【短編】黄昏の国の殺人者

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<プロローグ>
 俺が心から望んでいたのは、生涯に一度だけでいいから女の子の体をさわること。ただそれだけだった。
 もちろん本人が許してくれる範囲で……
 そのせいで、俺が血まみれの凄惨な事態を引き起こし、女の子の命を奪うことになるなんて、まったく予想していなかった。


<本編>
 時の流れから隔絶された永遠の黄昏の中に、魔法を研究する学園都市がひっそりと存在している。
 学生実習棟にいたのは、二、三回会ったことのある女の子だった。通称はキャシー。魔法名はキャスティア・クレイブス。卒業の課題に魔道具作成を選択していたはずだ。
 他には誰もいなかった。
 好都合だ。こんな機会はもうないだろう。
 いったん始めたら最後だぞ。
 途中で引き返せない!
 俺は、自分にそう言い聞かせた。
 ありったけの勇気をかき集めて話しかける。
「ちょうど良かった、キャシー。できたら実験を手伝ってほしいのだけど……」
 キャシーは、目を見開いた。
 驚かせてしまったようだ。
 やはり駄目か。そりゃそうだよな。
 いきなり実験助手を頼んでも、ふつうは断るよな。
 まず当たり障りのない話をして、少しでも親しくなってから用件を切りだすべきだった。
 そんなもっともな考えがうかぶ。
 いや、それは無理だ。
 俺は女の子と話をした経験がない。だから、さりげない会話なんかできない。
 これが今の俺にできる精いっぱいだ。
 これでだめなら、どうしようもない。
 でも、残念だ。ああ、とても残念だ。ひたすら残念だ。
 キャシーは、あいまいな笑みを浮かべた。
 断ることに少しは罪悪感を持ってるのだろうか。
 あまり落ち込むなよ。最初からこうなる運命だったのだから。
 俺は自分にそう言い聞かせて拒絶する言葉を受け入れる覚悟を決めた。
「はい。分かりました、グラース先輩!」
 え?
 な、なんだって……
 聞き間違いじゃないよな。
 手伝ってくれるのか。
 本当に?
 キャシーは、肩を少しすくめて微笑んだ。
 俺は、花がほころぶような笑顔というものを生まれて初めてまじかに見た。
 よっぽど驚いたような顔をしたのだろう。
 キャシーは恥ずかしそうに身をよじった。
 か、可憐だ。
 ここまで美しい少女だったっけ……
 背中に届く黒髪は緩やかにカールして、黄昏の光の中で黒曜石ように輝いている。すこしほつれているのは、卒業の課題に専念して整える暇さえも惜しんでいるためだろう。
 でも、そんなありのままの姿さえとても好ましく思える。
 うるんだ琥珀の瞳が上目がちに俺を見つめている。
 すこし頬を赤らめているように見えるのは、夕日の色に染まっているせいなのだろう。
「……」
 黒で統一された服は、見習い魔法使いとしてはありふれた選択だった。しかし、キャシーが着ると名状しがたい魅力にあふれている。
 キャシーは、補助テーブルの上に置かれた小ぶりな鉢を手に取った。茎に座っているのは金属質の妖精のように見えた。(イラスト④)
 ようやく俺は自分が無言のままなのに気がついた。
 とにかく、何か言わなくては……
「……本当にいいの?」
 俺は、ようやくのことで言葉を発した。
「ええ! 先輩にはいろいろと相談に乗っていただき、これまでにずいぶんとお世話になっていますから」
 キャシーはとろけるような笑みを浮かべて俺の前に鉢を突きだした。
「おかげで卒業課題が完成しました! 金属の人造精霊を作成するのに成功したのですよ」
 キャシーの笑顔がとんでもなく可愛らしい。
 心臓を撃ち抜かれたような気がした。
 セピア色だった周囲の景色がほのかに光を帯びる。大きな窓から紅葉した樹が見える。その先には白い屋根の女子寮が見えている。
 見慣れた景色が異様に鮮やかに感じられた。
 美しく塗り替えられた世界の中心でキャシーが微笑んでいる。
 俺の顔がだらしなく緩んだ。それがハッキリと感じとれた。
 俺の中でかろうじて冷静さを保っている部分が異議を唱えていた。
 そんなにお世話をした覚えはないぜ。
 会ったのはせいぜい数回だと思うけどなあ。
 う~ん、思い当たるのは、……
 学園都市にいるのは魔法使いばかりだ。そろいもそろって面倒くさい性格をしてる。混ぜるな危険なのだ。だから互いに干渉しないことがいつしか不文律になっていた。
 そのため、学園都市では人間関係が極端に希薄になっている。
 俺は、たいして手伝いをしてないが、めったにないことなので印象が強く残ったのかな。
 いい印象を持ってくれていたようだ。ありがたい。
 それにしても、……
「金属の人造精霊を作ったのか」
「はい! ゴルトと名付けました」
 人造精霊ゴルトは茎の先端に立ち上がると胸に片手を当てて膝を少し曲げ器用に挨拶した。
「すでに個性が芽生えてるのか。すごいな。魔道具作成よりも格段に難しかっただろう?」
「ええ。でも、グラース先輩にいっぱい誉めてもらおうと思って頑張ったのですよ?」
「凄すぎて言葉がないよ。おめでとう!」
 俺に感謝してくれるのか。
 良い娘だなあ。
 それから俺はできるだけ事務的に聞えるようにあらかじめ用意していた言葉を口にした。
「俺は道具を持って一般実験棟に行くから、支度をしてきてくれ」
 俺は自分の研究室のある建物に向かった。キャシーは俺についてきた。二人並んで石畳の通路を歩いた。
 ゴルトは黄金の羽根を震わせながら、俺とキャシーの後からついてくる。
 キャシーがゴルトに語りかけた。
「ゴルト、グラース先輩の言葉を良く聞いてちゃんと従ってね」
「それは、指揮権の委譲になるのでは。まずくないかい?」
「大丈夫です。プライマリー・マスターは私のままですから」
 実験棟の中庭にある花壇には水晶の花が咲き乱れていた。つぼみの一つがゆっくりと開いて、風の妖精が中から姿を現わす。透きとおった羽根をひろげ夕焼けの空へと舞いあがる。
 それをきっかけにして妖精たちが一斉に空へと舞いあがっていった。妖精たちのまきおこす微風をうけて水晶の花がゆらめく。結晶の奏でる澄んだ音があたりに響いた。
 キャシーは歓声をあげてスキップした。華奢な肩と揺れる胸が身体の柔らかさを生々しく感じさせる。揺れる黒髪が生きる喜びで輝いている。
 恋人同士でデートしてるみたいだな。
 水晶の花が咲き乱れる花壇と赤レンガの研究棟を背景にして、キャシーは信じられないほど美しく輝いていた。
 抱きしめたい!
 浮ついた俺の心が歓喜し絶叫している。
 礼儀正しさを失うな。
 かろうじて冷静な思考が訴えかけてくる。
 岩造りの建物が近づいてきた。夕闇が濃くなりはじめる。雷を封じた街灯が立っていた。連続して発生する稲妻が光を放ちながら明滅している。雷鳴がかすかに響いてくる。
 いつも見慣れている風景が、美しくとても好ましいと感じられる。
 キャシーは隣にいるだけで、俺の感じ方を変えてしまった。ただ生きているだけの俺に生きる意義を与えてくれた。
 キャシーが卒業して一人前の魔法使いになってしまったら、もう会うことはなくなるだろう。
 魔法使いは互いに干渉しないことが不文律になっている。
 建前としては、『学園都市では皆が魔法の開発や改良のために極めて多忙であり、繊細で微妙なアイデアを常に検討しているから、ちょっと声を掛けるだけでも研究の大きな妨げになりうる。このため個人の尊厳を最大限に尊重する必要がある』ということになっている。
 けれど、時の流れから隔絶された学園都市では時間を気にする必要がまったく無いのだから、これはこじつけだ。
 魔法使い同士を永いあいだ一緒にしておくといずれケンカや戦闘になる。だから引き離しておこう、というのが本音で、これが習慣化したのだろう。
 もうすぐキャシーとは会えなくなるのだから、せめて嫌われないように気をつけよう。
「実験を手伝ってくれてありがとう」
「先輩の実験なら、手伝いたがる候補者はいっぱいいますよ」
 えっ、それは意外だな。
「たとえば、パイセスやヴァルガ、それにジーゲですよ」
 そんなにいるのか。
「パイセスは、先輩が頼りになると感じているそうですし、波長が合いそうだ、と言ってました。
 ヴァルガ・フロイラインは先輩の真剣さに尊敬と憧れを感じているそうです。
 ジーゲは、先輩が自分よりも上だから尊敬しているそうですよ」
 たぶん、俺が話題になったときに、みなはその場の流れで思わず発言したのだろう。いまもそう思っていてくれるとは限らない。
 いや、なれなれしく声を掛けたりしたら嫌われかねないな。
「ありがとう。うれしいよ」
 俺は一つだけ手を振ってキャシーと別れ、石造りの建物に入って行った。

 俺が一般実験棟に着いたら、すでにキャシーは実験室で待っていた。
「グラース先輩、そんなに道具がたくさんあったのなら、私が持つのをお手伝いしましたのに」
「ははは、そうはいかないよ」
「私はけっこう力持ちですよ?」
「かさばるけど軽いものばかりさ。大丈夫だったよ」
 これがさりげない会話に聞こえるといいな。
 俺の心臓はこれからする事を想像してとんでもない速さで鼓動していた。
 灰色の絨毯が何枚も足元に這い寄ってくる。まるで巨大なアメーバのように見える。石の床を覆ってゆく。
 絨毯には防護魔法が何重にも掛けられている。魔法の実験には常に危険がともなう。このため厳重な保安対策が採られている。
 建物同士が離れているのも安全確保のためだ。これは学園都市を無限に拡張できるから可能な贅沢だ。
 実験室の壁や天井が淡く光り始めた。隔離の魔法が発動したためだ。これで実験室には誰も入ってこれなくなる。たんに密室になったのではなく、空間的に周囲から隔絶されている状況だ。
 キャシーは、腕を後ろで組み、すこし前かがみになって俺に話し掛けてきた。
「グラース先輩と二人きりになったと思うとなんだかワクワクしますね」
 そ、その姿勢だと、胸が凄く強調されて、俺の理性がヤバいことになってるのですけど!
 さらに上目使いなんて反則だああァァァ。
「これで他の魔法使いに秘密が漏れることはありませんよ。どんな実験をなさるのですか?」
 い、言えるわけないだろう、君の体をさわらせて欲しいなんて。
 隠せ、隠せ、かくせ、かくせ、かくせ。
 なんとしても本心を隠し通せ。
 俺は、ゆっくりとガラス瓶を持ち上げた。
 キャシーは瓶をのぞき込んだ。
「これは、バンシー。『嘆きの妖精』のように見えますね」
「ああ、野生の妖精を捕まえたから実験を思いついたんだ。こいつを俺の手にしようと思う」
 よし! 冷静そうに言えたぞ。
「魔法による人体実験は禁忌ですよ」
 分かってるよ。殺人よりも重罪なのだろう?
 罰則は、魂をふくむ完全な滅殺か、学園からの永久追放、だったよな。
 魔法使いにとって期間の限られた短い人生は死刑よりも残酷な刑罰になるからな。
「能力の拡張なら原則として制限はないだろう? こいつを『手の延長として』使役するだけなら問題ないはずだよ」
「大丈夫そう、に聞こえますねえ……」
 キャシーはまだ納得しきれていないようだった。
「第三者として魔法実験の監査をしてくれないか?」
「わ、私がですか? そんなァ、恐れ多いですよ」
「いや、ぜひキャシーにやってもらいたい」
「グラース先輩の実験監査官ですか。嬉しくないと言ったら嘘になりますね」
 キャシーは喜びのあまり身をくねらせた。体の軟らかさが生々しく感じ取れる。凄く艶っぽく見えた。
「それでは、お手伝いさせていただきます」
 真剣な表情になっていた。
 俺は実験の準備に入った。
 まず魔方陣の描かれたスクロール(巻物)を広げ、左手をその上にのせる。
『魔力を帯びし紋章よ、わが左手に宿れ!』
 魔法を発動させる呪文、あらかじめ決めておいた特定の言葉を唱えると、青白く輝く魔方陣が俺の左手に転写された。
「『嘆きの妖精』を左手の魔方陣の中に放ってくれないか?」
「なるほど。これは片手では難しいですね」
 キャシーはガラス瓶を逆さまにして蓋を少しだけ外した。俺の左手の動きに合わせて少しづつガラス瓶からズラしてゆく。
 俺の左手がガラス瓶を塞ぐ形になった。
『ホールド(把握)!』
 俺の唱えた呪文によって魔方陣が活性化した。妖精は魔方陣の中に捕えられた。
 俺は別のスクロールを広げた。左手を魔方陣の上に乗せる。
 キャシーがつぶやいた。
「見たことのない術式ですね」
「俺が紡いだオリジナル・スペルだよ」
「美しいですね。魅了されそうですよ?」
 キャシーは小さな声で笑った。
 物凄く可愛い。
 キャシー、俺はどうしようもなく君に魅かれてるよ。
 そういえばスペルには、呪文という意味のほかに、女性を魅了して虜にする、という意味もあったなあ。
 君の笑顔は魅了の魔法そのものだよ。
 俺の中にかろうじて残っている理性が、自分の思考が危険なほど散漫になってることを警告してきた。
 お世辞だろうけど、誉めてもらったのだから、とりあえずお礼を言っておこう。
「ありがとう。嬉しいよ」
 そして、俺は呪文を唱えた。
『異界に住まう心根良き隣人よ、我が呼びかけに応じて契約に同意するならば、我が左手に宿り、我が意志の元にその力を振るえ!』
 俺が紡いだ術式は、召喚魔法を元にしている。妖精によって契約には、術者の血や魔力、魔力の宿った宝玉や毛髪などの対価が要求されることが多い。
 しかし、この妖精は特に対価を要求しなかった。
 俺の手に宿るという新奇な経験をすることが対価になるのかな。好奇心が強い妖精だから俺にわざと捕獲されたのだろうか。
 そんな風に考えながら、俺は呪文を完成させた。
『契約成就!』
 妖精は、青白く燃える炎になった。
 俺の左手を包みこむ。
 俺の左手は、鬼火を宿して蒼白い炎をあげているように見える。
 右手で左手に触れてみる。
 熱さも冷たさも感じない。さわった感じにとくに変化はなかった。
「大丈夫そうだ。握手してくれないか?」
 俺は、できるだけさりげなくキャシーに言った。キャシーが同意してくれれば、俺の真の目的の第一段階が果たされる。
 どうしようもなく緊張が高まってくる。
 口の中がカラカラになる。
 鼓動が凄まじい速さになる。
 キャシーは、一瞬ためらってから、俺の左手に手を伸ばした。
 やったァ!
 生まれて初めて女の子の手に触れたぞ。
 暖かくて、少し湿っていて、思ったよりも小さくて、想像していたよりもずっと華奢だった。
 キャシー、俺はこの感触を生涯忘れないよ。
 キャシーは俺の手を軽く握った。
「別に何も変わっていないみたいですね」
 さて、どうなるかな。
 実験はここからが本番だ。
 俺は、左手を妖精に同化させた。
「え? ええええエエエエッ!」
 俺の左手は、キャシーの手を通り抜けた。
 予想通りだった。
「うまくいったみたいだね」
「な、何がおきたのですか?」
「左手が妖精の力を得ただけだよ」
「……、凄い。凄すぎますよ!」
 キャシーは、おもわず俺に抱きつこうとして、あわてて思いとどまった。
 そんな風に見えた。
 これなら、ひょっとすると、俺のかなわぬ夢を本当にすることが出来る、かもしれない、かな?
「この左手で君の体に触れてもいいかい?」
 キャシーと握手したから、当面の目標は達成できている。
 だから、嫌なら嫌でかまわない。
 無理強いはしたくないから……
 俺は言いかけた言葉をあわてて引っ込めた。
「分かりました! ぜひ、協力させてください」
 キャシーの表情は真剣だった。
 熟慮の上で覚悟を決めて決断したことが感じとれた。
「……ありがとう。それじゃ、ベッドの上にあがってくれるかな?」
 実験室には仮眠用の簡易ベッドが置いてある。寝返りを打てば落っこちてしまいそうな幅しかない。
 しかし、仰向けに横たわることはできる。
「ちょっと待ってください。準備するので、少しのあいだ後ろを向いていてくださいね」
 俺は、言われるままに後ろを向いた。
 窓ガラスに上着を脱ぐキャシーの姿が写っている。
 俺は、紳士的に瞼を閉じた。
「いいですよ」
 ふり向くと、キャシーは簡易ベッドの上に横たわっていた。
 胸の上にはバスタオルが置かれている。その下の丸みが少し見えているのは、ブラを外しているためなのだろう。
 下半身は毛布で覆われていた。ウエストのくびれはまるで彫刻のようで、形の良い臍が見えている。
 芸術作品のようだった。
 上半身の着衣をすべて脱いでいるのだろう。
「そこまでしてくれなくても……」
 良かったのに、という言葉は、キャシーに遮られた。
「協力するのだから、当然です。でも、これ以上うえに上げたり下にさげたりしないでくださいね」
 キャシーは頬をはっきりと赤らめた。
「分かった。バスタオルはこれ以上はさげないし、毛布はこれ以上あげないよ」
「もう、……!」
 キャシーは噴き出した。
 うまく緊張が解けたようだった。
 しかし、俺の緊張は最高潮に達していた。
 たぶん俺は他人よりも激しい感情を持ち、愛情欲求も独占欲も強いのだと思う。
 しかし他人に自分の心を見せると、思わぬ反発や誤解を受けるのではないかといつも強い不安を感じている。だから、自分の考えを他人には常に秘匿している。
 一言でいうと、ムッツリ スケ……、いや、ことさらに自分を卑下するのはやめておこう。
 強すぎる性欲を持て余している、というのが客観的な表現になるだろう。
 俺が開発した、『妖精を身体の一部として使役する魔法』によって、俺は偉大な魔法使いの資格を得るだろう。
 それは他人との接触が今よりもはるかに希薄になることを意味している。
 魔法使いによっては、美少女メイドのオートマトン(自動人形)を作成したり、ケモ耳少女の獣人を合成したり、可愛らしい妖精や精霊の召喚したりして欲望を満たしている。
 しかし、俺はそれでは満足できそうになかった。
 偉大な魔法使いと認定される前に女の子の体に直接に触れてみたい。それができないなら、せめて握手をしたい。そしてその感触をずっと覚えておく。
 そのためには、……
 今回の実験の真の目的は、女の子の体にさわることなのだ!
 すでに握手はすませた。その感触はありありと覚えている。永劫の時を経ても忘れることはないだろう。
 そして今、真の望みが叶おうとしている。
 俺の心臓はとんでもない早さで拍動している。全力疾走しているようだった。永くは持たないだろう。いつ破綻してもおかしくない。
 俺はできるかぎり冷静なふりをしながらキャシーに声を掛けた。
「それでは、触れさせてもらうよ。痛かったり不快感があればすぐに教えてくれ」
 キャシーの肌は、とてもきめが細かく少し湿っていて、手に張りつくような感じがした。
 抱きしめたら凄く気持ちが良いだろうなあ。
 すごく繊細で華奢だから優しく抱きしめないといけないだろう。
 そんなことを思いながら、俺は左手を妖精と半ば同化させた。
 左手が蒼白い炎に包まれる。
 俺の左手は、ゆっくりとキャシーの身体の中に沈んでいった。
 キャシーの身体の中は暖かかった。
 感触は意外とはっきりしていた。
 滑らかな表面で弾力のある大きな内臓が感じとれた。生のレバーを思わせる感触だった。たぶん肝臓だろう。
「痛かったり、不快だったり、していない?」
「なんだか奇妙な感じです。何も触れてないのに緩く圧迫されているような、……
 でも、痛かったり、くすぐったかったり、不快な感じはないですよ」
 女の子の体の中の柔らかな触れ心地。
 瑞々しくて滑らかで暖かい。
 キャシー、この感触は永遠に忘れないよ。
 俺はこの思い出を胸に抱いて永劫の時を生きてゆく。これで生きてゆくことができる。
 ありがとう。
 俺は、触れる範囲を少し広げた。
 グニャグニャした柔らかな内臓がある。それから細かなシワのある小ぶりな臓器に触れた。
「グラース先輩、少し話しかけてもいいですか?」
「ああ、いいよ」
「先輩って、本当にインヴィンシブルなんですね」
 何だって?
 淫靡ンシブル? 淫靡になれる?
 ちがうな。
「俺って、そんなに存在感がないの?」
 キャシーは、当惑したようだった。
 こんな表情も可愛いなあ。
 それから急に破顔した。いかにも可笑しそうだった。
「インヴィジブル、見えないのではなくて、難攻不落だと言ったのですよ」
「そうなのかい?」
 力強く拍動しているのは心臓だろう。
 熱い流れが感じ取れる。太い血管かな?
 キャシーは、少し投げやりな感じで言った。
「パイセスやヴァルガにお化粧やコーディネート、それから魅力的な笑顔の作り方、可愛く見える所作を教えてもらいました。自然にできるようになるまで何度も練習したのですよ」
 それで急に魅力あふれる美少女になったのか。女の子ってすごいな。
「見習いでも、魔法使い同士はあまり交流しないと思っていたけど……」
「女の子は女子寮に住んでることがけっこうありますよ。一人前の魔法使いになったり、偉大な魔法使いになっても、そのまま住み続ける人もたまにいます」
「なるほど」
 男性の魔法使いとは違うのか。
「ジーゲは先輩の事を、警戒心が強いから懐に飛び込むのは至難の業になる。インヴィンシブル、難攻不落だと評価していました」
 ジーゲは自分にも他人にもミスを許さない。
 マイペースで単独行動が多いから、人と群れたがるキャシーは苦手にしていると思っていた。
 親交があるとは意外だったなあ。
「一生懸命に練習して、結構自信があったのに、先輩の心を動かすことはできませんでしたね」
 そんなことはない。俺はすっかり君に魅了されてしまっているよ。
 そんな思いをすんなり口にできるなら、女の子と付き合えるのだろう。
 ああ、それだけでは不十分か。
 女の子が気に入ってくれる言い回しや話題、服装や態度、小物やお菓子の用意なども必要だろう。
 魔法の研究ばかりしていたから女の子との付き合い方は全然知らないな。
「それなら、たとえ仮初めの感情でも、かつて好きだと思った女の子がいた。その記憶を心に刻みつけさせてください」
 キャシーはバスタオルの下に手を入れた。形の良い双丘の白さが俺の眼を射抜いた。
 キャシーがバスタオルの上に引き出したのは白銀のペンダントだった。
 中央には大ぶりの蒼穹の宝玉がはまっており魔方陣が刻まれている。眼の意匠は精神操作系であることを示していた。心の抑制を解き放つ破壊の紋が見て取れる。
 そして、……
「これは、魅惑のアミュレットじゃないか。しかも、とんでもなく強力な……
 こいつは禁呪具級だぜ」
 心の底からキャシーに魅了されていたのはこのアミュレットのせいだったのか。
 これほど強力な術式なら納得だ。
 キャシーはうなずいた。
「私の渾身の作品です。解呪されるまでで構いません。私のことを好きになってください」
 え?
 ちょっと待ってくれ。
 まだ作動させていなかったのか?
 それじゃあ……
 止める間もなく起動の呪文が唱えられた。
『チャーム(魅了)!』
 キャシー、俺はすでに君にこれ以上はないほど魅了されている。重ね掛けをしても意味はないよ。
 その考えは間違っていた。
 凄まじい感情の嵐が俺を襲った。
 キャシーがとてつもなく愛おしく感じられる。
 離れたくない。いつまでも一緒にいたい。
 キャシーと一つになりたい!
 その思いが一気に膨れ上がり俺の心を塗りつぶした。

 キャシーの絶叫で俺は我に返った。
 左手に異様な感触があった。
 あわてて引き抜く。
 俺の左手は醜く膨れ上がり、血まみれの大きな肉塊を掴んでいた。
 耳障りな咀嚼音が聞こえてくる。
 呆然として見守るうちに肉塊は俺の左手に吸いこまれて消えた。
 膨れ上がった左手の指の内側には幾つもの鋭い歯が並び、手のひらには不気味な口が開いている。
 キャシーは途轍もない恐怖の表情を浮かべ目を見開いてベッドに横たわっていた。
 瞳孔が大きく開いている。ピクリとも動かない。
 さっきまで力強く拍動していた心臓の鼓動が、今はまったく感じ取れなかった。
 予想外の出来事で真っ白になっていた俺の心に考えが浮かびだした。
 キャシーが死んだ?
 愛しいキャシーが死んでしまった。
 俺が、キャシーを、殺したのか?
 そうだ。俺がキャシーを殺した。
 俺は愛しいキャシーを殺してしまった。
 取り返しのつかないことをしてしまった。
 いや。
 本当に取り返しがつかないのか?
 魔法で時間を戻すことはできないのか。
 蘇生の魔術を使える者はいないのか。
 そうだ。とりあえず学園長に知らせて、まだ打てる手が残っていないか聞いてみよう。
 だが、たとえ蘇生できても、俺がキャシーを殺したという事実は決して消えない。
 俺は取り返しのつかない事を仕出かしてしまった。そのことが重く心にのしかかってくる。
 キャシーの体を毛布で覆って部屋から走り出た。特別管理棟に向かう。
 キャシーを殺してしまった。
 俺が殺してしまった。
 愛しいキャシーを、大好きなキャシーを、俺を好きになってくれたキャシーを、……
 その思いが俺を苛む。
 これから永劫の時を通じて俺を苛み続ける。
 それがありありと感じとれた。
 キャシーを失った未来は永遠に続き、俺は孤独のうちに取り残される。
 耐え難い喪失感と身を切り裂かれるような孤独のうちに。
 学園長室の扉は少し開いていた。
 ノックして引きあける。
 学園長はいなかった。
 大きな机の上に乱雑に置かれた書類と斜めになった革張りの椅子が、あわてて部屋をでていったことをうかがわせる。
 学園長は実験室内の生存徴候を把握していたのかもしれない。
 生存徴候の異常を知らせる機構があった可能性は高い。
 ならば、入れ違いになったのか?
 俺はふたたび一般実験棟に向かって走った。

 実験室は異空間に封鎖されていた。
 学園長は室内にいるのだろうか。
 人造精霊のゴルトが俺の肩にとまって黄金の羽根を震わせた。
 人の言葉のように聞こえる。

《君たちがすぐに招聘に応じてもらえて助かった。まず状況を説明させてもらおう》
 甲高い音だったが、おそらく学園長の声だとすぐに分かった。
 すごいな、ゴルトは。隔絶された異空間の中での会話を聞き取れるのか。
 キャシー、君は天才だよ。
 魅惑のアミュレットだけでも一人前の資格がある。君の作成したゴルトの能力は偉大な魔法使いの水準すら越えていると思うよ。
 ゴルトはふたたび羽根を震わせた。
《先ほど実験室内で見習い魔法使いのキャスティア・クレイブス嬢が心肺停止の状態で発見された。
 身体の内側から内臓をむさぼり喰われた、そんなふうに見える状況だった》
《そういえばキャスティア嬢は金属の人造精霊を作成しているそうですね。精霊が暴走した可能性はありませんか?》
 女性の声のようだ。
《すべての可能性を調査し検討して欲しい。君たちは追跡者およびその協力者となって、事件、事故、災害の三つの観点から原因を調べ、再発の可能性があれば指摘し、可能なら危険性を除去してもらいたい。
 この時点をもって君たちの名前は私があずかる。いかなる結果を生じても、その責任は任命者である私がすべて負う。そして君たちの名前が公になることはない》
 別の声が応じた。おそらく男性だろう。
《中世の死刑執行人は黒い袋をかぶり服を脱いで、誰が執行したのか分からないようにしてから死刑囚の首を斧で切り落としたと言います。それと同じと考えて良いわけですね》
《その通りだ。ただし君たちが行うのは死刑ではなく調査だがな。
 君の能力をコピーしたオートマタ十二体を君に供与する。君の能力には及ばないが分身として使役してくれ。
 私は巨人リーゼたちを起動して建物外の警戒を担当させる。どんな危険があるのかまだ分かっていないからな》
《了解しました。さっそく調査に向かいます》
《私は一番重要な証人を調べようと思います》
 女性の声だった。
《なるほど。だが、名前も分かっていない人造精霊を尋問することが可能なのか疑問ではあるが……》
 突然に実験室の封鎖が解除された。
 扉に向かっていくつもの人影が向かってくる。
 追跡者たちだ。速い!
 取り押さえられ斧で首を切り落とされる……
 俺は、思わず逃げ出した。
 反射的な行動だったが、申し開きのできない明白な間違いだった。

 左手を非実体化して拡大する。先端がずっと向こうにある通路の天井に届いた。突起に指を掛けて体を引っ張る。
 まるで宙を飛ぶように、たちまち通路の端まで着いた。目の前に階段がある。
 二階の手すりに左手を掛けて体を引き上げる。ここまで突進してきた勢いのせいで体が外側に進もうとする。その勢いを相殺しながら体を引き上げる。踊り場をぬける。階段に一度も触れることなく二階に着いた。
 二階通路の端がはるか彼方に見えている。左手で端のでっぱりをつかんで体を引っ張る。たちまち通路の反対側に着いた。
 できるだけ音を立てないように非常口の扉を開けて外に出た。そっと扉を閉めて手すりをつかみ二階から舞い降りる。
 音を立てずに着地する。手すりをつかんで勢いを殺していたので衝撃はなかった。
 妖精の左手は俺の思い通りに動いた。完全に俺の身体の一部になっている。
 妖精は暴走していなかった。
 キャシーを殺したのは俺だ。
 間違いない。
 肩にとまったゴルトが羽根を震わせた。
《誰かいたか?》
《妖精の光が見えた。向こうだ》
 ちらりと姿が見えた。
 深くフードをかぶり、濃い灰色のマントを羽織っている。太ももまである革の長靴を履いているようだった。
 かなりの速さで滑るように進んでゆく。
 風の呪文で飛んでいるのだろう。
 最初に俺が目指した方角に向かっている。
 少し時間がかせげたようだ。
 ゴルトの羽音が語りかけてくる。
《四人は一般実験棟を捜索、残りは他の建物を捜査。定期連絡を欠かさず、巨人リーゼからの連絡を見逃すな》
 だんだんと濃くなってゆく夕闇の中で、金属の巨人たちが立ち上がった。
 体や手足は金属のパイプでできている。頭はゆで卵の先を切り落としたような形をしており、切り口に巨大な目玉が一つ付いている。
 巨大な目玉が光を放った。探照灯だ。
 三体の巨人リーゼは探照灯で辺りを照らしながら互いの死角になる所を探ってゆくように動きだした。
 連携の取れた行動だった。このまま外にいてはすぐに追い詰められて見つかるだろう。
 俺は特別管理棟の中央にあるバルコニーに手を掛けた。体を引き上げる。
 鍵は掛かっていなかった。中に入る。学園長室だった。室内の様子はさっきのままだ。学園長はいなかった。
 部屋から出て廊下の端に体を飛ばし階段を舞い降りる。建物の端から外にでる。巨人の死角を飛んで図書館・資料棟に入った。
 建物は五階建てで、学園都市の中では際立って高層になっている。今は十字型をしており、将来の拡張の余地を大きく残している。
 追跡者に目指す場所が分からなくなるようあちこちの通路へと飛んで、最終的に三階の禁書室へと辿り着いた。
 予想通り鍵が掛かっていた。内側に手を入れて鍵を外す。音がしないように扉を開けて素早く中に入り鍵を掛けなおす。
 禁書室には窓がない。これでしばらく考えるための時間が稼げるだろう。
 あらためて俺が失敗に失敗を重ねていることに思い至る。もはや取り返しがつかない。それが心に迫ってくる。
 光の精霊の仄かな灯りで室内は意外と明るかった。
 ゴルトが羽根を震わせた。
《やれやれ、とうとう禁書室に鍵なしで入りこめる魔法使いが現われたか》
 書架の奥の暗闇から人影が現れた。
 大柄でがっしりとした体形をしている。その風貌は英国王室の紋章にある獅子を思わせる。リーダーの風格がただよっている。強運の持ち主として知られる学園都市の支配者だった。
 待ち伏せされていたようだ。
 学園都市を知り尽くした学園長ならば俺の逃走先などお見通しだったのだろう。
 思いがけない形にはなったが、俺はもともと学園長に会って全てを話すつもりでいた。
「闇の魔法使い、グラース・スコルピウスと申します。学園長に直接お話ししたいことがございます」
 ゴルトが黄金の羽根を震わせる。
《ここに追いつめるように巨人と追跡者を配置したつもりではあったが、思ったよりだいぶ早かったな》
 学園長は鷹揚にうなずいた。
「学園長を拝命しているレオパルド・アレクサンドリアだ。私も君に聞きたいことがある。一般実験棟まで御足労願えるかな?」
 質問の形をとった命令だった。

 実験室は異空間に隔絶されている。
 俺は勧められるままに部屋の中央に置かれた椅子に腰かけた。
 部屋の中には追跡者の分身となったオートマタ十二体が要所を守っている。全員が深くフードをかぶりマントを羽織っていた。
 俺の前には学園長がふんぞり返って座っている。
 学園長の斜め前には追跡者が座って小さな机の上で記録を取っている。相変わらずフードを深くかぶっているので、誰なのか分からない。衝立があるので、俺からは何を書いているのか見えなかった。
 俺の横には、少し離れてキャシーがベッドの上に横たわっていた。全身に白いシーツが被せられている。
 キャシーの前には協力者が立っている。
 学園長が口を開いた。
「先ほど見習い魔法使いのキャスティア・クレイブス嬢が心肺停止の状態で発見された」
 学園長は、口ごもった。
「存在していない心臓が停止していると表現するのは言語学上正しいと言えないかも知れないが……」
 キャシーが死んだのだぞ!
 こんな時に言葉の意味を論じるのか?
 激しい怒りが込み上げる。
 学園長は何事も無かったように続けた。
「生存徴候に異常が感知されたため実験室内の時間は自動的に遅延され、その間に対策が講じられた。現場を保全するには不十分であったがな」
 時間操作を行う魔法があるのか。
 それなら、時間をさかのぼることはできないのか?
 キャシーが死ぬ前に戻れるなら、俺はどんな犠牲でも払う。
「時の流れから隔絶された学園都市で時間を操作するという表現が適切ではない点を指摘することが可能であると思う」
 今は、そんなことを言っている場合ではないだろう!
 ふたたび激しい怒りが込み上げてくる。
 俺の中の冷静な部分が分析する。
 学園都市では時間が流れない。だから不和は凝縮されて積みあがり、いつか限界を突破して魔法使い同士の殺し合いが誘発される。
 魔法使いを一緒にしないことには充分な理由がある。おそらく悲劇が過去に何度も発生したのだろう。
 俺は一番知りたいことを尋ねた。
「時間を過去に戻すことはできないのですか?」
 返事は明確だった。
「学園都市は時の流れから隔絶されている。時をさかのぼる魔法は存在しない。また、たとえ開発されても、禁呪とすることが決まっている」
 学園長はいったん言葉を切った。
「それでは、こちらから質問させてもらおう」
 俺は、身構えた。
「君は真実を述べるつもりがあるか?」
「すべての真実を述べるつもりでいます」
「なるほど。では、君はキャスティア・クレイブス嬢が心肺停止となった原因に心当たりがあるか?」
 俺はためらいなく真実をのべた。
「俺がキャシーを殺しました」
 学園長はしばらく絶句していた。
 俺は状況をできるだけ客観的に学園長に伝えた。
「俺は、手の延長として妖精を使役する術式を開発しました。その実験をキャシーに手伝ってもらいました。妖精と同化した手は非実体化して物質を透過できるようになる。それを確認するためにキャシーの体の中に手を入れました」
「本人の意思に反してかね?」
「いえ、本人の同意を得ました」
 学園長は、しばらく考え込んでいた。
「それから何が起きたのだね」
「キャシーは俺に自作した魅惑のアミュレットを使いました。その効果が強力すぎたため俺は理性を失くして左手を暴走させました」
 学園長は俺の話しを遮った。
「そうなのか。では、確認させてもらおう。君はキャスティア・クレイブス嬢に悪意や殺意を抱いていなかったのだね?」
「魅惑のアミュレットを使われる前から彼女の事が大好きでした。言葉にはできないほどに……」
 学園長は追跡者が記載している内容をながめた。そして、ぽつりと言った。
「なぜ逃げた」
「取り押さえられたら、斧で首を切り落とされるという話が聞こえたので思わず……」
 学園長はいぶかしげな表情になった。
 それから、目を見開いた。
 まっすぐに俺を見つめて言う。
「その発言があった時には、実験室は異空間に隔絶されていたはずだ!」
「そのとおりです。しかし人造精霊のゴルトは中で話されていることを俺に伝えてくれました」
「金属の人造精霊か。それだけでも大変なしろものだ。私の考えを読んでいることには、さっきから気が付いていたが、異空間に隔絶されていても会話が外に漏れるのか」
 学園長は大きなため息をついた。
「君が造ったのかね?」
「いいえ、見習い魔法使いを卒業する課題としてキャシーが作成しました。自我を持ち自己判断で俺を適確に支援してくれました」
「なぜ君を支援した?」
 なぜ人造精霊がプライマリー・マスターを殺した俺を支援したか、だって?
「キャシーがそうするように命じていたからです」
 学園長は頭を抱えた。
 そのまましばらく考え込んでいた。
 ゴルトが羽根を震わせる。
《封印された禁書室に鍵なしで入りこめる魔法使いに、隔絶された異空間の中を外から探ることができる人造精霊だと。学園内の保安対策はこれからどうすればいいのだ?》
 学園長は決意を固めたようだった。
「とりあえず事態をまとめてみよう。闇の魔法使いグラース・スコルピウスに殺意はなかった。本件は、妖精の手の実験を行っている最中にキャスティア・クレイブス嬢が不用意に魔法を行使したために生じた事故と判断することができる。また、術者が理性を失うという心身耗弱状態で起きた魔法災害と判断することも可能だ」
 学園長は正面から俺を見つめた。
「現時点では、君は原因に直接には関与していないと考えられる。事故や災害と解釈すれば責任を問う必要すら無い可能性がある。とはいえ、最終的な判断が確定するまで、自分の実験室にこもって、可能な限り出歩かないでいてもらえるかね?」
 ずいぶんと甘い判断に思える。
 それとも、確定するまでは推定無罪として扱われるだけなのだろうか。

 俺の左手に宿った嘆きの妖精は解呪されて瓶の中に戻った。使用した魔方陣はすべて没収された。
 俺には二体のオートマタが常に監視に付くことになった。また、一体のオートマトンが食堂から食事を運んだり、日常の生活に必要なものを用意してくれた。
 俺は自室にこもって悔やみ続けた。一度も外に出ないでいる間に三週間が過ぎていた。

 学園長が追跡者と協力者を引き連れて俺の部屋に現われた。
「単刀直入に聞かせてもらおう。君自身は自分がどのように処遇されるべきだと思っているのかね」
 三週間考え続けたから、俺の心に迷いは無かった。
「キャシーの心臓を毟り取ったときの感触は今でもはっきりと覚えています」
 学園長は無言のまま俺を見つめた。
「俺は大好きなキャシーを殺しました。この事実を抱えたまま永劫の時を生きてゆくことは俺にはとてもできません。人間界へ追放していただけませんか?」
 それが当然の処置だろう。
「君の考えは理解した」
 俺は学園長の言葉にうなずいた。
 学園長はスクロールを広げた。俺の足元に魔方陣が現れる。拘束の魔方陣だった。見慣れない遮断の紋がいくつも追加されている。
 追跡者が椅子を手渡してくれた。
 俺は魔方陣の真ん中に座った。
 何をする気だろう。
 学園長が口を開いた。
「君に面会を希望している人物がいる。君が事態を正しく理解するまで一時的に拘束させてもらう。良いかな?」
 俺に選択する余地が与えられているはずなどなかった。
 俺はうなずいた。
 だが、なぜ俺を拘束する必要がある。
 必要な理由とは……
 ひょっとして?
 俺の心に叶うはずのない希望が湧きあがってくる。
 俺の冷静な部分が警告する。
 期待するな。期待を裏切られた時に大きな傷を負うことになるぞ。
 しかし、いくら押さえつけても、期待はますます膨れ上がり、感情が暴走しかねないのが感じ取れた。
「拘束してください。自分を抑えられる自信がありませんので」
 学園長はうなずいた。
『ホールド!』
 学園長謹製の魔法だけのことはあるな。
 体が固定されて、指すら動かせない。
 いや、息をするのと、見つめることはできるか。
 学園長が言葉を紡いだ。
「準備できた」
 どこか遠くにいる人物に語りかけるようだった。
 学園長は俺に向き直った。
「君に殺意がないことを確認できた。だからこのことを知らせても支障ないだろう」
 俺の心は期待にふるえた。
「キャスティア・クレイブス嬢の生存徴候に異常が認められたのと同時に実験室は時間的に学園都市から隔絶された。彼女が死亡する前に治癒魔法で回復する準備が整えられた」
 助ける手段が講じられたのか。
 学園都市の保安対策は予想以上だな。
「君が殺意を持っていた場合には、キャスティア・クレイブス嬢が死亡したと信じさせることが彼女の安全を確保する最も有効な手段になる。死者を殺そうとする者はいないからな。この観点から学園都市に蘇生級の魔法が存在することは伏せられている」
 そうだったのか。
 なるほど、納得できる。
「蘇生の魔法については口外しないでくれ」
 蘇生の魔法については厳重な箝口令が敷かれているのか。
 当然と言えば当然だな。
「彼女の欠損は再生され、彼女は蘇った。しかし、彼女には君に殺害された記憶が残った。控え目に言っても君の存在は確実に彼女の精神に悪影響をおよぼすと判断された」
 学園長はまっすぐに俺を見つめた。
「君をキャスティア・クレイブス嬢に会わせるのは望ましくない」
 ああ、納得したよ。
 俺の存在は彼女に恐怖をもたらす。
 彼女をまた傷つける。傷つけ続ける。
 キャシーに会えないのは当然の罰だ。
 彼女が生きていてくれた。
 今の俺には、それで充分だ。
 生きていてくれた。
 本当に良かった!
「先ほども述べたが、君をキャスティア・クレイブス嬢に会わせるのは望ましくない。彼女が自分から会おうと希望しない限りは」
 最初は何も聞えなかった。
 それから、かすかな足音が聞こえてきた。
 誰かが俺の部屋に近づいてくる。
 その足音には聞き覚えがあった。
 まさか。
 まさか、そんなはずが……
 扉が開いた。
 キャシーだった。
 痩せこけて、ひどくやつれている。
 ああ、これは俺のせいだ。
《すまなかった。本当にすまなかった》
 キャシーの肩にとまったゴルトが黄金の羽根を震わせて俺の想いを言葉に変えた。
 キャシーは、俺の前に立った。
 キャシーの顔には、恐怖と、かすかに笑みが浮かんでいた。
「あれから悪夢に苛まれて眠ることができなくなったの」
 俺の左手に心臓をむさぼり喰われたのだ。
 当然だろう。
 ゴルトが羽根を震わせる。
《俺にできることなら何でもする。気が済むなら、首を切り落としてくれていい。心臓をえぐり取ってくれても構わない》
 キャシーは首をふった。
「逃げてはだめだと分かったの。私は恐怖の根源と正面から向かい合うことにしたわ」
 決心したキャシーは、やつれていても気品にあふれていた。
「あの時と同じように私に触れてみて」
 俺の拘束が解かれた。
 キャシーは俺の前で丸椅子に座っている。そして、自分から上着を引き上げた。
「いいのか?」
 キャシーは真剣な顔でうなずいた。
 俺は目をつぶった。呼吸を整え心を落ち着かせる。
 それから俺は左手をキャシーの胸に当てた。
 キャシーの暖かな肌はすこし乾いていた。ざらつく感じがする。肌が荒れているようだった。
 すまない。俺のせいだ。
 キャシーは真剣な顔で俺を見つめている。
 キャシーの心臓が激しく打っている。それがはっきりと感じとれる。
 俺はゆっくりと息をはいた。
 大丈夫だ。俺は落ち着いている。
 キャシーは大きな息をくり返した。
 心臓の拍動がすこしづつ落ち着いてゆく。
 しばらくしてキャシーは言った。
「グラース先輩、妖精の手を使ってください」
 覚悟を決めた表情だった。
 学園長が重々しく言った。
「妖精の手は解呪されている。使うならまた憑依させることになるが」
「お願いします!」
 凛々しい表情でキャシーは断言した。
 やつれ、疲れ切っているのに、たとえようもなく美しく思えた。
 オートマタが必要な道具を運び込んできた。
 俺はふたたび左手に嘆きの妖精を憑依させた。キャシーの体内に左手を沈みこませる。
 暖かくて滑らかで瑞々しい。
 よく知っている馴染の感触だった。
 大丈夫だ。俺は落ち着いている。
 愛しいキャシー、かけがえのないキャシー、たとえようもなく貴重なキャシー。
 俺はキャシーの体内の柔らかな触れ心地をゆっくりと味わった。

 キャシーの首筋が強張っている。肩の筋肉が固まっている。触れてみてそれが感じとれた。
 妖精の手を少しだけ実体化させて揉みほぐした。強張りが解けてゆくのが分かる。
 キャシーがつぶやいた。
「心地いいわ。緊張が解けてゆく。心が落ち着いてくる。グラース先輩に会いにきてよかった」
 キャシーは俺を見つめて言った。
「もう大丈夫だと思います」
 そして、キャシーは俺の部屋から去っていった。二度と戻ってこないことが確信できた。
 学園長が尋ねる。
「もう一度聞かせてもらおう。君自身は自分がどのように処遇されるべきだと思っているのかね」
「俺がキャシーを殺したという事実は変わりません。キャシーがその恐怖を忘れることは無いと思います。俺は人間界に追放されるべきだと今でも思っています」
 学園長は重々しく言った。
「君の判断は最大限に尊重される。ただ、準備するので少し待ってくれ」

 学園都市は時の流れから隔絶された永遠の黄昏の中にひっそりと存在している。
 やがて学園長は人間界に俺を送る準備が整ったことを知らせにきた。
 俺は転送室に呼び出された。
 学園長は大型のメダルを差しだした。
 刻まれた魔方陣には精神操作系に特徴的な眼の意匠と記憶破壊の紋がみてとれる。
「忘却のメダリオンですね」
 学園長はうなずいた。
「闇の魔法使いグラース・スコルピオはビクトリア朝のロンドンの下町に送られることになった。転送先では、このメダリオンを着用することが推奨される」
 学園都市から追放するなら、それまでの記憶を消去するのは当然の処置だろう。
 分かっているし、納得もする。
 でも、キャシーの記憶を失くすのはつらいなあ。
「どうやら誤解しているようなので説明しておこう。どの時代に送ろうと君は人間界にとって異物となる。君が平穏に暮らすためには、君の周囲の人間の記憶を継続的に消すのが順当な方法だ。
 一生のあいだ檻に閉じ込められてメスで切り裂かれ毎日注射針を刺されたり、魔女狩りにあって丸太に縛り付けられ燃えさかる薪に囲まれて人生を終えたくなければ、人前に出る時にはそのメダリオンを身に着けておくことを推奨する」
 妙に生々しい説明だった。たぶん実例があったのだろう。
 はい! 人前に出る時には常にメダリオンを身に着けておきます。
 それから学園長は事務的に言った。
「グラース・スコルピオ君がロンドンに転送されることにともなって同行を希望する人物が現われた」
 背後に誰かが立った。
「一緒に連れて行ってください。断っても後から追い掛けて行きますよ」
 良く知っている声だった。
 許されるはずなどない。
 ずっとそう思っていた。
 本当かよ。
 本当だった。
 俺はふり向いて、キャシーを抱きしめた。
 キャシーは満面の笑みを浮かべて俺に抱きついてくれた。
「あんな目にあわせたのに、良かったのか?」
「びっくりはしたけれど、痛みはあまりなかったの。それほど気にしてないわ」
 ウソだ。
 俺に会いにくるまで三週間のあいだ食事もとれず眠ることもできなかったのだろう?
 明らかに強がりだった。
「それに、妖精の手で体の中を触れられるのは意外と快感なのよ」
 それは意外だな。
 それにしても、……
《キャシー、君は女神のように慈悲深いのだね》
 ナイスだゴルト。自分では恥ずかしくて口にできない言葉だぜ。
「あなたにも辛い思いをさせたようで、こちらこそ謝罪するわ」
 学園長は俺たちを見つめて言った。
「グラース・スコルピウス君、キャスティア・クレイブス嬢。君たちは自らの意志で学園都市を離れるが、いつでも帰還することが認められている。気が向いたら戻ってきてくれ。歓迎するよ」
 学園長に見送られて、俺たちは転移の魔方陣の中に立った。これからキャシーと一緒にビクトリア朝のロンドンで暮らすことになる。
 俺の心は期待にあふれていた。

 二人の旅立ちを見送ってから、学園長はつぶやいた。
「闇の魔法使いグラース・スコルピウスか。君は妖精の手で苦痛を除き傷ついた心に癒しを与えた。『手当と癒し』を施したのだから立派な魔法医だ。まちがいなく伝説級だろう」


<エピローグ>
 ビクトリア朝のロンドンの下町に不思議な力を持つ呪術師がいるというウワサが流れたことがある。
 何人もの難病患者を治し、末期癌の患者さえ跡形もなく治癒させたという。
 しかし、どこにいるのか、その容姿や年齢さえも、はっきりとはしなかった。また、要求される料金が不自然なほどに安かった。
 そこで人々はこれを荒唐無稽な単なる都市伝説だと結論づけた。
朱鷺充(ときみつる)

2024年12月29日 19時29分01秒 公開
■この作品の著作権は 朱鷺充(ときみつる) さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆使用したイラスト:④
◆キャッチコピー:俺が心から望んでいたのは、女の子の体をさわること、ただそれだけだった。
◆作者コメント:
 企画に参加できてうれしいです。主催様、運営の皆様お疲れ様でした。有難うございます。本編は、永遠の魔法の刻の中に存在する学園都市での物語です。イラスト④を使用しました。感想を賜れば幸いです。

2025年01月20日 20時04分55秒
作者レス
2025年01月10日 19時49分30秒
+10点
2024年12月31日 03時45分24秒
+10点
合計 2人 20点

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