明晰夢 |
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ぼくの名前は田中悟(さとる)。これといった取柄のない中学二年生だ。そのはずだった。 小学校二年生のとき、クラスに気の合う友だちがいた。渡辺徹(とおる)という名前で、学校の帰りに一緒に寄り道をしたり、自宅で遊ばせてもらったりしていた。 学校の裏手をすこし行ったところには小高い岡があった。林は手入れされておらず、下生えがうっそうと茂っていた。小学二年生には、深山に広がる密林のように感じられて、格好の遊び場になっていた。 春になると、岡から浸みだしてできた澄んだ水たまりの底に、太いゼラチンの塊に包まれた真っ黒な球がいくつも沈んでいた。 「ウシガエルの卵だ」 とおる君が教えてくれる。 それから、いつものように茂みの中に作った秘密基地で遊んだ。とおる君は同じクラスにいる宮内真澄ちゃんの話しをよくしていた。岡の反対側にある神社の娘でとても可愛かった。 ぼくたちのクラスでは男子が女子と話をすることはめったになかった。でも、とおる君は年の割にませていたし、話題も豊富だった。クラスの女の子たちとよく話しをしていた。そして、とおる君の会話の輪からはいつも笑い声が絶えなかった。だからぼくは、とおる君はきっと真澄ちゃんと恋人同士になるのだろうなと思っていた。 ウシガエルの卵からは、全長1センチほどの小さなオタマジャクシがたくさん孵った。水たまりの底はおびただしい数のオタマジャクシで真っ黒に埋めつくされた。 とおる君が言った。 「こんなに小さなオタマジャクシが大人のこぶしほどもある大きなカエルに成長して、牛のような声で鳴くのだよ」 ウシガエルの声は聞いたことがあった。大きな野太い声で鳴くカエルがこんなに小さなオタマジャクシから育つのは、とても意外だった。 秋になると、岡を切り崩す工事が始まった。平地にしてマンションを建てるそうだ。秘密基地は使えなくなった。とおる君とは、岡が削られてできた崖を登って遊んだ。とおる君の方がずっと高いところまで登った。もう少しで登りきるところだったが、頂上はせり出していたから、それ以上登るのは無理だった。 「降りるから、どいていてくれよ」 そう言ってから、とおる君は両足を崖から離した。崖のところどころにあるでっぱりを蹴って落下の勢いを殺しながら、一気に下まで飛び降りてきた。 「危ないよ」 とおる君は平然と言った。 「だいじょうぶ。やり方を知ってるから」 とおる君はいろいろなことをよく知っていた。自宅ではカブトムシを飼っていた。秘密基地の近くで捕まえたそうだ。ぼくたちは、岡で遊んだあとには、とおる君の自宅に寄るのが常だった。 とおる君のおとうさんは運送会社の下請けをしていた。自宅に隣接した倉庫には数台のトラックが止まっており、それぞれに運転する人が決まっていた。 とおる君のおかあさんからは、「運転手さんたちは気が荒いから、子供は倉庫に入ってはいけない」と、何度も注意をされた。 おとうさんは昔、長距離トラックの運転手をしており、よく殴り合いのケンカをしたそうだ。でも運送会社の社長になってからは性格が丸くなり、気の荒い運転手たちをうまくまとめ上げている。とおる君は自慢げにそう言っていた。 そして、ぼくたちは小学校三年生になった。けれども、とおる君は学校にやってこなかった。学校の帰りにとおる君の家に寄ってみた。家は取り壊しの最中だった。 近所のおばさんが教えてくれた。 「運送会社も売り払ったそうよ」 その後は、まったく消息を聞くことがなかった。 やがて、ぼくは中学二年生になった。 ある晩、夢にとおる君が現れた。夢を見ている最中に、これは夢だとはっきり分かっていた。 こんな夢を明晰夢と言うらしい。 とおる君は中学二年生の身長になっていた。でも、見た目は小学校の頃と全然変わっていなかった。 「頼みがある」 とおる君はそう言った。 ぼくは黙って次の言葉をまった。 「どうしてもやりたいことがあるんだ。だから、君の命くれないか?」 即答した。 「いいよ」 あわてて付け加える。 「ほかの人を傷つけたり、恨みを晴らすためでないのならね」 とおる君がそんなことをしないのは分かっていた。 それから、未練がましく追加する。 「できたら女の子と仲良くなれるくらいの期間を残してくれると嬉しいけれど……」 なんとか言い切る。 「必要なら全部持ってゆきな」 「すまない。ありがとう!」 目覚めた後も、夢の内容は克明に覚えていた。 その日、クラスは騒然としていた。 「宮内が死んだそうだぞ」 真澄さんが? 中学二年生になって、真澄さんとはまた同じクラスになっていた。 真澄さんは、とても美しくなっていた。成績は常に上位だった。スポーツでの活躍も目立っていた。でも昔と違って、図書館にこもることが多くなり、クラスのほかの人と話をすることは、ほとんどなくなっていた。 まるで付き合うべき人を失なっているように思えた。 ぼくは真澄さんのお通夜に行くことにした。通学カバンを持ったまま通い慣れた道をたどる。岡はすっかり姿を消しており、高層マンションがいくつも建っていた。でも、神社だけは昔のおもかげを残している。 宮司さんの家に上がりこんで挨拶をした。 宮司の奥さんが、なぜか話し掛けてくる。言葉の洪水に呑みこまれて離れる機会を見つけられなくなった。 「渡辺徹(とおる)君を覚えてる? 小学校二年で同じクラスだったけれど……」 ぼくはうなずいた。 「あの人も亡くなったんだって」 えッ! 「小学校二年生のときに白血病になったんだって。おとうさんは運送会社を売って新薬の治療費を作ったそうよ。だけど、奥さんが宗教に引っかかって、おとうさんに黙ってお金を全部寄付してしまったんだって」 家族に相談しないのはまずいなあ。 「だから治療費がなくなり、生活にも困るようになった。お父さんがひどく荒れて大変だったそうよ」 家庭内暴力の嵐が吹き荒れたのか。 「おかあさんは、信心がたりないから病気が良くならない。そう思って家族を説得しようとする。おとうさんはますます荒れて反発する。家庭のなかは地獄だったそうよ」 ぼくは徹君のことから話をそらそうとした。 「真澄さんは、なぜ亡くなられたのですか」 「ちょっとしたことで死んでしまうのは、思春期にはよくあることなんだって……」 そう言うと、奥さんは引っ込んでいった。 ぼくは真澄さんのお棺の前に進み、ひざまづいて頭をさげ、それから大きく柏手を打った。そのまま戻ろうとしたが、なにかの気配を感じた。 立ち上がって、お棺の窓を開けると、真澄さんが薄目をあけてぼくを見つめていた。あわててお棺のフタをとり、白装束を着た真澄さんの体を支えてすわらせた。すぐに救急車が呼ばれて、真澄さんは病院に戻っていった。首に青黒い、縄で締めたような跡がついてることが気になった。 一週間後に真澄さんは学校に戻ってきた。 担任の先生が言った。 「宮内は低酸素脳症のために記憶を失くしているそうだ。まともに判断できないこともあるらしい。しばらくの間、皆で面倒を見てやってくれ。とくに女子は頼むぞ」 真澄さんが言った。 「皆の名前は忘れてしまったけれど、田中悟(さとる)君の名前だけは覚えています。だから世話をするのは悟君にお願いします」 皆は驚いてぼくの顔を見つめたが、やがて納得したような表情になった。 その日は放課後になると真澄さんを連れて実家のある神社に向かった。真澄さんが言った。 「このあたりに水たまりがあってウシガエルのオタマジャクシがたくさんいたね」 ぼくは、うなずいてから言った。 「マンションが建ってからもしばらくは、春になると下水道の中にオタマジャクシがたくさん泳いでいたよ。いまは暗渠になってしまったけどね」 しばらく進むと真澄さんが言った。 「秘密基地があったのはこのあたりだったかな?」 「たぶん、そうだね。小学校二年生のときに、徹君はここでいつも真澄さんの事を話していたよ」 真澄さんは驚いて言った。 「そんなことないよ!」 それから真澄さんはしばらくうつむいていた。そして顔をあげて言った。 「友だちになってくれない?」 「ぼくたちは同級生だよ」 「ただの同級生ではなく、友だちに、だよ?」 「真澄さんと友だちになれたら、すごく嬉しいよ」 「ありがとう!」 真澄さんの満面の笑みは、とてもまぶしかった。 それから、真澄さんは変わった。 男子の会話の輪に積極的に加わるようになった。女子たちともいろいろと話すようになった。でも、放課後になると、いつもぼくと一緒に実家のある神社に向かった。 真澄さんはときどき、いや、結構とんでもない失敗をするようになった。 あるとき、真澄さんに頼まれた。 「家に帰って母から荷物を受け取ってきて欲しい。絶対に中を見ないでね」 ひどく真剣な顔をしていた。 神社までの道を全速で駆け抜けた。 おかあさんが小さな包みを渡しながら言った。 「ほんとうにあきれるわ。下着をはきわすれて学校に行くなんて」 「美人はくめい」と言いますからね。 ぼくは男子の間で流行っていた冗談を口にした。でも、こんなことを言ったと知られたら、軽蔑されるかな? 言ってしまってから後悔した。 ボクは学校まで全力で疾走し、息を切らせながら真澄さんに包みを渡した。 「中は見てないよ」 ぼくがそう言うと、真澄さんは真っ赤になった。 「おかあさんが言ったのね!」 ぼくは小さくうなずいて、できるだけ何事もなかったような顔をして自分の席に戻った。 その日の放課後に神社へ帰る道を歩くときに、二人はまったく口をきかなかった。 ぼくは、真澄さんがどんなふうに感じているのか、ぼくをどう思っているのか、まったく分からないでいた。 無言のまま神社の前についた。 「それじゃあ……」 そう言って、ぼくは真澄さんと別れようとした。 「ちょっと待って」 真澄さんが、ぼくを引きとめた。それからぼくに向き直って言った。 「先日、夢に渡辺君がでてきた。『うまくいったから、利子をつけて返すよ』。そう伝えて欲しいって言ってた」 「うまくいったのか。よかった」 真澄さんはじっとぼくを見つめて言った。 「なにがどうなったか尋ねないの?」 「夢の中での話しだろう? うまくいったなら、それでいいさ」 ぼくは、そのまま帰ろうとした。 後ろから真澄さんが抱きついてきた。しなやかな手足がぼくにからみついてくる。 「本当にありがとう」 真澄さんがぼくの耳元でささやいた。 「あなたが望むことなら、何でもする。ボクにできることなら、何でも!」 真澄さんの身体はとてもやわらかく、熱い吐息がぼくの理性を吹き消しそうになる。 「それじゃあ……」 ぼくはかろうじて言った。 「ぼくから離れてくれる?」 真澄さんは、はじかれたようにぼくから離れた。それから、悲しそうに言った。 「ボクのことが嫌いなの?」 そんなことはない。大好きだよ! 「大好きだよ。君が欲しいなら、命以外の何でも君にあげるつもりさ」 「命以外なら何でも、なのかあ……」 「うん。君を守るためには生きていないといけないからね」 「ありがとう」 「ぼくはとても大切に思っているから、君も自分を大切にしてね」 「ありがとう……」 真澄さんは、涙声で言った。 ぼくは真澄さんを強く抱きしめてから別れを告げた。 帰り道で今日までの事を思いかえす。 真澄さんは徹君が好きだったのだろうな。だから、徹君が死んだと聞いて、発作的に首を吊ったのだろう。 徹君も真澄さんが好きだった。自分のせいで真澄さんが死ぬことをなんとしても止めたかった。だから、ぼくの命を使って真澄さんの命をつなぎ止め、生き返らせたのだろう。 それから、徹君はぼくと別れた後に地獄の日々を送っていたらしい。楽しかった日々に、ぼくと過ごした日々に帰りたいと望んでいたにちがいない。 真澄さんの中に徹君が転生しているかもしれない。そう思ったから、あのときぼくは自分を抑えることができた。 本当のことは分からない。 でも、真澄さんとは親友同士の付き合いをこれからも続けたい。いつか、ためらうことなく命をさしだせるような関係になれるように。 |
朱鷺(とき) 2022年12月25日 22時23分59秒 公開 ■この作品の著作権は 朱鷺(とき) さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2023年01月29日 09時28分15秒 | |||
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Re: | 2023年01月29日 09時26分47秒 | |||
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Re: | 2023年01月29日 09時26分05秒 | |||
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Re: | 2023年01月29日 09時25分34秒 | |||
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