風のふらここ

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 ――昔、『時を渡るブランコ』の噂があった。
 もう十年も前の話だ。
 そのブランコに乗ると、過去や未来に行ける。そんな噂がまことしやかに囁かれていた。
 それが僕の家の近くにある七尾浜という浜辺に設置されたブランコじゃないか、とも言われていた。それは二本のヤシの木の間に丸太がとりつけられ、そこからロープで二つのブランコが吊るされていた。
 ブランコの名前は、『風のふらここ』。
 この海に新しい風が吹いて、お客さんにたくさん入ってもらいたいという願いからそう名づけられたらしい。ちなみに『ふらここ』というのは、ブランコの古い言い回しだ。洒落たネーミングもあって海辺のブランコはテレビでも紹介され、あっという間にこの七尾浜に人が集まってきたのを今でも覚えている。
 しかし、それが今や閑古鳥が鳴いていた。それもそのはずだった。
 十年前、この七尾浜で、一人の女の子の水死体が発見されたからだ。
 


 足元にある濡れた砂が、波によって砕かれ海へと流されていく。
 すると少しずつ、少しずつ、僕の両足は下へ下へ、冷たい砂の中に埋もれていった。潮騒を聞きながら、こうして遠くの地平線を眺めるのが好きだった。砂浜に落ちている無数のシーグラスを拾い集めるのも。変わっているとは言われるけれど、それが僕の休日の主な過ごし方だった。この誰もいない七尾浜で。
 けれど、その日は少し違った。珍しく人がいたのだ。
 浜辺のブランコ――『風のふらここ』に、その二人は乗っていた。
 一人は大柄の男。もう一人は、小学生くらいの小さな女の子だ。
 女の子は泣いているのか、身体を丸めて俯いている。男は困り果てたように頭を掻いていた。親子のようにも見えるけれど、違和感があった。というのも、四十代くらいのその男の格好があまりにも怪しすぎた。夏だというのに黒いコートを着て、黒いニット帽を被り、黒い丸縁のサングラスまでかけている。まるで外国の映画に出てくる殺し屋みたいな風貌だった。
「……どうかしたんですか?」
 怖さもあったけれど、女の子のことが心配だった。
 男はうおっと声を上げて驚き、それからハッとして警戒するように僕を見つめた。しばらくしてから、ようやく彼は口を開く。
「……逃げているんだとよ、このお嬢ちゃん」
「逃げている? 何から――」
 僕は殺し屋の後ろにいる少女を見て、ふいに言葉を失った。少しの間、息をするのも忘れた。見覚えのある白いワンピースに、緩いウェーブのかかった黒髪――脳が、理解を拒んだ。ブランコに乗って俯いていた彼女が、ゆっくりとその顔を上げる。
 殺し屋は頭をぽりぽりと掻きながら、言った。
「過去から、だとさ」
 ――僕は、彼女を知っていた。
 佐波由利。
 十年前、この七尾浜に水死体で見つかった張本人だった。


 由利は僕の唯一の友達だった。
 家が近所で母親同士が仲のよかったこともあり、小さい頃から一緒だった。どこへ行くにも、何をするも、由利がいた。それが日常だった。
 でも――。
 ある日突然、彼女は山で行方不明になった。
 家族で山にキャンプに出かけたのだという。大人たちの必死の捜索も虚しく、いなくなってから一週間が経った。
 そして再び由利が発見されたのが、この七尾浜だ。どうやら山の中を流れる川に足を滑らせたらしかった。彼女は泳げなかったから、そのまま溺れて海まで流されてしまった。発見された頃にはすでに息絶えていて、彼女の家族も、僕も、お母さんも、ずっと泣いていた。
 その時からだった。僕は彼女がいつか帰ってくると信じてこの七尾浜に通った。以前の人溜まりが嘘のように消え、もう誰もいなくなってしまったこの浜辺で。海の遠く地平線を見守りながら、由利が好きだったシーグラスを拾い集めながら、僕は両足を砂に埋れさせていた。


「……つまりだ、このお嬢ちゃんは死ぬ前にこのブランコを使って、遥々この未来くんだりまでやってきたわけか」
 殺し屋はそう話を結論づけた。
 あまりにも非現実的な状況なのに、彼は飄々としていた。僕からしたら、幽霊に遭遇したようなものなのに。足はついているし、姿形もしっかり見てとれるけれど、彼女はもう死んでいるのだから。
「まずは現状把握だな」
 殺し屋はブランコの上で足を組みながら、僕の後ろに隠れるようにして立つ由利のほうに視線を向けた。
「お嬢ちゃん、もう少し詳しく話せるか?」
 由利は控えめに頷き、自分の身に起きたことを、おずおずと話してくれた。その間、僕のTシャツの裾を指先でずっと掴みながら。
 彼女は三日前くらいにブランコの噂を聞いてこっそりと一人で試してみたらしい。その日の夕暮れにこの『風のふらここ』を漕いで、未来のことを思い描きながら飛んでみたのだという。
 すると、一瞬にして景色は昼の明るさに変わった。怖くなって家に帰ると、両親は仕事で家を出ていたらしく、仕方がないので植木鉢に隠してあった鍵を使って中に入った。
 ところが、家の中の様子もおかしかった。
 家具の配置や壁の模様が夕方に家を出る前とはガラリと変わり、リビングの壁に掛けてあるカレンダーは十年後のものになっていた。自分の部屋はそのままだったけれど、客間の和室に前にはなかった仏壇が見えた。そして、そこに飾られてあった遺影を見て、由利は恐くなって逃げだしたという。
 映っていたのは、他ならぬ由利自身だった。
『時を渡るブランコ』の話は、本当だった。由利はブランコを使って未来へとやってきた。だから彼女は元に戻そうと、もう一度ブランコに乗ろうと考えた。けれど、彼女はそこで大変なことに気づく。
 ――未来の自分は、すでに死んでいる。
 遺影の写真は今の自分と少しも変わらなかったらしい。それはつまり、もうすぐ彼女が死ぬということだ。
 過去に戻れば、最後。全部、おわり。彼女は未来に閉じこめられてしまった。前にも後ろにも進めず、砂に足を沈める僕と同じように、身動きがとれなくなってしまったのだ。

  
 話し終わって、由利は泣いていた。堰を切ったみたいにわんわんと泣きじゃくり、僕のお腹に頭を強く押しつけてくる。
「……死っていうのは、恐ろしいよなあ。ある日突然やってくるもんだ。別れを告げる間もなくみんなコロッと逝っちまうんだからな」
 殺し屋の言葉に、僕はムッとする。
「そういうの、今は言うべきじゃないと思います。由利が怖がる」
「……悪いな。親父が最近死んじまって、少しセンチになってたんだ」
 パン、と殺し屋は自分の太ももを両手で叩く。
「だがま、八方塞がりってわけじゃないと思うぞ。彼女が助かる見こみはある」
「まさかこのまま、ここで暮らせってことですか」
「いんや、ちゃんと過去には帰すさ」
「なら――」
 殺し屋は僕の話を遮り、由利に向かってクロールの泳ぎの真似をした。
「お嬢ちゃん、泳ぎは得意か?」
 由利は弱々しく首を振った。由利は、泳げなかったはずだ。金づちと言っていいくらいに。
「よし、なら泳ぎの特訓といこうぜ。おあつらえ向きに海がそこにあることだしな」
「何を言っているんですか、急に」
「だから、打開策だよ」
 殺し屋はこともなげに言う。
「過去じゃあ川で溺れて死んじまったんだろ? なら、泳げるようにすりゃあいい」


 それから二週間、由利の水泳の特訓をすることになった。
 なぜかコーチングをするのは僕で、殺し屋はビーチチェアに寝そべりながら見守る係になっていた。けど、文句は言えなかった。行き場のない由利に泊まる場所も食事も衣服も用意してくれた上に、水着まで与えてくれたからだ。いったいこの人は何者なんだろうと思ったけれど、詮索はするなと釘を刺された。
 由利は最初は波におびえていたものの、波に慣れてきた頃には僕に手を引かれながらバタ足で泳げるようになっていた。
 あっという間に二週間が経ち、由利はすっかり泳げるようになった。僕にも懐いてくれて、昔みたいに砂遊びを一緒にやった。彼女の好きなシーグラスもたくさん集めた。まるで時間が巻き戻ったようだった。


 そして、ついにその時はやってきた。
 泳ぎが上達した由利は、過去に帰ることを決意したようだ。恐ろしさもあるだろうに、気丈に振る舞おうと努めている。僕は彼女のお気に入りの卵型の青いシーグラスを選んでネックレスにし、それを渡した。無事に助かりますように、と祈りをこめて。
 夕間暮れ、『風のふらここ』に彼女はゆっくりと腰かけた。僕は軽く彼女の背中を押して、勢いをつける。
「おい、俺のほうも押してくれねえか」
 いつの間にか殺し屋が隣のブランコに座っていた。
「……自分で」
「いいから、頼むよ」
 不承不承、僕は彼の背中を押した。体重が重いから、力いっぱい。
 殺し屋は立ち乗りに切り替えて、思い切りブランコを漕いだ。何度か力強く漕いでから、僕のほうを振り向く。そして何かを口にしたが、風が強く吹いて彼の言葉は聞きとれなかった。
 由利も立ち乗りになって思い切り漕ぎ始めた。彼女は、決して振り返らなかった。
 前に伸ばした僕の手は、果たして彼女の背中を押そうとしたのだろうか、それとも引きとめようとしたのだろうか。
 それもわからないまま、彼女は消えてしまった。いつの間にか、殺し屋の姿も忽然と消えていた。
 僕はまた、一人になった。

 
 足元にある濡れた砂が、波によって砕かれ海へと流されていく。
 すると少しずつ、少しずつ、僕の両足は下へ下へ、冷たい砂の中に埋もれていった。うるさいくらいの波音を聞きながら、僕は一人波打ち際でうずくまっていた。夕日が染めるオレンジ色の水面が眩しくて、思わず目を瞑る。これで本当によかったんだろうか、と何度も自答した。もしかしたら、由利が泳げるようになっても無駄だったのかもしれない。子供が一人川に落ちて助かる確率は、きっとそう高くはない。それなら、ここで僕と一緒に暮らすべきだったんじゃないか。そうすれば、少しでも彼女を幸せにできたかもしれないのに。
「あの、大丈夫ですか?」
 ふいに、女性の声がした。僕はハッとして振り返り、その人の顔を見る。
 けれど、それは由利ではなかった。海に遊びにきたであろう、子連れの母親のようだった。僕は「大丈夫です」とだけ伝えてお辞儀する。「ママー」と子供の呼ぶ声に引っ張られるように、彼女は去っていった。僕はため息をつき、辺りを見回す。
 あれ、と思った。
 いつの間にか、海辺に人がたくさん集まっていた。家族連れもいればカップルもいて、まるで十年前の光景を見ているかのようだった。
「……これって、まさか」
 この七尾浜は、以前はこんな風に栄えていた時期があった。
 けれど十年前、一人の女の子の水死体が発見されてから、ぱったりと人がこなくなったのだ。
 けど――。
 もし、その水死体が発見されてなかったら?
 もし、その女の子が無事だったとしたら?
「ほらな、上手くいっただろ」
 驚いて振り向くと、いつの間にか殺し屋がそこに立っていた。
「どうして――」
「伝え損なったんでな。別れの挨拶だけしたらさっさと帰るさ。言っとくが、コロッと逝っちまうアンタだって悪いんだぜ?」
「……それって、もしかして」
 サングラスを外した彼の目元は、驚くほど僕とそっくりだった。血の繋がりをたしかに感じられるほどに。
「じゃあな、親父。また会えてよかったよ」
 呼び止めようとすると、彼はいきなり僕に向かって指をさす。
 僕を、というよりは――僕の後ろのほうを。
 振り向いてみると、波打ち際の向こうから、僕と同い年くらいの女性が歩いてくるのが見えた。
 麦わら帽子に、白いワンピース。胸元には見覚えのある青色のネックレスが光っていた。
 慌てて振り返ると、すでに彼の姿は消えている。
 僕は沈めていた両足を急いで引っこ抜き、おぼつかない足どりで歩きだす。
 気づけば走りだしていた。一歩、一歩、重い砂を強く踏みしめながら、彼女のもとへ。
 海からは心地よい潮風が吹いている。
 風のふらここが、静かに揺れていた。




 
競作企画

2025年07月19日 14時33分34秒 公開
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