帝国の女戦士 |
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※※※ 流血+若干の胸糞描写あり。 帝国の兵士は敵兵の手を切り落とすことから恐れられています。 ただ、それは敵が噂するように、私達が手に対して変態的な嗜好を抱いているからなんてことではなく、戦功の証明に使うからなのです。自分がぶった切った手の数や、刻まれた入れ墨によって報償や昇進が決まるとなれば、多少気色が悪くてもそりゃ一生懸命に敵の手を切るでしょう。 そんな訳で、帝国の戦では、腰に備えた専用の金具にいくつもの手をぶっ刺した兵士が走り回ることになります。彼らの多くは戦闘の興奮でさも愉快そうに笑っています。腰にいくつもの他人の手を携えた兵士が、死体がごろごろ転がる中を狂人じみた笑いを浮かべて走り回るのですから、その光景は地獄と言っても過言ではなく、初めて見た兵士は恐怖と絶望に支配され、中にはそのまま自死する者もいるそうです。実際、私もそうなりかけました。ただ、人間という生き物は適応の動物らしく、何度かの戦闘を経た後には、私も血が滴る手を腰にしてうきゃきゃきゃきゃと戦場を走り回るようになりました。 敵が土煙を上げながら迫ります。 雄叫びを上げながらこちらへ向かってくる敵の顔に、くっきりとした絶望が刻まれているのが遠くからでも分かります。 敵が仕掛けてきた奇襲をあっさり躱した我等帝国軍は、狼狽える敵をぼっこぼこにし、逃げ散る敵を追撃しています。私達はその先鋒で、そんな私達にやぶれかぶれの突撃を仕掛けている彼らは、まあ捨て駒というやつです。絶望しない方がおかしいでしょう。 時間稼ぎと分かっていても、差し出された手は刈らずにはいられない。帝国の兵士というのはそういうものであることを、敵の非情な指揮官はよく分かっているようです。 私は自分の部下に銃をぶっ放すよう指示を飛ばします。部下達は脚を止め、肩にかけていた後装式の銃を持ち替え、弾丸を装填し、膝射の姿勢を取ります。訓練で涙を忘れるほどに繰り返した装填手順を、兵士はたとえ今際であっても忘れないでしょう。 全員が装填を終えた頃には、敵はすぐ間近に迫っていました。撃て、と私が叫ぶと、視界が発砲の白煙に包まれます。そして、悲鳴、悲鳴、悲鳴。 煙でまだ視界が十分で無い中、私は突撃と叫び、自分が真っ先に敵に走ります。 煙の先、最初に目に入ったのはまだ子供という年頃の男でした。なんということでしょう、敵は子供をも兵士として動員しているのです。ただ、帝国兵士とあろう者が子供の手を持ち帰れば軟弱者か変態と誹られてしまうので、私はそいつの首をカタナでぶった切るだけにして、その後ろで銃を構えていた身なりの良い兵の右手を頂くことにしました。 間合いを詰め、ぽかんとした顔のそいつの右手を持っていた銃把ごとすっぱり。綺麗に宙を飛んだ右手はすとんと私の左手に落ちてきます。最後にそいつの心臓を一突きし、トドメを刺します。 思った通り、右手に刻まれた入れ墨は名家の出であることを示しています。生け捕りの方が良かったでしょうか、と内心で思いつつも、私は次の手を探します。指揮官に負けじと部下達も敵の手を刈ります。後続の隊が私達の戦いに加わってきて、その横を騎兵隊が駈け抜けていきます。慣れ親しんだ戦場の混沌でした。 *** キコーヘンドーとカクセンソーとやらで世界が混乱と流血の時代に入るよりもさらに大昔、戦場での武功の証明は敵兵の首で行われていたそうです。 その伝統に則り、帝国でも建国当初は首を刈っていたそうですが、重いわ嵩張るわで不便極まりなく、代わりに耳を刈るようになったそうです。 しかし、屈強なれど心優しき兵の中には敵の耳を切り落とすだけで見逃す者も多くいたらしく、じゃあ仮に見逃しても手が無くなれば役立たずになるんじゃね? ということで手になった、と聞いています。 戦闘が終わると、兵が列をなし、専門の係官の前に切り取った手を置く光景が広がります。 係官は手に刻まれた入れ墨からその主の身分や、可能な場合は名前を把握します。そして書類に記録を負えると、次、と、愛想と敬意の欠片もない声で命懸けで戦った兵に告げるのです。 兵達はいけすかない気持ちを抱えつつ、それでも身分の高い係官には口答えできず、ただ一礼しその場を離れるしかありません。 私も戦場に立ち始めた最初の頃は釈然としない想いを抱えてそんなことをしていましたが、今ではそんなことはありません。 何せ、私は百人長なのです。私には係官の方から向かってきます。そして膝をつき、恭しく両手を差し出します。 「ご苦労様です」 と言って、私は腰に差した手の束を置いてやります。 自分は戦場に立たない癖に、身分を笠に着て偉ぶる連中の情けない様に、周囲の兵も沸き立ちます。中には遠慮なく係官をからかう者もいますが、当人は何も言えません。身分卑しいとはいえ、軍の上級者である私の前で、その部下を叱るなんてことはできないのです。 内心では貧民出身の雌豚がエラそうに、くらいは思ってるのかもしれませんが、ただ愛想笑いをするしかありません。ざまぁ、というやつです。 そうして戦功の証明やら後片付けやらをした後は、宴が待っています。血と弾と刃が飛び交う戦場を共に走った部下達に酒を注ぎ、注がれるのは言うまでもなく嬉しいものです。その饗宴には富む者・貧しい者、身分の高い者・低い者、男・女といった俗世に満ちた下らなく煩わしいばかりの区別はなく、ただ野卑で心地の良い一体感だけがありました。 「隊長」 酒をあおり続けていた私をたしなめるように、従卒のタガミが耳打ちしてきます。 内心では、しまった、と結構慌てていますが、威厳を保つために顔には出しません。減った酒をタガミに注がせ、私はおもむろに立ち上がります。それまで騒いでいた部下達は、私が立ち上がると水を打ったように静かになります。そして私はさも、頃合いを見たのです、という様子で、おごそかに告げます。 「今日、死んだ戦友達へ捧げましょう」 私に続き、部下達は一斉に、戦友達へ、と言い、各々持った杯を干します。ほぼ全てが死ぬか捕虜になった敵に比べれば些かとはいえ、苦楽を共にした仲間も死んでいます。 ただ、悲しくはありません。私も、皆も、いずれ泥の中でのたうち回って死ぬことは覚悟した上で軍隊にいます。死んでいった者達は行くべきところに先に行った、それだけです。最後を戦場で迎えるのは当然のことで、今日逝った者達は兵士にとってこの上無い名誉を得たと言えるのです。故にこの献杯は、死んだ者達への祝福なのです。 献杯を終えると、再び喧噪が兵士達の間を満たします。 「ありがとうございます、タガミ」 「いつものことですのでお気になさらず」 小さく耳打ちすると、タガミは肩を小さくすくめます。 「相変わらず、可愛くありませんね」 「実際そうなんだから仕方ないでしょう」 「でも、もうちょっと言い様があるでしょう」 私の文句に、タガミはいたずらっぽく笑って答えます。私もつい笑ってしまいます。 周知のこととはいえ、あからさまにし過ぎると威厳に関わるので、タガミとの話を切り上げ、私は飲み直そうとします……が、いけすかない顔を見つけて手を止めます。 つい数時間前、手を渡してやった係官が歩いてくるのが見えたのです。媚びへつらうような笑みは変わりません。ただ、その下に嗜虐的な喜びがあるのを私は見逃しませんでした。 「軍団長閣下がお呼びです」 そう言ってきた係官に、私はしかめ面をしないのが精一杯でした。 「共に今日の勝利を祝おうとのことです」 「今夜は大分酔ってしまいましたし実は体調も悪くてついでに月のものまで来てしまっているのです。せっかくの申し出は申し訳ないのですが遠慮させていただきたく」 「命令とのことです」 面を伏せた係官が、下卑た笑みを浮かべているのは見なくても分かります。私は黙って立ち上がります。ちらり、と見てきたタガミには何も言わず、私は係官に続いて軍団長閣下の天幕へ向かいました。 天幕に入った私を、下品な香の匂いがまず襲ってきました。 気色の悪いくらいにけばけばしい色合いの調度品、実用性皆無で煌びやかなだけの鎧、死んだ目つきの小姓。そうしたものに囲われ、軍団長閣下はいました。 虎の毛皮に覆われた椅子に腰かけた軍団長の前には小さな卓があり、そこには酒と、二つの杯が置かれています。私の先に天幕へ入った係官から何事かを耳打ちされる閣下の背後には、巨大なベッドが見えます。 はっはっは、と笑ってから、閣下は私を見ます。 圧倒的な優位から、獲物を見据える目。 その目のある頭をねじ切ろうかと一瞬思いますが、そんな魅力的なことは当然できません。最早隠そうともしないニヤニヤ笑いを貼り付けた係官を下がらせ、閣下は私に隣に腰かけるよう言います。 「今日の活躍も見事だったぞ」 そう言い、卓上の杯に酒を注ぎます。 「もっと素晴らしい軍功を立てられた方は他にもいらっしゃいます」 「殿軍を蹴散らした上に逃げる本隊を蹂躙し、士官十人の手を刈った貴様より優れた功があろうか」 はあ、と気の抜けた返事をしつつ、私はとりあえず杯を取ろうとします。その手を閣下の手が掴みます。 「今後も、儂のために尽くしてくれ」 「もちろん、戦場でしたらいくらでも」 「それ以外でも、だ」 「承服しかねます」 「これは命令だ」 腰に差したカタナを抜き、閣下の首をぶった切り、右手もついでに落とし、カタナの切っ先に閣下の頭を刺し、雄叫びを上げられたらどれほど良いか、と思いますが、それはできません。あろうことか、このクソ閣下は皇帝陛下の遠縁であらせられ、このクソハゲに傷一つ付けようものなら私の一族郎党はおろか部下さえも縛り首になり得ます。 帝国の兵士である限り、命令は守らねばなりません。それが如何に理不尽で身の毛のよだつことであろうと。クソハゲもそれを分かっていて、天幕に入る際に武器を取り上げもしなければ薬で自由を奪うことすらしなかったのです。 「立て」 立ち上がった私の前に、閣下は立ちます。 頭一つ分は高い私を見て、閣下はほほう、と言います。 「以前から思っていたが、女の癖に高いな」 そして脂ぎった手で、私の腕に触れやがります。 「そしてこの隆々とした腕よ」 技官の話では、私が並の男よりも背が高く、腕っぷしも強いのは、セイチョーホルモンとやらの異常だそうです。ただ、閣下はそんな体を前に、深く息を吐きます。閣下は一枚一枚、服を脱がせてきます。 「なんだ」 下まで脱がせたところで、閣下は愉快そうに言いました。 「月のものなぞ、来てないではないか」 みっともなく私の上で果てた閣下は、そのまま寝るかと思いきや、天幕の外に声をかけます。 そして入ってきたのは、あの係官です。 係官は下卑た笑みの浮かんだ顔を赤くし、急いで服を脱ぎ始めます。 「こいつの相手をしてやれ」 閣下は笑いながら言います。 「命令だ」 おぞましい時間を終え、私は天幕を出ます。 「千人長に任ずる」 出がけに、閣下がそんなことを言ってきます。思わず全てを忘れてクソハゲの首をねじ切り、便所に突っ込もうとしてしまいますが、なんとか堪え、私は何も答えず、外に出ます。 夜は更け、あれだけ騒いでいた兵士達も皆寝静まっています。自分の天幕に戻る気になれず、そこらで野宿をするかと思いながら歩いていた私でしたが、自然と足は、自分の隊の方へ向いてしまっていたようです。 私の天幕の横に、タガミはいました。 椅子代わりの丸太に腰かけていたタガミは立ち上がると、逃げようとした私に素早く向かってきます。 「大丈夫?」 そう言ってきたタガミの方は向かず、私は歩き続けます。しばらくの間、タガミは私の後を追いかけていたようでしたが、何も話したくないし、今は顔を見たくない、声をかけてくれただけで十分、ということを察してくれたのか、途中から追いかけてこなくなりました。 自分からそうしておきながら、彼が追いすがり、抱きしめてくれないことに寂しさを感じやがる自分に、嫌悪感を覚えます。 私はそのまま野営地から離れ、傍らの森に辿り着きます。 一本の木にもたれた私は、それまで堪えていたものを全て吐き出しました。 胃の中に入っていた食事や酒を全て吐いた後は、嗚咽と涙を吐き出しました。 泣いたのは貧民街で両親が流行り病で死んだ時以来でしょうか。忘れていた涙を全て吐き出すように、私は泣き、吐きました。血も内臓も全て吐きだしかねない嗚咽のあと、私は立ち上がります。 夜は終わりかけ、空には赤みが差し始める中、私は自分の天幕へと帰ります。 タガミは、天幕に寄り添うように立っていました。 今度は逃げることなく、私は彼の胸に素直に走ることができました。 *** キコーヘンドーその他諸々で世界が滅茶苦茶になる前、人類は今では考えられないほど高い技術を持っていたそうです。 戦争の道具も当然、今私達が使っているものなぞ玩具と思えるくらいに強力だったそうです。ただ、それは長年に渡る混乱と破壊により、その一切が扱い方と共に失われました。 その、失われたはずの兵器群を長年争う隣国が手にしたのです。 それを事前に察知しておくべき我が国の間諜が仕事をしていなかったのか、軍の上層部が情報を軽視したのか、よく分かりませんが、私達は戦場ではじめてそのことを知ることになりました。 いつものように戦列を組んで進む私達に、突然、風切り音と共に砲弾が飛んできます。精兵揃いの帝国軍が一瞬で壊乱します。 情けなくも壊乱した理由は、奇襲を受けたことだけではありません。砲撃を受けたのは見晴らしの良い平原の真ん中で、砲撃を仕掛けてきた敵の姿は全く見えません。姿も捉えられないほどの遠方からの砲撃は威力も発射の速さも、私達の大砲や、それまで敵が放ってきたものとは段違いで、一発炸裂するごとに数え切れないほどの味方を吹き飛ばす砲弾が周囲で次々に炸裂します。 砲撃を受けてもなお前進を続け、逆に敵砲兵へ襲いかかる、というのが常の帝国兵ですが、姿の見えない敵からの凄まじい砲撃には為す術なく逃げ惑うしかありませんでした。 一発一発が絶大な威力を持った砲撃は、さほど長い時間は続きませんでした。短時間でも、帝国兵を散り散りにさせるには十分過ぎました。 砲撃の後にやってきたのは、爆音を轟かせる鋼鉄製の乗り物に乗った敵兵達でした。 どどど、と小さな爆発を無数に連ねるような音を立てるその乗り物には、銃が備えられていました。 それはぱぱぱ、という音と共に火と銃弾を吐き出し、帝国兵は次々に倒れます。 自動車と機関銃。 高級士官向けの教育で、文明崩壊前にはそんな兵器があった、なんていうことを教えられたのを思い出します。 話で聞いたことと実際に味わうその威力は段違いでした。幾人かの帝国兵は猛烈な銃火の中でも弾丸を込め、撃ち放ちますが、遙か遠くから銃弾を放ってくる敵に当たった様子は見えません。敵の機関銃は容赦なく、一発撃ち返した味方に数十発の弾丸で答えます。無数の弾丸は自動車の機関銃からだけでなく、そこから下りた兵士の持った小銃からも放たれます。 戦場で無力さを感じるのは久しぶりのことでした。 私は、かなり減った部下をまとめ、近くの森に撤退することしかできませんでした。 タガミは最初の砲撃によって死にました。実際にこの目で見たのですから間違いはありません。 私の傍らにいたタガミは、砲弾の破片によって頭を砕かれました。馬上にいた私には怪我一つなかったのですから、タガミの運の悪さには笑うしかありません。 倒れたタガミを助け起こす余裕はありませんでした。砲弾は次々とやってきて、さらには自動車に乗った敵もやってきたのです。逃げ散る部下を集め、多少なりとも秩序だった撤退をする。それが精一杯でした。 森の中までは自動車は入って来れないようでしたが、時折、銃の甲高い音が木々の合間に響いてきます。私達の持っている銃のものよりも高いそれを聞く感じ、どうやら連発銃を持った敵兵が森の中を追ってきているようです。 私は傷つき、思いがけない敗北に狼狽える兵達を叱咤し、森の中を進みます。 敵の追撃を躱すにはどの道を通れば良いか、脱走する兵はいないか、敵がまた現れたときどうすれば良いか。頭の中はそんなことで一杯で、タガミの死んだことに想いをはせる余裕はありませんでした。あるいは、目の前のことに集中することで彼の死について考えないようにしていたのかもしれません。 一昼夜歩き通し、私達は敵に捕捉されることなく森を抜けることができました。 ただ、馬よりも遙かに速い自動車に乗った敵兵がいつ現れるか分かりません。 千人いたのが今では数十人に減った部下に声をかけ、再び歩き始めようとした私に向かって、一頭の馬が駆けてきました。 乗っていたのはあの係官です。 「敵へ攻撃せよ、との軍団長閣下の命です」 がちゃり、と背後で音がします。 銃を構えただろう部下を手で制し、私は係官に尋ねます。 「閣下はご無事ですか」 「後方の要塞へ向かっておられます」 「後衛戦闘を実施するなら閣下が陣頭で指揮を取るべきではありませんか」 「閣下に付く兵も僅かです。敵へ反撃するには要塞の兵力と合流しなければなりません。その時間を稼げとの命です」 「命、ですか」 「はい。これは命令です」 私達から慎重に距離を取った係官は威厳を貼り付けて告げます。隠しきれていない怯えが、その顔にはありました。 私は彼に、とびきりの笑顔を向けます。 自分でも思いがけないくらいに爽やかな笑みに、係官は最初驚いた様子でしたが、 「分かりました」 と私が言うと安心したように笑顔を返してきます。 係官との距離はおおよそ一〇メートルといったところだったでしょうか。 私は地面を蹴り、係官へ向かいます。 それに気付いた係官は騎兵用の短銃を抜こうとしますが、私に驚き、前足を上げた馬から振り落とされ、地面に倒れます。 苦しそうに息を吐き、それでもなんとか銃を私に向けようとした係官に、私はカタナを振り下ろしました。 アレが可哀想なくらいに短小だった係官が乗ってきた馬で駆けていた私は、ふと自分が腰の金具に右手を刺していることに気付きました。 周辺国は民族的な風習から手を含めた全身に入れ墨をし、その柄から敵の身分を察することができます。そうしたもっともな理由があるとはいえ、戦功の証明に敵の右手を持ち帰るなんて妙なことをしているのは帝国くらいです。そんな妙なことは、この段になっても私の中に習慣として染みついています。それがこの上無く汚らわしく感じられました。 金具のネジをいじり、いちもつに負けず劣らず貧相な係官の右手を外すと、私はそれを草原に放ります。 そう、私は汚い人間です。 血のついた手を下履きで拭っていると、そんな考えが脳裏に浮かんできます。 今まで自分のしてきたことや、恋人の仇も忘れてこんなことをしようとする私は、間違いなく汚い人間です。 ただ、汚いのは私だけでしょうか。私の生きるこの世界もまた負けず劣らず汚いものだと思います。 そもそも、汚い・綺麗なんてものが存在するのでしょうか。確かにあるのは〝生きたい。出来れば心地よく〟という人間の生存本能、それだけで、貴賤といったものはそれに私達が勝手に評価しているだけなのではないでしょうか。 「……それでも」 ふと、自分の口から言葉が漏れるのを、私は聞きます。 「タガミ、許してください」 軍団長閣下の一団が見えました。 馬上の閣下と、同じく馬上の士官が二人。あとはお付きの兵が十人ほど、といったところでしょうか。 士官は例によって貴族や名家の出で、閣下の側の人間です。翻意を促したところで無駄か、仮に従ったとしても、あくまで保身のためであり、何かのきっかけで容易く裏切ることでしょう。 私は馬に鞭をやり、矢のような勢いのまま一団へ近づきます。 蹄の音に気付いた彼らがこちらを見ます。異変を感じた閣下が銃を構えることを命じたときには私は間近に接近していて、彼らの横を駈け抜けます。 駈け抜け様、士官二人の首を切り落とします。二つの血柱が草原に屹立します。 あまりにも突然のことに、閣下も、お付きの兵もしばし茫然とします。それでも兵はふと正気に戻ると、銃剣を差したライフル銃を私へ向けようとします。 「敵へ下ります。その手土産として、閣下の首を持ち帰ります」 彼らに、私は告げます。 「たとえ要塞へ逃げ帰っても、敵のあの砲撃では保ちません。そうなればこのクソハゲ閣下は要塞と兵を捨て駒に逃げ去るでしょう。 そんな閣下を守るより、私は自分と、部下の命が少しでも助かる可能性のある方を選びます。私に従うなら良し、そうでないならあなた達も斬ります」 「乱心だ!」 禿げ頭を真っ赤にし、閣下が叫びます。 「今までの恩も忘れてこの売女は乱心しおった! お前ら、こいつを殺せ!」 馬上から私を指さしてそう叫ぶ閣下の腹に、銃剣が突き立ちます。無言・無表情のまま閣下を刺した兵は私を見ます。私は、彼に小さく頷きます。 信じられない、と言わんばかりの顔で自分の腹に突き立った銃剣を見た閣下は、腰に差した剣を抜こうとします。そんな閣下に、他の兵も銃剣を突き出します。 ああ、と情けない声を出し、閣下は馬から落ちます。草原を血で汚しながらのたうつ閣下に、兵はトドメを刺そうとしますが、私はそれを止めます。 馬から下りた私は閣下の傍らに立ちます。 「裏切ったな」 閣下は憎々しげに、私を睨みます。 「これまでの恩を忘れて、よくも裏切ってくれたな」 「命乞いをしないことには敬意を評します、閣下」 「貴様のような卑劣な雌豚に屈する儂ではない」 「そうですね、帝国を裏切った私は卑劣な雌豚になるでしょう。ただ、私はもっと早く、雌豚になるべきだったのかもしれません」 閣下の眉根が寄ります。私は彼から視線を外し、空を見上げます。 「耐えてきました。自分や、部下が生きるために、理不尽な命令にも、屈辱にも耐えてきました。帝国軍がこうも脆いものだとは思いませんでしたから。 もっと早く知っていたら、私は大切な人を失うこともなかったかもしれません。残った大切なものを守るのに、必死になることもなかったかもしれません。これは私の愚かしさの招いたことなのかもしれません」 「何を言っている」 「分かる必要はありませんし、あなたには分からないでしょう」 そして私は閣下の指先を落とします。 閣下が子供のように叫びます。 人間は末端ほど神経が集中していて、苦痛もまた大きくなるのです。私は指、手、足の指、と順々に閣下を切っていきました。 しばらくの後、閣下は苦痛の中で絶命します。 その右手は捨て置き、私は閣下の首を切り落とします。 その首を取った私は、兵達に付いてくるよう伝えます。 今まで散々苦汁を舐めさせた帝国兵とその千人長の降伏を、果たして敵はこれで認めるでしょうか。ただ、確証はなくとも今の私達はこうするしかありません。私達は生きるためにその時々で最善と思えることを尽くす、それしかないのです。 馬上の私は背筋を伸ばし、待たせた部下の元へ進みます。その後に、兵達は自然に隊列を組み、黙って付き従ってくれました。 |
赤木 2024年04月27日 19時14分33秒 公開 ■この作品の著作権は 赤木 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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