兎の目 |
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■場面1 「ヤークよ、薪を運んでおきなさい」 叔父であり村長でもある初老の男の言葉にヤークは「はい」と応える。 ヤークは今年十六歳となったばかりだ。村では成人として扱われる年齢だが、栄養の行き渡っていない身体は幼子のように小さい。 非力なヤークに薪運びは重労働だが、居候として養われている以上、わがままは許されなかった。 物置小屋に積まれた薪を抱えると、屋敷の隅へと運び込む。 雪に覆われた村の春はまだ遠い。 空には厚い雲が立ち込め太陽を隠し、時折吹く、木々を揺らす風は得体の知れない化け物のうめき声のようである。 もっとも、本当に化け物がいたとしても、彼らに村を捨てるという選択肢はとれない。 この地の冬は生きるものたちに厳しい。 それでも今年はマシな方である。 秋に豊作だった村から、穀物を買い足すことができた。重い出費ではあったが、おかげで餓死者が出ずに済みそうである。 ――去年も買えればよかったのに…… そんな益体のない言葉が、小さな唇からこぼれた。 ヤークが口から白いものを吐き出しつつ薪を運んでいると、異変を感じ取った。 周囲を木の柵で囲んだ村の入り口から、ふたつの人影が入り込んでくる。 ひとつは見知った男だった。 男の名はハム。村長の息子で彼女の従兄妹にあたる。歳は二十四で、丸みを帯びてはいるが村の誰よりも大きな身体をしている。 ヤークはハムから好意らしきものを寄せられていることに薄々気づいてはいたが、小さな自分のに向けられるその視線をどうしても好きになれないでいる。 しかしヤークの意識を引きつけたのはハムではなく、もう一方の彼に白ずくめの麗人だった。 旅装としては珍しく白で統一されているが、清潔さを保たれた着衣には汚れひとつない。髪も肌も不自然なほど白いが、切れ長な目だけが赤く、なにより目を引いたのは兎(うさぎ)のように長い耳であった。 「エルフ?」 エルフは村の奥にあるという『神域』の守護者で、許可なく森の奥に踏み込んだ者を罰を与える存在だ。だが、村とエルフに交流どころか姿を見た者すらいない。伝聞が残っているだけだ。 なので村の若者たちは、エルフを幼子を森の深くに行かせないための寓話の類と思っていたのだが、しっかりと実在していたらしい。 知らせもなく寒村を来訪したにエルフに、ヤークは言いようのない不安を抱くのだった。 ■場面2 村長との面会を求めたエルフは、村長宅の一室へと迎え入れられた。 古びたテーブルを挟み村長と対面する。 ヤークは村長の指示に従い、温かい茶を入れ来訪者の前へと差し出した。 「私は旅のエルフです」 エルフとは種族名であり個体名ではない。ヤークは相手が名乗らないことを不審に思いながらも、口出しできる立場に自分はないと己を律する。 部屋の隅でなにか言いつけられるのを待ちながら、珍しい客人の姿を静かに観察するだけだ。 真っ白な髪に真っ白な肌。よく見れば頬に、薄い傷跡のようなものが発見できたが、それだけで顔立ちの流麗さは損なわれない。 長い髪の間から伸びた耳も白く、着衣は全て白で統一されている。 ――雪に紛れたら見つけられなそう。 そんな感想を持つヤークに、赤い目が向けられた。 不意の事態にヤークは動揺したが、その目はすぐに正面に座る村長へと戻される。 「今年の冬も厳しいね」 「ええ、冬の間は食うにも困る始末です」 エルフの言葉に村長は力ない表情で同意した。 他の村から穀物を買い付けたおかげで、今年の食糧事情は例年よりも余裕がある。しかし村長はそれを馬鹿正直に告げる気はないらしい。 ヤークは余計なことを口にしたりはせず、部屋の隅で音を立てずに交渉が終わるのを待つ。 「それは困ったな」 「どうかなさいましたか?」 困り顔を作るエルフに村長は水を向ける。 「今日、村を訪れたのは、食料を融通してもらえないか相談に来たんだ」 その告白に村長が目の奥で計算を始めたことにヤークは気づく。 買い付けで余裕ができた分をエルフに高値で売りつけるつもりなのだろう。 あるいはエルフが持つという、彼らの秘術が込められた魔法の品が目的かもしれない。それを一つでも手に入れれば莫大な利益を得ることとなる。 食料が減ればそれだけ冬を越すのが厳しくなる。ヤークに与えられる食事も一層貧相になるのは間違いない。だが大金が手に入るのなら、それで新たなに食料を買い付けることができる。来年の買い付けの資金にもなるし、ヤークにも歓迎すべき事柄である。 「余裕があるとは言えませんが、神域の守護者であるエルフ様たちがお困りなのです。なんとか融通しましょう」 その言葉に喜びかけるエルフに、村長は「ただ……」と付け足す。 「お困りのエルフ様たちを助けるとはいえ、食糧を放出すれば村人たちは不満に思うでしょう。それを納得させるためにもタダと言う訳にはいきません」 「貴重な食料を別けてもらうんだ。対価を支払うのは当然である。 しかし申し訳ないのだが、我々は通貨というものに疎い。物品交換となっても構わないか?」 狙い通りの展開に村長は欲望の炎を目の奥で燃え上がらせる。 しかし、その炎はエルフの差し出した『お守り』を見ると、その炎はあっさりと鎮火した。 「兎の首を落とし、頭蓋骨を抜いて薬湯で煮詰めたものだ。厄除けとして良く効くよ。とてもね」 笑顔のエルフがテーブルに転がしたものは、女の拳ほどの大きさの『干し首』だった。兎などではなく人間のものである。 それに気づいた瞬間、ヤークは己の立場も忘れ絶叫した。 「サイ!」 それは一年前に姿を消した幼なじみの名前だった。 ■場面3 ――一年前 サイの視線の先には兎がいた。 雪に紛れるような白い兎が、周囲を警戒しつつもエサを探している。彼はそれに気づかれぬよう静かに弓をつがえた。 兎の意識が彼とは反対方向に向けられると、矢が放たれる。 矢は一直線に雪上を駆け抜け、兎の白い身体に突き刺さった。 「これでヤークに美味いもんを食わせてやれるぞ」 サイは獲物を確保すると、まだ幼さの残る顔を緩ませ血抜きを始める。 途中、雪に埋もれた雪芋も見つけたし、これで彼女の食生活はだいぶ改善されるはずだ。 サイはヤークの幼馴染みである。 彼女よりふたつ年上で、去年成人している。 まだ駆け出しではあるが、多くの獲物を狩ることでベテランの猟師たちからも一目置かれていた。 両親を亡くしたヤークは、叔父である村長の家に引き取られたが、その待遇は良いとは言い難いものだ。 少なくとも成人前のサイの目にはそう写っていた。 村長も意地悪で冷遇しているわけではないのだが、力仕事のできない女の子。血縁者であっても自分の子ではないとなれば優先順位が落ちるのもやむを得ない。 サイにも状況は理解できるが、それでも歳の近い妹のような相手が置かれた環境は、若い狩人の心をささくれさせるには十分だった。 「そこで何をしている」 血抜きをしていたサイの心を、叱責の声が跳ねさせる。 振り返ればそこにエルフがいた。 絵画から抜け出したような麗人姿。男か女かはパッと見ではわからない。長い白髪の間からは村人とは異なる長い耳。そして彼を見つめる憎悪を宿した赤い瞳はエルフで間違いない。 エルフは構えた弓をサイに向けている。 そこのことに気づいたサイは表情を引きつらせた。 いま、彼がいるのは、エルフが神域として定めた場所であり、村では侵入を固く禁じている。 しかし、これまでエルフを見たことのなかったサイは、そんなものは年寄り連中の作った作り話であると決めつけ信じていなかった。 だが、こうして音もなく現れ、神々しい姿を見せつけられると、真の愚者が誰であったのかは明白である。 ――最悪だ。 ここで捕まればどんな目に合わされるかわからない。獲物を諦め逃げ出すサイであったが、その足はエルフの矢により射貫かれる。 うさぎの血で汚れた雪原に、新たな血の跡が広がった。 「まってくれ!」 サイは弓を捨て両手をあげ、降伏の意思を示す。 「おまえらの狩り場に入ったのは謝る。肉が欲しいならやるから許してくれ」 「そんなもので、許されるわけがないだろう。キサマは重罪を犯したのだ」 サイの嘆願にエルフは理解の色を示さない。それでも彼は願い続ける。己の為、帰りを待ってくれている者の為に。 「悪気があったわけじゃない。村がひどい不作だったんだ。それでヤークが……村の娘が飢え死にしそうで、それを助けたいんだ」 「たかが娘ひとりのために禁をやぶったのか」 幼馴染みを軽んじる発言に、サイは酷い苛立ちを覚えたが必死に堪える。 「雪芋もあるんだ。これもやるからな、頼む、見逃してくれ」 「貴様、病人用の芋畑まで荒らしたのか! いや、雪芋のことはいい。 それよりも問題なのは、貴様が我らが苦心して清浄を保っている空間に、消毒もせず侵入したことだ」 「だからそれは謝る」 「謝ったところでどうなる。 貴様が持ち込んだ細菌がこの場で繁殖したらどう責任をとるつもりだ。 ワクチンも打てぬ幼い子は病に倒れ、貴重な家畜を無駄に処分しなければならぬのだぞ。そうなればどれほどの被害がでることか……」 「細菌? ワクチン? なんだそれは。わかるように話してくれ」 村と狩り場のことしかしらぬ狩人に、怒るエルフの言葉は難し過ぎた。 そしてその質問は、彼の命運を尽きさせるものとなる。 エルフは先ほどまでの怒りも忘れ、彼に自分たちのルールを突きつけた。 「ここは神域、いかなる者の立ち入りも許さん」 そしてエルフは断罪の矢を放つ。 同時に、会話中に用意したナイフを投げるサイであったが、それはエルフの頬を薄くなぐだけであった……。 ■場面4 昨年、狩りに出たまま行方知れずとなったサイ。その変わり果てたすがたにヤークは絶叫する。 しかし、そんな彼女を放置したまま交渉は進められた。 村長はエルフからサイの干し首を押しつけられると、代わりに倉庫に貯蔵された穀物の半分を奪われる。 対等な交渉ならいざ知らず、禁を犯した代償を求められれば逆らいようがない。エルフが本気で食料を奪いにくれば、抗う戦力などありはしない。どれだけ無茶な要求であっても、村を存続させるには受け入れる他なかった。 エルフが去ったあと、村長は干し首を床に叩きつけ、鬼のような形相で踏みつける。 ヤークは身をもってサイを庇おうとするが、そのことが余計に村長を腹立たせた。 手にした杖が容赦なくヤクに振るわれる。 「元はと言えばキサマが! キサマがいなければ!」 サイがヤークと懇意にしていたのは村長も知っていた。いずれヤークを引き取らせようと考えていたほどだ。 だが、狩りに出たまま行方不明となったことで目論見は露と消えた。 しかも、獲物を狩れる若く優秀な狩人を失ったのだ。それだけでも損失は大きい。そして禁を犯し、そのことがエルフに咎められたことは村の存続すら危うくさせる。 サイが禁を犯し、神域に踏み入ったのは間違いなくヤークの為であろう。 村長は決して彼女を餓死させるような真似はしないと再三サイに言っていたのだが、それを彼は信じなかったのだ。 あまつさえ、村に食料をもたらすべき狩人が、食料を失う切っ掛けをつくるなど悪夢にも等しい。 大量の食料を奪われた以上、もう餓死者が出るのは避けられない。 かといって、森でエルフと争えば村は壊滅させられる。選択肢はない。 「我々はエルフとの契約により、神域の隣で生きることを許されたのだ。幼い頃から繰り返し教えてきたはずだ。 我々が村より外の連中を入れぬことで、彼の者たちの神域を守ると。長く流浪の旅を続けた先祖たちが、ここに居住を許されたのはそれをエルフと契約したからだ。それをよりにもよって我らが破るとは何事か!」 先代の村長から引き継いだものが失われるかもしれない。その怒りと哀しみが村長の目を充血させる。 ヤークは繰り返し振るわれる杖に耐えつつも、姿の変わり果てた幼なじみを守ることしかできなかった。 殴り疲れ、肩で息をするようになった村長を、息子であるハムがようやく止めに入る。 「親父、それ以上やったら死んじまう」 ハムは村長をなだめるように自室に追い返すと、ヤークの身を案じるフリをしてアザの出来た肌をなでた。 ヤークは自らに触れる手に吐き気を催したものの、必死に耐え「ありがとうございます」と礼を述べた。 彼女は自分の厚みのない身体に向けられる、ハムの濁った目がとても嫌っていた。それはいまも変わらない。 しかし、サイを失ったヤークはそれまで、決してとらなかった行動を選択した。 相手の下心を見透かした上で、哀れみを請うような声で問いかける。 「何故、あたしごときに優しくしてくれるのですか?」と。 そしてその答えを確認すると、自ら誘い、ハムと共に床に入る。 そして、憎悪に焼けた身で巨漢を受け入れると、村を滅ぼすための先兵として籠絡するのだった……。 |
HiroSAMA 2023年04月28日 00時17分01秒 公開 ■この作品の著作権は HiroSAMA さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2023年07月04日 21時24分03秒 | |||
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Re: | 2023年07月04日 21時11分08秒 | |||
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Re: | 2023年07月04日 21時10分17秒 | |||
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Re: | 2023年07月04日 21時09分17秒 | |||
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Re: | 2023年07月04日 21時08分39秒 | |||
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