シュレディンガーの姉

Rev.01 枚数: 8 枚( 2,944 文字)

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 それはとある秋口のアンニュイな、午後のひと時の事だった。

「ねえ店長。これなんですけど、何なんですかねえ?」
 先程お客さんが持ってきた宅配便。その伝票に書かれた品名を指差して私は言った。
「なに? どした? あー」
 覗き込んだ店長は、伝票に書かれた品名を目にするや呆れた顔になる。

『生もの分類指定 品名 姉』

 伝票にはこう書かれてあった。
「これはあれだ。きっと『柿』って書きたかったんだろう。よくある書き間違いだ」
 疲れた声でそう言い放つと、店長はそそくさと自分の作業に戻ろうとする。
「あー、なるほど」
 柿と、姉。
 確かに良く似ている。それは高校中退のフリーターである私にも解る、イージーな書き間違いだ。以前私が『大入ジューシー豚まん』を『大人ジューシー豚まん』と勘違いしていたあれよりも更にレベルが低い。
 しかし。
「でも店長、これなんかやたらと重くないですか? 柿ってこんなに重いもんでしたっけ?」
「果物は意外と重いぞ。あと緩衝材にもみがら入れたりする事もあるからな。うちも実家は農家だから良く知ってる。それよりこの辺なんか埃っぽいから、ちゃんと拭いといてな」
 店長はまるで意地悪な姑みたいにカウンターを指で拭うと、やはり疲れた表情で事務所に向かう。きっと未だに来週のシフトが埋まらないんだろう。
 不機嫌そうに扉を閉める店長の背中を見送りながら、カウンターに散らばっている砂を拭く。この砂はさっき、宅配便を持ってきたお爺さんが汚していったものだ。きっと畑の片隅かなんかでぞんざいに箱入れして、そのまま持ってきたのだろう。良く見れば箱には乾いてカピカピになった土なんかがこびりついているし、なんか蟻みたいなちっさい虫もモゾモゾしている。
 まったく、もう少し綺麗にしてから持ってこいってのよ。
 とっくに帰ったお客に文句を言いながらカウンターを拭く。あのいかにも田舎農家のジジイと言った風体の、愛想の欠片も無い、それでいて柿もまともに書けない爺さんを思い出して私はちょっとだけイラついた後フッと鼻で小さく笑う。なんだお前、私よりもずっと長く生きてるのにこんな簡単な書き間違いしちゃうのか? まあ私もこの前新潟県って書けなくてこっそりスマホで確認したりしたけどな。
 なんて事を考えながらニヤニヤと小作業を続ける。カウンターを拭き、レジのタッチパネルを拭き、ついでにコピー機やATMの機械も拭く。まったくコンビニの仕事ってやつは限りが無いしキリも無い。こんなド田舎県ド田舎市の片隅にあるつぶれそうなコンビニですら、だ。
 いっそ悟りすら開けそうな程、無心になってあちこちを拭いていたその時。
「おはよーございまーす、集荷でーす」
 宅配便のお兄さんが集荷にやってきた。そして私が持ち出したくだんの荷物を見ると、やはり私と同じリアクションを取る。
「なんですこれ、品名姉って」
 怪訝な顔になって箱を見るお兄さん。
「あー、店長が言うにはきっと『柿』と書き間違えたんだろうって」
「カキだけに?」
 何が面白いのか、お兄さんは自分が言ったくだらない駄ジャレでデュフフっと気持ち悪く笑う。この人愛想も良いし仕事はきっちりやるんだけど、どこかヲタヲタしくて残念なんだよなあ。
「おもんね。いいからちゃっちゃと持ってって」
「いやいや、これはあなた、中々興味深いですよ。考えてみてください」
 銀縁眼鏡をキラリと輝かせ、お兄さんはちょっと早口になって言う。
「いいですか? この伝票には『姉』と書かれているけれど、本当は柿かも知れない。しかし我々には開封してみる以外にそれを確かめる術が無い。これはまさに、シュレディンガーの猫ならぬシュレディンガーの姉と言って過言では無いのでは無いでしょうかッ!」
「……はい?」
「あれ? もしかしてシュレディンガーの猫知りません? 必須科目ですよ?」
 一体何の必須だよ。
「これはそもそもオーストリアの物理学者、シュレディンガー博士が呈した思考実験です。まず箱の中に少量の放射性物質と毒ガス発生装置、そして猫を入れて密閉します」
「いやまずじゃねぇよ猫ちゃんに酷い事すんなよ」
「まあ聞いてください。毒ガス発生装置は放射性物質の原子崩壊を検知するとガスを出します。ガスが出たら当然猫は死にます」
「だから猫ちゃんになんて事すんだよお前殺すぞ?」
「んで、ですね。放射性物質が原子崩壊する確率を50%とすると、箱の中で猫が生きている状態と死んでいる状態が50%の割合で存在し、つまり『生きている猫の状態と死んだ猫の状態が重なり合って存在している 』という事になり、それは実際に箱を開けて観測してみるまで確定していないっていう事になるのです!」
「……えーと、つまり何が言いたいの?」
「まあぶっちゃけてしまえば、この箱を開けるまで中身は柿か姉かわからないよねーって事で」
「じゃあ最初っからそう言いなさいよ! いいからとっとと荷物持ってけ!」
 私は尚も「え、でもまだコペンハーゲン解釈とエヴェレット解釈の話がまだ」とかほざいているお兄さんを追い出して仕事に戻った。まったく何がシュレディンガーだ。ていうか箱に入ってる姉って一体何だよ。びっくり人間か? そんなもん送られてきたらサプライズどころじゃねーよ。


 翌朝。
 なんだかこの田舎町が騒がしい。聞き慣れないパトカーだか救急車だかのサイレンが微かに聞こえ、遠くの空からはヘリコプターの音らしきものまで響いている。昼前まで惰眠を貪る予定の私に一体なんて酷い仕打ちをするんだろうかこの世界は。みんな苦しみながら死ねばいいのに。
 布団を頭まで被り、騒音に断固抵抗しようとしたしかしその矢先、今度はスマホから無情にも着信音。
「なんだよ一体……」
 目を擦りつつ画面を見ると、そこには『店長』の文字。
「もしもしぃ、一体なんですこんな朝っぱらから」
「すまん。申し訳無いんだが、これからすぐ店まで来てくれないか。大至急だ」
「えー。どうしてもですかぁ?」
「どうしてもだ。頼む」
 言いたい事だけ言うと、店長は電話を切りやがりました。まったく、どうせ朝シフトの誰かが急用で来れなくなったとかバックレたとか、そんなんだろう。まあ睡眠の邪魔しやがったのは万死に値するけれど、ここで店長に恩を売っておけばいざって時に私が休みを取りやすいからな。まあ仕方が無いか。
 という訳で重たい身体を引きずり起こし、最低限の身だしなみだけ整えて部屋を出る。
「あら? あんた仕事はお昼からじゃないの?」
 リビングから怪訝な顔で私を見るお母さんに「んー、急な仕事ー」とだけ答える。
「そう。なんかこの辺りで酷い事件が起きたみたいだから、あんたも気を付けて行くのよ」
 お母さんはテレビを見ながら、心配そうな声で言う。
「あーい」
 横目でテレビの画面を見ると、そこにはすっごく見覚えのあるこの田舎町と若いキャスターらしい男の人が映っている。
「で、何があったの?」
「なんか隣町でお婆さんが殺されたらしいわよ。この辺も物騒になっちゃって、本当に嫌ねえ」
「ふーん。じゃ、行ってきまーす」
 お母さんに背中を向けて出勤しようとする私の耳に、キャスターの微かな声がへばりつく。

 ――未だ頭部のみ発見されておらず、警察は当時の状況を……
黒川いさお

2023年08月13日 19時11分37秒 公開
■この作品の著作権は 黒川いさお さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:開けてみるまでわからない
◆作者コメント:実話を元に書きました。本当です。
短い話ですが、枯れ木も山の賑わいということで。

2023年09月04日 21時09分56秒
+10点
Re: 2023年09月07日 18時16分26秒
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Re: 2023年08月27日 20時53分42秒
2023年08月22日 17時29分46秒
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Re: 2023年08月27日 20時48分34秒
2023年08月20日 16時45分47秒
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Re: 2023年08月27日 20時39分38秒
2023年08月18日 01時06分47秒
+10点
Re: 2023年08月27日 20時35分26秒
2023年08月15日 10時51分03秒
+30点
Re: 2023年08月27日 20時28分25秒
合計 9人 140点

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