ウサギのなきごえ

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「やばいの! 朝起きたらウサ耳だったの! もふもふなの!」
 スマホの向こうで宇佐城美実(うさぎ みみ)が喚いている。寝起きの頭に大声はキツい。意味不明な内容なら尚更だ。
「すまん、もう一回言ってくれ」
「だから! 耳がウサギなの!」
「いや、意味がわからんのだが」
 宇佐城の説明が悪いのか、俺が寝ぼけているのか。
 今日は五月三日、待望のゴールデンウィーク初日だ。昼前まで惰眠をむさぼる気満々だったのだが、朝八時にこの電話がかかってきて、平日と大して変わらない時刻に起きるはめになった。睡眠中も聴覚が働くのは、野生動物が外敵から逃げるのには役立つが、人間にとってはありがたくない場合もあるよな。
「宇佐城、一から説明してくれないか?」
「えっと、朝起きたら頭が変な感じで、鏡を見たらウサギの耳が生えてたの。頭の上から」
「ウサギの耳が頭から? 本物が?」
「本物だよ! ピクピク動くの!」
 にわかには信じがたかいが、こんな嘘をつく理由もないよな。エイプリルフールは終わったし。
「ねぇカメック、なんなのこれ? 助けてよー!」
 カメックとは俺のことだ。俺の苗字は『亀』で、「亀くん」がなまってそうなったのだ。
「そう言われても、俺にはどうにもできないぞ。まずご両親に相談しろよ」
「親は連休中二人で旅行に行ってるんだよ。結婚二十周年とかで」
 宇佐城にはきょうだいも、他の同居人もいなかったはずだ。連休中は一人きりということか。
「お願い、なんとかしてよー。頼れるのはカメックしかいないんだよー」
 懇願する宇佐城の声は震えていた。泣いてるのか。
「ったく」
 俺にできることはないと思うが、放っておくわけにはいかなかった。それに頼られれば、悪い気分にはならない。
「今から行くよ。待っててくれ」

∩∩
(・×・)

「うーん、いい天気だ」
 柔らかな日差しに包まれた町中を、俺はペダルを漕いで疾走していた。俺の家から宇佐城の家までは、自転車で十分ほどの距離だ。
 上空は雲ひとつない快晴。気温はそれほど高くないし、涼しげな微風が頬をなぜるのが気持ちいい。まさに春日和といった陽気だ。 
 俺と宇佐城は、この春に高校生になった。俺たちは小学生時代からの同級生だ。
 昔から、俺は宇佐城から頼られることが多かった。落とし物を探したり、ケンカした友人との仲直りを仲介したりと、世話を焼いたエピソードは枚挙にいとまがない。
「高校生になっても、それは変わらないのか」
 できるだけ早く到着するように、野生動物の気持ちで自転車を走らせる。イメージはチーターよりもトムソンガゼルだ。チーターは短距離しか走れない。

『宇佐城』と書かれた表札の下に、インターホンがある。俺はボタンを押した。
「あ、カメック?」
 スピーカーから宇佐城の声。
「ああ、来たぞ。開けてくれ」
 十数秒後、玄関の扉がゆっくりと開いた。が、四十センチほど開いたところで止まった。宇佐城は扉の陰に隠れているらしい。通行人に姿を見られたくないのだろう。
 四十センチの隙間に身体を滑り込ませる。
 扉の向こうに宇佐城美実の姿はあった。黄色地に白い星柄のパジャマを着ている。起床してから着替えてないのか。
 クリッと丸い目が印象的な顔立ちはまだ幼さを残していて、黒髪のショートボブがよく似合っている。そのくせ体つきは絶賛成長中で、胸元や臀部は日に日に丸みを帯びている感じで、いや、そんなことよりも!
 ウサギの耳は確かに、彼女の頭頂部に生えていた。直立した二本の耳介。長さは二十センチほどで、先端は丸くなっている。短く真っ白な毛で覆われており、毛の薄い内側は血管が透けて赤く見える。
 これは間違いなくウサギの耳だ。特に、日本白色種と呼ばれる、日本で古来より親しまれてきた白ウサギの特徴が見てとれる。
 宇佐城はうつむき加減で、口を結んでいた。彼女はいつも天真爛漫、悪く言えば能天気なので、こんな様子は珍しい。本気で悩んでいる証拠だ。
「ね、本当だったでしょ?」
 上目遣いに俺を見ながら、宇佐城は小さな声で言った。
「あ、ああ」
 確かに本物のウサギ耳のように見える。
 しかし、人間に突然ウサギの耳が生えてくるなど、生物学的に起こりえないはずだった。
 これは超常現象か、それとも生命の神秘か。
 宇佐城には悪いが、俺は少しわくわくしていた。

∩∩
(・×・)

 宇佐城の部屋に入り、カーペットに腰を下ろして向き合った。彼女は昔からファンシー趣味で、室内はぬいぐるみなどのキャラクターグッズに埋め尽くされている。
「ねえカメック、どうしてウサギの耳が生えたのかな?」
「うーん。正直わからないが、とりあえずいくつか質問をしていいか?」
「うん」
 質問でわかったのは、以下のことだ。
 ウサギの耳には触覚や聴覚があり、耳としての機能を果たしている。
 もとの耳があった場所には、今はなにもない。
 つまり、耳の機能は完全にウサギ耳に移行しているわけだ。
「宇佐城、ちょっとその耳に触っていいかな?」
「え? う、うん」
 宇佐城は目をつぶった。俺は右手の指でそっと、彼女の頭頂部から生えている、左のウサギ耳に触れた。
「あぅ」
 とても作り物とは思えない感触が指に伝わった。毛のふさふさ感や皮膚の柔らかみはまさに生物のそれだし、体温もある。ウサギの耳は中央に太い血管が通っていて、そこから網目状に毛細血管が広がっているのだが、宇佐城の耳もそのようになっていた。
「っは、ちょっと、カメック、くすぐったい」
 喘ぐような声が耳に入り、俺はあわてて手を離した。宇佐城は頬を赤らめてうつむいている。
「ご、ごめん」
 謝ったものの、なんだか気まずい雰囲気になってしまった。
「じ、実際触ってみてわかったけど、このウサギ耳は間違いなく本物だな! うん、本物だよこれは!」
 無意識に大きな声が出た。うん、妙なムードを壊したかったんだよ。
「もう、初めからそう言ってるじゃん」
「ああ。でも、俺は実際に確認しないとわからないし」
「うん。で、これからわたしはどうすればいいの?」
「うーん」
 この現象は、医学的現象か超常現象か、そのどちらのはずだ。
 前者の可能性は低い。まず間違いなく後者だろう。こんな現象、怪異以外のなにものでもない。
 とすれば、神社やお寺でお祓いをしてもらうのがいいか。
 俺は宇佐城にそう話し、スマホで『神社 お祓い』と検索してみた。さいわい、お祓いで有名な神社が地元に見つかった。
「ここお祓いしてるみたいだぞ」
「でも、この耳じゃ外出なんてできないよ」
「帽子で隠せばいいだろ。バケットハットとか持ってないのか?」
「一応、あるけど」
「なら、それを被って行こう」
「ねぇ、もしかしたら自然に治らないかなぁ? 今日眠って、明日起きたら元どおり、みたいな」
「その可能性もあるけど、逆に悪化するかもしれないぞ? 耳どころか全身ウサギになったり」
「それはやだなぁ」
 宇佐城は頭を抱えた。
「だろ? 早めにお祓いしてもらったほうがいいって」
 宇佐城は数分間迷っていたが、やがて意を決したように立ち上がった。
「うん、怖がってたって仕方ないもんね! わたし神社に行くよ!」
「よし、決まりだな」
 俺も腰を上げた。
「カメックも、ついて来てくれるんだよね?」
「もちろん」
「えへへ。ありがと」
 にへらと笑う宇佐城。今日初めて彼女の笑顔が見られて、こっちもほっとした。
「あ、その前に着替えなくちゃ」
「だな。俺は部屋から出とくよ」
 俺は部屋の出口に向かった。が、ドアノブがどうやっても動かない。
「ん? 鍵がかかってるのか?」
「え、そのドア鍵なんてないよ」
「じゃあなんで開かないんだ?」
 その時だ。
「行かせはせぬぞ」
 謎の声が響いた。

∩∩
(・×・)

 部屋の中央に突如、煙のようなものが出現した。
「うわっ、なんだ!」
「えっ? なになにっ?」
 困惑する俺たちの眼前で煙が徐々に固まり、やがて人間の姿になった。
 いや、体は人間のようだが、頭部は明らかに異なっている。
 ウサギだ。
 長い耳とつぶらな瞳を有する、まごうことなきウサギの頭である。顔面を覆う毛は白く、目元は赤い。これは日本白色種の特徴だ。
 ちなみに人間の体に着ている服は、ワイシャツとジーンズだった。なんかおっさんくさい格好だ。
「我はイナバ。ウサギの神である」
 ウサギ人間が言葉を発した。低くてダンディな、妙にいい声だ。
「は?」
「ええっ? 神様?」
 俺たちの困惑は大きくなった。この珍妙な怪物が神だと? どう見ても神の見た目じゃないだろ、いろんな意味で。
「どうして神様がここに?」
 自称神の化け物に臆せず話しかける宇佐城。こいつコミュ力高いからな。
「娘よ、我は今そなたに取り憑いているのだ。お祓いなどされたら、我が消えてしまうかもしれぬからな、止めに来た」
「なるほど、お前が宇佐城に呪いをかけてウサギ耳を生やした悪霊ってわけか」
「そこの少年! 人聞きの悪いことを言うでない!」 
 ウサギ野郎は眼を鋭くしてこちらを睨みつけてきた。ウサギの顔が人間っぽい表情をするのは、なんとも不気味だ。
「我はあくまで神であるぞ。使ったのも呪いではなく神力だ」
「神なのに、お祓いされたら消えるのかよ」
「それに関しては、正直わからん。消えてしまう可能性がわずかでもあるなら、警戒するのが得策。我は石橋を叩いて渡る主義なのだ」
 小物すぎる。外観だけじゃなく中身も神らしくないな。
「でも神様、えっとイナバ様だっけ? どうしてわたしにウサギ耳を生やしたの?」
「話せば長くなるが、よいか?」
「うん」
「ウサギ神イナバに、悲しき過去」
 漫画の煽り文みたいな導入のあと、イナバは語り始めた。

∩∩
(・×・)

「神とは、森羅万象に宿るものである。我はウサギという動物に宿った神だ。神の力の源は、人々の信仰心なのだ。ウサギは、この日本で古来より信仰されてきた。月にウサギが住んでいるという伝説や、『因幡の白兎』など神話の題材にもなってきた。ウサギを祀る神社も全国に多数存在する」
 こいつの名前『イナバ』は、『因幡の白兎』が元なんだろうか。
「そうした信仰心で、ウサギの神である我の力も大きくなったのだ。動物に宿る神の中でも、常に上位争いをする力を有しておった。最上位も狙える位置にいた。ところが現代、人々の動物への信仰心は減衰し、ペットブームで多くの動物が愛玩用になり果てた。ウサギとて例外ではない」
「信仰するのも、ペットとして可愛がるのも、似たようなものだろ」
「さよう。しかし問題は、愛玩動物の中で、ウサギの人気が微妙なことだ! 人気上位は常にイヌかネコで、ウサギは三番手以下の『その他大勢』でしかない! さらに近年ではさまざまな動物がペットとして台頭し、ウサギはどんどん影が薄くなっておる! おかげで我の力は次第に衰退し、上位を争っていたイヌの神やネコの神に大きく水をあけられるほど、凋落してしまったのだ」
「えー、イヌやネコほどではないけど、ウサギは今でも人気があるよ?」
 宇佐城の言葉に、イナバは首を振った。
「我の望みはあくまで、動物神の中で最上位なることなのだ。その地位を目指すため、我は旅に出た。全国を回ってウサギを布教し、ウサギ人気を向上させるための旅にな。その旅の途中で我は知ったのだ。アイドルの存在を!」
「あ?」
「女性アイドルのかわいらしさ、華やかさに、我はすっかり虜になった! さまざまなアイドルグループを知り、ライブコンサートも数え切れぬほど観に行った。気づけば数年間、人間ふうに言うなら寝食を忘れてアイドルにハマっていたのだ」
「おい! ウサギの人気を高める話はどこいったんだよ!」
「然り。我は本来の目的を忘れておったのだ。神とは本来、信仰される存在。だのに我は、逆にアイドルを信仰していた。その結果、神力が徐々に失われていたのだ。気づけば、力は風前の灯火。このままでは我は消えてしまう。そう思っていたところ、かつてなくウサギを信仰している人間を発見した。そう、この娘だ」
「え? わたし?」
「うむ。そなたは以前からウサギが大好きで、ウサギキャラのグッズを蒐集しておったであろう?」
「あー、そうだったね」
 確かに、宇佐城はウサギのキャラが好きで、部屋の中もウサギキャラのグッズで溢れかえっていた。以前は、だが。
「消える寸前だった我は、急ぎそなたに憑りついた。そなたの信仰心を直に頂戴するためにな。おかげで、神力を回復することができた」
「なんか、寄生虫みたいだな」
「だから、人聞きの悪い言い方をするでない! 数年間この娘の信仰心を受け取り、我は旅に出る前の力を取り戻しつつあった。そろそろウサギ人気向上の旅を再開しようと考えておった矢先、問題が発生した。神力が再び減少に転じ始めたのだ」
「どうせまたアイドルにハマったからだろ」
「違うわ! 原因はこの娘にあった。いつしか娘からは、ウサギへの信仰心がほとんど感じられなくなっていたのだ!」
「あー」
 思い当たる節がある、という顔をする宇佐城。そうなのだ。以前は部屋を埋め尽くすほどあった宇佐城のウサギキャラグッズが今はほとんど見られず、ネコのキャラに置き換わっている。
「この娘はウサギから興味を失ったばかりか、あろうことかライバルのネコにハマりだしたのだ! そのせいで我は信仰心を受け取れず、力を失いだした」
「それは仕方ないだろ。人間の好みってのは変わるもんなんだよ。他のウサギ好きの人を探せばいいんじゃないのか?」
「それは我も考えたが、躊躇していた。以前のこの娘ほど、ウサギへの信仰心が強い人間はそうそうおらぬ。しばし待てば、この娘の信仰心も戻るかもしれぬからな」
 この決断力のなさは、まさに小物だな。
「そう考えて二年ほど待ったが、この娘の信仰心が復活する気配は一向になかった。我の力は再び風前の灯火になりつつあった。そこでついに決断したのだ。神力を得る、もう一つの方法を使うことを!」
「もう一つの方法?」
「うむ。その方法とは生贄だ。贄として捧げられた人間をウサギの姿に変え、吸収することで神力を豊富に得ることができる」
「ええっ! それってまさか!」
 驚愕の声を上げる宇佐城。俺も同じ心境だった。
「娘よ、そなたを生贄として吸収することで、我は神力を回復することができるのだ」
「てめえ、ふざけんなよ! 本人の同意もなく生贄にするなんて許されんのか! それが神のすることかよ!」
「あわてるでない。だから耳だけで留めておるであろう。我は、この娘にチャンスを与える」
「チャンスって?」
 小首をかしげる宇佐城を、イナバは指さした。
「もう一度ウサギを信仰するのだ。さすれば、我は神力を回復できる!」
「うん、わかった! またウサギグッズを集めだすよ!」
 宇佐城の即答に、イナバは戸惑う様子を見せた。
「そ、そなた、ずいぶん簡単に言うのだな」
「だってわたし、別にウサギのこと嫌いじゃないもん。むしろ今でも好きだもん。またウサギグッズを集めるだけでいいなら、いくらでも協力するよ!」
「では再びウサギを信仰する証として、そこにあるネコグッズはすべて捨てるのだ」
「ええっ? それはやだ!」
「それでは信用ならぬな。我が欲するのはウサギへの信仰心のみ。他の動物に浮気するようではダメだ」
「でもわたし、今はネコも大好きだし、他の動物だってかわいいし、ウサギだけってのは無理だよー」
「ならば、そなたを生贄にするまでよ」
「そんなぁ」
「ちょっと待て。宇佐城はなにも悪くないだろ?」
 俺は口を挟んだ。
「あんたの都合で、ウサギだけを信仰させるか生贄にするかなんて、身勝手すぎないか?」
「む、それもそうか」
 さすがに、常識的な道徳心は持ち合わせているようだ。
「では、こうしよう。これからこの娘と我が一勝負する。娘が勝てばこの話はなしにして、我は娘から離れることを誓おう。我が勝ったら、一生ウサギのみを信仰するか、生贄になるかのどちらかだ」
「ちょ」
「わかった! やるよ!」
 俺の声に被せるように、宇佐城が発言した。
「おい待て宇佐城」
「本当だな? 一度勝負を受けたら、もう取り消すことはできんぞ?」
「うん! 勝負を受けるよ!」
 ニヤ、とイナバがウサギ顔を邪悪にゆがめた。
 なんてことだ。明らかに怪しい話なのに、宇佐城はあっさり勝負を受けてしまった。イナバは、こちらに不利な勝負を仕掛けてくるに違いない。
 俺は頭を抱えたが、宇佐城は笑顔だ。
「カメック、大丈夫だって! どんな勝負かわからないけど、きっと勝てるよ!」
『きっと』じゃ困るんだが。
 でもまあ、これが宇佐城らしいところか。この能天気さは彼女の短所だが、同時に長所でもあるのだ。
 こうなったらもう、勝てる勝負であることを願うしかない。
「勝負はクイズだ」
 とイナバ。
「今から我が、ウサギにまつわる問題を出す。それに正解できればそなたの勝ち、不正解なら我の勝ちだ。ただし解答権は一度のみとする。当てずっぽうで正解されては困るからな」
「うん!」
 解答権は一度だけか。やはり相当不利な勝負だ。さあ、どんな問題なのか。
「それでは問題だ」
 イナバは少し間を空けてから、告げた。
「ウサギは、なんと鳴く?」

∩∩
(・×・)

 イヌはワン、ネコはニャー、ヤギはメー、ニワトリはコケコッコーなどなど、動物の鳴き声には固定されたイメージがある。
 だが、ウサギの鳴き声は? と問われて答えられる人は、果たしてどれほどいるだろうか。
「え? え?」
 案の定、宇佐城は当惑していた。目が左右に泳いでいる。
「What the rabbit say? ♪」
 イナバは、プロ野球のチアダンスで話題になった曲の替え歌を歌いながら、腰をくねらせて踊っている。なんかイラッとくるな。
「さぁーて、答えるがよい! カウントダウンを始めるぞ! じゅーう、きゅーう、はーち」
「あ、えっと、あの」
 宇佐城は知らないのだ、ウサギの鳴き声を。答えられるはずがないが、適当に答えて間違いになっても、その瞬間終わりだ。
「なーな、ろーく、ごーお、よーん、さーん」
 宇佐城が大きく口を開いた。当てずっぽうで答えるつもりか。その口が声を出す前に、俺が言葉を発した。
「『プゥプゥ』だな」
「なに?」
「か、カメック?」
 イナバと宇佐城が目を丸くした。俺はつづける。
「ウサギには声帯がない。だからイヌやネコのよう鳴き声は出さないんだ。だから『鳴かない』が答でもいいが、問題は『なんと鳴く?』だから、なにかしらの音を答えるほうがいいだろう。ウサギには声帯はないが、鼻を鳴らして音を出すことがある。気分によって『プゥプゥ』、『ブゥブゥ』、『ブッブッ』などの音をな」
「むむ」
 腕を組み、感心したというような表情で俺を見るイナバ。
「完璧な解答だが、我は娘に問うたのだ。おぬしではない」
「わかってるよ。でもそっちは、勝手に宇佐城に憑りついて、勝手にウサギ耳を生やして、挙句こちらに不利な勝負を仕掛けてきたんだ。俺が手助けするくらい、認めてくれてもいいんじゃないか?」
「ぬっ?」
「だいたい、あんたが神力をなくしたのは、自分がアイドルにハマったせいだろ? 宇佐城がどうこう言われる筋合いはないぞ」
「うぐぐ」
 イナバはうつむいた。こいつだって、腐っても神なのだ。自分の落ち度を指摘されて、逆切れするような真似はできないのだろう。
 もう一押しだ。
「他にも、ウサギに関するトリビアを言ってやるよ。日本の白ウサギの目が赤いのは、アルビノを定着させた種だからだ。アルビノはメラニン遺伝子の疾患で起こる。瞳の色はメラニンで作られているから、アルビノの瞳は無色半透明になり、血管の色が透けて赤く見えるわけだ」
「おおっ!」
 イナバは両手の拳を握り、身を乗り出すようにこちらを見た。
「さらにもうひとつ。『ウサギは寂しいと死ぬ』と言われるが、それは間違いだ。草食動物は、体調が悪くても周囲に隠す習性がある。ウサギの病気と飼い主の長期留守のタイミングが重なると、帰宅したら死んでいた、という場合がある。そうなった時に、寂しかったから死んでしまったと思われたわけだな」
「うおおおおおっ!」
 イナバは天を仰いで吠えた。
「素晴らしい! これほどの信仰の波動は久しぶりだ! そなたはまさに『ウサギスト』!」
「な? 宇佐城以外にも、ウサギが好きな人間はいるんだよ。宇佐城にこだわらず、別の人から信仰心を得てもいいじゃないか。あんたはもう、何年も宇佐城に憑いてたんだろ? そんな相手を生贄にするなんて、恩を仇で返すみたいじゃないか」
「うむ。そうだな。我が間違っていた。そなたのおかげで少しだけ神力も回復できたし、この娘のもとを離れて新たな宿主を探すことにしよう」
「宿主って! やっぱり寄生虫じゃねえか!」
「うるさいわ!」
 イナバは宇佐城に向き直ると、彼女に手をかざした。
「娘よ、迷惑をかけたであるな」
 宇佐城の頭部にあったウサギ耳が小さくしぼんでいき、やがてなくなった。
「あ、治った! よかった!」
 宇佐城は側頭部をさわっている。どうやら、人間の耳も復活したようだ。
「では、さらばだ。そなたといた数年間、悪くなかったであるぞ」
 イナバは文字どおり煙のように消えた。
「やれやれ。いい話ふうに締めやがったけど、迷惑でしかない野郎だったな」
「うん。でも、ありがとうカメック!」
 宇佐城は俺の両手をぎゅっと握ってきた。
「さすがカメック、動物に詳しいね!」
「まあな」
 俺は動物全般が好きで、ウサギだけが好きというわけじゃないが、イナバが勘違いしてくれて、助かった。
「また、カメックに助けられちゃったね! いつもありがとう!」
 満面の笑みが眩しすぎて、彼女の顔を直視できず、視線をそらした。
「お、おまえが俺に頼ってくるからだろ! まったく、少しは自立しろよ」
「うん。でも、カメックにはついつい頼っちゃうんだよね。なんたって、わたしのヒーローだから!」
「あー」
 俺は視線をさまよわせた。照れること言うなよな。
 ウサギは鳴き声を出さない。でも宇佐城の泣き声だったら俺は何度も聞いてきて、そのたびに彼女を助けてきた。泣き止んだあとの笑顔が見たくて。
「わたし、カメックのことが大好きだよ! これからもお願いね!」
 思わず、息が詰まった。
 まったく、宇佐城は素直すぎる。この素直さもまた彼女の長所であり、短所でもあるのだ。
 だってそうだろ? この「好き」にはたぶん、恋愛感情はこもってない。友人として好きって意味でしかないんだ。こう言われたことは一度や二度じゃないからな。
 でも、高校生にもなる男子が、女子から面と向かって「好き」なんて言われたら、勘違いしちゃうじゃんかよ。
「も、もう帰るからな!」
 いたたまれなくなり、俺は宇佐城に背を向けた。
「あ、待ってカメック。今回のお礼をさせてよ! そうだ、ご飯おごるね! 明日! 明日のお昼は空いてる?」
「あ、空いてるけど」
「じゃあ、カメックん家に迎えにいくから、待ってて!」
「ああ」
 部屋の扉を開ける。今度はちゃんと開いた。
「カメック! ほんとにありがとねー!」
 宇佐城の声を背中で受けながら、俺は部屋をあとにした。
 明日、昼ご飯か。当然二人きりだろう。それってなんか、デートみたいだよなぁ。
 まぁ、宇佐城はそんなこと考えてないだろう。
 なるべく意識しないように努めながら、俺は家路についたのだった。

∩∩
(・×・)

 翌朝。
 午前八時に俺は起床した。正直、よく眠れなかった。今日は宇佐城とデートらしきことをするのだ。緊張が強い。
 でもまあ、楽しみなイベントであることは間違いない。どんな服を着ていこうかとクローゼットを見ていると、背後から声が聞こえた。
「ゴキゲンのようだな、少年よ」
 低くてダンディーな声。嫌な予感がしつつ、俺は振り返った。
 顔だけウサギ野郎、イナバの姿がそこにあった。
「てめえ! なんでここにっ?」
「ふははは。そなたにはウサギに対する強い信仰心を感じたのだ。次の宿主に選ぶのは自明の理であろう」
 なんてこった。こいつの勘違いが悪い方向に出た。
「そなたに憑いていれば、潤沢な信仰心が得られそうだ。期待しておるぞ」
「あのな、俺は動物全般に詳しいだけで、ウサギが大好きってわけではないぞ」
「そんなことは百も承知よ。その点を差し引いてもなお、そなたは優秀な宿主だ。さらに、我がそなたをウサギ大好き人間に調教するつもりだしな」
「うるせえ! ウサギ大好き人間なんかになってやるもんか! 今すぐ消えろ!」
「もう姿を消すのも面倒なのだ。ほれ少年よ、デートに行くなら格好つけなければならぬだろう。我がコーディネイトしてやろうか」
「うぜええええええ!」
 受難はまだ、つづきそうである。

   おわり
いりえミト

2023年04月30日 23時55分49秒 公開
■この作品の著作権は いりえミト さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:What the rabbit say?
◆作者コメント:うおおおおお滑り込み!

2023年05月13日 19時20分58秒
0点
Re: 2023年05月14日 01時18分06秒
2023年05月13日 17時16分56秒
Re: 2023年05月14日 01時17分03秒
2023年05月13日 02時50分26秒
+10点
Re: 2023年05月14日 01時15分48秒
2023年05月12日 17時59分19秒
+20点
Re: 2023年05月14日 01時15分09秒
2023年05月11日 21時24分34秒
+10点
Re: 2023年05月14日 01時13分38秒
2023年05月06日 15時36分29秒
+40点
Re: 2023年05月14日 01時12分39秒
2023年05月06日 12時05分14秒
+10点
Re: 2023年05月14日 01時11分23秒
2023年05月06日 11時11分49秒
0点
Re: 2023年05月14日 01時10分31秒
2023年05月05日 20時45分22秒
+10点
Re: 2023年05月14日 01時09分27秒
2023年05月03日 14時42分06秒
+10点
Re: 2023年05月14日 01時08分31秒
2023年05月03日 07時56分33秒
+10点
Re: 2023年05月14日 01時07分53秒
合計 11人 120点

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