【超長編】ウィザーズコロシアム

Rev.05 枚数: 280 枚( 111,935 文字)

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 1

 〇

 中庭を通るとエロ本がカツアゲされていた。
 エロ本はその長い髪を引っ張り上げられ目に涙を浮かべていた。背の高い倉坂にを頭の上まで髪を持ち上げられると、百四十センチそこそこのエロ本はつま先立ちにならざるを得ないようだった。倉坂はその状態でエロ本の腹部に容赦なく膝蹴りを入れた。エロ本は顔を青くしながら蹲ろうとするが、髪を持ち上げられ立たされている為それすら敵わず喘いでいた。
 エロ本はアタマの悪い、運動が出来る訳でもない、気が弱ければ場も読めない、およそダメな感じの女生徒である。クラスでも被虐者の地位におり、時折こうして略奪の対象となっているようだった。
 「倉坂」
 蕪木信夫は通り過ぎ際に声を掛けた。倉坂は一瞬だけ肩を震わせたが、声の主が蕪木であることに気付いて安堵と親しみの表情で振り返った。
 「ああ蕪木」
 「カツアゲか」
 「そうだけど」
 「そいつの家貧乏なんだろう? 大した収入になるのか?」
 「それが結構持ってんだよ。母子家庭で親が滅多に家にいないから、夕飯の買い出しとか自分でするんだって。それで自分の小遣いとは別に親の財布も預かっててさ、そっちは日によっては何万も入ってるから」
 「そんなものを奪って親にバレないか」
 「自分で落したってことにさせれば良いのよ。その為に躾けてるんだから」
 倉坂は髪を金髪に染めた、睫毛を針金のように尖らせた、色付きのリップクリームで唇を彩った、派手な容姿の少女である。小学校時代は陸上競技で全国大会にも出場した程の運動能力の持ち主だったが、今は部活動はせず蕪木と同じ塾に通い、中一の今から高校受験を見据えているようだ。
 「あの、あたし、お母さんにはちゃんと自分で落したって言いますから……」
 目に涙を浮かべたエロ本は懇願するように言ったが、倉坂は頷くこともせずエロ本の頬を張った。
 「そんなこと言って、前にバレかけたでしょう?」
 「それはしょうがなくて。ちゃんと嘘言ったんですけど、やめてって言ってもお母さん学校に連絡入れちゃって。あたしはずっと否定しててそれなのにでも」
 「言い訳無用だよ。その所為で担任に呼びつけられて『何か知らないか』って詰められたんだから。白を切るの大変だったよ。その責任は取って慰謝料も払いなさい」
 「お金はあげるんですってば……」
 エロ本はいそいそと懐から財布を取り出した。エロ本自身の小遣いの入った子供用の丸い財布ではない、大人が持ち歩くような立派な長財布だ。
 倉坂は中身を改めて剣呑な顔をした。
 「少ないんだけど」
 「最低限しか渡してくれなくなって。それにしたって学校に持ってくのは本当はダメで。いったん家に帰ってスーパーに持ってかなきゃダメで……」
 「家にもっとないの?」
 「ないです。あっても場所分からないですから」
 「ふざけないでよ。こんだけしか出せないんだったら、そのことをちゃんと謝罪しなよ」
 「ご、ごめんなさい」
 「相応しい体勢があるでしょうが!」
 恫喝され、いそいそと土下座を始めるエロ本の姿はみっともなかった。蕪木はつい鼻で笑った。
 何故エロ本は自ら助かろうとしないのだろうか? 倉坂のしていることは恐喝であり暴行であり、告発すればそれなりの裁きは降り注ぐはずなのだ。倉坂のやり方は杜撰であり証拠や証言はいくらでも集まるはずだった。白を切りとおしたとは言え倉坂が担任に詰められたこともあるようだ。エロ本がちゃんと窮状を誰かに訴えて助けを求めれば、これしきのアタマの悪いいじめは簡単に解決するはずだった。
 だというのに、エロ本は倉坂の暴力や暴言を恐れるあまり、助けを求める行動を取れないでいる。蕪木からすれば自分からいじめられているようにしか思えなかった。
 もしかしたら、エロ本は本当にいじめられていたいのではないだろうか? そんな風に思うことさえある。無論そう願い念じるだけで助かるのなら、エロ本だっていくらでも念じるし願うだろう。しかし報復の恐怖に抗ってまでチクりを行う勇気はエロ本の卑小な精神のどこにもないし、ことを構え危険を恐れず戦うくらいなら、いじめられ続けている方がマシなのだろう。本人がはっきり言葉にしてそう思っている訳ではないだろうが、実態としてはそんなものだ。
 倉坂への謙譲額が少なかったことの罰則として、両手一杯の砂を食べ終えるよう要求され、出来る訳もなく砂を含んでは噎せ返っているエロ本を尻目に、蕪木はその場を立ち去ろうとした。
 「えっ。ちょっと待ってよ蕪木」
 「なんだ?」
 「これから塾でしょ。一緒に行こうよ」
 「砂を食わせるんじゃないのか」
 「食べるところを動画に取って送るように言う」
 「あいつ、スマホあるのか」
 蕪木は意外に思った。
 「親との連絡用に持たされてるんだよ。分かったねエロ本。送らなかったらまたカラオケボックスで裸で踊って貰うから」
 「は……はい」
 エロ本はいそいそとスマホを懐から取り出して、画面がバキバキに割れているそれを使って、自らの醜態を撮影し始めた。

 〇

 塾は二件を掛け持ちして週に六回通っている。
 蕪木は倉坂と隣り合って電車に揺られていた。掛け持ちしている内の一つである如月ゼミナールへ向かう為である。
 電車の席で倉坂は絶えず蕪木に話しかけて来た。勉強や家庭の愚痴などが主であり、締め付けの厳しい家庭にいる者同士共感できない話でもなかった。向こうもそれを蕪木に期待しているようで、同情や理解を求めるように、小学生の時と変わらない幼い話し方で自らの不遇を訴えていた。
 退屈な会話に蕪木は視線を窓の方に移した。流れる景色を見ようと思ったのだが、窓ガラスが最初に写したのは眼鏡を掛けた三白眼の太ったニキビ面であり蕪木は顔を顰めた。それは蕪木の冴えない風貌であり、蕪木自身それを忌避しない日は一日たりともなかった。
 鼻孔が大きく天然パーマで、そしてとにかく顔が太っている。体格自体デブと言えばデブなのだが、百七十センチ八十キロとそこそこの小デブで、極端な巨漢と言う訳でもなかった。しかし顔だけが異様な程に膨れている。生白い肌は全体がパンパンに腫れ上がり、弛んだ皮膚の隙間に崖のようなほうれい線が形成されていた。さらに蕪木の場合鋭い切れ長の三白眼が威圧的な印象を強く与え、そこにイボガエルのイボのように巨大なニキビが顔一杯に広がっていることから、幼い子供なら泣かせかねない醜悪な面貌が出来上がっているのだった。
 「何見てんの?」
 倉坂が尋ねた。
 「いや」
 「全然話聞いてない!」
 蕪木は無視して眼鏡を外して軽く拭くと、車掌が次の駅名をコールするのを聞いて立ち上がた。
 「どうしたの?」
 「次の駅で降りる」
 「は? まだ塾の駅じゃないじゃん」
 「今日はサボる」
 「何それ急に? えっ、マジで言ってんの?」
 「時々サボるのはいつものことだろう」
 「そうだけど……何でこんな急に」
 「勝手だ」
 「じゃあわたしも一緒に……」
 「おまえは塾に行った方が良いだろう。成績、まずいんじゃないのか?」
 学校における倉坂の成績は決して低くない、むしろ相当に優秀な部類なのだが、それで満足するような親では倉坂の両親はなかった。常にトップを取り続ける蕪木の真後ろに付けるか、追い越す程の成績を要求されていた。
 「そうだけど……」
 明確な拒絶に微かに傷ついた顔をする倉坂を無視し、移動を終える頃には電車は停止し始めていた。
 開かれた扉から駅のホームに出る。そしてすぐに戻りの電車に乗り込んだ。
 再び電車に揺られ、蕪木は元居た駅に降り立った。
 駅から歩いて移動を開始すると、蕪木の小太りの肉体はすぐに汗をまとい始める。蕪木は忌まわし気に空を仰いだ。六月だというのに澄み渡った青空からは、眩い太陽光が降り注いでいて、昨日降った雨が齎した水たまりを輝かせていた。足元から立ち込めるような湿度が全身にまとわりつき蕪木はますます不快を感じた。蕪木は暑さと湿気が嫌いだった。これからますます暑くなると思うと忌まわしくてたまらなかった。
 汗をかくと蕪木は全身に不快なニオイを身に纏った。生まれながらに、蕪木は腋の汗腺から強いニオイを発する体質らしく、腐ったネギのような青い臭気を蕪木は自ら感じていた。そこに汗ばんだ脂肪が生み出すスイカのような水臭さが混じり合う為、家族ですら汗をかいた状態の蕪木を強く忌避し、近寄らないようになっていた。
 二十分程歩いて蕪木はあるパチンコ屋の廃墟に辿り着いた。
 敷地の周囲にはバリケートが作られていて簡単には侵入できないようになっていた。それでも蕪木はその間隙を知っていた。周囲を取り囲むコンクリート塀に一か所極端に低くなっている個所があるのだ。蕪木はそこからパチンコ屋の廃墟に侵入した。
 建物は入り口のガラスが割られていて簡単に中に入ることが出来た。店内にはパチンコ玉があちこち散らばっている。筐体は片付けられたのか中は広々とした空間が広がっていたが、一部欠損し使えなくなった筐体が壁際に追いやられズラリと並べられていた。全体は鉄錆のニオイが漂っていたが、床に散らばったパチンコ玉が放つものではなく、切り裂かれた動物の血と肉と臓物のニオイだった。
 それは解体される三毛猫の肉体から放たれていた。首の根本に差し込まれたナイフで臀部の近くまで切り裂かれ、内側の血と臓物を晒していた。ナイフを動かす度に悲鳴をあげながら両足をバタつかせる三毛猫だったが、そんな元気があるのも中腹までナイフが差し掛かったところまでで、完全に開きにされる頃には口元を微かに震わせるだけになっていた。
 裂かれた腹に、ナイフを持った少女はその白くあえかな手をさしこんだ。中の臓物を引きずり出すと少女は恍惚の表情を浮かべていた。両腕を血塗れにして猫の体内を観察する少女は、蕪木が一歩踏み込んだその足音を聞いてようやくこちらを振り返った。
 美しい少女だった。
 少女は蕪木のもっとも好む容姿をしていた。黒目がちの目は顔一杯に開かれたように大きく、小ぶりの鼻はつんと高く尖がっていて、卵のような形をした白い顔は驚くほど小さかった。柔らかそうな唇は赤子のようで、長い黒髪が一筋ほのかに膨らんだ頬に猫の血で絡んでいた。体格は華奢で年相応に小さかったが、運動着など薄い衣類を待とうと微かに膨らんだ胸が周囲の布を持ち上げることも、蕪木はしばしば目で追っていた。
 エロ本だった。
 吉本美冬ことエロ本は蕪木の醜悪な面貌を目にすると悲鳴をあげて立ち上がった。蕪木は容赦なくエロ本に大股で近付いた。エロ本は震わせながらその場で立ち尽くすだけで何も出来なかった。接近する蕪木の強烈な体臭を嗅ぎ取ったエロ本は微かに顔を顰め身を退きそうになった。蕪木はそれに苛立って腕を取りエロ本を捕まえるようにしてさらに踏み込んだ。
 「か、蕪木さん……。あの、あたし……ごめんなさい」
 体臭に顔を顰め身を退きそうになったことを自覚したのか、エロ本はもごもごとした口調になった。
 「何を謝るんだ?」
 「だから、あたし、嫌な顔……」
 「どうして嫌な顔をする必要があるんだ?」
 「いえ……それは。あの、ごめんなさい」
 「謝られても分からないだろう。何が悪かったんだ? どうして嫌な顔をしたんだ? え? 言ってみろ!」
 怒鳴り付けた蕪木に気の弱いエロ本はボロボロと涙を流し始めた。そして許してもらう為というよりもただ嵐が過ぎることを祈る呪文のように口を動かし始めた。
 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 そして歯を打ち鳴らしてガタガタ震え始める。
 「気に障ったんなら本当にすいません! 土下座でも何でもしますから許してください。殴らないで、怒鳴らないで、睨まないで……!」
 「黙れ!」
 蕪木はエロ本をその場で突き倒した。
 尻餅を着いたエロ本は身を抱きながら青い顔で呆然とした。それでも蕪木がエロ本を睨んでいるのを目にすると、いそいそとその場で両手を床に着いて頭を地面に擦り付け始めた。土下座の体勢だ。既にその姿勢い伴う謝罪の意義や尊厳の破棄と言った意味合いはエロ本の中で既に摩耗しきっていて、ただ倉坂などいじめっ子を怒らせた際に取るべき体勢として精神の深いところに刷り込まれていた。そうすれば許して貰える訳でも少しはマシになる訳でもないが、とにかくそうしなければならないと感じているようだった。もしかしたらエロ本にとって、よく倉坂とつるんでいる蕪木は、属性としてはいじめっ子の仲間であるのかもしれなかった。
 蕪木は苛立っていた。だが諦念も感じていた。エロ本は蕪木をバカにし嘲笑することを喜ぶ類ではないが、それでも蕪木の顔は醜く体臭は不快だった。
 そうさ。俺は所詮腋臭のデブさ。存在するだけで迷惑でみっともなく醜悪な、歩く公害だ。しかしそのことにコンプレックスを覚えこそすれ、引け目を感じ周囲に遠慮するようなつもりはまったくない。醜さや臭さが迷惑だというなら、周囲の連中に思う存分それを味わわせてやれば良い。その上で面と向かってバカにするようなら容赦なく報復する。蕪木はそうやって生きて来たしこれからもそうするつもりだった。
 しかしエロ本は、こいつはどうなのだ? これほど綺麗に産んでもらって、どうしてこうもみっともない生き方が出来る? 学校ではいじめられ涙と鼻水だらけの面を毎日のように晒し、虫を食い砂を食い這い蹲り裸にされ、どうしてされるがままになっている?
 ガス抜きはと言えば、生きがいはと言えば、廃墟に連れ込んだ猫だの犬だのを連れ込んでいじめ殺すことだけ。だがそれは愚かな行いだ。倫理だの道徳だのについて何かのたまうつもりは蕪木には毛頭ないが、しかし吉本がエロ本と呼ばれいじめられるようになったきっかけは、そもそも動物をいじめるその癖を見抜かれたからではなかったか? 中学に上がって僅かに得た友人らしき冴えない連中に、見せびらかしたその性癖をクラス中に広められたからではなかったか。そしてその時期にボス猿である倉坂の飼い犬が行方不明になっていて、如何にエロ本が倉坂のペットの犬種は殺したことがないと主張しても、信じて貰えなかったからではなかったか?
 それを知りながらエロ本は同じことを続けている。いじめる者に正当な理由らしきものを与え続けている。まるで愚かとしか言えなかった。
 平伏して謝罪の言葉を垂れ流すエロ本のアタマに、蕪木は鞄から取り出した財布を放り投げた。
 エロ本は目を丸くして、アタマに当たってから床に落ちたその財布を拾い上げた。
 「これは……」
 「倉坂の財布だよ」
 「どうしてそれを蕪木さんが……」
 「掏ったんだ。得意なんだ」
 蕪木は鞄から、電車の中で掏り取って来た計六つの財布を取り出して、自分の足元へと乱暴に放り投げた。
 呆然とするエロ本の手にある倉坂の財布に指を突き付け、蕪木は言った。
 「その財布にはおまえの金も入っているんだろう。ならそれだけはおまえに返す。無論倉坂自身の金も入っているが、それを受け取る権利はおまえにはあるだろう。今日はその為に来たんだ」
 エロ本は確かにその時目を輝かせ、安堵と、そして報復の愉悦を表情に浮かべた。
 それで良いと蕪木は感じた。

 〇

 掏りは小学生の頃公園で女子高生に教わった。
 公園で手品を披露するお姉さんがいた。それは目が大きく肌が白くちょうどエロ本と良く似た容姿をしていた。いやその女子高生がエロ本に似ていたと言うよりエロ本がその女子高生に似ていたというべきだろう。少なくとも蕪木の認識としてはそうだ。何せその女子高生は蕪木の初恋だったのだ。
 女子高生は指を弾くだけで、公園のテーブルから蕪木のポケットの中に小石を移動させることが出来た。逆に蕪木の持ち物を何でも自分の手の中に移動させることも出来た。少女の手品は道具に頼らなかった。その場に落ちている枝や小石や砂や、蕪木達の持って来る細やかなオモチャを用いて即興で手品を組み立てた。それらは洗練され訓練されたマジックの数々というよりは単なる手先の早業だった。相手の気をほんの一瞬逸らした内に、相手の懐に手を入れて何かを取り出したり逆に忍ばせたりしているだけだった。しかしその技量自体は神技の粋に達していて、どんなに子供達が群がってもその手の動きを見ることは叶わなかった。
 蕪木は女子高生の絶技に魅入られた。そして気まぐれに訪れる女子高生を、時間の許される限り公園で待ち続け、出会える度に手品の披露をせがんだ。手品を披露する以外これと言って遊んでくれるでもなければ何をしてくれる訳でもない女子高生を、他の子供達はだんだんと飽いて行ったが、蕪木だけは例外であり常に彼女にまとわりついていた。
 「臭くてキモい顔してなかったら、君のこともっと好きになれたのに」
 女子高生は蕪木に容赦なくそう言いながらも手品を披露してくれた。きっと女子高生自身孤独だったのだろうと今になって思う。そして女子高生は手品を披露してくれるのみならず、その手技を蕪木に伝授してさえくれた。
 ものを掏り取ること自体にコツはいらず、ただ堂々と手に取って自分の懐に移動させるだけで良い。問題はタイミングの計り方であったりターゲットの選び方だったりする。誰が相手でもやることは同じだが、それが通用する相手とタイミングを見抜くことが大切だ。慣れてくれた自らの口八丁手八丁で掏り取る隙を作り出す技も養われて来るが、最初の内はただ相手を観察して隙を伺うだけで良い。
 人を良く観察することだ。周囲や現実への警戒や注意の程度は人によってまちまちだ。そしてどれほど隙のない相手でも時折は現実から気を反らして思考の世界に入ったり、或いは己の身の回りに警戒を失くす程何かに注意を逸らされたりもする。そうした気配が途切れる瞬間がその人にどれほどあるか、どういう時にあるか、見るべきところはそこでありそのリズムさえ読み取れればどんな相手からでも何でも掏れる。無論最初は組し易い相手を狙えば良いし、慣れてからも商売はそうした相手が主な獲物となるが、しかしそれを単なるこそ泥で終わらせず奥義の粋にまで高めたいのなら、あらゆる人間の気配を読み取れるようになる必要がある。
 「半分はあたしの師匠の受け売りなんだけどね」
 「師匠の師匠」
 「そう。あんたにとっちゃ大師匠。中学の頃の手品部の先輩でさ。右手に北斗七星の形の根性焼きがあった。奥義というならまさにあの人の手技がそれだったね。チェーン付いてる財布でも、カバンの中に入ってる財布でも、誰からでも何でも取れたし絶対に見付からなかった。学校中の教師の財布を盗んで免許証をコレクションするんだからどうかしてるよ。あれは天才だったね。本物の」
 蕪木が師に追いつくのはすぐだった。それは蕪木にセンスがあったということかもしれないが、そもそも蕪木は教われば何でもできる性質だった。勉強もずっと一番だったしどんな遊びも同級生に負けなかった。だから女子高生に匹敵する腕をほんの数か月で身に着けた時も、当然のこととして受け取り自らの才能に驚いたりはしなかった。
 「あんたに教えることはもう何もないよ」
 女子高生は最後にそう言ってから蕪木の前から姿を消した。前々から家出を計画しているとほのめかしていたから、きっと本当に家を出て旅に出たんだろう。路銀をどうしたのかは考えるまでもないが、生活費を掏りだけで稼ぐのにはどう考えても無理があり、今頃はどこかで捕まっているのではないかというのが蕪木の想像だった。
 掏りを繰り返していれば蕪木自身がそうなることは分かっていた。どれほど上手く掏りが出来ても無限に成功し続けることなど不可能なのだ。どんなに反復練習した数学の公式でも時にはケアレスミスを起こす。どんなにやり込んだゲームソフトでも時には雑魚キャラに負けることもある。それと同じで掏りだって時には失敗することもあるだろうし、そして一度でも失敗すれば多くの犠牲を払うというのであれば、掏りという行為は蕪木にとって一種の奥の手として小出しに使用するべきことだと理解していた。
 そのはずだった。
 蕪木が中学受験に失敗するその時までは。

 〇

 「あの……これ本当に貰って良いんですかね?」
 媚び諂ったような顔でエロ本は蕪木を見上げた。
 「良いと言っているだろう」
 「倉坂さん、怒りませんかねぇ……」
 「俺がバレるような仕事をすると思うか?」
 「いえいえそういう訳ではないんです。本当です。すいません」
 いちいち威圧的な言動を取る蕪木と、その度に委縮して意味もなく謝罪するエロ本。エロ本は倉坂の財布から中の千円札の枚数を確認すると、確かに嬉しそうに表情をほころばせた。
 「こんなに一杯入ってる……。う、嬉しいな。えへ、嬉しいな」
 「今までに取られた額には届くのか」
 「いえ、そういう訳では……」
 エロ本は人差し指同士を擦り合わせた。
 「あたしのお金だけじゃ済まないですし……もう何万円になるのか分かってないんです。ひ、酷いですよね。犯罪ですよねっ」
 「教師でも警察でも存在をチラ付かせて、断ることは出来ないものなのか? 増してや、大半は親の金なんだろう」
 「す、すいませんっ。それは分かってるんですけどでもあの人叩くじゃないですかっ。あたしは情けないですけど、それでもあくまで被害者な訳ですし……。そ、そういう風に思うから、蕪木さんもあたしに倉坂さんの財布をくれたんですよね? そうですよね?」
 蕪木は何も答えずにその場から背を向けた。
 「ど、どこへ行くんですか?」
 「おまえには関係ない」
 「そう言えば、塾に行かれたんじゃなかったんですか?」
 「サボタージュだ」
 元々そうするつもりだった。だがカツアゲに合っているエロ本を見て気が代わり、倉坂から財布をせしめてエロ本に渡したのだ。今頃倉坂は財布を失くして大騒ぎしているだろうが、どうでも良かった。
 パチンコ屋の廃墟を出る蕪木を、エロ本は深い礼と共に見送った。
 「ありがとうございましたっ」
 本気で感謝しているようだった。声には感動すら混じっているように聞こえる。ただただ虐げられ続けること久しく、誰にも手を差し伸べられたことのなかったエロ本にとって、今日の蕪木の施しは大きな救済だったらしかった。
 まったく気を良くしないでもなかった。しかし蕪木がしたことは明確な犯罪行為に他ならず、なので感謝される謂れもなかった。ほんの気まぐれを起こしたと言われればそれまでで、では何故そんな気まぐれを起こしたのかというと、エロ本の類稀に優れた容姿に原因があることは自覚していた。
 彼女の容姿は蕪木の初恋の人に似ている。
 彼女は、蕪木の掏りの師匠は今どうしてるのだろうか?
 そう言えば名前も知らなかった。蕪木は彼女のことを単に『お姉さん』或いは『師匠』と呼んでいた。苗字は嫌いだからと名乗らかったし、名前だけを教わると言うこともなかったような気がする。何かの拍子に話してくれたことがあったような気もするが、今では最早覚えてもいない。
 蕪木は徒歩で三十分ほどかけて学校近くのショッピングモールへと脚を伸ばした。
 四階のショップで行われる、カードゲームの大会に出る為だった。

 〇

 中学受験に失敗した蕪木に、両親が与えた罰は小遣いと娯楽の全面停止だった。
 蕪木の母親はとてつもなく教育熱心な人物で、蕪木は小学一年生の頃から塾に通い先取り教育に興じて来た。それは名門海鳴中学への切符を手にする為の英才教育であり、将来はきっとエリートになり国を動かす特別な人材になるのだと、繰り返し言って聞かされて来た。蕪木自身半ば洗脳される形で、勉強をたくさんして特別な『すごい人』になるのだと子供ながら漠然と信じていた。
 絶えず勉強しているのが蕪木にとって当然の日常だった。周囲の子供達はどうしてそうしないのだと疑問に思うこともあった。誰だって胸を張れる自分の姿を獲得したいはずなのに、何故その為の行動を取らないのか疑問でならなかったのだ。それを情けないだとか劣っているだとか、そういう風に感じることはないが、理解が出来ないというのが当時の蕪木の実感だった。
 その疑問が解けたのは中学六年生の冬だった。中学受験に失敗した蕪木は、どれほど努力しても成し遂げられないことは世の中にあるということを知った。達成できるか分からない目的の為他のことを犠牲にする行為にはリスクが伴い、頑張っても報われるとは限らないのだから過剰な努力をしないという態度にも、一定の合理性があることを蕪木は知った。そしてそのことを知らなかったのは自分だけであり、ほどほどに頑張りほどほどに怠けるという同級生達の腑抜けに見える振る舞いこそが、より普遍的なのだということを蕪木は理解した。
 しかしそれを理解したのは蕪木だけであり、母親は違った。塾でも学校でも成績では一番なのに不合格になるのはおかしいと母親は息巻いた。息子の容姿が良くないのですか、とさえ蕪木は海鳴中の受験委員に対し蕪木の前で放言した。そして最後にはおまえの努力が不足していたんだ私は悪くないんだと、蕪木に対し繰り返し怒鳴り付けた。
 努力不足と言えばそうなのかもしれなかった。特に『師匠』に出会ってからは掏りの手腕を磨くことにも情熱を傾けるようになり、勉強が疎かになっていたのは否めない。根本的に地頭が足りなかった部分もないとは言えないだろう。蕪木とて秀才ではあるしそれは公立の中学に上がってからも学年トップを維持していることからも分かることだが、それでも海鳴中学は日本でも最高峰の進学校なのであり、どれほど努力をしても合格は不可能なのが基本だと理解するべきだった。
 蕪木は勉強に対する意欲を失い、ほどほどに努力してそれなりの進路に進めればそれで良いと考えるようになっていた。それは挫折が齎した心的外傷に対し折り合いを付ける為の自衛としての諦観だったが、母親はそれを許さなかった。より一層の努力の為塾の回数を増やし娯楽を取り上げ小遣いまでも停止させられた。
 蕪木としてはこれはたまったものではない。
 塾通い少年だった蕪木の唯一の趣味はカードゲームであり、特に『ウィザーズ・コロシアム』という魔法使いのカード同士を戦わせるゲームの大ファンだった。学友たちを相手に誰にも負けたことがないのは当然として、近所のモール内にあるカードショップではちょくちょく店舗大会に出場して、大人達を相手に対等に戦い多数の優勝を飾って来た。それは勉強への意欲を失った蕪木にとって、新たな魂の在り処であり戦場となるべき場所だった。
 しかしカードゲームを続ける為には小遣いの停止は致命的だった。新たなるカード・パックが次々に発売され、新たに出現するカードによって対戦環境は目まぐるしく変化し、それに対応し続ける為にはカードを買い続けるしかない。しかし小遣いがないのではそれも叶わない。
 蕪木はカード代を稼ぐ為に封印していた右手を使うことに決めた。
 塾への通学に使用する電車内で、主に右手の力は発揮された。行きも帰りも電車内には、油断しきって吊革に捕まり無防備な財布を晒すカモが無数に存在する。蕪木は堂々と近くの吊革に手を掛け堂々と財布を掏り取った。毎日のように財布を掏ることで、電車内や駅のホームには『スリ多発』のポスターが張られ、あちこちに私服警官が巡回し怪しい者の周囲では潜入捜査官も活動しているという噂も立ったが、しかし蕪木にとってはリスクを冒してでも財布をせしめる価値があった。カードゲームを続ける為だった。
 隙だらけの相手から財布を掏り取る時、蕪木は自身の右手が万能の神の手であり、これこそが特別な力なのではないかと思うこともあった。勉強を繰り返し真っ当な努力をしてやっと到達しようとしていた『特別な人間』に、自分は既になっているのではないかと錯覚することがあった。
 多くの学生達が直面する小遣いの悩みに蕪木は無縁だった。いくらでも金を得られたしカードを買えた。そして蕪木の容姿や体臭をからかう不心得者に対し鉄槌を浴びせることも出来た。多くの学生は財布を平気で学校に持って来ていたし、そうでない者でも放課後や休日の生息域さえ割れてしまえば、上手く待ち伏せて財布を掏り取ってしまうのは造作もなかった。
 中学生など財産の大部分を財布に入れて持ち歩くのだから、それを掏ってしまうことのダメージは莫大だった。蕪木に逆らった者への罰は財産の没収であり、それは絶大な威力を誇る報復であり、十分すぎる程留飲が下がった。何をされても何を言われても、完璧な形で復讐出来る保証があれば、蕪木は誰が相手であっても堂々として振る舞うことが出来た。かつては大人しい子供だった蕪木も、どんどん尊大で横柄な態度を身に着けて行き、元々のアタマの回転の速さや語彙の豊富さ、そして鋭い三白眼で睨み付ける時の迫力などもあり、学校で彼に表立って逆らう者は目に見えて減って行った。
 家に帰れば勉強しかさせて貰えないのは憂鬱だったが、それを除けば順風満帆な毎日だった。小学時代の貯金があるから、勉強は母親の目がある時だけやっておけば常に学年トップを維持出来ていた。そもそも海鳴にこそ落ちただけで蕪木は勉強自体得意ではあるし、それなりに好きでもあるのだ。それでも週六の塾は流石に勘弁願いたく、六日の内最低二日、場合によっては三日四日とサボタージュすることもあったが、母親に連絡が行くことはなく蕪木は自由時間を謳歌することが出来た。
 塾をサボった蕪木が向かうところ。その目的。
 それはもちろんモール内のショッピングモールであり、六時半からの大会に参加することだった。

 〇

 「弱いですね。ホタルさん」
 体面に座る成人の女性プレイヤーを打ちのめし、蕪木は煽りを入れた。
 「なんで最後デッキに白と黒しか残さないんですか? リヒター軸に地水火風のカードなんて入って九枚なのに、その九枚目をわざわざサーチして詠唱したら、残りの山札バレるに決まってるじゃないですか」
 「いやあ……面目ないです」
 ホタルはたははと笑いながら、いつも八の字にしている眉毛を殊更へにゃへにゃとさせながら、十歳は年下であろう蕪木の煽りを受け流していた。
 「シャーロットで火球通さないと、そっちのナイヤーラ突破出来ないと思っちゃって。そっちも白多いデッキだし、ライフブリンガーまでサーチされてたから」
 「いやぁあそこは耐えるしかなかったです。最低二枚は赤か緑残さないと負けですし。確かに火球通してニャルラトは落ちましたけど、肝心のリヒターが白か黒しか打てないってなったらもう負けでしょ? ベリアルでもキリシアでもリヒター落とせるってなったら負けようがないですよ」
 「終わってみればそうと分かるんですけどねぇ……」
 ホタルは二十代の若い女性プレイヤーで、比較的背丈のある、すらりとした体格の、なかなかの美人だった。ポニーテールに幼い顔立ちで清純な雰囲気、誰にでも丁寧な態度で接することから、男性プレイヤー達の間でもひそやかに人気がある。良く声を掛けられては、特徴的な八の字眉毛でどうにか受け流す姿が印象に残っていた。
 プレイスキルは高くはない。希少な『獄門の大魔導士リヒター』のウルトラレアを所持しており、それを主軸にデッキを組んでいることから、もしかしたらそのウィザーズのファンなのかも知れない。実際、リヒターはイケメンであり、ウィザーズ・コロシアムを題材とした販促アニメでも活躍があり、女性ファンが多くいることで知られていた。
 「でもプラクティカルさんもすごいですよね。これで今日も決勝卓でしょう? 子供なのに……って言ったら失礼になりますよね。私なんていつも負かされてますから」
 「僕的には、ホタルさんがここまで二勝してることが驚きなんですが」
 「たはは……相変わらず手厳しいですね」
 何を言ってもどう煽られても、ホタルは怒らないし嫌な顔もしない。人格が出来ているのだろうと、自分で煽っておいて蕪木は思っている。おっとりした性格なのは間違いないが、しかし動作はどこかキビキビとしていて声もハキハキとしているので、礼儀正しさも相まって、何か体育会系の出身なのではないかと蕪木は推測していた。
 店員に勝者報告を行うと、他の試合は全て終了していた。本日の店舗大会は十四人での開催、スイスドロー形式では次が最終戦となる。勝利数の同じか近い者同士で対戦相手が割り当てられ、蕪木は三勝同士の決勝戦の席に座った。
 やがてゲームが開始される。
 「よろしくお願いします」
 「……よろしく」
 一応は礼儀正しく挨拶したが対戦相手は視線を逸らしてそう言っただけだった。ガラポンというPN(プレイヤー・ネーム)の四十代の男であり、常連の一人に数えられ腕があると見做されていた。
 しかし蕪木の相手ではなかった。手の内も分かっていた。蕪木は相手の切り札である『極熱の大魔導士インティ』に備えて『邪神の大魔導士ナイヤーラ』を温存し、まずはレベル3の小兵である『そよ風の魔女キリシア』で戦った。『幸運を運ぶタンポポ』を連打して、順調に手札に闇魔法を貯め込んでいく。こちらの狙いがバレれば相手も闇を打って来てキリシアはやられてしまうが、『ライフブリンガー』と『アポカリプス・エンド』を構えている以上、後はナイヤーラで戦えば手札干渉でも受けない限り負けるはずがなかった。
 その上蕪木は『使い魔ベリアル』を倒させて、相手の手札から光魔法を二枚デッキの下に沈める。ガラポンは山札から二枚ドローした。そして満を持してナイヤーラを前に出して闇魔法を連打した。『吹雪の魔導士エレナ』を『ライフブリンガー』で落されたガラポンは、次に何を出すか考え込んでる……フリをし始めた。
 蕪木は時計を見た。二十分の制限時間まで三分を割っている。決勝戦と言うことで互いに慎重なプレイになった結果だ。このまま遅延行為をされれば、エレナとインティでウィザーズを二枚残している相手の勝ちだ。
 「次はどっち出すんですか?」
 「待ってください。考えてます」
 蕪木は苛々として繰り替えし時計を見る仕草をした。考えるふりをして時間を稼ぎ、タイムアップで勝利するつもりのようだ。所詮店舗大会でジャッジなど呼んでも遅延行為を咎めては貰えないが、かといってこちらから大きな声で注意をすると恫喝行為として問題にされる恐れもある。そこで蕪木は持ち前の煽り癖を発揮しネチネチと嫌味を言うことで、相手に速やかなプレイングを促すことにした。
 「どう考えてもアリアナ先出しでしょう」
 「考えているんだから、邪魔しないでください」
 「いや何年このゲームやってるんですかガラポンさん。アリアナでどうにかシャッフル効果通して白二枚混ぜてから、インティ一体でナイヤーラと勝負するしかないって分かりませんか」
 「黙っていてください!」
 相手の方に大声を出された。蕪木は特に気にするつもりもなく、ただ憮然として頬杖を突いた。
 たっぷり一分かけてからガラポンはアリアナを繰り出した。そしてどの魔法を詠唱するかたっぷり一分悩んでから、時間稼ぎの『妖精のかくれんぼ』を打って来た。
 「ちょっと……」
 光属性でありながら、地と風の二つの属性を流す魔法。この場面での『かくれんぼ』に意味はないはずだった。むしろ貴重な白をアタッカーでないアリアナで打ってしまえば、続くインティでナイヤーラに勝てる確率を著しく落としてしまう。明らかな遅延行為だった。
 ガラポンは山札からカードをドローすると再び長考に入った。手札を絶えずシャカパチとシャッフルしながら吟味に吟味を重ねるかのように、わざとらしく小首をひねっている。
 「いい加減にしてください」
 「なんですか? 考えているだけですよね」
 「いい加減にしろよ!」
 蕪木は吠えた。
 プレイスペース中の視線が蕪木に集中した。
 「恫喝行為はやめてください」
 ガラポンは冷静に言うと詠唱する魔法を決め、カードを場に出した。『正義の断罪者』。
 蕪木もカードを表向きにした。『テスカトリポカの断頭台』。
 「……時間です」
 店員がやって来てタイム・アップを告げた。
 「制限時間になりましたので、ウィザーズの残り枚数で決着を着けます。ガラポンさんが二枚残していますので、ガラポンさんの勝利です。よって優勝はガラポンさんです。おめでとうございます」
 ジャッジも状況は理解していたようだったが、常連でありプレイヤー間で人望もあるガラポンに注意をするのは避けたようだった。ガラポンは悠々とした様子でデッキを片付け、ケースに入れて脇に置いてある鞄の中に入れた。蕪木は納得が行かなかったが、食い下がってもどうにもならないと分かっていたので、そのまま憮然とした顔で立ち上がった。
 店を去ろうとするとガラポンに声を掛けられた。
 「待ってください」
 「なんですか?」
 「あの。プレイマナー、悪すぎませんか?」
 「はあ?」
 蕪木はぽかんとした顔でガラポンを見詰めた。
 プレイマナーというなら、遅延行為で意図的に時間切れを発生させ、ウィザーズの残り数で勝利したガラポンの方だ。しょぼい店舗大会ではなくちゃんとした全国予選なら、審判(ジャッジ)に申請すれば相手を反則負けにすることも出来る行為だ。マナー以前の問題とも言える。
 「何言ってんすか?」
 「恫喝行為ありましたよね? それと、私だけじゃなくて皆思ってるから言いますけど、プラクティカルさんって煽り口調酷いんですよね。さっきもホタルさん相手に散々に煽ってましたし、私の時はプレイの催促にそこに伴う恫喝で、ちょっと酷すぎますよ」
 「いや、それはあんたが遅延するから」
 「ホタルさんのはどうなんですか?」
 「自分の遅延は棚に上げて……」
 「棚にあげてるのそっちですよ。だって今はプラクティカルさんの日ごろのプレイマナーについて話してるんです。私の時だけでなく、皆さんが思っていることだからこうして代弁しています」
 「皆さん、皆さんって、具体的に誰がなんて言ってたんすか?」
 「それは言えません。告げ口するようなことは出来ませんから」
 「言えないんだったらそれ実体のないものの威を借りてるだけですよね。でも遅延行為は形ある不正として、明確に指摘できますよね。棚に上げてるのは、やっぱりそっちなんじゃないかな」
 「それが実は、プラクティカルさんには、実際に何軒か苦情が来てるんだよね」
 店員が割って入ってそう言った。
 「子供とは言え、ちょっと距離感考えた方が良いかなーって。思う時は正直、あるんだよ。ほら、気持ち良くカードしたいじゃないですか」
 「そうですよ。ちゃんと気を付けてください」
 ガラポンは勝ち誇った顔で言った。
 ガラポンはこの界隈では有名なプレイヤーである。ボランティアで大型大会のジャッジを務めたり、自分で景品を用意して私人で大会を開いたりもする。人望もある。何故人望があるかというと、プラクティカルこと蕪木のような、あまり好かれないプレイヤーに率先して注意するところも大きい。こうしたトラブルの際には自然と周囲が味方に付くようなところがあった。
 「今のまんまじゃ、誰もプラクティカルさんと対戦なんかしたくないですよ。そうですよね?」
 そして大げさに周囲を見回して賛同を求めるような表情をする。何人かの取り巻きが小さく頷いたのが見えた。
 旗色の悪さを感じ取った蕪木は、その場で憮然としたままプレイテーブルから離れて行った。
 「話は終わってないですよ!」
 叫ぶガラポンだが、蕪木は無視した。これでこの店舗を出入り禁止にされることまではないだろうと踏んでいたが、万が一のことがあってもホームを変えれば済む話だった。
 蕪木がショップを出ようとすると、店の入り口付近のショーケースの傍から、ちらりちらりと騒動を見守っていた髪の長い少女が目に入った。
 エロ本だった。エロ本は蕪木と目が合うと微かに肩を震わせてから、媚び諂った表情でこう言った。
 「こ、こんにちは」
 「なんでおまえがいるんだよ」
 「いや……実は良く来るんですよ。このモール」
 エロ本は指と指とを絡め合わせながら上目遣いに言った。
 「カード屋さんもたまーに覗いて……ウィザーズコロシアムも実はちょっと好きだったり。ほらあたしテレビ見るの好きだから。アニメは全部見てるし。実はちょっとカードも集めようとしたことがあったんです。でもお小遣い少ないし、下品な遊びだからダメーってお母さんに言われて、やめたんですけど」
 ウィザーズコロシアムのアニメは女子にも比較的人気がある。男性キャラクター同士の掛け合いが人気なのだ。カード自体もイケメンが描かれているものも多く、個別にストーリーがある為それぞれにファンがいる。ホタルが『リヒター』のカードをひそやかに愛好しているのが好例だろう。
 「俺もしょっちゅうここに来ているが、それにしてはおまえを見たことはないな」
 「デッキとか持ってないからプレイスペース行けないんですよ。あってもどうせ他人に声なんか掛けられっこないですし。大会も日程表描いてあるのは見てるけど、なんか別世界だなー、みたいな。で、蕪木さんのお陰で臨時収入あったからちょっとお店見ちゃおってなって、覗きに行ったら蕪木さんが遊んでて、なんか揉めてて」
 「さっきのは俺の負けじゃない」
 「あはは……。盤面見えましたけど確かに有利でしたよね。あたし目だけは良いんです。他は全然ダメだけど。ちゃんとした大会とかだと時間制限来たらウィザーズの枚数とか残りHPで勝負付くんでしたっけ? それで負けたけど、相手がどう見てもわざとだから揉めてたーみたいな?」
 「そうだ」
 「あの怒ってたおじさんの人、優勝って言ってましたよね? じゃあ蕪木さん準優勝なんだ。わざとタイムアップにされてなかったら優勝してたのかも。強いんですね」
 蕪木は黙ってショップを出た。エロ本は黙って小走りに付いて来た。
 モール内を歩く蕪木の隣をエロ本は並走する。蕪木はいつも足早に行動しているので、歩くのが遅いエロ本は最早小走りに並走しているという感じである。
 フードコートに辿り着くと蕪木は窓際の席に腰掛けた。エロ本は隣なり向かいなりに座って良いものか悪いものか、へどもどとした様子で蕪木の顔色を伺っている。蕪木は顎をしゃくって「座れよ」と指図するように言った。
 「あ、ありがとうございます」
 エロ本は蕪木の向かいの席に腰掛けた。
 どうせ塾が終わる時間になるまでは家へは帰れない。サボっていることがバレるからだ。だからいつもここで時間を潰していた。本を読んだり、カードの一人回しをしたり。今は向かいにエロ本がいるので、話し相手にして時間潰しの一環にするという考えも、わざわざ付いて来た相手を跳ね除けてまでは否定する程のことではない。
 「あたし、このモール好きなんです」
 エロ本が言った。
 「ものは何も買えないんですけどね。百円ショップでオモチャ買うことがたまにあるくらいで。子供っぽいって言われそうですが実際そうなんでしょうね。ああでもビー玉とかおはじきばっかり買う訳じゃないんですよ? 百円で遊べるマーダーミステリーのボードゲームとか、後カードゲームでも最近だと百円ショップでデッキごと手に入る奴あるじゃないですか? ああいうの買って一人で戦わせてみたりですね……」
 「ウィザコロはやらないのか?」
 「ああだからそれはやっぱりお金がかかるから。初心者向けの構築済みデッキなら千円で買えるけど、あの店に来るような人と戦おうと思ったら、そういうのじゃやっぱりダメなんでしょう? あたし放課後良く学校のパソコン室で動画見たりゲームしたりして遊ぶんですけど、その時にネットでウィザコロのデッキとか調べるんです。カードの値段とか調べたら……本当に強いデッキって全部集めるのに安くても一万円くらいするじゃないですか? サンタさんにお願いしたってくれっこないですよそんなの。そもそもウチ、中学からクリスマスないそうですし……」
 「だったらこれをおまえにやるよ」
 蕪木は懐から取り出したデッキケースを丸ごとエロ本の方に放り投げた。
 「え……ちょっと、マジで言ってるんですか?」
 エロ本は受け取ったデッキケースの中身を改めた。それはガラポンが使っていた『インティ』のデッキでありエロ本は目を丸くした。目は良いというエロ本はそれが間違いなく盗品であることに気が付いたようで、怯えた表情でフードコートを見回してガラポンがいないかを確かめていた。
 「……と、盗ったんですか?」
 「まあな。あんな理不尽に言いがかり付けられて、タダで済ますっていうのはないよ」
 脇を通り抜ける際に鞄の中に手を突っ込んで盗ったのだ。口を開けて手を突っ込んで中身を掏り取るのに、蕪木ならば数秒とかからない。衆人環視の中だったが、蕪木は全員の気配が自分の顔の方に向いていることを理解しており、椅子の上に置かれた鞄の方へは誰も注意を払わないだろうと踏んでいたのだ。
 蕪木の顔は醜い。どんな時でも視線が集まる。蕪木は常にそのことに敏感で、それを利用することが蕪木の手口の最たるものだった。
 「でもこれ高いんじゃ……このインティなんてUR版でしょう? 一枚で五万円くらいする奴。……他も全体的にレアリティ高いし、どう見ても十万円くらいするっていうか」
 デッキは安く組もうと思えば一万円程で組めるが、同じカードのレアリティの違いで、必要な費用はその数倍にも数十倍にもなる。ガラポンはどういう訳か高い財力を持っており、『札束デッキ』とも呼ばれる高レアリティのデッキを持ち歩くことで有名だった。
 「どうせ中防の俺じゃ売っぱらうことなんて出来ないんだ。インティのデッキはもう組んでるし、この束は俺にとって不要だ。だったらおまえにやるよ」
 エロ本は目を輝かせてデッキを大事そうにケースに仕舞い込み、宝物を扱うように恐る恐るの所作で鞄に入れた。そしてその鞄を離すまいという表情で力強く抱きかかえる。
 「あ、ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」
 そして目に涙を貯め始めさえする。
 「インティが一番好きなんです。主人公の夜見坂太一が使うカードだから」
 「良かったな」
 「早速対戦したいです」
 「ここで広げててガラポンが来ることは考えたくないな」
 「あ、そうですよね。あの、でもあたしどうしてもしてみたくて……」
 「でも場所変えてる時間ないよ。今日そろそろもう帰らないと」
 外はもうどっぷり暗くなっていた。これ以上ここに長居をすると、寄り道して帰ったと思われてそれはそれで叱責の対象となるのだ。
 「あ……そうですよね」
 エロ本はとても残念そうな顔をした。
 「じゃあ一人で触ったり回して見たりして遊んでみます。それで充分、楽しいですから」
 その顔がとても寂しそうに見えたので、蕪木は気が付けばこんなことを口にしていた。
 「……明日一緒に遊ぶか?」
 「え? 良いんですか?」
 エロ本は意外そうな顔をした。
 「別に構わないが……。明日も塾をフケて、場所はそうだな。例の廃墟のパチンコ屋はどうだ? 一応屋根の下だから風でカードが飛んでいくこともないし、テキトウな台の上にプレイマットでも轢けば遊べるはずだ」
 そのあたりの感覚は中学生なり立ての蕪木である。公園の砂場に裸のカードを広げたりはしないまでも、薄汚れた廃墟のテーブルで対戦をするくらいは何でもない。エロ本の方もおそらく異論はないだろう。
 「い、良いんですか?」
 エロ本は感極まった表情でまじまじと蕪木を見詰めた。
 「だから構わないが」
 「お金取り返してくれてカードくれて遊び相手にまでなってくれて、なんでそんなにしてくれるんですか? 何が目的なんですか? お金ですか? いやお金の為にお金を渡すなんておかしいですよね? じゃあ何なんですかからかってるんですか? 小学校の頃一度いじめっ子が改心して友達になってくれたかと思ったら、いきなり裏切ってドブ川に突き落として『嘘だよーん』ってみんなで笑うみたいなのありましたけど、それじゃありませんよね?」
 「疑うなら帰る」
 蕪木は立ち上がった。
 「待って待って待って!」
 エロ本は必死の形相で蕪木を引き留めた。
 「わ、分かりました。騙されてても良いですから。どんな目的でも良いですから。最後どんなに傷ついてもどうなってもそれまでの間だけでも遊んでくださいよぅ」
 「おまえどんな人生送って来たんだ……。まあ、しょうがないとは思うけど」
 貧乏で気が弱く何の取り柄もないだけならともかく、犬や猫をいじめ殺す習癖があってしかもそれを平気で人に吹聴する。こんな奴が好かれるはずもないしいじめられないはずもない。
 「じゃあ俺、今日は帰るから」
 「はい。あの、あの、あたし……本当に楽しみにしていますから」
 モールの出口まで、エロ本は蕪木の速足に付いて来た。付いて来ている間中ずっと蕪木への感謝を口にしていた。
 それぞれの帰路に付く時も、エロ本はずっと蕪木の背中を見詰めていた。絡みつくような視線を蕪木は感じ、むず痒いような不気味なような妙な気持ちになった。

 〇

 2

 〇

 蕪木が学校に来ると教室中の視線が集中する。比較的マシな者は不快さを顔に出さないように表情を引き攣らせ目を反らし、無神経なものはあからさまに顔を顰めて忌まわし気な表情を浮かべる。さらに酷い者は近くにいる友人を捕まえて、ひそひそと何事か陰口のようなものを囁き始める。
 いつものことだ。
 蕪木の顔の醜さは何度見ても見慣れないらしい。そのことは蕪木が一番良く知っているので今更傷つくことはない。しかしそのこととバカにされてされっぱなしにしておくかというのは別の問題であり、蕪木はこちらをちらりちらりと伺いながら陰口を言っている女子の肩を捕まえて、乱暴にこちらを向かせた。
 「ひぃ……」
 心底の恐怖を浮かべる女生徒に、蕪木は自分の顔をずいと近付けた。
 醜悪な上、威圧感のある三白眼で目力もあり、イボガエルのイボのような巨大なニキビが不衛生な印象も与える顔を近付けられ、女生徒は思わず悲鳴をあげた。おまけに今日も高い気温の中を歩いて登校して来た蕪木は汗にまみれており、特に腋からは腐ったネギのような悪臭を漂わせていたはずだ。女生徒は強い不快感に身もだえるような様子を浮かべるが、蕪木は容赦なく口臭を直に浴びせるようにして至近距離で発声する。
 「何の話をしていたんだ?」
 女生徒は身を震わせるだけで何も言わない。
 「この顔か? この顔が醜いと言っていたのか?」
 「ち……ちが……そんなことは言ってな……」
 「好きで醜く生まれたのではないわっ!」
 乱暴に手を離すと女生徒は思わず尻餅を着いた。
 思わず泣き始める女生徒に蕪木は鼻を鳴らした。ここで『そうだよおまえの顔がキショいんだよ』と堂々と言い返して来るならまだ筋が通っているが、しかしいざ相手を怒らせたら鼻白み泣くしかない癖、陰口だけは一丁前というのでは卑小に過ぎる。
 「ちょっと蕪木。それはやり過ぎだってば」
 宥めるような口調で倉坂が近付いて来た。
 「そりゃあこそこそ陰口いうくらいなら直接言ってこいってのは分かるけどさ。あんたのやり口もたいがいだって。蕪木のその顔でそんなことされたら誰だってスタンするよ。可哀そうだって。やめてあげなよ」
 「俺の顔を見て何を思ってもどう感じてもそいつの自由だ。だが口に出すのならこちらも相応のリアクションは取る。そして行動は常に最大のものを選択する。使えるものは使うというだけのことだ」
 「聞き流してりゃ良いじゃん。人間顔じゃないよ。蕪木アタマ良いんだからもっと堂々としてなっての」
 そう言って倒れている女生徒を助け起こす倉坂。起こされた方の女生徒も倉坂の友人でクラスでは十分に強い立場にあるが、蕪木の醜悪な顔を近付けられて物怖じせずに済むほどの度量はないらしかった。
 黙って席に着くと絡みつくような視線を覚えた。それは蕪木の醜悪さに対する侮蔑の視線ではなく、どこか生暖かく縋り阿るような視線だった。
 思わず振り向くとエロ本が斜め後方三つ先の席で蕪木を見詰めていた。エロ本は驚いた表情を浮かべ思わず顔を反らしたが、次に上目遣いに蕪木を見詰めながら媚び諂った形の唇で、「お、お、お……」とどもったように口にし始めた。
 「何それオットセイの真似?」
 倉坂が近付いて来てエロ本の頭を掴んで机に叩き付けた。机には『キショい』『エロ本』『猫殺しキチガイ』『死ね』などの低能な悪口が彫刻刀で彫り刻まれて消せなくなっていた。倉坂はそのままエロ本の髪を引っ張り上げて床へと放り投げた。
 「きゃんっ」
 「なんでオットセイが学校の教室にいるの? 海に帰れば?」
 「オットセイの真似ではなくてですね……」
 鼻血を手の甲で拭いながら、エロ本は媚びた表情で律儀に説明をする。
 「蕪木さんに挨拶をしようと思って。でも緊張して『おはようございます』の『お』が出て来なかったんです。それだけなんです」
 「なんであんたが蕪木に挨拶なんかするの?」
 「と、友達ですので」
 「は?」
 倉坂は信じがたいと言った表情で蕪木の方を見た。
 「何言ってんの?」
 蕪木は黙って目を逸らした。倉坂の前で肯定するのも否定するのも嫌だった。そんな蕪木の内心を察したのかそうでないのか、エロ本は焦った様子で蕪木の方を伺いながらあわあわと手を動かした。
 「ち、違うんです違うんです。ごめんなさい、取り消します」
 「何よそれ……」
 「あたしなんかが友達なんておこがましいし、迷惑だっていうのは分かってるんです。本当です。なのにどうしてこんなこと言っちゃったのか、あの、もう二度とそんなことは言わないのでどうか今日の約束だけは……」
 「約束って何?」
 「あのう、そのう」
 「ねぇ、何?」
 倉坂は蕪木の方を睨むようにして見た。
 蕪木は鼻を鳴らした。
 「おまえには関係のないことだ」
 「……ああそう。別に良いけど」
 倉坂は乱暴な手つきでエロ本の机の中からノートや教科書の類をいくつか放り出した。そしてその中から授業に使うノートを取り出すと、下手糞な文字で何やら授業の内容らしきものが描かれたページを切り取って、くしゃくしゃに丸めてエロ本の口元に差し出した。
 「はい」
 「な、なんですか?」
 「オットセイの餌。はい」
 「はいって……」
 「食べなよ」
 「え」
 「食べなよ」
 食べられる訳もなく沈黙するエロ本の髪を引っ張って床に叩き付ける倉坂。ぐりぐりと床に押し付けついには頭を踏み始めた倉坂に、エロ本は観念した様子で「食べます食べます」と力ない声で言った。
 そのままノートの切れ端を口に押し込まれている倉坂を見て、蕪木はやむを得ずという心境で立ち上がった。
 「おまえのやり口はやけに酷いな」
 「そう? でもいつもこんなもんよ。昨日なんて砂よ?」
 「流石に危険だと思うのだが」
 「両手一杯は流石に無理だったみたいで、ちょっと食べて『出来なくてごめんなさい』って言う動画を送って来たわ。だからこれはその罰も兼ねてるのよ」
 「病気になったり死なれたらどうする? 困るのはおまえじゃないのか?」
 「そいついつも後から吐いてるんだよ。吐き癖付いてるみたいでさ。流石に石とかは食わさんけど、紙とか砂くらいだったら別に何でもないから」
 もそもそとノートの切れ端を咀嚼するエロ本の顎を、「早く食え!」と強引に掴みあげ嚥下を強要する倉坂。思わず喉に詰まったらしく涙を浮かべながら胸を叩くエロ本だったが、どうにか吐き出して唾に塗れた紙の塊を吐き出した。
 「きったなぁい」
 そしてじっと紙の塊を見詰めるエロ本だったが、倉坂がじっと笑顔でこちらを見詰めるのを見て観念したように、手に取って再び口に詰め込んだ。そして再び咀嚼を始める。
 「このくらいやられて当然なのよ。こいつわたしのグリズリ殺してるんだから」
 グリズリとは、倉坂の家で飼われていたドーベルマンである。
 蕪木も何度か散歩に付き合った際に見たことがあるのだが、黒い体毛の立派な個体で、ゆうに一メートルはありそうな巨躯としなやかな体格を誇っていた。他人に良く慣れていて蕪木にも懐いてくれた。リードを引いたこともあれば、投げたボールを取って来させたこともある。中学受験の追い込みで勉強漬けだった蕪木にとって、土曜の塾が終わった後でグリズリと戯れたことは憩いの思い出だった。
 そんなグリズリが中一の春に突如として姿を消した。庭の犬小屋で過ごしていたはずのグリズリが、翌朝散歩に出掛けようとすると姿を消していたのだ。当然街中の捜索が行われたが見つけられなかった。グリズリはもう十年近く倉坂家で飼われていて今更逃げ出すはずがなく、また一時的に家を出たとしても帰巣本能が働くはずだった。誰かに浚われたのか、どこかで車にでも轢かれたか。いずれにせよ穏当な事態とは言えず、倉坂は毎日泣き暮らしていた。
 その時期だった。
 エロ本こと吉本美冬が犬や猫をいじめ殺す習癖を披露し、噂になったのは。
 倉坂は紙を飲み込もうとしたエロ本の腹を蹴っ飛ばし、口の中のものを無理矢理吐き出させた。
 「いい加減白状しなって。グリズリ殺したのあんたなんでしょ?」
 「あ、あたし……ドーベルマンは本当に殺したことなくって……」
 息も絶え絶えのエロ本は吐き出した紙の塊をいそいそとかき集め、口に押し込み直す。そして青い顔で嚥下した。
 「だから……そのグリズリっていう倉坂さんのドーベルマンは、あたしとは無関係のところで死んじゃっててですね……」
 「黙れ!」
 倉坂は赤い目で怒鳴りつけた。
 「嘘吐くな絶対あんたが殺したんだ! このキチガイ! 一生苦しめてやるんだから覚悟しなさいよ!」
 そう言ってエロ本の机を蹴り倒し中の教科書やノートを蹴飛ばして散らかすと、倉坂はその場はいったん満足したのか、自分の席に着いて腕を組んで憮然とした。
 蕪木は黙ってそこに近付いて声を掛けた。
 「嘘は言っていないようにも見えるがな」
 「もう関係ないよ。あたし動物いじめるような奴は一番嫌いだし」
 「おまえは人をいじめているな」
 「命は取らないよ」
 「取ることになるかもしれない」
 「自殺でもするって? まさか」
 「そうなってもおかしくないやり口だと思うがな。高校受験のことも考えるなら、やはり自重が必要ではないか?」
 「まだまだ先だし。三年になったら猫被ればオッケー。というかさ」
 倉坂は首を大きく逸らして真下から蕪木の顔を見詰めた。
 「あんたあたしのお父さんとカード屋で揉めたの?」
 蕪木は目を丸くして倉坂をまじまじと見詰めた。
 「いやさぁ。お父さんウィザコロに限らずカードゲーム全般のマニアで、部屋に一杯高いカード飾ってるんだけど。ウィザコロの大会に今日出てたのね。で、そこで顔が無茶苦茶不細工な中防に、遅延の言いがかり付けられて揉めたとか何とかお母さんに行ってて」
 「顔が不細工な中防か」
 確かに蕪木は顔が無茶苦茶不細工な中防だ。
 「きっとそれは俺だろう」
 「まあそうだよね。思えばお父さん、蕪木とはまだ会ったことないんだよね。わたしが小学生の頃はあの人忙しかったし、最近は家に来てないし。それわたしの友達だよーって言おうか迷ったんだけど、昨日はまあプレゼントされた財布失くしちゃって無茶苦茶怒られたところだったから、言いづらくてさ」
 ガラポンは倉坂の父親だったのか。確かに蕪木は倉崎の両親の内母親の方にしか会ったことがない。会社経営を生業とする威厳のある崇高な人物という倉坂自身の弁と、カードショップで中学生を相手に揉めるようなしょうもないあのガラポンとは、どうしようもなくミスマッチだった。
 「それは災難だったな」
 「そうなんだよ。マジ最悪! 現金もないから欲しいもの全部買えなくなったし……。ねぇ蕪木金貸して」
 「別に構わんぞ」
 「マジで? えっ嘘本気で言ったんじゃないんだけどなぁ。マジで良いのいくら良いの?」
 「今渡せるのはこんなところだ」
 蕪木は懐から千円札を六枚取り出して倉坂に突き付けた。それは倉坂の財布に入っていた全額から、エロ本から恐喝した分を差し引いたのとほぼ同じ金額だった。
 「神じゃん! えっ何蕪木わたしに貢いでどうするつもりなの? 色々どうにかするまでは蕪木は無理だよ?」
 「貸す気がなくなった。返せ」
 「嘘嘘! マジ嘘だから! 痩せて髪とニオイどうにかしたら大丈夫だから!」
 倉坂は蕪木の手から六千円を受け取って、予備のものらしき財布に入れた。
 「マジありがとう! 一生感謝するから!」
 「その謂れはない」
 蕪木は心の底からそう思った。

 〇

 「『大鷲の人攫い』」
 蕪木はカードを表向きにした。
 「『灼熱万力』です」
 エロ本もまたカードを表向きにした。
 「緑(風)に赤(火)なのでこちらの勝ちで、フロントゾーンのベリアルに六点と、リアーゾーンのキリシアに二点を割り振ります」
 風の魔法と火の魔法がぶつかれば、火属性の魔法のみが通る。『エレメンツ』とも呼ばれる四属性の相性は、地→水→火→風→地となっており、ウィザーズコロシアムの土台部分だ。
 「これでベリアルは倒れるな」
 「そうですね。どっちをフロントゾーンに出しますか?」
 「キリシアにする。ではドロー」
 「ドローです」
 「詠唱する魔法をセット」
 「セットです」
 「バトル」
 蕪木とエロ本は同時にカードを翻す。蕪木の出した『幸運を箱ぶタンポポ』にエロ本の『影縛り』のカードが突き付けられた。
 「黒(闇)と黄色(地)だから、これもあたしの勝ちです」
 闇属性の『影縛り』は地水火風すべての『エレメンツ』に勝利する。闇はウィザーズコロシアムの最強の属性であり、それをどれだけ上手く使うかで勝敗は大きく左右される。
 「では三点と、エレメンツから一属性選んで次の詠唱中使用を不可にします。対象は黄色です」
 「分かった。ドロー」
 「ドロー」
 「セット」
 「セット」
 「バトル」
 「バトルです」
 今度は蕪木が勝った。エロ本の『魂の蝕み』が持つ闇属性に対し、蕪木の『月の咆哮』の光属性が刺さる。
 最強の属性である闇だが、光属性の前では無力であり無効化される。そして光の魔法だけが通ることとなる。では最強の闇を封じる光が無敵なのかと言われれば無論そんなことはなく、光属性は地水火風の四属性に対し敗北を喫する。
 光は闇に勝つ。闇は地水火風の全てに勝つ。地水火風は光に勝つ。そして地水火風の四属性はその四属性の中で相性を持っている。よって全体の属性相性としては、闇→『地→水→火→風→地』→光→闇、という具合になっている。毎ターン山札からカードを一枚引いて手札を増やし、手札から一枚『魔法』を選んでセットして公開し、相性によって勝敗を決め勝利した方の魔法が効果を発揮する。引き分けの場合、効果を発揮するのは両方の魔法だ。魔法の効果は様々だが相手の『ウィザーズ』にダメージを与えることが基本となり、これを用いて三体いる相手の『ウィザーズ』を全滅させた方が勝者となる。尚、同時に全滅したら最後のウィザーズのレベルが低い者が勝ちで、それも同数なら引き分けだ。
 「『月の咆哮』で一点。さらに効果でリアーゾーンの『ナイアーラ』とフロントゾーンの『キリシア』を交代するぞ」
 「分かりました。ではドロー」
 「ドロー」
 「セット」
 「セット」
 「バトル」
 「バトルです。『吹雪の蜃気楼』」
 「『虚無の壁』……ううむ」
 「青(水)と白(光)で青の勝ちです。フロントゾーンの『エレナ』を下げて、『インティ』をリアーゾーンから出します」
 ウィザーズは一人三体。これをゲーム開始時にフロントゾーンに一枚とリアーゾーンに二枚という具合に配置する。矢面に立って戦うのはフロントゾーンのウィザーズであり、リアーゾーンのウィザーズは言わば控えの状態だ。魔法で相手にダメージを与える時も、特に記載がなければフロントゾーンのウィザーズに対して攻撃することになる。
 特に重要な要素となるのは、フロントゾーンにあるウィザーズのステータスに応じて、手札から出して詠唱出来る魔法の属性やレベルが異なるということだ。例えば闇属性レベル5の『アポカリプス・エンド』は、蕪木のデッキだと切り札の『邪神の大魔導士ナイヤーラ』でしか詠唱することが出来ない。もし間違えて他のウィザーズでそれを唱えようとしたらチョンボとなり、無条件で相手の魔法だけが通ってしまう。世界観的には、フロントゾーンのウィザーズ同士が、相手に向けて魔法を打ち合っているという絵面になっていた。
 ウィザーズのステータスには属性ごとに得意・不得意が設定されている。例えば闇属性レベル5のウィザーズである『邪神の大魔導士ナイヤーラ』なら、闇属性の魔法はすべて使えるが光属性の魔法はレベル1しか使えず、他の属性は可もなく不可もなくに設定されている。このように相手のフロント・ウィザーズのステータスから、次にどの属性のどんな魔法が飛んで来るのかを読み合うところにゲーム性があるのだ。
 「ドロー・セット」
 「ドロー・セット」
 「バトル」
 「バトル。『ヘイムドールの焚書』」
 「『アポカリプス・エンド』」
 「赤対黒なので、そっちの魔法が通ります。これで『インティ』は倒れますね」
 「ああ。しかしこれは……」
 「はい。『焚書』は『この魔法を詠唱したバトルで自分のウィザーズが敗走した時、自分の手札を二枚捨てて良い。そうした場合、山札を見て火属性の魔法を二枚、手札に加える』という効果です。『ヘルフレイム』と『篝火』を手札に加えます。火属性が揃ったので『復活の妖精アリアナ』の効果発動。『手札から同じ属性の魔法を三枚捨て、このウィザーズを敗走させる。自分のウィザーズが敗走した時、それが捨てた魔法と同じ属性なら、そのウィザーズのダメージを全て取り除き、フロントゾーンに置きなおす』。これでインティを復活させます」
 「……分かった。ドロー」
 「ドロー」
 「セット」
 「セット」
 「『ヘルフレイム』」
 「く……二枚目を持っていたか。『イビルクエイク』」
 「赤と黄色なので相打ちでお互いにダメージです。インティ効果で火属性ダメージが5点アップされ、打点15。ナイアーラだけが敗走します」
 「……『キリシア』を出す。ドロー・セット」
 「ドロー・セット」
 「公開。『ウィンドブレイク』」
 「『古代魔法の復活』」
 「嘘だろ?」
 「捨て札の一番上にある魔法を唱える代わりに、山札の上から七枚を破棄します。デッキが無くなったので次のターンにわたしが負けますが、その前にもう一度『ヘルフレイム』。赤と緑で赤の勝ち。キリシアを倒して……ありがとうございました!」
 勝利したエロ本は満面の笑みで頭を下げた。蕪木はあまりのことに身を震わせて、信じがたいという気持ちでエロ本の顔をまじまじと見つめた。
 「おまえ……本当に初心者か?」
 「えっ? ええと……そうです。今日が初めてです。えへ」
 「そんな訳がないだろう。俺だって何も手加減した訳じゃ……」 
 「え? そうなんですか? ……何それ嬉しいなえへへへへ。えへ……あ、あ。すいません、あの、勝っちゃって」
 「謝るな。バカにしてるのか」
 「すいません。……いや違うんです、これはたまたま……」
 「デッキはちゃんと回せてたし……実力だろう。だいたい、多少運が絡んだとしても、やり込んでいる俺とビギナーとの差が、普通ならそう簡単に埋まる訳がないんだ」
 「あ、アニメで見たのと同じ戦法を使ったので、それだけです。そもそも、『インティ』のこのデッキが強いんじゃないですか?」
 確かにエロ本の……というよりガラポンから奪ったこのデッキの戦術は、アニメの主人公そのままである。デザイナーズ・デッキと言っても良く強力な構築だが、しかし使いこなすとなると容易ではない。インティが倒れた時に赤の魔法を三枚持っていなければならない点、手札や山札を破棄するスーサイド的な効果の使いどころなどハードルが高く、本来なら初心者に扱える代物ではないはずだった。
 しかしエロ本はいきなりそれを完璧に使いこなして見せた。そして蕪木とて決して手札事故を起こした訳でもないのに敗北した。過去には大人も多く出場する百五十人規模の全国予選にも出場し、六勝一敗一引き分けで決勝トーナメントにも進出した蕪木は、決して弱いプレイヤーではないはずだった。それなのに。
 「おまえ……才能あるぞ?」
 「まさかまさか。こんなのはたまたまですよぅ」
 エロ本は満更でもなさそうにニコニコしている。
 「えへ。ずっとこれで遊ぶ妄想してて……今日初めてそれが実現して、勝つことも出来て、本当に嬉しいです。一生の思い出にもなりました。もう死んでも良いです」
 「大げさだな……」
 「いえいえ本当にそれくらいの気持ちですよ? というかですね、こうやって友達とちゃんと遊べたの本当に久しぶりで、あたし今すっごく楽しいっていうか……幸せっていうか」
 パチンコ屋の廃墟だった。周囲を覆うバリケートを形成していた小さな卓袱台を蕪木が引きはがし、良く拭いてから店内に設置し、上にプレイマットを敷いた。エロ本は自分のプレイマットを持っていなかったので、蕪木の持つものを一枚提供してやった。
 「あのっ。もう一回っ。もう一回やりましょう」
 「望むところだ」
 蕪木とエロ本は二十五枚のマジックデッキをシャッフルし、ウィザーズゾーンの三枚をフロントゾーンとリアーゾーンに割り振って、山札から五枚引いてゲームを開始した。
 結果はまたもエロ本の勝ちだった。三回目も四回目もエロ本が勝って、五回目に手札の噛み合いもありようやく蕪木が勝利した。エロ本は気を使っているつもりなのか、やっぱり強いですねぇこれが本当の実力ですよぅ、と媚びた口調で言って来たが、蕪木としてはそれが煽りにしか受け取れなかった。
 「勝ち逃げする」
 これ以上ボコされるのに耐えられなくなった蕪木は、デッキを片付けて立ち上がった。
 「あ……終わりですか。あの、ありがとうございました」
 エロ本は心底から残念そうな顔をした。
 「ではこれで今日はお開きですかね……」
 「塾が終わる時間までまだまだあるから、俺はもう少しそこらをふらつくが。おまえはどうするんだ?」
 「カードやらないなりにまだ一緒に遊びませんか?」
 「何をするんだ?」
 「そうですね……。あ、そうだ! 猫捕まえて来て殺しましょうよ! あたし上手なんですよ捕まえるのも殺すのも! こないだホームセンターで新しいナイフ万引きしたんです。大きくてとても良く切れて……あ、見てくださいます?」
 「見ない。今日はもう終わりだ。一人で帰れ」
 そんなことに付き合わされてはたまらないので蕪木は突き放した。思ったより冷たい声になったのでエロ本は微かに目に涙を浮かべた。
 「す、すいません怒っちゃいました? き、嫌いにならないですよね?」
 「嫌われても仕方がないことだという自覚はあるのか?」
 「い……いやぁ。前にそれで友達に嫌われましたから、もし蕪木さんもそうだったら嫌だなぁって。……悪い遊びなのは分かってるんですけどね。でも皆もいじめとかするし悪口とか言うし、煙草吸ってる子とかもいるのに、なんであたしだけこんなことで嫌われるのかなーみたいな。あ、すいません、なんか言い訳みたいで」
 「……腐ってるのがおまえだけじゃないのは確かだな」
 「そうですよそうなんですよ。蕪木さんだて他人の財布とか泥棒してるんだから、同じですよね。え、えへ。えへへへへへ」
 媚びたように笑うエロ本を放置したまま蕪木は廃墟の外に出た。
 罵声を浴び足蹴にされ排斥され淘汰され、他人の悪意をその身に浴び続けたエロ本にとって、人間や世界は酷く醜悪でおぞましいものに見えているのだろう。世の中とは人間とはそもそもそういうものだという世界観がエロ本の内側には形成されていて、だから自分のしている動物をいじめ殺すくらいの習癖もまた、他愛のない些細なものだと考えているようだった。
 人間は他者にされたものを他者に返すように出来ている生き物だ。たくさん傷付けられたエロ本は、別の何かを傷付けない限りその精神の均衡を保てない。しかし人間同士で傷つけ合うことをエロ本は選ばなかった。選べなかっただけかもしれないがとにかくエロ本は動物をいじめ殺すことを選択した。人間に害を成さないのならば蕪木は奴を無害で無力だと思う。しかしその在り方は醜悪でみっともなく何より卑小だった。

 〇

 街をプラついて、ショッピングモールでカードショップを冷やかし、自分が出禁になっていないことを店員に確認する。
 「ガラポンさんに謝れとかも言わないよ。でも、プラクティカルさんの煽り癖が良くないのは確かだから、それは気を付けた方が良いよ」 
 「分かりました」
 「いつも来てくれてありがとう。次の地区予選、近いよね。次は全国出られるように頑張って。ウチの店に来るお客さんのエースみたいなもんだからね、プラクティカルさんは。それと」
 店員は蕪木の方をじっと見つめた。
 「ガラポンさんがデッキ失くしたらしいけど、何か知らない」
 「知りません」
 店員に褒められて満更でもない気分だった。だからという訳でもないが、蕪木はカードパックをボックス購入し、店内で開封して手に入れたカードをケースに入れた。新しいデッキを組むつもりでさらに数点のカードをシングル買いし、それもケースに入れて持ち帰った。
 財布が少々寂しくなった為、モール内ですれ違った男性の財布を掏り取り、トイレの中で改めた。キャッシュレス決済が主流になった現在でもそれなりの現金が入っており、ボックス購入分の五千五百円を補填して余りあった。
 そうこうしている内に塾が終わる八時を回し、蕪木は自宅へと帰還した。
 「信夫ちゃん。お帰んなさい。晩御飯は出来てるわよ」
 母親は甘えたような声を発した。五十一歳と蕪木の年齢からすると比較的高齢の母親は、蕪木に似てぶよぶよと太った醜い女性だった。蕪木のようにニキビ面ではない代わり肝斑が顔全体を覆っていて、それを誤魔化す為に厚ぼったくファンデーションを塗りたくっている。蕪木のような腋臭ではない代わり酷い加齢臭がして、そこに必要以上の香水を吹き付ける為近くにいると鼻が曲がるかのようだった。
 甘ったるく味のしないホワイトシチューを母親の前で食べる。母親は自分の食事は済ませているが、彼がものを食べている間中何をするでもなく彼のことをじっと見つめている。笑顔でおいしそうに食事を摂らなければならないというルールも家庭内には存在しており、これが蕪木にとってとてつもなく不愉快だった。
 「信夫ちゃん。今夜は何時まで勉強するのかしら?」
 「今日は少し眠いので、十一時くらいまでにしておこうかなと」
 「睡眠時間を確保するのは大切よね。でもね、もうちょっと頑張っても良いと思うの。ほら、今は臥薪嘗胆の日々でしょう? 信夫ちゃんは他の子たちより少しだけ遅れているのだから、少し無理をするくらいがちょうど良いと、お母さんは思うわ。そもそも……」
 父親の方は仕事という名目でまだ外出していて家にいない。塾を名目に、実際にはサボりつつ外で気ままな時間を謳歌する蕪木と同じで、どこかで羽根を伸ばしているのだろう。二人だけの時に本人がそう漏らしたこともある。蕪木は母親よりは父親の方が好きだったが、しかし子供の自分とまったく同等にこの母親に逆らえず、同じくらい姑息な手を用いて日々と人生をどうにかやり過ごしている様には憐憫を感じていた。
 「信夫ちゃん。お母さんね、ようやく信夫ちゃんが海鳴中学に落ちたことを、受け入れられるようになって来たの。そりゃあ最初はショックだったわ。私も信夫ちゃんもたくさん頑張ったものね。信夫ちゃんも簡単には受け入れられなかったと思う。でもね、よくよく考えれば、信夫ちゃんの頑張りも足りなかったし、私も信夫ちゃんのことを少し甘やかしていたように思うわ。だからね、今日のお勉強は十二時までにしておきなさい。信夫ちゃんは若くて体力があるから七時間も寝ればきっと大丈夫よ。決して信夫ちゃんが嫌いでこんなことを言っている訳じゃないってこと、理解してるわよね?」
 「分かってるよ。母さん」
 自分が学校で、カードショップで、とにかくこの家庭という檻の外で他人にどこまでも横柄に振舞うのは……この母親に抑圧される反動なのだろうと理解している。人は他者にやられたことを別の他者にやり返さずにはいられない。だから本当は……エロ本が動物をいじめ殺すのも、どこかでは理解出来もするのだ。
 食事を終え、勉強したくなさから眺めに入浴した後、蕪木は母親が寝たのを見計らって鞄の中から大切なカードを取り出した。そして本棚の奥、並んだ参考書の裏に作ったスペースに、それらを丁寧に丁寧に仕舞い込んだ。
 蕪木は机に着いて勉強を始めた。この時ばかりは蕪木は品行方正に自学自習する。いつ母親が予告なく扉を開け放つか、それを思うと、手を抜くことは許されなかった。

 〇

 土曜日の塾は昼からだったが、蕪木はサボることにした。一時から五時の四時間。蕪木は塾が終わった後友達の家で一緒に勉強をする約束があると告げることで、六時間以上に渡る膨大な自由時間を手に入れていた。
 何をするのかは決まっていた。午後二時から開催されるウィザーズ・コロシアムの大会に出場するのだ。
 この日の大会は一味違った。参加費に五百円を取られる代わり、優勝者には希少なカード・パックの詰まったボックスが商品として進呈されるのだ。
 ウィザーズ・コロシアムは投資商材とすら言われるほどレア・カードに高い値段が付く為、人気のウィザーズが収録されるエキスパッションはショップでもなかなか見かけない。オークションサイトなどでは定価を上回る金額で転売されることも珍しくない。
 そんな希少なカード・ボックスが商品となるとあって、今回の大会は盛況が予想されていた。普段強さより楽しさや好きなウィザーズを使うことを重視するタイプのプレイヤーも、勝利を至上としたガチ・デッキを持って来ることが考えられた。プレイヤーの真剣度は高く大会のレヴェルも高まることから、蕪木にとっては腕試しの絶好の機会だ。
 問題は参加の抽選を通るかどうかだった。エントリーを済ませた蕪木は、自身が落選しないことを願いながらプレイテーブルに着き、やや緊張した気持ちで抽選が終わるのを待っていた。
 「あ、あの。蕪木さん」
 エロ本に声を掛けられた。
 「……何故おまえがいる」
 「い、いや……。あたしも大会出たいなーって」
 「例のデッキでか?」
 「え、ええそれはもうそれしか持ってない訳ですし。やっぱり初心者のあたしが出るなんておこがましいんですかね。でもでも商品欲しいし……参加費の五百円くらいなら前に蕪木さんがくれたお金で払えるし……。でもどうやってエントリーするか分からなくて困ってたら、蕪木さんがいて」
 「店員の方に聞けば良いだろう」
 「話しかけるの怖いんですよぅ」
 蕪木はエロ本を伴って店員のところに行きエントリーを代わりに済ませてやった。そしてエロ本の腕を引いて店の外に連れ出す。
 「ど、どうしたんですか?」
 「スリーブとデッキケースを変えた方が良い」
 スリーブとはカードを守るプロテクターの役割を果たすビニール製品のことである。カードにフィットする硬質なビニールを被せることで、中のカードの汚損を防ぐのだ。
 「な、何でですか? どっちも『インティ』の格好良いイラストが描いてあって、け、結構気に入ってるんですが……」
 「おまえのカードはガラポンという男から盗んだものだ。スリーブも中身も同じなら盗品をそのまま使っているのが丸分かりだが、スリーブとケースだけでも変えておけば少しは誤魔化せる」
 「なるほど! でも、スリーブは千円くらい、ケースも五百円するからちょっと厳しいんですよね……。つ、月のお小遣いまるごと吹っ飛んじゃうなー、みたいな……」
 そして甘えたような上目遣いをする。蕪木はその時通りががったカップルの女性の方の懐に手を突っ込み、中の財布を掏り取ってから、エロ本をその場に置いてショップに向かった。そして蕪木が信頼するメーカーの頑丈で使い勝手の良いケースとスリーブを購入して、エロ本に手渡した。
 「え、えへ。何から何まですいません」
 「おまえ、俺のことを金をかき集めて来る打出の小槌だと思ってないか?」
 「い、いえそんなことは全然。思ってないです。全然、全然、思ってないですからぁ……」
 そこらのベンチでスリーブとケースの交換作業を終えると、ちょうど抽選が終わる時間になった。
 倍率はそれほど高くなくて済み、蕪木とエロ本もめでたく当選した。まもなく試合が開始されるということで、エロ本は緊張した面持ちだった。
 「うぅうう……。ほ、本当に始まるんですね。あたし……あたし……あああっ! もう一回おしっこ行っとくんだったぁ!」
 「それは失敗だったな。ところでおまえ、エントリーの時プレイヤーネームどうしたんだ?」
 「ああ。その、他に思い付かなくて、その」
 「何にした?」
 「エロ本……に、しました」
 大会が開始される。
 今大会はトーナメント形式で開催される。日ごろのスイスドロー形式とは異なり、負けたらそれでおしまいだ。六十四人と言う大所帯での大会で、プレイスペース全体を貸し切って開催される為、ショップ内はカードゲーマー達でごった返し一種異様な空気感を形成していた。
 席が振り分けられる。一回戦の相手は耳にピアスを付けた軽薄そうな身なりの男で、以前一度対戦したことがあったが特に苦戦した記憶はなかった。それでも蕪木は油断のないプレイングで試合を進め、普段通り『ナイヤーラ』を活かす戦術で有利な状況を築いて行った。アリアナで闇魔法を手札に抱え込み、ベリアルで相手の手札の光魔法を削り取ってからナイヤーラで攻める。この必勝戦術は今日も絶大な威力を発揮して、タイマーが十分を刻む前に苦も無く勝利した。
 勝者報告をスタッフに済ませる。ふと店内を見回すと、エロ本がたどたどしい緊張しきった手つきで対戦を行っているのが見えた。
 「え……えっと。ど、ドロー、で。あっ、すいませんすいませんデッキこぼしちゃいました」
 「大丈夫ですよ。良くあることです。それはそのまま直して、一番上がたぶんこれなのでそのまま手札に加えてください」
 相手はホタルだった。面倒見の良い様子で、優し気な笑顔でエロ本に接してあげている。
 エロ本は公の場で対戦するのが初めてだということで、相手のデッキのカットなど細やかな作法がまったく出来ていなかった。緊張とドジからカードをこぼすデッキを崩すなどジャッジキル級のミスも連発した。しかしホタルは不快な素振りをまったく見せることなく、必要な助言を行っていた。
 「なので、自分のデッキを見た後は、相手にデッキを渡してシャッフルして貰うことになっているんです。忘れると仕込んだと思われて文句を言われるケースもあるので、これは注意した方が良いですね」
 「あ、は、はい分かりました。つ、次からそうします」
 「後ゲーム開始前のシャッフルはディールシャッフルと言って、五つ以上の小さな山を場に並べて組み合わせるようにすると良く混ざります。いわゆる普通のヒンドゥーシャッフルだけだと相手によっては嫌な顔されるというか、普通に怒られます。……まあ、全部私が初心者の頃の経験なんですけどね」
 特徴的な八の字眉毛でたははと笑うホタル。優しいお姉さん的な振る舞いのホタルに、エロ本は徐々に信頼した様子になって行った。緊張もほぐれたのかプレイングにも精彩を取り戻し、蕪木を何度も下したその手腕が発揮され、やがてホタルを圧倒するようになって行く。
 「『エレナ』が敗走した時『アリアナ』効果で手札の緑三枚捨てて蘇生します」 
 「えっ? そっちに使うんですか?」
 「エレナを置きなおしてドローです。セットします」
 「せ、セットします」
 「バトルです。『フリーズドライ』」
 「『エアブレイド』……ああっ!」
 「青と緑はあいこなので両方の効果が発動しますね。こちらの『フリーズドライ』効果でホタルさんのデッキから五枚捲ります。中の青魔法を全部捨てて貰って、青魔法一枚に付き二点です」
 「……い、一枚だけありました」
 「『エレナ』効果で、レベル3以下の緑か青の魔法を使った時、デッキから同じカードをもう一度使います。『フリーズドライ』」
 「うぅ……今度も一枚です。デッキの青魔法、全部消えました」
 「エレナは今度こそ敗走して次インティです。ドロー、セット」
 「ドロー、セット。……バトル。今度こそ『百裂火球』」
 「バトル。『篝火』です」
 「げぇっ!」
 「ホタルさんの手札から黒を一枚捨てさせます。ない場合は手札を公開して、望むなら自分のフロントのウィザーズに3ダメージを与えてからマリガン出来ます」
 「あるので捨てます……。青二枚捨てさせて黒まで封じるってどういうことですかっ? それでインティとか……どうあがいても次ヘルフレ通すしかないってことですよね!」
 大会に出るのが初めての初心者に、ホタルはものの見事にボコボコにされていた。蕪木は興味を失ってその場を離れた。
 そして隅のテーブルで対戦を行っている一人の少年が目に入った。
 顔立ちは蕪木達より少し上の中学生に見えた。しかし背が高い。椅子に座っている状態でそこらの大人より高いところにある。そしてすらりと痩せた体格で色も白い。顔も良い。鼻翼が小さく鼻筋が通っていて、顎回りがすっきりと痩せている。涼し気な目元で、薄い唇は柔和な形を描いている。かなりの美形だ。そして何より目に付くのが……彼が身に纏っている学生服だ。
 それは蕪木が憧れた、海鳴中学のものだった。星形の校章に青みのかかった上等な生地の制服は、新品のように光り輝いている。
 少年は知性を感じさせる温和な笑みで、対戦相手とコミュニケーションを取りながらプレイを行い、丁寧なプレイングで有利な盤面を築いているようだった。初めて見る顔だが所作に戸惑いはなく手慣れているようだ。そして戦い方も上手く、間もなく少年の勝ちになりそうなkも雪だった
 まさか海鳴の奴がここに来ているとは。蕪木はコンプレックスを刺激され、面白くない気分で目を逸らした

 〇

 大会はつつがなく進行して行った。
 二回戦、三回戦、四回戦と蕪木は勝ち進んで行った。途中危ない場面もあったが、時にはリスクも取る戦略で、どうにか勝ちを拾い次の回戦に駒を進めた。
 参加者はどんどん少なくなっていき、準決勝である五回戦に至る頃には四人を残すのみになった。蕪木もエロ本もその中に入っていた。
 「ここここここれ本当にあたし準決勝に残ってるんですよね? 本当なんですよね?」
 エロ本はアタマすら抱えてそう言った。
 「ああ本当だとも。ブロックが違うから俺達が当たるとしたら決勝戦だな」
 「しししし信じられない! なんでこんなことになってしまったんでしょうか! これは本当に現実なんでしょうか! あぁあああ! 結局おしっこ行けてないどうしよう! どうしよう!」
 「大丈夫かおまえ? 漏らすか?」
 「漏れる!」
 「ちょっと時間あるからトイレ行っとけ」
 「行きます! あぁあああ! つつつつ次勝ったら実質あたし優勝ですよねっ。蕪木さんには勝てますもんねっ」
 「何か言ったか?」
 「ごめんなさい! 何も言ってません!」
 五回戦の相手はガラポンだった。ガラポンは蕪木のことを鋭い目で睨んだが、涼しい顔でじっと相手を見返すと特に何も言って来なかった。ただその表情には中年の大人が中学生に向けるものとは思えぬ陰湿な戦意が滲んでいた。
 ガラポンは大人気ないことに挨拶もなしに対戦を始めようとした。
 「よろしく、お願い、します」
 対する蕪木は一言一言区切るように厭味ったらしく言ってやる。ガラポンは何も言わずにウィザーズのカードを表に向けた。
 デッキの内容は同じだがカードは変わっていた。希少なURだったインティがワンランクダウンのSRになっていたのだ。
 「あれ? SR版なんですね。UR版は家のファイルに仕舞って来たんですか?」
 「うるさいです!」
 蕪木はガラポンとの対戦に集中しながらも、相手の考慮時間が長引く際には、隣のテーブルで戦うエロ本の方を眺めていた。
 海鳴の少年とエロ本との戦いは一進一退だった。
 海鳴の少年は合計で10にしなければならないウィザーズのレベルを、レベル4のウィザーズを二枚採用とレベル2のウィザーズ一枚で構築したダブルエース構築だ。そして闇属性の『災禍の魔導士マガウズ』と水属性の『深海の魔導士オクトバ』の二枚のエースは、どちらもインティが不利を取る属性の持ち主である。エロ本としては、デッキ単位で相性が悪いという状態だ。
 しかしエロ本は動じることなく『エレナ』の二連続『フリーズドライ』で相手のデッキから青魔法を取り除き、『オクトバ』を機能停止に追い込むなどして応戦した。しかし相手もさるもので『呪縛の鎖』で火属性の魔法を封じると、『ヘルフレイム』以外のエレメンツの魔法がないことを見切って光属性の『禁書目録の隠滅』を使用し、捨て札の青魔法をデッキへ二枚戻した。
 それでも駆け引きとしてはエロ本が押しているようにも見えた。海鳴の少年も上手く粘ったが自力はエロ本の方にあるようで、後一手を読み間違えれば敗北、良くて仕切り直しという窮地に追いやられていた。
 「どどど……ドロー」
 勝利を目前にしてエロ本は震えた手つきで山札からカードを引いた。その時だった。
 デッキが崩れた。そして崩れたデッキが床に落ちた。
 「あ、あわわわわっ」
 思わず拾おうと屈みこんで机の角に頭をぶつけた。その拍子に手札までもがぶちまけられて表向きにテーブルに広がった。
 「わ、わ、わ。ご、ごめんなさい。ごめんんさい」
 「……ジャッジー」
 海鳴の少年が静かな声でジャッジを読んだ。事情を聞いたジャッジはエロ本に注意した後に、ペナルティとしてインティに2点与えた後、床のカードを拾いシャッフルしてから山札の上に置いた。
 「す、すいませんすいません。せ、セットです」
 「……セット」
 「バトルです。『ヘルフレイム』」
 「『呪縛の楔』。宣言は黒」
 「ああっ!」
 手札をぶちまけたことで光属性の魔法がないことがバレてしまった今、海鳴の少年は闇魔法が打ち放題だ。しかも『呪縛の楔』は全ての属性の中から一種類選んで、一ターンの間使えなくする黒を代表する強力カードである。黒を宣言されたことで、エロ本は次のターンのあいこの可能性すら潰され手も足も出ない状況に追いやられてしまう。
 「あ……あわあわあわあわ」
 ウィザーズコロシアムのゲーム性は高度なじゃんけんなので、手札を表向きにして出せる手がバレてしまっては、良いようにやられてしまいがちだ。その為ピーピングと手札干渉はウィザコロの基本戦術だが、その発動条件やコストは厳しく設定されている。それを自分から公開してしまったことと、インティに想定外の2ダメージがジャッジから与えられたことで、エロ本がここまでに築き上げた有利は完全に消え失せていた。
 エロ本はそのままあっけなく敗退した。一方ガラポンを一蹴して来た蕪木は、机に突っ伏して落ち込んでいるエロ本の肩を叩いて軽く声を掛けた。
 「……残念だったな」
 「い、いえ……。何も本当に優勝出来ると思っていた訳じゃなくてですね」
 「そうか」
 「え。ええ。でもですね。こんな大切な時にまでドジ踏んでミスして台無しにする自分が嫌でですね。一生こんな感じなのかなーって思ったらですね。何というか……」
 自己嫌悪に陥っているエロ本をどうケアするか、そもそもケアする義理があるのか。悩んでいる内にそれよりも自分の決勝戦だとい事実に思い至り、蕪木はエロ本を放置して精神統一の為に席に着いた。
 海鳴の少年がこちらを見詰めているのが見える。
 蕪木が思わず睨み返すと、少年はそれを軽く流すようににこやかな笑みを発した。

 〇

 観戦の為に残ったエロ本が見守る中、決勝戦が始まった。
 「よろしくお願いします」
 「……よろしく」
 海鳴の少年は『トロイ』を名乗った。トロイは蕪木のPNを確認をすると、呟くような声で口にした。
 「……三匹の子豚」
 「は?」
 「ほら、プラクティカルだから」
 「ああ……」
 プラクティカルとは三匹の子豚における煉瓦で家を作った三男の名前だ。少なくとも、ディズニー映画においてはそう名付けられている。
 「やっぱり、人生はレンガの家を建てるように堅実に、地道に築き上げていくのが良いんすかね?」
 蕪木は戯言に付き合わず目を逸らした。プラクティカルというPNが三匹の子豚から取られているのは確かだったが、それは自身の太った容姿を自虐した一種のユーモアに過ぎなかった。どんなに小賢しくても豚は豚なのだ。それでも小学生の頃は、せめて自分は豚の中では一番賢いと、そう信じていられたものだが。
 「寓話的にはそういう教訓を得たので正解なんでしょうけど……でもね。ボクはやっぱり、三男みたいにレンガで家作るのを目指すのは、なんか違うんじゃないかと思うんすよね」
 決勝前に緊張感もなく、トロイはのたまっていた。
 「レンガの家をこさえるのだって、結局は身を守る為な訳でしょう? つまりは食われる側で、子豚である限り食う側には絶対に回れない訳じゃないっすか。その狼がたまたま間抜けだったから、煙突から中に入ろうとして焼き殺されることになったけど、普通だったら家の前で待ち伏せされて出て来たところをパクリっすよ。それはつまり子豚が弱者だからで、弱者だから弱者なりの戦い方として、レンガを積み重ねたり知恵を絞ったりしなくちゃいけないってことだと思うんす。それよりはやっぱり最初っから、逃げ隠れせずとも良いような強い存在の方に憧れませんか?」
 「何が言いたい?」
 「憧れるなら狼っすよ。悪くて強い、しかも童話と違って賢くもある狼に。小さい頃童話で読んだ時から、ボクはずっとずっと、自分が狼だったらもっと上手く子豚を血祭りにあげるのにって、ずっとそう思ってたんすよね」
 トロイの訳の分からない一方的なつぶやきを聞いている内に、試合は始まった。
 相手のデッキは『マガウズ』と『オクトバ』のダブルエース構築だ。属性の違うレベル4以上のウィザーズを二枚採用した構築は、一般的に扱いが難しいとされている。特定の一体のエースを中心とした構築ならば、魔法デッキの内容をその一体のステータスに合わせ、他のウィザーズはそれらの魔法を共有できる者を採用すれば済む。しかし二枚のエースを採用したデッキでは、エース同士で魔法デッキの枠を取り合ってしまうし、手札事故の確率も高まってしまう。
 しかしその分、幅広い相手をカバー出来るのが魅力である。片方のエースで不利を取る相手でも、もう片方のエースで対応できるという訳だ。一般的にダブルエース構築は、その時々の環境に多く存在するデッキにメタを張るような構築をされがちで、ティア1である『インティ』を握ったエロ本はまさにその術中に嵌った部分もあった。
 しかし蕪木の『ナイヤーラ』は、トロイの『マガウズオクトバ』に不利を取らない構築だ。トロイは扱いの難しい『マガウズオクトバ』を見事に使いこなしてきたが、蕪木もまた冷静に自身のデッキコンセプトを通していく。
 「キリシア採用のナイヤーラってのも古風っすよね。手札干渉受けなかったら闇を抱え込めるのは強いんすけど、今の環境手札干渉増えてるからリスクもあるっすよね。結局タンポポ通さなきゃいけないからとにかく安定しないし、エースへの負担がでかいっていうか」
 「無駄口を叩かずカードを引け」
 「こりゃすんません。じゃあドロー」
 「ドロー」
 「セット」
 「セット」
 「バトル。『海坊主の手』」
 「バトル。『幸運を運ぶタンポポ』」
 「青と緑で引き分け。これでキリシアは倒しましたが……」
 「『アポカリプス・エンド』を持って来る。……タンポポは通さないんじゃなかったのか?」
 闇レベル5の強力魔法である『アポカリプス・エンド』を手札に加えた蕪木は、闇レベル5エースの『邪神の大魔導士ナイヤーラ』をフロントゾーンに差し向けた。
 「今ボク白握ってるかもしれないっすよ」
 「握ってるだろうな」
 「じゃあなんでベリアルから来ないんすか? レベル2の小兵の癖して敗走時効果で手札の白二枚山下に沈めるとかいう強カードでしょ? ナイヤーラを環境に押し上げてる元凶とも言われている……」
 「オクトバ効果でそちらの手札が多い。だからここでナイヤーラの効果を切る。『無貌の神』」
 ゲーム中一度だけ使えるナイヤーラの起動効果により、トロイは自身の手札を全てデッキの下に戻し、山札からカードを三枚引いた。
 「白は引けたか?」
 「引けたかもしれないっすよ? ドロー」
 「ドロー、セット」
 「セット。バトル」
 「バトル」
 本当に白を引かれていた。蕪木の『アポカリプス・エンド』は不発しトロイの『虚無の障壁』が通る。ダメージはないがデッキから一枚のドローを許してしまい、さらに『山札からカードを引く効果が発動する時、追加で一枚引く』オクトバの効果で二枚目までも引かれてしまった。
 「また白が来ました」
 「三味線だろ?」
 「そんなせこいことしないっすよ。ドロー、セット」
 「ドロー、セット」
 ブラフに怯えた訳ではないつもりだが、蕪木は手札にあったもう一枚の切り札の『ライフブリンガー』を出さなかった。その代わりオクトバの得意属性である水を制する地属性の『イビルクエイク』を選択したのだが、それをさらに上回る風属性の『ウィンドブレイク』でナイヤーラに6点が入ってしまう。
 「しかしイビルクエイクの効果が発動する」
 「通れば相手の、通らなければ自分の、引き分けなら両者のリアーゾーンの風以外のウィザーズに2点ずつっすよね? 今回はこっちの勝ちだからそっちのリアーゾーンに2ダメージずつ……ということは」
 「これでベリアルが敗走して効果発動。手札に白は二枚はあるか?」
 「ないっすね」
 トロイは手札を全て公開する。
 「『篝火』なんかと違って外した場合のマリガンもなしなんすよねぇ。二枚落されることよりこの点の方が強いっすよ。白三枚あるパターン以外、次のターン高確率で黒通されるのがウザいんすよね。……ドロー、セット」
 「ドロー、セット」
 「バトル。『人魚の涙』」
 「バトル。『ライフブリンガー』」
 「青対黒でこっちの負け。『オクトバ』は敗走っす」
 「なんだ。『人魚の涙』は捨てるのか」
 「どうせ次の『マガウズ』じゃ青レベル4は打てないっすからね。黒同士でケチな相打ち取ったところで、『ライフブリンガー』の効果発動されるだけっすから、『人魚の涙』だろうとここで捨てます。使いたかったなぁ」
 トロイは最後のウィザーズである『マガウズ』を差し向ける。『マガウズ』は闇属性レベル4でありながら光属性の魔法もレベル3までなら使えると言う、変わったステータスをしている。闇同士の打ち合いは得意だ。一方蕪木の『ナイヤーラ』は光魔法を苦手としている為、ここまでに受けたダメージも相まって、闇ウィザーズ同士の打ち合いとしてはかなり不利な状況だった。
 「ドロー。セット」
 とトロイ。
 「ドロー。セット」
 と蕪木。
 「『熾天使の弓』」
 「『闇の呪縛』……くっ。引いていたか」
 蕪木は苦い顔をした。たかだが二枚のドローで白など引けないと踏んでいたで闇を出したが、物の見事に裏をかかれてしまった。トロイは得意げな表情で小粋な口調を弄する。
 「実は実は……前のターンで既に引いてたりして」
 「なんだと……。何故オクトバで打たなかった?」
 「だからライフブリンガーの効果嫌ったんすよ。負けかあいこならライフ5点回復とかいう糞効果ですから。使わせる気にはならないっす」
 「だが俺がこのターンも黒を使う保証はないだろう」
 「そもそもそっちのデッキ黒偏重でしょう? その上散々タンポポで黒をサーチしてた以上、手札はかなり黒で偏ってるっす。なら他の属性のカードは大事に使って来ますよね? 2ターン前にベリアルで手札公開させてて黒が打ちやすいこのタイミングで、わざわざ他の色を出す理由はないっすよ」
 向こうの引きが良いのは確かだが、駆け引きでも上回られているのが分かる。『ナイヤーラ』の残りHPは五点にまで追いやられていた。タイマン性能の高い『マガウズ』ならその程度は簡単に削り切って来るだろう。次のターンの攻撃を読み切って上回らない限り蕪木の負けだ。
 「『熾天使の弓』の効果でデッキから次の『熾天使の弓』をサーチして手札に加えるっす。……また白が手に入っちゃいましたねぇ」
 「…………」
 「こっちはもう相打ちでも何でも魔法を通しさえすれば勝ちっす。両方の最後のウィザーズが同時に倒れたら、レベルの低い方が勝ちになるルールっすからね。だから次に詠唱する魔法、心して選ぶと良いっすよー」
 プレイングのみならずトラッシュトークでも上回られていた。思えばいつも煽る側の蕪木がこの少年には押されっぱなしだ。
 蕪木はこの少年にだけは負けたくなかった。海鳴中学の制服を着たこの少年にだけは。蕪木は勝利の為に手段を択ばないことにした。
 蕪木はトロイの所作や気配をじっと観察した。次に出すカードを吟味する為に自分の手札をじっと睨んでいる。トロイの持つすべての気配が己の手札と、思考の世界に埋没するのを確認する。
 そうだ。こいつはそもそも問題じゃない。気を配るべきはギャラリーの方だ。蕪木は大げさに顔を天井に逸らし、うめくような声を発した。
 「もう無理だぁあああ。糞ぉおお!」
 ギャラリーの視線が表情を顰めた蕪木の醜い顔面に集中する。その隙に、蕪木は素早く手を動かした。
 「あ、諦めないでください」
 エロ本がおずおずとした声を掛けて来た。
 「せっかく決勝まで来たんですからっ。あたしの分まで最後まで戦ってくださいよぅ」
 「言われなくてもそうするわっ!」
 蕪木は手札からカードを一枚伏せた。
 「こちらはセットした。そっちも早くセットしろ」
 「……なんすか急かすんすか? 時間はまだまだありますよ」
 「良いから早くしろ」
 「せっかちですねぇ。ほら、セットっす」
 「さあ公開しろ」
 「……? オープンっす」
 トロイはいぶかる様な表情でカードを表に向けた。『熾天使の弓』。
 「オープンだ」
 蕪木は『大鷲の人攫い』を公開する。
 「白と緑だからこちらの勝ち。『熾天使の弓』の効果も発動しないな。そちらのリアーゾーンにカードがないので、4ダメージのみだ」
 「……分かりました。ドロー。セット」
 「おい! エロ本!」
 蕪木は傍にいるエロ本を睨み付けた。
 「な、なんですか?」
 「誰かの鞄の紐、踏んでるぞ」
 指摘されたエロ本は思わず足元を見た。ギャラリーの視線も同じところに集中する。蕪木はまたしても仕事をする機会を得た。
 「わぁああすいませんすいません! えっとどれですか? 誰ですか? 謝ります! 許してください! 汚しちゃった弁償はすぐには無理だけど少しずつ頑張ります。あたしのお小遣い少ないけど、中学に上がって五百円だけアップして千五百円になってますからどうか……」
 「……誰の鞄も踏んでないっすよ」
 トロイが言った。
 「何なんすか?」
 「踏んでるように見えた」
 「そっすか。じゃ、公開してください」
 「そちらはなんだ?」
 「……公開するのはそっちからです」
 トロイは身を反らせながら、人差し指を自分のこめかみに突き付けて、冷酷な視線と高い座高から見下ろすようにこちらを睨んだ。
 ……勘の良い奴だ。しかし、『熾天使の弓』を使ってしまった以上、拾っておいたこれが防がれる心配はどこにもない。
 「二枚目の『アポカリプス・エンド』だ」
 トロイは蕪木の手を取るように腕を伸ばして来た。トロイの手もすばしっこいがこればっかりは蕪木の方が早い。蕪木はテーブルに向けて広げた手を自然に高速に自分の手元に引き寄せて、証拠となるカードを手札に戻した。証拠を掴みそこなったトロイは忌まわし気な顔をしつつも、蕪木の捨て札を指さした。
 「見ても良いっすか?」
 「どうぞ?」
 蕪木は余裕の笑みで捨て札を差し出した。その隙に手札のカードを一枚捨て札に混ぜて枚数の帳尻を合わせることを忘れなかった。トロイは『アポカリプス・エンド』を捨て札から拾って来たものかと思っているようだったが、実際は山札のカードから引き抜いたものなので、捨て札をどれだけ探っても枚数を数えても証拠はどこにもなかった。
 「もうカードは出してしまっているのに入念に確認するじゃないか。まさか今更入れ替えるつもりじゃないんだろう? もうそろそろゲームを進めて貰って良いか?」
 蕪木が挑発的に言うと、トロイは忌まわし気に自分のカードを公開する。
 「……『呪縛の楔』」
 「『アポカリプス・エンド』の効果。『相手が光以外の魔法を詠唱した時、その効果とダメージを全て無視して捨て札に置く』。これで『呪縛の楔』は無効だ」
 「…………俺の負けっすか」
 「一方的にこちらのダメージが通るからな」
 「わぁ」
 エロ本が目を輝かせた。
 「すごいですね! 優勝ですよ蕪木さん! すごいすごい!」
 そして腕を掴んで上機嫌に小刻みに左右に振って来る。勝利の喜びと言うよりは相手を嵌めてやったという愉悦を感じつつ、頬を捻じ曲げてトロイを見詰めた。
 トロイは憮然とした顔をしつつも、カードを片付けて立ち上がる。
 「いつもそんな戦い方なんすか?」
 「いや。おまえにだけだ」
 「どうしてまた?」
 「さあ。なんでだかな?」
 「如月ゼミの蕪木っすよね? ゼミで一番成績良かったのに海鳴に落ちたっていう」
 蕪木はコメカミにカチンと来るものを感じつつも、所詮は負け惜しみだと自分に言い聞かせ、冷酷にこちらを見下ろしているトロイの表情を見返した。
 「残念っしたねがり勉したのに受かんなくて。でもおっかしいなぁ。如月ゼミなら土曜の昼もやってるはずなのにこんな大会に出場して。サボりっすか? それは良くないっすねぇ。チクってやっても良いんすよこっちは」
 「今更塾が何を言って来るというんだ?」
 「いえ。チクんのは君の親の方にっす」
 蕪木は思わず鼻白んだ。自分が風下に立たされたのを蕪木は理解した。そしてどう返すべきかを激しく逡巡し、しかし言葉は出て来ず唇を震わせて沈黙する。
 その様を見て、少しは留飲を下げたようにトロイは腰に手を当ててほくそ笑んだ。
 「…………冗談っすよ。君の連絡先まで知りませんし、君なんかの為にそれを調べる程暇でもないっす。でもその悪い手癖はどうにかした方が良いっすね。……その君より余程ウィザコロが上手いガールフレンドのデッキの出所も、見る人が見れば一発で分かるっすから」
 嫌味は言い終えたとばかりに、トロイは立ち去ろうとして床に置いてある鞄を手に取って引き寄せようとする。そして思わずつんのめってから蕪木の方を見た。
 「……なんすか?」
 「すまない。踏んでしまった」
 蕪木はトロイの鞄の紐から脚をどかした。
 「しょうもねっすね」
 トロイは鞄を持ってショップを立ち去って行く。微かに憮然とした表情のスタッフが近付いて来て、蕪木の優勝を告げた。

 〇

 表彰式で蕪木は希少なボックスを受け取った。
 拍手はまばらだったが蕪木は構わなかった。経緯はどうあれ勝利したのは蕪木だった。蕪木は胸を張って商品を受け取り、凱旋するような気持ちでショップを後にした。
 「あ、あの、蕪木さん」
 エロ本が付いて来て話しかけて来た。
 「なんだ?」
 「だ、大丈夫ですか?」
 「何がだ?」
 「最後の方、対戦相手の人にすごく嫌なこと言われてたから……」
 エロ本はおずおずとした表情で、心配げな様子で蕪木の顔を覗き込んだ。
 「ひ、酷いですよね。自分は海鳴の制服着てるからって。蕪木さんだって十分アタマ良いのに……。それになんだか蕪木さんがズルしたみたいな言い方だったじゃないですか。あたし悔しかったんですけど何も言えなくて、あの人なんかすごい怖くて。あの、ごめんなさいね」
 あの応酬にこの気の弱いエロ本が口を挟めるはずもない。だが蕪木に同情し心配しているのは事実であるらしく、エロ本は言葉を尽くして慰める様子だった。
 「あたしも毎日悪口言われてるから分かるんです。つらいですよね。なんでただの言葉なのにあんなにつらいんでしょうね。全部どうでも良くなれば良いのにって思うけど、どうにもなんないんですよね。でもそれって自分が悪いんじゃなくて、言って来る相手がやっぱり悪いんだと思うんです。だから……」
 「俺がズルをしたのは事実だぞ」
 「え? は? えっ?」
 「手の中に二枚も三枚もカードを隠して、相手が表を向けてから、勝てるカードを出していたんだ」
 「反則じゃないですか!」
 エロ本は目を丸くして恐れおののいたように言った。
 「確かに蕪木さん、掏りとか得意だから手先は器用なんでしょうし……そういうイカサマもじゃあ出来るんですかね?」
 「財布を掏るより余程簡単だ。と言っても、普段からやっている訳じゃない。それはつまらないからな。ただ個人的にあいつが気に入らなかっただけのことだ」
 「ど、どうして……?」
 「聞いてくれるな。向こうもイカサマには気付いていたようだが証拠は掴ませていない。ギャラリーにも気付かれるようなやり方はしていないから、問題になることはないだろう。気付かれたのはただ向こうの勘が良かっただけのことだ」
 「それであんなに嫌味言って来てたんですね……」
 「その通りだ。そしてイカサマとは別に、海鳴マウント取られたのは普通にムカついたから、そっちの報復もちゃんとしておいた」
 「ど、どうやってですか?」
 「奴の鞄に手を突っ込んで、これを盗み出しておいたんだ」
 蕪木は懐からリボルバー式の拳銃を一挺取り出して見せた。
 ずしんとした重みのある拳銃だった。漆黒に輝く様は冷ややかでどこか妖艶にすら感じられる。銃口は先を見通せない程深い闇に満ちていて、五つのシリンダーの穴があるリボルバー部分を軽く回すと、繊細で精巧な手触りがあった。
 「良い銃だな」
 「じゅ、銃刀法違反です!」
 「モデルガンだろう」
 「ま、まあそうですけど……」
 「海鳴生がこんなオモチャを持ち歩いているとはな。しかし何千円という値段では買えるまい。それほど精巧で良く出来ている。軽く指先で触れた瞬間から、高価なものだと一発で分かった」
 「だから盗ったんですか?」
 「その通りだ。財布は服のポケットにあったし、鞄の中で触れたもので一番高価そうなのがこれだった。ざまあみろだ」
 「……ズルされて負けて景品逃した上にオモチャまで取られたんですかあの人」
 エロ本は同情の矛先をトロイの方に変えたようだった。「大丈夫かなぁ……」と心配げに呟いている。しかし蕪木の方はというと愉快でならなかった。
 「今更だろう。おまえが持っているカードも全部他人のだし、スリーブもデッキケースもプレイマットも、俺が他人から盗んだ金で買ってるんだから」
 「それはそうなんですけどね……」
 「第一俺が何をしようと、おまえが犬猫にしていることと比べたら、遥かにマシだよ」
 「いやぁ……人間に何するより、動物にする方がまだ良いんじゃないかなーって、あたしは思ってるんですけどねぇ」
 「それは考え方によるだろう」
 弱い者が自分より弱い者をいじめるにせよ、それで犬や猫を選ばざるを得ないエロ本は本当にしょうもない弱者だ。しかしそのことを蕪木が口にすることはなく、その代わりに。
 「まだ帰るまで時間があるから、二人でウィザコロの練習をしないか?」
 「え? しますします! 誘っていただいてありがとうございます!」
 「どこが良い?」
 「例の廃墟が良いです。あたしあそこ好きなんです。誰も来ないからなんか安全な気がして……。というかモール内にいると結構な頻度で倉坂さんとかいじめっ子と遭遇することもあってですね、まあたまにの話なのでしょうがないなとは思ってるんですけど、カードで遊ぶとかそういうことなら安全な場所でやるに越したことはないですから」
 「そうか。なら、そうしよう」
 蕪木とエロ本はモールの外に出た。

 〇

 「『ウィンドブレイク』」
 「『ヘルフレイム』です」
 「ぐぁああああ!」
 蕪木の『ナイヤーラ』が敗走させられまたも敗北を喫した。前にここに来た時と合わせて都合十回以上は対戦しているが、勝てたのはほんの二、三回しかない。かなり運の絡む、しかもじゃんけんのような要素のあるこのゲームにして、これほど勝率に差が付くのは腕前に相当の違いがあることを意味している。蕪木は対戦する度に実力差を実感するかのようだった。
 「……て、手加減しましょうか?」
 「黙れ! 二度とそんなことを言ったら俺はおまえを許さない!」
 「ご、ごめんなさい……」
 「黙って手を抜いても許さない。何度でも本気で来い!」
 「は、ははは、はい。分かりました!」
 蕪木は相手のデッキの白の枚数に気を配り、『無貌の神』を打つタイミングや『ベリアル』を差し向ける順番を変えるなど工夫をしたが、しかし考えれば考える程泥沼に嵌るかのようだった。そもそもこの手のゲームで普段と違うことを試すのには大きなリスクがあり、何か勝算や確証があるならいざ知らず、単なる苦し紛れでは余計に自分の首を絞めるだけである。
 「で……エレナ効果で『ウォーターランス』をデッキからもう一度使って、『キリシア』を倒して、おしまいです」
 「なんでそんなに強いんだおまえは!」
 「な、何ででしょうねぇ……。あの、その、蕪木さんってズルしたとは言え、さっき優勝したんですよね?」
 「まあそうだが……」
 「ズルを抜きにしても、決勝戦までは進んでる」
 「その通りだが」
 「……なのにどうしてそんなに弱……ああぁあっ! すいませんすいません失言でした!」
 繰り返し何度も頭を下げるエロ本。普通にムカついていた蕪木はフォローを口にすることもなく、とうとう床に頭を掏り付け始めるまでエロ本をそのままにした。
 「言っておくが、おまえが強すぎるだけだからな」
 「大会に出て色んな人と戦って、そのことはそろそろ察せられました。……でもちょっと信じられません。自分にこんな得意な遊びがあるなんて……。小さい頃から何をやらしても、例えばオセロとかトランプとか鬼ごっことか、ただの一度も勝てたり良い思いをしたりしたことないのに。ウィザコロだって、アニメの気分をちょっとでも味わえれば良いなって、ボコボコにされながらそれでも楽しめるかなって感じだったのに……」
 「あのトロイとか言う奴におまえが負けたのが信じられないくらいだ。まあ、あれは手札をばら撒いたのと、ペナルティでインティに余計なダメージが入ったのが明確な敗因で、実力的にはおまえが押していたようにも見えたが」
 「ま、まあ……正直次やったら多分勝てるんだろうなって感じしますけど。それでもあの人、蕪木さんよりは大分つよ……ってごめんなさぁい!」
 「……動物いじめる癖あるのもたいがいだけど、それ以前におまえ、その口じゃないか? クラスの連中に好かれない理由は」
 考えて喋っていないのだ。蕪木は溜息を吐いた。そしてペコペコ頭を下げているエロ本を尻目に、トロイから奪った拳銃を取り出した。
 「……それどうするんですか?」
 「いや、せっかく手に入れたんだし、撃ってみようかなって」
 「ははぁ。男の子って、やっぱりそういうの好きですよね」
 「ウィザコロもたいがい男の趣味だぞ?」
 「そんなことないですよ。今日の大会だって五人に一人くらいは女の人ですし。……ホタルさん優しかったな。えへへ」
 思い出してにやけているエロ本を無視して、蕪木は拳銃の的となるものを探して廃墟を見回した。最初に思い付いたのは、そして一番おもしろそうなのはエロ本を相手に撃つことだったが、しかしそれは流石に可哀そうだし悪趣味が過ぎるという気がした。
 そこで蕪木は壁際に並べられた壊れたパチンコ筐体に目を付けた。両手でしっかりとグリップを握り狙いを定める。エロ本が固唾をのんで見守る中で、これしきのでかい的なら流石に一発で命中するだろうと思いながら、やけに重たいその引き金を引いた。
 鼓膜が裂けるような音が出た。
 ガラス片が飛び散って筐体に穴が開いた。弾き飛ばされた部品が宙を舞いあたりに落下して行く。蕪木は凄まじい反動を感じて思わず尻餅を着いた。腕が痺れ手首が捻じ曲がるような感覚があり、激しい痛みに悶えながら、拳銃を取り落として熱と煙を放っている銃口を見下ろした。
 「ひ、ひぇええ。だ、大丈夫ですか?」
 エロ本が悲鳴をあげながら恐る恐る蕪木に近付いた。蕪木は震える手で拳銃を拾い上げると、弾丸の命中した筐体に近付いた。ガラスの半分以上が弾け飛んでいて、内部は部品が弾け飛ぶどころか、放射状に広がるひび割れの中央にぽっかりとした空洞が開いていた。
 「……ほ、ほ、ほほほほほ」
 エロ本が声を震わせている。尚も「ほほほほ、ほほほほほほほ」と青白い顔で口をすぼめているエロ本を尻目に、蕪木は筐体の後ろに回って落ちている弾丸を発見し、BB弾ではない黄金色の鉛玉を拾い上げ、言った。
 「……これ、本物だ」

 〇

 3

 〇

 「よっ。優勝者!」
 月曜日に教室に行くと、倉坂が声を掛けて来た。
 「なんだ」
 「だから優勝したんでしょカードゲームの大会で。六十四人くらい出る、景品の豪華なガチの奴でさ」
 「誰から聞いた? ガラポンか」
 「ガラポンってかウチのお父さんね。お父さん、悔しがってたよ。無茶苦茶不細工な少年にまた負けた上、目の前で優勝されて悔しかったって」
 実の娘にカードゲームでの敗北を愚痴るガラポンを、蕪木はせせら笑った。それはみっともない姿であり威厳のある父とはかけ離れていた。
 「でもお父さんだって結構強いプレイヤーのはずなんだけどな。なんか全国大会の地区予選見たいな奴で、ベスト8に入ったとか自慢してたよ。部屋なんてすごくてさ。カード屋さんみたいなショーケースが置いてあって、何万円とか何十万円するレアなカードがずらっと並んでるんだよ。全部合わせたら何千万円かになるって、いつも豪語してる」
 「そんなにか」
 「空き巣対策とか言って吹聴はしないようにしてるらしいけどね~。カード仲間向けのSNSにも乗せてないし、ごく親しい友達に時々自慢してるだけみたい」
 数千万という額は蕪木にとっては実感のない額だった。一万円札が数千枚というのは分かるがそれがどういう意味を持つかは分からなかった。蕪木の欲しいものなどそこらの大人の財布を一つ盗めばほとんど全て買えてしまう。ではその数千万と言う額がもし財布の中から湧いて来たとしたら、自分はいったい何をするのだろう?
 「数千万もあれば……」
 蕪木は思わず口に出していた。
 「……家を出られるな。大嫌いなあの家から」
 「ああー。……蕪木んち、お母さん異様に厳しいもんねぇ」
 倉坂は苦笑するようだった。
 「でも中一で金だけ持って家出てもどうにもなんないよ?」
 「知っている。言ってみただけだ」
 「まあでもわたしも結構家出って憧れないでもないんだ。家族のこと嫌いじゃないけど、距離は置きたいみたいな感覚っていうのかな? 分かる? お父さんはホビー好きで子供の気持ち分かるのか何でも買ってくれるけど、その代わり勉強についてもすげー厳しく言って来てちょっとでも成績落ちたら物理的に殴るしさ」
 「殴るのか」
 それは虐待ではないのか? いや虐待か。それもど真ん中の。
 「そうそう。でもお金も権力もあるし基本優しいのにも違いないから、大人になったら別の家に住みつつ仲良くはして、必要な時だけ力を借りれたらなって。その為にはやっぱり自活する為の力身に付けなきゃだから、結局勉強はしないとね」
 「それは立派な心掛けだ」
 「蕪木もサボらずに塾来いよ。成績落ちたらあのお母さんに今度は何取り上げられるか分かったもんじゃないよ」
 「もうすでに俺から取れるものなどないさ」
 そこで会話が途切れ倉坂は蕪木の元から離れて行った。そしてエロ本の方へと歩いて行く。エロ本は倉坂の足音を聞いただけで見て分かる程肩を震わせ、「エロほーん」と呼び掛けられるだけで悲鳴をあげた。
 教室における毎日の風景であるエロ本いじめを横目に見ながら、蕪木は一昨日パチンコ屋の廃墟で起きたことについて考えていた。

 〇

 トロイから奪った拳銃が本物であると分かると、蕪木達が考えたのはそれをどう扱うかということだった。
 「……流石にこれは警察だろうな」
 「いやぁ……でもそれ蕪木さんが掏りだってことバラすことになるんじゃ……」
 「しかしこんなものが持っていたら、いったいどんなことに巻き込まれるか」
 そもそもどうしてトロイはこんなものを持ち歩いていたのか。とうてい堅気な手段で入手できるものとは思えず、何らかの犯罪が裏に潜んでいることは疑いようもない。これを持ち歩くということはそれだけで強力な危険を孕み、そのことを思うと蕪木は手にした拳銃から瘴気のようなものが立ち上る錯覚を覚えた。
 「本人に返すっていうのは……?」
 「案外一番マシかもしれん。ただ、俺が掏ったって奴にバレるのも勘弁願いたいな」
 「まあそうですね。掏ったんなら本人もなんで無くなったのか分からないでしょうし、自分で失くしたと勘違いしている可能性ありますよね。なら握りつぶしておけば……」
 「こんなもの持ってもいたくないのが本心だな」
 「じゃあ捨てますか」
 「そうなるな」
 「場所はどうするんです?」
 「そうだな……」
 蕪木はいつも財布を捨てている近所の公園のゴミ箱を思い浮かべた。大きな池とそれを中心としたウォーキング・コースのある大きな公園で、あそこは一日に一回必ずゴミの回収が行われる。回収される現場を何度か目の当たりにしたことはあるが方法は粗雑かつ無造作で、どれほど分別が無茶苦茶だろうと何が入っていようと、中身を気にすることなどなく乱暴にビニールの口を閉じてダンプカーに乗せてしまう。蕪木は一応黒いビニールに入れて捨てる習慣を付けてはいたが、おそらくそんなことをするまでもなく、あの中に放り込んでさえおけば財布だろうと拳銃だろうと安全であると思われた。
 蕪木はエロ本を伴って件の公園に出掛けた。そして財布を捨てるようにいつも鞄に忍ばせてある黒いビニールの中に拳銃を入れると、公園のゴミ箱の中をかき分け、出来るだけ奥底の方に忍び込ませた。
 「これで本当に大丈夫なんですか?」
 「大丈夫だとも。トロイが後から何を言って来ても無視すれば良い」
 蕪木がエロ本の肩を掴んで、その醜い三白眼の瞳を近付けて半ば脅すように言った。
 「良いか? このことは誰にも言うなよ?」
 「わ、分かりました……」
 「もし言うようなら俺はおまえを許さない。地の果てまで追い掛けて復讐してやる。俺を裏切ったが最後おまえの人生に安寧は訪れないと思え」
 至近距離に近付けられる蕪木の醜悪な顔に、エロ本は怖気を振るったように肩を震わせた。みるみる目に涙を貯めたエロ本は思わず後ずさろうとしたが、蕪木の指は華奢なその肩に深く食い込んでいる為それも許されなかった。よってエロ本が出来るのは言葉を尽くして蕪木に忠誠を誓うことだけだった。
 「分かってます。分かってますってばぁ。分かってますからそんな脅かさないでください。怖いです。あたし蕪木さんに逆らうことだけはしませんから安心してくださいよぅ……」
 それを信じた訳ではないが蕪木はそこでエロ本を解放した。蕪木は安堵の息を吐いた。そのまま思いっきり物理的距離を取られるものだと思い込んでいたが、想像に反してエロ本は蕪木の悪臭漂う体の傍で立ち尽くしていた。そして自分の身を守る為といより、蕪木を安心させるような口調で言う。
 「あの、あたし実は口だけは堅いんです。我慢強さにも自信があります。何せこれまで何度倉坂さんに詰められても、あのドーベルマンを殺したことを白状したことは一度もないくらいですから」
 「今漏らしてるじゃねぇか」
 「いや今のは違いますよ。蕪木さんをある種の共犯関係として信頼するから言ってるだけで。こっちも秘密話したんだからそっちの秘密も守るよーみたいな」
 「どうして倉坂のドーベルマンを殺した?」
 「普通にリード付け忘れて、あの大きな倉坂さんの家の前うろうろしてるの見かけたんで、テキトウにあやしてたら懐いて来たんでそのまま連れ去ったんです。別に相手はどの動物でも良かったというか、人に慣れてて扱いやすかったというかですね。そんな感じで……」
 「黙っておいてやる」
 「ええ。ええ……。それはお願いします。代わりにあたしも拳銃のことや掏りのことは黙ってますから。あたし達、友達ですもんね。えへへへ……だからぁ……」
 人差し指同士を絡め合わせながら、エロ本は上目遣いに蕪木を見詰めた。
 「またカードの相手してください。後、出来たらで良いのでたまにカードとかお金とかください」
 蕪木はエロ本の白くきめ細やかなおでこを掌底でそこそこ強めにどついた。

 〇

 一日の授業を終えて蕪木は校舎を出る。
 その日は湿気が強かった。空も厚ぼったい雲で覆い尽くされていて、気温もどこか冷ややかだった。ふと気が付くと、微かに空気中に霧雨が混ざっていることに蕪木は気付いた。それはだんだんと強まって行くようだった。夏服で両腕を露出した蕪木は若干の肌寒さを思えたが、傘の準備はなかった。
 今日くらい塾に行こうかと蕪木はふと考えた。雨宿りがてらたまに勉強しておくのも悪くないと思ったのだ。そうそうないだろうが今の公立校で学年一位の座を追われるようなことは避けなければならず、一定の努力は蕪木は継続していた。加えて今日はエロ本との約束もなかった。母親が早く帰るから一緒に夕食を作ったり、話をしたりするのが楽しみなのだと語っていた、屈託のない笑顔を蕪木は覚えていた。
 蕪木は塾へ向けて脚を進めた。降り注ぐ雨が蕪木の身体を濡らした。濡れそぼった蕪木の天然パーマは無残に垂れ下がり、日頃の醜さに拍車をかけるようだった。
 如月ゼミナールの入り口までたどり着く。塾の仲間達は蕪木が中に入ろうとするのを見て意外そうな顔をした。その時だった。
 「プラクティカルさん。いや蕪木信夫さん。こんにちは」
 さわやかな声と共に、蕪木の後頭部に冷たい金属の感触がした。
 「今銃口を向けてます。余計な動きをしたらぶっ放すのでそのつもりでお願いするっすよ」
 「……トロイか」
 「東間晋太郎と呼んでください。それが本名っす」
 トロイこと東間晋太郎は蕪木の後頭部に突き付けた拳銃を皮膚に深くまでめり込ませた。雨に濡れた冷たい銃口の深い穴が皮膚感覚で分かった。東間はレインコートを着ているらしく、濡れたビニールの袖や裾の感触が、蕪木の皮膚にひっかかるようだった。こそば痒いというよりは、幽霊に皮膚を撫でられるような不気味さを蕪木は感じた。
 「モデルガンなど突き付けられてもな」
 「モデルガンだと思うっすか?」
 「実銃な訳ないだろう」
 「じゃ、試してみても良いんすよ?」
 「こんな公衆の面前でぶっぱなせる訳がないだろう?」
 「あれ? 実銃とは思わないんじゃなかったっすか?」
 「実銃だとしてもということだ」
 「ああそれは問題ないす。こっちはレインコート着てマスクして下向いて顔隠してるっすから。その上返り血も付かなくて証拠が残っても全部雨で洗い流されます。走って逃げて仲間の車に乗り込んでドロン、これで蕪木さんの死体だけが残ります」
 蕪木はアイスを丸呑みしたように胃の腑が冷えるのを感じていた。どう考えてもハッタリだったが、東間が過去に拳銃を持ち歩いていた事実を考えると完全には無視出来なかった。相手の話を百パーセント嘘だと看破しながら恐怖だけはひしひしと感じていた。
 「率直に質問するっす。ボクの拳銃盗んだの蕪木さんっすか?」
 「何を言っているのか分からない」
 「気に入る答えじゃないのでもう一度訪ねます。しかもこの質問は十秒以内に答えなければいけません。でないとボクは引き金を引きます。出るのがBB弾だと思うのなら嘘を吐いてください。実弾だと思うなら正直に。さあ、じゅーう、きゅーう、はーち……」
 蕪木はその場を全力で走り出そうかと考えたが、相手の方が脚が速い可能性が高いと考え思い直した。体格の割には動ける蕪木だが、それでも東間は背も高くしなやかな身体つきで如何にも敏捷そうだった。勝ち目は薄い。
 「なーな、ろーく、ごーお」
 ならば振り返って格闘を挑もうかと思ったがそれも却下した。喧嘩をしたことがない訳ではなかったが不意打ち以外で勝率は低かった。地に塗れ屈辱に悶えた後必ず財布を盗んで報復したが、そんなことで解決する状況でもなさそうだった。
 「よーん、さーん、にーい」
 拳銃を突き付けるレインコートの男を周囲の誰も何とも思わないのかと、蕪木は縋るようにして考えた。しかしそれが実銃であるなどと考える者がいないことは、実銃を撃ってみるまでそうと気付かなかった蕪木自身が実証していた。多少の好機の目で見られるだけで、鼻つまみ者の蕪木に関わろうとするものなどいないはずだった。
 「いーち、ぜーろ……」
 「俺が盗んだ!」
 蕪木は叫ぶような声で、助けを求めるような声で喚いた。
 拳銃が降ろされる。蕪木は思わず東間の方に振り替えると、東間は蕪木の眉間に拳銃を押し当てて引き金を引いた。
 甲高い発砲音が蕪木の耳朶に至近距離で響いた。額に鋭い痛みを感じた次の瞬間に、眉間にめり込んだBB弾が蕪木の鼻を掠めながら地面に落ち、コンクリートを転がって水たまりに落ちた。
 東間は肩を竦めながら拳銃をグリップに入れた指を起点にくるくる回し、懐に仕舞い込んだ。
 「話があるっす」
 それきり何も言わずに東間は歩き出す。蕪木はその後ろをものも言わずに付いて行くしかなかった。

 〇

 連れて行かれたのは近所の喫茶店だった。
 洒落たその空間に現れた汚物のような男に店員は顔を顰めた。蕪木は店の入り口に何故か設置されている鏡を見詰めた。皮膚から垂れ落ちる雨粒は汚水のようであり、触れたものを腐食する猛毒を秘めているかのようにさえ、蕪木は自らの姿を見て思った。
 「に、二名ですか?」
 一名と妖怪一匹だろう、と蕪木は内心で思った。
 「もう連れが来てるんす」
 東間はそう告げると店の奥の席に座る少女の元へと近づいた。黒いマスクを着け紫のメッシュのかかった黒い髪をボブにしたその少女は、特に注文物を机の上に置く訳でもなく、両手に持ったゲーム機で夢中で遊んでいた。宇宙船を操作するソフトらしかったが、それが敵キャラの放つ弾幕を被弾する度、激しい声で毒づいて机を強く叩いていた。
 「糞っ! 糞っ! 糞っ! なんだこの糞ゲーおもんねぇ! やってられっか! 叩っこわすぞ!」
 「ポチ子ちゃん。連れて来たっすよ」
 東間が声を掛けるがポチ子と呼ばれた少女はゲーム機から顔を背ける様子もない。
 「今良いとこなんだよ話掛けんな! あーもう! もうもうもう! なんでなんでなんで! なんっでそこで死ぬっかなぁぁあああもぉおおう!」
 主人子機体が破壊されて少女はゲーム機を机に放りだした。そして店内に響き渡る程の音量で握った拳をテーブルに叩き付ける。唯一置かれたお冷の入ったコップが激しく振動し、中の水滴が僅かに机にこぼれた。
 「クソゲー! クソゲー! クソゲー! クソゲー! ああぁあもうつっまんねぇええ!」
 そして天を仰いで頭を抱えて机の上に蹲る。ぼりぼりと掻き毟ったアタマから白いフケのような粉があたりに散乱した。
 「ポチ子ちゃん。そろそろ……」
 「ああもう分かったよ! こんなとこ呼び出しといて指図すんなって! 言われなくても! 言われなくても話くらいするよ! 金くれるんだろ? ……ってうっわっ!」
 ポチ子は蕪木の方を指さして声が裏返る程叫んだ。
 「キッショ! ブッサイクだなおまえ! 生きてて恥ずかしくないんか?」
 「黙れ!」
 蕪木は思わず怒鳴り返しポチ子の胸倉を掴んで持ち上げた。
 「好きで醜く生まれたんじゃないわ!」
 「はーなーせぇ!」
 ポチ子は蕪木の両手を掴んで胸倉を掴まれた状態から脱しようとじたばたし始める。
 「そのキショい顔近付けんな。放せ! 放せっての……ああぁあああもうキショいクサいキショいクサい!」
 睨み合うポチ子と蕪木に、「どうどうどう……」と東間が間に入る。そして蕪木の手をポチ子から離させた後、穏やかに諭すような声で言った。
 「これから三人で金儲けしようっていうのに喧嘩してちゃダメっすよ」
 「こんな不細工と組むんか!」
 ポチ子は信じがたいというよな顔をした。
 「おまけにクサいぞ! ファブリーズ持って来い! ファブリーズ!」
 「黙れと言っている!」
 「黙るかいな! おいシンタローあーしこんな奴嫌だぞ! 他におらんのか掏りくらい!」
 「こいつ以上のはそうそう見付からないんすよ。それに顔合わせて体臭味わうのは今日を除けば儲けを別ける時くらいっすから、我慢して欲しいっす」
 「嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!」
 「じゃあポチ子ちゃんは金いらねっすか?」
 「いっっっっる!」
 ポチ子は元居た席に大人しく腰掛けた。
 それっきり先ほどまでのエキセントリックな態度が嘘のように静かに座り続けているので、蕪木は思わず面食らって東間の方を見る。東間は肩を竦めて両手を晒すと、ポチ子の隣に腰掛けると、蕪木を促すように向かいの席を手で指した。
 「蕪木くんの掏りの腕を見込んで仕事の依頼があるんす。報酬は最低一千万。話だけ、まず聞いてってください」

 〇

 「最初に確認したいんすけど、ボクの拳銃今どうしてます?」
 「公園のゴミ箱に捨てた」
 普段飄々とした表情を浮かべている東間だったが、この時ばかりは僅かに唇を結んで残念がる様子も見せた。しかしすぐに切り替えたように肩を竦めると、澄ました笑顔を蕪木に向けた。
 「そりゃ残念」 
 「どうやって手に入れたんだあんなもの」
 「普通に売ってる人から買ったんすよ。高かったんだけどなぁ。まあそれについては今更どうこう言うつもりはないっす。どうせ蕪木さんを締め上げても金なんか取れないし、追い込んで警察行かれるくらいなら味方につけた方が利益っすからね」
 「俺がどうしておまえの味方になるのだ」
 「報酬は弾むっすよ? 言いましたよね? 最低一千万だって」
 腰に手を当ててニヤニヤと笑う東間だったが、蕪木は戯言を聞いている気分だった。どうやって同じ中学生に過ぎないこの男が蕪木に一千万も支払えるのか知りたかった。
 「……おまえ。学年は?」
 「中三っす。蕪木さんの二個上っすね」
 「海鳴に通っているんだな」
 「まあそっすね。ちなみにこっちのポチ子ちゃんは海鳴の高等部の女の子っす」
 「このアホそうな女が?」
 「アホそうっつか、アホっすけど、まあ一応」
 「るせぇな男共!」
 ポチ子はゲームを再開しながら激しい声で言った。そしてまたやられたのかゲーム機を放り出してバリボリと頭を搔いた。テーブルにフケが大量に舞った。
 「あーしはアホだけどおまえは不細工だ! そのキショい顔一刻も早く引っ込めろ! 整形しろ! 報酬の一千万で整形しろ! 後体臭もどうにかしろ風呂入っとるんか!」
 「黙れフケ女! 俺は臭くて不細工だがおまえと違ってアタマは毎日洗っとるわ!」
 ポチ子は言い返した蕪木の顔を見詰めながらぷるぷると身を震わせ始めた。そして目にじわじわと涙を貯めながら、深く傷ついたような声を震わせながら、幼子のような口調で言った。
 「ねぇ……今の酷くない?」
 「は? おまえ、何を言って」
 「確かにあーしお風呂あんま入んないけど……フケ女は酷くない? なんでそんなこと言うの? 言われた方の気持ちとか考えんのか? 酷いよ……酷い酷い酷い……」
 そして両目に手を当てて「ふぁああああああん! んぁああああああああ!」狂ったように泣き叫び始める。蕪木は最早何が何だか分からない。
 「ポチ子ちゃんは気が触れてるから気にしちゃダメっすよ」
 東間がにこやかな声で言った。
 「感情がそのまんま全部言葉に出るようになってるだけで、本当はシャイで臆病な女の子なんすよ。まあ良く鳴く動物だと思ってテキトウに接しておけば大丈夫っす」
 「動物じゃない! あーしは人間だ! んぁあああああ! ふぁあああん! ああああっ!」
 蕪木はアドバイスに従うことにしてポチ子を無視した。そして東間の方に向き直ると話を促した。
 「……それで、その報酬というのは何なのだ?」
 「ガラポンの家のショーケースから、レアカードをまるごとかっさらうんすよ」
 蕪木は目を丸くした。
 「一部の親しい人間しか知らないことっすけど……小金持ちのガラポンさんは家にプレミアの付いた古いカードを含め、数千万円分のカードを貯め込んでるっす。ふつうそれほどの高額の資産ならもっと厳重に管理するんすけど……これを普通に自室に飾ってるもんだから、まあ不用心っつーかなんつーか」
 「何故おまえはそれを知った?」
 「ボクは結構人を垂らし込む方なんすね。ボクのホームにしてる店舗はこないだ蕪木さんと会ったのとは違うとこなんすけど、ガラポンは結構そこに来るんす。偉そうにしてる人だから特かと思って一応仲良くなっといたら、部屋の写真見せられて自慢されてって感じで」
 「それで目を付けたのか」
 「そっすね。何度かガラポンさんの家にも招かれて、中を視察したりもしてるんす。ショーケースの鍵がどこにあるのかもだいたい目星が付いてるし、家の中に入れさえすればものの三分だか五分で全部盗み出せるってポチ子ちゃんは言ってて」
 「どうやって家の中に入るんだ? 鍵がかかっているに決まっているだろう」
 「そこは蕪木さんが掏って来るんすよ。家の鍵なんて当然持ち歩くものなんだから、ガラポンさんのいるところに行って掏って来るんす」
 東間はにこやかに言った。
 「んで、留守を狙って空き巣に入ってカードを盗み出し、最後にボクがそれを売り払って利益は山分け。ショーケースの中のカードはどう下手糞な売り方しても合わせて三千万にはなるっすから、一人アタマの報酬はさっき言った一千万にはゆうに届くって訳なんす」
 確かにウィザーズコロシアムのカードは高額だ。三十年の歴史があるカードゲームだけに、絶版になった古いカードはプレミアが付いて莫大な金額で取引される。蕪木が目にするような最近のカードの中ですら、封入率が極小に設定されたUR、SRと言った高レアリティのカードは数万円の根が付くことも珍しくない。ホタルがデッキに入れている『獄門の大魔導士リヒター』のURや、エロ本にやった『極熱の大魔導士インティ』のURなどがその好例だ。さらに初期の世界大会の優書者に送られたプロモーション・カードなどには、たった一枚で億の金額が付くようなカードさえ存在している。そうしたカードはガラポンにとっても雲の上だろうが、それでも手に入る範囲でかき集めたカードがやがて数百万、数千万に達するというのは、余裕のあるマニアの間では決してあり得ない話ではないだろう。
 「計画は分かった。だが、成功するものなのだろうか?」
 「そこはボクを信じて下さいよ」
 「ガラポンが小金持ちというのなら、家にはそれなりのセキュリティはあるのだろう? 監視カメラくらいはあるだろうし、盗みに入れば家の中に証拠も残す。後から警察に捕まったんじゃ話にならない」
 「ああそれは大丈夫っす」
 東間は隣で未だしくしくと泣いているポチ子の肩を掴んだ。
 「この子は空き巣の天才でしてね。侵入経路さえ確保できれば、完全に何の痕跡も残さず中のものを盗んで出て来られるんす」
 「完全に何の痕跡も残さず?」 
 「ええ。完全に、何の痕跡も残さずっす」
 「そんなことが可能な訳ないだろう」
 「可能っすよ? 不可能に見えるというなら蕪木さんの掏りだってそうじゃないすか? あんなギャラリーに囲まれた真ん中で、カードをすり替えてズルをするのは愚か、鞄の中から拳銃なんてでかいもん盗みだすのは、手品じゃ済まない本物の魔法のようなもんすよね?」
 「それは鍛錬の為せる技で、魔法のような非現実的な力を使っている訳ではない」
 「そうっすよね。つまりそれと同じことなんす。君が掏りの天才であるように、ポチ子ちゃんは空き巣の天才なんすよ」
 「犯罪行為に絶対などあり得ない。現に、おまえは俺の犯行を見抜いた」
 「それは相手がボクだから……。イカサマには特に敏感で、一度も手を掴みそこなったことがないはずなのに、蕪木さんには負けちゃいましたね。拳銃掏られたのに気付いたのも、青からあんなことが出来るのは蕪木さんだけだっていう当て推量しただけのことなんすよ」
 「まんまとカマを掛けられた訳だ」
 最早特に悔しいとも思わない。どう考えても目の前の男は蕪木よりも上手だった。
 「……で、どっすか? やってくれますか?」
 「金には困っていない」
 蕪木は己の右手を顔の前に掲げ、軽く指を動かして見せた。
 この手は金をかき集める魔法の熊手だ。これがある限り金に困ることは生涯あり得ない。
 「本当にそうっすか?」
 東間は蕪木の内心を見透かしたように、顔を近付けて透き通った目を向けた。
 「何を言って……」
 「そんなチャチな掏りの腕で金に困らないなんて良く豪語出来るっすよね」
 「……何のつもりだ?」
 「事実っすよ。一回の掏りで稼げる額なんて、平均すれば精々二万だか三万だかが良いところっす。成功率が99.9パーセントだとしても、一千回やれば一回はしくじる訳っす。で、その一千回で稼げる金額って、精々二千万だか三千万な訳っすよね? 日本のサラリーマンの平均的な生涯年収が二億とも言われる中で、その程度の金額で『一生金に困らない』なんてことが、あり得ると本当に思うっすか?」
 蕪木は何も言えなくなった。ここまで具体的に概算したことはなかったが、しかし掏りなんて続けていればいつか捕まることは知っていた。それでも中学生で小遣いもない蕪木は、カードを買ったり、顔を中傷した者を懲らしめる為に、度々右手の力を使っていた。それはやがて破滅を引き寄せる。確実に。
 「ダラダラ小銭稼いで継続的にリスクを負うのが一番下手糞なんす。一回だけ、この一回だけの危険を潜り抜け計画を完遂させれば、掏り三百回分以上の利益を得られるんす。だったらやらない手はないっすよね? そう思わないっすか?」
 「……別に、掏りなんて一生続ける訳じゃない。やり直しがいくらでも利いて、かつ掏りで得られる程度の金でしたいことが出来る子供の内だけ、これに頼って凌いでいくというだけのことだ」
 「大人になったらどうするんすか?」
 「まともに働くさ」
 「それじゃ人生クソゲーなんだよぉおお! さっさと気付けぇええ!」
 泣き止んでいたポチ子が髪の毛を掻き毟り、フケを飛ばしながら吠え叫んだ。
 「まともにまっとうにやればやる程さぁああ! 損こいて損こいてぐちゃぐちゃのクズクズになるんだよぉおお! 報われたりしないんだよ! クソゲーなんだよ人生なんてな! 想定された攻略ルートじゃクリアーなんて絶望なんだよ! だからさぁあああ!」
 飛び交うフケに蕪木は思わず顔を顰めた。ポチ子のアタマは掻き毟られるあまりフケが飛ぶどころか頭皮から血がにじむ程になっている。爪の隙間に血とカサブタが食い込んで、ポチ子の指は赤く変色した。
 「どっかでバグ使わなきゃやってらんねぇんだよ! バグらしてバグらして、チート使って、それでようやくまともなバランスになるんだよ! 一秒でも早くそれに気付いた奴だけがクリアー出来んの! 良い思い出来んの! わっかんないかなぁああ! ああぁああああ!」
 喚き散らすポチ子の戯言に、しかし蕪木は思い至るところがあった。
 確かに蕪木は報われたことがなかった。小学時代から真面目に勉強したが、海鳴に受かるこは出来ず母親から何もかもを奪い去られた。努力しても努力しても周囲の見る目は変わることなく、醜悪な容姿をバカにされ続けるだけだった。
 そこに立ち向かうのに役立ったのは、日々の積み重ねで得た学力ではなく、師匠から教わった右手の力だった。それは子供である蕪木にとってまさにチートであり、誰の財産でもあっけなく奪い取れたし、自分の欲しいものを簡単に手に入れる額をいつでも得られるものだった。この力だけに縋って蕪木は何とか自分に胸を張れた。世界と戦うことが出来たのだ。
 「掏れよ鍵くらい! 簡単だろ! それが取柄なんだろ? それで世界をバグらせろよ! 人生にチートを持ち込めよ! 大金を得るんだよ! そういう風にしか良い思い出来ないようになってんだよこのクソゲーはさ! やろうよ! ねぇ……やれよぉおおお!」
 そう言って繰り返し激しく机を叩いたポチ子の剣幕に、蕪木は思わず首を縦に振っていた。
 思わず目を見開く。後悔する間もなく東間が身を乗り出して、蕪木の肩を叩いて満面の笑みを浮かべた。
 「そう言ってくれると信じてたっす! やろうじゃないすか蕪木さん」
 呆然とした。思わず了承してしまったがそんなはずはなかった。蕪木はそこまで愚かではないはずだった。こいつらのことだってどこまで信頼なるものか分からない。しかし蕪木は……どうしてか引き返す気にはならなかった。
 「レンガの家なんて作れない」
 ポチ子が呟くように言った。
 「頑張って建てた家はそれでも脆く、簡単に吹き飛ばされる。だから他人の家を壊して中に押し入り、中の子豚を襲って、食らう」
 蕪木は吸い込まれるようにポチ子の顔を見た。黒いマスクに覆われたその顔が、ひょっとしたらかなり整っているのではないかということに、蕪木はその時気が付いていた。
 「狼になるんだ。賢い子豚の三男じゃなくて、強くて賢くて悪い狼になるんだよ。なあ蕪木」

 〇

 その日のエロ本はパチンコ屋の廃墟で猫を串刺しにしていた。
 ホームセンターで万引きして来たという鉄串は、長く細く先端は見るだけで目が痛くなる程鋭かった。暗い廃墟の中で、同じくエロ本が万引きして来た巨大なライトだけが、その虐殺行為を静かに照らしていた。猫がこれほど大きな声を出せるのかという絶叫がこだまする中で、エロ本は右手で押さえつけたそいつの肛門に、力一杯鉄串を差し込んで行った。
 「蕪木さんは、七月五日のウィザーズコロシアムの地区大会には出られるんですか?」
 両足をバタ付かせて抵抗する白猫だったが、体重をかけて動きを制するエロ本から抜け出すことは叶わなかった。激しい絶叫と悲痛な表情と命がけでバタつく手足で苦しみを訴えるその白猫に、どうして顔色一つ変えず鉄串を奥深く突っ込めるのか、蕪木は疑問でならなかった。気の弱いエロ本の性格なら、怖気付いたい同情心に駆られたりで、つい手を止めてしまいそうなものなのだが。
 「当然、出るだろう」
 「そうなんですか。じじ、実はですね。あたしもちょっと出てみたいなーなんて」
 「出れば良いだろう」
 「ええ、ええ。出るんですけどね。ただですねぇ、ちょっとその、電車が」
 「電車賃が払えないとでも言うつもりか?」
 「いえいえ流石にそれくらいはどうにか。……ただですね、ちょっとですね。あたしってば人生で電車に乗れたことが一度もないっていうかですね。いや乗ったこと自体はあるんですよ小五の時に一度だけ。ウィザコロの映画を見に行きたくてお小遣いも貯めて。でもどれにどう乗れば良いか分からなくて迷って電車賃払えないくらい遠くまで行っちゃって、駅員さんにお母さんに電話して貰って連れ帰られてしこたま怒られました」
 「それで?」
 「……一緒に行っていただけませんか?」
 蕪木は腕を組んでエロ本の要望を吟味した。別にこいつを引率するくらいは何でもないが、しかし蕪木にとってウィザーズコロシアムの県予選は、最早カードゲームをしに行く場ではなくなっていた。本来ならばエロ本と一緒に大会を楽しみ二人の力を純粋に試したかったが、そうはならない事情が蕪木にはあった。
 こいつの存在が計画の邪魔になる可能性は多いにあった。しかしエロ本の縋るような、期待と微かな信頼に満ちた表情を見ていると、蕪木は何も言えなくなった。今のこいつにとってウィザーズコロシアムは唯一と言って良い得意分野であり、自己表現の手段であり生きる依り代ですらあるように見えた。全国予選である地区大会には出たくて当然であり、蕪木が断ればきっと一人で電車に乗って、それなりに高い確率で訳の分からない場所に輸送されて行くに違いなかった。
 「分かった。なら朝の八時に最寄り駅だ。遅れるなよ」
 「はーい」
 約束を終えるとエロ本は白猫に突き刺す鉄串に最後の一押しを加えた。それによって悶え苦しんでいた猫は動きを停止して目から精気を失くした。エロ本は満足そうに鉄串を持ち上げると、自慢げな表情で蕪木の方に掲げて見せた。
 「おまえはウラド三世か」
 「え? 誰ですかそれ?」
 「ドラキュラ伯爵のモデルになったとされる人物だ」
 「ドラキュラ伯爵って誰ですか?」
 「今時の娘はドラキュラ伯爵を知らんのかっ?」
 「同い歳ですよぅ」
 「良くそんな残酷な真似が出来るな。やっていて怖くならんのか?」
 「何が怖いんですか?」
 「血も出るし悲鳴も上げし暴れる。殺す時には糞も垂れるだろう」
 「まあそれは汚いしクサいんですけど……でも怖いとかじゃないですね。そもそもこの猫よりあたしの方が大きくて強いんだから、怖がる方がおかしいんじゃないですか?」
 「倉坂はおまえより大きくて強いから怖いのか?」
 「……ま、まあそういうことになりますよね。まあ強いって言ってもケンカしてどうとかじゃなくて、いやケンカしても負けるんですけど、それよりか気の強さとか口の強さとか、味方の多さとか色々あるとは思いますが。……悔しいけど何やってもあの人には敵わないですよあたし」
 「倉坂がおまえより小さくて弱かったらどうするんだ?」
 「いじめられなくなってハッピーです」
 「復讐するのか?」
 「いやぁ……それは可哀そうなんじゃないですかね?」
 微かに身を丸めながら呟くように言ったエロ本に、蕪木は目を丸めた。
 「おまえがあいつに同情する要素があるのか?」
 「そりゃまあ人間ですし」
 「猫は良いのか?」
 「だって動物ですよ? どうでも良いじゃないですか」
 「それは考え方によるんじゃないか?」
 「そりゃあ倉坂さんがこれまでにしたことホントに反省して謝ってくれて、友達になってくれるとかなら嬉しいですよ? でもそうして欲しいなら復讐とかはするべきじゃないと思うし、だいたい自分がやられたこと人を相手に返すのはちょっと……って気はしますね。死ぬほどつらいですから毎日あたし。相手が誰でもそういう思いはさせたくないです」
 「聖人君主でも気取っているのか?」
 「それならこんなことはしないです。倉坂さんやクラスのみんなが言うように、あたしはキチガイゴミカス女です。あたしなんて吉本じゃなくてエロ本ですよ、エロ本」
 エロ本は猫を刺した鉄串を蕪木に向けてぷらぷら振った。
 「でも人から何か嫌なことされたら、お腹の中に何か真っ黒なものが溜まるのは、あたしも良く分かります。蕪木さんだってそうだから、お顔とかニオイとかの悪口言われたら必ず復讐するんだと思いますしね。でもあたしの場合犬とか猫とか動物を殺しておけばそれについてはスッキリするんです。だから復讐とかそういうことは望まないし、這い蹲らせたいよりかは、優しくして欲しいのが本音ですかね?」
 「あんな奴と仲良くなってどうするんだ?」
 「そういう割に蕪木さん倉坂さんと仲良いじゃないですか」
 「幼馴染なんだ。ずっと同じ塾で小学校も同じだ」
 倉坂は当時から気の強い性格で、大人しかった当時の蕪木の腕を引いて振り回してくれた。容姿や体臭をからかわれ泣いている蕪木を支え、いじめる者達を追い払い締め上げてもくれた。同じ塾で毎日勉強をして、海鳴中学も一緒に受験して一緒に落ちた。不合格通知を受け取った翌日、顔を合わせた際は泣きじゃくる倉坂を胸に抱きながら、同じ挫折の苦しみを共有する仲間がいたことに、確かに癒されたのを蕪木は覚えている。
 「腐れた女王蜂に成り下がりはしたが、情を捨てる気にはならん。おまえをいじめることの肩を持つ訳ではないなりに、それなりの付き合いや思い出があるんだよ」
 「良いですねぇそう言うの。あたし他に友達いないんですよ。仲良くしてくれるなら、優しくしてくれるなら、相手は誰でも良いんです。倉坂さんでも良いし、何なら蕪木さんだって大丈夫なんですよ」
 「『何なら』とはなんだ? 『だって大丈夫』とはどういうことだ?」
 「あ、え、あ……。すいませんまたあたし失礼なことをっ。ごめんなさいごめんなさい! 今のは違くて! あのそもすいません謝ります! 謝りますから嫌いにならないでっ」
 エロ本は頭を地面にこすりつけ始めた。
 「……もういちいち怒る気にもならんわ」
 「あ、ありがとうございます」
 エロ本は媚びた表情で顔をあげた。
 「……えへへへ。蕪木さんがちょくちょく遊んでくれるようになって嬉しいですよぅ」
 「出来れば動物を殺すのを見せられるのは勘弁願いたいんだがな」
 「そうですか? お姉ちゃんとかは結構これで面白がってくれたもんなんですが」
 「おまえ、姉がいるのか?」
 蕪木は目を丸くした。初めて聞いた話だった。
 「は、はい。まあそうですが」
 「いくつだ?」
 「今いくつだったかな? 二十? 二十一? いややっぱり二十かも? 十九ってことはないよなぁいくつだったかなぁ」
 「大きいというか大人じゃないか。しかしおまえ、買い物など家の用事を少しはやるんだろう?」
 「そうですね。え、えへ……実は結構しっかり者だったり?」
 「それは分からんが……いやまあ立派だと言っておく。ただ自宅での家事労働の手伝いくらいならともかくとして、買い物など重要なことは姉の方がやりそうなものだが」
 「それが出て行ったんですよね」
 「就職したのか」
 「いえ。高校の時家出してます」
 「そうなのか?」
 「ええ。お母さんともそんな仲悪そうに見えなかったんですけどなんか出て行きました。バイトしてたとかじゃないのに資金はどうしたのかなとか、あたしから見ても色々不思議なんですよねぇ。そういやなーんかお金に困ってなかったんですよねあの人、高校生で二千円しか貰ってなかったのに! あたしも同じ運命なのに!」
 「出て行ったのはいつ頃だ?」
 「一昨年です。あたしが小五の時」
 「掏りが得意だったりはしないか?」
 「は? ……いや蕪木さんじゃないんだから」
 「そうか。……なら、おまえには見せたことがなかったんだな」
 「何がですか?」
 「手品」
 「ああ手品なら得意でしたよ。見せてくれたのほんの何回で、せがんでもたいていは無視されましたけど。あたしから千円取ってそれを折りたたんで、開いたらスーパーの割引券に変身してるんです。『すごいでしょー』とか言って、そのまま千円札盗られた時は、人生で三番目くらいには悲しかったですね……」
 「顔はおまえに似ているんだろうな」
 「そりゃあ姉妹ですから」
 合点が言った。
 それが蕪木の『師匠』であることは間違いないだろう。これほど整った、しかも良く似た容姿の持ち主がそうそう二人もいるはずがない。大きく澄んだ目も小ぶりで通った鼻筋も白くきめ細かい肌も赤子のように柔らかげな唇も、どれもこれも蕪木の『師匠』とエロ本の間で共通している。
 「今日はそろそろ帰る」
 蕪木は立ち上がり告げた。
 「もうそんな時間ですか」
 エロ本は残念そうな顔をした。
 「まあお母さん帰って来る頃だから良いですけど。すいませんね、塾休んで貰ってまでちょくちょく一緒にいて貰って。一人でいると色々考えちゃって、たまに死にたくなったりもしちゃうので、蕪木さんのお陰で助かってます」
 「俺の方も練習相手と、この時間の話し相手としておまえに価値を認めている。気にするな」
 友達がいないのは蕪木も同じだ。エロ本の『師匠』そっくりの綺麗な顔を傍において置きたいというのが主たる動機なのは間違いないが、最近ではそれを省いてもエロ本自身と過ごす時間に意義を感じていた。塾をサボる時間、一人でモールをうろついているよりは、仲間と言えるエロ本と廃墟で過ごした方が、蕪木にとって心安らぐことを認めていた。
 「じゃ。五日の地区大会の日はよろしくお願いします」
 「ああ。あの、吉本」
 「何ですか?」
 「勝てよ」
 エロ本は目をぱちくりさせて、次に口元に微かな愉悦を浮かべつつも、人差し指同士を擦り続けながらへどもどした声で言った。
 「可能な限りの努力して、結果に限らず最善を尽くします」
 そこは『はい!』と良い返事をするところだろう。
 蕪木はエロ本と別れて自宅に向けて歩き始めた。あたりはもう闇に満ちていて、廃墟内もエロ本のライトがなければ完全な暗所と化すことだろう。
 夏の夜の匂いを嗅ぎながら、街頭の明かりに照らされた街を歩く。もう七月だというのに夜の空気は肌に優しく、蕪木もそれほど汗をかかずに済んだ。空を見上げるとくっきりとした星々がやけに輝いて見え、そう感じるのは今日の空が格別に綺麗なのではなく蕪木自身の精神状態に依存していることに気付いた。一人でとぼとぼと、親の束縛や勉強といった現実からただ逃げるだけの時間を過ごしていたのでは、こんな空は見えないように感じられた。
 その時。
 蕪木のポケットでスマートホンが鳴り響き、現実から電話がかかってきた。
 蕪木は通話ボタンを押す。
 「なんだ?」
 「ボクっす。東間晋太郎」
 「分かっている。なんだ?」
 「いえ確認です。七月五日の地区予選、無事に参加出来そうすか?」
 「親には塾の臨時講習があると偽ってある。朝から晩まで自由に動ける」
 「そうっすか。では……その日にガラポンから鍵を掏る計画に支障はないっすね」
 「ないな」
 「話した通り大会中はボクには一切話し掛けないでください。連絡があればスマホのメッセージで送ってください。繋がりがあると思われるのは厄介っすから」
 「分かっている。当然、会場に行く脚も時間も別々だ」
 「そっすね」
 「カモフラージュも兼ねて、友人を一人連れて行く。当然計画は話していない」
 「……事前の計画にないことは極力盛り込まないで欲しいんすけどね。前に一緒にいたそそっかしい、可愛い感じの子ですか?」
 「まあそうだ」
 「まああの子なら何を悟られることもないでしょうね。良いんじゃないっすか? 前日にまた最終確認を行いますので、普段通りに過ごしてください。では」
 一方的に電話が切られる。
 蕪木はスマホを仕舞って夜空を仰ぐ。
 星はもう瞬いていなかった。

 〇

 「蕪木さぁん! おはようございまぁあああ……いてっ!」
 ウィザーズコロシアムの地区大会の日、駅で顔を合わせたエロ本は蕪木を見るなり走って駆け寄って来て、盛大に転んで顔を地面に痛打した。
 「……大丈夫か?」
 「うぅうう。お膝擦り剝いちゃった……。ひりひりするよぅ……」
 「売店で絆創膏くらい買っておくか?」
 「いえ参加費と電車賃で所持金ぎりぎり一杯なので、それやったら家に帰ることが出来なくなります」
 「飲食はどうするんだ? 今日は長丁場だぞ?」
 「え? ……そうなんですか?」
 「午後の六時までだ」
 「えぇえええそんな長いんですかぁ? お昼ご飯のこと考えてないよぅ。どうしようどうしよう……。っていうかあたし今ものすごく喉が渇いていてですね。ぎりぎりに朝起きてから何も飲んでなくって何ならおしっこもしてなくて……。あぁああああ! トイレ行きたくなって来たぁ時間いけますかっ」
 「……大丈夫だから行って来い」
 待ちに待った大会ということで随分と緊張し浮足立っている様子だった。蕪木は売店で消毒と絆創膏とエロ本の分も合わせて日本の水と、昼食にするつもりでおにぎりを購入した。
 「戻りましたすっきりです。ついでに水道からしこたまお水も飲みました」
 「そうか」
 「お弁当持って来るんだったなぁ……。今日はお昼は抜いて、水飲んで何とか凌ぎます!」
 電車はやって来ていた。蕪木はエロ本と電車に乗り込んだ上で、ケガをしたエロ本の膝を手当てした上で買っておいたおにぎりを見せた。
 「好きに選ぶと良いだろう」
 「ありがとうございます。何ですか? 蕪木さんはあたしのお母さんなんですか?」
 「同級生だというのにおまえが頼りなさすぎるのだ」
 「ご、ごめんなさい。あ、あと、あの、すいません。あたし梅干し食べられないです」
 「なら梅干しを選ばなければ良いだろう」
 「でも四つ中二つ梅干しですよね?」
 「そうだが」
 「あたしがコンブとシャケと選んだら蕪木さんが梅二つにならないですか?」
 「そうだが」
 「でもそれは申し訳なくて……ああでも梅干し本当無理なんですよねぇ酸っぱくて! 顔がすごいことになるんですよもうパーツが全部鼻のところに集まる感じで!」
 「だからコンブとサケを食えば良いだろう」
 「でももし蕪木さんがコンブとシャケが好きだったらと思うと……そもそも自然に考えるなら二つある梅は分け合うもののはずで……でも梅干しは本当に食べられなくて! あたしはいったいどうすれば良いんですかっ?」
 あわあわと本気で迷い悶えているエロ本を見て、こいつは本当にバカなんだなとしみじみ感じた。四月の間ほんの一瞬だけこいつの友人だったという地味派の女子達は、揃って『トロ過ぎて一緒にいると苛々する』と口にしているようだが、さもありなんと思う。割と本気で、小三くらいを相手にしている感じだ。
 「デッキと、プレイマットと、ダメージカウンターと……後参加費の五百円と、うん。ある。全部ある。え、えへへへ……ちゃんと準備して来たもんね」
 「良かったな」
 「忘れ物多いんですよねぇ毎日何かは忘れるんです。特に体操着とかシューズとかは誤魔化し効かないですからねぇ。体育の先生怖いから怒られると嫌になるんですけどそれでもやっちゃうんです。実はここ数日会場でデッキがなくて泣いちゃう夢を何度も見てて……。えへへへ今日だけは何も忘れないで良かった」
 言いながら鞄を網棚の上に置くエロ本を見て、ものすごく嫌な予感がした蕪木は声を掛けた。
 「それだとおまえ、絶対に電車に忘れるぞ」
 「あっ。そうか」
 エロ本は鞄を胸のところで強く抱きしめた。
 無事に目的地に辿り着く。会場は地域で一番大きなカードショップで、プレイスペースは二百人を超える人数を収容出来た。参加人数は百五十六人でその大半は入り口の前で待機していた。通常の駐車場は満車状態であり、臨時駐車場を案内するスタッフの姿もあった。オープンリーグということで参加者の大半は大人だったが、中には蕪木達のような子供もおり親に連れられたり自転車で駆けつけたりしていた。店の前の壁に背を預けている東間の姿もあった。
 「蕪木さん。あの人……」
 「良いよいちいち見るな」
 「は、はい……」
 東間は蕪木と目を合わせず、視線を逸らす為にかスマホを取り出して眺め始めた。蕪木も無視してエロ本を連れて近くの金網に背を預けた。
 スマホが鳴った。
 『ガラポン、来てます』
 東間からのメッセージであり蕪木は既読だけ付けてスマホにを仕舞った。思わず駐車場を見回すと、仲間を何人も引き連れて自動販売機前のベンチを占拠するガラポンの姿もあった。そこに東間も近付いて礼儀正しく挨拶をし頭を下げていた。ガラポンは鷹揚な様子で手をあげてそれに応じ、気前の良さを見せる為か自販機のジュースを奢ろうと声を掛けていた。
 ……これからコレクションの全てを奪われるとも知らず。
 蕪木は頬を歪めた。

 〇

 プレイテーブルにエロ本と並んで腰かけて開会式に出る。
 無事にエントリーも済んだ。エロ本がデッキチェックにひっかかり(なんかスリープが傷んでいてマーキングになるって言われましたぁ、とのこと)蕪木の予備を提供するなどのハプニングもあったが、何とか無事に出場できるところまでこぎつけた。エロ本は安心しきった様子だった。会場ではスタッフが進行やルールについて説明を行っていたが、エロ本は長い話を聞くのが苦手なのか天井を見ながらぼんやりとしていた。
 開会式が終わり、席の割り当てが終わるまでしばしの待機時間が訪れた。相変わらずぼーっとしているエロ本を尻目に蕪木はその場を立ち上がった。
 「どこ行くんですか?」
 「トイレだ」
 やるなら今だと思った。蕪木は予め場所を確認しておいたガラポンのところへと静かに移動する。そして隣にいる仲間を話し相手に笑顔で一方的な会話をしている隙を突いて、ズボンのベルトループに付けられている鍵を狙った。
 会場の喧騒の中、隣の仲間との会話に夢中になるガラポンはカモだった。その気配は完全に仲間の方へと向けられていて、蕪木のことなど存在も気が付いていなかった。近くの参加者たちも似たようなもので、蕪木の方に向いた気配はただの一つもなかった。大金のかかった大仕事だというのに、蕪木は何も緊張せずガラポンの鍵を掏り取った。
 あまりにも容易い仕事だった。すかさずそれを自分の懐に入れ、一応本当にトイレに移動してから東間のスマートホンに連絡を入れた。
 『任務完了』
 『では計画の通りに』
 返って来たのはそれだけだった。蕪木は小用を済ませるでもなく店内へと戻り、入り口に注意を払いながらショーケースを眺める振りをして時間を稼いだ。
 「蕪木さん蕪木さん」
 エロ本がやって来て声を掛けて来た。
 「なんだよ」
 普通に邪魔だったので邪険な声が出た。連れて来なければ良かったと思い掛けたが、こいつにとっても一世一代の大勝負であり、その天才性を証明するまたとない機会なのだからと思い直した。蕪木は入り口に注意を払ったままエロ本と会話を続けた。
 「これからあたしどうすれば良いんですか?」
 「開会式で進行は聞いただろう」
 「ごめんなさいぼーっとしちゃって。良くあるんです長い話聞いてると気が付いたら自分の世界入っちゃってるみたいなこと。なかなか呼ばれないしどうやって過ごして良いか分からなくてなんか不安になって、だからどうすれば良いですか?」
 「今は待ってりゃ良いよ。その内席案内されるから」
 その時入り口の扉が開いて客として変装したポチ子が入って来た。眼鏡とカツラで別人と化したポチ子は蕪木とほんの一瞬だけ目を合わせると、すぐに視線を切って、まっすぐ来るのではなく一つ隣の通路に入った。そして奥まで進んで翻すようにして蕪木のいる通路に入って来た。
 蕪木の隣にはエロ本がいるが、ポチ子は特に気にしない様子のようだった。それで正解でありこうなると却ってエロ本の存在がありがたかった。これなら蕪木とポチ子の繋がりは誰にも悟られないに違いない。
 蕪木はポチ子の方に目もくれることなく、ポチ子もまた蕪木の方に目もくれることなかった。ポチ子はただ蕪木の後ろを通り過ぎた。その隙に蕪木はポチ子の手の中に一瞬にしてガラポンの家の鍵を忍ばせた。
 ポチ子はそのまま通路を過ぎ去って行った。そして特にカモフラージュ的な行動をすることもなく、ただ通路を一周しただけですぐに店を出た。
 「蕪木さん蕪木さん。いつ頃始まるんですか? あたしおしっこ行きたいんですけど行く時間あると思いますか?」
 「……大丈夫じゃないだろうか 女子トイレは込まないし行っておくと良い」
 「行ってきます!」
 とてとてトイレに立ち去って行くエロ本を見送ると、蕪木は東間のスマホに『受け渡し完了問題なし』のメッセージを送った。

 〇

 蕪木は、後はもう待つだけの身となった。
 大会の試合が始まった。ガラポンは鍵を掏られたことに気付いてもいないのか、一回戦二回戦と相手を蹴散らして嬉しそうに笑っていた。蕪木もまた、計画のことが気になってそわそわとしながらも順調に戦い二勝した。
 ガラポンに異変が起きたのは三回戦の開始前だった。テーブルについて対戦準備が行われる中、唐突に何かに気付いたように「あれっ?」と叫んでその場で手をあげた。
 静かな声で何やらスタッフと話をしている。会話の内容は聞き取れないが、表情に焦りがあることから、鍵を失くしたことに気付いたことは明確だった。蕪木は微かに動揺する。最後まで気が付かないことは流石に期待していなかったが、それでもいざこの瞬間があると心配した気持ちにもなるものだ。
 その動揺の所為かプレイにも精細を欠いた……ということはないと思うのだが、蕪木は何でもなさそうな相手にころりと敗北し、二勝一敗の成績となってしまった。
 そこでスマホに連絡が来る。
 『ガラポンの方見すぎです。注意して』
 東間からだった。それは明確な蕪木の落ち度であり思わず赤面する程だった。蕪木は言われた通りガラポンから目を逸らし、ただの参加者であることを強調するつもりで連れ合いに声を掛けた。
 「ついに負けてしまったよ。これで二勝一敗だ」
 「ははあ……。それは残念ですね」
 「……そっちはどうだ?」
 「三勝です。皆本気出して来るから普段の店舗大会より強いって聞いてましたけど、あんまりなんですよねぇ。真剣なのは伝わりますけど……相変わらず手は読めるし勝つ為のプランも不明瞭で……あ、いや、えっと……調子に乗ってる訳じゃないですよ?」
 エロ本は相変わらず調子が良さそうだ。蕪木と違い他に気負う物がないただのプレイヤーなので、素直に自分の力を発揮しているのだろう。精神力の方は不安であり緊張から妙なミスをしでかしそうなものだったが、しかし思いの他落ち着いた様子であり、この待機時間もリラックスした様子を浮かべていた。
 続く四回戦、五回戦と蕪木は辛くも勝利したが、六回戦でとうとう緊張がプレイに出た。見えていたはずの相手の手札を忘れ、勝てる訳がない魔法でバトルを伏せてしまった。
 「あ……っ。すいません。伏せたこのカード、交換しても良いですか?」
 「ああー。……オープン前だからフリー対戦とかなら全然許可するんだけど、ごめんね。今日だけは無理かなぁ」
 二十代のプレイヤーはさもありなんということを言った。蕪木は自分のミスから来る無様な敗北を喫し消沈して席を立った。
 気持ちを切り替えて次の七回戦に挑んだ。よくよく考えれば計画と勝負は別物であり、また蕪木は自身の役割を終えている為、対戦に集中していれば良いはずだった。そう腹をくくったことで蕪木は七回戦で本領を発揮し、相手を蹂躙するようなプレイングで見事に勝利した。
 問題となったのは、次の八回戦でのことだった。

 〇

 八回戦の相手はガラポンだった。
 こいつとだけは当たりたくないのが本心だった。対戦相手として決して厄介ではない、むしろカモにしている部類だったがそれでも今日だけは別だった。このガラポンから鍵を盗み今まさに空き巣計画が進行中だという事実が、まさか表情から読み取られはしないだろうかと蕪木は警戒した。
 なるだけいつも通りの態度を取るしかない。そう思った蕪木は憮然とした表情で席に着き、ガラポンへの嫌悪を態度に表しながら、あからさまに目を逸らしてデッキをシャッフルした。
 「よろしくお願いします」
 ガラポンは意外なことにきちんと挨拶を口にして来た。険悪な関係だろうにわざわざどうしてそんなことをするのか訝ったが、蕪木は一応挨拶を返した。
 「よろしくお願いします」
 借りて来た猫のような声になった。それでは却って不自然かと思った蕪木は、軽く嫌味を入れておくことにした。
 「今日は遅延しても無駄ですよ。こういう大型の大会だと、巡回するジャッジに言えばちゃんと警告出してくれますからね」
 ガラポンの性格は一言で言うと『大人気ない』なので、これで顔を赤くして嫌味を返して来るはずだった。しかしそんな蕪木のトラッシュトークにもガラポンは動じた様子もなく、シャッフルし終えた自分のデッキを突き出して来た。
 「カットお願いします」
 「……お願いします」
 予選最終戦が始まった。
 予選ラウンドはスイスドロー形式で進行する。全勝者が出た時点でその者が『予選の優勝者』となり、ベスト16までの者が決勝トーナメントに進出する。蕪木の戦績はここまで五勝二敗。オポネントの兼ね合いもあるがベスト16に入るには基本的には六勝二敗が求められる為、負けられない戦いだ。
 ガラポンもまた蕪木と同じ成績だろうと思われる。その表情には緊張が伺えたしプレイにも鬼気迫るものがあるから、同じく後がない状況なのだろう。勝った者が決勝トーナメントに進出し、負けたら予選で敗退する。
 勝っても負けてもこいつは家に帰って泣くことになる。自宅のコレクションは今まさにポチ子に荒らされているところなのだろうから。その上で蕪木はこいつを負かそうと思っていた。これから手に入る金を思えば大会での成績など二の次のように思われたが、それ以上に蕪木はこいつが嫌いだった。
 相手のデッキは性懲りもなく『インティ』だった。しかも買い直したのかしっかりURを使用している。以前店舗大会で出会った時、エロ本の持つURの『インティ』を物凄い顔で見ていたのを蕪木は思い出していた。
 ……試合が終わったらこれも掏ってやろうか。どうせこいつの今日の試合はここで終わりだ。
 そんなことを思いながら、蕪木は裏向けていたカードを表にした。
 「『イビルクエイク』」
 「『ウィンドブレイク』」
 ガラポンの勝ちだった。しかしこれは蕪木の術中で、イビルクエイクの『負けたら自分のリアーゾーンのウィザードに2ダメージずつ』の効果が発動し、ベリアルが敗走する。そしてベリアルの敗走時効果で相手の手札の白魔法を二枚デッキのそこに送り込んだ。
 「これで『アポカリプス・エンド』も『ライフブリンガー』も防げませんよ」
 蕪木は煽りを入れてほくそ笑んだ。最早この相手には負けるはずがなかった。ガラポンのデッキはエロ本と同じだった。何せガラポンから盗んだものをエロ本にやったんだから当たり前だった。そして蕪木は大会を控えて毎日のようにエロ本と練習をした。ガラポンとは桁違いの神がかり的なプレイングを持つエロ本を相手にも、五割どころか四割にも届かなかったが少しずつ勝率を上げて来たのだ。蕪木は対インティに自信を持っていた。
 「……卑怯な手は使ってないですよね?」
 ガラポンは言い返して来た。
 「は? ガラポンさん相手にそんなことする必要ないでしょ」
 「一回やったら一生やり続けるのと同じです。周りからはそう見られます」
 「俺が一度でもズルをしたみたいなこと言うのやめてください。この遅延厨が」
 「あの時遅延で勝ったのは、その後の蕪木くんへの説教を少しでも効果的にする為です。君くらいの年の子は、敗者が何を言っても負け犬の遠吠えと受け取りますからね」
 「じゃあ結局そっちもズルしてんじゃないですか」
 「ジャッジは何も言いませんでした。まあ言えないんですけどね。店舗大会如きで、この私に遅延の指摘なんて。そして審判者が見ている前で堂々としたことなのに咎められていないということは、それはダーティではあっても反則ではない。つまり合法でまっとうなことなんですよ、蕪木くん」
 「俺のしたことよりも、あんたのやり口の方が余程卑劣だ。それよりどうして俺の名前を知っている?」
 「君は娘の友達だろう」
 蕪木は思わずカードを扱う手を止めた。まっすぐにこちらを見詰めて来るガラポンの瞳には、他愛もない相手をあっけなくやり込めるような、大人の余裕のようなものすら感じられた。
 「本当に賢い大人はさ、悪いことなんてしない訳。少なくとも、悪いことを悪いこととしてはやらない。わざわざ法を犯すようなリスクは取らない。ルールを直視して見逃されるラインを見極めるか、すり抜けるようなやり口を浮かうか、或いはルールを司る人間を味方に付ける。そうやって安全に、しかし愚直に戦う人間との差はしっかりと付けるんだよ。私はそうやって会社を興して財を成して来た……」
 ガラポンのインティに、蕪木のナイヤーラが『アポカリプス・エンド』を放つ。インティは敗走するがリアーゾーンのアリアナが効果を発揮し、手札の三枚の赤魔法と引き換えにフロントゾーンに復帰した。
 「……切り札を使ってしまいましたね。大丈夫ですか?」
 ガラポンは挑発的に言う。
 「そっちの方こそ白魔法は後何枚あるんだ? デッキの底に二枚、捨て札に五枚、合わせて七枚だ。あんたのデッキに入っている白魔法はそれで全部だ」
 蕪木は無視して第二の切り札である『ライフブリンガー』を伏せた。
 「これが闇魔法でもあんたは防げないよ」
 「どうしてそんなことが分かるのかな?」
 「俺には分かるんだよ」
 「試してみるか?」
 ガラポンはカードを伏せるなり、間を置かずにすぐに表に向けた。
 「な……っ」
 それは蕪木の知らないカードだった。いや存在は知っているがそんなものがガラポンのデッキに入っていることを知らない。エロ本に渡したデッキには入っていなかった……いや環境に存在するどのインティデッキにも含まれないカードだった。 
 「『鏡色の筒』……光のレベル4。白同士のバトルにも敗北する代わり、相手が闇魔法だった場合、その効果をハッキリ相手に跳ね返す魔法だ」
 何故そんなカードを入れているのか? インティデッキは元々構築が洗練されていて、同じインティを使う者同士でもそれほど構築に差が出ない。万が一八枚目の白が入っているとしても、それは『エレナ』にも使用できるレベル3以下の白魔法のはずで、その中に今のナイヤーラのHPを削り切れるものは存在しないはずだった。
 なのに来たのはレベル4の『鏡色の筒』。
 「……バカな。その魔法はそのデッキでインティにしか使用できないはずだろう? しかも決して採用率の高いカードじゃない。相手依存なんだ。闇にもレベル1や2の弱い魔法だってあるのに、レベル4でそれを跳ね返しているようじゃ非効率的だ。普通にダメージを与える効果の方が堅実なはずなんだ!」
 「この一手の為に入れたんだよ。私は優勝がしたいからね。君は実力はそこそこあるから、決勝トーナメントにも出て来るだろうと踏んでいたんだ。そこで引っ掛けられるなら二十五枚の内の一枚を割く価値はある。何と言っても……小賢しい子豚の三男はカウンティングがお得意だからね」
 蕪木は固唾を呑んだ。ゲームとしてはこれで負けているが蕪木にはまだ打つ手があった。今こそ右手の力を使う時だった。蕪木はガラポンの『鏡色の筒』に勝てるカードを捨て札から握り込み、『ライフブリンガー』をそれと入れ替える形でカードをオープンしようとした。
 「君の手品は腕は一流だが使い方は三流だ」
 ガラポンは蕪木の手を掴んだ。
 「何を……」
 「カードを手の中に隠すのをこの目で見た訳じゃないよ。というか怪しい動きにはまったく見えなかった。しかしそれでも……君は握り込んでいるんだろう? お見通しさ」
 蕪木の手から『ライフブリンガー』と『大鷲の人攫い』がそれぞれ零れ落ちる。
 「大正解。これならギャラリーも君が反則をしたことを証言してくれるだろう。誰がどう裁いても君が悪であることは一目瞭然。君は愚かだ。本当に賢い人間ならもっとスマートに、ローリスクに、退路を残して行動しなければならない。しくじったらそれで終わりの一発勝負など、最もちんけな小物の悪党がやることなんだ。しかもそれを繰り返し行うなど、自分から破滅しに行っているようなものだろうな。……さて」
 ガラポンは左手をあげて、蕪木を冷笑するかのような声で言った。
 「ジャッジー!」
 ジャッジが現れて手を掴まれている蕪木を認める。ガラポンはテーブルに落ちた二枚のカードを指さしながら、ギャラリーにも証言を促しながら蕪木の反則について語り始めた。

 〇

 蕪木はテーブルに伏していた。
 「ギャラリーの証言もあるし、プラクティカル選手の反則は間違いありません。よってプラクティカルさんを失格処分とします」
 どの道予選敗退は決まっていたが、そうさせることでガラポンは蕪木にさらなる屈辱を与えて来た。蕪木は再起不能状態に陥り何も言い返すこともやり返すことも出来ずにただ項垂れていた。
 「一度『失格』の付いた人間は、今後の大型大会でもジャッジから厳しく監視されることもあります。そして次に同じようなことがあれば、プレイヤーズIDの失効などの処分が容易に下るのでそのつもりで」
 ジャッジは蕪木にそう言い渡して立ち去った。見守っていたギャラリーたちは蕪木に対し冷笑的だった。蕪木の煽り癖は知れ渡っていてこの地域では悪名高いプレイヤーだった。それが反則をやらかして失格処分を受けるというのでは、良い気味だと感じる者も多くいるのだろう。
 「あの子反則してたんだ」
 「まあ妙に強かったからな」
 「どうせ普段もズルして勝ってたんだろ」
 「このままずるずる反則してたら碌な大人にならなかっただろうな」
 「ガラポンさんにちゃんと叱られて、失格になって良かったんじゃないの?」
 「まあ本人も反省出来るし、プラクティカルさん自身の為だよな」
 「うるさい!」
 蕪木は机を叩いて立ち上がった。
 「うるさいのはそっちですよ! 本当にちゃんと反省してるんですか?」
 ガラポンは正義の断罪者たる態度で蕪木の前に立ちはだかった。そしてギャラリー達の応援の視線を受けて、さも気持ち良さそうに説教を垂れる。
 「皆がルールを守るから楽しいゲームなのに、あなたはそれを台無しにしていたんですよ? もう誰も安心してプラクティカルさんと対戦なんてしてくれませんよ。自分でしたことがそうさせるんです。ちゃんと胸に手を当てて自分のしたことを考えた方が良いんじゃないですか?」
 蕪木はガラポンを睨んだが、ガラポンは涼しい表情だった。嘲弄するような口元には嗜虐の快感が潜んでいた。
 「……ジャッジから話はあったはずです。私達からは、これくらいにしておきましょう」
 割って入ったのはホタルだった。特徴的な八の字眉毛で、子供を守るように蕪木の方を見詰めながら、背中越しにガラポンに穏やかな声で言った。そして蕪木の肩を掴んで優し気に言う。
 「まだ子供じゃないですか。ちょっと魔が差しちゃっただけですよ。普段のプレイでは、こんな反則はしていないと思います。もうやめましょう」
 数少ない女性プレイヤーでしかも美人というホタルに制止され、ガラポンはあっけなく蕪木から手を引いた。
 ギャラリーが去っていく。ホタルは蕪木の方を優し気な表情で見詰めながら、軽く微笑んでその場を去ろうとした。
 その時、エロ本が会場内では許されない全力疾走でとてとてと蕪木の方に駆け寄って来た。
 「蕪木さぁああああいてっ!」
 そして今朝の駅での再現のようにあっけなく転んだ。そして床に鼻を痛打した挙句近くのジャッジに「会場では走らない!」と注意されている。
 「あ……ごめんなさい」
 「大丈夫ですか?」
 ホタルに助け起こされ、照れたような顔で蕪木の方を見たエロ本は、場も空気も状況も読めずただそこにいる蕪木に嬉しそうな顔で叫んだ。
 「蕪木さぁん! あたし予選ラウンド通過したんですよすごくないですかっ!」
 「そうか。良かったな」
 「七勝一敗で……最後手札事故で一回負けたから大丈夫かなぁ落ちたかなぁって不安だったんですけど、大丈夫だって! しかも二位通過だって! やりましたよぉおおお!」
 最終戦以外勝ってるんなら通過に決まっている。オポネントの噛み合いもあるが、負けたのが最後なら順位もだいたい二位だ。何せ一位通過者以外に負けていないのだからそうなる確率が最も高い。それしきのことも分からないアタマの癖に、どうしてこいつは一応は頭脳ゲームであるTCGで、これほどまでに強いのか。
 「それはおめでとう」
 「蕪木さんはどうですか最後勝ちましたか? 勝ってたら六勝二敗なんですよね? 二敗ってどうなんですか一緒にトーナメント出られるんですか? そもそも二敗なんですか? 三敗なんですか? どっちなんだい! やぁああああ!」
 「あのねエロ本さん。プラクティカルさんは今日はもうおしまいになりました」
 ホタルは膝に手を付いて、エロ本と目線を合わせながら言った。
 「あ……そうだったんですか。あの、その……すいません」
 へどもどした顔で小さく頭を下げるエロ本。失格になったことまでは知らないようだが、それでも決勝に出られない蕪木を気遣って、喜び勇んで自らの勝利報告をしたことにも罪悪感を覚えている様子だった。
 「良いさ。あの、エロ本」
 「なんですか?」
 「絶対に勝て」
 蕪木はそう言い残して、エロ本とホタルの元から去った。
 周囲からの好機と嘲笑の視線を感じる。それは蕪木にとって慣れたものであり、学校など公の場に行けばそれに晒されるのが常だった。カードショップにいてもそれは同じことだったが、無神経な子供の園である学校と比べて、直接言って来る者は決して多い訳ではなかった。だから弱く幼かった蕪木はカードショップを自分の居場所と信じて好んでそこにいたのだ。
 しかしそうした場所だったはずのカードショップが、今の蕪木にとっては針の筵のように思えていた。今すぐに立ち去りたかったが、エロ本の帰りの電車に付き合わなければならないのでそうも行かなかった。それにエロ本の戦いを見届けたい想いもあった。彼女の才能がどこまで通用するかを確かめたかった。
 取り残されてエロ本は不安そうにしたが、そこにホタルが優しい保護者のように付き添っていた。まるで空気の読めないエロ本も流石に何かあったことは察知したようだ。何事かとホタルに質問し、八の字眉毛の角度を増したホタルに受け流されていた。
 次に蕪木はガラポンの方を見た。こうして改めて確認すると、ズボンのベルトループに蕪木が奪ったはずの鍵が戻っているのが見えた。思わず東間に連絡を送る。すぐに返事が返って来た。
 『仕事が終わったから、ポチ子とは違う別の仲間に持って来させて、会場のどこかに捨てさせておきました。それを誰かが店員に届けてガラポンに戻ったんでしょう。これなら、ガラポンは会場で落とした鍵が開場の外に出ず見付かったと解釈するはずっす』
 『鍵から俺達の証拠は見つからないのか?』
 『ポチ子が噛んでるのにそれは愚問っすね』
 『カードはもう盗み終えたのか?』
 『そうっすよ。売っ払い終えたら分け前を配るんで、また集まりましょうね。では用も終えたしボクは五勝二敗一引き分けで予選落ちなんで、帰ります』
 見ると東間は出口の外に出て行くところだった。
 自宅へ戻ったガラポンは自慢のコレクションが全て消えていることに気づき、悲鳴をあげるだろう。そう思い留飲を下げようかと思ったが、大勢の前で反則を糾弾された屈辱は消えなかった。自分が本選トーナメントにいないことも上手く飲み込める現実ではなかった。
 トーナメントの始まる時間が近付いて来た。エロ本が遠巻きに生温かい視線をこちらに飛ばしていたが、声を掛ける気にはならず、心の中で彼女の幸運を祈るだけだった。
 ガラポンの方を見ると、プレイテーブルの中央に陣取って、仲間達を相手にトーナメントに残った自慢話を展開しているのが見えた。自分が出られないトーナメントにあいつが出ることを思うと気が狂いそうな理不尽を感じた。どうにかして妨害してやれないかと考えて、あっけなく方法を思い付いた。
 デッキを掏るのだ。
 デッキがなければ当然試合には出られない。試合前に気付ければ事情を話して同じカードを店内で購入して用意すると言ったことも出来るが、準備中に気付いたのではジ・エンド。不戦敗になることは間違いない。試合開始はもうすぐそこまで来ているから、今盗み取ればガラポンをそこに追いやることも出来る……。
 蕪木は決意してガラポンに歩み寄った。
 デッキがどこにあるのかは分かっている。そしてガラポンは仲間と話すのに夢中で蕪木の接近に気付いていない。こいつからものを盗むのは三度目で今更失敗するとは思えない。簡単な仕事だ。
 蕪木は鞄に向けて手を伸ばした。
 指先でチャックを弾いて中に手を差し込んだ。
 デッキの場所を一秒で探り当てた蕪木は、すぐにそれを掴んで鞄から取り出す。
 全行程を二秒で終えた蕪木は、仕事を鮮やかに完遂した満足感と、スリルに対する解放感に酔いしれながら、デッキケースを自分の懐に入れようとした。
 手を掴まれる。
 まさかまたガラポンに捕まれたのかと蕪木は思った。しかしその手はガラポンの手と違って白く細くしなやかであり、何より毅然とした力が備わっていた。瞬く間に手をひねり上げられた蕪木は、思わずデッキケースを取り落として顔を顰めた。
 「……現行犯です」
 ホタルだった。いつも八の字に歪めているたおやかな眉毛を、真剣そうな形に寄せている。結んだ口元にも、蕪木の手を押さえ動きを封じる身のこなしにも、一切の油断がない。柔和で隙を感じさせるいつものホタルの気配から一転して、険しくも厳しい気配が蕪木に向けて放射されていた。
 「ホタルさん。これはちが……」
 「何も違いません。君は掏りです。それも常習の」
 ホタルは懐から一枚の黒い手帳を取り出した。ドラマなどで見覚えのあるそれが開かれるのを、蕪木は目を丸くして見守っていた。
 「私は刑事です」
 警察手帳に警官の格好をしたホタルの写真が貼り付けられている。本名は『絹川蛍子』とあった。
 「君を地域で発生している連続窃盗事件の犯人と見なし、潜入捜査を行っていました。君の行きそうなところに私服で出入りして、一緒に大会に出るなどして近付いて、行動を観察し……そして今、この通り現場を押さえました」
 蕪木は思わず身を震わせた。
 「今から君を署に連行します。たくさん話を聞かせて貰うので、そのつもりでいてね」

 〇

 4

 〇

 改めまして。
 絹川蛍子です。刑事です。君にはホタルってPNの方が、馴染みがあるのかな?
 君くらいの歳の子だったら、普通は少年課の人が担当するんだけど……仕出かしたことがことだからね。私達が調べていたヤマでもあるし、私自身少年課の経験があるから、私が担当させてもらえることになったの。
 取り調べはもう終わったよね? これから始まるのは『説諭』って言ってね。私の話を聞くことが、君に与えられる罰で訓練のようなものだと思って。一生懸命話すから、そっちも頑張って真剣に聞いてね。そうして貰えるまで終わらないけど、君は賢い子だから大丈夫そうかな?
 何から話そうかな。じゃあ、まずは私がどうやって君に迫って行ったのかを聞いてもらおうか。
 多発する窃盗事件の犯人の最有力候補が君のような子供だと上司から言われた時は、本当に驚きました。被害者や犯行現場の傾向から振るいに掛けて行ったら、君しか残らないそうなんだよね。しかも手口が物凄く巧妙で、ショッピングモールとかで犯行を起こしながらも、カメラにも映らないようにしてるっていうんだもの。これはちょっと、君がすごすぎるよ。もちろん、悪い意味でってことになるんだけどね。
 今まで騙していてごめんね? まあ謝るのもおかしいし、多分上司や先輩が見てたら怒るんだろうけど、それでも申し訳なく思うな。蕪木くんは私のことカード仲間だと思ってたんでしょう? 違ったの。おまわりさんなのよ。
 カードは潜入捜査の為に覚えたよ。君に近付くなら必須科目だからね。私は元少年課だから子供と仲良くなるのは得意だろとか言われてさ。まあ私なりに上手くやったつもりなんだけど……ウィザーズコロシアム、面白いね。プライベートでやるかどうかは分からないけど、ハマる人がいるのも分かるなって感じ。
 リヒターのURわざわざ買ったのはなんでかって? いやぁ、それは完全に私の趣味です。格好良かったからボーナスでつい買っちゃった。たはは。ちなみにウィザコロのアニメも見たよ。カードショップに溶け込む為の共通の話題になると思って。面白かったです。子供だけじゃなくオジサン達も見てるのも理解出来るな。アニメのヒロインとか、可愛い女の子のカードに皆夢中で、本当に楽しそう。
 なんか四方山話みたいだなって?
 そうだね。アイスクラッシュはここでおしまいにしようか。本題に入ります。
 ねぇ、君は自分のしたことをどう思っているのかな? 
 ああいきなり身構えさせちゃったね。でもね、君のしたことはそれだけのことでもあるんだよ。たくさんの人のお金や持ち物を奪った。たくさんの人を悲しませた。
 分かる? 君が盗もうとしたガラポンさんのデッキ、あれ全部売ったら十万円くらいになるよね? 他はだいたい認めたのにそこについてだけはずっとだんまりだけど、前にも同じものを盗んだ可能性が高いんだったかな? じゃあ二十万円だね。私の一か月のお給料吹っ飛んじゃうよ! これがどのくらい罪深いのか、想像できる?
 子供だって月のお小遣いを貰ってる。やりくりは本当に大変だ。もちろんそれだって、日々の学校とかお手伝いとか、そういうのを頑張った対価として与えられているものでもあるはずだよね。大人にとってもそれと同じで、頑張って子供の頃から色んな形で働く為の準備をして、たくさん勉強して大人になって、世の中の役に立つことをたくさんして、ようやく手に入れられる大切なものが、お金なんだよね。
 そうやって頑張りぬいて手に入れたものをさ、こう、さっと懐をに手を突っ込んでさ。そこだけ見れば何も頑張っていない蕪木くんに、一瞬にして簡単に奪い取られちゃうの。分かる? された人がどれだけ理不尽で悲しい気持ちになると思う? それがどれだけズルいことだと思う?
 他人の稼いだお金を卑怯な手段で簡単に奪い取って、それで好きなものを好きなだけ買って、そういう経験がどれだけ蕪木くんをダメにしていくのか、それを思うと私はぞっとする。自分で頑張って積み重ねた努力で稼げるようになって、自分の出来ることで世の中の役に立って、そういうまっとうなプロセスを全部すっ飛ばして、人にやらせた努力を掏り取ってお金を手にする。そんな歪んだことを繰り返して、蕪木くんがどれだけ悪い大人になって行くのか、考えれば考える程身が震えそうになる。
 悪い人になるのってさ、何よりその人自身を不幸にすることなんだよね。ピンと来るかな? 分かりやすいところから言うと、まず刑務所に入らなくちゃいけません。脅かすようなことを言うけれど、それって本当につらいことだよ? 自由がないとか好きなゲームやスマホで遊べないとか、そういうのもあるけど刑務所に入ることの本当のつらさはそういう次元じゃない。中でいじめにあって、怖い人達と同じ部屋で毎日寝起きして、限られた持ち物とかごはんとか取り上げられたり、言葉に出来ないような酷いことをさせられたり、そういうことですらないんだよ。
 刑務所に入る本当の怖さっていうのはね、刑務所から出た後に訪れるんだよ。『刑務所に入っていた人』になって、そこから立て直して人生を取り戻していく時に訪れるものなんだよ。もちろん、刑務所の中で本当に心から反省出来ていれば、やり直すことは出来ると思うよ? でもね、一度刑務所に入る程悪いことを積み重ねちゃった人っていうのは、それがなかなか出来ないものなの。何か自分の望みを叶えたい時とか、自分の感情に振り回される時とかに、悪いことをする習慣が一度付いていると、何度も何度も同じことを繰り返してしまう。何度も何度も刑務所に入ってしまう。そしてまた外に出る度にどんどん余計に酷い状況になって、そこから逃れる為にまた悪い方法を使って……。一生刑務所に出入りするだけで終わってしまう。これが悪いことをする悪い人になる、本当の恐ろしさなんだよね。
 悪い人は決して幸福にはなれない。世の中はそういう風に出来てるの。そして深みに嵌れば嵌る程、そこから抜け出すのは困難なんだよ。蕪木くんはそこに片足を突っ込んでいる。大げさじゃないよ? だって君は常習犯だ。出来心じゃない。何度も何度も繰り返して来たんだ。
 でもね、やめることは、心を入れ替えることは、いつでも出来るのも確かなんだよ。
 えいやって決意して、やめてしまえば良いだけなの。蕪木君の場合はね? 突っ込んだ片足をまっとうな道に戻すのには、掏りをやめればそれだけで良いの。それで今やって来たお勉強とかを、今まで通りに続けてれば良い。それだけのことで真っ当な人生が開けるの。不幸にならないの。どれだけやり直そうとしても頑張ろうとしても誰からも相手にして貰えずに、方法も与えて貰えずに、結局また悪いことをして捕まって行くような、そういうつらくて過酷な状況にまでは、蕪木君はまだ至ってないの。
 それでも続けるようだったら……その時は仕方がありません。今回は免れたけれど、次は自立支援施設と言うところに行く可能性が極めて高いでしょう。刑務所とかの刑事施設ではないけれど、十三歳以下の子が入るそういうところだと思っておいて? 君の場合ご家庭が形式的にはちゃんとしていて、君の学業や掏り以外の素行が優秀というのもあって、ギリギリでそこに入るのは免れたけど、今回もかなり危なかったのは知っておいてね。もし再犯した時に十四歳になってたら少年院かな? こっちはもっと過酷な場所だよ。それぞれがどういうところなのかも、これからちゃんと説明するからね。
 ……話はちゃんと聞けてる?
 うん。聞いてくれてるのは分かってるよ。君は集中力のある、人の話を聞ける、アタマの良い子だからね。でも聞くだけじゃなくてちゃんと意味を理解して納得して貰えなくちゃ意味がないの。そうして貰える話が出来るよう、私も頑張ってるから君ももう少し頑張ってね。
 疲れて来た顔だね。実は私もなの。お説教するのって正直苦手です。相手が子供でも犯罪者でも、自分が偉そうに講釈垂れられる程立派な人なのかなって思っちゃう。おまわりさんなんだから、ちゃんと自分を立派な人にしていけないとダメだって話だけどさ。でもなかなかそれが難しくてね。欲に流されて自分に負けて、人に迷惑をかけてばっかりで。もう、たははーって感じです。
 うん? いきなり態度が優しくなったって。そうだね、これはだって休憩ですから。体と一緒で心もちゃんと休ませないとダメだよ。でないと何も入って来ない。実は私の休憩でもあります。険しい顔して人を追い詰めるようなことを言うのと比べたら、こうやってなごやかに話してるのはよっぽど楽だよ。学校の先生が授業の間に雑談を挟むのってね、生徒の休憩ってだけじゃなくて先生自身のリラックスの為でもあると思うんだ。それと一緒かな?
 でもずっと休憩してる訳にも行かなくて……じゃあそろそろ次の話を始めようか。
 何から話そうかな? ねぇ。何から聞きたい?

 〇

 学校に行くとエロ本が裸に剥かれていた。
 腕から引き抜かれた制服の上着が宙を舞い白い肌が露わになった。流石の無抵抗主義のエロ本もこればかりはと暴れまわっていたが、寄って集って服を引っ張る少女達の夥しい手の数を前に太刀打ちできなかった。胸の下着を剥ぎ取るのは上着よりも遥かに容易で一瞬にしてむしり取られた。乳房は確かに発育が始まっていて、想像した以上の大きさがあり、中央の桃色は淡い色をしていた。
 小鬼達は今度はスカートを脱がしにかかった。遠巻きに事態を見詰める生徒達の中で、蕪木は猿山の王に声を掛けた。
 「今日のは酷すぎるんじゃないか?」
 「あ? 蕪木、おはよう。お勤めご苦労様」
 自分は指図をするだけで床に足を延ばして座っている倉坂は、きさくな様子で蕪木に声を掛けた。
 「女が女にやることなのか、これは?」
 「そういうのは最近のジェンダー論からは外れる発言だよ」
 あまりにも悲惨な状況に蕪木は眉を潜めた。異性もいる教室の真ん中で裸にされるエロ本は本気で蒼白になって悲鳴をあげていた。どんないじめもへどもとど媚び諂った笑みでやり過ごすエロ本が、ボロボロと大粒の涙を流しながらじたばたと無駄な抵抗に全力を尽くしている。
 「女のいじめというのはもっと、陰湿で政治的で、こう物理的な方法は避ける印象があった」
 「一皮剥けば女だってゴリラみたいなもんだよね。だいたいわたしら何か月か前まで小学生だったんだよ? いじめ一つ取って見たって、そこまでお上品にはなり切れてないっつの」
 「今すぐにやめさせろ。これは少し、洒落になっていない」
 「何言ってんの?」
 倉坂は剣呑な表情を蕪木に向けた。
 「なんで蕪木がエロ本なんかの肩を持つの」 
 「度が過ぎているからだ。何よりおまえの為にならない。これが父親の耳に入れば……いや、それ以前の問題だな。警察沙汰にも成りかねない。これ以上続けるようなら俺の方から密告することもやむを得ないだろう。そうなったらおまえも困るんじゃないか?」
 倉坂は眉を潜めて立ち上がり、蕪木の醜い顔にも動じずに、睨むようにして顔を近付けて来た。
 「何が警察だよ? グリズリを殺したこいつを捕まえてもくれない連中がどうしたっていうの? 誰もこいつを裁いてくれない以上、わたしが自分でこうするしかないんだよ!」
 凄まじい剣幕に蕪木は鼻白んだ。倉坂がグリズリをどれだけ愛していたかは知っていた。グリズリと倉坂の間には十年近い付き合いがあり兄弟同然だった。厳しく時に娘に手を出しさえする父親と、その父親の言いなりの母親という家庭環境で、勉強ばかりさせられる倉坂にとってグリズリは唯一信頼出来る家族だった。幼馴染の蕪木とでて、倉坂と共にグリズリとは良く遊んだ。グリズリがいなくなった際は倉坂は涙を流しながら夜遅くまで当てもなく街を歩き続けた。翌日もその翌日も、倉坂がその消失を受け入れ街をさ迷うことがなくなるまで、長い日数を必要としたのだ。
 「どうして蕪木にそんなことが分からないの? グリズリがいなくなった時、一緒に探してくれたじゃない? 勉強で忙しいのに何日も付き合ってくれたじゃない? なのにどうしてこんな奴の肩を持つの? こんな奴とずっとつるんでるの? いつも一緒に入って行く廃墟の中で、何が行われてるかわたしだいたい察してるよ? それを止めもしないでじっと見てる訳?」
 倉坂は蕪木の胸を突き飛ばす。
 「わたしが普段どれだけあんたのこと庇ってると思ってるの? それに感謝もしないで周りに偉そうな態度ばっかり取るあんたを、わたしがどんな思いで優しく接していると思ってるの? それなのになんてあんたはこんな奴のことを庇う訳? こんな奴とつるむ訳? ねぇ答えて……あんたはどっちの味方なの!」
 「グリズリのことはそいつとおまえの問題だろう。俺を巻き込むな」
 「だったら首を突っ込んで来ないで!」
 「そいつが過去に何をしていようが、今酷い仕打ちをしているのはおまえだろうが!」
 「掏り野郎が正義を語らないでよ! 何日も警察の厄介になってた癖に! そいつがせめて動物いじめるのやめてるんならこっちだって容赦のしようもあるけれど、何にも変わってないじゃない! それで何もなく平和に日々を送れるだなんて、人並に扱って貰えるだなんて、舐めてるとしか思えないよ!」
 「おまえにそいつを裁く権利があるのか?」 
 「だったら誰が裁いてくれるの? あんたが裁いてくれる訳? それとも警察? 直接の被害者であるわたし以外に、いったい誰がこいつに自分のしたことを後悔させられるっていうんだよ! 分かってよ!」
 倉坂は自分の両手に顔を埋めて、嗚咽を漏らしながらその場で蹲った。
 「あんただってグリズリの友達だったでしょう? ……そのあんたに敵に回られたらさ……わたしはいったいどうすれば良いっていうのさ?」
 「どうもこうもない。犬を殺されようと何をされようと、寄って集って人を教室で裸にして良いはずがない。それしきのことが分からない程、おまえは愚かじゃないはずだ」
 「黙れ!」
 倉坂は泣き叫んだ。
 「おまえだって普段はここまでしないだろう? どうしたんだ?」
 「……お父さんのコレクションが盗まれた」
 悄然とした教室で、嗚咽と共に倉坂は漏らすように言った。
 「警察を呼んだけど犯人は不明だった。空き巣の形跡もないしむしろ内部犯の可能性の方が高いって警察に言われたんだって。それでわたしが疑われてさ。毎日すごい詰められて、仕舞にはお母さんまでわたしのことを……」
 ポチ子は完璧な仕事をしたようだった。『一切の痕跡を残さず』ポチ子は空き巣に入れることを東間は豪語していた。それがどこまで信用出来るものか蕪木は懐疑的だったが、警察の捜査すらすり抜けるポチ子の威力を倉坂の証言から蕪木は思い知った。
 ガラポンは身内である娘を疑っているようだった。実際には犯行は蕪木が掏った鍵を受け取ったポチ子によって行われたが、その日の内に会場内で鍵を取り戻したガラポンは、その鍵が犯行に使われたとは考えていないようだった。ただ自分がうっかり落として、それを誰かが見つけてスタッフに届けてくれたものと認識しているようだった。間抜けだった。
 「だから八つ当たりをしたのか?」
 「うるさい! あんたに何が分かる?」
 「おまえのことなら良く知っている。弱い者いじめの習慣は昔からあった。親に厳しく締め付けられるとその習慣が顔を出すことも。どんなに大義名分を掲げていても、性根はずっと腐ったままだな」
 倉坂は表情を消した。
 「吉本が動物をいじめるのと、おまえが吉本をいじめるのと、いったい何が違うというんだ?」
 しばらく放心した倉坂は、徐々にわなわなと体を震わせ始めた。そして鬼の形相になったかと思うと、蕪木の方ににじり寄ってその頬を平手で叩いた。
 「もうわたしを味方と思わないでよ?」
 ガラポンからコレクションを盗んだ張本人である以上、そう感じる資格もなかったが、しかし蕪木は自身が間違いなく傷付いたのを感じていた。倉坂はエロ本のことは興味を失くしたように一瞥することすらせず、泣きながら教師の外へと飛び出して行った。
 「……これ、どうすれば良いの?」
 倉坂の配下である少女の一人が、エロ本のスカートを引っ張り上げようと手をかけたまま言った。白い太ももの奥に桃色の下着があるのが見えた蕪木だったが、エロ本の縋るような視線を感じて顔を逸らしてから、ぼそりと言った。
 「もう必要もないだろう。おまえ達にそれをやらせる奴はいなくなったんだ。離してやれ」
 配下達は大人しく言う通りにした。

 〇

 学校が終わると蕪木は真っすぐに自宅へ帰った。
 母親が待ち受けていて、張り付けたような笑顔で玄関に立っていた。その手には懐中時計が握られていて、蕪木がほんの一秒でも寄り道をしなかったことを確認すると笑みを深めた。
 「前にお話しした通り、今日からは塾ではなく、家庭教師と一緒に勉強をしてもらいます」
 「分かってるよ」
 「信夫ちゃんはお母さんの目の外に出ると何をするか分かりませんからね。もっと良い子だと思っていただけに残念だわ。しかしお母さんも良くなかったと思うの。信夫ちゃんは一度海鳴に落ちていて、放っておくとたくさん勉強を怠ける悪い子だと分かっていたのに、つい目を離して塾なんかにあなたを任せてしまっていたんだから」
 「…………」
 「これからは学校以外の外出も全面的に禁止です。外に出ると何をするか分からないからね。信夫ちゃんは僅かに残っていた信頼も完璧に失いました。家庭教師の先生がやって来るまで、お部屋で勉強していなさい」
 蕪木は自室へ向かうと勉強道具を机に広げ始めた。そして息のつまるような心地を覚えながら、勉強をする振りをし始めた。
 家庭教師がどこからいつやって来てどんな人物なのか、蕪木はそれも知らされていなかった。ただ唯々諾々と母親に与えられるものに従うだけの人形のように振る舞うしかなかった。蕪木は絶望を感じていた。自分には最早僅かな自由も残されていないのだと知り抜いていた。
 「……信夫ちゃん」
 母親が部屋にやって来て蕪木に声を掛けて来た。
 「少しお話をしましょう」
 「一人で勉強をしていれば良いんじゃなかったの?」
 「信夫ちゃんはもう一人で机に着いていても、ちゃんとお勉強をするか分からない子だわ。こっそりくだらないオモチャをどこかに隠し持っていて、それで遊ぶかもしれません」
 「遊ばないよ」
 「だったらこれは何かしら?」
 母親は両手で本棚から参考書をごっそり抜き出すと、中に隠し持っていた蕪木のデッキや、カードのコレクションを無造作に机の上に置いた。
 「あ……っ」
 「警察の方が家宅捜索で見付けたと報告してくださいました。これも犯行で得たお金で得たものや、人から盗んだものである可能性が高いそうね」
 「……取り上げられなかったの」
 「そうという証拠はありませんから。でも残しておく必要はないわね。こんなものを売ってお金に換えて弁償をしなくても、ウチにはお金があるのですから」
 母親はカードのコレクションをそのまま部屋のゴミ箱に入れた。
 「なんでそんなことをするの?」
 「信夫ちゃんにはこんなものは必要ありません。良いですか? オモチャや余暇時間というのは、お勉強という大切な子供の務めを果たして与えられるものなのです。それを中学受験に落ちて、塾もサボって泥棒をして手に入れたようなものなのなら、取り上げられて当然なのよ。今はその理解と反省が出来ているかを判断する為のお話をしに来ました」
 「それだけは勘弁してよ。他は何だって言うことを聞く。だから……」
 「悪い子!」
 母親は蕪木の頬を張った。
 蕪木は立ち上がり、母親の腹を力一杯蹴り飛ばした。
 最早母親よりも蕪木の方が背が高く力も強かった。あっけなく吹き飛ばされた母親は尻餅を着いてうめいた。蕪木は目の前が真っ赤になって母親の肩を蹴り飛ばした。アタマを踏みつけ鼻血を噴出さ、蕪木同様に太った顔に掛けられた眼鏡を蹴り飛ばした。
 「何をするの!」
 母親は悲鳴をあげた。
 「うるさいババア! 俺からカードを返せ!」
 「誰に面倒を看て貰っていると思っているの? こんなことをしてタダじゃ済まないわよ! どこかの寺でも牢獄でもぶち込んでしまうことが出来るんだから!」
 「ここいいるよりはマシだ! 糞ったれ!」
 母親の口元を蹴り付けて減らず口を封じると、蕪木はゴミ箱の中からデッキとコレクションを取り出した。少ないスペースに隠せるよう厳選していたコレクションだったが、それでも一抱えある大きなストレージボックスに何とか収まるという量だった。
 蕪木はストレージとデッキを持って部屋を飛び出した。そして家からも飛び出して街を走り始めた。
 行く当てもなく目的もないただの現実逃避だったが最早自宅にいられはしなかった。すぐに体力が尽きた蕪木は息を吐きながら何でもない道路に座り込むと、藁にもすがる思いでスマートホンを取り出して電話を掛けた。
 「東間か?」
 「何すか蕪木さん?」
 「俺の金を寄越せ」
 「何すか蕪木さんの金って」
 「報酬だよ! ガラポンのコレクションを盗んだんだろうが!」
 「……いや前も言ったでしょうカードが捌けたら現金で分配するって。会場で計画と関係ないヘマをして捕まった間抜けな蕪木さんであったとしても、そこはちゃんと清算するつもりなんすから待っててくださいよ」
 「今すぐ寄越せ!」
 「はあ? 何を焦ってるんすか?」
 「俺には一刻も早く金が必要なんだ!」
 「…………そりゃまたどうして?」
 「家を出るんだよ! あんなところには俺はもう……」
 「絶対にやめて欲しいですね。中学生が家出なんかしてその資金はどこからなんて話になったら、一瞬で大金が探し当てられて俺らの方にまで捜査の手が伸びるんすから」
 「じゃあ俺はあの家にいるしかないのか? ふざけるな!」
 「そんなこと抜かすんなら蕪木さんには一銭も渡せないっすよ? バレない金の扱い方も出来ない警察の世話になるそれでボクらに迷惑掛けるってんじゃ、仲間としててんで落体っす。金は渡さす切れるのがこちらにとって利益になるっす」
 「俺の金だぞ!」
 「それを受け取りたいならバカなことは言わずバカな真似はしないことっすね。ボク自身の為にも金の隠し場所やら何やらはこっちで面倒看るっすから、ちょくちょく引き出して遊びに使うので満足しといてくださいよ。ただでさえ一回致命的なヘマしてるんすから、家出なんて目立つような真似するなら絶対に見つけ出して容赦なく」
 東間は声を低くするでもなく言い放った。
 「消すっすよ」
 それきり一方的に通話が切られた。
 蕪木はスマートホンを地面に叩き付けそうになった。
 突破口は失われた。いやそもそもこんなものは突破口でも何でもなかった。報酬が一千万だろうが二千万だろうが家出して一人で生きていく資金にはなりえなかった。だいたいそれでもし当分の間家の外に出て生きられたとしても、その後の人生はただ荒野をさ迷うような当てのない暮らしを余技なくされるのだ。そんな判断は愚かだと蕪木には分かってしまう。
 結局、蕪木はあの母親の元であの母親の支配を受けながら、子供時代を凌ぎきるしか残されていないのだ。右手の力はホタルこと刑事の絹川蛍子によって封じられたも同然だ。蕪木は最早この力を忌避している。使うことを恐れるようになってしまっている。そもそも外出も出来ないのでは逃げ場はどこにもない。唯一の財産であるこのデッキもコレクションも、奪われるのはもう時間の問題でしかないだろう。
 蕪木は絶望した。
 しかし家に帰るようなことは出来ず、ただ当てもなく街をさ迷い始めていた。

 〇

 気が付いたらホテルの廃墟を訪れていた。
 歩き回った蕪木は息を切らすようにして、デッキとストレージを持ったまま、コンクリート塀の低いところを乗り越えた。そして縋るような気持ちでガラスを踏みしめながら建物内に入り込んだ蕪木は、そこに期待した顔がいたことに安堵した。
 「あ。蕪木さぁん」
 ナイフで子犬を切り刻んでいたエロ本が、片手をあげて蕪木を迎えた。
 「もう来ないのかと思ってましたよぅ。学校でもお話出来なかったし……。またこうしてここで会えて嬉しいですぅ。今日はどうしますか? デッキとストレージの箱持って来てるんなら……また一緒にウィザコロの練習ですかねぇ?」
 蕪木はその無邪気な笑顔につい縋りつき、泣きじゃくりたい衝動に駆られた。幼子のようにエロ本に抱き着いて甘え喚き、苦しみの全てを受け止めて欲しかった。だがそれを出来ないだけの自制心は蕪木の中に残っていた。蕪木は自身が汗をかいていて激しい体臭に塗れていることを理解していた。エロ本は他の女共のようには蕪木に罵声を浴びせることはないだろうが、それでも身を震わせ怯え不快さに顔を捩らせるくらいのことはするだろうと思った。そうなったら蕪木の心は打ち砕かれてしまうに違いなかった。
 「……? どうしたんですか?」
 エロ本は血塗れの犬を放りだして蕪木に近付いた。そして背の低いところにある目線から蕪木の顔をじっと覗き込んだ。丸々とした大きな瞳で蕪木を見つめ続けると、何事か察したように不器用に頭に腕を回して来た。
 「……傷付いてるんですね」
 これまで他者から掛けられたことのないような優しい声だった。
 「あたし分かるんです自分がいつもつらい思いしてるから。この人今傷ついてるなぁつらいなぁっていうの。そういう顔してます今蕪木さん。いつものお礼に少しは慰めさせてください」
 「おまえに礼を言われるようなことなど何もないよ」
 「そんなことありません。いつも気に掛けてくれてます。今日だって倉坂さんを止めてくれました。あんなにはっきりと助けて貰ったの初めてなので、実は涙が出る程嬉しかったんです。後デッキをくれたりもしましたよね? お陰であたし楽しいっていう気持ちが人生で初めて分かりました。蕪木さんには見せられませんでしたが、あの後本選トーナメントを勝ち抜いて地区優勝して、回りから拍手された時あたしは、きっと世界で一番幸せでした」
 「…………」
 「蕪木さんが連れて行ってくれた予選でした。一緒に電車に乗ってくれたってだけじゃなくて、そもそもウィザーズコロシアムを自分で楽しめるようにしてくれたのが蕪木さんでした。練習相手にもなってくれました」
 「良いんだ。そんなことは。何でもないんだ」
 そもそもそれは蕪木の力じゃない。あのデッキはガラポンから奪ったものだった。蕪木が自分で手に入れて与えたものではなかった。そんなことで感謝される資格は蕪木にはなかった。
 「何があったんですか?」
 「家に帰れないんだ」
 「そうですか。それはつらいですね。なら蕪木さんが帰れない内は、あたしもここで一緒にいて良いですか?」
 エロ本は蕪木に回した両手の力を込めた。低い身長から腕を伸ばしているので、蕪木の醜い顔を自分の顔の近くまで抱き寄せる格好になる。間近に見るエロ本の顔は驚くほどに可憐であり蕪木はたじろぐようだった。その澄み渡った黒い瞳を見ているだけで、自らが卑小な存在であるかのように感じられた。
 「俺が臭くないのか?」
 「ないですよ」
 「気持ち悪くないのか? 俺の顔は不細工じゃないのか? 俺は汗まみれで腋臭だが本当に臭くないのか?」
 「クサいとかキモいとかそういうことを人に言われるつらさは分かってるつもりです」
 「言わないでくれるのか」
 「言いません。それにそういうのは人を傷つけるだけの言葉であって、事実とは関係なく放たれるものです。実際に蕪木さんが不細工かとかクサいかとかは、だから意味がないんです」
 「ありがとう」
 蕪木はその場に腰を下ろした。特に何も事態は解決していなかったが、この一瞬だけ蕪木の心は救われていた。何もかもをしくじって全てを失った蕪木にも味方はいた。その味方は献身的に蕪木を慰めてくれた。蕪木は喜びを感じていた。もし蕪木がエロ本に何かを与えることが出来ていたのだとしても、この一瞬だけでそのすべてが数倍になって返って来たように感じられた。
 「……遅くなったが、ウィザコロの地区大会、優勝おめでとう」
 「ありがとございます。本当に嬉しかったです。優勝賞品にプロモーション・カードが送られてきましたよ。二枚あるので一枚は蕪木さんにあげようと思ってます。夜見坂太一と鵜久森アズサ。好きな方を選んでください」
 エロ本は懐からデッキケースを取り出すと、スリーブに二枚のカードを示して来た。
 ウィザーズコロシアムのアニメの主人公とヒロインが描かれていたカードだった。それぞれのキャラクターが描かれたイラストの下のテキスト欄には、『優勝おめでとう。エロ本様』と描かれていた。テキスト欄に優勝者のPNが描かれて発送されるという計らいなのだ。
 「いいよ。俺が持っていても仕方がない」
 「売ればお金になるんじゃないですか?」
 「数十万にはなるだろうな。実質的には賞金のようなものだ。だが売るというならおまえがそうすれば良いじゃないか」
 「いやいやあたしは売るつもりないですよ。だいたい未成年だから自分では売れないですし。お母さんとかも売ろう売ろうって言って来るけど、あたしにはどうせ『今のあなたには大金過ぎるから』とか言って何千円かくれるだけで、残りは全部家計に入れるに違いないんですから」
 「それは嫌なのか?」
 「お母さんが楽になるならなーっていうのはないじゃないですけど、それ以上にこれはあたしの思い出なので。全額自分のお小遣いになるんだとしても売りません」
 「そんなものをどうして俺にくれるんだ?」
 「あたしが優勝できたのは、そもそもウィザコロを始められたのは、蕪木さんのお陰だからです」
 夜見坂太一のカードは夜の摩天楼が描かれていた。ネオンのきらめくコンクリート・ジャングルを背景に、自身もビルのテラスのような場所にいる太一が描かれている。背中を向けてテラスの柵の隙間に足を乗せ、身体を摩天楼に向けながら、太一は精悍な顔で後ろを振り返ってこちらを見ていた。足元にくくり付けられたモニターは、現実とコロシアム世界を繋ぐ為の媒介として、ヒロインの父親である忠之助博士に作られたものだ。
 鵜久森アズサのカードは父親のラボの一角の部屋で、窓際でコーヒーを飲んでいるものだった。窓の外からは太一と出会ったイチョウの木の他に、忠之助博士の自家用車が見えている。優し気な笑みを浮かべる黒髪のアズサは、ウィザーズコロシアムを愛好する全ての男達を虜にしていた。
 「どちらも大好きなキャラクターです。こういうカードがあるっていうのも知っていたので、ずっと憧れていました。でも自分が優勝をしたんだっていうことの思い出にするなら一枚あれば十分なので、片方はお礼の印に蕪木さんに渡したいです」
 「ダメだ。これは世界中でおまえのものにしかなりえないカードだ」
 「……そう仰いますか」
 「ああ。どうしてこんな大切なものを外に持って来たんだ?」
 「蕪木さんに見せたいなーって。自分が人生で一番幸せな瞬間を味わった思い出そのものですから。あんなことがあってその場にいなかった蕪木さんに、せめてこれだけは見て貰いたかったんです。……ごめんなさい」
 「何を謝るんだ? だが俺がここに来るとは言ってなかっただろう?」
 「来ないとも言ってなかったので。でも今日見せられたので明日からはちゃんとお家で仕舞っておこうと思います」
 「スリーブだけだと不十分だな。プラスチックのカードローダーにちゃんと入れておけ。俺は今無一文だから、おまえが自分で買うことになるが」
 「でもあたしも無一文で……。電車賃と参加料でもうお小遣いないですよぅ。まあ売るつもりないから多少傷付いても良いかなーって。真ん中から折れるとかは流石に悲しいですけど」
 「全国大会は出るのか? 六十四か所の会場で優勝したプレイヤー同士で頂点を決めるんだろう? おまえなら十分に可能性があると俺は思う」
 「いやぁ流石に会場まで飛行機の距離なのに、連れて行ってくれとお母さんに言うのはちょっと……。無理かなぁって。そんなお金どこにもないって言われそうというか、言われます。実際ないと思います」
 「二枚あるのは片方を売って旅費にする為じゃないか?」
 「そうなのかなぁ? でもなぁ……。どうしよっかなぁ……」
 エロ本がへどもどした表情を浮かべていた、その時だった。
 ガラスが踏みにじられる音が響いて蕪木とエロ本は顔を合わせた。
 この空間にエロ本と蕪木以外の者が入って来ることはかつてなかった。しかもエロ本の足元には尻尾と耳を切り取られ目玉を穿られた子犬がおり、相手が誰だとしても見付かったら穏当には済まない可能性があった。
 「あ……あわあわあわ」
 エロ本がカードを机に置いて犬を始末しようと持ち上げて、そのまま途方にくれた表情を浮かべた。隠す場所などどこにもなかった。とりあえず部屋の隅にでも放り投げておけば少しはマシだっただろうが、それを思い付かない内に招かれ去る客は蕪木達の前に現れた。
 「倉坂……」
 「やっぱりここにいたんだ。蕪木」
 倉坂は心配そうな表情で蕪木を一瞥してから、血塗れで微かに息をしているエロ本を睨み付けた。
 「どうしてここに来たんだ?」
 「お母さん心配してたよ? それに厳しくし過ぎたことちょっと反省してるみたいだった。これからどうするかじっくり話をしてくれるそうだから、帰りなよ。……っていうつもりだったけど」
 血走った倉坂の瞳には激しい怒りが滲んでいた。真っすぐ憎悪を放射されたエロ本は思わずすくみ上って後退りした。倉坂は大股でエロ本の元ににじり寄るとその手の中から死にかけの子犬を奪い取った。
 「……これあんたがやったの?」
 「違います……」
 「無理あるだろ!」
 倉坂はエロ本の顔面をグーで殴った。
 吹っ飛ばされたエロ本は涙を流しながらその場に転がった。蹲る柔らかい腹を倉坂は力一杯蹴り付ける。これまでに見たことのない単純で苛烈な暴力に蕪木は思わず鼻白んだ。
 髪の毛を引っ張り上げるようにして倉坂はエロ本を立たせた。かと思うとすぐに顔を殴り飛ばされ再びエロ本は床に沈んだ。エロ本の頭を倉坂は踏みつけ踏みにじった。苦しそうな顔をしてエロ本はうめき声を上げることしかできなかった。
 「おいやめろ倉坂!」
 「やめるかよ!」
 倉坂はエロ本の顔を踏みつけたまま、死にかけの子犬を抱き上げ蕪木の方に見せた。
 「ねぇどっちが痛いと思う? この子犬と足元の屑と、どっちがより痛い思いをしていると思う?」
 「たかが犬だ。そこまでするというのならそれは、おまえが正義を騙って自分の憂さを晴らしているだけだ。そんなことをしたってグリズリは戻って来ないと分かってくれ」
 「だったらなんなんだよ! わたしがどうだとしてもじゃあこいつのやることが許されるのかよ! 他の誰かがこいつを裁いてくれるんならそうするよ? でもしてくれないじゃん誰も!」
 倉坂はエロ本の頭に踵を叩き下ろした。
 「言いつけたよあたし色んなところにこいつのことを! 警察にも教師にもこいつの親にも! でも何度それで怒られたってこいつはへどもどするだけでまた同じことするんだ! 人を殺したら施設に行くけど、動物を殺しても誰もこいつをどこにも追いやってくれやしない! だったらあたしが殴ってでも躾けるしか方法はないだろ!」
 倉坂の踵が鼻にぶつかってエロ本は鼻血を出した。端正な顔立ちは血と涙で酷いことになっていた。そこに容赦せず倉坂はエロ本を踏みつけ、蹴り続けた。
 「なんだよたかが犬ってさ! 弱い者いじめをしているのはどっち? 憂さを晴らす為に何かを傷付けているのは、いったいどっちなのよ? 別にあたしみたいにこいつを殴れとは言わないよ? でもさ! 見ていて止めないあんたのことは、わたしは本当に許せないんだ!」
 蕪木は倉坂ににじり寄りその胸を突き飛ばした。ウェイトと腕力には大きな差があり倉坂はあっけなくそれで尻餅を着いて床を転がった。倉坂の腕から死にかけの子犬が零れ落ちて床を転がった。
 睨み付ける倉坂の視線を、蕪木はまともに見てはいられない。それほど倉坂は般若の表情を浮かべていた。煮詰められた憎悪がこちらに向けられるのを蕪木は恐れていた。
 「なんで止めないの? ねぇ? どうして?」
 「……俺にこいつを裁く権利はない」
 「何それ?」
 「俺は掏りだ。誰かが積み上げ手にしたものを掏り取る醜悪でちんけな生き物だ。そんな奴がいったい誰を裁く権利がある? 誰を咎める権利がある? 人のことを言える道理は俺にはないよ。だからこいつにも好き放題やらせていたし、こいつだって俺のことを咎めて来なかった」
 「……何それ?」
 「俺達はそれで良いんだ。それで良かったんだ。救われていたんだよ」
 「本当に気色悪いんだけど? 心から軽蔑する」
 「おまえこそどうなんだ? 胸を張って人に折檻できる身の上なのか? 過不足ない正しい罰を与えられる程利巧でたいそうなのか? そうじゃないからおまえはただの醜悪ないじめっ子なんだろう。おまえにエロ本を踏みにじる権利はどこにもないよ」
 「…………聖人君主以外人を責めちゃダメなんだったら、誰も誰のことも正せないよ」
 倉坂は立ち上がった。そして精悍な瞳で蕪木を睨んだ。
 「ねえ蕪木、あんたは人を裁くとか正すとか、そういうことを高尚なことのように考えすぎだ。自分のこと棚に上げて気に入らないものや嫌いな奴を蹴飛ばし合って、殴って殴られて殴られ過ぎた奴が沈んで淘汰されて行くのが世の中なんでしょ? そうすればあまり叩かれないまともな奴が割合多く生き残って行って、少しは快適な世の中が出来上がっていく。そういうもんでしょ?」
 睥睨され蕪木は口を結んだ。言い返したいことは山ほどありそうだったが上手く言葉に出来なかった。倉坂自身は何も正しくなかったが、それ以上に蕪木自身の考えや在り方が間違っていることを蕪木は感じていた。何を言っても退けられるのは明らかだった。
 「もちろん嫌な奴でも強ければ生き残ったり、理不尽に嫌われた弱者が踏みつぶされることもあるけれど。そんなのはある程度しょうがないし、そもそも蕪木とか吉本とかは、そのどっちでもないもんね」
 「……それだと殴られた方の吉本だって抵抗して良い理屈になるぞ」
 「そうだよ? でもこいつは殴り返して来ないんだ。それは別に良いよそういう奴もいるから。そしてこいつは殴られるようなことをやめようとしない。そっちはそっちでまあ良いよそういう奴もいるかもしれない。でもどっちもだっていうんじゃね? ……立てなくなるまで叩きのめされて当然だと思わない?」
 倉坂は堂々とした足取りで蕪木の隣を通り抜けた。そしてテーブルに置かれたエロ本のデッキケースと、優勝賞品である夜見坂太一と鵜久森アズサの二枚のカードを拾い上げた。
 「これなに?」
 「……おまえには関係ない」
 「握りつぶして良いの? ここの犬をいじめた時の血だまりの中に放り込むのは?」
 「やめろ!」
 「昔っからカードを傷められるのは本当神経質な程に嫌がるよね? 犬が殺されるのはほっとく癖に自分のオモチャは大切なんだから笑えるよ」
 「とてもおまえには賠償できない金額なんだ。傷つけるのはやめておけ。洒落にならない」
 「良くこんなくだらないものに値段が付くよね? こんな紙切れあたしが盗む訳ないのに。こんな紙切れの為に娘をあんなに疑って締め上げて傷つけて、本当にバカみたい」
 「……それだけは。それだけは勘弁してください」
 全身を痣だらけにしたエロ本が、這いずるようにして倉坂に懇願した。
 「あら? 優しいのねエロ本。蕪木のカードがそんなに大事?」
 「それはあたしのカードです」
 「あ?」
 「地区大会で優勝して……それで手に入れたカードなんです。一生の思い出です。殴っても蹴っても良いのでそれだけはどうか勘弁してください」
 「……あんたバカだよ」
 倉坂はあっけなく、優勝賞品の二枚のカードをへし折り握りつぶした。
 「あ……」
 「なんで自分のカードだってこと、自分の大切な持ち物だってこと、言っちゃうかな? このまま蕪木のだと思い込ませたままにしとけば何もしなかったのに。蕪木だってそのつもりでいたんだろうに。本当に愚かだよ」
 倉坂は二枚のカードを握りつぶし、ただの紙の塊に追いやった。球体と化したそれを倉坂は手のひらで弄びながら、嗜虐の表情でエロ本を見下ろしていた。
 「や……やめてっ」
 「やめてって、これもうぐしゃぐしゃでしょ一文の価値もないわ。ざまぁないね」
 「それでも良いから返して!」
 エロ本は喚きながら立ち上がって倉坂の方に駆け寄って、紙の塊となったカードを掴もうと手を伸ばした。あっけなく足を掛けられて転ばされエロ本は床に転がった。
 「こんなになっても返して欲しいの? バカみたい」
 倉坂は丸められたカードを懐に仕舞い込んだ。
 「後でドブ川にでも捨てといてあげるわ。どこに捨てたかは教えないから、自力で頑張って探してね」
 「なんで……こんな……」
 エロ本はボロボロと大粒の涙を流し両手を握った。これまでのどのエロ本の涙よりも、深い悲しみに満ちた涙だった。
 「…………ものを壊されるだけでこんなに悲しいのなら、大切な生き物を殺されるのは、どんな気分だと思う?」
 倉坂は気持ちが収まりきらない様子で、今度はエロ本のデッキケースから、二十八枚のデッキの束を取り出した。
 「あんたか感じてる哀しみの比じゃないよ? それは分かってる? 分からないならわたしもあんたに同情なんかしない。やり過ぎたなんて思わない。あんたが本気で反省して動物を殺すのをやめるまで、あたしはあんたを蹴っ飛ばすし殴るし持ってるお金もオモチャも奪い続ける。あんたはそれをとっとと理解しなきゃいけない」
 倉坂はデッキの束を両手に掴んだ。
 「……これだけあるとまとめて握りつぶすのは無理かな? 一枚一枚あんたの目の前で紙のつぶてに変えようか? そんであんたはそれを一枚一枚食べていくのね? うん決めた。それが良い。そうしよ……」
 エロ本は倉坂に銃口を向けていた。
 何が何だか分からなかった。見るとエロ本の鞄が開いているのが見えた。エロ本はどうやらその拳銃を鞄から取り出したらしかった。拳銃は蕪木が公園に捨てたはずの見覚えのあるものだったが、エロ本はそれを後からゴミ箱から漁っておいたようだった。東間から奪ったそれは実銃であり、もし暴発すれば倉坂の命を奪う可能性があった。
 「は? 何それモデルガン? あんた本当にオモチャ好きね」
 「デッキを返せ!」
 「やだよ返さないに決まってんじゃん。あんたが返して欲しがれば欲しがる程ね? 当たり前じゃない」
 「それは蕪木さんから貰ったんだ。宝物なんだ……それのお陰であたしは、あたしは……っ」
 「……無理だよ。人の一番大事なもの奪っといて自分は奪われずに済むなんてはずがないもの。恨むなら自分の過去の行いを恨みな?」
 倉坂はカードの内の一枚を手にし、握りつぶす為に力を籠めようとする。
 銃を握るエロ本の指先が震えた。
 「やめろっ!」
 蕪木は叫んだ。
 発砲音がした。
 倉坂はアタマから鮮血を迸らせながら吹っ飛んで床に転がった。手から零れ落ちたカードが宙をなびきながら、広い面積に散らばって行く。目を閉じた倉坂は仰向けに倒れ、そこに弾丸が命中したことを示すように、額の一点から流れる血で顔を汚し頭の周囲に血だまりを作っていた。
 エロ本は半ば恐慌状態で床に落ちたデッキに駆け寄った。そして散らばったカードを一枚一枚拾い集め、それが全て揃っていることを確認すると、気が触れたとしか思えないような声で言った。
 「良かったぁ……良かったぁ! えへ……えへへへ!」
 カードをケースに仕舞い込んだエロ本は、引き攣った顔で蕪木の方を見た。
 「だってこれは蕪木さんから貰った大切な……大切な……」
 蕪木は思わずその場で腰を抜かして、顔面を蒼白にして言った。
 「いったいどうなるんだ。俺達……」
 床に投げ出された脚が震え続けている。仰向けに倒れ血を流し続けている倉坂を視界に入れながら、蕪木は気が遠くなりそうな心地を感じていた。

 〇

 やがて平静を取り戻したエロ本は、銃で撃たれて倒れている倉坂を見て再度錯乱した。
 「あたしいったいどうなるっていうんですか? 刑務所ですか死刑ですか? 人殺したんだからただじゃ済まないですよね? わわわ……っ、絞首刑はやだよぉおお!」
 「そこまではなりはしない。おまえは十三歳だから、支援施設というところに行くだけだ」
 とは言えそれはタダで済むというのとはかけ離れていた。社会的な制裁や賠償はもちろんのこと、自分が人を殺したのだという重圧からは、さしものエロ本であっても逃れることは出来ないだろうと思われた。
 「…………おまわりさんのところに電話しなくちゃいけないんですかね?」
 エロ本は青白い顔をしつつも、徐々にだが状況を理解しつつあるようだった。
 「……それでそのナントカ施設とかいうのに行って、それで罪を償うみたいな感じですか? ……悪い子が一杯来るところだから、あたしきっと絶対いじめられますよね?」
 「そうかもしれんが……」
 「倉坂さんあたしのこと呪いますよね? 化けて出ますよね? 人一人殺したんですもんねそれは大変なことですよ? わ……わぁあああ! なんでなんで! なんでこんなことに!」
 髪の毛を掻き毟りながらエロ本は慟哭しながら喚いた。
 「それも全部この人が悪いんですよ! あたし何にも悪くないんですよ! 毎日毎日あれだけ酷い目にあって、最後の最後あんなことまでされたら、あたしじゃなくてもこうなりますよ! おかしいんですよあたし一人が破滅するのは! 倉坂さんも一緒に地獄に落ちるべきなんです! ……うぅう……うわぁああああん!」
 そして幼い子供のように泣きじゃくるエロ本。蕪木はまた眩暈のような気分を味わった。最早何が夢で現実なのかも分からなかった。自分がどこにいるのかも分からない。ただ天井が落ちて来るような恐怖と混乱を味わっていた。
 「……吉本」
 「なんですか蕪木さん?」
 「おまえ、あの拳銃どうしたんだ?」
 「……蕪木さんが捨てたゴミ箱から拾っておきました。……ごめんなさい」
 「なんでそんなことをした?」
 「だって……だってあたし弱いし、あんなものでもないと何も出来ないし……。持ってたところで撃つことなんてないだろうけど、でもその気になれば反撃出来る道具があるっていうだけで、倉坂さんからのいじめをもう少しマシな気持ちでやり過ごせるかなーみたいな。それで毎日鞄に入れて持ち歩いてたんですけど……さっき『うわー』ってなって思わずそれを本当に撃っちゃって……」
 倉坂からの日々の虐待に、エロ本は相当に追い込まれていたようだ。何も拳銃を使った復讐を決意していた訳ではないのだろう。心を守る術として、いざという時相手に立ち向かう力をエロ本は必要としていたのだ。
 エロ本の認識では、それは使われるはずのない虚構の力に過ぎなかった。ただ持っているだけで微かに勇気らしきものを得られるだけの代物のつもりだった。しかしそれは仮初にも銃であり弾が入っていて、弾が入っている以上はそれが放たれることはいつでもあり得た。そしてその最悪がついさっき起きたのだ。
 「あたし捕まりたくない! 散々いじめられた挙句倉坂さんなんかの死の為に施設に行くの嫌だ! 助けてくださいよ。誰か……誰でも良い……。蕪木さん……蕪木さぁん……!」
 そして蕪木の方に縋りついて来て、子供のようにわんわん泣き始めるエロ本。髪の匂いと柔らかな体温が蕪木に圧し掛かる。甘ったれと弱さ幼さを剥きだしにしたその様子に、蕪木は思わず哀れみを感じていた。拳銃を持ち歩いたこともそれを撃ったこともエロ本自身の行いだったが、そうと切り捨てるには蕪木はエロ本に情を持ち過ぎていた。
 「…………何とかなるかもしれない」
 蕪木は言った。
 「……え?」
 エロ本は思わずと言った様子で顔をあげた。
 「蕪木さん……それ本当に……どうすれば?」 
 「頼れる奴がいる。ちょっと待ってくれ」
 蕪木は懐からスマートホンを取り出すと、先ほどと同じ番号に電話を掛けた。
 「……何すか?」
 「東間か? 俺の報酬のことなのだが……」
 「またその話ですか? 早く寄越せってんなら切りますよ?」
 「違う。その逆だ。一文もいらない、全部おまえにくれてやるという話をしに電話を掛けた」
 東間は絶句した様子で一瞬黙り込むと、すぐに飄々とした声に戻って蕪木に話し掛けた。
 「……どういうつもりですか?」
 「俺の報酬はゼロで良い。ゼロで良いから……助けて欲しい奴がいるんだ。おまえにも決して無関係な話じゃないはずだ」
 「……それは誰で、どういう状況っすか?」
 「助けて欲しいのは吉本という女なんだが……」
 「ヨシモト? ひょっとしてキチの字にホンで……、ああ。最近カード屋に一緒に来るあのカードの強い可愛い子ですか。吉本でエロ本ね。酷いPNだなぁ」
 「そいつが銃で人を撃ってしまった」
 「はあ?」
 「おまえから掏った銃だ。俺は捨てたが、その吉本がゴミ箱から掘り出して持ち歩いてしまっていた。それで倉坂というクラスメイトの女を撃った。ガラポンの娘だ」
 「……バカなんですかその子は?」
 東間は心底からげんなりした声色を発した。
 「場所はパチンコ屋の廃墟だから誰にも見られていない。おまえの力で、どうにか死体を片付けて隠蔽出来ないか?」
 「…………本当に蕪木さんの報酬はゼロで良いんすね?」
 「ああ。だから助けてやってくれ」
 「良いっすよ。そっちの言う通り、ボクにも無関係な話じゃない。というか大いに関係する。死体から銃弾が見付かれば、線条痕でボクが持ってた拳銃ってことはバレるんすから。助けてあげます。大船に乗ったつもりでいてください」
 「恩に切る」
 「迷惑料は貰うんすからそれほど恩に切らなくて良いっす。証拠隠滅の専門家のポチ子ちゃん連れて来るんで、そのままそこで待っててください」
 「助かる」
 「あと当たり前ですが拳銃は返して貰います。ではでは」
 怒られるか、或いは蕪木が提示する以上の対価を求められるかと思ったが、意外なことに東間はにこやかな声でそう通話を締めくくった。蕪木は安堵の息を吐いた。

 〇

 自動車が停車する音が建物の外でした。電話が鳴る。
 「これどこから入れば良いんすか?」
 「北側の鉄壁の隅の方に、背が低くなっている個所が一つある。十分に乗り越えられる高さだから、そこから入って来てくれ」
 すぐに東間とポチ子が建物の中に入って来た。ポチ子は血を流す倉坂を見て現場の状況を確認すると、「うっわ面倒臭ぇ」と悪態を吐いた。
 「おい蕪木! おまえ何してくれとんか! 不細工で体臭エグくてその上ヘマして迷惑かけるとか、おまえに何の価値があるんだ蕪木! どうなっとんだーっ!」
 蕪木は何も言えずに正面から悪態をやり過ごすしかなかった。ポチ子は傍らで怯えた表情で蕪木の腕を掴んでいるエロ本に気付き、すぐ近くでその顔を睥睨して甲高い声で言った。
 「そんでこいつ、ムカつくな!」
 「え? ……え?」
 「なんちゅう綺麗な顔だよ! その癖これはアホの顔でもある! 最悪じゃないんかこんなん! 綺麗な顔の上アホとかあーしが一番ムカつく奴じゃんかよぉ吉本ぉ! 吉本ぉおおぁあああ!」
 「え……あの、ごめんなさい」
 「それに顔痣塗れの鼻血塗れじゃんか! 大方そこの倒れてる女にいじめられてでもいたんだろ? バカだからなー。バカな奴はだいたいいじめられるんだあーしもそうだった。でもいじめる方もバカだなー。なーんで反撃されてんだよほんのささやかな逃げ場くらい作っとかんか! 本気で追い込んだらネズミでも反撃して来るって相場が決まっとんのにあーしの時もそうだった。生かさず殺さずが基本なんだよこういうのは! 簡単なことなのに……アホだアホだ!」
 「…………ポチ子ちゃん。言いたいこと色々あるのは分かるんすけど、そろそろ仕事初めねっすか?」
 東間が困ったような声で言いながら、床に落ちている拳銃を拾って自分の懐に入れた。
 「嫌だ嫌だ面倒臭い! なんであーしがこんな糞面倒な仕事せんとあかんの! 遊んでたい怠けてたいしんどいしんどい。うぅうううう……ヴァァアアアアアア!」
 「じゃあポチ子ちゃんはお金いらないんすね?」
 「いっっっっっる!」
 そう言ってポチ子は持って来た鞄から大量の薬品と、見たこともないような掃除器具とも付かない物品を取り出し、床に並べ始めた。
 「何が始まるんだ?」
 蕪木は言った。
 「だから、証拠隠滅のプロの仕事っすよ。準備に時間かかるからボクらは待機っす。今すぐ車の方に……」
 ポチ子はやけに分厚いビニールで出来た四角形の袋を三つ取り出した。それは広げると幅は一メートル高さは一メートル五十センチ以上あり、人体くらいなら簡単に中に押し込んでしまえそうだった。そしてその中に瓶に入った薬品を一つ一つ順を追って投入して行く。カチャカチャと音を立てながら何事か作業を進めるポチ子の手つきは熟練して見えた。
 「ちょっと……」
 東間は焦った表情でポチ子に声を掛けたが、ポチ子は面倒臭そうな顔で首を横に振るって東間の方をけだるげに見詰めた。
 「それ出すのはまだなんじゃないっすか?」
 「文句あっか? 良いだろどうでも。どうせそいつらバカなんだから何も分かんないよ」
 「やることやってから出すべきっすよ」
 「先準備だろどう考えても! これ以上現場汚すことないだろ! っていうか……」
 ポチ子は忌まわし気な顔で倒れている倉坂を蹴飛ばし、それから蕪木の方を睨んだ。
 「こいつ、生きてるんだけど」
 蕪木は震え上がり、エロ本と顔を見合わせてからポチ子に言った。
 「そんなはずはない。何故なら弾丸は額に命中したのだ。見ての通り出血も多量だ。生きているはずが……」
 「アホなんか? 額撃ったところで絶対死ぬんと違うことなんて世の常識だぞ! むしろ生き残る可能性の方が遥かに高いぞ?」
 「そうなのか?」
 「何? なになになになにあーしもバカだけど、おまえはそれを上回るバカか? ワザップとか信じてた口じゃね? じゃねじゃね? なぞのばしょで一生閉じ込められてね?」
 倉坂はアタマから大量の出血をしながら目を閉じて横たわっていた。近付いてみないと良く分からないが、息もしているように見えなかったし身体は微動だにしていなかった。しかし心臓を触ったり呼吸を確かめたりした訳ではないので、死んでいるという確証がなかったことも確かだった。
 「ポチ子ちゃん、ワザップは今の子分かんないっすよ」
 東間が突っ込みを入れた。
 「あーしだって十八だしピチピチギャルだし」
 「ピチピチギャルも下手すりゃ分かんないすよ」
 「うるせ! なあ蕪木おまえさぁ。頭蓋骨ってさあおまえらが思ってる何倍も分厚くて頑丈なんだよね? それにこの出血は単に頭皮の血管が裂けてるだけで、そもそもアタマの上の方っていうのは全身でも特別血が流れやすい場所なんだわ。おまえらがビビってるだけで実際大した出血量でもないし、普通に息あるし全然自分で目ぇ閉じてるし……。で。どうすんの、これ?」
 「どうするとは?」
 「誰が殺すの?」
 胃の腑が引きちぎられるような緊張を蕪木は思えた。
 東間が気だるげに、自分のこめかみに指を突き付けながら言った。
 「誰がって……死体の始末はポチ子ちゃんの仕事なんだから、ポチ子ちゃんがやって欲しいっすよ」
 「は? おまえもバカか?」
 「何かおかしなこと言ってるすか?」
 「あーし十八、おまえ十五、おまえが殺せよ!」
 ポチ子は激しい声で吠えた。
 「……今更でしょ? ポチ子ちゃん今まで何人殺してると思うんすか?」
 「そーれーはぁああ! 今まで未成年だったからでぇええええ! あーしこないだ十八歳のお誕生日だったじゃないケーキ買ってプレゼントに車までくれたじゃん! 新成人なんだよだから免許取れたんだろ? だーかーらー……今殺したら死刑になーるーのぉおおお!」
 そう言って激しく地団駄をする。床が軋む音が廃墟中に響き渡り蕪木は思わず眩暈がしそうだった。地団駄は十数回に渡って続けられ蕪木は頭痛がしそうだった。
 「……分かったすよ。ボクがやれば良いんでしょう?」
 東間は先ほど地面から拾った拳銃を懐から取り出して、倉坂の方ににじり寄った。
 「おい冗談だろ? 殺すのはまだ先だって」
 「そうなんすか?」
 「そうだよ良く考えろ。準備出来てからっつってんだろ。つかなんで拳銃使うんだよ。それじゃ確実に殺せないって話しただろ。こっち使えよ、こっち」
 ポチ子は東間の方に大振りのナイフを差し出した。
 「……それは流石に気が重いっすね」
 「るせーよ根性なし。やれよ、やれ。だいたいこんなことでいちいち弾ぁ使ってたらすぐなくなるぞ? ただでさえそこのゲロ女が一発既に使ってるんだから」
 「……まあそっすけど。分かりましたよ。ナイフ借りますからどこ刺したら良いか教えてくんないすか? 何事にも初めてはあるんすから優しくレクチャーしてくださいよ」
 「そんなんしたら共同正犯なるじゃん」
 「今更すよ」
 「童貞に一から教えてやんなきゃいけないって訳? あー嫌だ嫌だ」
 「文句あるなら自分でやってくださいよ。ポチ子ちゃんどうせ倫理観もあそこもガバガバのヤリマンなんだから、どうせその内また殺しますって」
 「あーそーこーはー、ガバってなぁあああい!」
 「ちょっと待て」
 蕪木が口を挟んだ。
 「倉坂はまだ生きているんだろう?」
 「生きてるっすね」
 東間は拳銃を懐に仕舞いながらこともなげに言った。
 「本当にトドメを刺すのか?」
 「あ? 何言ってるんすか?」
 心底からあきれ返った表情で、東間はエロ本の方を指さして言った。
 「その女の子助けたいんじゃなかったんすか?」
 「倉坂は生きているんだろう? それなら話は違って来る。一命を取り留めたというのなら、処分もその後の人生も全く違って来る。おまえらだって死体の後始末をするのとトドメを刺すのとではまるで意味が違うはずだ」
 「違わないっすね。どの道この事態が露見したらボクらだってどの道破滅。一生冷や飯は確定的っす。そうなるくらいなら多少リスクを負ってでもこの倉坂とかいう女を殺して、死体を始末した方が百倍マシっす」
 「人を殺すんだぞ? 分かっているのか!」
 「そっちの方こそ状況分かってんすか? バカだバカだと思ってたっすけど、本当にバカなんすね蕪木さん。こりゃ海鳴に落ちるのも納得っすね。勉強は多少してても現実はまるで見えちゃいない」
 東間は軽くため息を吐いた。
 「今ならまだ踏みとどまれるっていうのは蕪木さん達の話すよ。ボクらはもうそういうラインはとっくの昔にぶっちぎっちまってるんだ。これは蕪木さんとその女の問題じゃないんす。ボクらを呼んじゃった時点で全部ボクらに委ねるしかないんすから、大人しくしててください」
 「ダメだ! 倉坂は殺させない」
 蕪木は倒れる倉坂と東間の間に入った。
 「…………本気で言ってます?」
 「吉本! おまえは逃げておけ」 
 「え? ……え……へ?」
 蕪木が叫ぶとエロ本は目を丸くして、あたりに頼りなさげな視線をさ迷わせた。
 「な……なんでですか? これどうなるんですか? 倉坂さん生きてるんですねそれは良かったです。でもどうしてあたしが逃げるとかそういう話になるんですか?」
 「こいつらはおまえのことも殺すつもりだ! 早く逃げろ! 助けを呼んで来るんだ!」
 その後の行動は東間が一番早かった。何が何だか分からないと言った表情のまま、とにかく言う通りに逃げようとするエロ本に、東間は蕪木の脇を抜けて襲い掛かった。そしてあっけなく追い付いてその場に組み伏せ、腕をねじ上げて悲鳴をあげさせる。
 「きゃ……きゃあ! 痛い痛い! やめてっ」
 「やめる訳ないっすよ。……いつから気付いてたんすか?」
 東間は眉を潜めて蕪木を睥睨した。そして見たことも無いほど冷酷な表情と、鉛のように重く威圧感のある低い声で蕪木に問うた。
 「……その女が取り出して何やら準備している分厚いビニールの袋、それは死体を始末する為の袋じゃないのか?」
 「だったら何なんすか?」
 「何故三つあるんだ?」
 「…………まあ気付くっすよね。それに気付かない程のバカだったら流石にちょっと引くっすけど」
 東間はやれやれと首を横に振った。
 「その通りっす。そのビニールの中に必要な薬品全部入れて、密閉してシェイクしてから死体を放り込むと、良い感じに溶けてコンパクトになるんすよ。息がある内に放り込んで万一中で暴れられて、袋が裂けたりしたら最悪なことになるんで、先に殺しとかなきゃなんないんすけどね」
 「何故俺達を殺そうとする?」
 「口を封じる為っすよ。どうせあんたらバカでガキなんすから、その内罪の意識にでも苛まれてママに全部吐いちゃうとかもありえるんでしょ? 蕪木さんはギリ信用することにしましたが、そっちの女の子はちょっと無理っすね。残せるリスクじゃないと思ったんで始末することにした訳なんす」
 両手を晒して大きくため息を吐いた東間は、ポチ子の方を不満げな顔で見た。
 「ポチ子ちゃんが迂闊なことするから悪いんすよ? だからそれ準備したのは殺した後にしようって言ったじゃないすか」
 「おまえがその二人の息の根を止めるのにどれだけ待てば良いと思ってんだよ! あーし待つのは嫌いなんだよ!」
 「準備済んでから殺せとか言ったのはポチ子ちゃんの癖に」
 「しゃあねえだろ! 殺してちょっと置いといたら全身ガッチガチに固まって動かなくなるの! 殺してすぐの柔らかい状態で放り込めないとバラバラに解体する羽目になるんだかから! 準備が先に決まってるんだよ!」
 「死後硬直まで何時間かかるか分かってんすか? 最低2、3時間っすよ」
 「え? そうなの?」
 「そうっすよ。だから正直、先に準備しなきゃいけないとか言ってるポチ子ちゃんが、何を考えてんのかボクは良く分からなかったっす」
 「なんだぁそれ早く言えよ! ぁあああああ! んがぁああああああああ!」
 ポチ子は激しく地団駄を踏んで廃墟全体を震わせた。東間は目を閉じて首を横に振った。
 「……専門家の意見だから従った方が良いとか思っちまったのは良くなかったっすね。これからはちゃんと何でも相談しながらやりましょう。何なら、ここに来るまでの間にもっと段取り組んどくべきだったっす」
 「そうだよおまえが悪いんだろ! こういう時はなんていうんだ? あ? おおん? おおおおおおん?」
 「ごめんね」
 「いいよ。あーしも死体の始末はこれが二回目だから勝手分かんなくて。ごめんね」
 妙にしおらしい態度でポチ子は言った。
 結局のところこいつらも、蕪木達と同じ未成年であり、僅かにだが隙はあるようだった。特にポチ子は迂闊であり蕪木に気付きを与える決定打となるポカをした。それでも蕪木とは比べ物にならない悪党達には違いなかったが、ところどころにやはり綻びがある。
 出し抜ける。
 生きる為には出し抜かねばならない。
 倉坂とエロ本を助け出さなければならない。
 勝つのだ。ポチ子と東間に。海鳴に通うこの二人に、蕪木は勝のだ。
 「……で、蕪木さんは見事にボクらの計画を看破した訳ですけど、それでどうするんすか?」
 「……どうするとは?」
 「ボクらからどうやって逃げるつもりなんすか? こっちのエロ本ちゃんはこの通りボクに組み上げられてる状態っす。一人で逃げるって言うなら、容赦なく背中を撃ちますよ?」
 「どうやって撃つというんだ? 銃もないのに」
 「……? 何を言って」
 東間はエロ本の腕を締め上げているのとは別の腕で、自分の懐を弄った。
 そしてそこに銃がないことに気付いた。
 「あれ?」
 蕪木は東間に拳銃を向けた。
 東間は目を丸くしていた。しかし動じることはなく、飄々とした表情のまま首を軽く左右に捻ると、肩を軽く竦めてから蕪木の視線を正面から受けとめた。
 「掏ったんすか?」
 「その通りだ」
 「それはいつ?」
 「おまえが吉本に飛び掛かる時だ。俺の脇を通ればそうなるに決まっているだろう。迂闊だったな」
 「……確かに酷い腋臭がむわっと香ったっすね。蕪木さんを相手にするならそれが危険信号か。ニオイがした瞬間に何か盗られるってのは認識しとくべきでした」 
 「何やってんだよおまえぇええ! ふざけるな晋太郎何の為の参謀役だぁああ!」
 ポチ子が吠え叫び地団駄を踏んだ。
 「手をあげて壁に背中を付けろ東間! ポチ子! おまえもだ!」
 命令する蕪木にポチ子は青い顔をした。雑多な薬品や器具の前から立ち上がり、震えながら壁際に向けて歩いた。
 「撃たないでよ……マジで。撃たないで」
 「言う通りにするなら撃つつもりはない」
 「謝るから……散々悪口言ったの謝るから。蕪木様はまったく臭くないですし不細工じゃないですしキショくないです。何でも言うこと聞きます一生涯。あーしはあなたの端女です。だからお願いです命だけは助けて助けて!」
 歯を打ち鳴らしながら壁に背を預け、両手をあげるポチ子。
 銃を向けるだけであっけなく降参するその様子は、気の弱い少女のようにしか見えなかった。何らかの理由で気が触れてはいるが、本来は臆病で何も出来ない性格なのだろう。証拠隠滅に関して何か常識を超えた技術を持ってはいるが、それだけだ。
 問題はやはり東間の方だった。東間は人を食ったような表情のまま、エロ本の腕を掴み上げて蕪木の方をにやにやと見詰めている。
 「おまえもだ東間!」
 「嫌っすねぇ」
 「言う通りにしないと撃つぞ?」
 「は? 撃てるんすか根性なしの蕪木さんに。無理っすよね? 撃てるんだったらもうとっくに撃ってるはずなんすから、底は知れてるっすよ」
 「これ以上言うことを聞かないなら本当に撃つ!」
 「またまたそんなこと言っちゃってぇ。……撃てませんって蕪木さんには。ほら、その証拠に」
 東間は掴み上げていたエロ本の腕を大きく捻じ曲げた。
 「こんなことをしても蕪木さんは何も出来ない」
 パンっ! と鋭い音が響いて蕪木の鼓膜を揺さぶった。
 何か硬いものが折れる音だった。エロ本が悲鳴をあげて、おかしな方向に曲がった腕をだらりと床に投げ出した。蕪木はその生々しい音に怖気を奮いそうになった。人間の身体の中には骨がありそれは硬くへし折ると相応の音がする。その当たり前のことを実感し蕪木は自分の腕が折られたような衝撃を覚えていた。
 「ぎゃああああっ!」
 エロ本は悲鳴をあげながらその場をのたうった。と言っても暴れる力はどこにもなくただ涙を流しながら力なく悶えるだけだった。そんなエロ本のことを興味を失くしたかのように離して立ち上がると、東間は落ち着いた足取りで一歩ずつ蕪木に近付いて行った。
 「……腕を折ったら人間走れなくなるんすよ。腕が振れないすからね。これで君のガールフレンドは逃げられません」
 「貴様……貴様ぁ!」
 「怒ってるんなら撃てば良いんすよ。ほれほれ、近付いてあげますよー。蕪木さん絶対下手っぴですけどそれでもこのくらいの距離だったら大丈夫じゃないんすかぁ? ほらほらぁ……」
 挑発するようにおちょ来るように、東間は蕪木の目を見ながら近づいて来る。東間は完全に蕪木の銃を恐れていなかった。脅しが通用しない事実を東間は蕪木に明確に突き付けていて、それに動揺するあまり蕪木は完全に呑まれてしまうようだった。それが相手の手管だと分かっていてもどうにもならない。精神力で上回られているこの状況で、銃を撃つなどという度胸のいることを蕪木に出来る訳がない。
 「や、やめろっ! 来るな。これ以上近付くなら……」
 「撃つっていうんすか? 良いっすよ止まってやるっす。これ以上追い込んだらそれこそ窮鼠猫噛むだ。でもその代わりそっちも銃を降ろすんすよ。そんなん向けられたら話し合い糞もないっすからね」
 「おまえと何を話し合うことがあるんだ!」
 「さっきも言いましたけど、ボクらは別に蕪木さんのことなら信頼してるんす。今ボクから拳銃を掏って見せた力のことも有用に感じてます。今日起きたこと今日死んだ奴のこと全部黙ってボクらの仲間になるんなら、蕪木さんのことは生かして仲間にしてあげます」
 「そんな甘言に乗ると思うか!」
 「本当っすよ? 蕪木さんとは一緒にガラポンさんのカード盗んだ仲間同士じゃないっすか。長い付き合いにしていくつもりはあったんすよ?」
 「ならば何故俺を殺そうとした!」
 「そりゃあエロ本ちゃん殺すなんて蕪木さんに言えそうにないっすからねぇ。どうせ怒り出すだろうし、だったらしゃあなし蕪木さんのことも諦めようかなって。でも蕪木さんだってここでボクと殺し合うくらいだったら、一緒にエロ本ちゃん殺して仲間になった方が良いって分からるっすよね?」
 「何が殺し合いだ! 銃はこっちにあるんだ! 一方的にこっちが殺せる状況だと分からないのか!」
 「一発で当てられるならね。でもそんな保証どこにあるんすか? どうせ下手糞なんだから外す可能性のが高いっすよ。そうなったら次に引き金引くまでの一瞬に飛び掛かって逆に殺してやるっす。第一……」
 東間は拳銃を指さして言った。
 「それ、撃てないっすよ。安全装置付いてるっすから」
 古典的な作戦だった。
 しかし蕪木は一瞬だけ、ほんの一瞬だけその安全装置とやらを捜してしまった。銃の仕組みなど知らない蕪木がそこに注意を取られるのはどうしようもなかった。
 しかしその一瞬が命取りだった。その一瞬の隙に蕪木に飛び掛かった東間は、蕪木を組み伏せて銃を持つ腕をひねり上げてしまう。
 「ざっとこんなもんっすね」
 「ぐぁあああ……」
 腕を捻られる痛みに蕪木は思わず悲鳴をあげた。左腕で体を抑え込まれ右腕で手を捻られる蕪木は完全に無力な体制だった。腕力でも体勢でも不利を取る蕪木はどうすることも出来ずにその場でもがきあがいていた。
 「君はどうやったってボクに勝てないっすよ。こそこそ人の身に着けているものを掏るしかないような君じゃあね? 悪い狼はより悪くて狂暴な狼に食われるように出来てるんすよ。だから君みたいな弱者は狼になんかなるべきじゃなかった。家でどんなに理不尽な扱いを受けようとも、大人しくレンガの家を建てることを夢見ながら、狼に怯えながら生きるべきだったんすよ」
 蕪木は銃を握る腕に力が入らなくなるのを自覚した。このまま奪われれば眉間に向けて発砲されるのは間違いないだろう。
 蕪木は一縷の望みに賭けて銃を東間の背後に向けて投擲した。手首どころか指の力だけで行われるような投擲だったが、それでも砂埃に塗れた床を転がって拳銃は東間の背後数メートル先に転がった。
 「……盗られるくらいなら捨てたんすか」
 東間は蕪木を抑え込んだまま、今度はポチ子から貰ったナイフを取り出した。
 「でも残念。銃も撃てない弱虫のそっちと違って、こっちはナイフでも両手でも蕪木さんを殺せるっすよ」 
 「やってみろ! 殺せ!」
 「あれあれ? そんなこと言っちゃって良いんすか?」
 「やれ! もうそれしかないんだ! 殺してみろ!」
 「……? 何を言ってるんすか?」
 「おまえ次第だ! やれ! 殺せ……殺すんだ。殺せぇえええ!」
 発砲音がした。
 東間の肩から血が滲んでその身体が崩れ落ちた。あまりの痛みに悶え苦しんでいる東間を引きはがし、這い出すようにして蕪木はその場を立ち上がった。
 弾丸が命中した東間の肩からは依然として血が滴っている。起き上がることも出来ずにもがいている東間は、顔を顰めながら蕪木の方を振り返った。
 「どうして……まさか」
 東間は視線を後方に飛ばした。そこには俯せの姿勢のまま、折られていない方の腕で拳銃を持ったエロ本がいて、煙を放つ銃口を東間の方に向けていた。
 「……蕪木さんが投げ捨てた拳銃を、その子が拾って撃ったんすか」
 「そうだ。あいつはな……撃てるんだよ」
 歯噛みした東間は一瞬だけ諦めたように表情を緩めると、肩を庇ったまま目を閉じて気を失った。決着だった。
 「……吉本」
 「……はい?」
 エロ本は息も絶え絶えという声を発した。腕をへし折られた痛みから脂汗を流している。
 「ありがとう」
 蕪木は東間が手にしているナイフを蹴り飛ばすと、懐から取り出したスマートホンで警察を呼んだ。

 〇 

 エピローグ

 〇

 倉坂は一命を取り留めた。
 弾丸は頭蓋骨の内部で停止しており脳にダメージは見られなかった。だから障害が残ることもなく数週間入院していただけでやがて学校に復帰することが出来た。
 撃たれた東間やポチ子こと犬山早紀子はやって来た警察に逮捕されて行った。東間もまた命に別状はなかった。余罪多数ということもあり二人ともかなり重い裁きを受けることになるそうだ。成人している犬山はもちろん、東間もまた少年院に行くことは免れないだろうと思われた。
 蕪木も吉本もまた、ただでは済まなかった。蕪木は倉坂の父の家からコレクションを盗みだすことに加担したのを白状する羽目になったし、吉本は倉坂の額に拳銃を撃ち込んでいた為、どちらも支援施設に入ることを免れないと思われていた。
 しかしそれを救ったのは倉坂でありその父だった。直接の被害者である二人の繰り返しの嘆願により蕪木と吉本の二人は罪一等を減じぜられ、何日か警察の厄介になったものの元の日常に帰ることが出来た。
 「動物を殺したことで咎めを受けるなら一切助けるつもりはないよ。施設送りにでも島流しにでも死刑にだってなれば良い。だけれどわたしを撃った咎を受けるって言うんなら、それはお断りだな」
 「……それはどうしてだ?」
 「フェアじゃないからよ。わたしはあいつをいじめてあいつはわたしに反撃した。わたしは死にかけたけどあいつだっていつわたしにいじめ殺されてもおかしくなかった。あいつとわたしの決着はあいつの動物を殺す習慣に対するものであるべきで、銃を撃っただなんて無関係のことであいつがいなくなって終わりになるなんて、そんなことわたしは望まないし許さないよ」
 自分のして来たことを顧みたんだろうと蕪木は解釈した。拳銃を撃ち込まれるくらいのことはして来たのだと、言葉には出さないが倉坂はそう思っているようだった。
 「グリズリを殺したことを許すことは永遠にありえない。今度あいつが動物を殺したことを知ったら、わたしはあいつのところに行っていつだって血祭りにあげるから、そう伝えておいて」
 ……と、いう話を吉本にしたところ、吉本はへどもどした表情で、しかし嘘を吐いてはいない様子で蕪木にこう言った。
 「あたし、もう動物を殺すつもりは全然ないです」
 「そうなのか?」
 「ええ。警察署でホタルさん……絹川刑事から、動物を殺すことについて説諭を受けたんですよ。蕪木さんに説諭したのもその人なんでしたっけ? あれが何というか……分かります?」
 「ああ。分かるとも」
 「警察署であれだけちゃんとした形式でされた訳じゃなくとも、おまわりさんに怒られるような経験はあたし、動物殺しについては他で何度かしてるんです。でも怒られたなあ怖かったなあっていうのが残るだけで、結局またやっちゃってて。でも今回のはちょっとそれまでのとは違って、その……かなり効きました」
 蕪木には共感するところがあった。特に威圧されたり声を荒げられたり、物凄く追い詰められたりする訳ではないのだが、それでも一字一句頭にこびり付いて忘れられなくなるような威力が絹川の説諭にはあった。もう一生思い出したくない、もう二度とこんな思いをしたくないと思わされる妙な迫力があるのだ。言葉や口調や態度が上手いというよりは、蕪木達に対する目線の合わせ方や誠意の向け方が卓越していて、それでいて一切の加減容赦はしない点にコツがあるのだろうと、あの大説教を何度も反芻して蕪木は捉えていた。
 「どうしてあんな風に叱って貰えるまで、あたし達って自分の悪いことをやめられなかったんでしょうね。逆にどうしてああやって叱られただけで、あっけなくやめることが出来たんでしょうね」
 吉本は小首を傾げた。
 「あたし達もですけど悪いことをするのってそれぞれ理由があると思うんですよ。もちろん悪いことをするのに正当な理由なんてないんですけど、それでも原因自体はあるはずなんです。それが取り除かれた訳でも取り除こうと意気込んだ訳でも何でもないのに、ただのお説教で上から押さえつけられるだけで、こうもあっさりやめられちゃうんなら、今まであたし達がして来たことっていったい何だったんでしょうね?」
 「きっとしょうもないことだったんだろ?」
 蕪木は言った。
 「しょうもない、ですか?」
 「ああ。しょうもないんだ。つまり、掏りにせよ動物殺しにせよ、俺達は心から深く望んでそれをやりたかった訳じゃない。それをすることで大して喜んでいた訳でも幸せだった訳でもなくて、だからちょっとした理由でそれをやめられるんだ」
 「そうなのかなあ」
 「いじめられてつらいからって、自分が動物をいじめても、それで救われる訳でも幸せになれる訳でもない。小遣いがなくて束縛がきつくてつらいからって、人の財布を盗んで塾をサボって遊んでも、本当に自由な気持ちになれたことなんて一度もない。俺達は俺達の悪を成すことで大して幸せになっていた訳じゃないし、そのことを心の奥底では理解しているから、ちょっとしたきっかけでそれを簡単に手放せるんだ」
 吉本は蕪木の言葉を反芻するように顔を俯けて、それから縋るような表情で蕪木を見詰めた。
 「じゃあどうすればあたし達は救われるんですか?」
 「分からない。ただ、今までの方法じゃどうにもならない。東間や犬山や、世の中にたくさんいる悪人のようになりたくないなら、もっとまっとうな自分なりの方法を探して行くしかない。童話の狼が滅ぼされるように、悪人は幸せになれないようになっているんだから」
 蕪木は吉本の大きな黒い瞳を見詰め返した。
 「でもきっと何とかなるよ。俺はそんな気がしているんだ」
 その日はウィザーズコロシアムの大会に来ていた。地区予選のような大型の大会ではなく、いつものショッピングモールの小さな店舗大会だ。
 十六人で開催された大会で蕪木はいきなり敗戦を喫した。盗んで得た金で組んだデッキは損害賠償の為に売却されていて、市販の構築済みデッキで挑んだ為当然のことだった。二回戦、三回戦と負け続け、ビリを決定する戦いとなった最終戦でも、蕪木はホタルに借敗を喫した。
 「では『獄門の大魔導士リヒター』で『無間地獄への誘い』を撃ちます。黒に赤なので、今日は私の勝ちですね」
 ホタルは潜入捜査が終わってからもウィザーズコロシアムを続けていた。単純に面白くてハマったのだと言っていた。
 「潜入捜査をしてた店舗に、プライベートで来て良いんですか?」
 「ダメな理由なんてないですよ。こうして蕪木くんと話すことも含めてね」
 「そんなもんですか」
 「ここではホタルさんと呼んでください。署ではそう呼ぶと注意しましたが、今はそれ以外で呼ばれると困ります。そしてもう二度とそれ以外の名前で私を呼ぶようなことがないようお願いしますね」
 「……もう大丈夫ですよ。何もする気ないんで。デッキだって、ちゃんと小遣いで構築済みデッキを買って来てるんです。千円で」
 「安心しました。信じます」
 ホタルは特徴的な八の字眉毛でたははと力なく微笑んだ。
 「しかしすっかり手ごたえがなくなりましたね。前はあんなに、憎たらしいほど強かったのに、どうしたんですか? ……なんて、今日は私の方が煽っちゃいますよ?」
 「しょうがないですよこっち構築済みデッキですよ? カードパワーも何も足りない、初心者がルール覚える為に買う商品で、こういう大会に来るような人に太刀打ち出来るはずがないんだ」
 「それはそうですね。ここまで良い戦いになっているだけでも大したものです。入っているカードの質や構築の質がここまで違えば、どうにもならないのが本来で……本来なんですが……」
 ホタルは決勝卓の方に視線をやった。
 「『百裂火球』で『エレナ』を倒します! あたしの勝ちですよぉおおやったぁああ!」
 決勝戦でガラポンを下した吉本が片手をあげて歓喜の表情を浮かべた。ウィザコロ歴二十年で地区予選ベスト4にまで上り詰めた男であるガラポンは、女児と言って良い年齢の吉本の使う構築済みデッキに敗北を喫して、プライドを打ち砕かれた様子で項垂れていた。
 「勝てるとは思ってなかったですよぉおお! 頑張って戦った甲斐がありましたぁああ! あたしならこれで十分戦えます勝てます毎日だって大会に出ますぅっ! うぅ……ううぅ……楽しいぃいい!」
 目を輝かせながらプレイテーブルではしゃぎまくる吉本。蕪木はそんな吉本を祝福する前に、ガラポンの真横に移動して煽り口調で言い放った。
 「弱いっすね。何構築済みデッキに負けてんですか」
 「うるさいな! 君だって今日は全敗だろう!」
 「いやあ俺だって構築済みデッキですから」
 「同じ構築済みデッキを使うエロ本さんは優勝してますけど?」
 「それはこいつがおかしいだけなんで。俺がちゃんとしたデッキ使えば流石に構築済みデッキのこいつには負けませんし、そもそも本気のこいつに勝ったことだって何度もあるんですよ。前の地区大会の準決勝で何もできずに負けてたガラポンさんと違ってね」
 「黙れ! そういう口は私から空き巣で奪ったコレクションを全部返してから利くが良い!」
 それを持ち出されると弱い。蕪木は沈黙した。沈黙した蕪木に気を良くしたガラポンはさらに口角泡を飛ばしながら、蕪木を相手に今の敗北についての愚痴・言い訳・たらればの類を激しくのたまい始めた。
 「だから結局構築済みデッキじゃ戦略も何もないから読みも糞もないし、それこそじゃんけんみたいに当てずっぽうにカードを出すみたいな局面が多くなるんだ。それがたまたま何度も噛み合えば負けることだってあるだろう。無論カードパワーの問題もあるから普通にやったら数回魔法を通すだけでこちらのペースに持ち込めるが、しかし極端に運が偏ることだってあるし、そもそもカードゲームというのは少なからず確率の要素が……」
 「言い訳乙」
 「黙れ! 最後の最後イカサマまでして私に負けた癖に!」
 「いやぁあの時は計画に夢中でカードに集中出来てなかっただけなんで」
 「そこまで言うなら好きなデッキを貸してやるから再戦しろ蕪木ぃ!」
 蕪木はガラポンの対面に座ると、得意のナイヤーラデッキを借り受けて対戦を開始した。吉本とホタルが見守る中で一進一退の戦いを繰り広げた挙句、窮地に追いやられつつも最後の最後で『アポカリプス・エンド』を山札の上からドローして蕪木が勝利した。
 「はい乙」
 「今のアポエントップだろ! 運だ! 運!」
 「カードゲームは運の要素もあるんでしょ? じゃ、この後予定あるんで失礼します」
 「また来いよ蕪木!」
 ガラポンは人差し指を蕪木の背中に突き付けた。
 「小遣い貯めて本気のデッキを組んで来い! それを無残に踏みにじってくれるわ!」
 大人気ない大人そのものの性格のガラポンだったが、それだけに同じ目線でカードゲームを楽しめるところがあった。一度など吉本に「あの人って蕪木さんとちょっと似てますよ」と言われたことさえある。とうてい受け入れたくない事実だったが、同じテンションで対戦をしていると、他の誰と戦っているより自分を剥きだしにしているのに気が付いていた。
 「優勝おめでとう吉本」
 モールを歩きながら、蕪木は吉本に言った。
 「いえいえ。蕪木さんこそ腕は鈍っていないようですね」
 「お互い、小遣い貯めて本気のデッキ組むの楽しみだな」
 「そうですね。でも蕪木さんはまだ良いですよ。復活したお小遣いの金額、あたしの何倍もあるんでしょう? 結局は裕福な家の子ですもんね。どうせすぐに目標金額に届くんじゃないですか?」
 「まあそうだな。でもおまえこそ良いだろ。構築済み使ってようと、ガラポンみたいな強い奴を相手に勝ててしまうんだから」
 「いやいや薄氷の勝利でしたよ! 今日はあたしがお返ししたインティデッキと戦いましたけど、ガラポンさん相手にあんな危ない戦いになるだなんて信じられません」
 「しれっとおまえ、カードだと人を見下すとこあるよな」
 「そそそそそんなことないですよぅ」
 そのまま蕪木は吉本と肩を並べてモールの外に出る。
 週六の塾は復活したが、今日は静養日である日曜日。あれから少し丸くなった母親の待つ蕪木の家で、二人でウィザーズコロシアムをして遊ぶことになっていた。
粘膜王女三世

2024年12月29日 21時24分21秒 公開
■この作品の著作権は 粘膜王女三世 さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆使用したイラスト:①④
◆キャッチコピー:カードゲーム小説。テーマは『悪』。
◆作者コメント:キャッチコピーにもありますがカードゲーム小説です。
 無理があります。
 無理があると思ったので、別にカードゲーム部分全部排除しても作品として成り立つように描きました。
 何ならルールとかテキストとかあんまり明示してすらいません。理解してもらうの絶対無理だと思ったんで雰囲気だけさらっと伝えることにしました。だったらカードゲーム小説にすんなよ。
 感想よろしくお願いします。

2025年01月16日 05時40分12秒
Re: 2025年01月25日 02時59分59秒
2025年01月15日 09時20分19秒
+30点
Re: 2025年01月25日 02時27分14秒
2025年01月14日 18時45分15秒
+20点
Re: 2025年01月21日 03時00分54秒
2024年12月30日 23時03分54秒
+30点
Re: 2025年01月21日 02時54分46秒
合計 3人 50点

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