【超長編】空と蜜柑と箱庭の十二人

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 キリン:十七歳。魔法は無敵。
 パンダ:十七歳。魔法は飛行。
 カトレア:十六歳。魔法はデージーの元への瞬間移動。
 デージー:十六歳。魔法はカトレアの元への瞬間移動。
 アルファ:十五歳。魔法は時間停止。
 ベータ:十五歳。魔法は嘘を吐かせない。
 葡萄:十四歳。魔法は空間の生成。
 蜜柑:十四歳。魔法は生物の殺害。
 空:十三歳。魔法は人体の復元。
 海:十三歳。魔法は記憶の消去。
 恒星:十二歳。魔法は火炎。
 彗星:十二歳。魔法は他者の寿命の把握。

 1

 〇

 気が付くと寝室のベッドの上にいて、仰向けの姿勢に天井の灰色が目に入った。
 時計は夜中の二時を示している。歯を磨いて布団に入った記憶があるから、単純に考えて、深夜にふと目が覚めたという状況になる。ただ、理屈の上でそうなるからと言って、今の今まで眠っていて目が覚めたという実感はまるでなかった。
 今まで寝ていたにしては、意識がはっきりし過ぎているのだ。
 わたしは訝る気持ちで、隣の布団で眠る海の方に視線をやった。しかし布団には膨らみはなく、主は不在のようだった。
 その時、部屋の扉が閉められるバタンという控えめな音が響いた。
 過ぎ去っていく足音が聞こえて来る。一つではなく、二つ以上に聞こえた。
 海が部屋を出て行ったのだろうか?
 しかしどうしてこんな夜中に? 夜間の外出は禁止されていて、見付かると『大人』は酷い折檻をわたし達に加える。殴る蹴るの暴力は当たり前だし、時には硬鞭と呼ばれるしなりのある黒い棒のような器具や、電撃を発する装置なども用いて、容赦なくわたし達を痛めつける。わたし達はいつでもそれに怯えていたし、海もまた夜中に出歩いたことなんてないはずなのに。
 聞きたいことはいくつかある。わたしは部屋を出て海を追い掛けた。
 窓から差し込む月明りだけを頼りに廊下を進む。ほとんど真っ暗だったが、長く暮らしている施設の通路なだけに、手探りと山勘で歩くことが出来た。
 廊下の果てまで進み、居住棟の玄関まで辿り着いたところで、脚が止まった。
 海は外に出たのだろうか? それとも、玄関の傍の階段を上り、二階へ向かったのだろうか?
 下駄箱でも確かめればどちらに行ったのかはすぐ分かる。しかしそこまでして海を追い掛けることにわたしは躊躇した。確かにわたしは海のことをルームメイトとして親しく感じていた。夜間外出なんて危険なことをするのなら訳を聞きたかったし、目的があるなら手を貸したり、寝室に戻るよう促したりしてやりたかった。しかし寝室を出てすぐに海を捕まえられるならともかく、施設中追いかけ回して捕まえてやる程の友情は持てなかった。
 引き返そうとした時、髪の長い少女がぼんやりと暗闇の中に浮かび上がった。
 少女はひたひたとした足音を響かせた。思わず喉を鳴らすわたしに、真っ白い顔が近付いて来る。人形のような少女の顔がわたしの眼前に迫った時、つんざくような悲鳴が響いた。
 「ひやぁああああああああ!」
 絶叫だった。声をあげた少女は腰を抜かして尻餅を着き、両脚を投げ出した。
 「誰? 誰? 誰なのぉ? こんなところに……ユーレイ?」
 「空だよ」わたしは大声で喚く蜜柑に口元に人差し指を添えて見せた。「大人が来たらどうするの? でかい声で喚かないで」
 「あ、あ、あ、あ。そうだよね。そうなったらダメだもんね。空ちゃんまで叩かれるもんねごめんね!」蜜柑は尻餅を着いたままぺこぺこわたしにアタマを下げた。「ごめんねいつも迷惑かけちゃうね。でもあたしねこの暗い中一人で歩いて来て怖くて。もう心臓バクバク鳴ってて。そんな時に空ちゃん突然出て来るからさ。だから悲鳴上げたのも不可抗力っていうか。だから許して怒んないで」
 「怒んないからその口閉じてよもう」わたしはうんざりとする。「焦って言い訳をする時のあんたの声、でかいんだよ」
 とにかく立ち上がらせてやろうとして、わたしは蜜柑に手を差し伸べた。そして気付いた。
 失敗した。
 こいつ相手にこれは無意味だ。
 蜜柑は困ったように差し出されたわたしの手を眺める。そして逡巡したように一瞬間を置くと、何を思ったのか唇でぱくりと指を咥えた。生暖かい口内の感触をわたしは覚える。
 上目遣いをする蜜柑。怯えと媚びの混ざったその目がムカついたわたしは、ふと思いついて口に入ったままの手を上顎に引っ掛けて、その場から持ち上げ立ち上がらせてやった。
 「あきゃっ。あがががっ」
 蜜柑は声を上げる。まあそりゃこんなことされたら痛いし苦しいわな。拍子に唾液が喉に入ったのか蜜柑はゲホゲホうるさく咳をすると、媚びた視線をわたしの方に向けて来た。
 「あ、ありがとう……」
 「どういたしまして」
 蜜柑には両腕がなかった。
 肩の関節から先がそっくりなくなっていた。正確には五センチくらいは動かせる突起も残っているし、それに伴い脇と呼ぶべき箇所もある。そんな奴に手を差し伸べても無意味で、それをあろうことかこいつが咥えた所為で、とんだやり方をする羽目になった。
 手が唾臭いのが真剣に嫌だ。
 歯は毎日磨いてやってるし、実際におうって感じもないんだけど、でも何となく、嫌だ。
 蜜柑はわたしの一つ上の十四歳で、一昨年までわたしのルームメイトだった。
 髪が長く色が白く背は百六十センチを少し超えるくらいで、黒目がちの大きな目と鼻翼の狭いつんと尖った鼻が印象的の、かなり綺麗な見てくれをしている。痩身だがバストは結構ある。両腕がないことからいつもノースリーブの服を着ている。性格は臆病で、しょっちゅう色んなことで焦っていて、訳もなく謝ったり言い訳したりする。しょうもない奴だ。
 「どうしてこんな廊下にまで出て来たの?」とわたし。
 「……空ちゃん探してて」と蜜柑。「お部屋行ったんだけどいなくて……」
 「なんで?」
 「おトイレ行きたくて……。いつもだったら夜中は我慢するんだけど、今夜はちょっと特に酷いのがやって来て。はうわっ!」蜜柑は突然自分の腹に手をやって苦しみ始めた。「思い出したらまたぴぃぴぃ言い出した……。悪いけど一緒にトイレ行ってよぉ」
 両腕のないこいつは自分のケツを自分で拭けない。どう考えてもルームメイトの葡萄がその辺の世話を焼くべきだと思うのだが、悪い悪い葡萄はまったく介助を行わないばかりか、同室の蜜柑をいじめている。
 「良いよ。わたしの部屋に行こう。あんたの部屋で水流したら葡萄がうるさいかもだし」
 「う、うん。それでお願い」
 歩き出したわたしの後ろを蜜柑は付いて来た。
 その時だった。
 月明りの中で、何かが窓の前を上から下へと通過する影が見えた。
 どさりと大きな音が、廊下の窓の向こうから響いた。
 何か大きくて重たいものが落ちて来たようだった。わたしは蜜柑と顔を見合わせた。落ちて来たのはわたし達のいるすぐ近くの窓の傍で、わたし達は並んで窓を覗き込んだ。
 海がいた。
 頭が割れて夥しい血液が流れ出ていた。月明りに照らされて黒々と輝く鮮血の中に、脳漿のようなゼラチン質の物質も混ざっていた。手足はあちこち歪曲し特に首は曲がってはならない方を向いている。その表情は完全に消えていて、どころか頭蓋骨の砕けたらしく、顔立ち全体が醜く捻じ曲がっていた。
 蜜柑は悲鳴をあげた。わたしは息を飲み込んで窓枠に手を掛けた。わたしは海の元に行きたかった。海が生きているかを確かめたかった。
 しかし蜜柑はわたしの肩を顎でつついた。
 「部屋に戻ろう」
 「なんで?」
 「なんでって……大きい音したんだからすぐに大人の人来るよ? そしたらあたし達何でいるのって言われて尋問室に連れて行かれるよ? あたしそれ嫌だ」
 「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 海を助けなきゃ!」
 「い、今更だよぅ」蜜柑は目に涙を貯めた。「だってこれ、絶対死んでるじゃん」
 どすんと喉元に食い込んで来るかのようなその言葉に、わたしは怒りを覚えそうになった。現実を直視しているこいつは冷静なのか無情なのか。
 なんたってこいつはこんな時でも空気を読めないんだ。あんたにとっちゃ数いる施設の子供の一人だろうし、海だって蜜柑を助けず無視していた一人だったけど、それにしたってこっちはルームメイトを失ってるんだぞ! 少しはかける言葉を選んでくれたって良いじゃないか。
 蜜柑は微かに残っている肩の突起をわたしに押し付け、力を入れた。両腕のないこいつにとって、人を抱き締めるという精一杯の仕草だった。
 「自殺じゃないのなら誰かが突き落としたってことじゃない? ここにいたら疑われるよ? そしたら夜間外出を怒られるだけじゃ済まなくなる。だからあたし空ちゃんのことが心配で……」
 わたしは無視して窓を飛び出した。

 〇

 わたし達は生まれた時から施設の中にいて、ただの一度も、外の世界に出たことはなかった。
 外に世界があることは知っていた。わたし達の世話をしたり魔法について調べたりする大人達は、毎朝門を通って施設の外側からやって来るし、一日が終わったら外側へと帰って来る。宿直の大人もいるが、それにしたってローテーションが組まれているようで、大人達の本来の住処は施設の外側にあるらしかった。
 外の世界のことを何一つ知らされていない訳ではない。施設内には学校というものもあり、社会科の授業もあるので総理大臣の名前も言える。もっとも、それも架空の世界について聞かされているような気分であり、実感を持てたことはあまりない。そもそもその授業だってあまり聞いていない。授業は予め撮った映像を流すだけだし、テストはあるが点数が低くても何も言われることはない。だから授業中は子供同士でお喋りをするだけの時間で、その状態を大人も看過しているようだった。
 午前中の授業が終われば自由時間が与えられるか、研究棟と呼ばれる建物に移動させられ妙な実験に晒されるかのどちらかである。大人以外は誰しもが一人に一種類ずつの魔法を使えるが、それを使って見せるよう指示されるなどして、詳細について調べられることになる。頭や全身に妙な装置を取り付けられたり、妙な薬を飲まされたりすることもある。
 それが終われば後はふつうの集団生活だ。掃除洗濯等の家事労働を当番制でこなし、他の時間は食事を摂って広間で仲間と駄弁ったり、トランプやテレビゲームで遊んだり、本を読んだりする。浴場で体を洗った後は、二人一組の寝室で就寝する。このサイクルを生まれた瞬間から今の今まで続けて来た。
 わたしが今いる区域には、十二歳から十七歳までの十二人の少女が集っていた。年齢によって生活する区域が異なっていて、零歳から五歳、六歳から十一歳、十二歳から十七歳、そして十八歳以上と別けられていた。該当の誕生日が来る度年長の者が次の施設に移るのを見送ることになるが、時が来れば自分もそこに行くことになるので、今生の別れということはない。その為、今いる区域の仲間達とも全員が幼馴染だ。
 寝室を共にするルームメイトは六年間、同じ区域にいる間は変わらない。そして歳の近い者同士で組まされる。わたしの場合、六歳から十一歳の区域にいた頃のルームメイトは蜜柑で、十二歳からの区域でのルームメイトが海だった。生年月日の序列が蜜柑・わたし・海なのである。
 蜜柑とも海ともわたしは仲良くしているが、中でも蜜柑との関係はかなり濃密だ。何せあいつは両腕がない。誰かの介助が必要な訳だが大人達はそれをやろうとしない。だから子供同士で助けることになる訳で、わたしはそれをほとんと一手に担って来たのだ。
 蜜柑だって生まれつき腕がなかった訳じゃなかった。十歳の時、大人達によって両腕とも切断されたのだ。蜜柑は手で触れた生物を殺害するというダントツでデンジャラスな魔法を使えて、しかもそれを大人に使ってしまった。大人達に硬鞭で殴られまくっていたわたしを助けようとした為だった。
 何故殴られまくっていたのかというと、まあしょうもない規則破りの所為なのだが、とにかくわたしは死にかけていた。アタマからダラダラ血が流れていたし、鼓膜は片耳が一時的に裂けていて周囲の音も聞こえていなかったし、前歯が折れて口からも血を流していた。死にそうだった。
 施設の大人が子供を殺すことはそこまで無茶苦茶多い訳じゃないので、その時のわたしもまあ殺されるところまでは行かなかったのだろう。しかし傍で見ていた蜜柑としてはそう感じなかった。大人達に向けて走り寄ると何人かに手を押し当て、数人の命をパタリパタリパタリと奪ってしまった。
 無論そんなことをしてタダで済む訳がない。大人達の許可のない魔法の使用はただでさえ禁止であり、大人達を害する形での行使は中でも厳罰の対象だ。きっと殺されるんだろうと悲しみに泣いていたわたしの前に、蜜柑は両腕を肩から奪われた状態で現れた。あくまで手で触れた相手を殺す魔法なんだから、腕を奪えば安全という訳である。
 しかしわざわざ丁寧に根本から切らずとも良かっただろうに。手首から先を落とせば十分だったはずだし、それで大分違ったはずだ。そのことは切られた本人である蜜柑が一番感じているようで、腕がないことで不便する度に『せめて肘を残してくれていれば』と泣きながら嘆いている。
 そういう訳だから、助けて貰った恩義というか負い目もあって、わたし蜜柑の介助を一手に引き受けていた。糞を垂れれば尻を拭いてやり股から血が出ればタンポンをぶちこんでやり、朝晩は歯を磨いてやり食い物や飲み物を口に運んでやり、身体を洗ってやり身支度をしてやり物を取ってやり動かしてやり、洗濯や掃除やその他雑用の当番を代わりに引き受けてやり、およそ人間が私生活において手を使って行うことの全てを二人分こなして来た。これは単純に二倍の労という訳じゃない。自分のことは自分のペースで自分の都合の良いように出来るが他人のことはそうも行かない。蜜柑がどんなに遠慮していても関係ない。どうしたっていつだって予告なく蜜柑の『あれやって』『これやって』が降り注ぐことになるし、蜜柑のして欲しいこととわたしのやり方にズレがあれば、いちいち修正し擦り合わせなければならない。
 この大変さはきっと、経験した者にしか分からない。
 本当にもう、胸を掻き毟りながら、「いぃいいいいいい!」と絶叫して暴れまわりたくなる感じなのだ。何というか自分の中に真っ黒な瘴気のようなものが日々蓄積して行き、それがちょくちょく爆発するような具合だった。ようするに介助ストレスで参っているという状態なのだがこれが厄介で、夜は眠れずごはんは食べられず、何でもない時に無償に泣けて来てしまったり、寝ている蜜柑の首を絞め殺す夢を見て飛び起きて罪悪感に苛まれたりする。
 介助なんてこんなしんどいことわたし以外の誰にもできるはずがない。
 蜜柑が十二歳でわたしが十一歳の時、蜜柑とわたしは別の区域にいた。まるまる一年程、蜜柑はわたしなしで生活をしていた時間があったのだ。しかもルームメイトは酷い酷いいじめっ子の葡萄であり、これは蜜柑にとって最悪の状態だったと言える。
 わたしが十二歳になって区域を移動し再開した時、蜜柑は本当に酷い有様になっていた。誰にも体を洗って貰えなかっただろう全身は垢めいていて、髪の毛はボサボサに痛んで乾いて固まったモップのようだった。服は着ているというより引っ掛けているような状態で、その服も誰にも洗濯して貰えないのかぼろ雑巾のようになっていた。洗濯当番に参加出来ない蜜柑の服を洗う必要はないという訳だ。三度の食事を犬食いしている所為か口の周りは薄汚れた色をしていて、誰にも拭いて貰えないケツや股がどうなっていたか言葉にするのもおぞましかった。
 人間の扱いではない。
 誰も彼もが最初から蜜柑のことを放っておいた訳ではないだろう。ベータあたりは自分から手を貸してくれそうだし、キリンなんかも求めれば結構助けてくれるクチだと思う。しかしその辺の比較的まともな奴らだって、自分達ばかりに負担が行けば逃げ出さないはずはない。それは責められない。やがて世話の押し付け合いが起こり誰もが蜜柑から距離を置くようになり、まともに手を差し伸べる奴はいなくなったという訳だ。無論蜜柑だって工夫して自力でどうにかしようとはしただろうが、どう考えても無理がある。
 わたしは大人に頼んで昼間に浴室を使う許可を貰い、丹念に蜜柑を洗ってやり歯を磨いてやり服を洗ってやり、元通り綺麗な蜜柑にしてやった。蜜柑は泣いて喜んでわたしの為に何でもすると誓ったが、こいつがわたしに出来ることなんて何一つ思い付かなかった。代わりにわたしが蜜柑にしてやらねばならないことは山ほど存在していた。就寝時間になると蜜柑は葡萄のいる寝室にいなければならなくなるが、それまでの間はわたしは蜜柑の傍にいて蜜柑の世話を焼いてやることになった。
 「あなたって蜜柑の奴隷なんでしょ?」
 葡萄がそんな嫌味を言って来たことがある。
 「違うよただの友達」
 「いいや奴隷でしょ? 蜜柑だってあなたのことをそう言っていたわ。私聞いたもの。でもそれはそうよね。自分の代わりになっていつだって立ち働いてくれるだなんて、そんなの奴隷以外の何物でもないわ」
 わたしはそれに取り合わず、声を低くして葡萄に言った。
 「あんたって本当に最低だよね」
 蜜柑の手助けをしたくなくて突き放すだけならまだ理解できる。しかし葡萄がやっているのはただのいじめでやり方も酷かった。悪口を言ったり足を掛けて転ばせたり持ち物を取り上げたり、頼まれても蜜柑を助ける必要がないことを他の皆に周知したりと、その嫌がらせは肉体的精神的政治的と多岐に渡る。蜜柑はもう随分と参っているようだった。
 葡萄はさも心外だと言わんばかりの顔でこう答えた。
 「私はいたって普通よ。誰だって自分のことで精一杯なのに、他人を無償で立ち働かせるだなんて、そんなムシの良い話はないでしょう? あいつに代わりに差し出せるものがあるならいざ知らず、蜜柑は何も出来ないし何も出せないんだから」
 「だからっていじめるのは違うでしょ」
 「あんな奴に縋って来られたら困るから、態度で示してやってるだけよ」
 「誰も助けなかったら蜜柑はどうなるの?」
 「死にはしないわ。死んでも誰も損しないけど、それでも死にはしない。だったら腕がないからって助けて貰って当然なんて話はない。腕がないなりに生きていけるなら、芋虫みたいに這いずってでも自分の力で生きて行けば良い。人間はそもそも不平等なものだし、増してや蜜柑が腕を失くしたのは、あいつ自身の軽率から来る自己責任よ。そうでしょう?」
 わたしはこいつのことだけは世界で一番大嫌いだった。

 〇

 なんて話は今はどうでも良くて、ガラス戸を乗り越えて近付いた海は、間違いようがなく死んでいた。
 だってどう見ても首が折れているし、蜜柑が咥えた棒でつついても反応がないし、頭蓋骨からは血だけでなくゼラチン質の脳漿までもが溢れている。わたしは衝撃を覚えている。つい寝る前まで仲良く楽しくお喋りしていた相手が、グロテスクな肉塊と化し二度と立ち上がっては来ないのだという事実を、わたしはどうにも直視出来る気がしなかった。
 わたしは居住区の屋上を見上げた。屋上は解放されておりフェンスの類もなかった。海はあそこまで行って落ちて来たのだろうとわたしは考えた。
 「マジで死んでるの?」とわたし。
 「どう見ても死んでるよぅ」と蜜柑。
 「ふつうに明日になったら一緒に朝ごはん食べて授業受けんじゃない? って気がするんだけど」
 「そうだったら良いのにねぇ」他人事のように聞こえる声だった。
 「……わたしが生き返した方が良いのかな?」
 「えーっ。ダメだよぅ」蜜柑は焦った様子だった。「勝手に魔法使ったら怒られるだけじゃ済まないよ? だいたいさ空ちゃんの魔法ってタダじゃないどころかさ」
 「それはそうなんだけどね」わたしは首を振るった。
 その時、居住棟の廊下を歩いて来る足音が聞こえて来た。
 「きゃあっ」大人が来ると思ったのだろう。蜜柑が怯えた様子でその場に隠れようとしゃがみこんだ。「空ちゃんも早くっ」
 蜜柑はわたしの服の裾に噛み付いてわたしを窓の真下に引っ張り込もうとした。しかし顎の力が弱かった為か、わたしを引っ張ることが出来ずに裾から口が外れ、そのまま居住棟の壁に頭を強打した。
 「いったぁっ!」
 わたしはその間抜けな挙動を冷めた目で見送ってから、廊下を歩いて窓辺にやって来た二人組に視線をやった。
 「キリンにパンダ」とわたし。
 「さっきのはいったい何の音よ」パンダは眉を潜めた「あんたらこんな夜中に何を遊んでるの?」
 「夜更かししてるんならキリンさんも混ぜてくださいよー」キリンはにこやかな表情だった。「お昼寝し過ぎて眠れないんですよー。パンダを起こしても全然遊んでくれないんです」
 動物の名前が付けられた二人はこの区域における現在の最年長コンビであり、寝室を共にする十七歳同士だった。
 パンダはわたし達とは人種が違うかなんかで褐色肌をしていて、堀の深い顔立ちとやけに通った鼻筋を持った少女だった。多分アラブ系かなんかだが、部分的には東洋人っぽさもあるので混血かもしれない、と本人は言ってる。首の後ろにくくった髪が鞭のように長く伸びていて、背が本当に高く百八十に迫るくらいでスレンダーな身体つきをしている。
 キリンは眠たげな垂れ目とくっきりした二重瞼を持った女の子で、丸っこい小さな顔の持ち主で、髪の色素が若干薄くそれを肩下までのボブにしている。背は高くも低くもないが最年長の割には幼く可愛らしい顔立ち。施設で出会った中で一番綺麗な女の子は蜜柑だけれど、二番目は多分葡萄かキリンのどちらかだろう。
 「遊んでるんじゃないんだってば……」わたしは息を吐いて足元を指さした。「これ見て」
 「う……うわぁああああ!」キリンはあからさまに動揺して喚き始めた。「人が死んでるぅううううう! あああああああ! ひいぃいい!」
 「うるさい!」パンダが冷静にキリンの頭を叩いて黙らせようとした。「大人来るでしょ!」
 「でもでもでもだだだだだだだだだってだって人が人が死んでるるるるるるる!」キリンはアタマを叩かれても驚異的な粘りでしつこく喚き続けた。「さしものキリンさんもこんなのは初体験で……。うわぁあああああひぃいいいうきゃああああああ。ひぃいいああああああ! あ」
 突如としてキリンは停止ボタンを押したかのようにピタリと動きを止めた。
 「え? 何?」とパンダ。
 「キリンさん、気付いちゃいましたよ」キリンはにっこり笑って胸を張った。
 「いったい何なの……」キリンの挙動に蜜柑ですら目を丸くしている。
 「これほどの緊急事態です。さしものキリンさんも、ほんの僅かに若干ながら取り乱したことは認めなければなりません」キリンは窓枠を乗り越えて海の死体に歩み寄った。「しかしすぐに平静を取り戻すのもキリンさんです。クールに死体を観察することで、ある重要な事実に気が付いたのです
 キリンは海の死体から左手を持ち上げた。
 「これです」
 そこにはあるはずの小指がなかった。
 「きゃあっ」蜜柑が短い悲鳴をあげた。「し、死体なんて触ったら汚いよっ」
 「言ってる場合じゃないだろっ」わたしは苛立った。
 「これは海の死の謎を解き明かす上で重要な手がかりとなります」キリンは海の死体の周りを格好付けた足取りでぐるぐる回った。「蜜柑。そして空。あなた達がこの死体を発見した経緯を話してください。このキリンさんが推理をして差し上げましょう」
 「そんなことより部屋に戻るか、大人達に正直に事情を話してこれを見せた方が良いんじゃない?」パンダは冷静な意見をした。
 「えー……」キリンはとても残念そうな顔をした。「キリンさん、こういう推理小説的な展開には憧れがあるというのに……」
 「知らないわよ。さあ、年下のあんた達は戻ってなさい。出歩いてたのは私達だけってことにしてあげるから」パンダはわたしと蜜柑にキビキビと指示を出した。こいつは今この区域ではリーダー格で、こうして人に命令するのは様になり頼もしさも感じる「で、私とキリンで宿直の大人に報告を……」
 「待ってくださいよぅ」キリンはパンダになすり付きながら懇願した。
 「やめろ暑苦しい!」パンダはキリンを遠ざけようとした。
 「名探偵になる一世一代のチャンスなんですよ。報告するのは良いですけど、せめてその前に話だけでも訊かせてくださいよ」
 「……分かった。話すね」見かねた蜜柑が口を挟んだ。「あのねぇ……」
 蜜柑がたどたどしく説明するのを、キリンが格好付けて「ふむ、ふむ」と相槌を打つ時間が流れた。そしてキリンが言った。
 「…………謎は全てこのキリンさんが解きました」
 「どうだか」パンダが肩を竦めた。
 「推理を証明する為には……ある人物に協力を依頼しなければなりません」
 「誰よそれ」面倒見の良いパンダはキリンに相槌を打ってやっている。
 「彗星です。部屋に行きましょう」
 気が付けばキリンが場のイニシアチブを握っていた。わたし達は恒星と彗星の十二歳コンビのいる部屋を尋ねた。
 「すいせーい! 起きてますか?」ドタバタと足音を立てながら部屋に入るキリン。
 「ボクは寝てるんだけど!」叩き起こされた恒星が抗議の声を上げた。彗星の同室の少女だった。
 「おや彗星はいませんね」キリンは彗星の布団を捲った。「しょうがないですね。心当たりがありますので、そっちに行きましょう」
 キリンは十二歳コンビの部屋を出た。部屋の向こうから恒星の抗議の声が放たれたが、キリンには聞こえていないようだった。
 キリンを先頭に廊下を歩く。そこでキリンは「あ、そうだ」と唐突に言うと「ちょっと見せてください」と突然わたしの両手を握って観察し始めた。
 「えっ? ちょっと……何……」
 「やはり血痕が付いてますね」
 「いやそれは海の死体触ったからじゃない?」
 「空ちゃん触ったっけ?」と蜜柑。「あたしは咥えた枝でつついたりしたけど、空ちゃんは触ってないはずじゃ……」
 「いや触ったんじゃないの? でなきゃ血が付いてる説明付かないもん。つうか」わたしは白い目で蜜柑を見た。「そういやあんた、どさくさで海の遺体枝でつついたりしてたよね? あれ酷くない? 流石に不謹慎でしょ?」
 「ご……ごめんなさい。生きてるか確認したくて……でも死体を口や顎で触るのは流石に嫌だし、何でも脚でするなって皆良く怒るから、しょうがなく枝で……」
 「まあ、あんたの場合色々しょうがないのかもしれないけどさ。でも腕ないなりに仏には出来る限り配慮して欲しかったっていうか……。肩に五センチくらい突起残ってるんだから、それを使えば良かったんじゃないの?」
 「直接触るの全般嫌だったから……」蜜柑は媚びた表情を浮かべた。
 「なら条件わたし達と一緒じゃん! そういうとこだよあんた? 分かってんの?」
 わたしが怒鳴ると蜜柑は微かに目に涙を貯める。「ごめん、ごめんね……」
 「今喧嘩してる場合じゃないでしょ」パンダが溜息がちに窘めた。
 「何さ。普段全然蜜柑の介助手伝わない癖に」
 「今喧嘩してる場合じゃないと言ってるの。誰が介助してるとか関係ない」
 「あんたねぇ……」
 「そうだ!」そこでキリンがでかい声を出してその場の全員の関心を奪った。「空と海の部屋も調べてみましょう。何せ被害者の寝室です。きっと何かあるに違いありません!」
 そして誰の了承を得ずして、近くにあったわたし達の寝室に勝手に押しかけて行く。わたし達が追いついたころには、キリンは床に四つん這いになってわたしと海の寝室を這い回っていた。
 「見つけましたよ!」
 キリンは四つん這いになって指を立ててその一点を示していた。暗いので良く見えなかったが、キリンに促されて指を触れてみると、確かに雫のようなものが垂れていて嫌な感じに濡れていた。
 そして一度一つの血痕を認識してみると、小さな血痕がぽつぽつと落ちているのが、月明りの中で浮かび上がるように感じられた。
 「何でこの部屋に血痕が……」わたしは声を震わせる。
 「おかしなことではありませんよ。海は小指を切り落とされていたんですから、そりゃあ血痕も垂れることでしょう。もっとも指を切ったのがこの部屋というのは予想外でしたが……」
 驚くことにその血痕のいくつかはわたしの布団を汚していた。指が切られたのがそこであるようにまでは思えなかったが、一時的に切られた指が転がっていたという可能性ならありそうな血痕の量だった。
 「海の布団は全く汚れていないのに対し、空の布団は汚れてますね」
 「布団の中に、指があったりして……」蜜柑が身震いした。「もしそうだったら、空ちゃんもうこのお布団じゃ眠れないよ……。あの、空ちゃん、良かったらあたしのと変えたげようか?」
 「良いよそんなの……」わたしはアタマに手をやった。部屋が暗いからと言って、わたしはこんな血痕に気付かなかったのか。
 「キリンさんの推理に寄れば、指が見付かる可能性はどこにもありませんよ」キリンは断言した。「では改めて彗星を捜しに行きましょう。心当たりはありますから」
 キリンの心当たりは食堂だった。隣接するキッチンルームに入ると、キリンが大きめのゴミ箱を一つどかすと、裏にゴキブリのように隠れていた背の低い女が現れた。
 「は……はうわっ」彗星は手に持ったコッペパンをかじりながら身を震わせた。「違うんです違うんです! あたしはつまみ食いをしていたんじゃないんですよ! ただ残飯を漁っていただけで……ってキリンさん?」
 「キリンさんですよ」キリンはにっこり笑った。「何一人で食べてるんですかぁ。キリンさんにも分けてくださいよー」
 「えーダメだよーこれはあたしが見付けたんだよー」彗星はにこやかに笑いながら立ち上がり、コッペパンをキリンの方に差し出した。「でもキリンさんになら一口あげるのじゃー」
 「わーい!」キリンは口を限界まで開けてコッペパンにかじりついた。「おいしい」
 「あっ。ちょっとこらキリンさん。なんでそんないっぱい食べるの?」
 「えー? だって、一口は一口だし……」
 「こんなにいっぱいの一口なんてないよキリンさん。返してよ返してよ!」
 「ご、ごめんなさい彗星。どうせならたくさん食べなきゃ損だと思ってしまって……」
 「これは詫び案件だよ! どう責任取ってくれんのっ」
 「じゃ、じゃあ明日の朝のデザートのバナナ、あれ半分譲りますよ。それで許してください」
 「え? 本当?」彗星は目を輝かせた。そしてすぐに機嫌を直してキリンに抱き着いた。「わーい。だからキリンさんって好きー!」
 「やっとる場合か!」パンダが吠えた。
 彗星は今の区域でもっとも生年月日の若い十二歳の女の子で、背が低く百四十センチそこそこしかない。その割にはおっぱいが施設の中で一番でかいというアンバランスな体格をしている。頻繁に残飯を漁りに食堂を訪れるくらい食い意地が張っている為、その栄養が胸に回っているのかもしれない。髪型はセミロングで若干のボリュームがあった。
 「なんで彗星がここにいるって分かったの?」とわたし。
 「朝食でコッペパンが一つ余ったので。そういう時彗星は夜な夜なそれを食べようとキッチンに忍び込みます」とキリン。「キリンさん、たまに一緒にと誘われるんです」
 「なるほど。でもどうして彗星が必要なの?」
 「必要なのは彼女の魔法です」キリンは改まった口調で言った。「彗星。空の口にちゅうをしてもらえますか?」
 「えーっ。やだよ気色悪いよ」彗星は不安を訴えた。「だいたい大人の指示もないのに魔法使ったら怒らえるよー」
 「そこを何とか、お願いできませんかね……」
 「乙女の唇は安くないのじゃ。いくらキリンさんの言うことでもそれは聞けないよ」
 「残り半分のバナナもあげますから……」
 「えーっ。良いの? じゃあ、やるーっ」彗星は満面の笑みを浮かべた。「だからキリンさんって好きーっ」
 彗星はわたしの方を見ると笑顔のまま唇を近付けて来た。接吻するつもりのようだ。
 いやこいつはバナナ一本貰ってるけどわたしの承諾はなしか? 緊急事態だし必要ならしょうがないかもしれないけれど、せめて訳を聞かせてからにして欲しい。普通にキショい。
 「彗星の魔法って、キスした相手の寿命を知ることよね?」とパンダ。
 「そうじゃよ」彗星は頷く。
 「空の寿命がどう関係するのさ?」
 「それはしてからキリンさんがお話します」キリンが言う。「さあ、濃厚な奴を頼みます!」
 「らじゃーなのだ!」
 彗星の濃密なキッスがわたしの唇に押し当てられた。マジで濃密にしなくて良いのにと思ったが、そうでないとちゃんと寿命を読み取れないと過去に彗星が語っていたのを思い出した。流石に舌は入れて来なかったが柔い唇がまるまる三秒くらい押し当てられる。
 ようやくことが終わると、彗星は無邪気な笑顔でハキハキと口にした。
 「あと五十五年と三日。今十三歳だから六十八歳で死ぬのじゃ」
 「言うなって!」わたしは割と本気でキレた。
 「ごめんなのじゃ。でもキリンさんが教えてっていうから」
 「わたしの前で言うことないでしょ! キリンの耳元ででもささやいておけよ! どうするんだよ! 知りたくなかったよ自分の寿命なんて!」
 「忘れさせてもらえば良いんじゃないかな?」蜜柑が言った。「ほら、誰か人の記憶を消去できる魔法の子がいたはずでしょう? 指先から忘れるビームみたいなのがビーって出て、当たったら過去一時間の記憶がなくなるって奴」
 「それが海なんだよぉおおお!」わたしは九割がた八つ当たりの怒声を蜜柑に放った「もっと他人に興味持てよ! 魔法なんてその人のアイデンティティなんだからちゃんと覚えとけって! 生まれた時から同じ施設で生きてるのに何なんだよあんたは!」
 「ご、ごめん……」蜜柑はべそをかいて俯いた。「反省するから……反省するからぁ……」
 「蜜柑は他人に興味ないと思うけど怒鳴るのは理不尽なのじゃ。ねぇ、この二人って本当に仲良いの?」彗星が小首を傾げた。
 「力関係がちょっとはっきりし過ぎてるけど、まあ仲は良いんじゃない?」とパンダ。「空も空で捻くれてて気難しくて、シャイで人と壁作る上意味もなく苛々して噛み付く性質だから、他に友達少ないじゃない? で、蜜柑はこの通りだし、だから余り者同士……っていうと聞こえは悪いけど、まあお似合いっていうか」
 「なるほどなのじゃ」
 「失礼だろ!」わたしはパンダを睨んだ。
 「そ、空ちゃんは優しいから……優しいからあたしの相手してくれてるだけだから……」蜜柑は目を赤くしたまま震えた声で言った。「あたしと違って空ちゃん他にも友達いるし……。恒星ちゃんとか海ちゃんとかとも割と話すし……。別に嫌われてる訳じゃ……」
 「別に嫌われてるとまでは言ってないわよ」パンダは肩を竦めた。「歳が離れてるからあんまりつるまないけど、根は悪い子ではないと思うしね」
 「うんうん。人の嫌がることを引き受ける姿は感心なのじゃ」彗星はにっこり笑う。
 「その人の嫌がることって言い方はやめない?」わたしは彗星を睨む。
 「わー怖い」彗星はニコニコした顔でそれを受け流す。飄々とした奴なのだ。
 「それで彗星。確か、去年の今頃大人に言われて空の寿命を調べてたことありましたよね? あの時は何年でした?」キリンは尋ねる。
 「五十六年じゃよ?」彗星は答える。
 「えぇ……それおかしくないですか?」キリンは弱った表情を浮かべる。
 「何が? 一年前五十六年で今五十五年なら普通なのじゃ」
 「そうじゃなくて、あの。空の魔法のコストって五年刻みですよね?」
 「……まあそうだけど」わたしは頷いた。
 「キリンさんの推理との整合性は……?」キリンはその場で表情を真っ白にし始めた。「そんな……そんな……」
 キリンはしばし呆然とすると、少しずつ身を震わせ始める。徐々に徐々に振動の幅が大きくなって行き、次第に悲鳴をあげながらガタガタ震え始めた。
 「うわぁあああああ! 推理を外してしまいましたよぉおおおお! せっかくたくさん格好付けたのにぃいいい! うわぁああああああああ!」
 「わ。キリンさんが、こういう風になっちゃった」震えながら悲鳴をあげるキリンに彗星が言う。「キリンさんはこういう時、良くこういう風になるからね。というか皆揃っていったい何があったの?」
 「あ……えっと。うん。実は海ちゃんが高いところから落ちちゃって……」おずおずと蜜柑が言う。
 「な、なんだってー」彗星が目を丸くした。「海が死んだだなんて。う、うわー」
 「うわぁあああああああああああ!」キリンがでかい声で彗星の驚きに割り込んだ。「あんなに格好付けたのに恥ずかしいですよぉおおお! うわぁあああああああああ!」 
 「ちょっと待って!」わたしは口を挟んだ。「今の、なんか変じゃなかった?」
 「何が変なのじゃ?」彗星が言った。
 「いやだって……」
 「うわぁあああああああああああ!」キリンは喚き続けている。「これ絶対内心バカにされてる奴ですよおおおお! うわぁあああああ!」
 「うるさい!」パンダが声を荒げた。「驚いたり慌てたり恥ずかしがったり全部口に出す癖はやめてちょうだい! 結局全部無駄だったんじゃないのよ! もういい! あんたらもう皆部屋に戻りなさい! 私が一人で宿直の大人に報告しに行くから」
 「でもそれだとパンダさんだけが怒られちゃわない?」と彗星。
 「どうせ誰か怒られるなら私一人で十分よ。ほら、行った行った」
 そういうパンダに促され、わたし達はそれぞれ自分の部屋に戻って行った。

 〇

 キリン:十七歳。魔法は無敵。
 パンダ:十七歳。魔法は飛行。
 カトレア:十六歳。魔法はデージーの元への瞬間移動。
 デージー:十六歳。魔法はカトレアの元への瞬間移動。
 アルファ:十五歳。魔法は時間停止。
 ベータ:十五歳。魔法は嘘を吐かせない。
 葡萄:十四歳。魔法は空間の生成。
 蜜柑:十四歳。魔法は生物の殺害。
 空:十三歳。魔法は人体の復元。
×海:十三歳。魔法は記憶の消去。
 恒星:十二歳。魔法は火炎。
 彗星:十二歳。魔法は他者の寿命の把握。

 2

 〇

 起床ベルが響いてわたしは目を覚ました。
 ベッドで悶々と悩んでいる内に、気が付けば意識を失っていたようだ。寝足りない目を擦りながら、ベッドから降りて窓から差し込む朝の陽ざしを見詰めた。終わりかけている秋の窓辺は冷ややかだったが、白銀色の太陽は眩く、空の青色がやけに遠く感じられた。
 ルームメイトのいないベッドを一瞥してから、自分の身支度を進めていると、いつものように蜜柑がやって来たようで、膝なり肩なり頭なりを使って扉をノックした。来訪の許可を得る為のノックではなく、扉を代わりに開けて貰う為のノックだ。
 わたしは歯ブラシを口に咥えたまま扉を開けた。
 「おはよう」
 「おはよう」
 蜜柑はいつもの媚びた表情でわたしを上目遣いに見詰めている。こいつの方が若干背が高いので本来なら上目遣いにはならないはずなのだが、蜜柑はいつも微かに前傾した姿勢をしているのでそうなってしまう。ムカつくのでやめろと言った回数は覚えていないが、同じ回数だけやめることを約束した蜜柑はしかし、未だにこの姿勢でわたしを見上げていた。
 わたしは蜜柑を洗面台に連れて行きコップから水を口に含ませ吐き出させ、この部屋に置いてある蜜柑の歯ブラシで口の中を丁寧に磨いてやる。その間蜜柑は完全にされるがままになる。そのまま顔を洗い髪を溶かし服を着替えさせているところまで、蜜柑はわたしの呼吸に合わせて人形のように従順に動く。
 自分の分と合わせて二倍の身支度をするこの時間は、たいていの場合面倒臭い。しかしあくまでもたまにごくたまに、奇妙な愉悦が胸の奥に燻ぶるように感じることがある。こうして何もかもを自分に委ね自分の意のままに動く蜜柑を相手にしていると、ひょっとするとこいつはわたしのものなんじゃないかという、あらぬ錯覚を感じる瞬間があるのだ。
 葡萄はわたしのことを『蜜柑の奴隷』『小間使い』と揶揄するが、どちらかと言えば蜜柑こそがわたしの人形なんじゃないだろうか? 昔ふとした事故で両腕が取れてしまったが、それでも変わらずに大事にしている大切なオモチャだ。
 「……? なんで髪くくってるの?」
 蜜柑が言う。わたしははっとした。蜜柑の髪を梳かす内、昔優しかった頃の葡萄に教わった編み込みを、手遊みにこしらえてしまっていた。
 「あ、いや、うん……」
 わたしはわざわざ編み込みを解いた。蜜柑は一瞬だけ残念そうな顔をしたが関係なかった。葡萄に教わった編み込みっていうのが嫌だった。それにわたしは蜜柑の髪型の中ではストレートのロングヘアが一番好きだ。
 「この長い髪も手入れ大変だし、やっぱり切った方が良いのかな?」と蜜柑。
 「いやそれはしないって言ったでしょ。わたしが長いの好きなんだから」
 「自分は肩までなのに?」
 「自分のはどうでも良いんだよ」
 洗面所でやることを終えると蜜柑を連れて洋服ダンスの前に行き、二人分の着替えを済ませた。蜜柑の衣類は全部こっちの部屋のわたしのスペースにある。どうせこっちで身支度をするんだからと、自分のスペースを広く持ちたい葡萄が押し付けて来たのだ。
 身支度が終わる。波乱の一日になる予感がした。
 わたしは蜜柑を伴って廊下に出た。そして予想していた通りというべきか、海の死体の前に人だかりができていた。
 「来た来た。第一発見者のお二人やぁ」「ホンマやぁ。なぁなぁ早ぅこっち来て。お話聞かせて」「あんたらのどっちかが突き落としたんちゃうんやろなー」「なー」
 同じ顔をしたカトレアとデージーの二人が、同じ声で矢継ぎ早にわたし達に話しかけて来た。
 「キリンから聞いたで」とカトレア。「二人が海の死体見付けたってな」とデージー。「夜中に二人一緒に出歩いとったんやろ? 怪しいなぁ」「第一発見者を疑えーって刑事小説にも描いてあるもんなぁ」「夜中に屋上まで海を誘えるんも、同室の空に決まっとる」「そうやそうや」「ホンマにあんたらがやったんちゃうやろなー」「なー」
 そう言って同じ長さの人差し指を同じように突き付けて来る。わたしはため息を吐いて首を横に振った。
 「違うよ」
 カトレアとデージーの双子は十六歳で、敷地内における年齢の序列はキリンとパンダに次いで高い。瓜実のような形をした細い顔で眉が太く、性格の割に大人びた顔立ちで唇が蠱惑的に赤い。スタイルのメリハリも利いている方で身長も高めだ。髪型はウェーブのかかったロングヘアで、左右に分けてある伸ばした前髪は、どちらか片方の目をしばしば覆い隠していた。
 「違う言うんやったら証拠見せぇやー」「見せぇやー」
 「そ、空ちゃんの無実は、あたしが知ってて……」蜜柑がおずおずとした口調で言った。「海ちゃんが落ちて来る時、あたし、一緒にいて……」
 「ほうかぁ。ほなちゃうんかなぁ」と妹のデージーが言う。
 「ちゃうんちゃうでデージー! 蜜柑はだいたい空の言いなりや! アリバイ工作の嘘を吐かされとる可能性がある!」姉のカトレアが言った。
 「お姉ちゃんが言うんならそうなんかな?」妹のデージーが首を傾げる。
 「せやでせやで! せやから今から尋問やー」「やー」「締め上げて白状させたるでー」「させたるでー」
 「やめなさい」パンダがやって来て双子を制した。「何キリンの探偵ごっこに感化されてるのよ? 誰が殺したかなんて私達の考えることじゃないわ。胸糞悪い」
 「あっパンダ」「パンダ」双子は声と表情を合わせてパンダの方を見た。
 「死体の前で遊んでないで、さっさと食堂に行ったらどうなの?」
 「分かったやでー」「やでー」
 年長で敷地のリーダー格のパンダに促され、二人は歩調を合わせてたったか食堂に向かって行った。
 厄介な双子が消えてわたしはほとした。カトレアは葡萄のような陰湿ないじめっ子ではない代わりに、敷地に迷い込んた猫を追い回して蹴り殺すような残酷さがあり、年下からたまに物を取り上げたりもする。デージーは比べると少しはマシで一人の時に話しかけるとおっとりして感じることさえあるが、姉と一緒にいると追従して同じくらいの悪さをする。そして二人はルームメイトでもありたいてい一緒にいるので、とどのつまりどちらも厄介な人物だった。
 パンダに続いて食堂に行くと、最年少コンビの恒星と彗星が話をしていた。
 と言っても、教科書を読もうとする恒星に、彗星が一方的に話しかけている感じではあったが。
 「でねーっ。キリンさんがバナナくれるって言うんだよー」と彗星。
 「そうかい。まあ、ボクにはどうでも良いことだ」恒星はページを捲る。
 「何その教科書? それ十七歳用じゃない?」
 「そうだけど何か?」恒星は噛り付くようにして教科書を捲っている。「これは外の世界に繋がる数少ない手がかりなんだ。熟読し、少しでも内容を頭に入れなくては」
 「どうやってそんなの手に入れたの?」
 「キリンに頼んだらくれた」
 「借りたんじゃなくて?」
 「くれた。あの人はバカだから勉強なんてしないんだろ」
 「キリンさんはバカじゃないのじゃ。オセロが強いのじゃ。あとねあとねっ、五目並べも強いんだよーっ。神経衰弱も百発百中だし、ババ抜きは表情に全部出るからゴミだけど……」
 「君はキリンの話ばかりだな」恒星は教科書から顔をあげる。「どうせキリンは最年長で遠からずこの区域から出て行くんだ。執着するような相手じゃないと思うが」
 「キリンさんは素敵じゃよー? 恒星には分からないかな?」
 「どうでも良い。ボクは、この施設に住んでいる人間に興味はないんだ」
 恒星は彗星と同じ十二歳で彗星のルームメイトの女の子だった。そのキャラクターは『瓶底眼鏡のがり勉』で事足りた。背は彗星に次いで区域で二番目に低く、二つ結びの頭は真っ二つに分かれた旋毛が十人並の背丈のわたしからも良く見える。微かに吊り上がった気難しそうな眼をしていたが、小さな顔は丸っこく全体としては年齢相応にあどけない。
 「いつも思うけど、それ、分かるの?」わたしは十七歳用の教科書を捲る恒星に声を掛けた。実のところこいつとは少しだけウマが合い、蜜柑と海に次いで良く話しかける相手だった。「あたし自分の十三歳用のテキストも何書いてんのか分かんないのに、なんで十二歳のあんたが十七歳用が分かるっていうの?」
 「日々の努力さ。実のところ、他にすることもないからね。教科書を読み込んで配布される問題集を何周もしていると、自分用のテキストはすぐに物足りなくなる。そしたら学ぶべきは上級生用のテキストだ。この施設では勉強という行為のプライオリティはかなり低く見られているから、頼めば昔のテキストなんかは誰でもすぐに譲ってくれる。……現行のテキストをタダでくれたキリンは何事かと思うがね」
 実際のところこいつは成績が良く、テストでは満点を逃せばそれで悔しがるという具合だった。わたしの目の前で上級生用の問題集をすらすら解いて見せたこともある。がり勉なだけでなく、そもそものアタマも良いのだろう。
 「そんなの解いて何になるの?」とわたし。
 「外の世界のことが分かる」と恒星。
 「外の世界なんて本当にあると思う?」
 「そこから疑っているのかい? あるんじゃないか? だいたい確かめようのない社会科や歴史の授業はともかくとして、数学や理科なんかはこの施設の中でも十分に再現性のあるものだ。学ぶ価値はあるし、面白くもある」
 「いやーダルいだけ」
 「向上心を持ちたまえよ。このまま飼殺されているならそれでも良いが、何かの拍子に外に出られることもあるかもしれないじゃないか。そうなった時に無学なままでは、外の世界で生きる術を失ってしまうぞ?」
 偉そうな口調と態度。でも言っていることは微妙に正論臭い。感化されはしないけど、本人なりに信念持って勉強してるのは立派なんだろうとは思っていた。
 「おい空」
 その時、高圧的な声が頭上から降り注いだ。
 アルファだった。
 背が高く目付きが悪い。酷い三白眼で澄ましているだけで迫力がある。精悍というか粗暴な顔立ちで、碌に手入れされていない短くした髪をあちこち跳ねさせている様は、おとぎ話に出て来る悪役の狼のようだ。良く見れば顎の形がシャープで、美形と言える顔立ちではある。身体つきは良く引き締まっていて野生動物のようにしなやかだ。
 「来い」
 アルファは敷地で間違いなくトップであろう腕力でわたしの腕を掴みあげ、強引に食堂の外に引っ張っていく。蜜柑は「あたしも」と続こうとするが、アルファはそれを一睨みでビビりらせてしまう。
 「付いてくんな」
 震え上がった蜜柑に「いいよそこにいて」と一声かけてから、わたしはアルファに連れられて廊下を進んだ。
 「何なの?」
 「黙って来い」
 そう言われると黙って付いて来るしかない。アルファは十五歳でわたしの二つ上で、性格も物言いも乱暴で腕力もあり敷地では恐れられている存在なのだ。積極的に権威を持とうとしないだけで、その気になったらこいつが番長なのは間違いないだろう。
 アルファはわたしを海の死体の前まで連れて来ると、乱暴に顎をしゃくってこう指図した。
 「生き返らせろ」
 「出来る訳ない」
 アルファは何も言わずにわたしの肩にグーを見舞った。
 鋭い衝撃でわたしはその場で尻餅を着いた。手加減されてる気配のない強力な肩パン。息まで苦しくなるような痛みの中で、それでもわたしは辛うじてアルファのことを睨んだ。
 「何すんだ?」
 「生き返らせろ」ベータは強硬な態度だ。
 「大人の許可なく魔法使ったらわたし懲罰室送りなんだけど」
 「分かってる」
 「わたしの魔法一回使うごとに寿命を五年使うんだけど」
 「分かってる」
 「無理なんだけど」
 「生き返らせろ」
 「無理だって……」
 「あたしの言うことが聞けねぇのか!」
 アルファは足を振り上げてわたしを蹴り飛ばそうとする。その場を転がってどうにか顔や腹に貰うのを避けたがケツを蹴られた。いてぇ。
 わたしはそのままもぞもぞと這い起きてどうにか食堂へと走って逃げた。アルファは追いかけて来なかった。恐る恐る振り向くとわたしを静かに見送りながら首をひねってバキボキと関節を鳴らしていた。怖ぇ。運動の時間は無双状態のアルファのことだから、本気で追われたら一瞬で追い付かれるはずなのに、逃がしてくれるってことは今この場で要求を通す気はないってことか? 
 しかし困った。すごく困った。敷地で一番敵に回したくない奴が敵に回った。無口で乱暴者だけど情に厚く弱い者いじめはしない……みたいなのを気取ってる奴で、わたしや蜜柑のことも別に興味ないみたいに振舞ってるけど、まさかあんな無茶な要求をかまして来るとは。
 あんなことする程あいつ海のこと好きだったのか? いや違うか。アルファは敷地にいる奴は誰のことも仲間と思っていそうな単純な奴だ。その割に蜜柑の手助けとかはしてくれないが。あいつなりに海の命とわたしの寿命五年を天秤にかけて勝手な要求をして来たんだろう。
 「あ。空ちゃん」蜜柑が食堂でわたしを待ち受けた。「大丈夫だった」
 「うん。平気。大した話じゃなかったし」わたしは嘘を吐いた。
 「そっか良かったー」蜜柑は簡単にそれを信じる。「怖いよねーあの人。あたしちょっとちびっちゃったよ」
 「それマジ?」
 「……ごめんだけど拭いてパンツ変えて貰えると」
 わたしは蜜柑を連れて食堂のトイレに向かって行った。

 〇

 海が死んだというのに朝のイニシエーションはいつもと同じように進行した。
 食堂とキッチンはちょうど良い高さのカウンターで区切られており、キッチンで大人達が作っている食事が日に三度同じ時間にそのカウンターに置かれる。食事の時間は決まっていて遅れると懲罰の対象なので、時間を意識した行動が自然と養われていた。
 「配膳開始!」
 お盆に乗った食事がカウンターに並び、キッチンから大人がそう叫んだ。死体も片付けられていないが海の死は大人達も知っているはずなので、ぱっとは数えられないがカウンターに乗った食事は十一人分だろう。
 皆がカウンターに向かう中蜜柑が一人机に座って口を半開きにしてぼーっとしている。お盆運べないから立ってもしょうがない。わたしは一往復目を終えて二往復目に向かった。
 お盆にはトーストとスープとサラダとゆで卵と一本のソーセージとパックの牛乳それにデザートのバナナが乗っていた。スープからはコンソメの匂いがして湯気が立っていた。トーストにはジャムとマーガリンのパックが添えられていてわたしはそれが好きだった。サラダに乗ったトマトは嫌いなので蜜柑に処理させるつもりだった。
 わたしはお盆を持って蜜柑の待つ隣の席へと行こうとした。その時だった。
 突如として足元を蹴っ飛ばされ、わたしは正面から転んでお盆の中身をぶちまけた。
 おいしそうだったコーンスープがこぼれて、刻まれたキャベツやコーンやトマトと混ざり合っていた。食パンは少し遠くに飛んでいて皿の下敷きになっていた。わたしは呆然として振り向くと嘲るように笑っている葡萄と目が会った。
 こいつが足を払ったのだと気づく間もなく、キッチンの方から大人が「片付けろ」と叫んだ。
 「あの、今のこいつが……」
 「片付けろ」大人はあくまでも取り合わない。
 「片付けないとダメよ」葡萄が裂けるような笑みを浮かべた。「あなたがぶちまけたんだから」
 葡萄はマネキン人形のように引っ掛かるところのない、腹が立つ程ひたすら整った顔立ちの少女でわたしの一つ上。蜜柑と同じ歳。白い肌で漆のような胸元までの髪をしていて、絹のように滑らかなそれは重力に自然に従って真っすぐ胸元まで垂れている。前髪はぱっつんと切り揃えられていて、冷笑的な表情は性格の悪さを如実に表している。
 「……あんたが片付けなよ? というか、あんたの分寄越せよ」
 「どうして? あなたがこぼしたのに」
 「足を掛けたのはあんただ」
 「言いがかりはやめてちょうだい」
 「どっちでも良い」大人が言った。「早く片付けろ」
 目の前で見ていただろうにどうしてちゃんと葡萄を注意しないんだ。自分達の作ったルールを破る者には容赦ないのに、こういういじめみたいなことは見て見ぬ振りをする。こういう時わたしは自分のいる世界が憎くなる。外の世界に憧れ施設の全てをバカにする恒星の気持ちが分かる。
 実のところこういうことは前にもあって、そのいずれもわたしが片付ける羽目になった。こうしてにらみ合っていても結局はそうなることになると分かっていたし、周りの人間もそれを分かっていて放置している。余計な争いには関与しないという態度。
 誰も助けてはくれない。しかしこいつによってぶちまけさせられたものを自分の手で片付けまでやらされるのは屈辱的だし、毎回毎回負かされていてはいつまで経ってもやられっぱなしだ。わたしは意地を張って葡萄を睨み続けた。
 「あの。葡萄ちゃん。あのね」蜜柑は恐る恐ると言った様子で、額に汗をして歩み寄って来た。「もしかして、今朝のことかな?」
 「今朝?」わたしは蜜柑の方を見る。
 「いやその。挨拶の仕方が気に入らないって言われて……。それで空ちゃんのこといじめてるんだったら、その、あたし、謝るから」蜜柑はその場で膝を着いて深く頭を下げた。「本当にごめん。空ちゃんのことは、出来たら巻き込まないで」
 こいつが葡萄の機嫌を損ねたらわたしに攻撃が行くというサイクルがあるのか? わたしが疑問に思っていると、葡萄は蜜柑の髪を掴んで近くにぶちまけられていた朝食に近付けた。
 「ひっ……」
 「これは誰の分?」
 「だ、誰の分って……」
 「あんたの分? 空の分?」
 「いや、それはまだ決まってなかったというか……」
 「へーじゃあ床に落ちた食べ物を蜜柑は空に食べさせるんだー?」
 「あ、あたしの分です」
 「そっか。じゃ、食べなさいよ」
 葡萄は蜜柑の顔を混ざり合ったスープとサラダの中にぶち込んだ。
 鼻っ面が床にぶつかる嫌な音がした。短い悲鳴と共に衝撃でスープがあたりに飛び散った。蜜柑は痛みと窒息から喘ぐような声をあげたが葡萄は容赦しなかった。蜜柑は顔中をサラダとスープ塗れにして悶え続けていた。
 「あんたの言う通り、別に空には興味はないのよ」葡萄は嗜虐的な表情を浮かべる。楽しくてたまらなさそうだ。「むしろ空のことは気の毒だと思っているの。いつもいつもあんたの介護をやらされるからね。今朝も食べさせてもらうつもりだったんでしょう? その手間を省いてあげようと思って、こうやって朝食を床にぶちまけておいたって訳」
 大人達は何も言わない。いくらなんでもこれは、朝食のルーティーンを妨げたとして、葡萄を注意をしても良いんじゃないか? それとも蜜柑が過去に今いる大人達の仲間を三人殺しているから、それをいじめる葡萄をあえて止めないでいるのか?
 「ちょっとやめてよ!」わたしは怒声をあげた。「もう良い。わたし片付けるからあんたどっか行って!」
 「ダメよ。芋虫にはちゃんと餌を食べさせないと」葡萄は蜜柑の髪を掴んで離さない。「ねぇ空。私は決してあなたを憎んで転ばせる訳じゃないのよ。むしろあなたに楽をさせる為にやったことなの。分かってくれるかしら?」
 こいつは蜜柑の介助をするわたしを良く思っていない。だから時々こうした妨害行動を起こすのだ。
 だがどうしてそんなにまで蜜柑を憎むのか? こいつはいじめっ子だがそれは蜜柑に対してだけで、他の連中には普通に人当たりが良いし好かれている方だ。わたしに対してだって蜜柑が絡まないところだったら何もして来ない。小さい頃は優しかったし、人の痛みを想像できない程のバカでもないと思う。なのにどうしてここまで?
 「あのさ葡萄ちゃん」
 優し気な声がした。ベータだった。
 「あーしね。葡萄ちゃんが蜜柑ちゃんのこと突き放すの少しなら理解出来るの。だけれど、これはちょっと可哀そうじゃないかな?」穏やかだが堂々とした声だった。「そもそもそれは葡萄ちゃんと蜜柑ちゃんの二人の問題でしょう? そうするのが一番蜜柑ちゃんが嫌がるからって、空ちゃんのことを巻き込むのは反則だと思うな」
 ベータは長いまつ毛とカミソリで整えてある眉毛が特徴的な女の子で、わたしの二つ上の週五歳。施設にあるもので大人のする化粧の真似事をするのが好きなファッションリーダーで、どういう手段か髪の毛を栗色に染めることにも成功している。背は高くも低くもないが日々の節制の為か施設で一番スリムな体格をしていた。
 葡萄は何も言わずに蜜柑を解放した。ベータは「ごめんね」と葡萄に一声かけると、わたしと蜜柑のことをそれぞれ助け起こした。
 「あーしも手伝うから、これは一緒に片付けよう?」
 ベータは顔中食い物に塗れている蜜柑の顔を自前のハンカチで拭いている。面倒見の良いお姉さんの口調と手つきだった。蜜柑は「ありがとう……」と蚊の鳴くような声で呟いた。
 ベータは誰にでも優しい女の子で人望があった。わたしもベータのことは好きで尊敬もしていた。葡萄が言うことを聞いたのも、彼女の人徳と無関係ではないだろう。なんと蜜柑の介助も時々なら手伝ってくれるのだ。
 てきぱきとした手つきでベータはぶちまけられた朝食を片付けた。そして自分の席に戻って静かに朝食を再開する。わたしと蜜柑もそれに倣い、一人分の朝食を二人で分けた。

 〇

 朝食と片づけを終えると朝礼の時間だった。
 この時間になると皆緊張した表情を浮かべていた。海の死について沙汰があるとすればこの時間であるに違いなかった。
 席には死んだ海を除く十一人の少女たちが勢揃いしている。探偵気取りのキリンとリーダー格のパンダの十七歳の二人。双子で十六歳のカトレアとデージー。乱暴者のアルファと人格者のベータの十五歳の二人。十四歳は葡萄と蜜柑。十三歳はわたし(空)と死んだ海。がり勉の恒星とつまみ食いが好きな彗星は最年少の十二歳だ。寝室の部屋割りも、今現在はこの年齢ごとに別れている。
 「海が死んだ」
 大人達の一人が声を発した。
 わたし達は大人達をそれ程区別しない。誰なら優しいとか厳しいとかはなく、皆ロボットのように同じような振る舞いをするからだ。大人達も名前を名乗ったりしない。皆黒いスーツにサングラスで、全て女性だ。
 「これが自殺だと断定出来るなら何も変わらなかった。これまで通り貴様らの管理をし、貴様らは授業を受けたり研究対象となっていればそれで良かった。しかし我々は調査の結果、海の死は広義的には他殺であるという結論に達した」
 それはどうしてですか? とわたしは問いたかったがそれは許されていなかった。朝礼は発言を許されない限り大人達からの一方通行で行われ、口を挟むと注意の対象となり、多くは体のどこかに硬鞭を一発貰って痛い思いをする。
 「よって規定六章第十九条の要件が満たされた。すなわち『M0からM3、およびF0からF3までの生活区域においてミュータント同士が殺し合った場合、職員は全て速やかに生活区域から撤退すること。撤退状態は該当区域から生存者がいなくなるまで維持されること』この条項が実施されるということだ。尚この条項の目的は『ミュータント同士の闘争・殺戮行為に無辜の職員が巻き込まれることを回避する為』と定められている。よって我々職員はたった今から、このF2生活区域から撤退する」
 言っている意味が分からなかった。
 「貴様らへの接触は必要最低限度となり、貴様らには自治生活を行ってもらう。食料品及び生活物資及びその他必要だと判断されるものは、研究棟の窓から適宜投下されるものを分け合うように」
 喋っている内容をしっかりと読み解けば言いたいことは何となく分かる。ようは大人がいなくなるということだろう。だがそれを受け入れる精神力がわたしにはなかった。殴られたり変な実験をさせられたりしても、わたし達は基本的に大人達によって生かされて来たのだ。秩序だって最低限度は与えてくれていたのだ。
 それがいなくなる? 冗談だろう? 子供だけで自由に振舞えるようになって嬉しいとは考えられない程度には、わたしは同じ施設で生きて来た仲間を信じていなかった。
 「尚これまで貴様らに課せられていたあらゆるルール・義務は、原則的に全てなかったものになる。尚授業映像はこれまで通り教室のモニターで視聴できる。その他施設内の設備は自由に使って良いし、破損するなどして使え無くなれば修理する為の器具と方法をそちらに寄越す」
 気が遠くなって来る。
 「F2生活区域からの職員の撤退は無期限に行われる。先述の通り、ミュータントのみで営まれる生活におけるルールをこちらから定めることはないが、例外として区域からの脱走を測ることだけは禁止とさせてもらう。研究棟への立ち入りもだ。撤退はたった今この瞬間から行われる。我々がいなくなった瞬間から、貴様らは自由だ」
 そう言い残すと、大人達は本当に食堂から立ち去って行ってしまった。
 残されたわたし達は互いに顔を見合わせた。
 「これってどういうことなんですか?」キリンが不安げな声を発した。「キリンさん達、ここに取り残されるんですかあ?」
 「この状況で無限に放置されるとは思えない。そもそも無茶だ」恒星が発言する。「こんな愚かな子供だけを生活区域に残して、まともな生活を何年も続けられるだなんて、向こうも思ってはいないだろう」
 「……どうかしらね」とパンダ。「大人達は私達に嘘だけは吐いたことはなかったはずよ」
 「これホンマなんなん?」「よう分からん。ねぇお姉ちゃん。あたし怖いよ」「ウチもや。けど何とかやってかなしゃあない」「何とかって?」「何とかや」「何とかかぁ」普段能天気なカトレアとデージーも不安げな顔を見合わせている。
 「大人達がいなくなって自由になれるんでしょう? 良いことなんじゃないの?」彗星は素っ頓狂なことを言う。「毎日好きなだけ夜更かしできるのじゃ」
 「バカがよ」アルファが冷たく言った。
 「なんだとーっ」ぷんすか怒る彗星。
 「ちくちく言葉やめようよアルファ」ベータがとりなした。「とにかく今は普段通りに生活するしかないんじゃないのかな? 恒星ちゃんの言う通り、本当にテストの可能性もあるし……」
 「ベータに賛成ね」葡萄は言った。「今は様子を見るしかない。もっとも、テストである可能性は、私はほとんどないと思っているけどね」
 その後のわたし達の行動は大まかに二分された。普段通りのルーティーンを維持するものと、それをせず自分のしたいことをして過ごす者だ。
 パンダ、ベータ、葡萄、恒星が前者に該当した。朝礼の後時間通りに教室に行き、カリキュラムの通りの授業を受けるようだった。
 キリン、カトレア、デージー、アルファ、彗星は授業には出ず、施設内をうろうろしたり、どこかで固まったりして過ごしていた。わたしと蜜柑もこの陣営だった。不安感からか自然とこの陣営は一か所に集まるようになり、何時間か経つ頃には運動場の一か所で同じように膝を抱えていた。
 「食べ物とかオモチャとか服とか全部、そこの研究棟の窓から投げ込まれるんでしたよね?」授業に出ない組の最年長であるキリンが、研究棟を指さして言った。「そんなの絶対取り合いになるに決まってるんですよね。そうなったらこの、魔法を抜きにすれば微かながらひ弱であることを遺憾ながら認めざるを得ないキリンさんなどは……う……うわぁああああああ!」
 キリンはガタガタ震えながら騒ぎ始めた。
 「うわぁああああ。ひぃいいいいいい! きゃああああああああ!」
 「うわ。キリンさんがこんな風になっちゃった」彗星が冷静に言う。「キリンさんはこういう時、良くこういう風になるのじゃ」
 「……あたしは容赦しねぇぞ」アルファが言った。
 「どういう意味や?」「怖いこと言わんといて」カトレアとデージーが言った。
 「独り占めする気ですかぁ?」キリンが震えながら言う。「きききき、キリンさんはそそそそそんなこと許しませんよおぉおお!」
 「ちげぇよ。あたしが容赦しねぇのは、そういう自分勝手な真似をする奴だ」
 「あ。そうですか」キリンは震えを停止した。「じゃあ安心ですね」
 それは言い換えれば腕力のあるアルファにここの秩序をすべて握られることを意味している。アルファがどこまで平等にやってくれるかの保証はないし、食糧や物資が十分に足りている保証もない。
 わたしは自分の膝が震えているのを感じていた。

 〇

 やがて授業を終えたパンダとベータと葡萄と恒星が、学校と呼ばれる建物から出て来た。
 「あんた達、何を固まってるの?」とパンダ。
 「これはパンダ。ちょうど良いところです」キリンは言いながらパンダの背中に回る。「海殺しの犯人の手がかりを探します。居住棟の屋上まで乗せて行ってください」
 「おんぶでもしろって?」
 「いいえ。パンダの魔法で」
 場が騒然としてキリンに視線が集まった。魔法を勝手に使うことはこの施設における禁忌中の禁忌だった。
 「魔法はまずいよ!」ベータは言った。「大人達にたくさん叩かれるよ」
 「……いや。そうとも言えない」恒星は冷静な口調だった。「これまで敷地内で課せられていたルールは原則全て撤廃されたはずだ。今この区域で禁止されているのは、区域からの脱出を図ることだけだ。魔法を使うことも許可されたと見るべきだろう」
 「せやけどパンダの魔法はまずいんとちゃう」「せやせや。この敷地からその気になったら逃げれてまう」とカトレアとデージー。
 「……そうでもないのよね」
 パンダは敷地を囲っている高いコンクリートの壁を見た。それは敷地に存在するすべての建物より高いどころか、三階建ての居住区の五倍や十倍はざらにありそうな高さを誇った。高すぎて良く見えないが最上部には有刺鉄線のようなものも巻かれており、鉄壁の各所には監視カメラも設置されていた。逃亡者が出ないかどうかを絶えず監視する為だ。
 「あの高さは私でも超えられないし、超えようとしたら唯一残った禁忌に触れるわ」
 「と言うか、海ちゃんは屋上から落ちたっぽいんだよね? あのカメラのどれかが拾ってない? それでもし事故とか自殺なら……」ベータは希望に縋るかのような声だった。
 「それをした上で他殺だったってことだろ」恒星はそれを冷酷に突っぱねた。
 「ならどうして犯人を教えてくれないのっ?」ベータは喚くかのようだった。
 「……いずれにしろ、キリンさんは屋上に行きますよ」キリンはパンダの背中にしがみ付く。「さあ、飛ぶのです!」
 パンダは不承不承とした様子で頷いた。このルームメイトに振り回され続けた数年間で、一度言い出したら聞かないということを理解しているようだった。
 パンダは微かに背中に力を入れるような所作見せる。すると眩い光の粒をまとった巨大な一対の翼がパンダの背中に現れる。天使かハーピーか、とにかくそういう幻想生物を思わせる。それぞれがパンダの身長程もある立派な白い翼だった。
 「綺麗なもんだな」アルファが目を丸くした。
 「人を乗せて飛ぶの初めてだけど大丈夫?」パンダは尋ねた。
 「大丈夫です。万一転げ落ちても、キリンさんは無敵ですから」
 キリンは澄ました表情でそう言ったが、いざ飛行が始まると情けない声で悲鳴をあげた。
 「うわぁあああああああ! 高いです怖いです落ちそうですうわぁあああああああああ! キリンさん無敵ですけど出来たら落とさないでぇええええひぃいいい!」
 キリンの喚き声が遠ざかり、二人は屋上に吸い込まれて行った。そしてしばらくしてから、再びキリンの喚き声を乗せたパンダが戻って来た。
 「怖かったです……」とキリン。
 「何かあった?」とベータ。
 「遺書か何かあれば他殺の可能性も見えたんですけどね」キリンは残念そうだった。「そういったものはありませんでした。血痕の類もなく、争った形跡と言うべきものも」
 「足跡とかはどうなの? 残ってた?」
 「それは残ってました。屋上は埃っぽいですからね。調査の為に入ったであろう大人が踏み荒らしたスリッパの痕の他に、裸足の足跡が一人分です。きっとそれが海の足跡でしょう。ただ……」キリンは微かに考え込むような顔をした。「その足跡、多いんですよね?」
 「多い?」
 「ええ。完全に同一人物の足跡なので、一人分なのは間違いないんですが。でも一人分にしては多いというか、同線も上手く想像できなくて」
 「それがどうしたの? うろうろしただけじゃないの?」
 「そんな感じでもないんですよね……」
 「というか、足跡が海の分だけだというのが、そもそもおかしいんじゃないの?」葡萄は言った。「他殺だとすれば、海のものともう一つ、突き落とした犯人の足跡がないとおかしいはずよ」
 「キリンが大人が踏み荒らした跡だとしている、スリッパの足跡がそうなんじゃないか?」と恒星「ボク達はふつう居住区内は裸足に靴下で行動するが、大人達が履いているスリッパを入手することも出来なくはない」
 「なんでそんなことするの?」とベータ。
 「足跡を誤魔化す為だとか」
 屋上を調べても犯人は判明しなかった。しかし分かったこともあった。
 今現在、この区域内で魔法の使用は許可されている。カメラの前でパンダが魔法を使って見せたのに、大人達から何のリアクションもないことで、それは確信できた。
 「なあパンダ。ホンマに壁って超えられんの?」「れんの?」
 「超えられないわ」カトレアとデージーにパンダは答えた。
 「けど魔法の力ってアップすることあるんやろ?」「せやせや。あたしらも前はお互いの位置が分かるだけやったけど、今ではお互いのおるところに自由に移動できるようになったし」「レベル2に移行、とか言われたやんなぁ」「やんねぇ」「パンダもその内もっと高く飛べるようになるんちゃうん?」「ちゃうん?」
 「分からないわ。仮にそうなったとしても、簡単に飛び越えさせてくれるとは思わないわね」
 その時、ドサドサと鈍い音がして、研究棟から大量の袋が降り注いだ。
 研究棟は区域の隅、二枚の鉄壁がちょうど百二十度の角を描いている部分に、めり込むように設置されている。上から見れば、大きな正三角形を研究棟を中心に三枚の鉄壁で三つの三角形に区切っているように見えるのではないだろうか? 三つに区切られた区域の全てにわたしは所属したことがあり、どの区域から入る研究棟も全て同じ建物だった。
 「ごはんの時間だ!」彗星が呑気な声で言った。
 その通りで今は普段昼食を摂っている時間だった。わたし達は降り注いだ袋に歩み寄り中身を改めた。そこにはいくつかの肉と野菜と米と調味料が入っていた。ファイルに入った紙も数枚あって、酢豚と味噌汁とハルサメサラダのレシピが乗せられていた。
 「材料やるから自分で作れってことね?」とパンダ。
 「作るのじゃ作るのじゃ!」彗星は興奮しているようだった。「世は腹が減っておるぞ!」
 食糧を運搬し、わたし達はパンダを中心にレシピを再現しようと悪戦苦闘した。調理実習なんて気の利いたものは施設にはなく料理は初体験だ。資料はそれなりに丁寧で図や写真も載っていて分かりやすかったが、実際の調理では露骨に個人の能力差が出た。
 結論から言うと役に立ったのはパンダとベータと葡萄の三人だけだった。わたしも野菜の皮むきに挑戦したが自分の手を切るだけの結果に終わった。彗星はキリンを巻き込んでつまみ食いを目論んでアルファに殴り倒されていた。カトレアとデージーは特に仕事はせず他の連中を茶化していた。恒星は所在なさげにそこらに立っていて、蜜柑はそもそも参加せず食堂の椅子に座って出来上がるのを待っていた。
 どうにか酢豚のようなものが出来上がった。分量や味付けや火加減や水加減は怪しかったが、とりあえず食べられそうなものは出来上がった。
 「蜜柑は参加してないから食べなくて良いわね」葡萄がお決まりの意地悪を言った。
 「やめてよ!」わたしは吠えた。
 「本気で言っているのよ? このような極限状態においては、弱者への配慮は行き届かない。いったい誰が何の役にも立たない奴の為に尽くしてやるというの。フリーライドは許されないのだわ。自分の持てる力で何か貢献できることを探すか、それが出来なきゃ飢え死にするだけよ」
 「わたしが二人分働く」
 「あなたが何の役に立ったというの?」
 「まあまあ。今日は初めてだったし、なかなか上手く動けないのもしょうがないよ」ベータは取り成すように言った。「皆そんな感じだったじゃん。あーしもお米洗う時シンクにちょっとこぼしちゃったしさ。ねぇパンダ」
 「……それぞれの義務と権利をどうするか、その中で蜜柑をどう扱うか悩みどころね」パンダは腕を組んだ。「まあ。ひとまずは皆でこれをいただきましょう」
 結局蜜柑も食事にありつくことが出来た。しかし、食は進んでいないようだった。
 「……不安?」わたしは蜜柑の口に酢豚を運びながら言った。
 「うん……」蜜柑は目を赤くしていた。「あたし……生きていけるかどうか」
 「わたしが何とかするよ」
 「……ごめんね空ちゃん」蜜柑は唇を震わせた。「どうか見捨てないで……」
 これをハッキリ口に出してくれたのは、良かったと思う。

 〇

 食事が終わり、パンダの指揮で皿洗いをやった。これは調理と比べると勝手は分かり、蜜柑を除き誰もがそこに参加出来た。料理をうまくやれない者がこの仕事をこなすという役割分担が提唱される予感がした。
 「解散の前に、一つだけ良いかしら」
 葡萄が皆に向けて言った。
 「海が亡くなった今現在、空はルームメイトがいない状態なのよね? 蜜柑のことを引き取って貰おうと思うのだけれど……良いよね?」
 わたしと蜜柑は顔を見合わせた。願ってもない提案だった。これで蜜柑は葡萄にいつも怯えていなくて良いし、わたしも夜も朝も生活の手助けをやりやすい。
 「実はもう荷物はまとめておいてあげたのよ」
 「本当? あ、ありがとう……」蜜柑は媚び諂った顔をした。「まとめておいてくれるなんて……。さ、最後はちょっと優しいんだね……」
 「まとめて窓から放り出しておいた。早くしないと風で飛んでいくかもしれないから、とっとと回収しなさい」
 蜜柑はとても悲しそうな顔をした。
 「部屋変えあるの? だったらあたしもキリンさんと一緒が良いなーっ」彗星が手をあげて主張した。こいつは本当にキリンに懐いている。
 「ボクはどうなるんだ……」ルームメイトの恒星が顔を顰めた。「いや、別に彗星と離れるのは良いんだけど……。組まされる相手によっては……」
 「もう全体の部屋割りを考え直さないか?」アルファが言った。「お互い、済々したいもんだ。なあ、ベータ」
 「あーしは別にどっちでも良いけど」ベータは涼しい表情だったが、口元に若干の皮肉を滲ませていた。「別に険悪だった訳じゃないでしょ。そうする意味もないし。相手を気にせず自分の生活をする分には、一人でいるのとそんな変わんなかったよ」
 「そういうところが気に食わなかった」アルファは眉間に皺を寄せた。
 ……なんだ? こいつら仲悪いのか? そういう印象はなかったし、そういう態度を見せることもなかった。ただ同時に、この二人が仲良く喋ったり遊んだりしているところを見たことがあるかというと、そうではないようにも思われた。
 「話し合いでもする?」パンダは言った。「わたしもキリンの夜更かしに付き合わされるのには軽くうんざりしてる。彗星が引き取ってくれるのなら、それも良いかもね」
 「えー……。キリンさんが嫌なんですかぁ?」キリンが悲しそうな顔をした。「六年来の付き合いじゃないですかぁ……?」
 「あんたとは親友よ。訳分かんない時間に寝るのやめて、夜大人しく寝てくれるなら、別にルームメイトでも良いんだけどね。まあでも彗星が組みたがってるなら組んでやったら?」パンダは優し気な目を彗星に向けた。「懐いてるんだし。もうそんなに時間もないでしょ?」 
 「そうですね」キリンは軽く目を閉じた。「では、余生は彗星と夜更かしして過ごしますか」
 「わーい。キリンさんと同室だーっ」彗星は眩い笑顔を浮かべた。「嬉しいのじゃ嬉しいのじゃ」
 話し合いの結果、わたしと蜜柑、キリンと彗星、アルファとパンダ、ベータと葡萄という新しい組み合わせが決定された。カトレアとデージーはルームメイトの交換を希望しなかった。余り者は恒星となったが、一人でゆっくり勉強が出来ることを喜んでいた。
 部屋変えの引っ越し作業に移る。葡萄は蜜柑の荷物を本当に窓から投げ捨てていたので、わたしは砂塗れのそれらを拭いて綺麗にしながら自室へ運び込んだ。衣類など一部のものは既にわたしのスペースに運んでおいたので、作業は他の連中の半分程度で済んだ。
 「これからはいつも一緒だね」わたしは蜜柑に笑いかけた。
 「よ、よろしくお願いします」蜜柑は深く頭を下げた。「ふつつかものですが……また面倒をおかけすると思いますが……。何でも言うこと聞くからどうか嫌わないでね。見捨てないでねっ」
 卑屈だな。元から気の弱い奴だったが、葡萄にいじめられるようになってからは余計に卑屈になった気がする。昔は臆病ではあってもわたしのことはもう少し信頼してくれていたはずなのに。
 こいつのこういう態度にいちいち苛ついていてもしょうがない。なるだけ葡萄から離しておくようにすれば、もう少し明るい蜜柑に戻ることもあるだろう。わたしはそう思った。
 その時部屋の扉が勢い良く開け放たれた。
 ノックもせず乱暴に扉を開けたのはアルファだった。アルファは黙ってわたしの方に歩いて来ると、その手を乱暴に取って部屋の外へと連れ出した。
 「ちょっと何なの?」
 問いを無視してアルファは海の死体の前までわたしを連れて来た。嫌な予感がしてその人相の悪い顔を見上げる前に、アルファはわたしの顔を思いっきりグーで殴って来た。
 火花が散ってわたしは海の死体の前にぶっ倒れた。腕が思いっきり死体に触ってわたしはぞっとした。やけに死体に触れることを気にする蜜柑の気持ちがその時になって分かった。海の死体はひんやりとしてそれでいてべっとり血で汚れていた。
 「こいつを生き返らせろ」アルファは持ち前の低音ボイスで言った。
 「いや……無理だって……」わたしは震え上がった。「本気で言ってるの? あんた。寿命五年はいくらなんでも……」
 「よぼよぼになった後のおまえの五年間と、こいつの向こう何十年とある人生と、どっちが重いかは分かるだろう?」
 「そういう問題じゃ……」
 「じゃあどういう問題なんだよ!」
 アルファは蹲るわたしの腹を蹴っ飛ばした。鋭い痛みと共に肺の中の空気を全て吐き出すような窒息感をわたしは覚える。急所の詰まった横っ腹を蹴飛ばされるのは、痛いという以上の不快感が迸り、わたしは地獄の苦しみを覚えた。
 「おーやっとるやっとる」「やっとる」カトレアとデージーが見物していた。「締め上げるんなら手伝おうか」「おうか?」
 「必要ない。あたしが一人でやる」アルファは首をポキポキと鳴らしてわたしを見下ろした。「なあ、空、あたしの言うことが聞けないのか?」
 見れば見物しているのは双子だけでなくパンダもいた。腕を組んでアルファがわたしを痛めつけるのを静かな表情で見下ろしていた。
 「なんで……」わたしは見物人達に視線をやる。「パンダ。あんたなんで止めてくれないの?」
 「海を殺した犯人を割り出すのなら、海本人に聞くのが一番手っ取り早いの」パンダは言った。「犯人さえ分かれば、大人達が帰って来るかもしれない。それに海は私の大切な仲間よ」
 「あんたが差し向けたって訳?」
 「言い出したのはアルファよ。前からそうするつもりであんたに絡んでたみたいだし。私はただ賛成しただけのことよ」
 結構良い奴だと思っていただけにショックはでかかった。パンダは蜜柑の介助はしてくれないにしても、区域内の年長者として皆をまとめる姿は頼もしく感じていた。精神年齢も一番高かったように思うし気配りも利いた。そんなパンダがわたしから寿命を奪おうとしている。アルファがわたしに殴る蹴るの暴行を加えるのを看過している。
 「生き返らせろ」
 アルファはわたしの脇腹を繰り返し蹴り付けた。既に息も絶え絶えだったが、脇腹なんて急所をこのまま蹴られると命に係わるので、わたしはどうにか亀のように丸まってそれを防御するしかない。しかし背中や尻のような場所を延々と蹴り続けられるのも結構堪えるもので、地獄のような痛みの中でわたしはじわじわと精神を消耗して行った。
 ……言うことを聞いてしまえば楽になるのだろうか?
 次第にそう思うようになる。そう仕向けられているのは分かるがそれでもそう思う。彗星が言うには私には六十八歳までの寿命がある。それが六十三歳になったところでどう変わるというのだろうか? そりゃあ歳を取って寿命を目前にしたら、後五年あればと今この時の判断を激しく後悔するのだろうが、しかしそんな未来の話よりも今この瞬間の痛みと苦しみの方がはるかにリアルだった。
 「やめてっ!」
 蜜柑の声がした。
 戻って来ないわたしを探しに来たらしい。制止の言葉をアルファは意にも解さなかったが、しかし蜜柑がわたしの身体に覆いかぶさって物理的に拳と脚を遮断したことで、アルファは怒声を発した。
 「邪魔すんな!」
 蹴っ飛ばされた蜜柑はあっけなくその場に転がった。脇腹を一発蹴られただけでひいひい言っている。まあ同じキックを何度も貰っているわたしにはその痛みが分かる。当分立てないに違いない。その当分立てないキックをわたしは何度となく貰っているのだが。
 何一つまったく役に立つことはなかったが、それでもわたしを助けに来てくれた蜜柑にわたしは感謝した。いや役に立たないって程でもないか。キック一発だけとは言え代わりに引き受けてくれた訳だし。
 わたしは腹をくくった。
 「……分かった。良いよアルファ」わたしは懇願するように言う。「生き返らせる。それで良いんでしょ?」
 「分かったなら良い」アルファは動きを止めた。「すまんな」
 「そんなことさせないで」蜜柑は泣き喚く。「大切な寿命だよ! 払うかどうかは空ちゃんにしか決められないよ!」
 蜜柑の言う通りだが言ってもしょうがなかった。わたしは海の死体の方ににじり寄った。
 「本当にやめて!」蜜柑は声に怒気を孕ませた。「やめないと殺すよ?」
 「殺す?」アルファはぽかんと口を開けた。「おまえが? 誰を殺すんだ」
 「あんただよ!」蜜柑は怒鳴った。初めて聞くような声だった。「あたしは誰だって殺せるんだ! アルファだって……」
 「腕を失う前はな。それで大人を殺したから腕を切られたんだろう?」アルファは同情すら感じられる声音で言った。「もう良い。黙ってろ」
 「うるさい!」蜜柑は金切り声をあげた。「殺してやるっ!」
 その時だった。
 充血しきった蜜柑の目が、赤く輝くような気配をわたしは感じた。
 強い魔法の力を感じた。蜜柑の内側から放たれる強い感情が、何かおぞましく強い力を引き寄せているように感じられた。それらはすごい勢いで蜜柑の中へと集まって行くようだった。
 空気が震えるような錯覚があった。いや実際に震えていたのかもしれない。その場にいる全員が蜜柑から目を離せなかった。蜜柑が成そうとしていることから目を離せなかった。
 「死ねーっ!」
 蜜柑は叫び、はっきりと目が赤く輝いた。
 アルファから力が抜けた。
 そして膝を着くこともなく真っすぐに地面にぶつかって倒れた。
 悄然とした気配が漂った。一番近くにいたわたしが反応する前に、パンダがいち早く冷静さを取り戻してアルファの方に駆け寄った。
 「アルファ? どうしたの?」
 反応がない。
 わたしは過去に蜜柑が大人達を殺した時のことを思い出していた。あの時もこんな風に大人達は突然倒れたのだ。蜜柑の手が触れた瞬間にパタリパタリパタリとあっけなく。それはまさに死神の力であり、立って生きて喋っている血の通った人間を一瞬にしてがらんどうの亡骸に変えてしまう、おぞましく真っ黒な魔法だった。
 「わ。わぁああああ!」蜜柑が悲鳴をあげた。そして尻餅を着いたまま、小さな子供のような声で泣きじゃくり始める。「ふぁあああああ。あああああん! うぁああああああん!」
 蜜柑の鳴き声は区域中に響き渡り高い空へと吸い込まれて行った。ボロボロと涙を流し鼻水を垂らし泣きじゃくる蜜柑はあらゆる弱さを剥きだしにしたかのようだ。しかしその蜜柑は区域で一番強いアルファを殺したのだ。そういう風にしか見えなかった。
 「これって……ウチらの時と一緒よな?」とカトレアが冷や汗を浮かべた。
 「そうやねぇ……」デージーが口元に拳を当てて怯えた顔をした。「あたしらの魔法の力がアップした時も、確かこんな感じに、何か不思議な力が集まって来るみたいな……」
 「どうなってるの!」アルファを抱きしめながらパンダが叫んだ。「本当に死んでるじゃない! 海に続いてアルファまで……どうなってるのよぉ!」
 パニックに陥っている皆の前で、わたしはどうにか立ち上がり泣きじゃくっている蜜柑に駆け寄った。そして泣き続けている蜜柑の肩に手をやると、どうにか振り絞ってこれだけ言った。
 「ありがとう」
 蜜柑は目を丸くしてわたしを見ていた。

 〇

 キリン:十七歳。魔法は無敵。
 パンダ:十七歳。魔法は飛行。
 カトレア:十六歳。魔法はデージーの元への瞬間移動。
 デージー:十六歳。魔法はカトレアの元への瞬間移動。
×アルファ:十五歳。魔法は時間停止。
 ベータ:十五歳。魔法は嘘を吐かせない。
 葡萄:十四歳。魔法は空間の生成。
 蜜柑:十四歳。魔法は生物の殺害。
 空:十三歳。魔法は人体の復元。
×海:十三歳。魔法は記憶の消去。
 恒星:十二歳。魔法は火炎。
 彗星:十二歳。魔法は他者の寿命の把握。

 3

 〇

 アルファは死んでいた。
 生死の判別は彗星が行った。物言わなくなっていたアルファに唇を重ねると、彗星は表情のない声で「寿命はゼロですな」と呟いた。
 「アルファとはちゅうしたことなかったから、今日死ぬなんて知らなかったですじゃ」
 「信じられない……」ベータが震え上がった。「蜜柑ちゃんがまた人を殺すだなんて……」 
 「……蜜柑の魔法は手を触れなければ効果がなかったのでは?」キリンが呆然とした様子だった。
 「……魔法の力はアップすることもある。レベル2への移行などとも呼ばれている」苦々しい声で言ったのは恒星だった。「かくいうボクも実験中にレベルアップを果たしたことがある。以前までは手のひらに火球を生み出して投げる程度だったが、今では遠くまで火炎放射器のように炎を発せられるようになった。居住棟を燃やし尽くすくらいのことは可能だろう」
 「これ……まずいのでは。キリンさん達は皆殺されるのでは?」キリンは歯を震わせてガタガタと音を立てた。「うわぁああああ! 死にたくないですよおおおお! ひぃいいい!」
 「何で殺されるねん?」「せや。アルファは空を殴んりょったけん殺されたんであって、逆らわんかったらええだけとちゃうん?」とカトレアとデージー。
 「キリンさん達、蜜柑が垢塗れの糞塗れになってるのを、ずっとほったらかして来たじゃないですかああああ!」キリンは震え続けている。「キリンさんも頼まれたらたまに手は貸しましたけど、それでも基本は放置でしたよおおお。うわぁああああ!」
 「……これは話し合いの時間を持った方が良いわよね」葡萄が顔を真っ青にしてパンダの方を見た。「よりにもよってアルファが死んだし。緊急事態なんてものじゃない。分かるでしょ?」
 「……そうね」
 水を向けられたパンダは、吐き気すら堪えるような弱り切った表情だったが、強い克己心でそれを飲み込んだようだった。
 「空。蜜柑と一緒にここにいてちょうだい」
 「……なんで?」とわたし。「わたしと蜜柑を残して何を話すっていうの?」
 「良いからいてちょうだい」パンダは突き放すように言った。「他の皆は付いて来て。食堂よ」
 わたしと蜜柑だけが建物の外に取り残された。
 さっきまで泣きじゃくっていた蜜柑は、その場で項垂れてじっと地面を見詰めていた。微かに肩が上下している。震えてでもいるのだろうかと思い、わたしは落ち着かせようと後ろから蜜柑を抱いた。
 「アルファの死はわたしも背負うからね」わたしは蜜柑の顔を覗き込む。「殺しちゃって落ち込んでると思うけど、絶対に蜜柑を一人にはさせな……」
 蜜柑は笑っていた。
 頬が裂けるような笑顔だった。
 目には卑屈な愉悦のようなものが滲んでいた。わたしは身震いした。蜜柑は喜んでいるように見えた。アルファを殺すことが出来た自分自身を喜んでいるかのように思えた。喜びの笑みを漏らす度肩が微かに上下に震えていた。
 「や……やった。やった……あ、あはっ」蜜柑は笑みをかみ殺すように頬を膨らませる。そして爛漫と輝く目で漏らすように言う。「この力さえ戻ってくればあたしは誰にも負けない。誰にもいじめられないしほっとかれない。皆優しくしてくれる。助けてくれる。あは、あはは……っ」
 「ちょっと! 何言ってんの?」
 蜜柑ははっとしてわたしの方を振り向いた。
 そして焦りのあまり汗を飛ばしながら、おどおどとした声で言った。
 「え、あの。その、違うの。今のは……今のはね。あのねっ」
 「……いや。しょうがないと思うよ」わたしは色々な言葉を飲み込んでそう言った。「あんたがこれまでどんな扱い受けて来たか考えたら、そう思うのも無理はないよ」
 こいつはあまりにも無力だった。自分のこと何一つ出来ない癖に、誰にも差し出せる物がなかった。他人の良心に縋ってしか生きていけないことを知り抜いていて、だから誰にでも媚びた態度で卑屈にへつらって来たのだ。
 それでも助けてくれる奴なんていなかった。そりゃそうだ。だってそんなことをしても何の得にもならない。その状態から抜け出す為には、消えた両腕を補う力が必要だった。
 こいつは力を得た。それを喜ぶなとは、わたしは言えない。
 「さっきあんた。わたしを助けようとしてくれたんだよね?」
 「え……うん」蜜柑は頷いた。「だって寿命五年は」
 「うん。でもどんなに声を張り上げたってアルファが止まる訳ないもんね。それをあんたも分かってた。かといって両腕ないんじゃ飛び掛かったって返り討ちは見えてるし……そんなあんたがわたしを助ける為に最後縋ったのが、前に持ってた人殺しの魔法だったんだろうね」
 そして力は宿った。神か悪魔か……多分悪魔の方だろうがそいつは蜜柑に力を与えた。一人が一種類ずつ使える魔法の力がアップすることは観測されている現象だった。手を触れた相手を殺せる力は、手を触れずとも殺せる力になったという訳だ。
 「どんな風にパワーアップしたの?」
 「……多分。視界にいれば自由に殺せる」蜜柑は言った。「じっと睨んで『死ね』って念じたら死んだから。目を閉じて同じことを出来るからっていうと、出来ないと思う」
 「ふうん。そっか」
 「空ちゃんは怒んないの?」
 「怒んないって?」
 「アルファ殺したこと」
 「怒んないよ」
 「悪いことじゃないから?」
 わたしはぎょっとしそうになるが表情には出さずこう続けた。
 「いや……。良いか悪いかで言えばまあ、そりゃ殺してんだから良くはないと思うよ? それは助けて貰った立場のわたしでも、蜜柑は何も悪くないとまで言うのはまずいって分かるし。でも、だとしても、やっぱり怒んないかな。わたしは」
 「そうなの?」
 「倫理とか道徳に照らせば色々問題はあるんだと思うよ? でもわたしはあんたを咎める立場に回りたいって気持ちにはどうしてもならない。その必要もないと思う。文句言うのはどうせ別の誰かがやるんだし、わたしとしては友達として優しく接してても許されると思う」
 「それってあたしが悪くないってこと?」
 「いや悪いのは悪いでしょ話聞いてた?」
 わたしは思わず声を荒げた。蜜柑は反射的に慌てた様子で「ごめん」と謝って黙り込んだ。
 しばし沈黙が流れた。蜜柑はわたしの言っていることを咀嚼しようとして上手くできなかったのか、そのまま俯いて足のつま先で砂を弄り始めた。
 わたしは空を見上げた。終わりかけの秋の空は高く小さな白い雲が細かに散っていた。眩い太陽の光が降り注いでいたが、肌寒くなり始めた空気を掻き消す程ではなかった。これからいろんなことが変わり始めるんだろうなとわたしは感じた。

 〇

 わたしは蜜柑と二人で居住棟の壁に背を預けて座っていた。
 蜜柑の震えは収まっていて泣くのも笑うのもやめていて、いつものように膝を丸めた姿勢で、地面を見詰めながらぽつぽつと喋っていた。その内容は取り留めのないものでアルファの死とも蜜柑の力とも関係のないものだった。今読んでいる本のあらすじやチェスやオセロなんかのボードゲームの戦術についてや、過去に葡萄にやられたいじめに対する愚痴や泣き言など、ようするにいつも蜜柑が話すようなことを蜜柑は話していた。
 そうしているとやがてベータがやって来た。額に汗したベータは微かにぎこちない笑顔を浮かべていた。訝るわたしにしゃがみこんで視線を合わせてベータは声を掛けた。
 「ちょっと食堂に来てくれないかな?」
 「なんで?」
 「パンダが話があるって……。ちょっと長くなるかもしれないけど、その間蜜柑ちゃんのことはあーしが看てるから安心してね」
 蜜柑は機嫌を取るような表情をわたしに向けた。ここでベータを寄越すのがかえって不穏に感じられた。ベータは時々なら蜜柑の介助も手助けしてくれたし、葡萄がやり過ぎると庇ってくれることもあった。そんなベータを寄越せばわたしが安心して蜜柑を置いて行くと食堂の連中に思われていそうだった。罠と作為の気配がした。
 「あ、安心してよ何もしないから。あーしの魔法じゃ蜜柑ちゃんどうにも出来ないし、他の皆は食堂にいるでしょ?」
 わたしの懸念が伝わったのかベータはそんなことを言った。余計に胡乱さは深まったが、こうなったら受けて立ってやろうという気持ちでわたしは立ち上がった。
 「行って来る」わたしは蜜柑に告げて食堂に向かった。
 食堂ではパンダ一人が立っていてキッチンの前にいた。他の連中はそれぞれ席についてパンダの方に体を向けていた。会議の司会進行をパンダがやっていて、他の連中はそれに従っているという感じだった。
 「来たわね」パンダが言った。
 「……何?」わたしはパンダを半ば睨んだ。
 「蜜柑のことどう思う?」
 「どうって?」
 「この区域に蜜柑が来て、次に空が来るまでの一年間、私達は両腕のない蜜柑に碌に手を貸してやらなかった。そのことで蜜柑は私達にその復讐すると思う?」
 思わずわたしは目の前が真っ赤になった。「復讐されるようなことして来た自覚があるくらいだったら、最初っからもっと優しくしてやれば良かったじゃない!」
 パンダは鼻白んだ様子で黙り込んだ。
 「それは完全に空の言う通りなんですよねぇ」口を挟むキリンは困ったような口調だった。「服を着替えさせて欲しい、身体を洗って欲しい、お尻を拭いて欲しい……。そういうとても切実なお願いをそれでも跳ね除け続けて来た訳ですから、蜜柑の恨み辛みはきっと深いことでしょう。困ったものです」
 「じゃあなんで助けてやらなかったの?」
 パンダは苦々しい口調で言った。「最初の内は……我々も極力言うことを聞いてあげていたのよ。でも手を貸し続けるのがどれだけ大変なのかは、空が一番知っていることでしょ? なるべく自分にお鉢が回って来ないよう全員が立ち回った結果、最終的に誰も手を出さなくなったというような流れでね」
 「私はそもそも最初から手を貸さなかったけどね」葡萄は肩を竦めて見せた。「アルファやカトレアとデージーの双子だって似たようなもの。序盤はそれ以外の者で蜜柑の世話を回していたようだけど、徐々に人の良い奴にそれが押し付けられるような状況になって行った。やがてベータとキリンの二人がほぼやるような状況になって、結局それもすぐ破綻したわ」
 「キリンさんはベータを手伝っていただけですけどね」キリンは言った。「そもそもキリンさんはお願いされた時しか動きませんから。それもこっちの都合で好きなように断らせてもらっています。ああ、でもお尻拭くのだけは全部、いちいちキリンさんがベータに呼び出されて、やらされてたんでしたっけ?」
 「その内介護ストレスでベータが『いぃいいー!』ってなったんよな」とカトレア。「『もう嫌だあ!』って泣き喚いとったなあ」とデージー。「あれはヒステリーやな」「可哀そうやったねぇ」「『なんであーしばっかり。なんで誰も手伝ってくれないの!』とかウチらにキレてな」「そんで一時部屋に引き籠っとったわ」「それっきりもうベータも碌に蜜柑を助けんようになったよなぁ」「よなぁ」
 「そのくらいから、どんどん蜜柑が汚く臭くなっていったのよねぇ。体も服も洗えない歯も磨けないじゃそうなるわよね。腕ないなりに自分で何とかしようにも、たかが知れてるし」葡萄はぼやいた。「ただでさえ口で何でも咥えるから唾臭いのに、いるだけで悪臭ばらまかれて、本当困ったわ。何度か夜廊下に叩きだしてやったっけ? 巡回の時間決まってるから、それを避ければ結構廊下の床でも寝られるものなのよ」
 「……酷過ぎる」
 改めてわたしは腸が煮えくり返る思いをした。どんなに蜜柑がつらい気持ちでいたかを考えるとやりきれなかった。
 「ボクは空より後に入った口だから、何とも言えないが」と恒星。「でもそれは先輩方の責任なのか? 全員で一致協力して一人に負担が集中しないようシフトを組んで、秩序を持って連携してローテーションで蜜柑の世話をし続けるだなんて、そんなこと現実的に可能なのか? 十代のほんの子供でしかない先輩方が、そんなことを一年間も続けられるものなのか? 続けられなきゃいけないものなのか?」
 「無理だと思うのじゃ」彗星が言った。「空が異常なだけで、先輩方が特別冷たいとまでは思わないのじゃ。そんなもんなのじゃ」
 「やらなきゃダメに決まってるでしょ!」わたしは叫んだ。「そいつらの責任じゃないなら、いったい誰の責任だっていうの?」
 「大人達の責任だろう?」と恒星。「ボクらの食事や衣類や住む場所を用意するなら、蜜柑の介助だってあいつらがやれば良かったんだ。自分達でやらないにしても、洗濯や掃除の当番と同じで、大人達が指図してボク達がやるように促せば良かったんだ。先輩方を責めるより、問題なのはそちらの方だろう」
 「それはだって……蜜柑は大人達を三人も殺してて……だから基本的に大人は皆蜜柑の敵で」
 「だったら腕を取るんじゃなくて命を取れば良かったのよ」葡萄が言った。「そうしなかった皺寄せを私達が受ける理由なんてない。大人達に逆らって両腕を落としたのは蜜柑の自己責任なのに、私達が世話をする理由もまたない。蜜柑は自分の出来ることでどうにか生きて行けば良い。黙っていても三度の食事は出て来るのだし、それを奪い取ることまでは、私達だってやりはしないのだから」
 「黙れ!」こいつの言うことだけはわたしは受け入れないし受け入れたくない。「おまえだけは殺されてしまえば良いんだ! おまえだけは!」
 「そう思うかしら?」葡萄は挑発的な表情でわたしの方を見た。「私は蜜柑に復讐されるべきだというのかしら? あんな奴にみすみす殺されなくちゃいけないのかしら?」
 「そう。問題はまさにそこなのよ」パンダはわたしの目をじっと見詰めた。「確かに、私達に問題はあったと思う。それは認める。その上で、あなたは私達に死ねというつもり? 違うわよね。私達にも抵抗する権利はある」
 「蜜柑はそんなことしないよ」私は肩を落とした。「散々蜜柑をほったらかしといて、いざこんな状況になったら自分の心配だなんて。勝手過ぎるよ」
 「勝手だろうと何だろうと命を失いたくないのは生物として当然のことよ」葡萄は言った。「その為に手段を択ばないのもね。生きる為なら私達はいくらでも結託する」
 「結託してどうするの?」
 「先手を取って蜜柑を殺す」
 心臓が跳ねた。
 「……と、そちらのパンダ隊長は仰っているわね」
 「あんたは違うの?」わたしは葡萄を睨んだ。
 「わたし? わたしは反対かな。アルファが生きていればまるで事情は違うけれど、よりによって最初に殺されたのはあの人だった。他の全員で襲い掛かったとしても、向こうの魔法の底が分からない以上、返り討ちに遭う可能性はある。そうでなくとも何人もの犠牲は出るわ。少なくとも今日すぐにかかるのは愚策だわね」
 「万能な魔法なんてない。必ずどこかに弱点があるはず」パンダは言った。「蜜柑を殺さない限り絶対に安心なんてない。だから空に弱点を聞き出して来て欲しいのよ」
 「ふざけるな!」わたしは背を向けた。「もう帰る!」
 「お願いよ空!」パンダは縋るかのようだった。「あんなでたらめな魔法無条件に連発出来る訳がない。発動要件とかインターバルの時間とか、そういう隙が絶対にあるはずでしょう? それが分かれば戦える。……空、あなただけが頼りなのよ! 私達の命を助けて頂戴」
 「お願いするなら蜜柑の方にでしょ? 反省してますって、本気で謝れば通じるよ」わたしは目から涙がこぼれそうになっていた。「本気で謝るんならわたしだって取り成してあげられる! だいたい蜜柑は復讐の為の殺人なんて……」
 「そんなん蜜柑の胸先三寸やん!」「せやせや! いつ殺されるか分からん毎日なんて嫌やで!」「あいつを何とかせんとあいつに全部支配されるわ」「あたしらそんなん嫌や」
 カトレアとデージーが喚いた。わたしはこいつらを八つ裂きにしてやりたくてたまらないが、それでもこいつらの気持ちは分からなくもない。して来たことに自覚があるから、罪の意識があるから、だからこそこいつらは蜜柑を恐れている。蜜柑に殺されると思っている。蜜柑をどうにかしなければ安心できないのだ。
 「……ボクとしては、蜜柑の目さえどうにかしまえば、何とかなるんじゃないかと思うんだがね」恒星が言った。「話を聞く限り、最低でも発動条件に相手を知覚することが入っているはずなんだ。相手に触らずとも視界にいなくても殺せるんなら、今この瞬間にも葡萄あたりは殺されている気がするからね」
 当たっている。相手を見ることが発動条件になっていることは、蜜柑が自分で言っていたことだ。
 「……じゃあどうするつもりつもりなの?」わたしは恒星に尋ねた。
 「目を塞いでしまうんだよ。何も見ることが出来ないようにね」恒星は言った。「例えば……そうだな。可哀そうだが、潰してしまうとか」
 わたしは信じがたい気持ちで恒星を見詰めた。しかし恒星は微かに動じた様子を見せつつも、比較的親しい相手であるわたしに言い聞かせるように言った。
 「蜜柑の命を取るのはボクも反対だ。散々虐待を受けた挙句最後は命を取られるなんて酷過ぎる。しかし蜜柑がいつでも誰のことでも殺せる状態にしてしまうのも問題だ。大人達がおらず魔法の使用に抑止力が働かない状態でそれはあり得ない。それこそ生殺与奪の権を握られ蜜柑にこの区域が支配されるのは目に見えている」
 「あいつはそんなことしないって。蜜柑の目を奪うだなんてそんな酷いこと……」
 「大前提として蜜柑にはそのくらいの罰を受けるだけの過失はあるんだ。彼女はアルファを殺している。大人達を三人殺した時に蜜柑が腕を失ったように、今度は両目を失うことになる。それはやむを得ないという見方もあると思うんだよ」
 わたしは反論できないでいる。蜜柑はアルファを殺した。それは悪い。だから武器となる目を奪う。妥当だ。蜜柑は可哀そうだが罰を兼ねているから仕方がない。それも妥当だ。
 蜜柑に何の情もなかったらひょっとしたら納得したかもしれない。ちょうど良い落しどころにも感じたかもしれない。しかしこの場の誰もかもが蜜柑の敵に回るのなら、誰かが彼女の弁護に回るべきではないか? それを務めるならわたしじゃないのか?
 「せ、せめて何か布のようなもので蜜柑の視界を閉ざすとか。……そうだ! タートルネック一つ持ってるから、それを常に蜜柑の目に被せておけば良いんだ! わたしが責任を持ってやってあげる! あいつ簡単には自分でそれ外せないんだから、わたしがちゃんと見張ってたら大丈夫だからっ」
 「ダメよ! そんなんじゃ甘いわ!」パンダが声を張り上げた。「腕がなくともそこらのものを使ってタートルネックくらい簡単に外すわ! そもそも視界を奪えば魔法を封じられる保証もない。命を奪う意外にわたし達が安心できることなんてないのよ!」
 「何でもええから誰かどないかしてやぁ!」「ホンマやで! 誰か助けて!」カトレアとデージーが喚いた。
 「殺すしかないのよ!」パンダは泣き叫んだ。「でないとあなた達全員殺されるのよ! 私達は今ここで、どうやってあの化け物を殺すかを考えなければならないのよ! その為に一致結束するしかないのよ!」
 金切り声の余韻で食堂は静まり返った。その時だった。
 「……だいたい分かった」
 涙で目を赤くした蜜柑が食堂に入って来た。悄然となる面々が注目する中で、蜜柑の後ろから顔を青くしたベータが続いた。
 「話は全部聞いてた。あなた達があたしをどうするつもりなのか」
 「何をしてるの……?」パンダが身震いした。「ねぇ! 何をしてるのベータ!」
 「ごめんパンダさん。あーし言うこと聞かないと殺すって脅されて……」ベータは頭を抱えた。「今から立ち聞きしに行くから黙って見てろって言われて……仕方なかったの!」
 「あたしいじめられ続けて来たからね。周りが敵ばっかりって状況は慣れっこだよ。だからみんなが食堂であたしをいじめる話してるってすぐに分かった」
 「ち……違うのよ蜜柑。仕方なかったの」パンダは必死の形相だった。「私達だって命が惜しくて。それに、目を潰したり布で隠したりで終わらせるって案もあったし、何もあなたを殺すと決めてた訳じゃ……」
 「うん。しょうがないね。誰だって自分が殺されたくないのはしょうがないよ」蜜柑は落ち着いた表情だった。「でもそれはあたしも同じなんだよ」
 蜜柑の瞳が赤く輝いてパンダがその場で崩れ落ちた。
 床に付したパンダを見て食堂中から悲鳴があがった。蜜柑が魔法を使ってパンダの命を奪ったことは明らかだった。
 わたしは身震いして蜜柑を見詰めた。蜜柑は驚くほど冷静な表情でパニックになる食堂を見詰めていた。それは足元を跳ね回る無数の害虫を見詰めるような無慈悲な表情だった。
 「だから言ったんじゃん! 刺激するようなことはするべきじゃないって!」ベータが悲鳴をあげた。「あからさまに作戦会議なんてどう考えても地雷でしょ? いくら蜜柑ちゃんが鈍くても絶対すぐ怪しむよ! こうなるに決まってたんだよ!」
 「へぇえ。ベータさん、あたしのこと鈍いって思ってたんだ」蜜柑は冷酷な表情でベータの方を見据えた。
 「え……っ。い、いやっ。ち、違う。違うの蜜柑ちゃん。あーしはただ……」
 「……まあ良いよベータさんはかなりマシだし。空ちゃんが来るまでの間、誰が一番手を差し伸べようとしてくれたかっていうとベータさんだし。……ほんの二か月で限界来てぶっ壊れた時は、こいつ使えねぇなって失望したけど」蜜柑の表情は狂気に縁どられているかのような暗い笑みだった。「でも命は取らないであげるからねー。うふふふふふっ」
 「ちょっと蜜柑あんたどうしちゃったの?」わたしは蜜柑に縋りついた。「一回深呼吸しよう? 自分が何をしてるか考えないと……」
 「空ちゃん……あのね。あたしね。嬉しくってね」粘ついた笑みで蜜柑は猫背気味の姿勢からわたしを見詰めていた。「これからやっとねっ。皆がね。あたしのこと無視しないでちゃんと助けてくれるようになるかって考えるとねっ。どれだけみんながあたしのこと優しくしてくれるのかって思ったらねっ。本当に本当に嬉しくて。そればかり考えちゃってアタマの中バカになっちゃったみたいになっちゃって。なんかもう興奮して興奮して今にもおしっこ出そうなの」
 「ふざけている!」葡萄は蜜柑を睨んだ。「確かにパンダはあんたを殺す話をしていた。でもまだ計画の段階ですらなかった。パンダ自身が言っていたように、まだ話し合いの途中でどういう結論が出るかは分からなかったはずよ! 自衛の為だとしても、殺すことまで正当化できる状況ではないわ」
 「……は? 殺すつもりだったに決まってんじゃん。バカなの?」蜜柑は真っ黒な憎悪を滲ませた瞳で葡萄をじっと見詰めた。「そいつにとってあたしなんてゴミみたいな芋虫に過ぎないんでしょ? だから何も助けてくれなかったんでしょ? あたしのことなんてパンダは躊躇なく殺すでしょ? 芋虫を踏み潰すみたいに簡単に、ぐしゃって」
 「落ち着きなさい。あんたが暴れれば暴れるだけ自分の立場が不利になって行くのは分かるでしょう? そうやって癇癪起こして人を殺す姿を見せれば、それだけこちらにもあんたと戦う理由が出来るのよ。分かってる?」
 「じゃあ大人しくしてたら助けてくれるとでも? 違うよねぇ。そんな訳ないよねぇ」さっきまで粘っこい笑身を浮かべていたかと思ったら、突如として蜜柑は大粒の涙を流し始めた。「違うよぉあたしのことなんて誰も助けてくれないよぉ。ううううぅ……ふぁああああん。ああああああっ!」
 アタマおかしくなったのかこいつ? アルファを殺してしまって情緒が不安定になっているのか? 
 いや……そうじゃない。こいつはそもそもこういう奴なのだ。ちょっとおかしくてどこか狂っているのがこいつなのだ。だから殴られているわたしを見て立て続けに大人を三人も殺すことが出来る。わたしを蹴り付けていたアルファを殺す為に魔法をレベルアップさせることも出来る。
 蜜柑は危険だ。その意味でパンダは正しかったのだ。ただ殺しの相談をしているところを蜜柑に見られたのが運の尽きだったのだ。
 「じっと大人しくして迷惑かけないようにして言い返さなくて怒んなくて生意気言わなくて媚びて媚びて媚び諂って、そうまでして必死に助けて貰えるようにお願いして! なのにそれなのにあれだけ良い子にしてたのに! あたしを助けてくれるの空ちゃん一人だったじゃない! あなた達に優しくして貰う為には、こうでもしないとダメに決まってるでしょ! バぁッカじゃないの! ふぁあああああん! ああああああっ!」
 喉を大きく開いてボロボロと泣き続ける蜜柑にわたしは何も言えなかった。その涙には腕を失ってからの年月で培った施設の面々への不信感と絶望が濃縮されていた。蜜柑にとってはこの施設にいる全員が敵なのだ。いつ自分に牙を剥き、命を奪いにかかってもおかしくない敵ばかりなのだ。そしてその認識はある意味では正しいのだ。実際この区域のリーダーであるパンダは蜜柑を殺そうとしていたのだから。
 「ねぇお願いだよ。皆あたしに優しくしてよ! 殺すなんて言わないでよ! 目を潰すなんて言わないでよ! それとももう何人か殺さないと分かんないのかなぁっ? ねぇ、ねぇ……どうなの! ねぇえええ!」
 「落ち着いて蜜柑。もう誰もあなたに何もしようとしないわ」葡萄は必死の様子で優し気な声を作る。「皆あなたに優しくしてくれる。助けてくれる。だからもう安心して。ねぇ」
 「無理だよぅ。何もしてくれない皆のことをどうしてあたしが信じられるの? あたしはお風呂に入れて欲しかった! 歯を磨いて欲しかった! お尻拭いて欲しかった! 何もしてくれなかったあなた達を何も信じられない! 誰もかも意地悪しかして来ないんだ! みんなあたしを殺そうとしてるんだ!」
 蜜柑は幼い子供のように泣き、喚き、叫び続けた。
 「つらかった! 苦しかった! 哀しかった! それでも何とか生きて来たんだよ芋虫みたいに這いずってでも! 一年間! 一年間我慢したら空ちゃんがこの区域に来てくれるから! 誰よりもたった一人だけでもあたしを真実助けてくれる空ちゃんが来てくれるから! だからあたしは空ちゃんのことしか信じない! あなた達のことなんて信じない! だから……だから……」
 蜜柑はベータの方に視線をやって血走った目で訪ねた。
 「時間止められるって子がいるんだったね。正直に答えて。誰?」
 「アルファだよ」ベータは震えながら返事をした。「もう死んだ」
 「本当?」
 蜜柑はわたしの方を見た。わたしは小さく頷いた。
 「そっかそっか都合の良い答え方した訳じゃないんだね。じゃ、炎操る子っていう子は? その子も生かしとくと十分危ないよね。誰だっけ?」
 「…………」ベータは何も言わない。
 「え? ちょっと待ってよ答えてくれないの? なんでそんな意地悪するの酷いよ」
 「……恒星ちゃんだよ」ベータは観念したように言った。
 「ふーんそうなの。とってもちょうど良いね。じゃあ……」蜜柑は恒星の方に視線をやった。「死んで」
 「やめろっ」恒星は自分の顔を両手で覆った。「殺さないでくれ!」
 蜜柑の目が赤く輝いた。恒星はその場で膝を着くこともなく倒れ伏し物言わぬ屍となった。
 あまりにもあっけない死に様だった。恒星の死によって食堂内のプレッシャーはさらに高まって行くようだった。あちこちから悲鳴が上がって来てとうてい収集が付きそうになかった。
 「……蜜柑。蜜柑、お願いだからもうやめて」わたしは震えながら蜜柑に縋りついた。「もう見たくないよこんなのっ」
 「ああごめん空ちゃん怖かったね。ごめんねっ」蜜柑はわたしの方に近付いてきて、いつもの上目遣いで言った。「えっ。もしかして怒った? ごめん本当にごめんでも違うのしょうがなかったの。だってねあたしを殺そうとした人と目を潰そうとした人なんだからっ。あたし怖くて怖くてしょうがなかったのこうでもしないと皆あたしのこといじめるんだから。ねぇ分かってよ分かって分かって……。ねぇ。ねぇ、ねぇ、ねぇ……嫌いにならないで!」
 そう言ってあたしの胸に飛び込んで来る。そして気が狂ったようにボロボロ泣き始める。
 二つの屍の傍で蜜柑は私の胸の中にいた。蜜柑には強いぬくもりがあって柔らかくて震えながら泣いていた。反射的に感情的にわたしはそれを愛おしいと感じてしまう。それでも蜜柑はこの一瞬の間に恐ろしい程罪深い存在になっていて、そのことがわたしにはやりきれなくて悲しくて仕方なかった。わたしは蜜柑をどうすれば良いか分からなかった。
 それでもこのぬくもりを手放すことは出来なかった。わたしは蜜柑に抱き着いて同じように泣いていた。蜜柑がどこかに行ってしまわないように、蜜柑を手放すことがないように。
 気が付けばわたしの方が蜜柑の胸の中に縋っていた。わたしの知っている蜜柑がいなくならないよう、蜜柑に縋ったままわたしの意識はほどけていった。

 〇

 キリン:十七歳。魔法は無敵。
×パンダ:十七歳。魔法は飛行。
 カトレア:十六歳。魔法はデージーの元への瞬間移動。
 デージー:十六歳。魔法はカトレアの元への瞬間移動。
×アルファ:十五歳。魔法は時間停止。
 ベータ:十五歳。魔法は嘘を見抜く。
 葡萄:十四歳。魔法は空間の生成。
 蜜柑:十四歳。魔法は生物の殺害。
 空:十三歳。魔法は人体の復元。
×海:十三歳。魔法は記憶の消去。
×恒星:十二歳。魔法は火炎。
 彗星:十二歳。魔法は他者の寿命の把握。

 4

 〇

 気が付けば寝室の自分のベットで眠っていた。
 夕食の時間が来ていた。調理の手伝いに行かなかったことをパンダに注意されるかと思うと憂鬱だったが、さっきのが夢でない限り奴はもう死んでいることに思い至り、ますますわたしは憂鬱になった。
 寝室はわたし一人だった。蜜柑はどこだろう? 三時間か四時間は寝ていたがそれまでの間あいつはどうしていたんだろう? それだけ経てば一回くらいトイレに行くはずだ。自分で行けない癖にあいつは回数が多いのだ。
 のそのそと起き出して食堂に向かった。食堂ではカレーが出来上がっていて、デージーが蜜柑の口にスプーンを運んでいた。
 「あ。空ちゃんおはよう。起きたんだーっ」蜜柑は微笑みながらわたしを出迎えた。「カレー出来てるよ」
 「…………食べさせてもらってるの?」わたしはびくびくした手つきでスプーンを動かすデージーの方を見た。こいつが蜜柑の介助をしているのを見るのは初めてだった。
 「うんそうだよー。あたしの手助けしてくれる人シフト制にしたんだー」蜜柑はあくまでもニコニコしていた。「空ちゃん一人にずっとやってもらうの負担だし大変でしょー? ローテーションで全員にやってもらうのが公平だしさぁ。ベータさんに頼んでシフト表組んでもらったの。空ちゃんも中に入ってるから確認しといてねー」
 ベータは疲れ切った顔で蜜柑のはす向かいに座っていた。その手にはベータの丸っこい字で作られた表があり、それは家事労働の分担表で調理係洗濯係などの他に『蜜柑係』の項目があった。
 わたしは途端に自分が捨て犬になったような気分になった。それはおかしな感情だったが確かにわたしはそんな気持ちを覚えた。一人でする蜜柑の介助は過酷だった。誰にも手伝って貰えないことに理不尽を感じた。そこから解放されることを願わない日はなかった。それなのに。
 「……あっ」
 デージーがドジをやって蜜柑の膝の上にスプーンの上のカレーを落とした。デージーはたちまち顔色を青白くして蜜柑の方を見た。
 「ご……ごめ……。あたし慣れてなくて。あの……許して」
 「いいよぉちゃんと拭いてくれたら。最初っから空ちゃんみたいに上手にやれとは言わないよ」蜜柑は機嫌を損なうことなくむしろデージーを気遣った。「そんなびくびくしないで。どうせデージーさんなんてお姉さんのところにワープする魔法しかなくて殺す価値もないんだし。安心してね」
 「う、うん」デージーは作り笑顔を浮かべてスプーンを手に取った。
 「あ。先お膝拭いてね」
 「あ……はい」デージーはいそいそとナプキンを取ろうとして肘でコップの水を引っ掛け、またも蜜柑の膝を濡らした。「あ、あ、あ……」
 額に汗して蜜柑を見詰めるデージーの表情は歪んでいた。その青白い顔には『殺される』という恐怖が滲んでいた。蜜柑は丸々としたあどけない目でそんなデージーを見詰めていた。
 「いけるでデージー。別に蜜柑ちゃんこんなことでいちいち怒らんでぇ」カトレアがおだやかな声で言って妹の肩を叩いた。「食べさせるん初めてやからついヘマやっただけやもんな。蜜柑ちゃんも許してやぁ。ほら、ウチがお膝拭くで」
 「うん。別に良いよ?」蜜柑は気にしていない様子だった。「じゃ、拭いてね」
 「デージー。ここはお姉ちゃんが代わるで」カトレアはデージーを蜜柑から遠ざけた。
 「今日カトレアさんの日じゃないよ?」蜜柑はそっちは気にするようだった。
 「あの子ホンマは照れ屋やけん。慣れてない間はウチがやるわ」
 「でもそれじゃ一生慣れてくれないじゃん」
 「まあええやん。遠慮なくウチに介助させてや」食事介助をバトンタッチしたカトレアはニコニコしながら蜜柑に話し掛けた。「ウチは喜んで介助するでぇ。なんてったってこれからは姉御がここの女王様なんや。仲良くしとかんとなー。良かったらデザートの杏仁豆腐ウチの分も食べる?」
 カトレアは汚れた膝を大雑把な手付きで拭いてやり、湯気を立てるカレーライスをしこたま掬うと蜜柑の口にじゃんじゃか放り込んでいく。蜜柑は熱さに顔を顰めるだけでなく食事を急かされて喘いでいた。
 「ああもう下手糞っ」わたしはカトレアからスプーンを奪い取った。「こいつ食うの遅いんだよ! ちゃんと様子見ながら運ばないとダメだよ」
 「なんやー?」カトレアは頬を膨らませた。「一生懸命やっとるんやからそれでええやろーっ」
 「良いよ良いよ空ちゃん。一生懸命やってくれてるよ」蜜柑はもごもごとした口調で言った。「でもいまお口一杯だからもうカレーは良いかな……」
 「ほんなら牛乳で流し込めやー」カトレアはニコニコしながら蜜柑の牛乳パックを取り出し、何故か懐から取り出したストローをそこに刺した。「ほら、飲んで飲んで」
 わたしはストローに違和感を覚えた。白く透明なストローの中が何か茶黒い液体で汚れているように見えたのだ。しかし蜜柑はそんなことに気付かずなされるがまま牛乳をちゅうちゅう吸った。
 蜜柑は口の中に入ったカレーと共に牛乳を吐き出した。「何これ……変な味が……」
 「なんやー腐っとったんかなー?」カトレアはとぼけた顔をして牛乳を見詰めた。「期限いけとるけどなぁ」
 「そうじゃなくてなんか喉がすごい痛いし……毒なんじゃない?」
 「毒? え毒ってそんな」カトレアは額に汗をしながらそっぽを向いた。口笛でも吹きそうに唇を尖らせている。
 「そうだよ毒だよ! 絶対毒入ってた! 口の中焼ける感じの甘くないチョコレートみたいな……」
 「なんやー毒やってー!」カトレアは絶叫した。「誰が蜜柑ちゃんの牛乳に毒を仕込んだんやー! ウチは知らんでー! おまえか、おまえかーっ!」
 少し離れた席に座っていたキリン、彗星、葡萄の三人をカトレアは立て続けに指さした。どう考えてもあのストローに何か仕込まれていたようにしか思えず、そのストローはカトレアの懐から出て来たものだが、それを口に出すのはどう考えてもよろしくなさそうだ。
 「……もう食べたくない」
 そう言って蜜柑はその場を立ち上がった。
 また前のように暴発するかと思ったが蜜柑は持ちこたえてくれた。蜜柑だって怪しいのはカトレアだと思っていそうだったが確信は持てていなかったようだ。
 立ち去って行く蜜柑を追い掛ける前に、わたしはカトレアの方を向いた。
 「あんたなんかやったの?」
 「……煙草の煮汁をストローにな」カトレアは俯いて漏らした。「前に大人が忘れて行ったのを、デージーとちょっとずつ吸いよったねん。それ全部煮て毒作った」
 「そんなんしとったん?」デージーは目を丸くした。「なんで話してくれんかったん?」
 「話したらデージーも共犯なるやろ」カトレアは両手を晒した。妹想いなのがこいつの唯一の長所だ。「ウチがやったってバレんかったんは良かった。やっぱアイツトロいで。……あ! 空あんたチクんなよ!」
 「チクんないよ。……隠し持ってる分の煮汁も出すならね」
 わたしは手のひらをカトレアに差し出した。カトレアはふくれっ面で茶黒い汁の入ったプラスチックのケースを渡して来た。
 わたしは廊下に出た蜜柑を追い掛け、追い付くと後ろから肩を叩いた。
 「大丈夫なのあんた?」
 「全部吐いたから大丈夫だと思う。それより……」蜜柑はぽろぽろ涙を流した。「もうあたし誰からもごはん食べられない……」
 「わたしが全部やるよ」わたしは自分の胸に手をやってこれまでの関係をアピールした。「わたしなら安心でしょ?」
 「あ、……ありがとう」蜜柑は感激した様子だった。
 「わたしは蜜柑係専属ってことにしよう。あんたの介助はこれまで通りわたしが中心にやるってことで。勝手分かってるからあんたもその方が良いでしょ」
 「でも……それだと空ちゃん大変じゃ」
 「その代わり他の労働は免除って感じにしてくれたら釣り合うよ」
 こいつがそう言えばそうなる状況のはずだった。元々蜜柑の介助は全部私がしていたことなので、以前と比べこれはわたしに得しかない提案だ。無論蜜柑の介助は他の家事労働と比べても楽ではないが、それでもそこだけに集中していれば良いならわたしはやっていける。
 「分かった。良いよ良いよ。そうしようね。ベータに言っとく」蜜柑は笑顔で請け負った。「他にもなんか希望あれば何でも言って。空ちゃんの言うことならあたし何でも聞くよ。それにねそれにね、誰でも殺すよ」
 「それはやめて」
 わたしはぴしゃんと言った。
 「ご……ごめん」
 「もう誰のことも殺しちゃダメだよ」
 「わ、分かってるよ。昼間のはしょうがなかったというか……興奮してただけ」
 ……興奮してただけだから悪くないとでもいうつもりか? わたしがそう思ったのが伝わったのか、蜜柑は「違うの違うのっ」と身を震わせた。
 「それだけじゃなくて……ほらっ、パンダはあたし殺そうとしてたし恒星は目を潰そうとしてたじゃんっ。あたしそんなの嫌だもんっ。正当防衛だよ正当防衛っ!」
 「それはどうかなぁ……」わたしはアタマに手をやった。葡萄の言っていたことだから同調するのは嫌だが、あの時はどちらもまだ計画の段階でどう転ぶのかも分からなかったし、その状態で先制攻撃を仕掛けることを正当防衛と言うのは無理があった。
 「だいたいパンダも恒星も攻撃的で強そうな魔法持ってるじゃんっ。残しとくと危険だよ?」
 「恒星の火炎はともかく、パンダって空飛べるだけなんじゃ?」
 「あの翼で『ビシャーン』って叩いたら人くらい殺せるよ? 本人が前にそう言ってたもん」
 「そうだっけ?」でも危険だから殺すってのもどうなんだ?「つかあんた、パンダとか恒星とか、呼び捨てなんだね。……あんたいつも年上はさん付けでそれ以外はちゃん付けじゃない?」
 「ええでも死んでるし」
 「死んでたら何なの?」
 「だから……どんな呼び方しても怒られるとかないから何でも良いでしょ」
 「…………」わたしは両手で頭を抱える。どうもこいつは、こういう奴なのだ。
 いつもおどおどして言い訳ばかりでいて、こういう根性をしてもいるので、腕がある頃からこいつは大して好かれてもいなかった。誰からも介助して貰えなかったのもそこが関係していないとも言い切れない。
 「……あんた。葡萄のこと復讐で殺したりしないんだね」
 気が付けばあたしはそんなことを言っていた。
 「え? ……殺して良いの?」
 「そういう訳じゃないけど。くれぐれもそういう訳じゃないけど。そうしたいと思う気持ちは分かるくらいのことはされてるなって」
 機嫌が悪い時など裸で校庭に放り出すくらいのことはしていた奴だ。大事な持ち物を目の前で池に投げ込まれたり、本人も池に蹴り込まれたり、葡萄は本当に酷い奴だった。力を得たら早速殺しに行くんじゃないかとわたしは恐れていたのだ。
 「死んでほしいって思ったことは何度もあるよ。でもいざ殺せるようになったらなったで、やったぁ殺そうって感じじゃないんだよね」
 「そうなの? そういうもんなの?」
 「そういうもんだよ。だってあの子、あたしにもう何も出来なくない?」
 どうやらこいつが人を殺す基準はそこらしい。ようは自分に危害を加える相手を排除したいのだ。こいつが欲しいのは誰も自分に危害を加えず介助を惜しまず安心して暮らせる日々で、それが手に入るなら復讐とかそういう陰険なことをする気はないのだ。
 わたしは少し安心した。そうだ。こいつはバカだし臆病だが、人をいたぶって喜ぶような最低の奴ではない。
 「ねぇ空ちゃん」蜜柑は言った。
 「なぁに?」
 「流石に、さっき毒を仕込んできた人は、特定してから殺しても良い? だってそうしないと怖いし、それは正当防衛でもあると思うの。ベータさんの魔法でも使えば……」
 「…………」わたしは少し考えて、懐からカトレアの持っていた煙草の煮汁のプラケースを取り出した。「毒は取り上げたからもう大丈夫」
 「え? 誰が持ってたの?」
 「それは教えない」
 「なんで?」
 「あんたがどんな力を得たとしても、わたしはあくまで友達で、手下じゃないから」
 蜜柑はみるみる目に涙を浮かべ始める。そこにいつもの媚び諂った態度はなく、剝き出しの哀しみと憤りがあった。
 「……あたし、そんなつもりないっ」
 「うん。じゃ、無理に聞き出そうとかはなしで。これは隠し事にさせてよ。殺すぞって脅しても無駄だからね」
 「だからっ、そんなこと絶対にしないってっ」
 「分かったよ。……ごめんね」
 わたしはポンポンと蜜柑の頭に手をやった。蜜柑はぐずぐずと泣き続けていた。

 〇

 それから風呂に入って寝室で蜜柑とくつろいでいると、キリンがノックもなく寝室の扉をあけ放った。
 「食堂で枕投げをしましょう」
 半ば暴君と化した蜜柑を前に恐れ知らずだなとわたしは思った。屈託なく笑っているキリンの背後で、「するのじゃするのじゃ」と彗星がぴょんぴょこ飛び跳ねている。
 「カトレアとデージーが言い出したのじゃ。食堂で皆で夜更かしは、大人達がいなかったらやって見たかったことなのじゃ。枕を持ち寄って皆で投げ捲るのじゃーっ」
 「良くそんな気分になるね?」とわたし。
 「あたしも良いの?」蜜柑はおどおどと言った。「枕投げられないけど……」
 こういう遊びでハブられ慣れている蜜柑は不安げな様子だった。「いいよー」と彗星は笑顔を浮かべている。
 「蜜柑ちゃんのことは特に絶対、ぜーったい連れて来るように双子も言ってたし。だから来てねっ、絶対来てねっ」
 「え……それ怪しいんだけど……」蜜柑は顔を青くした。
 「ああそういう感じじゃないと思います」キリンはいつもの間抜けだが嘘を吐いているようには見えない顔で言った。「あの二人は蜜柑を姉御と崇めることでこの状況を乗り切るつもりのようで、つまりこれは蜜柑を持て成す為のレクリエーションだと思うのです。だから蜜柑を呼び出すよう言っただけで、何もいじめたり殺したりするつもりはないかと思います」
 「なら良いけど……」蜜柑はあっさり信じてベッドから立ち上がった。「枕投げ、ちょっと楽しみだねっ」
 食堂に入るなり双子が両手にかかえた枕を四連続で投げて来た。彗星は軽やかにそれを回避したがわたしと蜜柑とキリンはそれを食らった。特にキリンは二発の枕を食らっていた。
 「あはははは油断大敵や」「もう戦いは始まっとるでっ」
 死者のものを含め居住棟中の枕を双子は背後の机に積み上げているようだった。ただわたしが手にもつ枕と蜜柑が口に咥える枕を合わせても、場に存在する枕は合計十個であり二つ足りないようだった。
 「ベータと葡萄はどしたん?」カトレアが尋ねた。
 「ダメだったーっ。なんか二人でこそこそ話し合ってて、遊んでる場合じゃないってとか言ってたー」と彗星。
 「えーっノリ悪い」デージーは不服そうだった。「姉御中心に皆で結束しよういう夜更かし会やのにー」
 「その姉御に枕ぶつけてんじゃないよ」わたしは突っ込みを入れた。「ほら、蜜柑やり返さないと」
 「ん、んーっ!」蜜柑は口に咥えている自分の枕を投擲したが、勢いはなくデージーの足元に力なくぽとんと落ちるだけだった。
 「ヘディングだよ蜜柑!」わたしは自分の枕を蜜柑の頭上に放り投げる。
 「えいっ」蜜柑は枕をアタマで叩いたが、それは蜜柑自身の足元によろよろと落ちた。
 「いっそキックすれば良いのでは」キリンが提案した。
 「一理ある」わたしは蜜柑の足元に枕を放った。
 「それっ!」蜜柑はたどたどしい足裁きで枕を蹴った。枕はあらぬ方向に飛んでキリンの顔面にぶち当たった。
 「あぎゃん!」キリンは悲鳴をあげた。「きききキリンさん無敵ですけどくくく屈辱はきちんと感じるんですよぉおおお。良くもやりましたねぇえええ」
 「あははは自分でキックって言った癖に」彗星は面白がっている。
 「あの双子に飛ばせと言ったのです! キリンさんの反撃を食らいなさい」キリンは足元に転がっている枕を二つ拾い上げ蜜柑に投げた。
 「ぎゃ、ぎゃあ」蜜柑は枕から逃げ回ろうとして盛大に転ぶ。「ごめんごめん。許して許してっ」
 人が何人も死んだ後だというのに食堂の雰囲気は和やかだった。面子に能天気な奴がそろっているのが大きいだろう。シリアスな時にちゃんとシリアスな態度になる葡萄とベータは二人の寝室にこもっているのだ。
 カトレアとデージーは枕を投げ続けるキリンと転げまわる蜜柑を見て爆笑しており、彗星はキリンに加勢して蜜柑を追い回している。……結局こいつはこういうキャラかよ。芋虫みたいに床を這いまわる蜜柑が可哀そうになったので、わたしはそっちの陣営に回ることにした。
 蜜柑に飛んでくる枕をわたしはキャッチして彗星に投げ返す。彗星は顔面に枕を貰って「うきゃっ」と短い悲鳴をあげた。
 「わたしとチームだよ蜜柑」わたしは蜜柑を助け起こした。「またさっきの華麗なキック見せてよ」
 「よ、よぉし……」蜜柑はやる気になったようで、細く頼りない足で素振りをした。「あたし脚の使い方自信あるもんね。本のページも捲るし鞄に物詰めるくらいなら足でやるもんね。枕だって蹴り当てちゃうよっ!」
 「じゃあ枕ドッジやろうや」「せやせや。チーム別けしよチーム別け。ぐっとっぱ!」
 双子の提案で食堂の机を片付け空間を作り、チームごとに線を引いて枕を投げ合い三回当たったら死亡、全滅したら負けというゲームが行われた。何の陰謀かわたしのチームメイトは蜜柑とキリンのとても頼りない二人となってしまい、大きなハンディを背負った我がチームは連携の取れた双子の投げる枕を前にたちまち敗北を喫してしまった。
 「ウチらこういうの得意やでー」「やでー」
 嬉しそうな双子。蜜柑もまた楽しそうにきゃっきゃ笑っていた。チームとしては負けたし床に転がる枕をいくら蹴っても一つも命中していなかったが、それでもこういう皆でやる遊びにハブられず参加させてもらえるだけで嬉しいようだ。キリンは「もう一回です、もう一回です」と悔しがって双子に頼み込んでいた。
 もう一回やってカトレアと彗星が仲間になり、結果勝利となりまたしてもキリンが負け惜しみを言い出すが、まあそろそろ疲れたしということで席について一休みすることが可決された。
 「あたしちょっとお部屋戻るね」彗星が言った。「汗べとべとだからお着換えするのじゃ」
 「ああ。彗星はそういうところ結構気にする性質ですよね」キリンは袖で額の汗を拭っていた。
 「キリンさんも来る?」
 「いえ。どうせまだはしゃぐ気がしますし、最後に皆でお風呂に入るとかで良い気がします」
 「ああそれも良いね。でも今気色悪いからやっぱり着替えるのじゃ」
 彗星は食堂の外に出て行った。
 「結構盛り上がったね」わたしはハンカチで蜜柑の汗をぬぐってやりながら言った。
 「そうだねぇ」蜜柑はわたしに汗を拭われながら言った。「楽しい夜だな」
 「ウチな。実は部屋にお菓子貯めこんどるねん」とカトレア。
 「そうなんですか?」とキリン。
 「せやせや。前に空とか蜜柑とか恒星とかからパチったり取り上げたりした奴あるねん。この機会に皆で食べよ」
 「ほんならあたしはお茶入れて来ようかな」デージーが立ち上がる。意外と気配り出来るなこいつ。「お菓子持って来るんはお姉ちゃんに任すね」
 「ほな頼むわ」
 カトレアは食堂の外に、デージーはカウンターの脇の扉を抜けてキッチンの方へと移動して行った。カトレアの姿は見えなくなったが、カウンターの向こうに飲み物を作るデージーの姿が確認できた。
 「……わたしトイレ」わたしはそう言って立ち上がった。
 「じゃああたしも」蜜柑が連れションを申し出た。
 「あんたも?」
 「うん。一緒に行った方が楽でしょ?」
 「まあ」いつでも行けない所為で行ける時行く習慣あるよなこいつ。それでかえって回数多いんだ。「んじゃ行こう」
 食堂を出ると廊下の先でカトレアが自分の部屋に入って行くのが見えた。廊下には各人の部屋が並んでいる他、共用の、というよりほとんど大人用のトイレが一か所設置されている。それは食堂のすぐ傍にあった。
 わたし達はそちらのトイレで用を足した。何故とは言わないが今回の蜜柑の排泄には時間がかかり、これまた何故とは言わないが介助にも時間がかかった為、トイレを出て廊下に戻る頃には五分程度が経過していた。
 廊下には胸に包丁が突き刺さった女が倒れていた。
 「……え?」
 わたしは蜜柑と顔を合わせた。
 女は廊下を少し歩いた先で倒れていた。薄暗闇の中で女に突き立った包丁の影が怪しく浮かび上がっていた。わたし達は恐る恐るそこに近付いた。女はロングヘアの見慣れた少女でありカトレアかデージーのどちらかだった。二人はそっくりである為どちらなのかは判別できなかったが、デージーはキッチンでお茶を作っているはずなのでおそらくカトレアだろう。性格の割に大人びた顔立ちは死相に塗れていて青白くおぞましかった。わたしは身の震えを感じた。
 「ひ……ひぃいい!」
 わたしは思わず悲鳴をあげた。何度も人が死んだ一日だったがそれでも慣れることはなかった。
 「どうしたの空ちゃん。悲鳴なんかあげて……」自分の寝室から飛び出して来た彗星が、カトレアの物らしき死体を見下ろして言った。「うわっ。カトレアが死んでる!」
 「死んでるとは限らないじゃん!」わたしは彗星に言った。
 「包丁刺さってますよ?」彗星は小首を傾げる。
 「そうだけど!」
 「なら確かめますのじゃ」彗星は死体にキッスした。「うわ! 死んでる! 寿命ゼロだ」
 「なんかお姉ちゃんの反応消えたけど、何か知らん?」
 「いったい全体、何だと言うんですか?」
 食堂からデージーとキリンが駆けつけて来て、キリンが案の定の悲鳴をあげた。
 「う、うわぁああああ! ひ、人が死んでるるるるるる! どうしてキリンさんの周りでだけこんなことが起こるですかあぁあああひぃいいいい!」
 感情がそのまま声に出るキリンがいつものように喚いている傍で、デージーの動揺はそれ以上だった。
 「う……嘘やよね?」デージーは真っ青になって震えながら姉の死体に縋りついた。「お姉ちゃん……お姉ちゃん嘘やよねぇ? 死ぬ訳ないやんねぇ?」
 「……残念だけど、ご臨終だよ」彗星が穏やかにデージーに話し掛けた。
 「黙れ!」デージーは彗星に殴りかかった。「黙れ黙れ!」
 「やめなさい!」キリンはデージーの前に立ちはだかった。「落ち着いて」
 「ふざけるな!」デージーは喉が張り裂けそうな声を発した。「お姉ちゃん!」
 デージーは包丁の刺さったカトレアの死体に抱き着いた。当然デージー自身も血塗れになるが気にする素振りはなかった。
 「お姉ちゃん! お姉ちゃんお姉ちゃん……」
 デージーは姉の死体に繰り返し話し掛けたがカトレアが返事をすることはなかった。揺すったり叩いたり泣き叫んだりを繰り返すデージーの姿は狂気の沙汰と言うしかなかった。やがてデージーは姉に縋ることで姉から反応を引き出すことを諦めると、途端にわたしの方に飛びついてガラガラの声で言った。
 「お姉ちゃん生き返して!」
 「……いや無理でしょ」わたしは額に汗した。「寿命五年は……」
 「でないとおまえを殺す!」デージーはわたしの喉を締め上げようとした。
 「やめてっ」蜜柑は叫んだ。「そんなことしたらあたしがあなたを殺すよ!」
 「く……っ」デージーはわたしは手放してその場で崩れ落ち、そして天井を仰いで慟哭した。「うわぁあああああああ!」
 デージーの声はいつまでも区域中に響き渡っていた。

 〇

 やがてベータと葡萄もやって来た。食堂で協議することを葡萄が言い出したが、デージーはカトレアの死体から離れられなくなっていた。血塗れで死体と抱き合うデージーを放置してわたし達は食堂へと移動した。
 「また人が死ぬなんて……」ベータは頭を抱えていた。「どうしてこんなことになるの? あーし達何かした?」
 「きっと海を殺したのと同じ犯人ですね」キリンは言った。「こういう連続殺人は同一犯だと、キリンさんの好きな推理小説では相場が決まっていますから」
 「状況を教えて欲しいのだけれど」葡萄は言った。「でないと犯人を特定しようがない。海を殺したのと同一犯というのなら、やはりそいつは見つけ出すべきよ」
 わたしはわたしの体験した経緯を食堂の皆に語って見せた。葡萄は頷いてキリンの方を見た。
 「まずキリンに質問。あなたキッチンでお茶を入れてるデージーのことずっと見てた?」
 「いえそれが……ぼーっとしていたというか。何ならうとうとしていましたね。もう結構、夜遅いですから。さしものキリンさんも今日と言う激動の一日にお昼寝の隙を見いだせなかったこともあり、おねむだったのです」
 「あっそう」
 「言いたいことは分かりますが、デージーが犯人と言うのは難しいと思いますよ」キリンは言った。「確かにカトレアとデージーは互いのいるところに一瞬でワープ出来る魔法を持っています。キリンさんが目を離した隙にカトレアのところにワープして、胸に包丁を突き立てる、なんて芸当は可能かもしれません。しかし殺すところまでは上手く行っても、戻って来る方法はデージーにはありませんよ」
 「キッチンには裏口があった。殺して窓から出て裏口に回ることは可能だったはずよ」
 「時間が限られ過ぎています。殺害に使えた時間はせいぜい五分です」
 「だからこそ、デージーなの。片道分の距離を省略できるからね」
 「まあ姉妹とは言え同室だったら、色々トラブルとか考えられるよね」ベータは思うところがあるようだ。「さっきの半狂乱ぶりも演技ってことはあるかもしれない」
 「逆にお二人はどうしていたのじゃ?」彗星が尋ねた。「ベータさんも葡萄さんも、自分達の部屋からじゃなく、二階から降りて来たよね? 何をしてたの?」
 「海ちゃんの飛び降りた屋上を調べてたんだよ」ベータが言った。「と言ってもキリンさんが言ってた以上の情報はなかったけどね。確かに裸足の足跡は一種類だけで、全部海の奴に見えたよ。死体の足のサイズと比べてみたけど、完全に一致していたね」
 結構真面目に調査をしているらしい。ベータは「自殺や事故でないのなら、犯人はスリッパ使ってるね。恒星ちゃんが言ってたとおり、足のサイズを特定されたくなかったんだ」と締めくくった。
 「二人はずっと一緒にいたってことで良い?」彗星は尋ねた。
 「皆が言ってる推定時刻は、間違いなく一緒だったよ」
 「そっかぁ。違うのかぁ」
 「あの。ベータ。魔法をお借りしても良いのですか?」とキリンが言った。
 「……やっぱそうなるよね」ベータは息を吐いた。「良いよ? 誰に使うの?」
 「そうですね。やはり彗星に」
 「な、何ぃ? あたしは犯人じゃないですぞ!」彗星は抗議の視線を送った。「それはもう分かったはずじゃない! ぷんすかぷんすかぷん!」
 「ベータさんの魔法ってなんだっけ?」蜜柑が小首を傾げた。「人の嘘を見抜くって奴で合ってたっけ?」
 「系統は同じだけど、正しくは『嘘の吐けない質問を出来る』って言う感じかな」ベータは答えた。「『はい』か『いいえ』で答えられる奴に限るけどね。使えるのは一日に一回で、日付を跨ぐ度復活するよ」
 わたしは時計の方を見た。もう一時を回っている。
 「日付を跨ぐ前の分はどうしたの?」とわたしは尋ねる。
 「実は彗星ちゃんに使ってるんだ」ベータは答える。「夜中に一人キッチンで出歩いてたんでしょ? だから怪しいなって、皆で話し合ってそうなったの」
 「『海を殺しましたか?』って訊かれたのじゃ」彗星は言った。「『いいえ』って答えたのじゃ。魔法を使って質問されたから嘘は吐けないのじゃ。それは真実なのじゃ」
 「その通りよ。確かに、さっき聞いた事件の経緯からして、彗星は一人で部屋に戻っていてアリバイはなかったとは言える」葡萄はキリンを見詰めた「しかし彗星は海を殺した犯人でないと分かっている。ならカトレア殺しの容疑も薄いんじゃないかしら? キリン自身、これを連続殺人と睨んでるんでしょう?」
 「ええまあ」キリンは頷く。「しかしですね、昨日もそれで揉めましたけど、わたしは何も彗星を犯人と疑っている訳じゃないんです。質問したい内容というのも……」
 「何度もあたしに質問させるなんて……もうキリンさんには怒ったのじゃ」彗星は食堂の席を立ちあがった。「ぷんすかぷんぷん! こんな部屋にもういたくない! あたし部屋に戻る!」
 「ああ! 彗星それは死亡フラグです!」
 キリンの制止も利かずに彗星は食堂の外へと出て行ってしまった。
 「……残り日数も少ないのに、喧嘩をしてしまうだなんて……」キリンは悲しそうな顔をした。
 「明日になったら忘れてるよ。彗星ちゃんのことだもん」ベータが元気づけるように言った。「で、誰に使うの?」
 「消去法ならやはりデージーかキリンじゃない?」葡萄は言った。「私とベータは互いにアリバイを保証している。蜜柑と空も同様。デージーとキリンはキッチンと食堂にそれぞれいた訳だけど、デージーはお茶を淹れるのに夢中だったかもしれないし、キリンはぼーっとしてたんだから」
 「ですがさっきも言ったように犯行に使えたのは五分程度なんです。殺しに行って帰って来て、それからまたデージーと一緒に現場に向かうなんて、キリンさんに出来ますかね?」キリンは寂し気な声で言った。
 「他に候補もいないんだからしょうがないでしょ。ねぇベータ。キリンさんに使うことにしない?」
 「でもキリンさん無敵ですし……」キリンは悲し気な顔だ。
 「それは物理的なことに対してでしょ?」
 「いえそれが、ハッキリそう伝えられたことはないなりに、これまでに受けて来た実験の内容等を鑑みるに、魔法的なことに対しても幾ばくかの耐性を持ち合わせていないと判断するに至らないとは、断言できるとも出来ないとも」
 「何それ? そうやって質問をされるのを躱したい訳じゃないのよね?」
 「……そう思われるのなら仕方ありませんね」キリンは目を閉じた。「どうぞ。質問なさってください」
 「じゃあ行くよ」ベータが言った。「『あなたは海かデージーのどちらかまたは両方を殺しましたか?』」
 「いいえ」キリンが言った。「あ……これってどっちなんでしょう?」
 「どっちって?」
 「いえ。キリンさん正直に答えましたけど。ベータの魔法が効いて正直に答えたのか、それとも魔法関係なくただただキリンさんが正直に答えたのか、どっちなんでしょう?」
 「嘘を吐こうとしたら壮絶な頭痛に襲われるっていうのがあーしの魔法だからね。本当に正直に答えたのなら、どっちかは確かに分からないね」
 「無効化できるのは多分人体への作用なので、ベータのは効くとは思うんですけどね」
 「そうなの? でもどうかな? 嘘を吐けないっていうのは、人体の一部である脳に作用しているとも言えなくもないし」
 「ですが魂というものもどうやら本当にあるようなんですよ。だから蜜柑の魔法に対しても耐性があるとは限らない訳です。そして魂はやはり精神に結びついていますから、嘘を吐かせない魔法もまた魂の方に作用しないとも言い切れません」
 「なるほどね。でも『壮絶な頭痛』っていうのは流石に人体への作用なんじゃないかな?」
 「結局良く分かんないのね」葡萄はため息を吐いた。「まだデージーに質問した方が良かったかしら?」
 「さっきはごめんね。キリンさん」彗星が申し訳なさそうな顔で戻って来た。「キリンさんは皆のこと考えてただけなんだもんね。ごめんね」
 「いえ……良いのです。傷つけてしまってごめんなさい」キリンは静かな表情で言った。「ただ一つ分かっていただきたいのが、キリンさんは彗星が人を殺したなどとは疑っていないということなのです」
 「それは分かってるよ。大丈夫だよ」
 「……どうせなら蜜柑を殺して貰いたかったわね」葡萄が皮肉を滲ませるでもなくそう言った。
 「ダメだよ葡萄ちゃん!」ベータは焦った表情だった。
 「皆そう思ってるでしょ? 蜜柑だってそれくらい分かってるわよ」葡萄は肩を竦めて立ち上がった。「今日はもう解散にしません? 必要なことは話し合ったし、ベータの魔法だってもう使った訳なんだから。これ以上ここにいても良いことはないわ」
 「またそれぞれのお部屋に解散したら、次の殺人が起こりそうな気もするんですがね」キリンが言った。
 「ルームメイトのいる部屋で? 片方を殺してる内にもう片方が起き出して、ルームメイトを守るなり犯人の顔を見て逃げるなりするわ。それは避けるんじゃない?」
 「ルームメイトが犯人ということも。いえ、キリンさんは彗星を信じてますし、そもそもキリンさんは無敵ですが」
 「なら良いじゃない。少なくとも、私はベータと部屋に戻りたいわ。それで良いかしら?」
 「……良いよ葡萄ちゃん。部屋で休もう」ベータは頷いた。
 葡萄はベータと共に自室に帰って行く。わたし達もそれに倣うことにした。葡萄の言う通り、これ以上話すことがあるとも思えなかったし、そうでなくとも単純にわたしは疲れていたのだ。
 廊下を通る時、カトレアの死体に抱き縋っているデージーを見付けた。
 「お姉ちゃん……お姉ちゃん……」
 泣き続けている。姉貴の方と比べると色々マシな奴だったので、わたしは同情した。
 「あ……そうだ」わたしは蜜柑に言った。「もう死んだから言うけど、あんた毒殺しようとしたのカトレアだから」 
 「え? そうなの」蜜柑は安堵の笑みを漏らした。「よ……良かった」
 息を吐き出している蜜柑に思うところがないでもなかった。しかし毒を盛られて殺されかけた相手が死んで安心するなというのも変なので、わたしは何も言わなかった。

 〇

 キリン:十七歳。魔法は無敵。
×パンダ:十七歳。魔法は飛行。
×カトレア:十六歳。魔法はデージーの元への瞬間移動。
 デージー:十六歳。魔法はカトレアの元への瞬間移動。
×アルファ:十五歳。魔法は時間停止。
 ベータ:十五歳。魔法は嘘を吐かせない。
 葡萄:十四歳。魔法は空間の生成。
 蜜柑:十四歳。魔法は生物の殺害。
 空:十三歳。魔法は人体の復元。
×海:十三歳。魔法は記憶の消去。
×恒星:十二歳。魔法は火炎。
 彗星:十二歳。魔法は他者の寿命の把握。

 5

 〇

 わたしが自分の魔法を使ったことは一度だけある。大人達の実験に晒され、強要されたのだ。
 一年ほど前のことだ。わたしは実験棟に呼び出された。わたしが実験棟に来ることは珍しい。何せわたしの魔法には寿命五年間という莫大なコストを要求される。そう何度もは使わせて効果の程を測定する訳には、大人達にとっても行かないのだろう。
 実験棟に来たわたしはまず待機室と呼ばれる部屋に通された。そこにはいくつもテーブルと椅子があって、壁に設置された棚にはコーヒーや紅茶を淹れる為の設備や材料が並んでいた。大きなガラス窓が一枚あって、実験棟の中庭に紅葉した一本の木が見えた。その窓際に一人の髪の長い縦縞の黒い服を着た女性が座っていて、カップを持ったまま私を歓迎した。
 「初めまして。私はルビジウム」
 ルビジウムと名乗った女性は二十代の前半か半ばくらいの綺麗な女の人だった。つまり大人だったが施設の職員という意味での『大人』と異なり、わたし達と同じ立場の人間が成長した姿に思えた。でないとわたしに名乗る訳がなかったし『ルビジウム』なんて名前を持っている訳がなかった。職員という意味での『大人』の名前は、田中花子とかそういう苗字と名前の組み合わせのはずだった。
 ルビジウムはわたしに紅茶を淹れてくれた。わたしは紅茶を飲みながらルビジウムと話をした。ルビジウムはわたしの十二歳上でパンダやキリンとも同じ区域に被った経験がなかった。ルビジウムは同じ境遇のわたしに優しく接してくれて色々なことを教えてくれた。
 「この施設の敷地って三角形を三つに区切ってあるよね? 真ん中が研究棟で……」
 「子供用の区域はね。十八歳の大人用の区域は別のところにあるわ」
 「それってどんなところなの?」
 「広いわよ。元々ゴルフ場だったところを改造したいみたいで、運動場の芝生にバンカーみたいな砂場があるの」
 「今言った場所とわたしが知ってるところ以外に、この施設に区域ってあるの?」
 「あるわよ。あなた達は見たことがないと思うけど、この施設内には男の子が住んでいる区域も私たち同様にあるわ」
 「わたし達が男の子と会えることはないの?」
 「ないわね。十八歳以上の区域においても男性との接触は禁止されている」
 「わたし達が恋愛や結婚をしたり、子供を作ることはない?」
 「そうね。ミュータント同士が子供を作るとどうなるかはまだ分かっていないし、そもそも生まれた子供をどう扱うかと言う問題もあるからね」
 「そのミュータントというのは何?」
 「ああそれなんだけどね。実は私達は……」
 その時待機室の扉が開いて黒服の『大人』達が私達を外に連れ出した。
 白いコンクリートで囲われた実験室には髪の短い、精悍な顔をした人物が立っていた。驚くべきことにそれは人生で初めて出会う男の子だった。わたしは感動すら覚えてその人物を見詰めたが、向こうも同じく興味津々にこちらを見詰めていた。周りの大人の手前声を掛けることが出来ないのが残念だった。
 「オリオン。やれ」
 大人の一人に促されてオリオンと呼ばれた男の子は手のひらをルビジウムの方にかざした。オリオンの手のひらから何か光線のようなものが発射されルビジウムの身体を一閃した。
 ルビジウムは腰のあたりで胴体と脚が両断され、大量の血をまき散らしながらそれぞれが実験室を転がった。
 わたしは悲鳴をあげたがオリオンも悲鳴をあげていた。特にオリオンの取り乱しようはすさまじく、背中から電流を流す装置を突き当てられてその場で眠らされる程だった。いやおまえが自分でやったんだろと思ったが、だからこその動揺でもあるかもしれなかった。
 眠らされて連れて行かれるオリオンを横目にわたしはルビジウムの脚と胴体を見た。その両方が力なく静かに血だまりに沈んでいたが、胴体の方はその場でもがくかのように微かに腕が動いていた。
 「空」大人が言った。「この脚の方に魔法を使ってみろ」
 わたしは逆らおうかと思ったが大人の持っている硬鞭が怖かった。しかしすぐに決断できる訳でもなくその場で数分程震えながら逡巡していた。
 大人達の一人が脇から硬鞭を取り出して壁を叩き威圧的な音を出した。観念してわたしはルビジウムの脚に魔法を行使した。寿命を五年消費したはずだったが、自分の中でその実感がある訳ではなかった。それを確かめる為に彗星が呼ばれることもなかった。そもそも寿命なるものが定められていることに対する確信や実感もなかった。
 しかし足元のルビジウムの下半身には目に見えた作用があった。みるみる内にルビジウムの下半身から上半身が生成されその場で目を覚ました。当然服は再生されない為ルビジウムは上半身裸だった。
 ルビジウムは両手を床に当てて立ち上がると大人の一人に尋ねた。「これで私がしでかした違反はチャラなのね?」
 「そうだ」大人は静かに答えた。
 「そう……。それにしても」ルビジウムは血だまりの中に沈んでいる自身の上半身に目をやった。「今あっちの私にこの子の魔法を使ったら、いったい何が起こるのかしら?」
 「余計なことを喋るな」
 「そういう実験でしょう? まるでプラナリアみたい。この場合オリジナルはいったいどちらになるの? ここにいる私との連続性は? そもそもそいつは今生きているの? 死んでいるの?」
 「黙れと言っている」
 ルビジウムは首を横に振って黙り込んだ。そして大人の一人に服を着せられていた。わたしはその場で震えていたが、やがて大人の一人に肩を叩かれて部屋を出るように促された。
 「あの」わたしは尋ねるのを堪えられなかった。「なんでこんな実験を?」
 「それについて我々はおまえに何も伝えない」
 「魔法を使う度、わたしの寿命は五年減るんですよね?」
 尋ねた大人は一瞬胡乱そうな顔をしてから別の大人を見た。見られた方の大人は実験室の責任者らしき年配の大人だった。そいつは投げやりな口調でこう言った。
 「そう伝えている」
 「何故?」
 「万が一にも勝手に使われて良い類の能力ではない」
 「そうか」大人はわたしの肩を押した。「その通りだ。おまえの寿命は今五年減った。さあ用済みだ。出て行け」
 実験室の床ではルビジウムの上半身が未だに転がっていた。だらりと床に延ばされた腕の一つが微かに動いたように見えた。わたしは実験室を出て、研究棟からも放り出された。
 外に出たわたしは何かものすごく怖い気分になった。これまでに味わったことのない恐怖と混乱に震えが止まらなくなった。わたしは縋りつく胸を求めて蜜柑を探して走り始めた。

 〇

 目を覚ますともう九時を回っていた。普段なら七時には起床ベルが鳴って叩き起こされるはずだがそれもなかった。何もかもが子供同士だけで営まれる暮らしが始まっていることをわたしは実感した。
 蜜柑もまた隣のベッドで眠りこけていた。昨日の夜更かしを考えると寝坊したくなる気持ちは分かった。無防備に眠りこける蜜柑を放置して自分の身支度を済ませると、わたしは一人で寝室を出た。
 廊下を歩いていると、わたしの両目が小さな手のひらで隠された。 
 「だーれだっ!」
 「……彗星」わたしはその戯れに答えた。「おはよう彗星」
 「蜜柑どうしてるの?」彗星は言った。
 「寝てる。昨日遅かったし、起床ベル鳴らなかったし、そんなもんじゃない?」
 「ところがそうでもなくいつもの時間に皆食堂に揃ったのじゃ。デージーは今もカトレアの死体の傍だけどね」
 「そうなの?」
 「そうなのじゃ。二人の朝食は出来て並べてるから冷めない内に食べるのじゃ。もう冷めてるけど」
 「そっか。なんかごめんね」
 「良いのじゃ良いのじゃ。蜜柑は手伝えないし、空は蜜柑係専属なんでしょ?」彗星は屈託ない笑みを浮かべている。「あ、そうだ。さっきの蜜柑にも同じことして来て良い?」
 「あいつ寝てるよ?」
 「だろうと思って。つかなんでほったらかすの?」
 「いや起きるまで寝かしてあげようと思って……。起きたらどうせわたしのこと探しに来るだろうし、身支度はその後で良いし」
 「まあ空なんてそんなもんか」彗星はわたし達の寝室に向かって行く。「それじゃあね」
 胸騒ぎを覚えた。わたしは蜜柑の元へ向かって行く彗星の後ろを追い掛けた。
 わたしが自分達の室の扉を開くと、彗星が横向きに眠る蜜柑の顔に両手を回していた。
 「だーれだっ!」
 「……何?」蜜柑はもぞもぞと起き出して、両目を隠されたままの状態で言った。「彗星ちゃんだよね? 起こしに来てくれたの? 空ちゃんは?」
 「違うよぉ起こしに来たんじゃないよー? ちょっとは考えなよーやっぱ鈍いね」
 「ええ何? 何しに来たの?」
 「それはねぇ……」彗星は蜜柑の目を覆う両手に力を込めた。「こうするのじゃ!」
 彗星の指先が蜜柑の両目の奥深くまで押し込まれた。眼球の潰れる嫌な音がして、彗星の両手から蜜柑の血が溢れ始めた。
 「ぎゃ……ぎゃあああ!」蜜柑が悲鳴をあげた。「うわぁあああああ!」
 蜜柑は彗星を振りほどこうと暴れまくるが、彗星は蜜柑にしがみ付いて離れなかった。彗星は口元に笑みを浮かべながら、暴れる蜜柑の両目に指をぐりぐりと深く押し込んでいく。人差し指の二つ目の関節までが蜜柑の両目にしっかりと食い込んで、溢れだす血液は粘性を帯びて彗星の両手をべたべたに汚していた。
 「やめてっ!」わたしは彗星を殴り飛ばした。「なんでそんなことをするの?」
 「なんでって……空正気なの?」切れた口元を拭いながら、彗星がその場を立ち上がった。「こいつの目を潰さない限りあたし達に平和は訪れないよ~。だからこうするしかなかったのじゃ」
 「目が、目が……」蜜柑は声を震わせている。微かに開かれた瞼の奥は、真っ赤な血溜まりにしか見えなかった。「目が見えない。ぅううう。うぅうう。あああああああっ!」
 「脳味噌穿るくらいまで指突っ込んだから、ワンチャン殺せるかなと思ったけど、無理だったね」彗星はブイサインを作ってわたしの方に差し出した。「でも視覚なくなったらもう魔法使えないんでしょ? これで暴君は倒したぞい! やったのじゃ、やったのじゃ~!」
 騒ぎを聞きつけて、施設の皆がわたし達の部屋に集まって来た。

 〇

 泣き叫ぶ蜜柑の目がどうやら本当に見えていないらしいことを確認すると、施設の皆が最初にやったのはリンチだった。
 葡萄は蜜柑の襟首を掴んで運動場まで連れて行くと、その場で殴る蹴るの暴行を加え始めた。きゃっきゃと言いながら彗星がそれに加わって行き、やがて状況を察知したデージーまでもがそこに加わった。蜜柑は砂だらけになって運動場で喘いだ。
 止めようとしたわたしの肩をベータが掴んだ。驚いたわたしが振り向くとベータは唇を結んで首を軽く横に振った。
 「止めない方が良いよ」
 「なんでそんなこというの?」
 「何言っても何しても止まるようには思えないからだよ」ベータは目を閉じて嘆くかのような口調だった。「今行っても空ちゃんもやられるだけだよ。ただでさえ空ちゃん難しい立場なんだから、今は自重しないとダメだよ」
 「友達を何人も蜜柑に殺されていますからね」キリンは困ったような顔で言った。「大人達がいなくなった以上、私達は自分達を自分達で裁くしかありません。しかしいくら何でもあれは……痛ましいですね」
 脚で蹴り付けられ棒で殴られ石で殴られ、蜜柑は全身痣だらけになっていた。当然蜜柑も抵抗してその場で体を丸めていたのだが、葡萄が顔を集中的に狙うのでそれほど意味はなかった。蜜柑はアタマから血を流していた。髪の毛を引っ張り回された所為で、蜜柑の顔は痣だけでなく擦り傷塗れになっていた。
 リンチは数十分に渡って続けられ、仕舞には蜜柑は彗星の持って来たロープで運動場で一番大きな木に吊るされた。蜜柑はそもそも細身な上両腕がないので、或いは単にロープが丈夫な為か、切れることなく枝からぶら下がっていた。
 「……そこまでする必要あった?」わたしは声を低くした。
 「こいつに限っては、やり過ぎるということはないわ」葡萄は言った。「むしろ本当の裁きは今から始まるのだから」
 「何それ? そもそも腕がなくて目まで奪われて、その上こんなボコボコにされて木に吊るされて、その上こいつに何をしようっていうの?」
 「話し合わなければならないことがある」
 「何それ?」
 「命を取るかどうか。取るとして、誰がどのようにしてそれを取るか」
 わたしは氷を丸呑みしたような気分になった。
 「ああやっぱりそういう話になる?」ベータはため息を吐いた。顔は疲れ切ったように青白くなっていて、頭痛を堪えるように両手を頭にやっていた。「血生臭い会議ばっかりだね。もう嫌なんだけど」
 「前から思っていたけれど、ベータって割と根性ないわよね」
 「だから人望が命綱だと思って人当たり良くやって来たんじゃん。葡萄ちゃんとかアルファみたいには出来ないんだよこっちはさ」
 「その話し合いが必要なら、やはり食堂でやりましょうかね」キリンは言った。「長い話になりますよね? 寒空の下では、さしものキリンさんも参ってしまいます」
 「暗い……暗いよ」痣塗れの傷塗れの蜜柑は木に吊るされた状態で細い声を発した。「空ちゃん……来て。助けて空ちゃん。暗いよ暗いよぅ。怖いよぉ……」
 「空。あなたも来るのです」キリンが言った。「蜜柑にとってとても重要な話し合いです。勝負所と捉えた方が良いでしょう。頑張ってください」
 「行かないでぇ。行かないでぇ」蜜柑はわたしを求める声を発した。「一人にしないでよぉ……暗いよ怖いよ」
 暗闇の中で蜜柑は助けを欲していた。そして孤独を恐れていた。自分から視力が失われ二度と光を見られないという事実に打ちのめされ、闇を恐れるあまり一人でいることが耐えられないのだ。わたしは蜜柑の傍に歩み寄り、ぶら下げられた彼女を抱きしめた。
 「一人じゃないよ」こう言ってやるのが精いっぱいだった。「あんたの命を奪わせない為に、今から会議に参加して来るから。信じて待ってて」
 「やだよぉ。一人は怖いよぉ」蜜柑は声を震わせた。「こんなのやだよぉ。……ねぇ空ちゃん、もう一緒に死んで」
 「一生面倒見てあげるから」わたしは目に涙を貯めていた。「一人じゃないから。わたしが目になるし手になるから。だから今は待ってて。頑張って」
 根気良く言い聞かせることで蜜柑は何とか納得したようだった。両目を潰されて視力を奪われれば誰だって不安になる。一人でいることに耐えられなくなる。しかし今はこいつの傍にいられないのだ。こいつを守る為に戦わなければならないのだ。
 食堂には蜜柑を除く六人の生存者が揃っていた。わたしとキリンとデージーとベータと葡萄と彗星だった。しばしの沈黙が流れた後最初に口を開いたのはデージーだった。
 「魔法ないんなら蜜柑は生かしても良いけど、その代わり空にはお姉ちゃんのこと生き返してくれん?」
 「今はそんな話をしているんじゃないのよ?」葡萄は窘めるような声だった。
 「そんな話やよ。……空がお姉ちゃんを生き返してくれるのなら、あたしも蜜柑の助命に一票投じるよ? なあ、どうや空?」
 「……もうそれで良いから蜜柑助けて」わたしは思わず言った。
 「そこまでですか?」キリンは目を丸くした。「寿命五年です。後悔しませんか?」
 「やめといた方が良いよ?」彗星が優し気な声を発した。「そもそも、手だけでなく目まで失ったら、介護する空は大変だよ? いよいよもう何も出来なくなるよ? というか視覚も両腕もないとかそれ、人間なのかな?」
 「言い過ぎですよ彗星」キリンは静かな声を発した。「人間に決まっています」
 「けどさぁ」
 「そもそもこれは多数決なのかしら?」葡萄は挑発的な声を発した。「この場にいるのは偶数人数。もし同数になったらどうするの?」
 「蜜柑自身も入れれば七人だよ。ここにいる六人の内の三人が助命に賛成するなら、そこに蜜柑の票が加わって過半数の四人で、多数派で民意ってことにならない?」とわたし。
 「蜜柑に一票の権利があると思うの? そもそも私達は年齢も腕力も人望も持ってる魔法も異なっている。全員の票が同じ価値を持つ訳じゃない」
 「それならキリンさんの票が重要ですね」キリンは真面目な顔を作った。「最年長というだけでなく、キリンさんは何せ無敵ですから」
 「無敵なのじゃー」こんな時でも彗星はふざけている。
 「良いからとっととお姉ちゃん生き返してや」デージーは焦れた様子だった。「そしたら蜜柑抜いても七人やん。自分生き返してくれたんなら、お姉ちゃんやって空の味方するで?」
 「蜜柑の命を人質に、空に死者を生き返すよう迫るのはアリよ」葡萄は冷酷な顔でわたしの方を見た。「でもこの区域には五人の死者がいる。全員に魔法を使ったら二十五年分。いくら空でもそこまでするかしら」
 「他はええから、いったんお姉ちゃん生き返してや!」デージーは席を立ちあがった。「でないと蜜柑のことも殺すよ!」
 「これは蜜柑の罪と罰の問題ですから、無関係の空が魔法を使うか否かを絡めて話すのは、おかしいのではないでしょうか?」とキリン。「あくまでも蜜柑の行いと量刑についてのみ考えるべきです。最年長で無敵のキリンさんはそう思いますよ」
 「それはキリンさんの言う通りだと思う。その上であたしは命を取った方が良いと思うな」と彗星。「この先、あたし達ってこの区域を自治して行かなくちゃいけない訳だけど、人を殺しておいて目を潰されたくらいで済まされる判例は残せないよ」
 「そうね。これはそういう話よ」葡萄は肩を竦める。「絞首刑で良いんじゃない? さっきのロープを輪の形にして、蜜柑の首を吊って殺すの。空の魔法を誰に何人使わせるかは、また改めて議論すれば良い」
 「絞首刑なのじゃ絞首刑なのじゃ!」彗星は屈託のない声で物騒なことを言った。
 わたしは窮地を自覚した。そして助けを求めてベータの方を見た。
 「ねぇベータ。あなたはどう思うの?」
 この中で一番理性を発揮しそうなのはベータだった。キリンはふわふわして中庸だしデージーはカトレアを生き返らせることしか考えてないし、葡萄と彗星は蜜柑を殺すことしか考えていない。誰かが味方になってくれるとしたらベータしかいなかった。
 「…………どっちでも良いんじゃない?」ベータは机に伏して投げやりな声で言った。
 「いや……ちょっとベータ。あなたがそれじゃ」
 「分かった意見言うよ。言えば良いんでしょ?」ベータは頭痛を堪えるように首を左右に振った。「目も腕もなくなって魔法も使えなくなってるんなら、思いっきり反省させて罪を償いながら生きるのを本人が誓う限り、命まで取る必要はないと思う。もちろんそれは空ちゃんが蜜柑の面倒全部看るのが大前提でね? 他の誰も助けたがらないだろうけどそこに文句は一切なしで。蜜柑ちゃんの面倒看るから他の仕事は免除とか、そういうのもなしでね」
 「み、蜜柑の面倒はわたしが看るし他の仕事もちゃんとするよ。だから皆を説得してよ」
 「なんであーしが?」
 「なんでって……」
 「あーしは自分の意見言ったよ? 義務は果たしてるよ。だったらそれ以上求めないでよ。そうやってあーしに寄りかからないでよ」ベータは頭を掻き毟っていた。「疲れたんだよ良い人でいるのはさぁ。ここにいる奴ら全員おかしいんだよ。だから殺し合ってるんだよ。そんな場所で良い人でいたって自分が損するばっかりだよ? そんなんあーし嫌だからもうそっちで勝手に討論してよ」
 そして耳を塞いで黙りこんでしまうベータ。
 こいつはおそらくこの区域で一番まともな人間だ。今のぼやきを聞いた上でわたしはそう思う。だがだからこそ、こいつはここ数日の異常な出来事の連続に耐えられなくなった。まともな人間でることに苦しみ限界を感じた。そして投げやりな態度に出ることで心を守っている。そう感じた。
 ベータは善人だ。しかし、善人なだけで頼りにはならないのだ。
 「……キリンさんも殺すのには反対しておきますかね」キリンは目を閉じてそう言った。「パンダはずっとルームメイトでした。アルファだってちょっと怖かったですが良い人でした。恒星はちょっと生意気ですがそこが可愛らしかったです。彼女達が亡くなってキリンさんはとても悲しい気持ちになりました。ですがだからこそ、彼女達の死を背負って蜜柑は生きて償わなければいけません。死ぬことは償いではないとキリンさんは考えます」
 「バカげている。三人も殺して置いて蜜柑に償う方法なんてないわ。償いの為に差し出せる釣り合いの取れたものなんてない。それでも蜜柑に差し出せる最大のものが命なのなら、その命を蜜柑は差し出すべきなのよ」葡萄はやや強い口調で言った。
 「刑罰はあくまで抑止力の為にあるのです。ここで蜜柑を殺さずとも、残された者達が倫理を全うし、傷つけ合うのを避けて生きられるならそれで良い。それは出来ると思いませんか?」
 「思わないわね。殺しをした奴に相応の罰を与えずに倫理なんてない。だいたい生きて償うって何なのよ?」
 「自分のしたことについて考え抜いて、二度と同じ過ちを繰り返さず、被害者を愛していた我々に相応しい態度を示し続けることです」
 「そんなことをしても死者は蘇らないわ。誰かさんの魔法でも使わない限りね」
 「被害回復すれば殺す派の人達も留飲下がるんちゃうのー?」デージーは頬杖を突いて言った。「ええけん死んだ人全員空が生き返らしてよ。そしたら蜜柑やって許されるんとちゃうん?」
 「……まあ、蜜柑を許せって言うんだったら、せめて蜜柑の殺した三人を生き返らせるくらいするのが、空の示すべき筋ではあるのかしらね?」葡萄がそう言ってわたしの方を冷ややかな目で見た。「それだとカトレアは生き返らないけどね。空、どうかしら?」
 冷や汗をかいてわたしは息を飲み込んだ。
 蜜柑が殺した三人と言うなら寿命十五年分。これだってでかいしそれだけで済むとも思えない。まずデージーが納得しないだろうし、蜜柑が殺した者を生き返らせるというならアルファが復活する。アルファのことだから、残る二人の命を救うよう暴力を使ってわたしに求めて来るのは間違いない。まともに蜜柑を助けるには、わたしは二十五年分の寿命を支払う必要があるということだ。
 仮に蜜柑の助命を諦めたとしても、デージーはわたしにカトレアを復活させるよう迫ることに違いはない。デージーはわたしより三つ歳上で腕力も上背もわたしより上だ。姉に執着するデージーは手段を択ばず本気で来るだろうから勝ち目は薄い。
 とどのつまり、わたしはどうあれ身を切らなければならないということだ。
 「ちょっと時間をくれない?」わたしは立ち上がった。
 「時間って何よ?」葡萄は問うた。
 「自分の身の振り方を考えたい。蜜柑とも話をさせて欲しい」
 葡萄は胡乱な表情でわたしを見詰める。訝っている様子だった。
 「……どっちにしろ、そろそろ休憩にしたいことない?」ベータが疲れ切った声を発した。「どうせすぐには決められないでしょ。人一人殺すかどうかだなんて。ここらで一回切ろうよ」
 それが本当に休憩が欲しくて言ったことなのか、それともわたしを助けてくれたのか。それは分からなかったがわたしはベータに感謝した。この区域の中で、わたしを除けば一番蜜柑に手を差し伸べていたベータに、わたしはいつも感謝していた。
 葡萄が返事をするのを待たず、わたしは食堂の外に出た。
 わたしは一度自室を経由してから、運動場の蜜柑の前へ向かった。酷い暴力を受けてボロボロの蜜柑は、ぶら下げられた状態で潰れた目を閉じてじっとしていた。
 疲れ切って眠っているようにも見えたが、そこに休息を得ている安らかな様子はなく、むしろ生殺しにされた者の苦悩と深い恐怖が滲んでいた。わたしはそんな蜜柑の背後に回りロープの結び目を探した。
 「……空ちゃん?」気が付いて蜜柑は声を発した。目は見えないが察するところがあるようだった。「どうなったの? あたしを殺すか話し合ってたんだよね?」
 「落ち着いて聞いてね、蜜柑」わたしは結び目を探し当てほどこうと試みるが、上手く行かない。「議論は紛糾してる。このままあいつらと話し合っていただけでは、あんたを救える自信はわたしにはない」
 「そんな……じゃああたし死ぬの?」
 「……これはわたしの都合なんだけど、そもそもあんたの助命が叶ったところで、失われた両目はどうにもならない。そうなれば抑止力が消えてデージーはわたしにカトレアを生き返らせるよう求めるし、そこからまともに庇ってくれる奴もいるとも思えない。どうせ寿命を五年消費するんなら、カトレアなんかの為に使うより、よっぽど良い方法があるとはわたしは思う」
 「ごめん空ちゃん。あたしちょっと何を言ってるか……」
 「簡単な話だよ。つまり」わたしは自室から持って来たハサミでロープを解いた。「ねぇ蜜柑。いっぺん死んでくれない?」

 〇

 「本当にあたしここから落ちるのーっ?」
 居住棟の屋上に立った蜜柑から、悲鳴のような声が聞こえて来た。
 「ここ屋上なんだよねぇ! 高い所為かすっごい風吹いてるんだけどー! 怖いよ怖いよー!」
 「風なんて錯覚だよ蜜柑!」わたしは地面から屋上にいる蜜柑に叫んだ。「目ぇ見えてないんでしょ? そのまんま黙って三歩進むだけだよ! わたしを信じてさっさと落ちて!」
 「無理だよー! 死ぬなんて怖くてやだよー!」蜜柑は泣き叫んだ。「本当に生き返して貰えるか分かんないもーん!」
 「わたしを信じて!」わたしは訴えた。「わたしだけはずっとあんたの味方だったでしょ? 魔法使えないし目ぇ見えないし腕ないんじゃあんたもうわたしを信じて託すしかないよ! 良いからそこから飛ぶんだよ! 早くしろ!」
 「でもぉ……」蜜柑は潰れた目からボロボロ涙をこぼした。
 「わたしがあんた死んだままにさせる訳ないじゃん!」わたしは声を荒げた。「信じないなんて酷いよ蜜柑! わたしを何だと思ってんの! ほら! 飛べ!」
 「うぅううう! うわぁああああ!」
 蜜柑は居住棟の屋上からダイブした。三階建ての居住棟の屋上はかなりの高さがある。そこから落ちた奴がどうなるのかは、死んだ海が証明している。
 蜜柑は強か身体を地面に打ち付けた。両足あらぬ方向に折れ曲がり、裂けた額からは血が溢れ出している。
 「……蜜柑? 死んだ?」
 わたしが声を掛けると蜜柑は「うぅうう……」とうめき声をあげる。
 ……まずいまだ生きてる。わたしは焦りを感じた。どうやらこのくらいの高さじゃ即死とまでは行かないようだった。随分と騒いでしまったから、遠からず葡萄達はここにやって来るだろう。これはもうわたしが自らとどめを刺さないといけないのだろうかと、懐に忍ばせたハサミを取り出そうとしたその時。
 「ふざけんなやー!」
 デージーが現れてわたしを殴り倒した。わたしはその場ですっ飛んで尻餅を着いた。
 「そいつ殺してどないするつもりやったんやー! 殺して生き返してどうさせるつもりやったんやー!」
 騒ぎを聞きつけて来たらしい。見ればデージーの背後には施設の面々が揃って状況を見守っていた。ただ一人ベータだけがいなかった。
 「葡萄。この死体だか死んでない体だか分からないの、早く片付けようよー!」彗星が声を発する。
 「そうね。まったく油断も隙もあったもんじゃないわ」葡萄が蜜柑の脚を持ち上げた。「彗星はアタマの方を持ちなさい。空には分からない場所に隠すわよ」
 「らじゃ!」
 「やめろ!」わたしは叫ぶがデージーがわたしの頭を掴んで離さない。
 葡萄と彗星は脚と頭を持って蜜柑をどこかへと運搬しようとする。わたしは必死でもがいてデージーの頭に頭突きをかます。
 「ぐあっ」デージーが顔を顰めてわたしから手を離す。わたしはデージーの腕から這い出して蜜柑の方へと走り寄る。
 どうにか蜜柑の頭に触れ、髪を掴む。そこで葡萄はわたしの横っ腹を全力で蹴り付けて来た。
 思わず蹲る。そこにデージーが再びやって来て、またもわたしを羽交い絞めにする。
 「ちゃんと抑えてなさいよ!」葡萄が叱咤した。
 「ご、ごめんって……」
 デージーは鼻白んだ顔をする。こいつは元々それほど気が強い方ではない。だからカトレアと一緒にいなければ強がれないのだ。
 葡萄と彗星が蜜柑をどこかへと連れ去ってしまう。わたしの手に残ったのは、蜜柑の頭を掴んだ時に指に絡みついた数本の髪の毛だけだった。蜜柑の髪は長く柔らかで、それは葡萄からのリンチであちこち引き回されていても変わらなかった。
 蜜柑は完全に視界から消えた。わたしは手に絡んだ蜜柑の髪の毛を強く握りしめることしかできなかった。
 「……なんだか気の毒ですね」キリンが言った。「やろうとしたことは分かります。しかしさしものキリンさんも、こればっかりは実行させる訳には行かないと思い、死体を持ち去る二人を止められませんでした」
 「一回殺してから生き返したら、目ぇも腕も復活するっちゅうことなんやろ?」デージーは言った。「前にこいつ言いよったもんな。真っ二つにされた女の人の下半身から上半身を生やしたって。つまり死んだ奴を蘇らせたら五体満足の状態に回復するっちゅうことなんや」
 わたしの作戦はデージーの言った通りだった。どうせデージーにカトレアを蘇らせるよう強要されるくらいなら、蜜柑の方を殺して生き返すのに寿命五年を使った方がマシだと思った。蜜柑の魔法さえ蘇れば、デージーがいくらわたしにカトレアを蘇らせることを強要したくとも、蜜柑が抑止力になってくれるのだから。
 やがて葡萄と彗星が戻って来た。
 「隠して来たよー。あそこならまず見付かりますまい」
 「その内バラバラにして焼却炉で焼き捨てるとかするべきね」葡萄は言った。「しんどい作業になりそうだわ。最後の最後まで面倒を掛けるだなんて、本当に忌まわしい奴だわ」
 「……蜜柑は。蜜柑はどうなったの?」わたしは尋ねた。
 「死んだのじゃ」彗星はにっこりと笑った。「運び終えた時、試しにちゅうしてみたんだけど、寿命ゼロって出てたのだ。元々致命傷は負ってて、運んでる途中で完全に死んだみたいだね。ご臨終です」
 「バラシて燃やすなら早い方が良いんやない?」デージーが言った。「万一見付けられたら大変やよ。あたし押さえとくけんさっさぁしてよ」
 「無茶言わないで。人間一人痕跡を消し去るなんて、簡単なことじゃない。計画を立てるところから始めないと」と葡萄。
 「でも……」
 「絶対に見付からない場所に隠してるから心配しないで。分かるでしょ? それより、あなたにはやるべきことがあるんじゃない?」
 「そうやった」デージーは頷いた。「ほなあたしこいつと話すから、そっちは死体の処理について話し合って来て」
 「言われなくともそうするつもりよ。行きましょう彗星」
 「分かったのじゃ! キリンさんも来るのじゃ」
 葡萄はその場を歩き去っていく。キリンは微かに心配したような表情をわたしに向けたが、結局は彗星に腕を引かれて食堂の方へと消えていった。

 〇

 わたしとデージーだけがその場に残されていた。デージーはわたしの頭を掴んで鋭い声でこう言った。
 「さっさぁお姉ちゃん生き返らせてや!」
 「……いや、だから無理だって」わたしは息をも絶え絶えに言う。
 「ふざけんなや! こっち来ぃや!」
 デージーはわたしの髪を引きずって庭にある池のところまで連れて行った。そしてわたしの顔を池の水の中へと突っ込んだ。
 途端に私は窒息してしまう。ここに至るまでのいざこざで息が乱れていたところにそれなので、わたしは途方もない苦しみを覚えた。ただでさえ残り少なかった肺の空気はたちまち吐き切ってしまう。それでもなおデージーはわたしの顔を池に浸け続けるので、わたしは命の危機を感じた。
 わたしの頭を押さえていた手がようやく離される。池から顔をあげ数秒だけ息をさせて貰えたと思ったら、デージーはすぐにわたしの顔を池にぶち込んだ。再び窒息。
 「お姉ちゃん助けるって誓うまでこれやるけんね」デージーは冷酷な声で言った。「あんたが悪いんやで? 何度もお願いしたのに聞いてくれんのやもん」
 デージーは加減を知らなかった。一分が経ち二分が経ってもわたしは窒息から解放されなかった。三分が経つ頃ようやく引き上げられたわたしは自分でも分かる程衰弱していた。何とか息を整えなおそうと努力するが、それが叶わぬ内から再び池の中に顔を浸けられる。その状態から抜け出そうと暴れるが、デージーの力はわたしより強く渾身の力でもびくともしない。
 「この区域に来たばっかの頃、一番年上やった奴にこれやられたことあるねん」デージーは言った。「なんでそんなことされたんかは今一覚えとらん。くだらんことで機嫌損ねたんやろ。で、もう死ぬ……って時にお姉ちゃんがやって来てな。お姉ちゃん、あたしを助けてくれたねん。どうやったと思う?」
 わたしは池の中で生きた地獄を味わっている。
 「『ウチがデージーや』ってお姉ちゃん言うたんや。『その人はカトレアやから、ウチにムカついたんやったらウチにした方がええで』って。あたしら顔そっくりやからな。そいつあっさり騙されてお姉ちゃんをあたしと思い込んでリンチの相手変えたんよ。あたし黙って見とったわ。自分がされるん嫌やったけんな。すごい卑怯やったけん、終わった後あたしお姉ちゃんに謝ったんや。そしたらお姉ちゃん、『悪いはリンチして来たアホやろーっ』言うて、あたしには一つも文句言わんかったんや。……すごい人やろ? 優しい人やろ?」
 知るかっ!
 わたしは怒りを覚えている。そんな姉妹の思い出話とわたしが今感じている地獄は何ら関わりないものだ。だいたいカトレアはデージーにとって良い姉貴でも、年下のわたし達には酷い奴だった。お菓子やらオモチャやら取り上げられたし蜜柑の世話だってもちろんしてくれなかった。あんな奴を生き返らせるのに寿命を五年も使うだなんてまっぴらだった。
 助けて欲しかった。わたしは蜜柑の顔を思い浮かべた。この苦しみから解放されるならいっそデージーを殺して欲しかった。心底からわたしはそれを願った。今この場で蜜柑が蘇ってデージーを殺してくれることをわたしは望んだ。
 わたしは自分の右手に蜜柑の髪の毛が絡みついているのを思い出した。
 自分の魔法の効力や発動条件がどの程度のものかは把握していない。使ったことがあるのはたった一度で、そこに至るまでは大人からそういう力があることを聞かされていただけだった。何か人の魔法を把握する魔法のようなものが存在するらしいのだ。物心付く頃にはわたしは魔法について説明を受けていた。そう、確かこんな風に。
 『おまえの魔法は人間の肉体がほんの一部でも残っていれば、そこから人体を丸ごと再生することが出来る。ただし、コストとしておまえ自身の寿命を五年消費する』
 『ほんの一部』という下りにわたしは注目した。わたしは切断されたルビジウムの下半身から上半身を生やして見せた。だからと言って、髪の毛一本から蜜柑を丸ごと再生して見せることが、果たして可能なのだろうか?
 出来るか出来ないかを考えるようなことではないような気がした。もしそれがダメだとすればこの苦しみから解放される術はないはずだった。賭けてみるしかない。そう思った。
 わたしは指先にかかった蜜柑の髪の毛に自分の魔法を使った。
 デージーの手が止まった。
 わたしが池から顔を上げると、光に包まれながら少しずつ生成されて行く蜜柑の肉体を見た。髪の毛から順に頭、首、胴体、そして手足と復活して行く蜜柑を見た。全裸の状態で池の傍に出現した蜜柑は、感動したような声で言った。
 「生きてる! 目が見えるし腕もある!」蜜柑は自分の両手の指を動かしながら目を輝かせた。「でもなんで裸なの……? それに屋上から落ちたとこじゃないじゃんどうなってんの? つか空ちゃん傷だらけじゃん。デージーさんに羽交い絞めにされてるし……どういう状況?」
 「助けて蜜柑!」わたしは必死でそう泣き叫んだ。「こいつに何度も池で窒息させられてるんだよ!」
 それがまずかった。
 生命の危機すら感じていたわたしはデージーに配慮する余裕を失っていた。蜜柑が完全復活したのだから、この状況を解決する為の穏当な方法がいくらでもあるはずだった。蜜柑が一言『空を離して』と言えばデージーはそうせざるを得なかったはずなのだ。
 無論それは蜜柑自身が考えてそうするべきことだったとも言える。だが考えてから動くということが出来ない蜜柑をわたしは知っていたはずだ。知りながらわたしは蜜柑に言質を与えてしまった。もちろんわたしにそんなつもりはなかったが、しかしこの咄嗟の状況で、蜜柑がそれを殺しの許可だと受け取らないはずもなかった。だからそれはわたしの責任だった。
 「やめてっ!」デージーが悲鳴をあげる。「殺さないで!」
 蜜柑は復活した手を伸ばすとデージーの身体に触れた。この近距離だと睨み殺すよりその方が早いらしかった。
 死神の手がデージーを蝕んだ。あっけなくデージーはその場で崩れ落ちて池の中へと倒れて行った。わたしは呆然として池の中に浮かび上がるデージーを見詰めていた。
 こうして何も言わずにいる分には姉貴と何の見分けも付かなかった。しかしそれは見た目だけであり、デージーはカトレアと性格や話し方も異なっていた。デージーはカトレアに追従してばかりだったし、一人でいる時に話しかけるとおっとりしてさえ感じた。デージーはいつもカトレアを頼っていたしカトレアのことが大好きだった。
 死体を見詰めているわたしに裸の蜜柑が抱き着いて来た。
 「ありがとう空ちゃん。大丈夫だった?」
 「あ……うん」わたしは呆然としている。
 「ああ腕がある! これで空ちゃんのことぎゅって出来るね。本当に本当にありがとう。寿命を五年もあたしの為に使ってくれて!」蜜柑は目に涙を浮かべている。そしてわたしを抱きしめる力を強める。「あたし一生空ちゃんの言うこと何でも聞くからね。……空ちゃん?」
 わたしはデージーを見詰めている。少し言葉を間違えなければ、少し考えが回っていれば、デージーは死ななくて済んだ。無数の死を目の当たりにして来たわたしだったが、明らかな自分の過失で人が死んだのは初めてのことだった。
 「どうしたの空ちゃん。……大丈夫?」
 「……大丈夫だよ」
 わたしは蜜柑に笑い掛けた。殺したのはこいつだがこいつの所為じゃない。少なくともわたしの所為でないことにはならない。わたしはそう思った。

 〇

 キリン:十七歳。魔法は無敵。
×パンダ:十七歳。魔法は飛行。
×カトレア:十六歳。魔法はデージーの元への瞬間移動。
×デージー:十六歳。魔法はカトレアの元への瞬間移動。
×アルファ:十五歳。魔法は時間停止。
 ベータ:十五歳。魔法は嘘を吐かせない。
 葡萄:十四歳。魔法は空間の生成。
 蜜柑:十四歳。魔法は生物の殺害。
 空:十三歳。魔法は人体の復元。
×海:十三歳。魔法は記憶の消去。
×恒星:十二歳。魔法は火炎。
 彗星:十二歳。魔法は他者の寿命の把握。

 6

 〇

 「あたしの死体は焼いといてくれないかな?」
 その日の昼食の席で、蜜柑は葡萄と彗星にそう言った。命令だった。
 「自分自身の死体があるなんて気持ち悪いもん。あたしの目にも触れさせないで欲しいな」
 「……分かったわ。やれば良いんでしょ」
 「……らじゃーなのじゃ」
 葡萄と彗星は引き攣った顔で答えた。
 食堂には今残っている六人が勢揃いしていた。しかし会話に参加しているのは五人だけで、ベータは完全復活した蜜柑の目と手を見るなり、食堂の席に突っ伏して動かなくなっていた。蜜柑の目と手が復活したことが次なる死を呼び起こすことをベータは予想しているようだった。その予想が的中する可能性はわたしから見ても低いとは言い切れなかった。
 「どうしたのベータさん食べないの? 元気ないね?」
 復活した自分の手で昼食の中華丼を食べながら、蜜柑が無邪気に言った。
 「……放っておいて」ベータは力ない声で言った。
 「ひょっとしてあたしが生き返ったのが嫌?」
 「い、いや……その」ベータは焦った様子で顔をあげた。「そういう訳じゃなくってね……」
 「大丈夫だよー前も言ったけどベータさんは殺さないからー。あたしベータさん好きだよ。一回もいじめて来たことないし、ちょっとの間空ちゃんみたいに助けてくれてたし」蜜柑はニコニコしている。「困ったことやして欲しいことがあったら言ってくれても良いくらいだよ」
 大人のいないこの区域に蜜柑帝国が復活していた。帝国における序列は過去にどれだけ蜜柑に手厚く接したかで決定された。差し詰めわたしは神官でベータは貴族、キリンは平民で、目を潰した彗星といじめっ子の葡萄は不遇を囲うことになりそうだった。
 「あ……言っとくけど、葡萄ちゃんと彗星ちゃんはわたしの後ろに回らないでね」蜜柑は警戒したように二人を見た。「近付くのも出来るだけやめてね。目を潰されたり刃物で刺されたりしたら最悪だから」
 「……しないわよそんなこと」葡萄は言った。
 「……分かったのじゃ」彗星は言った。
 「空ちゃんにダメって言われたからしなかっただけで、本当は二人のこと殺しても良かったんだよ? 次いじめて来たら流石に報復するからね。目を潰されたら手で殺すし、あたしを殺しても空ちゃんに生き返してもらって殺しに行くよ」蜜柑は狂気に縁どられた目で二人を見詰める。「だからあたしにはちゃんと優しくしてね?」
 「……あんまり脅かすのはやめようよ」わたしは窘めた。必要な牽制でもあるのだろうが、こう明確に脅すようなことを言い出すあたり、蜜柑も形振り構わなくなっているようだった。
 「ごめん」蜜柑は謝った。わたしが何か言うとすぐ謝るのだけは変わらなかった。「空ちゃんはなるべくあたしから離れないでね。でないと守ってあげられないからね。あたしを殺す為に、あたしを生き返してくれる空ちゃんを先に殺そうとする奴は、絶対いるから」
 「……うん。分かった」
 「でもみんな酷いよね。あれほど優しくしてって言ったのに、わたしの目を潰してあんなにいじめてさ。木に吊るして殺そうとして……つらかったよ」
 「……謝罪はしないわ」葡萄はあくまでもへりくだるつもりはないようだった。「あなたはそれだけのことをしていたと思う。だから媚び諂うつもりはない。気に入らないなら殺してちょうだい」
 蜜柑は顔を伏せて恨めし気な顔を葡萄に向けた。感情的になって殺さないかひやひやしたが、蜜柑にそのつもりはないようだった。
 それにしても葡萄も良くそんな挑発的なことが言えるものだ。無論こういうトロくて気の弱い奴が力を持ってしまった場合、調子に乗らせない為にも引いてしまったら負けなのは理解できる。しかし四人殺してる奴相手に実際にそれが出来るかというと、相当な度胸がなければ不可能なはずだった。
 食事を終えると片付け作業にも蜜柑は参加して来た。両手を取り戻した以上は義務を果たそうというつもりらしかった。しかし蜜柑の要領は悪くほとんど役立たないばかりか、洗い物の途中で皿を割り、どうすれば良いか分からずおろおろしている最中、後ろから近付いて来たベータを警戒して悲鳴をあげた。
 「ひぃ! ……って、ベータさんか」
 死神の手を眼前に突き付けられ、ベータは顔を青白くしていた。「……う、うんそうだよ。片付けてあげようと思って」
 「う、後ろに近付いて来るから、目を潰されるかと……」
 「今朝そういうことがあったばかりだもんね。仕方ないよ」ベータは引き攣った顔で落ち着かせるようなことを言った。「たくさん殴られたりしてたし、色々疲れてると思うから、今日は蜜柑ちゃんお仕事は大丈夫だよ。休んでて」
 「でもあたし空ちゃんの傍にいないと……」
 「じゃあ空ちゃんも一緒に休んでて。後はあーしらがするから」
 わたしと蜜柑は食堂を体良く追い出されてしまう。まあ疑心暗鬼にかられた状態の蜜柑に周りをうろうろされるのが嫌なのは分かる。何かの拍子に気が高ぶれば、これまでに殺されて来た四人と同じ運命を辿ることになるのだ。導火線の短い爆弾として蜜柑の存在を誰もが持て余していた。
 「一人だけ休んでて良いのかな……?」蜜柑は小首を傾げた。
 「もうそうしといてやるのが連中の心の平和の為だよ」
 「怖がられてるのあたし?」
 「そうじゃないと思う訳?」
 「……まあ、そうだよね」蜜柑は照れ笑いをした。「午後から何する?」
 行動をいちいちわたしに委ねて来るのは相変わらずのようだ。元々何でもわたしについて来る奴だったが今では意味が違って来る。わたしがこいつの介助をするのではなく、こいつがわたしの護衛をしてくれるのだ。
 「あんたこそしたいことないの? あんた両手蘇ったんでしょ? 付き合うからやりたいこと何でもやったら?」
 「えっ。そう?」蜜柑は嬉しそうだった。「じゃあねぇ……あれやろうよ。テレビゲーム」
 リビングルームにはゲーム機が一台だけ置いてあり自由に遊んで良いことになっていた。しかし蜜柑はそれで遊ぶことを許されていなかった。ベロや足でコントローラーを触ろうとすると、汚いと葡萄に怒られるのだ。わたしがしているのを眺めるのは好きだったが、ゲームみたいな人気のある遊び道具は年上が独占している為、それが出来る機会も限られていた。
 わたしと蜜柑はゲーム機の前に座り込み電源を入れた。ケーブルで繋がったコントローラーを操作して、蜜柑が一番やってみたかったというパズルゲームを遊び始めた。画面上から二つずつ落ちて来る球体型のキャラクターを四つ繋げて消して行き、それを連鎖させることで相手の画面に妨害用の球体を送り込むというソフトだった。
 わたしもこのソフトが好きで、たまに順番が回って来ると海と良くやっていた。後ろで見ていた蜜柑はこうすれば連鎖が繋がるとちょくちょく指図して来て、その度わたしはむっとしたが、言っていることは正しいことが多かった。
 実際両手を取り戻して自分で遊べるようになった蜜柑は強かった。最初の内はたどたどしかったが要領を掴むのも早かった。蜜柑は組むのはゆっくりだったが高く連鎖を積み上げることが出来た。大して上手くないわたしはすぐに蜜柑に敵わなくなりコントローラーを放り投げた。
 「なんで勝てないのっ」わたしは嘆きの声を発した。「今日始めたばっかの奴にっ」
 「やっぱりあたしこれ得意なんだ!」蜜柑は目を輝かせた。「そんな気がしてた!」
 「ああもう悔しい! そうだあれやろうあれ。レースの奴! 対戦モードあるから」
 「う、うん。分かった良いよ」
 わたしは自分の最も得意なレースゲームで対戦を申し込んだ。こちらはというと蜜柑は下手糞であり常に最後尾を走っていた。わたしは自分が優位に立てることに満足してそのゲームを心行くまで付き合わせた。
 「やったあまた一位!」わたしは歓声をあげた。「やっぱさっきのソフトがおかしいだけだったんだよ!」
 「あは……ははははは」蜜柑は目に涙を浮かべていた。「楽しい……楽しい……」
 「そんな楽しい?」相手の得意分野避けた上でぼこぼこに負かしてるだけなんだけどな。
 「うん……楽しいよ」ぐしぐしと蜜柑は涙を流した。「もっとやろう。ずっとやろう」
 わたしと蜜柑は熱中してゲームで遊び続けた。その内他の面子がやって来てわたし達を一瞥したが、誰もわたし達からゲームを取り上げなかった。それは十二人全員が生きていた頃には考えられないことだった。
 気が付けば夕方まで遊び惚けていた。ベータが夕飯が出来たと声を掛けて来るまでそれは続けられた。わたし達は夕飯を食べた後再びゲーム機の前に座った。そして眠る時間が来るまでひたすら二人で遊び続けていた。

 〇

 風呂に入って二年ぶりに自分で体を洗った蜜柑は、満足した様子で就寝時間までゲームの感想を話し続けていた。
 ベッドでの寝る前のお喋りと言う奴を蜜柑とやるのも久しぶりだった。ルームメイトに戻ってから一回目の夜である昨日はそれどころじゃなかった為だ。わたし達は日付が変わりそうになるまで喋り続け、最後の方蜜柑が「でもゲーム独り占めは良くないから気を付けた方が良いね」と言ってから、睡魔に負けたように目を閉ざした。
 蜜柑が寝てしまったのでわたしは自分のベッドでぼんやりと天井を見上げた。
 良く眠れなかった。
 わたしは不安を感じていた。それはこの区域を覆っている殺伐とした死の危険にではない。わたしは今後の蜜柑との関係に不安を感じていた。だからわたしは蜜柑に執着し、奴が寝落ちするまで意味もなく話しかけお喋りに付き合わせていたのだ。
 蜜柑の傍にいると、今も蜜柑を叩き起こして縋りつきたい気分になった。それをして思いっきり甘ったれて見せれば多分蜜柑は受け止めてくれるだろうし、それはそれで適切なコミュニケーションの一つかもしれなかったが、しかしわたしにはプライドもあった。かといってこのまま悶々としているといつか暴発しそうでもあったので、良くないと思いつつわたしは寝室を出た。
 わたしは屋上に出た。
 やることもないのでわたしは空を見上げた。眩い星が天蓋を覆い静かに輝いていた。月明りがわたしの足元を照らしていた為、わたしはフェンスもない屋上を歩き回ることが出来た。縁に立つと足元には最初は奈落のような暗闇が広がったが、しばらく目を馴らすと庭や運動場の様子がぼんやりとだが浮かび上がった。
 わたしはここから落ちて死んだ海のことを考えた。今この瞬間に後ろから押されたら二の舞だなと思った。危ないことをしている自覚が芽生え、何となくわたしは背後を振り向いた。
 彗星がいた。
 わたしは驚きのあまり奈落へ落ちそうになった。体勢を崩しつつ辛うじて持ちこたえたわたしに、彗星は手を伸ばした。取って掴まれという意味だろうそれを無視して、わたしは自分で立ち上がり、屋上の縁からも彗星からも距離を取った。
 「なんで逃げるの?」彗星は小首を傾げた。
 「あんたってなんか怖いんだよ」何するか分かんないし。何しても動じないし。蜜柑の目を後ろから潰したのもこいつだし。飄々としている癖して物騒なのだ。「何しに来たの?」
 「空を探していたのじゃ」
 「空ならそこにあるよ?」わたしは天を指さした。
 「そっちの空じゃないってばぁ。空は空だよ」彗星はわたしを指さした。
 「探してどうするの? わたしを殺してから蜜柑を殺すの?」
 「だったら今頃空はそこから突き落とされてるよ」
 「そうなる前にわたしが気付いたんだよ」
 「信用ないなぁ。空殺したら蜜柑に殺されることくらいあたしだって分かるよ」彗星は膝を抱いてその場で座り込んだ。「せっかく会ったんだしお話しよう?」
 相手の出方が分からないが、こいつの言う通り、蜜柑を後ろ盾にしたわたしをどうこう出来るようには思えなかった。わたしは恐る恐る、若干のスタンスを保ちつつ彗星の隣に座った。
 「大変なことになったねぇ」彗星は他人事のようだった。
 「そうだねぇ」わたしは頷いた。
 「ねぇ。ちょっとチュウしない?」
 彗星がいきなり言ったのでわたしは身を固くした。そしていつでも距離を取れるように足元に力を入れた。
 「いやなんで?」
 「寿命を見せて欲しいのじゃ」
 「いやなんで?」
 「蜜柑復活させてたでしょ? ちゃんと減ってるのかなぁと思って」
 「いや良いよ。減ってるの確認するの憂鬱なんだってば」
 「ちょっとだけですから。舌は入れませんから」
 「いや良いよ」
 「朝と夜にちゃんと歯を磨いてますから」
 「そういう問題じゃないでしょ」
 「蜜柑あげますから」
 「蜜柑はあんたのじゃないし元からわたしのだよ」
 「その蜜柑じゃないよ明日の朝食のデザートの蜜柑だよ。献立表に描いてあったでしょう?」
 「あ……そうか」そりゃそうだよな。
 「空は蜜柑のこと自分のものだと思ってるの?」
 「いや誰のものでもないだろうけど……」
 「前から聞きたかったんだけどさ」彗星はわたしの顔を覗き込む。「空はなんで昔から蜜柑なんかに構ってるの?」
 「蜜柑なんかって何?」
 「蜜柑なんか『なんか』じゃないの?」
 わたしは彗星を睨んだ。しかしニコニコとした表情に揺らぎはなくじっとわたしを見つめ返していた。ニコニコとした鉄面皮という矛盾した表現がこいつには当てはまる気がした。
 「あのね。確かに蜜柑は腕なかったから色々手がかかったけど、あいつだって好きでそうなった訳じゃなくてね。そりゃ大人に逆らって三人も殺した所為な訳だけど、だからって自分で切り刻んだ訳でもなければ、逆らったのにもわたしを助けるっていうあいつなりには切実な理由があってのことでね」
 「違うよ腕なんて関係ないし。だいたい腕ないから『蜜柑なんか』だって思ったのなら、それは空の方に身体障碍に対する差別意識があるんでしょ?」
 「いやそうはならんでしょ……」
 「腕とか関係なく蜜柑キショいでしょ。自己中だしトロいし空気読めないし甘ったれでしょ?」
 わたしは彗星を睨む視線の鋭さを増した。彗星は構わず話し続けた。
 「前からそう思ってたけど、ここ何日かは目に余るよね。力持った時それどう使うかでその人の本性出るけどさ、蜜柑のやり方は本当に酷い」
 「完全には否定するつもりないけれど、でもあいつだって気に入らない奴を殺してるとか、力を背景に他人を弄ぶとか、そういう本当に最低なことはしてない訳でしょ? もしそうなら葡萄を殺してないのがおかしいんだし。あいつなりにひっ迫した事情があるっていうか、自分の身を守るのに必死なだけっていうか。実際あんたら何度も蜜柑のこと殺そうとしてるんだから、妥当ですらあるよ」
 「あたし達が蜜柑を殺さなきゃいけないのは、それが蜜柑だから。力を持ったのが他の誰だとしても今みたいになってない。力を背景に偉そうにしたとしても、テキトウに機嫌とって上手くやった方が遥かにマシ。蜜柑がもし自分いじめてた人を報復で殺す程度の奴だったら、あたしが命まで賭けて戦う必要はどこにもない」
 「何それ? だから蜜柑が全部悪いっていうの?」
 「そうじゃよ? あんな力を得ちゃった以上、気が高ぶったりやり過ぎたりで殺しちゃうのは、一人までなら酷くても事故。でもそれが短期間で四人も続くのは、蜜柑がキショくてヤバいからじゃよ」
 「あのねぇ」わたしは眉を潜めて立ち上がった。「人の友達のことそんな風に悪く言わないでくれる? あんただってキリンのことバカにされたらムカつくでしょ?」
 「あたしが一番好きなのはキリンさんだけど、アルファもパンダも恒星もデージーも友達だった。あたしが友達だと思ってないのは今は蜜柑だけだよ」
 「ねぇ彗星。あんた何のつもりなの?」
 「空こそなんであんな奴庇うの?」
 「友達だからだよ」
 「なんで友達なの?」
 「あんたこそなんでキリンなんかとつるんでんの?」わたしは怒りのあまり、倫理も論旨も文脈もなく、ただただ相手を一番傷つけ怒らせることを口にしている。「空気読めないのはキリンだってそうでしょ? 推理の真似事してたけど迷走してるし、最年長の癖にわたし達のこと何もまとめてくれないじゃない?」
 「キリンさんはマイペースなだけじゃよ? 自分勝手なのとは違う。他人に付いて来られなくて他人に迷惑かけるあなた達と違って、他人に頼っていないだけだよ。それでいて飾らなくて優しくて何より正直だよね? キリンさんは本当に素敵なのじゃー」
 「あんたにそう見えてるだけだよ。あいつこそ意味分かんないただの役立たずで……」
 「空が蜜柑を構うのってさ、空自身が何の取り柄もないからだよね」彗星が動じた様子もなく笑顔を保ったままのたまった。「何やらしてもほとんど誰にも勝てないじゃない。勉強も運動も大したことないし、家事労働の要領だって悪いしミス多いよね。その癖いつもイライラしてて、虚勢張って人に噛み付くけど、今じゃもう誰も相手にしない。くだんないよね」
 「はあ、いや……違うし。わたしはそんなんじゃ……」
 「自分より弱い奴が欲しいんだろうね。劣等感なく接せられる相手が欲しいんだろうね。偉そうに出来て言いなりに出来て、それでいて必要としてくれる相手が欲しいんだろうね。そういうしょうもないニーズに両腕のない蜜柑が答えてくれてたんだね。チャチな共依存だよ。笑っちゃう」
 「黙れよあんた!」
 「さっきまで何一人で屋上で黄昏てたの? 蜜柑の両腕を復活させちゃったこと嘆いてた? それで自分を必要としてくれなくなるって、パワーバランスが変わって都合の良いこれまでの関係がなくなるって、そう思って不安だったんでしょ? 図星じゃない?」
 「黙れって!」わたしは彗星の頬を平手で張る。
 しかし彗星の表情は変わらない。屈託のない笑みのまま彗星はのたまい続ける。「大丈夫だよ。蜜柑は元々しょうもないから。空と一緒くらいトロくてキショくてしょうもないから。空と蜜柑の関係は変わらないよ。変わるとしたら周囲から空への評価の方かな? 甲斐甲斐しく蜜柑の介護してること自体は皆一目置いてたけれど、これからはそれもなくなる訳でしょ? それでいて力を持った蜜柑の威を借りて仕事もしなくてゲーム機も独占して、それじゃ蜜柑と一緒くらい嫌われてくよね。実際仲間だもんね。それ分かってるから空はあたしにビビってたんでしょ? あたしに殺されるって思ってたんでしょ?」
 「黙っつってんでしょ!」
 わたしは彗星に掴み掛った。彗星はわたしの両手を簡単に捌いて、反対にわたしをその場に組み敷いた。
 一つ年下で背も低い彗星にわたしはどうにも出来なかった。仰向けのわたしに伸し掛かった彗星は、わたしの身体を片腕で封じながらもう片方の手でわたしの顔を殴り付けて来た。
 握り締められた拳がバカスカわたしの顔に当たる。手加減していないのが分かるような威力で、度々火花が散っていく。アルファの時と比べればマシだが十分痛いし、敗北感と無力感にわたしは涙を流しそうになる。
 先に手を出したのはこちらからとは言えここまでするか? そもそもわたしに手を出させたのも散々挑発してそう仕向けたんだろう。いったいなんでこんな真似をするのだ?
 「ご……ごめんって……もうやめて」わたしは思わず詫びを入れる。「もうキリンのことバカにしないからさ。だから……」
 彗星はそこで思わぬ行動に出た。マウントポジションを取られているわたしの顔に、自分の唇を近付けて来たのだ。端を切って出血しているわたしの唇に接吻して来る。濃厚なキッスは数秒に渡って続きわたしは訳が分からなかった。
 「はーい。目的達成」彗星はニコニコしている。「キッショいキスなのじゃー」
 「……何がしたいの?」わたしは涙に濡れた顔で言う。
 「空の残りの寿命は……後五十五年と一日です」
 「いやおかしくない?」前にキスされた時彗星は五十五年と三日と言っていた。
 「おかしいのじゃ。蜜柑生き返したのに全然減ってないのじゃ」
 「嘘吐いてるでしょ?」
 「吐いてないよ? 嘘吐いてたの大人の方じゃよ。せっかく死んでくれたミュータントを生き返されちゃ困るからそう言ってたのかも」
 「そんなことある?」つかミュータントってなんだ?
 「あるのです。あたしも前に嘘吐かれたことあるもん」
 「それが知りたくて、無理矢理キスする為にわたしをボコした訳?」
 「そうじゃよ? 最初っからそう言ってるよね」
 「いやだったらそう言えよ」
 「空断ったじゃん。だから無理矢理しなくちゃいけなくなったけど、こっちから手ぇ出すの嫌だから怒らせたのじゃ」
 「それにしたって言葉がキツくない?」
 「言いたかったことでもあるからすらすら言えたのじゃ。取り消す気もないよ? 蜜柑がキショいのも空がキショいのも本心だし」彗星はニコニコしている。こいつはどんな時でも笑っている。「キリンさんの悪口も許さないのじゃ」
 「死ねよもうあんた……」
 「あー酷い。怒ったのじゃ。もう一発くらい殴ってやるのじゃ」
 彗星はわたしに向けて拳を振り上げた。その時だった。
 彗星は動きを停止させた。そしてその場で白目を剥いて、わたしの方に倒れ込んで来た。訳の分からぬわたしがその小さな肩を持ち上げて顔色を伺う。表情がない。意識もない。つか、死んでる。
 わたしは思わず屋上の入り口を伺った。蜜柑がわたしの方を見詰めながら、焦った様子で駆け寄って来た。
 「大丈夫っ?」蜜柑は心配げな優しい口調でわたしに声を掛けて来た。「明らかにやられてそうだったから殺しちゃったっ。しょうがないよねっ? これで良かったよね?」
 わたしは頭痛を堪えながら彗星をその場に置いて立ち上がる。彗星に言われたことがわたしのアタマの中を改めて過る。気が高ぶったりやり過ぎたりは酷くても事故だが、それが四人も五人も続くのは、確かに蜜柑が異常なのだ。
 難しそうな顔をしていたのだろうわたしに、蜜柑はあわあわと口元を動かしながら近づいて来る。そして目に涙を浮かべながらいつもの言い訳を並べ始めた。
 「違くてねっ。ほら彗星ってば前にあたしの目を潰して来たじゃん? そういうことする人なんだったら空ちゃんのことも殺すかもしれなくて、確かにただの喧嘩かもしれなかったけど、あたしにはそれ分かんないじゃん? もし酷いこと起きてからじゃ遅いっていうか。声を掛けたりしてる暇があるかも分からなかったっていうか。空ちゃんの命がかかってる以上『かもしれない』で行動するのはしょうがなくって。つまりあくまでも空ちゃんを心配したからこそで。ようするに……」
 「そうだねありがとう。助かったよ」
 まだまだ続きそうだった蜜柑の言い訳をキャンセルする為にわたしはそう言った。角を立てないように笑顔も浮かべた。蜜柑の表情に明るい笑顔が灯る。そして目を輝かせてわたしの手を取り、「うんうんっ。いつでも助けるからねっ」と上機嫌に言った。
 「じゃあやっぱり彗星、空ちゃんのこと殺そうとしてたんだね。……酷い奴だね」
 「そうだね」
 「殺して良かったんだよね」
 「そうそう」
 殺してしまった以上そういうことにした方が良い。こいつにだって罪悪感はあるだろうし、誤解で殺してしまったとなったら少しは心も痛むだろう。それに皆に彗星の死を説明する時、多少は正当な理由らしきものをでっち上げた方が都合が良いのだ。
 もうそう考えよう。そういう風にしか、わたしも蜜柑もいられないのだ。
 「元々あたしの目を潰したりいじめて来る人だったからちょうど良かったよ。危なかったね」蜜柑はうんうんと腕を組んで、唇を結んで真面目ぶった顔を作った。「でもこうなるともう誰も信用できないね……。いっそ他の他人全部殺して二人だけの世界にした方が……」
 わたしは蜜柑のおでこに強烈なデコピンをお見舞いする。
 「い、いたっ」
 「冗談でもやめなさい」
 「ご、ごめんなさい」
 「じゃあお部屋戻ろうか」
 「死体どうする? 寝る前に二人で他の人の死体あるところに運ぶ?」
 「え?」
 「こういうのは今その場にいる人で始末しないと感じ悪いよ。誰かにやらせるの、横柄に思われそうだし……」
 ……気色悪いしやりたくない。置いといたら誰かが運ぶだろうよ。
 とは流石に言いづらいのでわたしは「そうだね」と応答して彗星の脚を掴んだ。蜜柑が顔を顰めながら、頭の方を持ちあげる。そのまま一緒に屋上の出口に向かおうとして、蜜柑が真逆の方向に歩き始めてお互いつんのめった。
 「うわっ」
 「きゃっ」
 「いや逆でしょ?」わたしは文句を言った。
 「え? なんで。こっちの方だよね?」蜜柑は屋上の縁の方を見た。
 「いやそっちでしょ」わたしは屋上の出口の方を見た。
 「これ持って階段降りるの? そこの縁から下に放り投げた方が早くない?」
 「やっぱヤバいよあんた!」
 「ご、ごめん」蜜柑は鼻白んだ様子でいつものように謝罪を口にした。「でもこんな重いの持って階段降りるの危ないっていうか。死体と一緒に崩れて落ちて下敷きにでもなったら大けがっていうか。彗星って背は低いけどおっぱい大きいし割と肉厚で、五十キロくらいには感じるというか」
 「こんな高さから落としたら普通に死体無茶苦茶になるでしょ?」
 「危ないよりは良いかなって……」
 「……もう置いとこうよ。誰かが片付けるよ」わたしはとうとう本音を口にして彗星を放り出した。
 「良いのかなぁ?」蜜柑は不安そうな顔で彗星を放り出した。「葡萄ちゃんとかに文句言われない?」
 「言える訳ないでしょ」
 蜜柑は変わらずにきょどきょどしていたが、わたしがずんずん屋上から出ていくとそれに習った。
 危ないからと屋上の縁から放り投げようとする奴、それは嫌だからってほったらかしにする奴。なるほどわたし達は違った意味で無責任で未熟なのだろう。そういう意味ではお似合いなのだろう。だからこそわたしと蜜柑は初めてルームメイトになった六歳の時から仲が良かったし、これからも変わらずその関係が続いて行くのだ。
 もうそれで良いしそうあれと思う。彗星の言ったことを認める訳だが知ったことか。言い負かされて悔しいとか思ったところで言い返す相手は死んでいるのだ。だったら気にした方が負けなのだった。

 〇

 二人で階段を降りていると、大げさな悲鳴が一階の方から聞けて来た。
 「う……うわぁあああああ! もう何度目なんですかぁああああ! さしものキリンさんもこのペースはもう勘弁願わずにはいられませんよぉおおうわぁあああああ!」
 わたしと蜜柑は顔を見合わせた。言うまでもなくキリンの声だった。わたし達は階段を駆け下りて一階のキリンの声のする方まで駆けつけた。
 喚いているキリンを一階の廊下で見付ける。その足元はアタマから血を流したベータが倒れていた。何か鈍器で殴られたようで額が裂けて血が流れていた。仰向けで倒れるベータには表情がなく、人生で八体目ということで一目見ただけで死体と判別出来た。
 もういちいち動揺してもいられないが、気分は深く沈み込んだ。いつまでも終わらない死の連鎖に、苦悩と絶望は指数関数的に上昇して行くようだった。最早この区域で人の死は特別なことではなかった。
 「もう何でこんなことばかり続くの」わたしは蹲って頭を抱えた。「ベータまで……これじゃもう嘘を見抜く魔法も使えないじゃん」
 「そういう問題じゃななななななないですよぉおおお!」キリンはがたがた震えながら喚き続けている。「もうキリンさん知らないですよぉおおお! 誰か何とかしてくださいよぉおおうわぁああああああ!」
 ……彗星はこんな奴を良く慕っていたよな。一番年上の癖にどう見てもただの役立たずだ。
 「連続殺人連続殺人! これで三人目ですよぉおおお! 犯人はいったい誰なんですかぁあああ! キリンさんの推理によればどう考えても一人しかいないのに、それだと彗星の言ってることと矛盾するんですよねぇええええ! どうすれば良いんですかあああ!」
 「いや……まあわたしも犯人はあいつ一人だろうと思ってるけど……それ彗星のなんかの証言と矛盾とかするの?」わたしは言った。
 「え? 空ちゃん疑ってる人とかいるの?」蜜柑が尋ねた。
 「そうじゃない? だって今生きてるのわたしと蜜柑とキリンと葡萄の四人で、わたしは犯人じゃないし、蜜柑は腕なかったから物理的に無理だし。キリンはベータの魔法付きの質問で犯人じゃないこと分かってるじゃん」
 「葡萄だってカトレア殺せないよ? その時ベータと一緒に行動しててアリバイあるんでしょ?」
 「ああそうか」
 「じゃあ空ちゃんが犯人?」蜜柑は素面で言った。
 「バカ言わないでっ!」
 「ご、ごめん」蜜柑は目に涙を貯めて上目遣いにわたしを見て言い訳を始めた。「違うの違うの。別にあたし空ちゃんが犯人だとしても別に良いっていうか、お友達には違いないんだし、むしろ犯人が空ちゃんならあたしのことは殺さないだろうから好都合まであるっていうか」
 「……海殺しもカトレア殺しも、わたしのアリバイはあんたが保証したんでしょうか」
 「ああそうだった」蜜柑は小首を傾げた。「え? じゃあ犯人誰?」
 「というか今生きてるの四人じゃなくて五人では?」キリンはいつの間にか冷静になっていた。「彗星を忘れてますよ?」
 「ああそれ死んだよ?」蜜柑がこともなげに言った。「あたし殺しちゃった。もちろん正当な理由はあったから、責めないでね」
 「う……うわぁあああああ!」キリンが震えて喚き始めた。「彗星は特に仲良しだったのにぃいいい! 哀しいです哀しいです! こんな哀しいことがあって良いんですかぁあああ! うわぁあああ!」
 「…………これ彗星が犯人で、ベータを殺してからわたしと会ったんじゃないの?」わたしはアタマに手をやった。「海の時もカトレアの時も、怪しいこと言ってたんだよ。海の時は蜜柑が『高いところから落ちた』としか言わない内から死を知ってたし、カトレアの時は刺殺体を一目見て双子のどっちか見分け付いてたし」
 「ああそれは別に変じゃないです」キリンはまたもいつの間にか冷静になっていた。「あの子しょっちゅう区域の仲間にキスをして寿命を確認していますから。それでいつ誰が死ぬかを知っていて、その為海の死を察知出来、カトレアを判別出来たのではないでしょうか?」
 「そうなの? でもあたし彗星とキスしたことないよー」蜜柑は言った。
 「わたしも最近まで……。大人からの指図でキスしたことはあったけど、あいつの方からってのは一度も」わたしは続いた。
 「全員としている訳じゃありません。蜜柑や空は嫌だと彗星自身言っていたのを、聞いたことがあります」
 キリンが言った。ひょっとしてわたしあいつに嫌われてた?
 「つかそんなことされて皆怒んないの? 寿命なんて知らされたくないのが大半でしょ?」
 「そこは弁えていて、彼女も知らせないようにしていたんです」
 「わたしの時だけ違う……」わたしは表情を引き攣らせた。「さっきした時も勝手に寿命言って来たし。何なのあいつ……」
 「ええ? 死ぬ前にキスをしたんですか?」
 「そうだよ。で、変なこと言われた。蜜柑を生き返したのにわたしの寿命変わってないって」
 「……えぇ?」キリンは目を丸くした。「ちょっと待ってください。それっていうことは、じゃあ……」
 「さっきから騒がしいわねあんたら」葡萄が自分の寝室から出て来てわたし達の前に来た。「それで起こされて見たらベータもいなくなってるし……まさかまた誰か死んだんじゃないでしょうね。……ってうわっ!」
 葡萄は足元に転がっているベータの死体を見て尻餅を着いた。
 「……嘘でしょ」普段冷静な葡萄らしくない態度だった。「なんでベータが……なんであの優しいベータが死ななくちゃいけないのよ!」
 互いにルームメイトに希望するくらいだから、二人は実のところ仲が良かった。蜜柑をいじめるのをベータに窘められる時も、葡萄は言うことを聞いていた。わたしにとってみれば、区域でもっとも尊敬する相手ともっとも軽蔑する相手が親密だということであり、そこは疑問でもあり気に食わない部分でもあった。
 「誰が犯人なの? もう許さないわ!」
 「……落ち着いて」キリンが目を閉じて言った。
 「落ち着いていられる訳ないでしょう? いったい何の目的があって……」
 「犯人が分かりました」
 言い切ったキリンにその場にいる全員の視線が集中した。
 「簡単な話だったのです。今からそれを説明します」

 〇

 キリン:十七歳。魔法は無敵。
×パンダ:十七歳。魔法は飛行。
×カトレア:十六歳。魔法はデージーの元への瞬間移動。
×デージー:十六歳。魔法はカトレアの元への瞬間移動。
×アルファ:十五歳。魔法は時間停止。
×ベータ:十五歳。魔法は嘘を吐かせない。
 葡萄:十四歳。魔法は空間の生成。
 蜜柑:十四歳。魔法は生物の殺害。
 空:十三歳。魔法は人体の復元。
×海:十三歳。魔法は記憶の消去。
×恒星:十二歳。魔法は火炎。
×彗星:十二歳。魔法は他者の寿命の把握。

 7

 〇

 「そもそも、今生きているメンバーの中に、三つの事件で一貫して犯行が可能な人間が一人もいないというのは分かりますでしょうか?」キリンは格好付けているのか、わたし達の周りを意味もなく歩き回り始めた。
 「その話を今したんでしょ?」わたしは言った。「海の時もカトレアの時も、わたしと蜜柑は一緒に行動していた。キリンは海の時にパンダと一緒に行動していたし、ベータからの魔法を使った質問で海もカトレアも殺していないことを確認している。葡萄はカトレアの時にベータと一緒に行動している」
 「でもキリンさんって無敵なんでしょう?」と蜜柑。「ベータの魔法を無力化した可能性は?」
 「だとしても海の時のアリバイは残らない?」
 「犯行時刻があたし達の思っている通りならそうだけど、例えばわたし達の聞いた落下音がスピーカーでも使った偽物ってことはないかな? あらかじめ他の場所で転落死させた海を居住棟の前に置いて、あたし達が廊下にいるタイミングを見計らって音を鳴らしただとか」
 蜜柑は名推理を披露するかのような自信ありげな口調で言った。でも良い発想かも。一瞬本気で関心しそうになるが、しかし少し考えて思い出してそれはないことに気付く。
 「それはないよ。だって、わたし音だけじゃなくて、窓を上から下に横切る影も見ているから。あれが海の死体じゃないのなら、他にもう一つ地面に落ちてるものがないとおかしいし、そもそもそれをどうやって落としたって話になるから」
 「そう言えばそうだったね。おんなじ影をあたしも見てたんだった」
 「じゃあ言うなよ」
 「ごめん」
 「ここにいる私達が一貫して三つの殺人を犯した可能性がないのは、ここまでの話で分かったかと思います」とキリン。「彗星も同様です。カトレアやベータを殺した可能性は否定できませんが、しかしその彗星は海殺しの犯人でないことを証明出来ています」
 「じゃあ三つの事件にそれぞれ異なる犯人がいるのだわ」葡萄は言った。
 「それだといくらでも何とでも言えてしまいますが……キリンさんはそうではないと考えています」
 「どうして?」
 「この区域で起きた出来事には二つ、明らかに不審な点かあります。それらが犯行に関わっていると仮定してつなぎ合わせれば、真相はおのずと浮かび上がります」
 「不審な点って何よ」
 「一つ目。海の死体から左手の小指が切り落とされていたこと」
 確かにその謎は未だに未解決だった。切り落とされた小指の行方も分からない。キリンは『出て来ることはない』と断言していたが、その根拠が何かも聞かされていない。
 「二つ目。蜜柑を蘇らせたのに、空の寿命が減っていなかったこと」
 それも不思議だ。わたしにとっては嬉しい話だが、しかし何故そうなるのかまったく分からない。彗星は大人が嘘を吐いていたなどと抜かしていたが……。
 「一つ目はキリンさんがその高い洞察力によりこの目で確認したことなので明らかですが、二つ目は彗星の証言に過ぎず偽証の可能性はぬぐい切れません。しかし例え彗星が犯人だとしてもそんなことを言う理由は見当たりませんし、そもそも彗星が三つの事件の一環した犯人であることは否定されています。よってここは彗星の証言を真実だと仮定させていただきます」
 「あいつの言うことなんてわたしは信用する気はないけどね」わたしは肩を竦めた。
 「仮定させてくれないんですかぁ……?」キリンはとても悲しそうな困った顔をした。
 「いや、仮定だけなら、まあ良いけど」
 「ありがとうございます」キリンは嬉しそうな顔をした。「さて。ここで問題なのはどうして寿命が減っていなかったかです。空が蜜柑を蘇らせたのは紛れもない事実。となれば考えられるのは『空の魔法を使っても寿命が減ることはない』ということです」
 「大人が嘘を吐くことなんてないわ」葡萄が言った。「必要な説明を省略することはあるけれど、単なる嘘を吐くことだけはない。少なくとも私は聞いたことがない」
 「しかし現に空の寿命は減っていないのです。ここは『空の魔法を使っても寿命が減ることはない』と仮定させていただきます。つまり、大人達は空に嘘を吐いていたのだと」
 「仮定だけなら良いわ。で、仮定するとどうなるの?」
 「海が殺された時、彗星は空の寿命を確認し、一年前と比較して一年しか減っていないと証言しました。しかし魔法にコストを伴わないとすれば、空が海に対して魔法を使っている可能性が生じます」
 「それはない」わたしは即答した。
 「どうしてないと言えるのです?」
 「わたし自身にそんな覚えがない」
 「記憶を消去された可能性は?」
 「いやそんな……」わたしは目を丸くした。「海の魔法? まさか」
 「海ちゃんの魔法って、過去一時間の記憶を消す奴だよね?」蜜柑が言った。「空ちゃんから教わったのあたしちゃんと覚えてるよ。指先から忘れろビームみたいなの出すんだよね?」 
 「その通りです」キリンは頷いた。「空はそれを海に対して使用し、その後魔法によって記憶を消去された」
 「いやないから」わたしは答えた。「海が生き返ったのなら、わたし達の見た海の死体をどう説明するの?」
 「空は蜜柑の髪の毛一本から、蜜柑の全身を復元したのですよね?」
 「そうだけど?」我ながらでたらめな魔法である。
 「ならば、海の小指一本から、海の全身を復元することが不可能な訳がありません」
 わたしは目を丸くした。確かにそうだ。
 「もっと言えば、対象の命が失われている必要すらないんですよ。例えば蜜柑の髪の毛一本一本に対して空の魔法と使えば、髪の毛の本数分の蜜柑が発生するとさえキリンさんは予想しています。これは最早復元というより複製と言って良いかもしれません」
 わたしは研究棟でルビジウムと名乗る女性に魔法を使った時のことを思い出していた。体の中央から上下に真っ二つにされたルビジウムの下半身から、わたしは完全な人体を復元して見せた。その後も放置されていたルビジウムの上半身は、うめくように微かにその手を動かしているようにも見えた。
 「まるでプラナリアです」キリンはルビジウムが言っていたのと同じことを言った。「この力を使えば海は生きながらに複製され、二人になることが可能です。その後海の魔法を使えば空の記憶にその事実も残りません。そして二人になった海の片割れが転落死し、残された片割れが後の二つの犯行を行ったのだとすれば、今キリンさん達が置かれた状況に説明が付きます」
 ……なんてことだ。
 「この敷地内で起きたことを改めて説明します。
 まず、海は空を脅すなどして、切り落とした自身の小指からもう一人の自身を複製させます。わざわざ小指を切り落としたのは空の魔法が髪の毛一本にも作用するとまでは、考えていなかったからでしょう。
 その後、二人の海は部屋を出る際に、ベッドにいる空に過去一時間の記憶を消去する魔法のビームを放ちます。扉を閉めつつ隙間からビームを放ったような恰好でしょう。記憶を忘却した空からしたら、何故自分がベッドで目覚めているのか分かりませんが、眠っていてふと目が覚めたのだと解釈する可能性が大です。
 その後二人の海の一人が転落死します。もしかしたら、二人の海が殺し合ったのかもしれません。
 その後残されたもう一人の海が区域内に潜伏し、カトレアとベータの二人を立て続けに殺害した……」
 わたしは海が死んだ日の夜のことを思い出していた。ふとベッドで気が付いて、そして扉を閉める音、扉の前から歩き去る足音を聞いた時のことを。
 確かそう、こんな感じだったはずだ。

 ※気が付くと寝室のベッドの上にいて、仰向けの姿勢に天井の灰色が目に入った。
 時計は夜中の二時を示している。歯を磨いて布団に入った記憶があるから、単純に考えて、深夜にふと目が覚めたという状況になる。ただ、理屈の上でそうなるからと言って、今の今まで眠っていて目が覚めたという実感はまるでなかった。
 今まで寝ていたにしては、意識がはっきりし過ぎているのだ。
 わたしは訝る気持ちで、隣の布団で眠る海の方に視線をやった。しかし布団には膨らみはなく、主は不在のようだった。
 その時、部屋の扉が閉められるバタンという控えめな音が響いた。
 過ぎ去っていく足音が聞こえて来る。一つではなく、二つ以上に聞こえた。
 海が部屋を出て行ったのだろうか?※

 あの時わたしは深夜にふと目が覚めた訳ではない。海に記憶を消去されていたのだ。
 実のところ、あの時のわたしの思考にも海から魔法を受けたという筋はあったのだ。だから隣の海の布団の方に目をやったのだ。
 しかしそこに海はおらず、わたしは扉が閉まる音を聞いた。そして過ぎ去っていく足音を聞いた。それは一つではなく、二つ以上に聞こえた。
 「あの時空の手には血が付いていました。切り落とされた小指を蘇生させた際に血に触れたのでしょう。そしてあの部屋にもあちこち血痕が付着していました。そこで指を切り落としたのでしょう」
 キリンは語る。わたしは胃の底が冷えてしくしくと痛むような感覚を味わっている。すべてに辻褄があっているし、失われていないわたしの記憶はすべてキリンの推理を裏付けている。わたしはキリンの推理が的中していることを確信しつつある。
 「これが事件の真相であると、キリンさんは確信しています」
 どこからも異論は上がらなかった。蜜柑は目を丸くして頷いているし、葡萄は拳を握り締めて青い顔で震え上がっている。わたしもまたキリンの言葉に吸い込まれるような錯覚を覚えていた。
 「海がどうしてそんなことをしたの?」わたしは尋ねた。
 「それは分かりません」キリンは答えた。「ただ。尋ねてみることは出来ます。海は必ず、今もこの区域のどこかにいるのですから」
 「どこかって……?」
 「それは探すしかないでしょう。可能性を一つずつ潰して行けば、いつか必ず海に出会うことが出来ます」
 「探しましょう」葡萄が言った。「見つけ出して、裁きを下すのよ」
 わたし達は揃って頷いた。海を見つけ出して、話を聞きださなければならなかった。

 〇

 捜索はしらみつぶしに行われた。
 まずは使われなくなった寝室を一つずつ当たった。いくら犯人でも夜はきちんとベッドで眠りたいに違いないというキリンの推理は、見事に外れていてどの部屋ももぬけの殻だった。
 いやいや最も見つかりにくい場所に潜伏しているに決まっている。そう言ったのは蜜柑であり天井裏や床下の捜索が行われた。言い出しっぺの法則で自ら突入する羽目になった蜜柑は、何の成果もなく埃塗れの砂塗れで這い出して来た。
 犯人が根城となる隠れ家にいるとは限らない。そう言ったのはわたしだった。犯人はつい先ほどまでこの居住棟にいてベータを殺したのだから、今現在に限ってはその辺の即席的な隠れ場所に身を潜めているのではないだろうか? よってキッチンのゴミ箱の裏や食堂の机の下、居住棟近辺の生垣の隙間などが捜索されたが、いずれも収穫は得られなかった。
 そうこうしている内に一時間が経過した。これだけもたもたしていたのなら、隠れ家があるなら既にそこに帰っているのではないか? 葡萄はそう言って学校と呼ばれる建物を捜索することを提案した。今現在授業を受けに学校に行く者は皆無であり、そこを安全な隠れ場所と考える可能性はある。また快適性もそれなりにあるはずだ、と。
 結果的にはこの推理が当たっていた。いくつかある学校の教室の中の、空き教室とも呼ばれる誰も立ち入らない部屋に、どこかから調達して来た毛布にくるまった海が、お気に入りの熊のぬいぐるみを抱いて寝ころんでいた。
 「……え? なんでここに来たの?」海は毛布から這い出して、片手にぬいぐるみを抱いたままもう片方の指先をこちらに突き付けて来た。「でも良いの。海のことなんて皆忘れてしまうの」
 「させません!」
 キリンがわたし達の前に立ちはだかって両手を開いた。別に両手を開く必要もなく、海の魔法の光線はキリンの胴体のど真ん中に命中した。
 何が起こるのかとわたしは固唾を飲んだ。しかしキリンは笑顔を浮かべてわたし達の方を向いた。
 「やはりキリンさん、無敵みたいです」キリンは胸を張った。「無効化したら無効化したということがキリンさんにも分かるんです。しかし肉体的なダメージのみを無効化すると説明されていたのですが……記憶の削除は脳と言う肉体の一部分へのダメージと言う判定になるのでしょうか?」
 「説明してる場合じゃないでしょ二発目が来るよ!」葡萄が叫んだ。
 海が二発目の光線を放ちあえなくそれは蜜柑にヒットした。蜜柑はその場で崩れ落ちたかと思ったら「あれ?」と小首を傾げた。
 「さっき海ちゃんのこと探そうってなって空いてる寝室開けて回ってたんだよね? なんで学校なんかにいるの? っていうかなにこれあたし埃塗れなんだけど! すっげーばっちぃ!」
 海は三発目を放とうと指先をこちらに突き付けて来た。
 「ああもう!」
 放たれた三発目を葡萄は蜜柑の髪の毛を掴んで持ち上げ、盾にすることで防御した。光線を食らった蜜柑は「きゃんっ!」と叫んだが、「あれこれ忘れるビームだよね何も起こらないんだけど」と困惑を浮かべるだけだった。
 「一時間分の記憶失くしてまた一時間……とはならないみたいね。それが出来たら無限に遡って記憶を消せるから当然かしら」葡萄は冷静に分析した。「私蜜柑を盾にするから空はキリンを盾にしな!」
 言われたとおりわたしはキリンの背後に隠れようとした。しかしキリンは攻勢に出ることにしたのか、両腕を振り回しながら海の方へと飛び掛かって行った。
 「うおおおお! くらぇええ!」キリンは叫びながら突進して行く。「キリンさんは……退路を捨てたのです!」
 「待った!」海は両手をあげた。「もう良いの。降参なの。よくよく考えれば記憶を消したところでこの状況はどうにも打開できないの」
 「くらぇええ!」キリンは聞こえていない様子で海に殴りかかった。「この状態のキリンさんを止めることは、キリンさん自身にも出来ないのだ!」
 「話を聞くの!」叫んで海はキリンのヘナチョコパンチを避けて反撃の拳を放った。
 「ぐわぁああ!」キリンはパンチを食らって仰け反るでも怯むでもなくただ屈辱の滲んだ表情を浮かべた。「よよ、良くも殴りましたねぇえ。キリンさん無敵ですけど屈辱はちゃんと感じるんですよぉおおお!」
 「やめなさい」葡萄がキリンの頭をはたいた。「降参なのね、海」
 「そうなの」海は両手をあげたまま言った。「どうしてここが?」
 「ほとんどしらみ潰しよ。あなたを必死で探していたの」
 「海は死んだと思わせていたはずなの」
 「空に自分を複製させたんでしょう? もう全部タネは分かってるんだから観念しなさい」
 「……流石は葡萄なの」海はその場で座り込んだ。「もう好きにするの」
 「謎を解いたのはキリンさんですよぉおお!」キリンが割って入った。「流石というならキリンさんの方なんですよぉおお!」
 「何でも良いでしょ」わたしは疲れ果ててキリンに言った。キリンはとても悲しそうな顔をした。
 「ねぇこれ何が起きてるの?」蜜柑が困惑した様子できょろきょろとあたりを見回しながら、半ば縋りつくようにわたしの腕を引いた。「怖いんだけど。説明してよ空ちゃん」
 「ちょっと蜜柑寄らないでよ」わたしは蜜柑を振り払った。「あんた今床下と天井裏を這い回って埃塗れなんだからさ。シャワー浴びるまでくっつかないで」
 「だから、なんでこんなことになってるのかって……」
 「海を見付けたんだよ! そして魔法で記憶消されたのあんたは! 察しろよ!」わたしは声を荒げた。
 「なんかごめん」蜜柑はそう言って引き下がった。
 「海が皆を殺そうとしてたのはバレてるの?」海は尋ねる。
 「バレてるよ」わたしは肩を落とした。「ねぇ海。なんでそんなことをしたの?」
 海は区域で二番目に小柄な女の子で、垂れ目がちで濡れたような目と、いつも無表情に見える卵型の顔立ちが特徴的だった。隙があれば熊のぬいぐるみを片手に抱いていて、フリルやレースをたっぷり使ったゴシックな服装を好んでいた。逃げ隠れしながらそれでも風呂に入っているのか、いつも複雑な形で左右に結んでいる髪は艶やかさを保っている。
 「空には説明したはずなの」と海は言った。
 「覚えがないんだけど」わたしは答えた。
 「そりゃそうなの。だって海が魔法で忘れさせてしまったの」
 「じゃあもう一度説明してよ」
 「運命に立ち向かいたかったの」
 「運命?」
 「寿命なの。彗星が言うには海の寿命は今日の午前二時三十七分……つまり後五分くらいなの」海はポケットから懐中時計を取り出して眺めた。「彗星は寿命が分かっても口に出さないようにしてるけど、気になった海はナイフで脅して聞き出したの。聞き出したことは海の魔法で忘れさせたの。でもショックだったの。きっと海は誰かに殺されることになるとそう思ったの」
 「……なんでそんな風に思ったの?」
 「この施設は腐っているから」海は表情を俯けて言った。そして抱きしめているクマを見詰める。「クマ太郎もいつも言ってるの。この施設の連中は全員が腐っていてアタマがおかしくなっていて、いつ殺し合いを始めてもおかしくないの。そうなるのはこの施設には魂を適切に成長させるのに必要な優しさのマナが存在していないからなの。だから誰かが海を殺すことは決まっていて、その運命に抗おうと思ったら、どうにかして先手を取って、海以外の全員を殺して回るしかなかったの」
 「腐っていてアタマがおかしくなってるのはあなたの方なんじゃない?」葡萄が冷笑的に言った。
 「どうとでも言うの。事実海が手を下さずともあなた達は殺し合ったし傷つけあった」海は鼻を鳴らして勝ち誇った。「海が殺したのは海の分身を除けばたった二人だけど、あなた達は仲間割れで五人死んだ。倍以上なの」
 「殺したのは全部蜜柑よ。蜜柑はあなたの二分の五倍、腐っていてアタマがおかしいことになるわね。でもあなただってたいがいイカれているわ」
 「イカれているのはこの施設の方なの。海はイカれたこの施設に殺される運命なの。その運命を打ち破る為には、海以外の全員を殺すしかない。一人になれば誰にも殺されようがないのだから。それで海はルームメイトの空に相談して、海の分身を作ってそいつに皆を一人ずつ殺させる計画を持ち掛けたの。その通りにしてくれたら空のことだけは助けてあげるって言ったの。でも空はそれを突っぱねて来て……」
 海とは友達だがそんなことを言われても乗る訳がなかった。増して、以前までのわたしは人を復活させるのに五年の寿命を支払うものだと思っていたから、猶更だった。海だってその認識だっただろうに、それでもわたしに魔法を使わせようとしたのか。……脅して使わせたというのか。
 「しょうがないから刃物で脅して無理矢理使わせたの。そしてすごく痛かったけど自分の小指を切り落として、それを用いて空に海の複製を作らせたの」
 「すごく痛いなんてもんじゃないでしょそれ……」蜜柑が口元を押さえた。「あたしだったら絶対無理だよそんなの」
 「でも死ぬよりはマシなの」
 「でも二人に別れた海ちゃんの片方が転落死したのはどうしてなの?」
 「それは海が殺したの」
 「うわぁああ! じ、じ、自分殺し!」キリンが喚いた。
 「黙るの。向こうが自分をオリジナルだと主張して来るから仕方なかったの。どう考えても、左手の小指を失っている不完全なあいつより、全身のパーツが全て揃ってる海の方が本物の海のはずなの。それなのに向こうは海のことを偽物の海だと主張してはばからなかったの。だからやむを得ず屋上に連れ出して突き落として殺したの」
 「向こうも同じことを考えていたのでしょうね」と葡萄。
 「そうだと思うの。だからすんなり屋上に付いて来たんだと思うの」
 「蹴落とし合いの末勝ったのがあなたという訳ね」
 「そういうことなの。勝った方が正義であり本物なの。それで海は死んだことになったから、この教室に潜伏しながら一人ずつ皆を殺して回っていたの。全員を殺すのは間に合わなかったけど、死んだ連中の中に海を殺す人間がいたのなら、海の寿命は延びてるはずなの」
 「一つの疑問が生じるわね」葡萄は嘲弄的な表情で小首を傾げた。「今私達の目の前にいる海の寿命は数分先。それは間違いないと思うわ。けれどこいつは本物の海の小指から生まれた言わばクローンに過ぎなくて、彗星がキスをして寿命を割り出したのは本物の海のはず。けれどその本物は既に屋上から落ちて死んでるわよね? これはいったいどういうことなのかしら?」
 「ああそれは簡単です」キリンは言った。「彗星が言うには、寿命を二重に持つ人間も、中にはいるのだとか」
 「そうなの?」葡萄が目を丸くした。
 「ええ。もっともこれは彗星にとって失言だったようで、忘れるように言われましたし、実際今まで忘れていました。しかし、今思い出しました」
 「それは便利なアタマをしているわね」葡萄は肩を竦めた。
 「確かに彗星はそんな風に言っていたの。『寿命は二つあるけど、本当に完全に死ぬのは後の方だと思う』って」海が言った。「その本当に完全に死ぬ寿命までもう後数分しかないの。海が生きられるかどうかはその時に分かるの。だからどうかこの教室から出て行って欲しいの」
 「それはどうして?」
 「あなた達に殺されたくないの。死にたくないの」
 「それは無理な相談ね」葡萄は蜜柑の方を見た。「ねぇ蜜柑。海を殺しなさい」
 「え……ええと、それは……」蜜柑はもごもごと言いながら人差し指同士をこすり合わせた。
 「どうしたの? もう五人やってるのに今更怖気づくの?」
 「だって空ちゃんの許可取ってないし。それにその子殺してもあたしにメリットないし」
 「海はもう二人殺してる。自分自身を含めれば三人よ? そんなの放置していたらいつかあなたに牙を剥くかもしれない」
 「でもでもだって」蜜柑はわたしの方をちらちらと見ては顔を反らしている。「どうしてもの時以外殺すなって空ちゃんが」
 「いやどうしてもの時なら殺して良いとか、わたし言ってないけどね」わたしは突っ込んだ。蜜柑特有の記憶の改ざんだった。
 「良いから殺しなさいよ!」葡萄は蜜柑の髪を掴んで恫喝した。「すっトロいのよあんたはいつもいつも!」
 「う……うぅう。うううう……」蜜柑は目に涙を貯めている。「もういじめないでって……あんなに言ったのに……。分かってくれたと思ったのに……うぅうう……」
 「私の言うことが聞けないっていうの? ねぇ? ねぇえええ!」
 顔を近付けて脅しながら、葡萄は蜜柑の頬を立て続けに二回ビンタした。蜜柑は痛そうに顔を顰めるだけで、無抵抗にボロボロと涙を流していた。
 最早二人の関係は完全に元のいじめっ子いじめられっ子のそれに戻っていた。それは葡萄の度胸の為せる技だった。一睨みで相手を殺せる力の持ち主であってさえ、相手がそれを使わないことを決め打って恐れなければ、精神的に捻じ伏せることは葡萄にとって不可能ではない。
 「うぅううう。どうすれば良いの……?」
 「空と私のどっちが怖いのよ?」
 「そそ、それは……間違いなく葡萄ちゃんだけど……」蜜柑はわたしの方を一瞥した。「空ちゃんのことだからなんだかんだ言っても許してくれるし……」
 「そうよ。でも私を怒らせたらどうなると思う? あなたには何度もそれを分からせてやったわよね? 前の関係に戻りたい? 洗剤を混ぜて泡立った食事を毎日犬食いさせたり、ウミガメの産卵の真似をさせたり、そんな生活に戻してあげても別に良いのよ?」
 「そ……そ……それは……それだけは嫌だっ!」蜜柑は震え上がった。微かに股に力が入ったようにさえ見えた。「分かったよ。やる! やるからぁ……」
 「分からないで欲しいの!」海は絶叫した。「やめてっ。助けて……う、うわぁああ!」
 海の方に向けられた蜜柑の目が赤く輝いた。途端に海の顔から表情が消える。さっきまで葡萄の腕から抜け出そうと暴れまくっていた海の全身から力が抜け、物も言わず床へと鼻をぶつける。
 死んだようだった。蜜柑が殺すのも六度目となると最早慌ても驚きもしない。ただの気怠い諦観と共にわたしはかつてのルームメイトを看取ったのだった。
 「……これで良いの?」蜜柑はいじめられっ子特有の上目遣いで葡萄を見た。
 「上出来よ」葡萄は立ち上がりつつ自分の髪をかき上げた。
 「空ちゃん。ごめん」葡萄は媚び諂いに塗れた目でわたしの方を見た。「どうしてもじゃないのに殺しちゃった」
 「……別に? 良いんじゃない?」わたしは吐き捨てた。
 「うわぁあああ! 死んだぁああ!」六度目でもキリンはうるさかった。「きゃああああ!」
 「終わったのね。これで」葡萄は笑った。「勝ったのだわ! これでもう私が殺されることはなくなった! あは、あははははっ。あははははははは!」
 葡萄の哄笑は鳴りやむことがなかった。

 〇

 キリン:十七歳。魔法は無敵。
×パンダ:十七歳。魔法は飛行。
×カトレア:十六歳。魔法はデージーの元への瞬間移動。
×デージー:十六歳。魔法はカトレアの元への瞬間移動。
×アルファ:十五歳。魔法は時間停止。
×ベータ:十五歳。魔法は嘘を吐かせない。
 葡萄:十四歳。魔法は空間の生成。
 蜜柑:十四歳。魔法は生物の殺害。
 空:十三歳。魔法は人体の復元。
×海:十三歳。魔法は記憶の消去。
×海:十三歳。魔法は記憶の消去。
×恒星:十二歳。魔法は火炎。
×彗星:十二歳。魔法は他者の寿命の把握。

 8

 〇

 居住区の暮らしに平等と平和が戻った。
 海を見付け出し殺害した次の日の朝は、葡萄の叱咤で始まった。朝食の材料が投下されているのだという。毎日皆で朝食を作るから、決まった時間に必ず起きて来い、とのことだった。
 「……今日は良いでしょ?」わたしは頭を掻き毟った。昨日何時まで起きていたと思っているんだ。
 「集団生活に規律は必要よ。同じものや設備を分け合うんだから、決められた時間に決められた行動をするのは当然よね?」葡萄は凄みのある笑みを残して立ち去った。「すぐに来なさい」
 仕切り屋め。わたしは蜜柑を叩き起こし、蜜柑の口に突っ込むつもりで蜜柑の歯ブラシを用意し始めた。しかし蜜柑は普通に生えている右手で、それをわたしに差し出して来た。そうだったこいつもう五体満足なんだった。
 「やって貰えないとなるとそれはそれで億劫だなぁ」蜜柑は歯ブラシを受け取って自分の歯を磨いていた。
 「なぁに楽してたの?」
 「そんな訳ないけど……」蜜柑はわたしが磨いてやるのの半分の時間でコップを手に取った。
 「ちゃんと三分磨きなよ」
 「んん……」億劫そうに蜜柑は歯磨きを再開する。
 「わたしがしてたみたいに歯の裏側もベロも磨くんだよ?」
 大人達のいないこの状況で虫歯になったらいったいどうなるんだろう? 研究棟の中に病院あるけど、ちゃんと連れて行って貰えるんだろうか? ……連れて行って貰えない気がする。もし連れて行って貰えるんなら蜜柑の目が潰れた時に手当して貰えたはずだ。視力は戻らないにしろ化膿とか考えたら必要な措置があったはずだし。
 わたし達が食堂に辿り着くころには葡萄が食材の運搬を終えていた。一人でそれをやっていた葡萄に一応礼を言うと、葡萄は未だ起きて来ないキリンを叩き起こすようわたしに命じた。
 「空ちゃんあたしから離すのダメだよ」と蜜柑。
 「キリンが空に危害を与えるとでも?」と葡萄。
 「そんなの分からないし……」
 「良いから行きなさい。今更あなたに怯えるつもりも気を遣うつもりもないわ」
 怖い顔をする葡萄に蜜柑は何も言えなくなっている。本格的にこいつに仕切られる雲行きでありわたしは憂鬱を覚える。だからってまさか蜜柑に殺させる訳にも脅させる訳にも行かないし、それが分かっているから葡萄もこう横柄に振舞えるんだろう。
 蜜柑王国崩壊の予感がした。葡萄はそういう態度を示しているし、キリンはキリンで天衣無縫なので、死の魔法が齎していた蜜柑の権威は通用しなくなっていくだろう。それはそれでしょうがないことだし良いことだとも思う。誰の為にも本人の為にも、蜜柑はきっと権力を持つタイプじゃなかったのだ。
 わたしはキリンの部屋を訪れた。「後五分……」を連発するキリンを起こして引きずって行くと、食堂では朝食の支度が進んでいた。蜜柑は卵を割ろうとして爆散させ、葡萄に怒鳴られながら涙目で飛び散った黄身や卵を不器用な手で拭いていた。
 ほとんど葡萄が作った朝食を食べて皆で皿洗いをする。それが終わると葡萄は一人で授業を受けに行き、他の三人は自堕落に遊び暮らした。遊びの内容としてはテレビゲームがやはり人気だったが、コントローラーは二つしかなかったので上手く抜け番を作って回していた。
 「よーし十三連鎖が出来るよぉ!」得意の落ち物パズルゲームで大物手を作り蜜柑は興奮している。
 「何の二連鎖ダブルです!」キリンがすぐに出来る攻撃で圧迫寸前の蜜柑の画面を妨害し封殺した。
 「わあ負けた! 後一歩だったのに……」
 葡萄はあまりそこに加わらなかった。こいつの遊び相手と言えばベータやパンダが中心で、時々アルファや双子ともつるむくらいだった。そいつらのいないリビングに葡萄はあまり現れなかった。一人でどこかで本を読んでいるか、授業の予習復習をするか、暇だからと言う理由で私達の分も洗濯や掃除をやってくれている時間がほとんどだった。
 そんな日々が三日だか四日だか続いた。穏やかだったがわたしは何となく物足りなかった。あんなに大変だった蜜柑の介助が、どこか懐かしく思えて来るのだ。
 蜜柑とは無論変わらずに仲が良い。しかし介助する者とされる者の関係が対等な友人になったことで、半ば自分の一部のようだった距離が少しだけ開いたように思えることがあった。今までの習慣で蜜柑に目を配っていても、本人は自分のことを全部自分で出来てしまうしやってしまう。蜜柑自身以前ほどわたしに行動を委ねることが少なくなった。お気に入りの児童文学を読んでいる時などは、わたしがどこかへ行っても付いて来ないこともあった。
 蜜柑の中身が変わった訳じゃない。ことあるごとにへどもどするのも、意味もなく謝って言い訳して来るのも前と変わらない。その度に『ああ蜜柑だな』と安心したような気持ちにもなる。そういう態度を引き出す為に意味もなく横柄な物言いをしてしまうこともあって、その度後悔することもわたしが現状にもどかしさを覚える理由の一つだった。
 蜜柑との間で色んな事が少しだけ変わって行くのかもしれない。新しい関係を作って行かなくてはならないのかもしれないし、わたし自身成長しなければならないのかもしれない。そんな予感がする。それは出来れば痛みの伴わない形であって欲しい。本格的に自己嫌悪したり大きな喧嘩をしたり、そういうことを避けたまま、胸の内のもどかしさを解決する方法や心構えを見付けられるのが一番良い。そうなるようにしよう、頑張ろうとわたしは思った。

 〇

 四人になって五日目だった。
 この数日というものまるで使われていなかった区域内の放送システムが、ひさしぶりに音声を発した。 
 「居住区域の変更を行う。キリンは必要なものを自分でまとめて研究棟へ来い。繰り返す……」
 「ああ。ついにお迎えが来ましたね」キリンはコントローラーを置いて立ち上がった。「いささささささか、きき緊張しますね」
 「え? 何? キリンさん今日誕生日なの?」抜け番だったキリンは膝を抱えたままキリンに言った。「じゃあお別れなの?」
 キリンは区域で最年長であり、パンダよりも誕生日が早かった。十八歳になれば次なる生活区域への移動が行われる。これまでキリンは語らなかったが、それが今日ということのようだった。
 「そもそもこの状態で居住区域の変更が普通に行われるのが驚きなんだけど……」わたしは言った。「もう何年も会えなくなるのか。寂しいね」
 「言ってくれたらお別れ会とかしたのにね」蜜柑が唇を尖らせた。わたしは頷いた。悪意のない性格で、蜜柑の介助も頼めばいくらか引き受けてくれたキリンのことを、わたしも多分蜜柑もそこそこ好きだったのだ。
 「お別れ会って、何するんですか? ひょっとして、お菓子とか別けてくれたんですか?」とキリン。
 「まあ別に良いけど」とわたし。
 「な、なんですってーっ」キリンは目を丸くした。「だったら言えば良かったですよぉおお!」
 「一人だけ他所に行くのは、やっぱり不安?」蜜柑が尋ねる。
 「不安ですね。でも、少し楽しみでもあります。出来ることもかなり増えるそうですし……」キリンは目を瞑り、新天地への思いを馳せた。「申請すれば動物を飼えたりもするそうです。キリンさん、猫を飼ってみたいのですよ。前にカトレアが蹴り殺してしまった子のような、黒くて小さな猫を」
 過去に区域の外壁の、金網になっているところから、猫が侵入して来たことがあった。そんなことは滅多にあることでもなく区域の皆が興奮した。大人から隠して可愛がろうと一部の者で相談していたそれを、何を思ったかカトレアが追い回して蹴り殺してしまったのだ。……今考えてもマジでどうかしてたよなアイツ。デージーはあんな時でも姉の後ろできゃっきゃ笑っていて、パンダとかベータとかは『あちゃー』って感じで、アルファはキレていて海がめちゃくちゃ落ち込んでいた。
 「ルビジウムによろしく」わたしはキリンに言った。「元気にやってるって」
 「前に空が研究棟で会った人ですね。分かりました」
 「ルビジウムが言うには、十八歳以上用の区域は元はゴルフ場だったみたいで、広い芝生の中にバンカーだった砂場があるんだって」
 「前に見せて貰った映画でゴルフ場というのは知っています。そうですか。そんなところなんですか」
 わたしは新天地に立つキリンの姿を想像した。ゴルフ場を改造した居住区の、木々に囲われた広い芝生の前に、一匹の黒猫を引き連れて立つ肩下までのボブカットのキリンの姿を。今は少ししんみりしているが、新天地にくればキリンはきっと、無邪気にはしゃぎ始めるだろう。この愛らしく実は少しだけ聡明な年長者の新天地に、幸多からんことをわたしは願った。
 「最後に。最後に一度だけ、空にお願いをしておきます」キリンは言った。
 「なあに?」
 「キリンさん自身確信はないですし、そもそも空の決めることなので何も言いませんでしたが。それでもこの一度だけ」キリンは屈託のない笑みを浮かべた。「パンダや彗星や他の皆がやって来るのを、新天地でキリンさんに待たせて欲しいのです。わたしが去った後じっくり考えてからで構いませんので、どうかお願いしますね」
 葡萄も合わせた三人でキリンの支度を手伝った。区域の運動場にいつの間にか置かれていた台車の上に荷物を積み込み、それをへいこら押しながら、キリンはわたし達に見送られて行った。
 「さて」葡萄はわたしの方を見た。「そろそろ最大の問題と向き合わないかしら?」
 「問題って?」蜜柑は首を傾げた。
 「これよ」
 葡萄は裏庭に積まれている大量の死体に手をやった。それは既に悪臭を放ち始めており、秋も終わりかけているというのにハエがたかっていて、酷い有様になっていた。正直近付くのも億劫だったが、骨になるまで放置するのでなければ、確かにどうにかしなければならないのも確かだった。
 「頑張って一つずつ焼却炉に運ぶしかないんじゃない?」わたしは言った。「腐り出す前にやるべきだったよねどう考えても。誰かが言い出すべきだったね」
 「あ、あの、あたし出来れば持つのは脚の方が良いかなーって……」蜜柑は人差し指をこすり合わせた。「しょうがなかったとは言え大部分は自分で殺したと思うと顔を見るのはなんか……」
 「わたしも顔の方がキモいんだけどなぁ……。つか二人で脚と頭を持つって決まった訳じゃなくない? 脚持ってずるずる引き摺って行ったんじゃダメなの?」
 「ああその方が良いや。でも重そうだよね運べるかな?」
 「……私が言いたいのはそういうことじゃないのよ」葡萄は苛立ちを堪えている様子だった。「ズバリ言うわ。空、あなた全員を生き返らせなさい」
 わたしは息を飲み込んだ。
 「ああ全員じゃなかったわね。海は良いわ。あいつは人殺しよ。死なせておきなさい」
 「でもそれじゃ空ちゃんの寿命が……」蜜柑が言った。
 「だからそれは大人達の嘘だったんでしょう? 蜜柑生き返らせても寿命変わってないって彗星が言ってたんだから、それは確かよ」
 「でも彗星が嘘吐いた可能性あるし……」
 「何故嘘を吐く必要があるというの? それに、彗星が本当のことを言っていた前提でキリンが推理を積み重ねた結果、一連の連続殺人の犯人が海だと判明した訳じゃない? つまり辻褄が合っていたということで、今更空が魔法を使うのを怯える必要はどこにもないわ」
 その辺の理屈は無論わたしにも分かっている。でもだからと言って、これまで寿命が減ると信じていたものを、今更使うのは怖かった。万が一があればと考えてしまうし、使わずに済ませればリスクはない。
 「魔法を使いなさい空。もう躊躇する理由なんてどこにもないのだから。一緒に生きて来た仲間が腐るのを放置するというのなら、私はあなたを絶対に許さない」
 「そ、そうやって強要するのはダメだよ! 空ちゃんだって怖いに決まってるよ!」
 蜜柑は声を震わせながらわたしの前に立った。本格的にわたしを庇ってくれるつもりのようだった。決死の表情の蜜柑は少し頼もしく、一歳だけとは言え学年が上のお姉さんであることをわたしは意識した。そんなのは数年ぶりのことだった。
 「怖い? そんな曖昧な理由で救える人を救わないなんて許されることではないわ。そいつが少し勇気を出すだけで皆が蘇る。それを拒否するのがどういうことなのか考えなさい」
 「それは空ちゃんにしか決められないことだよ! あたし達は見守るだけで何も言っちゃいけないよ!」
 「あなたは私に逆らうのね?」
 「……そ、そ、そっちこそ……」蜜柑は額から汗を流しながら、握った拳を震わせた。「空ちゃんを脅して強要するというのなら、あなたのことなんてあたしはいつでも……」
 「良いよ蜜柑。庇ってくれるの嬉しいけどそういうことは言わなくて良いから」わたしは蜜柑の肩を持った。「でもこいつの言う通りそれを決めるのはわたしだから。あんたは黙ってて」
 葡萄はそれ以上何も言わなかった。蜜柑を暴発させるとどれほど面倒になるかはこいつも理解しているのだ。だからこいつは蜜柑に怯えたり媚びたりはしないまでも、いじめることはやめているのだ。
 静かに葡萄はその場を立ち去って行った。残されたのは死体の山でありわたしは途方にくれた。葡萄を無視してこれを焼却炉に運び焼き捨ててしまうのは簡単だが、それはそれで胆力のいることだった。
 「せめて火を出せる子が生きていればねぇ」蜜柑は半口を開けて死体の山を見詰めていた。「ばっちぃから出来たら触りたくない。恒星だっけ? あの子さえいれば焼いてくれるのに」
 「いっそあいつだけ生き返らせようか?」わたしは冗談を言った。「で、用が済んだら蜜柑がまた殺すの」
 「えー何それ?」蜜柑は目を丸くした。「……あ、分かった。冗談なんだね。なにそれおかしいーあはははは」
 「愛想笑い下手過ぎでしょ……」わざとかってくらいだ。「マジでどうしよう」
 「さっきも言ったけど、空ちゃんが全部決めて良いと思うよ?」蜜柑がわたしの顔を覗き込んだ。「リスク負うのは空ちゃんなんだから当たり前だよね? もちろん今すぐ決めなくて良いし、全員分髪の毛だけ採取して体は焼いとくとかでも良いと思うし」
 「……一応聞いとくけど、自分をいじめそうとか殺しそうとかで、生き返して欲しくない人とかいる?」
 「たくさんいるよ。でもそれ本気で警戒するなら葡萄ちゃんなんてとっくに殺してるよー」蜜柑は不謹慎なことを冗談めかした口調で言った。「なんか両手復活したら心の余裕出来たっていうか。自分は弱者で、いつ誰からいじめられたり奪われたりするか分からない、みたいな感覚がなくなった。実際この魔法あれば誰にも負けないしね。だからね、もうそんなに怖がらなくて済むような気がしてるの」
 「……何それ?」成長したみたいなこと言いやがる。
 「空ちゃん助ける為に殺した三人はともかく、パンダとか恒星とかに関しては怖い話し合いしてたってだけで、殺す必要まであったか本当は今でも良く分かっていないの。冷静だったとして殺さなかったかは分からないけど、あの時気が高ぶってたのも確かだなって」
 開き直るでもハッキリ後悔するでもないのが、今の蜜柑の心情らしい。ただどちらにしろ生き返らせるのに文句はなさそうだ。蜜柑の殺人は主に両腕のない暮らしが齎すルサンチマンの暴発から来ることで、誰のことも信用出来なかった蜜柑が、自身を恐れ殺そうとする相手と向き合えなかったから起きたことだ。両腕と気持ちの余裕を取り戻した今、蜜柑の考えは変わり始めているようだ。
 「正直言うと生き返らせたとて、向こうがあたしを恐れてまた攻撃して来るようなら、改めて殺す可能性はあるよ? だからそうならないように、あたしは脅すようなことを言うかもしれない。それは空ちゃんにも理解して欲しいしして貰わなきゃなんないと思う。だけど今度はもうちょっとこの力とも皆とも上手くやりたい。これはあたしの本心だよ」
 「あんたがわたしの立場ならどうしてる?」
 「それは現状維持かなぁ?」 
 「え? そうなの?」
 「うん。あたしは空ちゃん以外いらないし、今平和なのにリスクは取らない。リスクってのは寿命のことじゃなくてね? けど空ちゃんはあたしとは違うし、空ちゃんはあたしのものでもない。他人を生き返す魔法を持ってるのは空ちゃんなんだから、どうするかは空ちゃんが決めれば良いよ」
 ……ひょっとしてこいつ結構大人なのか? いや全然ガキなんだろうし今だってまったく大したこと言ってないんだろうけど、それでもわたしが一瞬そう思ったのは、それ以上にわたしがガキだってことだ。
 いつまでもビビッていられない。わたしは決断した。
 「……分かった。生き返らせるよ」
 「そう。大丈夫?」
 「うん大丈夫。……見ててね」
 わたしは死体の一つ……アルファだ……に手を触れて、自身の魔法を行使する。
 流石に勇気が要った。しかし一度蜜柑の時に経験したことでもある。くよくよしたのは数秒だけで、わたしはアルファを生き返らせた。 
 「……なんだくせぇぞ?」腐敗していて自身の身体から出た粘液でボロボロの服で、アルファは目が覚めた。「うわっ。なんだこの死体の山は」
 「色々ありまして……」蜜柑が人差し指同士を擦り合わせる。
 「てめぇがやったのか……?」アルファが怒りの形相で立ち上がる。「おまえがあたしを殺したのは覚えている。タダで済むと思うのか?」
 「待って話を聞いて! 全部あたしじゃないし色々しょうがなくてっ。あのね」
 「全員生き返らせるから……」わたしはアルファを落ち着ける為に言った。こいつは最後の方にするんだった。「大人しくしてて。全員が生き返ってから改めて説明するから」
 怒鳴るアルファに急かされてわたしは一人一人を蘇らせていった。最後に海を生き返らせる際、いつの間にか戻って来ていた葡萄に止められた。
 「そいつはやめなさい」
 「いやでも……」
 「二重にあるそいつの寿命は両方とも尽きているのじゃ」生き返った彗星が言った。「他の皆も二重だけど、片方がゼロなだけでもう片方はまたまだあるのじゃ。つまり他の皆を生き返らせて海だけ放置っていうのが、そもそも運命なのじゃ。運命に逆らうのは良くないじゃよ?」
 「運命って変えられないものなのか?」生き返った恒星が言った。
 「あたしは変わるの見たことないかな。変えようとしたこともあるけど、それも織り込んでいるみたい。実際、カトレアが蹴り殺した猫は救えなかったし……」
 葡萄が代表してここまでの状況を皆に説明した。皆はそれぞれ真剣に話を聞いた上で各々の反応を見せ、訊きたいことは山ほどあるがとにかく海を生き返すのは保留と言うことになった。
 「話は聞いたのだけれど……。皆の寿命について分かっていれば防げた犯行もあっただろうに、どうして彗星はそれを言わなかったの?」生き返ったパンダが言った。
 「だから言っても変わんないんだって。それに人に寿命話すのは絶対ダメだってキリンさんに固く禁じられてたのじゃー」彗星は首を横に振るった。
 「わたしの時はあっさり言った癖に」わたしは腕を組んで言った。「でも本当だよね。そもそも彗星は皆が生き返して貰えることも分かってたんでしょ? 一人だけ未来読めてるようなもんじゃん。具体的な寿命避けながらでも推測したことは言えたはずだし、言えば色々変わったと思うんだけどなぁ」
 「もう良いだろ」アルファが立ち上がった。「海は生き返さない。それは決定だ。ならもうこいつらを放っておく必要もない。あたしに任せてくれ。皆のことは守る」
 「同時に空もよ」葡萄が言った。「分かってるでしょうね」
 「ああその必要はないです」彗星が言った。「今蘇らせた九人でもう終わりなのじゃ。そいつもう無理なのじゃ」
 「……と、いうことは、そうなのね?」葡萄は感心したようだ。「やるわねあなた」
 「分かってたの?」彗星は目をぱちくりとさせる。
 「可能性を考えていただけ。なら空は生かしていて良いわ」葡萄は頷いた。「アルファ。やってしまいなさい」
 その瞬間アルファが元居た場所から消えた。
 一瞬にして消失したアルファにわたしは面食らう。なんだなんだ何かの魔法を使ったのかと思う間もなく、皆がわたしの隣を見詰めながら悲鳴をあげ始めた。
 わたしは隣を見る。首のなくなった蜜柑が倒れていて血塗れだった。切り取られた蜜柑の首は少し離れた位置に無造作に転がっていて、傍にはノコギリを持ったアルファが立っていた。アルファは乱暴に蜜柑の頭部をわたしの方に蹴り飛ばした。
 「なんで……」わたしは思わず蜜柑の首を持ち上げた。ずっしりと重く何の表情も持たないそれは、これまでに見て来たどの死体よりも不気味だった。「今のどうやったの?」
 「時間を止めてノコギリ持って来て首を落とした」アルファは腕を組んだ。
 「いやそんなの何時間もかかるでしょ?」
 「一瞬でも生かしたら、その一瞬で殺されるかもしれないから、こうでもするしかなかった」
 「あんたどれだけ時間止められるのよ?」
 「いくらでも」
 「いくらでもって……」チートかよ。
 「蜜柑のことを最強の能力者とでも思ってた?」葡萄はくすくすと笑う。「残念だったわね。この区域内ですら、蜜柑を上回る魔法はいくらでもある。それどころかこの施設の中には、このベータを脱出させないよう抑え込むことの出来る魔法すらあるのよ? 調子に乗ったバカの末路ね」
 蜜柑の力は世界を支配できるような力だと思っていた。何せ生命という人間の持つ最大の財産をいとも簡単に奪い去れるのだ。誰もが蜜柑を恐れたはずだし誰もが蜜柑に逆らえないと思っていた。蜜柑自身最後には『この力があれば誰にも負けない』と豪語するようになっていた。しかアルファはあっけなくそれを上回り蜜柑を殺してのけたのだ。
 「最初にアルファが死んだのはホンマ不運やったなぁ」とカトレア。「蜜柑にとったらすごい幸運やけどなぁ」とデージー。「つかキリンとか無敵なんやろ。その気になったらあいつ蜜柑に勝てたんちゃう?」「分からんで。耐性あるん肉体への作用だけみたいやし。蜜柑の魔法がどう作用しとるか分からんのやったら、ぶつかるんは避けたんとちゃう?」「一か八かやってくれてもええのになぁ」「なぁ」
 「なんでも良いよ!」わたしは蜜柑の首を抱きしめて魔法を使おうとする。「何度殺されようがわたしは蜜柑を……」
 何も起こらなかった。
 わたしは焦った。そして何度も何度も魔法を使った。魔法を使うというのは特定の動作を取るのでも何に力を入れるのでもなく、ただ魔法を使おうと考えるだけだ。それだけに失敗するということはありえないはずだった。それなのに。
 「だから無理だって」彗星はきゃっきゃと笑った。「空の寿命、後五年もないもん」
 「……は?」わたしは彗星の方をぽかんとした顔で見つめた。「どういうこと?」
 「あたし空の寿命について本当のこと言ったこと一度もないよー」彗星は弾んだ足取りでわたしの方に近付いて来る。そしてわたしの手を蹴って蜜柑の頭を地面に落とし、踏みにじる。「この蜜柑はもう蘇らないのじゃ」
 「いや待って……そもそもわたしの寿命が魔法を使う度に減るっていうのは嘘だったはずで」 
「……そういうことか」恒星が険しい目をして言った。「彗星、君はなんてむごいことを」
 「何々? どういうことなの?」ベータが混乱している。「あーし分かんない。誰か説明して?」
 「彗星は最初から空についてのみ、でたらめな寿命を伝えていたということだ」恒星は首を横に振った。「そうやって彗星は空を嵌めた。ボクらを生き返らせる布石を打ったんだ」
 「なんだよそれ!」わたしは立ち上がった。「だったら何でキリンはわたしの寿命の話から海が犯人であることに辿り着けたんだよ」
 「キリンさんは最初から自分一人で真相を看破していたんだよ」彗星はニコニコ笑っている。「海の死体が見つかった最初の夜にね。その裏を取る為に、つまり空が二人目の海を複製したことを確かめる為にあたしに魔法を使わせたけれど、そこであたしがデタラメ言っちゃったから、キリンさんを混乱させちゃってたって訳なのだ。キリンさん自分の推理話してくれないから、訂正しようにも出来なかったんだけどね」
 「そんな……」わたしはうなだれる。「じゃあわたしの命は……」
 「幾ばくもないね。本来ならこんなことは言わないんだけど、それでもパニックになることがないように、今日明日死ぬことはないとだけは伝えておくね」
 「どうしてそんなことが出来たの?」ベータは混乱し続けている。「彗星ちゃんは最初から全部分かっていたの?」
 「そんなことはないけれど、他の皆と比べたら色んな情報持ってたよ」彗星は説明する。「あたしにはチュウした相手の寿命が見える。で、何人かの寿命を見た結果、二重の寿命を持つ人がたくさんいたんだ。これはどういうことかと考えて、一回死んで、また生き返って、それからまた死ぬってことだとあたりを付けたの」
 「実際、そうなったってことね」パンダは額に汗をしていた。「分かってたらあんな思いして死ぬことなかったのに……」
 「ケチで自己中な空じゃなくても、五年分の寿命なんて簡単に払うはずがない。ならどうやって運命を成就させるか……あたしは知恵を絞ったのじゃ」
 「……あらかじめ寿命を伝えておいて、わたしが誰かを復活させるのを見計らって、改めてキスをして寿命の減少がないという嘘を吐いたのね?」わたしは震えていた。顔から涙が零れ落ち、全身は恐怖と屈辱で震え上がっていた。「酷すぎる! わたしを嵌めて寿命を奪った! 酷いよ、酷い……」
 「だから皆を救う為なのじゃ。上手く行ったのじゃ。やったのじゃ!」彗星は会心の笑みを浮かべた。「わーいわーい!」
 わたしは土を掴みながら嘆いている。もっと深く考えればこの謀略にも気付くことが出来たかもしれなかった。自分の寿命を守れたかもしれなかった。蜜柑の命を守れたかもしれなかった。
 わたしはわたしを嵌め寿命を奪った彗星を生き返らせたことを悔いた。わたしの寿命を奪ってのうのうと生きている皆を憎んだ。わたしはわたしを取り巻くすべてを、この施設を、自分の運命を深く深く憎んでいた。
 誰もがわたしを嵌めて喜んでいた。皆敵だった。深い絶望の中でわたしは底なしの孤独を感じた。誰でも良いから味方に縋りたかった。わたしは蜜柑の死体に縋り、生き返らせる魔法を使おうとして、出来なかった。
 「あああああっ! ちくしょうちくしょう!」わたしは慟哭した。「誰一人生き返すんじゃなかった! 皆死んじゃえば良かったんだ! わたしの命を使えば皆を殺せるんならそうしたいくらいだよ! ちくしょうちくしょう!」
 「…………そう思うのも無理はないね」ベータが目を閉じて深く同情したように言った。「空ちゃんには感謝するね。空ちゃんの命を貰ってること、あーし絶対忘れないから」
 「うるさい!」わたしは泣き叫んだ。「偽善者が! おまえも死ね!」
 「やはりくだらないな」恒星は視線を俯けた。「謀略と殺し合い。一人を嵌めて犠牲にすることでしか成り立たない大団円。やはりこの施設は腐っている。こんなところに蘇るくらいなら、眠らせておいてくれた方がどれだけ良かったか」
 「じゃあ死ぬか?」アルファが言った。「やってやるぞ?」
 わたしは蜜柑の死体を抱きしめていた。全て蜜柑が正しかったのだとわたしは悟った。こいつらのことを一度でも信用しようとしたのが愚かだった。他の全員を殺して蜜柑と二人だけで生きるべきだったのだ。
 「そんな死体に縋らなくても良いのに」葡萄は嘲るように笑う。
 「おまえに何が分かる!」わたしは叫んだ。
 「本当の話よ。そんな死体じゃなくても、あなたは生きた本物の蜜柑に会うことが出来る」
 「何言ってんの? わたしもう魔法使えないんだよ!」わたしは彗星に指を突き付けた。「そいつに! そいつに嵌められたんだよ! 払えないんだよたった五年の寿命も! ふざけんなよ!」
 「魔法なんて使う必要ないわ。だって蜜柑はもう一人いて、今も生きてるんだもの」
 わたしは目を見開いて葡萄の方を見た。
 「会わせるの?」彗星は首を傾げた。
 「別に良いでしょ。死者は全員蘇った。つまり蜜柑の罪は贖われた。こいつの寿命によってね」葡萄は肩を竦めた。「だいたい私だってもうあんな奴に毎日餌を投げ込むの疲れたわ。臭いし汚いし顔も見たくない。もう興味もなくなったし、空に任せた方が百倍マシね」
 「何を言って……」わたしは声を震わせる。
 「付いて来なさい」葡萄はわたしに背を向ける。「蜜柑はまだ生きているわ。あなたが屋上から飛び降りさせて、死に損なった腕も目もない蜜柑がね」

 〇

 確かにわたしは一度蜜柑を屋上から飛び降りさせた。
 そうやって殺してから蘇らせることで、視力と両腕を戻せると思ったのだ。実際それは上手く行った。蜜柑は確かに一度死んで、わたしが髪の毛から復活させたはずだった。
 「ところがそれは違ったのよ」葡萄は言った。「あなたの魔法は死者の蘇生ではなく人体の復元。そしてその魔法は人体のほんの一部でも……例え髪の毛一本からでも使用することが出来る。本体が生きている状態で、髪の毛からもう一人の蜜柑を複製できるということなのよ」
 つまりいったん蜜柑を殺す必要もなかったということだが、あの時はそれを知らなかったのだからどうしようもなかっただろう。寿命を五年支払う以上実験なんて出来るはずもないし、知りようがなかったとも言える。
 「あの時、あなた達は蜜柑は死んだって言ってたはずよね?」わたしは言った。「嘘を吐いたの?」
 「その通りよ。本当のこと言ったら、あなた探し出そうとするでしょう? それは面倒だと思ったのよ」
 葡萄に連れて行かれたのは学校の裏、裏庭と呼ぶのも難しい狭いスペースだった。あるのは区域を仕切るフェンスの壁と、学校の建物の壁だけで、何を隠すのも誰が隠れるのも不可能な場所に見えた。
 「この壁に魔法をかけてあるわ」葡萄は学校の建物に手をかざした。「これが私の魔法でね。何もないただの壁の奥に空間を作ることが出来るのよ。その壁の向こうに何があろうがなかろうが関係なしにね」
 壁が繰りぬかれたようにして入り口が出現した。大きな四角形の入り口の向こうには、白い空間の中に蹲る裸の少女が転がっていた。
 それは酷い有様だった。人間の扱いを受けているように見えなかった。少女はまさに垢塗れの糞塗れであり悪臭を放ち、息をしているのかも怪しい程放心した顔で身動ぎもしない。全身には誰かに蹴り付けられた痣や切り傷が痛々しく刻まれていて、度重なる虐待の痕跡を伺えた。
 その少女には両腕がなく目はどちらも潰されたように閉じられていた。両脚はあらぬ方向に捻じ曲がっていてとても歩くことなどできなかった。本物の芋虫のようにこの何もない部屋でただ這いずって生きて来たのが伺えた。碌な世話をされていない証拠に全身だけでなく空間全体の空気が汚れて感じた。
 蜜柑だった。人が来たのを察知して、蜜柑は微かに身動ぎをして言った。
 「……殺して」
 蜜柑の声は絶望に沈んでいた。わたしは思わず蜜柑に駆け寄って抱きしめた。
 「蜜柑分かる? わたしだよ! 空だよ!」
 「空ちゃん?」蜜柑は何も見えない目をわたしの方に向けた。「空ちゃんなの?」
 「ごめんね蜜柑! 本当にごめん……」
 わたしが飛び降りるように言わなかったらせめて両脚は無事だったはずだ。わたしは謝った。そして酷いにおいのする蜜柑を抱く腕にわたしは力を込めた。この空間で今日まで孤独にのたうっていた蜜柑の絶望を想像すると、わたしはこの子に償う為にどんなことでも出来る気がした。
 「そいつには、外で起きていることを全て伝えていたわ」葡萄は言った。「その方がこいつが絶望するかと思ってね。空はもう一人の自分と仲良く楽しそうに過ごしていて、あんたのことなんて知りもしないってね。殴るよりも蹴るよりも、水を与えないのより酷いものを食わせるより、そっちの方がそいつには効くようだった」
 「なんでそんなことを……」
 わたしは葡萄を睨み付けた。今すぐに八つ裂きにしてやりたかった。どうして蜜柑はこいつを殺さなかったのだとわたしは嘆いた。どうしてこいつを殺すように蜜柑に言わなかったのだろうとわたしは深く深く後悔した。
 「蜜柑のしたことを贖わせる為よ。外の蜜柑とそこにいる蜜柑と、二人分の罪をそいつに償わせなければならなかった。その為には苦しめても苦しめても足りなかった。……空が皆を生き返らせたことで、その罪は許されたけどね」
 「そっか。じゃあ空ちゃんはあたしを助けてくれたんだね?」蜜柑は身じろぎをしてわたしの胸に顔を押し付けて来た。「ありがとう。ありがとうね……」
 「言っておくけれど、外にいたあなたの分身はアルファが殺したわ」葡萄はその場で背を向ける。「だからそいつは元通り『あなた』の空よ。好きなだけ再会を味わいなさい。私はもう、あなたには何の興味もないわ」
 葡萄は自分の作った空間から立ち去って行った。わたしは蜜柑と共にそこに取り残された。
 蜜柑はわたしの胸の奥に這いずって来て、肩に微かに残った突起でわたしの身体に縋りついた。わたしはそれが世界で一番愛おしいもののように思えて泣きながら抱き続けていた。わたしにはこれしか残されていなかった。わたしにはこの蜜柑以外に何もなかった。
 「またあたしを助けてくれる?」蜜柑は言った。
 「助けるよ。いくらでも助ける」ほとんど声にならなかった。「残ってる命全部であんたに尽くすよ。償うよ。わたしは全部あんたのもんだよ」
 「良かった」蜜柑は安心したように、微かに込められていた全身の力を抜いた。「じゃあもう、あたしも、他に何にもいらない。目も腕もなくて良いし歩けないままで良い。空ちゃんの優しだだけでわたしは生きていく。それで充分幸せだし、生まれて来て良かったってそう思うよ」
 蜜柑がそう言った瞬間わたしの胸の中に喜びが広がった。そしてこれで良かったんじゃないかとあらぬことを思った。
 わたしは自分より弱い者が欲しかった。どこまでも自分に縋り全てを自分に委ねてくれるものが欲しかった。だから両腕のない蜜柑が欲しかった。腕を復活させた蜜柑との日々は物足りなかったのだ。
 残る幾ばくもない命だが、わたしは自分が幸福に過ごせる予感がした。だって必要とするものはあるのだ。一番欲しかったものは手に入ったのだ。それは寿命を何年犠牲にしても手に入れるべきもので、それさえ得られるのなら他の全てを肯定できた。それは負け惜しみでも何でもなく、真実わたしはそれを望んでいたことを自ら理解した。
 まずは折れた両脚にちゃんとした手当てをしよう。それから蜜柑を負んぶしてお風呂に行って、身体を丁寧に洗ってあげよう。歯を磨いてベッドに横たえて、二人のこれからの毎日について、蜜柑といつまでも話をしよう。
 海は蘇らなかったことだし寝室のもう一つのベッドは蜜柑のものだ。いやベッドなんて二つもいらない。毎日一緒に寝れば良いんだ。許される限り一緒にいよう。蜜柑の為に立ち働いている時間以外は、全て蜜柑の胸の中で過ごすのだ。そして残された僅かな寿命が尽きる瞬間を、蜜柑の優しい胸の中で終える。何と甘美な一生だろうとわたしはうっとりした。
 全てを失った蜜柑を抱きしめながら、わたしはこの世の全てを手に入れたような気持ちに満たされていた。
粘膜王女三世

2024年12月28日 03時12分05秒 公開
■この作品の著作権は 粘膜王女三世 さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆使用したイラスト:②④
◆キャッチコピー:自分より弱い相手が欲しかった。
◆作者コメント:空+蜜柑+箱庭の十二人だと全部で十四人いるだろ。
 いい加減にしろ、と思いましたけど他に思い付かなかったのでこのタイトルで行きます。まだ時間あるんで変える可能性はあります。
 感想よろしくお願いします。

2025年01月17日 23時12分18秒
+20点
Re: 2025年01月21日 02時47分16秒
2025年01月11日 20時10分01秒
+40点
Re: 2025年01月21日 02時13分35秒
2025年01月10日 12時38分39秒
+30点
Re: 2025年01月21日 01時38分26秒
2025年01月02日 23時28分15秒
+40点
Re: 2025年01月21日 01時35分28秒
合計 4人 130点

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