【短編】神さまと密室 |
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少女には顔がなかった。頭部の中心に黒い穴がぽっかりと空いている。にもかかわらず、直立不動の状態で胸を上下させていた。生きているのだ。 みゆきは、少女から視線を逸らして周囲を見た。四方を壁に囲われている。シミ一つない、純白の壁だった。 ……ここはどこなの? みゆきは記憶を辿ろうとした。しかし、ずきりと頭が痛み、それどころではなかった。 出口を求めて辺りを見回すが、それらしきものはなかった。絶望的な気持ちになる。 ひょっとしたら、扉という概念など、ここには存在しないのかもしれない。自分は一生、ここで顔のない少女と二人きりで過ごすことになるのではないか。ふとそんな考えに囚われ、みゆきは息苦しさを覚えた。 ――可哀想だから出してあげるよ。 突如、脳内に声が響き渡った。 感情を廃した声だ。しかし、内容はスッと頭の中に入ってくる。 顔のない少女を見つめる。彼女が語り掛けているのだろうか。 ただし、とその声は幾つかの条件を提示した。 ▼ ワイングラスのふちを指でなぞりながら、はぁ、と溜息をつく。 最寄り駅から徒歩十分程度の場所にある雑居ビル二階のバーで、みゆきは酒を吞んでいた。客は自分を含めて三人。それぞれ間隔を空け、カウンター席に座っている。 みゆきはワインに口をつけて喉を潤した。悪くない。美味しいと感じられた。 「すみません」 突如、離れた席から声を掛けられる。そちらに視線を向けると、四十代くらいの男性客がこちらに笑顔を向けていた。少しふくよかな体型で黒縁の眼鏡を掛けている。 「ここにはよく来られるんですか?」 男性の質問に「いえ」と素っ気なく答える。 「行きつけの店が臨時休業で他に呑めるところを探していたら、ここを見つけたんです」 なるほど、と男性は頷いた。 「実は私もそうなんですよ。編集者との打ち合わせでよく使っている飲み屋が閉まっていて、こちらに足を運んだ次第です」 「編集者……。作家さんですか?」 「漫画家ですね。安西哲也というんですけど知っておられますか?」 漫画に疎いみゆきでも、聞いたことのある名前だった。確か、ドラマ化原作の漫画を描いていた気がする。 「ええ、知ってますよ。有名ですよね」 読者のように振舞いながら笑みを浮かべる。 「漫画家さんと会うのは今日が初めてです」 漫画家か。そのワードに引っ張られ、数ヶ月前に辞めていった派遣のことが思い出される。漫画家志望の冴えない男だった。 みゆきはその男の記憶を振り払い、ワインに口をつけてから言った。 「編集者さんとこれから会われるんですか?」 「今日はオフです。漫画家にオフという概念はあってないようなものですが」 「興味本位で訊きますけど、打ち合わせっていつもどういうことをされているんですか?」 「プロット、ネーム――物語の設計図のようなものの相談が大半ですね。まぁ、そのほとんどは無駄に終わってしまいますけど」 企画段階での話し合いが一番難航するんですよ、と安西が言う。 「でも、決まればトントン拍子でいくことが多い」 「なるほど、そうなんですね」 みゆきは相槌を打ちながら、さきほどの「無駄」という言葉を、口の中で転がした。舌打ちが漏れそうになる。 つい先日、会社内の会議に出席した。そこで繰り広げられたのは、意味のない言葉の応酬、責任逃れと不必要な叱責の嵐だった。まさしく無駄そのものみたいな会議だった。 みゆきは新卒から今の会社に入り今年で六年目になる。役職についたばかりだった。だからこそ、失望が大きかったのかもしれない。ずっとここにいていいんだろうかと不安に駆られた。 酒の勢いを借りてその話を持ち出すと、安西は大仰に頷いた。 「無駄な話し合いほどきついものはないですからね。わかりますよ」 気持ちが伝わり嬉しくなる。みゆきはグラスのふちを指でなぞりながら言った。 「世の中って論理的じゃない人、意外と多いですよね。仕事の人間もそうだし、元カレもそういう人でした。もっと論理的な人が増えれば、たぶん世の中はよくなるのに」 つい愚痴が零れる。安西は苦笑した。 「おっしゃる通りですね。実は私、創作スクールで講師もしているんですよ。年々、論理的でない人が多くなっていると実感しますね。物語は基本的には論理で組み立てられていくものなので、論理的でなければならないのですが、そういったものと距離を取りたがる生徒が思いのほか多くて困ります。福田くんなんか、まさしくその典型でしたね」 「福田くん?」 「あ、すみません。いきなり固有名詞を出してしまいました。福田くんというのは、私が見てきた生徒の中で最も熱意があり、最も才能のない男でした。描く速度だけは一人前で、それ以外は全部駄目でした。論理的な指摘をしてもすぐに口答えするような男でした。講義中に大勢の前で彼の作品を紹介して、駄目な部分を指摘していったことが何度かあるんですが、彼だけは何が駄目なのか一人納得していないようでしたね。そういう男だから、一年続かずに辞めてしまいましたよ」 「その人って福田すなおという名前じゃありません?」 まさかと思いながら訊くと、安西は目を剥いた。え、と呟いている。タネのないマジックを見せられ、困惑しているようだった。 「その通りですが……。お知り合いでしたか?」 「彼、休憩時間に創作スクールで講師に公開処刑されたって愚痴ってたことがあったんですよ。周囲を辟易とさせていましたね。うちの会社に入ってきたのは二年くらい前だったかな。派遣としてやってきました。正直、全く使えない子で、すぐに辞めてもらうことになりましたけど」 みゆきは事実を少しだけ歪曲して伝えた。 実際は社員の何人かで彼をイジメて辞めるように仕向けたのだ。みゆきがイジメを先導した。その頃は激務でストレスを溜めており、はけ口を求めていたのだ。福田は格好のターゲットだった。 辞めたのを見届けた時は痛快だった。会社から癌を取り除いた気分だった。 「いやぁ、偶然が重なりますな。漫画に描いたら読者に怒られそうだ」 「かもしれませんね」 「最近、非常に嫌な夢を見ることが多くて辟易としていたんですよ。でも、今日は快眠できそうだ。こういう素敵な出会いのある日には、きっといい夢を見るでしょうからね」 安西が笑いながら言う。みゆきもつられて笑った。 「わたしも快眠したいです。安西さんと一緒で、ここのところ悪夢を見ることが多いものですから」 「へえ、それはまた奇遇ですな。どういう夢ですか?」 「面白いものじゃありません。白い部屋に閉じ込められ、顔のない少女と二人きりにさせられる夢なんですけど」 ガタッと音がした。安西が勢いよく立ち上がり、椅子が倒れたのだ。 青白い顔をこちらに向け、唇を動かした。 「頭部に黒い穴の空いている少女の夢ですか?」 「え? ……ええ、そうですけど」 なぜ黒い穴が空いているとわかったのか。そこまで説明はしていないはずだ。 安西はゾンビのような顔で言った。 「私も見てるんですよ」 声が震えている。 「え、待ってください。何のことですか?」 「夢ですよ……。私も同じ夢を見ているんです。顔のない少女の夢を。可哀想だから出してあげる、と言われませんでしたか?」 「い、言われました……」 沈黙が流れる。 いったいどういうことなのか? 狐につままれたような気持ちになる。 その時、もう一人の客が近づいてきた。みゆきと安西の間の席に座り、ビールをあおるように飲んだ。口元を拭ってから、あはは、と笑う。 「こりゃどういうことだ? わけわかんねえ」 「なんですか突然あなたは」 安西が目を吊り上げる。不審者を見るような視線を男に向けた。 「あなたには関係ないでしょ。今こちらは立て込んでるんですよ」 「残念ながら関係者だよ」 軽薄さを張り付けたような顔で男は言った。 「福田すなおの話をしてただろ? それ、おれのダチだから」 え、と喉を震わす。 「顔のない少女の夢も見てるぜ」 「馬鹿な! 証拠はあるのか!」 安西が声を張る。気が動転しているのだろう。 「あるよ」 男はスマホの画面を見せてきた。二人で覗き込むと、そこには幸薄そうな男が映り込んでいた。間違いない。福田すなおだった。 「福田とは中学からの付き合い。幼馴染っていうのかな。数年前までは付き合いがあったけど、奴の女を取っちゃってからは顔を合わせないようにしている。夢の方は……残念ながら証拠はねえな。あんたらも証拠を見せるのは無理だろ? 夢の世界にお連れする方法があればいいんだけどなぁ」 沈黙が降る。何と口にしていいか、わからない状況だった。 安西は泣き笑いのような表情を浮かべていた。精神のバランスがおかしくなってきているのかもしれない。 「……いったん落ち着きましょう」 みゆきは自分に言い聞かせるようにしながら言った。 「情報を持ち寄りませんか。そうすれば、この現象に合理的な解釈がつけられるかもしれませんよ」 軽薄な男は鈴原と名乗った。行きつけの店が臨時休業で、どうしたものかと通りを彷徨っていたら、たまたまこのバーが視界に入り、門扉をくぐったという。みゆき達と同じ流れだった。 軽い自己紹介をした後、夢の内容を詳しくすり合わせる。そこで全員が、やはり同じ夢を見ているということが確定した。 安西が眼鏡の位置を直しながら言った。 「一つだけならただの偶然で片づけられます。二つの偶然が重なることも、まぁないことではない。しかし三つ四つ五つと偶然が重なるとなったら、そこには作為が介入しているとみて、ほぼ間違いないと思われます」 鈴原が「はぁ?」と呆れた顔をした。 「つまりおれたち、誰かに集められたってこと? マジ?」 安西は大真面目な顔で頷く。それしか考えられないでしょう、と言った。 でも、とみゆきが口が挟む。 「そんなことが可能なんでしょうか?」 「無理だよ、無理。だっておれ、適当にこの店選んだもん。夢の中を一致させるのも無理でしょ。ありえないって」 「それは……確かにそうなんですが」 安西が眉間に皺を刻みながら続ける。 「いったんトリックは脇に置いて考えてみましょう。仮に犯人がいるとするなら、福田くんで間違いないと私は思いますね。共通の知人ですし、私達のことを恨んでいる可能性が非常に高いですから。私は原稿の粗を指摘した件で逆恨みされています。みゆきさんに対しては、一緒に働く中で恨みを募らせていったのかもしれません。鈴原さんは――」 「寝取ったからな。恨まれて当然だ」 にやにやと笑いながら自分で言う。反省はしていないらしい。 「っていうかよぉ……」 鈴原は背もたれに寄りかり、笑みを消して言った。 「恨みを持っている福田がおれらを集めたとするよ? それが事実なら、ここでのうのうと話し合っているのは危険なんじゃねーの? 何されるかわからねえぜ?」 みゆき達は、じっと鈴原を見つめた。グラスを持ち上げ、黄色い液体を喉に流し込んでいる。 「それ、飲むのやめた方がよくないですか」 みゆきが忠告する。え、なんで、と首を傾げた。 「たぶん、毒が入っているんじゃないかと彼女は言っているんですよ」 鈴原はきょとんとした。言葉の意味を正しく理解できなかったらしい。しばらくして、自分の手元を見た。次の瞬間、口の中のものをカウンターの向こうにぶちまけた。苦しそうにえずいている。 「……店から提供されているので、毒の心配はあまりないと思いますが」 流石に哀れに思ったのか、安西が優しくフォローを入れた。 次の瞬間、バーテンダーが店の奥からやってきた。若い男で、ひげを蓄えている。吐き出したビールを黙々と拭きとってから立ち上がった。 バーテンダーは神妙な顔で言った。 「失礼ながら、バックヤードであなた方の話を聞いておりました」 まさか、とみゆきは思う。彼も自分たちと同じように、福田すなおの知り合いで、顔のない少女の夢を見ているのではないか。二度あることは三度あると言う。三度あることは、四度、五度、六度だってあるのではないか。少なくとも今日は、そういうことが続いている日だ。むしろ、そうでない方が不自然に思える。 バーテンダーは、おもむろに自分の顔を手で覆った。それから、蓄えていたひげを取り、こちらに顔を向ける。 全員が硬直した。 「久しぶり」 福田すなおが、にこりと微笑んで言った。 ▼ 「思った通りだ」 安西が、ほれ見たことかとみゆき達に視線を向ける。みゆきは頷き、鈴原はまたビールに口をつけようとして、はっとグラスから手を離した。 安西は身を乗り出すようにしながら、鋭い視線を福田に向けた。 「どうやってこの店に私達を集めたんだ。教えろ」 「え、どういうことですか?」 「惚けなくていい。もうわかっていることだ」 「いや、ほんと、何を言ってるんですか?」 きょとんとしている。 「お前なぁ!」 突然、安西が声を荒げた。 「原稿を許可なく見せたのは悪かったと思ってるよ。でも、お前はああでもしないと、自分の原稿の粗さや拙さを認めなかっただろ。だからやったんだ。親切心だったんだよ。まさか、お前が病んで、スクールを辞めるとは思わなかった」 「一度も電話してくれませんでしたね」 「電話なんてする義理はないだろ。お前は出来損ないで、才能なんてこれっぽっちもないんだから」 そこで安西は言葉を止め、こちらを見た。第三者の存在を思い出したのだろう。さきほど倒した椅子を元の位置に戻して、ばつの悪そうな顔で座り直した。 「おめえよお。こういう陰険なことするのはよくねーぜ」 今度は鈴原が口を開く。 「あゆちゃんの件は確かにおれが悪かったよ。けど、こういうことされるとマジビビるぜ」 福田は小首を傾げた。 「なんのこと?」 「おれらをここに集めたのはお前だろって言ってんの。恨みを晴らすためなんだろ? 違うか?」 「わけがわからない」 みゆきまで苛々してきた。 福田は落ち着いた口調で言った。 「皆はたぶん誤解している。僕はこのゲームの参加者で、真のゲームマスターは別にいるんだ」 わけがわからなかった。 しらけたムードが漂い始める。これ以上、彼と話しても埒が明かない。皆、そう思っているに違いない。 安西が立ち上がった。一万円札をカウンターの上に置き、扉の方に向かう。帰るつもりなのだ。 「無駄だよ」 福田が言った。どういう意味か尋ねる前に、「えっ」と背後から声が上がった。安西が困惑の色を顔に貼り付けている。 扉が開かないらしい。 みゆきと鈴原も加わり、三人で扉を開けようと試みた。しかし、びくともしなかった。 三人は福田の脇をすり抜け、カウンターの奥に足を踏み入れた。非常口の扉から外に出ることを思いついたのだ。扉の前で三人は外に出ようと手を尽くした。しかしロックを解除してドアノブを捻っても開かなかった。窓も駄目だった。割ろうとしても割れなかった。 その後、スマホで知人に助けを求めようとしたが、どこにも通じなかった。他の二人も同じだったらしい。憔悴しきった顔をしている。 三人でカウンター席に戻った。 福田は素知らぬ顔でグラスを磨いていた。 「どういうことなの?」 みゆくが訊くと、福田は肩を竦めて言った。 「顔のない少女の話した通りだ。僕らは話し合いで転生者を決めなくちゃいけない」 ▼ 全身の毛が逆立っていくのを感じた。 少女の言葉を頭の中で反芻する。 みゆきは恐る恐る口に出して言った。 「――あなた達はすでに死んでいる。転生させてあげられる人間は一人のみ」 安西が言葉を継いだ。 「――その一人を話し合いで決めてほしい。ちなみに全員が納得して一人を選出するまで全員部屋からは出られない。決まったら、その人は前世の記憶を保ったまま転生できる。残った人たちもその空間からは解放され、本当のあの世にいける――。確か、そう言ってましたよね……」 沈黙が落ちた。 あまりに馬鹿げた話だった。荒唐無稽としか言いようがない。 しかし、超常的な力の介入により、みゆき達はバーの外に出られない状況にあった。 福田が肩を竦める。 「事実だと思うよ。僕らは全員死んでいるんだ。そして、転生する権利を話し合いで決めることになった」 みゆきは壁に背中をつけて自分の胸に手を置いた。心臓の鼓動が感じられず、平衡感覚を失いかけた。 ……死んでいる? 自分が? まるで実感がわかなかった。 「おれ、死にたくねーよ!」 鈴原が鼻をすする。目に涙を浮かべて言った。 「ペットを家に残したままなんだ。死ぬわけにはいかねえよ」 「君はもう死んでるんだ」 福田が冷静に指摘する。 全員椅子に腰掛け、酒を呑んだ。現実を受け入れる時間がほしかったのだろう。 「……なぜ私は死んだ?」 しばらく時間を置き、心の整理がついてきた頃、安西が呟くように言った。 「私には死んだときの記憶がない。だから、死んでいる実感がわかないんだ」 「私もありません」 「やはりそうでしたか。死ぬ直前の記憶を持っている方はいらっしゃいますか?」 誰も手を上げなかった。 福田が口を開く。 「自分がなぜ死んだのかはわからない。でも、君らが死んだ理由なら知ってるよ」 本当か、と安西が目を剥く。 福田は優しい笑みを浮かべて言った。 「僕が君らを殺したんだ」 ▼ 再び沈黙が流れる。 福田は平然としていた。 みゆきは生唾を呑み、「どういうことなの?」と訊いた。 福田の説明は簡潔だった。 渾身の漫画を否定され、彼女と職を奪われた彼は、自殺することに決めたらしい。道具を揃え、いざロープに首をかけようとしたタイミングで、お告げを聞いたという。 「――復讐した方がいい。神はそうおっしゃられた。僕はその啓示に従い、君らを殺したんだ」 その時のことを思い出しているのか、恍惚とした表情で言う。 この男は正気ではない。みゆきはそう確信した。 「ど、どうやって三人も殺したんだ……?」 安西が訊く。 「え? 普通に殺したけど? 夜道に後ろからバットで殴りかかったり、家に火をつけたり、包丁で刺したり。ベタな手法だよ。面白みはなかったかな」 突如、鈴原が口を抑え、「おえぇぇぇ」と言った。幸い、吐しゃ物は出ていなかった。 「なぜそんなバレそうな方法でやったの?」 みゆきが訊くと、福田は、不思議そうな顔をした。 「死刑になるならなるで構わなかったからだよ。唯一の懸念点は、全員を殺し切るまで警察に捕まらないで済むかどうかだった。無事成功してよかったよ。僕はついてる」 安西がのっそりと立ち上がった。拳を握りしめ、福田を殴る。 「いたっ――くはないんだよね……」 彼は申し訳なさそうに言った。 「この空間に痛みという概念はないんだ。さっき包丁で自分の手を刺してみたんだけど、痛みを感じなかったよ。傷口もすぐ復元された」 「クソ! お前のせいで! 殺してやる!」 「殺す必要なんてない。すでに死んでいるんだから」 火に油を注いだようで、安西はさらに顔を赤くした。 皆さん、と声を尖らせて言う。 「わかっていると思うが、あえて言わせてもらう。こいつにだけは転生権をあたえてはならない!」 「そりゃそうだ」 鈴原が同意を示す。一方、みゆきは首を縦に振らなかった。安西が懐疑的な視線をみゆきに向ける。 「まさかと思いますが、私の提案に何か不服でもあるんですか?」 みゆきは声を潜めて言った。 「転生者を選ぶためには全員の同意が必要ということでしたよね。あまりその、福田さんと敵対しない方がいいんじゃないですか?」 「なぜです?」 「仮に私と鈴原さんが安西さんに転生権を譲ったとします。でもその時、福田さんが認めなかったら、安西さんは転生できなくなるんですよ」 暴力で脅すのも無理なら、八方塞がりになる可能性が高い。 安西は、みるみる色を失っていった。単純なことだが、そこまで頭が回っていなかったらしい。 「あ、いや、確かに、それはそうですね……。冷静さを欠いてました。福田さん、すみませんでした。さきほどの発言は撤回します。原稿の件も謝ります」 頭をぺこぺこと下げている。白々しいとはこのことか。しかし、彼はそうせざるを得ないのだ。表情には出していないが、腸が煮えくり返っているはずだ。 「別にいいよ。気にしてないから」 微笑みながら言う。 「先に宣言しておこうかな。僕はこの議論で転生権を得ようとは思っていないんだ。っていうか無理だよね。流石に自分達を殺した奴に転生権をあたえようとは思わないでしょ。僕はみんなが選んだ人に一票を投じることにするよ。約束する」 落ち着いた口調だった。冷静沈着と言っていい。やはり何か、人として重要なものが欠落しているのではないか。みゆきは福田を見て、戦慄を覚えた。 「おれにしてくれないか?」 ふいに声が響いた。鈴原だ。青白い顔をしながら唇を動かしている。 「……おれには恋人やペットがいるんだ。仕事は……まぁ、就活中だったわけだけど、おれには守らなきゃいけないもんがたくさんある。だから、おれにしてくれないか?」 頼むよ、と情けない声を出した。 安西が落ち着かせるように言った。 「それを言ったら、私やみゆきさんも同じですよ。大切な人を置いてきている。転生の権利がほしいのはあなただけじゃありません」 そもそも、と続ける。 「転生がどういう形で実現するのか不明なままです。他人の赤ちゃんに戻ってやり直すことになったらどうするんですか。そうなると、恋人やペットに会うのは不可能になりますよ」 「その時はハイハイして行くさ。なあ、頼むぜ? おれを助けてくれよ。あんたらの墓参りにも行くからさ。なあ、いいだろ?」 「馬鹿なことを……」 安西は苛立ちを顔に滲ませた。 「子供ですかあなたは。まともな大人の議論をしましょうよ」 「議論なんてしたくないね。つーか、もう十分、あんたは生きたじゃないか。四十くらいだろ? 若いもんに席を譲ってくれよ。な、いいだろ?」 「あなたに票はいれません」 顔を歪めて言う。怒りが爆発しそうな兆候を感じた。激高しやすいタイプなのだろう。この一時間近くで彼のパーソナリティが見えた気がした。 そういえば、安西哲也がアシスタントをパワハラで自殺に追い込んだというネット記事を見た気がする。デマだと思われていたが、本当のことだったのかもしれない。 みゆきは暗雲たる気分を隠しながら、二人の間に割って入った。 「いったん落ち着きましょう。冷静に話し合わないと、一生このバーからは出られませんよ」 「え、一生?」 鈴原が泣きそうな顔を浮かべる。 「少女の話を思い出してください。そう言ってましたよね。私達は、話し合いで転生者を一人決めるしかないんです」 「社会への貢献度で決めるのはどうでしょうか?」 安西が得意顔で言う。みゆきは心底げんなりした。 自分が圧倒的有利なフィールドでこの男は戦いたいのだ。 「いいですか? いいですよね?」 周囲に顔を向けながら話を進行させていく。 「では、学歴、職業、年収、これまでの募金額。すべてを提示してから話し合いに移りましょうか」 「おいおっさん、これは面接じゃねえんだぞ」 鈴原が顔を歪めて言う。嫌悪感を剥き出しにしていた。 「おっさんとは失礼ですね。あなた、まだ二十代前半でしょう。年上には礼儀を持って接してほしいものですね。お里が知れますよ」 「募金なんてしたことねーんだよ」 「皆さん、彼の発言を聞きましたか? 覚えておいて下さいね」 「おい、なんでこいつが仕切ってんだよ! おかしいだろ!」 鈴原がテーブルを叩く。 「みゆきちゃんが進行役やってくれた方がいいんじゃねーの。このおっさんよりも冷静じゃん」 「そんなことはないですよ。私だって冷静です」 「おれは、お前が仕切ることを認めねえ」 「そうですか。なら仕方ありませんね。では、司会役を決めてから議論に移るとしましょうか」 「だーかーらーさー、なんでおっさんが仕切ってるんだよ。司会やる気まんまんじゃねえか」 「そういうつもりはありません。さっきから何なんですか、あなたは。子供みたいに我儘ばかり。情けない人ですね。そんなことを言っていると、皆から呆れられて転生権を失いますよ」 「そうなったら誰にも票をいれねえから心配すんな」 「は? どういう意味ですか?」 「言葉通りの意味だよ」 「あなたねえ……。ふざけるのも大概にしてください」 「おー、こわ。そんな睨んでくるなっての。そうだ、ここで宣言しておくわ。おれはおれ以外の転生を認めねえ。だから、おれの票はおれが一生抱え込んだままになるぜ」 「貴様!」 「何だよ。文句があるなら福田を殴った時みたいにやってみろよ。痛くもかゆくもねえだろうけどさ」 みゆきはワインに口をつけながら、二人のやりとりを眺めていた。 地獄があるとするなら、きっとこのバーがそうなのだろう。論理性の欠片もない男達に囲まれ、答えのない議論を、永遠に聞かされるのだ。 福田を見た。ワイングラスを磨いている。彼はバーに来て、制服を拝借したのだろう。ひょっとしたら、神のお告げに従い、そうしたのかもしれない。ひげは恐らく、みゆき達を殺すときに変装でつけていたものだ。 本当に、彼は転生しなくていいと思っているのだろうか。 過去のいじめをしていた頃の光景がフラッシュバックする。 腹の奥から、得体のしれない感情がわいてきた。 ぱりん、とガラスの割れる音が響く。 男達がこちらに目を向けた。 みゆきがワイングラスを落としたのだ。 ▼ 「あ、ごめんなさい。手元が狂っちゃって」 みゆきは眉尻を下げて言った。 全員の意識がこちらに向いている今がチャンスだ。 ゆっくりと口火を切る。 「私、福田くんに謝らなくちゃいけないことがあるんです」 できない仕事量を割り振り、声を掛けられても無視して、彼のロッカーのものを後輩に盗ませた。福田は毎日、死にそうな顔で通勤していた。みゆきはそれを嘲笑って見ていたのだ。 心の底から後悔の念がわいてくる。 今、こういう状況に陥っているのは、自分の未熟さが原因だった。 みゆきは涙を流しながら言った。 「たぶん福田くんは私を恨んで殺したんでしょ? 私を、イジメの黒幕だと思って」 「そうですね」 「違うのよ」 心に訴えかける。 「全部誤解なの。後輩たちが勝手にやったことなの。でも、気づけなかった私にも責任はある。だから謝りたい。ごめんなさい。あなたの辛さを気づいてあげられなくて。本当にごめんなさい」 福田は何も言わなかった。こちらをじっと凝視してくる。 みゆきは、獲物が釣り糸に掛かるのを待った。 「なるほど、そうだったんですね……」 福田が神妙な顔をして言う。後悔の色が顔に宿ったのを、みゆきは見逃さなかった。 彼のような冴えない男は、女性の涙に弱いのだ。 釣れた! 心の中でガッツポーズをとる。 みゆきが後悔しているのは、なぜもっとうまくやれなかったのか――その一点だけだった。福田本人に黒幕だとばれたのは自分の未熟さが原因だろう。そこは猛省しなければならない。 自分はこの後、ひたすら無実の被害者を演じるつもりだった。こいつらには全員、明確に落ち度がある。それを認めてしまっている。しかし自分はまだ何も認めていない。少なくとも表面化していない。だから、福田さえ騙せればあとはどうとでもなると考えた。 福田は後頭部を掻いた。それから、まずいことをしたなぁ、と苦笑して言った。 「みゆきさんが黒幕だと思ってたんだ。だから殺したんだけど……」 「誤解よ」 「そっか。なら、こっちが謝らなきゃね。ごめんなさい」 よし、と思う。 これで「無実の犠牲者」という圧倒的に有利な立場を手にできた。 以降、どういう議論が展開されようと、みゆきはずっと可哀想な被害者の立場でいられる。 皆、いずれは根負けして、みゆきを転生者にすえるだろう。 やはり冷静な人間が最後には勝利を収めるのだ。 論理的でない彼らは、あの世行きだ。自分はこの論理的思考と記憶を保ったまま、新たな人生を送れる。会社には嫌気がさしていたので、ひょっとしたらいい機会だったのかもしれない。良い面ばかりが見えるようになってきた。 「あ、すみません」 福田が突然、手を上げた。 全員で彼を見つめる。 福田は何か、声を聴きとっているようだった。うんうん、と頷いている。異様な光景だった。 しばらくして、彼の相槌は終わった。晴れやかな表情を浮かべている。さきほどとは別人のようだった。 「大丈夫ですか?」 安西が訊く。 「え、うん。大丈夫だよ。何も問題ない」 「どうしたんですか? 誰かと話していたようでしたけど……」 みゆきが戦慄しながら訊くと、福田は何でもないことのように言った。 「久々にお告げがきたんだ」 「お告げ……」 「僕の話はもういいよ。それより話し合いを続けよう。どういう基準で決めようか? それぞれの人生観を披露し合う? 僕から話そうか?」 待てよ、と鈴原が顔を顰めて言う。 「福田は議論を見てるんじゃなかったのか? お前、転生の権利を放棄しただろ。何ノリノリになってんだよ?」 「あ、そうだったね。さっきまではそうしようと思ってたんだけど」 でも、と続ける。 「今、お告げでこう言われたんだよ。お前は転生して多くの人を救う、第二のイエスキリストになる男だ、ってね」 沈黙が場を支配した。 福田は目を輝かせ、慈愛に満ちた表情を浮かべた。 「僕が転生権を得て見せるよ。絶対に。絶対に。だって皆が僕を待ってるんだから。神もそう言っている」 お告げに従い三人もの人間を殺した男が、自分を鼓舞するようにしながら言った。 冷徹な論理が、得体のしれない気まぐれなお告げにより、食い破られようとしている。 みゆきは全身から力を抜き、あはは、と乾いた笑いを漏らした。その笑いは次第に大きくなり、バーの中で空しくこだました。 |
円藤飛鳥 2023年12月31日 12時37分57秒 公開 ■この作品の著作権は 円藤飛鳥 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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合計 | 10人 | 150点 |
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