誰がための許し |
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【0/13】プロローグ 気づけばアタシはそこにいた。 状況が把握できず周囲を見渡すと、おなじようにハダカの女が他に四人いる。 生まれたてのヒヨコのように、殻の内側に鎮座した女たち。 その姿は似たり寄ったりで、ハダカを隠すように自身を抱いていた。 それでいてなにも言わず、疑り深い視線で周囲を観察している。 「おめでとう、そしてこんにちは。 ゲームの準備は整ったようだね」 楽しげな声に視線が集中する。 そこには幼い姿の少女が立っていた。 ニワトリを模したパーカーを着込んでいて、頭の部分には赤いトサカがついている。 格好だけみれば愛らしいが、他者を見下す目つきがソレを帳消しにしていた。 「それじゃ、頑張ってゲームに挑んでくれたまえ。 なになになんの話かわからない? そりゃそうだ。 そういう条件(ルール)なんだから。 覚えてはないだろうけど、それを了承したのはキミ自身なんだから、神(ボク)に文句を言うのはスジちがいだよ」 神を自称するニワトリ少女は、質問に応じるそぶりをまるでみせない。 「回答はよくよく考えて行うと良い。 それが神(ボク)から心のこもったアドバイスだ」 ニワトリ少女がキメ顔でウインクをすると、あたりは光で満たされる。 そして私はソコ(・・)に送り込まれた。 【1/13】 「……夢?」 遮光カーテンの隙間から、朝日が入り込んでいた。 使い慣れたいつものベッド。 部屋に変わった様子もなく、着ているものもいつもの寝間着である。 ――なんだかひどく理不尽な夢をみさせられた気がする。 夢の影響か身体がダルい。 気分を変えようと、シャワーを浴びる。 私は成野幸(なるのさち)。 誕生日を迎えてまもない18歳の女子高生だ。 裕福と呼ぶにはいささか不足のある家庭で、ひとり娘として育ってきた……ような気がする。 自分のことのハズなのに、どこか記憶が他人事なのは何故なのか。 ――きっとあの夢のせい。 シャワーでは苛立ちを洗い流せぬとあきめ、脱衣所にもどる。 そしてタオルで身体を拭うと、鏡に映る綺麗に整えられた黒髪にドライヤーの風をあて、学校に向かう準備を始める。 そんないつも通りの日常が、今日だけは新鮮に感じられた。 【2/13】 昼休みに入って程なくすると、弁当を広げていた成野幸を呼ぶ声がした。 私のことかと思い至ると、廊下から手招きする担任の姿がある。 それに応じると「おめでとう。合格だったよ」とうれしげに告げられた。 それは推薦入試の結果だった。 勉強、生活態度、ボランティアとしての社会貢献、これまでの努力が報われた瞬間でもある。 ――うれしい これまでに感じたことがないほどの幸福感に包まれた。 合格を聞きつけたクラスメイトたちも、自分のことのように祝福の言葉を繰り返してきてくれた。 【3/13】 放課後になると、高校からの親友と帰宅する。 途中、公園に寄り、ベンチで祝杯をあげることとなった。 親友は自販機でジュースを購入すると、乾杯しようと渡してくれる。 新発売だというジュースの名は『ひよこジュース』。 ミキサーに入れられたヒヨコが愛らしく描かれているが、いったいどんな味がするのやら。 プルタブを開け、ふたり同時に缶を傾ける。 すると想像の斜め上を行く味が口内を攻撃した。 「「不味っ!」」 あまりの不味さに親友は爆笑している。 せっかくの祝杯を、不味いジュースで汚したことへの反省はないらしい。 彼女は「ごめんね~」と口先で謝りつつ、ジュースを飲み干してゴミ箱まで歩き空き缶を捨てた。 これ以上、不快な気持ちになりたくなかったアタシは、中身の入ったままの缶を地面へと置くと、それを思い切り蹴り飛ばした。 一応、ゴミ箱を狙ったのだが、缶は勢いよく公園の外まで飛んでいった。 「なんか今日の幸って機嫌悪い?」 親友は不思議そうにたずねるが、そうだとしたら不味いジュースを飲ませたおまえのせいだ。 私は「別に」と言いつつもスカートについた砂埃を払い、公園を後にする。 公園近くを走っていく、救急車のサイレンの音を耳障りに思いながら……。 【4/13】 それからの高校生活はヌルゲーだった。 まだ入試を控えた生徒が大半なので、あまり浮かれすぎないようにと注意は受けたが関係ない。 推薦をとれなかったのは連中が怠惰だったからだ。 アタシのように入学直後から、勉強に邁進し、ボランティアや学校行事に積極的に参加することで内心点を稼がなかったのが悪い。 そんな連中への配慮なんて必要ないでしょ。 親友だけは、すでに美容師になるために専門学校への進学を決めている。そのため遊びにも気軽に付き合ってくれた。 ただ、お小言が多く、どうしてこんな相手と親友付き合いをしていたのだろうと疑問に思う。 ――どうせ大学に行ったら切れる関係だけどね。 そう思うと、寛容になれないこともない。 そんな親友も、何故だか今日は休んでいる。 これといって連絡は受けてないから、たいしたことないんだろうけど。 昼休みの教室に、慌てた担任が訪れたのはそんな時だった。 目的の相手はまたも成野幸らしい。 ――いったいなに? 「急いで来賓室まで来なさい」 「アタシ、お昼まだなんですけど」 不満を漏らすが「それどころではない」と手を引かれる。 好奇の視線から逃れるためにも、さっさと教室を出てそれに従う。 ――そもそも職員室でも指導室でもなくて、来賓室って……どこよ? そこが来賓室なのだろう。校長室のとなりの扉を担任が開ける。 厚い絨毯の敷かれた室内の物々しい椅子には、老齢の校長の他に、スーツ姿の男女が座っていた。 【5/13】 来賓室で私を待ち構えていたのはスーツ姿の刑事だった。 男の方は初老で柔和な表情をしている。それはどこか嘘くさく、意図的に作ったものではないだろうか。 逆に女の方は若い。美人と呼んで差し支えのない顔立ちをしているが、敵意を含んだ厳しい眼差しがそれを台無しにしている。 校長が、ヤツらが近隣の署からやってきた刑事であると紹介。 ヤツらは自己紹介すらなくアタシへの質問を始めた。 「あなたが成野幸さんですね。 三日前、学校を帰った出たあとのことを確認させてください。公園に寄りませんでしたか?」 白髪頭の初老の刑事が、猫なで声でたずねる。 ――三日前? ――公園? 合格で皆から祝福されたあと、気の利かない親友と祝杯をあげていた時のことを思い出したのはすぐだった。 ただ、バカ正直に応えると、面倒ごとに巻き込まれるような気がして「よく覚えてません」と誤魔化した。 「本当ですか?」 となりに座っていたショートカットの女刑事が厳しい表情で割り込む。 「ウソをつくと後悔しますよ」 そう言って差し出した神には、監視カメラの映像がプリントアウトされていた。 そこには成野幸とその親友の姿が映し出されている。 「たしかにウチの制服っぽいですけど、ホントに私ですか?」 画像は粗い。 これだけで私であることは特定できないはず。 そう思いとぼけてみせるが、逃げ道は気づかぬうちに塞がれていた。 「お友達の瀬川倫(せがわりん)さんは認めましたよ」 あの女はそんな名前だったっけ。 ぼんやりと思いだしつつも「だったら、私も居たんでしょうね」と曖昧に肯定する。 ――あの間抜け、余計なこと言いやがって。 内心で毒づきつつも、「なにかあったんですか?」とたずねる。 すると意外な言葉が返ってきた。 「傷害事件です」 「誰か怪我を?」 「ええ、意識不明の重傷です。 ニュースになっているのですが、知りませんでしたか?」 そうは言われても、ニュースなんて大人が見るものだろう。 受験生は予備校の講師が用意した試験に出そうな話題をチェックしておけば十分だ。 どれが入試に関係するかなんて全然わかんないし、見るだけ無駄である。 とにかく、あの日、自称親友から公園で不味いジュースをおごられたせいで、面倒ごとに巻き込まれることになったのか。 しかも原因を作った当人は学校を休んで、その面倒を回避している。 ――いやまてよ。学校を休んでるアイツは、いつ刑事と話したんだ? そもそも話を聞いたなら、アタシが何も知らないことだって調べが付いているだろうに……。 そんなことを考えていたら、別の写真がテーブルに出された。 監視カメラのボヤけた映像とはちがい、こちらはちゃんとしたカメラで撮ったもののようだ。 そしてそこに写っているものを見て、私は息を呑んだ。 ――まさか? 写真に写っていたのは、アタシが不味いと言って蹴り捨てた『ひよこジュース』だ。蹴り跡なのか、へこんだ跡がある。 「成野幸さん、あなたには過失傷害の容疑がかかっています。 申し訳ありませんが、署で詳しいお話をお聞かせねがいませんか?」 初老の刑事が任意同行を呼びかける。 「傷害ってそんな……。缶をゴミ箱に入れそこなっただけ、です……」 「中身の入った重い缶を足で蹴っておいてですか? それで重傷者が出ているのですよ」 女刑事の鋭利な言葉が私の首筋に当てられる。 ――瀬川倫(あの女)はそんなところまで喋ったのか。 口の軽い自称親友のせいで、私は警察署までの同行を、断る術を失っていた。 【6/13】 警察署に連れて行かれた私は、手狭な取調室へと入れられた。 部屋は薄暗く、机と椅子が二つずつ置かれているだけ。 居るだけで気が重くなるような空間だ。 そこで冷たい目をした女刑事が一人、目の前に座りアタシをジッと見つめている。 「成野幸さん、あなたが捨てた缶で通行人が重傷を負いました。 その件についてお話を伺います。率直に答えてください」 「重症って、空き缶ひとつでオーバーな」 「あなたとしてはそうなのでしょうね。 ですがそれで人生を大きく変えられてしまった人がいる。 運が悪ければ、このままお亡くなりということもありえるでしょう。 そんな重罪を犯しながら、たかがと言い切ってしまうのですか?」 私は三日前の出来事を詳細に話すことを強制された。 推薦入試で志望校に合格したこと。 クラスのみんなから祝福したこと。 瀬川倫と公園に寄り、ひよこジュースで祝杯をあげたこと。 そしてゴミ箱に缶を捨てようとして失敗したこと。 人がいるとは全然気づかなかったことを話す。 成野幸に加害の意図がないことはわかっているようだが、無慈悲な女刑事の対応からするに、無理矢理にでも有罪にされてしまうのではないかと不安になる。 どちらにしろ、被害者だという男の娘とやらがひどく騒いでいるらしく、傷害事件を回避できたとしても、この先のトラブルは避けられないだろうということだった。 「そのため、詳細な調書が必要となります」 ――面倒くさい。 なにもかもを投げだしてしまいたい気分になる。 ――いや駄目だ。 ――短気を起こすな。 ――これまでの苦労を水に流す気か? 大学にも合格したし、この幸運を逃す訳にはいかない。 己に言い聞かせ、緩んだ緊張の糸を締め直す。 ちょうどその時、取調室の扉が開く。 そこから必死の形相の中年男女が部屋に押し入ろうとしているのが見えた。 【7/13】 扉の向こうの中年二人は、警察官を押しのけるようにして、取調室へと入りこんできた。 「幸、大丈夫か? 変なことはされていないか」 「幸、大丈夫? 何があってもお母さんは味方だから安心して……」 薄暗くてわからなかったが、どうやら父と母だったらしい。 ふたりは、大丈夫か大丈夫かと言葉を知らないオウムのように繰り返すばかりだ。 それでも不快な女刑事をにらみつけると、声を荒げて弁護に入ってくれた。 「うちの子がいったいなにをしたって言うんです!」 刑事を怒鳴りつけてどうにかなるとでも思っているのだろうか。 そいつらにとっては、混乱した親族が罵倒してくるなど日常茶飯事だろうに。 返って立場が悪くなりそうだ。 父はことのあらましを聞かされると真っ青になった。 さっきまでの勢いをアタシへと向け、詰め寄ってくる。 ――おまえら味方じゃないのかよ! つっこんでやりたかったが、この場で反省を見せないのは不味い。歯を食いしばって自分を抑える。 「刑事さん、これから幸はどうなってしまうのですか?」 母がオロオロした様子でたずねた。 女刑事は、そんな相手に配慮なく淡々と事実だけを告げる。 「状況は深刻です。 被害者がいまだ目覚めないことも問題ですが、その家族が非常に怒っています。 傷害に問われなかったとしても、示談にもっていかなければ訴訟を起こされるでしょう」 そちらについては弁護士と相談するように言われる。 「幸さんは十八歳ですでに成人として扱われる年齢です。 ただ、二十歳以下であるため、特定少年として扱われることもあります。 今回の件が少年法で裁かれる範囲かは、我々では判断がつきかねます」 その如何で罪の上限が変化するという。 女刑事は声をそれまでの冷たい声を和らげ、励ますように母には告げる。 「まずは事実を明白にしましょう。 そうすれば、きっと裁判官が適切な判断をしてくれますから」 それはアタシを陥れるための材料の罠なのではないだろうか? そんな不安が拭い切れなかった。 【8/13】 その日の取り調べが終わると、ようやく解放された。 帰宅するため、三人でタクシーにのる。 タクシー内はどんよりとした空気で包まれていたが、それでもまだマシな方だった。 自宅(テリトリー)にもどると母親が爆発した。 「どうしてこんなことになるの!」 ヒステリックに叫びあげる。 父がなんとかなだめようとするが、母は己が悲劇のヒロインであるが如く叫ぶことをやめない。 終いには「あんたなんて私の娘じゃない! 私の幸はもっと素直で良い子よ!」とまで言い出す始末だ。 売り言葉に買い言葉で「じゃ、あんたとの縁なんてこれで終わりだ!」と言い返す。 もともと自分に母親がいるという状況にピンときていなかった。 アタシはこれまで自分の足で立ち、努力して生きてきたんだ。 母親だからって、アタシの功績を自分の手柄みたいに言うんじゃない。 反抗するアタシが不快だったのか、父は妻の援護へと回る。 額にシワを寄せると「言い過ぎだと」と叱りつけた。 この場で二対一の言い合いを続けるのは分が悪い。 そう思いながらも反撃の隙をうかがっていると、父はこれからのことについて話し出した。 建設的な意見を出しただけ、母よりもマシではある。 ただしその内容はうんざりするものだった。 幸い内申点を稼ぐために努力していた成野幸の生活態度は良好だ。周囲もそのことをよく知っている。 故にボランティアなどの社会貢献で反省の態度を促し、相手に許しを請おうというものだった。 悪い手ではないと思う。 感情的になっている相手に、そうした態度を見せることで罪悪感を植え付ける手法は有効だ。 だが、たかが缶を捨てただけの私が、どうしてそんな面倒なことをしなければならないのか。 やるなら原因を作った瀬川倫で、アタシじゃないだろう。 だいたい、父は自分に損がない手段を用いたいだけで、全然助けになってないじゃないか。 自分ばかりが損をする提案になんて、うなずけるわけがなかった。 【9/13】 その日、私は両親とともに警察署へと呼び出された。 通された部屋には、私と同年代の制服少女が座っていた。 事前に受けた説明で、その正体を知っている。 相手の名は坂浦(さかうら)美鶴(みつる)。 私が蹴ったというひよこジュースの缶で、迷惑にも重傷を負い、いまだ昏睡中の坂浦三潮(みしお)の娘だ。 髪型も制服の着こなしが垢抜けていないが、背筋がスッとのびている。顔つきは不細工なのにシュッとした印象を受けるのは何故なのか。 私に向ける目に険はなく、父母よりもよっぽど冷静に見えた。 刑事の話では、激高しているとのことだったが、怒ると逆に静かになるタイプなのだろうか? 相手側の席にいるのは美鶴ひとりだ。 母親は素行の悪い夫に愛想を尽かし出て行き、昏睡中の父親が唯一の家族なのだから仕方ない。 坂浦三潮は酒に溺れたろくでなしで、職業を転々としては娘を困らせていた。 美鶴はそんな父親の下、うだつの上がらない生活をしていた。 しかし高校に入ると一念発起し、努力を重ね大学の推薦入試を勝ち取るほどまでに成長した。 しかし父親が事故で昏睡したことで、不安定ながらも維持してきた生活基盤を失い、それらが水の泡と帰す寸前であるという。 確かにそれを聞けば、同情の余地はある。 むしろ推薦入学のために青春を捧げた生き方には共感すらわいてくる。 だからと言って、たかが空き缶を捨てたがだけのアタシが、どうして自分の人生を棒にふらなければならないのか。 そもそも空き缶がぶつかった程度のことで昏睡などありえないだろう。 父の雇った弁護士が仲介に立ち話が進む。 すると坂浦美鶴はとんでもない額の示談金を要求してきた。 それが支払わなければ到底示談には応じられないと。 大学の入学費と授業料。教材等に必要となる費用のすべて。 卒業までの生活費を試算するとそれでも少ないくらいだと嘯く。 要求された額の大きさに父がたじろいだ。 ちゃんと裁判をすれば、無茶な要求は棄却されるにちがいない。 だが、騒ぎが大きくなるのをこちらは望んでいない。 ――足下をみられている。 そう確信した。 「もう少しなんとかなりませんか? こちらには幸の学費も必要なんです」 おどおどしながらも、金銭ごとにうるさい母が妥協を願い出た。 「あら、他人の将来をめちゃくちゃにした娘に、お母様はなんの罰も下さないおつもりですか?」 「だって幸はずっと勉強してきたし、内申点のためにボランティアだってしてきた。それが報われようってときに、こんなのひどすぎます」 感情的に涙を流して訴える。 しかしその涙で美鶴が揺らいだ様子はなかった。むしろ冷めた視線で相手を観察している。 その豪胆さは敵ながらあっぱれと言えた。 だからといって、要求を呑めば成野幸の将来を棒にふることとなる。 打開策を模索する私の目を、不意に美鶴のがのぞき込んできた。 「成野幸さん、あなたはこうなって反省をしましたか?」 「もちろんです」 ここで恨みを買うわけにはいかない。 だが、まっすぐに瞳は、こちらの返事を聞いてはいなかった。 左右非対称の歪んだ気持ち悪い瞳が、アタシの真意をのぞきこもうと躍起になっている。 反射的に視線をそらした。 「どうやら、この場の話し合いは無駄になったおうですね。残念です」 美鶴は冷徹に言い放つと、一礼して出ていく。 ――なんだアイツは! アタシはその背中に、筆舌しがたい不快感を覚えていた。 【10/13】 担任から話があると生徒指導室に呼び出された。 内容は推薦入学の取り消しの告知だった。 くだんの話が先方にも伝わったらしく、話し合いの末に取り消しが決定されたという。 坂浦美鶴が推薦先に情報を漏らしたにちがいない。 あいつはそういう女だ。 一度しか会ってないけど、絶対にまちがいない。 裏切り者である瀬川倫が心配する演技をしながら話しかけてくるが無視をする。 頭の中は、これからどうするかでいっぱいだった。 抑えきれない怒りは、私に机を蹴り飛ばさせた。 † 家に帰ると、父から進学を諦めるように言われた。 「……どうして?」 推薦入学を取り消されたからといって、通常の受験は手段として取り残されている。 難易度はあがるが、希望がなくなった訳じゃない。 父は坂浦美鶴の要求を呑むと、私と母に告げた。 そのせいで生活はたいへんなものになるだろうが、成野幸の犯した罪は精算しなければならないという。 当然、アタシはその意見にのることなどできなかった。 母も見ず知らずの娘に、多大な賠償金を払うことに反対する。 それには私が有名大学の卒業生になることへのブランド的価値観も影響していただろう。母はそういう人種の人間であるらしい。 だが、心根はともかく味方についてくれるのは、ありがたい。 二対一での話し合いを続けても、父は自分の考えを曲げようとはしなかった。 ――まさか、あの不細工な女に籠絡されたんじゃないだろうな? 不安と苛立ちが胸に救っていた。 【11/13】 天国から地獄。 まさにそうとしか言えないような日々だった。 もう希望はない。 なんで坂浦美鶴のような女が進学するために、アタシが進学をあきらめなければならないのか。 ――この世界は絶対まちがっている! 当てつけに飛び降り自殺でもしてやろうかと思ったが、それでアタシが得をするわけでもない。 どうせ役に立たないのだと学校にいかなくなった。 それでいて家にいれば、母親の恨めしい視線が突き刺さる。 自然と街に遊びに出るようになった。 成野幸名義の口座から、それまで貯めたけっこうな額の貯金を使って遊び回る。 しかし高校生の貯金で遊び回れる時間は限られていた。 遊ぶ相手も限られてるし、ひとりじゃつまらない。 そんな中、ある人物を偶然みかけた。 アタシを地獄へと突き落とした悪鬼は制服姿で街中を平然と歩いている。 「坂浦美鶴!」 私はそいつを呼び止めた。 ――逆転の一手はここでしか打てない。 そう強く思いながら……。 【12/13】 呼びかけの言葉に、不細工な顔が振り返る。 それと同時に暗い色の瞳が私に向けられた。 単純な黒ではない。 数多の感情を混ぜ込んだ混沌とした色だ。 ぶつけようとしていた言葉があっけなく霧散する。 「昨晩、坂浦三潮が死にました」 その物言いは、自分の父親のことを言っているようには思えなかった。 だが、それ以上にアタシの心をかき乱した。 これで私が殺人犯になったという訳じゃない。 もともと大酒飲みの三潮には体調的なトラブルが絶えなかったのだ。 きっかけは私にあったかもしれないが、死因はそれまでの不摂生となるだろうと、相談した弁護士の先生からも聞かされている。 なのに、どうしてアタシは、その死に動揺しているのか。 ――しっかりしろ! 自分を叱咤して拳を握る。 いや、ここで敵意を見せてはいけない。 なんとしても下手に出るのだ。 私が泣いて謝ろうとすると、坂浦美鶴が自分語りで先手を打った。 † 坂浦美鶴という女は不幸だったと、他人事のように言う。 父親の酒癖が悪く、それに愛想を尽かした母親は彼女を捨て出て行った。 頼る者が父親しかいない美鶴は、社会と学校の底辺をさまよいつつ生きてきた。 しかし、このままでは自分も父のようになると考え、高校入学からは生活態度を改めたのだ。 一年の時から勉学に勤しみ、どうすれば進学の道が開けるか教師にも相談した。 そのため、ボランティアと生徒会活動で内申点を稼ぎ推薦試験へとこぎ着けたのだ。 娘の頑張りを見た三潮も、怠惰な生活を改めていた。 なにもかもが上手く行きかけていた。 そんな幸せをぶち壊したのがひとつの缶である。 美鶴はアタシをみつめ問いかける。 「それでもアタシ(・・・)はアンタを許さなきゃいけないの?」 無理だ。 アタシだったら絶対に許せない。 成野幸の幸せに比べれば、彼女の幸せは些細なものだ。 それでも彼女が懸命に勝ち取った幸せを否定できない。 ――それでも! ――それでも!! アタシが成野幸として得ようとしていた素晴らしい未来を踏みにじらせるわけにはいかないんだ。 「もしアンタがアタシの立場だったら、許すことができる?」 気持ち悪い笑顔でたずねる美鶴にギュッと奥歯をかみしめる。 そしてアタシはウソをついた。 自分自身の未来の為に……。 「もちろんよ。アタシがあんたの立場だったら、幸せを譲るわ。 坂浦美鶴が得られるだろう幸福は、どれだけ頑張っても成野幸の幸福にとどかないんだから!」 そして運命の言葉を口にする。 「「「「「だからもし、私が坂浦美鶴の立場だったら、絶対に成野幸に許しを与えます」」」」」 その瞬間、アタシ(・・・)が成野幸という仮想世界の殻は砕け散った。 【13/13】 回答した瞬間、世界が砕け、アタシは別の場所へと呼び戻されていた。 そこにはアタシとおなじく成野幸になっていた坂浦美鶴たちがいた。 そしてアタシたち五人が全員おなじ回答をしたことにニワトリパーカーを来た自称神の少女が嘲笑する。 「予想外なほど予想通りの結果だったね」 ニワトリ少女は涙目で笑う。 「キミ、坂浦美鶴は成野幸をひどく恨んでいた。 これまでの努力を無駄にさせ、自分を不幸にした相手だから恨むのも当然だ。 だが彼女の犯した罪は、たかだか空き缶を投げ捨てた程度のこと。仮想世界のキミとちがって蹴ってもいないしね。 さすがにそれだけで、積み重ねてきたものを台無しにするのは哀れに思って、神(ボク)が一芝居打たせてもらったのさ」 ニワトリ少女は言う。 「キミに坂浦美鶴を体験してもらい、立場が変われば相手を許すことができるのか。その答えをもって、彼女の罪を決める。ひとりじゃたまたまということもあるけど、五人全員が答えを一致させたんだ。文句はないよね?」 あの『もしアンタがアタシの立場だったら、許すことができる?』という問いかけは、現実のアタシ――坂浦美鶴が成野幸に向かって投げかけた言葉そのままである。 そして立場を入れ替えたアタシは、それを許すと答えてしまった。 アタシは自分の未来に、自分でピリオドを打ってしまったのだ。 これから足掻いて大学入試は合格できるかもしれないが、学費はおろか生活費すら準備できない。 卒業後すぐに就職して、冴えない余生を強制されるのだろう。 「これ以上、見苦しい真似はしないでくれるよね?」 ニワトリ少女はどこからともなく取り出した死神の鎌をアタシの首筋に当てる。 アタシはその場に崩れ落ちると、成野幸への提訴をやめることを了承した。 蜘蛛の糸を切られたカンダタの気持ちはきっとこういうものだったんだろうな。 そんなことをぼんやりと思う。 アタシの意識は統合され、坂浦美鶴の身体へともどっていく。 そんなアタシに、遠くからニワトリ少女が話しかける。 「ああ、そうだ。成野幸からの伝言だよ。 彼女にも坂浦美鶴の人生の一部を体験してもらったんだけれど、キミの人生を台無しにした償いはちゃんとするそうだよ。 彼女、ホントに真面目だね』 【14/13】 後日談 アタシ――坂浦美鶴と成野幸との関係は、互いが就職したあとにも続いていた。 彼女とは毎週のように遊びにいったり、買い物に出かけたりしている。 出会いは最悪だったけど、いまでは立派な親友である。 最初はヒーヒー言っていたアタシの生活も、幸がフォローしてくれたおかげでなんとか乗りきれたし、いまでは少ないながらも貯金をつくれてもいる。 もともと父の死はそれまでの不摂生の影響が強く、恨むに恨みきれない。 ――まぁ、最初のころはそんな風には思えなかったけど……。 喫茶店で一緒に観た映画の感想を言い合っていると、不意に幸が提案した。 「ねぇ美鶴、いまからでも進学しない?」と。 「進学って大学に?」 「いまなら私が学費を払えるし、生活のフォローだってできる。なんなら勉強もみるよ?」 無事大企業へ就職し、高収入を得た幸はそんな風に言ってくるけど、アタシはそんな気分になれなかった。 「いまから勉強やり直すとかマジ勘弁。っていうか、大学に進学したら四年後にまた就職活動するんでしょ? ありえないわ」 噓偽りない本心である。 以前は、大学に進学しなければ人生の成功はありえないと思っていたけど、案外学歴を気にされない仕事というのは方々にあるものだ。 そりゃ、一流企業への就職とかは無理だけど、逆にそういうとこへの就職は生半可な大学を卒業した程度では難しい。 そう考えると、別段勉強がしたいわけでもないアタシが、いらない苦労をして進学する理由はない。 そのことを話すと、幸は「そっか……」とだけ言って、それ以上話題を掘り下げようとはしなかった。 それからいつものように近況を報告しあう。 それはほとんどが愚痴で、職場に出会いがないだの、母親のお小言がうるさいだのと、区が出らない話を互いに笑い、話していた。 【了】 ※あとがき 書き上げてから、むしろこの話は卵企画むけだったかなとも……。 内容が内容なので、意図的に成野幸の設定と、実際の行動に違和感が出るようチグハグに書いてみましたが……それが読者の皆様にはどう写ったか気がかりです。 私とアタシの入り交じりもそのせいです。 不快だったらごめんなさい。 |
HiroSAMA 2024年08月10日 02時42分19秒 公開 ■この作品の著作権は HiroSAMA さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2024年08月25日 23時01分55秒 | |||
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Re: | 2024年08月25日 23時00分36秒 | |||
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Re: | 2024年08月25日 22時59分55秒 | |||
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Re: | 2024年08月25日 22時58分54秒 | |||
合計 | 4人 | 60点 |
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