Qのまま |
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※ちょっとエッチです。 指は性器です。 わたしは確信をもってそう定義していました。 そもそも、性器とは何か。 それはヴァジャナイナか、ヴァジャイナの中に入る何か、ということになるのだと思います。 つい先月行われた保健体育の授業において、ヴァジャイナの中に本来入るべきものは、少なくとも生物学的には男性のおちんちんなのだと説明されていました。 わたしとてもう十三の娘です。お年頃です。それしきのことは友人との会話他様々な媒体で得る情報などから薄っすら把握していましたが、改めてその事実と直面してみると、それは忌避感を伴う事実として認識されたのでした。 だって、あのおちんちんです。 汚らしいおちんちんです。 お父さんやお兄さんの股からぶら下がっている、あのおちんちんです。汚いです。嫌です。そんなものがわたしのこのピンク色の小さなヴァジャイナの中に、不躾に押し入って来ることを思えば、強い嫌悪感を覚えずにはいられません。それが愛し合うということなのだとすれば、愛とはどれほど汚らしく生々しくお下品なものなのか。 おちんちんなんてわたしのヴァジャイナに入れられません。 しかし、自分の指なら入ります。 自身が大人に近付き、性を持って性を成し、性の喜びを知ることを考える時、わたしは自分のヴァジャイナに自分の指を入れて見ます。強い抵抗感がありつつもやめたくなる程痛くはなく、軽い電磁波を伴うようなその痛みはどこか心地良い刺激でもありました。最初はただ好奇心を満たす為に成されていたその行いに、ほのかな快感が芽生えるようになるのはすぐでした。 そして考えます。 自分でしているこの行いを、自分以外の誰かにして貰えたら、どんな感触か。 学校で親友達と語らう時、共に何かをしている時、ふと彼女らの指先が目に入ることがあります。それらが太いか細いか、長いか短いか、色はどうか皺の寄り方は爪はどんなふうに手入れされているか。それぞれに違いがあり、違いがあれば好みが生まれます。気に入ったものがあれば頼み込んで近くで見せて貰ったり、手触りを確かめさせて貰うようになりました。 「表原ってさ、レズなの?」 指を見せて貰っている最中、親友の一人がわたしに問います。人よりやや末節が長い、色は赤みが強い、全体に丸みを帯びた指先の持ち主でした。 「分からない」 「気になる男子とかいないの?」 「いない。手が気になる子もいまのところは」 何となく、男の子のことは好きではないような気がします。でもそれはまだ自分が幼く異性に対する性的な興味が育っていないだけの可能性もありました。ただ自慰はする訳ですし、そして自慰をする時、目の前の彼女を初め多くの少女達の指先をローテーション気味に思い浮かべるものですから、ひょっとしたら女の子が好きなのかと考えることもありました。 しかしわたしが興味を持つのは少女のあえかな指先だけで、その持ち主たちとキスをしたいとか抱き合いたいとか、そういうことを想う訳ではありません。わたしはわたしの嗜好の向く先が分かりませんでした。 しかし一つだけ確かなことがあります。 指は性器です。 〇 そんなわたしが彼女と出会ったのは、ある日の通学電車のことでした。 受験して入った私立の中学校は自宅から遠く、わたしは往復で一時間を超える時間を電車の中で過ごしていました。行きの電車は通勤ラッシュと重なる上、学友の中に最寄り駅の近い者もいない為、快適な時間とは言い難く吊り革にぶら下がって到着をただ待ちわびていました。 わたしは痴漢に遭いました。 お尻を触られました。四角い顔をした眼鏡の中年男の指は、ふやけたようにクシャクシャに皺が寄っていて、その割には浅黒く脂ぎって見えました。 手を掴むかそれが無理なら声をあげるべきだと分かってはいましたが、どうしてもその勇気が持てずにいました。男がその指を動かす度、されるがままになっている弱い自分が嫌になり、ますます無力になって行きました。わたしは自分の目に涙が溜まるのを感じていました。 「触られてんの?」 声がしました。 少女がいました。わたしより遥かに幼く見えました。自分と比較した時の背丈はどう見ても百四十センチを下回っていましたし、顔立ちもいとけなく小学校の中学年くらいに見えました。 しかし彼女はわたしと同じ学校の制服を着て、しかも三年生の腕章を付けていました。 大きな目をしているなと思いました。瞳の色素が薄く赤茶けていて、ややつり上がり気味の目の形は少し猫のようにも見えました。瞳と同じ色をした長い髪が瓜実のような顔を覆っていて、伸ばした前髪は左右に別けて流していました。 「かわいそうだね」 声は小さく、痴漢には聞こえていないようでした。縋るような目をわたしは向けましたが、少女に助けてくれる様子はありませんでした。ただ代わりに。 「見ててね」 そう言って少女はわたしの前に左手を掲げました。 綺麗な手でした。 その全体は生白く、掌は信じられない程に小さくあえかでした。指先は細長く、根本に近い基節部と真ん中にあたる中節部は良く引き締まっていて、それぞれの関節にはしなやかな骨の形が浮かんでいました。どこを見ても艶がありそこに染み一つ皺一つないことは、むしろ当然のことのようにわたしには思えました。 思わず見入ってしまうわたしですが、少女は悪戯っぽい表情でそっと男の懐に手を伸ばしました。そして背広のポケットにその美しい手を忍び込ませると、中にあったものを一瞬で掏り取ってわたしに見せました。 「後で半分こしようね」 その言葉と共に、男の財布は瞬く間に少女の懐に消えて行きました。 〇 鴻巣と名乗った少女はわたしの一学年先輩で、電車を降りた後わたし達は並んで学校に向かいました。 「掏りが得意なの」 鴻巣は言ってわたしの手の平に一万四千円を置きました。 「家から学校まで二駅だから、自転車でも全然来られるんだけどね。でも通勤ラッシュは狙い目だから、自分で電車賃出して毎日乗ってるの」 わたしはお願いして鴻巣から連絡先を教えてもらいました。そして鴻巣が乗って来る時間帯を聞き出すと、翌日から必ずそこに重なる電車に乗るようになりました。 通学電車が憂鬱ではなくなりました。鴻巣が来る駅までの時間が気が遠くなるように感じられ、乗って来た鴻巣が幼い顔立ちに似合わぬ屈託のない笑顔を浮かべると、わたしの胸の中に蜂蜜をぶちまけたような快感が広がりました。 電車の中で、鴻巣はわたしに様々な話をしてくれました。 「小さい頃さ。三歳とかそのくらいね。前に住んでた街のショッピングセンターで、風船を貰ったんだよ」 「はい」 「わたしさ。風船ってものが良く分かってなくて。それ持ってたら空を飛べるって思ったんだ。実際はもちろん持っても浮いたりしない訳だけど、そこは子供だからね。勝手に自分の中で理由を処理してさ。高いところから、風に乗って飛んでいけば飛べるって考えたの」 「はい」 「飛びたいから高いところに行こうって親にねだるんだけど、テキトウにあしらわれるんだよね。思えばあそこでちゃんと飛べないよってことを説明されてたら、あんなことにしなかったんだろうけど」 「あんなことって?」 「親の目を盗んで抜け出して、ショッピングセンターの屋上に行ったんだ。それでフェンスを乗り越えてね、風船を持って飛び降りたの」 「どうなったんですか?」 「浮いたよ。正確には、浮きながらゆっくり落ちたんだ。まるごと一分くらいかけて、あっちこっち風に乗りながら、周りの景色を楽しんで駐車場に降りたの」 「嘘です」 「本当だよ? でも今は出来ないと思う。きっと、心の底からそれが出来るって信じ込んでたから、出来たことなんだろうね」 ある日鴻巣は公園の茂みを歩いていると巨大なジャングルに迷い込み、落ちていた聖なる剣(選ばれし者にしか使えないそうです)でトカゲの化け物と戦った話をしました。口から放たれる猛毒の酸をかろうじて避けたものの、意外にも技術力のあるトカゲがあらかじめ仕掛けておいた地雷に掛かってダメージを負い、通りすがりのイケメン僧侶に助けて貰いその後はロマンスを愉しんだのだとか。 また別のある日は可愛がっていたピカチュウのぬいぐるみがある日突然喋り出し、カントー地方に帰ると言って家を出て行ったものの、挫折した様子で帰って来た話をしました。ほつれて泥塗れのそのピカチュウを、鴻巣はこんな汚れたぬいぐるみはいらないと放り出したのだそうです。 教室で少し浮いているのだと鴻巣は語りました。「あいつら凡人で、やなんだよ」と鴻巣は同級生達を切って捨てます。 「話が合う子が全然いないんだよ。あたし何もしてないのに、こそこそ陰口ばっか言って来るし。腹が立ったから、そいつらの全員の財布掏ってやったの。目には目をだよ」 「バレなかったんですか?」 「先生とかにはバレてないよ? あたし掏り上手いもん。でも掏られた奴らは証拠もないのにあたしの仕業って言って来る。実は覚えたての小学校の頃、何度か捕まって支援施設に行くとか行かないとかあったの、クラスの一番嫌な奴にバレてるんだよ。それで仕返しで机に落書きとかして来たり、トイレに連れ込んで叩いたりして来るんだ。だからこっちは今度スマホを掏って壊してやるつもり。もう戦争だ」 鴻巣との親しさは増して行き、電車以外でも話すことが増えました。昼休みに廊下や中庭で話しこんだり、放課後一緒に出掛けたりすることもありました。 わたしは何度か鴻巣に懇願しました。 「手を見せてください」 「また?」 「綺麗なんです」 鴻巣は嫌がりませんでした。あえかでしなやかな鴻巣の手に夢中になるわたしに、無垢な興味を孕んだ目を向けていました。 「先輩って、好きな人とかいますか?」 「俳優の姫島道太郎と、去年担任だった黒沢先生かな」 わたしは思わず落胆して目を落としました。 「それと、クラスの飯沼くんがあたしを助けてくれたら好きになるかも。どうしてそんなこと聞くの?」 「いいえ」 首を横に振ります。 「何でもありません」 わたしは笑顔を浮かべました。 〇 ジェンダー問題について語らうことの出来る場は、ネット上に無数に存在していました。 様々な問題を抱えた少年少女達が、自身の悩みを打ち明けることが出来ます。その中の一つに、わたしはこう書き込みました。 十四歳女です。 男の子のことを恋愛的な意味で好きと思ったことがないと思います。 女の先輩の手がとても綺麗で好きで、自分の性器に触って欲しいと思う時があります。 かと言って、キスをしたり、抱き合ったりしたいと思ったことはありません。 オナニーが好きで、その先輩の手があまりにも綺麗だから、自分の手じゃなくてその手でしてみたいと感じているだけかもしれません。先輩自体が好きなのかどうか、自信がないんです。 人を好きになるってどういうことなんでしょうか? わたしの性愛嗜好はどこにあるのでしょうか? 書き込んでしばらくして、返信がありました。 二十歳の女です。 わたしも、今でこそ安定していますが、かつて自分が何者か分からなくなったことがあります。 自分のジェンダーや、どんな嗜好を持っているか、大切な人にきちんと説明できない。自分でも分からないものを、はっきりさせろと迫られる。ジェンダーや性的嗜好のはっきりしていない相手と交際するのは難しいと言われて、破局してしまった過去があります。 色んな恋愛をする内に、自分の気持ちが分かる、というか固まることもあるかもしれないし、分からないままで一緒になれるパートナーが見付かるかもしれません。 『タカシロ』と名乗ったその人と、わたしはしばしばやり取りをするようになりました。 タカシロさんは二十歳の大学生で、看護師を目指しているそうでした。その話ぶりは大人びていて優しく、性愛のことを人生で初めて打ち明けられる相手が出来たことに、わたしは喜びを感じていました。 わたしはタカシロに向けてこう書き込みます。 実はわたし、先輩と会うまでは、自分の性愛について考える時、つらいと思ったことは一度もないんです。 男の人を好きになったことがないのも、悪いことではないと分かってましたし。 女子の友達の指を見て疼くのも、そういう自分のことも、どこか楽しめていたというか。 戸惑ってはいたし、悩んでもいたと思います。でも、どこか明るく悩んでいたというか。それが自分なんだから良いや、みたいな。 でも、本当に手に入れたい指が出来た時、どうして良いか分からなくなったんです。 それが恋なのか、恋だとすればどうやってそれを叶えれば良いのか、分からなくなったんです。 わたしは鴻巣に恋をしているのでしょうか? 鴻巣について考える時、思い浮かぶのは、そのころころと表情の変わるいとけない顔立ちでも、人と上手くやれず掏りを繰り返す破滅的な内面でもなく、その誰よりも美しい指のことでした。あの器用に動き誰の財布でも掏り取ってしまうしなやかな指が、わたしのヴァジャイナに触れたら、あの美しい手がわたしの手だったら。そんなことばかり考えました。 自分がヘテロであるとは思えません。 しかし自分がレズであることにも自信は持てません。 レズでなければ鴻巣を好きになってはいけないのでしょうか? ただその手が好きなだけではダメなのでしょうか? 今のままのわたしで、鴻巣と愛し合えるのでしょうか? 鴻巣と愛し合えるようになる為に、わたしはどうすれば良いのでしょうか? 悩むわたしとやり取りを繰り返す内、数か月経ったある日、タカシロはこんなメッセージを送りました。 一度私と会ってみませんか? 結局は……と思われるかもしれませんが、このサイトではマイノリティの人達が、自分達の恋を見付けることにも利用されています。 自分の性愛が分からないと言う人が、このサイトで出会った恋をきっかけに、それが分かるようになったという人もいます。 分からないなら試してみれば良いんです。それでオモテハラさんの中で何が起こるにしろ、このまま悩んでいるよりは進展があるとは思いませんか? わたしは思わず肩を震わせました。 〇 タカシロと会うことがどんな風に危険なのかは、分かっているつもりでした。 インターネットで出会った見ず知らずの相手と会うことのリスク。向こうは成人で、こちらは中学生。世間的には、およそ良い顔をされる行いではありません。とても両親に相談することは出来ませんでした。 しかし結局、わたしはタカシロが指定した待ち合わせ場所に立っていました。 時計が気になりました。待ち合わせ時間が近づくにつれ、強い緊張がわたしの胸から沸き上がります。自分で望んで会うことに決めたはずなのに、どうしてか時間が来るのが怖いことのように感じられました。 だとしても、わたしは逃げることをしませんでした。 はっきりさせようと決意していました。 「あれ。表原じゃん」 手にした『ブラックサンダー』を齧りながら、こちらに気付いた鴻巣が声を掛けて来ました。 それはただの偶然でした。鴻巣は今日わたしが人と会うことも、この待ち合わせ場所も知らないはずです。ただいつものように街をふらついている鴻巣が、駄菓子の買い食いをしながらばったりわたしに会っただけのことでした。 「やっほ。せっかく会ったんだし遊ばない? クレーンゲームの景品で欲しいのがあるんだ。その辺で軍資金調達するからさ、表原が使う分も……」 「すいません先輩。あの、今日は……」 わたしははっとして鴻巣の背後に視線をやりました。 赤い帽子をかぶった女性が、おずおずとした様子でこちらを見ていました。引き締まった体格で背の高い、鼻筋の良く通った顔立ちです。その手は女性としてはかなり、長い指はやや筋張って硬そうな印象を受けました。 「高城さん……?」 目印は赤い帽子でした。同じ色のものをわたしも身に着けています。 「表原さんね。そちらの人は?」 「せ、先輩です。たまたま会って……」 「そう。その人が」 自分を興味深げに見詰める高城に、鴻巣はおもしろくなさそうに。 「この人と待ち合わせなんだ」 「ええ」 「誰?」 「ネットで会った人です。あの、すいません」 「良いよ。そんじゃね」 鴻巣は高城の脇を抜け、立ち去って行きました。 「それじゃあ。表原さん。かまわないかしら?」 「はい」 「私の家で」 「はい」 高城は微笑んでわたしの腕を抱きました。 出会ったサイトがそもそも地域を限定したこともあり、近くに高城さんの家がありました。わたし達は会話を交わしながら高城のアパートに向かいます。 「緊張はする?」 「少し」 「私も最初はそうだった。でも大丈夫。きっと楽しめるからね」 アパートに着くと、高城はポケットに手をやって「変ね」と首を傾げました。 「何がですか?」 「何でもないの」 高城は玄関の郵便ポストの奥に手を突っ込むと、そこから何かを握り込んで腕を引きました。 「これをしておいて良かった」 手にした鍵で玄関の扉を開けました。 先にシャワーを浴びさせてもらい、わたしはベッドでその時を待ち受けています。 これで良かったのだろうか? と考えます。 今なら逃げ出せる、と思います。 しかし逡巡している内に高城はシャワーを浴びて出て来てしまいます。その身体にはタオルが巻き付けられていて、肉体は伺い知れません。 高城はわたしの方を優し気に見詰めながら、そっと隣に腰を下ろしました。 「どうして来てくれたの?」 「……先輩の全部を好きになりたいんです」 「どういうこと?」 「すべての恋が全部叶う訳じゃないと思うんです。でも、その前にまずきちんと好きにならなくちゃいけないと思うんです」 わたしは脚に力を入れて言いました。 「わたしは先輩の指でオナニーしたいだけじゃなくて、先輩のことが好きなんです。そういう自分になりたいんです。先輩の全部を好きになりたいんです。その為には先輩と愛し合える自分にならなくちゃいけなくて、その為にわたしは高城さんとこれをするんです」 高城は一瞬、悲しそうな表情を浮かべました。そしてすぐに優しい顔に戻って、わたしの肩をそっと抱き締めます。 「……ごめんなさい。Qのままで良いって言ってくれたのに。それに、本当に失礼なことをしているとも思います。も、もし不快なんでしたら、すぐに帰りますから」 「良いのよ。良いのよ表原さん」 その声は温かな受容に満ちていました。 「色々悩みなさい。色々考えて、色々やってみるの。それで自分のことが分かるの。分かるというか、そうやって自分を作って行くのね。それが今あなたがなりたいあなたなのなら、それに協力してあげられる」 そっと高城は私の唇を奪いました。 一つしかないビー玉が机から落ちて壊れたような感覚を覚えました。 優しい手つきで高城はわたしをベッドに横たえます。緊張で高鳴る心臓の音を聞きながら、わたしはただ高城の指先を見詰めることに集中しようとしました。 高城の身体からタオルが流れる様にして落ちて行きます。 信じられないものを見て、わたしは悲鳴をあげました。 男性の陰茎がそこはありました。硬く起立した状態のそれを見るのは初めてで、酷くグロテスクなもののように思えました。女性の指とは比べ物にならない程太く大きなそれが、わたしを抱こうとしている高城に備わっていることに激しい恐怖を覚えました。 「驚かないで。今まで言えないでごめんなさい」 高城は憂うような目をしました。 「でも嘘は吐いてないの。わたしは女よ?」 「そ……そんな……っ。だ、だってあなたには、そこに付いてるのは……」 「トランスジェンダーなの。そしてレズビアン」 儚げな笑みが高城から零れます。 「昔は悩んだものだわ。自分のことを女だとしか思えないのに、どんなに自分を見詰めても、好きなのは女の子の方なんだもの。自分はいったい何なのか、人に自分をどう説明したら良いのか、理解してもらえるのか。悩んで悩んで……」 高城はわたしの肩を掴み、髪を撫でました。 「でもね。悩む必要なんてなかったの。だって理解してもらう必要なんてないのだから。黙っていれば、ネットを使ってあなたのような子とこうして出会えるのだから」 わたしは身体をくねらせ、悶えます。どうにか高城の手から脱出しようと足掻きますが、高城の身体は男で、その力はわたしとは比べ物になりません。 「暴れないで。天井のシミを数えていたら終わるから。だから……」 鈍い音がしました。 高城の口から空気が抜けるような音がしました。 その汗ばんだ体がわたしの前で崩れ落ちます。そして股を抑えて、その場でもだえ苦しみ始めました。 何が起こったのかも分からず顔をあげたわたしの前に、信じられない人物が立っていました。 「……先輩?」 鴻巣でした。振り上げていた脚をおろして、わたしに「や」と声を掛けます。どうしてここにいるのか、どうして高城の家に入って来られたのか。とにかく彼女は背後から高城に襲い掛かり、その股間を一撃してわたしを窮地から救ったようでした。 「どうやってここに?」 「表原横取りされてムカついたから、ポケットから財布抜いたんだ。そしたら鍵もそこに付いて来てさ」 わたしはこの家に入る時、郵便ポストに手を突っ込んで、中から鍵を取り出していたのを思い出しました。鍵を失くした人間が隠し場所から合い鍵を取り出す仕草です。 「入れた理由は分かりましたが、でもどうしてここに」 「後付けてた」 「どうして?」 「財布改めたら免許証入ってて。そしたら免許証の写真と名前が男でさ。高城浩二っていうみたいだよ。女装してるんだよその人。で、ネットで会った女装した男と仲良く腕組んで歩いてく表原見たら、流石に状況が怪しすぎて気になって、後を付けたって訳」 まあ結局は暇だったから気まぐれなんだけど……と鴻巣は頬に手をやりました。 「とにかく助けられて良かった。とりあえずこんなとこ出よ」 悶える高城を一瞥してから、わたしは立ち上がりました。高城が身体にかけていたタオルを拾い上げると、自分の身体に巻いて外へと逃げ出しました。 好機の視線を浴びながら十分な距離を取ったところで、鴻巣はわたしに言いました。 「キモかったね。あいつ」 「ダメです。そんなこと言ったら」 「そうなの?」 「ええ。本当に」 鴻巣は小首を傾げます。わたしは小さく笑います。それがどうダメなのか、言いたい言葉はいくつもありましたが、鴻巣にそれを理解させられるかは分かりませんでした。 「まあ助かって良かったよ」 鴻巣は屈託なく笑います。わたしはたまらなくなって鴻巣に縋りつきます。 「先輩。わたし、先輩のこと好きです」 特に衝撃を受けた様子もなく、鴻巣はなんてことないかのように答えます。 「あたしが好きなのは俳優の姫島道太郎と、表原の担任の黒沢先生なんだってば」 「知ってます」 「あと、クラスの飯沼くんがあたしを助けてくれたら好きになるかも」 「はい」 「ねぇ表原。あたしヘテロだよ?」 「知ってます」 「でも好きなの?」 「はい」 「バカじゃん」 わたしは乾いた声で笑います。 「そう思いますか?」 「分かんないよ自分が恋したことあるかも分かんないのに。そもそも表原ってレズなの?」 「分かりません。好きだとはっきり思ったことがあるのは、先輩ただ一人です。それにわたし、自分が先輩のことが好きなのか先輩の手が好きなのかも、分からないんです」 「そっか」 「はい。ごめんなさい」 「なんで謝るの?」 鴻巣はいつもの屈託のない調子で言います。 「あたしのことが好きなのでも、あたしの手が好きでも、どっちでも好きにしたら良いと思うよ」 わたしは自分の心の芯に鴻巣の言葉が高らかに響くのが分かりました。 思わず涙が溢れてきます。そうだ、わたしは自分がこの言葉が欲しかったのだと気付きます。その綺麗な手が欲しいのではなく、綺麗な手が欲しいわたしを許されたかったのだと、わたしは気付きました。 鴻巣は困惑した様子で、使い物にならない子供のようにただおろおろとしていました。それでも彼女なりに何か出来ることを探したのでしょう、わたしの肩を抱いて優しく、その世界一美しい手で優しく撫でてくれました。 わたしはこの手が好きでした。 それは間違いないことでした。 |
粘膜王女三世 2024年04月28日 23時51分48秒 公開 ■この作品の著作権は 粘膜王女三世 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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