【超長編】ちんこ殺害事件 |
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もくじ 第一話:シンク・オブ・ア・チンコ 第二話:チンココインの謎 第三話:ちんこ殺害事件 第四話:トゥルー・ちんこ 〇 第一話:シンク・オブ・ア・チンコ 〇 僕ら少年探偵団は、ある秘密基地を所有している。 それほど立派な建物ではない。むしろ、砂埃に塗れた崩れかけの山小屋だ。 フシギ金属で出来た巨大な建物の中に指令室だのロボット格納庫だのがあるような、そんな本格的な基地とは程遠い。しかし僕らは十分に満足している。建物と呼べるものがあるというだけでも、他とは一味違うからだ。 山遊びをしている最中に、廃墟と化していた小屋を発見し、改築したのだ。改築したと言うか、単に掃除をしただけとも言える。蜘蛛の巣を丹念に取り除き箒で掃いて雑巾がけをし、ビニールシートを床に敷いて、最後にはキャンプ用の簡易テーブルも運び込んだ。その椅子に腰かけて作戦会議という名の駄弁に耽っているだけでも、僕らの放課後および休日はどこまでも充実するかのようだった。 今日も僕ら探偵団は基地に向かっていた。 「本当にすごい建物を見付けましたよね、わたし達」 鈴を鳴らすような声で言うのは、団員の一人である赤松さんだ。 赤松さんはすらりと痩せて背の高い、姿勢の良い、髪の長い女の子だった。目がぱっちりと大きく鼻も高く整った顔立ちをしている。クラスか学年に一人いるかどうかというような、心身の発育が他より早いしっかり者。先生からも一目置かれており、成績や素行も当然良い、というタイプの女の子だった。僕は赤松さんのことが大好きで良くおかずにしていた。 「そうだねぇ赤松さん。けひひひひ」 僕は赤松さんにさわやかに微笑もうとして、緊張のあまり引き笑いをした。 キモがられるかなと思ったが、赤松さんは意に介した様子もなくニコニコしている。赤松さんは僕のような陰キャにも誰にでも優しい。 「それでね赤松さん。実は赤松さんがいない時、基地に鍵を作ったんだ」 「そうなんですか?」 「うんこの前ゲンバクと一緒にホームセンターで……」 「あはははははははっ! あーはっはっはっひひひひひひひひひっ!」 突然、赤松さんは気が狂ったように笑い始めた。 「姫島くん今うんこって言いました?」 「え、いや言ってないよ」 「いえいえ言いましたよ『うんこの前』ってひーっひひひひひひ」 「ダメだよそんなので笑ったら。ものすごくバカな人だと思われちゃうよ? こんなのただのたまたまに過ぎないんだから……」 「たまたま! あはははは! ひひひひひひひひっ」 赤松さんはまたしても大きく噴き出す。身体をくの字に曲げて蹲り、地面を転げまわるあまり全身を砂まみれにする。 「あははははは! 今『たまたま』って! 『たまたま』って! うひひひひひひおかしい!」 赤松さんはこの世の終わりのような笑いのツボを持っていた。 男子がちょっとした下ネタで盛り上がっているのを耳にしただけで、授業中だろうが何だろうが、甲高い声で大笑いを始めてしまう。 それを面白がった皆が赤松さんの耳元で卑猥な言葉を呟く遊びを繰り返し、その度に赤松さんは笑いの沸点を下げて行った。最近では日常会話に隠れた卑猥な文字列一つで笑い出すという惨状に陥っており、日常生活に著しい支障を生じさせていた。 「姫島くんは本当に面白いですね」 「まったくもってそんなことはないよ」 「それで、その鍵はどこにあるんですか?」 僕はポケットから鍵を取り出して見せた。 「これが僕の分。もちろん、赤松さんの分もあるよ。ゲンバクの奴が持ってるから、腹が治ってたら明日渡せると思う」 ゲンバクというのは僕ら探偵団の団長たる男だ。 探偵団のトップとして認められるくらいだから、とても頭が良い。 本日は、道路に落ちていた乾いたおにぎりを食べたことによる腹痛で自宅療養中だ。 よだれを垂らしながら手を伸ばすゲンバクに、お腹を壊すと皆で言ったのだが、殺菌効果のある梅干しが薄っすら外から見えているからという理由で喫食したのだ。 僕らはゲンバクのことを深く尊敬していた。 「心配ですね」 赤松さんは憂いを帯びた表情をしている。赤松さんは美人なだけでなく性格も良いのでゲンバクを心配しているのだ。見舞いに行こうという提案までしたが、せっかくの金曜日の放課後にクッソ面倒なので僕が却下した。 事情あって遅れた僕らと違い、基地にはセンパイが先に来ていて、一人で誰かに電話を掛けていた。 「そんなこと言われても! 知らないですよあたし! あなたが保育士だなんて! おかしいじゃないですか!」 センパイは目に涙を浮かべ、鼻からずるずると鼻水を出しながら、電話口に向けて大声で吠えていた。 「歯医者さんのね! 予約をしたいんですよあたしは! 虫歯が痛いんです! 痛くて痛くてたまらないんです! 今にも死にそうなんですよこっちは! 助けてくださいよ! ちゃんと歯医者さんに掛けたはずなのになんで保育所に繋がるんですか! ふざけているのはそっちです! 予約が出来ないならせめてどうすれば良いか教えてくださいよぉおおおっ! あたしが何をしたって言うんですかああああっ! あああああああああっ!」 「センパイ、落ち着こう」 僕はセンパイに優しく声を掛けた。 「姫島くん? ねぇ聞いてよ! あたしね、今朝歯が痛いってお母さんに相談したら、自分で予約をするように言われてたの! それで今電話してたら、なんか知らないけど歯医者さん出てくれなくて、保育士さんが出たの! 意味分かんないよね?」 「ちゃんと番号確認した?」 「したよ! ちゃんとネットで調べたんだよぉおおっ! もう嫌だぁあああ皆死んじゃえば良いんだぁあああっ。あああああああああっ!」 そう喚いてこの世の終わりのような顔で泣き出すセンパイに、そっと赤松さんが近づいて歯医者の電話番号を教えてあげていた。 センパイはクラスで一番背の高い女の子だった。 小五で百七十センチ近い。赤松さんも高いが十センチ以上上回っている。全体的に体格が良く、胸と尻がむっちりとボリューミーでそれでいてお腹は引き締まっているという、グラビア級の肉体を持っている。色素の薄いセミロングの髪と赤茶けた垂れ目を持つなかなかに可愛らしい顔立ちで、その体格も相まって嫌でも目を引く存在だった。 しかしどう見ても十歳や十一歳には見えない。 実際、センパイは十七歳だった。 と、言うのも、十一歳歳の時弟に仕掛けられたバナナの皮で滑って転び、意識を六年間失って病院のベッドで眠っていたという事情があるのだ。その為センパイは十七歳で小学五年生をやっている。 病院のベッドで寝ながら点滴を受けているだけで、どうしてこんなどえろい身体に成長するのかは、ゲンバクとの間で度々議論になった。とりあえず興奮するので良いかというのがいつもの結論だった。 「グスグス……。ねぇ赤松さん。酷いよねっ。なんであたしばっかりこんな目に遭うのかな……」 顔中涙と鼻水だらけで不平を訴えるセンパイに、赤松さんはハンカチを差し出した。 「大丈夫ですかセンパイ? ほら、これで涙を拭いてください」 「うん。ありがとう」 センパイは容赦なく人のハンカチで鼻をかんだ。 「はいこれ返すね」 「それは差し上げます」 文句も言わずにこやかな笑みで鼻水塗れの汚いハンカチを突き返す優しい赤松さん。 「折りたたんで上手く使えば八回くらいは鼻を噛めると思うので、大事に使ってくださいね」 「うん。分かった」ちーん。 「言った傍からど真ん中に……」 精神年齢が僕らと変わらないことを差し引いても、センパイは少し足りない子だった。 クラスでも一番成績が悪く、手先も不器用で運動神経も悪い。顔と身体は良い。 前にこの秘密基地で皆で知育菓子をやった時も、一人だけ手順を遵守することが出来なかった。いくら練っても色が変わらない『ねるねるねるね』を前にして、『どうしてコーラ味にならないのおおおお! あたしが何をしたっていうんですかあああ!』と絶叫していた。 「どうしてあたしの周りでだけこんな嫌なことばっかり起こるんだろう……」 代行で歯医者さんに予約を入れてくれている赤松さんを尻目に、センパイは嘆くようにして言った。自分の無能さの所為で起こることが自分の無能さの所為であることを無能なセンパイはその無能さ故にまだ理解していなかった。 このセンパイと、僕と赤松さん、そして団長のゲンバクの四人が探偵団のメンバーだった。 毎日放課後に集まって、駄弁に耽ったり、時には宿題やテスト勉強をしたり、ごく稀に他所から持ち込まれて来る事件を解決したりする。 だが今日はこれと言ってやることのない日だ。普段陣頭指揮を執ってくれるリーダーのゲンバクがいないと、基地を出て何かしようという感じにもならない。テキトウに駄弁っている内に、ダレた空気になり各々好きなことをし始めた。 赤松さんはスマホで動画を見始めている。浅黒い肌の青年がソファに腰かけてインタビューを受けているという内容で、彼が『二十四歳です』とか『学生です』とか返事をする度に身体を激しくくねらせながら心配になる程激しく笑っている。赤松さんはこの動画の青年が大好きだった。 センパイもスマホを持っていたが、通信制限がかかっているという理由でそれはいじらず、今は赤松さんに貸してもらった髪留めの輪ゴムで夢中になって遊んでいる。センパイは何かをこねたり伸ばしたりと言った手遊びが大好きで、授業中も消しゴムのカスやらでずっと遊んでいる為担任の先生に良く怒られていた。 僕らの担任は些細な私語や手遊びにも全く容赦しない厳しい人で、それが分かっている他の生徒は虐待された犬のように大人しくしているが、センパイにはアホ過ぎて通じていなかった。 そんな担任に怒られない為にも、僕は今の内に宿題を片付けようとランドセルからワークを取り出す。 するとページの間から一枚の紙きれが簡易テーブルの上に落ちた。 僕はその紙に見覚えがなかった。二つに折りたたまれた紙の一面には、小学生らしい汚らしい文字でこう書かれていた。 『何でもいいので言葉を一つ思いうかべてから、この紙を開けてください』 「ねぇ皆」 僕が声を掛けると、赤松さんとセンパイがそれぞれ顔を上げた。 「こんなのがワークの間に挟まっていたんだ」 「心理テストの類ですかね? 悪意のあるものとは限りませんし、とりあえず、描かれているとおりにしたらどうでしょう?」 提案する赤松さん。僕は言葉を一つ考えることにした。 しかしこの手のものは例えば数字とか動物とか人物とか、何かしらの指定があるのが常だ。万物から一つ選ぶとなると、少し難しい。 悩む僕だったが、しかしこちらをじっと見つめる赤松さんの誰よりも整った瀟洒な微笑みを見ていると、自然とその言葉が僕の口を突いた。 「ちんこ」 「ブブッフォ!」 赤松さんは哄笑するあまり椅子から転げ落ちた。 「アハハハハハハ! ちんこ! ちんこだなんてアハハハハハ! アハハハハハハハハハ!」 床に転がって身体をくねくねとさせる赤松さん。その綺麗な長い髪を振り乱しながら笑いまくっていると、やがて頭を壁にぶつけて痛そうな音を出した。だがそんな痛みなど気にならないくらいに赤松さんは激しく笑い続けている。 さて。 僕が思い浮かべたのは『ちんこ』だが、それがいったい何を意味しているのだろうか? 赤松さんの言うように、これが心理テストの類だとしたら、もう少し思い浮かべるものの範囲を絞らなければちぐはぐになるはずだが……。 考えつつ紙を開いた僕は、そこに描かれていた文字を見て、表情をこわばらせる。 紙には以下のようなことが描かれていた。 あなたが思い浮かべた言葉は、『ちんこ』ですね。 まほうのタネが知りたい人は、土日どちらかの正午に、体育かんうらに来てください。 〇 開いた紙を見せると、赤松さんは再び狂ったように大笑いした。 「ちんこが当たるなんて! あははははははちんこを思い浮かべることを当てられるなんて ひひひひひひはははははははは! 死ぬ! 笑い死ぬ! ふひゃひゃひゃひゃひゃ!」 そして息を切らしてぜいぜい言い始めている赤松さん。 先ほどまで笑い過ぎて紅潮していた顔が、呼吸困難に陥るあまり今は青ざめている。 「すごい! まるで魔法だ! どうやったんだろう?」 センパイは興奮した様子だった。 「何かタネがあるって書いてあるよ」 「でも、姫島くんが何を思い浮かべるのか、これを描いた人は予想してたってことなんだよね? そんなの、タネがあったところで出来るのかな?」 確かに、万物から『ちんこ』をピンポイントで当てようと思ったら、僕が何というかをあらかじめ予想していなければ無理だ。 「この紙を作ったのが姫島くん自身っていうのはないんですよね?」 目尻の笑い涙を拭いながら赤松さんは言った。 「それはないよ。だってこれ、僕の字じゃないでしょう?」 「別の誰かに描いて貰ったとか? センパイとか」 「違うよ。これだって十分汚らしいけど、センパイの字はこれよりもっと悲惨だよ。まるで薬物に浸して興奮状態になったミミズみたいな」 「なんでそんなこと言うの……」 読める字であるという時点でセンパイの字でないことは明らかだ。 「センパイでもないし、他の誰かに頼んで描いて貰った訳じゃないよ。本当に僕は知らないんだ」 証明する手段が僕にはないので、こればかりは信じて貰うしかない。 「分かりました。それは信じます。でもだとしたら……これは本当に不思議な話ですよね」 赤松さんは小首を傾げて唇に人差し指をやった。その仕草は小学生とは思えない程セクシーなものだった。 「何せ範囲が範囲です。万物から一つの言葉だけを的中させるというのは。わたし達が日頃使っている国語辞典に乗っているだけでも、言葉というのは数万種類以上ありますから」 そうなのだ。 例えば1から9までの言葉から一つ選べ、とかだったら、ある程度予想を立てた上で運に天を任せることも出来るだろう。 僕の誕生日が七月七日であることから7を予想したり、男子出席番号が九番であることから9を予想したり。日常会話の中で好きな数字を聞き出しておくだとかも出来るかもしれない。 しかし万物から一つの言葉だけを選ぶとなると、偶然の力だけではとても不可能だ。 「でも描いてあったのって『ちんこ』なんだよね?」 センパイが言った。『ちんこ』に反応した赤松さんがまた笑い始めた。 いちいち取り合ってはいられないので、僕は気にせずセンパイに相槌を打った。 「そうだけど」 「ちんこって言葉自体はみんな好きじゃん。書いておけば当たると思ったんじゃないの?」 そういう推理も出来るのか。 確かに、万物から何かしらの言葉を一つ選んでヤマを張るなら、『ちんこ』が選ばれる蓋然性はあるだろう。 何せ、僕は小学生男子なのだ。赤松さん程偏執的ではないにしろ、ちんこのことはかなり大好きだ。愛していると言っても良い。 しかしだからと言ってそんな都合良く当たるものなのだろうか? 別にちんこ以外を選ぶ可能性だって十分にある。仮にたまたま当たっただけにしても、そんな成功率の低いドッキリをわざわざ仕掛けるだろうか? やはり何かしらの勝算があったのではないか? その勝算とは何かを考えなければならないのではないだろうか? 「つっかこれ誰が出した手紙なの?」 センパイはそこで新たな疑問を呈する。 「そうだね。字を見るに小学生であることは確かかな。とは言えこのワークは帰りの会に返却されるまで先生の手元にあったから、出すタイミングは限られちゃうかもしれない。強いていうなら、日直の田中が職員室にワークを取りに行った時に、挟み込んだって可能性もあるなってくらいだ」 僕は答える。とは言え問題なのは誰がこれをやったかではなく、どうやってこれをやったかだ。僕が『ちんこ』を思い浮かべることをどうやって当てたかということだ。 それからも三人でああだこうだと推理を交わしたが、僕らが正解にたどり着くことはなかった。やがて飽きっぽいセンパイが別のことを話題にし始めた。 「っていうかさ今すっげー歯ぁ痛いんだけど。今冷たいのとか熱いの食べたら絶対悲鳴上げる自信あるねっ。昨日なんかさリビングで一緒に遊んでた飛鳥があたしにアイス持って来てさ、歯ぁ痛いの知ってる癖に意地悪だよね食べたけどっ! もうさ痛くて痛くて泣きそうなのずっと隣で笑いながら見てるんだよ本当酷いよねあいつ死ねば良いのに。ああ飛鳥ってのはあたしの弟で今高一なんだけど。それよりさ昨日アイス食べてた時見てたテレビなんだけどハゲの芸人が出ててさ分かるあの目のほっそい色黒のおっさんあの人つまんないよねつまんないと言えば今日もお父さんが晩御飯の時に……」 センパイの話は早口の割に長く、しかも極めて個人的な話ばかりで、つまらない。 本当にもう、誰かが止めてやらないと、いつまでも延々と話し続ける特有の癖がある。 きっと自分でもやめ時を分かっていないのだ。 「そろそろ帰ろうか?」 「ええもう帰るの? そういやもう五時近いね。ところであたしのお母さんなんだけどさあたしもう身体は高校生なのに未だに門限六時なんだよ妹は八時なのにっ。その癖歯医者さんの予約とかそういうめんどいことは『あなたももう十七歳なんだから自分でやりなさい』とか言ってくんのねぇどう思う?」 「結局、この手紙のことは何にも分からなかったな」 僕が言うと、赤松さんは上品な苦笑を返した。 「そうですね。まあでも、明日になれば分かるんじゃないでしょうか?」 赤松さんは立ち上がる。今日の秘密基地遊びは、これでおしまいだ。 「誰かさんの腹痛が治っていれば、の話ですけど」 〇 いつものジャンボサイズだった。 ゲンバクの持つポテトチップスの話だ。 その油塗れの手が目まぐるしい速度で袋の中に差し込まれ、どう見ても過剰な量を掴み取り、これまた目まぐるしい速度でゲンバクの口に突っ込まれる。バリボリと激しい音を立てて咀嚼されるポテトチップス。 時折手を休めるゲンバクは、背中に背負った巨大なリュックサックの中から2リットルのコーラを取り出しては、ぐびぐびと嚥下する。半分近く残っていたペットボトルの中身はたちまち空になった。 「これは貴様が処分しておけ」 空になった2リットルのペットボトルを差し出されたセンパイは、「えーっ」と不満そうな声を発した。 「でもこれゴミじゃん」 「中で色水でも使って遊べば良いだろうが」 「あ、そっか。オモチャに出来るね」 あっけなく言いくるめられたセンパイは、嬉しそうにペットボトルを受け取って、武器に見立てて振り回し始めた。 あちょー、とか言いながら、赤松さんの脇腹をつついたりしている。赤松さんは見目麗しいのみならず素晴らしい人格者である為、笑顔で対応してあげていた。怒るどころか少しも不快そうにしない。優しい。 ゲンバクは新たな2リットルのペットボトルを取り出してラッパ飲みをして、げーっと大きなゲップをした。 「汚いよ、ゲンバク」 「生理現象だ」 ゲンバクは体重百キロを超える巨漢だ。 背は赤松さんより少し低いくらいなのに、赤松さんの三倍近い体積を誇る。 太すぎて最早縦幅と横幅が変わらないくらいである。腹が出っ張っているのはもちろんのこと、骨格からして太ましく、肩幅も広い。手足も太い。ケツもでかい。象みたいなパンツを履いている。白のブリーフだ。 ただのデブだ。他の何者でもない。いや、実際には相撲教室に通っていて大会では好成績を収めていたり、有名私立小学校からの転校生で頭も良かったり、髪型はぼっちゃん刈りでよく見れば端正な顔をしていたりするのだが、これほど太いと他の特徴などかすんでしまう。 結局、デブだ。 だが本人はデブでいることを恥じてはおらず、学校に堂々と大量のお菓子を持ち込んで絶えず食べたりしている。クラスメイトからは繰り返しデブいじりをされているが、基本的には涼しい顔だ。 とは言えあまりしつこいと、その重量を活かした必殺ボティプレス攻撃を浴びせたりもしている。僕も食らったことがあるが、凄まじい威力で思わず嘔吐しそうになった。 「腹痛は治ったの?」 「ああ。昨日一晩寝たら治った。俺としたことが、あれしきのおにぎりが消化できないとは。恥ずかしい話だ」 「食べなきゃ良かったのに、あんな腐ったおにぎり」 「目の前に食べ物があるのに食べないなど、この俺の沽券に関わるわ!」 高らかに宣言したゲンバクは、ポテトチップスを食べる手を止めないまま、扉の鍵を開けて秘密基地に入る。 入ろうとして若干身体がつっかえたが、強引に突破した。 そして簡易テーブルの上座にあたる部分に腰かける。その巨躯を受け止める椅子は今にも圧し折れてしまいそうだ。 「あーあ。良いなぁポテトチップス。食べたいなあ。おいしそうだなあ」 センパイが羨ましそうにゲンバクのポテトチップスを見やった。 「くくく……そうだろうそうだろう。ちゃんと四つ持って来ているぞ」 ゲンバクはリュックサックからジャンボサイズのポテトチップスを追加で三つ取り出した。 団員は全部で四人だから、ちょうど一つずつある。 「え? 本当! やったあ。一個ちょうだい」 「全て俺のものに決まっているだろう」 ゲンバクはポテトチップスを袋に仕舞い直した。 センパイは悲しそうな顔をした。 「一人で全部食べるのかよこのデブ。どうなってんだよおまえの胃袋は」 僕は言うが、ゲンバクは気にした様子もなくポテトチップスを食べ続ける。 「なんでポテチくれないのぉ? そんなにあるんなら一枚くらいあたしに別けてくれたって良いじゃん」 センパイはポテチの袋に手を伸ばそうとして、ゲンバクに阻止されている。 「でもセンパイ。歯が痛いんでしょう? スナック菓子なんて食べて大丈夫なんですか?」 赤松さんが心配そうな表情で言った。 「というか、そもそも何でいるんですか? この時間は歯医者を予約したはずじゃ……」 「さっきまで待合室にいたんだけどさぁ。歯ぁちゅいーんってされるの怖くなって、バックレた。それで山に行ったら並んで歩いてる皆と遭遇して、合流したの」 「……大丈夫なんです? それ」 「お母さんには行ったことにするからへーきへーき」 「歯はどうするんですか?」 「死ぬほど歯磨きして自分で治す」 いや無理だろ……。 「なんだ? 歯が痛いのか。大変だな」 ゲンバクが同情したような口調で言った。 「ちゃんと十分な食事を採らないからそういうことになるんだ。歯など磨かずに、飯を食って直せ。カロリーは全てを解決する」 「だったらポテトチップスちょうだい」 「ならん。自分の食い物は自分で用意しろ、甘えるな愚物め」 自分も扶養される身分だろうに偉そうなことを言うゲンバク。 「が……病気だというのなら、若干の譲歩もやむを得ん」 ゲンバクはリュックサックに手を突っ込んで、ビーフジャーキーをセンパイに渡した。 犬用だった。 「愛犬ペスの為に買ってやったものなのだが、特別にくれてやろう」 センパイはとても悲しそうな目でビーフジャーキーを見詰めていた。 「ちょっとゲンバクさん。センパイが可哀想じゃないですか」 赤松さんが窘めるが、ゲンバクはどこ吹く風でポテトチップスを一つ食べ終え、新たな袋を開封し始める。 「俺から飯を奪おうとする者は、どんな仕打ちを受けても文句は言えん」 「そんなこと言って」 「ところで」 ゲンバクは厳かな声を発して僕を見た。 「大方の予想通り、犯人は日直の田中で間違いないぞ。姫島」 「は?」 「そしておまえを驚かせた方法も、俺はもう推理出来ている」 鼻を鳴らし、ゲンバクは肩を竦めた。 「何を驚いた顔をしている。これしきのこと、俺に分からないとでも思ったか。愚物め」 〇 「いやちょっと待て」 僕は目を丸くしてゲンバクに問いかけた。 「確かに田中は怪しいよ? ワークに手紙を挟めた唯一の人物と言って良い。でも問題は、どうやって僕が思い浮かべる言葉を当てたかって部分なんだ。それが分かったとでもいうのか?」 「その通りだ。今朝貴様が俺の家に遊びの誘いの電話を掛けた際、謎については説明があった。俺はすぐに支度をしてこの通り貴様らと合流したが、それまでに推理する時間は十分にあった」 確かに、僕はゲンバクに謎のことは全て話していた。 放課後この秘密基地でワークを出したら紙が挟まっていた。『何か言葉を一つ思い浮かべて紙を開け』と描かれたそれに従い『ちんこ』を思い浮かべたら、開かれた紙には見事に『ちんこ』が予想されていた。 「でもどうやって僕が思い浮かべる言葉を当てるんだよ。万物から『ちんこ』という言葉を言い当てるのは、天文学的とまでは言わないが、相当な確率だぜ」 ゲンバクは「ふん」と鼻を鳴らして答える。 「田中は別に、貴様が『ちんこ』という言葉を思い浮かべることは、予想していない」 「どういうことだよ、それ」 「ある特定の人物が『ちんこ』を思い浮かべるのを当てるのは困難だ。だが、それが一クラスの男子全員を対象としていたならどうだろうか?」 「は? なんだそれは」 「小学生は皆アホで、『ちんこ』という言葉が大好きだ。そこの赤松も」 ゲンバクが指を突き付けると、そこには気の毒に乱心した様子で笑い続けている赤松さんがいた。 「この通り『ちんこ』という言葉を聞いただけで大笑いする。それほど小学生に対する『ちんこ』の求心力は高い。そんな小学生の、それもアホな男子に何か言葉を思い浮かべさせたら、一クラスに一人以上は確実に『ちんこ』を選択するだろう。そうでない方がおかしい」 「それはそうだろう。間違いない」 僕は確信を持って頷いた。 誰がそうでないと言えるのだろう。ちんこにはそれくらいの人気と魅力がある。 「だが、その一人が俺だとどうして分かるんだよ」 「だから、それが貴様であることを的中させる必要はないのだ」 ゲンバクは僅かに苛立った様子で言った。 「何故ならその手紙は、『貴様を含むクラスの男子全員に送られていた』のだからな」 絶句した。 「我がクラスの男子の人数は十六人。ここから田中自身と欠席していた俺を除いても十四人いる。日曜の正午までに宿題に手を付けない言語道断野郎の存在を差し引いても、それだけの人数に手紙を送れば一人くらいは『ちんこ』を思い浮かべる公算は高いという訳だ」 何というバカバカしさだ。 僕はあまりにもバカバカしいその計画に震え上がっている。 「他の全員に不発でも、その一人を引っかけてからかえれば十分と言う訳だ。田中の奴は今頃指定の体育館裏にて、この手紙に釣られてのこのこやって来るバカを、手ぐすね引いて待ち構えているに違いない。そしてやって来たバカに田中はこういうのだ。『おまえ、マジでちんこ思い浮かべたのかよ! バカだねぇ~』とな。計画が成功すればさぞや愉快であるに違いない」 その一人に僕がなるところだったのか。 危なかった。 「それが出来るのはやはり日直の田中だけだ。貴様の話にも出ていたが、うちのクラスの担任はワークなどの宿題を出すと、採点し終わる昼休み以降に日直の者に取りに行かせる習慣がある。どう考えても担任自身が職員室から教室に来る際に共に運び込めば済む話なのだが、荷物が多くなるだの何だのと理由を付けてあくまでも日直に運ばせる。生徒をこき使うことそれ自体に耽溺しているのは明らかだ」 実際には生徒に役割を与えて責任感と遂行力を育むとかそう言った狙いもあるのだろうが、そんな好意的な解釈が小学生に出来るらくもない。薄っすら出来ていたとしてもそんなこといちいち口にして弁護したりしない。こましゃくれた部類に入るゲンバクもそれは同じことだ。 「ワークは昼休みから帰りの会までの休み時間に自由に運搬することが許されている。時間のある昼休みにでも、こっそりトイレの個室にでも持ち込んで挟んで行けば、全員のワークに仕込むことは楽勝と言える。その後手紙は生徒達に返却されるワークに挟まれたまま、各々が自宅で宿題をしようとした際に、姿を現すという仕組みだ」 「生徒の誰かが帰りの会の途中にワークを開いたらどうするんだ?」 「ふん。週末への期待に満ちた金曜日の帰りの会の途中で、自分の宿題の出来をわざわざ確認する者など、いなかったということだろう」 「そうとも限らないだろ。山岡とか菊池とかは真面目だし、開くと思うぜ」 「ならばそいつらにだけは挟んでいなければ済むことだ。第一これは所詮小学生の考えた悪戯の計画だ。多少杜撰な部分があって当然であると言えるし、達成にあたり幸運に恵まれた部分がないらくもない」 それはまあ、そうなのだろうが。 「と言うか、実際にはその場で開いた者も何人かはいたのではないか? だがウチの担任教師は厳格なキャラクターで私語の類を大いに嫌う。授業中などに声を出されることを病的に忌避している。そんな担任を前にして、その場で『変なものが挟まっている』と主張することが出来なかったということも、おおいに考えられるのではないか?」 「犯人はそこまで考えていたと?」 「いや。偶然だろう。田中ごときがそこまで考えるものか」 酷い言いようだ。 いやまあ、田中はバカなのだが。こんなことを考えるくらいだし。 「でも田中はこうして僕を驚かせて見せた訳だろ? 偶然上手く行っただけにしても、褒めてやっても良さそうなもんだけど」 「それは貴様がバカだからだろう? これしきの手法を見抜けなかったのもバカだが、まんまと『ちんこ』を思い浮かべたことについては最早救いようがない。恥を知れ」 ぐうの音も出ない。 「仮にすべてが失敗したとしても、田中が失うのは労力だけだ。いや少しは周りに失敗をバカにされる可能性もあるが、それにしたって仲間内で少しからかわれれば済む話で、親や教師を巻き込むような大きなリスクはどこにもない。金銭など具体的なリターンもないが、悪戯というのは本来そういうものだ」 言いまとめ、ゲンバクは席を立ち上がる。 「こんなところで謎解きは終了だ。くだらん謎だったな」 「どこに行く?」 「決まっているだろう?」 ゲンバクは頬を持ち上げて笑った。 「飯を買いに行くのだ」 卓上には空になったポテトチップスの空き袋が四つ転がっていた。 〇 僕は一人、秘密基地の席に腰かけて、ぼんやりとしていた。 時計を持ち歩く習慣がないので今が何時なのかは分からないが、おそらく正午は回っている。 田中の奴は今頃どうしているだろうか? 僕の他にも一人くらい、引っかかった奴はいただろうか? 田中は僕と同じくらいアホだがそれなりに良い奴でもあるので、騙されてやって来た別のアホに対しても、しつこく罵倒するようなことはしないだろう。そりゃあちょっとくらい小ばかにはするだろうが、悔しがる相手の肩を二、三度叩いたら、そのまま一緒に校庭で遊んだりするに違いない。 そんなことを考えていると、基地の扉が開いた。 「ただいま戻りました」 赤松さんだった。 センパイを歯医者さんに送り届ける為に、外出していたのだ。 見る者すべてを魅了するかのような、瀟洒な微笑みを浮かべている。 「ゲンバクさんはまだスーパーから帰ってないんですか?」 「そうなんだ。あいつ、お菓子選び出すと長いから。センパイは?」 「無事に歯医者さんに着きました。治療が始まるところまでは見張っておいたので、問題なく虫歯は治るかと思います」 「そっか」 「はい」 赤松さんは僕の前の席に自然な動作で座った。 何とはなし、二人は見つめ合う形になる。 僕は照れるが、赤松さんは照れない。こうして見つめ合っているのが当然のことのように、じっと柔らかな微笑みを向け続けている。 「あの。姫島くん」 「どうしたの?」 「前に話した件、考えてくれましたか?」 沈黙が降りる。 それは何の為の沈黙だったのか。気を持たせようだとか焦らそうだとか、そんな意思はない。さりとて答えが決まっていない訳でもない。 その答えを彼女に突き付けることに躊躇する、それは優柔不断の沈黙だった。 「良いですよ。ゆっくり考えて下さったら」 僕が口を開こうと決意する前に、赤松さんは鈴を鳴らすような声で言った。 「信じて待ってます。またあなたと一緒に、テレビに出られる日が来ることを」 〇 第二話:チンココインの謎 〇 宙を舞っている。 セミの抜け殻が。 二人の男子に投げ回されているのだ。 クラスでも指折りの悪童、内村くんと川岸くんの仕業である。二人は手にしたセミの抜け殻を互いに投げ渡しながら、取り返そうとして追いすがって来るセンパイをからかっている。 「返してよ~」 センパイは目に涙を貯めながら、投げ回されるセミの抜け殻を追い掛け続けている。 「返してよ~。あたしのアルフレッド。返してよ~」 いじめの現場、と言っても良いのだろうか。 登校中に拾ったセミの抜け殻をいたく気に入った彼女は、「これあたしのペットにする!」と宣言し愛情とアルフレッドという名を与えた。そして机の中に忍ばせたそれを、センパイは休み時間の度に人差し指の腹で撫でるなどして愛玩した。 赤松さんがプリントを折って作ってくれた家が出来てからは、アルフレッドの暮らしはより豪華になった。アルフレッドには消しゴムのカスで出来たケーキや段ボールの切れ端で出来たベッドが与えられ、そのQOLの高さは抜け殻風情には考えられない程豊かなものだった。 そんな風に夢中で遊びに耽るセンパイを襲った悲劇が、二人の悪童の襲来である。アルフレッドを奪われたセンパイは、内村くんと川岸くんにキャッチボールされる抜け殻を必死の形相で追い掛けている。 「か~え~し~てぇ! アルフレッドをか~え~し~てぇええ!」 「ハハハハハ。返すもんかぁ。取れるもんなら取ってみろ! なあ川岸」 「内村くんの言う通りでゲス」 アルフレッドを追い回して走る度、センパイの豊満な胸部や臀部がたぷたぷ揺れる。 それ自体は素晴らしい光景だ。なのだが、それにしても肉体年齢的には高校生センパイが、自身よりアタマ一つ背の低い小学生男子に稚拙なからかいを受けている光景は、これはちょっと悲惨だぞという感じがして来る。 それも含めて、どこか背徳的と言えなくもないのだが、僕はセンパイと友達である以上やはり心配もある。嫌だろうし。 「こらっ。そんな酷いことをするのはやめてください。いじめですよ!」 優しくて正義感の強い赤松さんが、見かねた様子で注意をした。 素晴らしい。アイラブ赤松さん、フォーエバー。 しかしその素晴らしい赤松に対する悪童達の反応は以下のようだった。 「いじめじゃないもんね~。ちょっとからかってるだけだもんね~」 「内村くんの言う通りでゲス」 「こんなのでいちいち注意してくんなぁ。良い子ぶりっこ~」 知性をまるで感じさせない鼻筋の伸びた笑みで、鼻孔の周りに乾いた鼻水をまとわりつかせながら、歯並びの悪い歯を剥き出しにする内村&川岸。しゃんと背筋を伸ばして毅然とした顔で注意を行う正義の赤松さんとは、その品性に天地の差がある。 その後も赤松さんは繰り返し注意を行ったが、しかし彼女は優しさと正義感に溢れてはいても、押し出しが強いタイプではない。彼女なりに強く言っても、タフないじめっ子を懲りさせるには至らない。 その様子に見かねた僕は、彼らの脇を通り抜けて赤松さんの前に出て、気さくな口調でこう言った。 「まあまあ。人のものを投げ回すくらい、そんな目くじらを立てることないじゃないか」 その言葉に、赤松さんは目を丸くしつつも、何か意図を感じたのか黙り込む。 「そうだよなぁ姫島。別にこんなのいじめって程じゃないよなぁ」 下卑た表情で舐めたことを言う内村くん。 別にこいつらも、センパイが嫌いでいじめている訳ではない。 クソガキなりに色気づいている彼ら的にも、センパイのむっちりした肉体は強力な興味の対象で、そんなセンパイにちょっかいを掛けたい思いからこのような愚行に至るのだ。 二人とも芯から悪人ではないし、気の良いところがあるのも知っている。放っておいても深刻ないじめに発展することはないだろう。 しかしそれでも、嫌なものは嫌なのだ。 「ああそうだ。だから」 僕は通り過ぎ際に掏り取った二人の財布を彼らの前に掲げ持った。 「こいつを僕のものにするのも、別に構わないよな」 内村くんは仰天した様子で僕を睨んだ。 「お、おまえ、いつの間に……」 驚愕した様子。良い気分だ。僕は二人の財布を続けざまにセンパイに放った。 「ほらセンパイ! へぇい!」 内村の財布をあたふたキャッチしたセンパイは、続けて飛んで来た川岸の財布をおでこにぶつけて床に落とす。いそいそと拾い上げ、ぎこちなく僕の方を見た。 「こ、こら投げるなよ! 返せよ、おい野上!」 「内村くんの言う通りでゲス!」 いじめっ子二人はセンパイ(本名野上)の方ににじり寄る。 怯えた様子のセンパイに、僕は再び合図をした。 「ほらセンパイ! へい!」 するとセンパイは若干の笑みを浮かべて二つの財布を僕に投げて来た。涙に濡れていた顔が仕返しの愉悦に歪んでいる。 「待てよ! おら! 帰せよ! おい!」 対する二人は顔を真っ赤にして僕とセンパイの間で右往左往している。良い気味だ。 「取れるもんなら取って見ろ~。はっはっはー」 ぎゃーぎゃー騒いでいる僕達に、教室中の視線が集まっていた。 普段いじめる立場の二人が、いじめられる立場のセンパイにばっちり報復されている珍しい光景を、皆は興味津々の様子で見守っていた。 「ま……まあまあ。その辺で……」 赤松さんが控えめに両手を振った。 「仕返しとは言えあまりやり過ぎるのも……。内村くんと川岸くんはアルフレッドを返す、姫島くんとセンパイは財布を返すというので収めては? もちろん、内村くんと川岸くんは、その時にセンパイにちゃんと謝って……」 「あはははは! ほら投げちゃうよ! あたしまた財布投げちゃうよ!」 常識に乗っ取った公平な仲裁を加えようとする赤松さんだったが、センパイは興奮すると他人の話をまったく聞かなくなる。制止も振り切って僕に財布を投げつける。 この人は基本的にやる側の立場になることがないので、いじめっ子相手に仕返し出来て嬉しいんだろう。 まあ、気持ちは分かる。 が、調子に乗り過ぎた。 「おまえら……もういい加減にしろ!」 そこで内村くんがとうとうキレた。流石に女子のセンパイに食って掛かることはないまでも、僕の方に大股でにじり寄り剣呑な表情で拳を振り上げる。 「さっさと返さねぇと、ぶん殴るぞ! てめぇ!」 そして胸倉を掴んで来る。内村くんは川岸くんをもしのぐいじめっ子のボスで、クラスで射一番の喧嘩自慢だ。六年生にも勝ったことがあるとしょっちゅう自慢している。 その内村くんに胸倉を締め上げられて睨まれる僕。ああちょっとやり過ぎたかなと僕が窮地を感じたところで。 「おら! どすこい!」 僕の後ろから現れたゲンバクが、強烈な張り手を内村くんに浴びせかけた。 もろに一メートルは吹っ飛んだ。ざっと一秒は宙に浮いた。そして床に激しく叩き付けられた内村くんは、床に叩き付けられて悶絶した。 がっくりと項垂れて、一撃で体力を持って行かれたかのように床に伏す。KOだ。 「つ、強い……」 内村くんからそんな声が漏れた。教室も思わずどよめいている。 「ふん。戦闘において物を言うのは何より『重さ』だ。覚えておけ、愚物共め……っ」 そう言ってセンパイはキメる。 言っていることはその通りかもしれなかった。 僕ら小学生の愛読書である『地球生物最強王者決定戦』においても、重量に優れるカバやサイ、アフリカゾウと言った生物が高く評価されていた。 ライオンやトラも強いは強いが、ヘビー級の大型生物には適わないという記述だ。 そこからいうと、百キロを超えるウェイトを誇り、近所のこども相撲教室で日々鍛錬を積んでいるゲンバクは、ひょっとするとこの教室の最強王なのかもしれない。 「やれやれだな」 クラス一のいじめっこを一撃でのして見せたゲンバクは、その脚で川岸くんのところまで行くと、怯える彼からセミの抜け殻を取り返し、センパイに返した。 「ほら。おまえ達も」 僕とセンパイは頷いて、川岸くんと床に伸びている内村くんに財布を返したのだった。 〇 「偉そうなのはたまに傷ですけど、実は相当頼りになる人なんですよね。ゲンバクさん」 秘密基地に向かう道すがら、赤松さんは凄まじい勢いで食べ歩きをしているゲンバクの背中を見ながら、そう口にした。 「アタマも良いし、その気になったら腕っぷしもあるし……。走るのは遅いので体育の授業はあまり活躍しませんが、喧嘩になったら強いですもんね」 「そうなんだよ。だから団長なんだけどな」 答える僕。それを聞いているはずのゲンバクは、しかし団員達からの賞賛よりも飲食に夢中と言った様子で、袋の中から大福餅を口に運び激しく嚥下していた。 咀嚼する度、大量の頬肉がぷるぷる揺れている。 コラーゲンたっぷりなのか、無駄に肌艶が良いのが、少しムカつく。 「でも姫島くんも凄かったよ!」 助けられたセンパイがそう言って腕を突きあげた。 「あいつらの財布取って来てくれたんだもんねっ。ねぇ姫島くん、あれどうやったの?」 「普通にポケットから抜き出すだけだよ」 「でもあいつら驚いてたじゃん。どうやったらバレずに出来んの?」 「気付かれないように、そっと抜き取るんだ」 「でも川岸のなんてチェーンついてたじゃん」 「そっと外すんだ。そんなに大したことじゃない。慣れれば簡単にできる」 「着いたぞ」 ゲンバクは言う。秘密基地の扉の前に立つと、持ち歩いている鍵をホームセンターで買って設置した錠に差し込み、扉を開ける。 そのまま中に入ろうとして、脂肪がつかえて阻まれる。 「ぐぬぬ……。忌まわしい。また扉が小さくなったか……」 「おまえが太ったんだよ」 皆でゲンバクのことを中に押し込んで、それぞれの席に着いた。 我ら探偵団の秘密基地の内部は快適そのものだ。見付けた時は砂埃と蜘蛛の巣に塗れていた山小屋も、今では丹念に掃除され床にはブルーシートも敷かれている。不法投棄されていたのを拾って来た簡易テーブルも、赤松さんが時々丁寧に磨いてくれているのもあってピカピカだ。 まあ、廃墟だったとは言え持ち主と言える人はいるはずなので、これは立派な不法侵入なのだが。だからこそここは秘密基地なのだが。 「今日ここに飛鳥来るけど良い?」 センパイが言った。 「飛鳥?」 ゲンバクが剣呑な目を向ける。 「弟。だけど高一。学力とかでしょっちゅうマウント取って来るんだよね自分もバカ高校の癖にさ。こないだなんて一緒にゲームしてたらあたしが漢字読めないのをいちいち笑って来やがってウザいのなんの」 「何故団長たる俺に断りもなくそんな者を招く」 「今聞いたじゃん」 「どうして呼んだ?」 「依頼があるんだって」 依頼、と言う言葉を聞いて、探偵団の皆の目がきらりと輝いた。 僕達探偵団は、探偵団と名乗っているだけあって、ご近所で起こる事件の謎を解くことを生業にしている。 もっとも、生業と言っても食い扶持として給料を貰っている訳では当然ない。皆扶養される身分だし。ようするにごっこ遊びではあるのだが、しかし近所における子供ネットワークにおいてそれなりの知名度と評判は獲得していて、月に一度や二度は何かしらの依頼が持ち込まれる。 「そろそろ来る時間のはずだよ」 センパイがそう言ったまさにその時、秘密基地の扉がノックされた。 扉の近くにいた赤松さんが扉を開けてやると、大柄な少年が現れる。 飛鳥、とセンパイが少年に呼び掛けた。彼がそうらしい。 金髪で三白眼、浅黒い肌に気崩した制服という高校生だ。胸元の名札には『野上』と描かれており、これはセンパイの苗字と一致する。軽薄そうな身なりだが、百八十センチを超える上背で肩幅が広く、胸板も広かった。 「うわ。本当に赤月いのりいるし。ヤバ、超カワイイ」 野上飛鳥は赤松さんの方を見て感嘆したように言った。 「どうも。赤月いのりです。……本名は赤松法子っていうんですけどね」 赤松さんは瀟洒な笑みで返答する。この世界の半分の人間を魅了し意のままにするかのような、穢れのない瑞々しい微笑みだ。野上飛鳥が思わずカワイイと述べるのも頷ける。 「顔ちっちゃ。身体ほっそ。やっぱジュニアアイドルってすげぇ。ねぇ、なんでテレビの仕事やめちゃったの?」 「やめた訳ではありません。訳あって休職中なのです。ところで」 赤松さんは笑顔を浮かべたまま、話題の転換を図るかのように自然な話術で。 「お兄さんはどなたですか? わたしに教えてください」 「だからそれ飛鳥だって。あたしの弟」 センパイが口を挟んだ。 「ウチのお姉さまと仲良くしてくださってすいませんね。いやぁ、本当にいつもバカやってばかりで、手のかかる困った姉ですわ」 「飛鳥あ。お姉ちゃんになんてこと言うの?」 「つっても姉貴、精神年齢はこいつらと一緒だろ? つかそれ以下。生きてる実質の年数なら俺の方がもう大分上だし。今朝も家出る時庭中の岩引っぺがして集めた大量のダンゴムシを、帰ったらもっと集めようとか言いながら郵便ポストに放り込んでたし。あん時も言ったし止めたけどさ、あれぜってぇ母ちゃんに怒られっぞ」 「そんなことより、何か依頼があると伺っているが」 ゲンバクが横柄な口調で問いかける。 「おいブーデー。小学生の分際で、高校生に何て口の利き方だ?」 「そちらこそ何という無礼な口の利き方だ? 俺の半分程度しか体重がないのだから、敬うべきはそちらの方だろう」 「いや関係ないだろ体重とか……。こっちは依頼を持って来てやったんだぞ? 敬語使え、敬語。赤月ちゃんを見習えよ」 なあ? と視線を向ける飛鳥くんに、赤松さんは困ったような表情で小首を傾げた。 こうした仕草一つ取っても、赤松さんは本当に上品で小学生離れしている。 「綺麗なだけじゃなくほんと上品な子だよなー。頭良さそうだし。姉貴も見習えっつーの」 「そんなことはどうでも良い。依頼があるならさっさと言え、俗物が」 これは怒られてもしょうがないんじゃないかというゲンバクの物言いだったが、しかし飛鳥くんは舌打ちを一つするだけで済ませてくれた。そしてポケットから取り出したコインを一枚、テーブルの上に置く。 「これを製造している奴が誰なのかを調べてくれ」 置かれた十円玉には、マーカーで大きく『ちんこ』と描かれていた。 〇 爆発した。 赤松さんの笑い声が、である。 キャーッハッハッハッハとおよそ人間が出せる限界の高音を放った赤松さんは、身体をくの字に折り曲げ手足を激しくばたつかせるあまり、椅子を転げ落ちて床のビニールシートに落下した。 そしてドン引きした様子の飛鳥くんの目の前で、「アハハハハハハ! ヒヒヒヒヒヒヒヒ! キヒャヒャヒャヒャ!」と重めの精神病院から脱走して来た患者のように狂喜し続ける。たった一人の人間の笑い声とは思えない程、それは大きく激しい笑い声だった。町内中に響き渡りそうな程である。 「アハハハハハ! キャーッハッハハハヒヒヒヒヒヒヒ!」 「何……何なのこれ……」 飛鳥は赤松さんを見おろしながら全身を震わせている。 「何があったの? 救急車呼ぼうか?」 「いつものことだから大丈夫だよ」 馴れている僕はとりあえず赤松さんが満足するまで笑わせてあげるといういつもの対応をしつつ、飛鳥くんの方に水を向けた。 「それで飛鳥くん。この『ちんこ』って書いてあるコインがどうしたの?」 「ちんこって描いてあるコイン……ちんコインだね」 センパイの言葉に、赤松さんは「ちんコイン! ちんコインってうひゃひゃひゃ!」と顎が外れそうな程口を大きく開けて笑い続けている。 「ねぇ本当大丈夫なのこれ? アタマとか?」 「とても大丈夫とは言えんが放っておいて構わん。とにかく早く説明をしろ」 ゲンバクの横柄な口調に、飛鳥くんは顔を顰めつつも説明を開始した。 「高校っていう場所は小学校や中学校と違って、中に自販機なんかが置いてあったりするんだけどな。このコインは、俺の通う第三高校のある自販機の釣銭として出て来るものなんだ」 ……出て来る、と飛鳥くんは言った。 出て来た、ではなく。現在進行形だ。 「でもこんなのマジックで落書きしたらすぐ出来るよね」 センパイは言う。 「飛鳥の高校すんげぇバカなんでしょ? こういう悪戯する人だって絶対いるじゃん」 「一枚や二枚なら、まあそれで済む話なんだがな」 飛鳥は肩を竦める。 「一枚じゃないの?」 「その通りだ。その自販機の釣銭の十円のほとんどは、このちんコインだ」 ちんコインって! と叫びながら、赤松さんは床に転がって甲高い声を上げた。 僕はその事態の不可思議さに首を傾げていた。 自販機一つ分の十円玉のほとんどが、『ちんこ』の落書き付きに変えられている? それは悪戯だとすれば大がかりだし、まともな方法では不可能に見える。 「姉貴が言った通り、ウチの学校ははっきり言ってバカ高だよ。これくらいの悪戯は日常茶飯事だ。十円玉に落書きをするくらい誰にでも出来るし、ほんの数枚出て来るだけなら、大してウケもしないで終わる。誰かがまたバカやってるなーでおしまいなんだが」 「釣銭のほとんどがちんコインだと貴様は抜かしたが、ほとんどというのは具体的にどれくらいだ?」 ゲンバクの問いに、ほとんどはほとんどだよ、と飛鳥くんは答える。 「俺の体感だが九割を超えてるな。学校の皆、その自販機からは基本的にちんコインで釣銭が出ると思っている。おそらく、誰かがどこかのタイミングで、自販機の中の十円をちんコインに替えているんだろう」 でもどうやったらそんなことが出来るんだ? と飛鳥は小首を傾げた。 「別に難しいことだとは思わんな。十円玉を大量に入手するだけなら銀行に行って両替をすれば良い。あまり大量だと手数料が必要になる場合もあるが、同じ硬貨が五十枚包まれた硬貨ロールというものが誰にでも手に入れられる。それを何束か入手して、手作業で一枚一枚『ちんこ』と記載すれば良い」 「ちんコイン職人という訳だね」 僕が言うと、赤松さんは「ちんコイン職人!」と叫んで笑い声を強めた。 「でもそれをどうやって自販機の中に入れるんだよ?」 飛鳥くんは訝るような目をしている。ゲンバクは鼻を鳴らして答える。 「これもやはり手作業だ。自販機に十円玉を大量に投入した後で、何も買わずに釣銭レバーを引いて硬貨を排出すれば良い。そうするとメーカーにもよるが、元々中にあった硬貨と投入した硬貨が入れ替わる。これをまともな十円玉が排出されなくなるまで繰り返せば、釣銭は全てちんコインと化す訳だ」 「いつ誰がそれをやるんだよ」 「人のいないタイミングを狙う必要があるだろうな。やっていることは不振極まりないし、学校の敷地内なら教員の目もあるだろう。深夜に忍び込んでいる学生でもいるのではないか?」 「それはない。ウチの高校はバカ高の癖に、いやだからなのか警備はしっかりしてて、夜中中はいつも警備員が巡回している。例の自販機は特に警戒されているはずだから、そんな手のかかる悪戯をして見付からないはずがない」 夜間警備なんてものがされているのか。 ウチの小学校ではそんなものはない。無人警備の設備すら碌なものがない。古いし。 高校というのは小学校と比べて金のかかった施設であるらしかった。 「何か上手くやる方法があるんじゃないか?」 「それを解き明かして欲しいんだが……しかし校舎自体夜には閉鎖される訳だし、そんな方法、ちょっと思いつかないんだよな」 飛鳥は苦汁を飲んだように眉を潜め、腕を組んだ。不思議がるように唇を尖らせている。 その様子を見て、僕は疑問に思って尋ねた。 「でも飛鳥くん。どうして飛鳥くんは、その事件について僕らに調べさせようと思ったの?」 「あ? なんでって、そりゃあ姉貴に何か謎を持ってくるようせがまれたからで……」 「それにしては、本気で困っているようにも見えるんだよね」 「…………まあ、正直それもあるんだがな」 飛鳥くんは小さく息を吐いた。 「新保先生っていう生徒指導の先生がいて、とんでもない頑固親父なんだよな。生徒が学校で行う悪戯がとにかく許せない男で、このちんコインに対しても相当にオカンムリなんだよ」 「そんなの放っておけば良いんじゃないの?」 「そいつが部活の顧問なんだよ。しかもその自販機は部の更衣室のすぐ前にあるもんだから、俺達の誰かがやっているとずっと疑われてる。犯人が見付かるまでランニングの量を増やすとか、ふざけたことまで言って来ている」 それは大変だ。 「しかも被害は俺達生徒だけにとどまらず、若手の先生達にまで及んでいる。新保は若手の先生に先輩命令を下しシフトまで組んでその自販機の前で立たせ、見張りを行わせるんだ。そんなことをすれば業務が滞るのは当たり前だから、先生方は毎日残業だ。生意気な悪戯坊主の思い通りにはさせんのだぁ、なんて張り切っている」 「気合入り過ぎだろ」 なんでその新保先生はそこまでの憎悪をちんコインに向けるんだ。 「今では偏屈な新保だけど、若い頃は押し出しが弱い性格で、生徒達の悪戯に苦労させられたらしいんだ。特に下ネタの類にはトラウマがあるらしく、『新保』という苗字をもじって『チンポ先生』という蔑称を付けられた苦い思い出があるそうなんだ」 確かにシンポとチンポは響きが似ている。 名前を使って人をからかうのは、それもちんぽ先生とか言うのはすごく失礼なんだけど。 「そのあだ名をネタにしたからかいというかいじめというか、いずれ生徒達の悪戯は陰惨を極めたそうだ。担任を持っていたクラスに出勤したら、黒板に『ちんこ』って書いてあったなんてのはほんの序の口。運動場に学習机で『ちんこ』の文字を並べられたとか、廊下の薄汚れたタイルを皆で磨き上げて『ちんこ』の文字だけが残るようにされたとか、卒業文集ではクラス全員が一致団結して『ちんこ』の縦読みを仕込んだりだとか。そうしたつらい経験を乗り越えて今の厳格な教師になって行ったというお人だから、とにかくちんこ絡みの悪戯を深く憎んでいる訳なんだ」 「それは……まあ憎むだろうね」 一番の問題はそのちんコインではなく新保先生の人格にあるんじゃないかと思っていたが、そうした事情があるのなら同情も出来るような気がする。 その新保先生に溜飲を下げて貰う為にも、何とかちんコインの製造元を炙り出し、正体を暴いて悪戯を止めさせる必要があるだろう。 「事情は分かったよ。僕達なりに、何とか調査してみるよ。……そうだよね、ゲンバク」 水を向けられたゲンバクは横柄な様子で頷いた。 「この俺に依頼したからには安心するが良い。必ずや事態を究明して見せる」 〇 飛鳥くんはこれからアルバイトがあると言って僕達の前を去って行った。 まずは聞き込みから初めてみよう、と指揮を執るゲンバクは言った。 「今ならばまだ第三高校にも残っている生徒はいるだろう。怪しい人物の噂など聞けるかもしれん」 「確かに、まずは情報を集めないことには何も始まりませんからね」 赤松さんが合点した様子で頷いた。 「この事件は何としても解決せねばいけません。気合を入れて聞き込みに臨みましょう」 そう言って熱意を見せる赤松さん。 日頃から真面目な人ではあるけれど、それをあからさまに表に出すのも珍しい。何かあったのだろうか? 「そしてセンパイ。貴様は生徒の振りをして第三高校に侵入しろ。有益な情報を集めて来いとまでは言わんが、件の自販機周囲の状況をスマートホンで撮影して来るのだ」 「そんなことどうやってやんのさ」 「出来るだろう。見た目は大人、頭脳は子供が貴様の取り得だろう」 「取り得って何?」 「長所という意味だ。他はまるでダメだが、辛うじてそこだけは良いということだ」 「わあい! 褒められた!」 ゲンバクの暴言にセンパイはもろ手をあげて喜んだ。 「でも三高制服あるよね? 小学校の服着て行ったらバレちゃわない?」 その通りだ。 正門の前には警備員らしき男がずっと立ち続けている。第三高校以外の生徒が入ろうとしたら、おそらくつまみ出されてしまうことだろう。 「心配せずとも、三高の制服ならここにある」 どのように仕舞っていたのか、何故持ち歩いているのか、ゲンバクは懐から三高のセーラー服を取り出してセンパイに渡した。デザインの良い紺色のセーラー服。 「なんでこんなの持ってるの?」 「ふん。俺の愛好する美少女ゲームやアニメのヒロインキャラクターは、高確率で女子高生か女子中学生だ。よってセーラー服にも個人的な憧れがあり、体格の良いセンパイには一度着て貰いたいと思っていたのだ」 気持ちの悪いことを堂々と言うゲンバク。 「なんか湿ってるんだけど」 「何度か『使用』したからな。それに肥満の人間は常人の数倍汗をかく。その懐に入っていたのだから当然湿る」 「あたしこれ着るの?」 「着ずしてどうやって三高に潜入するというのだ?」 「そっか」 素直でアタマが弱くものを良く考えないセンパイはあっさりと承諾して、その場で着替え始めた。 「……嫌なら断って良いんですよ」 赤松さんは心配げな表情をする。 「というか、こんなところで着替えたらいけません。こっちに来てください」 近くのコンビニのトイレで着替えて来たセンパイに、紺色のセーラー服は良く似合っていた。 採寸はぴったりかやや小さめ。特に豊かな胸部と大きめの臀部は、ぴっちりむっちりとしている。 スカートはミニで、制服と一緒に用意されていた黒いニーソックスとの間に、センパイの白い太腿が目に眩しい。 全体からほのかにゲンバクの体臭がするのだけがとても残念だった。 「うむ。完璧だ」 ゲンバクは作品を鑑賞する陶芸家のような目線でセンパイを足元から観察した。 「似合ってる? カワイイ?」 「カワイイ、カワイイ」 ゲンバクは普段の横柄そうな口調を取っ払い、素直な感想を述べてかくんかくん首肯した。 「えへ。可愛いんだ」 褒められてセンパイは屈託のない様子でほほ笑んだ。微かに頬も染めている。確かに可愛い。 「本当によく似合ってますねぇ。わたしはまだ顔も体も幼いので、こうはいかないでしょう。羨ましいです」 赤松さんが憧憬を込めた表情を浮かべた。 「えへ。目ぇ覚めたら身体が大人になってた時はびっくりしたけど、こういう時はちょっと嬉しいよ」 それから全員で三高の前に移動して、センパイは校舎内に侵入。僕達は正門の前で校舎から出て来る生徒達に聞き込みを手分けして行った。 三高の生徒の多くは良い人で、気さくで僕達にも話しやすかったが、中には横柄な人もいて、声を掛けても退けられてしまう展開もあった。 「ガキが話しかけて来てんじゃねぇよ」 という訳である。いや、実際そう言われた訳じゃなくとも、態度としてはそんな感じだ。 「愚物共。俺の半分程度の体重しか持たない癖に、口を慎め。さっさと情報を吐け」 そう言い返したゲンバクと金髪の男子生徒が喧嘩になりかけたが、赤松さんが上手く仲裁して事なきを得た。 「気を付けないと危ないですよ」 「ふん。この俺があんなチンピラに負けるものか」 「でも心配ですから」 そんな失敗をしつつも、他の親切な人から聞き出せた情報は以下の通りだ。 まず、自販機へのジュースの補充は毎週木曜日に行われるらしい。この時に売り上げの回収及び釣銭の補充も行われるそうだ。補充にやって来る人はだいたい決まっていて、三十歳程でハンサムで愛想も良い鴻巣という男で、生徒達の間でも人気があるらしい。 次にこの学校に来ている警備員の内、夜間警備を行う者は二人いる。夜勤という奴で、先生方が帰宅する六時から翌朝の八時まで、一日交代で校内の巡回を行っているようだ。この二人の素性は生徒にはあまり知られていないが、昼間の警備を担当する主な人員である桑島という男は悪い意味で有名で、三高生が友達を校舎に招こうとすると激しく恫喝するそうだ。 ちなみに校内に監視カメラの類は設置されていない。一度は設置が検討されたものの、生徒のプライバシーなどを理由に反対されたらしい。 尚、先生方の勤務時間中の自販機の警備は本当に厳重で、常に若い先生の誰かが新保先生により警備に当たらされているようだ。そんな新保先生の被害者の中でも最もこき使われているのは外崎という新任教師で、担任を受け持っておらず碌な仕事も与えられていないことから、業務時間の半分近くを例の自販機の前で過ごすのだそうだ。可哀そうに。 「これ、自販機の補充の人が犯人って可能性ありませんか? 警備員の二人も怪しいです。一人で警備をするのなら、コインを仕込む時間はあるはずですし」 「完全に排除するのは難しい可能性だが、それ以上ではないな」 「自販機の前で警備をさせられる先生方の誰かが犯人ってことはないかな?」 「可能性としてなら言えるだろうが、やはり蓋然性には乏しいと言える」 軽く議論をする僕達の傍を、二人組の女子高生が通り過ぎた。 大口を開け、甲高い声で喋っている。歯茎がボロボロで、なんだか肌艶も悪い。 僕達は二人の会話になんとなく聞き耳を立てる。 「いやいや絶対フカシだって。あーしらの気ぃ引きたいだけだよ」 「そうかなぁ。でも、十円玉ムッチャ持ってたし」 「つってもあんなん誰にでも用意できるでしょ? それか模倣犯系?」 「やっぱ気になるから電話掛けてみよっかな?」 「やめとけし。あんな風にバンゴー教えて来る奴に碌な奴いないし」 「でも制服着てたしウチの生徒っしょ? オヤジってんならともかく、危険ってことはないんじゃね? 顔もちょっとは良かったし、おもしろいんじゃね?」 僕らは思わず顔を見合わせた。「おい。そこの女ども」と絶対に失敗する声掛けをしようとするゲンバクを僕が黙らせている間に、赤松さんが彼女らの前に立った。 「すいませんお姉さん達。ちょっとよろしいでしょうか?」 「あ? 誰こいつ?」 二人組は顔を見合わせた。 「知らね。近所のガキじゃね」 「わたし達。ちんコ、ちん、ち、ち……あははははは!」 ちんコイン、を言い切ることが出来ずに笑い出してしまう赤松さん。 「あははははは! あは! きゃはははははははは!」 「は? 何こいつ?」 「キモいんですけど。怪しいんですけど」 ドン引きしている少女達。下ネタに笑う時の赤松さんの姿ははっきりいって常軌を逸しているので、初めて見る人はだいたい戸惑う。 「すいません。ついおかしくて」 赤松さんはその強い自制心で笑いをどうにか噛み殺した。 「それで、ちん……ぷぶっふぉっ。ちん、ちんコインについて……ぷぷぷ、今のお話を詳しく伺いたいのですが」 「あーん? 今急いでるんですけど」 「お時間は取らせないようにしますので。少しだけでもお話できませんか?」 「無理だね。めんどいし」 「どうしても都合が悪いようでしたら、時間のある時を教えていただければこちらから伺います」 小学生とはとても思わない物腰で、女子高生達に食い下がる赤松さん。 探偵団としての責務を果たそうと健気に頑張っている。キュートだ。一生添い遂げたい。 しかし女子高生には、どういう訳かその態度が気に食わなかったようだ。 「なんかこましゃくれたガキだね。ムカつかない?」 「言えてる。わたくし優等生でござい、みたいなさ。うちらの嫌いなタイプっつうか」 そして、少女の内の一人が赤松さんを不躾に指さした。 「つうかさ。こいつなんか見覚えあるわ。ひょっとして赤月いのりじゃね?」 「あ。確かに。良く気付いたね~。最近見ないのに」 少女達は嗜虐的な微笑みを浮かべ、口調を攻撃的なものに変えた。 「消えたよね~一時はまあまあ色んなとこ出てたのに」 「そうそう。干されちゃったんだ。ブスだからしょうがないけど」 「言えてる! 大して可愛くもないんだから、調子乗っちゃダメだよ」 赤松さんは悲しそうな、というより怯えたような表情を浮かべながら、言い返すことはなく立ち尽くしている。 どうして初対面の年下の女の子に、これほど酷い言葉を投げかけようと思えるのだろうか。 「大人びた受け答えとかお利口さとかで、理想の娘とか言われてオタク以外にジジババに受けてたみたいだけど。あたしはかなり嫌いだったよ。大人に媚び売ってる感じがさ。あんたと話すことなんて、何もないよ」 言いながらも、少女は一応テレビに出ていた人だからという理由でだろう、赤松さんの許可も取らずに不躾にカメラを向ける。 「すいません。あの、それは困ります」 「良いじゃんかよ。減るもんじゃないし」 下卑た笑みを浮かべて、女子高生たちは赤松さんにカメラのピントを合わせて行く。 「ちょっと待てよ」 僕がそこに間に入った。 「勝手に人のこと撮影するなよな」 「あ? 別に良いじゃん。邪魔しないでくれる?」 「SNSにアップするつもりだろ? 赤松さんは今アイドルを休職して療養中の身なんだから、そういうの困るんだよ。そこから住んでるところがバレたりするかもしれないだろ?」 「うぜぇな。どけよガキんちょ」 僕は女子高生に胸を突き飛ばされ、尻餅を突く。 立ち上がる間もなくシャッターが切られ、女子高生たちは下品な声で笑いながらその場を歩き去って行く。 「姫島くん。大丈夫ですか?」 赤松さんが心配した様子で駆け寄ってくれる。 「ごめんなさい。わたしの為にこんなことに」 「良いんだよ。気にしないで。それより」 僕は女子高生たちの背中に向けて吠えかけた。 「待ちなよ。あんた達」 「あ?」 女子高生二人は僕の方を振り返る。 威圧するような下品な眼光に、僕は怯むことなく懐から二つの財布を取り出して掲げた。 「これ、あんたらのだろ?」 二人は驚いた様子で自らの懐を調べ、そこから財布が消えていることに気付いて、僕の方を焦った表情で見つめた。 「どうしてそれをおまえが持ってるんだよ」 「そっと抜き取っただけだよ」 「ふざけんな! 返せよ!」 「返すよ」 こっちはね、と言いながら、僕は女子高生達に財布を投げ渡す。 「でもこれはどうしようかなぁ?」 そう言って僕が掲げ持つのは、女子高生の財布の中に潜んでいた、白い粉の詰まった袋だった。 悲鳴を上げる少女達。 彼女らの歯はボロボロで肌艶もくすんだように悪かった。まだ十代である彼女達の肌や歯が、そこまで悪くなるというのは考えづらい。一人ならまだ何かしらの病気や体質が原因とも解釈できなくもないが、二人となると何か共通した原因がある可能性が高い。 きっとこういうものを持っていると、僕は踏んだのだ。 「これを今からあんた達の学校に持って行く。まさか小麦粉なんて思われないよなあ」 「てめぇ! 帰せよ」 掴み掛って来る女子高生二人をひらりと躱す。そして僕の脇を抜けて後ろから突っ込んで来たゲンバクが、二人に向けてダイブした。 「どすこい!」 「でぶぅ!」 身体の面積の大きなゲンバクの必殺ボディプレス・攻撃は、女子高生二人にまとめて覆いかぶさって、地面との間に押しつぶした。 「うぎゃあああ。デブだ! デブに襲われた!」 「重いぃ。暑いぃ。気持ち悪いぃ!」 悲鳴を上げる少女達。僕は彼女らの前に立ち、白い粉の入った袋をぴらりぴらりとやった。 「これを返して欲しかったら、写真を消して赤松さんに謝れ」 「ちんコイン製造犯の情報を寄越すことも忘れずにな」 女子高生二人に覆いかぶさりながら、ゲンバクが不敵な顔で言った。 〇 「なんかぁ。昨日学校終わって家に帰ってたらぁ、ウチの学ラン来た男子が声掛けて来て。『巷でちんコインって話題になってるでしょ?』とか言って来たのぉ」 写真を消させ赤松さんに深く謝罪させた後、女子高生達はちんコイン製造犯についてゲンバクの尋問を受けていた。 「それでぇ。『あれ作ってるの俺だよ!』とか言って来てさ。信じられないっつったら、ポケットから大量の十円玉の棒金見せ付けて来て……」 「確か電話番号も伺ったんですよね?」 と赤松さん。うん、と女子高生は頷いて。 「『興味があったら詳しく話を聞かせてあげるよ』とか何とか。番号描いた紙押し付けて来た」 「その番号とやらを俺に教えろ」 二人はゲンバクの言う通りにした。教わった番号を赤松さんのスマホに登録させると、ゲンバクは「その男の特徴について詳しく教えろ」と言った。 「特徴? 強いていうならまあ、ちょっと大人びてたな? 三年か二年かも。一年ってことはないと思う。ウチら一年だけど、あんな奴タメで見たことないし。後はまあ、ごく普通って感じ?」 「ごく普通じゃわからん。髪型や顔立ち、体型などはどうだ?」 「そんなん覚えてないっつか。上手く言えないよ」 「髪は長かったか短かったか。背は高かったか低かったか」 「短くて、高かったかな。顔立ちは、ごめん。良く分かんない。ちょいイケメンだったけど、それだけ。どう説明したら良いか」 「ならば、いい。胸の名札にはなんとあった?」 「付けてなかった。外してたから」 「そうか分かった。貴様らにもう用はない。失せるが良い」 興味を失くしたように背を向けるゲンバク。それに続く僕と赤松さん。 「ちょっと待てよっ」 女子高生の一人が僕に向けて吠えた。 「クスリ、返せよ! 約束だろう?」 僕は振り向いて女子高生に白い粉の入った袋を手渡した。 「やめた方が良いと思うよ」 「うるせぇ。これを飲むと痩せるんだよ」 「貴重な体重を減らす為にわざわざ薬を飲むとは。愚かだな」 ゲンバクが呆れたように言った。 「体積は減らすより増やす方が遥かに有益なものを。欲望を豊かに満たし続ける者だけが蓄えられる価値あるもの、それが体脂肪だ。貴様らがもう五十キロも太ければ、勝負は分からなかった」 「黙れデブ。力士でも目指してろ」 捨て台詞を残して、少女達は立ち去った。 「有益な情報だったな」 「そうですね。あの、お二人とも、本当にありがとうございました」 赤松さんは深々と頭を下げる。 「気にしないで」 「団長として当然のことをしたまでだ。さて」 ゲンバクは赤松さんに手の平を差し出す。 「スマホを寄越すが良い。早速その犯人とやらにコンタクトを取ろう」 「もう掛けちゃうの? 皆で相談して、作戦を練るとかしてからの方が……」 「巧遅は拙速に劣る。迅速な行動こそが最良の結果を生む唯一の方法なのだ」 赤松さんはゲンバクのぶよぶよとした掌にスマートホンを置いた。 ふとましい指で操作をし、スピーカーモードにして犯人に電話を掛ける。 「もしもし?」 男の声が出た。 「貴様がコインの製造犯か?」 「……は? 誰、あんた?」 製造犯(?)の声は武骨そうな男性の低い声だった。 「貴様について調べている者だ。たった今こうして貴様にたどり着いた」 「いやだから誰だよ」 「一度対面させていただきたい」 「俺にどんなメリットがあるんだよ? 女ならともかくさ。ふざけんなよ」 「なら今から画像を送る女を連れて来てやろう」 「え? マジ?」 「あんなアバズレ共に声を掛けるくらいだから女に飢えているのだろう。必ず眼鏡に叶う女の写真を送るから待っているが良い」 ゲンバクは通話を切った。 「わたしの写真を送る気ですか? あの、それは困りますし、何よりわたしはまだ小学生なので、その犯人さんのお眼鏡には適わないと思いますが……」 赤松さんが謙虚にそう口にする。 確かに、赤松さんの容姿は垢ぬけて大人びている方ではあるが、しかしこの電話口の男が求めているのは、交際相手に成り得る女性だ。高校生と付き合うのなら、せめて中学生くらいじゃないとまずいのではないか? 「安心しろ。貴様ではない」 ゲンバクがそう言うと、校門の方から聞きなれた喚き声が聞こえて来た。 「赤松さぁん! 姫島くんゲンバクぅうう! 助けてぇえええうあああああ!」 センパイの声だった。 目に涙を浮かべ、鼻水をずるずる流しながら、クッソ情けない顔で三十代程の教師に連行されている。 「君達が、この子と一緒に来てるお友達?」 「そうだ」 ゲンバクが胸を張って答えた。 「この子、三階の窓から飛び降りようとしたんだけど……」 何があったんだ。何をやらかしたんだ、センパイ。 「聞いてよ皆! あたしね、外に出たかっただけなの! 校舎の中すっげー入り組んでて一回入ったら自分がどこにいるか分かんなくなってさっ! 皆のところに帰りたいんだけどどこに行ったら良いか分かんなくて、困って怖くてつらくて、気付いたら三階にいて! そしたら窓から皆が立ってるのが見えたからさ! 嬉しくなって! ようし早速皆のところに行こうって窓から降りようとしたら、この人に捕まったの。そしたら本当はここの生徒じゃないってバレちゃって……」 「いやなんで窓から降りれると思ったんだよ死ぬに決まってんだろ」 僕は言う。いくらセンパイでもそんなこと普段しないだろ。 「だってしょうがないじゃん一生出れないかもしれないと思って怖かったんだからっ。せっかく皆に会えるチャンス、一か八かで壁伝いに降りたくもなるじゃんっ」 センパイは気が高ぶると高所にある窓からも平気で降りようとする悪癖がある。 落ちたら死ぬというリスクを実際よりもかなり低く見積もっているのだ。バカだから。 壁伝いとかいつも言ってるけど、そんなの出来る訳がないだろうに。猿じゃないんだから。 学校に復帰したばかりの頃なんて、いじめっ子に窓の傍まで追い立てられて二階の窓から飛び降りたりした。 その所為で今ではウチのクラスの窓には格子が設置されていたりする。 「だが無事に戻って来れたなら良かったではないか。それで? 現場周辺の写真は撮れたか?」 「それはその、無理だった。考えてみればどれがコインの出る自販機なのかなんて分かんないし。それでも何か分かるかなと思って校舎の中ずっとうろうろしてたんだけど、結局何も分からなくって。……でも頑張ったんだよ? 本当だよ?」 「無能が」 ゲンバクはセンパイの努力を一言で切り捨てた。 「バカにしないでよあたし一生懸命頑張ったのにぃいい! 頑張って生きてるのに! 大変なのに! 何であたしばっかりこんな目に遭うの? 酷いよ酷いよ! もう世界中みんな死んじゃえば良いんだうゎあああああん!」 さめざめと泣き喚くセンパイ。その肩を優しく抱いて慰めてあげる赤松さん。 人に聞くとか飛鳥くんに電話するとか、色々あっただろうに。思いつかなかったのか。 それも思いつかなかったのなら、せめて迷う前に一度こちらに戻って、どうすれば良いか相談しにくれば良かったのに。それもしなかったのか。闇雲に行動して道に迷ったのか。 まあ、無能だ。 可哀そうだが。この子は無能だ。 「どうやってこの子、ウチの制服なんか手に入れたの?」 と教員。 「ふん。企業秘密だ」 「いや企業秘密じゃなくってね……。そういうことされると困るんだよ。ウチの制服着て入って来られたら、僕達教師はもちろん、桑島さんのこともすり抜けちゃうし」 「昼間は昼間で、警備会社の者が常駐しているようだな」 「そうだよ。ベテラン警備員の桑島さん。他に夜勤担当に遠藤と蛇谷さんがいるね」 「警備員はその三人だけか?」 「主にはね。実際には調整要員として警備会社から別の人員が送られることもあるが、レギュラーメンバーと言えるのはその三人だけだよ」 「どうしてそんな厳重な警備を?」 「ウチの生徒はやんちゃ坊主が多いからねぇ。先生達の力だけだとトラブルを抑え込めないのさ。昼は他校の生徒がお礼参りとか言ってウチの校舎に乗り込んできたりもするし、夜は夜でウチの生徒がガラスを割って校舎に侵入したりもするんだよ。大変さ」 やれやれとばかりに教員は肩を竦める。 そんなに簡単に学校の情報を喋って良いのかとも思うが、こっちは小学生だから油断があるんだろう。 まあ実際、こちらにも悪用するつもりはないんだが。 「だから君達も! こんな制服着せて不法侵入なんてダメだからね。れっきとした犯罪だよ。分かったね!」 子供相手ということで、教員はそのくらいの注意で済ませて解放してくれた。 「うぅうう。怒られたよう。怖かったよう」 「つらかったですねぇセンパイ。皆の為に頑張ってくれて大変でしたね」 いつ泣きついても優しく慰めてくれる赤松さんに、いつものように縋りつくセンパイ。 とーんとん、とーんとん、のリズムで背中を叩いてやっていると、やがて落ち着いたようでセンパイは目付きをうとうとさせ始めた。 「むにゃ……。泣き終わったら眠い」 「寝ますか?」 「うん寝かしつけて」 子供か。 「待て。寝るな。寝ても良いがその前に一枚写真を撮らせてくれ」 ゲンバクが言う。 「……ん? どうして写真撮るの? セーラー服のあたし可愛いから撮っときたいの?」 「それは否定しない、と言うかその通りなのだが他に理由もある」 「なんそれ」 「ある男に送りつけるのだ。謎を解き明かす為にな」 ……大丈夫なんですか? と赤松さんは漏らすように言った。 〇 電話番号が分かれば画像を送りつける方法などいくらでもある。 ……と、ゲンバクは言った。僕もスマホは持ってるが、ちょっとピンと来ない。 だが赤松さんはゲンバクと同じ意見であるようで、二人で相談しながら何かと手を尽くし、男に画像を送りつける算段を整え、実行した。 すると男から電話が掛かって来た。 「で、俺はこの巨乳ちゃんにいつどこで会えるの?」 今からだ、場所は西公園だ、と素早く話をまとめるゲンバク。 僕らは西公園で自称ちんコイン製造犯を待ち受けた。 「よう」 彼はすぐやって来た。 女子高生達が『ちょいイケメン』と言うのも分かる、鼻筋の良く通った精悍な顔立ちの持ち主。背は高く百八十センチ以上と飛鳥君と同じくらいあり、引き締まった身体つきをした偉丈夫だった。声が渋いのも相まって、高校生の中では比較的大人びて見える。第三高校の制服を身に纏っていたが、女子高生と会っていた時と同じで、名札は身に着けていなかった。 自称ちんコイン製造犯はセンパイが立っているのに気が付くと、途端に鼻の下を伸ばして「ひょー」とにじり寄った。 「巨乳ちゃーん! 約束守って来てくれたんだね!」 「約束? したっけ。でも、うん」 センパイは初対面の相手に照れたように頷いた。 「なんかゲンバクに言われて、来た」 「何でも良いよぅ。名前なんていうの?」 「野上やよい。やよいはなんか難しー字。皆にはセンパイって呼ばれてる」 「やよいちゃーん。俺と一緒に遊ばない?」 「遊ぶの? ここ公園だもんね。良いよブランコしよ。あたし漕げないから後ろから押して」 「俺っち後ろからじゃなくて前から押したいなぁ。上の方をさぁ、こう、むにっと」 「……? 何で前から押すの? むにっとって何?」 セクハラをするちんコイン製造犯と、何も分かっていないセンパイ。 身体は大人なのにアタマは小学生以下のセンパイ。そそるのだろう。製造犯は鼻の下が伸びきってセンパイと話すのに夢中だ。 「その女は好きにしてくれて構わないが」 ゲンバクが団長として失格なことを言った。 「だがその代わりに、俺と少し話をしてくれないか?」 「話って何? つかあんたら偉く幼いね。小学生の高学年とかじゃない? そこのやよいちゃんはどう見ても高校生以上だけど……」 「あたし小学生だよ」 「またまた冗談言ってぇ」 「貴様がちんコインの製造犯だというのは本当か?」 ゲンバクの問いに、自称製造犯はどこか誇らしげな表情で。 「そうだけど?」 「それを証明する方法はあるか?」 「これ見せたんじゃダメ?」 自称製造犯は懐から十円玉の棒金を大量に取り出してベンチの上に並べた。 「うわっ。お金一杯だ! ねぇ、ちょっとちょうだいよ。それかお菓子買って!」 目を輝かせるセンパイ。 「良いよ~いくらでも上げる。その代わり俺と一緒にお茶しない?」 「お茶飲むの? お茶なら水筒に入ってるのあるよ。ジュース入れたら怒られるもんね」 嚙み合わない会話に脱線しそうになる二人。そこにゲンバクが小学生の癖に妙に威厳のある声で言った。 「それでは何の証明にもならん。そんなものは誰にでも持ち歩ける」 「じゃあどうすんのよ?」 「次にそのコインを仕込む時は、何か別の言葉にして貰うと言うのはどうだ? それは犯人にしか出来ないことだから証明になる。それが済んだら、今度こそその女を好きにして貰って構わない」 「別の言葉? まあ良いけどね。そんなのはどうとでも考えられる訳だし」 自称製造犯は肩を竦めて頷いた。 「でもさ。何でそんな証明にこだわるの?」 「我々探偵団は確実な業務遂行をモットーとする。犯人が貴様と断定できなければ意味がないのだよ」 「探偵団かぁ。俺も子供の頃そう言うこと良くやったよ。懐かしいねぇ。ノスタルジーだ」 若干遠い目をする自称製造犯。 「そんなことを言って、貴様もまだ子供だろう?」 ゲンバクは言う。 だが、高校生というのは僕ら小学生から見たら遥か大人に見える。 僕らに出来ないことを何でも出来るし、マンガやアニメなんかでは主人公として世界を救うことだって多い。飛鳥くんだって、バイトをして自分でお金を稼いでいる。 でも学校に通っているのなら、本当の大人よりは大人じゃないのだろうか? 「……そんなことはないぜ。少なくとも、おまえが思っているよりは大人だよ」 自称製造犯はそう言って立ち去ろうとする。 「待ってください」 僕はそんな彼を呼び止めた。 「あの、名前を教えてくれませんか?」 「それは言えないな。素性を学校にチクられると面倒だからね」 「しかし、こちらは既に電話番号を知っているのですから」 「ああ。それは問題ない。学校には教えていない方の番号だからね」 飄々とそう言って、自称製造犯は最後にセンパイに手を振って公園の敷地から出た。 「また会おうね。やよいちゃん」 言われたセンパイは、無邪気な顔で「うん。またね」と手を振り返していた。 自称製造犯が帰った後、赤松さんが珍しく眉を潜めてゲンバクに抗議した。 「ちょっとゲンバクさん。酷いじゃないですか。センパイのことをまるで物みたいに差し出したりしてっ。何かあったらどう責任取るつもりなんですか?」 「ふん。センパイもまた我が探偵団の誉れ高き団員の一人だ。事件の解決の為ならハニー・トラップを仕掛けるくらいのことは厭わないだろう」 そうなの? と小首を傾げるセンパイ。 「くれぐれも嫌なことは嫌と言うんですよ、センパイ」 「なんか嫌なことあるの?」 「身体触られそうになったり、変なところに連れて行かれそうになったり……」 これから起こりうることとその対策について、丁寧にセンパイに言い含めている赤松さん。 見目麗しいだけでなく心優しく面倒見が良く思慮深い。素晴らしい赤松さん。 結婚したい。 「結局、顔は見られたけれど、素性は分からず仕舞いってことなのかな?」 僕が言うと、赤松さんは神妙に頷いた。 「そうですね。依頼を達成しようと思ったら、さっきの人の名前や学年が知りたいところです。第三高校の生徒ということは分かっていますので、いっそ似顔絵でも書いて見せて回りますか?」 「いや。その必要はない」 そう言ったのはゲンバクだった。 「センパイ。明日の放課後になったら飛鳥に聞いておけ。十円玉に描かれている文言は変わったかどうか、とな」 「え? うん。分かった」 センパイはちょんと頷いた。 「きいとく」 「いきなり明日なの?」 と問いかける僕に、ゲンバクは答える。 「ああ。俺の予想が正しければ、コインの文言は明日にも入れ替わる」 「どうしてそんなことが言えるの? 犯人がコインを入れ替える方法も分かっていないのに」 「そんなことはない。方法はもう既に分かっている。あの男を追い詰める手段もな」 ゲンバクは自信満々に言った。 「後はもう裏を取るだけだ。依頼完遂の時は、もう目前にまで迫っている」 皆はあっけにとられてゲンバクの方を見た。 〇 翌々日。 朝登校して来たセンパイは、僕達探偵団のメンバーの前でこう言った。 「コインの言葉、変わってたって!」 「何になっていた?」 「うんこ!」 聞いていた赤松さんがぶぅうううーっ! と激しく噴き出して、椅子から転げ落ちて床を叩きながら大笑いし始めた。 「アハハハハハハ。うんこって! ちんこの次はうんこって! アハハハハハハ!」 いつもの光景なので特に気にすることはなく、僕はゲンバクの方に視線をやった。 「ゲンバク。これって……」 「うむ。間違いない。あの男こそがちんコイン製造の犯人だ」 ゲンバクはセンパイに向けて掌を差し出した。 「スマホを出すが良い。今日の放課後、西公園にもう一度あの男を呼び出そう」 「最後の直接対決という訳ですね」 赤松さんが緊張した様子でそう言って頷いた。 〇 放課後である。 午後四時過ぎ、製造犯の男は気だるげに頭をかきながら現れた。 「よーっすちびっこ探偵団ウィズやよいちゃん。俺がコインの製造犯だってことは分かったかな?」 「ああ。はっきりと」 ゲンバクは太ましい首を折り曲げて頷いた。 「じゃあそこのやよいちゃんとデートさせてくれるね?」 「お互いが望むなら好きにするが良い。それが自由恋愛である以上、外野が嘴を突っ込むのは無粋というものだ」 「ははは。君さ、本当に小学生?」 「だがセンパイを差し出す前に、俺の推理を聞いて貰おう」 「推理? 何の推理だよ」 「貴様の素性についてだ」 「調べたのか?」 「調べるまでもない。貴様という男の正体は本当に単純だ。推理と言う程のものではないな」 「へぇ。当てられるもんなら当ててみろよ」 「ならそうさせて貰うまでだ。貴様のイニシャルは『E』だな」 製造犯は思わずと言った様子で眉を潜めた。 「……ゲンバク。どうしてそれが分かるんだ?」 自信満々に言ったゲンバクに、僕は思わず目を丸くして尋ねた。 「いったい誰ならばちんコインを自販機に仕込めるのかを考えてみる。第一に、昼間授業が行われている間中、件の自販機にコインを仕込むことは不可能だ。外崎教諭を初めとする新保教諭の手先が自販機の周りを巡回しており、そう何枚も何枚もコインを投入していればお縄を掛けられること確実だ」 「ならばその先生方の誰かが犯人なのでは?」 赤松さんが言う。「ありえんな」とゲンバクは首を横に振った。 「その男が教員に見えるか?」 「それは……見えませんけど」 この男はどう見ても制服を着たただのティーンエイジャーだ。どう見ても生徒だろう。 「そうだろうな。その男の外見は広く取っても十代後半だ。二十歳くらいまでなら考えられなくもないが、とても大学を出ているようには見えない。つまり、教員ではない」 それ以前の問題だと思ったが、僕は口には出さなかった。推理の披露はゲンバクに任せて、聞き役に徹することにする。 「同じ理由で、自販機にジュースを補充する鴻巣という漢が犯人であるというのも考えられない。鴻巣は三十歳程のハンサムで愛想の良い男という話だったが、『男』以外のプロフィールはその男に当てはまらない」 「悪かったな。ハンサムでも愛想が良くもなくて」 でも三十歳でもないよ、とセンパイが無駄なことを言った。 「ならば夜間に侵入した生徒が犯人なのか? それも違う。夜の校舎には警備員が巡回しており、中でも件の自販機は特に警戒されていることから、一度や二度ならともかく何度もコインを仕込むのは不可能に近い」 「では誰がどうやって、コインを仕込むんでしょうか?」 「俺には一つ引っかかっていたことがあった」 赤松さんの問いに、ゲンバクは首を振ってこう口にした。 「センパイを摘まみだした教員が、学校の警備に当たる人材について話していた時のことだ。昼間の警備を担当する桑島や、夜勤の蛇谷などは『桑島さん、蛇谷さん』と敬称を付けられていたが、もう一人『遠藤』という男だけ呼び捨てにされていた」 ……『そうだよ。ベテラン警備員の桑島さん。他に夜勤担当に遠藤と蛇谷さんがいるね』 センパイを摘まみだした教員は、確かにそんなことを言っていた。 「それがどうかしたんですか?」 「仮に遠藤だけが年若いのだとしても、いくら何でも警備会社の、学校外の人間を呼び捨てにはしないだろう。にも拘らず、何故敬称が省かれたのか」 息を飲み込む音が聞こえる。 製造犯の男が発した音だった。緊張した表情で、ゲンバクが披露する推理に聞き入っている。 「遠藤は教諭の個人的な知り合いだったのではないか?」 ゲンバクは頬に笑みを浮かべる。 「それもおそらく、かつて第三高校の生徒だったのだ。俺の推理によればな。高校卒業後、近隣の警備会社に就職し、そのまま母校の夜間警備を担当している」 製造犯の顔色がみるみる悪くなっていく。 「そしてその遠藤こそが、ちんコイン製造犯の正体であり、目の前にいるその男の本名なのだ」 〇 「流石に飛躍が過ぎるだろ」 僕はツッコミを入れた。 「どこがだ?」 「その人が警備員だなんて、ありえないよ」 「どうしてだ?」 「だって……まず見た目が高校生くらいだし、それに第三高校の制服だって着ているし」 「高校を出てすぐに就職すれば外見は高校生とそう変わらないぞ? それに制服を着ているからと言って高校生徒は限らないだろう。つい一昨日、我らがセンパイが制服を着て第三高校の生徒に成りすましたのを忘れたのか」 「で、でも。いくら呼び捨てにされているからって、元生徒であるとは限らない訳だし……」 「まあそこは確実ではない。だが、犯人が夜間警備員であり、さらに第三高校の制服を所有していることは間違いがない」 「そうなのか?」 「まず犯人が第三高校の制服を所持しているということについては、まあ、見ての通りだ」 ゲンバクは男の着ている制服を指さした。 一目瞭然。持っていなければ着れないし、着ているというなら持っている。借りただけかも知らないが、同じことだ。 「そうだろう。通常の生徒にはコインを投入できるタイミングがない。そして自販機を管理する鴻巣でも教諭達でもあり得ないなら、残るは夜間警備員のどちらかということになる」 「うん。……確かにそうだ」 消去法でそうなってしまう。他の可能性は思いつかないし。 「となるとこの男は遠藤と蛇谷のどちらかということになる。ここまではかなりの確実性を持って断言できる訳だが、この内呼び捨てにされる遠藤と敬称を付けられる蛇谷と、その男に相応しいのはどちらだと思う?」 「それは遠藤……になるのかな?」 呼び捨てにされるんなら若いんだろうし……でも若いってだけでは先生に呼び捨てにされないだろうし。個人的な知り合いということになる訳だが、個人的な知り合いの内第三高校の制服を所持していそうな身分となると、やはり元生徒か。昔着てた制服を着ているのだ。 辻褄が合う。 「ミスディレクションだ。制服を着ているから生徒であると、この男は俺達に印象付けた。そして生徒でないのなら警備員という可能性が浮上し、警備員であるのなら遠藤である確率が高い。そして苗字まで分かってしまえば、裏を取ることは簡単だ」 「学校に問い合わせるのか。遠藤という、元生徒で今は学校に警備員として派遣されている男はいるのかと」 「その通りだ。そして今の推理を洗い浚い説明すれば、必ず遠藤のところに面談が行く。もしその男が遠藤なら、そうされるのは困るのではないか?」 「困るよ。物凄く困る」 製造犯は肩を竦めた。 「出来たらやめて貰えないかな?」 「認めるのか」 「ああ俺の負けだ。俺は遠藤だよ。第三高校を去年卒業した御年十九歳」 「何故そんなことをした?」 「何故って……。面白いからだろ?」 遠藤は露悪的な表情を浮かべた。 「自販機で買い物をして出て来るコインに卑猥な言葉が掛かれていたら笑える。それが毎回ならもっと笑える! それに激怒した生徒指導の新保が若手を引き連れて自販機の前にたむろしてる様も笑えるだろう? そういう笑える面白いことをやってのける奴は……モテる!」 自信満々に、高らかに遠藤は言った。 モテるのか? はたしてそれは本当に? 「良い自慢話だ。自慢話と言っても鼻に着くようないやらしさはどこにもない。ポップで、いて、すごいと思われつつ笑われてもいるような、そんなバランス感覚のある自慢話を持っている奴は、モテる! 俺はそんな自慢話を引っ提げて女を何人もナンパしてるんだよ!」 「わざわざ高校時代の制服を着て……か」 「ああそうだ。警備員ってのがバレないようにするにはそれが一番の隠れ蓑だし、同じ高校の生徒だと思われている方が成功率も高い気がする」 「成功したことはあるのか」 「いや、ない」 ないのかよ。 「まあ実際は後から正体を明かして『警備員だったの?』と驚かれたいってのもあるけどな」 照れたように頭をかく遠藤。 人を驚かせたり、騒がせるのが大好きな、筋金入りの愉快犯という訳だ。 「あのっ。ちょっと良いでしょうか?」 赤松さんが声を上げた。 真摯な表情で遠藤のことを見詰め、感情の籠った言葉を紡ぐ。 「あなたのしていることは、本当に面白いことだと思います。コインに卑猥な言葉を描くなんて、そんな面白い発想が出来るあなたを、わたしは心から尊敬します。何度も笑わせてもらいました」 尊敬しちゃうのかよ。 実際、何度も笑い転げてたしね。本当にこの人、顔と性格とアタマは良い癖に、笑いに関する感性の部分だけは狂人なんだよな……。 「ですが……それでもあなたには、もうこんなことをするのは二度とやめて欲しいんです」 「どうして?」 遠藤は目を丸くした。 「こんなに面白いことなのに? 君だって、楽しんでくれていたんでしょう?」 「そうですね。思わず笑ってしまいました。わたし、そういう言葉に少し弱いので。ちんことか……ぷぷぷっ、あはっ、ひひひひ……言われるだけでつい笑ってしまうので、我慢することが出来ませんでしたが。それでも」 ……あなたのちんコインで傷付いている人がいるんです。 赤松さんはそう言った。 「下ネタというのは、ちんことかうんことかそういうのは、ただただバカバカしくて楽しくて、人を笑顔にするものでなければならないと思います。しかし新保教諭は……過去に自身の名前をもじってちん……ちん……ちんぽ! ……ちんぽ、ちんぽ先生と! ……くくっ、ふ、ぶっほっ! あはははははははは! ひひひひひひひ!」 我慢できてないじゃねぇかよ。 自分の考えを語って相手を改心させる重要なシーンなのに、自分で『ちんぽ先生』って言って笑っちゃってしまっている。 「ちんぽ先生と……ぷっ、くくくっ……ちんぽ先生とからかわれ続けてたくさん苦しんだのだと言います。もしあなたがそのちんぽ先生、いや間違えた、新保先生に対する悪意やからかいの意味でちんコインを作っているのなら、そんなのはわたしの愛する楽しい下ネタなんかじゃない。ただの人を貶める為の暴言をコインに刻んでいるに過ぎないんです。そんな悲しいことってないと思いませんか?」 「そうか。……そうかもな。俺が間違っていたかもしれないな」 遠藤は赤松さんの言葉に感じ入ったように瞳を潤ませた。 そして天を仰ぎ、自身のしたことを省みるように神妙な顔で目を細める。 しばらくそうしていて、やがて自分の中で何かの答えを出したかのように前を向くと、赤松さんに向けてこう口にした。 「じゃ、次からうんこにするわ」 「はい! そうしてください」 いや違うだろ。 ダメだろ。 〇 その後ゲンバクと僕でどうにか遠藤を説得し、ちんコインにせようんコインにせよ、製造をやめることを約束させた。 「もう十分楽しんだから満足したよ。おまえらとの推理合戦も楽しかったし。それにあんまり続けて学校や会社にバレたら職が危ういからな」 遠藤は約束は守った。実際それは正しい判断だった。もっと早くそうするべきだった。 本当に。 それっきり、自販機からちんコインは排出されることはなくなり、新保先生の機嫌も元通りになった。自販機の前で若手教員が待機されられることもなくなり、飛鳥くん達バスケ部員にも平和が戻った。 「ようやく顧問の新保先生にランニングの量を増やされなくて済むようになるよ」 秘密基地にやって来た飛鳥くんは本当に感謝しているようだった。 「ありがとうなおまえら。おまえらに依頼して良かったよ」 飛鳥君はお礼にバイト代で山ほどのお菓子を僕らにプレゼントしてくれた。 事件の解明祝いということで、その日は羽目を外して皆でお菓子をたくさん食べた。 達成感に包まれながら仲間と大騒ぎするのは本当に楽しい時間であり、探偵団をやっている意義を感じさせられた。 やがて宴もたけなわとなり、帰宅する時間になる。名残惜しさを感じつつも、僕らは四人並んで山を降りて行った。 「今回もまたMVPは団長のゲンバクかな?」 「解決したのあたしが制服でコスプレしたからじゃんっ」 「何の役にも立たなかっただろうが。この愚物め」 「ですが遠藤さんをおびき出せたのは、センパイの色気のお陰じゃないです?」 やがて山を降り、僕達は分かれてそれぞれの帰路に着く。 ゲンバクとセンパイとはすぐに分かれるが、赤松さんは最後まで僕の傍に付いて来た。 「ねぇ姫島くん。わたし、最近ちょっと嬉しいんです」 「何がかな?」 「姫島君がまたその指先を使ってくれるようになって」 赤松さんは僕の右手の甲を指先で優しくつつく。 「わたし。待ってますから。姫島くんがまた、その指先の力をわたしの傍でだけ使ってくれるようになることを。信じてます」 そう言って、次の分かれ道で、赤松さんは蝶のような足取りで僕から離れていく。 瀟洒な笑みと共に残されたのは、信じられない程優しい残り香だった。 僕は空を見る。夕闇の溶け始めた朱い空の向こうに、これまでとこれからの、今とは異なる自分の姿を写そうとして、切なくなる。 僕は今が楽しい。子供である僕が子供らしくあり、子供らしくくだらないことに全力でぶつかっていられる今この時が、人生で一番楽しく価値があるように感じられる。 だが赤松さんにとってそうでないとしたら。 この時間に楽しさ以外の何か別のことを求めているのだとしたら。 それはとても寂しいことだと、僕はそう思うのだ。 〇 第三話:ちんこ殺害事件 〇 七月である。 夏休みが始まる季節だ。 クラスメイト達はもう本当に浮足立っている。 三週間後に控えた長期休暇への期待感に、テンションを高めた悪童達は、今日もお祭り騒ぎだ。 「ひゃははははははー! 夏休みだー!」 「うおおおおっ! 生きてて良かった! 生まれて来て良かった!」 「お祭りに行くぞ! バーベキューに行くぞ! でも花火はしない! 死んでもしない!」 「興奮が抑えきれない! 涎が垂れる! 下腹部に力が漲る! 尿が漏れる!」 「うわぁあああ! 松崎がうれションした! えんがちょ! えんがちょ!」 「花火考えた奴は死ね! 地獄に落ちろ! 腹を切って俺に詫びろ!」 「アイスピックでめった刺しにしてやろうか!」 「うきゃきゃきゃきゃ! 夏休みだ! 夏休みだぁああああ!」 重めの精神病院の患者かのように騒ぎまくるガキ共。 乾いた涎が付着した口で叫びながら、小汚い子供達は狂喜乱舞を繰り広げている。 そんな彼らを、厳格な担任教師が叱責した。 「静かにしなさい。でないと肛門に異物を挿入しますよ」 途端、水を打ったように静まり返る教室。 「特に姫島くんには大きめの異物を挿入します」 「え? 僕?」 なんで僕なんだ。 別に騒いでなかっただろ。 「いやぁ楽しみですよねぇ四十連休。そんなものが三週間後に迫っているとなれば、ただでさえ低能児の集会である皆さんが普段以上のアホ面で騒ぎまわるのも、仕方がないことと言えるでしょう」 教壇に立つ担任教師は、いつも揺らぎなく貼り付けられている感情の読めない微笑みのまま、淡々とした口調で生徒達に語る。 「しかし尊くも神聖な職業である教師たる先生の前で下品に騒ぐようであれば、激しい体罰を加えますよ? 皆さんなんて先生の機嫌一つで今すぐにでも五体満足でなくなると言うことを、どうか忘れないでくださいね?」 大問題発言だ。 これまでに出会った全ての大人の中で、この男がダントツで一番気が狂っている。 「さてバカな皆さんがアホ面で楽しみにしている夏休みですが、しかし先生達は普通に出勤して、愛情の欠片も抱かせない小汚いKUSOGAKI共の為に業務に勤しまなければならないのですよ。そんな中皆さんが薬物を投与された猿のように騒いでいるのを見ると、男子は全員陰茎を引きちぎり、女子は一人残らずドブ川に突き落としたくなります」 どう考えても問題にならない方がおかしい言動を繰り返しながら、生徒達の机の間を歩きながら、一人一人の顔をじっと観察する担任狂師……もとい、教師。 こうした言動は保護者などに度々問題としてやり玉にあげられるが、しかしこの男はどうやら不思議な力を持っているようで、何の処罰を受けることもなく教壇に舞い戻って来る。 巷では不死の怪物と呼ばれている。 大袈裟なあだ名とは思わない。 「理不尽な量の宿題でも出して、完遂出来なかったことを理由に体罰を加えたい気分ですが、しかし先生はたいへん慈悲深い性格です。夏休みまでの後数週間、皆さんが去勢された牛のように土色の目で大人しく日々を過ごし、先生に迷惑を掛けないのであれば、常識的な量にしてあげなくもないでしょう。分かったら這いつくばって静かに過ごしなさいKUSOGAKI共」 まるでディストピアだ。酷すぎる。 恐ろしすぎる男だが……それでも一応、実際に体罰を行ったことは一度もないそうではある。 もちろん脅しとして暴力をちらつかせるだけでも十分いかんのだが、とにかく実行の経験はない。見たこともないし。 まあぶっちゃけ、言動程悪い人でもないのだ。 意図的に皆を怯えさせていると言う意味では厳しい人なのだけれど、実際の締め付けはそこまで激しい訳ではない。先生自身にストレスを与えること……先生が喋る時間に騒ぐこと。理由は子供の声が嫌いだから。何故教師になったんだ……をしない限り、基本的にはほったらかしである。 生徒間のいじめとかも割と解決してくれる。センパイなんかは良く助けられている。前にセンパイをいじめていた女子数人が担任教師によってどこかへ連行され、恐怖に塗れたような青白い顔で戻って来た。 その女子達はそれっきりずっと大人しい。重めのPTSDを発症している噂もある。 噂だが。 「では最後に。くたばりやがれクソガキ共。では皆さんさようなら」 そうして、その日の帰りの会は終わりを告げた。 〇 さてそんなキチガイ担任教師から別れを告げて、僕達探偵団が向かったのは近所の水路だった。 透き通るように輝く水路の清涼な水の中で、気温の上昇に伴って活発になった虫や魚が動き回っている。 放課後のレジャー。僕達は虫とか魚とか取りに来ていた。 「よおし! いっぱいとるぞお!」 センパイは元気いっぱいだ。虫取り網を担ぎ虫かごを首にぶら下げ、麦藁帽をかぶって準備万端だ。 弾んだ足取りで水路の傍を歩く。子供向けとしては最大企画体操着の中で、ボリューミーな胸部と臀部が比例して上下する。 芽生えて間もない僕の衝動が思わず視線を釘付けにさせる。ゲンバクもだ。こちらは若干前かがみにもなっている。 「水路に落ちないように気を付けてくださいね」 三回に二回は転落するセンパイに注意を促すのは、本日も見目麗しい赤松さんだ。 降り注ぐ日光を遮るように、太陽に手の平を掲げて目を細めている。信じられない程白くて細い首筋に、赤松さんの汗が浮かんでいる。 これまたえろい。舐めたい。 「この頃は本当に暑いですよね。わたし、夏バテしそうです」 「体調が悪いのか? それは良くないな。たくさん飯を食うと治るぞ?」 「食欲もなくて」 「食欲がないのか? それは良くないな。たくさん飯を食うと治るぞ?」 すべてはカロリーが解決すると心から信じ、またそれを実践しているゲンバクは、本日も激しい飲食を行っている。 いつものポテトチップスに、大量のビーフジャーキー。犬用じゃないちゃんとした奴だ。二リットルの巨大な魔法瓶の中にはキンキンに冷えたコーラが入っている。それを二つ持ち歩いていて、既に一つ空だ。 そうして飲み干した水分は汗となって排出され、着用している白色のシャツはびしょびしょのぐしょぐしょになって肌に張り付いている。ゲンバクの周囲の空気だけ若干湿っているような気がした。 「何取りたい? ザリガニ? それともオタマジャクシ?」 僕が水を向けると、赤松さんはにこやかな表情で希望を口にした。 「わたし、タガメが欲しいです!」 「タガメ?」 タガメと言えば、絶滅危惧種にも指定されている珍しい水棲昆虫だ。 体長が五、六センチあるという大型の肉食昆虫で、平たい楕円形の褐色の身体をしていて、前脚には鋭い爪がある。 大きな特徴はその前脚を用いて行われる狩りにあり、小型の昆虫は愚か魚すら捕食する獰猛さで知られる。待ち伏せするタガメに捕まった生き物は二度とその脚から逃れることは出来ず、鋭い口吻を挿入され体内を食い荒らされ、最後には微かな骨と皮だけが遺体として残されるのだ。 ……と、前にゲンバクから聞いたことがある。 正直、ちょっと怖い生き物だと思う。 「タガメ、好きなの?」 「はい。教科書に載っているのを見ました。小魚くらいなら食べちゃうんですよね? 恰好良いじゃないですか」 「それは分かるけど……」 女子が格好良いとかで虫を好きになることがあるのか。 あるのだろう。 赤松さんは四六時中カワイイカワイイばっかり言ってるタイプじゃないし。それにカワイイものが好きな女子だって、時にはタガメのような獰猛で攻撃的な生き物に惹かれることもあるはずだ。 「しかしタガメは極めて希少だぞ。おまけに今日はこれほど多くの競合相手がいるのだ。本気で手に入れようと思ったら、それなりのカロリー消耗を覚悟する必要があるだろうな」 ゲンバクが言う通りで、本日の水路は賑わっていた。 僕らの他にも、同じレジャーを楽しみに来ている同級生がちらほらといる。理科の授業で生物関係をやったことで、身近な虫や魚に興味を示したのだろう。あの担任は意外とそういう気を起こさせる授業をする。 そんなライバルに負けない為にも、僕らは気合を入れて水路の生物と戯れ始めた。 「センパイセンパイ、そんなにタニシばっかり詰め込んでたら虫カゴ壊れちゃわない?」 「もう重くて持ち上げられないんだけど。あたしが一体何をしたって言うの!」 「これだけの量があれば少しはカロリーになるだろうな。泥を吐かせてバターで炒めるのはどうだろうか?」 「食べようとしないでくださいゲンバクさん」 そうやってなごやかに遊んでいると、センパイの網が一匹のオタマジャクシを捕まえた。 「うおおおお! でっけぇえええ!」 そのオタマジャクシは巨大でありセンパイの手の平に乗り切らない程だった。艶のある黒い頭はヌルヌルとした輝きを放っており、尾は長いだけでなく太くゲンバクの親指くらいあった。 「おーでかいな」 「ウシガエルの子供だな。カエルになるのに一年か二年はかかるのだ」 センパイはそのオタマジャクシをつぶらな瞳でじっと観察する。ヌメヌメの全身を指で弄り、黒光りするぷっくらとした頭を撫で回しながら、ふと口にした。 「なんかこのアタマのとこ、お父さんのちんちんのさきっちょに似てる」 「アハハハハハハハハハハハ!」 赤松さんは笑い声を上げながらその場に蹲り、身体をくの字にし始めた。 笑い転げるあまり水路に落下している。ドボン、ビシャン。 水中でも尚も笑い転げているので、息が出来ずに溺れている。 「アハハハハゴボゴボゴボアハハゴボアハゴボゴボゴボ」 「赤松さん! 赤松さん大丈夫?」 僕は赤松さんを助ける為に自分も水路に飛び込んで彼女を抱えあげた。 「すいません姫島くん。わたしの為にずぶぬれで」 「いいや大丈夫だよ」 二人で水路から上がる。 「今日はもうお開きだな」 ゲンバクが言った。ずぶぬれになった僕らに配慮しているのだろう。 気温の高い夏なので、多分風邪を引く心配はないとは言え、水浸しになって遊び続けるのも気持ちが悪い。 服を脱いで乾かしたいところだが、僕はともかく赤松さんは女子だ。まさか僕ら男子の前で裸になる訳にもいかない。 今もずぶぬれのシャツが全身に張り付いて眼福なことになっているし。胸にも下着付けてるんだ。外からだと貧乳というか、年相応の胸をしているように見えて、密かに発育も始まっているようだ。うむ。 「ごめんなさい皆さん。私の為に」 「いいよいいよ別に。そうだ! このオタマジャクシ『ちんこ』って名前にしよう」 「アハハハハハハハ!」 センパイの言葉に、赤松さんはまたしても笑い転げ、水路に落ちた。 先程の再現のように溺れ始める赤松さんを助け出し、水路に上げた。 「……あのさセンパイ。注意してね」 僕は溜息を吐いて言う。 「ごめん。でも本当似てるから」 「お父さんのちんちんに?」 「お父さんのちんちんに」 「見たことあるの?」 いや、あるか。子供の頃とかは一緒に風呂に入ったりするんだろうし。 「あるよ。昨日もお風呂で見た。でっけぇ」 「昨日も見たの! マジで?」 センパイは精神年齢こそ小五だが、その肉体は十七歳だ。 胸と尻はむっちりたっぷりなのにウェストは引き締まっているという、男の願望を具現化したような姿をしている。 そんなのと一緒に風呂に入ったりして、お父さんは大丈夫なのだろうか? いや、大丈夫なんだろうけど。娘だし。 ……本当に大丈夫なのか? 「うん。でっけぇ。このオタマジャクシくらいでっけぇ」 「でっけぇの?」 「うん。飛鳥のはちっせぇ。なんかびろんってしたの付いてるし」 ちっせぇのか、飛鳥くん。 包茎なのか。飛鳥くん。 いや僕もだけど。これから剥けるのかもしれないけど。剥けないかもしれないけど。 「お父さんのは本当にでっかい。たまにあたしの方見ながらもっとでっかくなってることある」 「ねぇ一緒に入るのやめなよ。マジでやめなよ!」 「なんで? 良いじゃん親子だし。家族だし」 「親子でもダメなの! お母さんとかは止めないの?」 「止めるけどあたし一人で入るの嫌いだし」 寂しいし怖いから、とセンパイは言った。 怖いのか。 「つう訳でこのオタマジャクシ、名前『ちんこ』ね」 「それは良いけどさ。持って帰って飼うの?」 「飼わないけど」 「飼わないんかい」 「飼わないのー。生き物飼うのは責任があれだし大変だから。しないのー」 そう言うセンパイに、僕はほんの少し関心している。 この身体のでかい胸のでかい尻のでかい同級生は、アタマは悪いがバカではないようだ。 いやバカなんだが。バカでアホで間抜けで低知能ではあるのだが、それでも本当に救いのない過ちをしでかすような愚かさは持ち合わせていないらしい。 いや、まあ、愚かなんだが。 「飼わないならなんで名前つけたの?」 「思い付いたから」 その思い付きの所為で赤松さんは大変だよ。 「何? おまえ、それ飼わねぇの?」 そう言って現れたのは、クラスでも屈指の悪童である、内村&川岸のコンビである。 内村くんはセンパイの手の中でくねくねする黒光りするおたまじゃくしのちんこを眺め、「でっけー」と感心したような声を出した。 「なぁ、これ飼わないならくれよ」 「ちんこ欲しいの?」 センパイは手から溢れ出そうになっているちんこの頭の下あたりを握り込む。そのまま全体に指を纏わせると、暴れているちんこを逃げ出さないように掴む。ちんこの身体から発せられる粘液でセンパイの手は少しぬらぬらしていた。 「ちんこっていうのこれ?」 「うん。あたしのちんこ」 「野上のちんこか……」 内村くんはセンパイの手の中から出ようとして、人差し指と親指の間から顔を出しているちんこをじっと見つめる。 それを握り直そうとするセンパイの手と、出ようとするちんこの間で前後運動が起こり、ちんこのアタマは指の間でにゅるにゅるくちゅくちゅと出たり入ったりした。 「貴様にこのオタマジャクシがちゃんと飼育できるのか?」 ゲンバクが言う。確かに、言っちゃなんだけど内村くんじゃちょっと不安だ。 「できるっての」 「本当にか?」 「しつけぇって。良いじゃねぇかよ。そっちはいらないっていうんだったら俺が貰っても。そうだよな川岸」 「内村くんの言う通りでゲス」 子分のお追従に調子良くした内村くんはセンパイに向けて畳みかける。 「な? な? 良いだろ。俺の虫かごに入れてくれよそのちんこ。ちゃんと飼うから」 「ちゃんと飼えるだったら良いや」 ものをあまり良く考えないセンパイは、あっさりと内村くんを信じ込んでちんこを譲渡してしまった。 「大事にしてね」 「あーあー大事にする。うひょーっ。クソデカオタマジャクシ、ゲットぉ!」 内村くんは喜んだ様子でちんこを持って立ち去って行った。 〇 その後、浅瀬で笑い転げている赤松さんを助け出した僕達は、その後それぞれの家に帰り着いた。 シャワーを浴びて、部屋でくつろぐ。さあ夕飯まで部屋でゲームでもしよう。宿題はもちろん後回しだ! そう張り切っていた時、家のチャイムが鳴った。 母親が応対する。 しばらくして部屋がノックされた。 「道太郎! 白瀬さんが来たわよ」 僕はswitchのコントローラーを置いてリビングに向かった。 「ひさしぶり。道太郎くん」 白瀬さんは化粧っ気の薄い、体の痩せた、線の細い、背の低い女の人だ。 数年ぶりに見た感想は、年を取ったな、というものだった。 いやまだ若いし、綺麗なんだが。ほとんど毎日のように顔を合わせていた頃から三年経っている訳だから、年齢で言うとまだ三十にもなっていないだろう。小学生の僕からすればおばさんと言えばおばさんだが、世間一般からすると若いと言えば若いのだろう。 それでもこの三年でかなり年を取った。三年分きっちり摩耗した。そういう感想を抱かせるような、疲れてくたびれた印象を、白瀬さんは纏っていた。 「ひさしぶり。白瀬さん」 「道太郎くん、手品はまだやってる?」 「あんまり。一人で練習するくらいで、友達に見せたりとかは全然」 「一人で練習は、してるのね」 微かな安堵が白瀬さんの表情に滲み、希望を見出したかのような光が宿る。 言いたいことは分かるのだけれど、僕は少し、辟易したような気分になる。 ひさしぶりに会えたのは嬉しいから、あんまり剣呑な態度はとりたくないけれど。 「いのりちゃんとは仲良くやってる?」 「赤松さん? うん。ほとんど毎日一緒に遊んでるよ」 「それは良かった」 白瀬さんはほっとしたように息を吐く。 「あの。一緒に食事にいかない?」 「僕と白瀬さんの二人」 「ええそうよ。好きなものを食べさせてあげるわ」 「お母さんが何ていうか」 「もう許可は取ってあるわ」 「そっか。なら」 僕は頷いた。 「行く」 白瀬さんは僕を近所のお好み焼き屋に連れて行ってくれる。 僕に接する白瀬さんは丁寧で、親切で、優しくて、しかし常に拭いきれないような緊張感があった。 それでもお好み焼きはおいしかったし、ひさしぶりの白瀬さんは少し嬉しくて、食事をするのは楽しかった。 「良くこうしていのりちゃんと三人でごはんに行ったの覚えてる?」 「覚えてるよ」 「楽しかった?」 「うん」 「またあんな風に過ごしたいと思わない?」 僕は黙り込む。 何かを悟ってもらおうというような沈黙ではなく、単にどう答えて良いか分からなかったから何も言わなかったのだけれど、白瀬さんは微かに焦った様子になった。 「あ、えっと。学校はどう?」 「楽しいよ。友達と探偵団を結成して、毎日秘密基地で一緒に遊ぶんだ。たまに依頼が舞い込んで来て、一緒に推理するんだ。団長のゲンバクがすごくてさ」 「ゲンバクっていう子がいるの?」 「うん。苗字が長崎で太ってるから、ファットマンで、ゲンバク」 「案外ブラックなセンスなのね……」 白瀬さんは表情を引き釣らせた。 割と怒る人は怒りそうな命名だったが、ゲンバクはもちろん、あの担任教師も何も言わない。 「そこにいのりちゃんもいるの?」 「うん。いるよ。探偵団の欠かせないメンバーの一人さ。調整役っていうのかな、優しくて気配りもあるからいるだけでみんなが纏まるよ」 「そう」 「赤松さんは本当に素敵な人だよ。綺麗だし、性格も良いしさ。あんな子が僕の傍にいてくれて本当に幸せだって思う。センパイもゲンバクもきっとそう思ってるよ」 「そうなのね。あのね、道太郎くん」 白瀬さんは意を決した様子で、賭けに出るかのような表情でこう言った。 「いのりちゃんとまた離れ離れになるのは、つらくないの?」 僕は黙り込んだ。 黙り込んだけど、それは回答を拒否する為の沈黙ではなくて、どう答えるか考える為の沈黙だった。 白瀬さんもそれを察しているようで、僕の出方をずっと伺っている。 けど結局、僕は相手の質問の意図とは違うところでしか答えられなかった。 正直な気持ちを素直にただ口にして、結論を言うことから逃げることにした。 「つらいよ」 「そう」 白瀬さんはそれ以上何も踏み込んでは来なかった。 その時はまだ。 〇 「わたし。タガメを飼い始めたんです」 翌日、登校中にばったり会った赤松さんに、そんなことを打ち明けられた。 「そうなの? 良く見付けたね」 タガメは絶滅危惧種なのでペットショップにも置いていない。 「昨日の夜、大きなライトを持って水路に探しに行ったんですよ。正直ダメ元だったんですが、奇跡的にゲットしました!」 タガメは夜行性の生き物なので、確かに昼よりも夜の方が遥かに見付けやすい。 「それほど大きな個体ではないですが、教科書で見るよりずっと格好良いです。毎日ちゃんとお世話をしますよ」 面倒見の良い性格で責任感も強い赤松さんなら、きっと丹念に世話をすることだろう。他のどの小学生に飼われるよりも幸せなタガメになるに違いない。 「良かったね。誰と一緒に行ったの?」 「いえ、一人です」 「一人で? それ、何時ごろのは話?」 「夜中の一時ごろでしょうか」 こともなげに言う赤松さん。 小学生がそんな時間に出歩いていて良いはずがない。 学校などで僕らには優等生としての振る舞いしか見せない赤松さんが、そんな補導されかねないようなことをしているのは意外だった。 もっとも、この人の家庭環境を考えると、注意してくれる大人がすぐ傍にいないのも、やむを得ない話ではあったが。 そのまま教室に行くと、後ろのロッカーの上でちんこが飼育されていた。 おたまじゃくしのちんこである。もとい、ちんこという名前のおたまじゃくしである。男性の陰茎がもぎ取られて飼われている訳ではない。というか飼えない。飼えるもんなら飼って見せろよ。バカがよ。 水槽の中で泳いでいるオタマジャクシは元気一杯で、ブクブクの周りを世話しなく回っている。 「教室で飼うことにしたんだ。父ちゃんに持って来てもらった」 内村くんは胸を張ってクラスの皆の前でそう打ち明けた。 「うおおおおっ。でけええええ」 「これ本当におたまじゃくしかよ」 「なんでちんこって名前にしたの?」 「センパイが付けたんだって。センパイの父ちゃんのに似てるからって」 「大人のってこんなに黒ずんでるんだ……」 「すげぇな……」 クラスメイト達のウケもなかなかのものだ。ウシガエルのオタマジャクシは子供の片手に収まりきらないくらいの大サイズで、そんなのが水槽の中を泳ぎ回っている姿には迫力もある。 数年後にはこいつもウシガエルになるのか。 そうなった時、内村はどうするんだろう。 「衣を付けて油で揚げれば良い。鶏肉に似た風味で非常に美味だ」 ゲンバクは言った。 「食うのかよ」 「食わいでか。この世の全ての有機物はこの俺の胃袋に収まる為に存在している」 「でも一、二年かかるんだろう?」 やがて担任教師がやって来ると、教室の後ろのロッカーの上に置かれたちんこの水槽を見て言った。 「いやぁ気の毒なオタマジャクシ氏ですねぇ。彼はこれからKUSOGAKIの稚拙な管理に晒され数多くの地獄を味わうことになるのです。見て下さいこの杜撰な水槽環境を。水のにおいからしてカルキ抜きも何も入れられていない単なる水道水じゃないですか。ブクブクも水槽に対して小さすぎてすぐに酸欠を起こすのは目に見えています。これでちゃんとオタマジャクシが成長できると思っているのなら低能児の謗りは免れないでしょう」 普段通り、感情の読み取れない淡々とした口調と、貼り付けたような笑顔の担任教師。 「じゃあどうすれば良いんだよ」 不満がるように言う内村くんに、担任教師は軽く腕まくりをして答えた。 「大人の力を見せてあげましょう。そして先生を敬い這いつくばるが良いのです」 担任教師は授業の隙間時間を利用して自腹で購入した設備を水槽に設置し、オタマジャクシを育成するのに最適の環境を実現させた。 「うおおすげぇ」 「でっけぇポンプが付いてる! これなんだ?」 「濾過器だろ? 水を綺麗にする奴」 「中に水草も生えてるし……エサもなんか本格的だし。すげぇな」 最早これアクアリウムの領域だろと言わんばかりにアップグレートされた水槽内には、色鮮やかな水草が丁寧に剪定された状態で植えられ、小さな流木などの装飾品が邪魔にならない程度にあしらわれるなど、抜群のクオリティを誇っていた。 「これが『大人』と『子供』の違いです。思い知りましたかKUSOGAKI共が」 いつものようにノリノリで子供を罵倒する担任教師。子供を見下しマウントを取る為に教師をやっているような男である。 「さて。本題はここからです」 教壇の前に立ち、やはり淡々とした口調で話し始める担任教師。 「子供の内から色んな生き物と触れ合うことで、生命の尊さやそれを扱う責任を育むなんてお題目があります。しかし先生はそう言うのにはどうも虫唾が走るんですよね。低能で学習能力のないKUSOGAKIが、たかがオタマジャクシ一匹でそんなものを養える訳がないじゃないですか。こんなもの飼ったところで、将来は保健所で引き取った犬を部屋のソファと色が合わないとか言って野に放つ犯罪者と化すと断言できます」 どうしてこんな奴が教師をやってられるんだろうというようなことを平気で口にする担任狂師、もとい教師。 「しかしまあとにかく飼うことになった以上は、あなた方が責任を持って世話をするよりどうしようもありません。真っ当な責任感なんてものがあなた方にあればの話ですがね。特に内村くん」 「なんだよ」 「このオタマジャクシ氏はあなたのペットなのですから、その責任は重大です。きちんと世話を出来ますか?」 「そのつもりだけど?」 「よろしい。では後は知ったことじゃありません。たかが両生類の一匹や二匹、くたばろうが何だろうが先生にとっては心底からクッソどうでも良いですからね」 教師として以前に大人としてどうなのかと思うようなことを言う担任教師。 「それでは授業を始めます。別に何も学ばなくて良いので騒いで妨害だけしないでください。したら激しい体罰を加えますよ」 〇 内村くんはちんこの世話に飽きた。 たった三日だった。 もう本っ当に何もしなくなった。 最初の方はエサやりも水替えも上機嫌にやっていた。昼休みや行間休みを利用して子分の川岸達の精力的に仕事をこなしていたのだ。 しかし気まぐれな子供の興味の移ろいは早く、内村くんはちんこの観察やエサやりよりも友達とのおしゃべりを優先するようになり、水替えよりも運動場でするサッカーを優先するようになって行った。 放置されたちんこは水槽の中で何となく水草を食んでいた。それを哀れに思ったセンパイは内村くんの代わりにエサをやり水替えなどの業務をこなし、無邪気な愛情をちんこに注いだ。 「わたしが名前付けたんだしわたしのちんこみたいなもんだよね」 センパイはそう言って毎日ちんこの世話をやり始めた。センパイの柔らかな手で丹念に世話を受けるちんこは活き活きと泳ぎ回り、ぷっくりとした頭は艶を増してより黒光りして行くかのようだった。 「大丈夫なんですか? センパイ」 一人でちんこの世話をするセンパイに、赤松さんは心配げに声を掛けた。 「大丈夫だよ。なんかすげぇやりやすいし」 実際、ちんこの水替えや水槽の温度管理などはやりやすかった。担任教師が用意した設備がそれだけ充実していたということでもある。水替え用の道具とマニュアルは良く整備されていて、アホなセンパイがテキトウにやってもまあどうにかなった。 「ですが、本来センパイの仕事ではないはずですし……」 赤松さんがちらりと視線をやると、内村くんはボール紙を切り裂いて作ったトレカで友達と対戦していた。内村くんにだけ使用が許されるオリジナル・カードは攻撃力が他と三つくらい桁が違い、出るだけでゲームが決着するつよつよ仕様だ。それを用いて子分どもを蹴散らしては、内村くんはゴリラのような奇声を発して狂ったように大喜びしている。 そこにゲンバクも混ざっていた。公式のカードを再現したものだけを使ったデッキで、どうにか内村くんのチートクソデッキを倒せないかと、日々研究に勤しんでいる。 僕も参加しようかな。ゲンバクみたいに内村くんに挑戦はしないけど、他の奴と普通にやる分には楽しいし。川岸とかが結構強い。 「いいよいいよ。誰か世話しないと可哀そうだしさ」 「センパイが良いなら良いですけど……」 赤松さんは憂うような表情をした。 「心配です」 〇 ちんこの元気がない。 オタマジャクシの話である。 決して勃たなくなったとかそういう話じゃない。まだそんな歳じゃない。いや歳に関係なく起こる時は起こる症状のようだが。小学五年生で勃起不全って例はあるのだろうか? あるのだろう。医学の世界は広い訳だし。 もっともオタマジャクシの話だから、そんなことはどうでも良いのだが。 ちんこは上手く泳げなくなってしまっていた。身体とは普段とは逆の向きにして、つまり腹の方を上に向けて水面に浮いている。死んでいるんじゃないかと何度か誤解を受けるが、誰かがつついたりすると驚いた様子で再び通常通りに泳ぎ出す。 センパイは引っ繰り返ったちんこを見ていつも憂えていた。 「可哀そうだなぁ。何とかしてあげられないかなあ」 基本的に、センパイは純粋で心優しい少女である。 面倒見や責任感も意外とあることが最近では分かって来た。 そんな彼女にとって、引っ繰り返って水面を漂うちんこの様子は、酷く気の毒に思えるようなのである。 「なんだセンパイ。ちんこの調子が悪いのか」 「そうなの」 話し掛けるゲンバクに、答えるセンパイ。 「なんとか治せない? ゲンバク何か知らない?」 「上手く泳げないのなら、浮袋の故障などが考えられるな」 「浮袋? 故障?」 「両生類とは言え水中を泳ぐ生き物ならそういう器官があるのではないか? そこの空気が減るとか増えすぎるとか、変形するとかしていれば上手く泳げなくなることも考えられる。 「じゃあどうすれば良いの?」 「体調が悪いのなら、やるべきことは一つだけだ」 「何それ?」 「飯を食うことだ」 そうかあ? 「あらゆる体調不良は食えば解決する。糧を得ることは肉体と精神の全ての基本だ。それをおろそかにして、体調が解決することはあり得ない」 病気がちの時程栄養は取らなくちゃいけないのは、確かなんだろうが、これはそう言う問題でもないような気がする。両生類だし。両生類でなかったとしても。 「そっか。じゃあエサあげたら良いんだね」 「そう言えるだろうな」 ドバドバドバドバドバ、と餌箱の中身を水槽にぶちまけるセンパイ。 いつも思っていたのだが、センパイのエサやりは豪快すぎて、かなり水槽を汚してしまっている。だから水替えが頻繁に必要になるのだ。 「これだけあげたら元気になるかな?」 「ならんだろうな」 「え? どうして?」 「カロリーが足らんからだ。それしきの量で満足する者などいるものか」 ゲンバクは自らの信念に乗っ取ってそう言いながら、ランドセルに忍ばせてあるカロリービスケットをバリボリムシャバクと齧る。 おまえと一緒にするなよ、と言う間もなくセンパイは再び餌箱を翻しとガシャガシャブンブンとそれを振り、水面に山盛りになる程エサを撒いた。 「これで良い?」 「うむ。まあそんなところだろう」 多いよ。 水槽、濁ってるよ。薄っすら茶色に。 センパイはそれに気付いて「あれ?」と小首を傾げた。 「なんか水槽汚いよー?」 「そのオタマジャクシがだらしなくも食べ残しを出すからだ。これしきの量が食えないとは、情けない両生類だ」 「えーっ。じゃあどうすれば良いの?」 「知らんな」 「えー教えてよ。あ、そうだ。水を綺麗にする薬あるんだった!」 センパイは傍に置いてあるカルキ抜きを手に取った。 塩素を中和する為の薬剤だ。これは何かと疑問を呈するセンパイに、赤松さんはアホにも分かりやすいように、水道の水の中にある毒を失くして綺麗にくれるお薬なんだよ~と説明していた。 だがその嚙み砕いた説明が悲劇を生んだ。 「えいや」 センパイはカルキ抜きを逆さまにして水面に向けると、ドボドボドボドボと大量の液をぶちまけ始めた。 「何をしているのだ?」 「これ入れたら水が綺麗になるんだって」 「入れすぎは逆効果だろう」 「そうなの? じゃ、こんくらいにしとこうかな」 センパイはカルキ抜きを定位置に戻した。 この時点で必要量の数十倍のカルキ抜きが投与されているのだが。 逆効果というか、明らかにかなり有害なのだが。 「うーん。……まだ元気にならないなぁ」 ちんこは今だ転覆した状態で水面を漂っている。 「それはそうだろう。どんな対応も時間が経たなければ効果を発揮するものではない」 そんなことを言ってもせっかちなセンパイには効果がないようで、まだかなまだかなと膝を揺すっている。 「そうだ! 病気治すお薬あったんだ!」 グリーンFリキット、という名前の緑色の薬剤を手に取るセンパイ。 担任教師が水槽の設備と共に買って来たものだ。マニュアルを良く読んで適切な量を使うようにと説明していたのを覚えている。 量を間違えると生き物が死ぬ原因にもなるので、自信がなかったら先生に頼むように、と。 だがそんなことを覚えているはずもないセンパイは、そのグリーンFリキッドを逆さまにして、容器をしぼってぴしゃーっどぼどぼどぼどぼと液を水槽に注ぎ込んだ。 明らかに、致死量だった。 水槽の中がくすんだ緑で一食に染まる。逆効果を通り越して殺しに来ているのだろうという所業だ。人間だって必要の数十倍の薬剤を投与されれば普通に死ぬ。それは両生類も変わらない。 エサとカルキ抜きと薬剤に埋め尽くされて地獄のようになった水槽で、今も尚水面を浮いているちんこを見ていて……センパイはとうとう吠え声を上げた。 「どうして元気になってくれないのおおおおおおおおお!」 キレ散らかしながら水槽の左右両面を掴み、抗議するように揺さぶりながらセンパイは叫ぶ。 「こんなに治してあげようとしているのになんで元気にならないのおおお! なんでそんな意地悪するのお! こんなに一生懸命なのに! 毎日必死に生きてるのに! お母さんの言うこと良く聞いてお手伝いもして弟が生意気言っても叩いたりしてないのにぃいいい! もう嫌だ全部嫌だ皆死んじゃえば良いんだぁあああ。ああああああああ!」 騒ぎを聞きつけた赤松さんが、ようやく事態を察してセンパイの元に駆け付けた。 「センパイ! センパイちょっと、落ち着いてください。センパイ」 「聞いてよ赤松さん。あたしねぇただねぇこの子に元気になって欲しいだけなの! それなのにね何をやってもねこの子水面に浮かんだままでねっ。あたしが何をやっても何にも上手くいかないの全部ダメになるのなんでなのよおおおっ! あぁあああああああああっ!」 「わ、分かりましたっ。分かりましたからっ。センパイがいつも一生懸命なのはわたしが一番知ってますから。とにかく今すぐに水替えをしますよ! でないと死んでしまいますちんこさんが! ちん……こ、さんが……っ」 自分の口にした言葉に受けて、身体をくねらせて大笑いをし始める赤松さん。 「アハハハハハハ! ちんこさん! ちんこさんだなんてそんな! そんなおかしな名前アハハハハハハハハハ!」 狂乱して泣きわめきまくっているセンパイ。 エサとカルキ抜きと薬剤で埋もれた水槽の中で、今にも死にそうに浮かんでいるちんこ。 笑い転げる赤松さん。 これもう収集付かねぇわ。 〇 ちんこはますます元気を無くしていった。 最早まともに泳いでいる時の方が少ない。濾過機が生み出す水流に流されて、腹を晒して水面を浮かんでいる時間がほとんどになっている。 日に日に弱って行くちんこの様子に、クラスでも割と最後の方に気付いた内村くんが、激怒して吠え声をあげた。 「おい! これどうなってんだよ!」 その時内村君は機嫌が悪かった。一つ前の休み時間に、自作のチート・カードを詰め込んだズルズルうんちデッキが、正規のカードのみで構成されたゲンバクのループコンボ・デッキに3キルされたところだったのだ。 あれは鮮やかだった。 思い出したら何度でも笑える。 「野上、おまえだろ! 良くも俺のおたまじゃくしをこんなにしたな!」 「え? あたし?」 自分の机で夢中になって輪ゴムで遊んでいたセンパイは、思わずと言った様子で顔を上げた。 「そうだよ! おまえだろ俺のおたまじゃくし勝手に世話したの! おまえがいい加減なことばっかりやってるから、病気になったんじゃねぇか!」 勝手なことを言いながらセンパイに食って掛かる内村。 「ちょっと! 内村くんそれはちょっと酷いんじゃないですか?」 珍しく本気で目を怒らせて、内村くんに抗議するセンパイ。 「内村くんがまったく世話しないから、センパイが世話するようになったんじゃないですか? それでいざ病気になったらセンパイを責めるだなんて、おかしいです!」 「うるせぇ赤松! こいつが世話して病気になったんだからこいつが悪いに決まってんだろ! なあ川岸?」 「内村くんの言う通りでゲス」 「だいたいこいつこの間水槽の前で変なことしてたんだろ? 餌箱の中身を大量にぶちまけたりカルキ抜き入れまくったり薬で水槽内埋め尽くして緑色に変色させたり!」 そのことは知っているのか。 あれだけ騒いでたんだから、そりゃ気付くよな。 「あんなことしたらオタマジャクシだって弱るに決まってんだろ?」 「あ、あれは元気にしてあげようとして……」 センパイは指先同士を絡めてまごまごとして言った。 ああ。内村くんにそんな自信なさげな態度を取ってはいけない。 「うるせぇよ! もしオタマジャクシが死んだらおまえの所為だからな!」 こうやって調子付かせて、畳みかけられるからだ。 「あ、あたしの所為……?」 「決まってんだろ? あんなことやったら絶対弱るんだから、それをやったおまえが殺したってことなんだよそれは。どう責任を取るんだよ俺のオタマジャクシを。え?」 「内村くん。ちょっと落ち着こうよ」 僕が横から嘴を突っ込んだ。 「水面にお腹を出して浮かぶのは前からずっとだよ。確かにセンパイはちょっと餌やらカルキ抜きやら薬やら入れすぎたかもしれないけど、すぐに赤松さんと一緒に水替えもしていたから、多分あんまり関係ないと思うよ」 「そんな訳ねぇだろうが! あんなことしたら普通死ぬだろうが」 うん。死ぬ。 すぐに水替えをしたとは言え、あれは死ぬ。死ないでか。 今ちんこがさらに弱っているのと無関係とはとても言えない。言えないのだが。 「でもそれはセンパイなりの善意でやったことだしさ。少なくとも、自分のペットを無責任にほったらかしていた内村くんには、文句は言えないんじゃないのかな?」 「黙れよ! だいたい野上はおかしいんだよ。こんなでかい図体でクラスの誰よりもアホでさ。だからいつも俺らに迷惑かけるんだよ。やることなすこと全部悪いことにしか繋がらねぇ。ふざけんじゃねぇよ!」 「今のは単なる悪口ですよ」 赤松さんは眉を潜める。 「撤回してください」 「おまえが一番迷惑かけられてんだろ! 赤松!」 「……え、あたし、赤松さんにとって迷惑なの?」 戸惑った表情のセンパイ。ショックを受けたように赤松さんの方を見て、震える声で言う。 迷惑なんてかけないですよ……と赤松さんは静かな声で言って。 「今の内村君の態度は少し度が過ぎるように思います。どうか一度頭を冷やして……」 「事実言ってるだけだよ。おたまじゃくしが死んだらそいつの所為だってのは本当のことだからな? 何とかして元通り元気にしろよ? もし死なせたりしたら、おまえのことぶん殴るからな!」 内村くんはそう言ってセンパイに凄んで見せてから、子分を連れてその場を去った。 残されたのは半泣きで震えているセンパイと、苛立った様子の赤松さんである。珍しい姿の二人だった。センパイは悲しみや怒りなどの感情をとにかく外に発散させる人で内に籠って打ちひしがれるのは珍しいし、逆に赤松さんは何があっても落ち着いた態度の人でこうして苛立ちを露わにするのは珍しい。 「気にすることはない。戯言だ」 ゲンバクが厳かな声で二人をなだめるように言った。 「奴も本気でそう思っている訳ではないのだろう。自分が悪いと分かっているからこそ、正論で責められると子分たちの手前、激昂して見せるしかないという哀れな男なのだ。赤松の言う通り、少し頭を冷やせばセンパイを責めても仕方がないと理解するようになる」 「でもあたしが悪いんでしょ?」 センパイは顔を青白くして言った。 普段良く言えば明るい、素直に言えばアホみたいに笑んでいるその顔立ちに、暗い影が差しこんでいる。 「確かにあたし、色んな失敗するし。だからちんこの世話も失敗してたのかも。だからちんこは引っ繰り返って泳ぐようになったり、すごく弱ったりしてるのかも。あたしの所為なんじゃないかな?」 打ちひしがれた様子のセンパイ。 「もしこのままちんこ死んじゃったら、あたしどうしたら良いのか……」 目に涙を浮かべ、拳を握りしめながらぶるぶる震える。 ちんこはセンパイの大切な友達だった。 内村くんが世話を投げ出してからというもの、毎日毎日献身的に世話をした。 不器用で要領も悪いのに、根気もないのに、それでも懸命に世話をこなした。赤松さんも手伝ってはいたがセンパイが一番頑張った。その原動力は、自分が発見し名前を付けたちんこへの愛情、そして持ち前の優しさだったはずだ。 それが弱って行く。その命が失われて行く。しかもそれは自分の所為かもしれない。 純粋なセンパイが悲しむのも無理がないことだ。 「内村くんの言う通りなの。あたし、何をやっても何にも上手くいかないの。ごめんね皆。いつも迷惑かけてるね。ごめんね」 「そんなことはありません。迷惑掛けられているだなんて、思っていません」 赤松さんがそう言ってセンパイの肩を抱く。本心だろう。 センパイにだって良いところはある。 悪意や欺瞞がまるでないし、アホではあるが本当に愚かな間違いはしない。人に迷惑を掛けるのだって故意ではないし、無暗に人を傷付けるようなことは絶対にしない。 だからセンパイは僕らに愛されている。 誰よりもセンパイの面倒を看て、失敗の尻拭いをする赤松さんだが、それを大変だとは思っても迷惑だとは思ってはいまい。 だがそんなことは今のセンパイには分からないようだった。 「ごめんね皆。いつも迷惑かけて、ごめんね」 センパイは震えながら泣き続けていた。 〇 昨日一日中、探偵団の面子には陰鬱な空気が漂い、いつものように皆で秘密基地に行って遊んでも普段より盛り上がらなかった。 センパイはちんこがこのまま死んでいくことに怯えているようだった。自分が水路から掬い上げた命が自分の責任で失われることに、強い忌避感と罪悪感を覚えている。 駄菓子屋で好物(たいやきぷくぷく)を買い与えてやるとか、得意な遊び(トランプの戦争。運だけで勝負が決まるので周りと互角)をやってあげるとか、それなりに元気付けようと頑張ってもみた。いつもなら驚くべきチョロさで何があってもそれですぐ元気になるセンパイが、その時ばかりは落ち込んだままだった。 解散した後も心配な夜を過ごし、爽やかとは言い難い目覚めを味わってから、登校する。 下駄箱でゲンバクと遭遇したので、僕は軽く右手を上げた。 「よう」 「ああ」 ゲンバクは横柄な態度で首を縦に振った後、厳かな口調で言った。 「5対5。半々だな」 「何が?」 「現状に対する責任だよ」 「ちんこのことで内村くんとセンパイのどっちがどれだけ悪いかって話か? センパイに五割も責任があるかよ。それに、内村くんの態度は腹が立つけれど、転覆病は元から患っていたと考えるべきなんじゃないのかな?」 「違う。俺が言いたいのはセンパイが落ち込んでいることに対する責任の、内村と俺達の割合だ」 僕ははっとした。 「ちんこの体調のことについては貴様と同じ意見だ。浮袋の調子が元々悪かったとかだろう。それに言っては何だが俺はあんな両生類がくたばろうと何も思わん。心配なのはセンパイのことだ」 「……僕達がもっとフォロー出来たって?」 「そう言える。俺も良くなかった。オタマジャクシ自体に興味がなかった為放置していた。センパイが楽しそうだから好きにやらせようとしか思っていなかった。その驕りが今回の事態を招いたのだろう。もっと真剣に考えるべきだったと反省している」 この男が『反省』などという言葉を口にするのは珍しいことだった。 無理もない。こいつはちんこの水槽に関しては基本的に我関せずだった。エサを大量投与することに関しては、唆してすらいたし……。 とは言え僕も同じ心境だった。内村くんが手放したオタマジャクシの世話をするなんてバカらしいと考えて、センパイから目を離していたのは、同じだったからだ。 内村くんの無責任さと、それを棚にあげてセンパイを責めて傷付けたことが悪いのは、間違いがない。許せることではない。 しかしこうなる前に、友達である僕らがもっとセンパイに目を向けて、彼女が何もやらかさないように見守るべきだったのではないだろうか? 教室の前の廊下まで来ると、右手に上履きを持った赤松さんとすれ違った。 「姫島くん。ゲンバクさん」 赤松さんの片脚は上履きを履かない状態だった。上履きを持っているのだから当たり前だが。黒い靴下に包まれた小さく形の良いおみ足が露わになっていて、妙にセクシーだった。触ったりにおいを嗅いだりしたい。 「どうしたの赤松さん」 「実はちょっと虫を踏ん付けてしまいまして……。洗いに行くところなんです」 赤松さんは少しあからさまに視線を反らした。 「それより教室が大変なことになっていますよ」 「何が?」 「教室が。ちん……おたまじゃくしさんが消えているんです」 僕は驚いた。 とんでもない事態だ。 何がとんでもないって、『ちんこ』と口にするのを赤松さんが避けたことだ。言えば思わず笑ってしまうから我慢してそうしたのだろう。つまり笑えないようなシリアスな状況が教室内では繰り広げられているということだ。 「センパイがちょっとパニックになっちゃってて……。早く行ってあげてください」 僕らはすぐにセンパイの元へと駆け付けた。 センパイは水槽の前でわなわなと震え上がっていた。傍では内村くんと川岸くんがいて、苛立った様子で水槽の中を無造作に書きまわしている。 「マジでどこにもいねぇぞ? なあ川岸」 「内村くんの言う通りでゲス」 「おい野上。おまえなんか知らねぇか?」 「し、知らないよ」 「内村くん」 僕が声を掛けると、内村くんは鬱陶しそうにこちらを向いた。 「なんだよ?」 「ちんこが消えたって本当?」 「本当だよ。水草の裏にでも隠れてないかと水槽の中をひっかきまわしてみたんだが、どこにもいねぇ。もう死んじまってんだとしても死体がないのはおかしい。こりゃ誰かが勝手に持ち出したのかもな」 僕が思わずゲンバクの顔を見ようとすると、奴は既に推理モードに入っているのか手がかりを探す為に教室中を見回していた。そしてある事実に気付いて指摘する。 「ガラスが一枚消えているようだが」 確かに、校舎の外に面した窓ガラスが一枚外されている。 「ああそれですか。今朝先生が出勤して教室の施錠を外した時にはもう割れていましたよ」 と。 いつの間にか背後に立っていた担任教師が言った。 「どうせKUSOGAKIの誰かが割ったんでしょうねぇ。別に学校の備品の一枚や二枚消えて無くなろうが心底からどうでも良いんですが、仮にも一応名目上、先生のクラスということになっている教室の窓ガラスです。軽く責任を取らされてしまうんですよね。ムカつきます。一刻も早く割ったKUSOGAKIを特定し、肛門に異物を挿入するなどの体罰を加えたい気分です」 担任教師はクラス中を見回した。ガラスを割った犯人が誰かを吟味しているようだ。 きっと不注意で割ってしまったのだろう。僕はその生徒に同情した。 「いつ嵌めかえるんですか? このままだとエアコンの効きが悪くなりますよね?」 室温を気にするモブ生徒Aがそう言った。 顔がものすごく阪神の岡田監督に似ている以外、ごく普通の女子生徒だ。 「本来ならすぐにでも新しい窓を用意するべきなんでしょうねぇ危険ですから。KUSOGAKIは周りを見ずにうざったく走り回るので、空きっぱなしの窓に突っ込んで転落、なんて笑えることも普通に考えられます。しかしそれは窓ガラスが嵌っている状態でも起こること。有能な先生はそうならないように自腹で用意した鉄格子を設置しているので、当分このままにしておいても大丈夫でしょう」 このクラスの窓の内側には格子窓が設置されている。幅は生徒によっては腕も通らない程に細い。ファットマンなゲンバクなど指が何本か通るかどうかと言う程度だ。 過去に内村くんと川岸くんにいじめられて窓辺まで追いやられたセンパイが、二階にも拘らず外に向けて飛び降りたことがあった為、担任教師が急遽設置したものだ。 その後センパイは病院へ運ばれ、内村くんと川岸くんは担任教師にどこかへ連れ去られた。内村くんと川岸くんは翌日から数日間、痔の症状を訴えて円座クッションを学校に持ち込んでいた。 「それにしても、しかし。そうですか。オタマジャクシは消えましたか」 担任教師は貼り付けたような笑みと淡々とした声で言う。 「生徒の自主性に任せると言う神聖なお題目の上で、放ったらかしにして楽をしていましたが……。こんな結末になるとは流石に予想できませんでしたねぇ。いやぁ皆さんはいつもいつも予想の斜め下を行くので本当に驚かされます」 「いったい誰がちんこを水槽から出したの?」 センパイが震えた声で尋ねる。 「さぁ~どうでしょう知りませんねぇ~いやぁ本当に。昨日この教室を施錠した時にはオタマジャクシは生きていましたし、朝開錠した際にはもうすでにいなくなっていました」 「そうなの?」 「ええ。ちなみにガラスが割れているのに気付いたのもそのタイミングです。とは言え鉄格子が嵌っている状態で窓から出入りできる訳もありませんから、これはちょっとしたミステリー……とも言えるですかねぇ? 皆さんレベルの知能の持ち主にとっては」 そう言って、担任教師は時計を教室の時計を見た。 「ところで愚昧なるあなた達は気付いていないでしょうが、もう既に朝の会を始める時間になっています。一刻も早く席に着きなさい。KUSOGAKIども」 〇 「ちんこはどこに行ったの?」 朝の会が終わった後の時間に、センパイが震える声でそう言った。 僕達は何も答えられない。赤松さんは『ちんこ』という言葉に反応して笑いそうになるが、センパイの手前表情筋を精一杯駆使してどうにか我慢している。それほど事態は深刻だと言うことだ。 ゲンバクはと言うと何かを考え込むように腕を組んだ後、教室の床に視線を向けながら無くなった窓ガラスの周りを歩き回り始めた。何を考えているんだ……?」 「おまえらの誰かが持ち去ったんじゃないのか?」 そう言ったのはいつもの取り巻きを連れた内村くんだった。 自らのペットの消失にもそれほど悲しんでいるようには見えない。もうそれほど思い入れもないのだろう。ただ自分の所有物が奪われたことが単純に癇に障るのか、僕らの方に剣呑な顔で言いがかりを付けている。 「違うよ。そんなことをする理由がないじゃないか」 「そうでもないだろ。俺は前にそいつに言ったよな? オタマジャクシがもし死んだらぶん殴るって。そうなる前におたまじゃくしをどこかへ隠したんじゃないか? それかもう既に死んじまったから見付からないように死体を始末したのかも。なあ川岸?」 「内村くんの言う通りでゲス」 「そんなっ。無理だよ」 僕は眉を潜めて抗議する。 「僕らは放課後授業が終わってすぐにいつもの四人で教室を出たし、その後教室の施錠が行われる時間までずっと一緒にいたんだ。水槽やオタマジャクシを触れる時間なんてなかったよ」 教室の施錠が行われたタイミングでは、ちんこは生きていた担任教師は言っていた。 教師自身が犯人で嘘を吐いているのでない限り、犯人はどうにかして施錠を突破したか、さもなくば遠隔でちんこを外から回収したと言うことが出来る。 だが格子のかかった窓から水槽までは三メートルを超える距離がある。それを乗り越えてちんこを回収しようと思ったら、事前に何かしらの細工……割った窓からちんこを回収できるよう釣り糸でも付けておくとか……が必要になって来る。 だが僕らには直接オタマジャクシを隠すことは愚か、事前に何かしらの細工を行う時間もなかった。 格子は細かく僕ら小学五年生でも人によって腕が通るかどうかというところなので、虫取り網なんて絶対に入らないし。ご都合主義な極細マジックアームとか持ち出さない限り、犯行は不可能なのだ。 「じゃあ誰がちんこを隠したんだよ?」 「知らないよ。僕らもそれを考えているんだ。なあゲンバク」 床を這いずるようにくまなく調べていたゲンバクは、やがて何かを発見したように立ち上がった。 「……これを見ろ」 ゲンバクの手には茶褐色の細長い、関節のあるトゲのようなものが握られている。 先端に鋭く硬い爪のようなものが付属しており、昆虫の脚のようにも見えた。 「それがどうしたんだよ」 僕が小首を傾げていると、内村くんが焦れたような調子で吠えた。 「分かんねぇならもういいよ! まったく、使えない奴らだなぁ、川岸」 「内村くんの言う通りでゲス」 言い残し、立ち去って行く内村&川岸。 「勝手な奴らめ!」 僕は憤慨して言ったが、センパイは沈み込んだような表情で机を睨んだままだ。 見かねた赤松さんが気づかわし気な声を出した。 「大丈夫ですよセンパイ。ちん……オタマジャクシさんはきっと生きています」 センパイは涙を貯めた目を赤松さんに向ける。 「そうなの?」 「ええ。だってちん……オタマジャクシさんは変態してカエルになったのですから」 なんか無茶なこと言い出したぞこの人。 「ちんこがした変態って何? 変態みたいなことしたの? ちんこが?」 そういう意味ではない。 意味ではないが、不思議としっくりする文言だな。 ちんこが変態する。 あはは。 「アハハハハハハハハハハハ!」 案の定、赤松さんは笑い転げている。 顎が外れそうな程笑ってから、赤松さんは説明を開始した。 「違いますよセンパイ。変態っていうのは生き物が成長して別の姿になることです。芋虫が蝶になったり、ピカチ〇ウがライチ〇ウになったりするあれです」 ちょっとおかしなところのある例えだが、センパイには分かりやすかったようで、辛うじて理解した気にはなった様子で頷いていた。 「あれだけ丁寧にお世話をしてあげていたのですから、成長し変態するのは当然のことです。カエルに変態したオタマジャクシさんは開いた窓からジャンプして外へ出て、今頃は生まれ育った水路に戻って楽しく過ごしているに違いありません」 そんな訳がなかったが、センパイはただでさえ頭が弱い上、普段自分に一番優しくしてくれる赤松さんの言葉には耳を傾けずにはいられない性質を持っている。 「そっか!」 センパイは目を輝かせてその優しい嘘に飛びついた。 「そっかそっかそういうことだったんだぁ。安心したよあたしてっきり死んじゃったのかと」 「死ぬ訳がないですよ。いなくなっただけで、死んでしまったと考える理由はありません。変態して自分から水槽から出て行ったに決まっています」 最初から用意しておいたかのようなすべらかな説明に、センパイは完全に信じ切ってしまっている様子だった。 赤松さんは賢く大人びているのでものを説明するのが上手だが、しかしこういう言ってしまえば嘘のことを淀みなく口にするのは珍しい。 と言うか、嘘を吐くこと自体ない。滅多にない。 それが優しさから来る嘘だったとしても、ほぼ言わない。相手を落ち着かせたり安心させたりする為の嘘だったとしても、それが他人を侮り尊厳を無視する行いであることを、赤松さんは分かっている。 だからこの時の赤松さんの行為が僕にはとても意外で、違和感も覚えた。 まあ、だからと言ってセンパイに真実を伝える気にはならなかった。 可哀そうだし。 そういう意味では僕も同罪だった。 〇 昼休みである。 センパイはかなり元気になっていた。赤松さんの優しい嘘に騙されて、ちんこは変態してカエルになりいなくなったものと信じ込むことが出来たようだ。 今も赤松さんと同じ机で、折り紙を折ったりして遊んでいる。 「なんで『鶴』にならないのおおお! 手順通りちゃんと折っているのに! あたしが何をしたって言うんですかああああああ!」 鶴には見えないクシャクシャに丸めた紙の塊みたいなものを握り締めながら、目に涙を浮かべながら絶叫しているセンパイ。彼女なりに本当に手順通りに折っているのに、不器用さのあまりそうなってしまうようだ。 いつも通りだな! それに安心した僕は、自分も昼休みを楽しもうとゲンバクに声を掛けた。 「ゲンバク。デュエルしようぜ」 「悪いが今はカロリーを摂取している」 ゲンバクはランドセルに隠し持っているカロリービスケットを、バリボリガリムシャと頬張っていた。 「いつも食いながらやってるじゃん」 「考え事もしているのだ」 「そっか。ならしょうがないな」 女子に混ざって折り紙をするのもむふふなのだが、赤松さんが大切なお小遣いで買った紙を、僕の分まで提供させてしまうのも申し訳ない。 運動場でサッカーをしている内村他数名が窓から見えたので、そちらに混ざることにして僕は教室を出た。 廊下で担任教師とすれ違った。 「先生」 「これは姫島くん。わざわざ話し掛けて来やがり下さって本当にありがとうございます。遺憾なことに先生は姫島くんの担任ですので、体裁だけでも脚を止めて相手をしなければなりません。忌々しい。どうしてこんな思いをする為に教師になんてなってしまったのか、人生どこで間違えたのか、自分を責めたくなります」 「忙しいの?」 「いえ全然まったく暇なんですが」 本当に何なんだこの人は。 「先生は、ちんこ……オタマジャクシが消えてなくなったことをどう思っているの?」 尋ねると、担任教師は貼り付けたような笑顔のまま少し沈黙した後、やはり淡々とした声で答えるのだ。 「別にどうとも」 「本当のことを聞かせてよ」 「子供同士の間で起こる問題は、子供同士で解決させるべきだというお題目があります。しかしながら、何せKUSOGAKIは所詮KUSOGAKIな訳ですから、いくら話し合ったところで、適切な落としどころにたどり着くはずがありません。声の大きなものだけが自身の都合を身勝手に押し通し、そうでないものはそのしわ寄せを受けるというのが、たいていの場合の結論です」 その通りだと思った。 内村くんは自分で飼い始めたオタマジャクシの世話をセンパイに押し付け、それが弱り始めたらその責任をすべてセンパイに押し付けた。 だいたいにおいて、教室における内村くんの動きはそんな感じで、自分の気まぐれで好き放題をやって後は知らんぷり。そのしわ寄せを他が引き受けるという形で物事が回って行く。 「そうならないようにしたければ、大人が介入すればことが済みます。子供が百年かかっても考えつかない妥当な結論を導きだし、それを全員に納得させ実践させるという神の如き振る舞いが可能です。我々『大人』とあなた方KUSOGAKIの間には、そのくらいの能力の差は普通にあるのです。ですがだからと言って……それは可能な限り避けた方が良いというのも、事実ではあります」 「それはどうして?」 「子供の能力が育たないからです。声の大きなものに対し、自分の都合を押し通す力をより鍛えさせるというのも必要でしょう。それにしたってその人の有用な才能なのですから、伸ばしてあげるのは妥当です。それと同時に、そうした理不尽に対抗する力を身に着けさせるというのも、同じくらいに大切なことなのです」 ……理不尽に対抗する力? 確かに、それは大切な力であるような気がする。 「真正面から対抗し相手の思惑を打ち砕くというのも、もちろん有用な対抗策でしょう。他にもゴマを掏って阿りタダ乗りして自身の利益に結び付けるとか、程ほどに距離を置いて被害を避けつつ共存するとか、被害を覚悟しつつもそれを最小限度に抑えるとか色々あります。ですが」 担任教師はあくまでも淡々とした口調を崩さずに言う。 「今回のはちょっと寝技が過ぎますかねぇ~。とは言え所詮KUSOGAKI、やることがいちいち杜撰で稚拙で、窓ガラスを割ったことに至っては完全に力技です。介入するのもぶっちゃけ面倒だし、有効だとも思えないので当人に説教するつもりは毛頭ありませんが。いやはやしかし、どれだけ大人びて見えてもガキはガキですね。無様です」 「どういう意味……?」 「まあでも良いんですよガキはガキで。子供が子供らしく振舞い、無様な失敗を繰り返すのはあなた方の尊い権利です。大人としてそれは守ってあげようじゃないですか。こっちだって余計なストレスはごめんですので授業妨害とかは戒めますが、こういうことにいちいち口出しはしないですよ。どーぞ勝手になさってくださいなと言う感じです」 そう言って、担任教師は僕の脇を通り抜けて行った。 釈然としない気分だけがそこには残った。 〇 放課後である。 僕達はいつもの秘密基地に向かっていた。 元気になったセンパイははしゃいだりふざけたりしながら赤松さんにじゃれついている。そこらに拾った棒っきれを武器に見立てて振り回して、子供っぽく遊んでいる。 その赤松さんはいつものセンパイが戻って来たことを喜んでいるかのように、上機嫌でニコニコと相手をしている。 ……いやそれだけじゃないっぽいな。何かこう、自分のやったことが目論見通りに行った時の快感というか、そういうものも感じさせる。 やがて秘密基地に僕らは辿り着く。それぞれの定位置について今日は何をするかを話し合おうとした、その時だった。 「どうも許せん」 苛立った声が響いた。 ゲンバクだった。 「看過できん。ずっと一人で考え込んでいたがやはり納得できん。どうしてそんなことをしでかしたのか、そんなことに意味はあるのか、腑に落ちるところがまるでない。いったん自宅まで持ち帰って考え直そうかとも思ったが、とても耐えられない」 「いきなり何を言うんだよ、ゲンバク」 僕は言う。 「そうだよ。いつも以上に意味わかんないし偉そうだしぶっちゃけウザいね」 センパイが頷く。 「どうしたんですか? そんな持って回ったようなことは言わないで、ちゃんと仰って下さいよ。それを遠慮するような方では、ゲンバクさんはありませんよね?」 赤松さんがその大きな瞳でゲンバクを覗き込む。いつも通り口調は丁寧で表情も柔らかだったが、しかしその透明で動じない視線にはほんの微かな剣呑さも感じさせた。 「ならば言ってやる」 ゲンバクはそれを理解しつつもまるで動じた様子なく、忌まわし気な口調でこう言った。 「ちんこを殺害したのは赤松、貴様だ。どうしてそんな愚かなことをした?」 〇 「ありえないよっ」 僕は自分でも驚く程強い口調でゲンバクに言った。 「赤松さんがそんなことをするはずないじゃないか。第一、不可能だ。赤松さんは昨日の放課後、教室が施錠される時間までずっと僕らと一緒にいただろ?」 そうでなくとも、ちんこが消失した可能性のある時間帯、教室は常に施錠された状態にあった。 担任の先生が教室を鍵を掛けたタイミングでまだちんこは泳いでいたし、鍵を開けたタイミングでは既にちんこは消えていた。赤松さんに限らず、生徒である僕らにはちんこを奪えるタイミングが存在しない。 「ちんこの消えた水槽を見る前から、俺は違和感を覚えていた」 僕の主張を無視して、ゲンバクは赤松さんに向けて言った。 「あの時、教室中はちょっとした騒ぎになっていて、その中でセンパイはちんこの消えた水槽の前でパニックになりながら震えていた。そんな中、貴様は『虫を踏んでしまったから洗いに行く』などという理由で廊下に出ていた。これは不自然な行動だ」 「……どうして?」 何も言わない赤松さんの代わりに、僕は問いかけた。 「赤松にとってセンパイは友人だ。親友と言っても良い。誰よりも多くの時間を共にしているし、何かと言うと気を配り、至らぬところはフォローをしている。そんな赤松が、大事に世話をしていたちんこの消失にショックを受け、内村から理不尽に責められていたセンパイを置いて、たかが上履きを洗いに行くなどということが考えられるだろうか? ……それは。僕もおかしいと思っていた。 「そもそも『虫を踏みつけた』という供述も良く分からん。虫だって踏まれたくないのだから逃げ回るし、普通に生活していて偶然踏んでしまうようなことはそうそうない」 「……踏んでしまったのは遺骸です。気付かなかったから踏んでしまった。それだけです」 「上手い言い訳だな。注意力のある貴様にそんなことがあるだろうかと思うが、そこはどうとでも言えるというのは事実だろう」 「そもそも、仮にちんこさんをわたしが殺害したとして、それはどうやって? 犯行が可能な時間中教室は施錠されて入れませんでしたし、窓ガラスが割られていたと言っても格子窓の所為で腕も碌に通らない。どうやったって犯行は不可能なのでは?」 その通りなのだ。 教室の格子は細く、僕ら小学五年生の腕が通るかどうかという隙間しかない。 赤松さんの身体つきは細い。かなり細いし胸も平らだが、それでも百六十センチ近くある身長に比例して指は長く、拳のサイズは同級生と比較して小さくない。握り拳を通過させるのも困難だろうし、仮に通過出来たとしても、四メートルは離れている水槽まで届かないだろう。 虫取り網なんかを使っても同じだ。通る訳がない。都合の良い極細のマジックアームでも使ったというのか? まさか。 「これを見ろ」 ゲンバクは懐から関節のある長いトゲのようなもの取り出した。 それは茶褐色の、虫の脚のように関節のある、細い物質だった。脚だとすれば相当に大型の昆虫のものであることが伺える長さであり、先端には鋭い爪のような部位が付随している。先ほど教室で僕に見せていたのと同じものだ。 「茶褐色で長さもあり、鋭い爪の付属した虫の脚。おそらくタガメの前脚だ。タガメはこれを用いて獲物にしがみ付き、狩りを行うのだ」 赤松さんが息を飲むのが分かった。 「それがどうしたの?」 代わりに問いかける僕。 「これが教室の床に落ちていた。水場に生息する昆虫が一人でに教室に脚を残すはずがない。何者かによって持ち込まれたことは明らかだ」 「だから、それがどうしたんだよ」 「赤松。貴様はタガメを飼っていたそうだな」 その問いかけに、赤松さんは表情を殺して返答する。 「……そうです」 「今も飼っているか?」 「どうしてそんなことを訊くんですか?」 「質問に答えよ」 ゲンバクの鋭い視線に、赤松さんはとうとう気圧されたように下を向いてから、か細い声でこう答える。 「……言いたくないです」 「確かにあの格子窓は細く、ガラスを割ったところで、貴様の細腕であろうとも通るかは微妙なところだろう。しかし、タガメならどうだろうか? タガメの縦幅は小さいものでも成虫で四センチ以上はあるが、縦幅はその半分と言ったところだ。格子窓の隙間に十分通る」 赤松さんは緊張した面持ちで沈黙している。 「水槽に投げ込むことが出来るのだよ。教室は二階だから大き目の梯子でも使えば放り込むのはそう難しくない。ガラス窓はまあ、割ったんだろう。そして四メートルの距離ならばまあ外す確率は高くない。無論、生徒が朝登校して来た際にタガメが水槽内にいればそれがちんこを殺したことは一目瞭然だから、腕に紐でも付けておいて後から回収しようとしたに違いない。だが」 「ちょっと待てよゲンバク」 僕はゲンバクの話を遮った。 「それはおかしいよ」 「何がおかしいんだ?」 「ゲンバクの説は現場の状況と矛盾する。だって、タガメは生き物を綺麗に全部平らげたりしない。必ず遺骸が残る」 タガメはその鋭い口吻を獲物に差し込んで食事をするが、体内の肉を食いつくした後、骨と皮膚は捕食せずに残す。その為タガメが食べ終えた後の獲物の遺骸は、ぶよぶよの皮膚の中に骨だけが残された状態で残るのだ。 「でも水槽の中にちんこの死体はなかった。内村が腕を差し込んでひっかきまわして調べたんだから、確かだよ」 「おそらく赤松はタガメの捕食方法を良く知らなかったのだろう。いくらタガメを飼育していると言っても、餌としてメジャーなのは市販の人口餌だ。生き餌を与えない限りその捕食方法は拝めないからな」 「だから、そうだとすれば遺骸が残っていないのがおかしいじゃないか」 「赤松によって投げ込まれたタガメは、獲物であるちんこを抱え込んだ状態で、前脚に括りつけられた糸によって引き揚げられた」 僕は驚いて目を大きくした。 「それは偶然起きた出来事だ。タガメの捕食には時間がかかるし、放り込まれたタガメが狩りを行えるまで水槽に馴染むのにも時間がかかる。もう食い終えただろうと思って引き揚げたとしても、実際にはまだ食っている途中だったのだ」 「……そういう想像も出来ると言うだけの話なのでは?」 赤松さんは澄ました様子で反論しようとするが、顔がやや引き攣っている。 「ならばこのタガメの前脚はどう説明するのかね?」 ゲンバクは手の平で茶褐色の虫の脚をぴらぴらと振る。 「……あなたの想像によれば、わたしは前脚に付けた紐でタガメを回収したんでしょう? どうしてそんな前脚が教室に残っている道理がありますか?」 「紐を付けられたタガメは水槽から引き揚げられた後、その強い力に耐えられず脚が取れてしまったのだ。そしてタガメ本体と千切れた前脚は分離してそれぞれ教室に降り立ち、食われている最中だったちんこの遺骸もまた落下した。これなら辻褄が合う」 赤松さんは沈黙する。かと思えば小さく息を吐いて、自分の胸を抱いて俯いた。 その顔には諦観のようなものが伺えるが、僕はまだ信じられない。 「待てよ。その推理だと、タガメ本体とちんこの遺骸は教室に残されたんだろう? それを誰も見付けていないのはおかしいじゃないか?」 「それらを回収する為に、赤松は早くに教室に来たのだろう。担任教師が施錠を解除した直後には、教室に入っていたに違いない。だがタガメは昆虫としては大きいと言っても五センチ前後だし、ちんこの遺骸はタガメに内部を食いつくされて小さくなっている。脚に至っては言うまでもない。次の生徒がやって来るまでに発見できたのは、ちんこの遺骸だけだった」 「残りはどうなったんだよ?」 「脚は残されて後から俺に発見された。そして残るもう一つ……『虫』は……赤松が故意に踏みつけて隠蔽したのだ」 僕は思わず赤松さんの方を見た。 「今日の朝、廊下で会った赤松は『虫を踏み付けた』と言って水道に向かっていたな? 赤松はおそらく、タガメ本体が発見できないまま他の生徒が入って来て、焦っていたのだろう。そんな時、赤松は足元にタガメを発見した。しかし近くに人がいたか何かで、あからさまにしゃがんで取れるような状況でなかった。そこで赤松は、思わず足で踏み付けてそれが他人に見付かるのを防いだのだろう」 ゲンバクはどこか悲し気に肩を竦めると、鋭い視線で赤松を射すくめた。 「足の裏にタガメの遺骸が張り付いている状況が長く続けば、自身の犯行が看破される恐れがある。一刻も早く取り除く為に赤松は廊下に出ていたのだ。オタマジャクシのちんこと自身のペットのタガメ。この二つともを赤松は殺害したのだ」 「そんなことするはずがない!」 僕は叫んだ。叫ばざるを得なかった。 優しい赤松さんがそんなことをするはずがないからだ。 「こんな推理はでたらめだ。何の証拠もないじゃないか」 「……確かに何の証拠もない。状況証拠を拾い集めながら辻褄を合わせたらこうなるというだけで、絶対に確実に、赤松が犯人であるなどとは現状では言えない」 「だったら!」 「しかしかなりの蓋然性があることもまた事実だ。俺だって自分の推理が誤りであって欲しいが……」 「いいえ。合ってますよ」 赤松さんが言った。 鈴を鳴らすような、透明で静かな声だった。 僕は信じられずに赤松さんを見る。赤松さんはいつものように優しく微笑んでいる。名推理を披露したゲンバクに関心しているようにも、自身の罪が暴かれて安心しているようにも、僕には見えなかった。 ……これは自棄になっている笑みだ。 そう感じる。これまで赤松さんを赤松さんたらしめていた何かしらの琴線が弾け飛んだことを予感させる、そんな危うい笑みだった。 「認めるのか?」 「厳密性を求め続ければ辛うじて罪を逃れられるのは分かります。しかしここは裁判所ではありません。ここまで疑いが深まればどう言い訳したところで同じことです」 「教室にはいつ行った?」 「先生が鍵を開けるより前。施錠された校舎の前で待っていたら担任の先生が来て、鍵を持っていた先生と一緒に校舎に入って、教室にも一緒に入りました。その時に先生がガラスが割れているのとちんこが消えているのに気付いて、それからわたしの方を見たんです」 「担任は何と言っていた?」 「特に何も。流石にタガメやオタマジャクシの遺骸が落ちているのには気付かなかったとは思いますが……」 「担任は嘘を吐いていた訳ではないな。教室の施錠を解除して中に入った時既に、水槽からちんこが消えていたという証言に偽りはない。ただそこに赤松がいたことは伏せたというだけのことだ」 「なんでそれを伏せたりしたの?」 僕が問いかけると、答えたのは赤松さんだった。 「わたしがあらぬ疑いを掛けられるのを防いだんだと思います。誰よりも早く学校に来ていたなんて、人によっては不審に思いますから」 「『あらぬ疑い』というが、実際に貴様は犯人だし、証拠隠滅をしていたのだろうが」 ゲンバクは言う。 「しかし先生は黙っていてくれました。……内心では訝っていたとは思いますが、しかし何も確証はない訳ですし。取り立てて話を聞かれるということもなく淡々とガラスを片付けて、わたしを置いて職員室に戻りました」 「そこから貴様の証拠隠滅が始まった」 「その通りです。ちんこの遺骸とタガメが始末出来ればそれで十分だと思っていましたが……ふふ、まさか千切れた前脚なんてのを見付けだす人がいるなんて。流石はゲンバクさんですね」 ……わたし達の団長なだけはあります。と赤松さんは小学生とは思えない妖艶な笑みを浮かべた。 「なんで……ねぇ、なんで……」 と、そこで。 今までずっと沈黙を守っていたセンパイが、悲痛な声をあげた。 「赤松さん……ねぇ、なんでちんこを殺したりなんてしたの?」 「何故って? 分かりませんか? あなたの為ですよ。徹頭徹尾あなたの為」 「あたしの為?」 「ええ。あなたの心が傷つかない為です。あのまま放置すればちんこは確実に水槽の中で死に至ります。それを見たセンパイが深く傷ついて泣きじゃくることは想像に難くありません。そこに内村くんが残酷にも追い打ちをかけることも。そんなのは見たくないじゃないですか。……水槽から消して、カエルになって水路に帰ったことにしたんです。あなたにならわたしが言えば簡単に信じ込ませられます」 「だからって……赤松さんはちんこを……」 センパイは両目から溢れ出した涙を、二つの手でぐしぐしと拭い始めた。 「嘘だったの……? ちんこはカエルになってまだ生きてるって言ったのは……あれは嘘だったの? 今頃水路に帰って平和に暮らしてるっていうのは、嘘だったの?」 「……オタマジャクシは変態する前に手足が生えるのですよ。そうでなくとも、大きなウシガエルがあんな細い格子の隙間を通り抜けられるはずがないって、考えれば分かりそうなものですけどね」 赤松さんは露悪的に鼻を鳴らして肩を竦めた。 「ですが嘘を吐いて何が悪いんですか? ゲンバクさんが余計な謎解きをしなければ、センパイはそれで傷つかずに済んだんでしょう?」 「だがそれでは貴様の罪は暴かれない」 ゲンバクは言う。赤松さんは冷たく鼻を一つ鳴らして。 「罪を暴く? そんなのはあなたの自慰行為では? 頼まれもしないのに、たかだか虫と両生類を捻り潰しただけのわたしを弾劾して、いったい誰が幸せになったっていうんですか?」 「俺はただ貴様の話を聞きたかっただけだ。どういうつもりでそんな致命的な間違いを犯したのか。貴様の考え方に過ちがあるのなら、とことん向き合って正すのが友の務めだ」 「何が友の努めですか? オタマジャクシなんてどうでも良かったのはあなたも同じでしょう? センパイが水槽に余計なことするのを見ていて止めなかった癖に。センパイのことをほったらかして内村くんなんかとカードで遊んでた癖に。偉そうな態度に違わず、横柄で自分勝手なんですよあなたという人は」 「……心は痛まなかったのか? 二匹もの生き物を手に掛けて」 「確かにペットのタガメを踏みつけた時はそれなりにつらかったですね。しかしどれだけ珍しい、可愛がっていたペットでも、所詮人間の親友には適わないでしょう? オタマジャクシのちんこだってそれは同じです。センパイを苦しめる理由に成り得るのなら、死ねば良い」 それを聞いて、眉を潜めるゲンバクと息を飲むセンパイを見て……僕は思わず声を発した。 「ダメだ赤松さん。自棄になっているからって、自分で自分を傷付けたら、ダメだ」 切実にそう感じた。 赤松さんは信じられない程自暴自棄になっている。露悪的な言動は本心でもあるのだろうが、それ以上に自分自身の品位を友達の前で傷付けて、何もかもを台無しにしようと言う破滅願望そのものだ。 そんなことを続けさせる訳に行かない。 「間違いは認めるべきだ。そしてセンパイと内村くんに謝るんだ。君が君のままでいるには、それしかないんだよ」 「気が君のまま? ……買いかぶらないでくださいよ。もう全部台無しになって安心して本当の気持ちが言える今が、本当のわたしですよ」 「どんな戯言でも口に出している内にそれが本当の自分になるんだ。僕はそれが本当に悲しくてたまらないんだよ」 「うるさいですね。とっくに幻滅している癖に!」 赤松さんは苛立ちを露わにした。 「もうとっくにおしまいなんですよ! これまでに積み重ねて来たことの全てが。こんなことをしたってバレてしまって、どうしてあなたにもう一度パートナーになって貰えるっていうんですか? こんなことをしたわたしの隣で手品をやりたがる人がどこにいるっていうんですか!」 その目には涙が浮かんでいる。これまでにこらえ続けて来たことが決壊したかのような、とめどなく溢れるような深い慟哭が始まった。 「本当は最初っから分かってるんでしょう? わたしがどれだけ薄汚れた人間かってことは! だから誘いに乗ってくれなかった。そうでしょう?」 「……違うよ赤松さん。僕は前から君のことが……」 「嘘を吐かないで! もしそうならこんな無駄な時間は過ごしていない! ああもう……もう……全部、おしまいです」 ボロボロと涙を流しながら背を向けた赤松さんは、秘密基地の出口に向けて歩き出す。 そして何も言わずに扉を開けて、外へ出た。 一歩ずつ、脚を止めずに、振り返ることもせずに赤松さんは探偵団から遠ざかって行く……。 そこには明確な拒絶を感じた。 それが分かっているから、僕もゲンバクも何も言えなかった。何を言ってもその深い拒絶がさらに絶望的なものになるような気がして、怖かった。だから僕らは声を掛けることも追い掛けることも出来ずに、弱虫を晒してその場に立ち尽くすことしか出来なかった。 「待って! 話を聞いて!」 センパイが叫んだ。 「あたし、大好きだからね! 赤松さんのこと、大好きだからね!」 足元に涙の粒を絶えず落としながら、鼻の詰まった声でセンパイは声を張り上げ続ける。 「赤松さんが優しいの知ってるからね! 何を言われてもそれは変わらないからね! ずっとずーっと……世界で一番、あたし赤松さんのこと大好きだからねぇえ!」 それ以上はもう言葉にならなかった。「あああん! ああああん! あああああ!」と、喉が枯れる程声を出してセンパイは泣き続ける。 赤松さんは一瞬だけ脚を止めた。 そしてすぐにまた歩き始めた。僕達の傍から、たった一人で立ち去って行ったのだ。 〇 四話:トゥルー・ちんこ 〇 赤月いのりちゃんは笑わない女の子だった。 僕が舞台で手品をする時は、愛想良くニコニコしながらハキハキした口調でアシスタントを務めてくれるけど、それが終わったら唇を結んで仏頂面になる。 顔はとってもかわいいのに目付きはなんだか険しいし、周りの子役達がはしゃいでじゃれ合っていても目もくれない。だからいつも一人でいた。 僕はそれがとても悲しいことだと思う。 笑わないのも一人でいるのも、きっと悪いことではないのだと思う。人に迷惑を掛ける訳じゃないし、『おしごと』はちゃんとやっているんだから偉いに違いない。 だけど、いのりちゃん自身はそれで楽しいのかな? 何の為に毎日テレビ局に来ているのかな? 僕がもっとお兄ちゃんだったら、いのりちゃんの態度にもう少し理解を示せたかもしれない。いのりちゃんは幼い内からテレビに出てタレントとして成功しようと努力していて、頑張ろうと思うあまりいつも張り詰めたような気持ちでいるのだと。 けどその時の僕は小学二年生だった。 だからいのりちゃんを笑わせようとした。 同じ楽屋で過ごしている時、出番に備えて集中力を高めているいのりちゃんに、僕はそっと声を掛けた。 「ちんこ」 いのりちゃんは僕の方を見た。 訝るような表情だった。 「え? 何ですか?」 いのりちゃんは何が何だか分かっていなかった。 「だから、ちんこ」 「やめてください」 切って捨てられた。 別にふざけてなんかいない。僕はいのりちゃんに笑って欲しいだけだ。人を笑わせるには『ちんこ』と言っておけばまず間違いがないと言うのは、世界中(小二の僕のクラス)に認知されている絶対的普遍的な真理だ。 その『ちんこ』の力に対する確信的な信頼故、僕は切り捨てられても特に気にすることなく、何度でもちんこと言い続けた。 「ちんこ。ちんこちんこ」 「大丈夫ですか? あなた」 「ちんこちんこちんこちんこ。ちんこちんこ」 「やめてください」 僕はめげなかった。 次の日も次の日も、僕はちんこと言い続けた。言い方も工夫した。移動中の車で突然耳元で『ちんこ』と囁いたり、遠くに座っているいのりちゃんに大声で『ちんこーーーーっ!』と叫んだりした。 ボディランゲージも活用した。自分の股間のあたりに手を添えて腰を突き出しつつ『ちんこ!』と叫んだ時は、テレビ局にいつも付き添ってくれるお母さんに無茶苦茶怒られた。 いのりちゃんは反応を示さなかったが僕は頑張り続けた。僕がちんこと口にするバリエーションは日に日に増え続けた。次はどんな方法で『ちんこ』と言ってやろうか考えると楽しくて楽しくて仕方がなかった。反応があろうとなかろうと、とにかく人に向かって『ちんこ』と言うのは本当に楽しいことなのだ。 経験があると分かる。君もやってみよう。 テレビ局の人達には僕はアホな子供として見られていた。大人しく手がかからないが本番になるときっちり笑顔でやる優秀ないのりちゃんと、鼻水を垂らしながら女の子に向かってちんこちんこと訴え続ける心配な道太郎くんと言う組み合わせで、テレビ局の人には認知されていた。 ある日のことだった。僕と台本合わせをしていた時、いのりちゃんがその場に座り込んで両手で顔を覆い始めた。 僕は驚いた。周りの大人達も皆驚いていた。いのりちゃんはお稽古とか台本合わせは誰よりもきちんとやる子で、こんな風に途中で放り出して黙り込んでしまうことなんてない。異常だった。 その時のいのりちゃんは肩が震えていて、手に平の隙間から見える顔は真っ赤だった。いつも大事に扱っている台本がその手からこぼれ落ち、開かれていたページが露わになった。 台本の白紙部分にはマジックで大きく『ちんこ』と落書きされていた。 「このバカっ!」 僕はお母さんに殴られた。平成初期のコメディアニメのように猛烈なげんこつを浴びせられ火花が散った。 もちろん体罰は良くないんだけど無茶苦茶怒られるのは当然だった。そりゃあそうだ。女の子の台本に卑猥な落書きをするなんて重篤極まる問題だ。僕といのりちゃんは天才ちびっこ手品師とそのアシスタントの天才子役という関係だったが、今後のコンビ運用の是非にも少なからず影響を与えかねない。それだけの愚行を犯したのだと、そのげんこつで僕は理解が出来た。 これはどうしたものかと大人達は思案顔をしている。 そこで、僕らの共通のアシスタントだった白瀬さんがいのりちゃんに駆け寄った。 「大丈夫?」 いのりちゃんは震え続けている。 「一度、楽屋に下がって道太郎くんと三人でお話を……」 いのりちゃんは顔をあげた。 笑っていた。 顔を真っ赤にして目尻に涙を浮かべながら、いのりちゃんは初めて見る笑顔を浮かべていた。 それはこれまでに見るどのいのりちゃんよりも魅力的な顔だった。いのりちゃんの笑顔なら練習や本番で何度も目にしたことがあるけれど、あれはお芝居としての笑顔であって、どれだけ可愛らしく微笑んでいても体温と感情のない笑みだった。だが今目の前にいるいのりちゃんの顔はくしゃくしゃで、頬が赤らんでいて、心からおかしがっていることを誰にでも感じさせる笑みだったのだ。 「もうやめて」 いのりちゃんは笑っている。 「もう我慢できない。ちんこおもしろ過ぎる」 いのりちゃんはちんこの良さに目覚めていた。 何の導線も脈絡も意味もなくただ唐突に口に出される男性器の俗称に、いのりちゃんは最初戸惑っていた。この手先が器用なだけの口元に乾いた涎の張り付いたアホな同級生は、いったい何を言っているのかと。しかしちんこちんこと繰り返される内こいつはそもそもそういう奴なのだと理解するようになり、そうしている内に戸惑いは払拭され、やがてまっさらちんこそれ自体を受け入れるようになっていた。 そうなって来るとちんこは面白い。 後から聞いた話では、いのりちゃんの周りにはちんことか言って笑わせてくれる人はどこにもいなかったのだという。幼稚園にいる時から子役としてテレビ局に通いつめ、学校にもあまり行っていなかった為、ちんことうんこが大好きなごく一般的模範的な子供と出会うことがなかった。そこへ来て四六時中ちんこちんこと話し掛けて来る僕はいわば笑いのターミネーターで、その激しい侵略に晒されていのりちゃんはとっくに陥落状態にあったのだという。 しかしそんなことで人前で笑って良いのかがいのりちゃんには判断できず、ずっと我慢して来たところで台本に描かれた『ちんこ』を目にしてついに決壊した。生まれて初めて人前で思いっきり笑った感想として、いのりちゃんは。 「すっごくおかしい!」 と言ってくれた。 それっきり、僕といのりちゃんは仲良くなって色んな話をした。 僕はいのりちゃんの名前についてまず質問した。『赤月いのり』という名前は不思議な感じがしていたのだ。名前としておかしい訳じゃないけれど、『姫島道太郎』とか『長崎慎之介』とか『内村吉雄』とか『川岸アレキサンドロス武文』なんかと比べると、やはり何かが違う感じがする。マンガとかに出て来るキャラクターみたいだ。 それ本当の名前なの? と尋ねる僕に、違うよといのりちゃんは答えた。 「本名は赤松法子って言います。赤月いのりは芸名なんです」 「げーめーって何?」 「テレビに出る時の名前です」 「ふうん。どっちもかわいいね」 いのりちゃんの楽しいところは、いつ何時どんな状況であれ、『ちんこ』と口にすればそれだけで笑ってくれるところだった。親の死に目に言われても多分この人は笑うだろう。 「いのりちゃん。ちんこ!」 「アハハハハハハハハハやめてください」 「ちんこちんこちんこ! ちんこ」 「ひひひひひひひ笑い死ぬ! 笑い死ぬからやめてくださいよもうぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」 あの可憐で大人しく心配になる程良い子過ぎたいのりちゃんの豹変に、周囲の大人達は皆驚いた様子だった。とは言え舞台以外でも笑顔を浮かべるようになったのはプラスに捉えられていた。いのりちゃんは番組ディレクターなどの偉い大人にもしっかりとした受け答えをするが、反面子供らしい元気の良さや屈託のなさには欠けており、そうした点を良しとしない人からの評価は芳しくなかった。 「姫島くんと会ってから、お仕事も上手く行くようになった気がします」 いのりちゃんは芸能界に自身の全てを捧げていた。と言ってもいのりちゃんは小二なので、それはあくまでも親の意向だったが。放送作家として忙しい日々を送るいのりちゃんの父親は、自身が所属する事務所のマネージャーである白瀬さんに娘を預け、タレントとして育成を計っていたのだ。 「毎日毎日テレビのお稽古とか仕事ばっかりでしんどくない?」 「大変です。いえ、本当は良く分かりません。他の生活を知らないので」 いのりちゃんは幼い頃から芸能人としての英才教育を受けており、特に振る舞いや礼儀作法、人前で話すことなどについては厳しく躾けられていた。その為その物腰や言動はおよそ子供離れしていて、小二の今の段階で既に高学年のお姉さんとも遜色ない程だった。 「わたしって他の子と何か違うんでしょうか?」 「全然違うよ」 割と切実な質問のようだったが僕は特に何も考えず素直にそう答えた。そしてそれ以上は肯定的なこともそうでないことも何も付け足さなかった。いのりちゃんの振る舞いは普通の小二には見えなかったし、それを特に良いこととも悪いこととも思わなかった。 「同じ歳くらいの子って姫島くんしか知らないから、良く分からないんですよね」 「そうなんだ」 「ええ。あの。また学校での話を聞かせて貰えませんか?」 いのりちゃんは僕に良くそれをせがんだ。普通の子の普通の学校生活の様子を知りたがった。僕は喜んでそれに応じていた。僕がそれを話すと、いのりちゃんはちんこと聞いた時と同じくらい喜んで楽しそうにしてくれるからだ。 ふとっちょな長崎くんの話をした。無茶苦茶頭の良い私立の小学校から『ここで俺が学べることは何もない』と言って転校して来た天才で、びっくりする程偉そうな態度と太った身体を持っている。いのりちゃんとは別のベクトルで子供離れした受け答えをする子供だったが、不思議と孤立はせずに周りからは愉快なデブとして扱われている。僕もそんな長崎くんのことが大好きで早くも親友になっていた。 他にもいじめっ子の内村くんや、『内村くんの言う通りでゲス』としか言わない川岸くんの話などを、僕はいのりちゃんにした。男子の話ばかりで面白いのだろうかと思ったが、いのりちゃんは気にしないようだった。 「姫島くんのお話は本当に面白いです」 「え? そう?」 「ええ。わたしもいつか、姫島くんの学校に通いたいなあ」 いのりちゃんは天才子役としてもてはやされるくらいだから可愛らしく、それでいて賢く優しい女の子で、一緒にいるだけで僕は嬉しくてたまらなかった。いのりちゃんの方も僕のことをどうやら気に入ってくれたようで、楽屋での待ち時間など僕らはいつもおしゃべりに花を咲かせていた。 仲が良くなったことで、ちびっこ手品師とその助手としてのコンビネーションも高まり、僕らは難しいマジックを次々と成功させるようになった。それに伴い、人気も爆発的に高まって行く。色んなテレビ番組に引っ張りだこになり、金曜夕方の子供番組ではレギュラーとしてコーナーを持つまでになった。一世を風靡したと言っても大げさには当たらないだろう。 だがそんな日々はずっとは続かなかった。 終わりを告げる時が来た。 それは暗い理由ではなかった。少なくとも僕にとっては。ただ選択をしただけなのだ。 手品は好きだったしテレビに出るのも楽しいことで、何よりいのりちゃんは大好きな女の子だった。毎日テレビ局に通うのもそれほど苦しかった訳ではないし、こと手品に関しては僕は明らかに才能があったので、漠然とそれは伸ばした方が良いような気もしていた。 テレビに出て活躍できるのは恵まれたことで、多分特別なことでもあって、いのりちゃんという近所にはまずいない綺麗な女の子とも一緒にいられて。それらは僕にとってとても大切で、でも一番大切なことでもなくて、もっと平凡で普遍的な謳歌すべき幸福が僕には他にあって。その意志はお母さんからもお父さんからも尊重された。 だから三年生に上がる時、僕はテレビに出るのをやめていた。 〇 トランプを一枚ゲンバクに選ばせる。 それをデッキの中に戻させ、ゲンバク自身にシャッフルさせる。 そして秘密基地の簡易テーブルの上に置かれたトランプに、僕は手をかざして魔法を掛けた。 「あなたが選んだのはこのカードですね」 僕はトランプの一番上をめくる。そこにはダイヤの3があった。 「どうですか? これですよね?」 「違うぞ」 ゲンバクは意外そうな表情で言った。 「そうですか。おかしいですね」 「調子が悪いのか? ブランクがあるから、腕が鈍ったのかもしれないな」 「そんなはずはないんですが……。そうだ! もしかしたらあなたのポケットに本当のカードがあるかもしれません」 ゲンバクは目を丸くすると、自身のポケットの中を弄る。 右のポケットの中から、ゲンバクはスペードのAを取り出した。 「い、いつの間に……」 「そしてあなたのお財布はいただいておきます」 僕はいつの間にやら手元に移動していたゲンバクの財布を己の懐に収めた。 ゲンバクは焦った様子で僕に手を伸ばした。 「待て待て待て! おいふざけるな下郎めが!」 「貰ったらダメなのか?」 「ダメに決まっているだろう! 返すのだ」 僕がゲンバクに財布を返すと、センパイはおかしそうに掌を叩いた。 「すごいすごいすごい。姫島くん、そんなこと出来たんだ! どうやってるの?」 「魔法です」 「え? 本当?」 「本当です。そしてセンパイの財布もいただいています」 僕はいつの間にやら手元に移動していたセンパイの財布を己の懐に収めた。 丸っこい子供財布で、星のカービィの顔が描かれている。 中には百円以下の小銭ばっかり合計三十枚くらい入っていてずっしり重い。釣銭考えて出すとかできそうにないもんなぁ。 「あ! ああやめてっ。取らないであたしの財布!」 焦った様子のセンパイに財布を返す。 「……相変わらず盗人だな貴様は」 「このスリ! 泥棒! ちんこ!」 非難轟々である。ちゃんと返したんだから別に良いじゃないか。 次の手品を披露しようと、僕は懐から鉛筆を取り出した。 普通に学校で使っているHB鉛筆で、片方が鋭く削れている。 「これの削れた方をその手に握りこんでみてください」 センパイに手渡す。肉体年齢十七歳のセンパイは僕らと比べると比較的大きな手でそれを受け取り、言われた通りに握り込む。鉛筆の尖った側はセンパイの拳の中に完全に消えた。 「今からこれを、あなたが手を開かないまま新品に交換して差し上げましょう」 「ええ~? そんなの出来る訳ないじゃん。バカだ、バカ!」 その宣言に、センパイはバカにしたようにけらけらと笑う。 僕は不敵な笑みを浮かべながらセンパイの手の平をさらりと撫でると、人差し指と親指をこすり合わせた。音は鳴らない。 「ぱちん」 「今口で言ったよね?」 「さあ。掌を開いてみてください!」 センパイが手を開くと、そこにはどこも削れていない新品のHB鉛筆があった。 「お……おおおお! すげぇえええ!」 センパイは興奮した様子だった。 「どうやったのおおお? まるで魔法だ! すげぇええええ!」 「すごいでしょうすごいでしょう」 僕は満足して頷いた。 「ついでにこのあなたのブラジャーはいただいておきます」 僕は水色の大きなブラジャー(Fカップ)をセンパイに向けて掲げて見せた。 「ふぎゃあああああ!」 センパイは悲鳴を上げた。 「なんであたしのブラジャーそこにあるの? いつの間に取ったの? どうやったのやめてよこのバカ!」 精神年齢十一歳にして肉体年齢十七歳のセンパイは、相当に大きな胸の下着を身に着けている。 そのサイズはFカップにも達する。こんなものを付けた女の子が小五の僕と同じ教室で授業していると思うと、集中力が高まってしょうがない。 「落ち着けセンパイ! 財布ならともかくブラジャーなどそう簡単に引き抜けるものではない! きっと何かのトリックがある!」 ゲンバクが言う。 「トリックって何よ!」 「それは本当に貴様のブラジャーか? ちゃんと付いているのか確かめてみるのだ!」 センパイが制服の中に手を突っ込んで胸のあたりを弄る。ただでさえ大きな胸の隆起の中でセンパイの手がもごもごと動く。興奮する光景だ。 「……付いてる」 「やはりな。それはあらかじめセンパイが付けているものと同じものを用意したダミーだ!」 「そっか!」 センパイは安心したような表情を浮かべ、すぐに小首を傾げた。 「あれでもどうしてあたしが付けてる下着がどれか分かったの?」 「魔法だ」 僕は高らかに宣言した。 ゲンバクは胡乱そうな顔をしつつも、批評的な口調で言った。 「鉛筆を新品に取り換えた手品は凄まじかったが……今のは少し蛇足気味だな。センパイをからかうのには良いが、手品としては妙味に欠ける。着ている下着を抜き取ったというならともかくな」 「流石に女子の着ている下着なんて掏れないよ」 肩を竦める。 「おまえのパンツはこのとおりもらったがなぁあああ!」 僕はゲンバクから抜き取ったブリーフを眼前に突き付けた。 子供のパンツとは、いやそもそもパンツとは思えない程巨大なサイズだった。半端なシャツくらいの布面積がある。象のパンツかよ。このデブめ。 「ぬおおおおおおおおおおおお!」 ズボンの中に手をやって、本当にパンツがなくなっているのに気付いたゲンバクは顔面蒼白。悲鳴を上げている。 結構声が高い。デブだからソプラノボイスが出せるのだ。汚いけど。 こいつが取り乱すのって珍しいからマジでおもしろいわ。 「い、いつの間に取ったんだ? と言うか取れる訳ないだろうパンツなんて物理的に!」 「魔法だ」 僕はゲンバクにパンツを投げ返す。こんなばっちぃものずっとは持っていられない。汚ねっ、えんがちょっ。 「それで全部片づけられると思うなよ! タネを言えタネを!」 「すごい! 本当にすごい! 天才だっ!」 センパイは握った拳を勢い良く揺らして興奮を表現する。 「マジで天才じゃん。なんでこんなこと出来るのずっと黙ってたの? テレビとか出れるよ、絶対に!」 「出てたよ。小二の時はほとんど毎日」 「え? そうなの?」 「センパイは知らないか。ちょうど病院で意識不明になっていた時期だろうから」 精神年齢十一歳肉体年齢十七歳のセンパイは、過去に弟の仕掛けたバナナの皮に滑って転び、六年間意識不明になっていたという経験がある。 僕がテレビに出ていたのは三年くらい前だから、知らなかったとしても無理はない。 「ちびっこ手品師みちたろう君……と呼ばれていたな」 ゲンバクはセンパイに後ろを向かせてパンツを履きながら言った。 「確か赤松がアシスタントを務めていたのではなかったかな?」 「そうなのっ?」 センパイが目を丸くする。 「そうだよ。天才子役と謡われていた希代の美少女、赤月いのりが有名になった最初の出来事だ」 僕は思い出す。赤松さんと二人で毎日舞台に立ち、共に手品をしていた遠いあの日々を。 小学五年生にとって三年は隔絶した意味を持つ。大昔どころか、あの時の自分が今の自分と、どのくらい地続きなのかも不安になる程だ。 とは言えそれなりに楽しかったとは思う。自分が普段当たり前にしていたことが実は物凄い才能だったというのは誇らしかったし、いのりちゃん……赤松さんとも仲良くなれて毎日おしゃべりをした。 白瀬さんは良く僕と赤松さんを食事に連れて行ってくれたし、時間があると楽屋の裏で遊ばせてくれることもあった。 稽古は正直大変だったし、手品でしくじることはなくとも台詞を間違ったりしてたまに怒られたけど、それでも舞台をきっちりやりきった時は達成感があった。そうして撮られた映像がテレビに映っているとやりがいも感じた。誰よりも綺麗な赤松さんと一緒にテレビに映れることが誇らしかった。 「知らない知らないそんなこと。なんで教えてくれなかったのっ」 センパイが不安そうな顔をする。 「いや、だって言うようなことじゃないし」 「でもすごいことじゃん」 すごいことだと思う。 あの頃の僕は日本で一番有名な小学二年生だったと思うし、数多くの手品師の先輩方から弟子入りを打診されたし、日本手品協会賞も与えられた。 出演料やらグッズ料金やらで、僕の両親は相当潤ったらしいし。その割には小遣いの額は低いしおかずの数も少ないけどな! 大人になったら絶対返せよ! ちくしょう! 「ねっ、ねっ。なんでやめたの? 飽きられたの?」 言葉を選ばないセンパイ。悪意はない。歯にもの着せるってことがないんだこの人は。バカだから。 「いいや。やめたの三年生に上がる頃なんだけど、むしろその時が一番人気絶頂だった」 「じゃあなんで?」 「しんどくなったから」 「へ?」 「忙しくて大変だったから。ほとんど毎日夜遅かったし。放課後は友達と遊びたかったし」 あの頃は本当に毎日苦しかった。 学校から帰ったらいつもすぐ親の車でテレビ局だったし、稽古は厳しく本番では何度もリテイクがあったし。くたくたになって家に帰ってからもゲームとか出来る訳じゃなくて、宿題とか片付けるとすぐ寝かされたし。夜遅かったから。 学校にいる間はそれでも無邪気に遊んでられたけど、その学校だって酷い時だと一週間の半分以上休まされていた。見たいアニメも見れないから話題にも付いていけないし、ゲームソフトの進行は誰よりも遅くて、対戦ゲームは練習する時間がないからいつもボロ負けだ。 「相方の赤松さんと仲が良かったのはまあ、救いっていうか。会うと楽しかったんだけどさ。だからってそれだけで全部満足できるかっていうと、そうじゃなかったっていうか……」 ちびっこ手品師としてテレビで活躍出来てはいても、プライベートの子供QOLは最底辺。 気まぐれに飛んだり跳ねたり笑ったり、そういう時間はまったくなかったと言って良い。そりゃ欲求不満にもなるわ。 今日はテレビ行きたくない、長崎くんと遊びたい、……車の前でそんな風にくずって母さんを良く困らせたっけ。 「で。ちょっとずつ嫌になって。手品はずっと好きだったけど人からやらされるとなんか違うし。元々近所のお姉さんから教わっただけの手品を、母親が勝手に映像を撮って応募しただけのことだしさ。赤松さんと会うのが楽しかったから続けてたけど、それももう良いかなって」 テレビをやめると打ち明けた時、当時の赤松さんには酷く泣かれた。 人生で初めての、そして唯一の友達だったらしい。いなくなるのはつらいと言われた。 可哀そうだと思ったし、僕も赤松さんが好きだったし、後ろ髪は引かれたけれど、最後まで決意は変わらなかった。 「正直赤松さんと離れ離れになるのは僕もつらかったよ。向こうは芸能界を続ける訳だから、忙しくて会う機会なんて作れないだろうし」 「それを理由に続けようとは思わなかったのか?」 「思い掛けたよ。何度も説得されたし。でも色々天秤に掛けた上で、結局やめようって」 「貴様の手品の才能は確かなのだ。それを伸ばせる環境に身を置くのも、それなりに価値のあることだとは思うが」 「そうだね。でも子供でいる内に子供らしく友達と遊ぶことの方が大事だと思った。あえて言ってしまうとな、俺はおまえを……おまえや学校の仲間を取ったんだよ」 小一で転校して来たゲンバクとはすぐに仲良くなれて、一緒に野山を駆けまわり子供らしく遊んだ。 ゲンバクはアタマが良く何でも知っていて行動力もあり、どこまででも僕を愉しませてくれた。 内村くんや川岸くんも、当時からいじめっ子をやっていてそれはもちろん良くないんだけれど、あれで気の良いところもあって当時も今も遊ぶ時は楽しく遊ぶし。 「それが間違いだとは僕は思っていない。赤松さんとはそれぞれの道を行けば良い。僕に手品の才能があるなら赤松さんにはタレントの才能があるから、きっと上手く行くと信じて別れた」 実際、僕がいなくなってからも、赤松さんはテレビに出続けた。 子供離れしたしっかりとした受け答えと可憐な容姿で、お茶の間の人々を魅了して行った。 金曜夕方からの子供番組にもレギュラーとして出続けていたし、アタマが良く何でもこなすのでディレクターからも重宝されていた。予算の大きなドラマや映画にも出演していた最盛期と比べれば、休職する直前の時点は少なからず勢いが落ちていたとは言えたが。 「でも今子役やめてるんでしょ?」 センパイが言った。 その通りだった。 忘れもしない。五年生に進学したあの日の朝。 生徒達は皆騒然としていた。その理由は明らかだった。 教室にあった二つの異物。 一つは明らかに高校生くらいに見える……高校生にしても体格の良いセンパイが、小さな机に窮屈そうに腰かけていること。センパイは目が覚めて体の大きくなっていた自分に戸惑い、周囲に受け入れられるかどうか不安そうにしていた。 そしてもう一つの異物は……ジュニアアイドルの赤月いのり。 「やめてるっていうか、休職なんだけどね。わざわざ電車に乗って自宅から少し遠い僕の小学校に来てくれたんだから。いや、嬉しかったよ」 「嬉しかったの?」 「うん。再び会えて本当に嬉しかった。三年ぶりだったけどまた同じように友達になれたし、センパイとゲンバクと四人でこうして探偵団も結成している」 そこから先は人生でも一番と言って良い程愉快な毎日だ。 山の中にあるこの小屋を秘密基地にして、おしゃべりをしたり、色んな遊びをしたり、時には探偵団の名に恥じず近所の謎解きをしたりする日々。 「ずっとこんな毎日が続けば良いと思っていた。少なくとも、赤松さんが芸能界に復帰する日まではね。僕は探偵団の他の三人を何より大切にして来た。来たんだけれど……」 ここ最近、赤松さんは学校に来ていない。 タガメとオタマジャクシを殺してしまった赤松さんが、皆に責められてこの秘密基地を出て行ったあの日から。 連絡をしても応答がない。白瀬さんを通じて会おうともしてみたが、無理だった。 僕は心配でたまらなかった。確かに赤松さんは間違いを犯したが、しかしそれはセンパイを想っての過ちだった。そうでなくとも、いくら間違いを犯したからと言って、悪戯にそれを弾劾することが常に正しい対応な訳ではない。もう少し他の向き合い方をするべきだったかもしれない。あの時向き合い方を間違えてしまったから、僕らの前から赤松さんが消えてしまったのだとすれば、それは悔やんでも悔やみきれないことだった。 「……年齢からすると考えられない大人びて、自省的知能の高い女子だからな」 ゲンバクが言う。 「きっと自分のしでかしたことが怖いのだろう。自身の罪と、そして俺達と向き合うのが怖いのだ。そして顔が出せないでいるのだ」 「年齢から考えられない程大人びてるのは、ゲンバク、おまえも同じだろう?」 「俺は特別だ」 言い切った。 まあこいつはギフテットと呼ばれる本当の天才児だし、特別と言えば特別なんだけど。 「でもこんなに長く学校に来ないのはおかしいよ。ねえ。また一緒にあの子の家に行こう」 センパイは言う。 「遠いぞ? それにそれは何度か試して追い返されただろう。特にセンパイ、貴様何度電車の乗り換えをしくじって遠くまで輸送され、親御さんに迷惑を掛けたと思っているのだ」 一度なんて沖縄まで行ってたからな。船に乗って。 いや、何がどうなったんだ。どうしたら本州の真ん中あたりのこの街から沖縄に行けるんだ? ……なんかねぇ、途中で川がねぇ、あった記憶あるから赤松さんの家までに。だから船に乗ったらねぇ、そこ渡って見たことある場所に行けるかもって思ったの。 訳が分からん。 「まだまだ時間が必要なのかもしれん。俺達に出来るのは、彼女が戻って来た時に、出来るだけ暖かく迎え入れる心の準備をしておくことだけだ」 「その通りだな」 僕は頷いた。 秘密基地の気温は高く、座っているだけでも汗が噴き出す。セミの鳴き声が響き続けていた。 夏休みが近付いている。 〇 セミの鳴き声を聞きながら帰宅する。 食事を取って風呂に入ってテレビゲームで遊んで、寝る。 次の日は土曜日だ。昼からゲンバク達と約束があるが、それまではたっぷり寝てやるつもりで、僕は朝日が昇ってからもベッドの上でのたうっていた。 休日の朝寝坊は最高だぜ。 ぐへへへへへへ。 「みちたろーっ。起きなさぁい!」 母さんの声がした。 これが大変うざったいのは言うまでもない。別にまだ反抗期って訳じゃないし、母親のいうことは原則的に聞くべきだと理解しているつもりだが、しかし心地良く眠気と戯れるこの時間を奪われては苛立ちを禁じ得ない。 どうせ『土曜日だからってあんまり寝坊するんじゃないのっ』とかいう奴だろう。無視してもう少し寝てやろう。時には僕だって母親に抗うのだというところを見せてやるぐへへへへ。 「早く起きなさい! 起きないと昔あなたが描いた作文『お母さんだいすき』を大音量で窓から音読するわよー」 僕は飛び起きた。 なんて酷い脅しをするのだと怒りを覚えながらリビングに行くと、そこには白瀬さんがいた。 「おはよう。道太郎くん」 僕は目をこすりながら「おはようございます」と少し寝ぼけた声で言った。 「どうしたの? 白瀬さん」 「ちょっと来て欲しいところがあるのよ」 「どこ?」 「有名な番組ディレクターさんのお家なんだって」 母さんが言う。 「三年前のあなたの活躍にすごく興味を持ってくださっている方なの。お話だけでもして来てみなさい」 「ねぇ母さん。僕はもう芸能界には戻らないって言ってるじゃないか」 僕が抗議をすると、母さんは優しい目をして言った。 「別に私だってあなたに芸能界に戻って欲しい訳じゃない。テレビに出て手品をすることは価値のあることだけれど、友達と遊んだり勉強したりすることがそれに劣る訳じゃないからね。けどね、どうするのが自分にとって一番良いのかを簡単に決めつけるのは、もったいないことなのよ。最後の決断の部分だけ自分が握っていられるのなら、あなたを必要とする色んな人の話を聞いてから考えた方が良いと思わない?」 「そうかな?」 「あなたの前にあるのは選択肢だけよ。誰も強要なんかしない。だったらじっくり見極めてきちんと決断すれば良いわ。だから行きなさい」 そう言われ、僕は白瀬さんの車に乗せられることになった。 「そのディレクターさんってどんな人?」 「うん? 葛城さんって言うんだけど、とっても優しい人よ。だから安心して」 どこか取って付けたように感じられるその言い様は、僕の頭の上を上滑りしていくようだった。 「どんな話をするの?」 「いのりちゃんとあなたが今後どうしていくか、かしら?」 「赤松さんはやっぱり僕を芸能界に連れ戻したがっている?」 「そうね。あなたを口説き落とす為に、わざわざ同じ学校に転校して来たんだから」 白瀬さんは言う。 僕は意外だった。 仮にそんな事実があるとしても、それはせいぜい暗黙の了解であるべきことだ。子供である赤松さんが口を滑らせるのならまだしも、白瀬さんの口から言ってしまって良いことではないはずだったからだ。 「だからって休職するのはいくら何でも良くないんだけどね」 「そうなの?」 「そうよ。ただでさえ落ち目だったっていうのに。碌に復帰することも出来ずに消えるリスクすらあるっていうのに」 どこか忌まわし気な口調だった。 変だと思った。 基本的に、白瀬さんは僕らの聞こえるところでネガティブなことを口にする人ではない。落ち目だとか消えるだとか、そういうことを子供に聞かせるのはご法度に近いはずだ。 「ジュニアタレントの賞味期限は短いのよ。ペットショップの子犬や子猫と同じよね。大きくなるにつれその価値は衰えるし劣化のスピードは速い。あの子ももう小五なんだから色々ギリギリっていうのにさ。そりゃあ一世を風靡した『ちびっこ手品師』を復活させれば少なからず寿命は延びるかもしれないけれど、だからってもう何か月休んでるのよ」 白瀬さんの話し方はどこか自棄になったかのようで、自身の内側に貯め置かれていた様々な感情があふれ出るかのようだった。僕という子供相手に、大人がそんな態度を見せることは尋常ではなく、何かしらひっ迫した精神状態すら感じさせた。 辿り着いた有名ディレクター・葛城の家は、高級住宅街の中でもより威厳を感じさせる大きな家屋だった。その大きなガレージに車を止め、白瀬さんは僕を引率して大きな庭を抜け玄関の前に立つ。 チャイムを鳴らす。 反応がない。 「あら。いないのかしら?」 言いながら、白瀬さんは家のドアノブに手をやった。 「開いてるわ。入りましょう道太郎くん」 「勝手に入って良いの?」 「良いわよ」 白瀬さんは玄関に靴を脱いで葛城の家へ侵入した。 屋内は広かった。一階だけでも、大きなリビング以外にも部屋が三つも四つもある。白瀬さんは廊下をふらふら歩き回りながら部屋を一つ一つ開けて行くと、「変ね?」と言って首を傾げた。 「どこにいるのかしら?」 「この部屋、まだ開けてないんじゃないの?」 白瀬さんがあちこち自由に歩き回っているので、僕も同じように探検気分になっていた。手に扉に手をかけ、開く。 男の人が横たわっている。 それも下半身を露出させている。 ズボンもパンツも履いていない。ちんちん丸出しだガハハハ……、と普段の僕ならなるはずだったが、ならなかった。 何故ならそこにちんちんはなかった。 隠れて見えない? 違う。 なかったのだ。 男の陰茎は切断されていた。根本から切り取られたちんこから大量の血があふれ出し床を真っ赤に染め上げていた。それに伴って男の全身は血に塗れており、その表情は虚ろで開いた瞳孔はそれぞれ別々の方向に向けられている。 死んでいるのだろうか? そのように見える。どうして死んでいるんだろう? 全身は真っ赤なのだから出血多量で死んだんだろうか? ちんちんを切り取られれば命がなくなる程の血が流れるということはあるのだろうか? それとも血塗れの身体のどこかにちんちん以外の刺し傷があるのだろうか? いずれにせよ信じられない光景だった。僕のこれまでの人生にこんなものが現れたことはなかった。現れるとも思っていなかった。常に平和で事件と呼べるものがあったとしても子供社会のいざこざで済んでいた僕にとって、それはまるで異世界へ吹き飛ばされたかのように衝撃的な出来事だった。 呆然としている僕の耳朶を、懐の携帯電話の着信音が揺さぶった。 ゲンバクだ。 「姫島か? 大変なことになった」 「こっちはもっと大変だよ」 僕は震える声で言う。 「そうなのか? だが悪いがこちらの方がより緊急事態だと思うから、話させてもらうぞ?」 こちらの置かれた状況を上回る緊急事態なんてものがあるとは思えなかったが、呆然としていた僕は黙ってゲンバクの言葉を聞いていた。 「赤松が秘密基地に現れた」 ゲンバクの声は珍しく、微かにだが震えている。 「男性の陰茎を持っている」 「は?」 「陰茎とはちんこのことだ」 「や、それは分かるけど……」 普段ゲンバクと話しているとそのくらいの語彙力は付く。 「これはふざけて言っているのではない。本物の陰茎だ。実際に生きている人間から、或いは死体から、何かしらの方法で切断した陰茎を赤松は所持している」 「……何を言って」 「そしてどういう訳か血に濡れた椅子を一台、持ったまま小屋に入って来た。誰かをそれで殴り殺した後、陰茎を切断してやって来たという推測が成り立つな」 僕は思わず男性の股間を見た。 陰茎が切り取られた男の死体。 陰茎を持った赤松さん。 この二つが無関係であるようには思えなかった。 「……赤松さんは何て言ってる?」 「何も言わない。怯え切った様子で震えて何も言えなくなっている。センパイが先ほどから優しく声を掛けているんだが、膝を抱えて黙ったきりだ。貴様が話しかければ何か聞き出せるかもしれないが」 「行く」 僕は言って、通話を切った。 そして背後で目を見開いて男の死体を見詰めている白瀬さんに、僕は言った。 「連れて行って欲しいところがあるんだ」 「誰と何を話していたの?」 白瀬さんは訝るような声で言った。 通話モードにしていたので、会話の内容は聞こえていなかったらしい。 「ゲンバク。赤松さんが山の中の秘密基地に来ているんだ。それも、切り取られた男の陰茎を持って。そこに連れて行って欲しい」 僕は簡単にそれだけを説明した。白瀬さんは目を丸くした。そして「まさか……」と震えたような声で言ってから、頷く。 「分かったわ。すぐに行きましょう」 僕らは黙って白瀬さんの車に乗り込んだ。 「あの人が葛城さん? 有名番組ディレクターの」 「そうよ。まさかいのりちゃんが葛城さんを殴り殺すなんて……」 白瀬さんは顔を真っ青にして言った。 何が何だか分からなかった。確かに自然に考えればゲンバクの言う通り、葛城を殺したのは赤松さんということになるはずだった。でなければ切り取られた陰茎を赤松さんが持っているはずがないし、凶器らしき血塗れの椅子を持っている訳がない。 だがどうして赤松さんがそんなことをしたんだろうか? 本当に赤松さんが犯人何だろうか? 何も分からない。けれど確かなことは、僕は何があっても赤松さんの味方だったし、その為に今すぐに彼女の元に駆け付けなければならないということだった。 〇 大人に秘密基地の場所を教えたのは初めてだ。 山小屋の前に乗り付けた白瀬さんの車から降りると、ひさしぶりに見る赤松さんが、基地の前に置いた椅子に縋りつくようにしながら手を動かしていた。 自分のハンカチで椅子の背もたれを必死の形相で磨いている。左手でがっしりと椅子を掴み、右手でハンカチを動かし続けている。 何をしているのか分からない。意味の分からないことを狂気めいた表情で必死で繰り返している赤松さんの姿はぞっとする程心配で、いたたまれない。顔色は真っ青で目は落ちくぼんだようになってクマも出来ている。唇は渇き切っていて、全身は微かに震えていた。服には染み付いた血のようなものも見える。 「……俺達の顔を見てからというもの、こうして一人で椅子を磨き続けている」 ゲンバクが言った。 「理由を聞いても答えない。ただ必死だ。背もたれの両端を重点的に何度も何度も」 僕は悲壮な様子の赤松さんを見る。赤松さんは「……さなきゃ。……もん。さなきゃ……」と言いながら椅子を磨く手を止めなかった。普段は艶やかすら感じる柔らかな手は見るからにカサカサで青白かった。 「なんでこんなことになっちゃのおおお」 センパイは涙を流しながらぐしゃぐしゃの顔で嘆く。 「赤松さん、ずっと一生懸命生きて来たはずなのに。すごく優しくて真面目で公平で、あたしなんかにもちゃんと気を使ってくれて、本当に良い人だったのに。それがなんでこんな可哀そうなことになってるの? 意味分かんないよぅ。うあああ……」 いつものように泣きわめくセンパイの姿からも普段の覇気が消えている。 「そちらの女性は?」 ゲンバクが冷静な口調で白瀬さんの方を見る。 「僕と赤松さんのマネージャー。ついさっきこの人と、葛城という男の遺体を発見した」 「詳しく聞かせろ」 僕はゲンバクに今朝起床してから起きた出来事を語った。 「その葛城という人物は陰茎が切り取られていたんだな?」 「うん。赤松さんが誰かのちんちんを持って来たって言うのは本当?」 「本当だ。基地の机の上にある。見るか?」 僕は首を横に振る。 「……いのりちゃん? 大丈夫?」 白瀬さんが声を掛けると、赤松さんは虚ろな表情で顔をあげた。 二人の視線がしばし交差する。呆然とする赤松さんと、何かを探ろうというような白瀬さん。 しばらく見つめ合っていて……やがて白瀬さんが震える声で口を開いた。 「あなたが葛城さんを殺したの?」 沈黙があった。 縋るような目で自分を見つめ続ける白瀬さんに、赤松さんはしばし虚ろな表情を向けた後で、かすれるような声で呟くように言った。 「はい。そうです」 白瀬さんの身体から力が抜けた。 「わたしが殺しました」 大きく息を吐いた白瀬さんはその場で崩れ落ちて尻餅を突き、顔を俯けて震え始めた。 当然だろう。 白瀬さんにとって赤松さんは自分の担当タレントであるというだけでなく、何年も一緒にいる家族のような存在だ。父子家庭にある放送作家の父が多忙でいつも一人で過ごしている赤松さんにとっては、もっとも寄り添える母親代わりのような存在ですらあるかもしれない。 赤松さんとそんな絆で結ばれた白瀬さんにとって、今回の出来事は衝撃的に違いなかった。 「嘘だっ!」 センパイが叫んだ。 「赤松さんが人なんて殺す訳がない! 本当のことを言って」 「落ち着くのだセンパイ。何か事情があるのかもしれん」 「でも! おかしいよ、こんなの絶対!」 そう。おかしい。 あってはならないことばかりが起きている。あり得ない。 僕は思わず視線を地面に落とす。センパイは泣きじゃくっている。赤松さんはハンカチで椅子を拭き続けている。 ただ一人、冷静な表情をしたゲンバクだけが、厳かな声色で僕に言った。 「さっきの話、もう少し詳しく聞けないか?」 気が付けば視線を落としていた僕は、そのどっしりとしたいつも通りの声に勇気づけられるように、思わず顔をあげた。 「さっきの話って?」 「貴様が遺体を見つけた時の話だ。特に、白瀬と言うその女の言動については、一言一句漏らさず完璧にな」 「どうしてそんなことを?」 「引っかかっていることがあるのだ」 僕は言われたとおりにした。 僕は遺体を発見した時のことを丁寧に説明する。 自分でも、良くこれだけ詳しく細やかに覚えていたと思う。 精確なその説明を聞き終えた後……ゲンバクはその肉付きの良い顎周りに手をやって、言った。 「やはり違和感がある」 厳かに言って、赤松さんの方に視線をやる。 「納得が行かん」 「何が?」 「葛城を殺したのが赤松であるようには、俺は思えんのだ」 そう言った途端、その場にいた全員が顔をあげ、ゲンバクの方を見た。 〇 「俺が最初に違和感を覚えたのは、その葛城という男の家に入る時の白瀬の行動だ」 ゲンバクは厳かな口調で語る。 「白瀬はまず家のチャイムを鳴らし、反応がないことが分かると扉のノブを回した。そして鍵が開いていることを確認すると、勝手に扉を開けて家主の許可もなく侵入した。これは明らかにおかしい」 言われてみればそうだ。 いや、僕もその時は違和感を覚えていた。しかし大人である白瀬さんのすることであるし、一緒にいる僕が怒られることもないだろうと思って特に気にしなかった。増してやその後葛城の遺体……それも陰茎が切り取られた遺体を発見するという強烈な体験をした為に、それしきの違和感はすぐに吹っ飛んでしまっていたのだ。 「葛城の職業は番組プロデューサー……それもかなり有名な人物であると姫島は述べた。そんな人物に対し、一介のマネージャーである白瀬がそんな無礼な行動を取ると言うのは考えづらい」 「そうなの?」 センパイが疑問を呈する。 「開いてる! ってなったら何となく入っちゃうもんじゃない?」 「世界中が貴様のレベルなら、この世はある意味平和だろうな」 小ばかにされたのにも気づかない様子で小首を傾げているセンパイを無視して、ゲンバクは語る。 「有名プロデューサーである葛城を怒らせるのは、タレントマネージャーである白瀬には大きなダメージに成り得ることだ。そんなリスクのある行動を平気で取れたからには、相応の理由があると考えるべきだろう」 「相応の理由ってなんだ?」 僕が尋ねると、ゲンバクは「それは後に置いておこう」と言って続ける。 「次に感じたのはさらに大きな違和感だ。自動車に乗り込んでこの秘密基地に向かう時、白瀬は以下のように発言したんだったな? 『まさかいのりちゃんが葛城さんを殴り殺すなんて……』と」 ゲンバクが女性の声を真似て言う。 デブ特有の高音のお陰で、ある程度ちゃんとしたソプラノボイスになっているのが、少し気持ち悪い。 「確かに、俺は姫島に赤松が血に濡れた椅子を持って来た話をした。それで誰かを撲殺した可能性があることも。だが貴様の話によれば、スマホは通話モードになっていて外から音声は聞き取れない状態にあった。つまりその会話の時点では白瀬は血濡れの椅子のことなど知らなかったはずなのだ。なのにどうして、『殴り殺す』なんて言葉が飛び出す道理があるのだろうか?」 「死体に殴られた痕があったんじゃ?」 センパイが言ったが、僕はそれを「いいや」と首を振って否定した。 「くまなく調べた訳じゃないから、そんなものは目に見えなかったよ。それに……」 「現場の部屋の床は血塗れで、遺体自体も下半身を中心に血に塗れていた。陰茎が切り取られていたのだから当然だが、それほど血塗れであるのなら、その死因は出血多量や刺殺であることを疑うのが当然のことだ。遺体を細かく見分していないのなら猶更身体のどこかに刺し傷があってもおかしくないし、少なくとも撲殺という死因が先に思い浮かぶのは強い違和感がある」 ゲンバクの目付きは鋭さを増して行く。 「扉を勝手に開けて侵入したという違和感は、白瀬はどんなに無作法な真似をしても葛城を怒らせることはないと考えていたと解釈できる。知らないはずの死因を知っていた違和感は、白瀬は葛城が死ぬ瞬間に立ち会った解釈できる。つまり白瀬は葛城の死を事前に知っていて、その上で姫島を葛城宅に招き寄せたことになる」 「どうしてそんなことを……」 「それは分からん。ただ確かなのは、白瀬は明らかに重要なことを黙秘しているし、それは葛城の死に大きく関わっているということだ」 ゲンバクの鋭い眼光を浴びせかけられた白瀬は、微かに怯えたような様子を見せつつも、その場を立ち上がって大人の余裕を見せ付けるように不敵に微笑んだ。 「何を言っているのかしら。いのりちゃんは自ら自白しているのに、これ以上何を怪しむことがあるというのかしら」 「……元来、赤松は献身的で自己犠牲的な傾向があるように、俺は思う」 ゲンバクは憂いを帯びた声色で言う。 「俺達が日頃目の当たりにしているセンパイに対する接し方を見れば、それは明らかだ。優れた容姿と高い能力を持っていて、本人の意思次第では教室でどのようにも振舞えそうに思うのに、普段彼女がしていることと言えば意志薄弱児であるセンパイの尻拭いだ」 「それは……赤松さんがそういう性格ってだけでしょ? 見た目や成績が良いからって、何も威張らなくちゃいけない訳じゃないだろうし」 「その通り性格的な問題だ。誰かの為に自身のリソースを費やすことにためらいがないのだ。そしてそれは前回の事件でセンパイを守る為に取った行動にも表れている」 「どういうこと?」 「オタマジャクシのちんこの死をセンパイが目の当たりにしないよう、赤松は自身のペットであるタガメを使ってまでちんこを水槽から引っ張り出し、タガメもろとも殺害した。これは見方によっては残酷な犯行だ。しかし別の見方をすれば、友人の為なら己の手がどれほど汚れようと厭わないという、自己犠牲精神の現れであると取ることも出来る」 ペットのタガメを殺した時のことを、赤松さんは『つらかった』と語った。 多分、おたまじゃくしのちんこを死なせることについても、同じように感じたはずだ。 そうしたつらい思いを引き受けるだけでなく、もし犯行が露見したら周りから責められ軽蔑されるというリスクまで許容した上で、赤松さんはセンパイを救う為にちんこを殺害した。 それはもちろん許される行いではない、ないが……しかし赤松さんの献身性や自己犠牲精神の表れと言われれば、確かにそうなのかもしれなかった。 「そんな彼女の自己犠牲精神が、今この瞬間も発揮されているとしたら?」 「妄想よ。何の証拠もない」 白瀬さんは呆れたように言った。 「材料ならある。今赤松はハンカチを使って狂ったように椅子を拭き続けている。背もたれの両端の部分を重点的にな」 僕は赤松さんの方を見る。 落ちくぼんだ目で、青白くした顔で、赤松さんは「さなきゃ……さなきゃ……」と震えた声で言いながら椅子を拭き続けている。ハンカチを左右に持ち替えながら、椅子をしっかりと掴みながら手を動かしている。その様子には偏執的なものすら感じられた。 「背もたれの両端と言うのは椅子を使って誰かを撲殺する際に、持ち上げることになる部位だ。そうした場所を拭いているからには、赤松は指紋を消そうとしているのではないか?」 「凶器から指紋を拭こうとするのは当然のことね」 「その通りだ。だが問題は、消そうとしているのは誰の指紋かということだ」 ゲンバクは赤松さんの手元を指さす。 「青白い手だな。乾燥してささくれだってもいるようにも見える。急激なストレスの為皮膚から水分が失われた……というよりも、あれほど弱っていると手元までそんな風に見えるのだな。だが一つ言えることは……あの手は素手だ」 その通りだ。 素手だからその青白さが見える。赤松さんは素手で椅子を拭き続けているのだ。 指紋を消す為に、素手で。 「だが自分の指紋を消そうとしているのだとすれば、それはおかしなことになる。ハンカチを持っていない方の手はがっしりと椅子を掴んでいるのだから、拭いた傍から指紋が付着して、証拠隠滅にならないではないか」 「…………」 白瀬さんの表情が歪められる。 ゲンバクの方を見る忌まわし気な視線は、子供を相手にしているというには、敵意とそして恐れがはっきりと滲み過ぎていた。 「赤松は自分ではない誰かの指紋を消そうとしている。それも出来るだけ完璧に。そしてその消そうとしている自分ではない誰かとは、遺体発見前に葛城の死と死因を知っていた赤松以外の唯一の人物」 ぶよぶよとした太い指先を突き付けて、ゲンバクは言った。 「貴様だ白瀬。貴様は葛城を殺害し、そのことを赤松に庇われている」 〇 「……ちがいます」 と、そこで。 赤松さんがか細い声を発した。 「喋れたのか?」 「ちがいます。葛城さんはわたしが殺しました。ほんとうです」 虚ろな表情と舌足らずな声だった。先ほどまでと比べればはるかにマシに見えるとは言え、錯乱状態からは未だ完全に脱していないらしい。 「どんな事情があるかは分からんが、もっと自分を大事にした方が良いぞ」 「ほんとうに違うんです」 赤松さんはゲンバクの方を睨み付ける。 だがすぐに立っていられなくなり、崩れる様にその場に座り込んだ。肩を震わせている。 「赤松さん。……大丈夫?」 センパイがそこに歩み寄って肩を掴んだ。誰が誰を殺したかということよりも、今の赤松さんの様子が不憫でならないと言ったような態度だった。 「このか弱い少女の姿を見て、貴様は何も感じんのか?」 ゲンバクは白瀬さんの方を鋭い視線で射すくめた。 「どれだけしっかりして見えたとしても、赤松は所詮ただの子供に過ぎん。大の大人がその無力な少女を盾にするなど、恥を知るが良い」 「やめて。白瀬さんは何も悪くありません。何も言わないで」 赤松さんの声は震えている。 「最早逃げ場はないぞ。さっさと白状したらどうだ、白瀬」 「違います。ゲンバクさんは何も証明していません。いつものように真相を解き明かし相手に突き付けた訳ではありません」 その通りだった。 ゲンバクが今回したことは、違和感や矛盾を並べ立て、白瀬さんがどれだけ怪しいかということを主張したに過ぎない。 あくまでも白瀬さんが犯人でないと言い切り、赤松さんが自白を貫くのならば、ゲンバクの推理など何の意味も為さないのだ。 「だから恥を知れと言っているのだ!」 しかしゲンバクは白瀬さんを庇う赤松さんを退けた。 「子供が子供らしくいられること。それは何よりも価値のあることだ。限られた子供時代を無邪気に謳歌することは万人に与えられた権利であり、それを守ることが貴様ら大人の義務だ。ところが貴様のしていることはなんだ? 子供に庇われ子供に罪を背負わせ、自分は保身ばかりを計っている!」 心底からの怒りを僕は感じた。ゲンバクにとって赤松さんは大切な友達だし、同時に白瀬さんが今しているような振る舞いも、彼にとって本当に許せないことなのだろう。 「……子供だからって守られてばかりいて良いんですか?」 しかし赤松さんは真っ赤な目をしてそれに反論をした。 「子供が大人を守っちゃダメですか? だいたい子供らしさって何ですか? そんなものはどこにあるんですか? 愚かしさのことですか至らなさのことですか? 大人が勝手に想像するだけの、実態のないもののことなんじゃないですか?」 それは幼い頃から父親にその振る舞いを鍛えられ続け、その大人びた言動故にタレントとしてテレビに出続けて来た、赤松さんならではの意見だった。 赤松さんは声を荒げる。 「だとしたらそんなものわたしは欲しいとは思いません! これがわたしなんだからわたしらしく生きるだけです。わたしのしたいようにするだけです。……葛城さんを殺したのはこのわたし。これは絶対に覆りません!」 「いのりちゃん。もう良いの」 そこで。 立ち尽くしていた白瀬さんが慈しむような声を出した。 「ダメです。白瀬さん」 「良いのよ。そこのゲンバクくんの言う通りだわ」 「違う! わたしはゲンバクさんの言う子供なんかじゃ……」 「例えあなたがそうでなくとも……例えそれが想像の中にしかないものなのだとしても、それでも私達にはそれを守り抜く義務があるのよ。あなた達が望むと望まざるとに関わらずね」 白瀬さんは微かに微笑んだ。 「いのりちゃんは無実よ。葛城さんを殺したのは私なのだから」 〇 「葛城さんには、元から悪い噂があったの」 白瀬さんは語り始める。 「数多くのね、女性タレントが、性被害を訴えているの。番組に出させてやるからと言ってセクハラを要求するという訳ね。とても残念なことなのだけれど、芸能界には少なからず存在するタイプの権力者ね」 子供である僕でも、芸能界の一部の人間に、そうした最低な奴がいることは知っている。 亡くなった大きな事務所の所長が、何千人という信じられない人数を相手にそういう行為に及んだことが、最近になって明らかになっていたり。 そしてその被害者の多くは未成年の子供だ。 「ある日、いのりちゃんはその葛城さんの自宅に呼ばれたわ」 そこに行くことがどういう危険を伴うことか、分からない訳ではなかったという。 しかし赤松さんは……タレント赤月いのりはもう最盛期を過ぎていて、その勢いは少しずつ衰えている状態だった。そこに数か月間の休業が重なって、タレントとしての復活を果たす為には、贅沢は言っていられない状況。葛城に気に入られる機会を逃す手はない……と白瀬さんは考えたらしい。 「いのりちゃんには、『変なことをされても、何があっても我慢しなさい』とだけ言っておいた。それがいのりちゃんにとっても必要なことだったし、それにいのりちゃんは数か月間の休職というわがままを通している身分でもあった。文句は言わせなかったわ」 赤松さんは不振には思わなかったという。ジュニアタレントである赤松さんには葛城の悪い噂も耳に入らなかったし、休職中とは言え偉い人に会いに行ける機会があるのなら、それを白瀬さんに言われたのなら断ることはしない。『変なこと』の詳細は良く分からないが、しかし白瀬さんが紹介する人ならそうそう酷いことは起こらないだろう。 そう考えた。 赤松さんの知らないところで、それは判断され、決まった。 「いくら葛城さんに悪い噂があっても、小学生の女の子相手にいきなり致命的なことはしない。私はそう考えていのりちゃんを葛城さんの家に連れて行った。まずは三人で少し仕事についての話をした後、やがて葛城さんは席を離すように私に言ったわ」 易々とその場を離れた訳ではない、と白瀬さんは言う。 タレントを守るのもマネージャーの努めと思い、白瀬さんなりに抵抗はした。 しかし葛城は芸能界でも高い地位を持つ権力者だ。若手のマネージャーである白瀬さんからすると、強く言われては引き下がるしかない相手だった。 「それで仕方なく、怖くなったらすぐに悲鳴をあげるようにいのりちゃんに耳打ちして、私は別の部屋に行ったのよ」 残された赤松さんの心境を想うと、僕は胸が締め付けられるような気持ちになる。 それは悪食な蛇の前に、生贄を一人残して離れる行いだった。 頼りにしていた白瀬さんから見放され、たった一人で、『怖くなったら悲鳴をあげろ』などと剣呑なことを言われた時、赤松さんは相当の不信を感じ取った。自分のいる場所が魔物の巣であることをまだ知らない赤松さんだったが、ねっとりとした視線で自分を舐め回すように見る葛城の表情には……本能的な恐怖を感じ取ったらしい。 「……やがて。別室にいた私に、いのりちゃんの悲鳴が聞こえて来た。 慌てて元の部屋に飛び込んだ白瀬さんが見たのは、陰茎を露出させて襲い掛かる葛城と、それに組み敷かれて抵抗している赤松さんだったという。 「もちろん制止は呼びかけた。でも無駄だった。一介のマネージャー風情がすっこんでいろと言われた。私はどうして良いのか分からなくて……でも見捨てて逃げるなんてできなくて、それで……」 近くにあった椅子で葛城の後頭部を殴打した……とのことらしい。 無我夢中の行動だった。 白瀬さんにとって赤松さんはずっと面倒を見て来た担当タレントで、家族のような存在だった。それが汚い男に乗りかかられていては激昂する。ある程度のことを覚悟して連れて来ていたとしても、実際にその場面を見れば冷静ではいられなかったのだそうだ。 それは良心や愛情の発露と言って良いのだと思う。 危険があると知りながら、邪悪の前に赤松さんを差し出した白瀬さんを、僕は許さない。そもそも最初からそんなところに連れて来なければ良かったのだと、強く白瀬さんを非難する。 だとしても、最後の最後赤松さんの為に怒り戦ったことだけは、僕は感謝する。 「それで……死なせてしまって」 致命的な事態は発生していなかった。赤松さんは服さえ着ていたし、身体も少し触られた程度だった。しかしその心の傷は浅いものではもちろんなく、しばらくはその場で呆然として動けなかった。 「正当防衛が主張できたのではないか?」 ゲンバクが冷静な口調で言う。 僕は頷いた。そんな奴殺されて当然だなどと、短絡的なことを言うつもりはない。そこまで義憤に酔うつもりはないし、人が殺され死んだという事実は相当に重い。 しかしだとしても、死亡したという結果こそ不幸だっただけで、赤松さんを守る為に葛城を殴った白瀬さんのその行動に関しては、不当とは断言し切れないのではないか? 「どうかしらね。正当防衛というのは、相手が奪おうとしている以上のものを相手から奪った場合、成立しない法律だから。斟酌すべき状況ではもちろんあるけれど、完全無罪となると怪しいと思った」 「世論を味方に付ければ良い。葛城は命を奪われたとは言え、それでも世間がどちらの味方をしたがるのかは明白だろう」 「あなた本当に小学生? 今にして思えば戦いようはある状況なんだけれど、その時はとても冷静になれなかったのよ」 開き切った瞳孔に指を押し付けてもぴくりともしないことから言っても、葛城が死んでいることは明らかだ。二人は途方にくれた。警察を呼ぶべきだと分かってはいたが、しかし白瀬は自身が人を殺したという事実に混乱し、どうにか隠蔽出来ないかと知恵を巡らせた。その時だった。 「わたしが提案したんです。ここはわたしが罪を被ってはどうかと」 赤松さんが言った。 「良い考えだと思ったわ。小学生ならどんなに状況を悪く解釈されても刑法では処罰されない。私が殴ったと正直に言うより、そちらの方が何倍も良いと思ったのよ」 赤松さんは自首するにあたって一つ条件を出した。 「最後に……姫島くんと話がしたかったんです」 警察に行ってもおそらくは罰を受けることはない。小学生は刑事裁判の対象にならないし、そもそも酌量の余地はいくらでもある状況だ。支援施設に行くようなこともないだろう。赤松さんがこの先僕と話す機会はいくらでもあったはずだ。 そのことは白瀬さんの口からも説明がされた。しかし知識のない子供であり、またその時恐慌状態で説明も受け付けなかった赤松さんは、納得しなかった。 人を殺したのだから、そう主張するのなら、それが大人より軽微なものであれ何かしらの罰は与えられるに決まっている。赤松さんにはそう思えてならなかったのだ。 最後に話したい相手がいる。それを連れて来てほしい。 赤松さんは強固に訴えた。 「いのりちゃんは喚いたわ。ショックを受けていて、碌に話も通じない状態だった。どうにか落ち着かせるにはとにかく姫島くんに会わせることを約束したのよ」 「それで……実際に僕を連れて来たんだね」 「その通りよ」 僕は葛城にタレントとして会いに行かされていた訳ではなかった。どころか葛城に会いに行かされていた訳ですらなかった。葛城の家にいる赤松さんと最後の会話をする為に僕は連れて行かれていたのだ。 「入口の扉を勝手に開けたのもその所為よ。中に入って赤松さんと会うまでは、本当のことは話さない段取りだったからね」 「でも……その場に赤松さんはいなかった。それに……」 葛城の陰茎が切り取られていた。 それについては、白瀬さんもどういうことか分かっていないだという。 「…………憎らしくなったんです。私を襲おうとした葛城のことが」 それを説明したのは赤松さんだった。 「ズボンとパンツを脱いで死んでいる葛城を見ていると、憎くて憎くてたまりませんでした。それが既に死んでいると分かっていてもです。腹が立って腹が立ってやり切れなくて……気が付けば台所から包丁を取って来て、わたしは……」 自分を襲おうとしたおぞましい陰茎を切り取った。 罰を与えたのだ。赤松さんは死体に復讐をしたのだ。 その憎しみは深かった。赤松さんはこれまで他の子供と比べれば大変な人生を送って来たはずだが、それでも基本的には周りの大人に守られて平和に過ごせてもいたはずだ。それが自分を辱め性的に搾取しようとする男に襲われて、凄まじいまでの恐怖を味わった。 これまでにずっと守って来た、周囲の大人達によって守られて来た、赤松さんの無垢で平和な世界観は終わりを迎えた。 これまでは笑い話の対象でしかなかった陰茎が、途端に嫌悪と憎しみの対象に思えて来た。 だから赤松さんはそれをやった。自分から大切なものを奪おうとした、ある意味では実際に奪ったその陰茎を切断したのだ。 「まだ死んだばかりだった所為か、血がたくさん出て部屋中は真っ赤に染まりました。心臓も止まっていたでしょうから噴水のように飛び出た訳ではありませんが、それでも葛城の遺体を血塗れにするには十分で。……それを見て、わたしは自分のしたことの重大さに気付いたのです」 葛城の命を奪ったのは白瀬さんのしたことだ。 自分を助けようとしてくれたのだから、赤松さんとしてはそれを非難しない。 だが今自分のしたことは、陰茎を切り取ったこの行為は、とても許されることではないのではないか? こんな恐ろしい、おぞましいことをしてしまった自分では、姫島くんに合わせる顔がない……! 「そう思った瞬間、わたしは家を逃げ出していました。葛城さんの陰茎を握りしめたまま、白瀬さんの指紋の付いた凶器である椅子を引き摺って」 おそらく赤松さんは、自分が何か悪いことをしたと考える時、大切な人と会うのが怖くなる性質をしているのだろう。 それは前回の事件でオタマジャクシとタガメの命を奪ってから、何日も学校に行けなくなったことからも分かる。自分の罪深さと向き合う時に、赤松さんは大切な人に合わせる顔がないと思い込む。そして逃げ出して、自分の殻に閉じこもる。自省する気持ちが強すぎるあまりに。 「椅子を持ち出したのは、そんなものをその場に残したら、もし警察がやって来た時に白瀬さんが逮捕されてしまうと思ったからですが……。どう考えてもそんな余計なことをするべきではありませんでした」 大きな椅子を引き摺りながら歩く血に濡れた小学生の姿は、客観的にも異常だったことだろう。声を掛けられなかっただけでも幸運だし、既に通報が行われていても何らおかしくない。 「考えなしに葛城の家を飛び出して、わたしは途方にくれました。どこかに身を隠さなければなりません。そして思い付いたのが……」 この山小屋……僕らの秘密基地だった。 「ここに来れば友達と顔を合わせてしまう可能性がある。それは分かっていました。しかしそれでもわたしには他に選択肢なんてありません。いざと言う時私が逃げ込めるような場所が、ここを置いて他にあるはずもありません。走って走って……わたしは辿り着きました。そして」 ゲンバクとセンパイがそこにいて、赤松さんは保護された。 恐慌状態だったという。 今でこそ自分の行動をこうして言葉に表せているが、その時はパニックそのものの状態だった。そこに至るまでの赤松さんは、狂気に突き動かされるようにして無茶苦茶に動いていただけなのだ。 でもなければそんなちぐはぐな行動は取らない。僕に合わせろと喚いたのも、葛城の陰茎を切り取ったのも、その陰茎と凶器の椅子を持って秘密基地にやって来たのも。結局は襲われかけた相手が目の前で撲殺されるというショッキングな出来事を目の当たりにしたが故の、混迷状態が故の行いだ。そこにまともな論理など求める方が間違っている、支離滅裂で破滅的で思慮のない、混沌とした狂気の中で成された暴挙……。 その逼迫した精神状態は、気の振れたように椅子を磨いていた光景を思い出しても想像できる。 「……子供というのは元来気まぐれなものだ」 ゲンバクは言う。 「その行動に一貫した意義や意味などない。その場その場の思い付きと感情だけで行動し、無軌道に行き当たりばったりに戯れ暴れるばかりで、その振る舞いは傍からはただの気まぐれであるようにしか見えない。実際、それは気まぐれなのだろう。気まぐれであることが俺達子供の本質なのだ」 セミの鳴き声が響いている。風と共に木々がしなり、生温い空気の流れに木の葉が舞う。 「その本質が、精神的に追い詰められた場合はさらにあからさまに露呈する。今回のことだってそうだ。葛城の陰茎を切り取ることに何の意味もない。それで怖くなって家を抜け出しことも、椅子を持って来たことも、論理的な意義などない破滅に繋がる暴挙に過ぎない。いくらパニックに陥っていたからと言っても、そんなことをしてしまったのは、赤松がただの子供でしかないからだ」 語るゲンバク。僕達はその言葉に聞き入っている。 「しかしそれで良い。それで良いんだ。気まぐれで愚かなのは子供だから当たり前なのだ。それを理解して、それを支え導き守り抜くのが、子供の傍にいる大人の義務なのだ。それを放棄したことは……白瀬、やはり罪深いことなのだ」 ゲンバクは白瀬さんに指を突き付ける。 「確かに芸能界での地位には価値があろう。テレビに出て多くの人を魅了するのは素晴らしかろう。しかしそれは葛城にその身を差し出させ、無垢なる魂に消えない傷を与えてまで、することではなかった。葛城の死を目の当たりにして、ショックを受けるあまりその幼さを剥き出しにする赤松に罪を押し付け、あまつさえ放置するなどと、許されることではない!」 「浅はかだったわ」 言ったのは白瀬さんだった。 「タレントである赤月いのりを成功させ続ける為に葛城なんかの力に縋ってしまった。その所為でこんな事件が起きてしまった。パニックになった子供を死体のある家にたった一人で残して来てしまった。それがどういう結果を生むのか、少し想像すれば分かるはずだった」 「一番悪いのは赤松さんに罪を背負わせようとしたことだよっ!」 センパイが激しい怒りを込めた口調で言った。 「何かあったら全部正直に言わないとダメなんだよっ! でないとそれが悪いことでなくても悪くなっちゃうのっ! 怒られちゃうんだよ? なんでそんなバカなことをしたの? そんなバカなことに赤松さんを巻き込んだの! 許さないからね!」 涙を流しながら行われるその非難は真っ当だ。 極めて正しい。 センパイにバカと言われてしまう程、白瀬さんの行いは愚かしかった。 「……私もちょっとどうかしてたのよ。冷静じゃなかったの。人なんて殺したことあるはずがないんだから。良く考えず世界の終わりみたいな気分になって……。代わりに罪を被ってくれると言われて、つい言う通りにしちゃったのよ」 言い訳がましくそう言って、ボロボロと涙を流す白瀬さんの姿に、僕は怒りを覚える。 しかしその姿を卑小だとは思わなかったし、蔑みたいとも思わなかった。 何もこの人に限ったことではなく、人はそもそも、このくらい愚かなのだ。 同級生の誰よりも賢く分別のある人間に見えていた赤松さんでさえ、前回の事件のような愚行を犯した。それと同じように、僕らにすれば大人に見えるような人間も、時には過ちを犯すことがある。おかしな行動を取る。気まぐれな子供だった頃の自分を心のどこかに残し続けている。それだけのことなのだ。 「……すべてを正直に話すのだ。白瀬、貴様が警察を呼べ」 ゲンバクが言う。 「今ならまだ自首が成立する。情状酌量を求めるにしろ正当防衛を訴えるにしろ、今ならばまだ間に合うはずだ」 白瀬さんは頷いた。 「……ありがとうみんな。まだ取り返しの付く内に、私の目を覚まさせてくれて」 僕は言った。 「僕の方こそ。ありがとう白瀬さん。赤松さんの為に、気持ちを入れ替えてくれて」 白瀬さんは顔をあげる。僕は微笑みかける。 「きっと戻って来てよ。赤松さんにはまだまだきっと、あなたのことが必要だから」 〇 すぐに警察が来て、白瀬さんは署に連行され、赤松さんの身柄も保護された。 そこからの数日間は、僕達も警察に事情を聴取されたりなど、せわしない日々が続いた。 「赤松のした遺体損壊は犯罪にあたるが、しかし犯行当時どれほどの心神喪失状態にあったのかは、俺達が証明することが出来る。彼女が小学生の子供であることも差し引けば、それほど大きな責任は取らされんさ」 ゲンバクは今後について冷静にそう分析する。 「白瀬のこともそうだ。完全な無罪放免が可能なのかは分からんが、しかし通常の殺人罪が成立する状況でないことは明らかだ。どんなに最悪でも実刑判決になることはなかろうよ。俺達がそうさせない」 その通りだった。事件当時の白瀬さんの行いは愚かだったと思うが、それでも葛城を殴ったこと自体は赤松さんを守る為の行動だ。葛城の死は不幸に違いないにしても、殴ったことを罪として問われることは、僕らにとっても耐えられることではなかった。 白瀬さんの身柄はまだまだ警察に預けられることになりそうだったが、赤松さんは既に一通りの聴取を終え家に帰されており、そのまま療養の日々を送っているようだった。 僕らは彼女の見舞いに訪れる。 「良く来てくださいました」 その時の赤松さんは、数日前までのように僕達のことを拒むことはなかった。にこやかに僕らを迎え入れる部屋着の赤松さんの姿は眩しく、部屋に案内された時は思わず胸が高鳴る程だった。 女の子の部屋は少し良い匂いがする。赤松さんの部屋らしく綺麗に片付けられていて、少しものが少ない感じがするがとても清潔だ。 「この間は大変なことに巻き込んですいません」 「良いよ。赤松さんこそ、気分は治った?」 「ええもう大分」 父親を初めとする周囲の大人達にそれなりに丁寧にケアされているとのこと。僕らも彼女の力になる一員になりたかった。そうなれるよう全力を尽くすつもりだった。 軽く状況確認を済ませた後はいつものように他愛もない話をした。子供同士集まれば楽しく遊ぶ感じの空気になるのは当然のことでもあった。秘密基地でやることをそっくり赤松さんの部屋でやるような時間が過ぎる。久しぶりに四人が揃っていることの充実間に、お見舞いそっちのけで楽しい気持ちを味わった。 「今日はお見舞いなのにはしゃいじゃってごめんね」 帰り際に僕は言うが、赤松さんは「いいえ」と首を横に振って。 「それが一番嬉しいんです。毎日でも来てください。それと」 赤松さんは少しだけ頬を赤らめて、懇願するように僕に言った。 「姫島くんはちょっと残ってくれませんか?」 「僕だけ?」 「ええ。大丈夫ですか?」 「この色男め」 ゲンバクが肘で僕の肩を乱暴に小突く。 「ちょっと妬いちゃうなあ」 赤松さんの大親友であるセンパイが軽く唇を尖らせた。 言いつつも、二人は僕を残して先に帰ってくれる。 僕は赤松さんと二人、彼女の部屋で膝を突き合わせた。こうしていると邪魔者のいる先ほどまでと比べ、より部屋の中の甘酸っぱいような空気に酔うことが出来た。 赤松さんの部屋で赤松さんと二人きり。 思わず勃起しそうだ。 「二人きりになっちゃいましたね」 赤松さんが頬を赤らめて恥ずかしそうに言った。僕は勃起した。 「そそそそうだね。ぐへへへへへ」 「今回残って貰ったのはですね、ちょっと相談したいことがあるんです」 「相談したいこと?」 「はい。わたし、芸能界に復帰しようかどうか悩んでいて」 そのことか。 確かにそれは必要な決断だった。今回の出来事が赤松さんにとってダメージにならないよう事務所も守ってくれているから、復帰自体は何とかなる。赤松さんは最盛期程ではなくともまだまだ人気があるし、そもそも本人に魅力と実力があった。 「ですが……ここで皆さんと過ごす時間も、本当に名残惜しくて」 最初は僕一人を芸能界に連れ戻すつもりだった、と赤松さんは言う。 最も僕と多く接触できる同じ教室に身を置いて、少しずつでも懐柔して行けば良いと。 それはとてつもない執念だった。赤松さんは着実にそれを実行して行った。ゲンバクやセンパイとも仲良くなり同じ探偵団に所属した。センパイはとにかく赤松さんに懐いたし、ゲンバクも赤松さんのことが気に入り団員として迎え入れてくれた。 「元々は、姫島くんに会う為だけに、こちらに転校して来たはずでした。ですが気が付いた時には、探偵団で過ごす時間そのものが、わたしにとって手放しがたい大切なものになってしまって……」 継続的に学校に行ったことのない赤松さんにとって、同年代で友達と言える存在はいなかったそうだ。周囲もタレントである赤松さんをどこか遠巻きにし、或いはひがみやっかみから酷い態度を取ることも多かったのだそうだ。 「でもセンパイにそんな余計な感情はありません。あの子は本当に素敵だとわたしは思います。ゲンバクさんはゲンバクさんで、誰が相手であろうと自分が偉いと言う態度を貫く人です。あの二人はわたしの対等な友でいてくれました」 「今の日常が気に入っているんだね」 「ええ。その通りです」 それを再確認したのは、葛城の陰茎と凶器の椅子を持って、外へ飛び出した時だという。 混迷状態で外に飛び出した赤松さんは、とにかくどこか一時でも身を隠せる安住の場所を欲した。そこで赤松さんが自宅よりもどこよりも最初に思い浮かべたのが、あの秘密基地だったのだ。 「あそこは私にとって、とっくに帰るべき場所になっていたんだなって、そう思ったんです」 僕を芸能界に連れ帰る為の止まり木などではない。自分自身の魂の居場所に、その秘密基地がなっていることに赤松さんは気付いたのだ。 「芸能界で脚光を浴びるのは素晴らしいことだと父は言います。わたしもその通りだと感じます。自分の振る舞いで人を楽しませるのは価値あることです。多くの子供達にわたしの姿を見て貰い、それを楽しんでもらえるのは本当に光栄です。ですが……」 それは本当に自分の幸福に繋がっているのか……。 そんな疑問も、赤松さんは抱くようになっていた。 「ゲンバクさんは言いました。気まぐれに飛んだり跳ねたり出来る子供時代は貴重であると。わたし達にはそれを謳歌する権利があると。その通りだと思います。わたしはその楽しさを今まで知らなかった。最近になってようやく知ることが出来た。今なら姫島くんが芸能界を去った理由も分かります。あんな楽しくて幸福なものを前にしたら、わたしを置いて一人で去って行くのも仕方のないことです」 赤松さんは言う。 「一方でわたしももう十一歳になりました。そろそろ自分のことは自分で選んで良い年頃じゃないかと思うのです。姫島くんがわたしより三年早くそうしたように、わたしも自分の身の振り方を考える時が来たんじゃないのかと、そんな風にも思うんです」 「なるほどね」 「ですが、今タレントをやめてしまったら、次に芸能界に復帰するのはより困難になるでしょう。別の道を考えなければいけません。ねぇ姫島くん。わたしはどうすれば良いのでしょうか?」 「……そうだね」 僕は考える。 普通の女の子に戻って僕達と気まぐれな子供時代を謳歌するか。 それとも恵まれた容姿と才能を活かせる芸能界に居続けるか。 どちらが赤松さんにとってより良いことなのか。 じっくり考えて、僕は結論を出した。 「どっちでも良いと思う」 赤松さんは目を丸くして、口をぽかんと開けた。 「投げやりなことを言っている訳じゃないんだ。だって、本当にそれはどっちでも良いんだから」 どちらかが間違っている訳でもない。 どちらかが不幸な訳でもない。 普通の女の子として日々を過ごすのも、タレントとしてテレビに出続けるのも、どちらも素晴らしく価値のあることだからだ。 「だってそうでしょう? 友達と学校ではしゃぎ過ごす素晴らしさは、僕には保証できる。それは一生の思い出になるし、そこで作られる親友は最高の財産だ。人生経験としてもタレントとして頑張ることに劣るとは思えない。でも同時に……それはタレントをしながら出来ないことでもない」 タレントは忙しいだろう。 友達と遊ぶ時間は限られるだろう。 でもその少ない時間で僕達は赤松さんと最高の思い出を作る自信があった。 「……芸能界は大変なところです。それは今回の事件で身に染みました。男性に襲われるのは、本当に怖い体験でした」 赤松さんは俯いて漏らす。 子供がネタとして消費するちんこのイメージと、男性器が持つ本来の役割というのは、かけ離れたものがあるのだろうし。それを目の当たりにさせられたことは、本当に大きな心の傷だ。 葛城の死は不幸だが、その行いは永遠に許されることではない。 「それにわたしがテレビの前で演じるキャラクターは、子供離れした優等生な受け答えと大人びた物腰の少女です。そういうタレント像を求められ努力する内に、やがて仮面に顔を食いつくされるようにして、わたしはなけなしの子供らしさを失っていくのです」 「そうはならないさ」 「なりますよ」 「ならないよ。なるっていうんなら、赤松さんはこれに耐えることができるのかい?」 僕は息を吸い込んで口にした。 「ちんこ」 赤松さんは面食らった顔をした。 僕は立ち上がって自分の股間に両手を掲げ、強く叫ぶ。 「ちんこーっ! ちんこちんこーっ!」 一回『ちんこーっ!』というごとに、強く股を突き出す僕。 赤松さんはあっけにとられたような顔をしている。何が何だか分からないと困惑したような表情だ。 「ちんこーっ! ちんこおおおお! おおおおおお!」 ちんこの力は偉大だ。 それは多分、子供時代が終わっても消えてなくなることはない。 そのくだらなさや意味のなさ、しょうもないことを成長と共に理解して行ったとしても、一度心の底からそれに笑った記憶は色あせることなく残り続ける。 だからずっとおもしろい。 全ての人の心の中に、ちんこはずっと共にある。 「あはっ。あははははははっ」 赤松さんは笑った。 笑ってくれた。 「あはははははははは! あははははははひひひひひひひひ! きゃはははははっ!」 それが子供らしさでないのなら一体何なのかというような、純粋で剥き出しの笑顔だった。赤松さんは腹を抱えて身体をくの字にして部屋の中央で見悶えていた。 ……子供らしさとは何か。それを赤松さんはゲンバクに問うていた。 大人が一方的に空想して押し付ける実態のないものではないのかと。 しかしそれでもあえてその質問に答えるのならば、僕はこう言う。 それは『大人になっても残るもの』だ。 思い出と共にその人の中で光り輝く、かけがえのない財産だ。 「おかしいっ! おかしいおかしい……おかしすぎるっ」 赤松さんはそう言ってくれる。 「姫島くんはいつもわたしのことを笑わせてくれる。大好きです」 「僕もだよ」 心の底から幸福に、僕はそう答える。 「大丈夫。どこにいたって何をしたって、君の心からちんこは消えない。それは一生君を愉しませてくれる。一生君の味方でいてくれる。笑顔をくれる」 子供のネガとしてのちんこの威力は、真の姿を現したちんこを目の当たりにしても衰えない。 その力がある限り、赤松さんはどこにいたって大丈夫だと思った。 「もちろん、君が僕らの元に残ってくれるなら、それも良い。心から歓迎する。それはゲンバクもセンパイも同じだよ。だから安心して選んでおいで。どちらを選んでも、君の考えた答えなら、それが一番良いことなんだから」 「……分かりました。決めました」 目尻に涙を貯めながら、赤松さんは幸福そうな笑みで言った。 「わたしの答えは……」 〇 赤松さんの家を出る。 蒼天から降り注ぐ眩い日光を浴びる。セミが鳴いている。額から汗が滲み始める。 自転車に飛び乗って、自宅への道を走り始める。 今は夏休みの真っただ中。 僕達の子供時代は、これからも長く続いて行く。 かけがえのない思い出と、ちんこと共に。 |
粘膜王女三世 2023年12月31日 21時33分24秒 公開 ■この作品の著作権は 粘膜王女三世 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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