幼女のおくすり |
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【場面1】 猛暑続きのせいか、近頃体調が思わしくない。 ――病院に行くべきか? そう思考するも、待合室の独特な雰囲気や、仕事が遅れることへの影響が決断をためらわせる。 結局、始業時間が近づくと『どうせ仕事は休めないんだ』と割り切ってアパートの扉を開けた。 重い足を最寄り駅に向けようとするけれど、予想外の光景がそれを止める。 白衣を身に着けた幼女が、僕の行く手を阻むように立ち塞がっていた。 小柄な身体は未就学児のようだが、透き通るような蒼眼からは|落ち着いた《クールな》知性が感じられる。桃色がかった柔らかな髪はツインテール。白衣から伸びた手足は不思議なケミカル色を帯びている。そして左目の下にはLo06と刻まれていた。 幼児にあるまじき整った顔立ちは人工物臭く『気持ち悪い』と強く僕に思わせた。 幼女は|透き通った瞳《ガラス玉》で僕を見上げると名乗りをあげる。 「初めまして、私は幼女型内服薬|Lo06《エルオーゼロロク》。未来からあなたを治療に来たわ」 そして愛称はオーゼであると淡々と告げるのだった。 【場面2】 「内服薬? 治療?」 わかり難いがお医者さんごっこなのだろうか? それにしては|時間遡行《未来から来た》なんて幼児らしくない設定が組み込まれている。 感心はするけど、お医者さんごっこに付き合っているような余裕はない。「いま急いでるから」とおざなりに謝ると、幼女の隣を抜けようとする。 「放置すると死ぬわよ」 その言葉が糸となり思い僕の足に絡みついた。 たしかに体調は崩れている。ひょっとしたら病気を患っているのかもしれないと想像もした。 だからと言って、幼女姿の薬が未来から送られてくるなどありえない。その程度の理性はまだ働いている。 だけどオーゼは、こちらの疑惑を見透かしたかのように言葉を紡ぐ。 「あなたの疑問はわかるわ。この時代ではまだ時間遡行装置の存在は公表されていないからね」 その言い方だと、公表されていないだけですでにタイムマシーンは存在しているということなのだろうか。 ――まさか…… 「当然よね、未来においても、まだ完成と呼べるほどのデキには至ってはいないのだから。生物を過去に送り込むことはできないし、難しい条件をいくつも満たして時々成功する程度。そんな状況で公表すれば完成前に情報が漏洩し、他所に出し抜かれかねない。だから一般人には秘匿されているの」 自らを『生物ではない』と設定する白衣姿の幼女を見下ろしていると、設定の矛盾がひっかかる。 「過去に来るのが難しいのなら、どうして僕みたいな一般人を治療しに?」 僕の知り合いに癌患者がいた。もっと早く発見できていれば治療の余地はあった。せめて一年前の健康診断を受けていればと妻が悔やんでいたことを思い出す。 そいつは職場での評判がよく、僕とちがって仕事もスムーズに回せた。奥さんは綺麗だし、娘も生まれたばかりだ。性格がよく、誰からも好かれる彼こそが救われるべき人物であることは疑いようもない。彼が仕事を続けてさえいれば、僕がこんなにも疲労することもなかった。 なのにどうして彼ではなく僕に救いの手が伸ばされているのか。彼を救えていれば、いま抱えている問題の大半は問題になる前に片付いていたはずだ。 「あなたの事情なんて知らないわ。投薬先も医者と技術者が決めることだしね。私は私の使命をただ果たすだけよ」 そうでなければ、僕になど会いにこなかったと言いたげである。 「あなたは病気の初期感染者。仮にいま発病していなくとも、この先発病するのだからしっかり治療を受けてもらうわ。|感染爆発《パンデミック》が起こる前にね」 そう宣言すると、オーゼは小さな身体で体当たりし、僕を扉の内側へと押し返した。 【場面3】 玄関に押し倒れた僕に、白衣を脱ぎ捨てたオーゼが馬乗りになる。 白衣の下は全裸。ケミカル色を帯びた肌が存分にさらされた。 その身体のあり方に目を見張る。 それは彼女が主張するよう|偽物《生物以外》だった。少なくとも普通の人間ではない。 自らを薬であると主張する幼女には、男性型の生殖器も、女性型の生殖器もついてはいなかった。それどころか、乳首や排泄のための穴すら見当たらない。 驚く僕の口に、オーゼの小さな指が無理やり押し込まれる。 糖衣錠を口に転がしたような人工的な甘味が口内に広がった。 反射的に抗う僕だったけど、強引な指技から逃れられず危機感は次第に甘味に溶かされていく。もう思考すら面倒だ。 仕事は遅れ周囲に迷惑をかけるが、このまま治療されてしまえば億劫な病院に行かずに済む。治療費についてはわからないけど、重大な|感染爆発《パンデミック》を防ぐためならばきっと国が保障してくれるにちがいない。 そんな楽観が|オーゼの施す治療《口内をまさぐる指》を受け入れさせた。 だけどソレはいつまでも続かなかった。 快楽にも似た甘さが、突如として激しい痛みへと切り替わる。 口内を駆け巡る痛みで我に返った僕は、その場から逃げ出そうとするけれど、身体は上手く動いてくれない。 ――麻酔薬!? 己が蜘蛛が張り巡らせた罠にかかったことにようやく気付く。 それでも生命の危機を脱出するため、抵抗を繰り返すが功を成さない。 「無駄よ。すでにあなたは私の|支配《治療》下にある」 「そんなの、同意して、ない」 「初期感染者の治療は国のために行われるもの。ソレが国の|趨勢《すうせい》に及ぶものならば、個人の意思なんてとるに足らない。あなたひとりを治療することで、多くの感染者を未然に防げる。だから大人しく治療を受け入れなさい。さして重要人物でもないあなたの治療が優先されたのは、そういう理由なのだから」 その言葉に恐怖した。 僕は特例的な治療機会を与えられながらも重要人物ではない。もし国とやらが確実な治療を求めるのならば、確実な方法を選択しても不思議ではない。 難病を確実に広めずに済む方法。 それは患者を殺すことである。 そうすれば最小限の|労力《コスト》で確実に感染爆発を防げる。 口内をまさぐる激痛から、この薬は治療薬などではなく、病原菌を殺処分するための毒薬なのだと思い至った。 必死に四肢に力を入れようとするけれど、それでも口内を浸食する激痛は薄れる様子をみせない。 【場面4】 「たす、けて……」 せめて楽に殺して欲しいと命乞いをする。 するとオーゼは不機嫌そうにそれを否定した。 「なにを勘違いしたか知りませんが、人聞きの悪いことを口走らないように。これは未来で確立された立派な治療です」 「こんな、治療は、ない……」 「そんなことはありません。私の兄妹たちがその身を賭して大勢の患者のを直しました。ただそれだけでは、治療速度も|兄妹《薬》の数も足りません。故にこうして|初期感染者《あなた》の治療に当たっているのです」 その病気は恐ろしい感染症で、世界情勢が大きく歪むほどだとオーゼは告げる。 一度罹患すると治療は困難で、場合によっては終生治らないことも珍しくないと言う。それが拡散されてしまえば、国家運営に悪影響が生じるほどであると。 僕はそんな難病にかかってしまったのか? 体調不良は感じていたけれど、重病という意識は欠片もない。 「発病を隠しているようですが、とっくに自覚しているのではないですか? 仮にそうでなくとも、あらかじめ治療を施しておけば間違いありません。万が一にも、あなたが描いた本を世に出すことはできないのです。それこそ、尊厳薬を投与されたくなければ、ここで完治されるのが正しいことなのです」 「本?」 言っていることの意味が分からない。 僕は本なんか書いてないし、それが感染症とどう繋がるのだろう? 「そもそも、なんて病気?」 「|幼女愛好癖《ロリコン》です」 「ちょとまて、僕にそんな趣味はないぞ」 それまでもつれていた舌が、何故だか滑らかさを取りもどした。 「ウソを言わないでください。未来にはあなたの描いた薄い漫画がいっぱい溢れているのです。しかも小さな女の子のハダカがたくさん載っている。それが新たな|幼女愛好癖《ロリコン》を産みだし大繁殖しているのです。コ●ケのロリ部門など感染者が集まり過ぎて、重度の熱中病患者であふれています」 「ちがう、僕はロリコンじゃない、ちがう」 強い否定の意思が、徐々に身体の制御も取りもどさせる。 「ロリコンはみんなそう言うのです。一部の重傷者以外」 されど訴えは届かない。 そもそもロリコンって投薬で治るのか? というか、この辛い指って毒じゃないの? こちらの疑問を察したのだろう、応えるよう彼女は言う。 「赤ん坊を卒乳させる方法、ご存じありませんか?」 「そつにゅう?」 「卒乳とは、成長し母乳を必要としくなった赤ん坊が、離乳食に移り母乳の接種をやめることです。ですが中には、離乳食を食べられるようになっても母乳を求め続ける赤ん坊もいるのです」 その話は聞いたことがある。まさか、その卒乳方法って……。 「そう、母親の乳首にカラシを塗るのです」 そして|幼女愛好家《ロリコン》の疑いをかけられた僕は、|幼女《ロリ》姿のオーゼが非常に辛いことを覚え込まされている最中であると? 「なるほど、科学的だ……」 「そうでしょう」 「なんて言うと思ったか!」 怒りのあまりに、麻痺から完全に立ち直ると、ツルツルペタンな身体を力任せに押しのける。 「そんなんで治るか! そもそもさっきから言っている通り僕は|少女愛好家《ロリコン》なんかじゃない!」 「こんな部屋に居住する独身男性がロリコンじゃないと……で、も?」 起き上がったオーゼが、僕の主張を否定しようと部屋を溶けかけの指でさそうとする。けれどその指は行き先を見つけられないまま止まり、柔らかなツインテールが斜めに揺れる。 それもそうだろう。僕は|少女愛好家《ロリコン》じゃないし、当然それを疑わせる|漫画や人形《グッズ》も所有していない。 つまり彼女は治療相手を間違えていたのだ。 「|少女愛好家《ロリコン》なのは、となりの部屋の桃野さんじゃないか?」 僕はそう指摘する。 桃野さんは漫画を描いているし、お盆と正月前のイベントには毎年参加していた。小学校近辺での目撃例も多いし、彼が|少女愛好癖《ロリコン》を患っている可能性は高いように思う。 そして部屋番号を確認し、そこで彼女の勘違いがようやく証明された。 「AIはこうして学習していくのです」 オーゼはそう言い訳すると、ろくすぽ謝罪もせず、となりの部屋へと押しかけて行った。 僕の部屋は一時的に静けさを取りもどしたけれど、すぐに悲鳴とも嬌声ともとれる声が壁越しに伝わり始めた。 それを無視して、落としたカバンを拾い上げる。 「はぁ、遅刻確定だな。」 当て逃げされたみたいな状況でも、出社しなければならない。僕は時計を確認すると走ればギリギリ間に合いそうだ。 病院はあきらめ落としたカバンを拾い上げる。 ふと、となりに落ちていたオーゼの白衣が目に入る。 なんだか体調がちょっとだけ良くなった気がするけど、彼女のおかげ……だったりはしないよね? そして僕はソレを拾い上げると、クンと鼻を鳴らす。 残り香らしきものは残っていない。 それを何故だか残念に思いながらも、大騒ぎの元になった桃野さんの本というものに興味がわいてきた。 ――こんど見せてもらおうかな? [了] |
Hiro 2023年08月11日 22時20分52秒 公開 ■この作品の著作権は Hiro さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2023年09月07日 22時03分54秒 | |||
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Re: | 2023年09月07日 22時02分01秒 | |||
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Re: | 2023年09月07日 21時59分58秒 | |||
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Re: | 2023年09月07日 21時58分24秒 | |||
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Re: | 2023年09月07日 21時56分51秒 | |||
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