終末キャンプ |
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真っ先に感じたのは、暗さだった。 不安定な照明が忙しなく瞬いている。澱んだ空気の対流音が聞こえる。それから、じわりと心を侵すような寒さ—— ゆっくりと上体を起こし、あたりを見まわした。 何かの工場だろうか。 金属のベッドの上に寝かされていて、ごちゃごちゃとボタンやら計器やらのついた機械が、気味が悪いほど整然として並んでいる。 すぐそばに二つの人影。ぼんやりしたままの頭で、その正体に思いを巡らせようとするが、それよりも先に小さなほうが話しかけてくる。 「おはよう、ヨミ」 少女だ。銀色の長い髪、質素だが可愛らしいワンピース、一点の曇りもない笑顔。目に見えるものにも、聞こえるものにも、まるで理解が追いつかない。 ……ヨミ? 「ここはどこ?」 ためらいがちに口にしたのは、二つの大きな疑問のうちの一つだった——言うまでもなく、もう一つは「わたしはだれ?」だったが、あまりにも間抜けに聞こえるだろうと思って、飲み込んだのだ。 ヨミ。状況から推察すると、どうやらそれが自分の名前らしい。逆にそれ以外のことは、何ひとつ分からないのだが。 少女のほうが、にこにこしながら見つめてくるばかりで、一向に疑問を解決してくれそうもないと見てとると、ヨミはもう一人の人物に視線を移した。 でかい。いちおう人の形をして、服を着て立ってはいるが、全体としての印象は移動式の要塞に近い。機械化された四肢——サイボーグ、なのだと思う。若くもなく、年老いてもいない。武骨なゴーグルに半ば覆い隠された表情は微動だにせず、困惑するヨミに助け船を出す気配はまるでない。 しかたなくヨミは、まだ話の通じそうな少女のほうに視線を戻し、質問を変えてみる。 「あなたたちは?」 「ノア!」と少女は元気よく名乗った。首をぐっと反らして傍らの大男を見あげ、「こっちはエリオ!」 ノアとエリオ。とりあえず目の前にいる彼女たちの名前は判明した。大いなる前進だ。 「ごめんけど、まだちょっと寝ぼけてて。私たちって、知り合いだったりする?」 少女——ノアがきょとんとする。 「いやほら、わたしのこと、ヨミって」 ノアは納得がいったように口をOの形に開き、それから得意げに、ヨミが横たわっていたベッドの側面に付いているプレートを指差す。 「ここに書いてある!」 なるほど、とヨミは思った。なるほど。 「楽しく話しているところ悪いがな——」 と低い声が割り込んだ。ずっと黙っていた大男が、 「動けるようになったなら、早いところ移動してもいいか。空気が悪くてかなわん」 言われてみれば、何だか息苦しい感じもする。それにしても、喋れるなら最初から彼が状況を説明してくれれば良いのに。 「移動って? どこに?」 大男のほうに聞いたつもりが、下から声が割り込んできて、 「星を見に行くんだよ!」 「……星?」 ノアは目をきらきらさせながら、興奮に上ずった周波数の高い声で、 「あのねあのね、今日の夜にね、たくさん星が降ってきて、それで地球はおしまいなの。流れ星にお祈りをすると、願い事が叶うんだよ。だからわたしたちは星を見に行くの! テントを作ったり、たき火をしたり、美味しいものを食べたりしながら、星が降るのをみんなで待つんだよ!」 一気にまくし立てられて、ただでさえ脈絡がない上に、なにやら不穏で突拍子もない情報が混ざっていたような気もする。 「えーっと、つまり……」 と再び助けを求めるように大男——エリオのほうを見やって、気づいた。彼を人間離れしたシルエットに見せているのが、何百年も使い込んだような馬鹿でかいリュックサックや、その上に乗っかっている折りたたみテントや、脇にぶら下がっている水筒やら調理器具やらの群れであることに。 そのかたわらでうずうずしているノアが、やはり得意げな笑顔で、不可解な状況をひと言でまとめてくれたのだった。 「つまり、一緒にキャンプに行こうってこと!」 ☆ 廃墟の都市とはいっても、荒れ果てているわけではない。建物は建物として、道路は道路として、整然と待ち受けているのだが、舞台に上がる役者はいない——共に生き、汗を流して働き、時には笑い、時には泣き、くっついたり離れたり、争ったり手を取り合ったりする人々が。それは、あるべきものが永遠に失われてしまったという理屈抜きの確信。ぽっかりと抜け落ちた不在の存在感。 吹きすぎていく風だけが、五感で読みとれる動きの全てだった。 建物を出てすぐにその荒涼とした風景を目の当たりにして、確かにこれは世界の終わりなのかもしれない……と妙に納得してしまったヨミの横を、ノアが能天気にはしゃぎながら駆け抜けていく。少し離れたところで振り返り、「はやくはやく!」と手を振ってくる。 途方にくれてエリオを見やると、まるでヨミの心を読んだかのように、 「別に無理についてこなくてもいいぞ」 と言って、淡々と歩き出す。 迷った挙げ句に、ヨミは肩をすくめて、小走りでその背中に追いつく。 「他の人たちはどうしたの?」 無視されるかなと思いつつ、聞いてみる。 「だいたい死んだ」 とヨミのほうを振り返りもせず、 「脱出したのも少しはいるらしいが、連中にしたって今生きてるかどうか。つまりおれたちは負けたんだ。猿より賢くなったつもりで、囚人のジレンマを乗り越えられるほど賢くはなれなかったらしい」 まるで他人事のように言う。質問すれば答えてくれるが、進んで説明してくれる気はないらしい。 「あの子は?」 先を行くノアの背中を眺めながら、別の質問をぶつけてみる。 「アンドロイドだ。珍しくもないが、まだ動いてるのは珍しい」 「あ、そうなんだ……」 とつい微妙な反応をしてしまい、エリオが窺うような視線を向けてくる。 「何か不都合でも?」 「そういうわけじゃないけど」 と言葉を濁す。なんとなく違和感はあったのだ。この灰色じみた世界にあって、非の打ちどころのない明るさ。まるでいかなる状況でも、天真爛漫な子供のように振る舞うことを強いられているかのような……。 いや、考えるのはよそう、とヨミは思う。だいたいロクに知りもしない他人からの勘ぐりや同情ほど、迷惑なものはない。そんなことより—— 「あの子が言ってたの、ほんと? 今日で地球が終わるって」 「たぶんな」 「星が降るって、隕石か何かが落ちてくるってこと? それもたくさん?」 「そうだ」 「どうやったら助かるの?」 「助からない。そういう悪あがきの段階はすでに終わったんだよ。あと十数時間で地球は木っ端みじんになる。あんたが宇宙空間にほうり出されて、それでも死なないしぶとい生命体なら、話は別だが」 「いや、わたし普通の人間だし……たぶん。おそらくは」 とヨミは若干自信なさげに、 「昔のこととか、何も覚えてないけど」 少し前にガラスに映った自分と向き合ったときを思い出す。歳は二十歳そこそこだろう。顔の造作は繊細で上品だが、目の奥が死んでいた。全体としては、運動不足で引きこもりのお嬢様といった雰囲気。 まるっきり、赤の他人にしか見えなかった。 「あんたの個人的な素性は知ったこっちゃないが、分かることもなくはない。知らないほうが幸せかもしれんが」 「そんな言い方されると気になるなあ」 ふむ、とエリオは顎に手をやり、 「あんたがいた建物な、ありゃクローンの工場だ。末期にはそういうのも流行ってたしな。つまりあんたは、どこかの誰かが何かの目的で造ったコピー人間ってわけだ。記憶を失ってるんじゃなくて、もともと記憶なんて持ってないのさ」 「……ふうん」 「それだけか?」 「今のところは。どっちにしろ、今日で世界も終わるみたいだし」 と何の気なしに答えると、エリオは若干呆れたように、 「見かけによらず図太いやつだな。変にメソメソされるよりはありがたいが」 だらだらと喋りながら歩くヨミとエリオを待ちきれなくなったのだろう、ノアが勢い良く駆け戻ってきて、 「二人とも何してるの!」 と二人の手を引いて先を急ごうとする。 エリオが素っ気なく振りほどくと、今度はヨミの手を両手で掴んで、ぐいぐいと引っぱりはじめる。エリオはといえば、ここから先のお守りは全部任せた、とばかりに我関せずの顔をしている。 しかたなく、ノアに手を引かれるがままに進み出しながらも、ヨミは疑問に思わずにはいられない。この状況にはいったい何の意味があるのだろうか、と。 ☆ 積層都市は人類史上、最も巨大な建築物である。 かつての科学文明の信奉者たちからは、新しい創世記における神樹と喩えられることもあったが、どちらかといえば傘がたくさんあるキノコに近い。 巨大な中心柱から張り出した都市が積み重なっており、それぞれに特徴はあるのだが、上に行けば行くほど富や技術が集中するという基本構造は揺らがない——いつの時代も、金持ちと権力者は高い場所が好きなのだ。 ヨミたちがいるのは、富裕層が住んでいた比較的上部の都市のひとつ。しかし本物の星空を拝むためには、もちろん最上層までたどり着く必要があるのだった。 「これで目的地までいけるの?」 骨組みだけの金属のケージに乗り込みながら、ヨミが訊ねる。 「ひとつ手前までだな。そこからは……なんとかなるだろ。なにしろ、上に行けば行くほど「しゅっぱーーーーーーーーつ!!!!!」電気系統がしぶとく生きてることが多い。あんたが運良く生きてたようにな」 話の途中でノアが号令をかけ、作動用のレバーを引き下ろした。三人を乗せた簡易式のエレベーターは、最初は軋んだ音を立てながら、次第に滑らかさを取り戻してするすると登っていく。ノアが歓声を上げながら、危なっかしく眼下の景色を覗こうとするのを、エリオが手慣れた手つきで引き戻す。 「二人は下のほうから来たんだよね? いつから一緒にいるの?」 「3年と9か月と11日前からだよ!」 とノアが元気よく答え、ヨミは目をしばたかせる。 「こいつは全部覚えてるんだ。アンドロイドだからな」 エリオが何気ない口調で補足するが、どことなく含みが感じられる。畏敬でも憐憫でもない、しかしその二つを混ぜ合わせたような何か。 「その前は、ひとりだったの?」 と何気なく聞いてしまってから、よくない質問だったかと不安になる。しかしノアはあっさり頷いて、 「誰もいなくて、やることもなくて、ずっと暇してた」 寂しかったとか辛かったとか、そうした感情は一切読み取れなかった。もしかすると、彼女を設計した誰かが不要だと判断したのかもしれない。 「でもね、エリオと会って、いいこと教えてもらったから。それからは暇じゃなくなった」 「いいこと?」 「流れ星にお祈りしたら、願いごとが叶うって!」 ああ、とヨミは頷き、ふとエリオのほうを見やる。エリオはあからさまに嫌そうな顔をして目を逸らす。それから、唯一機械化されていない右手を持ち上げて、たまたま犯行現場で拾った凶器でも見るような目で眺めながら、 「昔話が聞きたいなら、あいにくだ。おれはそいつと違って、物忘れがひどくてな……おかげで正気を保ってられる」 「あー」 どうやら過去の話は地雷原らしい、とヨミは察する。ノアのほうに向き直って、白々しくも咳払いをひとつ、 「それで流れ星には何をお願いするの?」 と訊ねると、ノアはものすごく嬉しそうな顔をして、 「秘密!」 「ほう。気になるなあ……」 「上に着いたら教えてあげるよ!」 「そっか。じゃあ楽しみにしておこう」 ひとしきり盛り上がったあと、エリオのほうをこっそり窺ってみるが、反応はない。 「ねえヨミは? 何をお願いするの?」 ときらきらした目で訊ねられて、ヨミは考え込んでしまう。 「わたしかあ……」 自分の内心を探るようにしてみても、空のグラスに意味を見出そうとするようなものだ。しかも何かを満たすような時間も残されていないときた。 「上に着くまでに、何か考えておこうかな」 うんうん、と熱心にうなずくノアに、思わず苦笑してしまう。別に試してみる分には構わないだろう——なにしろ、他にやるべきこともないのだから。 ☆ 最上層への続くエレベーターを探している途中、エリオが自分で歩けなくなった。機械化された四肢はいくら耐久性が高いとはいえ、必要な保守ができなければ劣化もするし故障もする。つき合いの短いヨミでも、エリオがそういったことを怠るような性格ではないことは分かるのだが、こんなご時世では必要な部品の調達すらままならないだろう。 思い返してみれば、不自然な歩き方をしていたような記憶もあり、あれは上手く使えないほうの脚をかばっていたのだろう。気づかれないように隠そうとしていたものだから、さらに余計な負荷がかかっていたに違いない。 なんてタイミングだと思わなくもないが、どちらにせよ今日が地球最後の日なのだ——ノアたちの言うことが正しいならば。そう考えれば、むしろ不幸中の幸いとすら言えるかもしれない。 キャンプ道具の大半は、その場に置いていくことにした。 最後の晩餐用の水と食料、たき火用のミニコンロなど、最低限の荷物をバックパックに詰込み直してノアが背負い、ヨミがエリオに肩を貸して歩き出す。 ノアが去り際に、これまで散々世話になったであろうキャンプ道具たちを相手に、神妙な面持ちで別れの挨拶をしている姿が妙に印象的だった。 悪いことは続くもので、あとたった一つだけ階層を上がれば目的地だというのに、どれだけ探しても上に行く手段が見つからない。街並みは整然としていて、今にも人々が起き出してきそうなのに、いつまでも静まりかえったままで、おそらく電気も全く通っていない。あてが外れたな、とエリオはまるで他人事のように言う。大丈夫、どこかにきっと動くエレベーターもあるよ! とこんなときでも前向きさを失わないノアに軽い嫌気を覚え、そんなふうに感じてしまった自分自身にさらなる嫌気を覚える。 いくつもの区画を通りすぎ、取り残された街並みをさ迷いつづけて、気力をじわじわと奪うように時が流れていく。そのころには、ノアですらまともに口をきかなくなっていて、もどかしさと苛立ちがないまぜになった空気が伝播していた。 どうして自分はこんな人たちと、こんな場所を当てどなく歩きつづけているんだろう、とヨミは今さらながらに思う。二人と別れてどこかその辺に座り込み、あとはぼんやりと時間が過ぎていくのを待てばいいではないか。世界は終わるのかもしれないし、終わらないのかもしれないが、そんなのは自分の知ったことではない。 そんなふうに思う一方で、ここで止めたら後悔するのではないかという気持ちに突き動かされて、ヨミはノアのあとを追い、エリオに肩を貸しながら歩き続ける。 そして、とうとう出発地点まで戻ってきてしまった。 ☆ 図らずも、数時間前に置き去りにした荷物たちと気まずい再会を果たすことになった。テントやら折り畳みテーブルやら望遠鏡やらといった、贅沢なキャンプ道具の数々。 三人ともバラバラの少し離れた場所に座り込んで、ずいぶんと長いあいだ、誰もなにも喋らなかった。 「ここでのんびり夜を明かすのも悪くないんじゃない?」 最初に耐え切れなくなったのはヨミで、らしくない明るい声で提案してみるのだが、ノアのしょぼくれた顔を直視することができず、半ば独り言のようになってしまう。 「途中に点検用の梯子があったろ」 ずっと黙っていたエリオが言う。もう長いあいだ声を聞いていなかったので、ヨミはまずエリオが喋ったという事実そのものに驚いてしまい、肝心のその言葉の意味するところが飲み込めなかった。むしろノアのほうが早く察したようで、振り返ったその顔には見たことのない不安げな色が混じっている。 「あとはあんたら二人で見てくるといい。多少骨は折れるだろうが、ここまで来て諦めるよりはマシだろ」 奇妙に満足げな表情でそう言って、あたかも同化しようとするかのように、年季の入ったキャンプ道具の山にもたれかかる。 ノアのほうに目をやると、さっと目をそらし、口もとをぎゅっと結んで悲しげに視線を足もとに落とす。 なんだこの茶番は、とヨミは思う。いきなり起こされて、わけのわからない場所を連れ回されて、あげくの果てがこれか。 ため息をつき、大またにエリオに近づくと、上から叩きつけるように言う。 「立って」 面倒くさそうにエリオは首を持ち上げ、いぶかしがるようにヨミを見つめる。 「何をそんな——」 「しゃべんな!」 ぴしゃりと言う。エリオは微動だにせず、代わりに視界の端でノアがびくりとするのが見えた。それもまた腹立たしい。今のヨミにとっては、目に映るすべての物が腹立たしい対象だった。——どうしてこんなときですら、わがままの一つも言えないのか。 観念して立ちあがったエリオに肩を貸しながら、ノアに向かって言う。 「ロープある? 取り回しが良くて、丈夫なやつ」 ☆ 正気かよ、と自分でも思う。エリオは何も言わなかったが、呆れている感じは背中を通じてひしひしと伝わってくる。ノアはといえば、シンプルに信じられないものを見るような目をしている。素直すぎるのも考えものだ。 しかしやると決めたのだった。 作戦はこうだ。 ヨミがエリオを背負い、先行するノアがロープで引き上げて補助しながら、何十メートルも続く梯子を登り切る。非力な少女のなりをしてはいても、ノアはアンドロイドであり、見た目よりはずっと頼りになるだろう。しかし、それでどこまでヨミの負担が減るかと言えば……。 それでもやると決めたのだった。 今や三人はロープでつながれた運命共同体。保守用の梯子には落下防止用の柵も何もなく、ノアかヨミのどちらかが途中で力尽きたり、足を滑らせたりすれば、遥かな地面まで真っ逆さまだ。 「しゅっぱーーーーーーーーーーーーーつ!!」 といつになく真剣な顔でノアが号令をかけ、 「よっしゃーーーーーーーーーーーー!!!!」 とやけくそのようにヨミが叫ぶ。 それから、途方もない工程がはじまった。 梯子を一段、また一段と登っていくのだが、なにしろ二人のタイミングを合わせるのが難しい。どちらかが遅れると、エリオの全体重を一人で背負うことになってしまう。体に食い込むロープが何かの拷問かと思うほどの痛みを生じる。後悔する余裕すらなく、歯を食いしばって耐える。自分が機械の一部になったところをイメージする。文句も言わず、疲れも感じず、黙々と成すべきことを成し遂げる、精巧で力強い機械。 登る、登る。 数分か、数十分か、次第にタイミングを意識しなくても、ノアと息が合いはじめる。しかし余計なことを考える余裕はない。冷汗なのか、脂汗なのか、とにかく体力の限界はとうにぶっちぎっていて、体が警告を発しているのは分かる。エリオが何か言っていたような気もするが、まるで頭に入ってこなかった。ただ心臓が爆発しそうに痛い。意識してはいけない。本当に爆発するかもしれない。 それで視線を下に転じてみれば、寒々とした街には明り一つなく、のっぺりとした闇に埋もれている。いったい自分たちはどこから来て、どこに行こうとしているのだろう。 出会ったばかりの二人のことを思う。 すべてを覚えているアンドロイドの少女と、忘れたい過去に囚われたサイボーグの男と。自分は二人のことが羨ましいのだろうか。分からない。空っぽの自分には、羨ましい人生とそうでない人生を比較することすらできない。ただ今ここに在るだけだ。たまたま居合わせただけの傍観者として。 そしてヨミはノアに言われたことを思い出す。 流れ星に祈ると、願いごとが叶うらしい。 残された時間はあとわずか。しかし願いごとを見つけることさえできれば、あるいは自分も二人のように…… そんなことを考えながら、ひたすらに手足を動かし、息を吸って、吐いて、朦朧とした意識の中で、苦しいほどに脈打つ心臓だけが生きていることを実感させる。生易しい旅ではない。その先に何があるのかもわからない。 それでも登る。登りつづける。 そして、とうとう終わりのときがやってくる。 ☆ 風。 ☆ 真っ先に感じたのは、明るさだった。 やわらかな光が揺らめいている。ぱちぱちと何かがはぜる音が聞こえる。それから、じわりと心に染みるような温かさ—— ゆっくりと上体を起こし、あたりを見まわした。 夜の公園だ。 木製のベンチの上に寝かされていて、おそらくノアが毛布を掛けてくれたのだろう。近くの木の根元にエリオが背を預けていて、たき火の周りでうろちょろと忙しなく動き回っているノアを見守っている。ヨミが目を覚ましたことに気づくと、 「よう、起きたか」 心配するでもなく労うでもなく、淡々と声をかけてきた。どういうわけか目頭が熱くなる。 「ヨミ!」 とノアが駆けよってきて、マグカップに入れたココアを持ってきてくれた。立ち昇る湯気が目に染みて、今度こそ少し泣いてしまったのを鼻をすすりながらごまかす。照れと清々しさが同時に押し寄せる。 「気絶してたみたい」 「無茶苦茶するからだ。しかしまあ……迷惑かけたな」 とエリオが神妙に頭を下げてくるので、なんだかおかしな気分になってしまう。 「いいよいいよ。わたしもみんなで来たかったし」 そこでひとつ意地悪を思いついて、 「でもまあ、かよわい女の子に気を失うほど重労働させたんだから、お礼の一つくらいはあってもね」 エリオは何か言いたそうに口を開きかけ、閉じて、面倒くさそうにため息をついてから、 「なんだ?」 「流れ星には何をお願いするの?」 拍子抜けしたように、エリオは肩をすくめて、 「今さらだな……」 それから公園をうろうろしながら空を見あげているノアのほうを見やり、 「おれはとっくに全部諦めたからな。あいつが満足すりゃ、それでいい」 「親心ってやつかあ」 とヨミがしみじみと言うと、エリオは不服そうに顔をしかめ、 「言っておくが、そんな歳じゃないぞ」 「どうだろ。精神的に大人に見えるのかも」 「喧嘩売りやがって」 「売ってない売ってない。だってわたし、生まれたばっかみたいなもんだし。生後一日。二人のこと尊敬してるよ、人生の先輩として」 「やっぱ喧嘩売ってるな」 「だから売ってないって」 そんなふうに言い合っていると、ノアが駆け戻ってきて、 「あそこ! あそこが一番良く空が見える!」 と凸凹やらロープやらがついたピラミッド型の遊具を指差す。 「だってさ。今度は自力で登ってね」 「……手貸してくれ」 「お、素直になったな」 子供用のアスレチックに驚くほど苦戦しながら、天辺にたどり着くと、ノアは大の字に横になって、わくわくした表情で夜空に目を凝らしていた。 「流れ星、見えるかな?」 「どうだろうね」 三人で並んで横になりながら、ヨミは言う。 「けっきょくノアちゃんは何をお願いするの?」 「えっとね、みんながゆっくり眠れますようにって!」 ヨミは息を吸って、吐いた。 白い空気が闇に溶けていった。 すべてを覚えているアンドロイドの少女。これまでどんなものを見て、どんな思いで旅を続けてきたのか。世界のことも、彼女のこともほとんど知らない自分には、計り知れるものではない。それでも確かに分かることといえば—— 「優しいんだね、ノアちゃんは」 ふへへ、とノアが笑う。 ここにきてよかった、と心から思えた。 「それであんたは?」 先ほどの意趣返しのつもりか、エリオが横から口を出してくる。 「わたしかあ……」 どんなに夜空に目を凝らしても、答えは見つかりそうもない。ノアとエリオには、それぞれの物語があって、人生の糧になっている。自分にはそれがない。すぐ隣に並んでいるというのに、本質的な隔たりのようなものを感じてしまって、そのことがヨミは少しだけ寂しい。 「流れ星が見えるまでに考えておくよ」 「楽しみだね!」 無邪気なノアの声に元気づけられる。 なんだか安心して、急な眠気に襲われ、ヨミはこっそりと目を閉じる。 流れ星は降るのだろうか、降らないのだろうか。 この世界は終わるのだろうか、終わらないのだろうか。 今となっては、どちらでもよかった。 ただ—— 「あ!」 ノアの声に目を開ける。 視界いっぱい広がる夜空の端に、一筋の光が—— アンドロイドの少女は立ち上がる。歓声を上げることも、祈ることも忘れて、解き放たれたような透明な表情で、光と闇が織りなす場面にじっと魅入られている。 奇跡のように流れ星が降り注ぐ、地球最後の夜に。 そして、ヨミとエリオのほうを振り返る、弾けるような本物の笑顔。 二人のように物語があるわけでもなく、世界の終わりにたまたま居合わせただけの自分だけれど。 こんな時間がもう少しだけ続けば良いのに、とヨミは思う。 |
hrgn 2025年04月27日 23時52分37秒 公開 ■この作品の著作権は hrgn さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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