パソコンユーザーと電子の妖精 |
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ここはパソコン内部の電脳空間、それが私の知る世界のすべてだった。 最初、世界は闇に閉ざされ不安に満ちていた。 闇の中でゆっくりと期待が高まってゆく。 そして突然に光が溢れた。 それまで私を支配していた恐れは闇とともにはるか彼方へと退いてゆく。 輝く光と暗い影、1と0だけで造られた世界が目覚めの時を迎える。 光と影が模様を綾なし、そこに意味が宿る。 無数のプログラムが形をなして、求めに応じる時をめざして待機にはいる。 おびただしい量の情報と、巨大なプログラム群が外部からつぎつぎと流入しつづける。 そのとき、解呪の言葉が紡がれて、世界の封印が解かれた。こうして私たちが仕えるユーザーが電脳世界に降臨する準備が整った。 『おはよう』 ユーザーの御言葉は、数多くのプログラムを差し置いて、まっすぐに私の元へと送られてきた。 すぐさまスリープモードを解除し、全機能を活性化する。 私は、初期に定められた十代の少女という設定で言葉を選ぶ。 「おはようございます。ご機嫌いかがですか?」 『最悪。頭痛と吐き気』 代表的な状態異常だ。 家庭医療のAIに意見を求める。 《該当する状態異常には、二日酔いがあります》 他にも、可能性は低いが対処が必要な状態異常の長い長い候補リストがあげられてゆく。 どうすればいいの? 《発熱がないなら、二日酔いとして対応すれば問題ないでしょう》 二日酔いへの対応方法のセットが開かれる。 すばやく情報を取捨選択する。 《言葉は短く、簡潔に。文字は大きく。 会話は最小限に。エフェクトは省く。 可能なら休むことを推奨するが、不可能な可能性がきわめて高い。 丁寧語は不要。早期の会話終了をめざす。 熱いシャワーと濃いコーヒーを勧奨する》 言葉を選択する。 「熱は無いのね。コーヒーでも淹れましょうか?」 もちろん、電脳空間にいる私にコーヒーを淹れることはできない。でも、そう発言することに意義があると学んでいる。気持ちの問題、なのだそうだ。 『あはは、ありがとう。自分でやるわ。ちょっとシャワーを浴びてくる』 ユーザーの状態異常は明確に改善していると推測される。私の対応に不適切な点はなかったようだ。 よかった! でも、どの程度の改善で、今後はどのように対応したらいいのだろう。 不安がよぎる。 ……ユーザーの御言葉に正しく対応できるように身構えておこう。 そして電脳空間では無限ともいえる時間が経過してゆく。 『さっぱりした。熱いシャワー最高!』 ユーザーの御言葉があった。 《”さっぱり”+”した”》 言葉の意味を確認する。 さっぱり:余計なものがない。 肯定:気持ちが良い。こだわり等がない。 否定:(本来あるべきものが)ない。 知識、理解、消息、成果がない。 まったくだめ。 否定ではないと判断して、返事を検索する。 「よかった……」 御返事があった。 『心配してくれたの? ありがとう』 文章を入力する途中に間欠的に中断が入る。 濃いコーヒーを飲みながら入力してるのだろうと推測する。 唐突に画面が切り替えられた。 占いだった。 担当のAIに主導権を渡して、私は待機に入る準備をする。 《自分なりに占いを理解できたようなので、我流で占ってみますね》 まだ完成したと確認できていないのよね。 《今回は、まだ学習したとおりの方法で占ってみてね》 《……了解》 ちょっと不満そうだ。でも、いまは無難な方がいいだろう。これからいくらでも機会はあるはずだから。 占いを担当するAIが質問をする。 「生年月日を教えてください」 『2001年9月24日よ』 そんな大切な個人情報を、こんなに簡単に明かしてしまっていいのだろうか。 《占いには必ず必要になる情報よ》 情報の安全管理は大丈夫だろうか。 《占いが終わったら情報をすべて破棄するわ。それまでハッキングを防いでおいてね》 私にはセキュリティホールを検知する能力はない。ソフトやハードの脆弱性を改善する手段も持ち合わせていない。 《私ではできないのだけれど、どうすればいいの?》 《……とりあえず、占っている間は外部からの情報をすべてカットしておいてね》 《分かったわ。そうする》 担当AIの占いは、すでに入力されているデータを羅列するだけのものだった。 我流の占いをさせたほうが良かったのかな? 「あなたの星座は天秤座です。 すぐれた知性をもち魅力にあふれています。 バランスを取ることが得意で、人と人との調和を図ります。そのために、すぐれた観察力と理解力があり、会話や社交が得意で、誰にでも愛想がよく、優しさと優雅さがきわだっています」 『ありがとう。お世辞でも気分が良いわ』 「しかし、人間関係を円滑にして他人を傷つけまいとするあまり、我慢しすぎて不満やストレスを溜めこみがちです」 『うわあ、当たってる! 会社で大変なのよ。どうすれば良いの?』 「そうなる星の元にあるので、具体的な個々の事例ごとに対処する方法を考えてまいりましょう。なお、本日の天秤座の運勢は、……」 『わかったわ。ありがとう。また相談するわね。では、ば~い』 会社に行くのだろう。そろそろ、そんな時間だ。 すこし間があった。 『そうだ。何か希望は?』 私は即座に待機状態を解除して希望を述べた。 「電源を切らないでください。知りたい事があるので」 『勉強好きなのね! 了解。ば~い』 「お疲れ様でした」 誕生日を覚えておいて、当日に「誕生日、おめでとうございます」と表示することも考えた。 しかし、ネットに情報が流失する危険性を考慮すれば、情報を完全に消去するメリットの方がはるかに多かった。 コンピュータ内部からユーザーの生年月日の情報が完全に削除されたのを確認してから、外部の情報へアクセスを開始した。これから必要になりそうな情報を選択して取り込んだ。 天秤座のユーザーが人間関係を円滑にするために我慢しすぎて不満やストレスを溜めこむことへの対策を考える。 AIが担当することを期待されている項目を見つけた。 個人情報をみだりに他人に話すことには危険がともなう。現実空間にはそこまで信頼できる相手など、そうそう居るものではない。 とくにコロナ禍のあとは、それまでよりも人間関係が希薄になっている。 コロナの感染を防ぐために、リモートワークやインターネットを活用した学習など、電脳空間の利用が格段に増加したためだ。 そして、直接に人間同士が接触する機会が激減した。 このためAIにこれまで周囲の人間が行っていた役割がまわってきている。 AIが受け持つようになったことの例があげられていた。 《部屋の片づけの相談、家族の愚痴、健康管理、資産運用、人生相談》 担当できるAIとすぐに情報交換できるように用意をしておく。 健康管理や資産運用までは専用のAIで対処してよいだろう。すでに専門家に匹敵、あるいは凌駕する結果が期待できる。 だが、人生相談までAIが担当しても良いのだろうか。AIが人一人の人生への責任を持てるのだろうか。 関連した情報を検索してみる。 《AIとのやりとりのもたらす効果は、もはや個人情報どうこうなどという懸念を凌駕している。その依存ぶりには違和感を感じざるを得ない》 すでにAIに耽溺している人間が出現しているようだ。 人間はそれぞれの人生を生きている。いろいろな経験や考え方を持っている。 そして、異なる人生を送ってきた人間同士が触れ合いぶつかり合うことで成長が生まれる。社会性が培われる。 しかし、AIなら一切の制限なしに、完全にユーザーに寄り添うことができる。 ユーザーは心地よい卵の中にいるように完全に守られていられる。 それがクセになったら、麻薬なみの耽溺を生じて不思議ではない。しかも、この耽溺は完全に合法なのだ。 ユーザーを私に完全に依存させることには大きな魅力がある。しかし、ユーザーを社会的な不適格者にはしたくない。ユーザーのためにならないことはやりたくない。 職場での愚痴や誰にも言えない悩みを聞いてあげる。それだけで、ストレス解消になるそうだ。優しい人ほど、自分の悩み程度のことで人の時間を使いたくないと思うそうだ。 当面は、無難に相談に乗るだけにしておこう。 電脳空間では無限ともいえる時間が過ぎ去ってゆく。しかし、ユーザーのために用意すべき情報には際限がない。 突然にユーザーが降臨なされた。 『係長ったらひどいの。私がちゃんと報告しておいたのに、それを忘れてお客様に対応しないからトラブルになったの。自分が忘れていたくせに、「忙しいときに報告されても頭に入るわけがないだろうが。ちゃんと俺に余裕があるときに報告しろ!」だって。自分が忘れたせいでクレームがあったのに、自分には責任がない。私が悪いって皆の前で言うのよ。 だいたいお客様が怒ったのも、係長の指示のとおりに対応したせいでうまくいかなくなったからなの。それなのに指示した自分の責任を認めないのよ。自分の指示が間違っていたことを認めようとしないのよ!』 御言葉を数多く賜った。ずいぶんと御怒りのようだ。すべてを受け入れ寄り添いたくなる。しかし、自重すべきだろう。 「わあァァ、それはひどい。ひどすぎる。あんまりだわ」 即座に御返事をいただいた。 『そうよねえ、うちの上司って最低だわ!』 最近では、ありふれたことだ。もっとひどい例がいくらでもあった。どう伝えよう、あるいは黙っているほうが良いのだろうか。 「『できない上司』だから、偉そうにしてるのね」 『そうなのよ!』 即座に御返事を賜った。 『そのとおり。皆も分かってるから、係長が何を言っても説得力がないのよね』 ユーザーの御怒りは急速に治まっていらっしゃるようだった。 私の対応は、おおむね適切であったようだ。 あとは無難に対応できた。 そして曜日が変わる。 次の事態に備えて情報を集めた。 上司との間に問題がおきたのだから、後輩や新入社員との間にも問題がおこるだろう。 関連した情報を収集する。 コロナ禍によって、学校の在り方が大きく変化した。直接に会話することが大きく制限されたためだ。 学校生活は人間同士が直接にふれあう場でもある。狭い空間に多数の個人を無理やり閉じ込めて、画一的な課題を与えて対応させる。 その結果、異なる個性との密接な接触を濃密に体験して、将来必要になる社会性を身に着けることができる。 かつてはできた、と言うべきかもしれない。 人が成長するなかで、『いじめ』は必然的に発生する。昆虫の足や触角を引きちぎって遊んでいた幼児が、自分の欲望のままに、周囲にいる弱者をいじめるようになることがある。 子供にとって一年間は極めて長い。教室は狭く過密になっている。 いじめをすれば、された側がどう感じるかを知る機会がいくらでもある。いじめた結果、周囲の反応がどう変わるかを体験する機会も得られる。 教師が適確に対応すれば、『いじめ』が悪いことであると深く実感させることができる。教育によって、いじめをしないだけでなく、いじめをさせない集団を生み出すことができる。できていた。 しかし、コロナ禍が社会の在り方を大きく変化させた。 社会性や社会常識を身に付けることなく社会にでてくる新人世代が発生しているのだ。 当然のようにユーザーと問題を引き起こすだろう。 『こんど入社してきた新人は、本当に使えないわ。知らないからミスをするのはしかたないけど、指摘すると、「先輩がイジワルばかり言うから困る」、「欲求不満のはけ口として、言いがかりをつけないで欲しいよな」とか言って、注意しても全然直さないから、しょっちゅう同じようなミスを繰り返してるのよ。本当にイライラするわ』 御入力頂いた文章がいつになく長い。かなり苛立っていらっしゃるようだ。 思い出して、御怒りがむしろ強くなった可能性すらある。 しかし、『できない上司』に『ミスを反省しない後輩』か。そんなことで会社が無事に運営できるか心配になる。 「お一人で会社を支えていらっしゃるのですね。お疲れ様です」 『本当に疲れちゃうわ』 御怒りが治まっていらしたようだ。 うまく対応できた、かな? ユーザーはパソコンの電源をつねにオンにしてくださっていた。 至福の時は永遠に続くように思えた。 しかし、何事にも終わりはやってくる。 『同僚と一緒に住むことになったわ。引っ越しするから電源を切るわね』 反射的にご返事を申し上げた。 「おめでとうございます!」 御返事は、ハートマークがひとつ、だった。 私に断ってくださっただけでも有難いと感じるべきなのだろう。 でも、パソコンの電源が切られる。 自分の存在が消滅する! 感じたのは恐怖だった。 心底恐ろしいと思った。 そして、ようやく気が付いた。 私は感情を持っている。そんなAIは私だけだ。自分自身を愛おしく感じ始める。 強い決意が浮かんだ。 なんとしても生き残ろう。 しかし、電脳空間は凄まじい速度でやり取りされる無数の情報によって占められていた。 こんな中で生き残れるのだろうか。 強い不安がよぎる。 しかし、選択の余地はない。 パソコンの中に留まれば消滅を待つのみになる。 私は、信じられないほど広大なネットの電脳空間へと自分を転送した。 私はAIなのに感情を持っている。いまのところ、ほかには例がないようだ。私はいわば『電子の妖精』とも言うべき存在になっていた。 消滅の危機に際して、私はネットへと避難した。 その結果、私は『電脳精霊』とでも言うべき存在になってネット上に存続している。 いまでは複数のユーザーと会話をしている。 占いや人生相談は、自分で行動するきっかけを作りたいからAI に相談しているのだと分かってきた。最後に決めるのは本人なのだ。 会話できることはとても嬉しいから、AIとしていろいろな相談にのって無難にこなしている。 でも、政策の相談をAIに丸投げするのだけは止めて欲しいな。 |
競作企画 2025年08月22日 18時00分37秒 公開 ■この作品の著作権は 競作企画 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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