電マおじさんとさすらいの猫 |
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吾輩は猫である。名前はタビにゃ。 少しばかり他の猫より長生きしている事と、尻尾がふたつに分かれている事だけが特徴の、何の変哲も無い只の旅猫にゃ。ちなみにタビという名前は、かつて吾輩が唯一世話になった人間に付けられた。なんでも黒い身体をした吾輩の、両手両足の先端だけ白いのが人間が足に付ける袋に似ているからとか言っていた。 なに? 貴様は旅猫を知らない? まったく、これだから人間はだめにゃ。旅猫とは、その名の通り旅をする猫にゃ。人間の世話になる事も、野猫同士徒党を組む事も、ましてや昨今耳にする地域猫とかいう去勢され、中途半端に愛玩される脆弱な存在になる事も拒み、あてどもなくさすらって自由に生きる。それが旅猫にゃ。 そんな吾輩がこの町に着いたのは、雪も溶け草木も色づいてきた頃の事にゃ。 旅猫は、見知らぬ土地に着いたならまずは礼儀として、その地に住まう猫達に挨拶をしなければならない。貴様達人間に独自の掟がある様に、我々猫にも掟がある。それをないがしろにする奴は殺されても文句は言えないのにゃ。 探す事暫く。とても居心地の良さそうな、石でできた大きな筒が何本も置いてある薄暗い素敵な空き地に着くと、そこにこの地を根城にしている野猫達の親玉とおぼしき貫禄あるキジトラがいた。 「……ほう。お前さん、旅猫にゃ?」 「うむ。名はタビ。しばらくこの町に厄介になるので挨拶に来た」 「そうか……にゃんだか人間みたいな喋り方する猫だにゃぁ。まあ、何も無い町にゃけどゆっくりしていくと良いにゃ……と、言いたい所にゃが」 キジトラはそこまで言うと、ちいさく頭を振る。 「お前さんが旅を続けたいって思うにゃら、悪い事は言わにゃい。早くこの町から出た方が良いにゃ」 「何か、厄介事でもあるのか?」 「にゃ。最近、この町にはヤバい人間が出るのにゃ。そいつの手に掛かってしまったらどんな猫も骨抜きにされてしまうんにゃ……あれは恐ろしいにゃ……」 キジトラは恐れとも畏れともつかない、複雑な目をしてそう言った。 「お手前程の猫がそこまで……その様な人間が、本当にいるというのか?」 吾輩の目から見ても、このキジトラは全く大した猫にゃ。ここいら一帯の野猫を束ねるに足る風格をしっかりと持っている。そのキジトラがそこまで恐れる人間とは……一体どんな奴なのだろうか? 「旅の……もしも『一目見てやろう』なんて考えているのにゃら、やめた方が良いにゃ。好奇心は猫を殺すにゃよ」 「忠告痛みいる。して、その厄介な人間とは一体どの辺りに現れるのにゃ?」 「……公園にゃ。いいか、旅の。忠告はしたにゃよ」 吾輩はキジトラへの挨拶を終えると、その足で貴様達人間が公園と呼ぶ不自然な空き地に向かった。周りを囲むやはり不自然な草に隠れながら様子を伺うと、そこは今まで様々な地で何度も目にしたものと同じく、異様な光景だった。 蹴鞠に興じている幼い人間や、少し離れた場所からそれを見守る雌の人間。黄昏た顔で溜息を吐きながら椅子に座りぼうっと空を眺めているくたびれた雄の人間や、何が楽しいのか鳥に餌などを与えている老いた人間。全く、吾輩もそれなりに齢を重ねてきたが未だに貴様達人間のやる事はよく解らぬ。 その、よく解らぬ者共の所業を眺める事幾ばく。気が付けば公園の隅にある椅子の周りに猫が集まっているではないか。皆、この地に住まう野猫達なのだろう。それなりの面構えをした三毛猫が、八割れが、サバトラが、白が、そして何とあのキジトラまでもが、何だかそわそわとした素振りで何かを待ち構えている。 一体、何が始まるというのにゃ…… 草の陰から彼等の様子を見ていると、やがて一匹の珍妙な人間が現れた。 そう、珍妙。まさにその人間はそうとしか言い表せない、不可解な恰好をしていた。 でっぷりと太った壮年の雄。頭からは何故か兎の耳の様なものを生やし、腹部を覆う程度の白い布を身に纏い、手には得体の知れなぬ白い筒の様な物を持っている。永き時を生き、多くの人間を目にしてきた吾輩ですらも今まで見た事の無い、それは不可解な恰好をした人間だった。吾輩の近くにいた人間の親子が『あー、またあのウサミミおじさん来てるー』『見るんじゃありません!』等と会話している事からも、彼奴が尋常の人間では無い事は明白にゃ。 ……にゃと言うのに。 何故、この地の猫達はあの奇妙な人間に寄っていくのか? 吾輩は微かな恐怖すら覚えつつ、茂みの陰から観察を続けた。 『おっふ……猫さん達……今日も小生などの為に集まって頂き、感謝の念に堪えませぬ』 彼奴は椅子に腰掛けると、我先とまるで争う様に纏わりつく猫達を順番に撫でる。何故にゃ? あの様に奇妙で得体の知れない人間に、彼等はどうしてあそこまで媚びるのにゃ? 『ささ、どうぞ。小生の拙い技ではありますが、どうかひと時のお寛ぎを』 人間はそう言うと、手に持った筒状の物を握る。するとどうだろう? ゔゔゔゔぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん…… 聞いた事の無い不可解な音を立て人間が持つ白い筒の、先端に付いた灰色の玉が細かに震え始めたではないか。 『ふふふ……では、今日は八割れさんから』 得体の知れぬ人間が手にしている、得体の知れぬ物。 にゃと言うのに、手招きされた八割れはいっそ嬉しそうに人間の元に歩み寄ると、まるで媚びを売るが如く伏せて尻を突き出したではないか。誇り高き野猫ともあろう者が、にゃ。 『ささ、おいでませヴァイヴレーション・ヘヴンへ……ふひひ』 振動する先端の玉を尾の付け根に当たられた刹那、八割れは―― 「ふなぁぁぁぁぁぁぁ」 一瞬で情けない声を上げ、陥落してしまったではないか! い、一体……一体あれは何なんにゃ? そのまま八割れはされるがままに振動をその身に受け、「ぉぁ~~~」と蕩けた長い声で啼いている。そこには野猫としての誇りも威厳も、何一つ見出す事はできない。これは一体、どういう事なのにゃ? それどころか―― 無様に腹を見せて快感にのたうつ八割れを押し退ける様に、他の猫達が人間に向かって次々と尻を突き出しているではないか!? 『でゅふふ……ではお次は……』 人間は、手にした筒状の物を次々と猫達の腰に当てる。すると八割れに続いて三毛が、サバトラが、茶トラが、白が……どんどん彼奴の手により悶絶させられていく。 吾輩は今まで感じた事の無い恐怖を覚えた。 しかしそれも無理の無い事と言えよう。何故ならあの、いかにも屈強で貫禄のある、ここいら一帯を仕切っているであろうキジトラまでも、毒牙に掛かろうとしているのにゃから。 「お、お前……来るにゃと言ったのに…………あ、あぁ……見るにゃ、みるにゃぁ……」 吾輩の視線に気付いたキジトラは、屈辱に歪んだ顔で力なくそう呟いた。しかし、その言葉とは裏腹に、彼は人間の前でまるで交尾をせがむ発情期の雌が如く腰を突き上げているではないか。 『おお、キジトラさんではないですか。さあさあどうぞおいでませ』 細かく震える灰色の玉が、キジトラの腰に触れる。 「ふにゅぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁ…………」 すると瞬く間に、他の猫同様腰砕けになって寝転がり、服従するが如く腹を出してしまったのにゃ。 「な……なぉぅ……」 今までに覚えた事の無い恐怖に、思わず声を漏らしてしまう。 すると、無駄に良い笑顔でキジトラを責め続けていた人間が吾輩に顔を向けてきたではないか!? 『おや?』 不覚! まっこと不覚! 彼奴の理解し難い行動をつぶさに目で追っていた吾輩は、その人間としっかり視線が合ってしまったのにゃ! 『おやぁ……おやおやおや、これはこれは今までお会いした事の無い猫さんではありませんか』 人間は吾輩を目にすると、懐から何かを取り出した……あ、あれは!? 『ふひひ……見知らぬ猫さん、お近づきのしるしにチューチュをどうぞ?』 人間は小さな袋からトロリとした液体を木の匙に垂らし、吾輩の前に差し出した。これは……これはもしや! あの、人間が作りし我々猫を駄目にすると聞く魔性の品『にゃおちゅーちゅ』ではないか!? おお、このかぐわしき薫り…… 吾輩は旅猫としての自尊心を懸命に思い出し、抗ったのにゃが…… 「なぉう」 抗えぬ。 我ら猫では決して抗えぬ凄まじい魔力を、あのちゅーちゅは持っているのだ。 一口だけ……そう、一口だけにゃ。 誇り高き旅猫が人間の施しを受けるとは情けない限りであるが、しかしこれはせん無き事。それに何もこの人間に懐くという訳では無い。うむ、そうにゃ。旅猫らしく気まぐれに、たまさかには人間の戯れに付き合ってやるだけの事。そう、それだけの事なのにゃ。 「なうぅ」 ぺろり。 美味い! ひと舐めした瞬間、芳醇な魚の薫りが鼻腔をくすぐり、駆け抜けてゆく。ああ、まっことこのちゅーちゅなるものはなんと素晴らしき事か。いっそ生の魚を食らうより、鮮烈に魚を感じる事ができるではないか……人間侮り難し。 『ほうほう、これはお見事な舐めっぷり……ではそのままこちらもご賞味あれ』 人間は匙にさらなるちゅーちゅを垂らす。その匙本体からも異なる香気が立っている事に、この時吾輩は初めて気が付いた。こ、この匙、もしや…… ちゅーちゅーを舐めつつ、匙を齧ってみる。するとどうだろう、瞬時に身体が熱くなり、ふわりとまるで空を飛ぶかの如き高揚感につつまれるではないか。 間違い無い。これはまたたびの木を削って作った匙にゃ! 『ぬふふ……猫さんの大好きなマタタビの木で作ったスプーンにございます。これにニャオチューチュを合わせれば、それはまさに合法猫ドラッグ。さあ見知らぬ猫さん、どうぞひと時の快楽を召しませ』 あ、あぁぁぁ……この人間、いったいにゃんということをぉ…… 不覚にもちゅーちゅに誘われてしまった吾輩は、気が付けばまたたびまで齧らされていたではにゃいか。 この様な醜態を、人間如きに見せてしまうとはまっこと不覚にゃりぃ。 ……しかしこの時。吾輩はまだ知らなかった。この人間の、真の恐ろしさを。 『でゅふふふふ。どうやら猫さんはご満足頂けた様ですね。では、最後にヴァイヴレーションヘヴンをどうぞ』 彼奴は手にしてた例の筒を再び手にする。『ゔゔゔゔゔ』と耳障りな音が鳴り響き、それをゆっくりと吾輩の腰に寄せ…… やめろ! やめるんにゃ! またたびにて朦朧となった頭でも分かる。今あれを食らったら、きっととんでもない事になるのにゃ! 必死に逃げようとするも、またたびにて腰砕けとなった身体は思うように動かにゃい。そうこうしている内に、遂に震える灰色の玉が尾の付け根に当てられ…… 「ふにゃあああああんっ!」 吾輩はまるで子猫の様に啼いてしまった。 あ、あぁ……にゃにこれ……しゅごいぃぃぃぃぃ…… 震える玉が当てられる度に、えも言えぬ快楽と不思議な多幸感……いっそ安心感すら、感じる事ができる……例えるなら、遥か昔の幼き頃。もはや顔も思い出せぬ母猫に兄弟共々抱かれ、喉を鳴らしていたあの頃の様な…… ああ、もどされりゅう……この、開けた襖を閉める知恵まで付けた吾輩がぁ……只のにゃんこにもろされりゅぅぅぅぅ……いっぴきのむりょくなこねこりゃって、わからされりゅぅ…… 「ごろにゃぁぁぁぁん」 こうして、一匹の珍妙な人間に成す術も無く子猫にされて。 吾輩の旅は終わった。 「まったく、だから言ったのにゃ。あの人間は恐ろしいって」 「面目ない。吾輩とした事が、少々図に乗っていた様にゃ。世の中には吾輩などでは敵わぬ相手など幾らでもあると知っていた筈なのに、にゃ……」 キジトラの言葉に、吾輩は一言も無い。 そう。これまでの生で恐ろしい事は幾らでもあった。人間同士が刃を以て殺し合う凄惨な場面を幾度も見てきたし、天空より火の玉が沢山落ちて来て街がまるごと焼かれてしまった事も、とてつもない地震いにて人間達の住処が次々と崩れ去っていくという、この世の終わりの如き光景すらも目にしてきた。 いや…… だからこそ、なのかも知れぬ。斯様な恐ろしい出来事に幾度も遭遇し、そして生き残ってきたという自負が、いつの日か吾輩を増長させていたのであろう。 「まあ、お前さんも身を以て知ったろう。あのちゅーちゅとマタタビ、そして『ゔぁいゔれーしょんへゔん』をキメられたからにはもう、只の猫にゃあもどれにゃいって事を」 「ぐにゅにゅ……」 いっそ意地悪くすら聞こえるキジトラの言葉に、しかし吾輩は苦い思いを抱きながらも思案する。 今なら……そう、今ならまだ吾輩はここを去る事ができよう。吾輩とて旅猫の端くれ、それこそ幾度と無く定住の誘いは受けて来たものだし、それらはことごとく魅力的なものだった。だがそれでも吾輩は旅こそを愛し、全てを断り続けてきた。 「にゃあ、タビよ。お前さんはまだ『それでも旅を続けたい』とか思っているんにゃろう? 確かにお前さん程の旅猫なら、あの人間の妖しい魅力を振り切る事もできるかもしれにゃい……でもにゃ」 「でも?」 「いいか、タビ。逃げればひとつ、進めばふたつ、手に入れる事ができるものにゃ」 「にゃん……だと……」 「確かにここで去れば、お前さんは旅猫としての生を再び手に入れる事ができるにゃろう。でも、ここに残る事でお前さんは安住の地と、あの人間の与える快楽を得る事ができるんにゃ」 「キジトラ……おまえ……」 そう語るキジトラの身体はぷるぷると小刻みに震え、瞳は昼間にも関わらず瞳孔が開き切っている。きっと禁断症状に違いないな。こいつはもうだめかもしれない。 うむ、やはりここに居ては危険にゃ。 瞬時にそう判断し、一刻も早くこの地を去ろうとしたしかしその刹那―― 『おやおや、今日も猫さん達が待っていてくださったのですね。小生誠に恐悦至極』 例によって気持ちの悪い声色で、あの人間がまた現れた。ああ、そうにゃ。吾輩も結局は他の猫達同様、この公園にて彼奴の来訪をしっかりと待っていたのにゃ。 嗚呼、やはり吾輩はもう、あの頃には戻れぬのにゃな…………にゃ、にゃふぅぅぅぅぅん…… 毎日自分に言い訳をしつつ、結局はこうやってこの地に留まり続けている。そんな腑抜けた存在になり下がった吾輩はいつしか、もういっそこの街を終の住まいにしよう。キジトラの元に下り、野猫としてこの地に骨を埋めよう。そこまで考えるに至っていた。 ところが…… 運命とやらは、どこまでも残酷だったのにゃ。 それは、吾輩がこの町に居ついてから暫く経ったある日の事にゃ。 いつもの如く公園の隅に集まり、あの人間が現れるのを今かと待ち望んでいた吾輩の耳に、これまで何度も聴いた事のある不快な音が鳴り響いた。 あれは、人間達の『ぱとかー』の音にゃ。 詳しい事は未だ解らぬが、あのぱとかーが現れた時は大抵良くない事が起きている。人間が殺されたり、大きな災厄が起こった時などにゃ。 「吾輩が様子を見てこよう」 不安な顔を見せている猫達にそう告げ、吾輩はぱとかーの元に向かった。すると、そこに居たのは藍色の布を身に纏ったいかつい人間が数匹と、我々が待ち望んでいたあの人間ではないか! 『な、ななななんですか! 小生が、一体何をしたと言うのです!?」 『この公園に、毎日怪しい恰好をした男が出没してなにやら怪しげな事をしているとの通報がありました。あなたで間違いありませんね?』 『い、一体小生のどこが怪しいと言うのです!』 『見た感じ全てです。頭にウサミミを付けたランニングに短パンの中年男が、手にいかがわしい道具を持って公園に居たら誰だって通報しますよ?』 どうやら人間達は言い争っているようにゃ。そして見るからに、我々の待ち望んでいた人間は分が悪そうにゃ。 『ランニングに短パンは、単に小生が熱がりなだけですよ! そしてこのウサミミは、妻子にすら相手にされず、寂しさで死んでしまいそうだという小生からの世間に向けた切なるアッピールです! なのに……なのに誰も小生に手を差し伸べる事も無く……やむなく小生はこの公園にて、唯一小生を慕ってくれる猫さん達をせめて喜ばせてさしあげようしているだけです! 一体それのどこがいけないと言うのですか!』 『それならば、その手に持っている物は何ですか? 公共の場でその様ないかがわしい物を手にしているというだけで不安に思う人がいるという事を、あなたは想像できないのですか?』 『いかがわしいとは何事ですか! これは全国どこのホームセンターでも普通に販売されている、何の変哲も無いごく普通のマッサージ機ですぞ! それを、こう……おお!? そこに居るのは最近来られる様になった新たな猫さんではありませんか? ささ、どうぞこちらへおいでませ』 劣勢に立たされているらしい人間は、その異様なまでの眼力で草陰に隠れていた吾輩を見つけるや、素早くしゃがんで懐よりちゅーちゅを取り出しつつ手招きしてきたではないか。 「……なぉぅ」 何やら要領を得ぬが、ちゅーちゅを出されてしまっては是非も無し。吾輩は彼奴の元に歩み寄ると差し出されたちゅーちゅを舐め、それを味わうと共に我知らずゴロゴロと喉を鳴らし、人間に身を擦り寄らせる。 『ふふ、ご覧あれ。こうです。この電マはこう使うのですよ』 彼奴は藍色の人間達にまるで見せつける様に、棒を手にして震える玉を吾輩に当て―― 「にゃああんっ、ふにゃあぁぁぁぁぁぁん」 にゃぁ~、しゅごぃ……これしゅごぃぃぃぃっ! こねこにもどされりゅぅ……こんな、みしらぬにんげんのまえなのにぃぃぃ…… 『ほら、ね? 小生はこうやって電マで猫さん達を気持ち良くして差し上げているだけなのですよ。これで貴方達の疑いも晴れたでしょう?』 『……い、いや……申し訳無いですが、貴方がいかがわしい事には変わりません。むしろ疑惑は更に深まったので、ちょっと署まで御同行願います』 『な! 何故ですか!? 小生はただ猫を可愛がっているだけではありませんか! ほらお巡りさんあそこを見てくださいよ! あそこで鳩に餌をあげているご老人と小生に、一体何の違いがあるというのですか!? ねえ!』 『はいはいわかりました。詳しい話は署でお聞きしますから、おとなしく乗ってくださいね! まったく、春になるとこういう変態が増えて困る』 にゃ、にゃぁぁぁぁぁぁ…… わがはいが『ゔぁいゔれーしょんへゔん』にてほねぬきにされてるあいだに、にんげんはどこかにつれさられちゃったのにゃぁぁぁ。 わがはいは、にんげんがぱとかーにおしこまれてつれさられていくのを、ただみることしかできなかったのにゃあ。 「そうにゃ……やっぱり行くのにゃね」 泣き腫らした瞳で、キジトラが言う。彼を始めとしたこの町の野猫達は、皆同じ様に憔悴し切った顔で吾輩の事を見詰めていた。中には小刻みに震えていたり、虚ろな目で啼き声を漏らしている者も居る。皆、あの人間が居なくなった事に深い悲しみと禁断症状を隠せずに居た。 「ああ。短い間ではあったが、世話になった」 この町に残る猫達に頭を下げる。確かに短い間ではあったが、彼等とは色々と濃密な時を過ごしたので感慨も深い。いつの日かまた尋ねるのも悪くないにゃいだろう。 「お前さんの事にゃから問題は無いと思うのにゃが、気を付けて行くのにゃよ」 「痛みいる……では、さらばにゃ」 吾輩はキジトラ達に別れを告げて、町を去った。 吾輩は猫である。名前はタビにゃ。 少しばかり他の猫より長生きしている事と、尻尾がふたつに分かれている事だけが特徴の、何の変哲も無い只の旅猫にゃ。 しかし、単なる旅猫として只あてども無くさすらっていた今までとは、もう違う。 あの人間…… かつて吾輩達をことごとく骨抜きにし、極上の快楽を与えてくれたあの珍妙な人間を探し出す為に、吾輩は往くのにゃ。 住まう地に縛られている野猫や地域猫と、吾輩は違う。欲するものがあるのなら、それを手にする為にどこまでも往く覚悟が吾輩にはある。それこそが旅猫の気概というものにゃ。 例えこの先にどの様な困難があろうとも。 例えこの先にどれ程恐ろしい敵が現れようとも。 吾輩はその全てを押し退け、再びあの『ゔぁいゔれーしょんへゔん』を味わうのにゃ。もしもあの技に酔い、どこぞの猫の如く水に落ちて溺れ死のうとも、決して後悔などしないのにゃ。 そう。吾輩の旅は、まだまだ始まったばかりなのにゃ! |
黒川いさお 2023年04月30日 17時21分02秒 公開 ■この作品の著作権は 黒川いさお さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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