僕の触手をとらないでね |
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湿り気を帯びたヒモ状のものが少女へと忍び寄る。 それは触手だ。 グロテスクな容貌な触手は、幼くも厚みのある太ももに絡みつくと、一気に獲物を宙へとつり上げた。 そこに至り、ようやく窮地に気づいた少女は悲鳴をあげるが意味はない。 相手の自由を奪った触手は、獲物から滴る水分を求め身体に食い込んでいく。 そして服の上からでは効率が悪いと判断したのか、その内側へと伸び出して行くのだった。 「……うらやましい」 スマホ画面に映る少女への羨望に、思わず言葉がこぼれ落ちた。 だってそうだろう? 現実の世界には触手は存在しない。そりゃ蛸烏賊の足は触手なんて呼ばれたりするけど、軟体生物の触手は、サイズ的にも見た目的にも僕には触手たりえないのだ。 なんというか、こう……ロマンがない。 僕が憧れる触手は、ドラゴンや怪獣のような畏怖の対象となるようなドラマチックな存在なんだ。 しかし現実世界のどこを探しても、そんな都合の良いもなんてありはしない。 僕の名前は世貝乃(セカイノ)タクミ。 ただの触手好きの男子高校生である。 ◆ 「なんやタクミ、また学校でエロマンガ読んでるんかい。いいかげんにせなセクハラで訴えるでぇ」 声に気づいた僕はとっさに画面を隠すと「エロマンガじゃないよ」と否定する。 昼休みに隣のクラスから乗りこんできた高い声の主は無礼九守(ぶれいくす)ルウ。僕の数少ない友人である。 祖父方にイギリス人の血が入っているらしく、長く輝かしい金髪と透き通るような緑眼の持ち主である。ただし強すぎる好奇心と品のない言動で、その評価を落としている……らしい。本人が自慢げに言っていたので、どこまで信憑性のある話かは微妙だけど。 「さっきのは、危機一髪のところで主人公に助けられるんだ。エロマンガみたいなことにはならないよ」 「だから、助けられる前の場面できっちり済ませておこうと」 そう言って片手で輪を作ってみせると、上下に動かす。 「そんでもって、妄想でウチにも触手を巻き付けてオカズにしとるんやな。あっ、それはそれとして今日のオカズはタコさんウインナーやで」 慣れた手つきで机を並べると、手作りの弁当をふたつ広げる。その一方は僕へと与えられた。弁当箱には宣言通り赤いウインナーがタコを模していた。しかも今日のはなんだか大きい。その分細工をし易かったのか足も八本ある。 「にしても、飽きんもんやなぁ。いつからや? タクミの触手好き」 「ルウは覚えてるの? 自分がいつから言葉を話し始めたか」 「……筋金入りやな」 食べる前に、ルウの奮闘をデータに残しておこうとスマホを構える。 そこで操作をミスった。 片手で構えられたスマホが床へと滑り落ちていく。 とっさに手を伸ばすけどキャッチすることはできなかった。 しかし床に激突して壊れることもない。 何故なら、細いひも状のものが僕のスマホをキャッチしたのである。 ソレは眼鏡をかけた女子の右手首から伸びていた。 猫の尾のようになめらかな動きでスマホを宿主に明け渡すと、バネの力で巻き戻るメジャーのようにスッ袖口へと消えていく。 眼鏡女子は僕をみつめ、にっこり微笑むとスマホを返却する。 「念のため、壊れてないか確認してね」 突然の出来事に「あ、うん」と曖昧な言葉しか出てこない。 そんな僕をルウが叱咤し、強引に頭を下げさせる。 「『あ、うん』じゃない。ちゃんとお礼を言うときなオタンコナス。ウチからもありがとな典他(てんた)さん」 その名前を聞いて海馬が刺激された。 確か僕の後ろの席に座る女子がそんな名前だった。 フルネームは典他クルス。 授業中、後ろを見ることも、それ以外でも後ろを見ることもないから、忘れかけてた。 顔見知りなのか、典他さんは「気にしないから」とルウに軽く手を振って教室を出ていく。 「まずいぞルウ。なんだか幻覚が見えたみたいだ」 「なに言うとるんや。あんたんは幻覚見たんじゃなくて、現実が見えてないんやろ」 おなじものを見たハズなのに、彼女の対応はやけに冷静だ。 「ルウの位置からは見えなかったかもだけど、僕の目はちゃんと見たんだ。彼女の手首から細めの触手がウネッと伸びてボクのスマホをキャッチしたところを……」 でも現実的に考えて、後ろの座席の女子に触手なんて生えている訳がない。 やはりさっき見たのは幻覚なのだろうか? そう疑っていると、ルウはあきれたように言う。 「ひょっとしてあんた、彼女のこと知らんの?」 「典他クルスさんでしょ?」 印象的な名前なので、きっかけさえあれば思い出せる。 「学校一の有名人やん。なんで触手バカのタクミが、リアル触手持ち美少女のことを話題にあげないのか、不思議に思ってたんけど……まさか気づいてなかったとは」 えっ、ということはさっきの触手は見間違いじゃなかった? ◆ 驚き桃の木山椒の木。 現実世界という僕の知らない領域は、いつの間にか素晴らしい進化を遂げていたらしい。これまで触手のない世界に興味なんて持てなかったけど、これからは認識を改めたほうが良いようだ。 ルウの話によると、典他クルスさんは触手を持った女子高生であり、そのことはかなり有名だとか。校内どころか全国レベルで知られているとのことだ。 ――とは言っても……。 これまで『もしも触手が現実にあったとしたら』という妄想は無数にしたことがある。しかし現実に、自分のすぐ後ろの席に触手持ちの女子がいると知ったとたん、それらは霧の中へと封じられ出てこようとはしない。 「僕はいったいどうすれば……」 「授業に集中すればいいと思うぞ」 言葉は頭への衝撃とともに訪れた。 見れば教科書を手にした呈茶(ていちゃ)先生が不満げな表情で見下ろしている。 教室の視線は僕へと集まっている。 どうやら情報の処理の追いつかない僕を放置したまま、時間は勝手に進んでいたらしい。 「いいか世貝乃、そりゃあたしの授業は退屈かもしれんがな。世の中には、不必要に思えて実は大事なものってのがたくさんあるんだ。あとで後悔しないためにもいまからしっかり頑張っておけ」 白衣にポニーテイルを合わせた人気の先生は、たいした経験も積んでなさそうなのに、上から目線でいってくる。 しかし先生の言うことは一理ある。 後悔はあとからしても意味はない。 後悔しないよう、最善をいま尽くすべきだ。 いつまでも未来(続き)があるとは限らないのだから。 僕は呈茶先生に「ご指摘、ありがとうございます」と礼を言うと、席を立ち、後ろを振り返る。 そこには小柄な身体を長袖の夏服で包んだ眼鏡の女子生徒が、タブレットを片手におどろいた顔をしている。 板書をしていたのか、僕のスマホをキャッチした白色の細い触手でペンを握っている。 やはり見間違いではなかった。 触手である。 典他クルスさんの右手首からは間違いなく触手が生えている。 確認を終えると、僕は彼女の瞳をまっすぐに見てお願いをする。 「典他さん」 「はい?」 彼女はとまどいながらも、ボクの視線から逃げようとはしない。 「放課後に告白をしたいと思うので、校舎裏に来てもらえませんか?嫌なら断ってもらってもかまいませんから」 「あの……告白って『お付き合いしたい』ってことですよね?」 「うん」 ここで聡明な僕は自分の過ちに気づいた。 ――この場で告白することを教えては、みんなの前で告白するのと変わらないじゃないか。 告白とは秘密裏に行うのが世の作法。 このミスは告白の返事に悪影響を及ぼすにちがいない。 予測を肯定するように、彼女は「その返事って、いま済ませても大丈夫ですか?」とたずねる。 いきなりな告白をし、彼女を困らせたのは僕である。 この場で公開処刑のような振られ方をするのは自業自得と諦めよう。 触手をあきらめる気はないけど、反省は必要である。 そんな決意をする僕を前に、典他さんもまた立ち上がった。 彼女の背は低く、視線は斜めに交差する。 そしてレンズの奥の瞳で僕をみつめると深々と頭をさげた。 「ふつつかものですが、よろしくお願いします」 そして教室は驚愕の渦へと飲み込まれた。 ◆ その後、授業の進行を妨げたとして、呈茶先生からめちゃくちゃ怒られた。 隣りのクラスから、学級崩壊を疑われるレベルの騒ぎっぷりを考えれば罰を言い渡されるのも、致し方ないことだろう。 僕と典他さんのふたりは、放課後に美術室の掃除を命じられた。 「巻き込んじゃってごめんね」 「いえ、私の返事が一番の原因ですから」 にっこりと返してくれる。 「それに私、美術部だから部活終わりに、ここを掃除して帰るんですよ。ひと手間減らせた感じです」 「そう言ってもらえると、救われるよ」 そして言葉はそこで途切れた。 ふたりで黙々と掃除を続けていく。 やばい。 普通の女子とどんな話をすればいいのかわからない。 このまま黙々と掃除を続けて、つまらない男とは付き合えないと振られたりはしないだろうか。 こういう時、ルウならばいくらでも話題を提供できるのだろうが、生憎と僕の話題の引き出しには、触手のことくらいしか入っていない。 それについてなら、いくらでも聞きたいことはあるんだけど、いきなりソレから入ると、身体目当てで告白する連中と同類になった気がしてならない。 「ビックリ、しましたよね?」 途切れた会話の糸を典他さんが結び直す。 でも、僕には彼女がどの件をビックリしているのかわからなかった。 「あの場で、あそこまで言われれば、下手に隠すよりも済ませてしまったほうがよかったと思って。あとから詮索されるよりも面倒が少ないかなって思ったんです」 どうやら告白の返事がいきなりで、僕を驚かせたのではないかと心配したようだ。 どちらかといえば、面倒を減らすために告白を了承されたという事実の方がショックである。 「ああいや、もちろん世貝乃君が魅力的だからお受けしたんですよ」 不満が顔に出ていたのか、彼女は慌ててフォローしてくれる。 「あの場でOKしてもらえたことはビックリしたけど、典他さんのことを知った時にくらべれば全然だよ」 「私の?」 レンズの向こうの瞳に、疑惑の色が浮かんで見えた。 「触手のだね」 「まるで身体目当てに言い寄るナンパ師みたいですね」 正直に告げる僕に、彼女はクスクスと笑ってみせた。それほど不快ではないようだ。 「でも良いんですか?こんなのの為に、名前も覚えてないような女子に告白なんてしちゃって?」 そう言って、右手の袖から白く細い触手を動かして見せてくれる。 「名前はちゃんと覚えてたよ」 顔とすぐに結びつかなかっただけで。 「それに呈茶先生も言ってたじゃない。『あとで後悔しないためにもいまからしっかり頑張っておけ』って」 「なら良いですけど……実は私って、けっこー面倒な女ですよ?興味のない世貝乃君は知らないでしょうけど」 「どんな風に?」 たずねる僕に彼女は告げる。 「障害者なんです」と。 ◆ 「実は私、視力がほとんどないんです。眼鏡をかければ手元くらいは見えるんですけど、ちょっと離れると全然。突撃されると、相手を認識する前にぶつかられて、ちょービックリなんです」 なので受け身をとれずに、想像よりもひどい自体になるくらいのことは覚悟しておいて欲しいと言われた。あるいは、自分を担いで病院に駆け込むくらいのことは覚悟しておいて欲しいと。 「そのくらい全然だよ」 眼鏡を外し、こちらを見つめる彼女には、いまの僕はどう写っているのか。 そんなことを思っていると、服の下を何かが這う感触があった。 気づけば、彼女の右手首から伸びた触手が僕の身体に巻き付いていた。 触手は白く、ツルツルとしたプラスチックみたいな表面をしている。それでいて身体に巻かれた感触には弾力を感じる。シャツの上からじゃ、細かな感覚までは判断できず、悔しい。 「それとこれ、触手っていうのは俗称で、役所の人と医療メーカーの人は自在弁って呼んでます。触手のほうがわかりやすいのか、そっちで呼ばれる方が多いですけど。これって触れた感覚で相手を認識する医療用の補助器具なんです。身体が不自由な人の支援にも使えますけど」 ということは、いま身体に巻き付けられているのは、世貝乃タクミという個体を認識しているということなんだろうか?いやそれよりも…… 「医療用器具ってことは、ひょっとして僕にもつけられるの?」 例え目が悪くなくても、伊達眼鏡はかけられる。 ならば触手だって、伊達触手ができるんじゃないか? しかし僕の希望を、彼女はそげなく否定する。 「難しいと思います」 「簡単に言うとこれ、すっごく高いんです。私の場合障害者として、国からの援助があるんでなんとかなってますけど、とても学生が払える額ではありません。他にもいっぱい問題はありますし」 「例えば?」 たずねると、本気で自分と付き合ってくれるなら、教えてくれると言い、僕は即座に了承した。 「むしろ、本気の告白じゃないと思われてたんだ?」 「衝動的になにかのスイッチが入っただけかと思っていました」 目が悪いと言うわりによく見ている。 「それより問題って?」 「まず、これを維持するのにはサプリとクスリを毎日飲まなければなりません。さらに定期的に専門の医療機関へ赴き検査が必要です」 確かに面倒だ。でも乗り越えられないものでもなさそうだ。 「まだまだ開発途中の技術なので未知数な部分も多いんです。突然状況が変化して、翌日死んでしまった宿主も過去にはいたそうです。そういう意味では人体実験的な意味合いもありますが、私はそれを了承してこれを使わせてもらっています」 軽い調子で言っているけど、その目からは覚悟を感じる。 「海外への渡航も制限されています。技術の盗難を恐れての処置だそうです」 まるで軍事技術みたいだ。 「毎日が綱渡りで、時間に不自由することも多い。海外にも自由にいけないような女を、世貝乃さんは本当に彼女にしてくれるのですか?」 「かまわない。微力ではあるけれど、君を守る力にならせて欲しい」 「それに、金髪でも緑の目でもないし、その……」 「その?」 「おっ、おっぱいも小さいですよ(まったくないわけじゃないですけど!)」 「?」 ルウのことを気にしているのは察せられた。 一緒にいる機会の多い僕らを恋人関係と誤解する輩は少なくない。 でも彼女とはそういう関係ではない。本人に聞いてもそう答えるはずだ。 「僕は典他さん……いや、クルスのことを好きになった。この気持ちを信じてはもらえないかな?」 そう言って小さな身体を抱き寄せる。 「ありがとう、タクミ」 彼女もそう言って抱き返してくれた。 ◆ 「まったく、タクミってばえらいことをしでかしたもんやね」 自宅に帰ると、僕のベッドに寝転んだ、無礼九守ルウがマンガを広げたまま言ってきた。 整った顔立ちと金髪碧眼のおかげで、彼女のファンは多いらしいけど、この姿をみたらどう思うことやら。 「クルスのこと?」 「さっそく名前呼び?彼氏面しくさってからに」 「いや、ちゃんと本人承諾の元、彼氏になったから」 「はいはい、さようですかー」 彼女の返事はどこか投げやりだ。 「まさか怒ってるのか?」 「んなわけあるかい。タクミがどこのメスイヌと番(つが)おうと、内の知ったこっちゃないねん」 やはり怒っている。 だが僕と彼女はそんな関係ではない。 その認識はとっくの昔に共有済みなのに、どうしてこんなことになっているのやら。 「あーあー、手間かけて保護した野良犬が、エサをくれるなら誰彼構わず尻尾ふるのを見た気分やわー。つらいなー、かなしいなー」 「言葉の意味はわかるが、言いたいことはさっぱりわからん」 こういう時は、相手をしないに限る。 僕はベッドから彼女を追い出すと、まだぬくもりの残るそこへと寝転ぶ。 ルウは「絶対明日、すごいことになるからね」不吉な予言が残された。 そしてそれが的中することを、僕は身をもって知ることとなる。 ◆ 翌日からの攻勢はすごかった。 それまでルウ以外とはろくに言葉も交わしていなかったのに、大勢の学生が立ち替わり入れ替わり僕のもとへとおとずれた。 因縁をつけたり、二股は怪しからんのでクルスと別れて自分に紹介するように言ってくる輩が大半。 逆にルウと別れてしまったのかと泣きながらたずねてくる奴やら、学校の二大美女の二股なんてうらやましすぎるとやっかむ奴もいた。 途中から聞き流していたのでよくわからないけど、学校外の大人までいた気がする。 本当にてんやわんやだ。 放課後になり、隠れるように美術室に逃げ込んだことようやく一息つけた。 「私のせいでごめんなさい」 僕の頬に触手で触れながら、クルスが癒やしてくれる。 「ありがとう。疲れがとれるよ」 「そんなファンタジックな効果はありませんからね」 「案外、気分ってのはバカにできないものだよ」 でも腑に落ちないのは大人までも混ざっていたことだ。 何故わざわざ学校外の大人が、彼女の交際相手に口出しをしようというのか。 そのことを口にすると、彼女は触手を壁へと向けた。 誘導された視線の先には一枚の絵。 よくわからないけど上手い絵だと思う。 額縁下の説明書きには、なにやらたいそうな賞の名前が書かれている。 そこには近頃めっきりなじみ深くなった典他クルスの名前が記されていた。 ◆ なんでも彼女は盲目の女子中学生画家として、以前、話題になったらしい。 可愛い女の子で、さらに当時最先端技術として触手(自在弁)の体験者として話題性が重なり、話題が大きくなったのだという。 「まっ、実際私の絵なんてたいしたものじゃないんですけど」 「そんなことはないよ。絵のことはよくわからないけど、良い絵だと思うよ」 「単純に良い絵だけじゃダメなんです。現に指摘されるまで、タクミくんは気にしてもいなかったじゃないですか」 「でも、賞をとったってことはわかる人にはわかるんじゃないの?」 「たまたま運がよかったのです。ひょっとしたら私が有名になったことで、大人の事情というものが働いたのかもしれません。とにかくそれと同等のものを描ける人間は毎年何百人と増えているんです。その中で生き残るのは至難の業です」 自分なりに現状を客観視してたどり着いた答えらしい。 「でも、それならわざわざ校外の大人たちが、僕のところにやってきたりなんてしないと思うんだけど」 「一応、まだ商品価値はなくなってないんです」 綱渡りだという。 「すみません。関係ない話しちゃって」 己の薄暗い部分を見せかけていたことに気づいた彼女は、明るい笑顔で空気を変える。 そんな彼女の見えない瞳には、いったいなにが写っているんだろうと少しだけ気になっていた。 「……そうだ。週末にデートいかない?」 僕は空気を明るくするためにも、彼女にそうたずねた。 ◆ 「こっちだよ、クルス。段差があるから気をつけて」 薄暗い空間で僕は典他クルスの手を引く。 目に障害がある彼女を暗い空間につれてくることは、問題があるように思われたが、意外とトラブルなくデートは進んでいた。 むしろ空調の効いた空間は、初夏の日差しにさらされた野外よりも快適かもしれない。 「でも本当に水族館で良かったの?」 巨大な水槽に泳ぐ魚をみつめながら彼女に問う。 ぼんやりとした瞳でみあげながら「うん、これがいい」とクルスは言った。 「魚の泳いでる姿は見えませんけど、空調効いてて快適だし。独特の光というか、空気みたいなのは感じられるから。インスピレーションとか浮かんできますよ。それに……」 「それに?」 「薄暗いと、周囲からも私のことはよく見えないでしょ」 一時的にとはいえ、有名人となった彼女は、あまり人前で顔をさらしたくないらしい。珍しいオプションを付けた女子というだけで、無遠慮な男たちから声をかけられるという話だ。 知らない相手から一方的に話しかけられるのは男の僕でも不安だ。彼女の場合、知っている相手でもその判断に時間がかかる。不安に思うのも無理はない。 そういう面では僕が脇に立っているだけでも役立てるだろう。 「それにしてもタクミくんはすごいね」 「なにが?」 「こういうとこにくると、みんな自分の興味を優先しちゃうのに、私のことをちゃんと気遣ってくれてる。歩くペースとか、ちょっと気にするくらいじゃ合わせられないんだよ」 「言うほどたいしたことじゃないよ」 「ふ~ん、以前にも似たような子と付き合ったことあるんだ?」 「そういう風に見える?」 疑惑の視線が向けられ聞き返すと、難しい顔をされた。 「どうだろう。タクミくん、無礼九守さん以外と話してるの聞いたことないし。てっきり普通の人間には興味がない人かと思ってた」 ドキリとする。目が見えないというわりにちゃんとわかっているんだな。それが彼女だけが気づいたことなのか、あるいはクラス全員がそういう認識でいるのか、さすがに気になる。 「勉強もできるし、運動もできるんだよね」 「それなりには」 「とっても優しいし、優良物件ひきあてちゃった♪」 彼女は茶化した風に言う。 「ねぇ、クルスはいつから僕のことを見ていたの?」 「さあ、意識したのはどこからだろ。最初は変わった人がいるなーって感じだったんだけど、この人、ちょっとおかしいけど、すごいひとだって」 彼女曰く、隠していたつもりの僕の触手好きは、他のクラスメイトにもバレいたらしい。 「無礼九守さんが隣にいなければ、きっとたくさん告白されてたよ。私だって告白されなければ、付き合うなんて考えなかったろうし」 言いながらも、目はぼんやりと魚の動きを追っている。 「少し、ひとりにしてもらってもいいかな?」 ルウがそんなことを言う。 なんでも浮かんだインスピレーションをスケッチブックに描き止めたいという。人気のないソファまで彼女を運ぶと、僕も済ませておきたい用事に取り掛かることにした。 「いったいなんの用だ。ルウ?」 そう言って、ひっそりと僕らを付けてきた無礼九守ルウに声をかけた。 ◆ 「気づかれたか」 「そんな派手ななりで、どうして気づかれないと思った」 衣装的には地味で、緑眼もサングラスで隠しているが、目立つ金髪だけは隠せていない。やることの半端さから、気づかせるのが目的だったんじゃないかとの疑いがある。 「それでなんで来たんだ?」 「なんとなく?」 疑問形かよ。 「なんだ、てっきり嫉妬でもしたのかと思ったぞ」 「そんなわけないだろ」 わかっている。これはわかりきった冗談。でも意外と反論の言葉に熱が入っている気がした。 僕がルウと情報交換をしていると、「やめてください」という悲鳴じみた声が聞こえた。 クルスが黒服の男たちにさらわれようとしていた。 僕とルウはそれを助けようと、情報交換を中止する。 がしかし、僕らの助けは間に合わなかった。 なんと、自らの身を守ろうとしたクルスが己の触手を振り回し、黒服たちをなぎ倒したのである。 ◆ クルスの触手には想像したよりもずっと大きな力が秘められていた。 「軍事に転用できりゃ、需要が伸びそうやね。量産されればコストも落ちて、世界に触手が溢れるかもよ」 そんな世界は素晴らしいが、そんなことを言っている場合じゃない。 身の安全を確保したにも関わらず、触手の暴走は収まってはいない。 「このままには……」 薄っぺらい正義感を振りかざし突撃するも、一秒とと経たずに撃退される。これは骨にヒビくらい入ったろう。 「手伝おうたろか?」 「手伝え」 そう言って、彼女に課された封印を解く。 無礼九守ルウの正体はパンデュランと呼ばれる西洋悪魔である。 「そいじゃいっちょバッサリいきますか」 「早いぞ」 「誰に言うとんねん」 ルウ何処からともなく刃渡りの太い刀を取り出すと構える。 そして目にも止まらぬ速さで動くと、暴走する触手だけをクルスの手首から切り離した。 ◆ 触手を暴走させたことで、クルスは事情聴取を受けることとなった。 黒服たちとの関係性も確認される。 彼女は以前、将来の不安から海外移住を考えた。触手の情報を手土産にすれば厚遇してもらえると誘われ、それに乗りかけた。 しかし僕と付き合うことで考えが変わったらしい。 移住はとりやめ約束は白紙に戻したつもりだった。 しかし先方はそんな気はなく、裏で準備をし強引に彼女を拉致しようとしたのである。 それを僕ら……主に無礼九守が防いだのである。 この一件により、クルスは触手をとりあげられることになった。 破損させたし、裏切り行為もあったのだから当然だ。 でも、そう心配はないだろう。 彼女の視力はすでに復活している。 触手の為のサプリは栄養が豊富である。 それが彼女の視神経にも良い影響があったのだろうと医師の診断。 残念だけど、彼女とは別れることとなった。 しばし静かな場所で暮らすらしい。 そして僕は彼女から切り落とされた触手を手に入れることに成功した。 いまは小さな触手だけれど、きっと大きく進化してくだろう。 根拠もなく、そんな未来が見えていた。 |
HiroSAMA 2024年04月28日 23時47分31秒 公開 ■この作品の著作権は HiroSAMA さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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