夢は巡るトルファンの胡旋舞 |
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私は夢を見ているらしい。 目の前には、十五歳くらいの美しい少女がいた。髪の毛、目の色、唇の色、着ている衣装までも全てがうっすらと青みがかっている。その様子は現実離れしていて、あたかもバダフシャーンの鉱山で産出するヴァイドゥーリャ貴石 (ラピスラズリ) を砕いて粉にしてちりばめたかのようだった。 どこかで会ったことがあるような、でも知り合いとは別人であるかのような、曖昧な感覚だった。私が見ているのは現実ではなく夢なのだろう。 少女の背後には円盤らしき物が見える。中央部分は色とりどりの花々で覆われていてどうなっているのか分からないが、外縁部には、遠きローマの国で使われる文字か数字らしきものが刻まれている。何の用途に使う円盤なのだろうか。 少女の周りに咲き誇る花々には、美しき色彩に惹かれた蝶が数匹ひらひらと舞い飛んでいる。その蝶たちが撒き散らす鱗粉すらも青く輝いているようだった。 ただ一カ所、絨毯なのか蓮の花弁なのかあるいは他の何かなのは判然としないが、深紅のものが目をひいた。 辺塞詩人とも呼ばれる私は、こうして長安の都から西へ遥かに離れた高昌 (トルファン) の地にて軍務に就いてるが、そのような中でも周囲の風景を目に焼き付けて、心の中に詩情を育むことを怠らない。 そんな私でも、夢で見た青い少女は人とは思えぬほどの美しさで、まさに女神と称するべきところなのだろう。 ●●● 美人舞如蓮花旋 世人有眼応未見 私が踊子を見たのは、トルファンの太守の館でだった。 大唐帝国の西域、長安の都から遠く離れたトルファン盆地にある北庭都護府という軍事拠点が私の任地である。 彼女は太守が所持するソグド人の踊子だった。年齢は二十歳くらいだろうか。真っ赤な蓮の花弁のようなあでやかな美人だった。豊かな髪には幾種類もの花を束ねたものが挿して飾られている。 高堂いっぱいに真っ赤な絨毯が敷かれた場所で、彼女が軽く一曲、胡旋舞を踊ってみせてくれた。「北旋歌」という曲だった。その天下無双の姿に私は魅せられた。私だけではない。他の客人たちも彼女の胡旋舞を見て「今までこんな素晴らしい舞いは見たことが無い」と驚き感嘆した。 胡旋舞とはその名の通り胡人が旋回しながら踊る舞のことである。胡人というのは、大唐帝国から見て西域にいる異民族のことを指す幅広い総称だ。発祥はソグド人やペルシア人であると言われているようだ。その異国情緒が人気となり今では長安の都でも親しまれている。 胡旋舞の際に演奏された「北旋歌」は、元は遠き西方のサマルカンドという都市の音楽だったものが、唐国の北同城へ伝わって演奏されている。 高堂満地紅氍毹 試舞一曲天下無 此曲胡人伝入漢 諸客見之驚且歎 私は彼女と少しばかり言葉を交わしたことがあった。彼女が話せるぎこちない唐国語の範囲ではあったが、それでも通訳を通じてではなく直接言葉を交わしたかったのだ。 彼女はサマルカンド出身と自称していたが、本当はサマルカンド生まれではないという。サマルカンドの街は、彼女が生まれるよりも前にイスラム教徒に占領されてしまい、ソグド人は追い出されて散り散りになった。 つまり彼女は、心の故郷を我が目で見たことが無いのだ。 その悲劇性が顔のせつなげな表情や仕草の一つ一つにも出ているのだろう。 とにかく幾度見ても彼女の胡旋舞は素晴らしかった。 初めて彼女の舞を見た時に、奏されていた曲は「北旋歌」という曲だったが、それに続いて奏されたのが「出塞」であると記憶している。 薄絹の衣装は、金糸の刺繍で花や葉が多く描かれている。。ほっそりした体型ながらも、胸や腰の部分は衣服の上からでも分かるくらいに豊かだ。軽やかな胡旋舞は、左に右に旋回して、つむじ風を生む。裾を翻し袖を振れば、花弁が吹雪となって飛び舞うかのように華やかだ。 曼瞼嬌娥繊復穠 軽羅金縷花葱蘢 回裙転袖若飛雪 左旋右旋生旋風 琵琶と横笛の演奏により奏される音楽がいまだ止まぬ中で、風が吹く中でも雲が動かずに空に留まっている。まるで、演奏とそれに合わせた彼女の舞に魅了されているかのようだ。長安から西に向かってここ北庭都護府に至るまでに、途中で北同城付近を通過するのだが、そこから北の彼方に見える花門山の上を気に入ったかのように居座っている雲があった。それに似ているかもしれない。 更に続けて演奏された曲は「入塞」だった。砂漠に白い花を咲かせる草が、音を立てて吹く風に身を震わせているかのようだった。 琵琶横笛和未匝 花門山頭黄雲合 忽作出塞入塞聲 白草胡沙寒颯颯 ●●● いついつまでも彼女の舞いを見ていたい。 だが私はあくまでも軍務でトルファン盆地の要所にある高昌に来ているのだ。中央からの命令があれば長安の都に戻らなければならない。 そう思っていたのだが、想像以上に早い段階で別れは訪れた。 彼女が熱病に倒れたのだ。 酷暑の地のトルファン盆地にもかかわらず、悪寒がするといって布団に包まって苦しんでいたという。 彼女はまだ見ぬ故郷のサマルカンドを夢見ながら息を引き取ったらしい。 軍務で忙しい私は彼女の側についていてやることも適わず、薬を調合することもできず、ただただ無力だった。それが口惜しい。 今になって思い出すと、彼女と言葉を交わしたのは一度だけだったかもしれない。後は、舞台の上で命を燃やし尽くすように旋回し舞う姿を、憧れの目で眺めているばかりだった。 彼女は未だ見ぬサマルカンドへの憧憬を常々語っていたらしい。当然私と話した時にもサマルカンドの名を口にしていた。 彼女の死を聞いた時、今際の際に側にいてやれなかった無力感が私を苛んだが、ならばこそ尚更、弔いだけは彼女を望みを叶えたいと思い、太守に積極的に協力を申し出た。 とにかく彼女はサマルカンドへ強いこだわりを持っていたようなので、それならばということで、サマルカンドの作法に則って葬りたいと思った。 しかし私はサマルカンドの人の死生観や葬儀の方法について特段の知識を持っていなかった。私に限らない。サマルカンドのソグド人の葬儀様式を詳細に知っている人物など現在では存在しないのだ。彼女が生まれるよりも前にサマルカンドはイスラム教徒の攻撃により陥落してしまった。一部のソグド人はムグ山要塞に退避して頑強に抵抗を続けたが、そこもまた陥落してしまったという。なので当時のことを知る人は散り散りになってしまっていて、会うことが難しい。 トルファン近郊には崇化郷というソグド人集落があるので、私は通訳を連れてそちらへ足を運んだ。サマルカンド生まれの者を探すのは難しかった。両親や祖父母がサマルカンド生まれという者はいても、本人はそうでないという。サマルカンドが陥落してから三十年以上経っているようなので、サマルカンドを知る者は既に亡くなっているか、あるいは高齢になってしまっているかだ。 それでも私は諦めなかった。広く各地の情報を得る機会が多いと思われるソグド人の交易商人を見つけて、話を聞いてみた。確かに交易商人は各地の風習にも詳しかったが、そもそも正解のない問いだった。交易や人の行き来が発展したことによってもう既に各地の風習が混ざってしまっていて、今更源泉を辿る意味も無いようだった。実際に矛盾する説を幾つも聞いた。 サマルカンドでは、大地や水や風を汚すことになるので、土葬も火葬も水葬も禁止だったという。ならばどうしていたかというと、亡骸を飢えた犬に食わせて残った骨だけをオスアリという骨壷に納めるのだという。そのための専用の犬を飼っている葬儀専門の家族がサマルカンド郊外に二〇〇戸ほどいたらしい。そういえば唐国内でも、太原府近郊では野良犬に亡骸を食わせることがあると聞いたことがある。さすがに高昌で犬葬を実行することは難しいので、遺体をそのまま地下墳墓に埋葬することとなった。 普通の衣服の代わりに、反故紙でできた衣服や靴を着用させるのがトルファンでのやり方だ。ただしその作業は女性に任せて、私が同席することはない。 いよいよ埋葬となる当日、私もまた埋葬に立ち合って、彼女と最後の別れをすることとなった。高昌城の郊外にあるアスターナという村落にある墓地である。 墳墓となる地下室は、猛暑の屋外に比べたら、直射日光が当たらないだけでもひんやりしていた。 彼女の遺体は狭い玄室の中央に安置された。 亡くなった彼女の顔は穏やかだった。思い出してみれば、彼女が熱病に倒れて以降、彼女の顔を見たのはこれが初めてだった。 化粧によって赤さを保っている唇を割り開けて、私は彼女の口の中に一枚の金貨を差し入れた。 含口銭、というものだ。 金貨といっても本物ではなく、ローマ帝国の金貨を模倣したものだ。中央には皇帝の肖像らしい、鼻の高い男性の横顔。外縁部には、何やら文字が刻まれている。私はこれに見覚えがあった。夢の中で見た、ローマ帝国の文字か数字らしきものが刻まれている円盤だ。あれは含口銭だったのだ。 口の中に貨幣を入れる風習は、死後の世界における境界の河を渡るためのハロンのオボルと呼ばれる渡し賃らしい。ハロンというのが渡し守の名で、オボルというのは渡し賃となる貨幣のことだ。 その一方で、サマルカンドでの含口銭は、生まれたばかりの新生児の口の中に含ませて、この子が将来お金で困ることが無いように、とする願掛けだともいう。この辺り、風習が混ざってしまっているのだ。 サマルカンドの人々の死生観では、亡くなった人はチンワト橋と呼ばれる選別の橋を渡って女神ダエーナーの審判を受ける。ダエーナーとハロンも混ざっているようだ。ダエーナーは亡くなった人を十五歳の胸の大きな少女に変換した象徴的な姿で出現するという。生前の故人が善人であればダエーナーは美しく、故人が悪人だったならばダエーナーは醜い姿で出現するのだという。 故人の脇に花束が置かれた。その花束自体に見覚えがあった。生前の彼女が胡旋舞を演じている時に髪に挿していた花束そのものだった。猛暑のトルファンで手折られた生花が長時間枯れずにはいられない。これは絹で作られた精巧な造花なのだ。 そして私は思い出していた。この花束こそが、夢の中で見た、円盤の中央を覆うようにしていた花々だった。白っぽい花、薄青っぽい花、橙色の百合の花。 私の胸の最も深い部分から、言葉がこみ上げてきた。その衝動に任せて、私は詩を詠んだ。 彼女の生前の功績、何と言っても胡旋舞の美しさをとにかく称えるのだ。そして彼女の魂が、女神ダエーナーに導かれて心の故郷であるサマルカンドへと至らんことを。 翻身入破如有神 前見後見回回新 始知諸曲不可比 採蓮落梅徒聒耳 世人学舞只是舞 姿態豈能得如此 生前の彼女の胡旋舞を思い出す。軽やかな動きで身を翻し、散序、中序を経て曲が盛り上がって最後の破の部分に入り曲調が速くなった時には、その動きはまるで神が降臨したかのようだった。 先の動きと後の動きが巧妙に変化に富んでいて、見る度に新しい発見があり、ずっと眺めていて飽きることが無かった。 長安の都にいた頃にも、酒場などで胡姫が胡旋舞を舞うのを見たことはあった。「採蓮」や「落梅」の曲に乗せて演じられていた。それでもトルファンの彼女の演舞は今まで聞いた曲とは比べようもなかった。 過去に見た舞姫に失礼かもしれないが、長安で見た踊子の舞いは、お金を稼ぐために学んで、ただ舞う形を真似しただけのように思える。だから伴奏の音楽を耳障りなものにしていた感がある。 トルファンのこの妓女の舞は、燃え尽きようとする炎のようだった。己の命が残り少ないことを予感していたのかもしれない。自らの生を表現しようと心の底からの衝動で舞っていた。彼女の胡旋舞の神髄を、ただ上っ面を真似しているだけの胡人や、あるいは胡人の異国文化を面白がって模倣している唐国の貴人がどうして取得することができるだろうか ●●● その時、私の目の前に一瞬だけ、少女の姿が空中に見えた。 夢で見たあの十五歳くらいの青い少女だ。 その姿は美醜のどちらかというと、明らかに美しかった。少女は幽かに微笑むと、反故紙の衣装に包まれた踊子の胸に優しく手を置いた。 刹那、少女の姿をした女神ダエーナーは消え、五匹ほどの白い蝶が宙を舞った。その蝶も、儚い泡沫のように消えた。 「い、今のを見たか」 私は遺体をここまで運んできた人工たちに聞いたが、誰一人として女神の姿を認めた者はいなかった。自分一人だけが見た幻だったようだ。 いや、幻ではないはずだ。 踊子は、女神の導きにより、遥か遠くへ旅立ったのだ。行く先がサマルカンドなのか、あるいはイスラム教徒に占領された故地ではなく、本当の平安がある来世なのかは分からない。 願わくは、この私辺塞詩人岑参の作った『田使君美人如蓮花、北旋歌』の詩が、彼女の生きた証として後世まで残らんことを。 |
競作企画 2025年04月05日 06時25分53秒 公開 ■この作品の著作権は 競作企画 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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