メカニクスメモリアル |
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「さて、どうしたもんかね」 蜂蜜を塗ったトーストをかじりながらサザーラント・アレスは呟いた。その彼の正面には同居人で被保護者の十四歳の少女、エリナ・ウォンドがパンにイチゴジャムを塗っている。 彼の前にはサラダやハムエッグ、コーンスープといった朝食の他に、仕事の依頼品である十サンル(約六センチ)四方の銀色の箱が置かれている。 依頼主はディア・マルガリッタ。十七歳の深窓の令嬢を思わせる優雅な美人で、彼の住む王都でも有数の商家の一人娘であり、数少ない友人の一人でもある。 箱はディアが倉庫を整理していた時に見つけたもので、どうやっても開けることが出来なかった。一度気になりだすと解決せずにはいられない性分の彼女は箱の開け方を旧知であり機械の修理業を営むサザーラントに依頼したのだ。 銀色の表面は滑らかで傷は無く、少なくとも十年は経っているということだが、その輝きには一点の曇りも無い。持ち上げてみると意外に軽く、中身が空洞になっているであろうことが知れた。 この箱にサザーラントは様々なアプローチを試みた。しかし、箱はそれら全てを拒絶した。磁気や電波類は全て遮断。加圧、減圧、酸、衝撃、超高温、極低温等のあらゆる状況・環境に耐え抜いて傷のひとつも負いはしない。 糸口を掴むために知り合いの魔法士に解析魔法をかけてもらった結果、箱には強力な封印が施されており、発見された状態や状況に何かヒントがあるのではないか、ということだった。 よって今日の正午過ぎ、詳しい話を聞くためにサザーラントはディアと会う約束をしたのだが…… (仕方ないこととは言えなぁ……) ハムエッグの最後の一欠片を咀嚼しつつ、サザーラントは胸中で苦く呟いた。 正直、彼はディアと会いたく無かった。彼女のことが嫌いだとか苦手だとか、そういうことは全く無い。ただ、変に庶民的な彼女は押しが強く、かなりのおせっかい焼きなのだ。 知り合って間も無い頃のことだ。サザーラントの工房の散らかり具合や、彼が年中同じ青色のツナギを着ていることがディアには我慢ならなかったらしく、 「あんたの生活、改善させるわよ!」 と勝手に宣言し、毎日家に押しかけては掃除やら洗濯やらをしていった時期があった。 彼にしてみれば余計なお世話であるし、工房もあれはあれでどこに何が置いてあるのかは把握している。そして何より、彼は何か物が近くに無いと落ち着かない性分なのだ。 だが、ディアにしても悪気があってやっているわけでは決してないため、サザーラントは地道な説得活動と、お互いの相互理解を早めることでこの事態を解決したのだった。 それでも半年前までは週に一回の割合で視察に来ていたのだが、ここ最近は家の仕事が忙しいのか訪れることは無くなっていた。 (口実出来たもんなぁ……) 食後の紅茶を飲みながら、サザーラントは依頼を持ってきた時のディアの顔を思い出す。多少の落胆を含んだ、けれど嬉しそうなあの表情を。例えるなら、手のかかる弟を――歳で言えば彼の方が五つ上であるのだが――見る姉の心境だったに違いない。何やかんやと理由を付けてきっとまたやってくる――サザーラントはそう直感した。だというのに、あろうことか彼の方から名目を与えてしまったものだから、全くもって世の中とは上手くいかない。 なんとか手短に済ます方法は無いものかと考え始めた時、思考を妨げるように玄関の呼び鈴が鳴った。 「おはよう。サジー。ちょっと早いけど来てあげたわよー」 応対する暇もあればこそ。入ってきたのはディア・マルガリッタその人だった。 「ディ、ディア!? どうしてこんなにも早く!? 約束は昼過ぎのはずだろ!?」 「あら、なによ。ご挨拶なことね。あたしが早く来ちゃ、何か都合が悪いのかしら?」 突然の来訪にうろたえ、立ち上がって裏返りそうな声を出すサザーラントにディアは腰に手を当て、不機嫌そうに眉をしかめると軽く鼻を鳴らした。 「いや、そんなことはないけど……。ほら、準備や片付けとかあるじゃ――」 言いかけ、サザーラントは己の失言を悟った。それを証明するように、ディアの口元が小さな笑みを形作る。――懐に隠した薄い刃を閃かせるような、酷薄とも言える笑みを。 「あらあら、そうだったの。サジーは片付けるつもりがあったのね? それは悪い事をしたわ。そうだ。お詫びに片付けの手伝いをさせてもらえないかしら?」 胸の前で手を叩き、ディアはわざとらしい満面の笑顔で提案してくる。 「あ、いや、そんな。いくらディアとはいえまがりなりにもお客に手伝わせる訳にはいかないよ」 蟻地獄にはまっている予感をひしひしと感じながら、慌ててサザーラントは言い繕う。 「嬉しい事言ってくれるわね。だけどそんな気遣いは無用よ。それこそあたしとサジーの仲だもの」 「でもさ――」 微笑むディアに、必死に言葉を探しながらサザーラントは舌を動かす。 と、その肩をがしりとディアに掴まれた。 「あたしに掃除をさせなさい。いいわね?」 「…………はい」 額に青筋が浮かびそうな凄みのある笑顔で言われ、サザーラントは力無く頷いた。 ディアは満足気な晴れやかな笑みを見せ、サザーラントから手を離して軽く伸びをする。 「さぁて。じゃ、張り切ってやっちゃおうかしら。まずは洗剤の準備ね」 鼻歌でも歌いだしそうな顔でディアは家の奥へと消えていく。 「…………サザーラント」 一部始終を見ていたエリナは、うなだれるサザーラントに近付くとツナギの袖口を引っ張った。 機械的な動きで首を向ける保護者を見上げ、エリナは口を開く。 「…………弱い」 とどめの一撃をくらい、サザーラントをその場に膝をつき、真っ白くなったのだった。 「うん。掃除をした後に飲む紅茶はまた格別ね」 すっかり片付き、見違えるようになったリビングのソファでディアは満足そうに自ら淹れた紅茶に口をつけた。 「……そいつは良かったな」 正面に座るサザーラントは天井に顔を向ける格好でソファに深く身を預け、ぐったりとしている。 ディアの手際は見事の一言につきた。 床や壁、家具に至るまでそれぞれの素材に合った掃除の仕方が完璧なのは言うに及ばず、散らかった物の整理整頓においてでさえ全く隙が無い。 家主以外が部屋の掃除をすると、片付けた本人の流儀というか、癖のようなものが無自覚に出てしまって物の配置が微妙に変わってしまいがちなのだが、ディアの場合はそういったものがほとんど感じられなかった。あくまでサザーラントが使いやすいように、彼が一から十まで一人で行ったかのような錯覚を覚える配置ぶりだ。 家の間取りと仕事の内容、そして何よりサザーラントの癖や好みを完全に熟知したディアだからこそ出来た所業に他ならない。 慣れているディア本人は良かったかもしれないが、その手伝いをさせられたサザーラントにとってはたまったものではなかった。 ディアから出される指示がとにかく細かいのだ。その細かさは高価な芸術品や貴重な文化財を扱うようなデリケートな――という意味ではなく、何件もの商談をこなす優れた商人のスケジュールを思わせる時間的な意味において、だ。 何時何分までに床をモップ掛けしておいてだとか、何分でゴミを片付けておいてだとか。内容自体は難しくないのだが、とにかく時間に厳しい。そのため、サザーラントは掃除の間中ほとんど駆け足での行動を強いられた。 その結果、全ての掃除が終った今、彼は疲労困憊でソファに座っているのだった。ちなみに、ディアの指示の元、エリナもサザーラントと同じくらいの運動量を掃除中にしていたはずのだが、当の本人はけろりとした顔でサザーラントの隣りに座り、紅茶を両手で持ちながら一生懸命に息を吹きかけて冷ましていたりする。 「それで? 箱はどうするつもりなの?」 紅茶を一口飲んだ後、ディアは用件を切り出した。 「ん? ああ、報告した通り、思いつくアプローチは全て試した。けれど何も変化は無い。なら次はあの箱が置かれた場所や状況を調べてみるしかない。何か気付くようなことはあるかい?」 尋ねられ、ディアは形の良い顎に人指し指を置くと目線を天井へ向け、しばし熟考した後に口を開いた。 「そうね……。何もおかしなところはなかったと思うわ。入ってた机も変なところは無かったし……」 「どんな机だ?」 「十年前に亡くなったおじい様が愛用してた執務机でね。すっごくがっしりしてて立派なの。……ああ、そう言えば……」 何かを思い出したのか、ディアは記憶を探るように目を閉じ、眉間に人指し指を置きながら確認するように言葉を紡いでいく。 「……そうね。机には箱以外は何も入っていなかったわ。箱だけが一番上の棚にぽつんと入ってた」 「ふぅむ……ペンの一本もないくらい中身をきれいに処分したにも関わらず箱は残っていた。……いや『残した』か……?」 腕を組み、考えをまとめるように言うサザーラント。 「怪しいな」 「怪しいわね」 同じことを考えていたのか、サザーラントとディアの声が重なった。 「それで、ディア。いつならその机を見せてもらえるんだ?」 「いつでもいいわよ。なんなら今から来る?」 予定を尋ねたサザーラントはディアの気軽な言葉に目を丸くする。 「いいのかよ? お前、仕事で色々忙しいんだろ?」 「大丈夫よ。あたしが見なきゃいけないのはあらかた片付けてきたし。二日くらいなら自由がきくわ」 「なら早速。善は急げだ」 ディアの案内の元、三人は件の執務机がある倉庫へとやって来た。 彼女の家の敷地内にあるそれは倉庫というより蔵と表現した方が似つかわしい年季の入った建物だ。建て付けの悪い扉を軋ませ、甲高い音を響かせながらゆっくりと開けて中に入る。 「……こいつはすごいな」 サザーラントの口から感嘆の言葉がついて出る。林立する棚には記録書や古書、工芸品から武器や鎧と種々様々なものが並べられてあった。 「ぱっと見はたいしたものに見えるけど、ほとんどはガラクタみたいなものよ。先々代――ひいおじい様が気に入ったものを買ってきてはここに置いていっただけだしね。さあ、こっちよ」 ディアに先導された先は入り口のすぐ近くだった。 そこのあったのは黒檀で出来た堅牢な造りの執務机だ。無駄な装飾の一切無い、何年でも使用に耐えられる実務用品に特化した使いやすさを前面に押し出してあるというのに、取っ手から脚に至るまでの全てに匂い立つような上品さがある。ある意味においての矛盾を併せ持つそれは、名のある工芸職人の作だという事を否が応でも感じさせられた。 「たいしたもんでしょう。この春にあたしのオフィスが出来るんだけど、そこで使おうと思ってるの」 その下見を兼ねてこの机を見ていた時に銀色の箱を見つけたのだとディアは言った。 「それじゃ、早速見せてもらうよ」 「しっかりお願いね」 断りを入れ、了承を得るとサザーラントは机をぐるりと回りながら検分する。 広く薄い引出しが中央にあり、左右に三段の深い引き出しがあるという構造はよくある執務机と変わらない。何か仕掛けがあるかと思い、外装を間近で見てもそれらしい変色も継ぎ目も見当たらない。所々を指で軽く叩いてみたが、返ってくるのは密度の高い上等な黒檀であるという事実だけだった。 次いで、サザーラントは左側一番上の引き出しを開ける。中は当然のことながら空だ。すぐに戻して二段目を開ける。何も無いのを確認し、閉めると三段目へ。三段目にも何も入っていないと見ると閉め、最後に全部を開けっ放しにした。 どの引き出しも動きはスムーズで少しもガタつかない。恐ろしく緻密に作られている様に舌を巻き、製作者に会ってみたいなと思いながら引き出しを閉めて中央を開ける。予想通り何も無かったのでゆっくりと戻し、残された右の棚へと移る。 一番上の棚を開け、中が空なのを確かめた瞬間だ。――小さな違和感を覚えた。 「………………?」 怪訝な顔で引き出しを戻し、外から眺めてみる。おかしな部分も無ければ違和感もない。 試しに二段目の棚を開けてみた。不審なところは無い。三段目も同様だ。 もう一度、一番上を開けてみる。やはりどこかが変だった。騙し絵を見ているような、構図や人物配置を変えられた名画を見せられているような、そんな違和感。 「どうかしたの?」 引き出しを出したり仕舞ったり、左の物と見比べたりを繰り返すサザーラントにディアは見かねて声をかけた。 「この引き出しだけ頭の隅に引っ掛かるものがあるんだけど……それの正体が分からなくてな」 「そうなの? あたしには同じ様に見えるけど」 横合いから覗きながらディアは続ける。 「でもサジーが言うならきっと何かあるんでしょうね。そこに箱が入ってた訳だし」 「あ、やっぱり。どんな感じに入ってたんだ?」 「んー、そうね……。ちょっと箱貸して」 手を出してくるディアに、サザーラントは背負った愛用のリュックを降ろして側面のポケットから件の箱を出して手渡す。 「こんな風に割と無造作だったわよ」 引き出しの手前側、やや左よりに箱を置くディア。 その時、一瞬だけ弱く淡い虹色の光を箱が放ったのをサザーラントは見逃さなかった。 「当たりだ……!」 確信を込めて呟くサザーラント。次いでそのまま箱を持ち、引き出しの中を隈なく撫でるようにかざすが……箱にも引き出しにも机にも変化は何も起こらなかった。 しかし、これで何らかの仕掛けが施されているのは疑い様がなくなった。だが、それが何であるのか皆目見当がつかない。 「おじい様は何だってこんな面倒なものを残したのかしら。もっと分かりやすかったら楽なのに。もしくは派手に家全体に絡むようなギミックがあれば面白かったのに」 落胆しつつも憤慨する器用なディアにサザーラントは苦笑し、 「こんな大きな屋敷にからくりを仕込む改築となると手間がかかるだろうな。パズルみたいに家具を動かして秘密の入り口を開けたり、飾ってあるレリーフを像に嵌めると鍵が出てきたりとかな。そんでヒントとなるメモは図鑑の分厚い表紙の中に隠したり……て、そうか!」 夢見るような口調でプランを語っていたサザーラントは不意に大声をあげた。 「サ、サジー……?」 驚き、思わず一歩後ずさるディア。その肩をサザーラントは真剣な顔でがしりと掴んだ。瞬間、ディアは顔を赤くし、うろたえてしまう。 「な、なに!? こんな場所で……あ、あたしにも心の準備が……」 「分かったぞ、ディア! この机の秘密が!!」 「急にそんなこと言われ……え? 秘密?」 動揺のあまり何か勘違いした事を口走ってしまうディア。が、次の瞬間、彼女は思わずぽかんとした間抜けな顔で聞き返した。サザーラントは大きく頷き、 「こいつは二重底だよ。それもかなり巧妙なね」 言ってサザーラントは机に戻り、問題の引き出しを開ける。 「俺が感じていた違和感。それは『厚さ』だったんだ」 「厚さ……?」 意味が掴めないディアは不思議そうに鸚鵡返しする。 「そう。この引き出しだけ底が厚い。おそらく五シラ(約三ミリ)程度だ。それに加え、奥へいくに従って盛り上がってる。見事なもんだよ。引き出した時の角度に合わせて底が水平になるように計算されているんだから。もっとも、これだけがっしりした造りだからいっぱいまで開けないと角度も隙間も出来ないだろうけどね。で、その結果。手前の底板の下には少なくとも十五シラ(約九ミリ)くらいのスキマが出来てる。そして固定されてる板を外す解除スイッチは恐らくこの辺りに……」 言いながらサザーラントは取っ手のついた板の裏側を上から覗き込むように見ながら丁寧に指を這わせていく。 「これか……!」 あるかないかのわずかな引っ掛かりを感じた部分を押さえ、ゆっくりと上げる。 すると、ほんの少し――親指くらいの大きさの板が持ち上がった。 と、同時。何かの外れる音が小さく鳴った。 「ヒュ~……」 サザーラントは軽く口笛を吹いた。そして、底板へ手を添え、ゆっくりとスライドさせる。 音も無く底板は動いた。ただの板が半分程続いた後、ようやく空間が現れ、そして最後に出てきたのが―― 「指輪……」 サザーラントの横から固唾を飲んで見守っていたディアがその正体を口にする。 そこにあったのは銀の指輪だった。装飾も何も無い、質素そのものだが磨き込まれた輝きを放っている美しい指輪だ。 「どうしておじい様はこんなところに……?」 「大切なものだからか、単なる茶目っ気か。理由は俺には分からない。分かる事と言えば――こいつに関係してるってことぐらいだ」 苦笑気味にサザーラントが親指で示す先にあるのは、指輪と同じ様に輝く銀色の箱だ。 「………………」 ディアは無言で指輪を手に取ると、それをそのまま銀の箱へと近付ける。 瞬間、ふたつは震えるように共鳴し、鈴の鳴るような澄んだ音を響かせた。次いで、箱が虹色の光彩を放つ。 「こいつは……」 その光量にサザーラントは思わず呟き、息を飲む。 彼だけではない。当事者のディアも、エリナでさえも驚愕を顔に張り付け、言葉が出ない。 三人が見つめる中、箱からあふれる光はやがて上方へと集約し、結像した。 半透明の映像が映し出したのは、執務室を思わせる場所と一人の老人だ。 「おじい様……」 ディアの口から呟きがもれる。 柔和な笑顔に優しい眼差しでこちらを見つめているのは紛れも無く、十年前に亡くなったディアの祖父、デブラウディ・マルガリッタだった。 「そこにいるのはディアじゃな?」 空中に投影された映像の中からデブラウディは話しかけてくる。 「これを見ているのがワシの死後、どれくらい経っておるのか分からんがお前のことじゃ。元気にやっておるだろう」 そう言って、目を細めて笑うデブラウディ。 「もうすぐあちらに旅立つワシから最後の贈り物じゃ。指輪を嵌めて箱を持ちなさい。蓋を開ける合言葉はワシの好きな言葉じゃよ」 ニヤリとした笑みを残して映像は消えた。 「……おじい様はね」 ぽつりと、ディアは呟くように言葉を作る。 「若い頃に仕事で色々なところを巡ったらしくて、その時のことをよく聞かせてくれてたの。今にして思えば、かなり脚色して話してたんでしょうね。だって、いつも絶対ピンチに陥るんだもの。でも……あたしはその話が大好きだったわ」 苦笑をにじませながら、懐かしむようにディアは話し、続ける。 「それでね。その危機から脱出する時におじい様が決まって言うセリフがあるの」 ディアは手にした指輪を右手の人指し指に嵌める。サイズがぴったりだったことにさして疑問に思わず、そのまま箱を両手で包むように持ち上げる。 「『大いなる勇気といたずらめいた気転と共に』」 万感の思いを込めて、ディアはその言葉を放った。 ――のだが…… 「……何も起こらないぞ……?」 待てど暮らせど、何も起こりそうにないことを不審そうな顔で呟くサザーラント。 「そんな……おじい様の好きな言葉はこれのはず……何か言い方がいけないのかしら……?」 一番動揺しているディアは混乱しながらそんなことを言い、妙な節をつけたり、高い声や低い声で試したり、デブラウディの口調を真似たりしてみるのだが、箱はうんともすんとも言いはしない。 ディア本人はとんでもなく真剣で必死なのだが、その様は外から見ると酷く滑稽に映ってしまうのだから世の中はやりきれない。 サザーラントはディアの一人芝居をもう少し眺めていたかったが、さすがに可愛そうになってきたので堪らずに声をかけた。 「もっと別の言葉じゃないのか? それとも覚え違いをしてるとか」 至極真っ当なアドバイスであり、彼としては助け舟を出したつもりなのだが、笑いを噛み殺した状態ではまともに伝わるはずもなく、ディアは不機嫌そうな顔で言ってくる。 「そんなはずないわ。これを言う前におじい様は必ず言ってたもの。これはワシの好きな言葉じゃよって」 その時。カチリ、と何かが外れる音がした。 「え?」 「なんだ?」 「…………?」 ディア、サザーラント、エリナの視線が音の発生源へ――銀の箱へと集まる。 ディアの手の中で、箱は静かに展開していた。それはゆっくりと、蕾から花が咲くような、もしくはウサギが飛び跳ねるような不思議な生命感にあふれた動きだった。 中から現れたのはペンダントだ。広げられた翼の意匠が施された銀のもので、その中心には鮮やかなエメラルドが輝いている。 「……なんで開いたの?」 「俺に聞くなよ」 呆然と呟くディアに、サザーラントも不思議そうな顔で返す。 微妙な空気が場を支配し始めた時、再び箱から映像が映し出された。 中空に現れたデブラウディは笑いをかみ殺しながら拍手をしていた。 「おめでとう、ディア。これを見ているということは……ふふん。ディアも意地が悪く――いやいや、気転が利くようになったようじゃの? それとも逆に素直なままだったのかの?」 おかしくてたまらないという笑顔でデブラウディは言う。 「それじゃの、ディア。大いなる勇気といたずらめいた気転と共に。お前のこれからに幸多からんことを祈っておるよ。愛しい孫よ」 優しい笑顔を残して映像は消えた。 誰も言葉を発しない。それぞれがそれぞれに色々と思うところがあるのだろう。そして、それを破ったのは意外にもエリナだった。 「…………変なおじいさん」 そんな素直な感想に、サザーラントは苦笑する。 「そうだな。まったく人を食ったじいさんだ」 サザーラントは全てを理解した。きっと指輪を嵌めたディアが合言葉を言うことによってしか箱は開けられないのだろう。 それにしても……とサザーラントは思わずにはいられない。デブラウディは『いたずらめいた気転』と言ってはいるが、この仕掛けは意地悪以外の何物ではないのではないだろうか。 確かに彼は「合言葉はワシの好きな言葉じゃ」と言った。だが、このセリフを聞いて誰が『ワシの好きな言葉』そのものが合言葉だと思うだろう? 十中八九、思い出を遡り、口癖なりなんなりを考えるはずだ。 会った事は一度も無いが、何となくデブラウディ・マルガリッタの人となりが分かった気がした。 「まったくおじい様は……」 ディアは小さく呟くと軽く息をついた。 「行きましょう、サジー、エリっち」 そう言って、ディアはさっさと歩き出す。 サザーラントはやれやれと頭を掻くと、エリナと並んでディアの後に続いた。 箱の一件から数日経ったある日。元通りに散らかったリビングのソファーに座って技術書を読ながら紅茶を飲むサザーラント。そしてその隣ではエリナが小動物のようにクッキーをかじっている。 いつも通りの平穏でのんびりとした時間を過ごしていた時、不意に呼び鈴が鳴った。 何かの配達かと思って腰を上げたその時――それはリビングに現れた。 「ハァイ。サジー、エリっち。元気してる?」 「ディ、ディア!?」 予期しなかった人物の登場に、サザーラントの声が裏返る。 「あらあら、そんな奇声であたしを呼んでくれるなんて感激だわ」 目の笑っていない険悪な笑顔でディアは言い、リビングをぐるりと見回す。 「案の定ね。あれから四日しか経ってないのにこの有様。ある種の才能よね、ここまでくると」 額を押さえ、大袈裟に嘆息する。 「そ、それでディアさん……? 本日のご用向きは何でございますでしょうか……」 手を揉み、あからさまな下手に出るサザーラント。そんなサザーラントに、ディアは音がするくらいの勢いを持って人指し指を突きつけた。 「決まってるわ! あんたの生活改善プロジェクトを再発動させるのよ!」 「ええっ! そんな無茶な!?」 「何が無茶よ。サジーったら全然……ううん、前よりも酷くなってるんですもの。今度こそきっちり最後まで面倒を見てあげる。このペンダントに誓ってね」 首にかけた銀とエメラルドのペンダント示し、語尾にハートマークでも付いていそうな声音でウインクするディア。その笑顔は晴々として清々しく、とてもキュートで魅力的だった。 ――のだが、サザーラントはときめいて顔を赤くするどころか、その面を真っ青にしてしまう。 「いや、それはな、ディア――」 「問答無用にしてあんたに拒否権はありませーん」 堂々と宣言すると、ディアは踵を返して家の奥へと勝手に入っていく。 「おい!? だから待てって!」 慌てて追いかけるサザーラント。 そんな二人のやり取りをクッキーを黙々と食べながら見ていたエリナはゆっくりと腰を上げた。一瞬だけ、名残惜しそうにクッキーの入った皿を一瞥するが、すぐに二人の後を駆け足で追う。今日は騒がしい一日になりそうだ。 |
山城時雨 2023年04月30日 17時13分26秒 公開 ■この作品の著作権は 山城時雨 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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