僕たちはサプライズが大嫌い

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 1 バグったゴミ虫の予定人間とサプライズ嫌いの正直少女

 僕こと下田純(しもだじゅん)は『予定』を愛する人間である。
 予定こそが我が人生の喜びであり、予定が無い瞬間など、一秒たりとも存在しない。どんな時でも頭の中は何らかの予定で埋め尽くされている。
 それはどんな簡単な予定でもいい。とにかく、予定と呼ばれる事柄を遂行した瞬間、僕の脳内は快楽物質が発生するようにできているのだ。
 そうやって予定を実行する達成感を得る為に僕は生きている。
 予定は絶対なる正義。僕は究極の予定人間。『予定を極めし者』と言っても過言ではない。
 そんな僕を見て、普通の人はどう思うのか?
 まあ、間違いなく変人と思うだろう。ああ、分かっているさ。こんなのはただの病気だ。
 僕という人間を好きになる人など存在しないだろうし、むしろこの本性を知れば、多くの人から嫌われるに違いない。
 僕は今、高校一年生なのだが、一つ分かったのは『本当の自分』は隠して生きなければならないという事実である。僕が予定を愛する変人であることは、決して知られてはいけない。
 クラスで存在しているのかどうかも分からないどうでもいい存在。それを演出して生きる必要があった。
 その試みは、現状では成功していると言っていい。こんな変人の僕だが、なんとかクラス内でも目立たず、平穏な学園生活を過ごす事ができている。
 本当の自分をさらけ出せない生き辛さのようなものは確かにあるが、下手に自分をさらけ出して、他者からの『攻撃』を受けるよりは遥かにマシだ。
 今日も黙ってひっそりと、一人遊びみたいに予定を遂行する喜びを噛みしめて、ひたすら毎日を楽しむ。これが正しい僕の生き方だ。
 誰とも関わらず、邪魔をしないし、邪魔されない。そして誰からの影響も受けない。絶対の現状維持。
 そんな最弱でありながら、ある意味では最強とも言える僕なのだが、一つだけ『天敵』と呼ぶべき苦手な事柄が存在する。
 それが、今から始まる催し物だ。

「サプラァァァァイズ!」

 いきなり、でかい掛け声が教室内に響き渡った。
 重ねて大量のクラッカー音。一瞬、心臓が止まるかと思うほどの爆音だ。
 そして、一人の女子に向かってイケメンが近づいていく。その手には花束が握られていた。
 イケメンは演技っぽいキザな態度で片膝をついた。
「お誕生日、おめでとう!」
「え? 私に? 嬉しい! ありがとう!」
 周りに盛大な拍手が鳴り響き、女子は感動で涙ぐんでいる。
 そんな女子の反応を見たイケメンは、満足そうに頷いて親指を立てた。
「サプライズ、大成功ぉぉぉ!」
「よっしゃああああああああ!」
 クラス内は完全にお祭り気分となった。催し物は無事に成功したらしい。
 そう、これはいわゆる『誕生日サプライズ』というやつだ。
 周りの人が本人に黙って企画して驚かせてやろう、という祝い事である。
 ほとんどの人が、それで喜ぶらしい。皆が嬉しいと声を揃えて称えあう。

 だが、僕はこのサプライズというものが大嫌いなのだ。

 この光景を見つめている僕の正直な感想を述べよう。…………『うるさい』だ。
「いいね~。やっぱり、サプライズって最高だよね!」
「うん。凄く盛り上がった。楽しい! まるで夢のパーティーみたい!」
 とはいえ、このクラスに生きる人類の大半は、サプライズが好きみたいだ。特に女子という生物がサプライズを喜ぶ傾向にあるらしい。
 きっとクラスでただ一人、僕という変人だけが、サプライズを嫌うのだろう。
 なぜ僕がサプライズをここまで嫌うのか。理由は簡単だ。
 サプライズとは予定を無視した不意打ちとも言える行為。予定を愛する僕にとって、まさしく天敵だ。
 どうせ祝うのなら、きちんと予告した方がいい。相手にも予定ってのがある。
 サプライズなんて非効率だと思う。普通に祝うだけでよくないか?
 むしろサプライズは、相手の迷惑を考えない自己中心的なやり口まである。
 無駄に驚かせば良いってものでもないし、楽しいのは仕掛けた本人たちだけだった、みたいな危険性も考えるべきだ。
 ただ、この考え方はクラスにとっては異端である。
 サプライズが成功し、女子から絶賛の声を受けた事で、気分を良くしたイケメンが髪をかき上げながら語り始めた。
「予定通りに生きる人生なんて、つまらない。予期せぬ出来事が起きるからこそ、人生は面白い。そうは思わないか?」
 言ってくれる。まるで僕に対する皮肉のようだ。
 恐らく周りのクラスメイトに対して語っているのだろうが、こっちの方をチラリと見て笑った気もする。
 ちなみにこのイケメンの名前は日野和也(ひのかずや)。彼という人間を一言で表すなら、日野はこのクラスで『王』と呼べる存在だ。
 俗に言うスクールカーストのトップであり、人気者だ。ほぼ全てのクラスメイトから親しまれている。親が医者という地位を持ち、成績がクラスでトップなのも要因だろう。
 身長は高く、百八十センチを超えており、いわゆる高身長イケメンというやつである。その体格もあって、体中から強者のオーラみたいなのが滲み出ていた。
 妙に演技っぽい口調や仕草が特徴的で、まるで自分に酔っているような雰囲気があるのだが、それが女子からは好感触で非常にモテるという評価を得られている。なにかと得をするタイプらしい。
 まあ、あれだ。地位があって顔と頭が良い男とは、何をしても女子からは喜ばれるものだ。これが世の理である。
「最高の男は、最高のサプライズができる。俺はもっともっとサプライズをして、皆を喜ばせて見せよう」
「きゃあ! ステキ!」
 そして日野は大の『サプライズ好き』である。ことあるごとにサプライズをやりたがる。
 そのせいなのか、このクラスではサプライズが大ブームとなっていた。とにかく、なんでもサプライズをすればいいと思われている。
 クラスでは絶対に一人はサプライズをしてあげましょう。サプライズをされない可哀想な人を作ってはいけません、みたいな風潮が流行っているほどだ。
 正直、僕にとっては迷惑この上ない話である。彼らの自己満足に、他人を巻き込まないでほしい。
「本当に日野君って、面白いよね」
「私も狙っちゃおうかな。競争率高いかもしれないけど、頑張る!」
 だが、女子たちの反応を見る限り、やはりサプライズは喜ばれるものであり、サプライズができる男の方がモテるようだ。
 まあ、サプライズとは、その瞬間だけは自分にスポットライトが当てられる。主人公になれる。
 そう思えば、やはり常人にとっては喜ばしき事なのだろう。
 王が好きなものは、自動的に周りの人間も好きになる。それがこの教室の正しきシステムなのだ。
 逆に言えば、それに従わない僕は、いわばこのクラスのバグみたいなものなのだろう。
「日野君はすごくユニークだからね。一緒にいて楽しい。刺激的な気持ちになれるし、顔も頭もいいし、モテて当然だよね」
「あたしの前の彼氏なんかさ、誕生日に何が欲しいか普通に聞いてきやがったんだよ? アホかよ。男なら、日野君みたいにサプライズくらいしてみろって話だよ。もう幻滅だよ。ソッコーで振ってやったわ」
「分かるぅ~。予定通りにしか動けない男って、本当につまんないし、価値が無いゴミ虫だよねぇ~」
 これまた、僕に言っているかのように談笑を始める女子たち。もちろん、僕を攻撃するつもりでは無く、単なる偶然であることは分かっている。
 ただ、聞き流せない内容なのも確かだろう。この世界(クラス)ではサプライズができる人間の方が『上』と認識されるようだ。
 世界にとってはサイプライズこそが神。それを否定する人間は、さしずめゴミ虫と言ったところか。
 僕はこのクラスの価値観で言えば、バグどころか『ゴミ虫』なのだ。
 それに対する賛否はともかく、この空気に対しては敏感になっておかなければならない。
 下手な文句でも言った場合、僕の自由が侵される。現状維持が崩壊してしまう。
 自由と現状維持の崩壊は、すなわち『予定』の崩壊。僕の人生の楽しみが奪われる。
 なので、わざわざ世界の波に対して逆らう必要もない。それにサプライズなんてのも、身内でやっているのであれば、好きにすればいい。
 ま、身内では終わらない部分が問題点なのだが……

「はあ~」

 その時、隣の席の女子が大きなため息をついていた。
 彼女は月山凛(つきやまりん)。短く切り揃えられた髪型と、やや細い目つきが特徴的で、第一印象としてはあまり目立たないタイプだ。
 男に媚びるような派手さが無い為、もてはやされる子では無いが、逆にその自由とも言えるマイペースなスタイルが僕は嫌いではない。
 猫みたいな子、という例えが最も似合うのではないだろうか。
 彼女について思い出せる事といえば、いつも教室の端の方で絵を描いている事だ。絵を描くのが好きらしい。
 そして月山の描く絵は非常に素晴らしい出来で、確かどこかのコンテストで受賞していた記憶がある。
 絵の評価はクラス内では賛否両論だった。強烈なインパクトがある芸術的な絵というわけではなく、ただの空を描いたその絵は、人によっては平凡だと評価されている。
 でも、僕としてはその空から独自のこだわりを感じられていた。
 目立たなくてもいい、でも私はこんな空を描くのが好きだ。そんな『好き』が伝わってくるような『自由』ある絵なのだ。
 言ってしまえば、僕は月山の絵が好みなのだろう。自由に好きな事をのびのびとやりたいという希望をその絵から感じ取れた。そこに共感を得たのだ。
 ただ、月山については『悪い噂』も流れている。
 彼女は『人を困らせて喜ぶ腹黒い女』という話をよく聞くのだ。
 とはいえ、所詮は『噂』だ。鵜呑みにするのも危険と言えよう。真実は自分の目で見て判断したいと思っている。
 月山の悪い噂は本当なのか? そんな部分も含めて、僕は彼女に興味を持っていた。
 そんな月山が、うんざりした表情で僕に話しかけてきた。

「あたしさ。サプライズって、嫌いなんだよね~」

 ………………ほう?
「あ、ごめん。今の忘れて。このクラスでこんなこと言ったら、ダメだよね」
 月山は慌てて口元を抑えた。この世界において、確かに今のは失言だろう。
 だが……
「いや、今の話、続けてくれないか?」
「…………へ?」
 月山が信じられないものを見るような目で僕を見てきた。
「僕も同じだ。サプライズが嫌いな、バグったゴミ虫だよ」
 月山と同じように『失言』をしてしまう僕。
 おいおい、僕はなにをやっているんだ。『現状維持』はどうした?
 自分の気持ちなんて、隠して生きていくんじゃなかったのか?
 そんな心の声が聞こえて来たが、それ以上に月山に対する興味の方が僕の中で上回ってしまった。こんなのは初めてだ。
 教室で同じ『バグ』と出会えたことが、僕はよほど嬉しかったらしい。
「へえ。やっぱり下田君も、同じなんだ。うん、そんな気がしたんだよね。あたしたち、仲間だね!」
 月山も同じだったようで、彼女は目を輝かせていた。意外と感情豊かなタイプなのかもしれない。
 本当に、嬉しそうな表情だ。僕みたいなゴミ虫のバグが同類で嫌じゃないのかね。
 まあ、やってしまった事を後悔するのは非効率だ。
 僕としても、一人くらいは胸の内を明かしたい相手が欲しかった思いもあった。
 人と関わらなさそうなあの月山が話かけて来たんだ。しかも、それがタブーとされるサプライズの否定。これで興味を持つなという方が無理な話だ。
 向こうが本音を出してきたのならば、こちらも本音を見せるのが礼儀というものだろう。
「ただ、ちょっとだけ声のトーンを落とそうか。僕らの話は日野グループに聞かれたらまずい」
「う、しまった。ごめん」
 さっきの大きなため息もそうだが、月山の声は目立つ。聞かれていたんじゃないか?
 まあ、日野グループはでかい声で盛り上がっているから、大丈夫だとは思うのだが……
「あたし、思った事が勝手に口に出ちゃうことがあるんだ。はあ~」
 項垂れる月山。なんとドジッ子という意外な属性を持っていたようだ。
 ただ、彼女の絵を思い出すと、なんとなく分かる気がする。
 月山は僕と違って、本音を隠すのが苦手なのだ。愚直とも言えるくらい真っ直ぐで、正直な性格だ。
 本人が隠そうと思っていても隠しきれない強い意志と自我を持っている。
 まあ、それくらいの心が無ければ、あんな絵は描けないか。
 だからこそ、上位グループが絶賛するサプライズという『流行り』には流されない。そんなのは関係なく、自分の好き嫌いをはっきりして、その思いが自然と溢れ出す。まさしく自由だ。
 その性格が周りから好かれるかと問われると、難しいだろう。むしろ嫌われる危険性の方が高く、空気を読む事ができない無能人間の烙印を押されてしまう。
 だが、好みで言えば、僕はそういったタイプの人間が好きだ。
 ま、単純に『サプライズ嫌い』という部分に同調しただけかもしれないけど。
「ねえ。下田君は、サプライズのどこが嫌いなの?」
「世の中には、驚かされるのが好きじゃない人間も存在する」
「あ~分かる。だよね~」
 声のトーンを落とした事で必然的に距離を縮めてくる月山。
 …………って、近っっ!?
 この子は距離感や人の目を気にしないのだろうか。いや、そういうのを気にしない自由さが、月山らしさと言えるのかもしれない。
 そんな様々な意味での自由人である月山が、神妙な面持ちで語り始めた。
「祝ってくれるのは嬉しいよ。でも、いきなりビックリさせられたら、感謝より『怖い』って気持ちの方が上回っちゃうんだ」
 そう、苦手な人間にとってサプライズは『恐怖』でしかない。特に予定を重視する僕にとっては、予想外のアプローチは計り知れないほど恐ろしい。
 これがサプライズが苦手な理由その一。他にもある。
「それと、『目立つのが苦手』という人間にとって、大げさに盛り上げられるのは非常に困る」
「うん! それ!」
 完全に共感してくれた月本が指を刺してきた。分かる人には分かるようだ。
 スポットライトを当てられたくない人間だっている。例えば、僕みたいな変人は自分を隠して生きていかなければならない。
 その手の人間にとって、大げさに祝われて事を大きくされるのは本当に勘弁だ。
 まあ、この二つはまだ許容範囲だ。ここからが最大の問題点となる。
 サプライズが流行っているこのクラス『限定』で決定的に厄介な価値観が発生している。
「あたしが一番嫌なのは、サプライズでうまく反応できなくて『微妙な空気感』になった時。それで周りから呆れられたりする。思い出したら、泣きそうになる」
 これだな。露骨に嫌な顔はされないだろうが「うわ~こいつ、反応薄いな~」みたいな相手の心の声が聞こえてくる。実際は違うかもしれないが『そう思われているかもしれない』と感じてしまう事が大きなストレスなのだ。
 ただ、それだけなら別にいいんだ。この『サプライズが絶対正義』とされている今のクラスの空気は、そんなレベルじゃない。
 僕からすると、もはや『狂っている』としか言えない現象が起きていた。
 月山は『呆れられたりする』と言っていたが、あれはそんな生易しいものじゃなかった。
 月山が絵のコンテストで受賞した翌日、彼女を祝うつもりのサプライズが行われた時の事を僕は思い出した。
 あの地獄は、二カ月前の出来事だ。

 ×××

『サプラァァァァァイズ!』
『ひっ!?』
 突然のサプライズで、完全に硬直してしまっている月山。
『コンテストの受賞、おめでとうぅ!』
『あ、えっと………………うん』
 そして、ロボットのような無表情と、ぎこちない動きで花束を受け取る。
 いきなりだったので、喜べばいいのか、驚けばいいのか、分からないといった感じだ。
「…………………………」
 そして、しら~っと微妙な空気感となる教室内。誰も何も発せない沈黙が長時間続いていた。
 はっきり言おう。地獄だ。この世の地獄である。
 そうした時間が続いた後、気まずそうな表情で日野は教室から出て行った。
 そして、ここからが真の地獄の始まりだ。
 ご丁寧に日野が去った後に、彼の『親衛隊』の女子たちが月山に詰め寄っていた。
『ねえ、月山さん。どうしたの? せっかく日野君がサプライズをしてくれたのに、なんで無表情なの? 調子、悪かった?』
『もう少し反応してあげた方がいいんじゃないかな。あの日野君がサプライズをしてくれたんだよ? 分かってる?』
 月山を罪人のように取り囲むクラスメイトたち。
 彼女たちに対して、月山はつい『失言』をしてしまう。
『いや、あたし、あんまりこういうの、好きじゃなくて…………あ』
 慌てて口を押える月山。今思い出すと、思ったことが口に出てしまう例の彼女の癖なのだろう。
 だが、もう遅い。まるで虫が群がってくるが如く、悍ましい説教が月山を襲った。
『は? こんな盛大なサプライズをしてもらって、そういうこと言うの?』『感謝の気持ちとか無いの?』『賞を取って、自分が偉いとか思ってるかもしれないけど、感謝ができない子って、どうかと思うな~』『空気、読もう? そういう努力も、大事だよ』
『…………う』
 月山は完全に俯いてしまっていた。その拷問とも言える責め苦は、なおも続く。
『月山さんって、いつもそうだよね』『クラスが一丸となって頑張っていたんだよ。その気持ちに水を差すの?』『私たち、月山さんのためにサプライズしたのに……ぐすっ』『あっ、志穂ちゃん。泣かないで』『ねえ、月山さん。志穂ちゃん、泣いてるよ。なんとも思わないの?』

 ×××

「あー思い出したら、死にたくなってきた」
「あれは、狂っている」
 このクラスの女子さん、どれだけ日野とサプライズを信仰しているんだよ。宗教かよ。
 もはや好き嫌いどころか、対応できないだけでゴミ虫扱いだ。
 あれを狂っていると思っているのは、僕だけなのか?
 あんなのでサプライズが好きになるはずがない。好きになる奴がいたとしたら、そいつはよほどのお人好しか、自我も持たない流行りを愛する信仰心の高い人間だけだろう。
 そもそも、なんで月山を祝うはずのサプライズで、彼女が責められてんだよ! そこが一番おかしい事に、なぜ誰も気付かない!?
 最も厄介なのは、それを口にすらできない事だ。サプライズが絶対正義とされているこの教室では、サプライズに対する不満はイコール悪となる。
 実際、悪意ではなく、善意を持っての行動なので、大声で『やめてほしい』なんて言えない。言えばどうなるかは、以前の月山が体験済みだ。
「特に今泉さんから、めちゃくちゃ詰められた」
「あー。今泉か」
 今泉志穂(いまいずみしほ)。美術部に所属。日野の親衛隊のリーダーで、実質このクラスで二番目に権力を持つ女と言っていい。
 あの時に月山を責めていた中心人物で、わざとらしく泣いていた女だ。
 この今泉という女が非常に厄介なのだ。僕の中の危険人物ランキングでトップを独走している。
 彼女はとにかく攻撃的だ。それは暴力など直接的な攻撃力という意味ではなく、他人の価値を下げるのが得意というその性質のことを言う。
 よほど日野が好きなのか知らないが、日野という『王』の価値を異常に上げようとするあまり、とにかくそれ以外の人間の株を下げようとする。
 『サプライズが好き』という日野の考えを『サプライズできない奴がゴミ虫』という空気にして、それをクラス内に広めたのも今泉だ。
 さっきの彼氏を振ったとか、予定通りにしか動けない男は価値が無い、みたいな会話をしていたのも今泉グループで、僕にとって最も警戒しなければならない人物である。
 いち早く日野の王としての資質に気付いて彼に取り入って、大きな権力を手にした彼女は、その権力を手放さないようひたすら周りをけん制している。
 おまけに都合が悪くなると、泣き出して周りの同情を誘うプロでもあった。
「今泉さんに泣きながら言われた。『わざとサプライズを失敗させて、日野君を困らせて喜んでいるんだよね』って。そんなつもり、無かったんだけどな」
「なんだそりゃ」
 無理やりすぎる解釈だ。攻撃的にも程がある。やはり今泉は厄介だ。
「ちなみにあたしは、来週が誕生日」
「あー」
 一度サプライズがあったので、次は無いと思いたいのだが、残念ながらその希望は打ち砕かれるだろう。
『ねえねえ、日野君。月山さんって、来週が誕生日みたいだよ。もう一回サプライズしてあげようよ~』
『よし。サプライズ・リベンジだ!』
 ちょっと前に日野と今泉がノリノリでそんな話をしていたのを聞いていた。
 今泉については、クスクスと笑っていたので、月山がサプライズ苦手と分かって言っている説もある。
「またあの時みたいになるのかな。はあ~、サプライズじゃなかったら、うまく反応できるかもしれないけど、いきなりじゃ無理だよ」
 やはりその部分だ。普通に祝って貰えるなら、きちんと対応できるが、サプライズで驚かされて頭が真っ白になってしまうと、それも出来なくなって変な対応となってしまう。
「だよな。僕もサプライズなんかされたら、気絶する」
「気絶!? そこまでなるの!?」
「うん、気絶する。絶対、する」
 予定を愛する僕がサプライズなんて攻撃を直接受けたら、確実にノックアウトだ。
「なにそれ……ふふ」
 月山はそんな僕を見て、面白そうに笑っている。初めて笑った顔を見たかもしれない。
 本当に話してみると、思ったより喜怒哀楽がある子だと思う。僕と話す時だけそんな風になる……なんて思うのは、自意識過剰かね。
「あーでも、ダウトだよ!」
 今度はぷく~っと頬を膨らませて指をさしてきた。またしても普段は絶対に見られない表情である。
「下田君、先月に誕生日サプライズされてたよね? その時は気絶どころか、嬉しそうにしてたじゃん。あたし、見てたんだからね!」
「ああ、それか」
 そう、実のところ、僕は既にサプライズの洗礼を受けていたのだ。先月は僕の誕生日だった。
 月山の言う通り、僕はその時にサプライズをされたのだが、普通に喜んでいた。
 …………と『そのように見えた』わけだ。
 なるほど。つまり『予定通り』だった。その事実に、僕は思わずほくそ笑んでしまった。
「む~、なに笑ってるのさ」
「ああ、ごめん。あれさ、実は『サプライズ対策』をしていたんだ」
「え? サプライズ対策? そんなのできるの!?」
「できる」
 はっきりと言いきってやった。もちろん、嘘じゃない。
 サプライズには、実際に対処法が存在する。
「どうするの?」
「サプライズを『サプライズじゃない』ようにしてやればいい」
「へ? どういうこと?」
「つまり、サプライズをされる『予定』を立てればいいんだ」
「サ、サプライズされる……予定!?」
 これぞ予定人間である僕専用の、究極のサプライズ攻略法である。
 サプライズが恐ろしいのは、主に『不意打ち』である部分だ。ならば、この不意打ちを先読みして『予定』の一部にしてやれば、容易に対処できる。
 日野のサプライズには傾向があって、それがとても読みやすい。全て『逆算』することが可能である。
 何月の何日、どのタイミングでサプライズをされるのか。全て先読みして、『予定表』として記する事でサプライズの不意打ちを無力化できるのだ。
 日時は当然ながら僕の誕生日。タイミングは昼休みが始まってから五分後くらい。
 後はそれを予定表として自分の中で作り、あらかじめ決めておいた台詞を淡々と笑顔で言うだけ。なにも難しくない簡単な作業だ。
 これができれば、サプライズなど全く怖くない。もはやただの祝い事だ。
 あの時、僕の誕生日サプライズも、それで乗り切った。
『サプラァァァァイズ! お誕生日、おめでとうぅぅぅ!』
『うわあ、ビックリした~。僕なんかにサプライズしてくれるなんて思わなかったよ~。ありがと~。嬉しいよ~』
 始めから決めていた台詞を笑顔で言った。『予定通り』だ。
 多少は棒読みだったが、バレてないだろう。月山が気付いていないのなら、他のクラスメイトも同じのはずだ。
 まあ、日野だけはヒクっと、眉を揺らしていたが……気にしない。
 予定通りの時間に予定通りのサプライズ。そして、予定通りに用意していた台詞を言う。全てが僕の予定表に沿った出来事だ。
 確かにサプライズの『直撃』を受けたら、僕は本当に気絶してしまう。これに嘘は無い。
 しかしながら、僕がそうはさせない。予定を極めた僕にとって、サプライズすら予定の一部として対応する事が可能なのだ。
 やはり予定通りは気持ちが良い。僕が喜んでいたように見えたのも、あながち演技だけではない。
 あの時は、本当に予定表の通りに事が進んだ嬉しさに満たされていた。
 奇しくもそれが周りの人間に良い勘違いをされたらしく、最初は皆も『なんでこんな陰キャにサプライズしなきゃいけないんだよ』みたいな顔をしていたが『喜んでいるならいいか』と満足された。
 ちょっと歪な形かも知れないが、互いに納得のいく結果となってなによりだ。
 やはり予定は素晴らしい。サプライズなどではない。予定こそが神!
 と、これらの内容を全て月山に話した結果、彼女の反応は……
「……………………」
 完全に絶句していた。
 あ、しまった。こんな話を聞いたら、ドン引きされるのは当たり前だ。
 一瞬、予定人間としての自分が変人として見られる事を忘れてしまっていたようだ。ここまで自分をさらけ出したのはまずかった。
 どうにも月山と話していると調子が狂ってしまう。せっかく仲良くなれそうだったのに、残念だ。
「凄いっっ!」
「…………へ?」
 そう思ったのだが、月山からは意外な反応が返ってきた。
「そんなやり方があったんだね! 感動した!」
 それどころか、感動している!? そんなに僕の話が面白かったのか?
「どうしたの? またあたし、失言しちゃった?」
「いや、僕の事、頭おかしいとか、思わんの?」
「なにそれ。少なくとも、あたしは嫌いじゃない」
 そうか。いや、僕も同じか。
 月山のそんな部分を無意識に感じ取っていたから、つい彼女には本音を出てしまうのだろう。
「サプライズ対策か。ねえ、あたしにもできるかな?」
「え? どうだろ。練習すれば、できる……かも?」
 サプライズのタイミングに関しては、僕が逆算して予定表を作ってやればいいし、後は『どう反応するか』だけを予め決めておけばいい……か?
「じゃあ、教えてよ」
「へ?」
「あたしもサプライズ対策ってのを習得したい。頑張る!」
 急に目を輝かせて両手で握りこぶしを作る月山。
 なんか、凄くやる気になってる!?
「いや、そんなすぐには……人目もあるし」
 一瞬、忘れかけていたが、近くではまだ日野グループの談笑が続いている。あまりサプライズ対策の話を延々と続けていたら、流石に怪しまれるだろう。
「そっか。そうだよね。それじゃ、明日の休みの予定、もう決めてる?」
「え? まだ決めてないけど……」
「よし。じゃあ明日、教えて。一日かけてやれば、大丈夫でしょ」
「ええ!?」
「ダメ……なの?」
「…………いや、いいけど」
 そんな泣きそうな顔で見るなよ! この子、本当に僕にだけはよく感情を見せてくるよな。
「決まりだ。ちょっと楽しみかも。へへ~」
 今度は嬉しそうな顔。見ていて飽きない子である。
「これ、あたしの連絡先ね。下田君のも教えてよ」
「あ、ああ」
 しかし、妙な事になってしまった。まさか僕のサプライズ対策を他人に伝授する日がやってこようとは……
 僕専用のサプライズ攻略法なので『他人がやっても上手くできるか』までを考える必要が出てきてしまった。
 思ったより大変かもしれない。でも、同時にちょっと面白そうでもある。
 誰とも関わらないはずの僕が、他人と関わりを持ってしまった。しかもそれがサプライズ対策とか、こんなのやっているのは世界でも僕たちだけだろう。
 だが、それでもやりきって見せようか。今日ここに、アンチサプライズ同盟が結成したのだ。
 僕たちはサプライズに立ち向かい、乗り切る。サプライズなんかに、負けるな!
 と、なんか変にノリノリになってしまったのだが、果たして大丈夫なのだろうか?


 2 自由で強くて我儘な彼女はどうしてもサプライズを喜べない


 翌日、僕は三十分前に待ち合わせ場所に到着していた。
「よし、今日の予定は完璧だな!」
 今日は月山とのサプライズ対策の日。本日の予定は、完全に埋め尽くされている。
 いつもだったら、僕一人で予定を実行するだけなのだが、今日は月山と二人で予定を進めていくのだ。
 一瞬、デートなんて単語が頭によぎってしまった。
 変人の僕に、そんな贅沢品など永遠に関わりのない事柄だろうに、ちょっと浮かれてしまっているようだ。
 そのせいなのか、柄にもなく徹夜で張り切ってしまった。いつも以上に予定は『完璧』である。
 そろそろ時間だ。残り五分で予定開始時刻となる。
 さあ、予定を始めよう!
 と、そう思った時、僕の携帯にメッセージが届いた。

『ごめん! ちょっと遅れる!』

 なん……だと? 遅刻?
 なんだよ、それ。それじゃあ、僕の予定はどうなる? 徹夜で仕上げたんだぞ!?
 ふざけるな! 僕の完璧な予定に傷をつけるつもりか!
 許さない。絶対に、許さないっっ!

 と、このような感じで切れる奴がいるとしたら、そいつは『二流』の予定人間である。

 一流の予定人間は、この程度でうろたえない。
 言っただろう。予定は『完璧』だと。完璧な予定は、崩れないから完璧なのだ。
 そもそも、一つの予定だけで現実が回るわけがない。
 予定が落ちた時の為に、二重にも三重にも予備の予定表を作っておくのが基本だ。
 僕は今日、『月山が遅れる予定』もきちんと作っていた。ただそれに切り替えるだけ。僕の予定は何も変わらない。
 もちろん、月山が遅れなければ当初の予定プランその一で行くつもりだった。今回は遅れたので予め作っておいた予定プランその二に変更する。
 最初に予定さえ用意しておけば、僕みたいな底辺人間でも無敵になれるのだ。
 これぞ『極めた』予定。徹夜で仕上げたんだ。むしろこの程度は序の口である。
 何度でも言ってやるが、サプライズは嫌いなんだ。そんなのが直撃したら、気絶してしまう。
 だから月山が遅刻する『サプライズ』などさせはしない。これも『予定通り』として組するだけだ。
 こんな事も出来なくてちょっと予定がズレただけで喚き散らす自称予定人間がいたなら、そっちに腹が立つかもしれない。極めた人間にとって、にわかが最も許せんのだ。
 と、これだけの事を客観的に見れば、その感想はやはり『僕って変人だな』の一言だ。頭のネジが飛んでいるというか、予定人間の中でも『異常』と呼べるレベルなのだろう。
 そうして三十分後、慌てた様子の月山が駆けつけてきた。
「ご、ごめんっ!」
 うむ。遅れた時間は三十分。余裕で予定通りだ。やはりプランその二で行く。
 何も問題は無い。予定通りにこのまま進めよう。
「お、怒ってるよね? 予定、狂っちゃったもんね?」
 月山が泣きそうな上目遣いで僕を見る。
 そんな彼女について、感想は一つだ。
「……可愛いな」
「え、ええええええ!?」
 これまでにない驚愕の叫び声をあげてしまう月山。
「な、な、な…………い、いきなりそんなこと言うの禁止! サプライズ、ダメ! 絶対、ダメ!」
「む? それもそうか。ごめん」
 というか、本当に僕は何を言っているんだ。普通にキモイぞ。
 思った事を言う月山の癖が伝染ってしまったか?
「でも、服とか……変だよね」
 自信なさげな月山。実はその通りで、彼女の服にはいくつか土埃が付いていた。
「確かにちょっと汚れているな。どうしたんだ?」
「実は…………転んじゃった」
 やはりドジっ子か! ドジっ子なのか!?
 ひょっとして、これが遅れた原因だったのだろうか。
 しかしなんというか、違和感がある。ずいぶんと変な転び方をしたものだ。
「でも、本当に怒ってないの? 予定が好きって言ってなかったっけ?」
「問題ない。これも予定の一つだし、想定内だよ」
「想定してたの!?」
「プランその二だな。様々な状況に合わせて、予定表を作っているのだ」
「はえ~」
 またしても調子に乗って色々と余計な事を喋ってしまったが……もういいや。今さらだし。
「これなら、サプライズ対策も完璧だね!」
 月山はやはり嬉しそうな表情で僕を見ていた。こんな変人の話が彼女にとっては面白いらしい。

 ×××

 そのまま僕たちはファミレスに入る。昼ご飯を食べつつサプライズ対策を練る予定だったが、こちらの方は問題無く進みそうだ。
「へへへ~。サプライズをやっつけるぞ~」
 昼食を終えて、やたらと上機嫌の月山。なんだか分からないが、そんな月山を見ると、こちらも嬉しくなってしまう。
 サプライズの対策というよく分からない予定なのだが、僕もそういう変な予定を進めるのが好きらしい。月山も同じだとすれば、嬉しく思う。
 今回のサプライズ対策。実のところ、やる事は非常にシンプルだ。
 来週の月山の誕生日。日野は間違いなく昼休みの五分後にサプライズを仕掛けてくる。
 そして、そのタイミングで用意していた台詞を言うだけ。正直、わざわざ一日を使って対策をする必要も無かったかもしれない。
「う~ん。あたしにできるかな?」
「せっかくだし、ちょっと練習してみようか」
「そうだね。やってみよう」
 僕がサプライズをして、月山がそれに対応できれば完了。
 何も問題はあるまい。ちょっと寂しいが、これでサプライズ対策は終了となるだろう。
 その後は……ちょっと時間があったら遊びたいな、なんて予定も作っているが、それは彼女の気持ち次第か。
「さて」
 軽く咳払い。そして、少しの沈黙の後、僕はちょっとだけ大きな声を出した。
「サプライ~ズ!」
「ひえ!?」
 僕の声を聞いた月山は、硬直してしまった。
「い、いきなり脅かすの、無し!」
 いや、それだと練習にならないのだが。しかも、ファミレス内なのでかなり声を絞ったつもりだぞ?
「本番はもっと大きい声なんだけど。しかも、大量のクラッカー音とかある」
「う、そうだった」
 完全に青ざめている月山。以前の事がトラウマになってしまっているのか、思ったより対応が難しくなってしまっているみたいだ。
 これは、まさかの難航してしまうパターンだろうか。
「もう一回、やってみるか」
「わ、分かった。大丈夫、今度は頑張る!」
 意気込みだけは立派な月山。ちょっと台詞も調整して、更に簡単にしてみた。
「サプラ~イズ!」
「ウ、ウ、ウワー。ア、ア、アリ……アリガト~」
 こ、これは……なんというか、ロボット?
 やばい。思った以上に違和感だらけである。
 気まずい沈黙が流れる。口を開いたのは月山だった。
「えっと、下田君。今の、点数をつけるとしたら、何点?」
「……三十点」「五点」
 僕と月山が同時に答えた。月山さん、セルフアンサーです。
 ちなみに僕が三十点、月山が五点だ。
 その後、ちょっとだけジト目となった月山が僕を見る。
「本音は?」
「……………………五点」
 お互いの本音は五点。この瞬間、僕と月山の気持ちが通じ合った。
 やったね! …………よくねーよ。
「やっぱりこれだと、まずいよね」
「絶対に前みたいに、色々と言われるな」
 まあ、文句を言われる事自体がおかしいのだが、今はそういう賛否を論じている場合ではない。
「どうしよう」
「そうだな。例えば最終手段として、ひたすら笑ってやり過ごすのというのはどうだろう?」
 笑顔は究極の武器である。女の子なんだし、ニコニコしていれば、首尾よく終わらせる事ができるんじゃないだろうか。
 そう思って、同じく本番を想定して、笑顔の練習をしてみたのだが……
「…………(ヒクヒク)」
 めちゃくちゃ引きつっている!? 違和感ある笑顔の世界選手権とかあったら、確実に優勝できるレベルだ。
 どうやら、サプライズをされた時の事を想定して笑顔を作っているようだが、その顔は完全に土砂崩れを起こしていた。
「逆に考えよう。心を無にするんだ。月山は今、サプライズなどされてはいない。自然を想定して、笑ってみるんだ」
「…………ねえ、一つ質問してもいい?」
「なんだ?」
「笑顔って、どうやるんだっけ?」
 駄目だ! 意識しすぎて笑顔の作り方を忘れてしまっているっっ!
 これはもう、完全にアウトのパターンだ。
 それから色々と対策を練ってみたのだが、全て空振りに終わってしまった。
「無理~」
 とうとうテーブルに突っ伏してしまう月山。限界が来てしまったようだ。
「ちょっと休憩!」
 そんな月山は、唐突に鞄からスケッチブックを取り出した。
 そのまま黙々と絵を書き始める月山。どうやらこれが彼女流の休憩らしい。
 いきなりこんな所で絵を書くのもどうかと思うのだが、彼女の勢いに飲まれてしまって何も言えなかった。
「…………」
 僕は黙ってその様子を見つめる。思ったのは、さっきまでの月山とはまるで別人だという事だ。
 凄い集中力だ。もし仮に、今ここで大地震が起きたとしても、月山は気にも留めずに絵を書き続けるのではないか? そう思ってしまうほどの迫力を感じた。
 本気になった人間とは、こうも顔つきが変わるのか。今までの駄目な雰囲気は完全に消え去り、無駄が存在しないと言えるレベルの透き通った真っ直ぐな表情がそこにあった。
 率直に言えば…………凄く綺麗な顔だ。
 しかも、これが彼女にとっての『休憩』というのだから驚きだ。僕だったら全神経を集中させても無理だ。
 それを月山は、自然と休憩のつもりでやれてしまう。
 今の月山は、完全な『自由』なのだ。ひたすら好きな事をやるだけの自然なる全力。
 嬉しくも無いサプライズには喜ばない。感謝の気持ちも無い言葉は発しない。作りたくも無い笑顔は作らない。でも、好きな事には全力。
 これが月山凛だ。そんな主張が体中からにじみ出ているように見えた。
 これは何の才能も持たない僕の憧れの気持ちなのだろうか。それとも予定という同じこだわりを持つある種の共感なのか。対人経験の薄い僕には分からない。
 それから、三十分くらい過ぎただろうか。あるいは一時間かもしれない。ずっと僕は絵を描いている月山を見ていた。
 それでも見ていて飽きない。集中して絵を書いている彼女をいつまでも見たいとすら思った。
 予定は何も崩れていない。そもそもの話、一日かけてサプライズ対策をする予定だったのだ。
 今は彼女の休憩を見守っておこう。これもまた、僕の予定の一つである。
「できた!」
 そうして手を止める月山。どうやら絵が完成したようだ。
「はい、あげる」
 しかも、僕にくれるつもりで書いていたらしい。
 見てみると、人物画だった。中々のイケメンである。
 いや、待て。というか、これって……
「もしかして、僕?」
「そうだよ」
「いやいや。なんだこのイケメン。僕はこんなじゃないぞ」
「鏡、見た方がいいんじゃない?」
「毎日見てるって」
 馬鹿にしない意味でこんな言い方をする子、初めて見た。
 特に目つきが別人だ。僕はもっと腐った魚みたいな目をしているはずだ。
 こんな情熱と意思に溢れる強い瞳など知らないし、実際に僕にそんな感情など存在しない。
 ただ、予定を愛するだけの、つまらない人間だよ。
「予定を考えている時とか、たまにそんな顔してるよ。そういう時って集中しているから、自分じゃ分からないけど、他人が見たら別人に見えるよ。そういう経験、無い?」
 いや、まあ、今まさに目の前の月山がそうだったのだが……
「これがあたしの中の下田君なんだから、これでいいの。他人からどう見えても関係ないし、本人がどう思おうとも知らない。現実だって無視するよ。だって、絵は自由だ。現実が不自由だとしても、絵だけはあたしが自由に書く。あたしが見た世界だけを、好き放題に表現してやるんだ」
 なんとキラキラした目で語るのだろう。本当に絵が好きなんだな。
 いや、絵を通した自由を月山は愛しているのだ。それが形となって表れて、コンテストで受賞するまでなった。
 しかも本人すら、現実すら関係ないとは、よく言ったもんだ。
 本当にどこまでも自由で、それが似合うというか、輝いている子である。
「って、しまった。なに恥ずかしい事を言ってんだあたし。また思った事が口から勝手に出ちゃったよ~」
 慌てて口を押える月山。相変わらず癖は止められないらしい。
「……ん?」
 そんな時、月山の鞄から『ビリビリに破られた絵』が見えた。
「あっ!」
 慌ててその絵を隠す月山。あまり見せたくなかった絵らしい。
 敗れた断片からでも、かなり上手に描けているように見えるが、どうして破られているんだろう。
「こ、これは……その……ど、どうしても気に入らなくて……破っちゃったというか、恥ずかしいなぁ。えへ」
 そうなのか。気に入らないからビリビリに破るって、月山らしくない気がする。
 何か別の理由でもありそうだが、今はそれを考えても仕方ない。
「え、えっと。今日は付き合ってくれてありがとね。うまくできなくてごめん。お詫びにこのお店は奢るよ」
 月山は破られた絵を見られたのが恥ずかしかったのか、話題を変えようとする。
 財布を取り出そうと鞄を弄っていたが、そこで何かに気付いた。
「…………あ」
「ん? どうした?」
「財布、忘れた~」
 だば~っと涙を流す月山。ここでドジッ子かい!
「まあ、いいよ。今回は僕が出す」
「うう、ごめん~」
「大丈夫。これも想定した予定の一つだ」
「そうなの!?」
「たくさんの予定プランを作っておくのが基本だよ」
「な、なるほど。ちなみに今日の予定プランって、何種類くらいあるの?」
「…………八千くらい」
「へえ~…………八千んんん!?」
 どひゃあ、と飛び跳ねる勢いで驚く月山。本当に素直な反応をする子だ。
 僕の頭の中は、ほとんどが予定で形成されており、それに沿っていつも行動している。
 特に昨日は徹夜で予定を考えていたので、枝分かれした部分を含めると、八千くらいはある。
 全てを予定に沿って行動するのなら、これでも足りないくらいだ。
「ふふ。やっぱり、下田君って凄いんだね」
「凄いのは月山だろ。僕は絵で受賞なんてできないぞ」
「そ、そう? へへへ~」
 人が賞をあげたくなるレベルの自由を描くなんて、本当に大したものだ。
「そ、そういえば、それだけたくさんの予定があるのに、下田君はメモ張とか見たりしないんだね」
「ああ。メモ帳は……作らない。絶対に、作らない」
「ふ~ん?」
 『あの日』にそう誓った。もう二度と、メモ張は作らない。
 まあ、そもそも予定は全て頭に叩き込んでいる。いちいちメモ帳を開いて、見たりする方が時間的に非効率だ。
「予定か。あたしも下田君みたいに、上手くできたらいいのにな。はあ~」
 そうして罪悪感のある表情となる月山。彼女のオーラがしゅるしゅると萎んでいく。
 自由が失われた月山は、どこまでも弱々しい。
「急にどうしたんだよ?」
「いや、結局うまくいかないのは、あたしが我儘なだけなのかなって。サプライズを喜んであげたいって本気の気持ちになれない。感謝の気持ちを持てないから、笑えない。誰かが言ってたっけ? 『賞を取って自分が偉いとか思っている』って。その通りなのかな」
「それは……違うだろ」
「…………ありがと」
 月山はただ、正直なのだ。自由なのだ。でも、それが月山らしさでもあるんだ。
 だから、無理やり嫌いなサプライズに感謝しようとしたら、変な言葉になる。無理やりな笑顔を作ろうとすると、歪になる。
 皆がやっているから、流行っているから、そんな理由で彼女は喜べない。
 それは月山の『強さ』なんだ。簡単に人に流されない意志の強さがあの絵を作り出し、コンテストで受賞するまで果たしたのだ。
 凄い事だと思う。僕にはできない。
 僕なんて、ヘラヘラとサプライズに合わせて逃げるだけだ。
 月山の望みは、ただ静かに自由に好きな絵を書いていたいだけ。サプライズなんてして欲しくない。
 だが、世界はその強さを、自由を……『我儘』と呼ぶ。
 確かに自由とは、一種の我儘かもしれない。世の中なんでも自由にできるわけじゃない。
 皆がやっているから、自分もやらなければならない。空気を読まなければならない。それもまた一つの正論だろう。
「もう当日は、学校を休むか?」
「ごめん。学校は休みたくない。サプライズが嫌だから学校を休むとか、誕生日にそんな事はしたくないんだ」
 なるほど。これも月山の我の強さの一部……か。
「うん、本当に今日はありがとう。当日は、あたしなりに頑張って見るよ。もしかしたら、上手く出来るかもしれないし」
 無理だ。残り一週間で、この現状がなんとかなるとは到底思えない。
 一週間後、月山は誕生日サプライズを受ける。そして、その対応に失敗するだろう。
 ぎこちない笑顔と言葉。それを見るクラスメイト。
 そして、皆が口々に言葉を投げつける。
『なにその顔』『笑顔、可愛くないよね』『なんで片言なの? 本当に感謝してる?』『もっと嬉しそうにすればいいのに。そんな事も出来ないの?』『やっぱり月山さんって、そういう子なんだね』
 いつもの僕なら、それを遠目で見て『可哀想だな~』とか『不器用だな~』って思って終わりだ。
 このまま全てを見送って、そうしていつもの平和な僕に戻る。それが正解。
 そう、現状維持だ。誰の邪魔もしないし、されない。影響も受けない。それが僕の生き方。
 サプライズ対策に失敗した月山とは、気まずさから次第にお互い距離を取る事になるだろう。そうして、交流する事も無くなるのだろう。
 僕はいつもの日常に戻る。それだけだ。何も問題ない。
 そのはずなのに……

 ――本当に、それでいいのか?

 誰かの声が僕の脳内に響く。誰だ?
 視線も感じる。追ってみると、それはさっき月山がくれた絵だった。
 …………お前かよ。
 力強い眼光が真っ直ぐに僕を見つめている。揺るがない意思の籠った瞳だ。
 くそ、そんな目で見るなよ。僕はお前みたいにかっこよくないんだよ。
 お前は月山が作った幻想の僕だ。本当の僕は、自分の保身しか考えないゴミ虫なんだ。
 それでも、『許せない』という気持ちが止められないほど湧き上がってくる。
 なあ、サプライズで喜べない自由は、本当に我儘なのか?
 むしろサプライズの強制こそが、あんたらの『我儘』じゃないのか?
 そんなにサプライズが偉いのかよ。サプライズで喜べない事が、そんなに悪なのかよ?
 たかが、サプライズだろ。なに訳の分からない宗教を作って、それを押し付けてんだよ。
 サプライズなんて、本当はお前らが他人を利用して、自己満足に浸って喜びたいだけだろうが! そんな自己愛に、月山を巻き込むなよ!
 おかしいのは僕たちじゃなくて、世界の方だっっ!
 だから、僕は『禁断の予定』を実行する事に決めた。
「なあ、月山。もう一つだけ、とっておきのサプライズ対策があるんだ」
「ほんと? どうするの?」
 僕は邪悪な笑みを浮かべた。その時、少なくとも目の強さだけは、あの絵と一致したように思えた。
「サプライズを……ぶっ潰す!」


3 決戦! アンチサプライズ!


『何もできないなら、しっかりと予定を作って頑張りなさい。努力すれば、みんなはきちんとあなたを認めてくれるわ』
 それは母の言葉だった。幼い頃、何の才能も持たない僕は、その言葉を信じて頑張った。
 不思議とその努力を辛いとか面倒くさいと思わなかった。
 それどころか、予定を作るのが楽しくて仕方なかった。初めての感覚だ。
 もしかして、これが僕の才能? 実は僕にも持っているものがあった?
『ねえ、お母さん。予定表が出来たよ! 見て!』
『あら、偉いわね。どれどれ』
 お母さん、褒めてくれるかな? 僕、頑張ったよ!
『………………なに、これ』
 母の反応は、僕が願ったものではなかった。
 びっしりと画用紙に埋め尽くされた予定表。分単位で刻まれた予定は全部で五百項目程あり、人によっては虫が群がっているように見えたかもしれない。
 気持ち悪い、と母は呟いた。
 その日、僕は決心した。
 もう二度と、メモ帳は作らない。絶対に作らない。
 それだけじゃない。自分の心は隠す。
 僕の特技なんて誰も知らない。才能なんて無い。そう思われるくらいがちょうどいい。
 気持ち悪くて頭がおかしい予定人間の僕は、人からは好かれない。なるべく普通を演出する。
 すると、どうだ。母はいつも通りの優しい顔つきに戻った。
 やはりこれが正解。これが僕の正しい生き方。
 そのはずだったのに……
 僕は今、同じ愚を犯そうとしている。自分の予定を使って、人を不快にさせようとしている。
 サプライズが行われたら、クラスメイトの多くの自己欲求が満たされる。本来、僕にそれを邪魔する権利など無い。
 たかが、サプライズ。月山一人が我慢をすればいい話。
 そもそも、対応できない月山が悪いし、嫌なら休むべきだ。
 それが世界の答えだろう。
 でも僕は、許せないのだ。あの日の決意を崩してでも、月山を肯定したいと思ってしまった。
 だから、今日から僕は真のアンチサプライズとなる。
 今までのように、サプライズに対応するのではない。サプライズに立ち向かって、叩き潰すのだ。
 結局、僕という人間はどうしようもなかったという事だ。馬鹿め。
 ならば、この馬鹿を貫き通してやる。
 もう遠慮も我慢もしない。容赦なく僕の本気を出す。
 予定のプラン数は八千なんてものじゃない。その五倍……いや、十倍は作ってある。
 無限の予定を得た今の僕に対応できないものは存在しない。ありとあらゆる全てが予定通りとなる。
 そうして、僕はクラスの最上位の存在、通称『日野グループ』を見つめた。
 その中心人物は日野和也。このクラスの王とも呼ぶべき存在だ。
 彼は今日も周りから囲われており、自慢げな表情で語り始める。
「俺たちのグループはどこまでも上を目指したい。だからこそ俺たちはルールを守ろう。『いじめは絶対にしない』。これがルールだ。手にした力は、人をいじめるためのものじゃない。幸せにするために使うべきだ。そうは思わないか?」
 日野の言葉を聞いたクラスメイトは、感嘆の声を上げていた。
「さすが日野君、いいこと言うよね!」
「かっこいい!」
 なるほど、確かに素晴らしい御高説ですな。
 ついでにサプライズという名の『いじめ』も止めてくれたら、ありがたいんですがね。
「大丈夫。私たちは、絶対にいじめなんてしないよ!」
「それどころか、このクラス全員を幸せにして見せるぜ! 俺たちのサプライズでな!」
「おお! サプライズ、最高!」
 クラスメイト達は力強く拳を上げている。
 彼らにとってあくまで自分こそが絶対の正義なのだ。逆に言えば、その気持ちに沿えない人間が悪となる。
 この狂った世界で、正方向で止めるのは不可能だ。まして僕ごとき底辺が『違う、月山はサプライズを嫌がっている!』などと口にしたら、その瞬間に空気を読めない悪として潰される。
 それで終わり。ささやかな抵抗は無意味となり、僕も月山も悲しむ結果となるだけ。
 だから、それはできない。悪いけど、真正面から戦うわけにはいかない。
 卑怯というなら、そう呼べばいい。実際にそうだ。
 搦め手でサプライズを潰すためには、実際に日野グループと接触する必要がある。
「…………ふう」
 一息だけ深呼吸。緊張を恐怖とするのは、これで最後。
 後の緊張はただひたすら喜び。予定を遂行する嬉しさだけを僕の心に残す。
 さあ、予定を始めようか!
「ねえ、日野君。ちょっといいかな」
 僕は日野グループに話しかけた。
「ほう?」
 王である日野は、興味深そうに僕を見る。
「これは驚いたな。下田君が俺に話しかけてくれるとは思わなかったよ。何の用かな?」
「つーかさあ、下田君って喋れたんだね。ウケる~」
 今泉の発言に、ドッと笑い起きた。
 ウケが成功した事で、彼女は自慢げな表情となっている。
 おいおい。これはいじめじゃないんすか? さっき言ってたのは、なんだったんだ。
 それとも、これは陽キャのいじりってやつなんで、セーフなんすかね? 都合、いいっすね。
 今泉志穂。やはり恐ろしい女だ。
 このクラスで二番目の権力を持ち、その攻撃的な性格で場の雰囲気に幅を利かせている。
 普段の僕なら、ここで怖気づいてしまうだろう。だが、今の僕は予定という最強の武器がある。対応プランは無限大。
 こう言われるのも予定の一部というわけだ。問題ない。
「日野君、月山さんに誕生日サプライズをするんだよね? 僕もそれに混ぜてほしいんだ」
「なるほど。ついに下田君もサプライズの良さに目覚めたわけだな!」
「うん、実はそうなんだ!」
 全くビビらない僕を見て、むしろグループの皆が戸惑っていた。
 なんだこの陰キャ? 俺たちが怖くないのか? そう言っているように見える。
「僕、最近は月山さんと仲がいいんだ。だから、彼女を喜ばせてあげたくてね」
「へえ~。そうなんだ。でもさぁ。下田君みたいなおとなしい子がさぁ、私らのグループでやっていけるかな~? うちのグループ、厳しいよ?」
 何が気に入らないのか、今泉が厳しい視線で僕を睨み付けてくる。って、面接かよ!
 今泉サマによる圧迫面接が始まってしまったみたいだ。
 これも陽キャのノリなのか、周りはゲラゲラと笑っていた。
「てかさぁ。下田君、もしかして月山さんの事が好きになっちゃったとか? あの子でオナニーとかしてんでしょ? ほら、正直に言ってみ? 陰キャ君?」
「……………………やだな~。そんなことしないよ~」
「お? どしたの? ちょっとノリ悪くない? 大丈夫? このノリについていける?」
 ち、こんな事を言われるのも予定通りなのに、一瞬だけ『不快感』が表に出てしまったか。僕もまだまだ未熟だ。
 しかし、正直に言ってしまえば、何が面白いのか全く分からん。陽キャ様のノリは永遠に理解できそうにないわ。
 臆することなく下ネタが言える私らって凄くない? みたいなアピールなのだろうか。
 まあいい。予定を遂行するのに余計な雑念は不要。心を無にして対応していこう。
「あはは~。ごめん。陰キャの下田君にこのノリは、ちょっときつかったか~」
「大丈夫! 今は慣れてない陰キャだけど、陽キャになれるように頑張るさ!」
 大げさにガッツポーズをとる僕に、さっき以上の大笑いが起きた。
 よし。これも予め決めておいた予定の台詞通りだ。うまくいった。
 ちなみに今泉はそんな周りを見て、忌々しい目で睨み付けてきた。
 なんだよ、盛り上げてやってるんだから、いいだろ。怒るなよ
「ははは、下田君は面白いな。今泉君もあまり張り切りすぎないように。下田君が困ってしまうぞ?」
「わ、分かってるよぅ。冗談だし~」
 日野の言葉でいきなり態度を変える今泉。さすがに『王』には絶対服従らしい。
「ちょっとサバサバしすぎたかな~? 下田君が本気にしちゃったか。陰キャってすぐにマジになっちゃうからな~。空気はしっかり読んでね。みんなが困っちゃうよ?」
「ありがとう。空気を悪くして、ごめんね」
 なぜか僕が悪いという事で決着がついた。
 まあ、こう言われるのも予定の範疇。適当に対応していこう。
 その後も予定を駆使して、このノリについていく。
 違和感が出ないように、全ての予定をフル活用だ。
「っ!」
「む? 下田君、鼻血が出てるぞ。大丈夫か?」
 脳が熱暴走を起こして、鼻血が出てしまった。ちょっと頑張りすぎたか。
 だが、これも予定していたパターン。和ませる方向で動く。
「ごめん、ちょっと張り切りすぎちゃったみたいだ。へへへ」
「なるほど、下田君は頑張り屋なんだな。良い事じゃないか」
 王である日野の発言で、僕を馬鹿にするような雰囲気が薄れていく。
 奴に助けられるとは、中々に複雑な気持ちだ。
「…………」
 そんな時、月山と目が合った。不安そうな表情で僕を見ている。
 あの日、サプライズを潰すと宣言した僕を、彼女は必死で止めてきた。
 『自分が我慢すればいいだけ』。それが彼女の言葉だった。
 確かにそれが最も簡単な解決法だろう。でも、僕はそれが納得できなかった。
 どうしても月山を傷つけるサプライズが許せなかった。だから、僕なりの方法で必ずサプライズは潰す。
 これはもはや月山の為の戦いじゃない。僕の為の戦いだ。
 だからこそ、彼女に責任は一切ない。サプライズが正義というこの『世界』へ、予定人間からの反乱なのだ。
「まあ、今日は解散だ。月山君の誕生日サプライズの詳細は、追って説明しよう」
 王の宣言で本日の予定はこれにて終了だ。
 とりあえず、グループに溶け込む事は達成できたと思う。
 ここからが本当の正念場だろう。サプライズの弱点を探すのだ。

 ×××

「……ふう」
 家に帰った僕は、ベッドに倒れ込む。今日はさすがに疲れた。
 また明日から対応できるように、更なる予定を作らなければならない。今夜も徹夜になりそうだ。
 ただ、この作業は僕が好きでやっている事なので苦痛は無い。
 今日の事を振り返ってみる。
 僕の加入について、メンバーの反応はそれぞれだった。
 ほとんどが『なんでこんな陰キャが俺らと一緒にいんの?』みたいな目だ。
 その空気感を作り出しているのは今泉。認めなければならないのは、あの女の『空気を支配する』という能力については天才的だ。
 彼女の言葉には、つい従ってしまう呪いのような攻撃性がある。
 僕みたいに予定だけを信じるこだわりを持っていたり、月山のような我の強い性格でなければ、あの空気にあっさりと飲まれてしまうだろう。
 そして、いじめにならないギリギリの境界線を攻めるのだ。
 あくまで自分は正義側であり、悪ではない。その状況を演出して、安全圏から他人を攻撃する戦略である。
 逆に言えば、周りの連中はその空気に飲まれているだけなので、反応がパターン化しており、今泉も含めて予定を作って対応するのは楽である。
 また、今泉がいなくなると一気にグループの雰囲気は良くなる。つまり、面倒なマウントを取る性質を持つのは、今泉ただ一人だけなのだ。
 むしろ、今泉が良く思われていないまである。何人かは僕を庇おうとしてくれる子もいるようで、こんな会話も繰り広げられていた。
『下田君ってさあ、ほんと陰キャっぽいよね~』
『し、志穂ちゃん。あんまりそういう言い方はよくないよ。下田君、大丈夫?』
『あ? なにそれ。私が悪いの?』
『そ、そんな事ないよ。ごめんね、志穂ちゃん』
『うん。よろしい。空気だけは、しっかり読もうね?』
 かなり強引に意見を通している時もある。確実に不満は出ているはずだ。
 その辺りも把握しつつ、グループに溶け込むしかないだろう。
 ただもう一人、今泉よりも厄介な人物がいる。
 それが実は日野だったりする。脳が焼き切れたのも、日野が原因だ。
 というのも、日野はいつでも『演技っぽい』のだ。だからこそ、読みやすい今泉と違って『本心』がまるで見えない。
 奴の言動の全てが嘘っぽい気もするし、本音のようでもある。
 不確定要素が多いので、危険度は最も高い。これがトップを維持し続ける奴の処世術なのだろうか。
 さらに日野については噂が錯綜しすぎて、どんな奴なのかよく分からない。『怒るとめちゃめちゃ怖い』って噂もあるし『実は見た目よりも馬鹿』って話も聞いた事がある。
 どの話も信憑性があるし、根拠が無いとも言える。全てのパターンに対応できるように、それぞれの予定を立てて戦うしかない。
 まるでスパイにでもなった気分だ。いや、バグの例えに合わせてウイルスとでも言った方がいいか?
 知らぬ間にサプライズに感染して、内部から食い尽くすウイルス。こっちの方が僕らしいか。
 そんな事を考えていると、月山から電話が掛かってきた。
「ね、下田君。お願いだから、無理はしないで」
「大丈夫。楽しんでやっているよ。予定を進めるのは好きなんだ」
 これに嘘は無い。全てを予定に当てはめる事で、僕は無敵になれる。
「失敗していいから、絶対に無理はしないって、約束して」
「了解。きちんと分かってるよ」
「終わったら、また遊びに行こうよ。今度こそ奢るからさ」
「だったら、また絵を描いてくれよ。それが欲しい」
「ん、それは任せて。とっておきのを描いてみせるよ」
 楽しみがまた一つ増えた。僕にとって最高のご褒美だな。
 この報酬を楽しみに、明日からも頑張ってアンチサプライズ、やっていくか。

 ×××

 日野グループに潜入して数日が過ぎた。
 僕も少しずつ慣れてきたようで、だんだんと対応に疲労が無くなってきた。
 そんなある日、日野がグループ全体に対して声を上げる。
「みんな、聞いてくれ。月山君へのサプライズは最高のものにしたい。そこには絶対に外せないポイントがある」
 月山へのサプライズにはポイントがあるらしい。奴のこだわりというわけだ。
「究極のサプライズとは、究極の盛り上げ。そこに必須なのは『クラッカー』だ」
 そうだな。日野はいつもサプライズには大量のクラッカーを使う。
「逆に言うなら、クラッカーが無ければ、サプライズをする意味も無い。クラッカーは絶対の神具なのだ! クラッカーが無いサプライズなど、やらない方がマシだ!」
 今、なんと言った?
 クラッカーが無いサプライズは、やらない?
 それは逆に言えば、どうにかしてクラッカーを潰せば、サプライズも中止させる事ができるんじゃないのか?
 これに賭ける価値はある。サプライズの弱点を発見したかもしれない。
 やってみよう。クラッカーを潰して、サプライズを崩壊させるのだ。
 一瞬で僕の脳内で予定が組み上がる。サプライズを潰す必勝の予定。
 そうして全ての予定表の制作が完了した。後は実行するだけだ。
「日野君!」
「む、どうした下田君?」
「クラッカーは、僕が用意したい」
「ほう? いいだろう。君をクラッカー係に任命する!」
 僕自らがクラッカー係となる。自分で用意したクラッカーを自分で潰す。
 いわゆるマッチポンプというやつである。
 これで日野グループに被害は出ない。僕なりの配慮でもある。
 この作戦が決まれば、日野はサプライズを中止するはずだ。
 完璧なサプライズにこだわるのが奴の弱点。意気消沈させて、サプライズをやめさせるのだ。
「頼んだぞ、下田君」
 無事にクラッカー係に選ばれた。後はクラッカーを購入して使用不能にするだけ。
 決行するのは月山の誕生日の当日だ。買い直す時間を与えないように、ギリギリで実行するのがポイントである。
 わざわざ苦労して日野グループに入った甲斐があった。これで僕にも勝率が出てきたぞ。
 放課後、僕はさっそくクラッカーを購入する。後は当日までひたすら待つだけ。
 そうして、準備を終えて家に帰ろうとしたら、日野と鉢合わせをした。
「やあ、下田君じゃないか。クラッカー係、おつかれさん!」
 日野の奴、珍しく単独行動をしていたらしい。
「ちょっと、そこで待っていてくれ」
 そのまま、コンビニの方へ走り出す日野。
 帰って来た時にはアイスを二本、手に持っていた。
「ほら、俺からの奢りだ。今日は暑いからな。食え」
 そうして、嬉しそうな表情でアイスを差し出してきた。
「なあに。金の事なら気にするな。俺は金持ちなんだ。なんたって、医者の息子だからな。ふははは」
 こいつ、本当に行動が読めないな。やりにくい男だ。
 とはいえ、その部分も考慮してたくさん予定を立てたので、対応は可能だ。
「ありがとう、いただくよ」
 用意していた台詞を言って、アイスを受け取った。
 ちなみにアイスは僕の大好きなチョコバーだった。
「下田君、そのアイスが好きだろ? 既にリサーチ済みなのだよ。どうだ? これは俺からのサプライズだ」
「おお、大正解だよ。驚いたな~」
「ふふふ、今回のサプライズは、少しは下田君の心に響いたか?」
「うん。ビックリした」
「…………いや、あまり響いていなかったみたいだな。残念」
 なにがおかしいのか、笑いながらアイスを食べ始める日野。
 僕の方は少しドキリとした。色々と見透かされているみたいだ。
 やはり、日野が最も厄介かもしれない。
「俺はな、サプライズが大好きなんだ。なんと言えばいいかな、人が驚いた顔を見るのが好きなのだ。性格悪いだろ? ふふ」
「そんな事ないよ」
 これは本心だ。少なくとも、性格が悪いってのに関しては、僕の方が上だろう。
 日野が悪いわけではない。悪いのはサプライズと、それを絶対正義とするこの世界だ。
「だが、下田君は俺のサプライズでは、全く心が動かないようだ。前の誕生日サプライズの時もそうだった」
「そんな事ないよ。凄く驚いたよ。やっぱり、日野君は凄いね」
「くく、嘘をつくなよ。俺はそういうの、分かるんだぜ」
 くそ、完全に見透かされている。本当に厄介な男だ。
 日野はそんな僕を見て、なぜか嬉しそうに笑っていた。
「どうも下田君は、先読み能力が強いようだ。いや、違うな。どちらかと言うと、異常な執着か。例えば、予定を作るのが好きで、それに見立てて色々と先読みをしている。こんなところか」
 こいつ。そんな事まで分かるのか!? 超能力者かよ!
「なんか、色々と詳しいんだね」
「まあ、精神科医の息子だからな」
 そういえば、日野は医者の息子の地位を持っていた。精神科医だったのか。
 人の心理とかも詳しいようだ。成績も学年でトップだった。
 高スペックな上にこんな芸当まで持っているとは、本当に反則じみた男である。
 日野はアイスを食べ終えた後、立ち上がって空を見上げた。
「下田君がやろうとしている事を、止める気は無い」
 どういう意味だ。僕のやる事が分かっているのか?
 でも、止めない。つまりサプライズを潰すことを見過ごしてくれるって事なのか。
 もしそうなら、いっそここで日野に全てを話してしまうか?
 月山はサプライズが嫌いで、それをやめて欲しい。その事を直接伝える。
 今の日野なら、それを分かってもらえる気がする。
「だが、俺も今回のサプライズを止めるつもりは無い。このサプライズは、どうしてもやり遂げなければならないんだ」
 なんだそれ。やっぱりサプライズを止めないって事か。
 クラスの王である日野は、皆の期待を裏切るわけにはいかない。そういう事なのか。
 そのまま立ち去る直前、日野は意味深な台詞を残していった。
「なあ、下田君。誰も『悪者』にならない世界があれば、いいな」
 悪者? 悪者ってなんだ? 僕の事か?
「君のやる事の邪魔はしない。その代わり、一つだけ『約束』をしてくれ」
「約束?」
 その日、僕と日野は一つの約束をした。

 ×××

 そして、いよいよ月山の誕生日がやってきた。
 全てが決着する日だ。モチベーションは完璧である。
 今日、サプライズは終わりを迎える。僕が終わらせる。
 本日の為に様々な予定を作っておいた。どう上手く立ち回るかが重要だろう。
 きっと苦戦が予想される。だが、やり通して見せる。
 さあ、サプライズよ。かかってこい。僕の予定で叩き潰してやる。
 昼休みが始まり、もうすぐ月山へのサプライズというその時に、僕は大げさに声を上げた。
「あれ!?」
 僕の声を聞いた日野が、首を傾げていた。
「ん? どうした、下田君」
「クラッカーが無い!」
「なに?」
「鞄に入れていたはずなんだ。鞄ごと無くなっている」
 ざわめく教室。これからサプライズというタイミングでまさかのトラブルが発生だ。
 これが重要だ。『今から始めるぞ』という時に挫かれるのが、人は最も動揺する。
 しかも内緒のサプライズなのに、教室が騒ぎになる。この時点でグダグダ感が増して一気に皆の士気が下がる。
 先制攻撃は成功。サプライズに大ダメージが入った。
「と、とにかく、下田君の鞄を探そう」
 そうしてグループの皆が僕の鞄を探し始める。
「あ。下田君の鞄、見つかったよ。これでしょ?」
 あっさりと鞄は見つかった。当然だ。僕が事前に見つけやすい場所に置いていたからな。
 そして、僕の鞄を開けた女子が大きな声を上げた。
「なにこれ! 酷い!」
 中からは大量のクラッカーが出て来た。潰された状態で。
 もちろん、これは僕が事前にやっておいたことだ。
 ちょっとサプライズに対する怒りが乗ってしまったのもあって、グチャグチャに潰されたクラッカーからは、犯人からの悪意が滲み出ているようだった。
「どういうこと? 誰かが下田君の鞄を盗んで、クラッカーを潰したって事?」
「そんな……じゃあ、月山さんへのサプライズは、どうなるの?」
 グループの全員が日野に不安な視線を向ける。
 その視線を日野は黙って受け止めていた。
 さあ、ここからだ。どう出る、日野?
 今からまともにサプライズなんてできないぞ。これが僕の答えだ。
 だが、以前の反応から日野は僕の考えを読んで対策してそうな気もする。それを更に超えなければならない。
 そのための予定は、大量に作っている。どんなサプライズが来ても無駄だぞ。
 来るがいい。あんたの全てを超えてやる。

「サプライズは、中止しよう」

「え?」
 日野の言葉に、真っ先に僕が疑問の声を出してしまった。
 …………これで、終わり?
 サプライズは、止められたのか? 僕の勝ちなのか?
 どういう事だ。日野は僕の妨害を読んでいたんじゃなかったのか?
 奴は言っていた。『サプライズはどうしてもやり遂げなければならない』と。
 あの時は凄まじい気迫を感じた。だからこそ、もっと粘ってくると思ったのに。
「仕方ないさ。騒ぎが大きくなりすぎた。もうサプライズどころじゃない」
 本気でサプライズを中止するようだ。日野は寂しそうな目をしている。
 もしかして、僕がここまでするとは思ってなかったのだろうか。確かにクラッカーを潰したのはちょっとやりすぎただろうが。
 それが日野の中でショックだったかもしれない。
 でも、悪いな。手加減したらサプライズは止められなかったんだ。
 とにかく、これで決着。思ったよりあっさりだったが、僕がサプライズに勝ったのだ。
「……許せない」
 その時、女子の一人が呟いた。そして、それが周りに伝染していく。
「誰だよ! こんなことやったの!」
「クラスの誰かに決まってるでしょ! 最低!」
 恐ろしいほどの悪意。クラスの全員が怒り狂っている。
「絶対に犯人を見つけ出してやる!」
 そして、犯人探しが始まる。更なる憎悪が広まっていく。
「下田ぁ! てめえが鞄を盗られたせいだぞ!」
「ご、ごめん」
 僕はあくまで被害者を演出する。そうする事でクラスの空気は更に悪くなる。
 その結果……
「やめろ!」
 『王』である日野は、止めざるを得ない。日野がいい奴なのは、この前の会話で分かっていた。
 悪いけど、それを利用させてもらう。こんな僕を悪人と呼ぶのなら、そう呼べばいい。
「誰かのせいにするなんて、やめよう。犯人探しもしなくていい。そんな事に意味は無い」
 王の言う事は絶対だ。これで犯人を捜す空気は萎んでいく。
 だが、簡単に悪意はなくならず、グループの恨み言は続いていた。
「なんで犯人は、こんな事をやったんだろう?」
「人を困らせて、喜ぶクズなんだよ。そういう奴、いるよな」
「あたしたち上位グループに嫉妬してたんだろうね~。よくある話だよ」
「陰湿すぎる。気持ち悪くて吐きそう。同じ空気を吸ってると思いたくない」
「きっと病気なんだよ。友達も彼女もいないんだろうな。誓って言うけど、そういう奴の将来って、絶対に惨めになるよ」
 まるで世界中の全ての人間から『死ね』と言われているようだった。
「楽しいサプライズになるはずだったのに。どうしてこんな……酷いよ」
 泣いている女子もいた。最初の日、今泉から僕を庇おうとしてくれた子だ。
 一瞬、日野と目が合った気がした。
 奴は言っていた。『誰も悪者にならない世界がいい』……と。
 もしかすると、彼はそんな道を模索していたのかもしれない。
 そう思うと、責められているような気がした。もっと良いやり方があっただろ、と。
 悪いな。これが僕のやり方だ。こうするしかなかったんだ。
 ………………くそ。
 だから、サプライズは嫌いだ。そんなもの、最初からこの世界に存在しなければ、誰も傷つく事は無かったのに。
 言える事は、ただ一つ。これで月山は悲しまなくて済む。
 それだけでいい。僕が欲しいのは、その結果だけだ。
 そしてこれは僕が決意してやった事だ。だから、後悔は無い。
 僕はこの虚しく不毛な戦いに、勝利したんだ。


 4 逆襲のサプライズ


 その日の放課後、僕と月山は二人で教室に残っていた。
「やったね、下田君」
「……ああ」
「あたし、本当にサプライズが嫌だったんだ。最悪の誕生日になると思っていたけど、今日は最高の誕生日になったよ」
「よかった。それと、誕生日おめでとう」
「ん、ありがと」
 そう、これでよかったのだ。僕はただ、月山の笑顔だけが見たかった。
「でも、みんな怒ってたね」
「そうだな」
「疑われそうになったら、あたしのせいにしたらいいよ。あたしが我儘を言って、下田君に無理やりサプライズを潰させたんだ」
「分かった。危なくなったら、そうさせてもらう。僕だって自分の身が一番大事だ」
 ま、嘘だけど。意地でも月山には危害が及ばないようにする。これは僕が始めた戦いだ。
「む~。分かってない顔だ」
「そ、そんな事ない」
 嘘がバレている。僕ってそんなに分かりやすいか?
 とにかく、これで全ての決着がついた。
 ただ、一つだけ疑問が残っていた。日野の行動だ。
 やはり、どうにも腑に落ちない。奴はなぜあっさりとサプライズを諦めたのだろう。
 いや、待て。分かったぞ。あいつ、まさか…………
「ね、下田君。こんなあたしだけど、これからも仲良くしてくれたら、嬉しいな」
「あ、ああ。もちろんだ。また遊びにでも行こう」
「うん。じゃあ、さっそく…………っ!?」
 突然、月山の顔が真っ青になった。
 どうしたんだろう? 何をそんなに震えているんだ?
 月山は僕の後ろを見て、固まっていた。教室の入り口の方だ。
 振り返ってみると……

「あ、邪魔してごめんね? お二人さん」

 そこにいたのは今泉だった。幽鬼のような不気味な表情で僕たちを見て笑っている。
「でも、これは私からの本当のサプライズ。ビックリしたでしょ?」
 まだサプライズ地獄は終わっていない。ここからがサプライズの逆襲だ。
 今泉はそう言っているようにも思えた。
「ねえ、下田君。クラッカー潰したの、あんたでしょ?」
「なんのことだ?」
「とぼけるんだ。まあいいや」
 何故か今泉の声には、哀れみが混じっていた。
「さっき言った通り、これはサプライズだ。あんたに『真実』を教えてあげる」
「真実?」

「あんたは、月山に騙されている」

 ………………は?
 月山が僕を騙している? なに言ってんだ、この女。
「ねえ、その子の『悪い噂』って、聞いた事ない?」
 …………そうだ。月山には悪い噂があった。最初にして最後の謎だ。
 『月山は人を困らせて喜ぶ腹黒い女』。その謎の正体が解けていない。
「その噂、本当だよ」
 今泉が自信を持った瞳で僕を見ている。彼女には何か確信があるのか?
「…………根拠は?」
「ん~。例えばさ、『約束の時間に遅れた』とか無かった?」
 ……ある。サプライズ対策をしたあの日、月山は確かに遅刻をした。
「それ、わざとだよ。そうやって相手を困らせて、喜んでいるんだ」
 月山は無言で顔を逸らしている。反論ができない、と言っているかのようだ。
「ま、それくらいなら珍しくない。よくある話だ。でもさ。他にも『財布を忘れた』とか言って、奢らせようとしなかった?」
 それも、的中している。あの日、確かに今泉の言った事が起きた。
「これは明らかにおかしい。普通は財布なんて忘れない。わざと財布を忘れて、あんたに金を出させたんだ。考えたら、分かるよね?」
 言われてみれば、普通に考えたら財布を忘れるなんて、おかしい。
 今泉の言う事は、全てが真実?
 やはり、月山は何も言わない。いや、何も言えないのか?
「そうやって使いやすい男を見つけて、実行犯にさせて、責任も押し付ける。あんたが無理をしてサプライズを潰したのも、全てその女の計算だった」
「そんな、馬鹿な」
 僕は月山に騙されていた。この真実が今泉からのサプライズ。
 なんだよ、それ。どうして、そんなサプライズするんだ。やめてくれよ。
 驚きとか、衝撃の真実とか、そんなの、いらなかった。
「これは上位グループである私からのアドバイス。あんたみたいな陰キャに好きで寄ってくる女はいない。常に騙されていると思った方がいい。私があんたにきつく当たっていたのは、それを教えたかったからだ」
 今泉はずっと警告してくれていたんだ。女は危険だ……と。
 僕は完全なピエロだった。騙されているとも知らず、一人で舞い上がって、勝手にかき乱して、周りに迷惑をかけただけだった。
 これが僕の結末。今泉こそが正しかった。その真実が、本当のサプライズ……

「って、そんなわけあるかよ」

「え?」
「これも『予定通り』って事だ」
「……予定?」
 今泉の表情が一瞬にして怪訝なものに変わった。
 悪いけどな、この展開も予定の一部だ。下らないサプライズごときにやられるか。
 僕はサプライズが嫌いだって、言っただろ。
 確かに今泉の言う事は本当だ。月山には違和感があった。
 だが、その違和感の『本当の原因』は違う。
 いつか今泉に言ってやる予定だったが、それが今らしい。
「月山が遅刻した原因。それは今泉、お前と出会って嫌がらせをされたからだ」
「っ!?」
 明らかに今泉が動揺の表情を見せる。
 あの時、月山の服は汚れていた。本人は転んだと言っていたが、違う。ただ転んだだけであんな変な汚れ方はしない。
 今泉に突き飛ばされて、転ばされた。そっちが正解だ。
 あの日、僕たちの話を聞いていたのか、今泉は嫌がらせをするために月山を待ち伏せしていたのだ。
 それで、月山がいい服を着ていたから、汚すために突き飛ばした。更に遅刻をさせた。
「財布が無かったのは、今泉に財布を取られたからだ」
 更に財布を奪った。今泉の言った通り、財布を忘れるなんておかしい。
 誰かに取られた。この可能性の方が高い。
「ついでにその時、絵も破りやがったな?」
 最後は月山の鞄に入っていたビリビリに破られた絵だ。
 彼女は気に入らなかったから破ったと言っていたが、それは月山らしくない。
 月山が自らの『自由』を破るはずなんてない。あれは誰かが強制的に破ったものだ。
「後は、月山が学校を休めないよう脅迫もしたか」
 月山が学校を休もうとしなかった理由。確かに彼女の我もあっただろうが、本当の原因は今泉の可能性がある。
 恐らく、休んだらもっと酷い目に遭うと脅した……とか。
 僕の話を聞いた今泉が忌々しい顔となった。そして……

「…………ち」

 教室全体に広がるような舌打ちをした。教室は静けさに包まれていたので、余計にその音は目立った。
「んだよ、その女。チクリやがったのかよ。情けねー女だな。あ?」
 ガラの悪い態度となる今泉。今度こそ完全に『本性』を現した。
 いつものような都合の良い正義感すらない。完全なる悪意の塊である。
「言っておくが、月山は何も言ってないぞ。僕がカマをかけたんだよ。あっさり引っかかったな」
「はあ? なんでそんなカマかけたんだよ」
「様々な可能性を考えるのは得意なんだよ。『予定』としてな」
 今泉があまりに詳しすぎたってのが怪しいと思った理由だ。『遅刻した』とか『財布を忘れた』とかいくらなんでも情報が的確すぎる。
 とはいえ、黙っていればバレなかったかもしれないのに、今泉は認めてしまった。ドジな女である。
 まあでも、そんな理屈より、月山が僕を騙せないという『絶対の理由』があった。
 月山はなあ! この僕が予定を作って丸一日かけても、嘘の笑顔を一つも作れなかった女なんだぞ!
 そんな月山が人を騙すなんて器用な真似ができるか!
 もし仮に月山が僕を騙そうとしたら、全てが片言になるわ! 嘘の笑顔で魅了でもしようものなら、その顔は常に引きつっている地獄絵図になるわ!
 あの月山の姿を見ぬまま彼女を語るなど、笑止千万! 浅すぎて、片腹痛いわ!
 月山の世界レベルとも言える不器用さを舐めるなっっ!
「なんだろ。あたし、下田君に馬鹿にされている気がするけど、気のせい?」
「気のせいだ!」
 とにかく、サプライズで混乱させて『それっぽい』事を言って騙そうとしても、僕には通用しない。
 月山の噂の正体は、今泉がでっちあげた虚言だったわけだ。
 確かに今泉は場を支配する天才だ。多くの人がそのオーラに飲まれて信じてしまう。
 だが、予定だけで生きている僕は、そんな適当なサプライズに惑わされない。月山と向き合ってもいない人間の言葉など響かない。
 どうせやるなら、『あいつ』くらいガチのサプライズを仕掛けて見ろ。
「ああもう! ほんとめんどくせーなぁ、お前!」
 更に酷く顔を歪ませて僕を睨み付けてくる今泉。元の顔はいいはずなのに、悪意と怒りとは、こうも人間を醜く染めてしまうものなのか。
「この女が悪いんだよ! どれだけクラスの空気を悪くしているのか、分かってんのか? でかいため息ついてんじゃねーよ。聞こえてんだよっっ!」
 初めて僕と月山が話した日、あの時の事は、やはり聞かれていたか。
「サプライズが嫌い? そんな甘えは許されないんだよ! 皆がサプライズが好きなら、それに合わせなければならない。このクラスはサプライズが絶対のルールだ。ルールを守れない人間には、罰が必要なんだよ!」
 そんなルール、勝手に決めるなよ。押し付けられる方としてはたまったのものじゃない。
「しかも、こんな女がコンテストで受賞した? ふざけんな! 死ねよっっ!」
「ああ、そういう事か」
 つまりは今泉の『嫉妬』だったけわけだ。これが全ての原因か。
 そういえば、今泉は美術部員だったか? なるほど。
 でも、それなら上位グループでちやほやされてないで、絵を描くことにもっと時間を使うべきだったんじゃないか? 月山はずっと絵を描いていたぞ?
 皆が妙に月山への当たりがきつかった理由もこれか。今泉がそういう方向へ誘導していたのだ。
「今泉さ、本当はサプライズも絵も好きじゃないだろ」
「ああ!?」
「サプライズとかを使って、なんでも自分の思い通りにするのが好きなだけだ」
 これが今泉の戦略。月山がサプライズが苦手なのを見抜いて『サプライズが正義』という空気を自ら演出する。
 それを利用して月山を攻撃する材料を作り出した。月山を下げる事で自分の価値を上げる。
 他者を上手に蹴落とし、サプライズが好きな日野に媚びる事で、更なる権力を手にする。
 サプライズが絶対正義。この狂った価値観の原因は、そんなたった一人の支配欲が引き起こした下らない理由だったのだ。
 逆に言えば、この女を何とかしなければ、クラスの価値観は狂ったままだ。
 一回のサプライズを潰しただけじゃ終わらない。その元凶まで絶つ必要がある。
「はっ、言っておくけど下田。お前は終わりだからな。サプライズを潰した大罪人め。しかも予定ってなに? きもいなあ! お前がどれだけ気持ち悪いのかクラス全員に広めてやる。もうお前はまともな学園生活はおくれないよ」
 僕が最も恐れていた事を的確についてくる。これがこの女の最も恐ろしいやり口だ。
「終わりなのはそっちだ。お前がやった事こそ犯罪だぞ」
 今泉こそ完全に『一線』を越えている。特に財布を取りあげるなどは、どう考えてもアウトだ。
「ん~? そんな事にはならないよ~。そんな事実は存在しないからね。あんたたちが言う事は誰も信じないし、私が言った事だけが真実となるンだよ~」
 にぃっと口が裂けるくらい笑う今泉。女子の笑顔をこんなに気持ち悪いと思ったのは、初めてかもしれない。
「いい? ボクちゃんたち。よく覚えておいてね。『なにを言ったか』が大事じゃない。『誰が言ったか』が大事なの。普段から上位グループに所属して自分の発言力を高める努力を私はしていた。あなた達は信頼される努力、してましたか? 悪いのはどっちか分かるよね? 努力をしない人間は、痛い目に遭うんだよ?」
 またしてもおかしな理論を振りかざす今泉。だが、そこには絶対の自信があった。
 確かにこの女なら、それをやってしまうかもしれない。たった一人でクラス全体の価値観を操作する支配力を持っているのだ。
 月山に『わざと周りを困らせて喜ぶ腹黒い女』なんて根も葉もない噂を、まるで真実のように広める悪魔みたいな離れ業もやってのけている。
 一見、荒唐無稽に聞こえる今泉のやり方は、この女に限ってのみ、本当に成功する危険性がある。
「下田、あんたはこの馬鹿女と違って、空気が読めた。だから許してやろうと思ったのに。大人しく騙されて、この女を悪者にしておけば、少なくとも平穏な学園生活は過ごせたのにな。馬鹿が」
 勝利を確信したような今泉が見下すように笑う。
「明日には噂、広めとくからな。せいぜい後悔しながら、惨めな学園生活を過ごせよ。馬鹿にはいい薬だ。勉強になったろ?」
 僕の現状維持もここまで。『馬鹿な事をした』という点に関してだけは今泉が正しいのかもしれない。
「ごめん、下田君。あたしのせいだ。……本当に、ごめん!」
 月山が泣きながら謝ってきた。僕が目立たずに学園生活を過ごしたいのを分かっていたらしい。
 だから、彼女は自分がされた嫌がらせを僕に言わなかった。言えばこうなる事が分かっていたから、僕を巻き込まないようにしていたのだ。
 本当に律儀というか、頑固な子だ。そこまでして我慢しなくてもよかったのに。
「月山、大丈夫だ」
 僕には最後の『予定』がある。このまま今泉に勝ち逃げなどさせない。
 サプライズを絶対正義とし、それ以外を悪とする狂った空間を作った全ての元凶。今泉はここで終わりにする。
 だが、それは僕の役割ではない。『奴』に任すことにした。

「サプラァァァァァァイズ!」

 次の瞬間、いきなり教室の扉が開いて、大きな掛け声が教室内に響いた。
「え? …………え?」
 それを聞いた月山と今泉は、驚愕して硬直している。
 僕は『予定』していた事が起きただけなので、特に驚かない。
 現れたのは、日野だった。後ろにはグループのメンバーも控えている。
 ここからが、『本当のサプライズ』というわけだ。
「やれやれ。やはりクラッカーなければ、物足りない」
 少しだけ不満げな日野。僕がクラッカーを台無しにしたせいである。
 そんな日野を見た今泉の顔が一気に青くなる。
「え、えっと。日野君? どうしたのかな~? 帰ったんじゃなかったのかな~?」
 別人かと思うほど猫なで声を出す今泉。どう生きればここまで露骨に態度を変えられるようになるのか。
 日野はそんな今泉を見て、いつものように笑っている。
 だが、その笑いにはどこか冷たい印象があった。
「君にサプライズだよ、今泉君」
「私にサプライズ? ど、どういうことかな~?」
「今までの出来事は、この時のために俺たちグループが最初から企画したサプライズだったんだ」
「ど、どうしてそんな事を……」
「全ては、本当の君を知るためだ」
 以前に日野が言った『やり遂げなければならないサプライズ』。それは『今泉の本性を暴くためのサプライズ』の事を言っていたのだ。
 今泉はやりすぎた。上位グループからも不満が出ていたのだろう。
 日野には上手く隠していたようだが、流石に奴も今泉に疑問を持っていた。
 そこで今回の茶番とも言うべき『月山へのサプライズの失敗』というイベントを演出した。
 今泉は、日野には決して本性を見せない。だが、僕と月山が相手なら別だ。
 僕がサプライズを潰せば、今泉は怒りで僕たちに本性を見せる。それを込みで奴は全て計算していたのだ。
 僕のサプライズ潰しがあっさり成功したのも当然だ。全てが仕組まれた演出だった。
 なんと恐ろしい男だ。全部手のひらの上かよ。
 僕がクラッカーを潰した時、グループの皆が怨嗟の声を上げていたのも、泣いていたのも、今泉に怪しまれないために日野が作った演出だったかもしれない。
 必死でサプライズを潰したと思ったら、それ自体がサプライズの一部だったわけだ。
 まったく、本当に勘弁してくれ。
 あれは全て茶番でした~。サプラ~イズ♪ ……ってか?
 ふざけるな! 馬鹿野郎! 驚かせばいいってものじゃないぞ!
 やっぱり僕は、サプライズが大嫌いだよ!
 ま、別にいいけどね。全部読んでいたし!
 一応、この茶番も予定プランに組み込んで、最後まで付き合ってやったんだ。ありがたく思えよ!
「俺は可愛い今泉君を信じたかった。君が『悪者』でないと思いたかった。ずっとこのまま仲良くしたかった。だが……」
 以前に日野が言っていた『誰も悪者にならない世界』。これは今泉の事を言っていたのだ。
 今泉の本性が許容できるような範囲ならよかった。しかし、結果は……
「待って! 待って待って待って待って待って! 違うの! 日野君は勘違いをしているんだよ!」
 汗まみれになりながら言い訳を始める今泉。もはやそこにはさっきまでの余裕は微塵も無い。
「君はさっき良いことを言ったな。『ルールを守れない人間には、罰が必要』と。ところで、俺たちのグループが決めた『決していじめはしない』というルールを、君は憶えているかな?」
「ぐすっ。ね、日野君。お願い、私の話を聞いて」
 今泉は得意の泣き落としを始めた。だが……
「俺はね、サプライズが好きだ。サプライズでたくさんの人を幸せにしたいと本気で思いたかった。サプライズが気に入らなければ、全て俺のせいにすればよかった。だが、サプライズを君の私欲に利用されるのだけは、我慢ならない」
 瞬間、教室内の空気が凍った。

「俺のサプライズを……汚すなよ?」

「…………ひ」
 今泉は腰を抜かしてしまった。僕も思わず後ずさってしまう。
 日野は相変わらず笑顔。だが、その顔を見た瞬間『殺される』と思った。恐らく全員が同じ感覚を覚えただろう。
 こんな恐ろしい冷笑を見たのは初めてだ。奴の本性は殺人鬼だった、そう言われても違和感が無い。
 本当に底の知れない男だ。どの姿があいつの本性なのかは、永遠の謎なのだろう。
「サプライズを汚す者には、サプライズをもってして制裁を加える。悪いが、これが俺のこだわりだ」
 わざわざこんな回りくどいやり方をしなくても、こいつなら解決できた気もするが、これがサプライズ好きとしてのやり方らしい。
 以前、奴は自分の事を『性格が悪い』と言っていた。これだけは本当のようだ。
 さんざんサプライズを利用した今泉は、最後はサプライズの逆襲を受けて果てるわけだ。
 そうして、日野グループが今泉を取り囲んだ。
「ふざけんな! 私がグループをここまで引き上げるのに、どれだけ貢献したと思ってんだ! お前らだっていい思いしてただろうが! こんなのはトカゲの尻尾だ! うわあああ!」
 泣きながら連れていかれる今泉。今度こそ、嘘じゃない本物の号泣だった。
 誰かがもっと早く今泉を止めていたら、彼女と本気でぶつかっていたら、こんな事にはならなかった。
 それをやらなかったのは、皆が上位グループで甘い汁を啜りたかった。今泉が攻撃的に周りをうまくけん制して支配してくれていたから、自分たちは上位グループで楽ができた。
 都合よく全ての責任だけをかぶってくれた今泉は、ある種の人柱だったかもしれない。
 思うところはある、だが、一つだけ間違いないのは、今泉は一線を越えてしまった。その事実だけだ。

 ×××

 そうして、教室に残ったのは僕と月山と日野だけになる。
 ふうっと日野が息をついて、僕たちの方を向いた。
 さっきまでの恐ろしい姿はどこにもなく、いつもの日野に戻っていた。
「下田君。巻き込んですまなかったな。どうしても俺なりのやり方があったんだ。だが、君なら必ず合わせてくれると思って甘えてしまった」
 申し訳なさそうに頭を掻く日野。自覚はあるらしい。
「やはりと言うべきか、君はそこまで驚いていなかったな。これも予定の一部だったか?」
「まあね」
「ふっ、いつか下田君には本当のサプライズをしたいものだ。一度でいいから、君の予定を突破して、本気で驚いた姿を見てみたい」
 いや、勘弁してくれ。もうサプライズはコリゴリだ。
「月山君もすまなかった。財布の件に関しては倍以上にして返そう。それで許されるわけではないだろうが、どうか勘弁してほしい。それと今後は困った事があれば、俺たち日野グループに言ってくれ。全力で対処する」
 月山に対して頭を下げる日野。こんなに申し訳なさそうにしている日野も珍しい。
「今泉は、どうするんだ?」
「反省してもらう。その後はまたグループの一員に戻ってもらう。悪いな、納得できないかもしれないだろうが、これは約束だ。守ってほしい」
 あの日、僕と日野がした約束は『グループのメンバーに対する処遇は、日野に委ねる』だった。
「僕は別にいいけど、月山がどう思うかだな」
「あたしも別にいいよ。絵が描ければ、それでいいし」
 あまり私怨的な恨みは無いみたいだ。約束を果たせるという点ではありがたい。
 日野が言う誰も悪者にならない世界。奴はまだその理想を目指しているのだろうか。あるいは教室が狂っていた原因を今泉だけに押し付けるのを良しとしなかったかもしれない。
 まあ、僕には関係ない話だ。今後、こちらに被害が出なければそれでいい。
 余談だが、翌日から今泉は別人のように淑やかになっていた。どんな『罰』を受けたのかは謎だ。
 だが、それは本来の今泉の性格でもあるらしい。元々、彼女は下位グループに属していて、性格も良かったらしいのだが、日野という権力を手に入れて、それで狂ってしまったとか。
 今回の件で学んだのは、この世で最も恐ろしいのは『権力』だという事だ。
「下田君。君も困ったことがあれば、俺に頼っていいぜ。精神科医の卵として、君に興味があるんでね」
「ふん、僕が病気って言いたいのか?」
「さあな。ただ、君や月山君、後は今泉君みたいなタイプと付き合うのは、俺の将来にとって勉強になる。それだけだ。互いの利害関係ってやつだな」
 勉強って……こいつが一番やばいんじゃないのか?
 サプライズが好きなのも、人の心理を学ぶために驚いた人間の反応を研究していた、ってオチもありそうだ。
 ま、敵にはならないみたいだから、別にいいけど。
「ねえ、下田君。とりあえず、これで全部終わったんだよね」
「ああ、サプライズ地獄はこれで打ち止めだ。はあ~、疲れた」
 思わずため息が出てしまった。本当に色々と大変だったな。
 でもこれで全て解決だろう。今泉を無力化した今、もうサプライズが絶対正義という狂った空気感も生まれない。
「安心しろ。もう君たちにサプライズはやらない。俺の負けだよ」
 観念した様子の日野は両手を上げている。少しだけ悔しそうにしている奴の顔が面白くて、思わず笑ってしまった。
「へへへ。やったね。下田君、サプライズに勝ったね」
「当然だ。僕たちはサプライズなんかに絶対に負けないんだよ」
 この先、どんなサプライズが来ても、僕の予定がそれを凌駕してみせよう。
 サプライズの逆襲などさせはしない。僕の完全勝利だ!
「それじゃ、下田君。帰ろっか」
「ああ。約束の絵、楽しみにしてるよ」
「ふふふ~。それは任せて。凄いのが出来たからね」
 上機嫌な月山。ここまで嬉しそうな彼女も珍しい。
 彼女はようやく真の自由を手にしたのだ。
 きっと月山は、これからも好きな絵を描いて、自由に生きていくのだろう。
 そんな彼女とずっと一緒にいたい。そう思った。
 いつかこの気持ちを伝える事ができたらいいな、なんて考えている。
 月山からしたら、僕みたいな変人はお断りだろうが……な。ま、当たって砕けるのも悪くない。
「君たち、本当に仲がいいんだな」
「うん、そうだよ」
 そして月山は、今日一番の笑顔となった。


「だってあたし、下田君の事が好きだから」


「っ!?」
「っ!?」
 僕と日野から声にならない声が出た。
「あっ、しまった!」
 月山は口を押える。例の思った事が勝手に口に出てしまうやつだったらしい。
「いや、これは驚いた。まあ、月山君の気持ちはなんとなく察していたが、まさかこんな所でいきなり告白するとは思わなかったぞ。俺をここまで驚かせるとか、やるじゃないか」
「うう、こんな所で告白つもりはなかったのに~」
「ふふ、確かにその癖は直した方がいいかもな。ムードも何もなかったぞ」
「うう~。絶対に直す!」
「ま、とはいえ、下田君にとっては、これも『予定通り』だったんだろ?」
 ニヤニヤしながら日野がこちらを見てくる。
「全てを予定通りにして、女を落とすとは、君も中々隅に置けない………………ん? 下田君?」
「……………………」
 …………え? 予定? ……ああ、予定ね。
 うん、そうだよ。僕は予定を極めている。僕の予定は誰にも崩せない。
 今、月山に告白されたのも、予定通りだ。
 これも僕が構築したプランの一つさ。さあ、了承の返事をしよう。
 えっと、どう答えればいいんだっけ?
 えっと、えっと…………あれ? …………○×♯※@!?!?!?!?!?!?!?
「どうやら彼、気絶してしまったみたいだぞ」
「え!? なんで!?」
「多分だが、月山君の告白サプライズが、彼に直撃してしまったんじゃないか?」
「ええええええええ!? 別にサプライズしたわけじゃないよ!?」
「悔しいな。俺がどれだけサプライズを仕掛けても先読みされたのに、月山君のサプライズは完璧に決まったらしい。君、サプライズの才能があるんじゃないか?」
「嬉しくないし! あたし、サプライズ嫌いだし! え? っていうか、あの下田君が予定にできないくらい意外だったって事? あたし、普通にいい感じと思ってたんですけど! ちょっとショックなんですけど!?」
「まあ、あれだ。彼は悪意に対して予定を立てるのは完璧だったが、告白される予定に対しては全然だったという事だな。下田君、油断はよくないぞ。サプライズの魔の手は、いつどこで誰が君を襲うか分からないのだ。そして最も恐ろしいサプライズとは、意図せぬサプライズだ」
 嬉しそうに日野が僕の肩に手を置いた。
「ま、下田君もいつまでも誰も自分を好きにならないとか思っている場合じゃないぞ。君に告白する子もいるんだ。これからは『告白される予定』もきちんと立てておくんだな。くくく」
 心の底から面白そうに笑う日野の声を薄れゆく意識で聞きながら、僕は思った。
 これからは……告白された時の予定表も……作って…………おこう。
でんでんむし

2023年08月13日 19時10分06秒 公開
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■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:サプライズに立ち向かえ!
◆作者コメント:今回のテーマはサプライズ! というわけで此度はサプライズを敵側として描いたラノベを作って見ました。
かなり癖が強くなってしまって、ちょっとサプライズを意識しすぎたかもしれませんが、やっぱりテーマとは向き合いたい派なのでサプライズをひたすら書き尽くしました。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
ところで、実際にサプライズが苦手な方の割合ってどのくらいなんでしょうね。

2023年09月01日 21時40分25秒
Re: 2023年09月02日 20時25分48秒
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