夢解き探偵 |
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赤々と染まる夕暮れの防波堤。 テトラポッドに波が砕ける音が響き渡り、白いカモメが遠くで鳴いていた。 防波堤の先端には、一人の釣り人の影があった。夕日に溶けこむようにして立っている。 そこへ、もう一つの影が。シルエットからして女性だった。 彼女は背を向けて海を眺める釣り人に、ゆっくりと近づいていった。釣り人は気づいていない。 やがて女性は気配を消したまま男の真後ろまで近づき、持っていたバッグから何かをとりだす。 ――刃物だ。 夕明かりに刃先が鈍く光り、女性はその刃物を逆手に持って釣り人の背中を睨みつける。 そして、躊躇なくそれを振り下ろした。 目を覚ますと、東屋の木造の天井が見えた。 俺は憂鬱な気分で起き上がり、盛大な欠伸とともにぐぐっと伸びをする。 「入夜さん、おはようございます。何かいい夢は見れましたか?」 向かいの座席で寝ていた助手の美月もちょうど今起きたようで、瞼が重そうだ。ここは探偵事務所からほど近い公園にある東屋だった。天気のいい日はこうして二人昼寝をすることにしている。 「……今日はたしか、午後から客が入ってたか」 「はい。あと一時間ほどで到着する予定です」 「そうか」 「何か、気分が悪いですか? 顔色よくないですが」 そりゃあ、人が殺される夢なんて見れば寝覚めも悪くなる。そんな愚痴を美月にぶつけたところで仕方がないので、黙っておいた。 しかしこれは、さっきまで彼女が見ていた夢だった。どうやら美月自身は覚えてはいないらしい。 俺は、他人の夢を覗き見ることができた。 「ようこそ、佐久間探偵事務所へ」 言い終えてから、俺は「……ん?」と首を傾げた。 予定の時刻になって現れた依頼人が、どうも見覚えのある顔だったからだ。向こうも向こうで俺の顔を見るやいなや、堅かった表情がパッと華やいだ。 「あら、もしかしてイリヤ君じゃない? びっくり。お久しぶりね」 「……あ。お久しぶりです、優花先輩」 望月優花。彼女はかつて通っていた高校のテニス部の先輩だった。容姿端麗な上に誰よりもテニスが上手く、優しさも気品も兼ね備えた文字通り才色兼備なお人だった。今は結婚をしていて天野優花に名前を変えたらしい。そのおかげで直接会うまでは気づけなかった。 「探偵をしているだなんて意外。でも、カッコいいわよ」 「あ、ありがとうございます」 どうも俺は昔からこの人には弱い。人を惚れさせるフェロモンみたいなのを常に振りまいてくるからだろう。なぜか冷たい視線をこちらに送る美月の存在に気づき、俺は咳払いをする。 「それで、今日はどういった用件なんですか?」 そう問うと、彼女は表情を少し固くした。 「……あのね、調査をお願いしたいの」 「調査、ですか」 こくん、と彼女は頷く。それから、くしゃっとした笑みを作った。 「私、浮気されちゃったみたいなの」 スマートフォンに映し出された写真は、旦那のスマートフォンの画面だった。 そこには旦那と思しき名前の他に、『仇桜』という名前の女性らしき人物とのやりとりが記録されていた。恐らく名前はカモフラージュのつもりで偽名にしているのだろうが、やりとりの内容はあからさまに浮気相手とのそれだった。こんな優しくて美人な奥さんがいるというのに、ずいぶんと贅沢な奴だ。 「……なるほど、これはたしかに」 「でしょう? だから夫のことを尾行して、なるべく細かく調べて欲しいの」 「先輩のお願いとあらば。証拠もきっちり掴んできますよ」 ありがと、と先輩はお礼を言って、それからふと思い出したかのように小首を傾げる。 「でも、イリヤくんはどうして探偵になろうと思ったの?」 「実は俺、不思議な力があるんですよ。それを人のために活かしたくって」 真面目くさった顔で言うと、彼女は笑った。 「ふふ、何それ。じゃあもしかして、そっちの子も何か力が使えたりするのかしら?」 優花先輩は俺の後ろで佇んでいた美月に視線を向ける。彼女はふいと視線をそむけた。 「……ええ。ま、そんなところです」と俺が苦笑すると、優花先輩はまた笑った。 それから旦那に関する簡単な質問をした後で、優花先輩に旦那本人の写真と自宅の住所を送ってもらった。 こんなことを言うと失礼だが、写真に映った旦那の雰囲気はあまりに先輩とは不釣り合いな気がした。汚らしく髭を生やし、野ネズミのように全体的にひょろりとしている。こんな浮気男に捕まるだなんて、先輩も運が悪い。 こんなことなら高校在学中にアタックでもしておけばよかったな、なんて思ってしまった。 高校時代、俺はテニスに打ちこんでいた。 優花先輩は俺にとって純粋にテニスプレイヤーとして憧れる人であり、先輩として尊敬できる人であり、そして高嶺の花のような存在だった。異性として好きだったのか、よくわからない。しかしある意味特別な人ではあった。それは部活の大きな大会でのことがきっかけだったように思う。 チームの優勝がかかった大事な試合で、俺が落としてしまったのだ。凡ミスを連発して負けてしまった。人一倍練習に励んできたつもりだったのに、それが発揮できなかった。悔しくて俺は拳を何度も地面に叩きつけた。血が出るくらい、骨が折れんばかりに。周囲の人間が痛々しい俺の姿を見て声もかけられない中、ただ一人その手を止めてくれたのが、優花先輩だった。 「おやめなさい」 凛とした声で、彼女は優しく諭すように言った。 「誰よりも頑張ってきたあなたの手が、泣いているわ」 俺はその言葉に、たしかに救われたのだ。 「みっともないですよ」 尾行中の車内で、助手席に座る美月がぴしゃりと言った。「鼻の下が伸びています」 優花先輩との思い出に耽っていたのがだだ漏れだったらしい。美月はどうも最近俺に対する当たりが強くて困るのだが、俺が何かしただろうか。 ごまかすように俺はスマホを開き、優花先輩からもらった旦那の写真を出した。 「あれ、今回は夢を見るんですか?」 「……ああ、まあな」 他人の夢を覗きこむには、イメージが必要だ。 もっとも安定するのは対面して同時に眠ることだが、大抵は今みたいにそれが難しい状況なのがほとんどだ。そういう場合、写真などで自分の中の対象者のイメージを強く刷りこむことで相手の夢とのリンクをしやすいようにしている。もちろん、眠る時は相手も眠ってなくてはならないが。 「でも、今回は別に必要ないのでは?」 「念のためだ」 「……と言って、夢越しにあの女性の私生活を覗き見しようという魂胆では」 いやお前、俺をなんだと思ってるんだ。 その夜、天野家の家の付近にある公園に俺は車を停めた。 大学生である美月はもちろん連れてきてはおらず、一人散歩を装って家の前を通った。車はあるが、電気はついていない。家主が眠っていることを確認して、俺は車に戻った。それからターゲットの顔写真を開いてもう一度イメージを固め、それから眠りにつく。 他人の夢の中はまるで映写機で短編映画でも見ているような感覚だ。 人が一晩で見る夢の回数は、少なくて三回、多くて五回ほどとされている。目が覚めて覚えていたとしてもせいぜい一つくらいだが、実際は忘れているだけで見ている数はもっと多い。 夢は過去の情報でできている。過去で見たこと聞いたこと、それに体感したこと――それらが混じりあって作られているのだ。だからか時々、過去の記憶の断片がそのまま映し出される時があった。天野という男もまたその類の夢を見ているようだった。 ある一場面では、優花先輩がもの凄い剣幕で男に怒っている。ほとんど泣きながら何かを叫んでいた。音声はなかったが、何かもめているようだ。こんな先輩の顔を、俺は見たことがなかった。これほどまでに彼女を怒らせるだなんて、余程のことをしてしまったのだろう。 男は一晩で三回、同じ夢を見ていた。優花先輩が怒っている夢だ。最後のほうになると、消えていた音声がだんだんと聞こえるようになってきた。優花先輩の叫び声が聞きとれるようになる。 彼女は、こう言っていた。 「返して」――と。 「――以上が、現時点での調査結果になります」 再び探偵事務所に訪れた優花先輩に、俺はこれまでのことを報告する。男の外出時の行動のすべてを知りうる限りレポートにまとめて彼女に提出した。結果的に、他の女性との関係らしきものは認めらなかった。 優花先輩は、受けとったレポートに目を落としたまま暗い表情でつぶやく。 「……そう。それは残念だったわ。面倒に巻きこんでしまってごめんなさいね」 「いえ、こちらこそ。お役に立てずすみませんでした」 ありがとう、と言って一礼し、優花先輩はとぼとぼと力なく事務所からでていってしまった。 彼女の後姿が完全に見えなくなってから、俺は美月に視線を送った。 赤々と染まる夕暮れの防波堤。 テトラポッドに波が砕ける音が響き渡り、白いカモメが遠くで鳴いていた。 防波堤の先端には、一人の釣り人の影があった。夕日に溶けこむようにして立っている。 そこへ、もう一つの影が。シルエットからして女性だった。 彼女は背を向けて海を眺める釣り人に、ゆっくりと近づいていった。釣り人は気づいていない。 やがて女性は気配を消したまま男の真後ろまで近づき、持っていたバッグから何かをとりだす。 ――刃物だ。 夕明かりに刃先が鈍く光り、女性はその刃物を逆手に持って釣り人の背中を睨みつける。 そして、躊躇なくそれを振り下ろした。 「先輩……!」 その細い手首を、俺はしっかりと掴んだ。すんでのところで刃先は男の後頭部寸前で止まる。 俺の声に振り返った男は、これまで尾行してきた天野だった。刃物を見て恐怖に震え、釣り具をすべて投げ捨てて悲鳴をあげながら逃げていった。 刃物を持った女性は――優花先輩は、膝から崩れ落ちた。 「どうして……」 低く掠れた声は、まるで彼女のものじゃないみたいだった。 「……『仇桜』は、あなただったんですね。優花先輩」 旦那の浮気のやりとりは、彼女の自作自演だった。 そもそも浮気相手が『仇桜』と名乗っていることに少し違和感があったのだ。仇桜は儚いものを表すほかに、『浮気な女』という意味も含まれている。それは自ら『浮気をしています』と公言しているようなものだ。 さらに言えば、彼女は天野優花ですらなかった。天野という男は彼女の夫ではない。 決定的だったのは、夢の中で彼女が叫んだ言葉だった。 ――返して。夫を返して! 俺はそれですべてを察した。調べてみると、天野は一年前に車の事故を起こしていた。誤って人を轢いてしまい、その人は還らぬ人となった。それが、優花先輩の本当の旦那さんだ。彼女は浮気調査を装って探偵である俺に男の行動を調べさせ、一人でいるところを狙ったのだ。彼の趣味が釣りであることを知って、ピンときた。 そう、前に東屋で美月が見た、釣り人が殺される夢だ。 彼女の夢は特別で、時々過去以外のものを映しだした。 過去ではなく――未来のものを。 ようするに美月の見る夢は、予知夢だった。 彼女自身は覚えていないことがほとんどだが、覗き見をしている俺は彼女の夢をすべて覚えていられる。それが彼女と行動を共にする大きな理由だ。男が先輩に責め立てられる夢と、釣り人が女性に殺される夢。この二つを繋ぎ合わせれば、この場所で優花先輩が現れることは予想できた。 「どうして……止めたの。あの人は、私の夫は……あの男に命を奪われたのに……」 カラン、と包丁が音を立てて彼女の手から滑り落ちる。 俺は言った。 「誰よりも優しかったあなたの手が、泣いていたからです」 いつもの公園の東屋で、俺と美月は二人寝転がっていた。 「いい天気ですね。春って感じです」 美月はこちらを元気づけようとしているのか、いつもより気持ち声が高めだった。あるいはもしかしたら、単純に気分がいいだけなのかもしれないが。 優花先輩は、殺人未遂で捕まった。というより、自主したのだ。面会に行くと「ごめんなさい」と何度も謝られた。俺を殺人の計画に利用したことを心から悔いているようだった。彼女のやつれた笑顔は見るに堪えなかった。どうしてこの人が、こんな不幸に落とされなきゃいけないのだろう。 「いつかまた、あの人にも春がきますよ」 美月は、独り言のようにそう言った。 一陣の風が舞う。すると桜の花びらが一片、くるくると回転しながら俺の胸に降りてくる。 俺はその薄く儚い白い花びらをそっとつまんだ。 「……そうだな」 花びらは再び風に吹かれ、俺の手から離れていく。 あの人がまた、幸せになれますように。 そう祈りながら、俺は次の夢を見た。 |
競作企画 2025年08月23日 23時39分43秒 公開 ■この作品の著作権は 競作企画 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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