彼が『力』(ナイフ)を振るうとき |
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◆プロローグ 棺に寝かされた少女は白かった。 傷のない肌も、長くたゆたう髪も、|少女《子ども》の身体をおおう手術着じみた服もすべて漂白されたように白い。 少女には呼吸することも鼓動することもなく、静けさに満ちた棺の中、孤独に夢を見続けていた。 そんな少女を、少年は沈黙だけを友に見下ろしている。 見とれるわけでなく、恐れるわけでもなく、ただ少女を、そこに付随された情報を観察している。 ややあって、少年は己の|手《・》を少女へと触れさせた。 白色の肌がわずかに体温を奪うが気にとめない。 そして|少女《ソレ》を形成する|部品《パーツ》のひとつを選ぶと無遠慮にはぎとる。 外された部品は、珈琲に沈む角砂糖のごとく溶け見えなくなった。 それを確認することもなく、少年は次の部品を選び、はぎとり、またも失わせる。 無慈悲に、ぞんざいに、人形でも|分解《バラ》すかのような手軽さで解体し続ける。 割れた砂時計からこぼれる砂のように、少女はただ淡々と失われていった……。 ◆ ◆ ◆ 01・ カーテンの隙間から入り込む夏の日差しが少年――|四季《しき》|運《めぐる》の主張の薄い顔をなでる。 運はまぶしそうに|陽光《それ》を遮ると、ベッドに横たわったまま己の指先に意識を向けた。 先ほどまで少女を分解していた指はごく普通のものだ。 人間の身体を分解してしまうような力など宿りなどしない。 それでもそこにはまだ、少女を分解したときの感触が残っているように思えた。 ――ただの夢。 そうであろうと思い、そうではないと思う。 相反するふたつの思考、そのどちらも運は否定しなかった。あるがまま受け入れる。 無垢な少女を解体する夢をみるなど普通ではない。常人ならば己の良識や精神状態を疑うだろう。 だが、まだ14歳になったばかりの彼は、どちらを疑うこともしなかった。ただ、自分はそういうものなのであるとあきらめ、受け入れていた。 まっしろなシーツの張られたベッドから身体を起こす。 彼に与えられた部屋は造りこそ古いが、磨かれたニスの色は木造の邸宅に深みを醸している。趣味の良い家具が備えつけられてはいるが、物自体は少ない。 いまどき、テレビやゲームどころか、雑誌の一冊もない男子中学生の部屋は珍しいだろう。 だがそれにはそれなりの理由がある。ゲームや流行への興味が薄いこともひとつだが、部屋が自分のものであるという認識が薄いのだ。故に進んで自分色に染めようという気にはなれない。 そもそもとして、己の四季運という名にも違和感を覚えている。 本当の自分は四季家の長男などではなく、なにかのなり損ないではないか。なにか深刻な理由があって、四季運の代役を担わされているのではないかと疑っているのだ。 自分が自分ではなく、誰かの代わりではないかという疑いについては友人に相談したことがある。 相談をもちかけられた友人は「それって|妄想《中二病》だろ」と失笑し、彼の悩みにたやすくケリをつけた。 運もその方が良いだろうと、己の持つ違和感について極力考えないようにしている。 ただ、こうして改めて自らの不自然さに直面すると意識せざるをえない。本当の自分はなんなのだろうかということを。 そういえば…… 「あれは誰だったんだ?」 「どの子のことです?」 虚空に問う言葉に返事がきた。 振り返ると、メイド服の女性がシーツを身体に巻き、そこに残る運の匂いと温もりを堪能しているところだった。 「おはよう、|彩《あや》」 「おはようございます、お兄様」 運は|返事の主《侵入者》が敵でないことに安堵すると、長身の妹を見上げる。 淡々とした挨拶を至高の菓子のように受け入れた彩は、満面の笑みで喜びを伝える。 四季彩は運のふたつ下の妹である。だがその風貌に小学生じみたものは欠片もなく、大人びた女性そのものだ。 実際、ふたりをみて兄妹と認識する者は希有である。血縁であることすら疑う者もいるくらいだ。 年齢よりも大人びてみえるのは、それが彼女の立場が特殊なせいだろうと運は解釈している。 「それで、どこのどなたですか? 私を差し置いてお兄様の夢に忍び込んだ不貞な輩は? 妹として……いえ、四季家の当主として確認の必要があると思うのですが」 口調は冗談のようだったが、目は夫の不貞を疑う妻のものである。 機微に疎い運は、彩は冗談が上手いなと感心しつつ「わからないよ」と首を傾げてみせた。 その言葉にウソはない。 夢でみただけの相手だ。 運の記憶はあまりよくないが、あんなにも|特徴的な《白い》少女をみればそうそう忘れたりはしないだろう。 ――きっと妄想の類だ。 運はそう結論づけると、寝間着を脱いで身支度をはじめる。 成長過程の肉体はまだ細く少女のようだ。 その内に秘められた骨格は男らしさを目指しているが、完成にはまだまだ時間がかかるだろう。 「あんまりジロジロみないでくれ」 運は自分の身体に視線をまとわりつかせる妹にそう頼むが、彩は「良いではありませんか、兄妹なのですから」と取り合おうとはしない。 それどころか着替えを手伝うとすり寄ると、頻繁に触れてくる。 「普通の兄妹はこんなことをしないんじゃないか」 「そうですね、普通の兄妹は私たちほど仲良くはないでしょうねだから彩とお兄様は『特別』なのです」 「『特別』か」 運はその言葉が好きではなかったが、誇らしげな彩を否定するようなことはしない。 「どうかなさりましたか?」 「いや、そろそろ時間だ」 四季家は市街から離れた山中に屋敷を構えている。徒歩で通えない距離ではないが、中学生が毎日通うにはたやすい道のりではない。 そして利用者の限られたバスは当然のように本数が少ないのだ。それを確実に捕らえるためには、通学時間を早める必要がある。 荷物を揃えた運は屋敷から庭を横切り、彩はそれに付き添う。 「そういえばさ」 足を止めた運がシックなメイド服を着込んだ妹を振り返る。 「なんにございます?」 「彩は当主なのに、どうしてメイドみたいなことしてるの?」 首をかしげ問いかける。 「それが|真理《正解》だからです」 最上級の笑顔で出された解答は、中学二年生の少年には難解すぎた。 ただ解釈できないことは意識の外へ霧散させる術を覚えている。曖昧な微笑を浮かべ、この件もそうすることとした。 「あまり遅くならないようにしてくださいね。最近は物騒な事件も多いですから」 その旨を了解したことを伝えると、運はひとり屋敷の門をくぐりでた。 第1話◆出会い 紅い女 red woman 02・ 放課後の図書室にいる生徒は運が予想したよりもずっと少なかった。 それはテスト期間が明けたばかりということもあるし、夏休み前に浮き足だった学生たちの興味が他に移っているせいもある。 それともうひとつ、最近、|環市《たまきし》では行方不明者が続出しているという。明確な被害者数は不明だが、それを不安に思った保護者たちの声が生徒に早い下校をうながしているのだ。 そんな中、好んで図書室に集まった彼らは図書委員である。 本日は以前から決まっていた書庫整理の日であり、その日程に変更はなかった。 「人、少ないね」 となりで作業する小柄な少女――|奈津杉《なつすぎ》|陽菜《あきな》が小さく呟く。 太い黒縁の眼鏡をかけた少女は、となりのクラスで、運と一緒に作業をすることが多い。 小さな呟きを拾い上げた運は「時間がかかりそうだ」と、同量程度の声音で懸念を返す。 にもかかわらず陽菜は「うん」と楽しげに同意した。 長期休暇前の書庫整理といい、クラス毎に持ち回りをしているカウンター当番といい、意外と図書委員は多忙である。 ただでさえ今回は自主的に不参加を決めた者たちが多い。その分、真面目な者たちにしわ寄せがきているのだが彼女は気にならないようだ。 ――よほど本が好きなんだな。 本の良さがわからぬ彼にとって、その嗜好は変わったものに思えたが、それを正面から指摘するほど世間知らずでもなかった。 運と陽菜は並んで本の整理と蔵書の確認を進めていく。 成長の遅れ気味な運の背は、同じ年頃の女子に混ざっても低めだ。対して陽菜は学年でも有数の低身長女子である。 背の低い者同士でコンビを組んでは効率が悪いのではと懸念する運だったが、それを表だって指摘すると彼女と仕事をするのを嫌っているようである。 それに人見知りをしがちな陽菜にとって、口数が少なく低身長な運は警戒度が低いのだろう。 そう思うとあまり粗略に扱うこともできなかった。 「おーい、お茶にしよう」 勤勉に働くふたりに、先輩図書委員が声をかける。少人数での作業に終わりはまだみえないが、休憩がてらに状況の確認をしたいということだった。 「それにしても」 「なんです?」 ふたりに意味ありげな視線を向ける先輩に運はたずねる。 「キミらはラブラブだね」 効率が悪いと思われた運と陽菜のコンビだったが、他のグループよりも成果をあげられていたらしい。 そのことを面白おかしく揶揄されたようだ。 そんなたわいのない冗談に陽菜は「そんなことないです!」と過剰に謙遜してみせた。 過剰な反応の理由は運にだけ察せられることはなかった。 ふたりが司書室に足を踏み入れると、まちまちのカップに注がれた珈琲がインスタントな香りを漂わせていた。 「珈琲ですか」 お茶と言われたので緑茶か紅茶が出てくると思っていたので予想外だったと告げる。 そのことに先輩は仕事の合間に入れる中休みのことを『お茶』というのだと教示した。 「砂糖はいくつかな?」 「いえ、俺は」 運はブラックを要求する。苦いものを好んでいるわけでも、ブラックに対する憧れをもっているわけでもない。ただ、珈琲を甘くするには大量の砂糖が必要となる。そうすると珈琲を飲んでいるのか、砂糖を飲んでいるのか分からなくなりそうなのでブラックなのだ。そこに深い意味はない。 「こちらもどうぞ」 先輩委員が司書が秘蔵していたクッキー缶をみつけてきたらしい。「賞味期限間近だからこれも処分してしまおう」と提案される。参加した真面目な図書委員たちは進んでその提案に賛同した。 「あれ、空かないな、コレ……」 どうやら缶が歪んで開かなくなっているらしい。賞味期限ギリギリまで放置されていたのはそのせいのようだ。 力自慢の運動部が上腕を膨らませてもビクともしない。 「俺、やりますよ」 運はクッキーの缶を受け取ると立方体パズルの面を確認するように回した。 「壊しちゃってもいいですよね」 「やってしまえ。腐らせるよりマシだ」 許可を受けると、運は|手《・》を添え、クッキーのフタを破壊した。 周囲から歓声があがり、図書委員らがクッキーにむらがり、運の戦果を褒め称えた。 「これ、どうやったの?」 陽菜だけはクッキーに興味を示さず、壊された缶を不思議そうに見つめていた。 「さぁ、よくわからないんだ」 運はそう説明する。彼は物を壊すことが得意だ。特技というほど役に立ったことはない。何故ならば壊すだけ壊してもとにもどせないからである。故にみなから賞賛されても、それを嬉しいとは考えていなかった。 「四季くんは、夏休みとか、その……どうする?」 |分け前《クッキー》を口に運びながら、自然さを意識した陽菜が問う。 「家にいる。妹と」 「妹さんいるんだ。どんな子?」 「俺より背が高くて大人びてる」 好んでメイド服を着用していることを話すのは、奇異に思われるのを知っているので伏せておく。 「へぇー、美人なんだ」 「どうだろう」 大人びていることと美人であることの関連性はわからなかったが、彩の容姿を運が好ましく思っているのは間違いない。 だが、おなじ家に住むふたりではあるが、一緒に誰かに会うことは稀である。だから彼女の容姿が周囲からどう評価されているのかは知らなかった。 「四季くんの妹さんか、会ってみたい、かも」 わざわざ彼に会うために、市外の屋敷まで足を運びたがる物好きはいない。その言葉は社交辞令だろうと判断するが、それでも「そうだね」と返した。 陽菜はそれを色よい返事と解釈すると「楽しみにしてる」と伝えた。 そして少女にとって乾坤一擲の言葉を繰り出す。 「あっ、LINE交換しない?」 極力自然さを装おうとした陽菜であったが、声が少しうわずった。 連絡先を交換しなければ、夏休みに彼との接点を持つことはない。いま勇気を振り絞らなければ、ずっと会えないことになる。 陽菜の中で恋心はいまだ確定してはいなかったが、だが素敵な恋物語に憧れる乙女心は彼女に勇気を与えた。 だがしかし、問うの運の反応はかんばしくなかった。そのことに焦りをおぼえた陽菜は必死に必要性を強調する。 「ほっ、ほら、遊びにいくのに不便じゃない?」 奥手な彼女からは考えられぬほどの頑張りである。 四季運は他の男子たちとちがい、彼女に意地悪を言うような相手ではないと信じて。 されどその思いは裏切られることとなる。 運は「ごめん」とこともなげなく口にする。わずかながらに申し訳なさが含まれていたのだが、衝撃に打ちのめされた少女にはそれを感知できない。 自己評価が低いが故、断られることを想定していないでもなかった。 されど実際に拒否されることは想像した以上のダメージを彼女に与えていた。 「そっ、そうだね。ごめんね、変なこと言っちゃって……」 「別に変なことは言ってない。ただ俺……」 相手の勘違いをようやく察知すると、運は困ったようにそれを解く言葉をつむぐ。 「携帯持ってないんだ」 03・ 「遅かったか」 去りゆくバスを見送りつつ運は嘆息する。 休憩後、何故か陽菜のペースが乱れ、書庫整理の終了時間はすっかり遅くなってしまった。それにより彼は本数の少ないバスを逃してしまう。 公衆電話を使い、彩に連絡を入れれば迎えを出してくれるだろう。だが日頃から当主として奔走する妹に、負担を課すのは心苦しい。 中学生の足にはいささか遠いが、それでも徒歩で帰れない距離でもない。 「たまには運動するか」 運は通学鞄を背負い直すと、ひとり薄暗い市街を歩きだした。 帰宅途中、運のまえにふたつの選択肢が生まれる。 ひとつは安全だが遠回りな道。 もうひとつは近道ではあるが安全面に不安のある道。 普段は夜の歓楽街に近寄ることなどない。されどあまり遅くなっては彩を心配させることとなる。 多忙な妹に心配をかけまいと、彼は歓楽街を横切る近道を選択した。 華やかな電飾は輝いていたものの、繁華街には|人気《ひとけ》がなかった。 最近、環市では行方不明者が続出しているという。 被害届が出ているだけでも相当な数なので、本当はもっと多くの人間が姿を消しているのではないかといいう噂がまことしやかに囁かれるほどに。 だが、それをさっ引いても、不自然なほど人が居ない。 派手に飾り付けられた電飾が赤い光をチカチカと点灯させているのに、それをみるものが誰ひとりとしていないのだ。 まるでソックリに作られた別空間に迷い込んだかのようである。 ――神隠し 脳裏にそんな言葉が浮かんだ。 現代社会においてもなお、環市にはそういったオカルトめいた話があたりまえのように闊歩している。 自分もそのひとつに巻き込まれたのではないだろうか。 そんな懸念を抱いていると、視界に動くものが入った。 女だ。おそらく夜の商売に従事しているのだろう大人の女。大胆に背中を開けたドレスで往来を闊歩している。 だが、運が気にしたのは酔っ払いのように左右にゆれるその歩き方だった。 「大丈夫、ですか?」 運はいぶかしげに思いながらも声をかける。 それに対する女の返事は物騒なものだった。 乱暴に振られた拳が運に襲いかかる。 腕の軌道から身体をそらすと、直ぐ近くの電灯が身代わりとなった。金属で作られたおしゃれな電灯が、飴細工のようにひしゃげている。 「これは……」 いま彼の目前にいる女こそが、連続行方不明者事件の犯人なのではないかと疑う。 だがすぐにそうではないだろうと思い至った。 事件は明瞭化されていない。 犯人どころか手がかりすらみつかっていないのだ。 こんな粗雑な立ち振る舞いをする暴漢を野放しにするほど、警察という組織は無能ではあるまい。 ――無関係でもなさそうだけど……。 派手な化粧と衣装だが、顔色は悪く目つきもどこか虚ろだ。 されど目的はブレず、誘蛾灯に群がる虫のように襲いかかってくる。 運はタイミングをはかり、攻撃の軌道上から身体を外していく。膂力こそ化け物じみているが、動きは単調でかわし続けるのはそう難しくはなかった。 だが女に諦める意思はなさそうだ。いつまでもこうしているわけにもいかない。 次第に運の呼吸が乱れだす。 運動は苦手ではないが、すでに学校からかなりの距離を歩いているし、その前は書庫整理をしていた。 大人と子どもの体力差もあり、体力が尽きるのは運が先となるだろう。 夜間とはいえ、往来での襲撃である。いずれ助けが現れるだろうと思ったが、誰ひとりとして現れる気配はない。 ――どうする? いつまでもこのままでいる訳にはいかない。だが、対応する手段も限られている。 そんな彼の前で、不意に女が動きをとめた。 なにかに別のものに気をとられたようである。 ようやく援軍が現れたのかと思ったらそうではなかった。 そこには白猫が驚愕の表情で動きをとめていた。 女の狙いが突然代わる。 捕まえられない運よりも、白猫のほうが獲物として魅力的に思えたのか彼に背を向けて走り出した。 身体がすくんだのか、車を前にしたように猫は動かない。 その時、ドレスからさらされた首筋に血をにじませたふたつの傷跡を察知した。 ――吸血跡《きゅうけつこん》。 運は、それをそうだと認識するよりも先に、女が猫にたどりつくよりも先に、新たな犠牲者が生まれるよりも先に、己の|手《・》をふるっていた。 運から伸びた手は女の核となるものを貫く。 核を砕かれた女は、|現世《うつしよ》からの退場を強制される。 女の形をしていたソレは、珈琲に沈めた角砂糖のように、闇に溶け失われた。 その様子は心臓に杭を打ち込まれ灰となる|吸血鬼《ヴァンパイヤ》のようでもあった。 04・ 運を襲った女が夜の大気へと溶け消えた。 あとにはなにも残らない。 あたかも夢であるがごとく……。 その様子をみつめていた運は「あっ」と声を漏らした。 殺人とは社会を形成する人間たちにとっての最大の禁忌である。 人間社会で平穏に暮らすのであれば、その一線を越えては決してならない。 なのに彼は、襲われたとはいえ女を破壊し消滅させてしまったのである。 正確にいえば、殺人とはちがうのだが、他者にその判別はできないだろう。 運は不味いことをしてしまったと反省をする。 だが死体はない。騒ぎになっていないことを思えば目撃者もいない。 となれば、彼の殺人を立証する者もいないということだ。 人としてその判断に問題があることには気づいていたが、彩に不要な心配をかけるよりはマシではないだろうか。 「その判断はダメだろ。人として……」 己はただの一般人であると言い聞かせる。ならば自首するべきだろうかと考えるが、己が罪を犯したという証拠もまたない。 「へー、やるじゃない」 悩む運の背後から声がした。 振り返るとそっこには赤い髪の女が立っていた。 歳の頃は20前後といったところだろう。もっとも中学生からみれば、自分より年上の相手はまとめて大人という雑なくくりになる。 「猫?」 「誰がよ」 てっきりさきほど助けた白猫が恩返しに化けたのかと思ったが、そうではないらしい。 だが、状況から察するに彼女は一連のやりとりを目撃していたこととなる。 「おー、こわ、目撃者は排除するのかしら?」 女はおちゃらけて言ってみせる。 運としてはそんな気はないつもりだったが、無意識のうちに手に力が入っていた。 「すまない、混乱していた」 「混乱してまず口封じとか怖いわね。そもそも落ち着いてるようにみえるんだけど?」 「普段からこうなんだ。周囲から何を考えてるのかわからないってよく笑われる」 その答えを女は「ふ~ん、まっ、いいけど」とどこか楽しげに流す。 「でもやるじゃない。|食人鬼《グール》を倒すなんて、どうやったの?」 「グール?」 耳覚えのある言葉だが、その意味はすぐに思い出せなかった。 「|吸血鬼《ヴァンパイヤ》被害者ね。聞いたことない? 吸血鬼に生き血を吸われた者は吸血鬼になるって」 有名な伝承である。実際運は、女の首筋にそれを思わせる傷跡を見つけていた。 「でも、みんながみんな吸血鬼になるってわけじゃないの。条件や適正があってね。それに合わない連中は正気を失って、死肉を求めるだけの食人鬼になり果ててしまうの」 「死肉?」 文字通り死者の肉という意味だろう。しかし運は生者である。すくなくとも本人はそう信じている。 「生きてても、殺しちゃえば一緒ってことでしょ」 赤髪の女はぞんざいに言ってのけた。 「それよりこっちの質問にも答えなさい」 「質問?」 とぼけてみせる運に視線を合わせると、女はもういちど質問内容を口にする。 「どうやってアレを倒したの? 一部始終、みせてもらったけど、このあたしがまるっきりわからなかったわ」 「それは……」 運の|手《・》は彼本人以外に見ることができない。すくなくとも、これまでに彼の操る|手《・》がみえたという人間と出会ったことがない。 故に黙秘することは可能だった。 だが運に、己にそういう能力があることを正直に話した。物を壊すことしかできない不毛な力をもっていて、それを利用したと。 そのことは誰にも話しては行けないと彩から注意されている。 それをどうして守らなかったのかと疑問に思う。それも初めて会う相手にだ。 ――初めて? 生じた疑問は、記憶を刺激するきっかけとなった。 色合いも歳の頃もちがうが、眼前に現れた女が彼の夢に出てきた白色の少女によく似ている。 「あんた、いったい何者だ?」 「私? 私はノクト」 赤髪の女は気負いもなく答えてみせる。 そして己の指を口にひっかけると、その内に潜んだ牙をさらしてみせた。 「|吸血鬼よ《ふぁんふぁひはひょ》」 第2話◆動く死体 zombie 05・ 「ノクト?」 見た目の既視感とは裏腹に、その名が|運《めぐる》の記憶に与える刺激はなかった。 彼の記憶には曖昧な部分が多く当てにならないが、|相手《ノクト》の反応からしてもやはり初対面なのだろう。そう判断する。 「ここには人探しに来たの。なんだか面白いとこみたいだしね」 そう言って運との距離を一歩詰めると、その瞳をのぞき込む。 数瞬みつめあうこととなるが、ノクトは不機嫌そうにそれを逸らす。 「ノクトは|吸血鬼《ヴァンパイヤ》を探してるの?」 「どうしてそう思うの? 私が吸血鬼を探してるって」 ノクトは笑みを作ると質問の理由を問う。 「|食人鬼《グール》というのは吸血鬼のなりそこないなんだろ? だったら、それを作った相手はちゃんとした吸血鬼でそいつを探してるんじゃないかなって」 運の推理に「良い勘してるわね」と微笑を浮かべ肯定する。 「そう、探してるのは吸血鬼。そうだキミ、手伝ってくれない?」 「いいよ」 「そっか、ダメか~、残念だな~。でもこのまま放っておくと、キミの知り合いも巻き込まれちゃうかもよ」 「『いい』と答えたんだけど?」 「えっ、いいの? 吸血鬼探しよ?」 ノクトは驚いた視線を向ける。 「学校に行っている間はダメだけど、休みの日か放課後なら手伝えると思う」 「危ない目に遭うかもよ。それでも?」 「彩から……妹から『困った人を見かけたらなるべく助けるように』と言われてるからな」 「デキた妹さんね」 「俺には過ぎた妹だ」 それは正直な感想だった。 「でもいいのかしら?」 「なにが?」 「私は人じゃなくて|吸血鬼よ《ふぁんふぁひはひょ》」 指を口にひっかけ、もういちど牙をさらす。 「実はさっきのも、私の狂言かもって疑わないの?」 食人鬼と遭遇した直後に現れ、自らを吸血鬼だというノクトは確かに怪しい。 だが、不思議と運は彼女を疑ってはいなかった。 「そんなことか」 運は彼女に近寄るとかかとをあげ、露出した首元に鼻を近づける。その際、近づきすぎ|大きな胸《脂肪のかたまり》が身体に触れるが気にもとめない。 そしてスッと鼻孔に彼女の香りを含ませると、赤面するノクトにかまわず「やっぱり」と呟く。 「なっ、なによ」 「あんたからは血の臭いがしない」 故にグールを作ったのは彼女ではないと告げる。 その言葉にノクトは「やっぱり変なヤツ」と判断をくだした。 「あっ、そうだ」 急に声をあげた運にノクトは「どうしたの?」とたずねる。 「あまり遅くなると妹が心配する。悪いが吸血鬼探しは明日からでいいか?」 食人鬼に襲われても、吸血鬼と対面しても平静を崩さなかった少年が、些細なことで取り乱す姿はノクトにとって面白かった。 運の要求を受け入れると、別れを告げるが聞き忘れたことがあると呼び止める。 「そういえば、キミ、名前は?」 「|四季《しき》運」 「それじゃメグル、明日からよろしくね」 帰路を急ぐ運の背にノクトは楽しげに声をかけた。 06・ 「昨晩はお楽しみだったようですね」 自室のベッドで目覚めた運に、彩がそんな言葉をかけた。 ナース服を着用した彩はどことなく不機嫌である。 昨晩遅くに帰宅した際、図書委員の活動で遅くなり、バスを逃したことは伝えたハズだ。だが、現在の様子をみる限り、納得していないようである。 目覚めが遅くなった分、支度を急ぎたいのだが彩は納得してはくれない。 ベッドから起き上がろうとすると身体に痛みが走る。 「大丈夫ですか?」 「運動不足が祟ったみたいだ」 食人鬼に襲われて負った怪我はないが、全力で身体を動かしたことや、自宅まで走ったことはこれまで味わったことがないレベルの筋肉痛が生じている。 「今日はお休みになられては?」 「たかが筋肉痛くらいで」 「たかが学校に無理してまでいくことはないですよ。義務教育に落第はありませんし、いざとなったら彩がお兄様を養ってあげます」 亡き父から家業を継いだ優秀な妹ならばそのくらい簡単だろう。ならばこそ、それに甘えるような真似をしてはいけないと自らを運は己を戒める。 「なるべくそうならないように努力したいんだ」 痛みの走る筋肉を刺激しないように起き上がると、着替えを始める。 自分を頼ろうとしない兄に彩は不満そうだ。 「そもそも走っただけで、上半身まで筋肉痛にはならないでしょう。なにをそんなに頑張られたのです?」 着替えをはじめた運のか細い身体に、彩の指先が滑る。かすかに見せる|反応《いたみ》に眉間のシワも解けていく。 「彩、それ痛いから」 「答えてはくれないのですね」 食人鬼に襲われ、それを撃退したなどといっても心配をかけるだけだろう。さらには吸血鬼から吸血鬼探しを頼まれたなどと言えるわけもない。 「ところでお兄様」 着替えを終えた運を名残惜しそうに見ながら彩が問いかける。 「ん?」 「昨日、山へ入られましたか?」 環市は高い山脈に囲われている。山中に開けられたトンネルから物資の搬入が行われるが、車やバイクを持たぬ運がおいそれと行けるような場所ではない。それをわざわざ確認したということは山でなにかあったのだろうか。 「言ったろ、図書委員で書庫整理に駆り出されてたって。山でなにかあったの?」 「行っていないのなら、それでいいんです」 それだけの確認だった。 着替えを終えた運は荷物に手を伸ばす。バスの到着時間まで余裕がない。いまの体調で徒歩通学になるのはさすがに避けたかった。 「朝食はできていますよ」 「悪いが遅れそうだから」 準備をしてくれた妹にわびる。 「一本送らせてはどうです? 疲れが残っているのでしょう?」 表情がそれだけ長く居られると言っている。 「まだ間に合うから」 「無理を通してまで学校になどいく意味などないのですよ? お兄様の健康のほうがよっぽど重要です」 「そんなわけにもいかないさ」 学校に通う。誰でもできるというソレをしっかりとこなせるようになっていたいと運は願っている。 「そうだ、友人に頼まれて捜し物を手伝うことになった。放課後寄り道をすることになるから、帰りは遅くなるかも」 「その友人とは女性の方ですか?」 「そうだが、ダメか?」 「……いえ。ただ最近は物騒なので、あまり遅くはならないようにしてください」 顔をしかめながらも、禁止はしなかった。 「それと、山には行かないでくださいね」 「どうして?」 「獣と出会ったりしたら危ないじゃないですか」 確かにその通りである。自然豊かな環市周辺には野生動物が何種類も生息している。不意に遭遇して興奮させてしまえば、互いに不利益をこうむることになるだろう。 だが、運はその警告を素直に受け取りはしなかった。 普段注意しないようなことを、なぜ|吸血鬼《ノクト》と出会った翌日に口にしたのか。そこに因果関係があるように思えた。 おそらくは彩も運に言えないことがあるのだろう。それがなんなのか詮索するつもりはない。 ただ、自分だけが一方的に隠し事をしているわけではないというのは、彼の負担を少しだけ軽くしてくれた。 「それとあとひとつ」 「なんだ?」 「不純異性交遊はダメですよ?」 運は「そういう相手じゃない」と告げると、通学鞄をかかえて屋敷の門をくぐり抜けるのだった。 07・ 学生食堂の広い部屋に並べられた長テーブルと椅子。そこを利用する学生はまだまばらだった。 運の通う豊穣学園では給食がない代わり、安価に使える食堂が用意されている。生徒たちは弁当を持参するか学食で食べるか選ぶことができる。教室で食べるのもここで食べるのも、規則さえ遵守すれば自由である。 通学中、コンビニでパンを購入した運だったが、彼に蓄積された疲労はその程度のカロリーでは解消されなかった。 そのため、早めに訪れた学食で定食を食べることにしたのだ。 A定食を受け取った運は部屋の隅へ移動するとテレビの前を陣取った。 食堂にテレビが配置されているのは『もう中学生なのだから、ニュースくらいは意識するように』という学校側の配慮だ。だが、当たり前のようにスマホをたずさえた生徒たちはテレビには目もくれず、手元の端末で自分好みの情報だけを読み漁っている。 スマホを持たない運は定食に箸を向けつつも、それとなくニュースに耳を傾けた。 昨晩の事件についてはやはり触れられてはいない。死体が残っていないのだから当然ではある。 だが、あのような事例が他にも起こっているなら、なんらかの情報が伝聞するものではないだろうか。そう考えたのである。 「また|定食Aセット《Aてい》かよ」 背後から蔑んだような言葉を投げかけたのは悪友の|金貝《かねがい》|葉夏《はなつ》であった。 葉夏はとなりのクラスである。一年の頃は一緒にツルむこともあったが、クラスが別々になるとこうしてたまに顔を合わせる程度だ。 「今日は大盛りだよ」 「ライスが増えただけじゃないか」 言いながらも隣に座る葉夏のメニューはA定食よりも100円高いB定食だった。彼の注文も定番であるがそれを指摘しても、軽口が増えるだけなので無闇に藪をつつこうとはしない。 「そういえばさ、最近へんな噂ながれてない?」 「おまえのか? 今更だろ」 たずねる運の言葉に葉夏が笑ってみせる。 「そうじゃなくて、行方不明者ってヤツ」 「珍しいな、オマエがそんなこと聞いてくるなんて」 言いつつも、自分の知っている話を教えてくれる。 「別にたいした話じゃないさ。思春期の|学生《ガキ》が行方不明になるなんて。そりゃ、|環市《このあたり》にゃ、妖怪話とかは多いけどさ。どれもジジババが子どもを躾けるための作り話だよ」 そう切って捨て「むしろ化け物なんか出たら村おこしにちょうどいいくらいだ」と笑う。 昨日までの運なら、葉夏の意見を受け入れていただろう。 だが、すでに食人鬼と遭遇したあとである。人ならざるものを認知した以上、迎合する気にはなれない。 「そういえば、化け物じゃないけどドッペルゲンガーならみたな。綺麗なねーちゃんの」 目を引く美人を見かけ、声をかけるまえにいなくなったらしい。 その直後に別の格好をしたおなじ顔の人物を見たということだった。「単なる双子だったんだろうけどさ」と、笑う彼の中では結論がでているようだ。 そんなことを話していると、葉夏は立ち上がり「水とってくる」とその場を離れていった。 「あら、美味しそうなもの食べてるじゃない」 入れ違いに現れた女性はサラダに添えられたトマトを断りもなくつまむと、牙を秘めた口元へと運ぶ。 そこに現れたのは昨晩出会ったノクトである。 自称吸血鬼と昼の学校で出会い、運は目をまたたかせる。 「どうしてここに?」 「言ったでしょ|吸血鬼探し《ヴァンパイヤハンティング》。なんか妙な気配があると思って来たんだけど、アンタだったのね、運」 「吸血鬼って太陽を嫌うんじゃないの?」 「そういう連中もいるけど、私はそうじゃないってだけの話よ。ニンニクは臭い嫌いだし、金属はアレルギーが出るから身につけないけどね」 吸血鬼と言ってもいろいろあるのだという。 「人間だっていろいろでしょ。吸血鬼と聞いて怖がるのもいれば、なんだかわかってないって顔してるのもいるじゃない」 ノクトの言葉にいまひとつ納得仕切れない運。その鼻をつつくノクトは「あんたのことよ」と指摘する。 「ところで、なにかわかった?」 「ごめん、昨日はすぐ寝たから」 「まぁ、地道に探すしかないわよね」 それだけ確認すると、ノクトは席を立つ。その背に運は声をかけた。 「今日は、どうするつもりなんだ?」 「探すわよ。このあたりって以外、あてはないから適当にだけど」 それに追いすがるように運は声をかけた。 「放課後になったら合流する」 「いいわよ。あんたが、あたしを見つけられたらね」 それだけ言い残すと、昼間の吸血鬼は人の増え出した食堂から姿を消した。 それとともに、人間の織りなす喧騒があたりに溢れだしたように思えた。 「合流ってなんの話だ?」 手に水を汲んだコップふたつをもった葉夏が不思議そうに問いかける。 そこでようやく運は疑問をもつ。 制服の学生だらけの場所で、どうしてノクトのような部外者が注目されずに済んだのだろうかと。 08・ 「……ホントにみつけたのね」 運がノクトをみつけたのは人間で満ちた珈琲ショップでだった。 クリームのたっぷりのったパンケーキを前に、驚いた顔をみせている。 異能を持つとはいえ能力は破壊することのみ。中学生でしかない運がこうも簡単に自分を発見するとはノクトは考えていなかったのだ。 やはり彼にはなにかあるのだと確信するが、それは考えすぎであると運は告げる。 「そりゃみつけるさ。これだけ不自然なら」 周囲はパンケーキ目当ての人間たちで混み合っている。にも関わらず、台風の目のように彼女の周囲だけ人が避けているのだ。嫌でも目につく。 「普通の人間は、そのこと込みで気づかないだけどね」 「昼間もやってたよね、どうやるの?」 素朴な疑問の答えは「わかんない」だった。 「あんただって、自分でわかってやってるわけじゃないでしょ」 「なにを?」 「いろいろ。例えば、自分が目でなにか見てるとき、なにをどうつかってるか説明できる?」 確かに見たいものに視線を向けはするが、それをどう動かしているのかは意識していない。 あるいは専門家ならば相応の言葉で説明するのかもしれないが、普通の人間には無理である。 彼女が誰にも注目されずに移動したり、人間を避けさせるのも本人としてはやり方はわかっていても、理屈としては認識できないのだろう。 「ところでなんでパンケーキ?」 「ちょっと気になったのよ。こんなに並んでまで食べたがるものってどんなんかしらねって」 いいながら、クリームのたっぷりのったパンケーキ、その最後の一切れを運の口元に運ぶ。 それを受け入れると脂分が口の中いっぱいにひろがった。 「吸血鬼って言ったら、血を吸うものじゃないの?」 その疑問に対してノクトは「なにそれ、ふっる~」と笑ってみせる。 「そもそも吸血鬼の伝承ってのは世界中にあるの。死して甦ったものとか、他者から生命力を奪うものとしてね」 中国のキョンシーや古代ギリシャのラミアも吸血鬼の一種とされるが、かならずしも血を直接吸うものばかりではないという。 「あんたにわかりやすく|吸血鬼《ふぁんふぁひは》って言ったけど、それで私という存在を十全に現せているわけじゃないのよ」 そう言うと、空になった皿をそのままに店を出た。 09・ 「どこまでいくの?」 自転車のペダルを回しながら、運は荷台に載せた吸血鬼に問いかける。 あたりは木々に囲まれた山の日没は周囲よりも早い。 照明もロクにない道路をいくのは、筋肉痛の癒えきらない運には難易度が高い。 遠くまで移動することを聞いた運は、街で自転車をレンタルした。ペダルをこぐのは運の役目だ。 車を借りられるようなツテもなければ免許もない。 彩に頼めば運転手込みで手配してもらえそうだが、彼女の手を借りることを何故だが運はヨシとしなかった。 「健脚ねぇ」 荷台ではノクトが気楽な声をあげる。 彼女の言では、吸血鬼は人間ではないのだから、こうして荷台に載っても二人乗りにはならないということだ。 実際、彼女が周囲に認識されないのであれば、それを問題視されることはないだろう。 もっとも女の軽い身体とはいえ、おとなひとりを中学生の足で運ぶのは負担が大きかったが。 「なんだかデートみたいね」 そう言ってからかうようにノクトは胸を押しつける。 「ノクト、それ漕ぎづらい」 運は己の感情にわずかに含まれるノイズを察知しながらも、素直にそう告げるのだった。 環市は周囲を高い山脈でぐるりと囲まれている。昔は水害で大きな被害を出したらしいが、近年では治水工事が進み、めったなことでは水害など起きはしない。 そしてその工事には四季家も一枚噛んでいて、そこで噛んだからこそ街の有力者として収まったのである。 「でも、こんなところに吸血鬼が?」 吸血鬼といえば血を吸うものである。 そうでない事例もあると教えられはしたが、食人鬼に吸血跡があった以上、目的の吸血鬼は人間の生き血を求めているにちがいない。 にも関わらず、目指す先はどんどんと人気がなくなっていく。 「いないわよ」 吹き出る汗とともにペダルを踏み込む運にノクトはあっけらかんと答える。 「だったらどうして?」 「人目のないところであんたを食べちゃうためよ」 「……そうか、それは怖いな」 言うも運に恐れている様子はない。 そのことにノクトは不満そうだ。 「ちょっとはこわがりなさいよ」 「うまく|反応《リアクション》がとれなくてすまん」 「謝られてもね。あっ、このへんでいいわ。あそこから入っていきましょう」 そう言って荷台から降りると、軽い足取りで木々の間へと入っていく。その後を運もついていく。 「それで、ホントは?」 「アレよ」 ノクトが指さす先には影が動いていた。 人間の形をしているが人間ではない。すくなくとも運は腐りかけの肉体をみてそう判断した。 「|動く死体《ゾンビ》よ」 「ゾンビ……」 「吸血鬼に血を吸われ、吸血鬼になり損ねたのが食人鬼。でもそのままであり続けるものは稀。身体を維持できなくなって動く死体になるわ。ああなると、残されてるのは食欲くらいで知能はほとんどないわね」 ゾンビは両手の指でも数えられないほどいる。その数は探せばもっと増えそうだ。 「夜の眷属だけに、陽が落ちてからのほうが動きが活発なのよね。おかげで見つけやすいでしょ。というわけで、お願い」 「俺が?」 突如、ゾンビを倒して欲しいと頼まれ面を食らう。 「いや?」 「そういう訳じゃ……だが、助けられないのか?」 一度やってしまったとはいえ、人の形をしたものを破壊することに対する不安はまだある。それに助けられる相手ならば、助けたいと考えるのが常人の思考であろうと考える。 「死の向こうから復活するのが吸血鬼。そのなり損ねの、さらに下だから無理よ。そもそも死体が動いていること自体不自然なんだから、あんたが気にする必要なんてないわ。眠らせてあげなさい」 改めて動く死体たちをみる。 ――この中には行方不明者として捜索されているものも多いんだろうな。 そう思いつつも、運は意識をそれらに向け、破壊の|手《・》を伸ばす。それは相手に認識されぬまま一方的に核を破壊し、次々に消滅させていく。 かろうじて人型を保っていた異形の徘徊者たちは、珈琲に溶ける砂糖の如く失われていった。 「ソレ、どうなってるのかしらね? ホントなら動く死体ってバラバラにしないと倒せない面倒くさいヤツらなんだけど。便利なんだか理不尽なんだか」 「わからない」 いみじくもそれは人払いをするノクトとおなじ解答だった。 「それに俺にはこれしかできないから。壊すだけの力なんて、別に便利じゃないよ」 「そうかしら?」 運は「そうだよ」と力なく答える。 「俺に消された連中は、誰にも見つけられないまま探され続けるんだろうな」 死体も残すことができな自分の力に嫌気がさす。 だが、それをノクトは「それでいいんじゃない?」と肯定した。 「あんな姿に変わり果てた連中を、親や友人らと対面させたい?」 「それは……」 「冷たいようだけど、死んじゃった時点で運がなかったのよ。そりゃ『せめて遺体くらいは』なんていう連中もいるけど、それはただのワガママ。見知らぬ誰かのためにあんたがそこまで考えてやる必要はないわ。そもそも一歩まちがえば、こいつらは加害者に回ってたんだから、それを防いだだけでも十分感謝されるべきよ」 「そういうものだろうか?」 「そういうものよ。だいたい、死者に捕らわれる人間なんてごく一部。すぐに忘れて次の捜しものを始めるわ。人間なんて寿命も短いんだし」 そういって、先行してレンタル自転車のある場所までもどっていく。 その背中に運は問いかける。 「ノクトもそうやって探し続けていたの?」 「なんで?」 「いや、実感こもってるように聞こえたから」 「別にそんなんじゃないわよ」 笑って否定するが、背中からは真偽はわからなかった。 「それより、|動く死体《アレ》が捜し物じゃないなら、どうしてわざわざ?」 「勘違いするんじゃないわよ。別に人間のためってわけじゃないんだからね」 「うん、わかってる」 「いや、ちょっとは人に迷惑かなとも思ったわよ? そこまで薄情でもないからね」 あまりにドライな運の自分への評価にノクトが修正を求める。 「それで?」 「自分の目につくところに汚物が転がってたら嫌じゃない。少なくとも私は嫌。ほおっておいても誰かが片付けてくれるなら任せるけど、こんなの普通の人間じゃ無理だし」 それにと続ける。 「これが|吸血鬼《アイツ》がやったのだとしたら、私も無関係ってわけじゃないのよ」 それは隠すような呟きだったが、運の耳はそれを取り逃すことはなかった。 第3話◆黒妖犬 black dog 10・ 「どうして制服を着ているのですか?」 夏休みに入ってから三日目の朝。執事服を着込んだ|四季《しき》|彩《あや》が|運《めぐる》の着替えを観賞しながら質問する。 「昨日、葉夏から電話があったろ」 スマホを持たない運に電話を取り次いだのは彩であり、そのことは承知していた。 「その時、飼育委員の当番を代わって欲しいって頼まれたんだ」 「どうしてお兄様がそのようなことを」 確かにその通りである。 葉夏から『埋め合わせはする』と言われたが、調子のいい彼の言葉を運は真に受けてはいなかった。 ただ、断る理由もなかった。 ノクトとの吸血鬼探しは陽が落ちてからが中心となるため、昼間ならば時間をとるのは難しくない。 ならば兎や鶏の餌やりと、小屋掃除程度のことは引き受けても構わなく思えた。 「そんなことを言って、ホントはデートなのではないですか?」 指摘され、脳裏にノクトと自転車で山道を走ったことを浮かべつつも、「そんなことはないさ」と否定する。 「兎や鶏の餌やりさ。運が良いと産みたての卵がもらえるらしいよ」 「そうですか」 そう言って彩は納得した素振りをみせる。だが、それが切り返しのためのフェイントであることを運は先んじて予測する。だが、実際に放たれる言葉までは予想できなかった。 「だったら私がついていってもかまいませんね」 部外者の校内への侵入は禁止されている。だが夏休みに親族がすこし足を踏み入れるくらいなら問題ないのではないだろうか。 普段、あまりかまってやれない彩の誘いだ。たまには応えてやるも兄の役目ではないだろうかと考え「構わない」と告げる。 「ところで|執事服《その格好》でいくの?」 「ご安心を。せっかくのデートなのですから、おもいっきりおめかしさせていただきますわ」 妹の戯れ言をどこから否定するべきか、経験値の低い運には難しい問題だった。 11・ 「不潔です」 その女を見た彩が「やっぱりデートだったんじゃないですか」と|運《アニ》を断罪する。 豊穣学園の校門には、運を待つ小柄で眼鏡の文系女子――|奈津杉《なつすぎ》|陽菜《あきな》の姿があった。 夏休みであっても、登校時は学生服着用という校則を律儀に守っている。制服着用は運も同様であるが。 「それともお兄様の言う兎とは、バニーガールのことなのですか? 妹ではなく、余所の女を着替えさせて大人の調教を施すつもりなのですね? やっぱり不潔です」 「いや、俺も知らなかったから」 妹の言っていることの意味も、憤怒の理由もわからなかったが、陽菜が待っているということは彼も聞かされてはいなかった。誤解であると告げる。 陽菜から話を聞くと、彼女も昨晩電話され葉夏から急に頼まれたということだ。 豊穣学園の図書室は利用者は少ないものの夏期休暇中でも解放されている意外な穴場なのである。そこの常駐者である彼女にとって、小動物の餌やりと簡単な掃除が加わってもたいした手間ではないと言う。 だから手伝いに参加したのだという。 葉夏がそのことを運にだけ伝えなかったことには、なんらかの意図を感じたが、それが善意によるものなのか悪意によるものかまでは判断をつけられない。 それでも人手が増えることは作業時間の短縮に繋がるだろうと前向きに考えることにした。 「あの、四季くん、そちらのおねえさんは?」 彩は自らの地位を主張する恋人のように、自らの身体を運の腕に密着させている。 その様子は彼に恋心を抱く少女にはかなりのインパクトがあった。 それに押しつぶされないよう、陽菜は疑問を必死に言葉として押し出したのだ。 すると幸運にもそれは勘違いであると運から知らされる。 「姉じゃない。妹だ。普段はもっとしっかりしてるんだが……」 そうでもないかもしれないと思いつつも、彼女の名誉を守ろうと試みる。 陽菜はおどろいたように、自分に敵意のようなものを向ける相手を確認する。 「妹、さん?」 疑問に思うのも無理はない。 運と彩では似た部分を探すほうが難しい。その上、運よりもずっと背が高く、スタイルの良い彩は陽菜からみれば大人にしか思えない。そんな彼女が、同学年でも屈指の低身長である運の妹であると言われても受け入れがたいものがある。 それでも、運がウソをついているようにもまたみえなかった。 相手の疑問を察知したのだろう。 不意に現れた見知らぬ女の存在を不快に思いつつも、彩は兄の株を落としてはならないと、わずかながらに外面をつくろう。 「初めまして妹の彩です。よろしくお願いしますね」 「はっ、はい。奈津杉陽菜です。こちらこそとんでもありません」 あわてて頭をさげる。 そんな二人の空気を読めない運は「飼育小屋はこっちだから」と気にせず足を進めるのだった。 「妹さん、ホントに綺麗なんだね」 困惑を含んだ褒め言葉に運は「ああ、そうらしいな」と同意する。 「それより、奈津杉は帰っても大丈夫だ。掃除と餌やりくらいなら俺と彩だけで十分だ」 「うんうん、私も好きだから、いいの」 その言葉に運は、葉夏になにか弱味でも握られているのだろうかと心配になった。その弱味の正体が自分に関連しているなどと、微塵にも想像せずに。 不意に先頭を歩いていた陽菜が「あっ」と声をあげとまる。 その原因は続くふたりの目にもとまった。 飼育小屋に張られた網が引き裂かれていた。そして飼育小屋の中には、おびただしい量の血痕が残されているのだった。 12・ 「ひどい」 無残な現場に陽菜は息を詰まらせる。 「これは警察案件ですね。まずは教員に連絡を」 そう言って彩は、陽菜をその場から追い出そうとする。 動物の毛が散乱し、あちこちに血の跡が残されているが、肉と骨は残されていない。 つまり、犯人は死体を持ち帰った可能性が高い。 ――たぶん食べたんだ。 自分のものではないとはいえ、ペットが食われるなど、女子中学生にはかなりショッキングな事態である。気づく前に離すのが得策だろう。 それに飼育小屋を囲う網には鉄線が仕込まれている。それを引き裂くとは野犬の仕業とは思えない。かといって、人間の犯行とも運には思えなかった。 「悪いけど、彩も付き添ってあげてくれないか?」 「構いませんが、お兄様は?」 「俺はまわりをみてくる。もういないとは思うけど、誰かが襲われたらたいへんだ」 「でしたら、私もそちらに」 「大丈夫、血は乾いてるから襲われたのはたぶん夜だ。あくまでも念のためだから無茶をする気はない」 「そう言って、お兄様は昔から無茶ばかりするのです」 「そうだったかな?」 彼の記憶にはアヤフヤな部分が多い。特に中学入学以前のものは曖昧である。 その頃になにかやらかしたのだろうかと記憶を掘り起こそうとするが、やはりこれといった事柄は思い出せないままだった。 13・ めぐるは微かに残る血の跡を見つけると、それを追う。 それは校舎裏に続いていた。 飼育小屋が襲われるなど普通の事態ではない。 だから自分がなんとかしなければならないという使命感が彼を支えていた。 それにこれはノクトの件とも関わりがあるハズだ。 具体的な繋がりはわからないが、彼の嗅覚は異常事態をかぎつけていた。 世界が暗転したのは校舎の影に足を踏み入れた瞬間だった。 強い光はより濃い影を生み出すというがそれは間違いである。 実際のところ強烈な光は、反射率の低いものでも反射し、影の勢力範囲を蝕む。にも関わらずの暗闇。 まるでまるで自分の周囲だけが突然夜になったかのようだ。 突然のことに動揺しつつも、咄嗟に周囲に目を凝らす。 すると彼の眼前に闇と同色の毛皮をまとった犬が現れた。 番犬用に品種改良されたものとはちがう野蛮なシルエット。それは野犬よりも狼を想像させた。 うなり声とともに威嚇。 濃い敵意を正面から向けられている。 |動く死体《ゾンビ》の時は一方的な撃破だった。 |食人鬼《グール》のときとて、襲われはしたが殺意を感じはしなかった。彼を狙ったというよりも、近くにいた誰かを無差別に襲ったという感じだ。 だがいまは、明確に狙われている。 それも戦いに生き物を狩ることに特化した相手に。 これまで相対したことのない状況は運の動きを鈍化させた。 黒い犬の口からは乾いた血を思わせる異臭が漂っている。 その目は|運《エモノ》のどこに食いつこうと吟味しているかのようでもある。 その視線に気持ち悪いものを感じる。 黒犬の牙に噛まれれば、運のか細い体躯などいちころだ。 よくて骨折。不清潔な歯に噛みつかれれば、どんな病気になることやら。異形の犬が狂犬病に罹患しているかはわからないが、迂闊に食いつかれるわけにはいかない。 だが運が感じている不快感の正体は|恐怖《ソレ》ではなかった。理由のわからぬ不快感。それは鈍感と揶揄される運の行動を普段以上に慎重にさせた。 黒い犬は己が一足飛びで襲いかかれる位置を目指しジリジリと距離を詰める。闇に紛れる毛皮が距離感を惑わせるようだ。 犬の射程はわからなかったが、そう短くはないだろう。運に相手の攻撃を悠長に待つ気はなかった。 不可視の|手《・》を伸ばし、瞬時に相手の核を破壊する。 黒い犬は悲鳴すらあげることなく消滅。 罠はその瞬間に発動した。 消滅した黒い犬の周囲から、他の黒い犬が無数に出現したのだ。 そこでようやく運は、自分にまとわりついていた不快感の正体を悟る。 無数の黒い犬たちは己の牙が運に届くよう、仲間の一匹を犠牲として捧げたのだ。 いま運の|手《・》は伸びきっている。 それは誰の目にも映ってはいないが、引き戻しもういちど放つまでにコンマ数秒でも稼げれば良かったのだ。それだけの時間があれば小柄な中学生の身体をボロ布のように引き裂ける。 それは成功しただろう。 運の|手《・》が一本しかなかったのなら。 だが、運は己が踏み抜いた罠にすぐさま対応した。 犬と同数の|手《・》を生み出すと、すべての核を同時に破壊する。 獰猛な牙をたずさえた犬どもは、その威力を一度たりとも発揮することなく消えていった。珈琲に溶ける角砂糖の如く。 「上手くいったか」 脅威を撃退できたことに運は胸をなでおろす。 咄嗟に大量の|手《・》を出すことで対応できたが、運にも初めての試みで上手くいくかはわからなかった。 追加の|手《・》を生み出すのがコンマ1秒でも遅れていれば、犬どもの牙は彼の肉を引き裂き勝敗を逆転させていただろう。 結果だけみれば瞬殺であるが、勝利は紙一重だった。 だが、運にとって問題なのは薄氷の勝利にはなかった。 これは足を踏み入れた人間を狙ったあからさまな|罠《トラップ》である。 しかも犬たちの攻撃は普通の人間を想定していない。反撃を受けることを想定していた。 つまり運を狙っていた可能性が高い。 「あるいはノクトなのか?」 先日、彼女が学園に現れたことを思えばそれもあり得るように思えた。 確信はない。 ただ、一連の不可思議な被害が彼の周囲にまで伸び出したことが彼には酷く不快だ。 「なんとかしないと」 そう決意を固める運であったが、彼の意思とは裏腹に事態は想定しない方向に進展していくのであった。 第4話◆スケルトン skeleton 14・ 「おはよう|四季《しき》くん」 「おはよう」 |運《めぐる》は駅前で待ち合わせた|奈津杉《なつすぎ》|陽菜《あきな》に挨拶を返す。 通勤ラッシュはすで終わっている。夏休みとはいえ、一般的には平日であり人の姿はまばらだ。そう混んではいない。 好きな相手との待ち合わせであるにも関わらず、陽菜の反応には戸惑いがあった。 その理由は運のとなりにある。 「おはようございます。先日はどうも」 ぴったりとくっついた四季|彩《あや》の存在である。 本日の衣装はドレスでいささか抑えめである。マネキンがそのまま抜け出したかのような決まり具合に道行く人たちの視線が集まっている。 陽菜は運とプールへいく約束をしていた。それというのも飼育委員を代わった礼として、|金貝《かねがい》|葉夏《はなつ》からプールの|入場券《チケット》をもらったのだ。 それを|理由《言い訳》に運をデートに誘えという甘言とともに。 それは成功するかに思えた。 いや、プールに誘うこと自体は成功している。 しかし、どこから聞きつけたのか、彩が割り込んできたのである。 強力すぎる|姑《しゅうとめ》の乱入に戸惑わずにはいられない。 だが、|彩の乱入《そのこと》に戸惑っていたのは彼女ではなかった。腕を取られている運も同様の反応を示していた。 「いまさらだけどなんで?」 常に屋敷にいる妹が、こうも頻繁に外出することに違和感をおぼえている。 「近頃、外出が多く、帰りの遅いお兄様のお目付役です。だいたいお兄様はまだ中学生なんです。ハダカ同然の格好で異性と外出なんて破廉恥です」 「水着になるのはプールについてからだけどね」 妹の説得を早々にあきらめた運は、陽菜に謝罪する。 「大丈夫だよ、金貝くんのくれた|入場券《チケット》、一枚で四人まで使えるし」 戸惑いつつも運をフォローするように陽菜が了承の意を伝える。 しかし、そこで見せられたものは入場券ではなく割引券だった。 そんなもの一枚で礼を済ませるつもりなのかと、葉夏の雑な対応に内心でため息をつく。 陽菜が|割引券《それ》に気づいている様子はない。 そのことを指摘すべきか運は躊躇する。 「もしよろしければ、こちらの|入場券《チケット》を使いませんか?」 苦慮する兄に助け船を出したのは彩だった。 それはホテルと併設された大規模レジャー施設の|自由入場券《フリーパス》である。 想定外のプラチナチケットを見せられ陽菜は目を白黒させる。 しかし、それに飛びつくことを彼女は躊躇う。 市民プールの割引券と、大規模レジャー施設の自由入場券。本来ならば比べるべくもない。 「でもそこって……」 レジャー施設は環市外にあるのだ。行くにはバスと電車を乗り継がなければならず、当然移動には時間を必要とする。中学生としての門限がある以上、移動に割ける時間は限られている。 プールよりも運との時間を目的とした彼女には、そちらのほうが問題である。 もともと運と陽菜のお出かけに紛れ込んだ彩である。彼らをふたりきりにしないのであれば、行き先についてはさほど興味はない。あまりにみすぼらしい行き先と、不要な人混みを警戒して選択肢を提示しただけである。 どこかから不平が出るならばすぐに取り下げるつもりでいた。 誘われたから来ただけの運にも行き先に希望はない。ただ、市民プールを選ぶと、なにかよからぬ勘違いをされるのではと恐れた。 それが誰かの心に負担を課すのではないかと……。 場の空気がわずかに停滞する。 それを吹き飛ばしたのは、第四の人物だった。 「問題ないなら、こっちに決まりでしょ」 そう言って決定を促したのは陽光を気にしない|吸血鬼《ヴァンパイヤ》ノクトであった。 15・ 緑の中を真っ赤な乗用車が走り抜けていく。 対向車がいないとはいえ、見通しの悪い山道を行くには少々速度を上げすぎに思えた。 「運転、粗くないか?」 助手席の運が運転手である彩にたずねる。 彩は「そんなことありません」と不機嫌そうに返すと、アクセルを踏み込みコーナーを駆け抜けた。 後部座席では陽菜の悲鳴とノクトの歓声が響いている。 「ホントに大丈夫?」 「問題ありません、このあたりはパトカーもあまり通りませんから」 運が気にしているのはスピード違反ではなかったのだが、本人が問題ないと主張するのだからそれを信じることにした。 彼女の不機嫌な理由はおそらく自分にあるのだから、これ以上、負担をかけるのは好ましくないと考えながら……。 ◆ ◆ ◆ ――しばらく前 「失せなさい!」 ノクトの姿をみた彩は、どこからともなく刀を取り出すと速攻で斬りかかった。 ノクトはそれをかわす。刃は彼女の肌ギリギリを攻め込むが、笑みをこぼしているあたり余裕があるように運にはみえた。 それよりも問題は彩の行動である。 人通りが少ないとはいえ、駅前で刀を振るうなどなにを考えているのか。 幸か不幸か目の前でみている陽菜にすらなにをしているのか理解できていない。 それもいつまで続くか分からない。 彩は攻撃が当たらぬことを苛立ちながらも攻撃を続ける。 吸血鬼に匹敵しそうなほどの速度であるが、それでもノクトの肌には傷ひとつついてはいなかった。 「彩っ、どうしたんだいきなり!」 「物の怪です。お兄様はおさがりを」 「あら、あなたにできるのかしら?」 舞うように動くノクトは完全に状況を楽しんでいる。 人目を避けるように建物の影へ移動するが、それでも完全にみえなくなったわけでもない。 騒ぎになるのは時間の問題である。 運は自分のおかれている状況を理不尽に思った。 そもそも今日は陽菜とプールへ行く予定だったのだ。なのにどうして予定外のふたりに振り回さなければならないのか。 「いいかげんにしてくれ!」 運は|手《・》を伸ばすと、彩の手にした刀をへし折り、強引に仲裁する。 「お兄様!?」 そのことに彩は驚きを隠せない。 ノクトの方は「私は絡まれただけよ」と陽光を物ともしない吸血鬼のツラの皮の厚さをみせつける。 そして運の怒りを静めるべく、その場で休戦協定が結ばれ、彩の運転する車でレジャー施設を目指すことになったのだった。 ◆ ◆ ◆ 運は感情任せに力を使い、強引な仲裁をしたことをいまになって後悔している。 彼女から仕掛けたとはいえ彩の言い分も聞いていないし、折った刀は大事なものだった可能性もある。 四季家に古くから伝わるものだったら、謝った程度では許してはくれないかもしれない。 四季彩が何故起こっているのか理解していない運は、そんな明後日な心配を抱えながら、目的地への到着を静かに待つのだった。 16・ 「なんでこんなになっちゃったんだろ」 水着に着替えた陽菜は、ひとりプールサイドでため息を吐いた。 彼女は短い期間とはいえ、この日のためにせっせと準備を続けていたのである。 らしくもないダイエットをし、腹筋を鍛えることで引き締めにかかった。 その甲斐あって、いくらかウエストはくびれたものの、逆に中学生離れした胸が余計に強調されてしまった。 友人からは「それは強力な武器になる」と太鼓判を押されたが、自分としては男たちの無遠慮な視線を集める呪いのようなものだ。 それでも彼が振り向いてくれるならと水着も新調した。 それまでの彼女では絶対に選ばなかったような、露出の多いセパレートタイプのものだ。 水着を着てヘソを出すことになる羽目になるとは夏前の彼女には思いもよらぬことだった。 だが、影で宇宙人と揶揄される四季運との距離を縮めるためには、このくらいの冒険と勇気が必要なのである。少なくとも彼女の友人らはそう主張していた。 しかし、そんな勇気もなんら効果をなしてはいない。 何故なら…… 「メグル、こっち来なさいよ」 「お兄様、そんな女に惑わされては行けません!」 ふたりの圧倒的美女が彼を取り合っているのだ。 自分ごとき地味でチビな女子中学生がそこに割って入るなど無謀もいいとこである。 彩はまだいい。 黒髪の憂いを帯びた和風美女でありながら、パレオを巻いたおしゃれな水着姿は同性でも憧れるほどだ。 運との仲を邪魔する姑のような行動もあるが、それでも妹だからと自分をはげますことができた。 でもノクトという美女はダメだ。 特徴的な赤い髪に神秘的な金色の瞳。雪のごとき白い肌に、魅惑的なラインを描くボディを小さなビキニで着飾っている。 それを下品と貶すのは簡単だが、明るく陽気な性格が健康的に見せている。 運の女友達である自分にまで声をかけてくるほど気さくな性格の相手を敵にしないといけないなどと思うと絶望するしかない。 ――やっぱり無理なのかな……。 陽菜がひとりネガティブ思考に沈んでいると、攻め攻めなふたりから逃げ出した運がやってくる。 「ごめん、たいへんな目にあわせてしまった」 そう言って謝罪する。どうやら彼女が力尽きている理由を、|彩《いもうと》の運転にあるのだと勘違いしているらしい。 たとえ勘違いだとしても、彼の心遣いは嬉しかった。 ――やっぱりあきらめたくない。 ◆ 彩と陽菜が席を外したのを好機と、ノクトが運のとなりにやってくる。 「どうしてキミたちは喧嘩をするんだ?」 「あたしに言われてもね。向こうからつっかかって来たの、メグルだって見てたでしょう?」 「彩は常識的な人間だし、理由もなく刀を抜いて斬りかかるようなことはしないと思うんだ」 「江戸時代じゃあるまいし、常識的な人間は刀なんて持ち歩かないでしょ。廃刀令って知らないの?」 現代でも銃刀法違反があるのだが、細かいところを運は気にしなかった。 「まぁでも、あの子の考えもわからなくはないのよね」 彩にとって|吸血鬼《じぶん》は自分の支配地を守るためにも排除して当然の相手である。 近頃の環市では奇っ怪な事件も多いし、ノクトを諸悪の根源と認識して襲いかかるのも仕方ないことだと言う。 「でも、それってキミのせいじゃないんだろ?」 「どうかな。まるっきり無関係ってわけじゃなさそうだし」 「そういえば、こないだ学校で黒い犬みたいなヤツに狙われた」 「狙われたってあんたが?」 コクリと頷く。 「飼育小屋が動物に襲われたような跡があって、その周囲を調べていたら罠を踏んだ……みたいな感じだったかな」 「それで狙われたと。それって他の人を狙った可能性は?」 「あるかもしれない。俺がその日そこに出向いたのは、友人に頼まれたからだし」 その場に偶然運がやってこなければ、兎や鶏のほかに人間の被害者が出ていたかもしれない。 「それを仕掛けたヤツの意図はわかんないけど、たぶんその犬は|黒妖犬《ブラックドッグ》ね。燃える様な赤い目に黒い大きな犬の姿をしてるは。夜中に現れるのが基本だけど、主の命令があったならそんなの関係ないわね。あるいは|吸血鬼《あいつ》の使い魔だった可能性もあるか」 吸血鬼には自分の身体の一部を分離して、犬やコウモリに変化させるものがいるらしい。 偵察に出したりするのに使うが、遠隔操作で血を集めることもあるということだった。 「そういえば、聞いたことなかったけど、ノクトが探してる吸血鬼ってどんなヤツなの?」 「そういえば話してなかったっけ、エンデはね……」 話を中断させたのは悲鳴だった。 みれば、プールサイドから人骨が這い上がろうとしている。 それもひとつふたつではない。自律行動する人骨の群が這い上がってくる。 「まるでホラー映画ね」 そう揶揄するノクトの言葉には嫌悪が混ざり込んでいた。 17・ プールサイドから這い上がってきた人骨たちは近くの人を襲い始める。 直ぐにプールは阿鼻叫喚が溢れだした。 逃げ出す人々を無視し、ノクトは迫り来る人骨を難なく素手で粉砕する。 「なんで、こんなところにスケルトンが」 「俺に聞かれても」 「グールにゾンビ、スケルトンだなんてアンデッド多過ぎでしょ、この街」 「|吸血鬼《ヴァンパイヤ》もいるしな」 周囲の目線がないことを確認してから、運もスケルトンを自ら操る|手《・》で破壊する。 その手応えは意外なほど薄かった。 「やっぱりあたし目当てなのね、美人ってこういうとき損よね」 冗談めかして言うが、逃げる人々を追いかけるスケルトンはいない。 となれば、その場に残ったうちのどちらかを狙っていると考えるのが妥当に思えた。 「どっちにしろ、こんなのあたしの敵じゃないんだけどね!」 ノクトが手を振るうと、青白い炎が生み出される。炎は肉食獣のごとく疾走すると、スケルトンどもを次々と屠っていく。 圧倒的な力を見せつけるノクト。 そんな彼女をみて運は疑問に思う。 「ホントにノクトって吸血鬼なの?」 「疑ってるの?」 「いや、なんだか魔法使いみたいだなって」 「吸血鬼もね、長いこと生きてると多芸になるのよ。あたしは最初からいろいろ出来たけどね」 いいながらも最後のスケルトンを打ち砕く。 しかしそれで戦いは終わりにはならなかった。 なんと砕かれた人骨の破片が集まり、別の形を作り出したのだ。 それは砕けた人骨で作られた巨大なサメとなった。 「げっ、なによあれ」 「サメじゃないかな?」 「サメ映画はホラーに含まないんじゃない?」 「それを俺に言われても」 海中を泳ぐよう、宙を漂う骨サメを眺めふたりは余裕を崩さない。 サメはそんなふたりに襲いかかる。 「形を変えたって一緒よ!」 叫ぶノクトは蒼炎を呼び出し、ふたたび襲撃者を砕く。 しかしそれで決着とはならなかった。 青い炎に撃ち砕かれた骨は、無数の破片のままふたりに襲いかかる。 もう一度、炎を呼び出すだけの時間はない。 ――やられる!? ノクトがそう覚悟を決めた瞬間、運が動いた。 いくら運が|手《・》を素早く動かそうとも、広範囲に散らばる破片のすべてを破壊するのは無理である。 黒妖犬のときのように無数の手でも追いつかない。 ――だったら! 運は己の操る|手《・》を巨大化させる。それにより密度が薄くなったが、すべての破片を受け止めることができた。破片たちは塵となり消えていく。 「ギリギリだったな」 「なによ、楽勝だったじゃない。というかなによあんたの能力。何でもあり?」 「そういう訳じゃない。いまはたまたま上手くいったけど、もっと破片に勢いがついてたら、広くした手じゃ止めきれなかったと思う」 「つまり、あたしのおかげってこと?」 運はノクトの言葉をそうであると肯定する。 「ざっと、あたしにかかれば、こんんなものよ」 「それじゃ、そろそろ俺たちもかえろうか」 「なんでよ、せっかく貸し切り状態になったのに」 他の客がいなくなったプールで図太い発言をする。 「このあとまちがいなく警察がくる。事情聴取とか面倒だろ?」 「たしかに。でも、ここって相当山奥だから警察がくるまで時間かかるんじゃない?」 山道をかなりの速度を出していたにも関わらず、時間には相当かかった。 たしかに少しくらいなら、遊んでも大丈夫だろうという気になる。 しかし事態はふたりにそんな猶予を与えはしない。 慌てた様子の彩が運のもとにひとり駆けよる。 「お兄様、奈津杉さんが!」 18・ 彩に連れられた場所では、奈津杉陽菜が寝かされていた。 新調した水着。その合間の腹の部分から大量の出血をしている。 「どうして彼女が」 「お兄様を心配して、魔物がいる場所に向かおうとしたのです。止めたのですが、避難誘導をしていて間に合わず……申し訳ありません」 シュンとする。 「とにかく救急車だ。急がないと」 「それは難しいと思います」 来たときに見たように、ここは山奥に作られたリゾート施設だ。 街の喧騒から解き放たれた反面、病院までの道のりは遠い。 仮に到着しても、その道をもう一度もどらなければならない。 ならば、彩の車で直接病院へ向かったほうが早い。 「彩、頼めるか?」 敬愛する兄の言葉に彩が珍しく躊躇した。 彼女視線は、施設の出口に向けられている。 混乱した人々で詰まった場所を、このまますんなり出られるとは思えない。 ここで運は苛立ちを覚える。 陽菜は善意の報酬として、今日という日を迎えたハズである。 にも関わらず、彼女は不幸な目にあっている。 彩が止血をしているが、時間が経過すれば容態の悪化は免れないだろう。 運は知らず知らずのうちに、自分の|手《・》を握りしめていた。 「お兄様」 妹の呼び声で我に返る。 いったい自分は、破壊することしかできな|手《・》でなにをしようとしていたのか。 頭を振り、頭からよくない想像を追い払う。 「奈津杉さんを救う手は、なくもないです」 それは彼女にとって苦渋の決断であろう。言葉の歯切れが悪い。 それでも運はその方法をたずねずにはいられなかった。 「どうすればいい?」 「ノクト……さん、お願いできませんか?」 静観していたノクトに話がふられる。 「なに? 残念だけど私に他人を癒やす方法なんてないわよ」 「存知あげております。彼女の傷は彼女に治してもらおうと思います」 「どうやって? 彼女、人間なんでしょ。普通の」 「彼女を|吸血鬼《ヴァンパイヤ》にしてください。そうすれば一命は取り留められます」 「お断り、あたしは人間の血を吸うなんて悪趣味なことはしないの」 そこには強い嫌悪が見て取れた。 ノクトがここまで嫌悪感を示しているのは、運と出会ってから初めてのことだ。 「どうして」 「どうしてもこうしてもないわ。イヤなものはイヤなの。そんなことしたらあたし、化け物みたいじゃない」 これまで彼女は自分が吸血鬼であると自称しても、かならずその言い方は茶化していた。おどろかすように牙を見せても、しっかりと|吸血鬼《ヴァンパイヤ》と発音したことはなかった。 まるでそのことが彼女にとっての呪いであるがごとく。 「だいたい吸血鬼っていうのは、死者が甦ったものよ。結局、死んじゃうんなら意味ないじゃない。それに|食人鬼《グール》になったらどうする気」 「吸血鬼の死は厳密には死とはちがいます。まだ回復可能状態にある仮初めの死です。早期に適切な処置すれば、人間にもどすことが可能です。そのためのノウハウは四季家にあります。 それに食人鬼になる危険性は、真祖であるあなたが行えば、低く抑えられるかと……」 「だからって、あたしがその子のために嫌な思いをする理由はないわ」 断る理由を亡くしたノクトは、それでも願いを受け入れようとはしなかった。 「ノクト、頼む」 そう言って、運が土下座をする。 「なんの真似よ」 「こいつは良いやつなんだ。真面目で人の頼みをイヤな顔ひとつしないで進んで引き受ける。 普通にしてれば、こんな事態に巻き込まれるハズがないのに、俺なんかにかかわってしまったばっかりに。だから頼む。助けてやってくれ」 土下座を続ける運を見下ろし、ノクトは深いため息をつく。そしてきびすを返して建物へと向かう。 「ノクトさん!」 避難するように彩が声をあげると、ノクトが答える。 「こっちに連れてきなさい。|太陽の下《そんなとこ》じゃ、上手くいっても直ぐに焼け死んじゃうわ」 「ありがとう」 「はいはい、わかってますよ。ここに来るのを選んだのはあたしですからね。責任はとらせてもらいますよーだ」 第5話◆狼男 Wolf Man 19・ 豊穣学園の図書室は夏休みでも開いている。 そのおかげで、図書委員たちはもちまわりで受付をしなければならない。 しかし今日は、登校日のため日に焼けた生徒達が集まっていた。 そんな中、登校中の|四季《しき》|運《めぐる》に声をかける者がいた。 「おはよ|四季《しき》くん」 それは|奈津杉《なつすぎ》|陽菜《あきな》だった。 夏休み中に何度かみた夏服に、真新しい大きな麦わら帽子をかぶっている。 その姿は中学生として珍しい姿ではない。 運は「おはよう」と素っ気なく返すと、そのまま立ち去ろうとする。 普段から運は社交的な対応はしていない。それでもおなじ図書委員として時間をともにした陽菜にまでこのようにするのは異例だった。 「機嫌悪い?」 「いや」 たずねても短く返すだけだ。 陽菜は自分が彼に嫌われたことを悟ったが、いきなりのことに思考がおいつかない。 足をとめてボロボロと涙を流す。 「どうしたの、いきなりこんなの、変だよ」 その姿にさすがの運も動揺をみせた。 「こないだのアレのせい? 私の身体そんなに変だった」 陽菜に思いつく理由は、彼に水着を見せたことくらいしかない。 怪訝な視線から彼女を守るため、仕方なく運は彼女を校舎裏まで連れて行く。 「どうして、平気でいられるんだ?」 校舎裏につくと、運は陽菜にたずねた。 「うん、彩さんやノクトさんのおかげでちゃんと治ったから。まえより元気になったくらいだよ」 そう言って膨らまない腕をまげてみせる。 先日、彼女は運と遊びにいったレジャー施設で事件に巻き込まれ大けがを負った。 場所が山奥であったため、例え救急車を呼んでも病院まで命は持たないだろうと宣告された。 その死を回避するため、ノクトの力を借り、一時的にとはいえ彼女を吸血鬼にしたのだ。 その後、傷を塞いでから、こんどは吸血鬼を彩の処置で治したのである。 吸血鬼化の時間が短ければ、後遺症は残らないだろうと言われていたが、つい先日まで彼女は陽光の下に出られぬ身体になっていたのだ。 彩たちは成功を確信していたが、運は本当に彼女が助かるのか気が気ではなかった。 いまも、完全には治っていないため、麦わら帽子で日差しを和らげている。 「おまえ、死にかけたんだぞ」 それも運たちと一緒に遊びに出たというそれだけの理由で、おかしな事件に巻き込まれたのである。 そのことは彼女にもきちんと説明してある。 巻き込まれなかったとはいえ、|黒妖犬《ブラックドッグ》の一件もある。 ここしばらくの運の周囲は不穏な事件が多すぎる。 故にただの人間である彼女をこれ以上巻き込むわけにはいかなかった。 運の意思を確認して陽菜は場違いにホッとしていた。自分が嫌われた訳ではなかったのだと。 考えてみれば、妹の彩もスタイルは良いし、彼と仲の良いノクトは陽菜よりも胸が大きいくらいだ。 胸の大きさで人を判断するような相手でないと知っていたハズなのに信じ切れず恥ずかしい。 「なにがおかしいんだ?」 クスクスと笑う陽菜に運は問う。 「だって、私が危ない目にあったのは私の運がなかったせいだし、助けてくれたのは四季くんじゃない」 「いや、俺じゃないノクトと彩だ。俺には壊すことしかできないから」 運の|手《・》のことまでは話していない。 しかし、彼女が自分の胸をコンプレックスに思っているように、彼が自分が物を壊すことしかできないと思い込み、それをコンプレックスに思っていることには気づいていた。 「誰かを助けられないって、あたりまえのことなんじゃないかな? 私たちまだ中学生だよ」 「でも、俺の近くにいると不幸になる」 「近くにいる人がみんな不幸になるの? ノクトさんや彩さんも?」 「それは……」 彼の近くで事件が起こっているのは確かだが、明確な範囲はわからない。 それにノクトも彩も巻き込まれはしたが、たしかに平然としている。 「それは彼女たちが特殊だから……」 ノクトが吸血鬼であることは、彼女を救った際に話してある。 彩の素性については、彼女が話したがらないため運も詳しくはわかっていない。 「だったら一緒だよ。私はなんにもできない。だから次巻き込まれたらきっと死んじゃう」 陽菜は「でもね」と続ける。 「それはきっと四季くんがいなくても起こること。あのプールにいた人たちは運くんとなんの関係もなかったんでしょ?」 指摘されてみれば確かにそうである。 「だから運くんが守ってよ」 「ごめん、俺には壊すことしかできないんだ」 「それは逆、だと思うよ」 「逆?」 「運くんがなにを恐れてるのか私にはよくわからないけど、それって他の人にはできないことなんでしょ。だったら、他の人よりもできることが多いってことじゃない」 「そういうものだろうか?」 「そういうものだよ。だから守って」 「守る……」 「それと四季くんが気にしているなら、あたしのお願いひとつ聞いてくれないかな」 「それが償いになるのなら」 内容も聞かずに了承する。 それは相手への信頼と、自分への無頓着が等分に含まれていた。 「あのね、私も『運くん』って呼んで良いかな? 彩さんもノクトさんも名前で呼んでるのに、私だけちがうのは……ちょっとズルいと思うの」 うまい言葉がみつけられなかった陽菜はズルいと表現する。 「そういうものか?」 「そういうものなの。それと私のことも陽菜ってぅぇ……」 緊張から声がひっくり返る。 「ひとつじゃなかったのか?」 「ダメかな?」 「そんなことなら問題ないよ陽菜さん」 「ありがと運くん」 本当は敬称もなしで恋人のように呼び合いたかった。 しかし陽菜の乙女パワーは枯渇し、それ以上前に進むことは困難を極めていた。 20・ 「あっ、ホームルームはじまっちゃう。急がないと」 予鈴を耳にした運と陽菜は急いで下駄箱に駆け込むと、上履きに履き替える。 そのまま教室に向かおうとする陽菜を運は「まてっ」ととめる。 「急がないと遅刻しちゃうよ」 早めに登校していとはいえ、あたりには彼女らが校舎裏に消えていったのを目撃した生徒たちがいた。 このまま遅刻したとなれば、下品な噂をながす者もいるだろう。 名前で呼び合うようになったことも事態に拍車をかけるのは疑いようもない。 そんな事態は是非とも避けたい。 しかし運はそんな事態を考慮せず厳しい顔をしている。 「なにかヘンだ」 「ヘンってなにが?」 「わからない、でも……」 運は違和感を感じとっているが、その原因にたどりつけないようだ。 自分の勘違いかもしれない。運がそう言いかけたとき、違和感の正体に陽菜が気づく。 「なんか、すごく静かだね」 夏休み中とはいえ、今日は登校日だ。久方ぶりの友人らとの再会に、中学生たちが静かにしていられるわけがなく、それを注意しようとする教員らの声もまたなかった。 とっさに運はすぐ側の教室の戸を開ける。 すると中では生徒たちがぐったりと倒れていた。 「しっかりしろ」 近くの生徒を起こすが、返事はない。浅い呼吸はしているが意識はないようだ。 「いったいなにが起こってるんだ」 「救急車、いや警察? とにかく連絡しないと」 慌ててスマホを取り出す陽菜だが、彼女の回線はどこにもつながらなかった。 「ウソ、なんで!?」 「だったら職員室だ。有線なら通じるんじゃないか?」 「でも、この人たちは……」 「俺にはしてやれることがない」 「そうだね。私もだ。とにかく職員室に行きましょ」 「いや、奈津杉は外へいって、直接警察に駆け込んでくれないか」 そう言いかけた運だったが、指示を改める。 「それもダメか。守るって約束したからな」 「どういうこと?」 頭に疑問符を浮かべる陽菜に運は答える。 「原因がわからない以上、おまえが校舎に残るのは危険だ。こいつらのように倒れるかもしれない。だから外にでた方が良いと思った。 でも、スマホの妨害までするような相手が、黙って逃がしてくれるとも思えないんだ」 そう言って子どものように小さな手を握りしめる。 「だから俺から離れるな」 その言葉に陽菜は顔を熱くしながらも「はい」と答えのだった。 21・ 正門からではなく、人目につきにくい裏門からの脱出を図った運と陽菜だったが、門には鍵がかけられていて開かない。 それならばと、跳び越えようとしたのだが、不可視の壁のようなものに阻まれ跳ね返される。 そんな彼らのもとに声をかける人物がいた。 「あれ~、なんで奈津杉までいんの? さてはふたりで学校さぼって逢い引きしてたな」 振り返ると、そこにいたのは運の悪友たる|金貝《かねがい》|葉夏《はなつ》だった。 ふたりを除いた彼だけが無事校内を歩いている。 「葉夏、無事だったか」 「ああ、おかげさまでな」 警戒心を解く運に代わり警告したのは陽菜だった。 「どうして、なの、金貝くん?」 「どうしてってなにが? ああ、どうして僕が無事だったかって? そりゃおまえたちと一緒で、校舎の外にいたからだよ」 軽薄そうな葉夏の言葉だったが嘘はなさそうだ。 だからこそ、陽菜の警戒心は最大限までに引き上げられた。 「どうして校舎の外にいると平気だって知ってるの? あなた、ホントに金貝くん?」 「ひっで~なぁ、ふたりのためにいろいろお膳立てしてやったのに。疑うのか? ああ、プールの方はチケットを使わなかったんだっけ? まぁ僕には関係ないんだけど」 「やっぱりあなたが犯人なのね」 陽菜はそう断定する。 葉夏もそれを否定しない。 ただ、察しの悪い運だけが状況を飲み込めていなかった。 「なんの話だ?」 「バッカだなぁ運は。犯人が目の前にいるのに、暢気に話なんてしやがって。つっても、おまえには結界の効果効いてないみたいだから、時間稼ぎしても無駄か。つか、ここも範囲内のハズなんだが、どうして奈津杉も平気なの?」 言いながら、自らの姿を変貌させていく。 「まっ、面倒なのはいっか」 二回りほど大きくなった身体が半袖のシャツを破く。そして陽光下に晒された肌は獣毛に覆われていった。 顔の形も大きく変形し、口には鋭い牙がずらりと並ぶ。 その吐息は肉食獣のものに酷似した臭いを放っていた。 「狼男!?」 「だっせー言い方すんなよ。どうせなら|狼男《ウルフマン》って言いな」 驚愕する陽菜に葉夏は注文をだす。 しかしそれをさらに運がひっくりかえす。 「|狼の毛皮をまといし者《ヴェアヴォルフ》の方が良い」 「運、前から言ってるがおまえ、そういうとこよくないぞ」 言いつつも彼の案の方が良いと認める。 「まっ、そんなのはどうでもいいんだけどね」 そう言うと、葉夏は運の視界から消えた。 「!?」 次の瞬間には運の背後に回り込む。 そして筋肉で肥大した身体で少年の小柄な身体を蹴り飛ばす。 「クリティカルヒッツ! ってほどの威力じゃなかったな。 でも知ってるぜおまえの弱点。おまえ、自分でみえてないものを攻撃できないんだろ」 相手に反撃の間を与えることなく攻撃を繰り返す。 その間、決して運の視界に入らないよ注意をしながら。 運はなすすべもなくボロボロにされていくのだった。 22・ 「なぁ、葉夏、ひとつ聞いてもいいか?」 「なんだ?」 言いつつも攻撃の手は緩めない。 「俺はどうしておまえと喧嘩みたいなことをしなきゃいけないんだ」 「はっ、相変わらずだな。殺し合いの最中にそんなこと言えるのかよ」 運の能力は己の|手《・》で掴むこと。掴まれたものは破壊される。 そんな爆弾のような能力を喧嘩に用いることはできない。 そもそもとして、運は葉夏が彼に攻撃してくる理由さえ知らないのだ。 「俺は犬にされちまったんだよ。あるお方がテメーをぶち殺したいってんでな」 「俺のせい、なのか? おまえも俺のせいでそんな風にされてしまったのか?」 運の勘違いを正すように強烈な蹴りが放たれる。 「きっかけはオマエではあるが、べつに俺はこの特別な姿を気に入っている。だからおまえの|おかげ《・・・》なんてことはこれっぽちも思わない」 「和解はできないのか?」 「できるんじゃないか? おまえが死ねばだけどな」 ボロボロになった運にトドメをさそうと力の入った一撃を準備する。 そこに割り込む影があった。 「だめ!」 ふたりの間に割り込んだ陽菜が弾き飛ばされる。 「なにやってんだよ。おまえはあとで可愛がってやるから、それまで順番待ちしてな。そのデケー乳、どんだけ運に開発されたか確認してやるからな」 獣の視線におびえる陽菜。 「おまえは殺すのか?」 その問いは運が放ったものだった。 「さあな、進んで殺す気はねーが、結果としてそういうこともあるんじゃね~。知らんけど」 校舎には大勢の生徒が昏睡している。原因がわからなくとも、放置できる状況にないことは運にもわかる。 にも関わらず、ことの発端に関わっている葉夏が無責任なことに苛立った。 目的もなく、ただなるようになれで他者の命を弄ぶのは許せなかった。 「葉夏、おまえがなにかの理由で俺を殺そうとするのは仕方ない。だけどな。どうでもいいような理由で人の命を粗末に扱うんじゃない」 直後、校門と地面の一部が破壊される。運の犯行だ。 足場を崩され、校門の破片を回避しようと葉夏が飛び跳ねる。 その動きは目に追えないほど早いものだった。 されど、身体が重力に捕まった瞬間、彼の動きは止まって見えた。 その瞬間を運の瞳が捕らえる。 咄嗟に近くの破片を蹴ることで態勢を変える。 されど腕の掴まれ、灰に返られる。 「クソッ、どのみち結界は破られちまったんだ。踏ん張る意味はねぇか。おぼえてやがれよ!」 三下な捨て台詞を残し、葉夏は破壊された校門から逃げていく。 しかしボロボロになった運に、それを聞いているだけの余裕はなかった。 そのまま地面へと崩れ落ちる。 それを陽菜があわてて支えるのだった。 23・ 「どうしよう」 最後の一撃を放ち力尽きたのだろう。運に意識はなかった。 中学生としてはかなり小柄なかれの身体は傷だらけだった。 「血も出てる、早くなんとかしないと」 しかし具体的な方法は思いつかない。 そうしているうちにも運の鼓動が弱まっていくのを明確に感じる。 血に汚れた運をみているうちに、唾液が溜まっていることに気づいた。 ――ちがう。私は普通の人間。 目を覚ました吸血鬼のなごりを否定する。 だがその考えもすぐに改める。 普通の人間では重傷の彼を救うことができない。 ならば、わずかに残る吸血鬼の残滓を利用すべきだろう。 そうは言っても、彼女の使える能力は自己再生だけである。 ――だったら、運くんも吸血鬼にすれば助かる? だが、吸血鬼化に失敗すれば取り返しのつかないことになると聞いている。 それに彩もノクトもいない状況で勝手なことをし、成功させられる自信もない。 「怪我したのが私だったらよかったのに」 それはそれで運の心に負担を残したのだが、いまはそんなことに構っている場合ではない。 ――なにかできることは…… しばし悩んでから、運の身体を強く抱きしめる。 小柄で非力な陽菜だったが、それでも吸血鬼としての力をわずかに残している。 ふたりの戦いにわって入れたのもそのおかげである。 その吸血鬼の力に、いまは望みを託すしかない。 傷の治療の際には、その部位をしっかりと意識するよう、ノクトにレクチャーを受けた。それを応用する。 「私の身体も運くんの身体も、おなじ人間のもの。自分の傷が治せるなら、運くんの傷だって治せるハズ」 それはなかば自己暗示のようなものだった。 しかし上手くいった。 自分の中にめぐる、吸血鬼になってから感じるようになれた力を、運の身体に通す。それを循環させつつ、傷を治癒させることをイメージする。 それは上手くいった。 運の顔色は良くなっていき、呼吸も整う。 そこで陽菜は己が異形になったことを感謝するのだった。 第6話◆閑話 24・ こっそり店外からシックな喫茶店の内側をのぞき込む。 客の少ない店内に、大人の雰囲気を醸す人物がすでに来ていることを確認。 |奈津杉《なつすぎ》|陽菜《あきな》はそのことに不釣り合いに大きな大きな胸をなでおろす。 先に入店して待っているのは、小遣いのすくない女子中学生にはなかなかのプレッシャーである。 それに彼女がこの場に来ているということは敬愛する兄の容態に問題ないということでもある。 「こんにちは|彩《あや》さん」 「こんにちは奈津杉さん」 店内で彼女を待っていた|四季《しき》彩に挨拶をする。 同級生の妹を自称する彼女は、今日も女子大生じみた雰囲気を漂わせている。 四季家が妖怪退治をする特殊な家であり、環市の有力者であることは聞かされていたが、どうして年上の彼女が|中学二年生《メグル》の妹であると主張している理由については教えられてはいない。 「時間を取らせていただいてすみません。|運《めぐる》くんの容態はどうです?」 「お気遣いありがとうおかげさまでひと段落してるわ。それと時間をとらせて申し訳ないのはこちらの方よ。もともと巻き込んだのはこちらなのだから」 陽菜が死にかけた一件で、レジャー施設の入場券を持ち出したのは彩である。 市民プールに行っていれば、おなじように襲われることがあったとしても、病院は遠くなく吸血鬼となることもなかったろう。 そのことを気にしているようだ。 「でも、そのおかげで運くんを助けられたんだから怪我の功名というやつですよ」 「その件はありがとうね。でもねその力は二度と使ってはダメよ」 その言葉は陽菜にショックを与えた。 例え異形の力とはいえ、人助けに使える特別な力を授かったのだ。 それまでの人生で、己に自信を持ったことのない彼女にとって支柱となれるほどのものであった。 しかし彩はそれを使うなと警告する。 「どうしてです」 「不幸になるからです」 力がどんな理屈で発現しているかは不明だが、吸血鬼化の影響であることは疑いようがない。 「その力を使えば、それだけ人間にもどるのが遅れるわ。使い続ければふたたび太陽の下にもどれなくなるわよ」 運には秘密にしていたが、体質が激変し陽光の下をあるけなくなったことは、彼女にとって大きなストレスだった。 日課である図書室にもいけず、委員の当番も他の者に頼むこととなった。 両親にも心配をかけたことを思えば、二度とそんな状況にはもどれない。 陽菜は躊躇いつつもそのことを了承する。 「それともうひとつ。これは私からのお願いになるのだけれど……」 「なんです?」 「お兄様とお付き合いしませんか?」 落ち着くために口に含んだ紅茶を、陽菜は吹き出してしまうのだった。 「すみません!」 こぼした茶を慌てて片付ける陽菜。 誰の目から見ても、四季彩が兄である運を溺愛しているのは誰の目からみても明らかである。 仮に運と交際にたどりつけたとしても、姑じみた彼女とどう折り合いをつけるべきなのだろうと悩んでいた。 それが向こうから進められ他のだ。 驚かずにはいられない。 「お兄様は少々世間知らずなところがあります。それでも本人が幸せであるのなら、どなたとお付き合いしようと私は祝福できます。ですが……」 流麗な眉の間にシワができる。 「|吸血鬼《アレ》の存在だけは看過できません」 退魔師である四季家の者が、そのような相手と肩を並べることがあってはいけないという。 本来ならば会うことすら容認したくはないという。 その気持ちは部外者でしかない陽菜にも察することができた。 しかしその反面で、本人のいない場所でこうした裏工作のようなことをするのは後ろめたさを覚える。 「ご心配なさらずに。なにをどうこうしろと具体的に指示するわけではありません。これは私の決意表明のようなものです」 それだけ言うと、席を立ち伝票に手を伸ばす。 本当は自分の手元に置いておきたいという願いがあるのだろう。 ノクトという最悪の選択を防ぐために彼女を利用しようというのだ。 「ただ、ふたりはまだ中学生なので破廉恥な行為は認めませんからね」 その言葉に陽菜は『本当に応援してくれるのかな』と疑問を持たざるを得なかった。 第7話◆吸血鬼 vampire 25・ 人狼となった|金貝《かねがい》|葉夏《はなつ》との戦いのあと、|四季《しき》|運《めぐる》は自室にて軟禁されていた。 |奈津杉《なつすぎ》|陽菜《あきな》の手によって傷は癒やされ、蓄積した疲労も三日もすれば抜けている。 しかし襲撃犯である葉夏が捕まるまでは危険だからと外出が許されないのだ。 現在、四季|彩《あや》が全力で捜索にあたっているがまだ足取りは捕らえられてはいない。 「これじゃ監禁もおなじじゃないか。すこしオーバーすぎやしないか?」 「お兄様は暢気すぎます。一歩間違えば死んでいたのですよ。お兄様も学校の方々も」 学校にいた者たちは多くが衰弱していたが、それでも死者は出ていないということだった。 ただし、当日登校してこなかった者が何名かいて、その中に金貝葉夏の名もあったということだった。 「そろそろ外出させてくれないか。図書委員の仕事もあるし、返却しなきゃいけない本もあるんだ」 未返却の本の取り立ても図書委員の仕事となる。そんな立場でありながら、本を返さないというのはきまりが悪い。 「それに陽菜に御礼も言わないと。怪我治してくれたの、彼女なんだろ」 「名前で呼ぶようになったのですね」 「ああ、本人がそうしてくれって」 「そうですか。どちらにしても許可できません」 「彩」 「奈津杉さんでしたら、こんどお見舞いに来られるそうですから、その時に御礼を言ってください」 「彼女が来るのか?」 「はい、ご確認されますか?」 陽菜の番号の入った自分のスマホを運に差し出す。 しかし運はその番号を一瞥しただけで、連絡の必要はないと辞退した。 「では、本の返却は私が責任をもって引き受けますので、お兄様は自らの身体をご慈愛ください」 そう言って部屋を出ていく。 監視の目は離れたが、部屋には結界が張られていて、許可なく出ることができない。 無論、彼の|手《・》にかかれば破壊は容易だ。だが破壊すれば確実に彩に気づかれる。わざわざ彼の身を案じて作ったものを、壊すことにも気後れした。 運はため息をひとつつき、ベッドに横たわった。 退屈には慣れているが、それでも何日も続くようでは辛くなる。 あるいはそれは、彼がさびしさという感情をおぼえた証拠なのかもしれない。 そんな運を案じた訳ではないだろうが、窓からコツコツと音がする。 みればそこには、陽光をものともしない吸血鬼――ノクトの姿があった。 「やっ、お見舞い来たわよ」 26・ 「殺風景な部屋ね」 運に招き入れられたノクトは、部屋を見渡し率直な感想を口にした。 調度品には高い物が用意されているが、運の趣味ではない。 また彼自身が、この部屋でものを増やすことをよしとしていないので、与えられたときの状況のままだ。 「ずいぶん男前になったじゃない。友達にやられたんだって?」 大きな傷は塞がっているが、小さな傷はあちこちに残り、顔にも絆創膏が貼られている。 「誰に聞いたんだ?」 「彩よ。人狼についてなにか知らないかって。 あたしに聞きに来るなんて、よっぽど腹にすえたのね。金貝葉夏だっけ? まっ、彼女に任せとけばすぐに見つけるでしょ」 そのことを聞いた運は複雑な表情をした。 「どしたの?」 「あいつは確かに口が悪いとこもあるけど、進んで人を傷つけるようなヤツじゃなかった。人狼になったのだって、なにかの間違いにちがいないんだ」 「へ~、信じてるんだ。殺されかけたのに」 「ホンキで俺を殺すつもりなんてなかった。ただ手に入れた力を見せつけたかっただけだと思う」 「結果として殺されかけたなら、罪状としては十分だと思うけど。冥土に送ってやりたいって彩の気持ちもわかるわ」 言いながら、懐から紙とハサミを取り出す。紙を人型に切り抜くと、運の頭から髪の毛を一本ぬき、紙人形に挟んだ。 「それはなんなんだ?」 「お守りよ。これがアナタの身代わりになってくれるのよ。こわ~い鬼ババからね」 「どういう意味だ?」 「鈍いわね。これからデートしましょって意味よ」 27・ 「本当に大丈夫なのか?」 ノクトの手引きで屋敷から抜け出した運は心配そうにたずねる。 「一時間くらいは気づかれないんじゃないかしら」 その後のことは保障する気はないようだ。 おしゃれなカフェをみつけ二人で入る。 メニューがわからなかったので、店員にたずねながらの注文となった。 「それで俺を連れ出してどうするつもりだったんだ?」 「えっ、言ったじゃないデートだって」 驚く。 「そんな顔もできるのね可愛らしい」 「からかうなよ。本当は別に目的があるんだろ」 「別にないわよ。エンデは探してるけど見っかんないし。というか、いまさらだけど人捜しにはあんた向いてなかったわね」 その通りなので地味にショックである。 ゾンビやスケルトンを倒しはしたが、その程度のことならノクトひとりでも問題なかったろう。 「私ひとりでやるつもりだったからいいんだけどね。退屈もしなかったし。だからそんな顔しないの」 「俺、どんな顔してた?」 「可愛い顔よ」 「茶化すなよ」 運は己の動揺を誤魔化すように珈琲を口に運ぶ。 「ところで、ときどき名前が出てくるけどエンデってヤツはいったいキミとってなんなんだい?」 そしてどうして殺す必要があるのかと問う。 「エンデはね、あたしの妹、いや娘みたいなものかしらね」 「娘?」 「やっぱ娘はなし。出産とかしてないから。妹よ妹。勘違いしないでよね」 ノクトは真祖という吸血鬼の中でも真祖という特別な存在である。 吸血鬼と呼ばれながらも、人間の生き血を必要とせず、年老いることも病に付することもない。 それどころか超常の力を自在に操る無敵の存在。 そしてその力は時を経るごとに強大になっていた。 「でもね、そんな力があったって正直邪魔なのよね」 故に力が強大になるとノクトは己の一部を切り離し、力を減退させたという。 分離した力は人格と能力を得て、活動をした。 されどそれらは完璧な真祖の切れ端にすぎない。 故に己を維持するために血を必要とする者もいたという。 そしてそれらは|吸血鬼《ヴァンパイヤ》と呼ばれるようになった。 吸血鬼は吸血鬼を生み出すが、それは代を重ねるごとに弱体化する。 最初のひとりたるノクトから生み出された十二人の吸血鬼たちは、強力で理性的だったが、彼らに血を吸われた者たち――第二世代以降の吸血鬼には、次第に粗野で粗暴な者たちが目立ち始めた。 故にノクトは、質の低い吸血鬼を増やすことを禁じたが、生みの親が相手とはいえ、みなが素直に従うわけでもない。 そして従わない者のうちのひとりがエンデだという。 そしてエンデは環市に潜み、活動を続けているという。 「そのエンデってヤツは強いのか?」 「妹って言ったでしょ。第一世代だからほどほどには強いわね。でも末の子だからやることがヤンチャなのよ」 その結果が学校でおきた大量の昏睡事件ならば笑えない。 「おそらく、昏睡した者は生気を抜かれたのね。抜かれた生気はエンデの元に送られたハズ。きっと、あたしを撃退するのに力を集めようとしたのね。小賢しいったらありゃしない」 運はノクトから聞いた話を頭の中で繰り返してみた。しかし彼女の教えてくれたストーリーを上手くのみこめない。 その理由を考え込んでいると、不意にノクトの視線が窓の外に向けられた。 「どうした?」 「いまいた。エンデよ」 「えっ?」 突然の展開に運は戸惑う。 店外へ走るノクトに代わり、急いで会計を済ますと彼もそのあとを追った。 ノクトはすぐにみつかった。 フード付きのコートを着込んだ小柄な女性を追っている。 女性は振り返ると、一瞬だけフードの内側からノクトに視線を送り、そのまま立ち去ろうとした。 「待ちなさい!」 その時、運は強い違和感をおぼえた。 さっきまで人混みのあった場所が不自然に開けているのだ。 それに、いままで隠れていた相手が何故このタイミングで出てきたのか。 しかし恐怖を知らぬ|真祖《ノクト》はそんなことでは躊躇ったりはしない。 「待ちなさいってば!」 目的の相手に近づくと背後から肩に手を伸ばす。 だがその手が届くよりも先に、大気を引き裂く凶弾が豊満な胸の間を貫いた。 血が噴き出し、遅れて遠方よりも銃声が到着する。 「ノクト!」 「大丈夫よ、|真祖《あたし》がこんなことくらいで死ぬわけないでしょ!」 そう言って、|傾《かし》いだ身体を立て直すと、無事を伝える。 しかし銃弾で彼女が倒れないことはエンデも重々承知している。 何故ならば相手はこの日のために準備を重ねた|彼女《ノクト》の分身なのだから。 大口径の銃弾で胸を貫かれてなおかつ傲慢を貫こうとする親の身体に自らの手をねじ込む。 そして心臓を掴むと、そこからえぐり出す。 「衰えたな主よ」 フードの内側から少女の声が響く。 その際のぞけた顔は、ノクトに似ていた。より正確に言うならば、運と年頃をおなじまで若返らせたノクトである。 ただし、その髪と肌は漂白されたように白い。 ――彼女がエンデ? その姿を運は知っていた。 薄暗い地下室で棺桶に収まった姿が脳裏をよぎる。 だが少女は動揺する運を無視して、奪った心臓を己の頭上に掲げ握りつぶす。 そしてそこからしたたる血で存分にノドを潤すのだった。 ひと口ごとに成長していき、飲み干すころにはノクトとうりふたつになっていた。 髪色はちがうが、そんなことはどうでもいい話だ。 彼には心臓を奪われ地に伏したノクトしかみえていない。 「貴様ぁ――!」 度を超した怒りが運を暴走させる。 |手《・》は彼の制御を外れ、近くにあるすべてのものを破壊した。 繰り返し強大な能力を使い続けたことで、範囲も威力も以前よりも増している。 そして溢れんばかりの殺気は、直接触れずとも通行人たちを害していく。 このままいけば、街は崩れ多くの死傷者を出すこととなっただろう。 それでも運の目にはノクトを害したエンデしか写っていない。 暴走する|手《・》のうちの一本を無理矢理動かすと、力を得たばかりの吸血鬼を滅ぼそうと意識を集中させる。 だが、運が|手《・》を伸ばすよりも先に、二発目の銃弾が彼の胸を貫く。 「!?」 胸に穴を開けられた運の意識は急速に拡散。そのままノクトの隣に崩れ落ちる。 そして、狙撃手である金貝葉夏は、|照準器《スコープ》の向こうで運の愚かさを笑っていた。 「ちったぁ、こっちのことも意識しろよな」 28・ 「お兄様しっかりしてください」 運は彩の呼びかけで意識を取り戻す。 騒ぎを避けるため、どこかに部屋を借り連れ込まれたようだ。 胸には大きな血の跡が残り、重傷であったことを知る。微かに目がかすんでみえるのは、大量の血液を失ったせいだ。 「……俺は?」 「銃撃されたのです。おそらくは|吸血鬼《エンデ》の下僕となり果てた金貝葉夏の仕業でしょう」 「銃撃……そうだ、ノクトは!?」 「いま、奈津杉さんに治療をしてもらっています。ですが……」 彼の傷は陽菜によって治療されたという。表面を塞いだだけで、多くの血を失っている。無理をしてはいけないと言われるがそんなことは関係なかった。 奈津杉陽菜は治癒を使うことにより、治りかけた吸血鬼化が再進行する。にも関わらず、躊躇せず使ってくれた彼女には感謝の念が絶えない。 しかしそんな陽菜の顔がくらい。 懸命に続けているノクトの治療が上手くいかないのだ。 運を治療したときとちがい、心臓がまるまるない。そんな重要器官をあらたに生み出せるほどの力は彩にはない。 また真祖である彼女は強力な存在である。そんな相手に能力を浸透させるだけの力も技術も獲得してはいなかった。 「治癒できないって、そもそも|吸血鬼《カノジョ》は自己治癒ができるんだろ」 死にかけた陽菜が一命をとりとめたのは自己治癒能力があったからだ。それが真祖たるノクトに備わっていないわけがない。 「ごめん、心臓ごとごっそり力をもってかれちゃったみたい。いまのあたしは意識と肉体だけを残した残滓みたいなものね」 虚ろに瞳をひらいたノクトが弱々しく告げる。 「だからね、運」 「なんだ?」 「あたしを殺して……」 「!?」 「何百年も生きた真祖様が、無様な姿はさらせないわ。あなたの力でひと思いにお願い……」 「真祖とか何百年生きたとか関係ない。死ぬな」 「子どもみたいなワガママ言わないの。どのみち長くはないのだから、楽にさせてよ。 それに私はもう生きることに飽きてるの。ここで尽きるというのならそれが運命なのよ。 きっとあたしは、あなたに殺してもらうためにここまできたのね」 「エンデはどうするんだ。あいつを始末するためにここまで来たんだろ!」 「ごめん、彼女のことは運に頼んでもいいかな?」 「ダメだ。自分でなんとかしろ」 狂乱する運の|眼《まなこ》から涙があふれ出る。 夏の間、彼を振り回し続けた赤い髪の吸血鬼の顔に、いくつもの雫があたる。 「おねがいよ運……」 もう一度願うとノクトは瞳を降ろす。 そして運は、|手《・》を出すと、己が恋した吸血鬼を完全無欠に破壊するのだった。 ◆ 運の暴走に巻き込まれぬよう、あの場を離れたエンデは、ノクトの死を察知すると薄暗い隠れ家でケラケラと笑いだした。 もともと彼女はノクトより派生した存在。遠く離れていようとも、大きな変化は感じとれる。 「死んだ。ノクトが死んだわ」 「そいつはめでたいね」 喜びの感情を表すエンデとは裏腹に、相づちを打つ葉夏の感情は冷めていた。 いかに真祖で強力な吸血鬼を滅ぼしたといっても、話したこともないような相手だ。遠距離から狙撃したということもあり倒したとい実感はない。 「勝手に生み出し、勝手に要求をつきつけたあのワガママ女はもういない。真祖たる力は我が受け継いだ。もはや我こそが、このエンデ様こそが真祖だ」 狂喜乱舞する姿にカリスマ性はなかった。 その姿は念願の玩具を手に入れた子どものようだなと葉夏は思う。 「あいつのせいで、こんな極東の島国で隠遁する羽目になったあげく……」 環市で受けた屈辱を思い出し、それまでの喜びは失せている。 真祖の手から逃れるためにやってきたこの地で、まさか人間たちの手によって封印されることになるとは思わなかったのだ。 二年前にようやくそれから抜けだし、少しずつ人間を狩ることで力をとりもどした。 葉夏の活躍により学校で大量の生気を得たことも大きかった。 いまではノクトの力を奪い取ったことで全盛期以上の力を手にいれていたハズである。 「そいつはすごい」 「まぁまだ馴染んではいないがな」 身体にみなぎる力に充足感をおぼえながらも、それらは想像していたよりもだいぶ小さい。 「それよりも|金貝葉夏《キサマ》、しくじったな」 エンデが眼力を向けると、だらしなく座っていた葉夏の身体が地面に押しつけられる。 「どういうこと、です?」 「四季運は生きておる」 「そんな馬鹿な。あいつは人間だろ。胸を撃ち抜かれて生きてるわけが……」 「知るか。だがあのお方にトドメをさしたのは間違いなくアヤツの力じゃ。まちがいない」 瞳に怨嗟の炎が宿る。 それはノクトに向けられていたものよりも遙かに強力だった。 エンデは葉夏の顔を踏みつけると、改めて命じる。 「四季運を殺せ。今度こそ確実にな」 エンデと運の間になにがあったのかは知らない。 だが運の生存報告に葉夏は喜びをおぼえていた。 第8話◆退魔師 Exorcist 29・ 四季邸の一室にもどり、一段落すると運たちは話をはじめる。 「申し訳ありません奈津杉さん。力を使うなと警告した身でありながら、ワガママなことをお願いしました」 運を救う際、彩はふたたび奈津杉陽菜に治癒能力を使うことを願い頼んだ。 見た目上の変化はなかったが、彼女がまた一歩吸血鬼に近づき、その分普通から遠ざかったのは間違いなかった。 「気にしないでください。頼まれたからじゃなくて、私が決断してやったことです。後悔なんてしてません」 以前の陽菜は臆病な少女だった。 しかしそれ以上に薄情だったのではないかと本人は思っていた。 他人が困っていても『自分にはなにもできない』という言い訳を盾に関係を拒んでいた。 しかし他者の怪我を癒やす力を得て、その言い訳を使えなくなった。 その事実が、自分という人間のありかたを気づかせてくれたのだと彼女は言う。 対価として支払う吸血鬼化は気をつけてさえいれば容認できる範囲であると。 「強くなりましたね」 「そう、なんですかね?」 「はい、ですがそれ以上は踏み込まないことをお薦めします。いまよりもひどいものを見ることになりますから」 「でも、もう他人事じゃないんです。運くんだけじゃなくて、学校中の人たちが犠牲になったんです。 私だってあのとき運くんといなかったら……」 ふたりのやりとりを聞いていた運もそこで発言する。 「彩、エンデは何者なんだ? どうして俺は彼女のことを知っていた?」 ノクトと出会ったときの既視感は、エンデと出会ったことの追体験だったのだ。 だとしても、過去にエンデとであった明確な記憶は彼にはない。 そもそも運には二年より前の記憶が曖昧なのだ。 故に問う。 「俺は本当に四季運なのか?」と。 30・ 「エンデはこの地にやってきた吸血鬼でした」 そう言って彩は話を始める。 ノクトの手から逃れるためにやってきたエンデは、その傲慢なありかたで各地の人々を蹂躙してきた。 それに対抗しようと四季家を中心とした退魔師たちが力を結束し、挑んだという。 分身とはいえ、真祖直系の吸血鬼は強力で、封印には数多の犠牲を払うことになった。 失った戦力を補充するため、また、今後おなじような相手と出くわした時のためにその力を解明しようと調べた。 封印したエンデの身体をバラバラにして。 その時に利用したのは以前より戦闘用に研究していたホムンクルスだった。 当初、さした力を秘めていなかったホムンクルスだったが、少女をバラすごとに力を得ていった。 しばらくすると、怪しげな力を発現させとても強くなる。 しかしここで予想外の事が起こった。 エンデが弱体化したことで逆に、彼女のために特別チューグした封印が効力を失ったのだ。 逃亡に気づいた四季運がいち早く現場に駆けつけ、エンデと対峙したものの敗北。生と死の狭間を彷徨うこととなる。 彼の持つ技術と知識は重要なものだった。 いかなる手段をもってしても延命させることを当時の家長である運たちの父親が決めた。 しかし敗北した身体はボロボロである。 故に彼らは、四季運の肉体をあきらめ、その記憶をまるまるホムンクルスに写したのだ。 それが現在の四季運である。 「そうだったのか」 そのことを聞いて運はホッとしていた。 かつてより、自分が四季運かどうかを疑っていた。 その疑惑は半分正しく、半分まちがっていた。 彼がホムンクルスと四季運の融合体であるというのなら、彼の記憶はまちがいではなく、四季運として与えられたものを彼が与えられることに忌避感はなかった。 一緒に話を聞いていた陽菜はドキドキしていたが、当の本人はなんら気にしていることがなかった。 「逃げ出したエンデは人間を、我々退魔師を憎んでいます。ネックであるノクトさんを排除し、真祖の力を得た以上殺しに来るのは避けられません」 「こちらの戦力は?」 「私とお兄様だけです」 彩の回答に「そうか」とだけ答える。 戦力は増えなかったが、知らない相手と足並みを揃えなくてもよいというのは気楽である。 「ですが、現在のお兄様の力をもってすればエンデの打倒も難しくはないと思います」 そして、そのための足がかりとして人狼となった金貝葉夏を捕縛することが提案された。 31・ 金貝葉夏は不満だった。 彼はいまもむかしも大きな不満をかかえ過ごしている。 裕福な家庭で生まれ育った。 早熟で頭がよく、小さかった頃は将来を期待されていた。 しかし小学校を卒業し、中学生になる頃になってそれは途絶えた。 それまでのごく小さなコミュニティではなく、大きくなったコミュニティ内では彼は一番でアリ続けることができなかったのだ。 それから彼は努力を意味のないものとみなし、他者を揶揄することで自分を高めようとするようになる。 他者を見下す発現はとてもたやすく、それでいて自尊心を満たしてくれる。一時的なものにしか過ぎないが……。 運と出会ったのはそんな時期だった。 運は葉夏の口の悪さを容認し、特別な力をもったすごいやつなのにそれを誇示しようとはしない。 たいしたことでなくとも、素直に葉夏をすごいすごいと褒め立てる。それは善意も悪意もなく本心からの褒め言葉だった。 それどころか世間に疎く、どうしようもないヤツだった。少なくとも葉夏はそう認識していた。 そこで彼は運をデキの悪い弟分のように扱うこととした。 運もそういう扱いを受け入れていた。 しかし、運命はふたりを引き裂いた。 葉夏は周囲の警告を無視し、夜の街を遊び歩いたのである。 その結果、エンデと遭遇し下僕にさせられたのだ。 吸血鬼でも食人鬼でもなく人狼となったのは、もともとそういう素質があったのだろう。 都市伝説の多い環市では、情報が表に浮かび上がらないよう四季家が奔走しているが、その手の特異体質な者は多い。 それが吸血鬼の要因を受け入れたことで開花したのだ。 そのせいで下僕の立場に押し込められてしまったが、他人とはちがう力を得られたことは彼を久方ぶりの優越感にひたらせてくれた。 ただし、弟分である四季運が彼を凌駕するほどの力を所持しているということを知るまでの短い時間でしかなかった。 そしてその力は、なんの対価も払わずに得たものである。 一度は手を掛けたことを後悔しかけたが、確実に殺したと思った状態で生存を知らされては面白くない。 いまや彼は、生きているだけで葉夏の顔にドロを塗る存在である。 「やっぱ、|運《あいつ》だけはこの手で引き裂いてやんないとダメだな」 32・ どんな物でも一撃で破壊してしまう四季運。 そんな無敵の存在にも弱点はある。 それを調べ、見つけ出したのは金貝葉夏の功績である。 運の|手《・》はどんなものでも破壊する。 そして彼本人以外には存在を認知されない。 かろうじて、手で破壊されたものの余波のようなもので、二次観測ができる程度のものだ。 このふたつの特徴で、運は一方的な破壊を続けることができていた。 だが、その攻撃は自分で目視しているものに限定される。 斉射される機関銃のように適当な照準では効果を出せないのだ。 そしてそのことに気づいた葉夏は、その隙を突くことに成功した。 二度運と交戦し、二度も彼を死の淵にまで追い込んだ。 しかし、二度彼を追い込んだということは、二度彼を取り逃がしたということでもある。いまだ運は生き残り、その両足で大地を歩いているのだから。 金貝葉夏は服を脱ぎしてると、獣化する。 顔か変形し口が伸び、鋭い牙が並ぶ。 筋肉の肥大した身体も大きくふくれあがる。 その姿は伝説にある人狼そのものだった。 迂闊にも闇を踏み、吸血鬼の下僕にさせられたことで得た力だ。 吸血鬼などという弱点の多い化け物よりも、陽光の有無を気にしない人狼のほうが優秀なのではないかと彼は考えている。 獣化を終えると、鼻を高くあげクンとならす。 人狼の嗅覚は彼にいろいろなものを教えた。 例えば運がいま、どこのいるかとか。 もっともそれは相手の行動パターンから、どのあたりを探しにくるかという予測から捜索地点を絞ったからこそできるものだが。 「あっちか」 場所にあたりをつけると双眼鏡をのぞく。運の姿は簡単に発見できた。 ライフルで狙撃されたにも関わらず平然とであるけるあたり、その神経を疑う。 「まっ、運だからな」 そう思いもするが、 あまりに超然としすぎているので、才人に憧れる凡人としては腹立たしくもあった。 だがみつけたのはガラスに映り込んだ姿のみである。巧妙に建物の影を利用し、そこから出てこようとはしない。 ――それがわかるってことは、こっちの居場所も見当がついてるってことか? それでいて自分の身をさらしているのは、葉夏を誘い出すためであろう。 「でも、所詮は運の朝知恵だ」 ライフルを準備し、構える。 その照準の先には見知らぬ若い女を置いた。 殺す気はない。足を貫いて派手に悲鳴をあげてもらうだけだ。 そうすれば自体を察知した運が女を守るため建物の影から出てくる。それ以上、無関係な者をまきこまないために。 しかし、葉夏は|引き金《トリガー》にかけた指を引けなかった。 背後に現れた気配を察知した瞬間その場から飛び退く。 人狼の反応速度で動いたにも関わらず、いくらかの獣毛を断たれる結果となった。 そしてそこには獲物をみつけた退魔師――四季彩の姿があった。 戦闘用に改良された、スタイリッシュ巫女服に身をつつみ、その手には刀が握られている。 人間を遙かに超える耐久力を身につけた葉夏であったが、その刀に斬られることのまずさを本能的に感じ取っていた。 ――ありゃ、運の力とおなじ臭いがするな。 臭いの強烈さはまるでおよばないが、似た特性があると仮定するのならば、触れることすら許されない。 だがしかし、女子大生の振るう刃程度、自分なら余裕で避けられるという自信はあった。 「四季家当主として、このあたりの地理には精通しています。お兄様があそこにいるなら、狙えるのはここになることも当然把握していますよ」 「なんだJDの出張カットなんて頼んだ覚えはないぞ」 「生憎と、手元が狂い、うっかり首を落としてしまってもご容赦を。人狼の耐久力を過信して死んでしまったりしないでくださいね」 33・ 環市内に数本しかない高層ビルの屋上。 そこで戦闘用巫女服に身を包んだ四季彩と、人狼と化した金貝葉夏の戦いは行われていた。 「吸血鬼の|下僕《イヌ》ふぜいが、四季家の治める地で、よくもやってくれたものです」 「遠慮すんな、おまえも殺して犯して喰らいつくしてやるからよぉ!」 肉体的ポテンシャルでは人の皮を脱ぎ捨てた葉夏に軍配があがった。 されど退魔師として数多の実践をくぐり抜けていた彩の技量はその差を覆す。 徐々に人狼の身体を切り刻んでいく。 本来ならばすぐさま再生する異形の身体であるが、それを断つために打たれた刀は、そんな理不尽をみとめはしなかった。 己の劣勢を自覚する葉夏。 「くそっ、この僕が女なんかに」 そこへ運がやってくる。 運は葉夏の劣勢をみると止めに入る。 そもそも葉夏からは情報を引き出すのだ。 殺すことは視野に入っていない。 にもかかわらず、いまの彩は怒りの感情に振り回されているようだった。 「まってくれ、そいつは悪いヤツじゃないんだ」 それは葉夏のプライドを傷つけるものだった。 「この後におよんで、まだ上から発言かよ!」 不意をつかれた形になり、運はその攻撃を避けられなかった。 するどい爪の立ち並ぶ手が小柄な身体を引き裂こうと迫る。 そこに彩が踏み込んできた。 その身を犠牲にして、運を守った。 巫女服が引き裂かれ、か細い女の身体が引き裂かれる。 そのことに運は呆然とした。 いくらワルぶっていても、性根の部分で葉夏は悪に徹することができない人間だと思っていた。 学校での一件とて、被害者は多かったものの死んだ者はいない。 だから、どれだけ追い込まれようとも、彼が誰かを殺すことを運は想像できずにいた。 そしてそのせいで、彼は妹をも傷つけることとなった。 血を流し、ピクリとも反応しない彩の姿と、赤い髪のノクトの姿が重なる。 彼の中で荒れ狂う鬼が暴走する。 「葉夏ー!!」 「ようやくやる気になったのかよ。おせーよ運!」 本来ならば運の必殺の間合いである。 しかし、彼の|手《・》はその姿を見せず、敵を屠ることもなかった。 「!?」 葉夏の爪が運の身体をえぐる。 運の反撃を想定していた踏み込みは浅くなり、運の身体に負わせた傷も比例して浅くなった。 しかし彼の優勢は覆らない。 「覚悟を決めたっていったクセに温いなあ!」 トドメをさそうと牙をむく。 それを一発の銃声が阻んだ。 みれば接近戦に入るため、彼が捨てた狙撃用のライフルを構える者がいた。 それは先ほど殺されたばかりの四季彩とおなじ姿をしていた。 「なんで?」 殺したハズの相手に撃たれ呆然とする葉夏。 視線を地に這わせれば、彼を撃った女とまるまるおなじ姿の死体が転がったままだ。 「初見殺しの多い怪異を扱うのです。身を守る対策くらいしています」 「きったねー」 彼の脳裏には以前みかけたドッペルゲンガーのことを思い出していた。 そのドッペルゲンガーは、彼女によく似た美人だったと……。 第9話◆泥人形 34・ 「どうしてあのとき攻撃をしなかったのです?」 屋敷にもどった四季彩は、兄である運を問い詰める。 「彩さん、そんなに怒らなくても」 「怒っているわけではありません。確認しなければならないことなのです」 運は葉夏との戦いの最中に攻撃すべきところで攻撃しなかったのだ。 それは自身の命を危険にさらし、さらにはエンデに対する切り札を失うことも意味している。 「お兄様、あのときアレを攻撃しなかったのは哀れみですか?」 「ちがう、あいつは俺なんかに哀れまれるようなヤツじゃない。 あいつは俺にできないことをたくさんできるすごいヤツなんだ。 今回のことはちょっと道を踏み外しちゃったっだけにすぎない」 「ではどうして攻撃しなかったのです? 無力化して捕らえてから改めて説得でもよかったハズです」 「わからない、上手く力が使えなかったんだ」 試しにこれを壊して欲しいと、彩は飾られた壺を彼の前にだした。 しかし、運がどれだけ意識しようとも壺に変化は見られない。 それどころか頭に発生した不快感がそれを中断させた。 「これは……?」 運本人も動揺している。 かつては破壊しかもたらさないこと力を疎んだこともあった。それでも自身の手の一部であると受け入れ、必要となった矢先にこれだ。 「いつからです?」 「わからない。気づいたのは葉夏と戦ったときだ」 「では最後に使ったのは?」 「……ノクトに使ったのが最後だ」 運の中にはいまだ破壊のための力が眠っている。 しかし、運の意思でそれを扱うことができなくなってしまった。 ノクトを破壊したときのことが、彼のなかでトラウマとなり、彼を束縛しているのかもしれない。 あるいは、あのとき無意識に起こそうとした大規模破壊を防ぐためのリミッターなのか。 「どちらにしろ、使えないのは困りましたね」 力が存在する以上、強引にそれを解き放つことは可能だろうが、彼の力は危険と隣り合わせだ。 暴走する危険を残したまま、使わせる訳にはいかない。 最悪、ひと区画消滅するくらいの覚悟が必要となる。 故に彩の提案で、改めて能力制御の訓練をすることになった。 35・ 「本当はこんなことをしたくはないのですが……」 魔術的な施しを行い、運をインナーワールドで己を鍛える訓練をする。 その中では以前みた夢を再体験していく。 再び、棺に寝かされた少女と向き合う。 傷のない肌。長く揺蕩う髪。その全てがまっしろな手術着を来た子ども。 あらためて見てもノクトに似ている。 しかしそれはエンデである。 その動かない少女を運は黙々と分解していく。 手から伝わる感触はない。 香りも音もないまま作業を続ける。 外された部分のエンデは、珈琲に沈む角砂糖のごとく解け、消え去っていった。 そこでようやく、甘さだけが口に伝わってきた気がした……。 そんな様子を追体験して運は改めて思う。 |白い少女《エンデ》に反応がなかったなんて勘違いであると。 彼女は苦しんでいた。 彼女は痛みを覚えていた。 なによりも彼女は彼を恐れていた。 ただ、それを表に出すための機能が失われていて、運にもそれを察する機能が付いていなかっただけなのだ。 やがて数多を奪われた少女は、封印から抜け出し逃げ出す。 哀れなほど痩せこけた姿で。 「これは恨まれても当然だな」 運はそういった感想をもった。 しかしながら、彼の手には手術でつかうメスに似た刃が握られていた。ただし、その色は闇を凝縮したような黒だった。 いかなる理由があろうと、エンデを放置するつもりは運にはなかった。 36 彩の指示で運と念のため陽菜も庭に出ることとなった。 そこで彩は呪符を用いて、庭の土から土塊の人形を生み出す。 それと戦うことで黒いナイフの扱いを習得しろということだった。 いざというときの治療のため連れてこられた陽菜は、ハラハラしながらその様子をみている。 「動きはそう速くはないですが、力と耐久力はあります。いままでのお兄様ならば苦もなく倒せた相手です」 滅ぼしてしまっても誰の被害にもならない。だから遠慮の必要はないという。 運は「本当にか?」と確認するとゴーレムとの模擬戦を引き受けた。 だが、そのまま戦うのではなく、彼は自主的に目隠しを行うこととした。 「なぜそのような真似を?」 「これまでと同じじゃダメなんだ。少なくても弱点は克服する必要がある」 彩はその訓練法を認めると運にゴーレムをけしかけた。 目隠しで相手の位置をさぐること自体はそう難しくはなかった。 ゴーレム以外にも、彩と陽菜の体温や息づかいが感じられる。 だがそれはあくまでも止まっていればの話である。 視覚情報よりも先に感知し、それを目標にすり替えられるわけでもない。 脈絡もんく彩が小石をなげつける。 彩の鼓動に反応し、運は身体を動かす。 小石を交わすことができたが、同時に動いたゴーレムへの反応が遅れる。 それはみえるみえないの問題ではなかった。 単純に小石を交わしてバランスを崩したところに襲われる。故に対応が遅れたのだ。 必死に振り回す黒の短剣が偶然にもゴーレムの腕にあたる。 完全なまぐれ当たりである。 しかし、明確化された破壊の象徴は、ほんのわずか対象に触れただけでゴーレムを塵に返した。 「まぐれあたりを頼るのはどうかと思いますが……威力は以前よりもさらにあがったようですね。ですが攻撃できる範囲が縮まった分、使い方は考えねばなりません」 戦いを観察していた彩が言う。 「でもこれで戦うための武器は手にはいったんだ」 運の決意を否定する者はいなかった。 第10話◆不死殺し 37・ 「はわわ、彩さんが三人も」 「どうかこのことはご内密に」 エンデと対峙するに際し、四季家陣営は可能な限りの戦力を投入することにした。 戦闘用ホムンクルスである彩を三人。 本体は屋敷の最奥の場でホムンクルスを操作し、なおかつそこから受け取る情報を記録・整理している。 ホムンクルスが破壊されても、彩本人に被害はないが、今後の環市の防衛を考えれば、被害は最小限に抑えたかった。 そしてもうひとり、四季運もこの場に参加している。 黒のナイフを自由に出し入れできるようになったが、いままでのような即時対応はできない。 もともと大きかった破壊力がさらに先鋭化したが、それに対するメリットは微妙なものである。 「陽菜、ほんとにこんなところまできて大丈夫だったのか?」 戦闘の場にやってきた奈津杉陽菜を運が心配する。 「うん、無理はしないから、それに運くんたちがやられやったら大変なことになるんでしょ?」 守り手がいなくなれば、人類に怨嗟を持つエンデが暴れ回る術がなくなる。 そうなれば、彼女の日常も危険に冒されることとなるが、それでも運にとっての日常の象徴だった陽菜には安全なところにいてもらいたかった。 ――すでに遅いけれどな。 自分のせいで事件に巻き込み、死にかけ、取り戻しかけた日常すら捨てさせることとなった。 彼女に受けた恩をすべて返すことはできないだろう。 彩がエンデとの決戦の場に選んだのは防災公園だった。 あたりに被害をださないための広大な土地があり、高いビルからも離れているため狙撃される心配もない。 その場に立つのは運ただひとりである。 エンデと対峙した際、能力の暴走もありえる。 そう判断してのことだった。 指定の時間になると公園に霧が立ちこめる。 そのなかを優雅に現れたのはノクトから強大な力を奪いなりあがったエンデだった。 ノクトとうりふたつの美女。 ただノクトが赤髪だったのに対し、ノクトはほんのりと金色の付した白髪である。 あのとき崩した少女の面影はない。 |自らが恋する相手《ノクト》とうりふたつな姿でありながら、その姿は運に不快感しか与えない。 そして新たに闇に君臨しようとする女王は数多の軍勢を引き連れていた。 38・バトル 霧に紛れ|吸血鬼《エンデ》とともに現れたのは虚ろな瞳の人間だった。 「知っているぞ。下僕にキサマのことは調べさせたからな。 キサマは人間を殺しはしない。 こやつらは吸血鬼ではあるが、その深度は浅い。いわば|下級吸血鬼《レッサーヴァンパイヤ》といったところじゃ。ヌシらはできるのであろう、こやつらを人間にもどすことが」 その目はうつろで焦点があっていなかったが、死者独特の腐臭は感じられない。 さりとて襲いかかれば人間以上の力を発揮するのは疑いない。 「キサマに、こいつらを殺せるか? 殺せるとして何人だ? さぁ罪悪感の海に溺れるがいい――っ!」 勝ち誇った声で笑いを響かせる。 それは運に不快感しか与えなかった。 「その姿を|汚《けが》すな」 怒声とともに手にしたナイフを一戦させる。 ナイフの刃が届くような距離ではない。 それでもバタバタと人間たちは倒れていく。 「皆殺しとはキサマ、人間であろうとすることを諦めたのか?」 人命を踏みにじり続けていた吸血鬼が、人道を盾にする。されど運はその言葉すらも斬り捨てる。 「なにを言っている?」 倒れた人間たちは息をしていた。 それどころか傷ひとつついていない。 口元からのぞけた成長した犬歯も外れていた。 「キサマ、なにをした!?」 「たいしたことはしちゃいない。いままでどおりただ壊しただけだ」 「キサマ、吸血鬼であるという概念だけを破壊したというのか? まさかそんなことが本当にできるとでも」 目前で信仰する自体を否定するエンデだが、運の手は止まらない。 一秒に数名ずつ、下級吸血鬼を人間にもどしていく。 その身もふたもない圧倒的なやりかたにエンデは我に返り、文句を言う。 「キッ、キシャマなんということを。キサマは世の断りすらも斬り捨てるというのか! ありえん!」 「そんなことは知らん。ただ、気に入らないものを破壊しているだけだ。文句なら聞くぞ」 視線が改めてエンデを捕らえる。 エンデは己の小さな身体を抱え、少女のように振える。 「ひぃ、バカな……、こんなことが」 「おまえ、俺のことを馬鹿にしてないか?」 問いかける声はただひたすらに冷たかった。 事実、彼は腹の底から怒りを抱えていた。 こんな相手に振り回されていたのだ。 「葉夏のほうがよほど強敵だったな」 「うわ――っ!!」 自らに向けられた最大級の侮辱を否定するため、エンデは単身運になぐりかかる。 彼と正面から戦うことが、いかに危険なことか身にしみていたはずなのに。飽和する恐怖は、その者からたやすく冷静な判断を奪い去ってしいまう。 「おまえ、俺をバカにしてないか?」 「うわぁ――!」 かつてノクトが見せたように、エンデが青い炎を放つ。 それすらも切り裂き消滅させてしまう。 「ウソだ。ウソだウソだ。我は真祖のなったのじゃ、ノクトからその力を奪って。すべての頂上に立つ真祖の力が、こんなガキに圧倒されて良いハズはないのじゃ」 エンデがいかなる力をふるおうとも、運はすべてを破壊しつくしてしまう。 あらゆるものを破壊する神が、一歩、また一歩と近づいてくる。 ――イヤじゃ、死にとうない、封印されるのもイヤじゃ。 さりとて彼女にできる術はない。 それを思い知ると、エンデはみっともなく涙を流し命乞いをはじめた。 「なんでもする、頼むこの通りじゃ。ヌシは|ノクト《あるじ》様とも和解したのであろ? ならば我のこととて許せるハズじゃ。なっ、なっ?」 されど運はその懇願を受け入れなかった。 「おまえは俺とおなじだ。人の皮をかぶっているだけで、中身は人以外の化け物。改心という言葉は知っていてもそれを心から実感することはないんだろ」 「いやだ、もう棺の中にはもどりたくない」 「だったら、大人しくしていればよかったんだ。せっかく逃げられたんだ。息を潜め人間のフリをしていれば俺だってそれを暴こうだなんて思わなかった」 「そんなことできるか! おまえは我をあんなめにあわせた人間どもを放置しておけというのか。封印され、家畜のように身体も能力も奪われ、あげくの果てに実験動物のように扱われたのじゃぞ。人間なんかに! 人間なんかに――っ!」 みっともなく涙し、失禁で股を濡らそうとも、それでも人間への恨みは失わせることはできなかった。 「そうだなそういうものだよ。結局、俺たちは人間とはわかりあえないんだ」 そして運は破壊の象徴たるナイフを少女の皮をかぶったものへと振り下ろした。 39・ 「取り返してきたよ。これでいいのかな?」 エンデを倒した四季運は、椅子に座る彼女にホンノリと光る紅玉を手渡した。 それを受け取った人間の女は、「ありがとメグル」と御礼を言った。 そしてソレを自らの胸に埋め込むと元の姿を取り戻し始めていく。 「ずいぶん減っちゃったみたいね」 「すまん」 「いいのよ別に、あっても邪魔だし、これまでだってわざと減らしてたんだしむしろ、手間が省けたくらい。でもアナタは大変だったでしょ、これ御礼」 そう言って真祖の力を取り戻したノクトは運の頬に軽くキスの礼を贈った。 エンデに心臓を奪われたノクトは死の淵に立たされていた。 己で回復する力を失い、かといって陽菜の治癒能力も受け付けない。 死を待つだけであると彼女は、運に介錯を願った。 しかし運はそれを断り、彼女の命を使って賭けをさせて欲しいと願った。 彼女から吸血鬼という概念を破壊し、普通の人間にしてしまったのである。 そして普通の人間ならば陽菜の治癒能力が通じる。それで一命を取り留めたのである。 とはいっても、普通の人間になりさがったノクトにできることなど、せいぜい情報提供くらいだ。 その後は彩とともに屋敷の結界内に隠遁していたのである。 むろん、四季家の秘密が多くある屋敷を自由に歩くことすら許されず、かなりの不便を強いられることになったが。 いまは、運がエンデから取り返した真祖の力で、わずかながらに力を取り戻しただけである。 性質としては真祖の力を取り戻してはいるが、その力はあまりに激減し、一度人間になっていることから性質も変化している可能性がある。 そのことがどう作用するかは、ノクト自身にもわからなかった。 「それじゃ、本当のラスボスのところにいかせてもらいますか」 己の手がしっかりと動くことを確認したノクトは、そう言って椅子から立ち上がるのだった。 40・ 「やっほー、元気?」 四季家の屋敷内を勝手にうろつき、彩のもとを単独で訪れるノクト。 「ここへの侵入は許可した覚えはありませんが」 「いいじゃん、あたしとあんたの仲なんだし。ガールズトークでもしましょ」 彩は諦めて、彼女の話を聞くことにした。 「あたしね、エンデのしたことでひとつだけ腑に落ちないことがあったのよ。どのことだかわかる?」 四季運はその破壊の力で、 食人鬼を倒し 動く死体を倒し、 黒妖犬を倒し、 スケルトンを倒し 人狼を倒し、 真祖の力を得た吸血鬼までもを倒した。 その中で、エンデの仕業でないものが混ざっていると言うのだ。 「そんなこと私に聞かれても、吸血鬼のことなどわかるわけがないでしょう」 「だったら、あなたのことでもいいわよ。あたしたちがプールにいった日のこと、覚えてるわよね」 「そんなこともありましたね」 「あのとき、あたしがでっかいプール行きを選んだんだけど、実はあれってあなたの誘導だったんじゃない?」 「そんなことをして、私のなんのメリットが」 「そりゃ真祖たるあたしをはめるためよ」 「過大評価して頂き光栄ですが、私はあなたが参加することなど知りませんでした」 「でも、あたしがこの街に来て、いろいろしているのには気づいていた。だから、そのうち使えるだろう罠をいくつも用意していた。あなたこの街の支配者なんでしょ。そのくらいの網は張っているでしょ」 彩は支配者などと大げさなものではないと否定する。 「根拠はね、運の訓練のときにだしたゴーレム。あたしが力を失ったと思って油断したわね。普通の人間だって、魔力の波長くらいは感じとれるのよ。アレはスケルトンをあやつっていたものと同じものだった」 「いいがかりも甚だしいですね。そもそもあの程度のものであなたを倒せるわけがないじゃないですか。事実敵にすらならなかったじゃないですか」 「うんうん、あたしもそう思うわ。でもそんなことを言ってたら始まらないから、あなたはまず、あたしの力を削ぐことを企んだの。陽菜を利用してね」 「どうやってです?」 「あなたがあたしにさせたんでしょ。運への好意というエサを使って」 ノクトは真祖であり、一般的な吸血鬼とはその在り方がちがう。 吸血は必要ではないし、陽光もものともしない。真祖である彼女は吸血鬼でありながら、吸血鬼よりも神として存在がちかいのだ。 故に人の|信仰《おもいこみ》でたやすく能力がゆらぐ。 そして運から『ノクトは吸血鬼である』と思い込まれたことにより、普通の吸血鬼と真祖のバランスを崩すこととなった。 それだけなら問題はなかった。いずれは回復した程度の減退だ。だが、崩れたバランスの隙をつきエンデが襲来。見事真祖の力を奪われ、彩は目的を達成したことになる。 真祖の力がエンデに引き継がれたことは予想外だったかもしれないが、受け継ぐ前に力は減退している。 ノクト本人を相手にするよりも分の良い戦いになると予想していたに違いない。実際そのとおりになった。 「それでもし、その妄言が真実だったとしたら、あるいはそうでなくとも私を殺そうというのですか?」 「いやいや、そんなことないわよ。なんか恥ずかしくも遺言みたいなこと残しちゃったから、その後の言い訳ってやつをしにきたのよ。それと……」 ひと息つく。 「うちの子が迷惑かけたことだし、今回だけは見逃してあげるけど……」 『次はないぞ』そう脅しの言葉を残し、屋敷を去る。 ノクトの去った場所をみつつ彩が呟く。 「次はないのはこっちの台詞ですよ」 41・ 「本当にいいのか?」 「うん、もう少しこのままでいさせて」 力の使い方に幅ができた運には、陽菜の身体に残る吸血鬼の因子を完全に破壊することができる。 しかし、陽菜は他者を癒やす力を残すため、そのままでいたいと願ったのだ。 それは他人のためというよりも自分のためであると言っていたが、まだ人生経験の浅い運には、そのことを実感できないでいた。 42 真祖の力を奪い返されたエンデは、運によって人間に堕とされた。 そして四季家のメイドとして使えることとなっている。 尊大でありながら、美しいメイド姿なのだが、運の姿を見ただけで|粗相《おもらし》してしまう残念メイドとなってしまう。 残りの人生を無報酬で働かされることとなった。 ◆エピローグ 「かつて自分は世界なんて滅んでも構わないと思っていた。でもいまはそんなこと思わない。どうしてだろうな」 「それはね四季くん。成長したってことだよ」 いまの彼が力を使い続ければ、きっとこの世界は簡単に崩壊してしまう。 おそらくは地球どころか宇宙の破壊すら可能にするだろう。 いっそまっさらにした方が、より良い世界を構築できるかもしれないとも思う。 だが、みなが生き残り笑い合うこの奇跡のような瞬間は二度と創り出すことはできなだろう。 そう思うと、二度と己の力を振るう気にはなれなかった。 【了】 |
HiroSAMA 2022年12月25日 23時59分10秒 公開 ■この作品の著作権は HiroSAMA さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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作者レス | |||
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Re: | 2023年01月15日 21時42分27秒 | |||
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Re: | 2023年01月15日 21時41分32秒 | |||
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Re: | 2023年01月15日 21時39分37秒 | |||
合計 | 3人 | 50点 |
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