいる抵抗できない弱い人を守る為にディストピアーになったのに、なんでまたあなたが現れるの? あの時のあたしみたいな人を救いたかったのに、どうしてあたしが、あたしがまたこんなことに……」 「……おまえに正義の味方は無理ってことだろ?」 「違う! そんなことはない!」 「黙れ!」 佐古は立ち上がり桃山の前に立ちはだかった。桃山は一気に青ざめて佐古のことを見上げた。 「おまえは生涯おれの奴隷だ! ピンクとして洗い浚い知っていることをおれに吐くんだ! そしてそうだな……次の戦いではおれにわざとやられ、武器を奪われるんだ。おまえの持つディストピアー・アローを奪取することに成功すれば、ボーナスと出世が手に入るのさ!」 「だ、ダメ! そんなことは出来ない。武器には大量のオリハルコンが使われているし、ディストピアーの持つ技術は門外不出のもの。ディアボロ博士にそんなものを渡すわけにはいかないのっ」 「黙れ! おれが持っている画像をネットにばらまかれたいか! それがディストピアーのピンクだって情報を添えてばらまけば、さぞかし大勢の人間がそれを見て楽しむんだろうな?」 魔法の一言を口にすると、桃山は大きく肩を落として項垂れた。 「さっきも言ったが、おれを捕まえたり殺したりしたって無駄だぞ。毎日餌をやらないと画像や映像をネット上にばらまくプログラムを組んできたんだからな」 桃山はこくんと小さく首を縦に振った。何の苦労もなく篭絡することが出来た。当時と比べれば少しは賢くなり、度胸もついたかもしれないという佐古の危惧は、杞憂に住んだというところだった。 「さて……じゃあピンクとして知っている情報を洗いざらい吐いてもらうこと、そして次の戦いでおれに敗北し武器を奪われるのはもちろんとして……」 佐古は泣いている桃山の前に立ちはだかった。股間は既に、狭いジーンズの内部には収まりきらない程怒張している。 「久しぶりに楽しませてもらおうか。次また『火事だ』なんて叫んだら、ただじゃおかねぇぞ」 桃山は絶望の表情で佐古を見上げた。 〇 その日、戦闘員達はオリハルコン貯蔵庫を襲っていた。 日常業務の最中だった。国中に設置されたオリハルコン貯蔵庫は国家によって巧妙にその場所が隠されているが、ディアボロ博士はどういう手段を用いてはそこを特定して戦闘員を派遣する。出入り口の鉄板を持ち味である化学兵器で打ち破った後は、内部を警備する自衛隊員を縛り上げた後、オリハルコンを運び出しトラックの中に放り込んでいく。 「こ、こんなことをしていたら、今にディストピアーが来るぞ」 縛られた自衛隊員は苦渋の表情で戦闘員達を睨んだ。 「ふん。こんな僻地の貯蔵庫に、ノロマなディストピアーが間に合うものか!」 浜渕班長が頬に笑みを浮かべてそう宣言した。傍にいた柴田が「イーッ!」と追従するのに、佐古もまた「ヤーッ!」と続いた。 「それに、万が一のことがあっても、我々には怪人様がいらっしゃる。ディアボロ博士による改造手術を受けた、強力な怪人様だ」 「奥に控えている、おまえ達の今日の指揮官か? どうせ、またディストピアーにやられるんだろう!」 「黙れ!」 浜渕班長はそう言って自衛隊員を蹴りつけた。 「ディストピアー、ディストピアーというが、連中が貴様らに何をしてくれたというんだ? あいつらが貯蔵庫の中のオリハルコンを使わせないから、貴様らは日々貧しい暮らしを強いられているんじゃないのか?」 蹴りつけられた自衛隊員は痛みに顔をしかめたが、すぐに浜渕班長の顔を睨みなおした。 「班長殿! ディストピアーがやって来ます!」 いつもの斥候に向かっていた寺野が浜渕に報告した。 「何ぃっ!」 「今にこの貯蔵庫に入ってきます! ……ああっ!」 貯蔵庫の出入り口を見張っていた戦闘員達がたちまち蹴散らされ、カラフルな五人の戦士達が佐古達の前に姿を現した。 「朽ちた瓦礫にへばり付く赤き血潮、ディストピアー・レッド!」 「廃水流れ込む汚染されし青き海、ディストピアー・ブルー!」 「乾いた街に立ち込める黄色い粉塵、ディストピアー・イエロー!」 「崩れた建物を覆い尽くす緑の蔦、ディストピアー・グリーン!」 「踏み躙られ腐り行く一輪の桃色の花、ディストピアー・ピンク!」 五人の戦士はそれぞれの口上を述べ、最後には声を合わせてこう叫んだ。 「五人揃って、楽園戦隊・ディストピアー!」 格好良いポーズを取るディストピアー達の背後で、激しい爆発とともにもうもうとした粉塵が巻き起こった。 「ユートピア・カンパニーめ! オリハルコンは後世に残すべき大切な資源だ。貴様らで独り占めにすることは、断じて許さん!」 レッドの叫びに呼応して、ディストピアーの五人は戦闘員達に襲い掛かって来た。 怪物へと変身する能力を持つ指揮官クラスは貯蔵庫の奥に控えている為、まずは佐古達戦闘員がディストピアーの相手をすることになる。いつもの流れなら佐古達は一方的に蹴散らされ、ディストピアーが華麗な戦闘アクションを披露する当て馬となるしかないのだが、その日は違った。 「イーッ!」 叫びながら、佐古は一目散にピンクへと襲い掛かった。いつもなら浜渕にどやされるまで安全な背後でうろうろしていることの多い佐古のその威勢に、班員たちは皆いぶかしげな表情を浮かべている。 ピンクはディストピアー・アローを構えて雑魚戦闘員の佐古を迎撃しようとするが、普段と比べると矢を構えるのが格段に遅い。得意の飛び蹴りが間に合いピンクはその場であっけなく尻餅を着き、そこに馬乗りになった佐古がピンクの顔面に繰り返しパンチをお見舞いした。 「イーッ! ヤーッヤーッヤーッヤーッ! イィーッ!」 うめき声をあげるピンク。戦闘不能になるまで佐古はピンクの顔面を殴打し続けようとする。もちろんそんなことを他のディストピアーが許す訳もなく、ブルーとグリーンがピンクを助けるべく駆け寄って来るが、そこで声をあげたのは直接の上司である浜渕だった。 「さ、佐古を守れ! ブルーとグリーンを押しとどめるんだ!」 「イーッ!」 「ヤーッ!」 寺野と柴田がそれぞれ体を張ってブルーとグリーンの前に立ちはだかり、佐古がピンクを倒す時間を稼いだ。柴田はグリーンのディストピアー・アックスの威力を前に、一撃で肩を切り裂かれ戦闘不能になったが、寺野はブルーのディストピアー・クロウをぎりぎりで回避しながら銃で反撃する隙を伺っている。 柴田を倒したグリーンが駆け付ける前に、佐古の拳がピンクの鼻先にクリーン・ヒットした。火花が散ったような感触の後ピンクの全身から力が抜ける。戦闘不能になったのを見て取って、佐古はピンクが握りしめていたディストピアー・アローを素早くつかみ取る。 「班長! 手に入れました!」 「でかした! 早く怪人様のところへ持っていけ!」 浜渕はグリーンの前に立ち、佐古が逃げる時間を稼ごうとする。グリーンのディストピアー・アックスが浜渕に命中するのを尻目にしながら、佐古は怪人クラスの指揮官の元へと全力疾走を始めた。 〇 「やるじゃないか佐古。見直したぞ!」 救護施設の外に出る時、浜渕が佐古の肩を強く叩いた。. 「こないだの俺の説教が効いたと見えるな。率先して.戦いを挑み、武器を奪い取るとは特別に褒めてやる.」 その日もユートピア・カンパニーはディストピアーに敗北を喫したものの、浜渕班の四人は全員が軽傷だった。救護施設ではそれぞれ手当を受けた後、『ベッドが足らない』という理由で自宅療養を言い渡されたのだ。 帰りに飲みにでも行こう、ということになり、班の四人は近所の居酒屋へと向かっていた。 浜渕以外は未成年だが、戦闘員は皆入社初日に激しいアルハラを受ける為、酒には慣れさせられていた。佐古はというと中学の時から飲酒に慣れており、酒の席ではもっぱら悪酔いをして後輩に酒を飲ませる立場である。 「おい柴田ぁっ! おまえ、もっと飲めよっ! おれが手柄を立てたんだぞぉ!」 そう言って肩を抱いてグラスを握らせる。柴田は辟易した表情で寺野に助けを求める視線を送った。 「まあまあ。柴田はまだ未成年じゃないの」 「おれ達だってそうだろうがよぉ。悪の組織が、チャチな法律なんか気にしてられるかよぉ」 「悪酔いし過ぎだよ。それに手柄の喜びは同期の僕と共有しようじゃないか。ほら、柴田、おまえはコーラでも飲んでろ」 そう言って寺野は佐古のグラスに酒を注いだ。 「今回の手柄で、佐古さんだけじゃなく、浜渕班長もボーナスを受け取るんスよね」 柴田がうらやまし気な表情で浜渕を見詰めた。 「ん? まあな。中心となったのは佐古の活躍だが、班として連携して得た手柄でもある。的確に指示を出したおれもまた、ボーナスを受け取ることが出来るという訳だ」 ああん? 佐古は思わず声を出しそうになった。どう考えたってよぉ、おれ一人の貢献じゃあないかよ? 「隊長クラスへの昇進試験は、筆記と実技のみならず、これまでの実績が考慮されるからな。特にディストピアー戦での戦果は極めて高く評価される。これでますます合格が確実になったという訳だ。……今回ばかりは感謝するぞ、佐古」 「佐古さんも、戦闘はやっぱすごいんスよね。おれも、ちょっとは見習った方が良い気がして来ました」 そして微かにだが見直したような視線を柴田はこちらに向けて来る。佐古は鷹揚な様子で「おう」と言って見せ、自分では渋いつもりの動作でグラスを傾けた。 宴もたけなわとなり佐古は泥酔状態で居酒屋を出た。そして自宅である安アパートに向かうことなく、桃山の家を訪れた。 「おーう桃山ぁ。いるかぁ?」 次に立てる手柄の為、新たなる命令を桃山に下しに来たのである。佐古を自宅へ招き入れた桃山は、明らかに落ち込んでいる様子でその場で膝を抱えていた。 「テンション低いなぁ。おおー?」 「だってぇ、だってぇ……」 桃山は膝の中に顔をうずめてめそめそとした様子だった。 「あたし……ディストピアーなのに……。ただの戦闘員に負けたばかりか、武器まで奪われたことになって……」 「『ことになった』じゃねぇだろぉ? 実際に奪われたんだよぉ。この佐古戦闘員様になぁ」 そう言って佐古は桃山の服を脱がしにかかる。桃山は最早、されるがままだった。 抵抗の術なく体を奪われた桃山は、ベッドでぐったりとして虚ろな表情を浮かべている。ズボンをはきなおした佐古は、ベッドの淵に腰を掛け満足感に浸っていた。この時さらなる弱味を握る為に、改めて桃山の痴態を撮影し、その中で自身がディストピアー・ピンクであることを証言させたことは言うまでもない。 「おい奴隷ピンク! 今度の作戦を発表するぞぉ! 次の戦闘では流れ弾を装って、グリーンをディストピアー・アローで狙撃しろ! そして負傷したところを、このおれがとどめを刺すという訳だ」 「そ、そんな……」 「オリハルコンがあればおまえらの武器は何度でも作り直せるということだが、毎回ピンクばかりから武器を奪っていたんじゃあ怪しまれるからな! 次はグリーンを倒して手柄を立てるのだ」 「そ、そんなことしたら。グリーンが可哀そうだよ」 「何も命を奪う訳じゃない。ほんの少し戦闘不能になってもらうだけだ」 「だからって……」 「黙れぇえい! 立場をわきまえろ! おまえは既にこのユートピアカンパニーの戦闘員、佐古に隷属する立場にあるのだっ! よって自身を正義の味方などと思わず、おれに奉仕することだけを考えるのだ」 「い、いくらなんでも。そんなことに手を貸すくらいなら……くらいなら」 「くらいなら、なんだよ? 写真や動画をばらまかれても良いっていうのか?」 「そ……それは……」 「本当に拒否するのなら、今ここでおれを捕まえるなり殺すなりしろよ? ディストピアーだから簡単だろう? さあやってみろ。もっともそんなことをしたら、おまえの痴態を撮影したデータは世界中に流れることになるけどな」 「うぅ。ううぅ……」 「さあはっきり言いやがれ奴隷女が! おれの言うことを聞くのか? 聞かないのか?」 恫喝すると、ピンクは肩を震わせながら首を縦に振った。 「わかりました……いう通りにします」 「最初からそう言えば良いんだよ。カスが」 佐古は軽蔑すら感じてそう言い捨てた。そして桃山の家を出て、自宅へ戻る為タクシーに乗り込んだ。 流れる景色を見詰めながら、これから自分が破竹の如く手柄を立て続けることを考える。ボ.ーナスが何度も出て、柴田からは尊敬され、浜渕に褒められ、寺野も今までのように余裕ぶってはいられなくなるだろう。そして班内での地位は逆転し、班長の座が開いた暁には、このおれこそがそこに腰を下ろすこととなるのだ。 「ふ……ふふっ。アハハハ。アーッハッハッハ!」 その声に、タクシーの運転手は怪訝な表情で振り向いた。それでも、佐古の高笑いは止まることを知らなかった。 〇 3 〇 佐古の人生にとっては極めて珍しいことに、物事は目論見通りに進行した。 ピンクが放つ『流れ弾』が膝に被弾したグリーンを、佐古は馬乗りになって滅多打ちにし戦闘不能に陥らせた。ただちに救出に訪れたレッドとの交戦には敗北したものの、グリーンを倒したことは功績と見なされた。 何度も誤射があっては流石に怪しまれる。次回の戦闘においては重要な場面で邪魔な場所に矢を放たせることによって、被弾させないまでも動きを制限する作戦に出た。味方からの想定外の矢が目の前スレスレを飛んで来たディストピアー達は、一瞬ながら動きを停止させることとなり、その隙を突いて飛び掛かった佐古に戦果を挙げさせることとなった。 この作戦の良いところは表面上完全なる佐古の勝利に見える点だった。ピンクの矢が命中した後に佐古にやられたのでは、どうしてもラッキーな印象を周囲に与えることになってしまう。しかしこの作戦の場合は実際には矢は目の前をかすめただけで命中こそしていない為、現場を良く観察していない者にとっては、佐古が単独でディストピアーの一角を攻め落としたように見えてしまうのだ。 グリーン、イエローと続けざまに戦闘不能に陥らせ、レッドにも手傷を負わせることに成功した。中でもグリーンとイエローに関しては数週間に渡って出撃不能に陥らせた。佐古は繰り返しのボーナスを受け取った。そうして得た金を用いて佐古はスクーターを新調し、残りの金は競馬やパチンコを大いに楽しんで散財した。 「おい佐古。どうしたんだ最近のおまえは。絶好調じゃないか。一部は班長の俺の功績にもなるから大歓迎なんだけどさ。だけどこんなに大活躍をされたらさ、上の方も次の人事について考え直さなきゃいけないかも、なんて言い出すんだよな。そりゃ」 飲みの席で浜渕のこの発言が飛び出した時には、寺野も流石に笑ってはいなかった。柴田は時たま怪訝な顔をしつつも、佐古の実力を認めるような態度を随所に見せるようになった。 佐古の活躍によりディストピアーは五人のうちの二人を出撃不能に陥らされており、それに伴い彼らとの戦闘も有利になっていた。それでも勝利し全滅させるに至らないのは、ディストピアーの背後にある巨大な科学力に加え、正義の信念を掲げ戦う彼らの強さ故だった。 〇 夢を見る。 佐古は小学校の校舎の中にいた。男子トイレの便器の中に放り込まれているのは桃山のハンカチで、それは滅多に家に帰らないという父親が、海外で売られていたものを土産に買って帰ったものだった。 夢というよりそれは過去の出来事の反芻だった。誰かいじめっ子に放り込まれたハンカチを発見した佐古が、とりあえず桃山にそのことを伝える為に連れて来たという場面だった。トロくて臆病な桃山はやはり小学生時代からいじめられていたし、家が燃える前の佐古はそんな彼女に対して同情的だった。 桃山は泣いていた。いじめの中でもこの行為はかなり酷かった。悪臭を放つ便器の奥でぐしょぐしょに濡れているハンカチの様子は、桃山に日ごろ向けられている陰湿な悪意をこれ以上なく表現するものだった。 佐古はどうにかして桃山を泣き止ませようと思った。しかし当時から頭が悪かった佐古には気の利いた言葉は思いつかなかった。そこで佐古は便器の中にあるハンカチを素手で拾い上げ、桃山の方に差し出した。 この行為には桃山は面食らっていた。佐古としては、便器の中にハンカチを放り込まれているのが良くないのだから、とにかくそれをサルページしてしまえば原因は取り除かれると考えたのだ。 「汚いよ」 その通りでそれは汚かった。掃除道具入れを漁ればゴム手袋の一つも見付かっただろうが、当時から頭が悪かった佐古にはその程度のことも思い至らなかったのだ。 「じゃあ洗えよ」 ぶっきらぼうに言った佐古から桃山はハンカチを受け取った。そして言われた通り洗面台に向かう桃山を、男子トイレに様子を見に来たいじめっ子たちが一斉にはやし立てた。 「本当に洗ってやがる。汚ねぇーっ! 捨てれば良いのに」 佐古はそいつらに飛び掛かって行った。当時から佐古は体が大きく力も強く、何よりも誰かを殴ったり蹴ったりすることに躊躇しなかった。とは言え相手もまたいじめっ子でありリーダー格は佐古と同等の体格を有していたし、何より人数で劣っていた為に単騎の佐古はあっけなく敗北を喫した。 複数の少年たちに取り囲まれ、佐古はその場でボコボコにされ続ける。 あの頃はどうしてあんなにも躊躇なく、多人数を相手に殴り掛かっていけたのだろうか? 度胸があったとか、増して正義感とかそういうことでもないだろう。相手を殴ったり蹴ったりすることに躊躇しないのと同程度には、相手から殴られたり蹴られたりすることを何とも思わなかったのではないだろうか? それがいつの日か佐古は色んなことについて保身を考えるようになっていて、戦闘員になった今ではピンクこと桃山の存在なくしては、ディストピアーに立ち向かうことが出来なくなっている。 佐古は過去の中にいた。夢の中にいた。 夢の中で、佐古は悪童たちから足蹴にされ続ける。殴られ続ける。桃山の悲鳴と制止の声が響くが、悪童たちは躊躇をしない。 最早どこが痛いのかも分からない程殴られ何が苦しいのかも分からない程悶えている。本来なら所詮子供のいじめっ子のやることだからたかが知れているはずだったが、それは夢でありその責め苦は想像を絶していて、体中の骨という骨がへし折れて裂けた皮膚から夥しい血液が流れ出てしまっている。 佐古は絶叫を挙げた。そして思った。 ちくしょう。こんなにも苦しいのなら、桃山なんかの為に怒って殴り掛かるんじゃなかったぜ。 〇 目を覚ます。 汗だくだった。 そしてその汗を桃山がぬぐっていた。どうやらここは桃山の自宅にいるらしく、酒に酔った佐古がホテル代わりに桃山の家に突入し、主人のベッドで爆睡に至った末の出来事だった。哀れにも床で寝ることになった桃山は悪夢に悶え絶叫する佐古に気付いては、ハンカチを用いて佐古の汗を拭いながらおろおろとした態度を見せているのだった。 目を覚ました佐古に桃山はほっとした様子を浮かべた。 「よ、良かった起きて。うなされてたよ」 佐古は桃山が手にしている、何か海外の観光地らしきものが描かれたハンカチを目にし、怒声を発した。 「おいおまえそれ! トイレに放り込まれてた奴だろうが!」 桃山はすくみ上って佐古は一歩分後退った。 「なんで捨ててねぇんだきったねぇなあ! それをこのおれを拭くのに使うとは良い度胸だ!」 「ご、ごめんなさい」 「気持ち悪い。つか拭くなよ、おれの汗なんか」 「な、なんで?」 「おれはおまえの脅迫者だろうが?」 「そうだけど」 「じゃあなんで汗なんか拭いてやるんだよ! バカたれが!」 桃山は肩を震わせながら指先をこすり合わせ、言い訳する子供のような口調で言う。 「だって苦しそうだったし……」 佐古はため息を吐いた。この行為が、決して桃山が本当は佐古に好意を持っていて、思いやりの元でしたことでないことは分かっている。ようするにこの女はバカなのであり、相手が脅迫者だろうが憎い敵だろうが何だろうが、悪夢に悶えているのなら汗くらい拭いてやろうと無邪気に考える、善性とも言えない愚かしさを有しているだけのことなのだ。 「おれ、今日も出勤だから」 佐古は丁寧にも机の上に置かれた自身の出勤用のカバンを手に取り、玄関へ向かった。 「あ、うん。あたしも出勤」 「ディストピアーの訓練か?」 「うん。そう」 「おまえ職場で大丈夫なの?」 「大丈夫って?」 「おれの指図の所為だけど、ミス続きってことになってるだろ?」 「確かに、ちょっとまずいんだよね。毎日、最近どうしたんだって問いただされるし。あ、いや、もちろん何も答えてないよ? 佐古くんにそうしろって言われてるし……」 「なら良いんだけどよ……」 無事に班長への出世が叶ったら、そこが潮時と考えるべきかもしれない。すべてが敵にバレてしまったら二度と同じ手を使えなくなるし、味方にバレてしまったらどうしてピンクとの繋がりを組織に伝えなかったのかと詰められるのは間違いない。 「じゃ、おれが先行くから。おまえはちょっとしてから出かけろよ」 「分かった」 戦隊のピンクと敵組織の雑魚戦闘員は、念のため時間を少しズラして、同じアパートからそれぞれの職場へと出勤した。 〇 ユートピア・カンパニーの支部は全国各所に存在する。一般企業に扮したそれらの一つに、いつも通りに出勤した佐古に、支部のトップであるティシュリーが声を掛けた。 「おはようございます佐古戦闘員。今日は良い天気ですね」 ティシュリーは戦闘員階級にはまずいない女性の結社員であり、その外見はどう見ても十代の半ばほどにしか見えなかった。長い栗色の髪に色素の薄い大きなたれ目に小ぶりだが高く尖った鼻、華奢で小柄な身体というその風体は、アイドル的というよりは幻想の世界から現出して来たように見える。古株の結社員によると十数年は前から変わらずにこの容姿であるというから、普段ディストピアー達と激戦を繰り広げては倒されていく怪人達と同様に、人間とは異なる存在なのだと考えられていた。 「おはようございます、支部長殿」 佐古は大きな声で挨拶を返した。幹部階級のティシュリーに対し、失礼があってはならない。班長浜渕のその上の、隊長岡崎のそのまた上の、怪人階級のそのまた二つ上の地位に属する、やんごとなき支部長こそはティシュリーであった。 「最近のあなたの活躍には目覚ましいものがあります」 ティシュリーは鈴を鳴らすような声を発して、天使のように微笑んだ。 「あなたの活躍により、ディストピアーのイエローとグリーンの二人は今も戦闘不能状態にあります。怪人階級の結社員の中にも、これほどの功績を挙げられたものは少数に留まり、戦闘員としては空前の評価があなたには与えられています」 「いやぁ、まあ、大したことじゃないんすけどね」 佐古は思わず鼻の下を伸ばしてそう言った。カンパニー全体で見ても指折りの有力者である支部長のティシュリーに直々に賞賛を受け、佐古は得意になっていた。 「しかし同様、あなたの活躍をいぶかしむ声もあります」 天使の笑顔のままティシュリーは同じトーンで言った。 「まっとうな手段で挙げた功績ではない……功績に見合った実力や態度が見受けられない……そのような分析もあります。わたしもその通りだと思います。あなたはただの自堕落な三下で、それ故に社会からドロップアウトして戦闘員に身をやつしている。その程度の存在です。模擬戦闘の成績も良い方ではありますが、それだけのことです」 「なっ……」 何を抜かすんだこのクソガキがっ! そんな怒声が口を突きかけるが、すんでのところで佐古は堪えた。目の前にいるのはミドルティーンの少女にしか見えずとも、実際にはどんな力を持っているか底の知れない怪物で、また支部長というのは雲の上の上司でもあるのだ。 「しかし功績は功績。見合ったポストを与えない訳にはいかない。隊長クラスは愚か班長クラスにも相応しくないあなたですが、功績だけはこの第三支部全体を凌駕するものですから」 「しゅ、出世ですか」 「ええ。喜んでください」 佐古の心の中に喜びと不安が広がった。出世できるのは目論見通りでそれは嬉しいのだが、ティシュリーの態度がそれに相応しくない。 「こちらにどうぞ」 ティシュリーはにっこりと花が咲くように笑って、佐古に手招きをしながら歩き始めた。 「あなたに力と地位を差し上げます」 案内されたのは支部内の研究施設だった。本来なら、佐古のような下っ端では入ることも許されない場所だった。白いコンクリートに取り囲まれた清潔な空間の中央に、複数の繊細で鋭利なアームに取り囲まれた、手術台のような設備が備わっている。人体実験、或いは人体改造という言葉が佐古の脳裏を過る。白衣を着た科学班のインテリ共が、その周辺で何やら立ち働いている。 激しく嫌な予感がした。 さらにその部屋の壁には巨大なモニターが取り付けられていた。ティシュリーはそこを手で指して、暖かに見えるが実際には何の感情もこもらない笑顔で佐古に言った。 「総統殿が映し出されます。謹んでご覧ください」 画面いっぱいに一人の人物が浮かび上がった。 銀色の仮面を付けた黒衣の人物だった。黒衣はローブのように人物の頭部も覆っていて、上方も体格も良く分からない。仮面の隙間から伺い知れる目元からは、比較的年嵩であることが皺の様子から伺える程度だった。仮面も黒衣も、正体を隠すために着用しているのだと佐古は感じた。 「俺はディアボロ博士だよ」 その声で、佐古は初めてその人物が男であり、自分の所属する組織のトップであることを理解した。 「せ、戦闘員佐古でございます」 「それは結構なこった。何でも、ティシュリーちゃんの第三支部にやけに功績をあげる下っ端がおる聞いてな。そのままヒラにしとくんは他の戦闘員のモチベーションにも関わるいうことで、ティシュリーちゃんとっての希望で、おまえを怪人階級へ出世させることになった訳や」 「か、怪人階級、ですか」 佐古の額を汗が伝い落ちる。怪人階級と言えば班長のそのまた上の隊長のその上だ。浜渕のことなどはるかに見下せる地位であるが、段階を踏まずにいきなりそこに到達するのはどういう訳だ? 「おれは……自分は怪人になるんですか?」 「まあそんな緊張する必要はない。怪人になるには改造手術っちゅうもんが必要になるが、それは遠隔操作でこの俺がバッチリやったるから安心しろ。地獄みたいに苦しむのは途中までで、そこからは何にも感じんようになる」 鼻が絡んだような声で気さくに喋る。佐古は子供の頃法事や正月の度に会う親戚のオヤジの一人を思い出していた。しょうもない下ネタやくだらないジョークを飛ばして場を白けさせるが、小遣いやお年玉はちゃんとくれるし、幼い頃は面白いオジサンだとそう感じていた……。 「早速手術を始めるでな。ほなさっさぁ座ってちょうだい」 ティシュリーが静かに佐古の手を引いて、手術台のような装置に座らせる。 佐古はされるがままだ。たちまち、手術台の左右からベルトのようなものが飛び出して、佐古の全身を拘束するかのように巻き付いて行く。 装置を取り囲む金属のアームが動き出し、その内の一つが佐古の身体に突き刺さる。 そう、突き刺さったのだ。皮膚を破り肉を裂き体の奥底まで食い込んだアームの先端が、佐古に焼けるような激しい痛みを齎した。 思わぬことに、佐古は絶叫を上げる。アームは佐古の身体に食い込んだまま無慈悲に稼働し続け、佐古の腹を切り開き内部を露出させる。膨大な血液が滴るそこに新たなアームが迫り、偉く繊細な動きで佐古の内部を摘まみ上げたり、切り裂いたり、刺し貫いて何かを注入したりし始める。 「なあ佐古戦闘員。おまえに見えとるのは今と自分だけやろ?」 激しい痛みと恐怖の中で、佐古はディアボロ博士の声を聴く。 「俺らユートピアカンパニーの理念に共感しとる訳やないし、オリハルコンを独占して自分達だけ裕福に過ごすことに興味もない。ただ今日や明日生活が成り立って生きていければ、それで良いっちゅう性質や」 一本のアームが佐古の内臓の周辺をくり抜くと、別のアームが内臓自体を貫いて持ち上げる。自分の身体から何か取り返しのつかないものが摘出されるその光景に、佐古は本能的な恐怖を感じる。 「今の臓器は取り出してもそんなに痛くないから簡便してちょうだい。おまえみたいな奴こそ怪人にするのが手っ取り早いんや。とにかく戦場に放り込めば生きるために必死で戦うからな」 鋭利なアームが佐古の表面を這うようにして稼働する。全身の皮膚が剥ぎ取られて行く。とっくに意識を失ってもおかしくないはずなのに、佐古は酩酊の中でディアボロ博士の声を聞き続けている。 「でもな。俺達の戦いは絶対に必要なことなんや。限られたもの、足りないものを分け合うことは、絶対に不可能! 全員に行きわたる量がそもそもないなら、手に入る奴と手に入らない奴は絶対に区別される。俺は俺自身と、俺の可愛い部下達が手に入らない側にならないように、死力を持ってオリハルコンをかき集める! それは他でもない俺の親心なんや」 ティシュリーが佐古の視界の端で感銘を受けたように頷いている。 「ディストピアーやその背後にいる国や政府に、その現実が見えとらん訳やない。ただあいつらはあいつらのオリハルコンを俺らに渡したくないだけのこと。そこに譲れぬ戦いがある。望もうが望むまいが、事実としておまえは俺らの陣営にいる。俺らが勝利した暁には、おまえはオリハルコンを独占する側としてユートピアに行ける。せやからおまえはなぁ、ように戦えよ。改造手術によって生み出されし、『放火怪人:カジダス』としてな」 佐古の肌は、顔は、内臓は、最早佐古のものではなくなっている。 「それがおまえの為なんや怪人カジダス。さあ行くが良い俺らの未来の為に」 その声を聴き終える頃、佐古はようやく意識を失った。失うことが出来た。 〇 目を覚ますとティシュリーが柔らかな微笑みを浮かべて手術台の傍に立っていた。 「お疲れ様でした。怪人カジダス」 労りの言葉にはぬくもりが滲んでいる。しかしこの女は同じ微笑みで佐古をこの地獄の手術台の上に座らせたのだ。思わず睨んでしまいそうになったところで、佐古は自らの肉体が人間のままであることに気が付いた。 四肢がある。薄橙の肌があり、爪があり、腕毛なんかも生えている。それどころか、昔喧嘩で負った傷や煙草の火を押し付けられた痕までも、手術を開始するまでと何ら変わりなく同じ状態を維持していた。 「姿が変わっていないことが疑問なのですか? 怪人カジダス」 ティシュリーが柔らかな声で尋ねた。 「それは当たり前です。あくまでもあなたは怪人カジダスとしての装甲を身にまとう能力を手に入れただけで、生身の人間部分は残してあるのです」 そうだった。佐古はこれまで怪人階級のモンスター達が、人間の姿から化け物へと変身するその瞬間を何度も目の当たりにして来たのだ。改造手術があまりにも衝撃的だった為そのことを失念していた。 「変身の方法や、変身後の力の使い方などは、これからの訓練でものにしていきましょう。簡単なの半日あればだいたい出来るはずです。ですが今夜は……」 ティシュリーは窓の方を見た。 「退勤してください。もう夜中です。わたしも随分残業しましたので、帰ります」 研究施設にはティシュリーと佐古しか残っていなかった。モニターにもディアボロ博士の姿はない。腕時計を確認すると、既に夜の十一時を回っていた。 佐古の改造手術は相当な長時間に及んで行われたらしい。ティシュリーと共に退勤した佐古は、スクーターに乗り込んで自宅へと帰り着く。 そして寝酒もせず風呂にも入らず、ベッドに転がって泥のように就寝した。 〇 電話が鳴る。 その日は休日のはずだった。改造手術のショックから一日中寝込んでいた佐古は、億劫な気持ちでスマートホンを取り上げた。桃山からだった。 「はい?」 「あ、あの。佐古くん。あたし、桃山だよ。今からいうところに来てほしいんだ。だ、大事な話があってさ。だから……」 「大事な話って?」 「電話だとしづらい話。ほら、あたしのスマホって傍受とか考えられるでしょう? 一応、その、アレだから。ピンクだから」 佐古は極めて面倒ながら、桃山のいうことに従った。 怪人階級となった佐古の今後の戦いにも、ピンクである桃山との連携は不可欠である。桃山に何かが起きたのなら、話を聞いて、然るべき対処をしなければならない。 指定されたのは開店前のカフェだった。 扉の鍵は開いていた。どうして開店前のカフェに入ることが出来るのか。何かディストピアーと縁のある場所なのかもしれない。佐古は警戒しながら店内を見まわし、テーブルに腰掛ける桃山の姿を見つけた。 見知らぬ男が隣に座っていた。 長身痩躯で涼し気な顔をした若い男である。切れ長の瞳は精悍で色は白く、やや少し神経質そうな印象も受ける。短く切りそろえられた髪は清潔に纏められていて、身なりも良くどこかインテリ然とした印象があった。 男は佐古の来店を認めると静かにこちらに歩み寄り、胸倉をつかんで壁に押し当てた。 「……知っているプログラム言語を五つ挙げてみろ」 低い声だった。佐古は顔をしかめつつも、精一杯すごんだ声で応じた。 「なんだてめぇ? いきなりなんだよ」 「おまえ、定期的に餌をやらないと桃山の写真をネット上に放出するプログラムを組んでいるんだってな。おまえにそんなものが組めるというのなら、知っているプログラム言語を五つ挙げてみろ」 佐古は衝撃を受けて桃山の方を見た。桃山は肩を縮めてテーブルに視線を落とし俯いている。悪さを悟られた子供のようなその表情に、佐古は怒鳴り声を発した。 「おまえ! 話したのか!」 桃山は肩を震わせる。 「ご、ごめんなさい」 「良くそんなことをしてくれたな! きっとおまえの写真を世界中にばらまいて……」 「黙れ!」 男は佐古を壁に強く叩きつける。 「そうだとも桃山を問い詰めたんだ。どう考えても最近の彼女はおかしい。そしたらおまえという脅迫者にいいように操られていると白状した。そこで、僕が直々に話をつけてやろうと呼び出させたのさ」 「そういうおまえは何者だ?」 「おまえの良く知っている者だよ」 男は佐古から手を放してポーズを取ると、たちまちその前身が光に包まれる。そして男のいう通り、佐古の見知った姿がそこに顕現した。 「廃水混ざる汚染されし青き海、ディストピアー・ブルー!」 「……ブルーか」 光沢ある青いユニフォームに全身を包んだその姿は、幾度となく戦場で相まみえていたディストピアー・ブルーである。ブルーは懐から武器であるディストピアー・クロウを取り出すと、それを佐古の首元に突き付けた。 「正直に話せば命だけは助けてやる。そんなプログラムが組まれているというのは、嘘だな?」 「う、嘘じゃない」 「だったら知っているプログラム言語を五つ挙げてみろ! 俺もそこまで詳しい訳じゃないが、それしきのことは簡単に分かる」 ブルーの迫力はすさまじく佐古に対する殺意すら感じられた。桃山ことピンクの援護も受けずに、ディストピアーの一角と対峙することに恐怖を覚える。 「た、確かにおれがプログラムを組んだ訳じゃない。友達に頼んだんだ!」 佐古は口から出まかせを言ったがブルーは鼻で笑った。 「おまえにそんなことが出来る友達とやらがいるとは思えん。その友達の名前を言ってみろ。スマホを出してどの番号がその友達のものかも言ってみろ。そして僕達の前で電話をかけてもらう。第一声は『前に組んでもらったプログラムについて聞きたいんだが』だ。その時の反応で、嘘が分かる」 そんなことをさせられたら簡単に嘘がバレてしまう。出来るのは精々、この時間にかけても出られないだろう人物に電話を掛け、時間を稼ぐくらいのことだ。 「僕達は正義の味方だから、戦闘員如きの命は取らない。この場でピンクを安心させてもらえるなら生命は保証するし、これまでに捕獲した無数の戦闘員同様の待遇を保証しよう。更生施設で社会奉仕活動を……」 そんな窮屈な暮らしはまっぴらだった。従来の雑魚戦闘員としての佐古ならば、完全な窮地と言って良かったが、しかし佐古には切り札がある。 体の奥底に眠る力を意識してみる。 自分にはそれが出来ると言い聞かせてみる。 変身して戦う訓練は、半日もあれば習熟出来るとティシュリーは言っていた。つまりそれはそう難しい技術ではないということだ。ぶっつけ本番でどこまで通用するかは分からなかったが、しかし相手は一人だけ。試してみる価値はあるはずだった。 「うおおおおおっ!」 突如として咆哮をあげる佐古にブルーは訝し気な顔をする。佐古は体の奥深くにある強い熱量を意識した。ぎゅうぎゅうに押し込まれているその熱を、体全体に広げることを意識した。 パツンという音が佐古の身体の奥で鳴り響く。 全身が眩い光に包まれた。 ブルーが思わず身を引くと、そこに現れたのは佐古が変身した『放火怪人:カジダス』の姿だった。 両手足はチャッカマンのような銀色の筒になっていて、そこから自在に炎を吐くことが出来る。縦に長い長方形のような赤い体はライターをモチーフにしており、蓋を開けたライターのような首元からは、デフォルメされた炎のような形をした頭部が生えている。 「おまえ……怪人だったのか!」 ブルーは驚愕したような声を発した。 「燃えろ! 死ねぇ!」 放火怪人カジダスは両腕を突き出して火炎を放った。一度もやったことがないが自分がそれを出来ることは分かった。チャッカマンの先端のような銀色の筒状の腕から放たれる火炎は、ブルーの全身を焼き尽くして黒焦げにするはずだった。 しかしブルーは鮮やかな身のこなしで飛び上がり火炎を躱すと、空中で旋回してカジダスに向けてディストピアー・クロウを一閃した。 「ぐあああっ!」 切り裂かれたカジダスは思わず仰け反って火炎攻撃を停止させてしまう。ブルーはすぐに懐に潜り込むと、繰り返しディストピアー・クロウで追撃を浴びせて来た。 カジダスは火炎放射によって遠距離から攻撃する怪人である。よって懐に潜り込まれるとまともな攻撃手段を失ってしまう。ブルーは初見でそのことを見抜き、得意の接近戦でカジダスに勝利するつもりのようだ。 「どうした怪人め! 僕一人を相手に勝つことが出来ないのか!」 ブルーのいう通りだった。本来なら怪人階級の結社員は一人で五人のディストピアーを相手にせねばならないはずだった。それが出来なくてこれまでに多くの怪人たちが殉職していった訳だが、だとしても一対一でこうも手も足も出ないのは、やはりカジダスが成りたての怪人であり、その力を生かす訓練を施されていないからだろうと思われた。 「おまえのような奴がいるからいけないんだ……。おまえのような心の歪んだ悪党が!」 ブルーは激しい怒りをディストピアー・クロウに乗せてカジダスの全身を切り裂く。 「確かに桃山は過ちを犯した。おまえの脅しに屈して味方の足を引っ張った。イエローとグリーンは負傷し復帰の目途もたっていない。正義の戦士たるディストピアーとして決して許されないことだ」 ディストピアー・クロウの斬撃は鋭く、カジダスの身体はズタズタに切り裂かれ続けている。 「しかし人には誰しも弱いところがある。完璧な人間などどこにもいない。おまえのような、心底卑劣な悪党に支配され、望まずして正しくないことをしてしまう可能性は、きっと誰にでもあるんだよ!」 まさにヒーロー的な綺麗事だと、カジダスは思った。それはくだらない考えであり、カジダスに言わせれば人は全員がクズだった。いち早くそこに正直になった者が得をするし、そうでない人間が食い物にされるだけの話に思えた。 「だから! おまえのような存在は許されないんだ! 桃山だって無辜の人々を守る為本当に努力していた。だがそれは踏みにじられ台無しにされた! 桃山の心に戦士としての誇りが戻ることは二度とないだろう。ディストピアーだってやめてしまうかもしれない。そのすべてがおまえの所為なのだ! 罪を償え!」 ブルーは散々ディストピアー・クロウの斬撃を浴びせた後に、蹴りを放ってカジダスの身体をその場から吹っ飛ばした。床を転がったカジダスは満身創痍であり最早勝敗は決しているように思えた。 「怪人とあらば収容所に送る訳にもいかないな。気の毒だが、ここでトドメを刺してくれる」 「殺すの?」 桃山が立ち上がって、震えた声でブルーに問いかける。 「その人を殺したりしたら、あたしの写真が」 「それは嘘だから安心しろ」 「でも……やめて。今はまだ殺さないで……。お願いだから」 桃山は確信を持てない様子だった。そんな桃山を今すぐ説得することはせず、ブルーは冷酷な足取りでカジダスに近寄り、ディストピアー・クロウをそっと近づける。 「ほ、本当におれを殺して良いのか? そいつのいう通り、おれを殺したら写真や動画が……」 カジダスは見苦しくも悪あがきを口にした。 「おい桃山! なんとかしろ! おまえが何とかするんだよ! でなきゃ世界中におまえの痴態が拡散されるぞ!」 「くどい。そんな話が今更通用する訳ないだろう」 その通りだった。 「死ね、怪人」 ブルーが宣告した。その時だった。 青いスーツの腹部から何か尖ったものが生えて来て、周囲に赤い血を滲ませた。 ブルーは信じられないものを見たように腹から生えた一本の矢を見詰める。 カジダスはブルーの背後を見た。そこには変身したピンクがいてディストピアー・アローを構えていた。ピンクの放った矢がブルーを刺し貫いたことは明らかであり、カジダスも、そしてブルーもいったいどうしてそんなことが起きたのか信じられなかった。 「ピンク……どうして」 ブルーはその場で崩れ落ちながらそう言った。 「だって……だってしょうがないでしょ。その人が、その人が死んじゃったら……」 ピンクは全身を震わせ、恐怖の滲む声を発した。 「その人が死んだら……世界中にあたしの写真が……。そんなことになったらあたしはもう終わりだよ。そう思ったら、気付けば体が動いていて……矢を射ってて……」 「おまえ……」 ブルーは心底からの軽蔑と嘆きを込めた声で言った。 「馬鹿だろ」 そのまま前に倒れこみ、血だまりの中に沈む。 へたり込んだピンクの変身が解けて、泣きじゃくる桃山の姿が現れる。 その姿は幼い頃玩具を取られて泣いていた、無力でトロいガキだった頃の桃山と、何ら変わりのないものにカジダスには見えた。 〇 4 〇 変身を解いた佐古はティシュリーに連絡を取った。 ピンクを捕獲したという知らせを聞いたティシュリーは、数多の戦闘員を引き連れて現場へ向かった。泣きじゃくるピンクは最早戦闘意欲を失っており、簡単に捕縛されユートピア・カンパニーの支部へと連行されて行った。 共に支部へと移動した佐古は、ピンク捕獲の経緯をティシュリーに話した。ピンクを脅していうことを聞かせていたことも含めてすべて正直に。どうせ尋問を受けた桃山がすべてを話してしまうことを考えれば、ここで自分から話してしまった方が良いだろうと考えたのだ。 「なるほど。そんなことだろうと思っていたのです」 ティシュリーはあくまでもたおやかな笑みを崩さないまま、賞賛するような調子で。 「お陰でブルーは戦闘不能となり、ピンクと共に捕縛できました。これらはすべてあなたの功績です」 「……褒めてもらえるんすか」 「ええ。わたし達は悪の組織を気取るつもりはありませんが、それでも手段を選ぶことは愚かだと考えています。ディアボロ博士もあなたのことを賞賛なさり、さらなる成果をあげる為のチャンスをくださるそうです」 「チャンス……ですか?」 「ええ。ピンクを拷問した結果ディストピアーの本拠地が割れました。本日中にそこを襲撃するので、カジダス、あなたをそこに送り込みます」 佐古は愕然とした気持ちになった。 「本日中って。く、訓練の時間はもらえないんすか?」 「善は急げ、というものです」 「でもおれはブルー一人にもズタズタにされかけて」 「はい。レッドはブルーより強く、またイエローやグリーンもそろそろ復帰している頃合いです。あなた一人を差し向けても彼らに勝利する確率は知れたものしょう」 「ならどうして送り込まれなきゃいけないんですか?」 「今すぐに使える怪人があなたしかいないから仕方ありません。あなたを送り込んで敵をかく乱しておけば、新たな怪人を育成する時間を稼ぐことが出来ます」 「それじゃただの捨て駒だ」 「そうなるかどうかはあなた次第です。あなたがディストピアーを全滅させ勝利するという可能性もないではありません。そうなれば善し、ならなかったとしても絶えず相手にプレッシャーをかけ続けることが肝要です。楽園戦隊ディストピアーとユートピア・カンパニーの戦いは、必ず毎週行われなければいけないことですからね」 そこまで言って、口を滑らせたことを恥じるかのように、ティシュリーは口元に手をやって小さく笑った。それは心臓を射抜かれる程愛嬌のある仕草だったが、佐古にとっては死の宣告と同様でありとても笑っていられるものではなかった。 「負けそうになったら精々自爆でもして、ディストピアーの一人くらい道連れにしてください。作戦は後程伝えますので、今は待機していてください」 逆らうことが出来ずに佐古はティシュリーの元を後にした。 これまでの戦いも命を賭けたものではあった。危ないところまで陥ったことも何度かあった。しかし今回の戦いはまるで負け戦を前提としたものであり危険度はこれまでの比ではない。佐古は怪人への出世が栄誉あるものではなく、ただ捨て駒として選ばれたに過ぎないことを悟っていた。 そんな時、向かいから見知った顔が歩み寄って来た。 「佐古か」 班長浜渕だった。思わず挨拶をしそうになり、すぐにその必要がないことを思い出した。 「タメ口かよ」 佐古は部下になった浜渕を睨んだ。 浜渕は一瞬眉をひそめたが、すぐに粛々とした様子になり、深く頭を下げた。 「失礼いたしました怪人殿。お許しください」 「まあ良いけどよ。おまえ、何してたんだよ」 「ピンクの世話係です。これからも拷問や尋問は続きますが、水や食事は届けなければならないということで」 「そうかよ。ピンクの武器やユニフォームはどうしたんだ?」 「科学班の連中に渡してあります。では怪人殿、自分はこれで失礼……」 浜渕は逃げるように佐古から歩き去っていく。散々偉そうにして来た報復を恐れたのだろう。 しかし佐古はそれどころではかった。なんとか生き延びる方法を考えなければならなかった。 ……一人では到底無理だろう。しかし、二人なら。 「待てよ、浜渕」 佐古はわずかな活路を見出して浜渕を呼び止めた。 「ピンクが閉じ込められている部屋まで案内しろ。今すぐにだ」 〇 そこは粗末な牢屋だった。むき出しのコンクリートの壁に囲われた空間は四畳にも達さない程で、中にあるのは黄ばんだ布団と黒ずんだ便器だけだ。全体からほのかに悪臭も放ち、鉄柵は酷く錆び付いていながらも、中にいる人間を絶対に逃さない。 その中に桃山はいた。かつての正義のヒーローの一角は、そんな最悪の牢獄の隅で膝を抱えている。土色の目と弛緩した表情は、かつてどんなに酷くこいつをいじめ追い込んだ時にも見られない、深く暗い絶望を讃えていた。 「桃山。逃げるぞ」 佐古が声を掛けると桃山は微かに視線だけをこちらに向けた。 「次にディストピアーと勝負する怪人におれが選ばれた。訓練もなしに、今日中に差し向けられる羽目になる。ブルーと戦った感触から言って、おれには万に一つの勝ち目もない。だからおまえと一緒にここから逃げる」 桃山は光沢を失った瞳で佐古をじっと見つめた。 「カギは持って来た。今すぐ開けてやる。だからさっさと立ちやがれ」 「どうして」 掠れた声。 「どうしてあたしを連れていくの?」 「あ? んなこと決まってるだろう?」 「決まってるって……ひょっとして佐古くんあたしのこと好きなの?」 佐古は思わず目を見開いた。 桃山は本気で疑ってそう尋ねているようだった。思いっきり呆れ、軽蔑した態度で突き放してやろうかと思った。実際佐古は桃山のことを好きではないし、母親と姉の仇として心から憎悪しているつもりだったから、そうすることは出来るはずだった。 しかし佐古は一瞬だけ動揺してしまった。その動揺を見て取った桃山は、口元で小さな、ほんの小さな笑みを浮かべる。冷笑しているようにも見えた。 佐古はその一瞬、桃山に上から見詰められているような心地を覚えた。佐古は無償に腹が立った。その怒りを振りかざすかのように佐古は桃山に吠えた。 「ふざけるな! 誰の所為で姉貴とお袋が死んだと思ってる? それでなくともおまえみたいな奴ガキの頃から大っ嫌いだ! トロくて弱くて、世界一自分本位のクズの癖、善良ぶって被害者みたいな顔してやがってよ。虫唾が走るぜ! だからいじめてやったんだよ! このクソオナホが!」 桃山は確かに傷ついたような表情を浮かべたが、しかし動揺することはなく冷静な表情のまま、落ち着いた口調で静かに言った。 「あたしもあなたが嫌い。昔は好きだったけど。たまに優しくてあたしの相手をしてくれる佐古くんのこと、昔は好きだったけど今は嫌い。たくさん、たくさん酷いことされたから。本当に本当に酷いことをされたから。どうしたって好きになれないし憎くて憎くてしょうがないけど、それでも一緒に逃げてくれるならあたしは佐古くんと一緒に逃げる」 桃山はふらりふらりと立ち上がって、佐古のいる鉄柵の傍まで歩み寄る。 「だってあたしもうどこにも行けないもん。ディストピアーになればあなたとの過去に決別できると思ってた。昔のあたしみたいな、理不尽に虐げられてる人たちを助けられると思ってた。それなのに、あたしは何にも変わっていなかったんだね。うんざりしちゃう」 そう言って桃山はやけっぱちのように笑う。 「ずっとあの時のままなんだ。過去も今も未来も永劫、あたしはずっとあの時のまま」 その言葉で佐古は溜飲を下げた。そして哀れな桃山に、彼女自身の正体を教えてやった。 「……おまえってさ。結局何も考えてないんだよな。ただ、その時その時、怖い思いをするのが嫌で、誰かの言われた通りにしているだけなんだよな。おれに脅されて好き放題されたのも、ブルーに詰められて全部話しちまったのもそうなんだよな。そして最後の最後には画像や動画をネットに曝されたくなさに、おれが怖いが為に、本気で心配してくれたブルーのことまで戦闘不能にしたんだ」 だがそんなのは佐古自身も同じだった。少しでも自分より腕力や立場が上の人には絶対に逆らわなかった。言われるがままに戦闘員として犯罪行為を繰り返し、怪人への改造手術まで受け入れた。自分より弱い相手にはどこまでも威張るし冷酷になれるが、その実自分が世界中の誰と比べてもほんの僅かでも強くなどないことを、心のどこかでは理解していた。 カギを開け桃山を檻の外に出すと、研究室からかっぱらってきた変身コスチュームと武器を桃山に渡した。 「今からこの基地を脱出する。少しは戦力になれよ」 「うん。頑張る」 「逃げるんだ。ディストピアーからも、ユートピアカンパニーからも。連中同士がどれだけ高尚な戦いをしていても、おれ達歯車には何の関係もない。だから組織の為に死地になんて向かえない。今この一時暮らせて食えて、生きていられることだけが、おれ達にとっては重要なんだ」 佐古と桃山は向かい合って頷きあった。 〇 「そんなことは分かっているんですよ、怪人カジダス」 鈴を鳴らすような声がして、佐古は思わず振り向いた。 ティシュリーがいた。たおやかな笑みには何の陰りもなく、桃山と共に基地を脱出しようとする佐古に対する、咎めのような感情は、表面上は伺えない。 「あなた達の裏切りは監視カメラにバッチリ映っていました。驚きも悲しみもしません。戦闘員などそんなものです。大義を理解せず協調性もない、矮小で自分本位な、無能共の集まりなのです」 ティシュリーはにこやかに言い捨てる。 「あなた達のような歯車というのは、どんな組織においても同じようなものなのでしょうね。わたし達がどれほど素晴らしい理想や目標を掲げ、共にユートピアへたどり着く未来を思い描こうが、あなた達はその日限りのちっぽけな楽しか考えていない。だからディストピアーにも負けるんですよ」 そんなティシュリーは周囲に複数の雑魚戦闘員が従えていた。その中には浜渕班長や寺野、柴田の姿もある。ピッチリしたタイツ状の衣装に包まれて表情は伺えないが、それぞれ佐古に対する軽蔑と憐憫を抱いているように感じられた。 「うるさい黙れ! 誰だって自分のこと以外どうだって良いだろうがよ!」 「ですからそんなことは分かっています。戦いを繰り広げる二つの組織の足元で、それぞれの下っ端二人がどれほど愚かでおぞましい交流を続けていたのか。そんなことにわたしは興味などありません。いちいちケアなどしてられないのです。ただ逆らう者には、裏切る者には、機械的に罰を与える。そうやって組織を成り立たせるだけなのです」 「やられてたまるか! おれ達は逃げる! この組織から! おまえ達のくだらない争いから!」 佐古は体の奥底にある怪人の力を開放した。 全身が熱を帯びその姿が変化する。真っ赤なライターのような胴体に、チャッカマンの筒のような銀色の手足。燃え盛る炎をモチーフに作られた頭部。佐古は放火怪人カジダスに変身した。 「……踏み躙られ腐り行く一輪の桃色の花、ディストピアー・ピンク!」 隣では桃山もまたコスチュームを身にまとい、ディストピアー・アローを手にしてピンクへと変身したようだ。 ポーズを決める怪人カジダスとディストピアー・ピンクを前に、ティシュリーは白い指先を突き付けて鉄のような笑みのまま言った。 「やっておしまい」 その声に呼応して、浜渕が、寺野が、柴田が、その他大勢の戦闘員達がカジダスとピンクに襲い掛かった。 カジダスは情け容赦なく手足から火炎放射攻撃を放ち戦闘員達を焼き捨てて行った。ピンクもまたディストピアー・アローで次々と戦闘員達を貫いていく。 彼らにもそれぞれの生活があり、暮らしや趣味や大事なものや、楽をしたい気持ちがあるのだろう。しかしティシュリーはそんなことにもちろん頓着せずに、彼らに突撃を命じる。カジダスとピンクもまた、冷酷に彼らを焼き捨て射抜き、次々と地に伏せて行くのだった。 「佐古ぉ! てめぇ! 良くも裏切りやがったな!」 浜渕が言いながらカジダスに飛び蹴りを放って来た。しかし鋼鉄のライターの身体は傷一つ付くことがない。 「どこまでも自分のことしか考えず人の足を引っ張る奴だよな! ピンクを脅して言うことを聞かせてたんなら、どうしてそれを上に報告しなかった? その普通の対応が出来ていたら、上だって何もおまえを怪人なんかにしなかっただろうがよ!」 その通りだった。カジダスに変身させられたのは、ディアボロ博士が佐古を使い捨てることに決めたからだ。どうやって戦果を挙げているのか疑問を持たれ、忠誠心を疑われ、だから鉄砲玉に選ばれた。それは自分の活躍や出世のことしか考えなかった佐古に対する報いだった。 「黙れ! おれはおまえなんかの下に付いていられなかったんだよ!」 カジダスは鉄筒で出来た腕を振るい、浜渕の身体を打ち据える。 「俺だって嫌だよおまえみたいな部下! でもしょうがないだろ上司だし部下なんだから! 誰もが嫌なことや気に入らないことがある中で、我慢して折り合い付けてやってるんだよ! 全員で協調してバランスを取り合って、秩序を作って、そうしてりゃその場所で手に入りうるちっぽけな幸せは共有できるだろうがよ!」 「いらねぇんだよそんな三流の説教!」 「説教じゃねぇよおまえには説教してやる価値もない。ずっとそうだよ昔から。ただ俺がスッキリしてぇから詰ってたし怒鳴ってるんだよ!」 「死ね! クソ上司!」 「黙れゴミ部下! 俺がおまえに感じてたストレスの方がおまえより何倍も上なんだからな! 何も俺とおまえのソリが特別合わない訳じゃないぞ? 誰が相手でもそんな関係しか築けないしょうもない人間がおまえってことなんだよ!」 カジダスは鉄筒の先端を浜渕に押し当てて直接火炎放射を食らわせた。戦闘不能に陥らせる為ではなく、苦しみの中で焼け死にさせてやる為だった。 「班長を放せ!」 寺野がカジダスに向けて突っ込んで来た。拳でカジダスを殴打する寺野を、柴田が拳銃で援護する。 「クソどもがぁあああ!」 カジダスは寺野と柴田の両方に火炎放射を浴びせかけた。こちらも本気で殺害するつもりだったが、次なる戦闘員が襲い掛かって来るまでの限られた時間しか炎を浴びせられなかった。戦闘員スーツの意外にも高い防御性能も考慮すれば、死んではいないだろうと思われた。 カジダスの火炎放射とピンクの矢によって、戦闘員達は次々と地に伏して数を減らしていった。やがて最後の一人が動かなくなるまで、それほどの時間は要さなかった。 〇 「傷一つ付けられませんか。戦闘員などそんなものです」 戦闘員が全滅した時、ティシュリーは平坦な声でつぶやいた。そして何人かの戦闘員を踏み越えながらカジダスの前に歩み寄ると、にっこりと微笑んで小首を傾げた。 「やはりわたしが自ら戦わなければならないんですかねぇ?」 「あんた。戦えんのか?」 「あなたのような木っ端怪人とは比べ物にならない程強いです。わたしの改造手術には、あなたに使われた量の十倍近いオリハルコンが使われていますから」 「だからどんなに年増だろうと、十代のガキみてぇな恰好でいられるって訳だ」 ティシュリーは笑顔を絶やさないまま、しかし無言でカジダスに攻撃を放った。 鋭い光の輪がティシュリーの指先から放たれて、カジダスの左を形成する鉄筒を切り裂いて両断した。激しい痛みと共に鉄筒は床に落ち、金属音が数秒に渡り残響した。 「わたしの実年齢はまだアラサーと言ったところです」 ティシュリーは言う。片足を失って横たわった姿勢で、カジダスはどうにか啖呵を切った。 「おれは十九だよ、オバサン」 カジダスは鉄筒をティシュリーに向け、火炎放射攻撃を放った。途端にティシュリーの背中から半透明の銀色の翼のようなものが生え、天井近くまで飛翔して火炎を躱す。そして上空から光の輪を放って今度はカジダスの右腕を切り裂いた。 「グアアアア!」 「痛いですか?」 ティシュリーは床へとふわりと降り立った。 「……なんで最初っからおまえが出てこないんだ? なんで戦闘員共は負けると分かっていて、勝てない相手にけし掛けられるんだ?」 片手片足を失ったカジダスはその場を蹲ってティシュリーを見上げているしかない。 「お約束という奴です。まあ良いんですよそんなことはどうでも」 ティシュリーは微かに首を動かすと、ピンクの放ったディストピアー・アローがそのすぐ脇を通過する。ティシュリーは今度はピンクに向けて光の輪を放った。 輪はピンクの脇腹を切り裂いて激しい出血を齎した。それでも次の矢を放とうとするピンクだったが、ティシュリーの光の輪が速い。無数の光輪がピンクに襲い掛かる。 全身をズタズタにされ、たまらずピンクはその場で膝を突いた。ティシュリーはにっこり笑ったまま近付いて、膝を折って声を掛けた。 「あなたのことは助けてあげますよ」 ピンクは警戒した表情でティシュリーを見詰めた。 「ブルーを傷付けた以上ディストピアーには戻れないでしょう。あなたのことを改造して怪人にして差し上げます。そっちの役立たずよりはるかに素材が良いので強力な怪人が仕上がるでしょう」 「で……でも、怪人になったら、ディストピアーに差し向けられるんでしょう?」 「勝てば良いのです。あなたが生き残る可能性は今はもうそれしかありませんよ」 「や……やだ。ディストピアーには誰も勝てない。あたしだって殺されちゃう」 「だったら今死ねば良いのです」 ティシュリーは笑みを浮かべたまま、光の輪を作り出してピンクの首元に掲げた。 その時だった。 片手片足を失ったカジダスが、這うようにしてティシュリーに接近し、残った左腕をその胴体に回した。 「……そんなに抱き着いて何をするつもりですか?」 ティシュリーはいぶかるような表情を浮かべている。 カジダスは逡巡した。こいつに勝てる可能性があるとすればこれしかなかった。しかしそれを実行した後自分がどうなるのかは想像もつかなかった。何せ過去にそれを実行した怪人を見たことはカジダスにはない。それだけの根性が過去の怪人たちにはなかったとも言えるかもしれないが、それ以上に彼らはディストピアーのことを心から憎み切れなかったのではないだろうか? ディストピアーは基本的には善意の存在で、確かな正義感と信念の上で戦っているのだから。 しかしカジダスはティシュリーのことなら心底から憎める気がした。ユートピア・カンパニーのことなら全身全霊でに組めるような気がした。それはユートピア・カンパニーが悪の組織だからではない。カジダス個人がユートピア・カンパニーに大きな借りがあったのだ。 刺し違えても構わない、などと言うつもりはない。 何かの間違いで自分だけ生き残れば良い。限りなく細いその可能性に、カジダスは賭けることにした。 「……まさか」 ティシュリーはようやく勘付いたようだ。腕を振り回しカジダスを振り払おうとするが、カジダスは渾身の力でティシュリーにしがみつく。翼による飛翔能力や光の輪による遠隔攻撃には秀でるティシュリーだが、単純な腕力ならカジダスに分があるらしかった。 「逃げろ桃山!」 体内でその準備を進めつつ、カジダスはピンクに言った。 「何をするの……?」 「良いから逃げろ! おまえも死ぬぞ!」 カジダスは必死で叫ぶ。準備はほとんど完了している。 何事か察したピンクは身を翻して逃げ出した。ピンクならそうすることが分かっていたし、佐古はそうして欲しいと思っていた。 「やめてください!」 ティシュリーは流石に笑顔を保っていなかった。 「ねぇあなた正気? 自爆なんて馬鹿なことはしないで!」 「おまえらがそんな機能を付けるからだ。ざまあみやがれ」 「自爆機能ならわたしにも付いているけど、そんなのわたしが付けた訳じゃない! そんな機能わたしにはいらないはずだって、いくら言ってもあの人は聞いてくれなかった!」 「ならディアボロ博士のことを恨むんだな」 カジダスは自爆の準備を完了させ、全身から眩い光を放ち始めた。最後の悪あがきに近距離から光の環を放ちカジダスをズタズタにするティシュリーだが、しかし爆発は止まらない。カジダスの装甲の中で、はちきれんばかりに膨れ上がったエネルギーが破裂する。 「火事だぁああああああああああ!」 真っ赤な光をまき散らしながら、放火怪人カジダスは爆散する。 周囲を包み込む激しい炎の中で、ティシュリーはその全身を焼かれ、悶え苦しみ、そしてこと切れる。 それを見届けることもなく、カジダスの目の前が暗転する。破裂して吹き飛んだ装甲の中から生身の佐古が現れて、黒焦げのそれはその場で倒れ、伏した。 〇 運ばれている。 誰かの背中に佐古はいた。 佐古は全身に痛みを感じて目を開けた。全身が焼けただれたような激しい痛みがあったが、ぼんやりとだが意識は保っていて、かすかに開かれた視界は上を向いていた。 真っ赤な空がそこにはあった。 紅色の海の真ん中で太陽がとろとろに溶け出して周囲をさらなる赤色に染めている。血のような夕焼けは佐古が今までに見て来たどんな空よりも赤く鮮やかだ。 「起きた?」 佐古を背負った桃山が言った。佐古が微かに返事をすると、桃山は立ち止まってその場に佐古を降ろした。 そこはどこかの土手だった。支部の近所にこんな場所があったような気がする。 桃山は脱出に成功したらしかった。佐古はそのことに安堵するとともに、自分の身体がとうていまともな状態を保っていないことに気が付いていた。 右腕と左足の感覚がない。ティシュリーに光の輪によって切り裂かれたからだ。そして全身が焼けただれている。カジダスとして自爆した際、周囲の装甲のことごとくを焔硝・爆散した為、内部にいた生身の佐古もまた大やけどを負ったのだった。 それでも生きているのは奇跡でしかない。そしてそんな奇跡は長くは続かない。 「最後に自爆したのって、あたしのことを逃がしてくれる為?」 桃山は地面に降ろした佐古の隣に座り、肩を掴んで話しかけた。その目に微かにだが涙がにじんでいるようにも見える。 何故佐古なんかの為に涙を流すのか? 錯覚だろうか。いや、違う。桃山はそういう奴だ。 「違うよね。あなたはそんな人じゃない。全然後先考えないっていうだけ。あんなことして自分が絶対に助かる訳ないって分からないだけ。破れかぶれだっただけ。バカなだけ」 佐古は何か言い返そうとしたが、喉が潰れていて出来なかった。 「でも最後に逃げるように言ってくれた。嬉しかったよ。あなたのしたことは少しも許してあげられないけど、それでもあの時は嬉しかった。本当だよ。ありがとう」 桃山は焼けただれた佐古の全身を抱きしめる。 「お陰で逃げられたよ。生きられたよ。……自由だよ。ありがとう、ありがとうね」 佐古は桃山の嗚咽を聞いていた。これを聞きながらすべてが終わるのだと佐古は察した。 本当にくだらない人生だった。苦しいばかりで、軽んじられるばかりで、それでいて佐古自身が世界中のすべてを軽んじていて、憎んで苛立ってばかりだった。 しかし愉快なこともあった。最高に良い女をいくらでも好き放題に出来た。そしてその女に感謝されながら、その女の胸の中で死んでいく。およそ最悪だった佐古の人生の中で、その一点だけは愉快に感じても良いんじゃないか? 佐古を苦しめて来た世界中のありとあらゆるすべてに対して、ざまあみろと唾を吐いてやれることなんじゃないのか? 「ありがとう。本当にありがとうね、佐古くん」 遠のいていく意識の中で、佐古はその時間を微かだが確かな満足感と共に過ごしていた。それは佐古が積み重ねて来た悪行を考えると、破格な程に恵まれていて、あってはならない程幸福な最期だった。 |
競作企画 2025年08月24日 01時02分10秒 公開 ■この作品の著作権は 競作企画 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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