ダーク・スター |
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俺の名は黒川真樹、17歳だ。地上に堕ちた元守護天使で、今は高校に通わされている。 いつものように高校の部活をさぼって街をぶらついていたら、同じクラスの新井星香が絡まれているのに出くわした。路上ライブをしていたようだ。相手はいかにも軽薄そうな若い男が二人だった。 「こんなところで歌っていたら腹が減るだろう? うまい店を知ってるから一緒においでよ」 少し離れた所に乗用車が停車している。運転席の男は笑みを浮かべ獲物を見定めるような目でその様子をながめている。 三人とも俺より年上だが、ケンカ慣れした様子がない。殴り合いになっても負けることはなさそうだ。 ならば、ここは穏便にゆこう。 俺は足音を殺して近づき、二人の男の背後に立った。 「黒川君!」 新井星香がホッとしたような声を出した。 二人の男がふり向く。俺に気づいて驚愕の表情をうかべる。 「学園の黒川真琴か?」 初対面なのにいきなり呼びすてかよ。しかも名前を間違えてるぜ。ひでえなあ。 俺の名は黒川真樹だ。 そうか。似た名前の極悪非道な学生がいて、俺はそいつと間違えられたのだな。 もう一人の男が叫んだ。 「真琴じゃない、黒川真鬼だ。鬼の黒川だよ!」 おいおい、それも俺の名前じゃないぜ。 元天使様の俺が鬼だって? いい度胸してるじゃねえか。 でも、なんで俺が学園の生徒と分かったのだろう。ああ、新井星香の制服で気がついたのか。 女子高生と分かっていて誘うのは犯罪になる可能性がありますぜ、お兄さんたちよォ。 俺はそんな感想を押し殺し、殺気を極限まで押さえて、できるだけ丁重に話しかけた。 「何かご迷惑をおかけしたのでしたら、まことに申し訳ございませんでした」 深く頭をさげて相手の出方をうかがう。 たった今出会ったばかりの相手だから俺が迷惑をかけていることはありえない。だからここは下手にでて差しつかえない場面だ。 こちらは一切抵抗してないのだぜ。さあ、ありもしない理由をつけて無理難題を押し付けてこいよ。 相手がつけあがって何かを要求してくれば言いがかりだと簡単に証明できる。そうなれば逆に相手の弱みを握っていろいろと付け入ることができる。 なにしろこちらは不当な要求をされた被害者になるのだからな。 ただし、暴力に備えて相手の足の動きにだけは充分に注意を払う。致命的な打撃を見舞うには、しっかりと大地を踏みしめて腰を入れなければならない。その動きだけを警戒しておく。 堕天した元守護天使様でも致命的な一撃を食らったらやっぱり痛いからな。 その間、決して目を合わせずに、深く頭を下げたままの姿勢を保つ。 「お、おう。なんでもないよ」 相手はしどろもどろになり、足早に去って行った。 ちッ、殴ったり蹴ったりしてくれば被害者としてねちっこくいたぶってやれたのにな。 あっさり逃したのはちょっともったいなかったか。いかにも金を持っていそうな奴らだった。 「ありがとう、黒川君。あいつら大学生だよね。三人まとめて撃退するなんてすごいね」 社会人かもしれないぜ。 「あやうくホテルに連れ込まれるところだったわ」 それだけじゃ済まなかったかもしれないぜ。 「うん、私は美少女だから、その後に監禁されてたかもね」 自分で美少女とか言うか? 「客観的に事実を述べただけよ」 それにしても、こんな物騒なところで一人で路上ライブをしようとするお前の方がよっぽど凄いよ。 「それって、非常識だということ?」 ああ、そうとも言うなあ。 自分の身は自分で守れよ。 「人が集まってくれば大丈夫と思ってたけど、そうなのかあ。それじゃあ、黒川君がボディガードになってくれない?」 なんでそうなるのだよ。 まあ、いいけどさ。どうせ暇だし。 「私の歌を聞いても料金はいらないよ」 ボディガードをさせたうえに金まで取る気かよ。 「だからァ、料金はいらないって!」 ああ、分かったよ。ボディガード代は払わないってことだな。どうせ突っ立ってるだけだからいいけどな。 あたりには誰もいなくなっていた。 新井星香は構わずに路上ライブを始める。 なんだ、歌いたいだけだったのか? それならカラオケにしておいた方が安心だぜ。 しかし、俺はすぐに自分の間違いに気づいた。 新井星香はとんでもなく歌が上手かった。 音程は正確で声量があり、澄んだ歌声にはなんとも言えない艶がある。 何よりも聴く者の心を鷲掴みにする魅力があった。 うん、これなら金を取れる。 通り過ぎようとしたサラリーマンが足を止めた。買い物帰りの主婦が振り返る。高校生らしいグループが近寄ってくる。 たちまち人が集まってきた。 「初めまして。私は新井星香、アイドルをめざしてるんだ。出来るかどうか分からないけど、それが私の夢……」 皆が一斉に拍手した。歓声が上がる。 できるのじゃねえか、これだけ上手ければ。 「ありがとう。その言葉を信じてがんばるね」 こうして新井星香は路上アイドルデビューを果たし、俺はそのボデイガードになった。 何回目かの路上ライブが終了したあとで、いかにも酒場のマスターらしい恰好をしたおっさんが話しかけてきた。 不健康そうな細身の体形で、ポマードで固めた毛髪が後退し始めている。格子模様の赤いベストに黒い蝶ネクタイをしてダブダブのズボンを穿いていた。 いつの時代からやってきたのだろう。 「歌、上手いねえ。うちの店のステージで歌ってみない?」 しゃべりながらシェイカーを振るような動作で腰を振ってるのは職業病かな。 新井星香は即答した。 「ええ、よろしくお願いします!」 おいおい、今度は酔っ払いが相手になるのだぜ。少しは警戒しろよ。 「大丈夫よ」 ……星香は魅力的な美少女だから、その筋から強引な勧誘があるかもしれない。 地下アイドルとしてデビューしたためにAVアイドルに勧誘され、ロクでもない男にひたすら貢がされるだけの悲惨な青春をおくるようになる可能性は決して低くない。 「大丈夫よ、黒川君が守ってくれるから」 元守護天使だから守るのは苦手じゃない。 信頼してくれるのはうれしい。 けれど俺だって万能じゃないからな。まず自分でその身を守ってくれ。 さすがにその筋の方たちとやり合うのは遠慮するぜ。 マスターの地下酒場は意外と広かった。楽に三十人は入れそうだ。舞台の右袖には従業員が休息や着替えをする小部屋のドアがあり控室として使うことができる。控室の非常階段を登れば裏口から外にでれる。 舞台の反対側にはカウンターがある。その裏にある調理場から外に逃げることができる。 マスターは借金取りから逃げるためにいくつも逃走経路を用意しているようだった。 暴力沙汰がおきたり、ヤバい方たちがいらっしゃったら、とりあえず逃げればいいか。 初めて訪れる建物で避難経路を確認しておくのは大切だからな。 新井星香の地下アイドルデビューはそこそこの成功だったと思う。 客の入りは四割くらいだった。 会場にはカラオケの設備やマイクすらなかった。借金を返すために売り払ったそうだ。 知ってればプレイヤーを持ってきていた。 だから最初の舞台は無伴奏だった。 「カラオケじゃなくて、オケカラなのね」 新井星香にはウケていた。 歌声は閉鎖された空間の中で増幅されて共鳴し、魂を揺さぶる響きとなった。SNSで噂を聞き、ライブの途中からポツリ、ポツリと客が増え始めた。終了した時には座席がすべて埋まり、立ち見の客が十人以上いる状況になっていた。 「私は正式な歌のレッスンを受けたことがありません。そんな私の、素人の歌を聴いてくださって本当にありがとうございました」 万雷の拍手が狭い会場内に轟いた。 マスターがぼやいた。 「タダ見するやつらがずいぶんいたよ。この次からはワンドリンク制を徹底するぞォ! はい、これが報酬」 ボディガード料を初めてもらった。千円だった。命がけの仕事なのだぞ。ケチだなあ。 「まだ借金を払いきれないんだ。ごめんね」 笑顔でうれしそうに言う話しじゃねえだろう。 その後、地下ライブはいつも超満員になった。設備は、マイク、カラオケの機材、結局は活用されなかったDJ機器、意外と上手な素人バンドの参入の順に拡充されていった。 そのうちにスポットライトやフットライト、ミラーボールまで取り付けられた。 悪趣味だなあ、マスターは。 いつの時代の感性だよ。 路上ライブも道路に人があふれるようになった。 さらに、町内の祭りで行う素人のど自慢大会にゲスト出演する依頼が入った。 「出席させていただきます。よろこんで!」 新井は今回も即答だった。乗り気だなあ。 「機会はすべて生かさなくちゃね」 主催者の思惑は、のど自慢大会で優勝者を決めるための時間かせぎ、ただそれだけの役目だった。 新井星香の歌は町民たちから熱烈に歓迎された。人気アイドル並みに喜ばれた。 うわさを聞いて、別の町からも出演依頼が来た。 これって、地方アイドルになれたってことかな。 素人にまじると、新井の歌の上手さはさらに際立った。 しかもライブするたびに美少女レベルが上昇してねえか? 「素人なりに努力してるからね。成果が出てるのかな? ありがとう!」 心をとろかす様な笑顔だった。 自然にこんな笑顔ができるって凄いな。 いや、演技だとしてもスゲエわ。 放課後の教室で、新井星香が委員長に絡まれていた。委員長の取り巻きも一緒だ。 イジメか? 孤立無援なら助けが必要だな。 「スカートが短すぎるわ。パンティからお尻がはみだしてるのが丸見えじゃないの。だらしないわよ。他の女子まで男子からイヤラしい目で見られるようになるから止めてよね!」 ブラウスがはち切れそうなのは指摘しないのか。胸が大きすぎるのを非難するのは悔しいのかな。 新井星香は余裕の笑みを浮かべて答えた。 「私を嫌う女の子は多いでしょうね。でも、男の子は私のような女の子を夢想するものよ。セクシーで、ちょっとイケナイ、誰とでも仲良くなってしまう私をね」 あれえ~。 どうしたのだ? 活動的で清潔感あふれる新井星香はどこにいってしまったのだよ。 委員長とその取り巻きたちも言葉を失って立ちつくしている。 新井星香が追い打ちをかける。 「私は、あなた達のように家にこもって良い子でいるようにと型にはめられている女の子たちとは正反対なのよ」 委員長は、絞り出すように言葉を紡いだ。 「そんな態度でいたら、まともな男の方は相手をしてくださらないわよ!」 新井星香は笑みを浮かべた。恐ろしく魅力的なのにどこか邪悪な感じのする悪魔的な笑みだった。 「相手が品行方正な男子なら、私が他の男とも付き合ってるなんて想像すらさせないわよ」 おい、おい、ものすごく悪そうだぞ。 今度こそ全員が言葉を失った。 まずいな。清純な新井星香が壊れだしてる。 俺たちには無限の可能性がある。 闇堕ちを選べば、堕落してゆくその先に際限などない。不幸には底が無いのだから。 とりあえずこの場から引き離さないと。 「星香、行こうか」 新井星香は俺に微笑んだ。純真無垢な天使のような笑みだった。 その表情のまま委員長たちへとふり向く。 「それじゃあね」 ほとんど表情は変化していない。それなのに心の底から軽蔑していることがハッキリと分かる笑みだった。 俺たちが教室から出たあとを追うように、取り巻きの誰かが叫ぶのが聞こえた。 「こんな状況なのに男漁りに励んでるの? 信じられない。親の会社は破産寸前なのでしょう!」 そういうことか。 なるほど。 親が破産寸前だから高校の制服を用意しきれなくなったのか。しかたなく今日は中学の時の制服を着てきたのだな。 この学園は中高一貫で制服が同じだ。 それを委員長にセクシーすぎるととがめられた。ここで本当の事を知られたらカーストが最下層に落ちる。 だから、「私の魅力を際立たせるため」、と言って突っ張っていたのか。 「たいした演技力だったな。でも、もう止めろよ。あいつらの言うことを男たちが本気にしたらマジで危険だぜ」 これまでのところ歌手活動はうまくいっている。いや、順調すぎだ。そして良くも悪くも世間からの注目を集め始めている。 悪い奴らも注目しだしているはずだ。 新井星香は誰とでも寝る女だと言いふらされたら、飢えた男たちが群れを成してやってくるようになる。いったん堕ちて汚れちまったら、その先には骨までしゃぶりつくそうとするヤツラが控えてるからな。 「ありがとう、助かったわ。でも、なぜ助けてくれたの?」 「ボディガードは依頼者を守るものさ」 あたりの空気がいつもと違った。殺気とは異なるがピリピリした気配が濃厚にただよっている。 俺は地下酒場に行く道の途中で、「警護に必要だから」と理由をつけて、星香に白地に鮮やかなポピーが描かれたTシャツ、ライトグリーンの作業用パンツ、カラフルなプラスチックのネックレスを買ってやった。全部で五千円しなかった。 あらためて実感する。 美少女には、なんでも良く似合う。 ただの安物が最高のファッションに化けて輝きを放っている。 「この店のロゴがはいった袋は学生の間で人気なんですよ」 そう店員に言ったら、袋を無料で分けてくれた。中学の制服はその袋に入れた。 地下酒場でのライブが終了したあと、強烈なオーラをまとった男が俺たちの前に立ちふさがった。 ただ者ではないとすぐに分かった。 ついに来たか。 手渡された名刺の肩書には、大手芸能プロダクションのマネージャーと書かれていた。 新人の歌手候補としてスカウトされたらしい。 「えっ、歌唱訓練もダンスのレッスンも受けてないの?」 新井星香は貴重な宝石の原石だったようだ。 いつものように即座に受諾したら、ピリピリした空気が和らいだ。 明らかにその筋と思われる方々が三人そろって酒場から出て行った。 しばらくして、控室の出口と調理場の出口の方から大型車が発車する音が聞こえた。そして、剣呑な気配が完全に消えた。 紙一重でやり過ごせたようだ。 おそらく、だけれども中学の制服のままで歩いていたら数人がかりで車の中に連れ込まれて拉致されていただろう。 酒場に来た三人の誘いを受けたら闇堕ちが確定していた。断っても外に出た途端に拉致する、その準備が整っていた。すべての出口を押さえて、数台の車で追跡を邪魔する手はずも万全だっただろう。 決断を先延ばししてたら危なかったな。 大手プロダクションの庇護の元に入ったから、かろうじて助かったようだ。 運やめぐりあわせは本人が引き寄せるものだ。この展開は、何かを『持ってる』ということで間違いなさそうだ。 幸運に深く感謝しよう。神よ、あんたに対してじゃねえからな。 しばらく養成所でレッスンを受ける日々が続いた。やがて新井星香は歌謡祭への出場権を得てメジャーデビューすることになった。 俺は、新井星香が所属することになった大手の芸能プロダクションから出禁をくらった。 「ボディガードとして必要なんです!」 新井星香の必死の訴えも通じなかった。 学生時代のやんちゃが祟ったらしい。 今でも学生だけどな。 神よォ、この試練はあんたの差し金だろう? メジャーデビューした新井星香は、魔性ともいえる歌声で人々を魅了した。さらに、人形じみた美貌と、フィギアのような美少女体形を生かした超絶パフォーマンスによって、聴衆の心をしっかりとつかみ、凄まじい熱狂を巻き起こした。 厳しいレッスンに磨かれて、原石は素晴らしい輝きを放ちはじめた。 いまや新井星香のダンスは、鍛え上げられたバックダンサーに加えて、プロジェクションマッピングや立体ホログラムを駆使した結果、人間の動きをはるかに越えているように見えた。 時には瞬間移動したように場所と姿勢を変化させ、ある時には蠢く軟体動物のように妖しく舞って触手を伸ばし、聴衆の精神の隙間にすべりこんで、アメーバが獲物を取りこむように、ファンの心を根こそぎ捕食していった。 魅了されたファンたちは、新井星香を女神のようにあがめ、まるで催眠術にかかったように絶対的な下僕となった。 「やれやれ、誰とでも寝る女の次は、地上に降臨した女神様か。イメージの振れ幅が大きすぎるよ」 明らかに社会的な影響が大きすぎる。 しかし、元守護天使ならやることは決まっている。とは言っても、近づくこともできないのでは話にならないな。 どうやって傍に行こうか。 すこし荒っぽいけれど仕方ないか。 俺は株取引を始めた。天使の権能で『神の奇跡』を発動させて一気に大儲けする。堕天したせいでだいぶ劣化してたけど目的は達成できた。 そのあおりで破産する者が続出した。 いまは緊急事態だ。すまんが人柱になったと諦めて尊い犠牲になってくれ。 神が知ったら、 「そういうところであるぞよ。堕天させられた理由は……」 と、言うだろうな。 全知全能なら、先刻ご承知なのかな。 神の御心など一介の堕天使に分かるわけがない。 俺は自分に分かる範囲であがくだけさ。 株で得た利益を元手にして新井星香が所属する大手の芸能プロダクションの経営権を購入した。運営を乗っ取るためだ。 経営陣は年寄りが多かった。考え方が五十年は遅れていた。 女の子は結婚する相手をさがすために就職するという昔の固定観念を捨て切れていなかった。だから職場で男女の関係が生じるのは当然であり、むしろ望ましいとすら考えていた。 いまや女性は働くために就職している。 職場で男女の関係を強要されるのはセクハラ以外の何物でもない。 いや、はっきりと犯罪だった。 プロダクションの陰の実態は、世間知らずのアイドル候補たちに対するパワハラを絡めた周到で卑劣な集団暴行システムだった。 関係を強要する男たちは、ただ欲望を満たすことだけが目的で、結婚など考えていなかった。 人を食い物にするのは非合法組織だけではなかった。 油断した俺の失策だ。 無事でいろよ、星香! 俺はプロダクションの浄化に乗り出した。 人間の考え方は簡単には変わらない。ましてや徒党を組めば、性こ……、いや成功体験に裏打ちされて集団幻想が極めて強固になる。 改善には大幅な人事の刷新が必要だった。 経営陣だけでなく、職場で『セクハラ』を推進している諸悪の根源たちを排除して徒党を組めないように分割する。それでも職場に残ってしまう悪い習慣を根絶する。 スタッフの中には非合法組織とのつながりを持つ者もいた。 だから酒場に来たやつらはあっさりとひきさがったのか。新井星香がいずれは自分たちのところに来ると分かっていたのだな。 予想外に根の深い問題の解決に忙殺された。 分かってはいたんだ。 こんなことをしてる場合じゃないことは。 新井星香は、そのときすでに芸能プロダクションから独立して、自前の芸能事務所を立ち上げていた。 すでに逃げ出していたのか。 ……とりあえず無事を喜んでおこう。 プロダクションの大掃除があらかた片付いたころに、新井星香の方から俺に会見の申し出があった。 「プロダクションの刷新、お疲れ様。何とかしたかったけど、面倒だから逃げちゃった。久しぶりに会いたいな」 俺は、新星ハウスで新井星香に会うことになった。 「大丈夫よ、すぐ分かるから」 駅で降りると周辺はごった返していた。目の前にひときわ目を引く巨大な白亜の殿堂が建っている。 新星ハウスと新星スタジアムだった。新井星香に謁見するために連日のように多くの熱狂的ファンが訪れるそうだ。 ここは交通の便が良い都心の一等地だぜ。 よくこれだけ広い土地が手に入ったなあ。 「ちょっとした思いつきでクラウドファンディングを始めたら、ファンたちが次々と全財産を差しだしたの。ライブの生涯パスポートを手に入れるためにね」 全財産を寄贈させたのか。熱心なファンたちを集めて教祖様にでもなるつもりなのか? 俺は疑問をぶつけてみた。 「これほどの熱狂をどうやってまきおこしてるのだい?」 「フラッシュライトを連続して使うと、コマ落としのような効果があるわよね」 ああ…… でも、フラッシュライトは使っていないよな。 「スポットライトにシャッターをつけて、コンピュータ制御で一瞬だけライトが消えるようにしているの。消灯を意識させなければ瞬間移動したように錯覚させられる。特定のリズムにプロジェクションマッピングを併用すると強い催眠効果が生じるみたいね」 新井星香の才能があって初めてできる芸当なのだろう。 しかし、幻影を操っているのか。 「うん。私がファンの方々にリアルな夢を見て欲しいと願ったせいで、多くの人が人生を破綻させてしまったようなの。でも、みんなには幸せになって欲しいわ」 慈愛の女神かよ。 やってることは悪魔の所業か悪辣な宗教活動と同じだがな。 「そうなの。宗教団体から教祖様になって欲しいという熱心な嘆願がうるさくてしょうがないのよ」 俺は堕ちたといっても元天使だから、新井星香を監視し、可能なら善なる道に引き戻さないといけないのだろうな。 引き戻せなかったらどうするか? そのときは地獄の底まで付き合ってやるさ。 俺は新井星香の守護天使だからな。 そうは言っても、どうするつもりなのだ? 「あなたに会って決心がついたわ。全財産をつぎ込んだ人達のために、いつでも宿泊できる新星タワーを建設しようと思う。劇場とミュージアムを併設するの」 規模がでかいな。実現したら新星シティだよ。 でもそうなると、もともと町に住んでいた人たちはどうなるのだ? 「国技館やメッセなどを借りて仮店舗を出店してもらう。完成したら新星タワーの中にリニューアルされた町を造るから戻ってこれるわ」 でも、可能なのか? 「可能にするために世界的スターを目指すつもりよ。世界ツアーをプロデュースしてね」 町全体を再開発するつもりなのだな。 「ええ、再開発して有機的に結合した高層ビル群を建ててるの」 町を丸ごと呑み込む建物を造るのか。 まるでバベルの塔だな。 ちょっと待てよ。 町全体を買い占めるつもりか? 「寄付もしてもらうわよ」 凄まじい規模だな。 俺は言葉を失った。 「これから新星プロジェクトという職業を作ってファンの人達に働いてもらうつもりよ。私に関連したアトラクションやグッズの販売なんかもしてもらおうと思うの」 アトラクション? 何かが心をかすめた。 もともとは個人が造った町規模のアトラクション群と言えば、…… ああ、そうか。 新星ランドを造ろうとしているのか! 「私はこれまで通りに、あなたの示す方向、あなたの望む道を進んでゆくわよ」 え? 「これまで、私が誤った道に進みそうになると、いつもあなたが正しい道へと戻してくれたじゃないの」 そうなのか? 「あなたに振り回され続けてるとも言うかな」 そのつもりはなかったな。 「いつも私を導き背中を押してくれたのがあなただった。私は羽ばたき続けて天空を目指すわ。これからも私を導いてね」 あ? ああ。 「連星のうち、暗くて見えない星をダーク・スターと呼ぶそうね。大イヌ座のシリウスは恒星の中で一番明るいけれど、連星の白色矮星が主星のシリウスを振り回しているそうよ」 そうなのか。君はスターを目指している。そして俺と君とは連星なのか。君は光り輝くスター。俺は光を放つことのないダーク・スターなのだな。 ……俺の役目は君の行くべきところを指し示すことか。 AKB48は、『会いに行けるアイドル』をコンセプトに、『クラスに一人か二人いる美少女』たちを集めて結成されたと言う。 これに対してスターは、一般の人には手の届かない遙かな高みで光り輝いている特別な存在だ。あこがれてその地位を目指した者のほとんどは、そこに届かずに生涯を終える。 天使でさえもそこに届くとは限らない。 だが、俺たちの未来は可能性に満ちている。君はその翼を広げて果てしない高みを目指せ。 たとえ地に落ち泥にまみれようとも、その翼を広げて何度でも舞いあがれ。 君に付き従う人々を引き連れて、天上でひときわ明るく輝く星を目指して、いつまでもどこまでも飛び続けろ! |
朱鷺(とき) 2025年04月25日 19時33分43秒 公開 ■この作品の著作権は 朱鷺(とき) さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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